「店に客が入っても気づかないなんて、本当に商売をする気はあるのかしら?」
僕がいつものように店で読書をしていると、突然聞き覚えのある声が聞こえた。顔をあげてみると呆れたような表情で十六夜咲夜が立っている。
「店を開いているのは僕の趣味の一つだからね。読書という趣味を妨げてまで商売をする気はないよ。それよりも君は何か買いに来たのかな?」
そういうと彼女は少しため息をつき、店の中を見回した後
「妖精メイドが割ってしまった食器の代わりを探しに来たのだけれど、よさそうなものは置いているかしら?」
と少し苛立っている様子で尋ねてきた。
部下が食器を割ってしまったことがそれだけショックだったのだろうか。それだけにしては、苛立ちが傍目に見て取れるという、常に瀟洒たらんとする彼女にしては非常に珍しい様子が気になったが、自分が言及するようなことではないと思い直し、何も言わずに裏から高価そうな食器を何点か持ち出した。
彼女はその中から三つほど選び出し値段を尋ねてきた。
そう彼女はどこぞの紅白や白黒と違い、ちゃんと「購入」する意思があるのだ。あの二人だったとしたら、僕が本を読んでいる間に自分の好きなものを勝手に持って帰るだろう。たとえ本を読んでいなかったとしても同じことだろうが。
自分が思っていた値段よりも安値で買えたのか、僕の言った値段を聞いた後は機嫌を直したようだった。
買い物を終えた彼女が店を出て行こうとしたとき、ふと僕の後ろに立てかけてある杖に目がいったようだ。
「……随分と少女趣味なものが置いてあるのね」
「待ってくれ、なにか大変な誤解をされているようだが、あれは紫君が置いて行ったものだ。断じて僕の趣味じゃない」
彼女はそれでもまだ少し疑わしげな眼で僕を見ていたが、あの八雲紫が置いて行ったものと聞いて好奇心を催したらしい。それがどのような物なのか知りたがっているようだった。
「確か『あらゆる願いをかなえる』ためのものだったかな。欲しいのならそっちの言い値で売ってあげるよ」
「どんな願いもかなえられる杖をそんな簡単に手渡してしまっていいの?」
彼女が実に不思議そうな顔で尋ねてくる。
実にもっともな疑問だ。確かに僕にも使えるのなら叶えたい望みは山ほどある。さしあたっては、古い知り合いの窃盗癖を止めさせることだろうか。だがこれは僕には使うことができないのだ。
「これを使うことができるのは女性限定なんだ。だから僕には必要のないものなんだよ。それに実際どれほどの効果があるのか分からないし、君は奇特なこの店で『買い物』をして行ってくれる人間だからね。サービスというやつさ」
そういうと彼女は少し迷ったあと、おそらくさっきの食器の予想額との差額分と思われる値段を口にした。
杖を渡して彼女が店を出ていくと、僕はまた読書に熱中し始めた。ただ、心のどこかでぼんやりと彼女がいったい何を願おうとしているのかということを考えていた。
(ああ変な物を買ってしまった…)
帰りの道中でちょっとした自己嫌悪に陥りながら紅魔館までたどり着くと、ちょうど美鈴が門の前で体操をしているところだった。本人曰く「太極拳」というものらしい。私から見ると単に遊んでいるようにしか見えないが、本人はいたって真剣なのだろう。
「美鈴、体操もいいけれど熱中しすぎて、侵入者が館の中に素通りしたりしないようにね」
「あっ咲夜さん。そうは言っても胸が大きいとよく肩がこっちゃうんですよ。こうして定期的にほぐしておかないと、調子が悪くなるんです」
私の頭の中で何かがピキッと音をたてた気がした。
この子に悪気がないことは分かる。分かるが私の「現状」を考えればそんなことを口にするべきではないと気付いてほしい。つくづく空気の読めないやつだと思う。「気を使う程度の能力」のくせして。
ひきつった笑顔のまま再度注意をしてから館に戻った。買ってきた食器を片づけると、急いで自分の部屋に戻る。部屋の中にだれもいないことを確認すると、私は包装を解き―さすがに素のままで持ち帰る勇気はなかった―中の杖を取り出す。
(本当にこれで願いを叶えられるのかしら?)
ここまで来て再び疑念が渦巻いていく。霖之助が嘘をついていなかったとしても、持ってきたのはあの胡散臭いスキマ妖怪である。どんないたずらが込められているか分かったものではない。
(……まあ、だめもとでやってみますか)
そう思い直すと店主から聞いた使い方を試してみる。彼自身は使い方を把握することはできないようだが、あらかじめ紫が教えてくれたらしい。
(……何を企んでいるのかしら。あのスキマは)
そうぼんやりと考えた後私はナイフで少し指に傷をつけ、その血を杖にたらした。
「ジャジャーン。愛と正義の愉快型魔術礼装ただいま参上!」
……何だろう「これ」は?
「それ」が突然飛びあがり喋り続けている間私はそう考えることしかできなかった。
なぜ杖がしゃべるのかとか、なぜ杖が愛と正義を語るのかとか、そもそも愉快型魔術礼装って何だとか、そういったもろもろの疑問が思い浮かんだのはその杖の話が止まったことに気が付いてからだった。
「もしもーし。私の話聞いてますか?」
「あなた…何?」
そう私が問いかけるとやっと反応を示したことに喜んだのか、さっきよりも少し丁寧に自己紹介を始めた。
「私はとある魔法使いに人の願いをかなえるために作られた奇跡のステッキです。名前のほうはさっき名乗りましたね。気安くルビーちゃんとお呼びください!」
気安くといわれても名前なんかあまりのショックで覚えていなかったが、これ以上混ぜ返すことになるのも嫌だったので、それについては何も言わなかった。
「なんで杖が喋っているの?」
「私はこの杖に組み込まれた人工天然精霊なんです。私はちゃんと意志をもった個体なんですよ」
人工なのに天然なの!?という疑問は置いといて、今の言葉からするとどうやらこの杖は、意志を持ったマジックアイテムのようだ。 まだこの杖に対する警戒心や疑問は残っているものの、さっきの言葉でこれが紫の作ったものではないと気付き、少し気を緩めた。私の知る限り幻想郷の魔法使いで名が知られているのは3人だ。パチュリー様が作りそうなものではないし、アリスが研究を完成させたという話も聞かない。あの白黒が偶然生み出したものをスキマが失敬したのだろうか。だとするならばあの人間は、偶然とはいえ、アリスの研究の完成品を生み出してしまったことになる。
(少し見くびっていたかしら?)
そんなことを考えながら、私は肝心のことを尋ねる。
「ところでどんな願いも叶えられるって聞いたんだけど本当?」
「その通りです!!私はどんな願いもたちどころに叶える魔法のステッキ!さあ遠慮せずに願いをおっしゃってください」
そう言われて私の心がざわめく。やっぱりやめたほうがいいという心とこうするしかないという心が互いにせめぎあい…結局願い事を口にした。
「……私の胸を大きくしてくれないかしら」
そう私の近頃の悩みはこれに由来することだった。誤解のないように言っておくと私の胸は決して小さいわけではない。Cカップはあるだろう。ならばなぜこんなことを、この多少胡散臭そうな杖に頼み込むほどに悩んでいるのかといえば、あの神社で繰り返し行われた宴会までさかのぼることになる。
あのとき宴会での芸として、瞬間的に自分の体格を変えるということをやってみろとお嬢様に命令されたのだ。もちろん宴会に集まる連中は私の能力を知っているし、すぐに胸にパッドを入れていたことぐらい気づくだろう。だがそれだけならば、私のバストが変わっていたことに気がつかなかったやつらは面白がって、気づいていた連中は苦笑するという単なる笑い話で終わっていただろう…あの鬼との戦闘がなければ。
あの鬼との戦いは私にとっても非常に大変なものだった、そう私のメイド服が少し傷ついてしまうくらいに。
その傷に気づかず宴会に出席してしまった私は、芸をする前にパッドを衆目にさらすという羽目に陥ってしまったのだった。
「芸」で披露するのなら笑い話でも、その前にさらしてしまうと普段から着けているものと思われてしまう。混乱していた私が必死に言い訳をしていた様子が、さらに拍車をかけたらしい。私は「パッド長」などという大変不名誉な称号を手に入れてしまった。
それだけなら、それだけならばまだ耐えられた。
常識のあるアリスや妖夢、パチュリー様なんかは私に同情を寄せてくれていたし、ほかの連中はもともと、有ること2割、無いこと9割で人を弄るような連中ばかりだ。そんなことが無くても人を弄ることを止めたりはしないだろう。諦めもつく。
だがよりにもよって偶然その場に美鈴が居てしまった。もっともあの子は害意を持って行動する様な子ではない。妖精メイドに話したのも単なる世間話のネタくらいの気持ちだったのだろう。だがあいつらは持ち前の好奇心と閉じられた館の中という環境が相俟って、宴会に来ていた連中よりさらに噂好きだったのだ。
暇を見つけては鬱憤を晴らすように、私のあだ名を笑い話の種にし続けた。ひどいときには仕事中にその話で盛り上がることもある。今日食器を買ってこざるを得なかったのも、笑っている時にメイドが割ってしまったせいだ。近頃はお嬢様まで面白がって口にするようになった。とにかく私の胃のためにも、メイドたちへのしめしのためにも、今はそんなあだ名で呼ばれないくらいの自前のバストが欲しかったのだ。成長した胸を見せればあの噂好きの馬鹿メイド共もいい加減口にしなくなるだろう。
私が万感の思いを込めて願いを言うと、その杖は嬉々とした口調でどれだけ大きくするかを尋ねてきた。
もともと自分の胸に不満があったわけではない。あの時のパッドのサイズを思い出してそれだけでいいと言った。
「えー。そんなものでいいんですか?もっと大きくしちゃいましょうよ。バストがメートルサイズとかだと今まで馬鹿にしてた人を思いっきり見返せますよ」
(ガードが堅いですね。そんなものじゃあこっちが楽しめないですよ)
ここら辺にきて私はもしかしたら選択を間違えたかもしれないと思い始めた。
どうやらこの杖は思っていることまでこっちまで筒抜けになるようだったが、その思っていることや普段の口調からすると、あのパパラッチと中身はさして変わらないようだ。少し怖くなった私はとりあえず確認をしておくことにした。
「もし自分の思っていたものと違った場合は、元に戻ることはできるんでしょうね」
「当然ですよー。ちゃんと元に戻ることはできます。ですからもっと大胆にイメチェンしてみませんか?」
(そっちのほうが私にとって面白くなりますし)
「……つべこべ言わずに私の言ったとおりにしなさい」
そう言うと私は杖に力をこめ―
―胸が大きいとよく肩がこっちゃうんですよ―
―こうして定期的にほぐしておかないと、調子が悪くなるんです―
「訂正するわ。Eカップより大きくして頂戴」
つい言ってはいけないことを口にしてしまった。
気がついたときはもう遅かった私はよくわからない光に包まれ―
「じゃあ、格好もちゃんと胸が映えるような感じでー」
―そう言う杖に思いっきりの後悔を感じながら、私の意識は薄れていった。
私は咲夜さんに注意されたように、太極拳の動きをほどほどで終わらせてまた元のように門前に立っていた。でも前はこれぐらいだったら何も言われなかったのにと少し不満に思う。そういえば、私との別れ際には何か顔が引きつっていたような気がする。
(近頃の咲夜さん何かおかしいような?あの宴会の後くらいからよね。あそこで何かあったのかな?)
結局虫の居所が悪かったのだろうと結論付けて、明るい太陽の日差しを浴びて日光浴にいそしむ。こういうときは、太陽の光を浴びることのできないお嬢様たちを不便だと思う。日光浴ができないなんて妖生の半分は損をしているに違いない。
そんなことを考えながらまったりとしていると、突然後ろから咲夜さんが私を呼ぶ声が聞こえた。喉の奥で悲鳴をあげ、一生懸命に言い訳を考えながら後ろを振り向く。
「ち、違うんです。決して昼寝をしていたわけではなく、そ、そのちょっとビタミンDのほきゅぅ…」
後ろを振り向いた私の眼にはよくわからないものが目に入る。そう言うなれば、布の面積のやたら少ないビキニの水着を身につけた咲夜さん、といった姿をした物だ。そうあれは咲夜さんのように見えるだけ。だってあんなものを…咲夜さんがあんなものを身につけるはずがないし、何よりあのメートルはありそうなバストはどうみたって―
「もう、どうしたの美鈴。ぼーっとしてるけど熱でもあるのかしら。私の胸を枕にしてゆっくり休む?」
……何だろう、この咲夜さんの声で喋る物体は。いや分かってる、分かってるけど認めたくない。だってこれがあの咲夜さんであるはずがない。そんなはずが…そんなはずは…ソンナハズハ…ソンナソンナソンナ。
そう考えていると咲夜さんは胸を強調するように腕を組んで―
「調子が悪いならゆっくり休みなさいよ。だっちゅーの、なんちゃって。キャハ☆」
その言葉を聞いたところで私の意識は途絶えてしまった。
「しょうがない、私が止めてくるか」
窓の外で門番がぶっ倒れるのを見ながら、館の主レミリア・スカーレットは呟いて玄関へ向かった。
(何か変なものが館に入り込んだことは分かっていたけど、あんなものだったとはね)
勘ではその変な物は危険なものではなかった。実際危険があるものではないのだろう。それでも館の主として、あれ以上無闇に遊び呆けさせるわけにはいかない。
扉が開いて咲夜が入ってくる。
「あっ、お嬢様。どうなされたのですか、このようなところで?」
(あちゃー、大変なものに会っちゃいましたね。せいぜい友好的にふるまっておきましょう)
問いかけてくる咲夜を無視して、杖に向かい脅しをかける。
「いい加減にしておきなさい。それ以上遊び続けるつもりなら壊してしまうよ」
少し殺気立たせて言った言葉に本気を感じたのか、杖は少しこちらの様子をうかがった後降参の意を示した。
「わかりました。今回はこんなところで止めておきましょう。こんな物騒な人がいるなんて思いもしませんでした」
「今回はじゃなくて二度と来るな。もう一度館の中に入ってきても壊してやるよ」
「本当に物騒な人ですね。次はもっと隙の多い人ばかりの所に拾われたいものです」
「ぐだぐだ言ってないで、とっとと元に戻しなさい。私は短気なのよ」
「……わかりましたよ。それじゃあ、最初に言われた分だけ胸の大きさを調節してっと。それではこの辺で失礼します。またいつかどこかで御会いしましょう。願い事があれば私の名前を読んでくださいねー」
最後まで戯けたことをほざきながらも、杖にこもった力が消えていくのを感じホッとして、重要なことに気がついた。
「ちょっと、咲夜の記憶と恰好を修正していきなさい!!」
私がそう言った時にはもう遅かった。水着の上が外れた状態で放心したように座り込んでいた咲夜は、次の瞬間自分のさっきまでの行動と今の格好に声にならない悲鳴を上げたのだった。
「おや、咲夜君じゃないか。昨日来たばかりだというのにどうしたんだい?」
のんきな声をかけてくる店主に、一瞬殺意を覚える。悪いのはこの店主ではないのだと自分に言い聞かせ、その殺意を必死に抑えた。今度あのスキマに会ったときまでにこの殺意は取っておくべきだ。
「この杖を返しに来たのよ。私の願いも叶ったし、とっても素敵な道具だったわ」
ええ本当、素敵過ぎて壊したくなっちゃうくらい。でも壊すわけにはいかない、これはちゃんと霖之助さんに返しておかないと。
「それは良かった。でもこっちが売ったものをただで返してもらうわけにはいかないな。値段が折り合えばちゃんと買い取るよ」
「そんなとんでもない!願い事が叶っただけでもう値段分の価値はあったもの。だから気にしないでいいわ」
そう引き取ってもらわなければこちらが困る。私が正気に戻った後、お嬢様がこの杖を壊そうとする時も引き留めた。この杖にはぞんぶんにこの幻想郷を暴れまわってもらわないと。あの白黒や紅白あたりは狙い目ね。
「そこまで言うならお言葉に甘えようか。ありがとう咲夜君。…ところで何か変わったかな。いつもと比べて何か違和感があるような気がするんだけど」
そうこの点についてだけはあの杖に感謝をしてもいいだろう。もっともあの時がメイドたちの休憩時間でなかったら、こんな気分にはとてもなれなかっただろうが。ああ、寝込んでしまった美鈴には後でちゃんと見舞いに行かないと。
「そういうことは、女性の口から言わせることじゃないわよ」
最後にそう言って私は店を出た。
願わくは、いつもうちに泥棒にやってくる白黒は特につらい目に会いますように。
僕は咲夜君が店を出て行ったあとも少し頭をかしげていたが、まあ大したことではないだろうと思い直して読書を続けることにした。「こーりん、客だぜ!!今日はこうして店に来てやったぜ。」
この騒がしい声はすぐに誰なのか想像がつく。いつも僕の店から物を「永遠に」借りていく妹分だ。
「君は店に来ても何か買っていくわけじゃないだろう。そういうのは客とは呼ばないんだよ」
そう言って顔をあげると、魔理沙はどうやら咲夜君の置いていった杖に興味を示したらしい。
「……随分と少女趣味なものを持ってるんだな」
「みんな同じことを言うんだな。誤解しないでくれよそれは…」
(To be continue?)
僕がいつものように店で読書をしていると、突然聞き覚えのある声が聞こえた。顔をあげてみると呆れたような表情で十六夜咲夜が立っている。
「店を開いているのは僕の趣味の一つだからね。読書という趣味を妨げてまで商売をする気はないよ。それよりも君は何か買いに来たのかな?」
そういうと彼女は少しため息をつき、店の中を見回した後
「妖精メイドが割ってしまった食器の代わりを探しに来たのだけれど、よさそうなものは置いているかしら?」
と少し苛立っている様子で尋ねてきた。
部下が食器を割ってしまったことがそれだけショックだったのだろうか。それだけにしては、苛立ちが傍目に見て取れるという、常に瀟洒たらんとする彼女にしては非常に珍しい様子が気になったが、自分が言及するようなことではないと思い直し、何も言わずに裏から高価そうな食器を何点か持ち出した。
彼女はその中から三つほど選び出し値段を尋ねてきた。
そう彼女はどこぞの紅白や白黒と違い、ちゃんと「購入」する意思があるのだ。あの二人だったとしたら、僕が本を読んでいる間に自分の好きなものを勝手に持って帰るだろう。たとえ本を読んでいなかったとしても同じことだろうが。
自分が思っていた値段よりも安値で買えたのか、僕の言った値段を聞いた後は機嫌を直したようだった。
買い物を終えた彼女が店を出て行こうとしたとき、ふと僕の後ろに立てかけてある杖に目がいったようだ。
「……随分と少女趣味なものが置いてあるのね」
「待ってくれ、なにか大変な誤解をされているようだが、あれは紫君が置いて行ったものだ。断じて僕の趣味じゃない」
彼女はそれでもまだ少し疑わしげな眼で僕を見ていたが、あの八雲紫が置いて行ったものと聞いて好奇心を催したらしい。それがどのような物なのか知りたがっているようだった。
「確か『あらゆる願いをかなえる』ためのものだったかな。欲しいのならそっちの言い値で売ってあげるよ」
「どんな願いもかなえられる杖をそんな簡単に手渡してしまっていいの?」
彼女が実に不思議そうな顔で尋ねてくる。
実にもっともな疑問だ。確かに僕にも使えるのなら叶えたい望みは山ほどある。さしあたっては、古い知り合いの窃盗癖を止めさせることだろうか。だがこれは僕には使うことができないのだ。
「これを使うことができるのは女性限定なんだ。だから僕には必要のないものなんだよ。それに実際どれほどの効果があるのか分からないし、君は奇特なこの店で『買い物』をして行ってくれる人間だからね。サービスというやつさ」
そういうと彼女は少し迷ったあと、おそらくさっきの食器の予想額との差額分と思われる値段を口にした。
杖を渡して彼女が店を出ていくと、僕はまた読書に熱中し始めた。ただ、心のどこかでぼんやりと彼女がいったい何を願おうとしているのかということを考えていた。
(ああ変な物を買ってしまった…)
帰りの道中でちょっとした自己嫌悪に陥りながら紅魔館までたどり着くと、ちょうど美鈴が門の前で体操をしているところだった。本人曰く「太極拳」というものらしい。私から見ると単に遊んでいるようにしか見えないが、本人はいたって真剣なのだろう。
「美鈴、体操もいいけれど熱中しすぎて、侵入者が館の中に素通りしたりしないようにね」
「あっ咲夜さん。そうは言っても胸が大きいとよく肩がこっちゃうんですよ。こうして定期的にほぐしておかないと、調子が悪くなるんです」
私の頭の中で何かがピキッと音をたてた気がした。
この子に悪気がないことは分かる。分かるが私の「現状」を考えればそんなことを口にするべきではないと気付いてほしい。つくづく空気の読めないやつだと思う。「気を使う程度の能力」のくせして。
ひきつった笑顔のまま再度注意をしてから館に戻った。買ってきた食器を片づけると、急いで自分の部屋に戻る。部屋の中にだれもいないことを確認すると、私は包装を解き―さすがに素のままで持ち帰る勇気はなかった―中の杖を取り出す。
(本当にこれで願いを叶えられるのかしら?)
ここまで来て再び疑念が渦巻いていく。霖之助が嘘をついていなかったとしても、持ってきたのはあの胡散臭いスキマ妖怪である。どんないたずらが込められているか分かったものではない。
(……まあ、だめもとでやってみますか)
そう思い直すと店主から聞いた使い方を試してみる。彼自身は使い方を把握することはできないようだが、あらかじめ紫が教えてくれたらしい。
(……何を企んでいるのかしら。あのスキマは)
そうぼんやりと考えた後私はナイフで少し指に傷をつけ、その血を杖にたらした。
「ジャジャーン。愛と正義の愉快型魔術礼装ただいま参上!」
……何だろう「これ」は?
「それ」が突然飛びあがり喋り続けている間私はそう考えることしかできなかった。
なぜ杖がしゃべるのかとか、なぜ杖が愛と正義を語るのかとか、そもそも愉快型魔術礼装って何だとか、そういったもろもろの疑問が思い浮かんだのはその杖の話が止まったことに気が付いてからだった。
「もしもーし。私の話聞いてますか?」
「あなた…何?」
そう私が問いかけるとやっと反応を示したことに喜んだのか、さっきよりも少し丁寧に自己紹介を始めた。
「私はとある魔法使いに人の願いをかなえるために作られた奇跡のステッキです。名前のほうはさっき名乗りましたね。気安くルビーちゃんとお呼びください!」
気安くといわれても名前なんかあまりのショックで覚えていなかったが、これ以上混ぜ返すことになるのも嫌だったので、それについては何も言わなかった。
「なんで杖が喋っているの?」
「私はこの杖に組み込まれた人工天然精霊なんです。私はちゃんと意志をもった個体なんですよ」
人工なのに天然なの!?という疑問は置いといて、今の言葉からするとどうやらこの杖は、意志を持ったマジックアイテムのようだ。 まだこの杖に対する警戒心や疑問は残っているものの、さっきの言葉でこれが紫の作ったものではないと気付き、少し気を緩めた。私の知る限り幻想郷の魔法使いで名が知られているのは3人だ。パチュリー様が作りそうなものではないし、アリスが研究を完成させたという話も聞かない。あの白黒が偶然生み出したものをスキマが失敬したのだろうか。だとするならばあの人間は、偶然とはいえ、アリスの研究の完成品を生み出してしまったことになる。
(少し見くびっていたかしら?)
そんなことを考えながら、私は肝心のことを尋ねる。
「ところでどんな願いも叶えられるって聞いたんだけど本当?」
「その通りです!!私はどんな願いもたちどころに叶える魔法のステッキ!さあ遠慮せずに願いをおっしゃってください」
そう言われて私の心がざわめく。やっぱりやめたほうがいいという心とこうするしかないという心が互いにせめぎあい…結局願い事を口にした。
「……私の胸を大きくしてくれないかしら」
そう私の近頃の悩みはこれに由来することだった。誤解のないように言っておくと私の胸は決して小さいわけではない。Cカップはあるだろう。ならばなぜこんなことを、この多少胡散臭そうな杖に頼み込むほどに悩んでいるのかといえば、あの神社で繰り返し行われた宴会までさかのぼることになる。
あのとき宴会での芸として、瞬間的に自分の体格を変えるということをやってみろとお嬢様に命令されたのだ。もちろん宴会に集まる連中は私の能力を知っているし、すぐに胸にパッドを入れていたことぐらい気づくだろう。だがそれだけならば、私のバストが変わっていたことに気がつかなかったやつらは面白がって、気づいていた連中は苦笑するという単なる笑い話で終わっていただろう…あの鬼との戦闘がなければ。
あの鬼との戦いは私にとっても非常に大変なものだった、そう私のメイド服が少し傷ついてしまうくらいに。
その傷に気づかず宴会に出席してしまった私は、芸をする前にパッドを衆目にさらすという羽目に陥ってしまったのだった。
「芸」で披露するのなら笑い話でも、その前にさらしてしまうと普段から着けているものと思われてしまう。混乱していた私が必死に言い訳をしていた様子が、さらに拍車をかけたらしい。私は「パッド長」などという大変不名誉な称号を手に入れてしまった。
それだけなら、それだけならばまだ耐えられた。
常識のあるアリスや妖夢、パチュリー様なんかは私に同情を寄せてくれていたし、ほかの連中はもともと、有ること2割、無いこと9割で人を弄るような連中ばかりだ。そんなことが無くても人を弄ることを止めたりはしないだろう。諦めもつく。
だがよりにもよって偶然その場に美鈴が居てしまった。もっともあの子は害意を持って行動する様な子ではない。妖精メイドに話したのも単なる世間話のネタくらいの気持ちだったのだろう。だがあいつらは持ち前の好奇心と閉じられた館の中という環境が相俟って、宴会に来ていた連中よりさらに噂好きだったのだ。
暇を見つけては鬱憤を晴らすように、私のあだ名を笑い話の種にし続けた。ひどいときには仕事中にその話で盛り上がることもある。今日食器を買ってこざるを得なかったのも、笑っている時にメイドが割ってしまったせいだ。近頃はお嬢様まで面白がって口にするようになった。とにかく私の胃のためにも、メイドたちへのしめしのためにも、今はそんなあだ名で呼ばれないくらいの自前のバストが欲しかったのだ。成長した胸を見せればあの噂好きの馬鹿メイド共もいい加減口にしなくなるだろう。
私が万感の思いを込めて願いを言うと、その杖は嬉々とした口調でどれだけ大きくするかを尋ねてきた。
もともと自分の胸に不満があったわけではない。あの時のパッドのサイズを思い出してそれだけでいいと言った。
「えー。そんなものでいいんですか?もっと大きくしちゃいましょうよ。バストがメートルサイズとかだと今まで馬鹿にしてた人を思いっきり見返せますよ」
(ガードが堅いですね。そんなものじゃあこっちが楽しめないですよ)
ここら辺にきて私はもしかしたら選択を間違えたかもしれないと思い始めた。
どうやらこの杖は思っていることまでこっちまで筒抜けになるようだったが、その思っていることや普段の口調からすると、あのパパラッチと中身はさして変わらないようだ。少し怖くなった私はとりあえず確認をしておくことにした。
「もし自分の思っていたものと違った場合は、元に戻ることはできるんでしょうね」
「当然ですよー。ちゃんと元に戻ることはできます。ですからもっと大胆にイメチェンしてみませんか?」
(そっちのほうが私にとって面白くなりますし)
「……つべこべ言わずに私の言ったとおりにしなさい」
そう言うと私は杖に力をこめ―
―胸が大きいとよく肩がこっちゃうんですよ―
―こうして定期的にほぐしておかないと、調子が悪くなるんです―
「訂正するわ。Eカップより大きくして頂戴」
つい言ってはいけないことを口にしてしまった。
気がついたときはもう遅かった私はよくわからない光に包まれ―
「じゃあ、格好もちゃんと胸が映えるような感じでー」
―そう言う杖に思いっきりの後悔を感じながら、私の意識は薄れていった。
私は咲夜さんに注意されたように、太極拳の動きをほどほどで終わらせてまた元のように門前に立っていた。でも前はこれぐらいだったら何も言われなかったのにと少し不満に思う。そういえば、私との別れ際には何か顔が引きつっていたような気がする。
(近頃の咲夜さん何かおかしいような?あの宴会の後くらいからよね。あそこで何かあったのかな?)
結局虫の居所が悪かったのだろうと結論付けて、明るい太陽の日差しを浴びて日光浴にいそしむ。こういうときは、太陽の光を浴びることのできないお嬢様たちを不便だと思う。日光浴ができないなんて妖生の半分は損をしているに違いない。
そんなことを考えながらまったりとしていると、突然後ろから咲夜さんが私を呼ぶ声が聞こえた。喉の奥で悲鳴をあげ、一生懸命に言い訳を考えながら後ろを振り向く。
「ち、違うんです。決して昼寝をしていたわけではなく、そ、そのちょっとビタミンDのほきゅぅ…」
後ろを振り向いた私の眼にはよくわからないものが目に入る。そう言うなれば、布の面積のやたら少ないビキニの水着を身につけた咲夜さん、といった姿をした物だ。そうあれは咲夜さんのように見えるだけ。だってあんなものを…咲夜さんがあんなものを身につけるはずがないし、何よりあのメートルはありそうなバストはどうみたって―
「もう、どうしたの美鈴。ぼーっとしてるけど熱でもあるのかしら。私の胸を枕にしてゆっくり休む?」
……何だろう、この咲夜さんの声で喋る物体は。いや分かってる、分かってるけど認めたくない。だってこれがあの咲夜さんであるはずがない。そんなはずが…そんなはずは…ソンナハズハ…ソンナソンナソンナ。
そう考えていると咲夜さんは胸を強調するように腕を組んで―
「調子が悪いならゆっくり休みなさいよ。だっちゅーの、なんちゃって。キャハ☆」
その言葉を聞いたところで私の意識は途絶えてしまった。
「しょうがない、私が止めてくるか」
窓の外で門番がぶっ倒れるのを見ながら、館の主レミリア・スカーレットは呟いて玄関へ向かった。
(何か変なものが館に入り込んだことは分かっていたけど、あんなものだったとはね)
勘ではその変な物は危険なものではなかった。実際危険があるものではないのだろう。それでも館の主として、あれ以上無闇に遊び呆けさせるわけにはいかない。
扉が開いて咲夜が入ってくる。
「あっ、お嬢様。どうなされたのですか、このようなところで?」
(あちゃー、大変なものに会っちゃいましたね。せいぜい友好的にふるまっておきましょう)
問いかけてくる咲夜を無視して、杖に向かい脅しをかける。
「いい加減にしておきなさい。それ以上遊び続けるつもりなら壊してしまうよ」
少し殺気立たせて言った言葉に本気を感じたのか、杖は少しこちらの様子をうかがった後降参の意を示した。
「わかりました。今回はこんなところで止めておきましょう。こんな物騒な人がいるなんて思いもしませんでした」
「今回はじゃなくて二度と来るな。もう一度館の中に入ってきても壊してやるよ」
「本当に物騒な人ですね。次はもっと隙の多い人ばかりの所に拾われたいものです」
「ぐだぐだ言ってないで、とっとと元に戻しなさい。私は短気なのよ」
「……わかりましたよ。それじゃあ、最初に言われた分だけ胸の大きさを調節してっと。それではこの辺で失礼します。またいつかどこかで御会いしましょう。願い事があれば私の名前を読んでくださいねー」
最後まで戯けたことをほざきながらも、杖にこもった力が消えていくのを感じホッとして、重要なことに気がついた。
「ちょっと、咲夜の記憶と恰好を修正していきなさい!!」
私がそう言った時にはもう遅かった。水着の上が外れた状態で放心したように座り込んでいた咲夜は、次の瞬間自分のさっきまでの行動と今の格好に声にならない悲鳴を上げたのだった。
「おや、咲夜君じゃないか。昨日来たばかりだというのにどうしたんだい?」
のんきな声をかけてくる店主に、一瞬殺意を覚える。悪いのはこの店主ではないのだと自分に言い聞かせ、その殺意を必死に抑えた。今度あのスキマに会ったときまでにこの殺意は取っておくべきだ。
「この杖を返しに来たのよ。私の願いも叶ったし、とっても素敵な道具だったわ」
ええ本当、素敵過ぎて壊したくなっちゃうくらい。でも壊すわけにはいかない、これはちゃんと霖之助さんに返しておかないと。
「それは良かった。でもこっちが売ったものをただで返してもらうわけにはいかないな。値段が折り合えばちゃんと買い取るよ」
「そんなとんでもない!願い事が叶っただけでもう値段分の価値はあったもの。だから気にしないでいいわ」
そう引き取ってもらわなければこちらが困る。私が正気に戻った後、お嬢様がこの杖を壊そうとする時も引き留めた。この杖にはぞんぶんにこの幻想郷を暴れまわってもらわないと。あの白黒や紅白あたりは狙い目ね。
「そこまで言うならお言葉に甘えようか。ありがとう咲夜君。…ところで何か変わったかな。いつもと比べて何か違和感があるような気がするんだけど」
そうこの点についてだけはあの杖に感謝をしてもいいだろう。もっともあの時がメイドたちの休憩時間でなかったら、こんな気分にはとてもなれなかっただろうが。ああ、寝込んでしまった美鈴には後でちゃんと見舞いに行かないと。
「そういうことは、女性の口から言わせることじゃないわよ」
最後にそう言って私は店を出た。
願わくは、いつもうちに泥棒にやってくる白黒は特につらい目に会いますように。
僕は咲夜君が店を出て行ったあとも少し頭をかしげていたが、まあ大したことではないだろうと思い直して読書を続けることにした。「こーりん、客だぜ!!今日はこうして店に来てやったぜ。」
この騒がしい声はすぐに誰なのか想像がつく。いつも僕の店から物を「永遠に」借りていく妹分だ。
「君は店に来ても何か買っていくわけじゃないだろう。そういうのは客とは呼ばないんだよ」
そう言って顔をあげると、魔理沙はどうやら咲夜君の置いていった杖に興味を示したらしい。
「……随分と少女趣味なものを持ってるんだな」
「みんな同じことを言うんだな。誤解しないでくれよそれは…」
(To be continue?)
セリフ見た瞬間吹いたじゃねぇかwwwww
衆目内での恥辱を期待します。
とても読みやすく、面白かったですよ