Coolier - 新生・東方創想話

七色のアルペジオ 【2/3】

2008/05/19 03:45:00
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 【 act.5 Consideration by witch at library 】



 ――物語は現在に戻る。



 アリスに三回連続となる敗北を喫した後、魔理沙はくたびれきった身体を引きずるように帰宅した。
 あちこち綻び、汚れた服を脱ぎ捨てると、下着姿でベッドに倒れ込む。

「ちくしょう……」

 敗北の原因を突き詰めて考えてみると、あまりにも明確な解答が導き出された。
 魔理沙が“虹の翼”と呼んでいる十二体の人形、あれが投入されてから、魔理沙は全くアリスに勝てなくなったのだ。
 初めて虹の翼を遣うアリスと弾幕ごっこをした時のことを思い返す。



 ◇◇◇



 マーガトロイド邸の強結界が解除された日、魔理沙は玄関前で遭遇したアリスに、つい照れ隠しの挑発をしてしまった。
 些細な言い争いが弾幕ごっこに発展する。幻想郷では日常茶飯事である。
 アリスは特別好戦的というわけではないが、弾幕で挑戦されて引き退がることは滅多に無い。
 その彼女が珍しく躊躇しているように見えた。
 訝しむ魔理沙。
 だが、何かを考え込んでいる風だったアリスは意を決したように、「いいわ。この勝負、受けましょう」と言った。

 バトルステージとなる魔法の森の上空に飛び立つ二人の魔法使い。
 アリスは魔理沙が初めて目にする人形たちを召還した。
 まず感じたのは、威圧感(プレッシャー)。
 今までに見てきたアリスの人形たちとは明らかに異なる『凄み』が伝わってきた。
 だから彼女は、しししと笑い、勝負の開始前に「ほう。中々楽しませてくれそうじゃないか。わくわくするぜ」と言ったのだ。心底愉快そうに。
 それに対してアリスは何を言い返すでもなく、微かに首を傾げただけだった。

「新品の人形、壊されても泣くなよな!」

 その言葉が戦闘開始の合図となった。
 そして勝負の結果は――魔理沙の完敗。

 虹の翼はパワーもスピードも、今までのアリスの人形とは段違いだった。
 基本戦法は瞬発力と攻撃力を生かしたヒット&アウェイ。
 素早い機動をもって常に魔理沙の死角に回り込み、確実にショットを叩き込んでくる。
 一方的に翻弄され続け、肉体、精神の両面で疲弊した魔理沙は、為す術も無く地に墜ちた。
 呆然として、地面に座り込む。何が起きたのかすら把握できていなかった。
 それでも彼女は身体の痛みを堪えて、降りて来たアリスに向かって不敵な微笑を作り、負け惜しみを言った……筈だ。何を喋ったのかは記憶していないが。
 覚えているのは一つ。
 魔理沙の減らず口を聞き終えたアリスが素っ気無く「そう」と呟いたことだけだ。
 闘いの勝者は、勝ち誇ってなどいなかった。
 彼女は魔理沙の傷が深くないことを確認してからは、ずっと顎に手を当てて何やら難しそうな表情をしていた。



 ◇◇◇



 その時のアリスが見せた表情の意味は、次の対戦時に判明する。
 戦闘の最中、人間の魔法使いはそう解した。
 勝負の発端は今回も魔理沙がアリスに付けた難癖だ。

 虹の翼の戦闘パターンは、前回とはまるで変わっていた。
 死角から一方的に攻撃するような真似はせず、敢えて姿を見せた上で翻弄する。
 魔理沙は悟った。前回の勝負はアリスにとって「楽しくなかった」のだと。
 アリス・マーガトロイドは戦い方にこだわる。
 例え確実に勝利できようと、ワンサイド・ゲームに興味は無いのだ。
 これはアリスだけでなく、幻想郷の多くの弾幕少女に共通する傾向である。
 無論、魔理沙もそのことは理解している。だが、彼女は憤慨した。「舐められた」と感じたのだ。
 人形に向かって遮二無二突き進み、自慢の火力を空振りさせ、再び敗北を喫した。



 ◇◇◇



 連敗しても魔理沙はそれほど落ち込んではいなかった。少なくとも表面上は。
 障害に阻まれたなら、陰で人一倍の努力をして実力を付ける。
 今までそのやり方で生きてきたし、これからだってそうする。
 直面した壁は、ぶち破るまでだ。
 確かに、不安要素はいくつもある。
 中でも一番大きいのは、アリスが二度の対戦のいずれにおいても、スペルカードを一枚も切っていないことだ。何を隠し持っているのか見当も付かない。
 実際には、初回対戦時にはアリスは戦闘人形用のスペルを用意できていなかったのだが、それは魔理沙の預かり知らぬ件である。
 ともあれ、今は自分に出来ることをするしかないと割り切る。魔法使いは現実的な生き物だ。

 前回、前々回の戦闘を分析し、魔理沙は一つの仮説を導き出した。
「アリスは私の火力を恐れ、警戒している」というものだ。
 いずれの戦闘時にもイニシアチブは終始アリスに握られていた。魔理沙はやりたいことをやれずに敗れたのだ。自慢の魔砲は全て虚しく空振りするか回避されている。
 だが見方を変えれば、彼女はまともに攻撃できていなかったのだ。
 体勢を整えて発射すれば、魔砲は十分に有効な筈だ。その点が解っているからこそ、人形遣いはこれを警戒し、無効化する戦略を立ててきている。
 それが魔理沙の結論だった。
 彼女の信条は「弾幕はパワー」である。
 今回もそれを基本方針とすることに否やがある筈もない。
 やはり先ほどの分析結果に基づき、『マスタースパーク』系統か『ブレイジングスター』で仕留めることを中心に戦略を練ろう。
 しかし、これらはいずれも威力の高いスペルだが、その分『溜め』、即ち魔力のチャージに長い時間が不可欠だ。
 しかも、目標との間にある程度の距離を開けていることが望ましい。
 更に、攻撃軸線上に多数の人形が入った状態で撃てれば良いが、アリスの新しい人形は恐るべき機動性能を持っている。こちらに都合のいい展開になることは考え難い。
 ならば、肉を切らせて骨を断つしかないか。
 相手が望みが叶うことを確信した瞬間、絶望のどん底に叩き落す。
 実に愉快だ。うん、これで行こう。
 そのために必要なのは……。

 こうして霧雨魔理沙は彼女の考える万全の状態を整え、三度人形遣いに挑んだ。
 理由など、もはや無い。ただ喧嘩を売っただけである。
 そして、またもや敗れ去ったのだ。



 ベッドに身を横たえ、疲労と倦怠感を起点として現れた睡魔に侵食されつつある頭で、魔理沙は思う。
 自分はアリス・マーガトロイドを本気にさせてしまったことのだろうか?
 本気を出した妖怪の魔法使いに、人間の魔法使いは決して勝てないのだろうか?

(私は、どうしたら……)



 ◇◇◇



「それで、私に何の用かしら?」

 手にした頑丈そうな装丁の本から目を上げることなく魔理沙に問うたのは、ゆったりとしたデザインの衣装を纏った、癖の無い菫色の髪の魔女。
“知識と日陰の少女”の異名を持つパチュリー・ノーレッジである。
 視線が必要以上に冷ややかに感じるのは、彼女の仕様だ。別に機嫌が悪いわけではない。多分。

「その……。えーと、だな……」

 明後日の方に顔を向けた魔理沙は何かを言いかけたが、結局黙り込んだ。
 先ほどからずっとこの調子である。
 本の文字を目で追いながら、パチュリーは溜息をついた。
 珍しく門番を吹き飛ばすことなく紅魔館に入り、メイド長の十六夜咲夜に伴われてこの地下図書館にやってきた普通の魔法使い。
 一体何用かと僅かに興味を引かれ、自分の対面の席に座らせてはみたものの、魔理沙の発する言葉はまるきり要領を得ない。
 いい加減に苛々してきた。
 ぱたんと本を閉じて立ち上がったパチュリーに、魔理沙はびくりと身を震わせた。
 そのまま本棚の樹海に消えようとした魔女に向かって、人間の魔法使いは慌てて声を掛ける。

「そ、相談したいことあがるんだ! アリスのことで!」

 パチュリーは足を止めて振り向いた。

「アリス?」
「いや、正確には、アリスじゃなく私のことなんだけど……」

 椅子に戻ったパチュリーは手にしていた本を机に置いて指を組む。

「話してみなさい」



 ◇◇◇



「――というわけなんだ」

 魔理沙はアリスの新しい人形“虹の翼”のことを中心に、掻い摘んで今までの経緯を説明した。
 魔宝石のことは意図的に除いて。

「貴女がアリスに弾幕ごっこで三連敗ねぇ」
「あの人形ども、えらく強いんだ。あんなの反則だぜ」

 悔しそうに魔理沙は言う。

「なら、アリスに申し入れてみれば? お互いに素手で弾幕ごっこをしよう、って」
「そうか! それならあの人形の相手をしなくて済むな! っつーか、人形を使わないアリスなんて敵じゃないぜ!」

 冗談を真に受けてはしゃぐ魔法使いにパチュリーは呆れた。

「正気? そのルールだと、貴女は箒と八卦炉を持たずに闘うのよ? 勝負になると思ってるの?」
「あ、そうか……」

 本気で落胆する姿を見てパチュリーは、予想以上に魔理沙が思いつめていることを知った。

(こんなことにすら思い至れないとはね)

 同情や憐憫ではなく好奇の色を浮かべた瞳で、魔女は考える。

 霧雨魔理沙は博麗霊夢と並び、人間の身でありながら数々の異変を解決してきた存在だ。
“幻想郷の英雄”と呼ぶ者もいる。
 だが、霊夢と魔理沙では強さのタイプが全く異なっている。
 博麗の巫女である霊夢の力は、一言でいえば『理不尽』だ。
 天性の圧倒的な戦闘能力に加えて、馬鹿げたほどに強力な勘と幸運を備えている。
 対して魔理沙の力は三つの要素から成り立つものだ。
 『資質』『アイテム』『ルール』である。

 まず資質とは、魔法使いとしての才能云々ではない。障害に阻まれた時、人知れず努力して乗り越えようとする精神性のことだ。
 パチュリーの見たところ、魔理沙は魔に携わる者としては決して才能に恵まれているわけではない。ごく平凡なものだ。“普通の魔法使い”と自称していることから、本人も自覚しているのだろう。彼女はそれを必死の努力で補っている。上手く隠しているつもりだろうが、周囲の者たちは気付きながら黙っているようだ。
 また、他者の技術を積極的に取り入れることも魔理沙の重要な資質である。通常、魔法使いは術のオリジナリティに拘る。彼女のように、良いと思えば自分のものにしてしまう者は、非常に稀な存在だ。
 他に挙げるとすれば、豊富な戦闘経験による土壇場での勝負強さか。

 次にアイテムとは、魔砲を撃つ際に使用するミニ八卦炉と、飛行用の箒を指す。火力と機動力という、魔理沙にとって欠かすことのできない魔道具だ。特に八卦炉は様々な用途に使える万能のマジックアイテムでもある。
 パチュリーからすれば、便利な魔道具に頼りすぎていると言わざるを得ない。先ほど存在を失念して「素手でアリスと闘う」と言ったことから、魔理沙にとっては手の内にあって当然のものなのだろう。

 最後にルール。
 幻想郷の妖怪棲息域は、ある意味で実力主義の世界だ。何の実力かといえば、もちろん弾幕である。

「諍い事は弾幕ごっこで決着を付ける」

 それが現在の幻想郷の不文律。弾幕に強い者は我を通し、弱い者は強い者の要求に従う。端的に言えばそういうことだ。
 もちろん限度はあり、強ければ何をしても許されるというわけではない。無法が過ぎれば博麗の巫女や八雲の大妖に処罰される。
 この弾幕ごっこというものがクセモノである。
 妖怪が異変を起こし易く、人間が異変を解決し易いようにと定められた、幻想郷ならではの決闘方法。
 魔理沙本人は意識していないのかもしれないが、彼女は他者より飛び抜けて秀でた火力と機動力を武器として、この奇妙ともいえるルールに実に上手く乗っかっているのだ。
 意地の悪い見方をすれば、「ルールによって護られている」と言ってもいい。
 純粋な殺し合いでは、博麗の巫女でもない人間は妖怪に対して圧倒的に分が悪いのだから。

 以上が霧雨魔理沙の強さの秘密であるとパチュリーは考えている。
 実に危ういと言わざるを得ない。
 先に挙げた要素の一つでも欠けてしまえば、魔理沙は今の地位から転落するだろう。
 そして、高いところに居るほど、地表に激突した時の衝撃が大きいことは自明の理だ。
 そのリスクを当人は承知しているのだろうか? 解った上で唯我独尊、傍若無人に振舞っているのだろうか?
 どうにもパチュリーには理解しかねる。
 だが、ユニークかつ貴重なサンプルであることは間違い無い。
 だからこそ、彼女が支配するこの大図書館での跳梁に敢えて目を瞑っているのだ。
 その気になれば人間の魔法使いを封じることなど容易く、いつでもできる。今はまだ――。

「で、さ。パチュリー。相談なんだけど」
「何かしら? 見当は付くけど、貴女の口から聞きたいわ」

 沈思黙考から呼び起こされた魔女は、何事も無かったかのように返事をする。

「アリスに勝つ方法を……教えてほしいんだ」

 暗い顔を俯かせたまま、言葉を搾り出す魔理沙。今まで陰の努力で障害を乗り越えてきた彼女にとって、こういったことで他者を頼るのは身を裂かれるような苦痛を伴うのだろう。

「アリスねぇ……」

 パチュリーは僅かに目を細めた後、言葉を紡ぎだす。

「魔理沙、貴女はアリスを魔法使いとして自分と同格だと認識しているわね?」
「まあ、そうだな」
「けどね。私の推測では、魔に携わる者としてのアリスの才能は、この私よりも上よ」
「う、嘘だろ!?」

 魔理沙は息を飲んだ。

「私は契約している精霊の力を借りて魔法を行使する。貴女は八卦炉で魔力を補っている。では、アリスはどうかしら?」

 魔理沙にもようやくパチュリーの言わんとしていることが見えてきた。

「アリスの潜在魔力総量は非常に大きい。彼女は魔法のメッカといわれる魔界の創造神の寵愛を受けて生まれ育った娘。いわば、サラブレッド(純粋な血)なのよ。潜在的に高い魔力を有していても不思議は無いわ。むしろ当然とすら言える」
「でも、今までのアリスからは、それほど大きな力は感じられなかったぜ」
「それは恐らく、彼女の精神性によるものでしょう。アリスは元々、とても慎重な性格の娘よ。『自分の力はここまでだ』と見切りをつけたら、その枠内で無理無く術を行使する。限界に挑戦しようなどとは考えず、妙な夢想に憑かれることもない。無謀な賭けに出て痛い目を見るのは御免こうむる、ということね。とても賢いやり方だわ」

 珍しく饒舌な魔女の言葉を、魔理沙は黙って聞いている。

「見切りは早いけれど、彼女はとても有能。だから使う魔力を制限しても、高い成果を得られる。故に、わざわざ限界に挑んで高みを目指す必要性を感じないとも言えるわね」

 発言に区切りが付いたと見て、魔理沙は「それでも、さ」と口を挟む。

「アリスが大きな魔力を持っているとしても、それだけで百年のキャリアの魔女よりも上ってのは納得できないぜ」

 魔法使いは知を糧とする存在だ。どれだけの知識を得ているかは、概ね魔の法理に携わってきた年月に準拠する。アリスは種族としての魔法使いになって年が浅いと聞いたことがある。ならば、二人の間に存在する格差は簡単には覆らない筈だ。
 その反論は想定内とばかりに、パチュリーは逆に質問を発した。

「魔理沙。今話した魔力の件を別として、貴女はアリスの魔法の特徴としては、真っ先に何を思い浮かべる?」
「そりゃ人形を使うことだろ」
「では、アリスはどうやって人形を操作してると思う? いえ、言い方を変えるわ。貴女なら数十体の人形を同時に操れる?」
「無理だぜ。私は人形は専門外だしな」
「専門だとか門外漢だとかは、どうだっていい。貴女にできない術をどのようにしてアリスは可能としているの? いいえ、何故貴女にはそれができないのかしら?」
「だって……私はアリスほど器用じゃないし」

 魔理沙の口から出た単語に、パチュリーは頷く。

「この場合の器用さとは、突き詰めればどういうことか? 緻密な人形操術に目を奪われがちだけど、魔法使いとしてのアリスの特徴――長所は、驚異的なスループット(単位時間当たりの仕事量のこと。ここでは処理能力の意)にある。なればこそ、数十体の人形を同時に操れるのでしょう。もし彼女が本気になれば、この『器用さ』と『膨大な魔力』を併用して、複数の異なるスペルを同じタイミングで発動させることすら可能かもね」

 魔理沙はごくりと喉を鳴らした。

「アリスの魔法にはもう一つ特徴がある。それは、使う魔法の属性に得手不得手が無いということ」
「それならパチュリーだって同じだろ?」
「そうだけど、意味合いが違うわ。さっきも言った通り、私は異なる属性の精霊の力を行使することで複数の属性魔法を操っている。アリスはといえば、純粋な魔法力だけでそれを成しているのよ。言葉で表現すると簡単なようだけど、これはもの凄いことなのよ」

 図書館の魔女には珍しいことに、ささやかながらも目に興奮の色が浮かんでいる。
 腕を組んで魔理沙は唸った。
 パチュリーはいつの間にか机の端にピッチャーとグラスが置かれていることに気付いた。
 メイド長が『講義』の邪魔にならぬよう、時間を止めて差し入れてくれたのだろう。
 程よく冷やされたミントティーをピッチャーからグラスに注ぎ、軽く呷った。清涼感のあるミントの成分が、枯れそうだった喉を心地よく潤してくれる。
 ふう、と息を付いた魔女は、黙り込む魔法使いに新たな言葉を与える。

「実を言うと、私はアリスが魔界に居た頃から彼女の存在を知っていたの」

 驚きを隠せない様子の魔理沙。

「魔の法理に深く関わる者の間では、ちょっとした有名人だったからね。魔界の創造神・神綺の寵愛を受けるAlice "the God Child"といえば」

 直接の面識は無かったけど、とパチュリー。

「じゃあ、アリスが幻想郷に来てから会ったのか?」
「そう。萃夢異変の時、初めて顔を合わせた。平静を装ったけど、内心、どんな娘だろうと興味津々だったわ」
「で、第一印象はどうだったんだ?」
「そうね……。潜在的にとても高い能力を秘めているとは感じたわ。でも、それを使いこなせているとは思えなかった。かといって、能力に振り回されている風でもない」
「つまり……さっきパチュリーが言った通りってことか」

 再び魔理沙は考え込む。

「でも、最初に貴女に聞いた話から判断すると、アリスは自分の殻を破ったみたいね。魔に携わる者として上の階位に昇ったことは明白だわ」



 人間の魔法使いは、聞き終えた魔女の話を理解しようと努めた。
 その上で、ここを訪れた本来の目的を再度口にする。

「それで、私がアリスに勝つ方法は?」

 知識と日陰の少女は、「貴女とアリスとでは、ポテンシャルが違いすぎる」と答えた。

「……だから、どうやっても勝てないってのか? 私にそれを納得させるために、おまえは長々と喋りまくってくれたのか?」

 睨みつけてくる魔理沙の視線を難なく受け止め、パチュリーは一口ミントティーを飲んだ。爽やかな味が口中に広がる。

「貴女、人間をやめるつもりは無いんでしょう?」

「当たり前だぜ」と即答。
 人として短く、だが精一杯に生命を燃やして生きる。燃え尽きたら死ぬだけだ。
 それが魔理沙のシンプルな人生観だった。刹那的と笑わば笑え。妖怪になってだらだら生き続けるなんてまっぴらだ。
 そう答えると思ったわ、とパチュリー。

「それでも勝とうとするなら、方法は二つしかない。まず一つ目は、貴女自身が能力を高めること」
「つまり、修行しろってことか。何日くらい必要だ?」
「年単位よ」

 魔理沙は顔をしかめる。そんなに時間はかけられない。

「ドーピングという手段もあるわ。これは無論、ハイリスク・ハイリターン。効果の高さに比例して、貴女の頭と身体に掛かる負担も大きくなる」
「それも遠慮しておくぜ。一度勝って、はい終わり、ってわけにゃいかないんだ。
 ……で、それが二つ目の方法なのか?」

 だとしたら手詰まりである。

「違うわ。二つ目の方法は、ごく簡単。貴女が使っているマジックアイテムを強化することよ」
「マジックアイテムの強化って、箒と八卦炉をか? 確かに私も、こいつらを強くすることは考えたさ。でも、八卦炉は作った香霖に頼んだら断られたぜ。バランスを崩して危険すぎるって。箒の方は、あいつでもどうにもならないしな」

 魔理沙は肩を竦めて見せる。
 これで八方塞がりか、と落胆しかけたところに、思わぬ手が差し伸べられた。

「私がやってあげてもいいわ」
「パチュリーが!?」

 驚きの余り椅子から腰を浮かせかける魔理沙。
 俗事に関わりたがらない図書館の魔女にしては、破格の申し出だ。

「……何か裏があるんだろ?」

 訝しげな魔法使いの顔を見ながら、パチュリーはミントティーをまた口に含む。

「乗りかかった船ということよ。その代わり、貴女がここから奪っていった本を一冊残らず返しなさい」
「私は借りてるだけだぜ。死ぬまでの間な」
「なら、この話はここまでね」
「ちょ、ちょっと待てって!!」

 がたんと椅子を鳴らし、魔理沙は慌てて立ち上がる。

「解ったよ。本は全部返す」
(魔道具さえ強化してもらえば、こっちのもんだ。約束なんて反故にするだけだぜ)

 そんな魔法使いの思惑は、「もちろん前払いよ」という魔女の一声で崩壊した。

「今日は箒と八卦炉は置いて帰りなさい。改造する前に、色々と調べないといけないから」

 用が済んだならさっさと立ち去れ、と言わんばかりのパチュリーの態度に、魔理沙はばつの悪そうな視線を送る。

「なによ。まだ何かあるの?」
「あ、その……」

(「ありがとう」とでも言うつもりかしら。この子も意外と可愛いところがあるのね)

 微かに口元を綻ばせる魔女に対して人間の魔法使いが発したのは、

「私は箒無しじゃ上手く飛べないんだよっ!」

 という、台無しな言葉だった。



 結局、箒は適当なものをパチュリーが魔理沙に貸すことになった。

「しょぼい箒だな。これじゃ高くも速くも飛べないぜ」
「文句を言うなら貸さないわよ」

 魔女の言葉を無視し、魔理沙は箒に跨って図書館から飛び去った。

「私の箒と八卦炉、絶対に壊すなよ! 壊したらタダじゃおかないからな!」という捨て台詞を残して。

「あのチンピラ魔法使いは、自分がモノを頼んでる立場だと自覚してるのかしら?」
「まぁ、してないでしょうね」

 苦々しく漏らすパチュリーに、背後から楽し気な笑いを含んだ声が掛けられる。
 振り返らずとも、声の主は解っている。
 一匹の蝙蝠がゆらゆらと魔女の正面に飛来した。
 二匹、四匹、八匹……と次第に増殖していく蝙蝠。その千千(ちぢ)の姿は宙に浮いたまま融合していき、やがて一つの黒い人影となった。
 とん、と人影が床に着地する。
 小児としか見えない体躯に、短いながらも豊かな青銀色の髪。背中に生える蝙蝠のような翼。見る者を畏怖させる、禍々しく紅い瞳。
 彼女こそ、“永遠に紅い幼き月”レミリア・スカーレット。この紅魔館に君臨する吸血鬼である。

「いつ姿を現すかと思っていたのだけど、随分と大人しく聞いていたわね、レミィ」
「中々面白い話だったわ」

 机を挟んでパチュリーの対面、先ほどまで魔理沙が座っていた椅子に掛ける吸血鬼。
 今夕は早めに目が覚めてしまったので気紛れに館内の気配を探ってみると、魔理沙が図書館に来ていることが判った。そこで興味を引かれて蝙蝠を飛ばし、二人の会話を聞いていたというわけだ。

「魔理沙ったら、全然私に気付かないんですもの。同じ魔法使いに負け続けてるのが、よっぽど堪えてるのね」

 愉快そうにレミリアは笑う。

「それにしても、あの人形遣いがねぇ」

 うんうん、と感心したように何度も頷くレミリア。
 次いで、にっと笑って意味あり気に親友を見つめる。唇の間から、吸血鬼の証ともいえる鋭い牙が覗いた。

「……好きになさいな」とパチュリー。

「流石、お見通しね。でも、本当にいいのかしら?」
「駄目と言ったところで、素直に従う貴女じゃないでしょう?」

 魔女は苦笑するしかない。
 吸血鬼はすっくと立ち上がると、高らかに宣言した。

「魔理沙には悪いけど、七色の人形遣いはこのレミリア・スカーレットが倒すわよ!!」



 ◆◆◆





 【 act.6 Wonderful loitering on the way 】



 魔理沙が紅魔館地下図書館を訪れている丁度その頃、上海人形をお供に空を飛んで来たアリスは、湖にほど近い草原に降り立った。
 手には空の大型ポリタンクを提げている。これは香霖堂で購入した外の世界のものであり、何かと重宝していた。

 午後の空は今日もよく晴れ渡っていた。
 草原の縁に生えたまばらな木々の向こうに広がる湖面の彼方には、紅魔館が見て取れる。
 間近で見ればとても大きな館も、ここからは紅い小箱のようにしか見えない。
 そういえば、アリスはもう随分とあそこに出向いていなかった。

(パチュリー、元気かしら? 特別元気でなくてもいいけど。臥せってさえいなければ)

 身体の弱い知己に想いを馳せる。
 アリスはパチュリーを数少ない友人の一人だと思っているが、先方が彼女をどう認識しているのかは解らない。

(『単なる知り合い』というところかな? あるいは『魔女の後輩』とか)

 つらつらと考えながら、嵩張るポリタンクを片手に草原を横切る野道を歩く。
 微風が白金色の髪を撫でつつ吹き過ぎていった。
 ふと見ると、上海がモンシロチョウを追うようにふわふわと飛んでいる。
 興味を引かれて後ろを付いていくだけで、捕まえるつもりは無いようだ。
 その姿に和みながら、アリスは歩みを進める。蝶も向かう方向は彼女たちと同じようなので問題は無い。
 結局パチュリーの件は、『敵』でなければ別にいいか、という結論に行き着いた。

 アリスがここを訪れた目的は、草原の奥にある井戸の水を持ち帰るためだ。
 そこの澄み切った井戸水はとても美味しい。自宅に魔法で設置した水道の水に不満は無いが、飲み比べてみるとやはり違うのだ。
 だからアリスは、気合いを入れた料理やお菓子作り、お茶を淹れる時等に使用するために、その井戸水を自宅に汲み置いていた。できれば汲み立ての水を使いたいところだが、贅沢を言えばきりが無い。
 直接井戸まで飛んで行かなかったのは、天気が良かったからである。少し散歩をしてみたくなったのだ。
 ポリタンクが少々邪魔ではあるが、今はまだ軽いので不満とまでは思わない。ブーツが土を踏みしめる感触が心地良かった。
 もうすぐ井戸が見えてくる筈、とアリスが考えた時、大きな声が聞こえた。

「あーっ! アリス!」

「ん?」と声がした方を向くと、一匹の妖精が彼女を指差していた。
 青いワンピースを着た、見るからに活発そうな氷の妖精である。

「あら、チルノじゃない。どうしたの?」

 この氷精はある意味かなり好戦的だ。弾幕ごっこを挑むつもりだろうか?
 天気もいいし、今はそんな気分じゃないんだけどなぁ、と考えていると、チルノはまたもや大声を出した。
 但し、今度はアリスではなく湖の方に向けて。

「大ちゃん! みんな! アリスがいるよーっ!」
(え? 何?)

 アリスが驚いていると、大妖精を先頭に湖の方角から妖精たちがわらわらと現れた。



 ◇◇◇



 草原の端で木陰に座り込んだアリス(と上海)は、十匹近い数の妖精たちに囲まれていた。
 チルノはいつの間にか姿を消している。
 妖精たちは皆そわそわしており、「あんたが言いなさいよ」「あんたこそ」と何やらお互いに囁き合っている。
 その光景を不思議そうに見ているアリスに向かい、意を決したように大妖精が口火を切った。

「あ、あの、アリスさん!」
「はい。何かしら?」
「えと。わ、私たちと、その……」
「?」
「その……お、お、お友達になってくれませんかっ!?」

 真っ赤に染めた顔を下に向け、目をぎゅっと瞑って想いを発した大妖精。

「ええ、いいわよ」

 穏やかにアリスは答えた。
 一体何事かと思っていたが、そういうことなら拒む理由は無い。

「え? 本当に?」

 あっさりと叶えられた願いに、大妖精は信じられないとばかりにぽかんとしている。

「私でよければ、喜んで」

 アリスは妖精たちに微笑んでみせる。
 やったーっ! と大きな歓声が上がった。

「お? なんだ、みんな盛り上がってるじゃん」

 そこにチルノが戻って来た。

「みんな、なんかシケた顔してたからさ、あたいがとっておきの宝物を作ってきたよ」

 そう言いながらポケットに手を突っ込み、何やら取り出してみせる。
 アリスは興味津々な様子だが、妖精たちは、まさか、と不安気な表情をしている。
「じゃーん!」と効果音を口に出しつつ広げられたチルノの掌に乗っていたのは、氷浸けにされたカジカガエルだった。

「このカエル珍しくって、滅多に捕れないんだよ! それをこんなにキレイに凍らせるなんて、やっぱあたいって――」

 得意げな氷精の自慢を遮り、瞬く間にどこかへ連れ出す妖精たち。
 残されたアリスは、上海と顔を見合わせて呆然とするのみだった。



 ◇◇◇



 しばらくして、アリスが待つ木陰に妖精たちが帰ってきた。
 チルノの頭に見事なたんこぶができていたので、何があったのかは一目瞭然である。
 氷精を除いた妖精たちはしきりに謝っていた。
 アリスは「気にしなくていいわよ」と微笑んで手を振る。実害は何も無い。少し驚いただけだ。

 その後、人形遣いと妖精たちは輪になって座り、色々なことを話し込んだ。

 いつもしている遊びのこと。好きな食べ物のこと。最近あった面白いこと。
 弾幕ごっこのこと。幻想郷の住人たちのこと。etc、etc...

 基本的にインドア派のアリスには、遊びながら屋外で暮らす妖精たちの話は新鮮だったし、妖精たちにとっては、森の魔法使いの話は珍しいことばかりだった。
 初夏の日差しのぽかぽかとした暖かさと、チルノの発するひんやりとした冷気を感じながら、木陰の談笑が続く。
 ふと会話が途切れ、風が葉々を揺らす音が皆の耳に届いた時、アリスの顔をじっと見つめていた一番大人しく小柄な妖精がぽつりと言った。

「ありすおねぇちゃんのにんぎょうげきがみたい」



 ◇◇◇



 人形劇といっても、里で公演をする時に使うような舞台セットや書割(かきわり)の背景等は用意していない。
 アリスは二体の人形を召還し、上海を加えた三体で劇をすることにした。
 立ち上がったアリスが軽く突き出した両手の下、白く細い指の動きに合わせて、不可視の糸で繋がれた三体の人形たちが舞うように動き回る。
 妖精たちは半円状に座って人形たちを見つめ、抑揚を付けた操者のよく透る語り声に耳を傾けている。
 シナリオはアリスのオリジナルだ。



 悪い魔王にお城から攫われたお姫様が、森の奥深くに閉じ込められてしまいました。
 お姫様は機転を利かせて逃げ出し、追ってきた魔王を相手に知恵と勇気を振り絞って立ち向かいます。
 森の出口まであと少しというところでお姫様が力尽きた時、救出に現れた勇者様が死闘の末に魔王を倒しました。
 二人は結ばれ、末永く幸せに暮らしましたとさ。
 めでたしめでたし……。



 上演中、アリスは時折魔法を使った演出を加えたり、一時出番を終えた人形を自分の背後に隠して一瞬で衣装変えを行ったりした。

 妖精たちは良い観客だった。
 恐ろしい魔王の強さが発揮されれば、互いに身を寄せ合って脅える。
 戦いの場面では手に汗を握ってはらはらし、「がんばれー」「まけるなー」という声援が上がる(チルノが魔王役の人形に飛び掛かろうとするのを大妖精が必死に抑えることが度々あった)。
 お姫様のピンチには、目に涙を浮かべて顔をくしゃくしゃにする。
 森の動物たちがおどけた仕草でお姫様を慰める楽しい場面では、自然と笑いが起こった。

「めでたしめでたし」とアリスが終幕を告げた時、妖精たちの小さな手から割れんばかりの拍手が送られた。

「ふぅん。何だか面白そうなことしてるじゃない」

 突然、新たな声が上から降ってきた。
 見上げると、今までアリスたちに陰を提供してくれていた木の枝に、広げた日傘を掲げて白を基調にしたドレスを着た女児が座っている。
 彼女は蝙蝠を思わせる大きな翼を広げると、ふわりと地面に降り立った。

「ごきげんよう、皆様」

 日傘を肩に乗せ、ドレスのスカートを摘まんで恭しく会釈してみせる。
 すっと上げた顔に紅く光る双瞳が妖精たちを怯ませた。
 アリスも優雅な会釈を返し、顔見知りの名を口にした。

「ごきげんよう、レミリア・スカーレット。“紅い悪魔”が私たちに何の御用かしら?」

 吸血鬼は目を細め、にぃっと笑った。
 微かに開いた赤い口から鋭い牙を覗かせる。

「私が用があるのは貴女だけよ、人形遣い!」

 その言葉を聞いた途端、災厄の登場に脅えていた妖精たちが動き出した。
 アリスを背後に庇い、両手を広げて壁を作るように並んで、レミリアと対峙したのだ。
 そう。まるで、お姫様を護る勇者のように。

「え? ちょっ――」

 思わぬ展開にアリスは驚く。
 妖精たちは吸血鬼を睨みつけている。
 壁の真ん中に位置するチルノと大妖精を含めて、その背中が震えているのがアリスには解った。
 レミリアは笑みを納め、じっと妖精たちを見つめている。

 奇妙な光景だった。
 十匹近い妖精たちとレミリア・スカーレットは、精々人間の十歳児程度の背丈しかない。
 その内の一人が、他の全員と睨み合っている。
 そして、一人を除く全員に庇われた少女が一人、困惑して立ち尽くしている。



 そのまま、どれくらいの時間が経過しただろうか。
 そろそろ夕暮れ時に差し掛かる空が茜色に染まり始めていた。
 やがて、持続する恐怖に耐えかねたように、

「やい、吸血鬼! お、おまえなんか怖くないんだからなっ!」とチルノが叫んだ。

 その声を切欠として、レミリアはふっと緊張を解いた。

「ま、いいでしょう」

 くるりと背を向け、

「興が削がれたわ。ここは退いてあげる」

 ばさりと日傘を差し直すと、翼を広げて飛び去った。

 アリスは気付いていた。
 吸血鬼が一瞬だけ日傘の先端を横手に向け、自分に向かって目配せしたことに。
 レミリアの姿が消えた途端、ほとんどの妖精たちはぺたりと地面に座り込んだ。
 チルノですら「ふふん! あたいに恐れをなして逃げたわね!」と胸を張りながらも、その声は震えている。
 とうとう泣き出してしまい、大妖精に慰められている者も居る。
 そんな中、一番大人しい妖精がにこりとアリスに微笑みかけた。

「おねぇちゃん、もうだいじょうぶだよ」



 ◇◇◇



 夕焼けの朱が濃くなってきた頃、妖精たちが落ち着いたのを見計らって、アリスは、
「今日はもう解散しましょう? みんな疲れてるようだし」と切り出した。
 妖精たちは若干不満そうだが、疲れていると言われれば確かにその通りだった。
 昼過ぎに憧れの人形遣いの少女と出会ってから、彼女たちは様々な体験をしたのだ。

 面白い話をたくさんした。
 楽しい人形劇を観せてもらった。
 恐ろしい吸血鬼と戦って退散させた。

「私も日が沈む前に家に帰らないと、人形たちが心配するから」というアリスの言葉がとどめとなった。
 人形遣いと別れの言葉と再会の約束を交わし、妖精たちが湖の向こうに飛んで行く。
 一番大人しい子は大妖精に手を引かれながら、最後までもう片方の手をアリスに向かって振り続けていた。



「さて、と」

 上海を含めた三体の人形を魔法で納めたアリスは、相変わらず空のままのポリタンクを手に提げ、横手の湖に向けて歩き出す。
 五分ほど移動すると、草むらを越えた沿岸に緩やかに傾斜した場所が見えてきた。
 そこで湖を眺めるでもなく膝を抱えて座っている、夕日に照らされる日傘を差した一つの影が在った。
 飛び去った筈の吸血鬼。
 アリスはその隣に腰を下ろす。

「この私を待たせるなんて、いい度胸ね」

 抑揚の無い声でレミリアが言う。

「ごめんなさいね」

 謝りながらも、人形遣いに悪びれた様子は無い。

「あの妖精ども、友達なの?」
「今日、お友達になってほしいって言われて、OKしたわ」
「ふぅん」
「今日は咲夜は一緒じゃないの?」
「私だって、一人で外出することくらいあるわよ」
「そう」

 沈黙。
 湖の果てには大きな落日。二人の足元から少し離れた波打ち際には漣(さざなみ)が見える。
 ややあって、アリスが口を開いた。

「私がここに居ることを、どうやって知ったの? それとも、私は貴女に呼び寄せられたのかしら? 『運命を操る力』とやらで」

 まさか、とレミリアは笑う。
 幼い顔立ちに似つかわしくないその表情は、人形遣いの目には『自嘲』と映った。

「私の力は、それほど便利なものではないわ。貴女のことは小悪魔から聞いたのよ」
「小悪魔? ああ、なるほどね」

 そういえば人形劇をしている時に、紅魔館地下図書館の司書である小悪魔が上空を飛んで行った。
 図書館の常連であるアリスは、彼女とは当然顔馴染みである。
 劇の上演中であったことから、アリスと小悪魔は互いに目だけで挨拶を交わしたのだ。

「パチェの御使いで外に出ていたあの子が帰って来た時、ちょうど図書館に居た私は、『ここに戻る途中、草原で妖精たちの相手をしているアリス様を見ましたよ』と聞いたわけよ」

 説明しながら、そういえば、とレミリアは考える。
 小悪魔と入れ違う形で館を出て行った魔理沙は、アリスを見なかったのだろうか?

(初めて乗る箒だし、周囲に注意を払う余裕が無かったのかもね)

 勝手にそう結論付ける。
 実際には、魔理沙は湖を最短距離で通過するルートを採ったため、アリスにも小悪魔にも遭遇しなかったのだ。
 無論、そんなことをレミリアは知る由も無い。

「そうだったの。それで、わざわざ私に会いに来たと?」
「ええ、そう。最近強くなったと噂の人形遣いと闘うためにね」
「それはまた、迷惑な噂ねぇ」

 誰が流している噂なのか見当は付くが、アリスとしては苦笑するしかない。
 レミリアの用向きなど、彼女は最初から承知の上だった。
 殺気ならぬ闘気をあれだけ飛ばされれば、気付かないわけがない。

「もう少しよね」とアリス。
「? 何がよ?」
「夕日が沈みきって、夜になるまで」
「!!」

 激突が避けられないのなら、遺恨を残すことなく弾幕り合いたい。
 だから、時間の経過を待っている。

「……大した自信じゃない」とレミリア。
「別に、吸血鬼相手に勝つ自信なんてないわ。ただ、面倒でしょう? 『負けたのは本調子じゃなかったからだ』とか言われて、後日再戦するのは」

 矛盾した言葉を放つアリスの表情は、至って平静。

「そういう態度、嫌いじゃないわ」

 一見するとレミリアも同様に落ち着いているようだが、紅い瞳には激しい炎が渦巻いている。
 五百年の時を生きてきた夜の王の誇りの顕れであった。



 ◆◆◆





 【 act.7 Alice vs. Remilia 】



 太陽は完全に没した。
 すっかり天を覆い切った夜空の東には、鮮やかな月が浮かんでいる。

「もう十分よ。始めましょう」

 畳んだ日傘を地面に突き立て、吸血鬼が闇に昇った。
 アリスも日傘の横にポリタンクを置き、レミリアに続く。
 月と星々の天蓋の下、背景は一面の暗闇。
 湖面を眼下に敷き、吸血鬼と人形遣いは互いに正面から向き合った。



「ねぇ、人形遣い。提案があるのだけど」

 レミリアがからかうような口調で声を掛けた。

「何かしら?」
「なに、特に珍しいことではないわ。この勝負、敗者は勝者の要求に一つだけ従う、というのはどうかしら?」

 アリスは僅かな間を考えて、「いいわよ」と答える。
 吸血鬼は目を細め、

「ふふふ。妖怪に転換した身とはいえ、神の娘の血はさぞかし美味でしょうねぇ」

 これ見よがしに舌なめずりをした。



 闘いの火蓋が切って落とされた。
 人形遣いは、人間の魔法使いとの弾幕ごっこを経て今やかなりのレベルで己に馴染んでいる十二体のフィルギアを召還する。

「その人形が“虹の翼”?」

 好奇心に溢れた目で人形たちを見るレミリア。

「? ああ、魔理沙がそう呼んでるのね」
「中々手応えがありそうね。楽しい夜になりそうだわ」
「あの子も似たようなことを言ってたわ。最初だけだったけど」

 吸血鬼は空中に棒立ちしたまま、アリスに向けて伸ばした人差し指をちょいちょいと動かした。
 好きに攻めてこい、という意味だ。



 アリスは全ての戦闘人形を散開しながら前進させた。
 人形遣いの脳裏には、自分の位置を俯瞰して見た湖上の図が描かれている。
 それは先ほどまで、周囲の宵よりも濃い闇で塗り潰されていた。
 唯一の例外が彼女の周囲を示す光の『円』だ。これはアリスが自身の五感で感じ取っている知覚範囲である。
 その図上に、次々と新しい『円』の光が追加される。
 やがて十三組の『円』は互いに接触、融合し、図形上の闇は光に駆逐され尽くした。
 アリス・マーガトロイドによるこのエリアの領域支配(Area Dominence)が完了したのだ。



 空中に静止したレミリアは、十二体の虹の翼がゆっくりと自分を取り囲むのを見ていた。
 彼女を中心に円陣を描き、人形たちは周囲を廻る。
 各々が吸血鬼に体の正面を向け、手にした光槍(ランス)をぴたりと心臓に定めたままで。
 スピードを速めたり、遅めたり。円を広げたり、狭めたり。
 人形たちは周囲を廻る。くるくる、くるくる、周囲を廻る。
 傍から見れば、人形たちが悪魔の妹のスペルの元になったと思われる、童謡の『かごめかごめ』に合わせた遊戯をしているような光景だろう。

 やがてレミリアは、虹の翼たちの魔力が次第に増幅していくのに気付いた。
 まさか、この状態から同時に攻撃を放つつもりだろうか?
 包囲する円の半径は緩急をつけて変化しているが、最も狭まっている時には、レミリアが短い腕を伸ばせば人形に触れられるほどに近い。
 この距離で全周囲から一斉に攻撃されたら……。
 吸血鬼は背中に冷たい汗が流れるのを自覚した。

 確かに、先攻を譲ることをアリスに示したのはレミリアだ。
 彼女にそうさせたのは、吸血貴族としての誇り故である。
 魔法使いの攻撃など全く効果が無いことを思い知らせ、完全に打ち砕く。それこそが王者の戦い方だ。
 だが、これでは……。
 己の心臓に照準を合わせて周囲を廻る人形たちに、レミリアは取るべき行動を決めあぐねていた。
 距離が近いということは、こちらが攻撃しても敵は避け難い筈。しかし交わした約束を違えるなど、貴族の誇りが許さない。

(どうする? ――!!)

 逡巡するレミリアの隙を突くように、予期せぬ方向から顕れた光の矢が彼女を襲った。
 咄嗟に回避できたのは、吸血鬼としての身体能力故だ。
 光が射出された方に目をやると、右手を突き出した姿勢のアリスが見えた。
 気が付けば、レミリアの周囲を廻っていた人形たちは離れた位置に退がっていた。あれほど膨れ上がっていた魔力も既に感じない。フェイクだったのだろう。
 人形遣いを見やると、攻撃が外れたというのに口の端に微笑を浮かべていた。
 まるで、レミリアが抱いた動揺や葛藤などお見通しと言わんばかりである。

「……くっ! この、魔法使い風情がッ!!」

 屈辱に顔を赤らめた吸血鬼は、周囲に魔弾をばら撒きだした。

 レミリアの弾幕は直感的、平たくいえば「でたらめ」とも言える。
 弾幕よりも直接格闘の方が得意だとアリスは聞き及んでいたが、その情報は正しかったようだ。
 レミリア・スカーレット。
 幻想郷のパワーバランスの大きな一角を担う吸血鬼にして、現有勢力の中で抱える人妖の質・量共に最高とされる紅魔館の当主。
 自他共に認める、紛れも無い『強妖』である。
 以前のアリスであれば、レミリアと直接闘うなど悪夢の中の出来事でしかなかった。戦闘を避けることが最善であり、もしも交戦状態に入ったなら、触りだけ戦ってさっさと降参していただろう。
 だが、今はどうか?
 アリスは追い詰められた鼠のように興奮するでもなく、自暴自棄に陥るでもなく、儚き運命を呪いつつ覚悟を決めてもいない。
 落ち着いている。波立たぬ静かな水面のように。冷静に相手の戦闘力を測っている。
 確かにレミリアは強い。
 アリスは先ほどの自分の行為――フィルギアに注意を引き付けての不意打ち――の結果を解析する。
 己が血統に対する誇り、堪え性に欠ける性格、反則的なまでの反射神経と身体能力。
 そのスペックは数値に換算すると一層際立つ。
 弾幕戦で得られた魔理沙のサンプリング・データとは比較にもならない。

(あの子、よくこんなのに勝てたわね)

 負けじ魂の塊のような人間の魔法使いの顔を思い浮かべ、口の端だけで微笑する。

(さて、アリス。どうする? どう攻略する?)

 人形遣いは戦闘人形に弾幕の雨を縫うように回避させながら、解答困難とされる命題に挑む自信に満ちた学究の徒の如き視線を吸血鬼に送った。



 戦況はレミリア・スカーレット有利。

 もしもこの戦闘を観戦している者が居たならば、現在の状況をそう判断しただろう。
 吸血鬼は一方的に嵐のような弾幕を展開し、人形遣いと人形たちは防戦一方に追い込まれている。
 今は巧みに避け続けているが、吸血鬼と魔法使いとでは体力に大きな隔たりがあるのだ。
 人形遣いはいずれスタミナ切れを起こす。そうなれば人形も彼女自身も単なる的に成り下がるだろう。

 では、それはいつのことなのか?

 レミリアはもう数十分の間、弾幕を放ち続けていた。
 複数の弾種を使い分け、弾速に緩急を付ける。直線的な攻撃と曲線を描く攻撃、網状に展開する弾幕も繰り出した。
 しかし、虹の翼たちはそれを悉く回避し、唯の一発も食らうどころか、掠りもしていない。
 全ての弾をひらひらと上下左右に切り返す。
 対して、人形が発する攻撃に吸血鬼は九割方被弾している。
 異常な事態が進行していることをレミリアは感じていた。

(もしかして、これが人形遣いの魔法なの?)

 自分には理解の及ばぬ術を受けているのかと思うと、流石の吸血鬼も肌が粟立つのを禁じ得ない。

 アリスが駆使している方法は、魔法といえば魔法だが、違うといえば違うものだ。
 彼女は魔理沙と交わした三度の弾幕戦から、意外な事実を体感していた。
 フィルギアには、味覚を除いた五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、)のセンサーを備えてある。だが、アリスがこのセンサーを通して得られた情報を脳に受けると、対峙している相手の『魂の波動』を感知することができるのだ。
 魔宝石の力と戦闘人形に施した術式の相互作用と思われるが、詳細な原理は解明できていない。
 重要なのは、自律人形に関する研究の一環で『魂』に造詣の深いアリスには、この波動から相手の状態や感情、大まかな思考まで読み解くことができるということだ。
 ところで、人形師である彼女にとっては、人体の模倣は基本的な技術である。手製の人形たちの精巧な表情や動作は、卓越した観察力の成果ともいえるのだ。
 このスキルにアリス生来の高い幻視力が加われば、衣服の上からでも筋肉の微細な動きを視て取れ、表情や視線から次の動作を測ることも困難ではない。仮にこのことを相手に知られていようと、逆手にとってブラフをかけられるほど単純なものでもない。
 つまり、アリスは対峙する相手の『魂』と『肉体』が発する情報を脳内で組み併せて相手の意思及び未来動作を推測し、戦闘人形への空中管制によって変幻自在に対応できる。
 これこそが他の誰にも真似のできない、魔法使いにして人形遣いであるアリス・マーガトロイドの真骨頂なのだ。

 更にいうと、アリスにとって魔理沙やレミリアの行動を読むのは、さして難しいことではなかった。
 二人とも異なる意味で捻くれた性格ながらも、根本で直情的だからだ。
 魔理沙の場合は口数の多さも判断材料となる。
 本人としては相手の心理を乱し、自分に有利に戦況を運ぶペースメイクの手段なのだろうが、タネが解っていれば墓穴を掘る行為に他ならない。
 これもアリスが魔理沙に連勝を続けている理由の一端である。



 レミリアは内心焦りを感じていた。現在の状況が理解できない。
 ひょっとして弾幕が薄いのかと考え、ギアを上げる。
 一層濃く速く、強力で多彩な弾の群れが人形たちに襲い掛かるが、やはり一発も当たらない。
 彼女の主攻撃目標は人形を操っているアリス本体ではなく、あくまでも虹の翼たちだった。
 レミリアは小細工を好まない。そもそも通常であれば策など用いる必要が無いのだ。
 作戦と呼べるものかどうかはともかく、戦闘開始前に定めた彼女の方針は次のようなものだった。
 最強種たる吸血鬼ならではの圧倒的な力を奮い、まずは全ての人形を叩き潰す。戦う手段を奪ってしまえば、追い詰められた人形遣いに残された選択肢は、賢明な降伏か無謀な特攻かの二つしかないだろう。どちらを選ぼうと構わない。勝つのは自分だ。
 相手の能力を見極めた上で、それを完全に無力化して勝利する。それこそがレミリアの考える王者の戦い方だ。

 だが、現状はどうか?
 相手に譲った最初の一手を除いて、イニシアチブは終始レミリアが握っている。にもかかわらず、未だに一体の人形も仕留められていない。
 そして人形から撃ち出されるショットは、威力も弾速もレミリアのそれと比べても遜色無い。弾数はこちらが勝っているが、命中精度の面では向こうの方が上だろう。
 もう認めるしかなかった。
「アリス・マーガトロイドは強い」ということを。



 レミリアがまた一つギアを上げ、弾幕が更に濃く密度を増す。
 アリスの計算では、敵手ももう限界でこれ以上は無い筈だ。
 とはいえ、こちらもこれで精一杯である。暴嵐の如き弾幕の数々は、もはやフィルギアの運動性能をもってしても全て避けきることはできない。
 アリスは戦術オプションを修正し、回避だけでなく防盾(シールド)で受けての無効化を動作に加えた。

(これは、大技を繰り出すための伏線ね)

 レミリア・スカーレットが精神上のスイッチを切り替えたことをアリスは感じ取っている。
 戦場の空気が変わる。
 夜の湖上を舞台とする吸血鬼と魔法使いの決闘戦が新たな局面を迎えたのだ。



 僅かに、レミリアの弾幕が薄まった。
 吸血鬼が両の手を頭上に掲げ、魔力を増大させていく。
 大技を使うには魔力の『溜め』が必要不可欠であり、威力が大きいスペルほどチャージに要する時間は長い。
 いかな吸血鬼とて、この弾幕ごっこの原則に逆らうことはできない。

 ここでアリスは自分に二つの選択肢を提示した。
 これからレミリアが放つのは、彼女の最高クラスのスペルの筈だ。
 それに対して防御に徹し、前回の戦闘で魔理沙のマスタースパークを反射した『ホーリーライト』で跳ね返すか?
 それとも、今の無防備なレミリアに通常ショットによる追加攻撃を集中的に加えるか?

 逡巡する間も無く、人形遣いは後者を選ぶ。
 前回魔理沙にホーリーライトを使ったのは、反射したマスタースパークで彼女を完全に沈められるという確信があったからだ。
 今のレミリアは長時間弾幕を放射し続けたことによる疲労の色が見えるとはいえ(だからこそ、余力を残しているうちに強攻勢に出たのだろう)、まだ身体機能にそれほどの衰えは無い。

(今こそ好機! 行くわよ!)

 十二体の猛禽が弾幕を掻い潜って接近し、次々と吸血鬼に襲い掛かっていく。
 今まで受けに回っていた鬱憤を晴らすかの如く、レミリアに光弾を叩き込み続ける。
 間断無くヒット&アウェイを繰り返し、夜空に軌跡を描きながら攻撃の手を緩めることはない。
 俯き、四方八方から撃ち込まれる弾幕にじっと耐えるレミリア。
 その頭上、小さな手の中に巨大な紅い神槍が顕現した。

「……神槍『スピア・ザ・グングニル』」

 吸血鬼は腕に力を込め、空気を震わせる凶悪な唸り音と共に紅槍を投擲した。



 一直線に飛んだグングニルはアリスの胸を貫く寸前、見えざる壁に激突して消滅する。
 人形遣いが展開した防御障壁に阻まれたのだ。
 投擲寸前、フィルギアの攻撃をレミリアの右肩に集中させたことにより、若干スペルの威力が落ちていたこともアリスの計算通りだ。
 しかし緩和させたとはいえ、一撃必殺と恐れられる吸血鬼の神槍による着弾の衝撃は半端ではない。
 堪らず、アリスは意識を朦朧とさせていた。
 そこから数秒で回復できたのは、戦闘人形から送られてくる知覚情報に脳を揺さぶられたからである。
 そして、軽く頭を振って十三組の感覚器官から得られる情報を再統合させた彼女が最初に捉えたものは、自分に向けて再度、戦と死を司る神の槍を振りかぶるレミリアの禍々しい笑みだった。

(あ、あんなスペルを連続で!?)

 さきほどの一撃をほぼノーダメージで凌ぎ切れたのは、事前に手を打ち、体勢を整えていたからだ。
 それでも数秒とはいえ、意識を奪われた。運良く回復できたが、下手をすればあのまま敗れていたかもしれない。
 驚愕と恐怖に心臓を掴まれ、アリスは一瞬パニック状態に陥る。
 その隙を見逃すほど吸血鬼は甘くなかった。
 高速で飛来する二撃目のグングニルを、人形遣いはまともに食らう。

(!!!)

 極限炎度で激しく身を焼かれたかのような強烈なインパクトに、全身の痛覚がフル稼働して脳に危機的状況を伝える。

 程なくして、彼女の視界は完全に暗転した。



 ◇◇◇



 アリスの意識は無の中に漂っていた。
 ここには何も無い。まさに『無』だ。

(ああ、そうか。私、レミリアに神槍を直撃されて……)

 痛みは、感じない。
 ということは、かなり不味い状況かもしれないと妙に冷静に考える。
 ふと、自分の中に何かが流れ込んでくるのを感じた。
 ゆったりと、さらさらと……。
 それは『無』の中に拡散していき、宵闇となった。

(そうか。今は、夜だったわ)

 宵闇に無数の星々が生まれ、月が顕れた。
 周囲に、ぽつ、ぽつと光が浮かんできた。
 光は段々と数を増していく。
 ぴちゃん、と音が聞こえた。
 下方には湖が有り、鯉が水面に跳ねたのだ。
 水中には、公魚(ワカサギ)の群れが泳いでいる。
 湖底には、群生する水草。光無き夜の時間は、ゆらゆらと眠っている。
 湖のほとり、草原に立つ木の枝には、梟が止まっている。
 その下の草むらには、餌を求める姫鼠。

(これらの光は、命……。ああ、私は周囲の『魂の波動』を感じてるんだ)

 ふいにアリスはそれを理解した。
 と、また一つ、別の波動を感じた。
 夜空と湖面の狭間、中空に静止している。

(あれは……吸血鬼)

 最強種とされる種族であろうと、世界の中では数ある命の光の一つにすぎない。
 ならば、何を恐れることがあろうか?



  『彼女も妖なり、我も妖なり』



(そうか。ようやく解ったわ)
 アリスは声に出して、導き出した想いを世界に告げる。

「答えは……私の中に!!」



 ◇◇◇



「な、なんなのよ、これは!?」

 レミリアは動揺していた。
 自分の周囲に展開していた虹の翼、アリスに二撃目の神槍を叩き込んでからは宙で沈黙していた全ての人形たちが、突然眩い光芒に包まれたのだ。
 その光が伝播したかのように、人形遣いの身体までもが輝きだす。

 それは、刹那の出来事だった。
 気付くと十三の光は収まっており、周囲は今までと変わらぬ夜の闇に覆われている。
 ただ、違うことが一つだけ。
 アリス・マーガトロイドが意識を回復させていた。

「ふぅん。気がついたのね。大人しく寝てればいいものを」

 目を細めたレミリアが嘲笑を投げる。

「私もそうしていたかったんだけどね。まったく、戦闘人形に目覚まし機能なんて、付けた憶え無いんだけどなぁ」

 身体の各所を軽く動かし、異常が無いことを確認するアリス。

「なら、これで終わりよ! 今度は安らかに眠り続けなさい!!」

 またもや吸血鬼が頭上に魔力を集積させる。
 アリスもスペルカードを手にして精神を集中させた。

「三撃目ッ! 神槍『スピア・ザ・グングニル』!」
「綺光『ホーリーライト』! そして――」

 チャージを終え、全身に捻りを加えて小柄な身体を弓なりにしたレミリアは、渾身の力を込めて神槍を放つ。
 アリスの前面、円面状に配置された十二体のフィルギアの個々の盾から浮かんだ魔方陣の光が相互に増幅し、巨大な魔方陣を展開する。
 そこにグングニルが衝突し、激しく光と火花をスパークさせた。
 ベクトルを反転させ、己を生み出した主に牙をむいて襲い掛かる神槍。
 吸血鬼は舌打ちし、右腕を一閃させた。
 そのレミリアの些細且つ直感的な行動を判断ミスだというのは、あまりにも酷だろう。
 だが、彼女は弾き飛ばされて消滅するグングニルから視線を人形遣いに戻した時、驚愕に目を見開いた。
 眼前に眩いばかりの光の束が迫っていたからだ。
 もしもレミリアが神槍を弾かずに身体を躱していたなら、この状況は無かったかもしれない。
 夜闇を貫いて輝く光の根元には、主人の前で密集陣形を組んだ人形が構え、束ねるかのように吸血鬼に向けられた十二本の光槍(ランス)があった。

「そして、綺煌『スペクトルフュージョン』!」

 人形遣いが新たなスペルを宣言する。

(何故!? こんなことありえない!!)

 強大な力を具現化したかのような目前の光芒は、断じてフェイクではない。
 スペルカードを使うには魔力の『溜め』が必要不可欠であり、強力なスペルほどチャージに要する時間は長い。常識だ。
 だが、アリスは魔方陣の防御スペルを展開した直後にこの光の攻撃を撃ち出している。
 魔力を『溜め』る時間は無かった筈だ。
 渦巻く疑問の解答を求めて、吸血鬼は必死に脳内に検索を掛ける。
 と、ごく浅いところで何かがヒットした。
 今日の昼間、図書館の魔女が人間の魔法使いに対して行った講義の一節だ。

 ――もし彼女が本気になれば、複数の異なるスペルを同じタイミングで発動させることすら可能かもね。

 そう。アリスは『ホーリーライト』と『スペクトルフュージョン』、この二つのスペルカードを同時に起動した。
 しかし、攻撃スペルは防御スペルと比較して強力であるため、魔力のチャージにより長い時間が必要だった。
 その時間差が二つのカードの発動タイミングに絶妙なタイムラグを生んだのだ。

 光の束に飲み込まれながら、レミリアは叫ぶ。

「そんなのズルイ――」

 月が見守る中、夜の湖上を舞台にした弾幕ごっこは、こうして終結を迎えた。



「デーモンキングに反則者呼ばわりされるなんて、私も出世したものね」

 戦闘が終わったことに安堵の息を漏らしながら、アリスは呟いた。
 レミリアを見ると、ぼろぼろの姿を晒したまま宙に浮いている。
 如何に吸血鬼とはいえ、ソルジャー・ドールの最強スペルが直撃したのだ。無事とは済んでいないだろう。

「大丈夫?」

 アリスが声を掛けると、レミリアの身体はくたりと傾き、重力に引かれて落下し始めた。
 意識を失っているのだ。



 ◇◇◇



「うう……ん」
「気がついた?」

 仰向けに寝かされていたレミリアは、がばっと上半身を起こした。
 隣には膝を楽にして座るアリスが居た。人形は全て魔法で納めたらしく、彼女は一人きりだ。
 周囲を見回すと、ここが夕方二人が会話をした湖のほとりの緩やかな斜面であることが解った。
 夜空の月は、既に中天近くまで来ていた。意外と長い時間、意識を失っていたらしい。

 レミリアは人形遣いに目を向ける。
 顔は汚れを落として白金色の髪も整えたようだが、彼女も吸血鬼と同じく、衣服には破れや煤けがあちこちに目立つ。
 その様は、先ほど繰り広げた弾幕戦闘の激しさを雄弁に物語っていた。
 そんな姿で星々が飾る夜闇を背景とする湖畔に座し、透明度の高い蒼い瞳で暗い湖面の遥か彼方を見つめている。人形遣いの少女……。

 絵画の中の如く幻想的な光景に、レミリアは見惚れていた。
 同時に、胸が締め付けられる想いがする。
 まるで、ここに一陣の風が吹き抜けた次の瞬間には、自分のすぐ近く、手を伸ばせば届く距離に居る少女が消え失せているかのような。そんな不安に駆られたのだ。
 弾幕ごっこでは吸血鬼である自分と互角に渡り合う強さを見せたというのに、彼女は精巧なガラス細工の人形を思わせる儚さを湛えている。

(弾幕ごっこ? そういえば……)

 恐る恐る、まるでアリスがそこに居ることを確かめるかのように、レミリアは思いついたことを口にする。

「私、負けたのよね?」
「そうね」
「勝負を始める前に、約束したわよね? 敗者は勝者の要求に一つだけ従う、って」
「別にいいわよ、そんなこと」

 興味無さそうにアリスは答える。

「よくはないわ! 約束を守るのは貴族の嗜みなのよ!」

 何故かムキになってレミリアは叫んだ。
 ふむ、と顎に手を当て、アリスはしばし考える。

「何でもいいの?」
「いいわよ」
「本当に?」
「ほ、本当によ! スカーレット家の名誉に賭けて!」

 余りにアリスが念を押すので、レミリアは不安になってきた。一体どんな無理難題を出されるのだろうか?
 そんな吸血鬼の気も知らず、アリスはあるものを指差した。
 レミリアがその方向を見ると、そこにあったのは戦闘前に彼女が地面に突き立てた日傘と、人形遣いが置いたポリタンク。
 どうにも珍妙な組み合わせの二つの物体が、寄り添うように鎮座している。

「あれがどうかしたの?」
「いいこと? レミリア・スカーレット。貴女に対する私の要求は――」



 ◆◆◆





 【 To Be Continued 】
 次回で完結します。


 ◇◇◇


>名前が無い程度の能力(2008/05/20 07:18:45)様

 情熱的なコメント、どうもありがとうございます。
 レミリアお嬢様、強すぎでした。
 何とかアリスが勝ちましたけど、本当に紙一重でしたね。

 ちなみに、次章(act.8)のラストでお嬢様が口にしている台詞の最初の一文は、この作品のメインテーマともいえる言葉です。
 どのキャラに言わせようかかなり悩んだのですが、結局お嬢様を選ばせていただくことに。
 その箇所を今読み返してみましたけど、やはり自分の人選は間違っていなかったことを確信できました。

 (2008年05月20日 追記)
りんご飴
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コメント



0.4080簡易評価
21.無評価名前が無い程度の能力削除
ここまで読んで一言。



       レ       ミ       ア        リ       派       の       俺       歓       喜
22.100名前が無い程度の能力削除
点数入れ忘れたorz
28.100Admiral削除
コレはよいアリレミ。



みんながアリスのことを気にかけているという解釈は斬新でとても楽しく、

心が温かくなりますね。
29.100名前が無い程度の能力削除
これは良いアリスですね!



がっでむ、アリスで萌えてしまうとは…



次回作も期待してるぜ!
42.無評価名前が無い程度の能力削除
>そんなのズルイ――
この台詞で他の感想がすべて吹き飛んだ。
レミリアかわいい。点数は3で入れます。
44.無評価名前が無い程度の能力削除
スペカルールではスペカの複数同時展開は禁止されてる・・・なんて言うのは無粋ですね。
こんなに強いアリスを見るのは初めてな気がします。
45.100名前が無い程度の能力削除
とっても面白いです!
妖精たちがレミリアからアリスを守ろうとする場面では思わず泣き
そうになりました。
そしてレミリアがかっこよくてかわいくて、もう!もう!(落ち着け)

スペカルールではスペカの複数同時展開は禁止されてる・・・なんて
私は聞いたことがありません。
東方の公式本とか、普通に入手できる資料は読んでるんですけど。
79.100名前が無い程度の能力削除
レミアリ!レミアリ!
なんちゃってニュータイプなアリス、かっこよかったですw