「ラーメンイケメン、ぼくツケ麺!」
と鏡の前でポージングを決めたら、店内を埃っぽい隙間風が転がり抜けた。これは実にキマっていない。何が悪いのか、恐らくはやはり掻き上げられたあとに枝垂れる前髪のその角度が、美的均衡からしてもう一つ二つよろしくないのだと思う。前髪の分かれ目が男の運命を分かつのであった。なあに男なんてハゲさえしなければ勝ち組さ、などという腑抜けた価値観はこの郷で通用しようはずもない。禿頭の話題だけに、そんな気持ちは毛頭無いというやつだ。
森近霖之助は現在鏡の中に降臨した自身のニヒルなファイティングシルエットに対し、妥協のない厳格な自己評定を下したところである。その不満足の抜本的な原因を模索すればやはり前髪で、そして頭頂を掻き分けて見れば分かる左周りにぐろんぐろんと巻きますか巻きませんか巻いてますねといった具合、世間一般の頭頂の常識と対を為す左旋回旋毛こそが諸悪の根源であるという結論へ自然と至るのだった。
誰が左巻きのバカだ。
およそ世間一般で左巻きに貼付されるレッテルは、どういうわけか「バカ」である。人とただ回転方向が違うだけでここまで蔑まれるものか。蔑視はおろか、他人と違った部分は何かと持て囃される昨今の時代である。外見に留まらず内面性その人となりを構築する持論であるとか嗜好であるとか幻想郷の少女に対する接し方であるとか、彼らは口々に俺のジャスティスお前のジャスティスと称しては、そこかしこに鏤められたある種のキャラクター性とか個性を手当たり次第に賞賛するではないか。
だがしかし、左巻などという地味な個性は、困窮の霖之助にも残念ながら必要なかった。何しろ髪型が乱れる。人と妖怪どちらの親が譲ってくれたジャスティス遺伝子なのかまでは流石に知らないが、というかこんなものまでがジャスティスと称されるならば伴天連に蔓延る辞書という辞書を焚書坑儒に附して回るディクショナルバーサーカーに身を窶すしか無くなるだろうが、何せ得てして男の人生は修羅の道である。ルックスは大事なのだ。愛しさと切なさと力強さと逞しさで同胞たちを魅了することは、F遍く男達のとこしえの宿命である。前髪の角度を乱してしまうようなジャスティスは、全くもって不要だった。この荊の求道とは、いのちの営みの只中に雄々しく屹立する、崇高な美学が積み重ねられたトーテムポールなのである。太くて立派な柱だ。なお、誓ってセンターポールではない。
そう、人間というのはセンターポールがあるタイプと無いタイプの二種類がある。即ち男と女である。生きる者達を魅了する行為とは、アダムとイブを分かつことなく双方共にフェロモンの虜囚たらしめることと判じて相違なく、しかし己が人生を顧みれば、霖之助はセクシャルコンプレックスの狭間で忸怩たる思いに溺れる。何となれば思い返してみるに男の中の漢といえる漢にふんどし一丁でひたすら魅了し魅了され尽くした経験こそ何だか知らんが一回あったような気がしなくもないものの、誠に遺憾なことに女おなごにメス媼といった生物達とは、嗚呼恥ずかしいかな哀しいかな、霖之助、誠に
それが彼の悟りである。彼は、彼の経営哲学ばかりに自惚れていたのであろう。
「――絶望した!」
これに気付いてしまったあの日、霖之助は自責の念に駆られて首を二回吊った。店そのものの魅力は既に十分だったのである。今まで彼は店のカンバンの輝き具合ばかりを気にしていた。魅力が足りないのは自分の方ではないか。珍品の数は両手両足の指を関節単位で使って数えても尚計数しがたく、つまりよりどりみどりつかみどりであり、しかも売上金額は増えないのになぜか品物の回転は滅法良い。
補充される速度も桁違いだが、持って行かれる速度が桁々違いなのである。
「もってかないでー」
何はともあれ商品は、故にいつも目新しい。この現場における流通の活性化も裏を返せば、幻想となりゆく憐れな代物がそれだけ外界に蔓延している証左でもあるのだが、我らが香霖堂としては商売上それも亦都合の悪いことではない。そして店舗そのものも割かし人家から離れた場所にあり、閑静で涼やかな立地と実に申し分ない。店単体の魅力としては、十二分に過ぎた。人家から離れることを意識した結果ちょっとお墓が近くにあるもので、時折誰もいないはずの倉庫からお経のような声が聞こえてくることもあるにはあったりするが、それにしたって気になるほど音量が大きいわけでもなく、まあ気にすることもない。時折窓の外を彷徨う血塗れの落ち武者の影も、別に斬りかかってくる訳ではないので人畜無害だ。髪が伸びる人形も一体二体あるが、女の子の散髪というのは悪い気がしないので霖之助が寝室の枕元に据え、そこから絶対に動かさない。時々勝手に倉庫に帰ってしまうが、その都度ちゃんと枕の横に連れ戻す。
最近は諦めたように、枕元から動かなくなってしまった。髪がのびる上に、心なしか最近は表情が歪んだように見える。幼い彼女たちは、きっとまだうまく笑えないだけだ。
而してこれも問題ない。それらが原因で客足が遠のくということは、少々考えにくかったのだ。
盗るものも盗りあえず簒奪に生き続けるアンボニー霧雨とメアリーリード博麗はいつかグーで殴るとして、やはり店の倉庫で厖大に眠り続ける七珍万宝を生かすも殺すもつまり、森近霖之助というこの益荒男店主自身の双肩にすべてかかってきているのであった。責任は重大である。そして七珍万宝という単語は、いつ聞いても卑猥なイメージしか湧かないのである。
そしてそれを、人は男のジャスティスというのだった。
霖之助は、再びツケメンだのキシメンだのと謡いながら、無駄に古びた姿見の前でタコ踊りのような自己礼賛を続ける。男を磨くというのは、血と汗と酒と泪と男と女、その他色んな体液によってこそ成し遂げられる。
さあ、魅力というのは――嗚呼、人を惹き付けるキャリスマというのは一体全体、どうすれば体得できるステータスであるか。彼は直近の三日三晩、夜も寝ないで昼寝して考え続けていた。しかし解脱には至っていない。どうすれば人を魅せられるか。やはり笑顔だろうか。それともファンションだろうか。亀の甲より年の功か。
それともやっぱり、この蟹腹か。
そっちなら自信はあるぜ。
「お邪魔しましてー」
鈴を転がすような声音が霖之助の耳に届いた。
煮詰まった男道の切り札として、マジョーラ仕立てのブーメランパンツに白魚のような中指と紅差し指とをかけた瞬間である。
「ラーメンイケメン」
「素敵なお店ですねー」
嗚呼ん。
歓待の挨拶は、終いまで言うことさえも赦されなかった。霖之助は愕然とする。幻想郷はかくも棘に満ちていたか、霖之助は悄然とする。この郷で妖怪は常に人に退治される宿命を負うと云い、
「こちらのお店はどんなお店~?」
歴史という生き物が掠れ墨で幻想郷に書き上げてきたその食物連鎖の定律に、森近霖之助に至ってはしかし、常日頃身を引き裂かれる思いを感じるのである。霖之助は慄然とする。何せ人間と妖怪のハーフである。身を引き裂かれるというのは、あながち比喩の領域に留まっていない。半分は退治され、半分は退治する運命。実に引き裂かれている。自己攻撃にして自己防御、自分で自分を殴りつけているその類い希な姿は、端から見ればただの危ない
「ねぇ、ご主人~?」
人ではないか。目の前を十人が歩けば、十二人が視線を逸らすタイプの人だ。
幻想郷における人と妖怪の定律――この傘の下、奇想天外な運命に生を受けたるは数奇にして哀れな森近、その彼が当該不文律を忠実に踏襲した結果の絵面があるとすれば嗚呼哀しい哉、恐らくブラックジャックか阿修羅男爵である。どっかまでは人間側で、どっかから妖怪側に裂かれる。歩く中途半端である。
せめて叶うことならばこの甘いマスクにだけは、瑕や縫い目が付かないでほしいなとだけは些やかな願いながらとかくに、幻想郷はままならぬ。
「ご主人ってば~!」
痺れを切らした客人は、やはり鈴を転がすような声色で。
「ハッハ、いやいや失礼。それはもう当店にはハッハ、何でもありますが」
「本当に?」
「ハッハ、本当ですとも」
「じゃあ、いちごの馬車とかあるかしらー?」
「ハッハえぇ、もちろんですともお嬢様」
ハッハ当意即妙な対応は、商人の必須技術である。霖之助は簡潔にハッハ、肩で揃えられたウェービーな緑色の髪が晴れやかな草原を思わせるその女性客へ、淀み知らずにてきぱきと応えてゆく。
カリスマを得る男は往々にしてニヒルだ。霖之助は、ちょっとずつナルシスティックな芳香を言葉の端々に孕ませたハッハ。それも霖之助が考えた、人気獲得戦略の一環である。白い前歯を前衛的に押し出し、振り向く誰もがうおっとまぶしい8000カンデラくらいの笑顔で、あでやかな美女の客人に答えてそこでふと気付く。
――あったっけ? いちごの馬車なんて。
ウチの店に。
「あー……お嬢さんお嬢さん」
「?」
「訊きますが」
「どうぞどうぞ」
「というか、そんなもの地球上にありましたか?」
うん、と緑髪は頷き。
「かりん星にはあったよ!」
どこだろうそれは。
「ゆうかりんの生まれた星だよ!」
左様、ですか。
「では一体どうしてその、いちごの馬車などという、ぜんたい幻想郷入り如何の前にそもそもかりん星とやら以外の外界で存在していたかどうかさえ曖昧三センチな物品をご所望あそばせる」
「可愛いじゃない?」
「えぇまあ、いちごが馬車になったならきっとすごく可愛らしいですがしかし」
「んー、んー、そうじゃないわよー」
女性客の頬がぷう、と紙風船。
しかる後にふっ、と柔らかく笑み、緩やかなウェーブの緑髪をさらり手櫛で掻き上げるは非常に、艶のある春の仕草の野原。
霖之助、見とれた。
それは華美にして匂やか艶やか、でありながらどこかお
そこに浮かべた蒲公英のような笑顔が、霖之助の胸にシトラスの香りを運んでくる。季節は春なのだ。
あまりにも可憐な笑顔は、月よりも淡くて太陽よりも眩しくて、
「いちごの馬車じゃなくて、わたしが可愛いんでしょ、ご主人さまっ」
シトラス蒸発。
「あー……」
月沈没。
ふむ。
しかし女性客の返答、さりとて意味が全く理解できないでもない。商売人森近霖之助、投げ寄越された言の葉の上っ面だけを叩いて一蹴するほど浅薄ではない。総じて商売人とは、目の前に突き出された言葉そのものではなく、その更に奥に潜む底意をこそ読んで生きる種族である。これは生業である。彼女の言葉に秘められた、裏の意図を推察してみよう。
要するにこういうことだ。いちごの馬車は確かに可愛らしい。だが、それはいくら愛でたところでとどのつまりもいちごの馬車だ。馬車は馬車だ。そして失礼ながらこういうことを考えよう例えば、例えばであるが、老若の尺度で語った場合に残念ながら若干片側に偏ってしまった頃合いの齢、要するに端麗な容姿からは少々年月の経ちすぎてしまったという他無い妙齢、老境のお婆さまがそのいちごの馬車に、ちょこんと腰を預けておられたとする。
さて、この絵面はどうか。
実に正直なところを述べればそれは、誠に大変実にものすごく申し訳ないことだが、いちごの馬車という雰囲気が孕み込んだ可愛らしさの魅力を、残念ながら減損させてしまうのである。いちごの馬車の花柄シートにリウマチの腰を預け、透けるような白さの頬に深い皺、長年の家事とぐうたら亭主相手の絶え間ない気苦労を皺の本数と深さが語り、それでもその頬を今日ばかりはくしゃくしゃと綻ばせながら、彼女は春のシャンゼリゼに向けて御者台から身を乗り出す。街並みを行く民達にぶんぶんと振る杖は伸縮式、公共交通機関で大衆に迷惑を掛けない便利タイプだ。颯爽と吹く王宮の南風、白馬は鬣をそよ風に梳きながら石畳に蹄を叩き空は快晴、お姫様は花と石鹸と膏薬と温湿布の匂いをちゃんぽんにして漂わせながら、白い王子様と一緒に手を振り入れ歯を見せて笑う。
やはり何かが違う。
断じて、お婆という人間に対する冒涜とは違う。あくまでベクトルの相違、魅力を論う上での座標軸の差異をこそ申す。お婆さんがたといどれだけ優しげでも、柔らかい物腰でも、穏やかでも柔和でも、若かりし頃の面影を漂わせる耽美な歳の取り方をしていたとしても如何なる物が如何なれどやはり、それはいちごとは異質の魅力である。いちごにて発生する可愛さとは結局のところ相互作用的な形で、乗り込む女の子自身の若さ幼さ、そういったベクトルの魅力にこそ依存している。
そしてそれゆえ、いちごの馬車そのものが可愛いかどうか、女の子にとって取り立てて重要な問題ではない。この取り合わせの可否を決定づけるのは、すべて自分次第なのである。女の子はみんな、幸せへの鍵束を握りしめて青春の赤絨毯を舞い踊る生き物でこと、いちごの馬車に乗っていますよーという既成事実、そしてそれを猫なで声で吹聴したりフリフリのドレスで乗り込んで御者台の後ろよりきゃららんとウィンクしてみせる女の子。とかとか、そういったものがあっていちごの馬車はホンモノの「可愛い」を体得する。それは女の子と馬車がセットとして、一人と一台分の可愛らしさを生む。セットプレーだ。彼女は、そう言っているのであろう。
簡潔にまとめよう。いちごの馬車そのものの可愛らしさもさることながら、それに乗れちゃうわたしはなんて若くてかわいいの、といったあたりが本音だ。彼女の簡単な一言、それもきちんと慮れば、ここまで深い意図が見えてくる。商売人は目の付け所がシャープなのだ。
更に簡潔にまとめよう。
「ぶりっ子ですね」
「違うわ」
転がる鈴を踏みつぶすような声音で客は言った。
「ハッハしかし、」
「その笑い方きもちわるい」
「諒解しました。いちごの馬車は正直に申し上げて、在庫にありません」
「あら」
霖之助は、偽らず明け透けに真実を告げた。少女の笑顔がみるみるしぼむ。
しかし霖之助が返す刀で、しぼんだ花にお水をやる。香霖堂だってハンバーガー屋には負けない。原油は暴騰してもスマイル0円。
「しかしばってん、もしも当店にあったならば私は必ずや、それをあなたに喜んで差し出したでしょう」
「?」
「ビコーズ、オフコース、あなたはとても、それはもう抱きしめてしまいたいくらい可愛らしいから……」
「……あ……あらあら、まあまあ」
臆面もなく好色一代男と化した霖之助の甘言にしかしぽわわん、と、何とも律儀に紅くなる女の子であった。頭頂より仄か湯気のたゆたう一片の恥じらい、その無垢さは至極可憐にしてさながら一点の曇り無き淡雪のようである。このはにかみにならば西鶴さえきっと戀に堕ちたであろう。
そう、商売人は素直が基本である。商売のイロハは駆け引きより生まれるが駆け引きとは断じて騙し合いではない。駆け引きの裏には双方の誠意がある。誠意とは、客に不都合なことも真摯に告げる心の強さだ。貴方というお客様を誰よりも大切に思っていますよと、直球勝負の心意気を見せつける。これを誠意という。客をだまして喜ぶ商人とは、商人ではなく詐欺師だ。
客が「この店で買って良かった」と思ってくれるのが誠の商売である。霖之助は、なかんずく彼女の可憐さを直截に褒め上げた。
少女の頬は上気して林檎色、瑞々しく初々しく、しかししかし或いはこの頬染めさえぶりっ子やもしれないと一瞬逡巡もすぐに、別にそれでも構わぬと霖之助は確信する。これだけ可愛らしいのなら、ぶりっ子であるとて霖之助も仔細を気にしない。貞操観念にかけては内外から定評のある自分がその実に反したプレイボーイ扱いにされたって、平気の平座で我慢できる。まっ昼間っから手を繋ごう。肩にも手を置こう。その白桃のように甘そうなケツを一日二十五時間追いかけ回し続けた挙げ句、幻想郷はずれのモーテルあたりで文々丸。にツーショットをフライデーされたって一向二向に構わない。寧ろ鼻高々に、象さえ殴り殺せそうな出歯亀の超望遠大砲レンズに向かって両手両足でピースサインして見せたって良いだろう。こんな可愛い女の子なのだ。
彼女は天使か妖精か。猫を被った女の子は同性に嫌われる宿命を負うと巷間に口伝され、しかし彼女の並外れて眉目秀麗なるを以てすれば、その壁すらまず間違いなく一っ飛びに凌駕する。女の子にだっておばさまにだって、垣根も何も無くモテモテ確定だ。霖之助はそこまでを思う。平日の十三時頃あたりから民放各局で放送される泥濘のような女同士の修羅場の数々も、彼女はきっとスキップひとつでさらりと躱しながら、あどけなさの残るその笑顔でもって、猫の額の毛穴ほどもないであろう性悪姑の真心にだって容易く軟着陸してみせるに違いないのだ。
霖之助は見惚れる。明るい緑色の髪。赤いチェックのベスト。キュロットスカート。蒲公英色のスカーフリボン。赤と黄色と緑色。そして手にした純白の日傘が、繚乱の花野原を思わせる彼女の豊かな色彩に、よく似合っている。
ついでに豊かな胸が、春の爛漫とした命の息吹を感じさせる。彼女は身体いっぱいで、春を表現しているのだ。
そしてその、かわいげな仕草。
「そういえば、お名前をお伺いしていません。何とおっしゃいますか」
霖之助は凛と問い、女性客はひらりと微笑む。
「わたし、ゆうかりん!」
「……」
「……」
あ……。
「か、かわいい……」
「でしょ?」
幽香、ではないのだ。ゆうかりん、なのだ。
女の子はゆうかりん!
ぼくこーりん!
「嗚呼……」
――霖之助の瞳からとうとう、大粒の鼻水が三滴こぼれ落ちた。それは長く、霖之助を縛り付けていた懊悩であった。或いは螺旋のような底なし沼からの解放、遂に辿り着いたカリスマの権化、現人神、御神体万歳三唱。
曰く言い難い感動、感銘、そして頓悟。
霖之助は遂に、三日三晩に探求を続けたヒューマニズムの真理について、最終解脱の悟りを得た。
これ、である。
「お客様は、神さまです……」
「?」
霖之助は今、目頭を襲う熱さを堪えている。頬を伝うこの唐突な涙の雫。こんなにも熱く、そして大粒の涙の原因は、どんなに考えたって感動か感銘か杉花粉くらいしか思い付かない。自分に足りなかったもの、探し求めていた真理が、恐らくは杉花粉以外の形で顕現し、今目の前で微笑んでいるのである。
人間という人間を魅了しつくさんとする、あまりにも無邪気な笑顔。花のような笑顔。空のような笑顔。
あなたが神か。
「お客さん、お願いがあります」
「なーにかしら」
「……ほぅあっ!」
霖之助は八艘飛びの後、膝から着地して土下座体勢、
「私にあなたの、すべてをください!」
「いやん」
いやんじゃなくて。
「私にあなたの、」
「二度も言わないでー」
「全てのカリスマを、伝授しておくんなましっ!」
「いやーん……って、カリスマ?」
「はい」
女性客はきょとんとしていた。霖之助はただ、
「僭越ながら貴女様は、ただ一目でそれがしを虜としました。人を無条件に惹き付ける事。これは類い希な天稟に相違ありません。せめて三言四言なりとも会話を交わした相手ならば、異性同性かかわらず一方以上の好意を催させることだって、凡百の者達にも出来ましょう。
しかししかし――しかしながら、ただ一目、ほんの一瞬に
直截に申し上げましょう。私はそれが欲しい。商売人として、誰も彼もを惹き付ける圧倒的なカリスマ力が欲しくてたまらない。
あなたにはそれがある。間違いなく溢れているっ。
――弟子にしてくださいっ!」
溢れているっ!
のところで霖之助は頭をくわっと挙げ、両目をぎょろりと見開いてゆうかりんを仰いだ。すると相手はもっと大きな瞳をしていた。元々くりっとした瞳を更に大きく見開いて、長いまつげを揺らしながら、ほわーと口を開き、こちらにきょとんとしていた。森近はまた一瞬見とれ、そして、
弟子にしてくださいっ
に合わせて勢いよく、もう一度土下座した。額を思いっきり床に打ち付けた。どふっ、とやや詰まり気味ながら確かな硬質の音が響き、恰もボテボテのゴロが幻想郷の三遊間を破ってゆく芸術的な様を思い起こさせる。
眼鏡には罅。
土間にも罅。
春はのどけき麗らかな日々。
「あー……」
「あー?」
「いいわよ」
「ブラボー!」
両の拳を天つ彼方に突き上げて、霖之助は溢れる鼻血を拭おうともせず、最大級の歓喜をゆうかりんに形容してみせる。
「よーし! じゃあゆうかりん、教えてあげちゃう!」
「イヤッホウ教えてあげちゃってください!」
「うん!」
くるるん、と、ゆうかりんは爪先で回った。ショートにした緑色の髪が、ひらっと肩口を払う。況んやスカートはふわっと広がり、きらりと広がる清楚な絶対領域は蕾の萌芽を思わせる初々しさがあった。
淑やかに薫る春の息吹に、霖之助の脳細胞がある秀でた形容をひとつ、言葉の形にしてくれた。
彼女は花だ。
花は誰からも好かれる。女性にも男性にも、その美貌と楚々たる立ち姿で邪念無く受け容れられる。
ゆうかりんをたとえるなら、幻想郷の花畑だ。彼女はきっと、花を操って生きる少女に違いないだろう。
香霖香霖は色んな角度から君を、否、ゆうかりんを見ていた。
すると彼女はぴたっ、と止まり、霖之助にニコっと笑いかける。
「人に好かれるコツよねー?」
「人に好かれるコツよー!」
「それはねー」
「それはー?」
どきっ。
「キャラを作ることよ」
「おお! ……お?」
心なしか、ゆうかりんの声音が幽香に変わった気がした。オクターブは3つ半下がり、
おおー。
「……」
「……」
「ににんが?」
「し」
正解!
そうじゃなくて。
「ゆうかりん、分かりやすく説明してくれないか」
「だってぇ、かりん星なんてあるわけないじゃない。そんなのでっち上げた方の勝ちよ、それで男が靡くんだからちょろい」
「だー! ちょ、ちょっといいか、よろしいですか」
「ほぇ?」
情熱の焔が、忽ち熱を失って虚空に溶けてゆく。
ゆうかりんの言葉が、とても信じられない。
霖之助は眼鏡を外し、しょぼついた目頭を擦る。つい先ほどまでチューリップか桜かパンジーに見えたゆうかりんが、今はハエトリソウかサボテンかラフレシアにしか見えてくれない。
「……えぇまあいいでしょう、ちょうど閻魔様の口調を一度で良いから真似してみたいと虎視眈々狙っていたところですからついでなので」
「どうぞどうぞ」
「――あなたは、少々素直すぎる」
いやまあ……そりゃあ、分かっていたさ。かりん星? そんなのある訳ない当たり前だ、エジソンより常識だ、分かってた。僕はそれを承知で、恰も熾き炭を素足で駆け抜けるような、ある種の侠気や覚悟に満ち溢れた潔い扱いを、君に滔々と分割払いしていたのではないか。君を可愛い可愛いと、今言葉の限りに愛でていたのではないか。
だって社会とはそういうものである。社会にはいつも、理不尽と嘘が敷き詰められている。一握りの大人達が、自分達の都合の良いように敷き詰めた欺瞞のレールの上を、若い僕たちはただ頭上の青信号ばかりを見て適当に走っている。そんな青信号だって、突き詰めれば誰かが誰かのために用意した、ご都合主義の道標でしかない。僕たちは嘘まみれの正しさを、疑いもせずに前だけを向いて、唯絶対だと思い込んで走ってゆく。どこかに正しさがひとつでも無くちゃ、一歩だって前に進めないからだ。何もかもを疑って影踏みばかりしていては、どんな瞭然たる道だって忽ち袋小路に化ける。人生はずっと青春だ。ひとまず縋れる何かを僕たちは常に見つけて、あとはか弱い腕で虚空を抱きながら、我武者羅に走って行ったその先でまた別の青信号を見つけて、またその次の先へ闇雲に進んでゆく。
その繰り返しの先に夢がある。
何があるのか誰も知らない。どこに正しさがあるのか誰も知らない。僕たちは論も証拠もない、ただジャスティスだけで正しいと思い込んだ夢をひたりと見据えながら、前へ後ろへ東へ西へと走ってゆく。箱の蓋を開ければ猫が死ぬと分かっていても、それでも僕たちは箱をこじ開けて、暗がりの道を乱暴な手探りで進んでゆく哀しいヒューマンだ。
或いはこれがいちごの馬車で、君を可愛いと思い込むための青信号なら僕は、ショッカーだって裸足で逃げ出すような奇声嬌声を方々に撒き散らしながら親衛隊となって鉢巻き一丁、砂漠のような大都会の交差点を渡り抜いてみせるだろう。それくらい君は魅力的だ。君のためなら僕は、歩行天を一途な哄笑に染め上げるスクランブル交差点のアスリートになってやる。灰と白の二色でもってあいつら同化してるぜ! と言われるようなボディペインティングでさえ厭わない。その擬態のまま横断歩道の白い部分を二本飛ばしの欽ちゃん走りで、君の笑顔まで一息つかずに渡りきってみせようではないか。
だというのに、嗚呼、嗚呼。
だからこそ――だからこそ君は、青信号の絡繰りを語ってしまってはいけなかった。それは誰もが分かっていて、尚触れずに過ごす青信号なのだ。きっとあの青信号はフィルム一枚剥がせば赤信号にも黒信号にもなると分かっていて、それでも信じた僕たちが愚直に縋った偶像なのだ。つまりアイドルだ。アイドルというのはそういうものだ。
嗚呼ゆうかりんとても残念だよ、君がアイドルすなわち偶像を、そうやってお姫様という偶像を演じている限り赦されなかった爆弾の安全栓を君はすっぽーんと両手で抜いてしまって自慢げに掲げた。しかも剰え、もぎたての果実めいたその爆弾を、あろうことか僕たちに投げ寄越したも同然だ。かりん星の未来は暗い氷河に閉ざされているだろう。いちごが空から降ってきて、ミルクの雲が漂って、キャンディが木の枝に実ってチョコレートの河が流れたりする、なんてそんなメルヘンチックな王国の景色を必死で必死で守ろうとした愚かしい我ら臣民に、妃の君は一体どんな言い訳を取り繕ってくれるというのだい。国破れて惨禍ありだ。かりん星が実は博麗神社裏手の雑木林近くにある畑でした、なんて事実は、それがたとえ花畑でも、真っ直ぐな夢や情愛にとってはとても残酷だろう?
とても罪だよ。
「ねえゆうかりん」
「なあに?」
「君はごはんを食べたあと、うん――をするかい?」
「するよ?」
だからそれじゃダメなんだあ!
「そんなことよりほーら、霖之助さん」
「なんだい」
「あなたはいったい、どこから来たのっ?」
またしても花の咲くような笑顔のゆうかりんは、とても卑怯で。
「……ええっと。僕は元々、霧雨の店で」
「どこから来たのかなっ?」
「………………きりさ」
「聞こえないなあっ!」
「……」
「……」
きゃはっ、とゆうかりんは半身をかがめ、自身の耳朶に掌をやって、とろけそうなウィンクのプレゼントひとつ。
……成る程。
ならば、それも生き様なのだろう。
霖之助は墜ちた。そして、覚悟を決めた。
理解から理解へ。決意の羅針盤は北から南への百八十度、しかも転車台による様なその場での回転転換である。霖之助は、当初の目的を今一度改めて反芻する。
今は、ゆうかりんに文句を言える筋合いではない。
そう、僕は君に教えを請うた身空だ。向日葵の視線を掻き集めるお天道様が如く、君のその美貌は、いつだって遍く人の視線を惹き付け捉えて放しやしない。僕が欲したものは取りも直さず、そんな君の人並み外れた眩しさだった。ならば考える余地なんて、まして文句を付ける余地なんて初めから無かった。君が今、僕のために投げて寄越してくれた愛のバクダンキャッチボール、それがたとえ身長3メートルでなければ捕れないような大暴投だったとしても僕は捕る。必ず捕る。腕を3メートル伸ばしてでも捕ってみせる。この僕が正しさに突き進む蛮勇トロッコ集団なら、君はそもそもブレーキとハンドルを最初っから搭載していない、さりとて目の前に立ちはだかる障碍なら大岩をも砕く、レールの上を走っていてレールを無視するあしたのジョーみたいなブルドーザートロッコだけどそれでも僕はバクダンに手を伸ばし、眠れないこの街のど真ん中にもっともっと落っことしてゆくのだ。
赤信号でさえも突き切って君は逝く。僕も渡れば怖くない。嘘も貫き通せば、真実に化ける時が来るだろう。
香霖堂にも春が来る。
「ぼくは……」
男の牙城が小刻みに揺さぶられ始めるのを、霖之助は感じる。その正体が膝の大笑いだと気付くのに長い時間は掛からない。
振動を伴ったさざめくような細波は次第にうねり、深く大きく流れを捩らせながら大波となる。汗が一滴、こめかみを湿らせる。
――堅固な決意は大丈夫。
やすやすと、消え失せたりしない。
「こ……」
「こ?」
荒削りな銑鉄の意思はすべてをねじ曲げて活力に変え、震える膝を一喝。漲らんばかりの決断力を滾らせて臍下丹田に大集結、遍く羞恥や躊躇を、土用波のように押し流しゆく無辜の清らかな克己心。抗う術は無く、抗えば元の木阿弥、いずれにせよ男として掘削してゆくべき修験道の第一歩は今、カリスマ溢れる女の子によって目の前に燦然と示されている。
この身すべてを、香霖堂の看板に捧ぐ。
その為に自分は、魅力的な存在に生まれ変わるのだ。
それは、つまり。
「……やあ! ぼく
「死刑」
嘘だー。
「あ……あれ? ゆうかりん?」
「ごめん、やっぱり気持ち悪い」
「なんだとぅ」
「やっぱりねー、まんまはよくないよ! まんまじゃね、というか」
「何と言うか?」
「……気持ち悪い」
「君が勧めたんだろうが!」
「うぐぅ」
ゆうかりんは、二秒で二回りくらい小さくなってしまった。そして、霖之助はさらにもう二回りくらい小さくなっていた。
つまり恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
穴が無ければ掘ってでも入りたい。そこで休閑の名目に、三日三晩くらい見窄らしく引きこもっていたい。天を突く勢いを誇った情熱のプロミネンスは、萎んだゴム風船のように見窄らしく皺くちゃだ。
激しい後悔が押し寄せる。やらなければよかったやらなければよかったやらないかやらなければよかった。
嗚呼、二度とやるまいぞ。やるまいぞやるまいぞ。
霖之助はふと、男らしくないことを考える。一度粉砕した男の沽券というのは、果たして、再び拾いに戻っても良いものだろうか。天の神様に訊いてみたい、もし神が戻れると答えてくれるなら僕は戻る。恥も外聞もかなぐり捨てて戻る。森近霖之助、自分は今、長い時間を掛けて築き上げたものを進んで足蹴にしたのだと見つけたり。だから戻る。
大切だった男のプライドは羞恥の雑踏に躙られ、冷淡な泥の靴底に散々嬲られながら、自責と後悔が闊歩する哀惜の大通りに小間切れ状態で散乱している有様だ。りんこももか彦か。いやはや派手な惨状である。それでもそんな泥だらけの自我、言い換えて或いは颯爽と虚空へばらまいて粉雪のように散っていった自尊心の一片ひとひらがあったとして、それを脇目もふらず地べたに這い蹲って掻き集めている哀れなる男。やはり道行く人は、その零落した背中を指さして嘲笑するか。きっとそうだろう。男にとって、土下座百遍にも匹敵する最大級の汚辱である。
だがこれは仕方ないのだ。蛮勇を振り絞り一線を飛び越えた今しがたの自分の面影は、ただ目の前にある悪女の笑顔に絆されただけなのだ。人心を惑わす女の子の口車に乗せられて「りんこももか彦ー、ウフフちょっとカワいいかな」なんてあの時一瞬でも想ってしまった自分は絶対に、あの刹那あの時あの瞬きの間の一瞬だけ、何かしら突発性の高い熱病を患っていたとしか考えられない。先の自分はまず正常でなく、十五秒経過して既に忘れたくて仕方ない失態。こんなことで築き上げてきたものの全てを失ってしまうというのは、曲がりなりにも一人の男として誠に痛恨極まれる。誰か歴史を消してくれ。僕の頭の中の消しゴムを土足と拳骨と蝋燭とムチで突き動かしてくれ。どこかにこの、鴉のように真っ黒い歴史を芯一本残さずムシャムシャと食べ尽くしてくれるような、恰幅ときっぷと十二指腸の具合の良い妖怪は居てくれないか。それくらい居るだろう。幻想郷なんだから。
……ああ、案外居るかもしれない。居るかもしれないここは幻想郷という素敵な場所だ。本当に素敵だ。グレイトなのだ。僕の酔狂すら、何なら頭突きでも良いから誰か覆い隠してくれないか。
「……というわけで」
霖之助はずり落ちていた眼鏡を上に押し上げて、ゆうかりんに従容と向き直る。
「幽香くん、仕切り直しだ。方針転換だ」
「うーん?」
少女は空中に頬杖をついて、小首を傾げた。店の窓が、春風に吹かれてかたかたと呟いた。
ふと窓外を仰げば、麗らかで春色の昼下がりだった。木々がさわさわと唄うこんな日は、客足が乏しくとも幸はある。静かな店の中、窓から射し込む木漏れ日とそよ風に揺られながら、椅子に深く腰を落ち着けて本に目を通しているそれだけで、生きているという実感を噛み締めることが出来る。
季節はすっかり春なのであった。麗らかに暖気が催されている。木陰に留まり続けた根雪の欠片も、そろそろに雪融けとなって山を下った。閑かな店の外側で、雀の一羽が細く春を呼ぶ。
山際に桃色の兆候が、ぽつりぽつりと増え始める弥生の気候。
「分かった。それじゃあ、こっちの路線で香霖堂再興!」
叫び声で引きずり戻された視界のゆうかりんの頭に、電球が灯って見えた。
ぱあっと花の咲くその笑顔は、やはり霖之助の目に眩しくて。
「ぴきゅーん!」
「なんだいその擬音は」
「おいでやす」
「それは祇園だ」
「あははーっ。うん、いいこと、よーくよくよーく聞きなさいねこりんちゃん」
「……こりん、って僕の事か?」
「昨今は顔やスタイルが良いからって他人を惹き付けられる時代じゃないの」
「…………ほ、ほう」
なかなかに興味を惹かれることを言う。
唐突に活気を取り戻したゆうかりんに戸惑いつつ霖之助が首肯を返すと、ゆうかりんはふふん、と豊かな胸を反らして見せた。
「いいことこりん。ただ一本調子な色香や勇壮では、長い時間人間を繋ぎ止めるのは不可能よ。真実人を惹き付ける要素、それは一時の印象よりも恒常的な『幸福さ』。幸福は生きとし生けるものが、レゾンデートルとして追求し続ける究極の理想。目標。天地の狭間に生を受けた者が等しく流離うその顛末に見据える究極の南極点。前人未踏? 前代未聞? 空前絶後にそんなもの、格好良いスタイルや甘いマスクなんかじゃ絶対手に入らないわ。本当に、根源的に人を“幸せ”にするものは何か――分かるわね? 商売人のこりんさん」
そこで回答権を僕に委ねたゆうかりんは、その言葉に反し、僕が正答を表示することなど出来ないだろうとある種、高を括っている貌だった。まるで試すような、悪戯めいた貌である。
僕は内心、鼻で笑い返す。
商売人を前にして、見え透いた世辞や作り笑顔が罷り通ると思ったか。その程度で僕が、迷いを見せるとでも思ったか。
ゆうかりん。
君は、商売人が何より大切にしているものを知っているか。
「そもさん」
「説破、ゆうかりんくん。人を一番幸せにするのは――笑顔だ」
幽香の目は、くりっと丸くなった。
「きゃー、さすがりんこ!」
「だろうりんこ!」
「人に幸福をもたらすのは笑顔よこりん、大・正・解。笑門来福。笑うことが出来るというのは一番幸せなの」
「誠に同意だりんこー!」
商売の基本は笑顔。売る品物も笑顔、買う品物も笑顔。嬉しさと嬉しさの等価交換、それが商売の中の“笑顔”だ。
「そこでこりん」
「時にそのこりんこりんってのは、本当に何とかならないのかな」
「貴方に今、本当に求められているモノ。それは――笑いよ」
霖之助は、はぁ、と、ため息とも返答ともつかない、微妙な吐息をひとつ地面に落っことした。それきり、何とも応答する言葉に困り、煤けた天井の梁を当て所なく見上げたら世にも立派な女郎蜘蛛がお一方居らっしゃっていた。ちょっとびっくりした。
――お笑い、か。
自分でゆうかりんに意気揚々と答えを返しておいて、そのままの言葉が再帰性反射してくると、それは実に対応に困る言葉だった。
そういえば幻想郷も、昨今はお笑いブームと見える。霖之助が霊夢たちと関わりを持ち始めてからだけでも、幻想郷は奇妙奇天烈摩訶不思議と大いなる変貌を見せつけてきた。その歴史を俯瞰できるほど自分が長命を生きているという訳でもないが、それにつけても昨今は、奇天烈な連中が雨後の筍めいて増えている。一体どこの軍艦の大砲かと見まがうような自称オン柱を恥も外聞もなく背中に五本六本も突き刺してご登場あそばせた自称神様、括弧笑い括弧閉じる、或いは何かの冗談かと思うような目ん玉付き帽子、どう見ても東方ハンズで買ってきた宴会グッズとしか思えない間抜けな格好のこちらも自称神様幼女、括弧爆、またはよく分からないご趣味で蒼くて長細い蛇なんぞを髪飾りにつけてらっしゃる巫女っぽくて巫女でない中途半端な貧乳少女、果ては河童などと言う出オチも居た。あれは間違いなく出オチだ。まさしく幻想郷は今空前絶後、有史以来のお笑いブームの只中にあると霖之助には思われた。その時流に棹差すゆうかりんの戦略提起は、一方ならずなかなかに説得力を帯びている。
「而して、どうやって笑いをとるのかな。言っちゃあ悪いが、僕はあまり自分の諧謔センスに自信はない」
「大丈夫。その辺は私が何とかする」
「ほう――随分と、心強いじゃないか」
「だってそんなに身構えなくて良いのよ。かりん星から来ましたーなんてギャグで人間なんていくらでも釣れるのよっ」
だかられを明け透けに喋るなとさっき言った。
「お笑いとは、自分を切り売りする行為よ! 自制も自省も不要、可愛い顔して自分のこと『河童でーす』なんて、自虐にもほどがあるギャグで笑いを取る子まで居たわ! 我らに幸あれ! 行き着くところまで捻子の弛緩しきったこの、幻想郷レッドカーペットのご時世よ!」
霖之助は腕を組み、一つうーんと唸った。
確かに、そういう身体を張った笑いが罷り通っているというのもひとつの事実である。レッドカーペットだか緋毛氈だか知らないが、笑いの一環として見上げた根性だと思い、尊敬もする。だが、それとこれとは問題が違う筈だ。笑いが人を幸せにするならば、いくらでも笑いを取りたいと思う。だが僕は、芸人ではなく商売人だ。笑いの先にこそ目標がある。あの河童っぱーみたいな、根っからの女芸人とは基本的に生業が違うのである。
そりゃあ、彼女は彼女なりに必死にキャラを作ってる。なかなか出来ないと霖之助だって思う。あたし河童なんでーす、なんて、もう女の沽券を全て捨ててかからないと到底作れないキャラだろう。大したものだ、その自虐っぷりは万雷拍手の称賛に値する。今度直接逢うことができたら、称賛とねぎらいの言葉とを小一時間ほども語り握手を求め、香霖堂の倉庫で不良在庫と化している謎の鬱陶しいきゅうりコーラを三ダースほどでも差し上げたい。それくらい敬意を表す。
「……できれば僕は、もうちょっとクリーンな笑いが取りたいなーとか思ったり思わなかったり」
「笑いに王道無し」
む、ぅ。
「というわけで、私についてやってみてくれる?」
「……分かった。だが、商売の邪魔っ気になるような笑いの取り方だけはまっぴらごめんだからね」
「分かってる、って!」
ゆうかりんは、すっかり水を得た魚である。
――これも、我が身のため、なのだろう。
進退窮まった香霖堂を救うには、店主の霖之助が余裕の煙草を燻らせている暇はなかった。恥は一時だろう。今は堅忍不抜、遍く人間妖怪達の魅力をこの一身に蒐める術を編み出して、窮境の店内からそれを実践に移してゆくべきフェーズである。そのためなら、一瞬の恥は謹んで受けよう。前後を考えて余裕綽々でいられるような状態では到底、ないのだ。
その両目で香霖堂の実状を観ろ。四六時中、閑古鳥が我が物顔でのさばっているではないか。
「ではゆうかりん、いきまーす!」
「バッチコーイ」
ゆうかりんは両足をぴたっと揃え、両の掌を腿の前あたりでちょこんと組んで、霖之助と正対する格好で直立、静止した。
「にこっ」
小首を傾げて笑う。
そのひとかけの仕草だけで、霖之助は再び、眩暈ほどのときめきを胸に覚える。とてもお笑いを教えてくれようとしているとは思えない純粋な可愛さが、霖之助の胸を切なく締め付ける。
綺麗可愛いお淑やか、そんな手垢の付いた言葉では、形容するに力不足だった。美しさと可愛らしさ。大人っぽさとあどけなさ。相矛盾するいくつかの要素を、喧嘩させることなく同居させた名状しがたい無二の魅力。ゆったりとした仕草でそのままお辞儀するのも亦良し、折りしも店内に流れ込んだ風が揺らす肩口の髪も涼やかに、ふわふわと弱い波を打つスカートがまた健康的で、彼女は身体の前に両手の掌を組み、その股の前あたりまでゆっくりとせり上げられた組み手が何とも言えず蠱惑的で、
――その両掌はゆっくりと、股のちょうど真ん前で止まる。
それは観音開きに開かれ、
「おしゃまんべっ!」
……二人だけの時間が、止まった。
「さぁこりん、おしゃまんべっ!」
「…………」
霖之助、痛んだ。
今、神は死んだ。
「おしゃまんべっ!」
「……おしゃまんべ?」
「おしゃまんべ!」
「yesおしゃまんべっ!」
「OK、おしゃまんべっ!」
「オッケッケーイおしゃまんべっ!」
「森近サイコー! エビバディセイおしゃ」
「ちょっと待ってくれ」
君は馬鹿野郎か。
花開く春の季節に長万部である。卑猥な意味を微塵も込めることのない正真正銘満開の春、その只中に聳立するは百パーセント猥雑エキスの長万部である。薄紅色に煙る郷の風、閑かな木陰の佇まいは少しずつ温く、道行けば陽光が季節の変わり目を少しずつ諭してくれる爽やかな朝にうら若き乙女は股間に手をやって、それはまるで蕾が花開くように長万部。
そうそれは、秘符『ゆうかりんの幻想郷の開花』。
なんてエロスだ。
嗚呼、これも春だ。白鳥は北帰行。梅は千里に香り太宰府へ飛ぶ一頃、彼女の透き通るように真っ白な掌もふわり紙風船のように、きっと色とりどりに花びらを開くのだろう。
股間で。
「ゆうかりん」
「なぁに?」
「きみはじつにバカだな」
「……そんなこと言う人、きらいです」
ゆうかりんがふくれ面になって、かわいく怒った。
その声は桜のように怒張し、形相はマシュマロのように怖ろしく、気勢は起き上がり小法師のように鋭い立ち会いだ。触れれば壊れてしまいそうにとても可愛い。
さて――
さしもの霖之助とてしかし、やはり見逃すことは出来なかった。度し難い領域、というものは必ずある。一時は我慢することも考えたが、それはやはり、本人のためにならなすぎる。
霖之助は精一杯の憐情、でなくて誠意でもって、ゆうかりんの健気な卑猥さを鬼の心で諫めた。
「たのむ、長万部だけはだめだ」
柔和な表情から欠片ほどの羞恥も見せずに開け放った密林の萌芽、それはなるほど、ゆうかりんの語りし当初のコンセプトから寸分違うことなく、見る者の双眸を蜘蛛糸のように絡め取って決して手放さない。その意味では圧倒的なカリスマだ。当初の目標の数値は、少なくとも帳簿上確実に達成している。
だがそれは、断じて笑いという糸で絡め取った視線ではない。決定的に違う。解析してみると良い、お笑いという武器で鹵獲した視線にしては、きっとやけに爽やかさがなくてねっとりと鳥もちの様にまとわりつく、煩悩に満ち溢れた視線の筈だ。
レッドカーペットというよりはピンクネオンだ。根本的に違う。
「長万部をバカにしちゃいけないわよっ」
「別にバカにしてはいない」
ゆうかりんにカウンターで反駁。
決してバカにするものか。森近霖之助はそこまで落魄れた価値観を標榜しない。たとえその土地が読み仮名以外の諸情報につき幻想郷の内外に於いてまったく膾炙されていない哀れな地だとしても霖之助は真実を見失わず、そんな閑静な土地がどうしてあんな下卑なギャグの呼称に用いられてしまったのかと心底同情しつつ、北海道西部に位置する人口約七千弱でスキーヤー天国ニセコにも程近く漁業や林業が盛んである等と、公開投稿型百科事典サイトに基づきながら微に入り細を穿って、北海道はでっかいどーとらしくゆうかりんに雪や懇々と説明してみせるだろう。
だがゆうかりん、もう一度僕は――男として最後に徳俵、足一本で残ったその剣が峰の切っ先から、辛うじて理性と良識を奮い立たせて君に言わんとぞ思う。
「長万部は、女の子がやっていいギャグじゃない」
「あーうー……」
かわいらしい狐のように唸ってみせるゆうかりんであったが、甘えても許せないのは許せないのだ。
許せない、が……。
「いやいやいやいやゆうかりん、そんな哀しい顔をしてくれるな。ああ、勘違いしてくれるな。君の瞳の真っ直ぐさが、この僕にはあまりにも痛いよ。全く本望じゃない、何故ならきみはじつに素晴らしい。君の発想は瞳と同じく真っ直ぐだ。恥じらいを捨てた体当たりのその奥にこそ、真に人間を惹き付ける力があるというのは揺るぎない真理だ。
そう、誰しも役者は思い切りが必要だね。おっかなびっくりに演じる舞台で、脚光を浴びることなど絶対にないさ。役者は役に徹せよ。どきどきと萎縮しながら檜の舞台を踏んで、膝を震わせながらストーリーの主人公をピンスポットの中に演じたところで残念無念、君の眼前に拡がる無数の観衆の拍手は、恐らくそのほんの一拍たりとも本物じゃあない。そんなもの、幼稚園児のかけっこのビリと同じさ。心無い優しさじゃあ、胸に届かないだろう。打ち鳴らされる拍手はお座なりで等閑の拍手だ。ただ流れる時間を食いつぶすように、耳朶だけを慰める同情のための拍手だ。
そして君が――或いは僕が欲している拍手というのはそんな浅薄な代物じゃない、そうだろう?
僕は君を尊敬するさ。君が自らを道化とし、仮面を捨て、本性も捨て、人々の笑顔を掌中に導き入れるために道化の化粧だけをこの面影に塗り籠めるのならば『おしゃまんべっ』は、選りすぐり厳選素材の中でもピカ一、最善の一手ではなかろうかと僕も肯んじるところだ。たとえそのギャグの全盛期が昭和中期というかなりの年代物、由利某という芸名すらほとんどセピア色に霞んでしまった幻想郷中でもとびきりの歴史を誇るアンティーク・ギャグだったとしても、君が辿り着く一切の栄光に暗澹な影を落とすことはない。だからゆうかりん自信を持ち給へ、たとえこのちょっと卑猥な一発芸がせいぜい片手で足る程度の読者にしか創想話で知られていなかったとしても嗚呼嗚呼ゆうかりん、この僕だけは君の勇姿、嗚呼栄光のおしゃまんべを、この左右ふたつある網膜の更に奥の視神経繊維一本一本、枝分かれし脳髄に突き刺さる枝葉末節までに、早くも幻想郷へおいでになったH○-DVDでも抗い得ない最高画質にて半永久的に焼き付け記録せしめるとここに約定しようではないか!」
「さすが! 意味はほとんど判らないけどだいすき、こりん!」
やかましい。
しかし何はともあれ、事態は十中八九、これで鞘に収まるであろう。
健気に咲いている花は、無垢なるままで生き続けるべきである。かざみゆうかりんという穢れを知らない無辜の花が、心ない劣情の蹂躙で汚泥塗れにされていい道理はない。
少女の純潔を守り抜くためにも本意としては香霖、何としてもこのギャグをこの日限りでお蔵入りさせたいところだった。
しかしその上で、意味としては正反対のことをゆうかりんに告げている。それは、霖之助の中でも彼女を肯定する気持ちが芽生えているからだ。否定と肯定が同居している。霖之助はすべて分かっている、その上で長万部が、必要悪たる欺瞞であると判断した。何もかもを本音通りに語ってしまう必要はない。本音でない言葉が本音以上に本音を伝えることがある。霖之助のある種の欺瞞で、ゆうかりんが傷つかないならそれで良い。真実は時として人を傷つけ、嘘は時として人を癒す。方便の嘘は浄財だ。商売の真髄は誠意だが、それはいつ何時でも素直であれという意味ではない。それは愚直といい、誠意とは大違いだ。建前と本音の見せつけ合い、嘘と真実の押しくらまんじゅう。その中で、相手を慮るこの天秤さばきこそが『誠意』、商売人の真髄を見せつける部分なのである。
「……というわけでゆうかりん、それはある意味で立派な姿勢だが、やはりそのギャグは僕の目の届く以外の場所においては、ぜひ秘匿しておきたまえ。君は立てば芍薬だ。そんな身体を張った笑いを取る必要はないし、そんなことをすれば十把一絡げの有り触れた笑いの代わりに、君のかけがえのない魅力を激しく損なうことになるだろう。それは君の美貌にこそ惹かれた、例えば僕のように愚かしい男の視線からしても大変忍びない。君の勇姿は今、しかと焼き付けた。だからゆうかりん、それは僕相手のこれっきりにしよう。ああ、そんなに無理をしてくれるな。なんなら君のために僕こそが、道化にだって悪にだってなってやる。だから僕の面前意外では、今のギャグはお蔵入りを強く勧めるよ」
僕の面前以外での使用禁止。
これも簡潔にまとめよう。
――ゆうかりんの長万部は、僕だけのもの。うへへっ。
霖之助はひとりほくそ笑む。
狙いの商談は成立しなかった。だが、優れた商人は成立しなかった商談から得を得る。商談とは、相手にも得がなければ成立しない。だが破談になった商談からは、一方的な利益の搾取が可能だ。そこにこそ、財を成す商人と路頭に迷う商人の決定的な差が具現する。
霖之助、今回の戦利品はゆうかりんの股間御開帳独占権。
閻魔様に百回叩かれたっても、分としては悪くないだろう。
「さて……と。あまりやってると本当に日が暮れてしまう。カリスマだカリスマ、他には何か無いかな、ゆうかりん」
「笑いもダメとなると……そこでカリスマの達人が考えるのは」
とカリスマの達人は宣い、
「“驚”ね」
と、言葉を継いだ。
霖之助は頷く。
「なるほど驚きか。……手品か?」
「ビンゴ。世間は今、空前の手品ブームよ。それもこりん、あなたにとって好都合なことに、ニヒルなキャラクターがこの分野では寵愛される風潮にある」
「ありがたいねえ、そいつは好都合だ。…………好都合だがゆうかりん、残念だけどこれもお断り」
「ぇ~」
「遺憾ながら僕には、君たちみたいな魔力や妖力は無い。物の随を見極める程度の力で、そんなタネも仕掛けも無い手品なんてそう簡単には」
「あら」
霖之助が及び腰なことを言うと、ゆうかりんは不意に目を丸くした。
「今はむしろ、簡単なタネのある手品が持て囃されるのよ?」
「そ――そうか?」
肩すかしを食らい、霖之助の眼鏡がずり落ちる。
「そうよそうよ、その通りよっ。手品なんてタネがあってこそじゃないっ! どっかの勘違いメイドみたいにタネの無い手品やったって人間は驚かない、ただ狐につままれるだけよ。タネがあるからこそ、人はその真相を探ろうとする。そして惹き付けられる。手品ってのはね、必ずどこかにタネがあると分かってるからこそ惹かれるの。答えのない秘密なんてミステリーでも何でもない、答えのない数学の問題と同じ唯の意地悪じゃない。タネの無い手品やって人を喜ばせた気になってる奴なんて最悪よせいぜい自意識過剰で自己満足で、独りよがりで孤独で寂しい独り身の女でお気楽で世間知らずで貧乳で手品の真髄を見損なってる単細胞メイド野郎でしかないのよ絶対絶対に!」
「……ひどく特定性に優れたご意見だった気がしたが、仔細は聞かなかったことにしておくよ」
そうしておかないと、色々な意味で身の上に危険が及ぶ可能性がある。
触らぬ神は祟らない。しばらくはあの紅い屋敷の周囲を出歩くのを止めるとしよう。夜闇の中で背中に気を付けながらこそこそ歩き、ふと気付けばおでこにぴょっこりナイフが刺さってってあらーなんだ前におられましたのねーアハハ、等というファンキーな人生の幕引きだけは、謹んでご遠慮申し上げたいところである。
「というわけでこりん、今から手品の特訓を」
「いやいやゆうかりん、タネがある手品はもっと難しいさ。生憎僕は、生来の不器用だ。そう簡単に手品なんて芸当が」
「あら、こんなところにハンカチが」
店の棚に並んでいた、白と橙の縞模様のハンカチが一枚、ゆうかりんより投げ寄越された。
これで手品をやれという事なのだろう。売り物としてはゆうに半年以上店の棚に鎮座し続けている、まあ俗な言い方をすれば不良在庫の一品である。値札の半額で捌ければもっけの幸いと言える程度の古びた商品でありそして、タテジマのハンカチだ。
縦縞。
……僕はそれを、掌の中に丸め込み。
「――このハンカチが、あっという間に横縞に!」
「きゃあっ! すごいわ、こりん!」
「ゆうかりん、無理をしなくても良い」
結局お笑いの路線に戻っているじゃないか、と言及するのは酷というものであろう。
「大丈夫こりん。今は個性の時代。幻想郷は全てを受け容れる、それはそれは残酷なことですわ」
「盗用の科白でしれっと言われて納得できる意見じゃないし、そもそも残酷ってなんだフォローになってないな? ……そういえば、何よりこのマジック自体パク」
「何か?」
「……うん、そうだ! オリジナリティが足りないのさゆうかりんっ」
瞬間、僕の脳は電撃のように閃いて、TNT爆薬のようなアハ体験を脳髄に叩き込んだ。
「ゆうかりん、ひとつ折り入って相談があるんだが」
「なぁに?」
「君のスカートを捲らせてもらいたい」
僕は誠意を込めてゆうかりんに訊き、
「やっ……だめぇ……」
頬を染め、スカートの裾をきゅっと掴んで俯き伏し目、
うひゃあ、我慢できねえ!
忽ち韋駄天の速度でゆうかりんに近づいた後、僕は一思いに、ゆうかりんのスカートを捲り上げる!
そこにはきっとある。男の夢がある。喩えるなら淡雪の白色と蒼穹の青色が共生する天人界そう魅惑の薄布、二色が縞模様を織り成す、理性から情欲への横断歩道その名も縞パンがご開帳であるに相違ないっ。
森近霖之助一計を案じたのはこうである。模倣がダメならオリジナルで行けばいい。人と同じがいやなら、オリジナルの手品でオリジナル笑顔を勝ち取って駆け抜ければ良いではないか!
「あなたのこのパンツの横縞を、たちまちのうちに、縦縞に変えてみせちゃったりしちゃいましょう! ヒャッホウ!」
霖之助マジックショーは神秘と神秘の融合がテーマである。タネも仕掛けもあってないような、それでいて人の目をオリハルコンの鎖鎌並に繋縛する乾坤一擲の妙手である。どうやって縞の方向を変えるかなんてまだ何も考えていない。そんなことはどうでもいい、出た所勝負で体当たりだ。具体的には、脱がすか脱がすか脱がせれば良い。
「ヒャッホウゆうかりん!」
「いやぁん! 私の下着の前に、あなたの瞳の輝きの方がずっとヨコシマよーっ」
「……ありがとう」
終わった。
以心伝心のそういうオチである。
振りの長さに対して落ちが一割半。終わりは呆気なく、そしてただそれだけだ。
「というわけでゆうかりん、手品も僕には合わないとおもう」
些か以上の諦観を込めて、霖之助はゆうかりんに告げる。
手品というのは思い付かなかったが、しかしあまりに思い付かなすぎた。度を超えた突拍子さであった。店に訪れてくれる客にいらっしゃいませと店主がハンカチから花束を差し出したなら一瞬の惹起にはなるが、それは文字通りほんの一瞬である。幻想郷という場所は、不用意に変な能力に長けた人材が豊富なのだ。巷に転がってるような手品程度では太刀打ちの出来ない図抜けた連中が沢山居る。下手をすれば運命を操るだとか奇跡を操るだとか死なないだとか、もう手品とかそういう領域を越えた超術を見せつけてくれたりするのだ。
手品で客を引くというのは、幻想郷の場所にあってはこと、相手が悪いとしか言いようがない。
そうだろうゆうかり
「……ああん、もうっ!!」
瞬間。
ゆうかりんが突然、叫んだ。
手品政策に対する霖之助による拒絶告知、その触れとゆうかりんの悲鳴は完全に重なったタイミングで発生した。
悲鳴と言っても悲鳴でなく、無駄に色と抑揚の付いた、早い話が艶のある嬌声で意味もなく卑猥な感じである。
えろい感じだ。
「人にカリスマを与えることの何たる難しさ! どうしてカリスマが得られないのよ!」
「それは僕が悩んでたことなんだけどね」
「ちがーう! ちがうちがーう!! 霖之助、私が悩んでるのは他ならぬあなたに魅力がないからよそんな百円均一の花瓶みたいな格好して!」
ひどい。
いや、花瓶は初めて言われたなあ。
「下手な手段に訴えるのはやめ! これから貴方を改造するわ。略して勝手に改造!」
「略じゃない上にオマージュだ」
「まずその霖之助って名前! そんなジジムサい名前してるから若年層に受けが悪いのよ!」
「斬新な意見だ」
「もっとクールで感動的な名前にしなさいよ森近霖之助エタノール!」
最初から間違えてんじゃない。
残念、これも却下。
「ならばならば! 時代は最早、人間に癒しを求めない!」
「発想の転換だね」
「町中をご覧なさい。着たくも無い服を無理矢理着せられている愛犬、人間よりも上等な魚でのうのうと肥大化の一途を辿る愛猫、さらには野生本能という野生本能を三代前の母体内に投げ捨てたまま、動物園という鉄格子の世界の中まるで別の生き物のように死んだ目をして生き続ける小動物大動物」
「……幻想郷に動物園なんてあったかね?」
「あるのよ」
あるのか。
「じゃあなにか、僕に動物になれというのかいゆうかりん」
「こりんのお店の人気のためよ」
「わかった」
「星の数をも超える遍く動物達の中でも、圧倒的な、正しく桁違いの人目を引きつけて生きる動物! 私考えたわこりん、あなたの悲願に合致する最高の動物が、艶やかな毛並みであなたを待っている」
「ほほう!……毛並み?」
「こりん、時代は馬よ。ターフを駆ける風になりなさい!」
「馬……?」
……
……
さあ各馬一斉にスタート! 春の幻想郷に風を切る幻想ステークス皐月賞であります。天候晴れ、追い風二メートル馬場はやや重に気温十二度と花冷えでありますがさて一番人気は青枠八番ハイセイコーリン現在馬群の一番先頭を行きます、一番手を早くもとりましたる本日は快晴、春百花繚乱の四月、観衆
……さあ各馬早くも第四コーナー回ってまいりました依然先頭はハイセイコーリン、ハイセイコーリン先頭だハイセイコーリンがバックストレート二位との差は二馬身か三馬身か、残り四百を切った最後の直線ハイセイコーリン逃げ切るか、鞍上風見の鞭も撓りましてハイセイコーリン十八頭の先頭を行きますがさあーここで後ろからマリサブライアン! マリサブライアンが来た! 先頭ハイセイコーリンその後方六馬身、大外からマリサブライアンぐんぐん加速だーマリサブライアンあっという間にハイセイコーリンとの差が三馬身二馬身さぁとらえたとらえた、とらえてそのまま一気に抜き去ったー! マリサブライアン脅威の末脚でありますマリサブライアン先頭! マリサブライアンが先頭に立ちました! ハイセイコーリン伸びきらない! ハイセイコーリンそのまま馬群に沈んで先頭は無敵のマリサブライアン! あんたが主役だマリサブライアンだー完璧に差し切っての幻想皐月賞制覇だ、最高のレースでありましたマリサブライアンが今一着でフィニッシュッッッ!!
二着にレームインパクト!
「待とうか」
人気商売に王道無しとはよく言ったものだが、冷静でさえいれば見えてくる簡単な世の摂理もある。それはつまりこういうことで。
どう考えたって馬でカリスマは取れないだろうゆうかりん。虎の穴の門戸を叩く前に馬になっては世話もないなあ、と、そんなことは常識で考えれば分かる話だ。
あとそんでもって普通に一着を逃しているというのはどういう了見だハイセイコーリン。ってかマリサブライアンって何だ。一体どっから来た。そんな文字通りにどこの馬の骨とも知れない奴に、しかも普通に負けてるんじゃないよハイセイコーリン。序盤から飛ばして明らかに疲れてるではないかハイセイコーリン、ついでに二着すらも逃してるとはまったくダメ駒も甚だしい。戦場に駆り出そうものなら、千里の道の六里目くらいで青息吐息、精根尽き果てくたばってるのがせいぜい関の山に違いない。赤兎馬のおやつにでもなってるがいい。
霖之助は必死に想像力をトップギアに入れて考えてみるが、どう足掻いても馬になった自分がカリスマを取るイメージ画像が、輪郭を得る気配はなかった。散々考え尽くしてようやく思い付いたことはといえば、若気の至りに染め抜かれた青春まっただ中の学園祭の二日目くらいに現れる、あのどこで売っているのかさえ分からぬ謎の馬の被り物ただ一点である。あれのどこがカリスマだ。或る日あれを被って「どうもいらっしゃいませお客様」とここのカウンターで霖之助が客を出迎えようものなら、無辜の市民の恐らく九割五分までが泡を食って昏倒するだろう。しかる後に彼らを敵に回す。幻想郷のすべてが香霖堂の敵となる。村の自警団とかそんな感じの、勧善懲悪を渇望する人間界のヒーロー達が幻想郷全域で敵となる。完全無欠の変態妖怪と間違えられた霖之助は散々石とか色々を投げつけられ、日頃から正義感の篤さには定評のある幻想郷生協の
「はぁ……」
ふと、ゆうかりんの声音から覇気が消えた。
憮然としたまま厩舎に戻されようとしていた霖之助の意識は、そこで現実の店内に引き戻される。
霖之助は、床にへたり込んだゆうかりんを顧み、息を呑む。その姿は見窄らしく、覇気の欠片もなく、嗄れた老人のように小さかった。従前自信に満ちあふれていたゆうかりんのオーラからは想像も付かない、弱々しく、壊れてしまいそうなゆうかりんの姿がそこにあった。
「私、もうだめ……」
「え」
「こりん、ごめんね……わたしは貴方の役には立てない」
ぺたり、とゆうかりんは店の床にへたり込んだ。その目は伏され、長い睫の微かに濡れて、ふと霖之助は春に咲き誇った花が夏に枯れ落ちてゆくような、下賎な想像を浮かべてしまう。
「そ、そんなに落ち込まなくても良いんじゃないかな?」
「いいえ。貴方は私を頼ってくれた、だというのに……結局色んな事をしても、あなたは垢抜けなくて泥臭いままで、店に客の来る気配もなくて本人の貧乏くささもまるで払拭できなくて、いくら素材が劣悪だったと言ってもカリスマのカの字も賦与できなかったのは未熟さ故の不始末。私のせいだわ、私の……」
「……悪意は無いんだよな、ゆうかりん」
取り乱し、思い付くがままの言葉を方々に撒き散らすゆうかりんを、霖之助は必死で宥めた。背中をさすり涙を拭くハンカチを渡し、意味もなく扇子であおいであげたりしながらただ一言を内心で自らに言い聞かせる。
悪意は無い。ゆうかりんに悪意は無い耐えろ霖之助。キレるな。耐えるんだ。
カルデラのように凹んだゆうかりんに、霖之助はあれこれと方策を巡らせる。こんな時だぞ霖之助。男のカリスマを見せつけるのは、こんな時こそ一番なんだ。涙に暮れる可憐な少女、その塗れた頬をそっと乾かしてあげる素敵な決定打はどこにある。俄にさざめく涙雨の雲をからりと晴らし、雨のち晴れの爽やかな虹をゆうかりんの笑顔に架けてあげるのが男の勤めだろう森近霖之助。
「……ああ」
しかしダメだった。とても無理だった。泣かしてしまった女の子は、ただの女の子ではない。こんなにも可愛い女の子を泣かせてしまって、平静でいられる男などいるものか。守ってあげたいその泣き顔に、しかし何一つとして力になってやれず、心の中で猛烈な後悔と罪悪感の呵責に苛まれながら自らの無力を呪うのだ。ゆうかりんの纏っていたカリスマは、それだけの力があったのだ。こんな女の子を泣かせてしまったら最後、世界のどんな男だって
「――――お邪魔申す」
その時。
きい、と、店の扉が開かれる。
「………………ご無沙汰しておったな、ご主人」
徐に響いた声の渋みを――森近霖之助、忘れるはずもなかった。
忽ちに蘇る光景は、遥か彼方へと通りすぎた昔日の夏の夕。鮮やかな緋色に照らされながらあの日、一片の恥じらいや謙遜もなく互いの矜恃をただ隆々と見せつけ合った、友情と信頼と好敵手のしるしの瞬。
霖之助の双眸の奥深く灼き付けられた歓喜の景色は肉体が織り成した陰影芸術。深く刻まれた老顔の皺、それを更に越える深みで刻まれた腹筋の三筋がなぞるコントラストの誘惑に、分厚い胸板、僧帽筋の汗に輝いた夕陽がひとしずく滴る。醒めぬ夢は甘美な抱擁。千切れそうな理性と筋骨の共鳴、そして男の孤城に下垂れる薄い布一枚。
あの日あの時。
二人は確かに、互いの永遠をグリセリン的な意味で誓い合ったのだ。
「魂魄……妖忌殿…………」
口に零した名前は時間の雪を融かし、すべての記憶に色をつけてゆく。
森近霖之助、その者青き衣を身に纏い、しかしその下では既に堪えようもなく、大胸筋が左右交互にぴくぴくりと鼓動に嘶いている。
「店主。おなごを、どうされた」
「は……まことに面目ない。それがしの不覚に」
全ての年月を見通すかのような老爺の慧眼は、程なく店内の床にうずくまる、可憐な花の一片を捉えた。
時、折りしもかの肉体の競宴と同じく、斜陽の光が次第に黄昏の味を帯び始める夕まぐれの頃である。麗らかに注いだ春の陽光はいつしか西の稜線に近づいて、窓の光は金色に変わり、静寂の空間にたださめざめと、可憐なる幻想郷の花が雨に濡れている。時雨そぼ降る細い泣き声、萎れた息遣いの弱々しく、震える肩の寂しさは晩秋の薄に似たその寂寞の姿に、老爺の穏やかな視線が静かに注がれる。
「お嬢…………これを」
その時はさりと、軽い衣擦れの音。
霖之助は窓の光に煤けた老爺の背中に視線を転じ――そこに、静かなる虹を確かに見た。
はだけられる旅装束、浮かび上がる巌の肌に風がひらりと舞い、微かに揺れたゆうかりんの緑髪と股間の布帛と金色の影に大きな三角の耳が二つ。
老爺の頭で少しだけ揺れた、三角に立てた耳。嗚呼それは猫の耳。
老爺は静かに、涙に噎ぶ少女の肩へ掌をそっと添えて、
「
日本の第九交響曲であった。
遍く神々をも沈黙させ傅きに誘うであろう、圧倒的な完成度の芸術の具現である。隆々たる筋骨は老境を迎えて尚衰退の二文字を知らず、溢れ出づる漢の色気に筋肉の孤城と風雅な白髪、額の皺、深く刻まれた眼孔の奥に炯々と輝く剣士の瞳の輝きの頭の上にネコミミ、森近霖之助の驚嘆、それを敢えて言語に形容する無粋な手段に訴えてしまったならば、
「ネ……ネコミミマッチョ=妖忌!」
老爺は、艶のある笑みを浮かべる。
「ふ…………さぁ、風見のお嬢さん」
褌一丁、凛々しく肉体を黄昏の光に泳がせるネコミミ老爺の嗄れ声が、頽れていたゆうかりんの頭上に降り注いだ。
軋むように霖之助の心を締め付け続けていた哀しい泣き声が、その瞬間、射竦められたようにぴたりと止む。
か弱き花を濡らした驟雨は、ただ一陣の風によって北へと去ったのだ。それは伝説の男である。ふと全ての自分を取り戻したように大きく目を見開いた春の花、風見のゆうかりん、温かな陽光にいざなわれて蝶の舞うが如く、ひらり濡れそぼった睫毛をしばたたかせて後ろを顧みるそこに、ゆうかりんもまた、遥か圧倒的なカリスマの顕現を目の当たりとする。
「あなたは……ネコミミマッチョ=妖忌……!」
彼女もまたその御名を口にし、そしてそれきり言葉を失った。
熱病に浮かされたような恍惚とした、焦点の合わぬ瞳でゆうかりんは救世主を見上げていた。萎れていた花に降り注ぐ力強く凛とした視線は、さながら太陽であった。皺の数が告げる年月、確かな長久を生き抜いてきたことを証す古の武士の魂を身体全体に漂わせながら、ただ必要以上の物を言わずネコミミ妖忌は静かに頷き、ゆうかりんの左手を静かに掬い取る。
「大丈夫かね」
「あ……はい……!」
ゆうかりんは頷き、
「素敵!」
「ああ……!」
瞳を潤ませるゆうかりんの横、霖之助も頷いた。
霖之助もまた莫大な感情を胸の内に持て余した。絶望の淵に泣き濡れた少女を数瞬で助けた老爺は褌と足袋とネコミミ以外の何物をも身につけておらず、それでいてまるで王女を助けた王子様のように凛然とした笑みを浮かべたら、その厚い胸板にゆうかりんを悠然と招き入れる。風もないのに白髪が揺れる。意味もないのにニヤリと笑う。大宇宙の包容力すらを思わせるその光景にゆうかりんは包み込まれ、銀河の褥に抱かれるが如く安堵したような、晴れやかな泣き笑いを浮かべて胸板に身を預けた。眺むる霖之助、心地よいとすら形容できる、惜しみない敗北感を噛み締める。
「これがカリスマなのですね……妖忌殿……」
「ハ……世迷い言を」
抱き留めた少女の小さな肩越しに、妖忌の前歯がきらりと光る。
「拙者の新たなる姿を、そなたは認めてくれるか――」
「当然です――御仁――」
「あれより一年余り。求道に身を焦がし続けた時はいと疾く過ぎゆくとも嗚呼、五里霧中、果ても答えも見えぬその求道の中と雖も――しかし、旅すがらに出逢ったそなたの筋骨だけが儂の脳裡に爛々と滞っていた。しかるに、儂は耐えることが出来た。そなたともう一度、互いを礼賛する一瞬がくるのを儂は待ち続けながら、辛い修練や艱難辛苦にも耐えてこられた」
「……光栄です」
「……拙者は遂に悟ったのだよ」
「つまるところ、それが……」
その、ネコミミですか。
「左様。儂はこの漢の城にて、いかに他者を魅惑するかを考えて旅を続ける。して肉体とは――――答えのない宇宙と、見つけたりィッ」
「完璧です!」
勝ち鬨を思わせる妖忌の咆哮、ここに霖之助の感嘆が折り重なるまで時間は一秒とかかることがなかった。天に突き上げた握り拳は巌のように固い。
霖之助の懊悩は、既に夕陽の中へと溶けた。心はとても晴れやかであり、黄昏色の虹は香霖堂の前途を洋々と照らしているかの如く眩かった。
「私は……妖忌殿、私も、思い悩んでおりました」
「ほう」
ネコミミマッチョ妖忌はうっすらと目を細め、胸に抱き留めたゆうかりんを身体から離すと、武士道仕込みの摺り足で向き直り、霖之助の笑顔に正対する。
「人を惹き付けるその力というのは如何にして体得するか……それを私は、ここ数日漆を塗り籠めるように、この身体この心で考え尽くしてまいりました。さすれば、この香霖堂といううら寂れてしまった大切な店をも救うことができると。つまりはそれが、私の悩みでございます。
私はとうとう、今日今この時まで、魅力的になることが出来ずにおりました。老若男女の垣根を越えて、人という遍く人を惹き付けるカリスマとは一体何なのか……それだけをただ、私は探していたのです。
ですが、私ひとりにては、その答えをついぞ究明至らしめることが出来ずにおりました。まるで陽炎を追い掛けたメロスのように、私は何一つ誰一人惹き付けることなど出来ぬままに、今日はこうして幻想郷の美少女を一人、哀しみの涙に噎ばせてしまったのであります。どこに答えがあるのか分からぬままに、私は暗い道を手探りで進み続けていたのですが――」
霖之助は言葉を止め、一歩前に出る。
「妖忌殿、本当にお久しぶりにございます。それがし、遅きに失し恥ずかしながら、貴方に助けられました」
腕を伸ばし、そっと老爺の頭に触れる。
「真のカリスマは……猫の耳…………」
「左様」
妖忌は深く頷き、床の上に放り散らしていた自らの旅荷物を風呂敷にまさぐる。そして取り出されたるは新たにもう一つのカリスマ、妖忌の青に好対照の対を為す二人でひとつの桃色ネコミミに霖之助の顔色が喜色に染まる。霖之助の心中は草原を渡る春風に似て晴れがましく、今日つい今しがたまでに胸を悶々と支配し続けた苦渋は遠く東に去った雨雲に同じだった。萎れた花はゆうかりんのみにあらず、そして太陽の恵みを身に受けて再び空を目指し茎を伸ばし始めた健気な花もゆうかりんのみにあらず。
霖之助は徐に、自らの青き衣をも床に打ち捨てる。人生の先達にして筋肉の権化、幻想郷の生きる芸術の無骨な掌より、その神々しいカリスマの武具を下賜賜る。
「結局のところ――、漢はやはり」
「左様。肉体よ」
服を脱ぎ捨てたらば心は裸。唯の一つも悩み苦しみのない蛋白質のニライカナイ、毅然と光り輝く黄昏の光は霖之助の引き締まった大胸筋に生えてさながら世界の果ての極光のように、きらきらと正絹の煌めきを帯びて寂れた店を支配した。ここに二人の漢は、一年と六ヶ月の長き時を経て再び相並び立つ。あの日見せつけ合った互いの肉体は、さも当たり前のように衰えることなく未だ褐色の魅力を存分に匂い立たせながら相手の心音に共鳴し合う。大胸筋が、ぴくぴくり。
「魂魄……ネコミミマッチョ=妖忌殿……」
「森近……霖之助、香霖堂店主」
互いの力を認め合った二人が、互いの存在を確かめ合う。そこに無駄な言葉は、何一つ必要なかった。
互いがここに存在することを証す、各々の名前。そして名刺代わりの筋肉。
それだけが、幻想郷を支配するカリスマ、漢たる漢が意地と矜恃にかけて護り続ける、漢のしるし。
長い時を経た再会の時は、互いに懐旧の言葉一つもなく、温める旧交の握手一つもなく、ただ褌一枚漢の巌肌を天に向かって聳立させたら、あとは互いに頷き合うだけであった。それで全てが理解できた。
「……来?」
「……来。」
二人は向かい合う。
魂魄妖忌と、再び相見える倖福の時を。
「来?」
「来……」
麗しい日和。
二人は、筋肉で向かい合いながらもののふの笑み。
「……ぁ来?」
「……ぁ来」
「……らい?」
「……らい!」
「ぉぅライ!?」
「ぉぅライ!!」
「「ぁライライライ」」
ラララライ! ラララライ!
「お二人とも、仲が宜しいのですね」
再会を味わう二人の隣、しおしおと立ち上がったゆうかりんが小さく呟く。
「仲……否、そういった俗世的な言葉では」
「ええ、形容することは出来ませんね」
両翼の好敵手は、相互の顔を睥睨してそう嘯いた。褌一丁である。はぐらかされたゆうかりんはしかし尚微かに恍惚とした表情、一分前まで優男だった筋骨隆々の店主一名並びに、不意に登場した旅さすらいの老剣士一名を交互に見つめながら、惚けたようにうっとりとした嘆息を一つ二つと零し落とす。
「じゃあ、私も……」
果たして直後。
その瞬間、霖之助は、ゆうかりんの呟いた短い言葉の意味を掴みかねた。
「お仲間に加えて頂けますか」
目を覆う間隙も無かった。うら若き乙女、幻想郷のアイドルを御自ら標榜する風見のゆうかりんがそのお召し物を細指ではだけたその瞬間に、二人の男は視線を逸らすこともなく、ただ眼前で展開される光景を淡々粛々と受け止める。卑俗な意図は誓って無い。ただ粛然と受け止めてしまったその理由、鑑みれば肯んじる、さながら設えられた舞台の如き荘厳厳粛な店内の空気にあって、己の包み隠さざる肌を晒すという行いそのものが、一縷ほどの劣情をも孕んでいなかった証左でもあった。
静かに衣を脱ぎ捨てたゆうかりんの裸身が夕凪に佇み、霖之助の呑み込んだ息の音は風が微かに運んだ。力強さ逞しさ、カリスマに満ち溢れた漢二人の閉鎖空間に割って入るその桃色のカリスマはやはり花のように煌びやか、夕刻の凪にさながら花の香りを纏った春風を運ぶが如くに輝いて、きららと前髪の光に塗れてふわりと柔らかい笑みに真っ赤なビキニの水着。
「……いや、どうしてそんなものをお召しになっていたので」
「幻想郷のアイドルはいつでも水着になれるよう準備してるのよ、こりん」
ぬけぬけと嘯いたゆうかりんの華やぐ笑顔に、先程までの哀愁は最早微塵ほども残っていない。そこには来店時の、霖之助を虜たらしめた幻想郷のカリスマ伝道師風見ゆうかりんが今再び蘇っていた。
「女人……そなたもなかなかに、良い身体をしておられる」
「でしょ?」
渋く呟く妖忌の声に首肯する、ゆうかりんの幼げにはしゃぐ声が何とも対照的だった。それは動と静、或いは万物創世の時代に遡りてはアダムとイブの具現かと思しき肉体の造形美、それは即ち悠久の生命の営みを見る者全てに連想せしめるほどに好対照の、しかし紛れもなく、やはり互いの肉体の矜恃である。無駄な肉のないスレンダーなるゆうかりんと無駄な肉しかない二人のマッチョマン、幻想郷の神秘を今すべてここに集約し、幻想の万屋香霖堂の店内は肉体の虹色に溢れ返る。
妖忌はとても満足げにゆうかりんの肉体美を視線で称賛し、ゆうかりんはさもどうだと言わんばかりの弾ける笑顔で豊満なる双丘をぐいぐぐいと逸らして競演していた。霖之助はそこに、赤と青二色のカリスマという答えを得る。
真の頓悟はここにある。
閻魔庁にも天竺にも無かったであろうパラミータの最終解脱が今ここに降臨しているのである。ここは香霖堂に降臨、香霖は瞳を涙に濡らしながら、妖忌とゆうかりんが織り成すユートピアへの門へと一歩二歩歩み寄る。
「それでは、私も」
霖之助は改めて、妖忌より受け取った代物を装着する。
老侍魂魄妖忌の頭上に映えるとはまた違った魅力を醸すであろう桃色の獣耳、艶やかな銀髪と若さ故の引き締まった肉体に絶妙な味わいを孕ませるそれはネコミミ、漢のカリスマの頂に登り詰める最後の決定打はこの甘美にして荘厳なるカチューシャ、そっと頭に載せたならばここに地中海の風が吹き、七つの海を吹き渡る鮮やかな海風となって霖之助の恍惚は世界を巡る。彼は今風になり、雲になり、すべての快楽を裸一貫にネコミミという格好で体現しているのである。徐に店の棚から自前のネコしっぽとネコ鈴を取り出してきて装着すればもう誰の諫言も挟み込まれる余地を与えない圧倒的な前衛肉体芸術の完成である。頭の中の姿見に森近霖之助は我が姿を思い浮かべ、堪えきれぬ笑みに頬を震わせる。
幻想郷の茜空にそびえ立つソは褌、ネコミミ、そしてネコ鈴ネコしっぽのみを裸身に巻き付けた得点力の高い姿で己の筋肉を誇示するのである。隣では感心して顎髭をさすり続ける好敵手のネコミミマッチョ=妖忌、更に隣には最後に一片現れた花弁ふわり、漢と違った肉体のカリスマを身に纏いさながら後光の差すは幻想郷のアイドル風見ゆうかりん。
「素敵よ……こりん」
「君もだ……ゆうかりん」
「見違えた……貴方にもう、かつての面影はない」
「君もだよ……君の身体もまた時代を超えて聳え立つ天下の青嶺、幻想郷の青空を突く富士が一つに相違ない」
知らず知らずに握ったゆうかりんの掌を霖之助は、マッチョ妖忌と等しく並び立つ生涯の
霖之助とゆうかりん、ただ何も言葉を必要としないままに二人は互いを抱擁した。
「すきよ……森近ハーマイオニー……」
「僕もだ……風見オーマイハニー……」
霖之助は噛み締める、自分達は生涯すべて未熟者のまま歩めるに違いないのだろう。幻想郷でよもやこれほどの強者に出逢えるとはと間隙に噎んだ妖忌とまた異なる肉体を見せつけてくれた風見幽香、その紅蓮の炎を思わせる煌々とした魅力と色香に霖之助は蕩かされながら、きっとあらゆる理想郷を探し当て、この小さな世界と短い時間を求道に旅してゆくのだろう。
誰しも皆旅人であり、そして運命の交差点で巡り会うその誰かに一人残らず森近霖之助は、きっと一人残らずこう言い続けてゆくだろう。この閑かに寂れた店でカウンターに座りながら、来訪する買い物客のすべてにこう言い続けてゆくだろう。
キミの肉体を魅せてくれ。
そしてこう続ける。
嗚呼、キミの肉体に出逢えて良かった。と。
「素晴らしい」
老侍の声が、霖之助とゆうかりんの歓喜に割って入る。
「拙者も――御主らのその幻想郷に、加えてくれるか」
霖之助は微笑んだ。あの日と同じ、互いを礼賛する漢の笑み。
「――了承」
人差し指を立てて小首を傾げた微笑の自分は、ちょっとだけでも可愛かっただろうか。
一日の佳境。陽は落ちてゆく。
そこに三人を隔てるものは有形無形すべて無くなり、いよいよ茜色鮮やかな夕陽の海の中に、三人のもののふはとうとう、一つ輪の中に抱き合った。腕と腕を組み肩に回して、三本の光が筋肉のマスタースパークとなって幻想郷の夕陽を撃ち抜いて、夕焼け子焼けの幻想郷が歓喜の一色に染め抜かれてゆく。
――最初からこうなることが――
「決まっていたみたいに――」
「うむ――」
――違うテンポで刻む
「鼓動を、互いが聴いてる」
「ええ――」
――どんな言葉を選んでも
「どこか嘘っぽいわ」
「む――」
――霖之助に書いた手紙
「ぐちゃぐちゃに丸めて、捨てても宜しいかな、もう」
「はい――もう、こうして逢えたのですから」
老爺の瞳は歓喜の光、アイドルの瞳は感激の泪、そして店主の双眸には、前途洋々たる香霖堂の未来が映し出されて虹色の夕焼け。
すべてが歓喜のしるし。すべてが尊敬のしるし。
そして――――すべてが、互いを認め合う、熱き侍魂の、しるし。
――心の声は
「キミに、届いたね」
「うん!」
「沈黙の……」
「……唄に、載って」
「――うむ」
…………嗚呼…………!!
♪
香霖、香霖……!!!
色んな角度から
キミを、見
妖夢来ちゃ駄目wwwwww
類い希な文章力と妄想展開力と語彙力に嫉妬www
最後のたった一言で爆笑したwwww
ブラボーwww! ブラボーwww!
……謝罪と賠償を請求させて、ハーマイオニー……
きが くるっとる (誉め言葉
必死で堪えてたのにネコミミマッチョ妖忌に全てをもって逝かれたwww
>巫女っぽくて巫女でない中途半端な貧乳少女
やった……やっと貧乳と言ってくれる人に廻り合えた……。
妖夢見ちゃらめええええええええええ
こういうのもありかな、と。
最高という感想と最悪という感想を足して2で割って、
いくらなんでもこの幽香りんは許せんという感想を差し引いてこの点数で。
とりあえず腹筋は鍛えられました。
全俺が吹いたwwwwwwお茶かえせwwwwww
これはセンスが良過ぎるw
よくぞここまで書けるものですね。
ただ言えることは…
おまwwwネコミミwwwwカオスwwwww
まぁ何を言ったトコで笑い転げた以上 素直に負けを認めますwwww
圧倒的ボキャブラリーと狂気的ハイテンションが織り成す
絶対的混沌空間。なんてカオスだ・・・w
「幻想郷は全てを受け容れる、それはそれは残酷なことですわ」
ゆかりんの言葉の意味がようやく理解できたw
腹筋を返せwwwwwww
第二部への伏線ですね、わかります
噴くためにある、ということを認識しました。
おしゃまんべっ ←聞いたことはあったけどそういうことか!
笑いが倍率ドン、さらに倍でも追いつかん。
才能の無駄遣い 乙(←褒め言葉)
お願いします、弟子にして下さい!!!
とりあえず妖夢逃げて妖夢
嗚呼、その文章力が喉から手が出るほど欲しい……
にもかかわらず、その豊かな表現力で書いた作品がこれかw
謝れ!!俺に謝れ!!ww
とりあえず、最後の場面想像したら、泣きたくなってきたww
頼むからまともな妖忌×香霖を書いてくれええええ(涙)
前作とのギャップは一体なんなんだwwwwwwww