切り刻まれた野菜が、浅い鍋の中に投げ入れられる。
油の敷かれた鍋は、それと同時に勇ましい音を立て野菜達と共に踊る。
少しばかりの時を置き、ざっと醤油を掻き入れ、塩をひとつまみ。
粗野だが、なかなかに絶妙な味の野菜炒めが出来上がる。
それを一口含み、満足げな笑みを浮かべる妹紅。
「うん、上出来だ」
他にも、先ほど採ってきた筍を使った煮物や、キノコたっぷりの味噌汁などが、台所で自らの出番を待ちわびている。
人里の外れに建つ、上白沢 慧音の家。
そこで彼女───藤原 妹紅は、未だ仕事から戻らぬ家主の為に夕餉の支度をしていた。
ただひとつ、おかしな点をあげるとするならば、その時刻である。
空に輝く満月は、もはや半分ほどその役目を終え、後は地平へと下っていくばかり。
そんな時間にも関わらず少女は、もんぺにシャツといういつもの格好の上にエプロンを着け、長い髪を三角巾で結い上げて料理に勤しむ。
「……慧音、早く帰って来ないかな」
彼女のそんなつぶやきは、玄関に響く物音と同時に終わりを告げる。
半白沢(ワーハクタク)たる慧音が、満月の夜の仕事───歴史を創り出すこと───を済ませ、戻ってきたようだ。
がたん。
乱暴に玄関の戸が開け放たれ、慧音がその姿を現す。顔はやや俯き加減で、心なしか震えているようにも見える。
「…………」
「慧音、おかえり。勝手に上がらせてもらってるよ」
「…………」
「外まで匂いが漂ってただろ? 今日はなかなか良く出来たと思うんだ、食べてみてくれよ」
「…………」
「……? 慧音?」
返事は無い。戸を開けた姿勢のまま、立ち尽くす慧音。妹紅が何か不吉なものを感じて、歩み寄ろうとしたその瞬間。
どさり。
慧音は、まるで糸が切れたように崩れ落ち、土間に倒れ込む。
「慧音!?」
食卓を飛び越え、慧音の元に駆け寄る。料理の一部が床に散らばるが、気にしている余裕はない。
抱き起こす。すでに意識は無く、呼吸も浅くなっている。体は熱せられたように熱く、先ほどの震えもこの発熱が原因だろう。
とりあえず大急ぎで布団を敷き、慧音を寝かせる。
妹紅は考える。慧音が何らかの病気に罹ってしまったのは理解した。しかし、もともと妖怪は病気の類に強い。半獣たる慧音にしても例外では無いはずだ。
まして今日は満月の夜、慧音の力が最大級に高まる時だ。現に彼女はハクタクの姿を保っている。
そんな彼女が、意識を失うほどの病に罹る───その原因を、妹紅は特定出来ないでいた。
(っと、そんな場合じゃないな)
妹紅は思考を中断させる。原因の特定など後回しだ、今は一刻でも早く慧音を医者に診せる必要がある。
この家にも多少の薬はあるが、傷薬が主だ。慧音本人からして病気に罹ることなど想定してはいなかったのだろう。
ここで新たな疑問が発生する。
人里の医者に、果たして慧音を治すことが出来るのか? 半妖である慧音をここまでにする病気。それはいささか人の手には余るのではないだろうか。
と同時に、妹紅の脳裏に一人の人物が浮かぶ。
あらゆる薬を作る程度の能力を持ち、天才薬師の称号を欲しいままにする───八意 永琳。
永琳ならば、慧音の病にも正しい対処ができるに違いない。しかしそれもまた、妹紅にとっては選びがたい選択であった。
なぜなら、永琳は憎んでも憎みきれない仇敵、蓬莱山 輝夜の従者であり妹紅を良く思っているはずが無い。
妹紅自身も、幾度となく輝夜との殺し合いを邪魔された経緯から、少なからず永琳を憎んでいる。
その状況で『大切な人が病気に罹ったから診て欲しい』と言ったところで、承諾が得られるとも思えない。
しかし他に選択肢が存在しないことも、また事実。こうして悩んでいるうちにも慧音の病状は取り返しがつかない程、進行してしまうかもしれないのだ。
「…………決めた」
やってもいないうちから、諦めてしまうのは性に合わない。例え断られたとしても、診てもらうまで何度でも頼み続ける。どんなに重い代償を要求されても甘んじて受け入れよう。
そんなことより、慧音の命の方が大切だ。
妹紅は、一本の長い紐を作り出すと、横たわる慧音を背負い、落ちないように固定する。
「ちょっと揺れるかもしれないけど我慢してね」
意識のない慧音にやさしく語りかける妹紅。その瞳には真剣な光が宿っている。
今夜は満月、永遠亭では祭りらしきものが行われているはず。その昔、満月の晩に殴り込みをかけたとき、出てきた輝夜がことさら嫌そうな顔をしていたのを思い出す。
それがどうした。無思慮不作法は元より承知。そっちの都合なんて知るもんか。
妹紅は、そう心の中で毒づいて大地を蹴る。
不死の少女が、飛翔した。
※
今宵、竹林の一画に建つ永遠亭では月に一度の『例月祭』が執り行われていた。
毎月、満月の日に行われるもので、月から逃げてきた鈴仙・永琳・輝夜たちが、自分たちの罪を償うために行う行事である。
ほとんどの妖兎達は祭りに参加しているが、それは屋敷やその周辺の警備が無くなることを意味している訳ではない。
口にこそ出さなかったものの「サボれるから」という理由で、警備に立候補した因幡 てゐが「それ」を見つけたのは、もはや天啓といえよう。
「それ」───妹紅は、ものすごいスピードでこちらへと近づいてくる。
てゐは、これから起こるであろう弾幕戦を想像して身を固くする。なにしろ妹紅は輝夜や永琳と同じ蓬莱人。こちらがどれだけ応戦しようとも、足止めにしかならないのだ。
幸い、妹紅が輝夜と永琳以外を相手に本気を出すことはほとんどない為、実際の被害はそれほど大きくなってはいなかったが。
「何も、こんな日に来なくても……」
てゐは頭を抱える。仕方なく決まりに従い、呼びかける。
「あんたー、止まりなさーい!」
悲しいほどに身も蓋もない呼びかけだった。ある意味、てゐらしい呼びかけである。
そして、こんな呼びかけにも律儀に止まる妹紅。この結果に一番驚いたのは、もちろんてゐだ。止まるどころか返事の代わりに弾幕を撃ち込まれるものと思っていたからだ。
妹紅は、慌てた様子で喋り出す。
「急病人なんだ、通してくれ!」
こちらも、端的という意味ではあまり変わらなかった。必死な妹紅の剣幕に気押され、次の言葉が出てこないてゐ。
見れば、妹紅は背中に誰かを背負っていた。角が生えているものの、急病人という言葉に嘘は無さそうだ。
てゐは少し考えてから、言う。
「案内……は、要らないわよね。勝手に行きなさいよ」
今度は妹紅が驚く番だった。
「いいのか?」
「『急病人とその付き添いは例外なく通しなさい』ってえーりんに言われてるからね。あんただけダメって訳にもいかないでしょ」
ぶっきらぼうに言い放つてゐ。集まってきた他の妖兎達も、てゐの発言に困惑している様子だ。
妹紅は永遠亭にとって危険人物である。その認識は、過去の幾度となく繰り広げられた戦いによって証明されている。
それらの全てを考慮した上でのこれは、実にてゐらしい発言であった。
「感謝する!」
「感謝はいいから、今度お賽銭入れてよね」
てゐは、少し顔を赤くしてうそぶく。素直な感謝の気持ちを向けられることに慣れていないのだろう。
妹紅は妖兎達の間をすり抜け、まっしぐらに永遠亭を目指す。
飛び去る妹紅の背中を見つめながら、てゐはポソリとつぶやく。
「……いいのよ。なんか面白いことになりそうな予感がするし」
てゐは、どこまでも『因幡 てゐ』なのであった。
※
永遠亭の離れに建つ『診療所』の前に、妹紅は立っていた。
深夜にもかかわらず明かりが灯り、中には人の気配もある。
妹紅は一度大きく深呼吸をすると、意を決して入り口の扉を開く。
「ふふ、いらっしゃい」
八意 永琳が、そこにいた。奥の丸イスに腰を掛け、まるで妹紅がやって来ることがわかっていたかのような振る舞いをする。
いや、実際知っていたのだろう。診療所の中はきちんと整頓され、診察の準備が整っているように見える。
慧音の家を出るときの決意そのままに、妹紅は永琳に頼み込む。
「慧音が突然倒れたんだ。あんたなら治せると思って、それで……」
言葉尻がすぼんでいく、妹紅は勇気を奮い立たせる。
「……今までの事を考えれば、都合のいい話だってのはわかってる! それでも、わたしは慧音を助けたいんだ! 力を貸してくれ!」
頭を下げる。不思議と屈辱感は無かった。そんな薄っぺらいプライドなど跳ね飛ばしてしまうほど、自分は慧音のことが大切なのだと改めて思い知る。
そんな妹紅を冷静な瞳で見つめていた永琳が、おもむろに口を開く。
「確かに、随分と都合の良い話ね」
「ううっ……」
「でも、旦那様を必死で運んできた若奥様を追い返したとあっては、後で姫に何を言われるか……いいわ、診てあげる」
さらりととんでもないことを言う永琳。妹紅は弾かれたように顔を上げる。
「本当か!? ありがと……って、なんだよ! その『旦那様』とか『若奥様』ってのは!!」
「だってねぇ」
永琳は、困ったような笑みを浮かべたまま、妹紅を指さす。
その指先は、妹紅の胸元を指し示している。
「この時間に、そんな格好でそのハクタクを担いで来たって事は、どういう状況だったのかを推測するのは容易いわ。客観的に見て、一番的確な表現だと思うけど?」
妹紅の顔が真っ赤になる。両腕をばたばたと振り、担がれている慧音も苦しそうにうめく。
妹紅は、エプロン姿のまま来たことを激しく後悔した。もう、遅いが。
「ちょ、待って。わたしは、慧音の帰りが遅いだろうと思って、ご飯を作りに行ってただけで、別に、そんな」
「ああ、通い妻ってことね」
「ちがーう!!!」
噛み付くように抗議する妹紅。その余波で背中の慧音がガクンガクンと揺れる。
「ほら、暴れないの。患者に響くでしょう?」
「暴れさせたのは誰だよ!?」
永琳は、気にした様子もなく手慣れた動きで慧音を診療台の上に運ぶ。
その顔は、すでに薬師のそれへと変わっていた。ひとしきり診察を終えた永琳は、緊張した面持ちで妹紅に尋ねる。
「貴女、ここに来るまでに誰か他の人間に会った?」
質問の意図は分からなかったが、妹紅は素直に答えることにした。
「いいや。慧音の家から直接飛んで来たから、ここの警備兎以外とは会ってない」
「……そう。よかった」
安堵のため息をつく永琳。
「このハクタクが罹っているのは、疫病の一種ね。妖怪ならいざ知らず、人間相手にはかなりの感染強度を誇る代物よ。症状は、若干の呼吸不全と発熱」
妹紅は瞬時に理解した。もし自分が最初に人里の医師を頼っていたなら、この疫病が広範囲に渡って拡大していたであろう事を。
と、同時に新たな疑問も浮かんできた。
「なあ。あんた今『人間相手にはかなりの感染強度を誇る』って言ったよな? 慧音は半獣だぞ。それが、こんな病気に罹るものなのか?」
「それは何とも言えないけれど、目の前の現実が全てを物語っているわね」
いずれにしても、慧音は危険な状態だということだ。妹紅は、改めて永琳に尋ねた。
「それで……慧音は大丈夫なのか?」
「今すぐ、どうにかなる心配は無いわ。でも……」
「でも?」
「このままでは、夜明けまで持たない」
目の前が真っ暗になった。思わず膝をつきそうになるのをギリギリで堪える。
さらに永琳が何事か喋っているが、ほとんど耳に入ってこない。
慧音が死ぬかもしれない。その現実は、妹紅にとってあまりにも重く、深いものだった。
「───こう。妹紅。気をしっかり持ちなさい。ハクタクは治せるわ、その為にここまで運んできたんでしょう?」
その言葉に希望を取り戻した妹紅は、永琳を見る。そうだ、彼女の腕を信じた故に、敵地である永遠亭までやってきたのだ。
全身を、安堵による弛緩が包み込む。
「妹紅。あなたに一つ頼みたいことがあるのだけど」
来た。妹紅は今一度気持ちを引き締める。覚悟はすでに出来ている。
しかし、永琳の口から出た言葉は、とても平凡なものだった。
「薬の材料を探してきてもらえるかしら」
※
満月が、自身の意志とは関係なく満天の星空を降りていく。
妹紅は焦っていた。それでも時間は無情にも過ぎてゆく。
永琳が口にした、薬の材料。それは『狼の血』だった。
人よりは夜目の利く妹紅とはいえ、この闇夜、月明かりだけを頼りに空から一種類の動物を探し出す。
それが、どれだけ難しいことなのか理解していた。
「……絶対に見つけてやる」
悲壮とも言える覚悟を顔に滲ませ、妹紅は森の上空から目をこらす。
眼下には鬱蒼と茂る木々ばかりが広がり、動くものの姿はない。
時刻はすでに丑三つ時。獣たちも眠っているであろう時間帯だ。
だからこそ妹紅は、自分の背後に近づく気配を即座に獣以外の何かだと判ずることが出来たし、相手が何者なのかを吟味する猶与もあった。
「今夜は、おまえに構っている暇は無い。見逃してやるから、さっさと帰れ」
振り向きもせずに言う。千年以上も付き合ってきた相手だ。妹紅が、この気配を間違えることなどあり得ない。
そんな妹紅の言葉を特に気にした様子もなく、気配は間近まで近寄ってくる。
「非道いわね。せっかく散歩ついでに手伝いに来てあげたというのに」
輝夜は、回り込むように移動して妹紅の視界を塞ぐ位置に立つ。
ゆったりとした長袖のシャツとスカートに身を包み、背には何か長細いものが入っているであろう布袋を負っている。
顔には薄い笑みが張り付いているが、その笑みが油断ならない類のものであることを、妹紅は知っていた。
「手伝い? ふん、齢を重ねすぎてとうとうボケたのか。言葉は正しく使え『邪魔をしに』の間違いだろう?」
「貴女が、どう捉えるかは自由だけれど……」
輝夜の笑みが酷薄さを増したものに変わる。殺意でも嫌悪でもなく、純然たる威圧。妹紅が一瞬言葉を詰まらせるには、それで十分だった。
「私たちと違って、あのハクタクには時間が無いのでしょう?」
その言葉と同時に、妹紅は悟る。輝夜は事情を知った上で、申し出を断るなら戦いをも辞さないつもりだ。
ここでいたずらに時間を浪費することは、そのまま慧音が死ぬ事態へと直結する。
妹紅は数瞬の間考えて、悔しそうに吐き捨てる。
「~~~!! 勝手にしろ!!」
妹紅に出来るのは、そう叫ぶ事だけだった。
※
妹紅が夜の森へと飛び立ってから間もなく。永遠亭の中庭で、夜空に輝く月を眺める一人の女性がいた。
彼女は、やさしく地上を照らす月に挑むかの如く、鋭い眼差しで空を見ていた。
しばらくそうしてから、小さく俯き、口の中で何事かつぶやく。もう一度、空を見上げてから飛び立とうとして───。
「姫様」
───その試みは、彼女の背後から掛かった従者の声によって失敗に終わる。
軽く伸びをしたような姿勢を正し、従者に向き直る輝夜。
「……なにかしら、永琳?」
輝夜はまるで、悪戯を見つかった子供のような顔をして永琳を見る。心情的には似たようなものだろう。
一陣の風が吹き抜け、二人の頬を撫でていく。
その風は、妖兎達が歌いながら餅を搗く音を運んでくる。
「どちらに行かれるおつもりですか」
永琳の言葉に、批難の色は無い。
これは儀式だ。贖罪よりも大切なものの為に旅立つ主人への、ささやかで、寂しい手向け。
共に、長い年月を歩んできた二人の間でしか成立しない、穏やかで、暖かな餞別。
「散歩に行ってくるわ」
中庭に響くのは、自責を感じさせない澄んだ声。
それは諦念も後悔も含まない、ただひたすらに真っ直ぐな意志。
月の都に住んでいた頃から変わる事のない瞳を見て、永琳は満足げに微笑む。
「本来、あなたの従者として、そのような行いは止めるべき立場にあるのですが……」
「ですが?」
輝夜が聞き返す。答えが解っていても手順は変わらない。
永琳の微笑みに悲しげな影を見取っても、月の姫は自分を曲げることを良しとしない。
じっと、従者が発する次の言葉を待つ。
「診療所の方に急患が入っておりまして、今の私は『薬師・八意 永琳』なのですよ。ですから、姫様の従者はお休みさせていただいております」
幻想郷を照らす満月は、今も星空に在り続ける。
永遠の命をもつ、蓬莱人たる二人を見つめている。
「まぁ。永琳ったら悪人ね。例月祭を放り出して、人助けをするなんて」
「輝夜ほどじゃ無いわ。例月祭を放り出して、人助けをしに行くんだから」
そう言って、互いに笑い合う。今日の贖罪はお休み。長い長い、果てしない道のりの、小粋な小休止。
※
「見つからないわね……」
「うるさいな、さっきから! 少しは静かにしていろ!」
無視すればいいものを、怒鳴る妹紅。
夜明けまで残すところ2時間程、狼を探す目が4つに増えても、効率も実績も思った以上に上がっていなかった。
妹紅は、輝夜のことが気になって捜索に費やす神経が散漫になっていたし、輝夜も、普段行わないような作業では、あまり戦力にならなかった。
加えて、月が地面に近づいてゆく様を目の当たりにしては、妹紅の心に、焦りばかりが蓄積されていく。
「ねえ、妹紅」
「なんだよ!?」
さっきから叫んでばかりだな、という思いが思考の端を掠めたが、輝夜が何を考えて同行を申し出たのかすら分からない現状では、妹紅の苛立ちも仕方のないところだ。
「休憩しましょう」
「は?」
「休憩。きゅ・う・け・い。やすみましょう、と言ったのよ」
こんな月夜には相応しくない、太陽のような笑顔で提案する輝夜。
妹紅は怒りのあまり、背後に火の鳥を作り出し、輝夜に詰め寄る。
「ふざけるな、慧音の命がかかってるんだ。もう時間も無いっていうのに、休んでなんかいられるか!」
「こうして闇雲に探していても、埒が明かないわ」
妹紅の剣幕を柳のごとく受け流して、輝夜が諭す。
「あのハクタクが倒れてから貴女、ずっと張り詰めっぱなしでしょ? そんなことでは、いざというときに動けなくなるわ」
しかし、そんな輝夜の言葉にも耳を貸さず、妹紅は火の鳥を一段と大きくする。
「慧音に時間が無い、と言ったのはお前だぞ! こうしている間にも慧音は苦しみ続けているんだ。それなのに」
「私はありのままを言っているだけ。本当にあのハクタクの事を思うのなら───」
「言うな!!!」
うなりをあげて火の鳥が空高く舞い上がる。ある程度まで上がったところで、獲物を見定めるように停止する。
それを見ても、輝夜の表情に変化は無い。
妹紅は語気を荒げる。
「今回のことは、私の問題だ。これ以上邪魔するっていうんなら……欠片も残さず焼き尽くしてやる!!」
「焼くのはかまわないけれど、もう少しだけ待ってみない?」
「待てだって? ふん、今更命乞いか」
「無限に存在するものを惜しむ趣味は無いわ。ほら、耳を澄ませてごらんなさい」
あまりに無抵抗な輝夜の様子に、妹紅の心を支配していた怒りが少しずつ溶けていく。言われたとおりに耳を澄ます。
「……ーーい!」
「やっほーーーー! 姫様ーーー!! 焼き鳥屋ーーー!!」
声のする方を向けば、一匹の妖兎が両手を振りながらこちらに向かって飛んでくる所だった。
妖兎───因幡 てゐは、二人の元にたどり着く。
「イナバ、いらっしゃい。いいタイミングよ」
「まあねー。焼き鳥屋の炎が見えたから、分かり易かったわ」
そんなてゐに毒気を抜かれたのか、妹紅は火の鳥を消して腕を組む。どうやら自分は、この妖兎の目印として利用されたらしい。
釈然としない気持ちをどうにか堪えて、問い質す。
「……一体どういうことなんだ?」
「あたしはね、あんたたちに今一番必要なものを届けに来たのよ」
偉そうに胸を張るてゐ。上空の風にてゐの耳がひよひよとうごめく。
その言葉に妹紅は目を輝かせる。
「もしかして、狼を捕まえたのか!?」
「そんな訳ないじゃない」
てゐは一言の元に切り捨てる。てゐも一角の実力者には違いないが、野生の狼を捕まえるとなれば相当苦労するだろう。
だとすれば、てゐは何のためにやってきたのか。今の妹紅に必要な物は、慧音の病を治す薬以外にあり得ないというのに。
「あんたたちは、狼を探しているのよね? だけど見つからない」
「ええ、そうね」
輝夜が相槌を打つ。
妹紅はなんだか、妙な小芝居を見せられている気分になった。
「捜し物に必要な要素は、時間と根気。でも時間が無くて、根気もそれほど続かない。……そんな時、最後に頼れるのは『運』しかないわ」
言ってから、てゐは二人に手をかざす。
「あたしの『人間に幸運を授ける程度の能力』が、あんたたちにどれほど効くかはわかんないけど、これで少しは状況が進展するといいわね」
直後、妹紅にとって最大級の幸運が舞い降りた。
がさり。
三人のいる場所から、十数メートル離れた茂みが鳴る。妹紅が探し求めていた狼が顔を出す。
茶色の毛を靡かせ、月光に照らされながら歩く姿は、とても神秘的に見えた。
「妹紅、ほんの一瞬でいいからあれの動きを止めて。後は私がなんとかするわ」
言いながら、背中の包みをほどく。出てきたのは、輝夜の身の丈ほどはあろうかという長弓。
永琳のものであろうそれに、矢を番える輝夜。
「元々、わたし一人で捕まえるつもりだったんだ。それくらい簡単だよ!」
妹紅はすぐさま、狼の前後左右四ヶ所に火柱を立てる。野生の獣は、本能的に火を怖がるものである。
周囲全体が炎によって塞がれた状況では、踏ん張った足をけり出すことが出来ないでいた。
その、炎に対する畏怖が狼の命運を決定する。
輝夜が音もなく放った矢は、吸い込まれるように狼の胴体に命中し───
───ドッ───
後に残ったのは獣の骸。大きく見開かれた眼は、己が不運を呪っているようにも見えた。
※
「なぁ」
捕まえた狼を永琳に渡し、慧音の治療を待つさなか、妹紅は輝夜に声をかける。
輝夜は驚いた様子で振り返る。
「なにかしら? 貴女から話しかけてくるなんて珍しいわね」
「訊いてみたくなったんだ。なんで今回、わたしに協力しようなんて思ったんだ?」
輝夜は、きょとんとした顔をした後、薄く微笑んで言う。
「貴女、私の事が嫌いでしょう?」
質問を質問で返され、困惑する妹紅。しかし、次の瞬間には眼光を鋭くして答える。
「ああ、殺してやりたいくらいにはね」
我が意を得たりとばかりに、輝夜は口元を手で隠し、声を殺して笑う。
「だからよ」
「え?」
「私は、貴女がこの世で一番憎らしく思う相手。そんな私に助けられるのは、貴女にとって最大の屈辱でしょう?」
輝夜の笑いは止まらない。
いつもなら、ムキになって食って掛かる妹紅も、やれやれといった感じで首をすくめる。
「……お前は、そういう奴だったよ…………」
妹紅も笑う。二人の間にある確執は、決して無くなりはしないけれど、こうして笑い合うことはできる。
月は、今晩の役目を終えひとたびの眠りにつく。
去りゆく月を惜しいと思ったのは、二人にとって久しぶりのことであった。
※
妹紅は、治療を済ませた慧音と共に帰路についていた。
代金を支払うつもりだったが、永琳の「薬の材料を調達してきて貰ったのに、お代まで頂くわけにはいかないわ。今はそのハクタクを休ませる事だけ考えなさい」という言葉に不承不承頷いた。
永遠亭の面々は、今回のことを『貸し』などとは思っていないのだろう。病人が運び込まれたから手当てをした、それだけのことだ、と。
わき起こる、すぐには結論を出せそうもない、もやもやとした気持ち。頭を振って追いやってから、傍らの慧音にかねてよりの疑問をぶつける。
「慧音」
「どうした?」
「ずっと不思議に思っていたんだ。慧音は、半獣だろう? それなのに、なんで人間の病なんかに罹ったんだ?」
いまだ、あまり良くない顔色をさらに青くさせて慧音がうめく。
嘘をつけない性格の為か、わざとらしく目を逸らす。
「こ、心当たりは有る。が、言っても怒らないと約束してくれないか」
「……内容による。っていうか、わたしが聞いたら怒るような内容なんだな!?」
「待ってくれ、私もこんなことになるとは思ってな──」
「さっさと言う!!!!」
「はい……」
この様子を、永琳が見たなら「ハクタクが、もう尻に敷かれているわね」とでも言うのだろうか。
慧音は観念して、事の顛末を話し始める。
「先日、人里にやってくる歴史を見て回っていたときのこと。『人里で疫病が蔓延する』歴史を発見した。その病は、人間の医学では治療法が確立されていない難物で、この未来を現実にしてはいけないと思った私は……その……」
「食べたのか!?」
「ああ。私はこれでも半獣だ、病気に対する耐性も高い。満月も近いことだし、やり過ごせるだろうと思ったんだ」
言い切る慧音の表情に後悔は無い。
「お前には心配を掛けた。今度は、無事なうちに自分で永遠亭まで行くようにするよ」
「今度って……」
こんな事を、繰り返すのだ、慧音は。また胸を掻き毟りたくなるほどの焦燥、恐怖をわたしに味わえというのだ。
「私には、人里を護る使命がある。同じような未来を見つけたとき、私は躊躇うことなくその歴史を喰うだろうな」
妹紅は知っている。慧音の意志を変えることなど出来ないことを。それでも、言わずにはいられなかった。
「わたしは、いやだ!!!」
「……妹紅」
「慧音一人だけが苦しむなんて、そんなのは間違ってる!」
肩を振るわせ叫ぶ妹紅を、慧音は優しく抱き寄せる。
「大丈夫だ。私の、人間を護りたいというエゴを理解し、泣いてくれるお前がいる。それだけで私には十分すぎる幸せだよ」
「泣いてなんか、ない……」
慧音の胸元を濡らしながら、妹紅は精一杯に強がってみせる。
そんな妹紅が愛おしくて、慧音は腕に少し力を込めるのだった。
※
患者が帰った後の診療所に、二つの人影があった。
「永琳」
「なんでしょうか、姫様」
「まずは、礼を。ハクタクの命を救ってくれた事、感謝します」
「薬師として、救える命を救うのは当然のことです」
「───何故、嘘をついたのかしら?」
「嘘、ですか」
「厳密には少し、違うのかもしれない。でも、おそらく妹紅が、狼を探しに行く必要は無かった。そうなのでしょう?」
「その結論に至った理由を教えていただけますか」
肯定も否定もしない。さながら、教師と教え子、といった様相で会話は進む。
「そうね、いろいろあるけれど……。一番の理由は『この場に、弟子のイナバが居ないこと』ね」
「優曇華が?」
「あの子は今、人里に行っているのね、人間に配る為の『疫病の薬』を持って。他のイナバが言うには、私が妹紅を追ってすぐに、貴女の命でここを立ったそうよ?」
「あのハクタクは、里と綿密に関わっていますから。二次災害は防ぎませんと」
「つまり、私たちが狼を捕まえてくる以前に、薬の在庫は『存在した』」
「お見事です」
永琳が認める。輝夜は言葉を重ねる。
「もう一度訊くわ。何故あんな嘘を?」
「妹紅は彼女に依存しています。これから先その度合いは、ますます深くなっていくでしょう。そんな中、彼女を失えば間違いなく妹紅の精神は崩壊します」
「心を亡くし、それでも生き続ける存在を作りたくなかったのね。だから別れを早めようとした」
「まさか、てゐまでが協力するとは計算外でしたが」
「妹紅を気に入ったのでしょう。愛されてるわね、あの娘も」
「まったくです」
高き天空から降り積もる粉雪のように、時は重なり続ける。ただ時が雪と違うのは、溶けて流れないことである。
今回、永遠亭の例月祭は、輝夜達の関係に新雪を積もらせた。
例えこれが根雪になっても、溶けることなく全員の心に残り続ける。
───満月の光を浴びて。
妹紅がいぢられるのは運命かと思われます。
ちなみに自分はけーねの方が奥さんだと思います☆
登場人物みんな優しくて素敵な話でした。
今回の作品は、「善悪関わりない優しさ」をテーマにしてみたものです。
もうちょっと練り込むべきだったかもしれませんね。
うーん、文才が欲しい。どこかに売ってたら絶対買うのにw
この結果を胸に刻み、次回作に努力したいと思います。ありがとうございました!
物語としてはもっと緩急がある方がおもしろいだろうとは思うのですが、この作品に関しては大満足です。
長編も期待してます