※まえがき
まだタイトル通りにはなりきれていません。
そして、えっちなのはいけないと思います。
小悪魔は激しく葛藤していた。
己のやるべき事は理解している。
何をすべきか。どうあるべきか。
悪魔とは言え、使い魔として半ば奉仕種族と化しているこの身は、最良の選択肢なぞゼロコンマ秒の思考時間すら要さず考案し、実行する事が可能だ。
今この時も、最小労力での到達ルートは言うに及ばず、多少の問題――具体的に言うと壁とか。そんな問題なぞ度外視した最短時間での到達ルートも容易く思い浮かぶ。
しかし。
だが、しかし、だ。
最小の労力で。最短の到達時間をもってこの状況を終了させるという事は、それだけこのシチュエーションが早く終わってしまうという事だ。
終わってしまうのだ。
今。
この瞬間が。
この幸福が。
それは――あまりにも切ない。
故に小悪魔は苦悩する。
頭を抱えて、大いに嘆き苦しみ、地面を転げまわりながら七転八倒をもって、この、決断には多大な労力を持つ難問への苦悩っぷりを世界へ訴えたくなるのだが、この状況ではそうもいくまい。
紅魔館内の大図書館。
その書棚の群れの中を行く小悪魔の両腕には、愛しき主パチュリーの姿があった。
麗しき相貌。華奢な両肩。艶やかな光沢を放つ絹糸のような髪。
三千世界のあらゆる美を結集した形がそこにはあった。
無論、小悪魔の主観である。
その大絶賛誇張表現中の主はといえば、小悪魔の腕の中で、ぐったりと力を失ってされるがままに運ばれている。
規則正しく上下する胸。
その双眸は閉じられ、静かな呼気だけが聞こえる。
研究に熱中し、100時間近い連続稼動なぞ行ったために、疲労で倒れてしまったのだ。
小悪魔はその介抱のために運搬中である。
片腕を両肩を渡すようにして背中に回し、もう一方の腕を両膝の下を通して抱き上げる。
正式名称、横抱き。
救急医療から、介護にいたるまで幅広く普及する対人移送技法である。
しかし、その呼び名を使う者は少ない。
あえて多くの者が使用する愛と夢と希望に満ちた俗称はお姫様だっこ。
――お姫様だっこ。
なんと甘美で、艶麗でいて、そして幻想的な響きだろう。
元は古き時代、新婚夫婦が新居に入る際、新婦を抱き上げて門をくぐるという習慣から始まったと聞く、乙女の憧れ。
その少女の夢にどっぷりと浸る小悪魔だった。
「こんなこともあろうかと、毎晩こっそり腕立て伏せして鍛えておいた甲斐がありました」
なお、言うまでも無く、本来乙女が憧れるのは抱き上げられる側なのだが、小悪魔は気にしない。
腕の中に視線を落とせば、穏やかなパチュリーの寝顔がそこにある。
わずか数十センチメートルという近距離。
長年、使い魔として仕える小悪魔にとっても、これだけ近距離で主の尊顔をじっくり鑑賞できる機会は、滅多にない。
両腕から感じる柔らかな感触と、ほのかな体温。呼気を感じるほどの近距離に主の無防備な寝顔。
今、この感動だけで世界平和すら成し得るのではないかという幸福感があった。
故に、小悪魔は苦悩する。
「運命とは、かくも無慈悲な決断を私に迫るのか……」
書棚の回廊の突き当たりで足を止める。
来た道は一つ。
そして、行く道は二つ。
絶大の幸福感と、それに比肩する苦悩をもって、小悪魔は左右を見渡す。
右。パチュリーの寝室へまっすぐ伸びる通路である。
行けば、ものの数分で主を安眠を約束する暖かなベットで休ませる事が可能だ。
使い魔としては、当然としてこちらを選択すべきであろう。
だが、と前置きして、左を見る。
反対側の通路。
図書館内における主要環状路へと続く道である。
この道を進んでも、パチュリーの寝室には着く。
ただし、広大な図書館をぐるりと一回りしてからの到着になるため、かかる時間は膨大になる。
最短ルートと遠回りルート。
一刻も早く、ゆっくり休めるベッドへ運ぶべきだと、使い魔としての理性が叫び。
少しでも長く、この時を味わうべきだと、欲望に忠実な悪魔としての本能が猛る。
小悪魔の中で理性と本能の熾烈なせめぎ合いが繰り広げられていた。
「なんと言う二択。運命という奴は私に恨みでもあるんでしょうか……」
運命は英語で言うとディスティニー。
単語からこの館の主の顔が浮かんできた。
意地悪な選択問題を突きつけて、何とも楽しそうな笑顔である。
何かうちのお嬢様に恨みを買うような事でもしただろうか、と振り返ってみるも、これといって思いつかない。
普段の悪戯だって、驚かせるような事は何度と無く行っているが、決して恨みを残すようなものではなく、喜んでいるぐらいだったのだが。
そこでふと思いつく。
この状況が――すなわち、パチュリーをお姫様抱っこしているこの状況こそが、運命によるものだとしたら?
無慈悲な選択を迫る事が主眼ではなく、このシチュエーションそのものを起こすことだけが目的であり、これまでもたらした日々の幸いへの返礼だとするならば。
これは、粋な計らいと取ることもできるのではないだろうか。
運命からの贈り物は、いつだって無邪気で意地悪な物だ。
そして、不思議なもので、悩ましければ悩ましいほど愉悦的である。
ある種の上級プレイだろうか、と小悪魔は首を傾げた。
「私としては、悩まず済む物の方が好みなんですけどねー」
考えるのは得意では無い。
「馬鹿の考え休むに似たり……でしたっけ」
まぁ、いつまでも悩むだけではいられない。
主を休ませなければならないというのは確かなのだし。
何か妥協案は、と考えを巡らせようとして、すぐに思いつく。
「あ、そっか。簡単な事でしたね」
つぶやいて、踏み出した道は、右。
寝室への最短ルート。
だが、その歩みは遅い。
亀のごとく遅々とした歩行。
抜き足、差し足、忍び足。
時間を贅沢に使って、ゆっくりと進んでいく。
「時間稼ぎじゃないですよー。起こさないように静かに運んでるだけですよー」
誰にでもなく言葉をつぶやいて、小悪魔は図書館の通路を歩いていった。
▽
古く、こじんまりとしたドアの前まで来た。
図書館そのものをほとんど個人で占有しているパチュリーにとっては、私室とは名ばかりの実質的な寝室である。
「よっ……と……」
両手がふさがっているため、尻尾を使ってドアノブを回す。
まぁ……尻尾を使っての作業となると、当然、腰を持ち上げて、振ったりしなければならないわけだ。
はしたないかな、と一瞬思ったが、かといってパチュリーを片手で担いだり、地面に寝かせたりするよりはマシというものだろう、と自分を納得させる。
「失礼しますよー、と」
ドアをくぐる。
愛しき人の寝室への侵入。
言葉から、なんとも言えない背徳感がこみ上げてきて、小悪魔としてはそれだけでご飯三杯はいけるような気分ではあるのだが、いかんせん現実というのは無情なものだ。
「相変わらず、といいますか……。なんとも殺風景なお部屋ですね……」
古い埃と、書物のインクの匂いに満ちた灰色の空間に溜息をもらす。
館の主から割り振られたこの部屋は、元々は賓客用のかなり上等のものだったらしい。
ドアからは想像もつかないほど広大な面積。
何十という書架が置かれ、その合間にでん、と鎮座する一人用とは思えない巨大なベット。
中央のベッドがなければ、寝室と言われても誰もが耳を疑う事だろう。
それぐらい、このパチュリーの私室は色気が無かった。
「もうちょっと何かいろいろ置いても良いと思うんですけどねー」
元は豪華な絨毯が敷かれ、天井にはシャンデリアが輝き、豪華な燭台が室内を照らしていたのだという。
それをこの屋敷にやってきた頃のパチュリーが、邪魔との一声で全て片付けさせたのだそうだ。
「花とかお人形を飾ったりとか。ドレッサーも姿見も無いなんて……」
以前、強行策として女の子っぽい部屋に魔改造した所、二週間口をきいてくれなかった。
それ以来諦めてはいるのだが、もうちょっと何かあっても良いのではないかと思う。
確かに、衣裳部屋は別の場所にあるし、私物と言えばその大部分が研究機材で、それも専用の保管場所がある。
しかしそれでも、主こそ最優の美と考える小悪魔としては、もっと身だしなみとか衣服とかそういうものに気を使ってもいいと思うのだ。
手元の主へと視線を落とす。
外に出ることなどないからであろう、日焼けの一つも無い透き通るような肌。
痛みなぞ無縁とでも看板掲げていそうなサラサラの髪。
もったいない、と小悪魔は思う。
「言っても聞いてくれないんでしょうねー、やっぱり……」
思わず溜息なんぞついてから、中央のベッドへパチュリーを降ろした。
毛布をかけようとして、ふと気付く。
パチュリーの現在の服装は、図書館で研究に勤しんでいた時のままである。
ゆったりとした薄紫色のワンピースに同色のケープ。
外出用というわけでは無いが、寝巻きというわけでも無い。
このまま眠りにつくとなると、決して寝やすいとは言えないし、服にしわも付いてしまう事だろう。
その事から導き出される、使い魔としての最良の行動とは何か?
「……………………………………………………………………………………」
長い。とても長い、沈黙の果てにゴクリと喉を鳴らす。
どうすべきか?
そんなの決まっている。
「castoffさせよ、と?」
混乱からか、異様なまでに発音の良い英語でつぶやいてしまう。
そして、その意味を捉え直して、一瞬で茹で上げられたタコのように真赤になってしまう。
幻想郷にタコはいないが。
「……お、落ち着きましょう。そう、こ、こういう時はアレですよ、アレ。状況整理のための5W1H!!」
Who。誰――無防備な寝顔を浮かべる愛しき主を。
What。何――その身に纏う衣服に対し。
When。何時――抵抗できない、今、この時!
Where。何処――他の誰もいない、2人だけの寝室で!!
HOW。如何――剥く!!
Why。何故――それは、そう、愛故に!!!!
「うふ。うふふ。うふふふふふふふふふふふふふふ」
浮かんで来るのは、誰かさんも真っ青な、邪悪な笑顔。
己のやるべき事は理解した。
何をすべきか。
どうあるべきか。
悪魔たるこの身は、最小の手順で、最小の労力で、最も効率的に遂行する手順を、思考するまでもなく実行する事が可能だ。
いや。
だがしかし、最短よりも、じっくりと時間をかけて行ったほうがいいものだろうか?
先程どこぞのメイド長からも受けた、焦らしプレイに挑戦してもいいかもしれない。
わきわきと凄まじい勢いで動き回る10の指。
静かな寝息を立てる主の元へと歩みよる。
自分の顔に、ものすごい笑みが浮かんでいるのが判る。
ゆっくりと、じっくりと、主の衣服に手をかけ――
「……って、駄目ですよっ!!」
ズババッと凄まじい効果音を立てながら、バク転を3回きめて後退る
スカートでやるのもどうかと思うが、図書館の司書は、鉄壁スカートのスキルをデフォルトで所持してるので問題は無い。
「危ない、危ない。清純派で通っている私をケダモノにまで貶めるとは……さすがは我が主。凄まじい破壊力ですね」
掌に「ぷらとにっくらぶ」と3回書いて飲み込んだ。
落ち着いたところで、問題について思考する。
「……まぁ、着替えさせて差し上げなければならないのは間違いないのですし」
欲望のままに剥けっ! と、高らかに叫び続ける自分の中の悪魔を端っこに押しのける。
小悪魔の中の悪魔。小々悪魔?
いやま、それは置いておいて。
主の安眠を思えば、脱がすのは悪では無いよ、と天使の翼を広げた自分が、脳裏で語りかけて来た。
――悪では無い? 脱がしたいだけだろ? 剥きたいだけだろ?
――いいえ、そこに欲望はありません。そこにあるのは、愛という名の忠誠心。
天使と悪魔のせめぎ合いってのは結構聞きますが、悪魔の中にも天使っているんですね。
新発見です。
「……ま、ここも妥協案が必要ですよね」
愛しい寝顔を眺めながら、考える。
主の安眠を思えば、着替えさせるという行為は必須だ。
――すー、すー、と静かな寝息を立てている顔を眺める。
だが、そこに欲望があってはならない。
――眉目秀麗。白く、柔らかそうな頬。
どうするのが誠意だろうか。
――知らず、知らずのうちに手を伸ばす。
「いや、だから駄目ですって」
伸ばした手を慌てて引っ込めた。
やはり、主の寝顔は強力すぎる。
眺めていると、普段ならばしないような行動を当たり前のように取ってしまう。
「ん……? 眺めていると……ってことは……。あ、そうか、要するに見なければいいんですね」
見えているから変な気を起こすのだ。
ならば見えなければ良い。
気付いてみれば簡単なことだった。
「目隠し、か。なんかあったかなぁ」
つぶやいて、着替えと適当な目隠しを探しに寝室を一旦後にした。
▽
恐る恐る手を伸ばす。
一寸先は闇とは良く言ったものだ。
視界を塞いだこの状況では、指先の数センチメートル先に何があるのかもわからない。
いつまで立っても何にも触れない事に焦れて、思い切って手のを伸ばす。
ふに、と。
言葉で表現するならそんな感触。
思いがけない柔らかな感触にびっくりして、慌てて手を引っ込める。
今のはどこに触ったのだろうか?
「……誤算でした」
まさか、見えない方が妄想を掻き立てられるとは。
先程の感触を覚えた距離を目安に、再度手を伸ばす。
手探りで、服の構造を把握して、ボタンの位置を探り当てる。
「これは、最後まで理性が持つのでしょうか……」
Do it!! Do it!!と、自分の中の悪魔が囃し立て、ここが頑張りどころですよと天使が声援をあげる。
無責任な、とつぶやいて、溜息をひとつ。
「据え膳食わぬはなんとやら……とは言いますが……これは想像していた以上に、刺激的すぎますねー……」
うっわ、肌柔らかい。
というか、何日も徹夜した後だというのに、このすべすべ感は何なのでしょうか。
何かもう色々と反則だ、と小悪魔は思う。
「そういう魔法でもあるんでしょうか。今度聞いてみましょう」
独り言が多いのは思考を逸らしていないと、暴走しかねないから。
暗闇の中、指先から伝わってくる感触は色々とアレだ。
言葉にするなら、危険が危ないとかそんな感じ。
「これは試練なのです。私の愛の形を試しているのです」
いっそ発狂してしまえれば、と思わないでもない。
だが、そうなれば二度とパチュリーとはこれまでと同じ関係ではいられまい。
「一線を越えてはならないのです。あ、でも、この響きには何かゾクゾクする感じが……」
自分内悪魔一歩リード。
奇声の一つでも上げて、踊り狂えば楽になるだろうか。
後でやってみよう。
「……よっと、ここで腰を持ち上げて…………って軽いなぁ。どうしたらこんなに腰が細くなるんでしょう」
どうにか、ワンピースをずりずりと下げていく。
そして、その途中。
腰の辺りを通過する際に、手元が狂ってゴム状の『何か』に手がかかって、引っ張ってしまった。
「ん………」
「!!」
「……ん、ぅんん…………。すー……すー……」
驚いて、落とさなかったのは自分でも上出来だろう。
全身が硬直しただけではあったが。
そして、さすがにこれ以上は限界であった。
脱がすだけで、これだったのだ。
さらに高度な技術が必要とさせる着せる作業までは、行う自身が無い。
無論、理性的な意味で。
とりあえず、ワンピースを脱がし切って、しわの付かないようにきちんと畳んだとこまで静的に行えたのは、賞賛を受けてもいいのではなかろうか。
すみません、我が愛しき主。
これ以上はぶっちゃけ無理です。
マジに。
比喩表現的に防御力がかなり低くなった主に、毛布をかけ。
胸中で謝罪しながら、小悪魔は逃げるようにして、寝室を後にする。
途中、足がもつれてふらつき、ドアに額からぶつかったのは、まぁご愛嬌というものだろう。
そんなドタバタを繰り広げる小悪魔を置いといて、パチュリーは心地よい寝息を立てていた。
▽
なお、この後、意味不明な言葉を叫びながら、珍妙でアグレッシブ舞踊を繰り広げる小悪魔が、メイド長によって確認されるのだが、それはまぁ、どうでもいい話である。
まだタイトル通りにはなりきれていません。
そして、えっちなのはいけないと思います。
小悪魔は激しく葛藤していた。
己のやるべき事は理解している。
何をすべきか。どうあるべきか。
悪魔とは言え、使い魔として半ば奉仕種族と化しているこの身は、最良の選択肢なぞゼロコンマ秒の思考時間すら要さず考案し、実行する事が可能だ。
今この時も、最小労力での到達ルートは言うに及ばず、多少の問題――具体的に言うと壁とか。そんな問題なぞ度外視した最短時間での到達ルートも容易く思い浮かぶ。
しかし。
だが、しかし、だ。
最小の労力で。最短の到達時間をもってこの状況を終了させるという事は、それだけこのシチュエーションが早く終わってしまうという事だ。
終わってしまうのだ。
今。
この瞬間が。
この幸福が。
それは――あまりにも切ない。
故に小悪魔は苦悩する。
頭を抱えて、大いに嘆き苦しみ、地面を転げまわりながら七転八倒をもって、この、決断には多大な労力を持つ難問への苦悩っぷりを世界へ訴えたくなるのだが、この状況ではそうもいくまい。
紅魔館内の大図書館。
その書棚の群れの中を行く小悪魔の両腕には、愛しき主パチュリーの姿があった。
麗しき相貌。華奢な両肩。艶やかな光沢を放つ絹糸のような髪。
三千世界のあらゆる美を結集した形がそこにはあった。
無論、小悪魔の主観である。
その大絶賛誇張表現中の主はといえば、小悪魔の腕の中で、ぐったりと力を失ってされるがままに運ばれている。
規則正しく上下する胸。
その双眸は閉じられ、静かな呼気だけが聞こえる。
研究に熱中し、100時間近い連続稼動なぞ行ったために、疲労で倒れてしまったのだ。
小悪魔はその介抱のために運搬中である。
片腕を両肩を渡すようにして背中に回し、もう一方の腕を両膝の下を通して抱き上げる。
正式名称、横抱き。
救急医療から、介護にいたるまで幅広く普及する対人移送技法である。
しかし、その呼び名を使う者は少ない。
あえて多くの者が使用する愛と夢と希望に満ちた俗称はお姫様だっこ。
――お姫様だっこ。
なんと甘美で、艶麗でいて、そして幻想的な響きだろう。
元は古き時代、新婚夫婦が新居に入る際、新婦を抱き上げて門をくぐるという習慣から始まったと聞く、乙女の憧れ。
その少女の夢にどっぷりと浸る小悪魔だった。
「こんなこともあろうかと、毎晩こっそり腕立て伏せして鍛えておいた甲斐がありました」
なお、言うまでも無く、本来乙女が憧れるのは抱き上げられる側なのだが、小悪魔は気にしない。
腕の中に視線を落とせば、穏やかなパチュリーの寝顔がそこにある。
わずか数十センチメートルという近距離。
長年、使い魔として仕える小悪魔にとっても、これだけ近距離で主の尊顔をじっくり鑑賞できる機会は、滅多にない。
両腕から感じる柔らかな感触と、ほのかな体温。呼気を感じるほどの近距離に主の無防備な寝顔。
今、この感動だけで世界平和すら成し得るのではないかという幸福感があった。
故に、小悪魔は苦悩する。
「運命とは、かくも無慈悲な決断を私に迫るのか……」
書棚の回廊の突き当たりで足を止める。
来た道は一つ。
そして、行く道は二つ。
絶大の幸福感と、それに比肩する苦悩をもって、小悪魔は左右を見渡す。
右。パチュリーの寝室へまっすぐ伸びる通路である。
行けば、ものの数分で主を安眠を約束する暖かなベットで休ませる事が可能だ。
使い魔としては、当然としてこちらを選択すべきであろう。
だが、と前置きして、左を見る。
反対側の通路。
図書館内における主要環状路へと続く道である。
この道を進んでも、パチュリーの寝室には着く。
ただし、広大な図書館をぐるりと一回りしてからの到着になるため、かかる時間は膨大になる。
最短ルートと遠回りルート。
一刻も早く、ゆっくり休めるベッドへ運ぶべきだと、使い魔としての理性が叫び。
少しでも長く、この時を味わうべきだと、欲望に忠実な悪魔としての本能が猛る。
小悪魔の中で理性と本能の熾烈なせめぎ合いが繰り広げられていた。
「なんと言う二択。運命という奴は私に恨みでもあるんでしょうか……」
運命は英語で言うとディスティニー。
単語からこの館の主の顔が浮かんできた。
意地悪な選択問題を突きつけて、何とも楽しそうな笑顔である。
何かうちのお嬢様に恨みを買うような事でもしただろうか、と振り返ってみるも、これといって思いつかない。
普段の悪戯だって、驚かせるような事は何度と無く行っているが、決して恨みを残すようなものではなく、喜んでいるぐらいだったのだが。
そこでふと思いつく。
この状況が――すなわち、パチュリーをお姫様抱っこしているこの状況こそが、運命によるものだとしたら?
無慈悲な選択を迫る事が主眼ではなく、このシチュエーションそのものを起こすことだけが目的であり、これまでもたらした日々の幸いへの返礼だとするならば。
これは、粋な計らいと取ることもできるのではないだろうか。
運命からの贈り物は、いつだって無邪気で意地悪な物だ。
そして、不思議なもので、悩ましければ悩ましいほど愉悦的である。
ある種の上級プレイだろうか、と小悪魔は首を傾げた。
「私としては、悩まず済む物の方が好みなんですけどねー」
考えるのは得意では無い。
「馬鹿の考え休むに似たり……でしたっけ」
まぁ、いつまでも悩むだけではいられない。
主を休ませなければならないというのは確かなのだし。
何か妥協案は、と考えを巡らせようとして、すぐに思いつく。
「あ、そっか。簡単な事でしたね」
つぶやいて、踏み出した道は、右。
寝室への最短ルート。
だが、その歩みは遅い。
亀のごとく遅々とした歩行。
抜き足、差し足、忍び足。
時間を贅沢に使って、ゆっくりと進んでいく。
「時間稼ぎじゃないですよー。起こさないように静かに運んでるだけですよー」
誰にでもなく言葉をつぶやいて、小悪魔は図書館の通路を歩いていった。
▽
古く、こじんまりとしたドアの前まで来た。
図書館そのものをほとんど個人で占有しているパチュリーにとっては、私室とは名ばかりの実質的な寝室である。
「よっ……と……」
両手がふさがっているため、尻尾を使ってドアノブを回す。
まぁ……尻尾を使っての作業となると、当然、腰を持ち上げて、振ったりしなければならないわけだ。
はしたないかな、と一瞬思ったが、かといってパチュリーを片手で担いだり、地面に寝かせたりするよりはマシというものだろう、と自分を納得させる。
「失礼しますよー、と」
ドアをくぐる。
愛しき人の寝室への侵入。
言葉から、なんとも言えない背徳感がこみ上げてきて、小悪魔としてはそれだけでご飯三杯はいけるような気分ではあるのだが、いかんせん現実というのは無情なものだ。
「相変わらず、といいますか……。なんとも殺風景なお部屋ですね……」
古い埃と、書物のインクの匂いに満ちた灰色の空間に溜息をもらす。
館の主から割り振られたこの部屋は、元々は賓客用のかなり上等のものだったらしい。
ドアからは想像もつかないほど広大な面積。
何十という書架が置かれ、その合間にでん、と鎮座する一人用とは思えない巨大なベット。
中央のベッドがなければ、寝室と言われても誰もが耳を疑う事だろう。
それぐらい、このパチュリーの私室は色気が無かった。
「もうちょっと何かいろいろ置いても良いと思うんですけどねー」
元は豪華な絨毯が敷かれ、天井にはシャンデリアが輝き、豪華な燭台が室内を照らしていたのだという。
それをこの屋敷にやってきた頃のパチュリーが、邪魔との一声で全て片付けさせたのだそうだ。
「花とかお人形を飾ったりとか。ドレッサーも姿見も無いなんて……」
以前、強行策として女の子っぽい部屋に魔改造した所、二週間口をきいてくれなかった。
それ以来諦めてはいるのだが、もうちょっと何かあっても良いのではないかと思う。
確かに、衣裳部屋は別の場所にあるし、私物と言えばその大部分が研究機材で、それも専用の保管場所がある。
しかしそれでも、主こそ最優の美と考える小悪魔としては、もっと身だしなみとか衣服とかそういうものに気を使ってもいいと思うのだ。
手元の主へと視線を落とす。
外に出ることなどないからであろう、日焼けの一つも無い透き通るような肌。
痛みなぞ無縁とでも看板掲げていそうなサラサラの髪。
もったいない、と小悪魔は思う。
「言っても聞いてくれないんでしょうねー、やっぱり……」
思わず溜息なんぞついてから、中央のベッドへパチュリーを降ろした。
毛布をかけようとして、ふと気付く。
パチュリーの現在の服装は、図書館で研究に勤しんでいた時のままである。
ゆったりとした薄紫色のワンピースに同色のケープ。
外出用というわけでは無いが、寝巻きというわけでも無い。
このまま眠りにつくとなると、決して寝やすいとは言えないし、服にしわも付いてしまう事だろう。
その事から導き出される、使い魔としての最良の行動とは何か?
「……………………………………………………………………………………」
長い。とても長い、沈黙の果てにゴクリと喉を鳴らす。
どうすべきか?
そんなの決まっている。
「castoffさせよ、と?」
混乱からか、異様なまでに発音の良い英語でつぶやいてしまう。
そして、その意味を捉え直して、一瞬で茹で上げられたタコのように真赤になってしまう。
幻想郷にタコはいないが。
「……お、落ち着きましょう。そう、こ、こういう時はアレですよ、アレ。状況整理のための5W1H!!」
Who。誰――無防備な寝顔を浮かべる愛しき主を。
What。何――その身に纏う衣服に対し。
When。何時――抵抗できない、今、この時!
Where。何処――他の誰もいない、2人だけの寝室で!!
HOW。如何――剥く!!
Why。何故――それは、そう、愛故に!!!!
「うふ。うふふ。うふふふふふふふふふふふふふふ」
浮かんで来るのは、誰かさんも真っ青な、邪悪な笑顔。
己のやるべき事は理解した。
何をすべきか。
どうあるべきか。
悪魔たるこの身は、最小の手順で、最小の労力で、最も効率的に遂行する手順を、思考するまでもなく実行する事が可能だ。
いや。
だがしかし、最短よりも、じっくりと時間をかけて行ったほうがいいものだろうか?
先程どこぞのメイド長からも受けた、焦らしプレイに挑戦してもいいかもしれない。
わきわきと凄まじい勢いで動き回る10の指。
静かな寝息を立てる主の元へと歩みよる。
自分の顔に、ものすごい笑みが浮かんでいるのが判る。
ゆっくりと、じっくりと、主の衣服に手をかけ――
「……って、駄目ですよっ!!」
ズババッと凄まじい効果音を立てながら、バク転を3回きめて後退る
スカートでやるのもどうかと思うが、図書館の司書は、鉄壁スカートのスキルをデフォルトで所持してるので問題は無い。
「危ない、危ない。清純派で通っている私をケダモノにまで貶めるとは……さすがは我が主。凄まじい破壊力ですね」
掌に「ぷらとにっくらぶ」と3回書いて飲み込んだ。
落ち着いたところで、問題について思考する。
「……まぁ、着替えさせて差し上げなければならないのは間違いないのですし」
欲望のままに剥けっ! と、高らかに叫び続ける自分の中の悪魔を端っこに押しのける。
小悪魔の中の悪魔。小々悪魔?
いやま、それは置いておいて。
主の安眠を思えば、脱がすのは悪では無いよ、と天使の翼を広げた自分が、脳裏で語りかけて来た。
――悪では無い? 脱がしたいだけだろ? 剥きたいだけだろ?
――いいえ、そこに欲望はありません。そこにあるのは、愛という名の忠誠心。
天使と悪魔のせめぎ合いってのは結構聞きますが、悪魔の中にも天使っているんですね。
新発見です。
「……ま、ここも妥協案が必要ですよね」
愛しい寝顔を眺めながら、考える。
主の安眠を思えば、着替えさせるという行為は必須だ。
――すー、すー、と静かな寝息を立てている顔を眺める。
だが、そこに欲望があってはならない。
――眉目秀麗。白く、柔らかそうな頬。
どうするのが誠意だろうか。
――知らず、知らずのうちに手を伸ばす。
「いや、だから駄目ですって」
伸ばした手を慌てて引っ込めた。
やはり、主の寝顔は強力すぎる。
眺めていると、普段ならばしないような行動を当たり前のように取ってしまう。
「ん……? 眺めていると……ってことは……。あ、そうか、要するに見なければいいんですね」
見えているから変な気を起こすのだ。
ならば見えなければ良い。
気付いてみれば簡単なことだった。
「目隠し、か。なんかあったかなぁ」
つぶやいて、着替えと適当な目隠しを探しに寝室を一旦後にした。
▽
恐る恐る手を伸ばす。
一寸先は闇とは良く言ったものだ。
視界を塞いだこの状況では、指先の数センチメートル先に何があるのかもわからない。
いつまで立っても何にも触れない事に焦れて、思い切って手のを伸ばす。
ふに、と。
言葉で表現するならそんな感触。
思いがけない柔らかな感触にびっくりして、慌てて手を引っ込める。
今のはどこに触ったのだろうか?
「……誤算でした」
まさか、見えない方が妄想を掻き立てられるとは。
先程の感触を覚えた距離を目安に、再度手を伸ばす。
手探りで、服の構造を把握して、ボタンの位置を探り当てる。
「これは、最後まで理性が持つのでしょうか……」
Do it!! Do it!!と、自分の中の悪魔が囃し立て、ここが頑張りどころですよと天使が声援をあげる。
無責任な、とつぶやいて、溜息をひとつ。
「据え膳食わぬはなんとやら……とは言いますが……これは想像していた以上に、刺激的すぎますねー……」
うっわ、肌柔らかい。
というか、何日も徹夜した後だというのに、このすべすべ感は何なのでしょうか。
何かもう色々と反則だ、と小悪魔は思う。
「そういう魔法でもあるんでしょうか。今度聞いてみましょう」
独り言が多いのは思考を逸らしていないと、暴走しかねないから。
暗闇の中、指先から伝わってくる感触は色々とアレだ。
言葉にするなら、危険が危ないとかそんな感じ。
「これは試練なのです。私の愛の形を試しているのです」
いっそ発狂してしまえれば、と思わないでもない。
だが、そうなれば二度とパチュリーとはこれまでと同じ関係ではいられまい。
「一線を越えてはならないのです。あ、でも、この響きには何かゾクゾクする感じが……」
自分内悪魔一歩リード。
奇声の一つでも上げて、踊り狂えば楽になるだろうか。
後でやってみよう。
「……よっと、ここで腰を持ち上げて…………って軽いなぁ。どうしたらこんなに腰が細くなるんでしょう」
どうにか、ワンピースをずりずりと下げていく。
そして、その途中。
腰の辺りを通過する際に、手元が狂ってゴム状の『何か』に手がかかって、引っ張ってしまった。
「ん………」
「!!」
「……ん、ぅんん…………。すー……すー……」
驚いて、落とさなかったのは自分でも上出来だろう。
全身が硬直しただけではあったが。
そして、さすがにこれ以上は限界であった。
脱がすだけで、これだったのだ。
さらに高度な技術が必要とさせる着せる作業までは、行う自身が無い。
無論、理性的な意味で。
とりあえず、ワンピースを脱がし切って、しわの付かないようにきちんと畳んだとこまで静的に行えたのは、賞賛を受けてもいいのではなかろうか。
すみません、我が愛しき主。
これ以上はぶっちゃけ無理です。
マジに。
比喩表現的に防御力がかなり低くなった主に、毛布をかけ。
胸中で謝罪しながら、小悪魔は逃げるようにして、寝室を後にする。
途中、足がもつれてふらつき、ドアに額からぶつかったのは、まぁご愛嬌というものだろう。
そんなドタバタを繰り広げる小悪魔を置いといて、パチュリーは心地よい寝息を立てていた。
▽
なお、この後、意味不明な言葉を叫びながら、珍妙でアグレッシブ舞踊を繰り広げる小悪魔が、メイド長によって確認されるのだが、それはまぁ、どうでもいい話である。
もう色々と駄目だw
読んでる間中こんな叫びがのどからあふれ出しそうで大変でした。
なんという小悪魔。うわあどきどき
もとい
なぜ耐えた
むしろ鋼の精神力だよwww
あと、三全世界ではなく三千世界?
『自重する』小悪魔(笑)
あと「ぷらとにっくらぶ」吹いた(笑)
なんという素敵世界。最高です。
作者様には「HENTAIという名の紳士」の称号と共に、100点を贈らせていただきます。
ご馳走様でした。
でも、いいぞもっとやれ!