※『スキマ』に対する独自解釈があります。
ざわざわと。
博麗神社の境内は今日も賑やかに、人妖問わず宴は尽きない。
さて、誰が言い出したか定かではないが、宴に1つの話題が登る。
――――― 怖いものはあるか? ―――――
暫しの逡巡と静寂。人妖入り混じるとはいえ宴の多数を占めるは百鬼夜行も逃げ出す剛妖達。
恐怖を与える側が何を恐れると言うのか。
「まあ、私は豆かな。鰯も嫌だけど」
最初に発言したのは鬼である。成る程、節分を鑑みれば当然のことだ。
「流水、太陽、銀製品……あと煎り豆も嫌ね」
血を啜る方の鬼もそれに続いた。場合によっては致命傷となるるそれらの弱点は広く知れ渡っており、実に合点のいくものだ。
実力者が二人模範解答をしたことで、後に続く者も言いやすい状況となる。
酔いが周れば口もゆるりと軽くなる。
やれ、熱さが怖い。やれ、寒さが怖い。干ばつと山火事が怖い。光が怖い。退屈が怖い。
妖怪としての性質を考えれば当然と思える答えもあれば……
酔いが巡り過ぎててPAD長が怖いとうっかり口を滑らせ消失した門番や、ひたすらに「貧乏怖い貧乏怖い」とブツブツ呟き続ける悪酔いした巫女もいる。
本当のことを言っているものもいれば嘘を言っているものもいるだろう。
どちらにせよ酒の肴にはなるし、宴を楽しむには問題ない。
故に。
「そうね……私はスキマが怖いわ」
境界を操る大妖『八雲紫』のその発言も、一種の冗談であるとその場にいた者達は考えた。
しかし一人……否、一匹。
千年を超える長を従者として側にいた九尾の狐だけは、その張り付いた笑みに潜む真意を理解する。
紫や赤をブチ撒けたような空間に、大きさの違う無数の目が一斉に蠢く。
おそらく、紫の次にこの空間を使うことが多いであろう八雲藍だったが、まだまだこの風景には慣れない。
慣れることなど一生無いのかもしれない。
スキマを自由に動けるのは紫だけであるが、藍も幻想郷内の主要地域や、稀に外世界に行く際の経路を移動することが出来る。
また、藍程の妖獣であれば己の妖力を利用して、ある程度任意にスキマを空けることも可能だろう。
もっとも、それはあくまで紫がこの境界空間を維持しているからであり、それが無くなれば1から別途に境界空間を構築して入り口と出口を作らなければならない。
術式のみで組み上げるには没頭しても数百年はかかりそうだと藍は意味もなく溜息をついた。
それでも主がやっている同一空間内の二点を繋げる芸当よりは幾分簡単だろうが。
自覚をしなければ上も下も解らない「スキマ」と呼ばれる境界空間を完全に把握しているのはやはり主人である紫だけであろう。
そこまで考えた時には藍は目的の箇所まで到着していた。
上も下も解らない……と言うのは視覚的な問題であり、実際にそこを進む藍にはある程度の道筋が見えている。
マヨヒガ~八雲邸~白玉楼間のスキマとスキマを繋げる道筋は太く、距離的にも近い大通りのようなもの。
それを中心として、人里や博麗神社ほか、幻想郷内の主要な場所へ藍一人でも素早く迎える様になっている。
ただ、道はそれ以外にも存在する。
結界補修の為に、綻び易い箇所へ続く道筋。
場所ではなく「者」に追随する道筋。
そして。
「異界へ続く道筋……」
或いは得体の知れない『場』へと続くスキマ。
紫自信の能力で閉じられ、紫以外にはその先に行くことは出来ない封鎖領域。
藍の目前に現れたのはスキマ。
しかし、そのスキマは他と異なる点がある。
合せ目を完全に閉じられ、両端を結ぶリボンと同じ物で病的なまでに縫い合わせられている。
幾度も、幾度も。
「……」
これを発見したのはそれ程昔ではない。人の時間尺度においても極々最近のことだ。
境界空間の中で枝分かれする道筋など幾らでもあるし、大抵は行き止まりであったり、水の底や地中などスキマが空いても意味のない箇所であることが多い。
用のない道を全て歩く様な暇人は余りいないし、藍もそういったタイプだった。
だから見つけたのは何の必然も無い偶然。
理由も思い出せない程些細な原因が、藍をこのスキマに導いた。
「スキマが怖い……か」
先日の宴における紫発言と、目の前にある異常なスキマ。
両者共に知っている藍だからこそ、思い至る主の真意。
改めてそのスキマを見る。
異常な狭い間隔で縫われた切れ目からは、その先の空間を予測すること等全く不可能だ。
しかし、何かが『違う』
恐怖ではない『違和感』の様なもの。
何よりあの主が恐怖するなどと言うことが想像もつかず。
藍はそっとそのスキマに触れようとした。
「ダメよ?」
「ーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
何時の間に居たのか。主である紫が、藍の首筋に手を這わせて制止した。
九つの尾があり得ない程に逆立つ。
「好奇心が猫を殺すとは言うけど……猫の主の貴方が何やってるのよ」
「も、申し訳ありません……」
「まあ……説明してない私も悪いわね。この場合」
藍はむしろこちらに驚いた。傍若無人と摩訶不思議を足して割ったようなこの主が、曖昧とはいえ式である自分に謝罪の形をとることなどまずは無い。
「宴の件ね?」
「はい」
「で、貴方はこれを見て何を思った?」
「恐怖よりも……何でしょう、歪と言うか、妙な違和感と言うか」
「そうね。違和感、変な感じ。説明不能な歯の噛みあわない感覚……それが解るだけでも十分ね」
ぱちんと持っていた扇子を閉じる紫。感情の読み取れない瞳がただそのスキマを見つめ、澱を吐き出す様に話し始めた。
さて、何処から話そうかしら。
そうね。昔の話をしましょうか。と言っても人の歴史を知ってる必要は無いわね。
話すのはあくまで私、「八雲紫」の昔話。
私が私を認識して境界を操りだした頃だから、相当前ね。まあ、時間はどうでもいいのよ。
便利よね、この境界を操る能力。本当に。
便利すぎるぐらいに。
しかもそれ自体に大した代償は無いのよね。場合によってはノーリスク。
境界を弄って物凄い遠くの場所に移動したり、或いは時間の境界を弄って過去や未来に行くことも思いのまま。
私にとってはまあ当然のことなんだけど、他者から見たら夢の様な能力よね。
でもね。その「何でも出来る」ってのがクセ物でねぇ……
チェスのクィーンの万能さにも似てるかしら。
スキマを通じてあちこちに行っている内に、何時の間にか元の世界に戻れなくなってしまったのよ。
使い方も未熟だったのかもしれないわね。
兎に角スキマを開けてる内に色んな世界を見たわ。
例えば唯々白一色の世界に、完璧な正方形が縦横前後の六方向のみに不規則に動く世界。
例えば黒くうねるチューブ状の物が無数に蠢く世界。
例えば離合集散を繰り返す小さな生物が絶え間なく重低音を作り出す世界。
そうそう踏み込みかけて腕の先から体が崩壊した世界もあったわね。
見た目は元の世界と似たような、木々の広がる場所だったけど。物理法則自体が違ったのかもしれないし、得体の知れない何かがいたのかもしれない。
直ぐにスキマを閉じて事なきを得たけどね。
100や200どころじゃない世界を経由したわね。何処も無傷で行けた訳じゃないし、精神的にもまずい状態になってたわね。
そして次の世界。最初は良かったのよ。仲間というか同族がいたの。似たような「境界を操る力」を持った存在。
違ったのは私よりも遥かに年を経て強力だったことかしらね。
今の私と比べて?多分話にならないわ。億年単位を生きても到達できないかもね。
言っておくけど、当時だって私も並の妖怪より遥かに強かったのよ?それが無条件でひれ伏す程の存在だったの。
そんな存在が何の前触れも無く食われたのよ。
捕食者の外観は曖昧にしか認知できなかった。
目の前に口が現れたと思ったらその同族は膝から下だけ残して消えてたわ。
そしてそれを食った存在も何の前触れも無く消えた。スキマを使った形跡も無かったから、もっと高度……と言うか高次な移動方法だったのかも。
今の言葉に直せば頭のどっかでネジが外れる音が聞こえたわ。
でも決定的だったのは恐怖による半笑いで飛び込んだ次の世界ね。
『私』がね、絡み合いながら縺れ合いながら渦を描いてどこまでも落ちていくの。
形が解らない程歪に結合していたけど、その目は確かに私だったの。
肉の渦の出所は解らなかったし、調べる気も無かったけどあれは確かに私。
同族とかでなく『私』全てが私だった。渦の根元には大きなスキマがあってね。その向こうに暗い眩い眼があってね。時折瞬きをするそれも私。
見れば私の体もゆるりと崩れて渦に溶け込もうとしていてね。
必死に抗うのにむしろ気持ちが良いと感じるの。
両足がとろけて、右半身が半ば崩れかかった辺りで、残った左手でなんとかスキマを作って這い出した。
異様ではあるけれど見覚えのある場所だった。
私が作った境界空間の端っこ。
安堵したわ。泣いたかもしれない。腹から上の首と左半身だけだったけどね。
でもまだ終わってなかったのよ。
背後のスキマから私と同じで違う肉が、ゆっくりはみ出して来ていたの。
叫んだわ。蛙みたいな悲鳴だっかもね。
本当にゆっくりと肉が盛り上がり。重なりとろけ合った私がはみ出してくる。
喉から訳の解らない音が出て……そう、縫ったんだわ。
にくがはみでないようにこのスキマを縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って
縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って
縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って
縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って
縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って
縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って縫って
「……で、これね。この先にあるのは理解不能でいて、何故か私と関係のあるかもしれない世界。理解する気も無いのだけれど」
一呼吸おいて紫は再び厳重に封じられたスキマを見やる。
「スキマごと完全に閉じようと思えば閉じれるんだけどね。その為には一度この封を解かなければならない。そしたら嫌でもあの光景が目に入るし何より……」
「正気でいられるか自信が無い……と?」
紫は何も言わずに自分の肩を抱いた。
「あとは戒めね。そう戒め」
「……」
「理解できないモノ、御しきれないモノへの境界には決して触れてはいけない。それを若い内に体験して、生き残っただけでも儲けものだったわ」
二人しかいないからこそ見せる弱み。紫の肩は本当にどうしようもなく震えていた。
「思うのよ。実は私みたいな妖怪は幾らでも生まれてるんじゃないかって。でもそのほとんどは分不相応な世界に迷い込み、あっけなく消えてるのじゃないかって」
「紫様……」
「大妖が聞いて呆れるわ。長く生きれば生きるほど、境界を操れば操る程に己の矮小さが解るの。知ってる藍?境界を開ける世界は、そうじゃない世界の何千、何万分の一か」
「紫様!」
藍はいつもより小さな紫の肩を、優しく優しく抱いていた。
「マヨヒガに戻りましょうか。私も二度とここには参りません」
紫はただ静かにそれ受け入れ、弱弱しく微笑むとその場を後にした。
住居に戻ればいつも通り。
傲岸不遜なスキマ妖怪と、苦労性な式がいるだろう。
そして今日のこのことは、主従の心の奥底にしまわれる。
スキマは常にそこにある。
しかし、それが開くことは決してない。
されど、やはり。
スキマは確かにここに在る。
綻ばず、朽ち果てず。
薄布一枚隔てた先に、常軌を超えた何かは潜む。
リボンが一瞬、もぞり、と蠢いた。
理解を超えた何か・・それを知るが故に八雲紫は幻想郷においては泰然自若なのでしょうか
こんな能力持ってたら、そりゃ理解しようと学に打ち込みもするかな
そんな能力に強力やら矮小が存在するのか。
もし存在してもその境界すら操れるっと…何がなにやら。
結局、何考えてるのか分からないっていうよりは
初めから誰にも理解できない事を紫様は考えてるんだろうなぁ。
紫様でさえも恐れる”スキマ”という謎、そこに広がる世界ですか。
世の中には絶対に「触れてはいけないもの」とかってあるんでしょうね。
それが紫様にとってはスキマの中に存在する縫い合わせた場所でもあり世界を渡るという力
なんでしょうか。
でも、自分のその力故の恐さをしっているのならば、まだ紫様は上へといけるのではないかと
思ってしまう私がいる。(苦笑)
いやはや・・・とても面白作品でした。
なんだか神話的な内容で心が動かされた気持ちです。
非常に深いお話でした。
いきなり襲いかかって来た化物(竜?)は置いておくとして、何気に向上心が強い紫様のことだからその世界のことをそのうち何とかしてしまうのではw
確かに平行次元や多次元世界に行き来も出来るでしょうね。
でもその先がどうなってるかは開けてみないと分からない・・・
今更ながら使う方もかなりリスキーな能力だと実感しました。
>聖書に十字架
レミリア様にキリスト教は効きませんよ~。(公式HPの永夜抄キャラ設定より)
世界が無限にあるとしたら訳の分からない世界も無限にあるわけで。紫は運が良かった。
……CUBEって映画を思い出したな
蛇足扱いされてる続編の方
不気味な世界とそのスケールの大きさが恐怖を誘います
大妖である紫の力を持ってしても決して太刀打ちできない未知の世界がスキマを開けばそこら中に存在しているという恐怖
面白かったです
今回のような、恐ろしい体験をも。
いいですね。
ゾクっとしました。
ちゃんと怖かったわ
異次元の恐怖が上手く表せてると思います
紫が強いとはいえ、それより高次の存在は考えようと思えばキリがないものですからね
私ならそれでも好奇心を止められず冒険して消滅してしまいそうです…
恐ろしいものなのでしょう。