咲夜が倒れた。
――こう書くと、さぞかしシリアスな展開になるのだろうと予想される方もいらっしゃるかも知れない。
だが、種を明かしてしまえば何と言うことはない。
過労である。
妖怪と人間との寿命の違いに起因する、逃れられぬ別れを描いた感動巨編……などでは断じてない。
これは、紅魔館のとある一日を綴ったこれと言って起伏のない小話である。
だが、過労は過労で問題だ。
全く働かないのもどうかと思うが、働きすぎもよろしくない。
まあ何にせよ、この話の始まりは実に明快である。
咲夜が倒れた(大事なことなので二回言いました)。
だるまさんが転んだ(小学校の頃を思い出します)。
事のきっかけは、以下の通りである。
――――――――――
その日も、メイド長・十六夜 咲夜は朝から数多くの雑事に追われていた。
新入りの妖精メイドが明らかにワザととしか思えない頻度で皿を割ったり、
情緒不安定なフランドールが着替えを中断して半裸のまま奇声を発しつつ地下室から走り去ったり、
元気溌剌なレミリアが寝返りを打ちすぎて壁を突き破って転げ落ちたり……
まあ、要するにいつも通りであった。
皆が皆、絵に描いたように礼儀正しく貞淑であれば咲夜の疲れは十分の一以下になるだろうが、
そのような展開は未来永劫ありえない。
それに、確かに多少疲れはするものの、賑やかなほうが日々の暮らしも楽しいものだ。
流石はメイド長と言うべきか。傍から見れば戦場のような日々の中で、いつの間にか咲夜は達観の境地に至っていた。
「ふう……あっ、いけない。そろそろお茶の時間ね」
朝から騒動のネタには事欠かず、一息付いて気付けば午後である。
咲夜は手馴れた仕草でモップを倉庫に押し込むと、主の待つ部屋へと向かった。
さて、ドアノブに手をかけたところで咲夜はふと立ち止まった。
――額に手を当ててみる。
少し、熱っぽいかもしれない。
今日は朝から身体を動かす仕事ばかりだったし、お嬢様が紅茶を飲んでいるところを見つつ和んでいれば治まるだろう。
咲夜はそう判断し、居住まいを正してからドアを開けた。
「お嬢様、そろそろお茶の時間にしまs――」
♪だんだかだだんだ! だんだかだだんだ! だんだかだだんだ! だんだかだだんだ!
♪だんだかだだんだ! だんだかだだんだ! だんだかだだんだ! だんだか☆あああーーーあっ! あああーーーあっ!
紅魔館の主・皆様お馴染みレミリア・スカーレットは、激しいヘッドバンギングの最中であった。
余りに激しい没入振りを物語るかのように、ZUN帽が壁際まで吹っ飛んでいる。
傍らには、先日香霖堂で購入した“らじかせ”なる道具が置かれていた。
――それにしても、音がデカい。
これはもう、近所迷惑で訴えられても文句が言えないレベルである。
まあ、住人達の顔ぶれが近所迷惑どころではないので、今さらかも知れないが……。
「どうなさったのです、お嬢様。脳にカビでも生えたのですか?」
かちゃっ(切り替えスイッチ)
♪んべーっ! んべーっ! ふーふーずばぁーあーっ!
声をかけようと手を伸ばした咲夜を完全に置き去りにして、レミリアは椅子からガタン! と立ち上がると
足を交互にクネクネさせながら、前進しているのかしていないのか判然としない奇妙な動きを始めた。
……頭のビョーキだろうか。
心配になった咲夜は、慌ててラジカセのスイッチを切った。
「ぽぉーう! ……って、あれ? 咲夜、いつからいたの?」
「☆あああーーーあっ! あああーーーあっ! の辺りからです。いったいどうなさったのです?」
「ああ、ちょっとね……緋想天での入場テーマをどうしようか考えてたのよ」
緋想天はいつからプロレスゲーになったのだろうか。
「お嬢様、まだ出場できるかも不明なのに……いささかお気が早いのではありませんか?」
「だけど、いてもたってもいられなくなっちゃってね。あ、紅茶の時間ね? 頭を振りすぎて喉が渇いたし、ちょうど良かったわ」
「はいはい。ただ今お淹れしますからね……って、あ、あら?」
トレイを手にした咲夜の上体が、ふらりと揺れた。
「あらあら、咲夜だって人のこと言えないんじゃないの? 新技として酔拳の動きを取り入れるつもりね……って、あら?」
がちゃーん。ばったり。
「……咲夜?」
へんじがない ただの しかばねの ようだ。
「ちょっと、咲夜? 咲夜、咲夜ーっ!」
零れた紅茶がメイド服を濡らして何だかエロい、と思ったものの、レミリアはすぐに正気に戻った。
すぐさま咲夜の腕に手を伸ばす。
「くっ……脈がない! これが人間の儚さってやつね。あれ、やっぱり脈あるのかしら? よく分かんないわね」
どうやら脈を取ろうとしたようだが、指を当てている位置が明らかにおかしい。誰か突っ込んでやれ。
「とにかく、早くベッドへ……」
しかし、どうしても紅茶まみれのメイドというシチュエーションに平静を保つことができない。
オラ、ワクワクしてきたぞ!
ちょっとくらいならどさくさ紛れに特殊プレイもいいかな、などと不埒なことを考えてしまうレミリアであった。
と、そこへ――
「お嬢様、如何なさったのです!?」
レミリアの声を聞きつけたメイドたちがなだれ込んで来た。
「咲夜が倒れたの。ひとまずベッドで休ませなきゃ……皆下がっていなさい、ここは私が責任を持って介抱するわ」
紅茶プレイに傾きかける意識を押し殺して、レミリアは出来るだけ平静を装ってそう言った。
館主のアホな葛藤など知るよしも無いメイドたちは、皆一様に心配そうな表情をしている。
それもそのはず、今まで咲夜がここまで体調を崩したことは無かったのだ。
「早くベッドへ――って、あれれ」
勢い良く咲夜を抱き上げようとしたレミリアだったが、ついつい力みすぎてしまったらしい。
哀れ、咲夜のか細い身体は凄まじい勢いで重力を振り切って天井に突っ込んだ。
ガォン!!
「……あ……(その場のほぼ全員)」
「わあ、すごい……ギャグマンガみたい!」
空気の読めない妖精メイドが歓声を上げたのを引き金にして、凍りついた空気が再び動き出した。
「ああーっ、メイド長!」
「ちっ、違うのよ! 今のはちょっと、慣れない事をしたから手元が狂っただけで……」
「くっ、深くめり込んでいるせいでスカートの中が見えない!」
「……今日は白よ」
「えっ、どうして知ってるの? ずるい!」
「お嬢様、なんという非道な行い……たとえ主のなす事とは言え、これは看過できません」
「そうです、私達に対して何かご不満があるなら、はっきりと仰ってください」
「違うんだってばー! 話を聞きなさいよ!」
さすが紅魔館。どいつもこいつも、人の話を聞かない。
レミリアたちがぎゃあぎゃあ騒いでいる間も、天井にめり込んだ咲夜の身体は微動だにすることはなかった。
ああ、こうしている間にも咲夜の命の灯火はだんだんと弱々しく――
「ちょっとお茶を……って、騒がしいわね。何かあったの?」
と、ここでパチュリーさんも登場。
一人ぶっ倒れただけで、五分としないうちにこの騒ぎである。
にぎやかなおうちって、ステキね!(棒読み)
「あっ、パチェ。ちょうど良かっ……」
パチュリーは気だるげな仕草で、天井を見やった。
天井にはメイド長がめり込んでいる。
――視線を戻す。
床の上では、レミリアがバンザイポーズのまま硬直している。
パチュリーの怜悧な頭脳は、一瞬にして答えを導き出した。
自然と、深い溜め息が漏れる。
「……この人でなし」
「パチェだって人外でしょうが!」
「咲夜が何をしたって言うの。本当に、血も涙もないのね(棒読み)」
「うー」
言葉に詰まるレミリア。
本当は彼女は何も悪くないのだが、状況が状況なだけに上手く言葉が出てこなくて固まってしまった。
「……あのー、外回りの子たちにお茶を……って、あれ? お嬢様たち、ここで何をなさってるのですか?」
そこへ、今度は美鈴も登場。
予想外の光景に、戸惑いを隠せない様子である。
「……? そう言えば、どなたか咲夜さん見ませんでした?」
「咲夜ならそこよ」
相も変わらず気だるげな仕草で、天井を指すパチュリー。
美鈴はそれにつられて天井を見つめ、ますます訳が分からないといった表情をした。
「???」
加速度的に微妙な空気になっていく室内。
と、ここで天井にキスをしていた咲夜がようやく重力に従うことを選んだ。
ぼてっ。
力なく、仰向けの姿勢で着地した咲夜。
部屋にいた全員が、咲夜を囲むようにぞろぞろと集まってその身体を見つめる。
誰ともなしに、口をついて出る感嘆符。
「うわあ…………!」
「これはひどい……!」
何が「うわあ」なのかは、どうか察して頂きたい。
寵愛していた従者の変わり果てた姿を前にして、レミリアは悲嘆に暮れた。
「ああ、咲夜の顔が福笑い状態に――!!」
「レミィがやったんでしょ」
「……あの、介抱しなくて良いんですか?」
美鈴の控えめな提案に、ようやくレミリアは当初の目的を思い出すのであった。
――――――――――
そんなこんなで、咲夜はベッドの上にいる。
時計を見てみると、もう夜だった。とは言え、どうにも違和感を感じて落ち着かない。
主を始めとして「夜の住人」が多いこの館では、まだまだ宵の口と言っても良い時間帯である。
意識を取り戻したとき、何故か顔面がヒリヒリしたのだが、周囲の面々は「気のせい」を連呼するばかりで、何も教えてくれなかった。
――どうも、今日はよく分からないことばかりだ。
ベッドの傍らに置かれているサイドチェストの上には、リンゴが載っていた。
何となく手持ち無沙汰になった咲夜は、それを手にとってみる。
掌で転がしてみると、心地よい冷たさが感じられた。
「そもそも、どうして倒れちゃったのかしらね……私は」
お嬢様のところへ紅茶を淹れに行って、それから――
ぼんやりと記憶を手繰り寄せていると、ドアをノックする音が響いた。
「はい、起きてますよー」
「具合はいかがですか? はい、これお茶です」
入ってきたのは美鈴だった。片手にはティーポットを携えている。
「うん、少し落ち着いたわ……あ、ありがと」
「いやはや、びっくりしましたよ。……リンゴ、どうします? 剥きましょうか」
「そうね、お願いするわ」
ベッドの傍の椅子に腰を下ろし、美鈴は咲夜から受け取ったリンゴをせっせと剥き始めた。
「――なんだか、私もびっくりしちゃったわ。まさか自分でも倒れるなんて思ってなかったから……」
「まあ、体調が悪くても自分では線引きが難しいときはありますからね」
しゃくしゃくと小気味良い音が続く。
「どうも記憶が曖昧で……」
「咲夜さんは、お嬢様に紅茶を淹れようとしたところで急に倒れたんです。お嬢様は“まさか倒れるなんて思わなかった。誰だって酔拳だと思うでしょ”と」
「お嬢様……」
咲夜は色々な意味で頭を抱えた。
「そのあと、お嬢様の声を聞いた館内のメイド部隊やパチュリー様が駆けつけて、そこへ偶然私も顔を出したわけです」
「ふふ、なんだかえらい騒ぎに聞こえるわね」
「そりゃ大騒ぎですよ。咲夜さんあっての紅魔館ですからね……はい、リンゴどうぞ」
「はい、ありがと。しゃくしゃく……うん、美味しい」
「パチュリー様の診断では、過労が一番の原因だろうとのことです。それで、お嬢様が“とにかく休むこと”って」
「過労、ね……確かにここ最近は身体を動かす仕事が多かったけど……私も焼きが回ったのかしら」
「まだまだ咲夜さんは元気盛りじゃないですか……でも、無理は良くないです。適度に休まないと」
「休もうと思った矢先に、妙な騒ぎで仕事が増えたりするのよね」
「私もできるだけ咲夜さんに負担をかけないよう、善処しましょう」
しゃくしゃく。
「……たぶん、咲夜さんは頑張りすぎてたんじゃないですかね」
「頑張りすぎ?」
「ええ。何となくですけど、私はそう思います」
「そう、かしらね……」
「こういう機会だから言いますが、私は適度に力を抜いて門番やってますよ」
「初めてあの二人が来た時も、そうだったのかしら?」
人の良い同僚にちょっと意地悪してみたくなって、そんな質問をしてみる。
美鈴は面目ないです、と苦笑しながら帽子をくるくると回した。
「あれは結構真剣にやって負けたんです。不覚でした」
「ふふっ……なんだか貴女らしいわ」
「まあ、しょっちゅう魔理沙が来るようになってからは妙な儀式みたいになってますけど」
「勝敗は一進一退って聞いてるけど?」
「もうプロレスみたいなものですよ。私がマスタースパークを喰らうことがあれば、魔理沙に崩山彩極砲が当たる日もあります」
「わざわざ勝負しなくても、もう常連なんだし通しちゃったら良いんじゃないの? まあ、パチュリー様が黙ってないだろうけど……」
「一度そのまま通したら、勝負しろよ! 侵入者を素通りさせるとか、門番としてどうかと思うぜ、って怒られまして」
「はあ……なんなのかしらね、あいつも。SとMの区別が付いていないのかしら」
「私が思うに、むしろ魔理沙は“親しみやすさ”と“図々しさ”の区別が付いていないんじゃないでしょうか」
「なるほど。今のは名言ね。次に顔を合わせたら言ってやりたいわ」
「……じゃあ、あまり長居するのもなんですし。そろそろお暇します……お大事に」
「ええ、ありがとう。おやすみなさい」
――――――――――
美鈴との会話を思い出しながらぼんやり時計を見つめていると、再びドアをノックする音が響いた。
「はい、まだ起きてますよー」
「……入るわよ」
気だるそうにドアを押し開けて入ってきたのは、パチュリーだった(まあ、彼女はいつでもダルそうではあるが)。
「調子はどうかしら?」
「ええ、一眠りしたら少しは楽になりましたよ」
「それは何より。まあ、体調崩しのスペシャリストである私に言わせれば、過労はまだまだ入り口レベルよ。安心して」
「はあ」
体調崩し? ブロック崩しなら知っているけれど……と、咲夜は首を捻った。
「まあ、早く元気になってね」
「わざわざご足労頂いて、何だか申し訳ないです」
「いいのよ。私も咲夜が館内を仕切ってないと、どうも違和感があるし……前触れも無く環境が変わるのは好ましくないわ……っ、げ」
「――パチュリー様?」
「げ……げ……げ……」
「墓場で運動会、ですか?」
「げ……げぼはっ!?」
いきなり吐血。
咲夜のベッドに、大輪の紅い花が咲いた。
「きゃあああーっ!? 誰か来てー!」
「はいはーい、お呼びでしょうか……ってどこで寝てるんですかパチュリー様!」
咲夜の悲鳴を聞きつけるや否や、烏天狗も真っ青な勢いで小悪魔がすっ飛んで来た。
「私のお見舞いに来て下さったんだけど、いきなり血を吐いて倒れて……!」
「だめじゃないですかパチュリー様。咲夜さんは大事を取ってお休みなさっているのですよ……お見舞いに行った当人が倒れてどうするのですか」
「むきゅう……」
「咲夜さん、私の主人が迷惑をおかけしました……どうかお気になさらず。あ、これ差し入れです。それでは」
力なく転がるパチュリーの首根っこを引っつかむと、小悪魔は風のごとき勢いで部屋から消えた。
――しっかりした娘だ。
咲夜は感心した。図書館コンビは、ときおりどちらが主人なのか分からなくなる時がある。
まあ、それはさておき。
「差し入れは有難いんだけど……あの……血がそのまま……」
そう言えば、差し入れってなんだろう。
ふと気になった咲夜は、サイドチェストの上に目をやった。
そこそこな分厚さの本が置かれている。
「差し入れも本だなんて、流石ね……健康法とか、そういうのの類かしら?」
手にとって表紙を見てみると、予想に全く反した内容が書かれていた。
「~第××回 紅魔館主宰おーるないとふぃーばー メインイベント:レミリア・スカーレットを讃える歌劇 脚本案~
ストーリー原案①:悪魔嬢すぺしゃる わたしレミリアちゃん(ジャンル……魔法少女)
ストーリー原案②:超姉貴 ~聖なるプロてゐン伝説~(ジャンル……ガチムチ)」
咲夜は大いに困惑した。
「え……これ、本当にどっちかやらなきゃいけないの?」
差し入れによって、また新たな悩みの種が生まれてしまった。
――――――――――
仕方なく血まみれのシーツをせっせと取り替えていると、メイド部隊と門番部隊の代表者たちがお見舞いに来てくれた。
「あら、みんなありがとう」
「メイド長、その血まみれのシーツはいったい!?」
「さっきパチュリー様がお見舞いに来て下さったんだけど、話してる途中でいきなり血を吐いて……」
「ああ……よくある事です」
吐血した、という話を聞かされて「ああ」と軽く納得してしまう辺り、やはりこの館の住人たちはどうかしている。
「すぐにお呼び頂ければ、私たちが新たにベッドメイキング致しましたのに……」
「じゃあ、このシーツその他の洗濯だけお願いするわ」
「了解です」
平然とベッドシーツ改めレッドシーツを受け取るメイドたち。
その背後では、門番部隊の面々が「ベッドメイキングって言葉、なんかエロいわよね」などと語り合っている。
「メイド長」
「ん、なにかしら?」
「あまり無理をなさらないで下さいね。まだ仕事に不慣れな者もおりますゆえ、面倒をお掛けすることが多々ありますが……」
「私たち門番隊も、同じ気持ちですよ。隊長ともども、メイド長に出来るだけ負担をかけない環境を築けるよう努力する所存です」
「……なんだか、あなたたちが良い事を真面目な表情で言うとすごく違和感があるわね」
「もう、茶化さないでくださいよー」
「ふふっ、冗談よ。その……ありがとね」
先ほどまで血まみれだったとは思えないほど、ベッドの周りは和やかなムードであった。
――――――――――
さて、そのころレミリアはと言うと……厨房に立っていた。
小腹が減ったのである(そんなことよりお見舞いに行けよ)。
小食なレミリアにしては稀なことだった。何か軽いものを食べたくなったのだが、咲夜が厨房に立てない状態では仕方が無い。
美鈴が気を利かせて「私で宜しければ、何か作りましょうか?」と申し出てくれたが、レミリアは大丈夫よ、と返した。
ふと思いついたことがあったのだ。
咲夜たちの手掛ける文句なしの料理に舌鼓を打つ日々……今こそ、その有難みを身をもって実感しようという殊勝な試みである。
備蓄の納められた棚から戻ったレミリアの手には、小さな袋が握られていた。
貴族の手に庶民の食事。なんともミスマッチな光景である。
「これが“いんすたんとらあめん”なる非常食ね……」
袋の説明書きに目を通すと、レミリアは神妙な表情でどんぶりに麺を移してお湯を注いだ。
「すぐおいしい、すごくおいしい……三分間待ってやる!」
どんぶりに皿を乗せて蓋をし、両手に持った箸でコンチキコンチキとリズムを取っていたところ……
厨房のドアを突き破って、とっても元気な妹君が現れた。
相も変わらず、情緒不安定である。
「レミリ、アッー!!」
「変なところで名前を区切らないの! それ以前にあんた、実の姉を呼び捨てするとは躾がなってないわね!」
「言葉を慎みたまえー」
「それはこっちの台詞よ!」
「君のアホ面には、心底うんざりさせられる」
「私はいま、料理の途中なのよ。邪魔しないで! ちょっとフラン、話聞いてるの?」
世の中では、いつから即席麺にお湯をかけるだけの行為を「料理」と呼ぶようになったのだろうか。
――レミリアとフランドールが姉妹間コミュニケーション(それも多分に暴力的な)を取っているその間に、
存在を忘れられた麺はプロ野球中継も顔負けの延びっぷりを見せていた。
ご愁傷様である。
――――――――――
異常にハイテンションだったフランドールにキャメルクラッチをかけて黙らせた後、レミリアは半泣きでへにょへにょなラーメンを食べた。
咲夜たちの存在の有難みが、嫌と言うほど身に染みた。
ラーメンの味以前に、咲夜が欠けただけで夕食を作るそぶりを全く見せなくなったメイドたちに泣きそうになった。
一度、みんなでしっかり話し合う必要がある。
心から、そう思ったレミリアだった。
――――――――――
メイド部隊と門番部隊の代表者たちも部屋を去り、再び静寂が戻った。
またも手持ち無沙汰になってしまった咲夜は、手をつけていなかったリンゴの残りをウサギさんリンゴに改造していた。
まだ、敬愛する主はこの部屋に顔を出していない。
何か理由でもあるのだろうか……と思案に暮れていると、ドア越しに足音が聞こえた。
「――咲夜、起きてる?」
「ええ、起きてますよ」
ようやく、館の主が顔を出した。
「……来て下さらないのかと、思っちゃいましたよ」
「馬鹿言わないの。従者が体調を崩したのに放っておくような主がどこにいるのよ」
「ご心配をおかけしました」
「ニヤニヤしながら言わないの」
「あ、そうだ。リンゴ……お召し上がりになりますか?」
「黄色くなってない?」
「時間を止めて鮮度を保持しております」
「ナイスよ、咲夜」
ウサギさんリンゴにぱくつくレミリア。
なんとも心和む光景である。
「そう言えば……お嬢様、今夜の食事は如何なさったのです?」
「それなら大丈夫よ。自分で作ったから」
咲夜は目を見開いた。
「えっ――――」
「だから、大丈夫よ。このリンゴは丁度良いデザートね。はぐはぐ」
「お、お嬢様……なんと立派になられて……!!」
咲夜のあまりにオーバーな感動ぶりに、レミリアは「伸びきったラーメンを半泣きで食べた」という事実はずっと胸のうちにしまっておこうと固く誓った。
「それと、今夜はフランも大人しくしてるから心配しないで」
「何かあったのですか?」
「ちょっとプロレスごっこをしたら、疲れてそのまま寝ちゃったから……」
正確には「ラーメンの調理中に絡まれたので、全力でキャメルクラッチをかけたら動かなくなった」である。
だが、全てを知ることが幸せとは限らない。胸のうちに秘めておいた方が良い事も、この世には確かにあるものだ。
「なんという心配り……お嬢様、まさに我らが主の器でございます! この咲夜、感謝感激雨あられ」
「え、あ……そう? ふふん、まあね」
咲夜は本当に嬉しそうに微笑みながら、リンゴをかじるレミリアを見つめている。
「――ねえ、咲夜」
「はい、なんでしょう」
「みんな、頼りにしてるわ。咲夜のこと」
そりゃあもう、貴女がいないだけで晩御飯もまともに食べられなくなるくらいなんだからね……と、レミリアは心中で付け加えた。
「だから、頑張りすぎちゃ嫌よ」
「……ええ」
「ちょっとくらい適当だって、いいのよ。全然構わない」
「……はい」
――――――――――
そんなこんなで、メイド長・十六夜 咲夜は復活を遂げた。
あれから数日、「何が何でもしばらくは休むように」と言い渡された咲夜であったが、紅魔館で染み付いた勤労体質がそれを許さなかった。
手持ち無沙汰が積み重なって発狂寸前になり、療養のために充てられた部屋から脱走したのである。
レミリアを始めとした住人達は「本当に大丈夫?」と心配したが、本人がうわ言のように「はたらきたいよおー、はたらきたいよおー」と
繰り返すばかりだったので、なんとなく押し負けてしまったような雰囲気だった。
いま、咲夜は復帰第一作の手料理をレミリアに振る舞わんとしているところである。
「咲夜の体調が戻って何よりだわ。真面目にやってくれるのは有難いけど、あまり無理はしないでね」
「心得ております。さあ、こちらが復帰第一作の料理ですよ。美鈴との合作です。
美鈴が秘孔を突いて捕えたニワトリを、私が“適当に”加熱調理しました」
咲夜が意気揚々と差し出した大皿の上。
そこには、景気良く燃え上がる鶏肉に得体の知れない香辛料がブチまけてある、というアナザーワールドが広がっていた。
さらにはどうしたことか、皿の真上では北斗七星らしきモニュメントが煌々と輝いている。
「コンセプトは“芸術は爆発だ”です」
「……咲夜」
「はい、何でしょうか?」
「初めて見るメニューね。現在進行形で鶏肉が燃えてるけど、これはそういう料理なの?」
「ええ、そうですよ。調理したてどころか、完成直前の熱気溢れる新鮮味を味わって頂けます」
皿の上で、燃え上がる鶏肉が不気味に蠢いた。
潰えたはずの命から、新たな何か(決して喜ばしいものではなさそうな)が生まれ出る予感がひしひしと伝わってくる。
危ない、早く完食しなくては!
愛が危ない!
「取り分けられてお嬢様のお皿に載ったその瞬間に、このメニューは真に完成するのです」
「へ、へえ……そう、なの……」
「では、行きますよ。今日は大盤振る舞いです。お代わりも制限なしですよ」
咲夜がナイフをさくっと突き立てると、鶏肉(に良く似た何か)から快音が響いた。
ぴちゅーん!
しかし、まだ鶏肉(仮)はビクビクと蠢いている。
「……何本目で死ぬかな?」
ざくっ! ざくっ!
ぴちゅーん! ぴちゅーん!
「さ、咲夜。せっかくだから、この新メニューの名前を聞いておきたいわ」
よくぞ聞いてくれました、というかの如き笑みを浮かべると、咲夜は至って瀟洒にこう言った。
「チキンボムでございます」
“Living Loving Maid”is End.
がんばれ、お嬢様。
テンションが高くて面白かったです。
これkwsk
GJ!
ネタのちりばめ方がすげえぜ!
これといって盛り上がりも無い小話でしたが、お楽しみ頂けたでしょうか?
タイミングが遅れてしまいましたが、お礼の言葉とコメントへのレスを述べさせて頂きたいと思います。
>雨四光さま
うっかり伸ばしてしまったラーメンを、ちゃんと完食する。
これは子供が大人への階段を上るのに欠かせないイベントであると私は思います。
>コメントNo.9の名無しさま
頭の中であれこれこねくり回すよりも、どこかすんなりと書けたのが自分でも不思議でした。
お楽しみ頂けたなら何よりです。
>じうさま
ムスカ大佐はネタの神様ですからね。
今後、彼を超えるジブリキャラは現れるのでしょうか……。
>コメントNo.13の名無しさま
とくにチキ○ラーメンの伸びたやつなんて、食べていてげんなりしますよね。
私は三分経つ前に食べ始める、「少し固め」派です(どうでもいい)。
>月柳さま
どうして私の書くメイド長は、いつも瀟洒さの欠片もないのでしょうか。
まあ、カッコいいメイド長を書くのは他の作家さん方にお任せいたします……。
どうも自分が書くと、どのキャラも間抜けになっていけません。
>コメントNo.20の名無しさま
♪んべーっ! んべーっ!(それはもういい)
どうして私の書くお嬢様は、いつもカリスマの欠片もないのでしょうか。
>コメントNo.22の名無しさま
ササミを茹でているときに思いつきました。
鶏肉はヘルシーで安い、ありがたい食材ですね(SSの話をしろ)。
>コメントNo.23の名無しさま
相変わらず、と言って頂けたということは、それなりに「しかばねテイスト」みたいなものが
あると自惚れても良いのでしょうか……?
これからものんびりまったり、適度に笑えるお話を書ければと思います。
>コメントNo.25の名無しさま
こればっかりは、皆様の想像力にお任せするほかありません。
詳しくお話ししたいところですが、度が過ぎると「そこまでよ!」とパチェさんに怒られてしまいますから……。
>コメントNo.30の名無しさま
ほあああああああああああああああああ!!
お褒めに預かり、光栄です!
>コメントNo.37の名無しさま
お楽しみ頂けたようで、何よりです。
めっちゃ喜んだ(おもに私が)。
>nanasiさま
私の中では、紅魔館であれ白玉楼であれ、永遠亭であれみんな「まったり空間」になってしまいます。
奇しくも投稿日は母の日でしたし、メイド長を住人みんなで労うのも良いかなと思った次第です。
>コメントNo.49の名無しさま
くらえ、機矢滅留・苦落血だ!
……ラーメンを食べているところといい、姉妹でプロレスをしているところといい、
全く貴族らしくないスカーレット姉妹。
庶民派への歩み寄りを始めたと思っていただければ……。
>コメントNo.59の名無しさま
お気に召して頂けたなら光栄です。
案外、プロットをあれこれ弄り回して書くよりはサラッと書いたほうが上手くいく時も
あるのかも知れませんね。そうそう何度も出来ることではないでしょうけど。
>コメントNo.60の名無しさま
お嬢様は貴族ではありますが、クラシックよりロックやメタルが似合いそうな感じがしませんか?
ZEPの「移民の歌」、ご名答です。
作中では気が早かったお嬢様ですが、緋想天への参戦が正式に告知されましたね。
明日は例大祭ですが、人混みが苦手な私は夕方にお店へ受け取りに行きます……。
それでは、またお会いできることを祈りつつ……お読み頂き、本当にありがとうございました。
しかし創想話には「いい紅魔館」が多くて困るw
面白すぎる