※この物語では東方プロジェクト以外の作品の登場人物が幻想入りしています。ただし
実際の製作者が意図した性格・口調・行動様式とはあまり相関がありません。
夕暮れ時の里の中を歩く。街道は仕事を終えて家路に、または憩いの場所への道をゆく人で
溢れている。そして、そういう人々と入れ替わるように仕事に精を出し始める食事場・酒場の
客引き。そんな人ごみの中を私のような者が歩いていると、やはり危なっかしく見えてしまう
ものらしい。親切なおせっかいに心配されたのはもう何度目か。中には私の姿に構わずに店に
案内しようとする者も少なからずいたが。今も、私は一人の男性に呼び止められていた。
「おいおい、嬢ちゃん。ここは子供の来る場所じゃないぞ。さっさと家に帰りな。大きな声じゃ
言えんが、このあたりは妖怪の客もいるって話だぞ」
この男性は親切なおせっかいのようだ。ならばそれほど面倒ではない。あらかじめ用意して
おいた台詞を自信たっぷりに語るまでだ。
「お気遣いありがとう御座います。ですが心配は要りません。私、こう見えても妖怪の方には
顔が利くほうなんですよ。今日もそういった方と待ち合わせているんです、あそこの店で」
私は、もう眼と鼻の先までたどり着いていた目的地を指差した。男性は幾分訝しげではあった
ものの、一応納得したようだ。子供であるのに妖怪という脅し文句にもなんら怯んだ様子を
見せなかったため、もしかしたら私も妖怪なのでは、と疑いを持ち始めたのかもしれない。
「へぇそうかい。ま、あまり遅くならないようにな。この界隈じゃ、妖怪よりも人間の
酔っ払いの方が始末に負えねぇこともあるからな」
そう言い残して男性は去っていった。男性の忠告はもっともだが、その心配も要らない。何故
ならその待ち合わせている妖怪のような存在を私は自分の屋敷に案内することになっている
からだ。暗い夜道の道中となったとしても、護衛の手は充分足りている。
「さて、ここだったわね」
私の目の前にある酒場、ここは確か中にピアノが置いてある、里でも珍しい店だったはず。待ち
合わせにこういう場所を選ぶ感性はさすがと言うべきか。現に今も、開いた窓の中から流麗な
洋琴の調べが響いてきている。私はまず、窓の外から店の様子を窺ってみることにした。
視界に飛び込んできたのは、喧騒。そう、見て分かるほどの騒がしさ。喚声・怒声を上げる酔客で
埋められた宴席、注文を受けて忙しく飛び回る給仕、大量の食事を作る厨房・・・逆に、静かに酒を酌み
交わしている席も少なくないことに何故か気付かされた。これらの状況を何ら妨害することなく、
かといって掻き消されるわけでもなく、窓から見て一番奥から洋琴の旋律が耳朶を震わせてくる。
不思議な事に、喧騒と旋律が耳障りの良い一つの音楽を織り成している。ピアノの奏者の姿を
ちゃんと確かめようとして目を凝らすが、赤い服を着ているということぐらいしか判別できない。
ピアノの蓋の陰に隠れてしまっているようだ。そのあたりも含めて、待ち人がピアノを演奏して
いるということに思い当たる。やはり性質上、大人しく待っていることはできないようだ。
私が酒場のドアを開ける頃には、演奏はすでにクライマックスを迎えようとしていた。なお、
私を出迎えてくれたのは、長身で銀髪、視線は鋭く、きつい印象を抱かせる着物姿の女性だった。
彼女は私に一瞥をくれると、顎でカウンター席の方へ促した。・・・ここまで自然に客として受け
入れられるとは思わなかった。ある意味不自然とも言える。
促されるままにカウンター席につく。銀髪の女性はお冷を静かに置いただけで、私からの注文も
受けずに給仕たちの指揮に行ってしまった。結い上げられた髪に横一文字に挿さった長い
かんざしが、揺れながら遠ざかっていく様をただ見つめる・・・私は何をどう注文すればいいの
だろうか?カウンターの向こうでは筋骨たくましい、老境の板前がこちらに背を向けて一心不乱に
何かを作っている。どうにも、声をかけ辛い雰囲気である。私があれこれと迷っているうちに、
隣の席の客が声をあげた。どうやら女性のようである。
「辰っちゃ~ん、辰巳~!聞けよこのヤロー!!」
女性とは思いたくなくなるような荒っぽい怒声とともに、老境の板前の、髪を逆立てた灰色の
後頭部に割り箸が投げつけられた。割り箸はほぼ無音で板前の髪に突き刺さる。それから寸毫、
板前はゆっくりとこちらを振り返った。包丁を構えて。
・・・まずい、あのどす黒い目は危険だ。明らかに人斬りのそれだ。このままでは隣の女性の身が
・・・いや、我が身すら危ういかもしれない。私じゃありませんよ、という主張も果たしてどこまで
通るだろうか?などと考えていられるだけの余裕が生まれたのは、その殺気が一瞬で治まったのが
解ったから、なのだが。
板前は女性の前まで来ると、少々ばつの悪そうな態度を表した。その彼に、隣の女性は苛立ち
混じりの声を放る。
「ったく、客をほっぽって調理に夢中になる板前で、よくやっていけてるねこの店は!」
「・・・で?」
「とりあえず、ピッチャー2つ。あとはおでんの具をテキトーに見繕って」
ここでようやく気付いたのだが、隣の女性の服装・・・明らかに異彩を放っていた。全体的な
印象としては、紅魔館のメイド装束、そこからエプロンを外したらこうなるだろうか。ただ、
足にやたらと長い白い靴下を履いているのが特徴だと言える。そして一際異様なのが、頭に
巻かれた赤い帯。見覚えがある、確かいつも屋敷に薬を届けに来る月の妖怪兎が首周りから
下げているものではなかったか。・・・このような纏い方もあるのか。今度訊いてみよう。
私の視線に気付いたのか、女性は横目でこちらを一瞬窺う。そして注文を追加した。
「それとね、オレンジ&ザクロ。ノンアルコールで」
その注文を聞いて板前は顔色をわずかに変えた。これまでは女性の注文を黙々と聞いて
いたのに、聞き間違えたとでも思ったかのように注文を再確認する。
「ノン、アルコール?」
「いいから持ってきなさいよ」
女性はそれだけ言い放つと、私の方に顔を向けてウィンクして見せた。私はわけがわからず、
女性と板前とを交互に見る。そんな私に構わず、板前は無言で調理場へ戻っていった。私は、
その硬質な背と、髪に挿さったままの割り箸を見送る事しか出来なかった。
私の目の前に置かれた赤みがかったオレンジのグラス、それが私を更なる混乱の渦中に叩き
込んでくれた。この状況から救い出してくれそうな人物はもはや一人しかいない。私は隣の
女性に声をかけた。
「あの、これは?」
「本日のオススメ。美味しいわよ。もっとも、未成年にアルコールはお奨めできないけどね、
私としちゃ」
そう言って愉快そうに笑う。こちらとしては答えをはぐらかされているので、とても一緒に
笑う事はできない。顔に不満がでてしまったのだろうか、女性の眉が申し訳無さそうに少し
下がる。
「おせっかいだった?いやほら、君がなんだか居心地悪そーにしてたから、つい気になって。
やっぱりお酒は気兼ねなく飲んだほうが美味しいじゃない」
どうやら私の為に、そして自分の為に、手を尽くしてくれたようだ。こういうおせっかいなら
ありがたい。私は丁寧にお辞儀を返すことにした。
「そうでしたか、わざわざありがとう御座いました」
「まー、ここは店側が実に無愛想でね。辰っちゃんもアリコー姉さんもあの通りでさ。給仕の
コ達と天爺ぃがいなきゃ確実に潰れてるわねこの店は」
再び愉快そうな笑顔を見せて取っ手付きの大杯(ジョッキ?ピッチャー?)を傾ける女性。私も
とりあえず喉を潤そうとして・・・グラスの傍におしぼりで作られたヒヨコが置かれているのに
気付いた。見事な、可愛らしい造型である。いつの間に、一体誰が?
「お詫びの一品、ってとこかしら」
女性は私にはそう言って、含むところのある視線を再び背を向けている板前に投げかけた。
聞こえてしまったのか後ろ頭を掻く板前・・・あっ、割り箸落ちた。さようなら、無粋なかんざし。
私はオレンジアンドザクロとおしぼりのヒヨコを、二人の好意とともにありがたく頂戴する
ことにした。
オレンジアンドザクロの甘酸っぱい口当たりを一口愉しんだあたりで、新たな曲の始まりを
告げる洋琴の旋律が鳴り響いた。まだ演奏するつもりか。私との約束、忘れているんじゃ・・・
などと心配になりかけたところで、この曲に聞き覚えがあることに気付いた。しかも最近に。
間違いない、この曲は・・・。私はピアノのある方へ顔を振り向かせ・・・
自分の頭がどうにかなりそうになった。
実際にただ事ではなかったのは、私の視界に飛び込んできた男性の頭だったのだが。
その長身痩躯の男性の頭部は、例えるならそう、黒く塗りこめられたタンポポの綿帽子。顔の
肌だけが浅黒いのはどのような意図があってのことか。丸い眼鏡も黒かった・・・あれで前は
見えているのだろうか。もはや私の幻想郷についての記憶から織り成された常識を大きく逸脱
してしまっている。否、幻想郷は全ての非常識を受け入れるのでしたね、なんて残酷な話。
それにしても・・・私は隣の女性に一瞬目をやる。この店は「外来人」の巣窟なのだろうか?しかも
私が書物にまとめてきた人々とは少々タイプが異なる。どちらかといえば、守矢神社の東風谷
早苗嬢に近い気がする。なんとも好奇心が駆り立てられる。これからしばらくは足繁く通う事に
しようか?お酒は飲めないけど。
軽快な旋律の連弾が鳴り響く中、漆黒の綿帽子は踊りながらテーブルの間を行き交い、客に
料理とお酒を届けていく。大した手並みだ。無駄がない・・・とは言うまい。実際、踊りの部分は
無駄だろう。しかしそれがないと面白みに欠けてしまうことも確かだ。
しばらく彼の舞踏に見入っていたが、今度は奏でられている洋琴の調べに耳を傾ける。私の記憶
どおり、この曲は最近入手したレコードに収録されていた曲・・・それをピアノのみの演奏で聴ける
とは思っていなかった。私は改めてピアノの方に目をやった。相変わらず、演奏者の姿は
見えなかったが。
万雷の拍手が酒場中を震わせる。それに悠然と片腕を上げて応える漆黒の綿帽子。それから彼は
ピアノの傍に行き、演奏者の手をとって前に連れ出した。現れたのは、長身の綿帽子に比して
遥かに小さな少女だった。そのいでたちを見て、私は一瞬自分の目を疑った。いつもの服とは
異なる華やかな装い。洋館で催されるパーティーに出ても不自然ではない、腕や首周りが露出した
ワンピース。サテンで織り込まれているのか、真紅の光沢を放つ様はこのような夜の店にも
相応しい。普段の彼女の格好を知るものならば、シルエットは変わらず、袖と帽子がなくなった
状態だと表すだろうか。
彼女は拍手の中、小さくお辞儀する。前髪に飾られていた流れ星型のヘアバンドが光を照り返した。
それから彼女は手を後ろで組んで、カウンターの内側へ歩いていった。やがて私の席の前を通る。
一瞬こちらに視線を送ると、奥へ行ってしまった。この奥には裏口があるらしい。外で話そう、
ということか。
「知り合い?」
隣の女性が興味ありげに尋ねてくる。
「まぁ、多少は。あ、それでは私はこれで失礼します。本当にご馳走様でした。ええと、おいくら
でしょうか?」
「ああ、いいのいいの。私のオゴリってことで。どうせツケだしっと!?」
笑いながらまくし立てる彼女が前に傾く。その後ろには、最初に私を迎えてくれた銀髪の女性が
立っていた。ほとんど無表情だが、射るような視線が彼女の苛立ちを伝えてくる。
「他人におごる余裕があるんだったら、さっさと自分のツケを清算したらどうなんだい!まったく、
あんたはどうしようもない呑んべぇだね」
銀髪の女性は隣の席を何度も何度も蹴りつける。静かな女性だという印象を抱いていたが、口を
開くとこれまたかなりキツいようだ。こちらも開いた口が塞がらない。
「あ、ああアリコー姉さん!?もうちょっと待ってよ、せめて新しい仕事が見つかるまでは・・・」
「その渾名で呼ぶんじゃないと何度も言っただろ!相変わらず物覚えが悪いんだから。いっぺん
すっかり酒を断って、頭の中をきちっと整理したらどうなんだい!」
二人の女性は私のことなど置いて、罵倒と弁解の応酬を始めてしまった。どうしよう、終わるまで
待つのは流石に・・・などと閉口していると、長身痩躯の黒綿帽子が声をかけてきた。
「気にせんでええ。あの二人はいつもあんな感じじゃからの。嬢ちゃんはもう帰ってもええぞ」
音楽に合わせて軽快なステップを踏んでいたのは、なんとご老体だった。今日この店に入ってから
何度目だろうか、唖然としつつも私はお辞儀をすると店の外へ向かった。
「またのご来店、待っとるよ」
開いたドアまで届けられたご老人の言葉に振り向き、もう一度頭をさげてからドアを閉じた。ふと
見上げると、そこには異国の文字が記された看板がかけてあった。曰く、
「バー・・・ええと、トウィリ、じゃない・・・トゥワイ、ライト・・・?」
覚えておこう。
店の外はもうすっかり暗くなっていた。かなりの時間を酒場で過ごしていたようだ。外を見回して
みるが、先に出ていたと思われる私の待ち人の姿は見当たらない。裏口側に回ったほうがいいの
だろうか、そう思って店の角をみると、鳥の羽がはためいているのが見えた。それはすぐに店の
陰に隠れてしまう。あれは・・・間違い無さそうだ。私はその招きに誘われるように、店の角に
向かった。
果たせるかな、彼女はそこで私を待っていた。宙に浮く鳥の羽の生えたキーボードに腰掛けて。
角から私が現れたのを見ると彼女は立ち上がり、申し訳無さそうに笑った。
「やーごめんごめん。つい興が乗っちゃってね~。いつもよりも長めに演奏しちゃったよ」
「おかまいなく。私としても今夜は色々と貴重な体験が出来ましたから。やはり一日中書斎に
篭ってばかりではこのような刺激は得られませんね。・・・それで、お久しぶりですね。リリカ=
プリズムリバーさん」
「久しぶり~。以前に会ったのは幻想郷縁起が公開されるちょっと前くらいだったっけ?」
騒霊三姉妹の末娘、幻想の音を奏でるキーボーディスト。彼女から直接手紙が送られてきたときは
内心ドキドキしたものだ。その中身に関連して、私は先程抱いた疑問をぶつける。今夜はもう
すでに色々な出来事があったような気がするが、ここからが本番だ。
「それにしても、最後に弾いていた曲は一体どこで覚えたのですか?」
「ああ、あれ?マスターの爺ちゃんに教えてもらったのよ。スコアも見たけど、ホントはピアノ
だけで演奏するもんじゃないね、あれは」
「マスターの爺ちゃん・・・ああ、あの黒綿帽子のダンサーのことですか。実はあの曲、最近私が
手に入れた幺楽のレコードに収録されていたものなんですよ。確か『呑んべぇのレムリア
(レトロ ベェー)』とかいうわけの分からないタイトルだったと思います」
私の言葉に、リリカさんは目を丸くする。心底驚いている様子だ。でも続く言葉は淀みない。
「へえ、そうなんだ。幺楽って、あんたの本で予想してた通り外の世界の音楽なのかな。タイトル
までほとんど一緒だなんてびっくりだよ」
「外来人の知っている曲名と、幺楽のレコードの曲名が一致する・・・やはり幺楽は外の世界の音楽
だと見て間違いないと思います」
前々から推測していたことの裏付けが取れていくようでなんとも楽しい。自分の明晰さが証明
されていくようだ。私は次の質問を投げかける。
「あの店に外来人がいるだなんて、どのようにして知ったのです?」
「ん~、最初はピアノ目的であの店に入り浸っていたんだけどね。あの連中が顔を出すように
なったのはここ最近のことだよ。そしたらなんだか急にウワバミ達が集うようになってさ。
そいつらの目当てはお酒と料理、それから爺ちゃんのダンスでさ。その伴奏を引き受けるとか
してるうちに色々と外のことっぽい話を聞いてねぇ・・・面白かったよ。新しい音ネタも随分
溜まったし」
「成る程・・・ここ最近、と。悔しいですが、私はお酒はダメですからね。こういうことでもなければ
気付けませんでした」
自分にもう少し行動力があれば、とは幾度となく思ってきたことだ。気を取り直し、外来人
そのものについてもう少し突っ込んでみる。
「ちなみに、彼の素性は?実は音楽家とか・・・」
「うんにゃ、ただのダンサーだよ。知ってる曲はあれだけ。料理もできるみたいだけどね~。それに
しても、幺楽も外の音楽かぁ。こりゃ断然、聴くのが楽しみになってきたわー」
リリカさんは目を細める。それを見て、私は根本的な質問をしてみることにした。さっきから訊いて
ばかりだが仕方が無い、今夜はそれほどまでに私にとって非日常的なのだから。
「そういえば、手紙の内容は『あんたの所の、アンタッチドスコアってやつを見せて欲しい』との
ことでしたが、どうして幺楽に興味を?」
同好の士が増えるとしたらそれは歓迎したいことである。それも音楽に詳しい者なら尚更だ。その、
音楽に携わる彼女は幻想郷縁起の文面からどのようにして幺楽に惹かれたのだろうか?
「そりゃ、私が演奏するのは幻想の音。この世に存在しない、誰も聞いたことのない、未知なる音色
こそが私の響かせたい音だからね~。幺楽ってのもそういうもんなんでしょ?それにね・・・」
リリカさんは一息置くと、満面の笑みと共に告げる。稗田の人間がもっとも聞きたい言葉を。
「面白そうじゃん。その音を探し、聞き、集め、組み合わせ、そして奏でる。それを想像するだけで
わくわくしてこない?」
「その好奇心、心から歓迎します」
私は手を差し伸べる。リリカさんも同じように手を伸ばす。このような言葉を紡ぐ彼女とならば
良好な交友関係が築けそうだった・・・・・・・・・しばらく無言で手を握り合っていると、リリカさんが
不審を露わにしてきた。
「どうしたの?」
「あっ、いえ、その・・・どうして今日はそんな格好をしているのかな~と思いまして」
なんとか話を逸らす。乗ってくれたようだ、リリカさんはスカートを両手でつまんで軽く持ち上げる。
「ああこれ?いやーはは、いつもの服だとさ、前に巫女に『オフでもそんな服着てるのね』って
言われてさ。それもそうかと思ってたところで酒場の連中にも勧められてね~。どう、
似合うでしょ?」
羽飾りの付いた赤いパンプスを基点に、一度回ってみせる。薄暗い中、淡く光沢を放つ赤は柘榴石を
彷彿とさせる。先程のオレンジアンドザクロは絶品でした。今、目にしている光景も同様に。
「ええ、素敵だと思いますよ。普段よりも少し大人っぽい印象を受けますね。それに、いつもの
服だとお忍びには向いてなさそうですね。いかにも、プリズムリバーここに在り!って感じで」
「えへへ~、ありがと。ああ、今夜のことは姉さん達には内緒だよ。酒場に行ってくるとは言った
けど、あんたと会うことは知らせてないんだから」
「心得ています」
リリカさんは人差し指を口元に当ててウィンクして見せた。個人的にもこの逢瀬は内密にして
おきたいところだ。それでは私もとっておきを披露することにしよう。
「さて、そろそろ参りましょうか。幺楽のレコードは私の屋敷に揃えてあります」
そう言って屋敷へ先導しようとしたところ、キーボードが併走してきた。
「善は急げ、って言うでしょ?乗ってきなよ、あんたの足に合わせてると夜が明けちゃいそう
だしね」
リリカさんは夜空を指差す。やれやれ、言ってくれる。でも確かに、そちらの方が速そうだ。
私はキーボードの、鍵盤ではない方に腰を下ろす。リリカさんは私の隣に座った。そして
キーボードは羽を一打ち、夜の人里の上空へ舞い上がっていった。
「わぁ・・・!!」
私の遥か眼下には、人里の明かりがいくつも灯っている様がよく見渡せた。爽快だ、これが
妖怪や英雄達がいつも見ている風景なのか。まったくもって、憧れる。しばらく見入って
いると、キーボードがゆっくりと減速した。そして隣から質問が来る。
「それで、どっちにいけばいいの?」
「ああ、ええと・・・あそこです。あの大きな屋敷が私の家ですよ」
私が指差すと、キーボードはその方向に向けて次第に加速していく。しかし不思議なものだ、
羽をはためかせているのに乗っている私にその振動が伝わってこない。それに風を切っている
はずなのにその圧力もない・・・わけではないが、背もたれなどないはずなのに何故か私の上半身は
後ろに傾かない。リリカさんも同じ様子である。
その疑問を彼女にぶつけると、返ってきた答えは以下の通りだった。
「ああ、別にこのキーボードの幽霊があんたと私を運んでるわけじゃないの。そもそも幽霊
なんだから、あんたが触れるわけないじゃん」
「・・・・・・・・・はい?」
「私は騒霊、別名ポルターガイストとも言うよねぇ」
ポルターガイスト。心霊現象の一。物体がひとりでに浮き上がり、宙を舞う。時には人間が空へ
飛ばされることもあるらしい・・・つまり、私は彼女の念動力で支えられているに過ぎなかった
わけだ。
「なぜわざわざキーボードに私を乗せるような真似をしたのです?」
「その方が違和感がないでしょ?人間の精神を平静に保つには、不自然さを感じさせないのが
一番。他人に引きずられてるって分かると、落ち着かないんじゃないの?」
「それなら最後まで秘密にしておいて・・・いえ」
自分の好奇心が仇となる、そんなことなど数え切れないほど経験してきたはずだ。ふと、家で
飼っている猫達の顔が頭をよぎる。それでも溢れるそれを抑えきれない、なんとも因果なもの
である。
「ひょっとして、貴女達の楽器から響く音というのは、念動力が空気を振動させることで発生
しているのですか?あるいは、心に響く音というのは、念をもって精神を直接震わせることで
作用させているのでしょうか?」
この質問は、リリカさんに不自然なくらい含みのある笑顔をもたらす結果となった。
「・・・えへへ~、企業秘密」
はぐらかされてしまった。ということは、当たらずとも遠からずということか。まぁ追求しても
これ以上答えてはくれまい、自分から別の話題を振ることにする。
「幺楽団って、何人で構成されているんでしょうねぇ。貴女達みたいに3人でしょうか?
それとも、意外と単一の存在が、複数の楽器を演奏しているとか。貴女達みたいに」
「う~ん、まずは音楽を聴いてみないとなんとも言えないなぁ。そもそも、音楽聴くだけで
わかるのかなぁ?そういうこと」
・・・即答された。ごもっとも。
自分の屋敷に門以外から入ることになる日が来るとは、夢にも思っていなかった。リリカさんに
お願いして、私達は書斎ではなく庭の隅にある離れに降りた。全体的に和風の造りとなっている
母屋とは異なり、離れはレンガで組み立てられた洋風の装いである。私は執筆に疲れた時などに
この離れで幺楽のレコードを愉しむのである。書斎にも蓄音機は置いてあるのだが、離れで
幺楽を聴きながら飲む紅茶はまた、格別に疲れを癒してくれる。音量への配慮もしなくても
よいし。
私は離れの扉を開き、ランプに火を点す。中には最低限の物しか置いていない。長い一本足の
円卓、赤い丸椅子、そしてHIEDA印の蓄音機。
「さあ、どうぞ。あまりおもてなしには向かない部屋ですが」
私はリリカさんを招き入れつつ、蓄音機の傍でレコードを探す。あったあった、まずは例の最近
手に入れた一枚を。レコード盤を取り出し、回転台に設置する。スイッチを入れ、レコードが
回転を始める。音楽が始まるまでしばらく間があるだろう。
「ちょっと席を外します。紅茶を淹れてきますので。リリカさんもどうです?」
「頂くわ~」
リリカさんは椅子に座り、両肘をついて頬を支えている。くつろいでくれているようだ。私は
それを見送りつつ離れから出て行った。
二つティーカップを載せた盆を手に、私は離れの扉を開ける。その音を聞いたのか、リリカさんが
こちらを振り返る。浮かべているのは・・・困惑。それが言葉の形をとって表された。
「ちょっと、どういうこと!?どうして私のキーボードの音が録音されてるのさー?私はあの曲、
まだ自分のキーボードで演奏したことないんだよ。他の曲だって私の知らないものばかり・・・」
明らかな動揺がひしひしと伝わる。私はひとまず盆を円卓に載せ、それからリリカさんに改めて
向き直る。
「その問いに対する明快な答えを私は持っていません。私がまとめてきた幺楽団の歴史は、全て
貴女のキーボードから聞こえてくる音楽によく似ていました。そして、新しく生み出されている
ものも同様のようですね。失礼ながら逆にお尋ねします、貴女は幺楽団とは何の関係もないの
ですか?直接的にも、間接的にも?」
独特の音を響かせるキーボードの幽霊を従えた、外の人間とも通じている、そしてこの度の
幺楽団の歴史への介入・・・私はリリカさんの目をしっかりと見据える。ありとあらゆる情報を
漏れが無いよう、求め、聞く姿勢を整える。リリカさんはこちらから一切目を逸らさずに、
はっきりと答えた。
「ないよ。私はプリズムリバー姉妹の三女、幽霊楽団のキーボーディスト。それ以外の肩書きは
一切ないね!私が幺楽のことを知ったのも、幻想郷縁起が初めてだよ」
「そう、ですか・・・」
肩が落ちる。初めて彼女の演奏を聞いたとき、確信した。彼女の奏でる幻想の音と幺楽団の演奏
する音は同じ物だと。そして期待した、幺楽団は遠い昔でも外の世界でもなく、この今の
幻想郷に実在するのではないかと。私はあえて、幻想郷縁起ではリリカさんの音のことには詳しく
触れず、その一方で幺楽団に関しても未解決資料の一部にチラシを挟むだけに留めた。実際、この
二つの可能性を結び付けるには資料が全然足りなかった。更なる探求のためには、本人に直接訊く
しかない、そう思っていた。彼女との個人的な接触をどのようにして図ろうか思案していたところ、
彼女の方から打診がきた、それが今回の経緯だ。
私の落胆ぶりに意表をつかれたのか、リリカさんの気勢が削がれる。
「な、どうしたのさ?」
「いえすみません、私の勘違いでした。私としては、実は貴女は本当に幺楽団の一員で、今回私に
手紙を送りつけてきたのは、勝手に歴史を編纂されたこと、レコードを無断で独占していることに
抗議しにきたものだと思いこんでいました。ですから、酒場裏でのやり取りも全部すっとぼけて
いるものだと思ったんですよ。何しろ貴女は油断のならないお方です・・・から」
リリカさんが目に見える形で脱力した。私はそんなにとんでもないことを言っているのだろうか?
何しろ送られてきた手紙の文面からして訝しかった。幺楽を奏でる者が、知らぬ振りして幺楽を
教えて欲しいときたものだ。穏やかではない事態になる、そう予想するのも詮無いことだと思うの
だが。
「人聞きが悪いなー。それと、想像力がたくましすぎるねぇ。でもそれが誤解だったのに、なんで
がっかりしてるのよ?」
「まぁ幺楽のレコード没収という事態はないに越したことはなかったのですが、予想が外れると
いうのも寂しいものですよ。特に、前々から憧れていた幺楽団員かもしれなかったわけですからね」
リリカさんを一人にしておいたのは、本性を暴くためだ。実はこっそりと中の様子を窺っていた。
でも結果として特に怪しい素振りはなく、レコードを聴いている時のリリカさんは先程と同様に
酷く困惑しているようだった。特にあのレコードの三曲目の時が一番反応が大きかった。そう、
彼女が今夜ピアノで弾いていた曲、外来人に教えられた曲、『呑んべぇのレムリア』、その幽霊
キーボード版。
彼女が本当に幺楽団とは関係ないのであれば、その驚きはいかばかりか。自分のゴーストが存在
するのでは、と疑ってしまうだろう。ポルターガイストのゴースト・・・わけがわからない。ともかく、
それらの態度も加味して、私は今夜の彼女の言葉には最初から全く裏がなかった、と結論付けた。
先入観が崩れてみれば、酒場裏でのやり取りも特に不自然なところはなかった気がする。
ちなみに紅茶は使用人に用意させたものである。彼女達にはあらかじめこの離れの傍にいて
もらうよう伝えておいた。もしもリリカさんがレコードを持ち逃げしようとしたときに、微力ながら
協力してもらうためだ。今、彼女達は離れの周りに用意しておいた、巫女から買い付けた結界符の
後始末をしてもらっている。リリカさんが最大の驚愕を見せた際、そのほとんどが焼け焦げて
しまったそうだ。おかげで離れそのものに被害はなかったが・・・恐るるべきは騒霊の力か。私達が
持っていた結界符全てをかき集めたとしても、果たして止められたかどうか・・・。ともかく、この
ことは黙っておこう。
とりあえず、お互い気持ちを落ち着けるために私達は円卓を挟んで座りなおす。紅茶二つを傍らに
寄せて。
「ではあの手紙は、純粋な興味が動機であったと」
「だからそう言ったじゃん。昔、幻想郷にいたという連中が演奏する、消え入りそうな音楽
ってのがどういうもんか、それを集めて新しい音が作れないか、気になったのよ。まさか私の
キーボードと同じ音とは思わなかったけど~・・・」
リリカさんは自分のキーボード霊をにらみつけ、首を傾げる。そう、リリカさんが知らずとも、
この幽霊なら何か答えを秘めているのではないだろうか。もっとも、私では幽霊から情報を聞き
出すことなど出来そうにないが。
「その、幽霊と意思疎通を図ることはできますか?」
「うー、前にも誰かにそんなこと言われたような気がするけど、幽霊と会話なんてムリ・・・ああ、
そうか、あいつか。花の妖怪。あいつに言われたんだっけ・・・んー、あいつなら長生きしてるみたい
だし、何か幺楽団のことも知っているんじゃないかなぁ。そっちはどうなの?幽霊と会話できる奴
とか知ってる?」
「いるにはいるのですが、生憎と是非曲直庁の方々は人間の幽霊専門ですね。それよりも、古い
妖怪に尋ねてみるというのはいいかもしれませんね。紫様か、それとも山の妖怪か」
・・・うん?なんだか会話が弾んできているような気がする。幺楽団を調べるにはどうすれば良いか、
色々と当てが出てきたような。リリカさんは先程から、指を折りつつ独り言を呟いている。
「あの、リリカさん?」
「・・・音楽を解析してみるのも手かな、なら波長兎って線も・・・って、なに?」
「もしかして、興味を抱きました?幺楽団についても」
ひょっとして、交友関係はあそこで結んでから現状維持、なのだろうか?
「まーね、なんだかこのまま放っておくのもすっきりしないし・・・。それにあんたが言ったみたいに、
もしその連中がどっかから出てきた場合、私の音楽にいちゃもんつけられないとも限らないしね~」
「でもプリズムリバー楽団は幻想郷中を演奏行脚してますよね。それでも何も言ってこないのなら、
存在しないか、気にしていないか、どちらかじゃないでしょうか。私としてはその説だと残念なの
ですが」
やはり私の想像通り、外に存在するのだろうか。でも、リリカさんの扱っているのが外の世界で死を
迎えた音であるのなら、近いうちに幺楽団そのものが幻想郷に入ってくるかもしれない。
「まぁとりあえず、残りのレコードとか、あんたが密かに持ってる幺楽団のチラシとか、色々と
教えてよ。楽団について調べていく過程で、ついでに音ネタも集めて新しい曲を作れそうねー」
・・・やはり抜け目がないと思う。曰く言い難い表情になりそうになる私の顔などおかまいなしに、
リリカさんは明朗な声で告げる。彼女特有の、目を閉じた猫のような笑顔とともに。
「そんなわけで、改めてよろしくー」
・・・ま、いいか。しばらくは彼女と行動を共にする事になるかもしれない。それはそれでまた、退屈
とは無縁の毎日が始まりそうで楽しみだ。幺楽団について調べていく過程で、リリカさんが新しい曲を
ソロで作るのだとしたら、それは幺楽にとっての新たな一歩に数えてしまっても構わないのかも
しれない。遥か昔に存在して、今はごく稀にしか新曲が出てこない旧幺楽団を頼るよりも、彼女を
たきつけて新しい幺楽を作り出す、その方が幺楽を愉しむだけなら手っ取り早いのかもしれない。
私は紅茶のカップを手に取り、乾杯を求めるように前に突き出した。遅れてリリカさんも私に倣う。
「こちらこそ。では、幺楽の新たなサーガの幕開けを祝して」
「トースト~(乾杯~)」
それにしても、今日は彼女のお蔭で色々と冒険できた。悪友を得るとはこのような感覚なのだろうか?
阿求、悪友を得る・・・・・・・・・今日は不調だ。
誤魔化すように紅茶をあおる・・・つめたっ!?すっかり冷え切ってるじゃない・・・って、当たり前か。
何が気持ちを落ち着けるため、だ。未だに動揺を引きずっているじゃないか。淹れ直しを忘れるなんて。
でもこの冷め具合が、これからの日々への期待と興奮で熱くなった身体には丁度良いな、と思った。
実際の製作者が意図した性格・口調・行動様式とはあまり相関がありません。
夕暮れ時の里の中を歩く。街道は仕事を終えて家路に、または憩いの場所への道をゆく人で
溢れている。そして、そういう人々と入れ替わるように仕事に精を出し始める食事場・酒場の
客引き。そんな人ごみの中を私のような者が歩いていると、やはり危なっかしく見えてしまう
ものらしい。親切なおせっかいに心配されたのはもう何度目か。中には私の姿に構わずに店に
案内しようとする者も少なからずいたが。今も、私は一人の男性に呼び止められていた。
「おいおい、嬢ちゃん。ここは子供の来る場所じゃないぞ。さっさと家に帰りな。大きな声じゃ
言えんが、このあたりは妖怪の客もいるって話だぞ」
この男性は親切なおせっかいのようだ。ならばそれほど面倒ではない。あらかじめ用意して
おいた台詞を自信たっぷりに語るまでだ。
「お気遣いありがとう御座います。ですが心配は要りません。私、こう見えても妖怪の方には
顔が利くほうなんですよ。今日もそういった方と待ち合わせているんです、あそこの店で」
私は、もう眼と鼻の先までたどり着いていた目的地を指差した。男性は幾分訝しげではあった
ものの、一応納得したようだ。子供であるのに妖怪という脅し文句にもなんら怯んだ様子を
見せなかったため、もしかしたら私も妖怪なのでは、と疑いを持ち始めたのかもしれない。
「へぇそうかい。ま、あまり遅くならないようにな。この界隈じゃ、妖怪よりも人間の
酔っ払いの方が始末に負えねぇこともあるからな」
そう言い残して男性は去っていった。男性の忠告はもっともだが、その心配も要らない。何故
ならその待ち合わせている妖怪のような存在を私は自分の屋敷に案内することになっている
からだ。暗い夜道の道中となったとしても、護衛の手は充分足りている。
「さて、ここだったわね」
私の目の前にある酒場、ここは確か中にピアノが置いてある、里でも珍しい店だったはず。待ち
合わせにこういう場所を選ぶ感性はさすがと言うべきか。現に今も、開いた窓の中から流麗な
洋琴の調べが響いてきている。私はまず、窓の外から店の様子を窺ってみることにした。
視界に飛び込んできたのは、喧騒。そう、見て分かるほどの騒がしさ。喚声・怒声を上げる酔客で
埋められた宴席、注文を受けて忙しく飛び回る給仕、大量の食事を作る厨房・・・逆に、静かに酒を酌み
交わしている席も少なくないことに何故か気付かされた。これらの状況を何ら妨害することなく、
かといって掻き消されるわけでもなく、窓から見て一番奥から洋琴の旋律が耳朶を震わせてくる。
不思議な事に、喧騒と旋律が耳障りの良い一つの音楽を織り成している。ピアノの奏者の姿を
ちゃんと確かめようとして目を凝らすが、赤い服を着ているということぐらいしか判別できない。
ピアノの蓋の陰に隠れてしまっているようだ。そのあたりも含めて、待ち人がピアノを演奏して
いるということに思い当たる。やはり性質上、大人しく待っていることはできないようだ。
私が酒場のドアを開ける頃には、演奏はすでにクライマックスを迎えようとしていた。なお、
私を出迎えてくれたのは、長身で銀髪、視線は鋭く、きつい印象を抱かせる着物姿の女性だった。
彼女は私に一瞥をくれると、顎でカウンター席の方へ促した。・・・ここまで自然に客として受け
入れられるとは思わなかった。ある意味不自然とも言える。
促されるままにカウンター席につく。銀髪の女性はお冷を静かに置いただけで、私からの注文も
受けずに給仕たちの指揮に行ってしまった。結い上げられた髪に横一文字に挿さった長い
かんざしが、揺れながら遠ざかっていく様をただ見つめる・・・私は何をどう注文すればいいの
だろうか?カウンターの向こうでは筋骨たくましい、老境の板前がこちらに背を向けて一心不乱に
何かを作っている。どうにも、声をかけ辛い雰囲気である。私があれこれと迷っているうちに、
隣の席の客が声をあげた。どうやら女性のようである。
「辰っちゃ~ん、辰巳~!聞けよこのヤロー!!」
女性とは思いたくなくなるような荒っぽい怒声とともに、老境の板前の、髪を逆立てた灰色の
後頭部に割り箸が投げつけられた。割り箸はほぼ無音で板前の髪に突き刺さる。それから寸毫、
板前はゆっくりとこちらを振り返った。包丁を構えて。
・・・まずい、あのどす黒い目は危険だ。明らかに人斬りのそれだ。このままでは隣の女性の身が
・・・いや、我が身すら危ういかもしれない。私じゃありませんよ、という主張も果たしてどこまで
通るだろうか?などと考えていられるだけの余裕が生まれたのは、その殺気が一瞬で治まったのが
解ったから、なのだが。
板前は女性の前まで来ると、少々ばつの悪そうな態度を表した。その彼に、隣の女性は苛立ち
混じりの声を放る。
「ったく、客をほっぽって調理に夢中になる板前で、よくやっていけてるねこの店は!」
「・・・で?」
「とりあえず、ピッチャー2つ。あとはおでんの具をテキトーに見繕って」
ここでようやく気付いたのだが、隣の女性の服装・・・明らかに異彩を放っていた。全体的な
印象としては、紅魔館のメイド装束、そこからエプロンを外したらこうなるだろうか。ただ、
足にやたらと長い白い靴下を履いているのが特徴だと言える。そして一際異様なのが、頭に
巻かれた赤い帯。見覚えがある、確かいつも屋敷に薬を届けに来る月の妖怪兎が首周りから
下げているものではなかったか。・・・このような纏い方もあるのか。今度訊いてみよう。
私の視線に気付いたのか、女性は横目でこちらを一瞬窺う。そして注文を追加した。
「それとね、オレンジ&ザクロ。ノンアルコールで」
その注文を聞いて板前は顔色をわずかに変えた。これまでは女性の注文を黙々と聞いて
いたのに、聞き間違えたとでも思ったかのように注文を再確認する。
「ノン、アルコール?」
「いいから持ってきなさいよ」
女性はそれだけ言い放つと、私の方に顔を向けてウィンクして見せた。私はわけがわからず、
女性と板前とを交互に見る。そんな私に構わず、板前は無言で調理場へ戻っていった。私は、
その硬質な背と、髪に挿さったままの割り箸を見送る事しか出来なかった。
私の目の前に置かれた赤みがかったオレンジのグラス、それが私を更なる混乱の渦中に叩き
込んでくれた。この状況から救い出してくれそうな人物はもはや一人しかいない。私は隣の
女性に声をかけた。
「あの、これは?」
「本日のオススメ。美味しいわよ。もっとも、未成年にアルコールはお奨めできないけどね、
私としちゃ」
そう言って愉快そうに笑う。こちらとしては答えをはぐらかされているので、とても一緒に
笑う事はできない。顔に不満がでてしまったのだろうか、女性の眉が申し訳無さそうに少し
下がる。
「おせっかいだった?いやほら、君がなんだか居心地悪そーにしてたから、つい気になって。
やっぱりお酒は気兼ねなく飲んだほうが美味しいじゃない」
どうやら私の為に、そして自分の為に、手を尽くしてくれたようだ。こういうおせっかいなら
ありがたい。私は丁寧にお辞儀を返すことにした。
「そうでしたか、わざわざありがとう御座いました」
「まー、ここは店側が実に無愛想でね。辰っちゃんもアリコー姉さんもあの通りでさ。給仕の
コ達と天爺ぃがいなきゃ確実に潰れてるわねこの店は」
再び愉快そうな笑顔を見せて取っ手付きの大杯(ジョッキ?ピッチャー?)を傾ける女性。私も
とりあえず喉を潤そうとして・・・グラスの傍におしぼりで作られたヒヨコが置かれているのに
気付いた。見事な、可愛らしい造型である。いつの間に、一体誰が?
「お詫びの一品、ってとこかしら」
女性は私にはそう言って、含むところのある視線を再び背を向けている板前に投げかけた。
聞こえてしまったのか後ろ頭を掻く板前・・・あっ、割り箸落ちた。さようなら、無粋なかんざし。
私はオレンジアンドザクロとおしぼりのヒヨコを、二人の好意とともにありがたく頂戴する
ことにした。
オレンジアンドザクロの甘酸っぱい口当たりを一口愉しんだあたりで、新たな曲の始まりを
告げる洋琴の旋律が鳴り響いた。まだ演奏するつもりか。私との約束、忘れているんじゃ・・・
などと心配になりかけたところで、この曲に聞き覚えがあることに気付いた。しかも最近に。
間違いない、この曲は・・・。私はピアノのある方へ顔を振り向かせ・・・
自分の頭がどうにかなりそうになった。
実際にただ事ではなかったのは、私の視界に飛び込んできた男性の頭だったのだが。
その長身痩躯の男性の頭部は、例えるならそう、黒く塗りこめられたタンポポの綿帽子。顔の
肌だけが浅黒いのはどのような意図があってのことか。丸い眼鏡も黒かった・・・あれで前は
見えているのだろうか。もはや私の幻想郷についての記憶から織り成された常識を大きく逸脱
してしまっている。否、幻想郷は全ての非常識を受け入れるのでしたね、なんて残酷な話。
それにしても・・・私は隣の女性に一瞬目をやる。この店は「外来人」の巣窟なのだろうか?しかも
私が書物にまとめてきた人々とは少々タイプが異なる。どちらかといえば、守矢神社の東風谷
早苗嬢に近い気がする。なんとも好奇心が駆り立てられる。これからしばらくは足繁く通う事に
しようか?お酒は飲めないけど。
軽快な旋律の連弾が鳴り響く中、漆黒の綿帽子は踊りながらテーブルの間を行き交い、客に
料理とお酒を届けていく。大した手並みだ。無駄がない・・・とは言うまい。実際、踊りの部分は
無駄だろう。しかしそれがないと面白みに欠けてしまうことも確かだ。
しばらく彼の舞踏に見入っていたが、今度は奏でられている洋琴の調べに耳を傾ける。私の記憶
どおり、この曲は最近入手したレコードに収録されていた曲・・・それをピアノのみの演奏で聴ける
とは思っていなかった。私は改めてピアノの方に目をやった。相変わらず、演奏者の姿は
見えなかったが。
万雷の拍手が酒場中を震わせる。それに悠然と片腕を上げて応える漆黒の綿帽子。それから彼は
ピアノの傍に行き、演奏者の手をとって前に連れ出した。現れたのは、長身の綿帽子に比して
遥かに小さな少女だった。そのいでたちを見て、私は一瞬自分の目を疑った。いつもの服とは
異なる華やかな装い。洋館で催されるパーティーに出ても不自然ではない、腕や首周りが露出した
ワンピース。サテンで織り込まれているのか、真紅の光沢を放つ様はこのような夜の店にも
相応しい。普段の彼女の格好を知るものならば、シルエットは変わらず、袖と帽子がなくなった
状態だと表すだろうか。
彼女は拍手の中、小さくお辞儀する。前髪に飾られていた流れ星型のヘアバンドが光を照り返した。
それから彼女は手を後ろで組んで、カウンターの内側へ歩いていった。やがて私の席の前を通る。
一瞬こちらに視線を送ると、奥へ行ってしまった。この奥には裏口があるらしい。外で話そう、
ということか。
「知り合い?」
隣の女性が興味ありげに尋ねてくる。
「まぁ、多少は。あ、それでは私はこれで失礼します。本当にご馳走様でした。ええと、おいくら
でしょうか?」
「ああ、いいのいいの。私のオゴリってことで。どうせツケだしっと!?」
笑いながらまくし立てる彼女が前に傾く。その後ろには、最初に私を迎えてくれた銀髪の女性が
立っていた。ほとんど無表情だが、射るような視線が彼女の苛立ちを伝えてくる。
「他人におごる余裕があるんだったら、さっさと自分のツケを清算したらどうなんだい!まったく、
あんたはどうしようもない呑んべぇだね」
銀髪の女性は隣の席を何度も何度も蹴りつける。静かな女性だという印象を抱いていたが、口を
開くとこれまたかなりキツいようだ。こちらも開いた口が塞がらない。
「あ、ああアリコー姉さん!?もうちょっと待ってよ、せめて新しい仕事が見つかるまでは・・・」
「その渾名で呼ぶんじゃないと何度も言っただろ!相変わらず物覚えが悪いんだから。いっぺん
すっかり酒を断って、頭の中をきちっと整理したらどうなんだい!」
二人の女性は私のことなど置いて、罵倒と弁解の応酬を始めてしまった。どうしよう、終わるまで
待つのは流石に・・・などと閉口していると、長身痩躯の黒綿帽子が声をかけてきた。
「気にせんでええ。あの二人はいつもあんな感じじゃからの。嬢ちゃんはもう帰ってもええぞ」
音楽に合わせて軽快なステップを踏んでいたのは、なんとご老体だった。今日この店に入ってから
何度目だろうか、唖然としつつも私はお辞儀をすると店の外へ向かった。
「またのご来店、待っとるよ」
開いたドアまで届けられたご老人の言葉に振り向き、もう一度頭をさげてからドアを閉じた。ふと
見上げると、そこには異国の文字が記された看板がかけてあった。曰く、
「バー・・・ええと、トウィリ、じゃない・・・トゥワイ、ライト・・・?」
覚えておこう。
店の外はもうすっかり暗くなっていた。かなりの時間を酒場で過ごしていたようだ。外を見回して
みるが、先に出ていたと思われる私の待ち人の姿は見当たらない。裏口側に回ったほうがいいの
だろうか、そう思って店の角をみると、鳥の羽がはためいているのが見えた。それはすぐに店の
陰に隠れてしまう。あれは・・・間違い無さそうだ。私はその招きに誘われるように、店の角に
向かった。
果たせるかな、彼女はそこで私を待っていた。宙に浮く鳥の羽の生えたキーボードに腰掛けて。
角から私が現れたのを見ると彼女は立ち上がり、申し訳無さそうに笑った。
「やーごめんごめん。つい興が乗っちゃってね~。いつもよりも長めに演奏しちゃったよ」
「おかまいなく。私としても今夜は色々と貴重な体験が出来ましたから。やはり一日中書斎に
篭ってばかりではこのような刺激は得られませんね。・・・それで、お久しぶりですね。リリカ=
プリズムリバーさん」
「久しぶり~。以前に会ったのは幻想郷縁起が公開されるちょっと前くらいだったっけ?」
騒霊三姉妹の末娘、幻想の音を奏でるキーボーディスト。彼女から直接手紙が送られてきたときは
内心ドキドキしたものだ。その中身に関連して、私は先程抱いた疑問をぶつける。今夜はもう
すでに色々な出来事があったような気がするが、ここからが本番だ。
「それにしても、最後に弾いていた曲は一体どこで覚えたのですか?」
「ああ、あれ?マスターの爺ちゃんに教えてもらったのよ。スコアも見たけど、ホントはピアノ
だけで演奏するもんじゃないね、あれは」
「マスターの爺ちゃん・・・ああ、あの黒綿帽子のダンサーのことですか。実はあの曲、最近私が
手に入れた幺楽のレコードに収録されていたものなんですよ。確か『呑んべぇのレムリア
(レトロ ベェー)』とかいうわけの分からないタイトルだったと思います」
私の言葉に、リリカさんは目を丸くする。心底驚いている様子だ。でも続く言葉は淀みない。
「へえ、そうなんだ。幺楽って、あんたの本で予想してた通り外の世界の音楽なのかな。タイトル
までほとんど一緒だなんてびっくりだよ」
「外来人の知っている曲名と、幺楽のレコードの曲名が一致する・・・やはり幺楽は外の世界の音楽
だと見て間違いないと思います」
前々から推測していたことの裏付けが取れていくようでなんとも楽しい。自分の明晰さが証明
されていくようだ。私は次の質問を投げかける。
「あの店に外来人がいるだなんて、どのようにして知ったのです?」
「ん~、最初はピアノ目的であの店に入り浸っていたんだけどね。あの連中が顔を出すように
なったのはここ最近のことだよ。そしたらなんだか急にウワバミ達が集うようになってさ。
そいつらの目当てはお酒と料理、それから爺ちゃんのダンスでさ。その伴奏を引き受けるとか
してるうちに色々と外のことっぽい話を聞いてねぇ・・・面白かったよ。新しい音ネタも随分
溜まったし」
「成る程・・・ここ最近、と。悔しいですが、私はお酒はダメですからね。こういうことでもなければ
気付けませんでした」
自分にもう少し行動力があれば、とは幾度となく思ってきたことだ。気を取り直し、外来人
そのものについてもう少し突っ込んでみる。
「ちなみに、彼の素性は?実は音楽家とか・・・」
「うんにゃ、ただのダンサーだよ。知ってる曲はあれだけ。料理もできるみたいだけどね~。それに
しても、幺楽も外の音楽かぁ。こりゃ断然、聴くのが楽しみになってきたわー」
リリカさんは目を細める。それを見て、私は根本的な質問をしてみることにした。さっきから訊いて
ばかりだが仕方が無い、今夜はそれほどまでに私にとって非日常的なのだから。
「そういえば、手紙の内容は『あんたの所の、アンタッチドスコアってやつを見せて欲しい』との
ことでしたが、どうして幺楽に興味を?」
同好の士が増えるとしたらそれは歓迎したいことである。それも音楽に詳しい者なら尚更だ。その、
音楽に携わる彼女は幻想郷縁起の文面からどのようにして幺楽に惹かれたのだろうか?
「そりゃ、私が演奏するのは幻想の音。この世に存在しない、誰も聞いたことのない、未知なる音色
こそが私の響かせたい音だからね~。幺楽ってのもそういうもんなんでしょ?それにね・・・」
リリカさんは一息置くと、満面の笑みと共に告げる。稗田の人間がもっとも聞きたい言葉を。
「面白そうじゃん。その音を探し、聞き、集め、組み合わせ、そして奏でる。それを想像するだけで
わくわくしてこない?」
「その好奇心、心から歓迎します」
私は手を差し伸べる。リリカさんも同じように手を伸ばす。このような言葉を紡ぐ彼女とならば
良好な交友関係が築けそうだった・・・・・・・・・しばらく無言で手を握り合っていると、リリカさんが
不審を露わにしてきた。
「どうしたの?」
「あっ、いえ、その・・・どうして今日はそんな格好をしているのかな~と思いまして」
なんとか話を逸らす。乗ってくれたようだ、リリカさんはスカートを両手でつまんで軽く持ち上げる。
「ああこれ?いやーはは、いつもの服だとさ、前に巫女に『オフでもそんな服着てるのね』って
言われてさ。それもそうかと思ってたところで酒場の連中にも勧められてね~。どう、
似合うでしょ?」
羽飾りの付いた赤いパンプスを基点に、一度回ってみせる。薄暗い中、淡く光沢を放つ赤は柘榴石を
彷彿とさせる。先程のオレンジアンドザクロは絶品でした。今、目にしている光景も同様に。
「ええ、素敵だと思いますよ。普段よりも少し大人っぽい印象を受けますね。それに、いつもの
服だとお忍びには向いてなさそうですね。いかにも、プリズムリバーここに在り!って感じで」
「えへへ~、ありがと。ああ、今夜のことは姉さん達には内緒だよ。酒場に行ってくるとは言った
けど、あんたと会うことは知らせてないんだから」
「心得ています」
リリカさんは人差し指を口元に当ててウィンクして見せた。個人的にもこの逢瀬は内密にして
おきたいところだ。それでは私もとっておきを披露することにしよう。
「さて、そろそろ参りましょうか。幺楽のレコードは私の屋敷に揃えてあります」
そう言って屋敷へ先導しようとしたところ、キーボードが併走してきた。
「善は急げ、って言うでしょ?乗ってきなよ、あんたの足に合わせてると夜が明けちゃいそう
だしね」
リリカさんは夜空を指差す。やれやれ、言ってくれる。でも確かに、そちらの方が速そうだ。
私はキーボードの、鍵盤ではない方に腰を下ろす。リリカさんは私の隣に座った。そして
キーボードは羽を一打ち、夜の人里の上空へ舞い上がっていった。
「わぁ・・・!!」
私の遥か眼下には、人里の明かりがいくつも灯っている様がよく見渡せた。爽快だ、これが
妖怪や英雄達がいつも見ている風景なのか。まったくもって、憧れる。しばらく見入って
いると、キーボードがゆっくりと減速した。そして隣から質問が来る。
「それで、どっちにいけばいいの?」
「ああ、ええと・・・あそこです。あの大きな屋敷が私の家ですよ」
私が指差すと、キーボードはその方向に向けて次第に加速していく。しかし不思議なものだ、
羽をはためかせているのに乗っている私にその振動が伝わってこない。それに風を切っている
はずなのにその圧力もない・・・わけではないが、背もたれなどないはずなのに何故か私の上半身は
後ろに傾かない。リリカさんも同じ様子である。
その疑問を彼女にぶつけると、返ってきた答えは以下の通りだった。
「ああ、別にこのキーボードの幽霊があんたと私を運んでるわけじゃないの。そもそも幽霊
なんだから、あんたが触れるわけないじゃん」
「・・・・・・・・・はい?」
「私は騒霊、別名ポルターガイストとも言うよねぇ」
ポルターガイスト。心霊現象の一。物体がひとりでに浮き上がり、宙を舞う。時には人間が空へ
飛ばされることもあるらしい・・・つまり、私は彼女の念動力で支えられているに過ぎなかった
わけだ。
「なぜわざわざキーボードに私を乗せるような真似をしたのです?」
「その方が違和感がないでしょ?人間の精神を平静に保つには、不自然さを感じさせないのが
一番。他人に引きずられてるって分かると、落ち着かないんじゃないの?」
「それなら最後まで秘密にしておいて・・・いえ」
自分の好奇心が仇となる、そんなことなど数え切れないほど経験してきたはずだ。ふと、家で
飼っている猫達の顔が頭をよぎる。それでも溢れるそれを抑えきれない、なんとも因果なもの
である。
「ひょっとして、貴女達の楽器から響く音というのは、念動力が空気を振動させることで発生
しているのですか?あるいは、心に響く音というのは、念をもって精神を直接震わせることで
作用させているのでしょうか?」
この質問は、リリカさんに不自然なくらい含みのある笑顔をもたらす結果となった。
「・・・えへへ~、企業秘密」
はぐらかされてしまった。ということは、当たらずとも遠からずということか。まぁ追求しても
これ以上答えてはくれまい、自分から別の話題を振ることにする。
「幺楽団って、何人で構成されているんでしょうねぇ。貴女達みたいに3人でしょうか?
それとも、意外と単一の存在が、複数の楽器を演奏しているとか。貴女達みたいに」
「う~ん、まずは音楽を聴いてみないとなんとも言えないなぁ。そもそも、音楽聴くだけで
わかるのかなぁ?そういうこと」
・・・即答された。ごもっとも。
自分の屋敷に門以外から入ることになる日が来るとは、夢にも思っていなかった。リリカさんに
お願いして、私達は書斎ではなく庭の隅にある離れに降りた。全体的に和風の造りとなっている
母屋とは異なり、離れはレンガで組み立てられた洋風の装いである。私は執筆に疲れた時などに
この離れで幺楽のレコードを愉しむのである。書斎にも蓄音機は置いてあるのだが、離れで
幺楽を聴きながら飲む紅茶はまた、格別に疲れを癒してくれる。音量への配慮もしなくても
よいし。
私は離れの扉を開き、ランプに火を点す。中には最低限の物しか置いていない。長い一本足の
円卓、赤い丸椅子、そしてHIEDA印の蓄音機。
「さあ、どうぞ。あまりおもてなしには向かない部屋ですが」
私はリリカさんを招き入れつつ、蓄音機の傍でレコードを探す。あったあった、まずは例の最近
手に入れた一枚を。レコード盤を取り出し、回転台に設置する。スイッチを入れ、レコードが
回転を始める。音楽が始まるまでしばらく間があるだろう。
「ちょっと席を外します。紅茶を淹れてきますので。リリカさんもどうです?」
「頂くわ~」
リリカさんは椅子に座り、両肘をついて頬を支えている。くつろいでくれているようだ。私は
それを見送りつつ離れから出て行った。
二つティーカップを載せた盆を手に、私は離れの扉を開ける。その音を聞いたのか、リリカさんが
こちらを振り返る。浮かべているのは・・・困惑。それが言葉の形をとって表された。
「ちょっと、どういうこと!?どうして私のキーボードの音が録音されてるのさー?私はあの曲、
まだ自分のキーボードで演奏したことないんだよ。他の曲だって私の知らないものばかり・・・」
明らかな動揺がひしひしと伝わる。私はひとまず盆を円卓に載せ、それからリリカさんに改めて
向き直る。
「その問いに対する明快な答えを私は持っていません。私がまとめてきた幺楽団の歴史は、全て
貴女のキーボードから聞こえてくる音楽によく似ていました。そして、新しく生み出されている
ものも同様のようですね。失礼ながら逆にお尋ねします、貴女は幺楽団とは何の関係もないの
ですか?直接的にも、間接的にも?」
独特の音を響かせるキーボードの幽霊を従えた、外の人間とも通じている、そしてこの度の
幺楽団の歴史への介入・・・私はリリカさんの目をしっかりと見据える。ありとあらゆる情報を
漏れが無いよう、求め、聞く姿勢を整える。リリカさんはこちらから一切目を逸らさずに、
はっきりと答えた。
「ないよ。私はプリズムリバー姉妹の三女、幽霊楽団のキーボーディスト。それ以外の肩書きは
一切ないね!私が幺楽のことを知ったのも、幻想郷縁起が初めてだよ」
「そう、ですか・・・」
肩が落ちる。初めて彼女の演奏を聞いたとき、確信した。彼女の奏でる幻想の音と幺楽団の演奏
する音は同じ物だと。そして期待した、幺楽団は遠い昔でも外の世界でもなく、この今の
幻想郷に実在するのではないかと。私はあえて、幻想郷縁起ではリリカさんの音のことには詳しく
触れず、その一方で幺楽団に関しても未解決資料の一部にチラシを挟むだけに留めた。実際、この
二つの可能性を結び付けるには資料が全然足りなかった。更なる探求のためには、本人に直接訊く
しかない、そう思っていた。彼女との個人的な接触をどのようにして図ろうか思案していたところ、
彼女の方から打診がきた、それが今回の経緯だ。
私の落胆ぶりに意表をつかれたのか、リリカさんの気勢が削がれる。
「な、どうしたのさ?」
「いえすみません、私の勘違いでした。私としては、実は貴女は本当に幺楽団の一員で、今回私に
手紙を送りつけてきたのは、勝手に歴史を編纂されたこと、レコードを無断で独占していることに
抗議しにきたものだと思いこんでいました。ですから、酒場裏でのやり取りも全部すっとぼけて
いるものだと思ったんですよ。何しろ貴女は油断のならないお方です・・・から」
リリカさんが目に見える形で脱力した。私はそんなにとんでもないことを言っているのだろうか?
何しろ送られてきた手紙の文面からして訝しかった。幺楽を奏でる者が、知らぬ振りして幺楽を
教えて欲しいときたものだ。穏やかではない事態になる、そう予想するのも詮無いことだと思うの
だが。
「人聞きが悪いなー。それと、想像力がたくましすぎるねぇ。でもそれが誤解だったのに、なんで
がっかりしてるのよ?」
「まぁ幺楽のレコード没収という事態はないに越したことはなかったのですが、予想が外れると
いうのも寂しいものですよ。特に、前々から憧れていた幺楽団員かもしれなかったわけですからね」
リリカさんを一人にしておいたのは、本性を暴くためだ。実はこっそりと中の様子を窺っていた。
でも結果として特に怪しい素振りはなく、レコードを聴いている時のリリカさんは先程と同様に
酷く困惑しているようだった。特にあのレコードの三曲目の時が一番反応が大きかった。そう、
彼女が今夜ピアノで弾いていた曲、外来人に教えられた曲、『呑んべぇのレムリア』、その幽霊
キーボード版。
彼女が本当に幺楽団とは関係ないのであれば、その驚きはいかばかりか。自分のゴーストが存在
するのでは、と疑ってしまうだろう。ポルターガイストのゴースト・・・わけがわからない。ともかく、
それらの態度も加味して、私は今夜の彼女の言葉には最初から全く裏がなかった、と結論付けた。
先入観が崩れてみれば、酒場裏でのやり取りも特に不自然なところはなかった気がする。
ちなみに紅茶は使用人に用意させたものである。彼女達にはあらかじめこの離れの傍にいて
もらうよう伝えておいた。もしもリリカさんがレコードを持ち逃げしようとしたときに、微力ながら
協力してもらうためだ。今、彼女達は離れの周りに用意しておいた、巫女から買い付けた結界符の
後始末をしてもらっている。リリカさんが最大の驚愕を見せた際、そのほとんどが焼け焦げて
しまったそうだ。おかげで離れそのものに被害はなかったが・・・恐るるべきは騒霊の力か。私達が
持っていた結界符全てをかき集めたとしても、果たして止められたかどうか・・・。ともかく、この
ことは黙っておこう。
とりあえず、お互い気持ちを落ち着けるために私達は円卓を挟んで座りなおす。紅茶二つを傍らに
寄せて。
「ではあの手紙は、純粋な興味が動機であったと」
「だからそう言ったじゃん。昔、幻想郷にいたという連中が演奏する、消え入りそうな音楽
ってのがどういうもんか、それを集めて新しい音が作れないか、気になったのよ。まさか私の
キーボードと同じ音とは思わなかったけど~・・・」
リリカさんは自分のキーボード霊をにらみつけ、首を傾げる。そう、リリカさんが知らずとも、
この幽霊なら何か答えを秘めているのではないだろうか。もっとも、私では幽霊から情報を聞き
出すことなど出来そうにないが。
「その、幽霊と意思疎通を図ることはできますか?」
「うー、前にも誰かにそんなこと言われたような気がするけど、幽霊と会話なんてムリ・・・ああ、
そうか、あいつか。花の妖怪。あいつに言われたんだっけ・・・んー、あいつなら長生きしてるみたい
だし、何か幺楽団のことも知っているんじゃないかなぁ。そっちはどうなの?幽霊と会話できる奴
とか知ってる?」
「いるにはいるのですが、生憎と是非曲直庁の方々は人間の幽霊専門ですね。それよりも、古い
妖怪に尋ねてみるというのはいいかもしれませんね。紫様か、それとも山の妖怪か」
・・・うん?なんだか会話が弾んできているような気がする。幺楽団を調べるにはどうすれば良いか、
色々と当てが出てきたような。リリカさんは先程から、指を折りつつ独り言を呟いている。
「あの、リリカさん?」
「・・・音楽を解析してみるのも手かな、なら波長兎って線も・・・って、なに?」
「もしかして、興味を抱きました?幺楽団についても」
ひょっとして、交友関係はあそこで結んでから現状維持、なのだろうか?
「まーね、なんだかこのまま放っておくのもすっきりしないし・・・。それにあんたが言ったみたいに、
もしその連中がどっかから出てきた場合、私の音楽にいちゃもんつけられないとも限らないしね~」
「でもプリズムリバー楽団は幻想郷中を演奏行脚してますよね。それでも何も言ってこないのなら、
存在しないか、気にしていないか、どちらかじゃないでしょうか。私としてはその説だと残念なの
ですが」
やはり私の想像通り、外に存在するのだろうか。でも、リリカさんの扱っているのが外の世界で死を
迎えた音であるのなら、近いうちに幺楽団そのものが幻想郷に入ってくるかもしれない。
「まぁとりあえず、残りのレコードとか、あんたが密かに持ってる幺楽団のチラシとか、色々と
教えてよ。楽団について調べていく過程で、ついでに音ネタも集めて新しい曲を作れそうねー」
・・・やはり抜け目がないと思う。曰く言い難い表情になりそうになる私の顔などおかまいなしに、
リリカさんは明朗な声で告げる。彼女特有の、目を閉じた猫のような笑顔とともに。
「そんなわけで、改めてよろしくー」
・・・ま、いいか。しばらくは彼女と行動を共にする事になるかもしれない。それはそれでまた、退屈
とは無縁の毎日が始まりそうで楽しみだ。幺楽団について調べていく過程で、リリカさんが新しい曲を
ソロで作るのだとしたら、それは幺楽にとっての新たな一歩に数えてしまっても構わないのかも
しれない。遥か昔に存在して、今はごく稀にしか新曲が出てこない旧幺楽団を頼るよりも、彼女を
たきつけて新しい幺楽を作り出す、その方が幺楽を愉しむだけなら手っ取り早いのかもしれない。
私は紅茶のカップを手に取り、乾杯を求めるように前に突き出した。遅れてリリカさんも私に倣う。
「こちらこそ。では、幺楽の新たなサーガの幕開けを祝して」
「トースト~(乾杯~)」
それにしても、今日は彼女のお蔭で色々と冒険できた。悪友を得るとはこのような感覚なのだろうか?
阿求、悪友を得る・・・・・・・・・今日は不調だ。
誤魔化すように紅茶をあおる・・・つめたっ!?すっかり冷え切ってるじゃない・・・って、当たり前か。
何が気持ちを落ち着けるため、だ。未だに動揺を引きずっているじゃないか。淹れ直しを忘れるなんて。
でもこの冷め具合が、これからの日々への期待と興奮で熱くなった身体には丁度良いな、と思った。