※この作品は作品集52の「その日が来るまで...」のレティ視点で書いています。前作を読んでいなくても楽しめますと思いますが、前作を読んでいますと、より楽しめると思います。所々に前作の台詞をそのまま引用している部分があります。
湖まであと少し。もうすぐ、もうすぐ逢えるのね。
チルノ。待っててね。すぐ、そこに行くから。
--------------
その日が来るまで… レティ編
--------------
それは、去年の冬の始まりのことだった。私はこの幻想郷の冬の訪れを告げるためにやってきて、そして雪を降らす。その雪は様々な場所で降り積もり、やがて春になれば水となっていき、多くの生き物の明日を繋ぐ。もちろん私がここへ来るのはその為なのだけど、もう一つ私にとって大きな目的がある。それは――――
「レティーーーーーー!! 」
ほら、聞こえてきた。私を呼ぶ妖精。私にとってかけがえの無い友人、チルノ。私はその子に逢う為に来てるのだから。わっ! チルノったら、私に抱きついてきたわ。もう、そんなに興奮しなくても。
「レティ! 久しぶりだね!! まっていたんだよ!! ずっと! 」
声がうわずっている。泣くほどのことでもないのに。
「チルノ。嬉しいのに泣くなんて貴女らしくないわ。……ほら、泣かないの。ね? 」
「うん!でも……うれしくて、レティはあんまりここにこれないから、つい……」
「……分かったわ。だから、もう泣かないの。ね? チルノは強い子なんでしょ? 」
うん! と言いながらチルノは涙を拭った。涙は決して人前では見せちゃいけないよ。貴女みたいな強い子は。
「あ、レティさん! 久しぶりです」
「あら、大妖精。貴女も元気そうで何よりだわ」
大妖精なら、きっと分かってくれるはず。私は大妖精に伝えなければいけない現実を彼女に打ち明けることにした。大妖精も私が来たことに嬉しい気持ちを裏切るような行為だと思うけれども。私は大妖精に目をやり、
「大妖精、ちょっといい? 」
と呼んだ。突然呼ばれてちょっと驚いてるね。でも、これからもっと驚く、いやショックを受けるような事実を伝えるようなものだけど。
「ねーねー。どうしたのレティ? なんだか顔暗いよ? 」
「ううん。なんでもないよ。気のせいだよ、きっと」
「そっかー」
そうだわ。チルノの前でこんな暗い顔をして、嫌な話をしてはチルノが心配してしまう。私はチルノに席をはずしてもらおうと言おうとしたけど、大妖精が代わりに言ってくれた。
「チルノちゃん。ちょっとレティさんと話があるから少しいいかな?」
気が利くわね。
「えー」
「でもちょっと大事なお話だからどうしても……」
「うー…。わかったよぉ」
ごめんね、チルノ。もっとお話したり、遊んだりしたいけど、それもすぐにできない。悲しいことだけど。
* * *
チルノは何時ものように湖の水辺で蛙と戯れていた。私たちとチルノとの距離は、私たちが何を喋っても聞こえないくらい離れていた。
「なんですか? レティさん。なんだか凄く暗い顔ですけど……」
「……あのね、大妖精。このことはチルノには内緒よ」
「どうしたのですか? 」
しばらく私は黙り込んだ。チルノよりは幾分か大人の大妖精でも、このことを聞けば一体どういう反応を見せるのか。きっとショックは受けるだろう。大妖精の心を私は推し量った。だが、いずれ知らなければいけない現実であり、避けて通れない事実である。私は決心し、その重い口を開いた。
「実はね、私、明後日ここを離れなくてはいけないの……。貴女や、チルノには辛いことだけど……」
「えっ!? 」
大妖精はその一言に尽きた。無理も無い。年に1度か2度しか逢えない妖精にようやく逢ったというのに、すぐにここを去るということを聞かされては、誰だってそういう反応は見せるわ。しばらくは大妖精は黙り込んだ。きっとショックを受けてるでしょう。でもすぐに大妖精は口を開いた。
「そうですか……。えっと、その……」
「悲しい? 」
「……はい。正直……」
大妖精はまたうつむいた。ごめんね。私も本当は言いたくなかったけれども。
「でも、どうしてここをすぐに離れるのですか? 理由を知らずして私も黙ってここを離れさせるのも嫌ですから」
「そう。実は以前私が冬を越して大雪を降らせたことがあったでしょう? 」
大妖精は黙ってうなずく。
「そのせいで私の残っていた魔力が切れてしまったの。いつもは次の冬のために魔力を残しておくけれど。魔力の切れた私はそのあと立ち上がるのが精一杯な状態になってしまった。今はようやく小さな雪を降らせるようになったけど、ここに来るまでは相当大変だったの。でもまた無理に雪を降らせようとすると今度は意識までが朦朧となってしまうかもしれない。来年の冬のためにも私は早めに雪を降らせるのをやめて、魔力の回復をしなければいけない。だから私はすぐにこの場を離れるの」
長く喋り続け私は、ふぅ、と一つため息をついた。これで本当に理解してくれれば良いのだけれど。私は少しそんな心配をした。こんな長い話は言い訳に近い話だ。本当に理解してくれ無いかもしれない。でもそんな言い訳に近い話でも真実は真実。そして避けて通れない事実だから、耳を塞いで知らん振りにして逃げることができない。すると、大妖精は全てを受け入れたかのように私に向かって微笑みながら答えた。
「そうだったのですか。そのようなことがあったのなら仕方ありません。正直忘れたい事実ですけど、でも、もうすぐ目の当たりにする現実です。私は悲しんだりはしませんから、レティさんはそこまで心配しなくても大丈夫ですよ」
そう言いつつも、大妖精の目は潤んでいた。上辺ではそんなことを言っていても本心彼女は悲しいに決まっている。
「突然な事を言って申し訳ないわ。極力言わないようにしようとしたけど、でも一人だけでもいいから私が離れる理由を知ってもらいたかったの。身勝手なことを言って本当に
ごめんなさい」
「もう謝ったりしないでください。もう私は大丈夫ですから」
「そう……。あ、それと」
「はい? 」
「最初に言ったように、決してチルノにはこの事を言わないようにして。あの子は貴女とは違ってまだ幼い妖精。このことをありのままに伝えてはきっと彼女は混乱するし、悲しむわ。だから、今日あったことは言わないようね」
「分かりました」
そう言って大妖精は私の元を去った。私は米粒ほどのチルノを見つめていた。チルノは独りで遊んでいる。こんな穢れの無い純粋な彼女には出来るだけ辛い思いはさせたくない。けれども、いずれはそんな辛い思いを味わってしまう。何よりも辛いのはチルノもそうだが私もだ。無垢なあの子を騙しているような罪悪感が私の心に突き刺さる。そしてとても痛い気持ちだ。やはり、あの子に知らないままここを去ったほうが良いのか? 私は自分にそう尋ねた。だが、答えは見つからない。言った方が良い、言わないほうが良い。どちも正しいとは言い切れないから。
* * *
う、眩しい……。ああ、もうこんなに陽が上がっている。だいぶ寝てしまったようね。昨日のことでちょっと夜眠れなかったし。私は身体をゆっくりと伸ばしながら徐々に目を
覚ます。今日はいい天気だ。雲が少し目立つけど。でも、冬にしては天候は良い。
「あれー? レティはー? 」
向こうでチルノの声が聞こえる。もう起きたんだ。ちょっと悪戯してあげよう。もう今年もすぐに私はここから去るから。私は息を潜め、忍び足でチルノの背後に近づいて
いった。
そして両手でチルノの目を押さえた。
「うわー! 前が見えないよー!! 誰ー! 誰なのー!!」
あらあら、そんなにも暴れなくてもいいのに。
「誰なのー! 大ちゃん? レティ? 」
「うふふ。誰だろうね? 」
「あっ! 分かった! レティね! レティなのね!! 」
正解。私はそう呟いてぱっと両手を離した。チルノはせわしく目をゴシゴシとかきながらこちらを向いた。やっぱりチルノはいつ見ても可愛いものね。微笑みながら私はそう思った。こちらの顔を見るなりチルノの大きな瞳は輝き始めた。そしてすぐさま私に抱きついた。嬉しいんだろうね、握る力が必要以上に強い。
「レティ! やっと起きたんだね?」
本当はチルノより遅いけど私は嘘をついた。
「あら? 貴女と同じくらいに起きたけど……」
「へ? そうだったっけ?」
「ええ。そうよ」
「ふぅーん。レティもお寝坊さんだね!」
お寝坊さん……。そこから連想したのは、昨日のことについてずっと考え続けた夜のことだった。伝えていいのか、伝えなくてもいいのか。そんなような葛藤をしてたことを思い出すとまた少し暗い気持ちになった。同じ事を思ったのか、近くにいた大妖精も私のほうを暗い顔で見ていた。
「あ、そういえば昨日レティに渡そうとしていた物があったのだけど
忘れてたんだ!! 」
チルノは私たちが暗い顔をしているのにも気付かず、急いでこの場を去った。だいぶ離れたところまで行った所で大妖精が心配した顔つきでこちらにやってきた。
「レティさん、大丈夫ですか? 」
「……実は、ちょっと……」
「やっぱり無理をしないほうが……」
それは駄目。例え私がきつい状況でもチルノの前では常にいつもの私を保たなければならない。幼い子供はその場の空気で相手の気持ちを汲み取ることができると言うから。だから心配しちゃ駄目。そう私は大妖精に向かって目で訴えた。
「そうですか……」
そう言って大妖精はこの場所を離れた。
「レティー! これだよー! これを渡したかったのー!! 」
チルノは無邪気な笑顔をしながらカチンカチンに凍った蛙を手に持って私のところへ飛んできた。このチルノの顔が見れるのも、もう数えるくらいなのね……。
湖の周りに生えている樹肌を露出させた樹々がまるで私の寂寥の感を映し出しているようなものだった。
* * *
今日は昨日と違って何故か早く目覚めた。明日ついに別れのときが来る。そんなことを考え出すと事実を伝えていないチルノを騙しているような罪悪感が募った。こんな間近になって私は急に不安になってしまった。なぜなら、このままチルノに何も言わずにここを去って良いのか? 本当にそれがチルノにとって良い事なのか。知らぬが仏と言うが、嫌な事は全て伝える必要は無いとでも言うのだろうか? 私はチルノだけ知らないまま終わらせるのが怖くなってきた。もし、知らない間に私がここから消えていたら、チルノは思うのだろうか? 次第に自分のやっている事が正しいことか分からなくなってきた。私が湖のほとりで独り悩んでいたところに、大妖精が私のところへ来た。
「レティさん。まだ身体の具合が良くないのですか? 」
「違うわ。身体は昨日よりは少し良い。けど……」
「けど?」
私は深くため息をつく。まだ太陽は東の空から現れておらず、辺りは薄暗い。私は大妖精に今思っていることを全て打ち明けた。チルノをこのまま何も知らないままにするべきか、もし、そのままで私はここから去った時のチルノはどう思うかという事を。大妖精はしばらく黙り込んだ。やはり他人の心には推し量れないものがある。特に幼い心は。
黙り込んだ末、大妖精が導き出した答えはこうだった。
「そこは私でもどうしたらいいか分かりません……。私はやっぱりチルノちゃんには悲しい思いはさせたくないから言わないほうが良いと思いますけど、それが本当に正しいかと訊かれると難しいところです」
「やっぱり何も言わないほうが良いのかしら? 」
「……じゃあ、他の人に訊いてみたらどうですか? 」
そうだ。それがあったわ。
「他の人ねぇ……。でも私が知っている幻想郷の人って言ったら…… 」
「博麗霊夢とかどうですか? 彼女は誰に対しても平等に見ますから」
霊夢……。確かあれは春のときに会った巫女ね。
「でも、本当に話を聞いてくれるかしら?」
「大丈夫ですよ。これをもっていってアレに入れれば大丈夫ですよ! 」
「アレ? 」
私はそう言われて渡された物を持ち、大妖精に連れられて、博麗霊夢の居る博麗神社という場所へ向かった。
「ここです。ここが博麗神社です」
始めの印象は、まず大きい。そしてかなり年季が入っている。神社の所々に穴や傷が入っていて、柱の色も焦げ茶色に変色している。こんな所でも人は住むものなのか。内心私は驚いた。
「あ゛~~っ。おなかすいた~~~~」
神社内からうめき声が上がった。私はかなり驚き、ちょっと飛び上がった。大妖精はそっと私に耳打ちをした。
「今のうめき声を上げたのが博麗霊夢です。レティさん、これを持っていってアレに入れていってください。では」
私に例の物を渡すと、湖へ帰っていった。何故か私は変に緊張をした。面識があり、初見じゃないのに何故か緊張をしてしまう。原因はきっとさっきのうめき声でしょうね。
神社の入り口にあるアレの前に行きそっと例の物を投げた。そう、それは……。
「今、何を入れた!? 」
襖から霊夢が目を大きくして現れた。
「賽銭よ」
「ホントに!? 」
霊夢は目にも止まらぬ速さで賽銭箱に食いついた。賽銭箱の裏側に入ってごそごそ何かを探ると彼女は大仰すぎるリアクションで手に握られた硬貨を天に仰いだ。
「ああ~!! 今日は最高だわ~!! 生きている間に賽銭というお金を手に入れることが出来るなんて!!」
そんなに嬉しいことかしら?私は霊夢の家庭内事情はよく分からないからたった一枚の500円玉で喜ぶ気持ちは理解しにくい所だわ。
「でも、私に賽銭を出したということは、何か条件付きかしら? 」
「まぁ、そう言ったところね」
「だったら、中に入って行ったら? お賽銭の分ということで」
「あら、賽銭払わなかったら外で話を聞くつもりだったのかしら? 」
「そういったところね」
賽銭次第で待遇がこんなにも甚だしいなんて、ちょっとやらしいわね。そんなことを思いながら私は神社の中へ入った。
私は霊夢に案内され、神社の縁側に座った。神社から眺める境内の景色は、樹肌の焦げ茶色が重苦しい雰囲気の中に一際目立つ燃えるような朱色の鳥居が堂々と建っていた。霊夢はおくから湯飲みを乗せた盆を運んできた。湯飲みからは湯気がもやもやと宙を描いている。
「気が利くわね」
受け取った湯飲みを持ちながら霊夢に言う。霊夢は照れ気味に笑った。
「これくらいで気が利くなんて言われてもこっちが照れるわ。お茶程度なんて何時ものように淹れているから」
「そうなの。じゃあ、一口頂くわ」
ズズズ…。熱い。でも辛い熱さじゃない。確かに熱いけど、それと違う熱さ……いや、温かさと言ったほうがいいかしら。茶を飲みながら、私は茶の温かさに不思議な気持ちを覚えた。味のほうは、始めは少し苦い。けれども徐々に甘みが口の中に広がる。砂糖のような甘さではない。くどくなく、いやみの無い甘さ。私はこの二つの不思議な味わいに惹かれ、どんどん飲んだ。気がつけば湯飲みの中のお茶は空っぽになっていた。こういう物は意外と早く無くなってしまう物なのね。空の湯飲みを見つめる私を霊夢が言う。
「まだお茶が残っているけど、飲むかしら? 」
「いや、いいわ。私はお茶は楽しめたけれど、もう結構よ」
そう……。そう言って霊夢は茶を啜った。
「で、用事は何なの? 」
「そうだったわね。……貴女なら、どっちにするかしら? 」
「? どういうこと? 」
私は霊夢に事の一部始終を彼女に説明した。この幻想郷を明日離れること。チルノのこと。霊夢は私が話している間、何も言わず、ただ茶を啜りながら静かに聞いていた。
そして全てを話し終え、霊夢はすぐさまこう答えた。
「私からの立場で言わせれば、このまま言ってしまった方がいいと思うわ」
やはり。
「でも、ちょっと手遅れ気味かもしれないわね」
「それは分かってる。こういう大事なことは始めのうちに打ち明けておいたほうが楽かもしれないわね」
「楽かどうかはあなた次第よ。ただ、あのバカのことを考えてあげると、あなたの言うとおりになる。だけど、言ってしまった方がいいという考えはあくまでも私の一存よ。
それをどう判断するかはあなた次第だから」
外からそよ風が吹きつける。少し寒さを感じるけど。
「どうするつもり? これから」
私はフッと鼻で軽く笑う。
「まぁ。あなたに相談した甲斐はあったと思うわ。おかげで、少し迷いが消えた感じもあるし」
「言うの? 」
私は縁側から立ち上がった。そして振り向きざまに人差し指を頭に指して一言
「さぁ? それはあなたの勘次第ね」
そう言って私は湖へ帰るために、襖を開けた。
「じゃあ、また何時かここに来るわね」
* * *
「あれは……」
霊夢はその一言に尽きる。私もその場に立ったまま、何も言葉が出なかった。その理由はただ一つ。チルノがその場に居たから。
「レティ! 」
そう言うと、チルノは真っ先に私の懐に飛び込んだ。服を握るチルノの小さな手は、離れないように強く、強く握った。私のことを探していたのだろう。
「チルノ……」
その先の言葉を言おうとしても、喉の辺りで詰まり、言葉にならない。私は躊躇った。本来ならもう少し心の準備が出来てから言うつもりだったのだが、こうも早く来てしまうのは正直困惑した。だが、今ここで言わなければますます言えなくなるかもしれない。私は決心して、チルノに告白をした。
「チルノ、せっかく私を探してくれて、私のことを本気で心配してくれるのにとても嫌な事言うようだけど……」
「え?」
涙と鼻水を流しながらチルノは顔を上げる。やはり私が居ないと不安になるのだろうか。
「チルノ。私、実は…………明日、ここを離れなくちゃいけないの……」
「え……」
チルノは目を丸くした。
「な……なんで?」
「実はね。私、一度春まで大雪を降らせたことあるよね……。実はそれが原因で、雪を降らせる魔力が切れたの。あと一日降らせるところまでは回復したけど、 やっぱり長くはここに留まれない。来年の冬のためにもここから離れないと、四季に大きな影響を与えてしまう。チルノ、貴女にはかわいそうだけど、これは 幻想郷に住むみんなにとって大事なことなの。だから……」
「なんで!!」
チルノが強く声を張り上げた。氷のように透き通った雫が頬を伝い、そして落ちる。
「なんで、なんであたいにもっと早く教えてくれなかったの!! どうして! あたい、分かんないよ! どうしてレティはあたいに隠し事をするの!! 隠し事はよくないのにどうして隠し事をするの!!」
「でも、チルノ。私は貴女が悲しむようなことにさせたくないから……だから私は何も……」
「もう……いいよ。もういいよ!! レティの言い訳なんて聞きたくない!!レティのバカ!!もう知らない!」
チルノは私を押し出して、湖のほうへ飛んでいった。チルノの飛んでいった後にはキラキラと光る小さな雫が見えた。私はその場で立ち尽くした。どうすればよいのかという混乱とチルノの気持ちを分かってあげることが出来なかった自責の念が私の心の中で鬩ぎ合う。後ろで様子を見ていた霊夢は、私の肩をそっと叩き、「仕方ない」と言わんばかりの顔でこちらを見ていた。
「ねぇ、霊夢」
「何? 」
「これでよかったのかしら? 私は、言っても何もすっきりしない……。これで本当によかったのかしら? 」
「……」
霊夢は何も答えない。答えるには少し難しすぎたようだ。私もその後の言葉が続かない。その場に沈黙だけが続いた。そんな沈黙に耐え切れなくなったのか、霊夢はふとこんなことを言った。
「そういえば、今年の雪はまだ一昨日しか降っていないわね」
「それが……どうしたというの? 」
「どうせなら、あなたがここを去る日ぐらいは、雪を降らせてあげたら? 」
「……」
私は何も答えず、空を見つめていた。そして、何も言わず私は湖へ行った。
「雪の無い冬なんて寂しいものだから」
そんなようなことを霊夢は最後に言った気がした。
* * *
今日、ついに別れのときが来た。私は湖の上空にいた。空を見上げ、気を集中し、魔力を空へ放出させる。放出された光る球体のような形の魔力が肉眼では見えない所まで行くと、小さな白い粉が降ってきた。次第に粉程度の大きさであった雪も大きくなっていく。私はチルノのほうへ向かう。東の空はまだ陽が上っていない。そんな早い時間にはチルノはおきていなかった。うつ伏せになりながらチルノは湖の水辺で眠っていた。小さな寝息を上げながら眠るチルノを私はゆすって起こす。
「起きて、チルノ。起きて……」
「う、う~ん」
まだ眠りたいのだけど、今日だけは許してね。心の中で私はチルノに謝った。身体をほぐし、大きくあくびをしているチルノの瞼は少し赤く腫れている。泣いていたのね。
「ごめんね、チルノ。こんな早くに起こして」
「……」
ふくれっ面でこちらを向かない。
「チルノ。昨日はあんなことを急に言ってしまってごめんなさい。悪気は無かったの。だけど、チルノのことを考えると、あの事を言うとチルノは悲しむかと思って。正直隠したくは無かったけれども、貴女の事を考えるとどうしても言えなかったの……。言ったら、きっと貴女は悲しむだろうって……」
「……」
「でも、今考え直してみると、隠し事をしていたら、正直に言うよりも気分が悪くなるっていうことがよく分かった。そして私は誓ったの、チルノの前では決して、あの時のように大事な事は隠さずにしようって」
「……レティ」
「ん? 」
うつむいて私を呼ぶ。
「あたいも……あたいもレティに謝らなくちゃいけない事、あるよ。きのう、レティを必死で探していたからあたいはつい、あんな事を言っちゃった。レティ、ごめん。あのときあたいがもっとレティにやさしかったらレティも嫌な気持ちにならなかったのに……。ごめん。
……………ごめんね……」
ポロポロと涙を流しながらチルノは私に謝る。私はチルノと同じ視線になってかがみこみ、服でそっと涙を拭いた。もう、泣く必要なんてないのよ。
「いいのよ、チルノ。元々は私の責任。貴女を悲しませたりしたのは私のせいだから」
「でも、でも、レティはなんにも悪くないのよ! ぜんぜん悪くない! 悪いのは……あたいだから…… 」
「もう、いいわよ、チルノ。自分を責めないで」
私は、チルノの頭を撫でた。辺りの雪は既に周囲の風景が霞むほどの量が降っている。けれども、それは静かに降り注いでいる。私たちだけの世界を包み込むように。
「もう、泣かないのよ。ね? 私はまた、来年来るから……。そのときは、今年遊べなかった分いっぱい遊ぼうね」
「レティ……」
私はチルノに言い残し、その場を離れようとした。だが、私はそのとき手を強く握られた感触が走った。見ればチルノは私の手を強く、強く握っていた。離れないように、別れを惜しむように。
「約束だよ……」
寂しげにチルノは言う。私は微笑んでこう言い返した。
「ええ。約束するわ……」
それが今年最後のチルノとの会話だった。私は湖から離れていった。降りしきる雪の中、チルノの姿はどんどんその雪の中へと霞んでゆく。何故だか私の目から涙が止まらなかった。別れるのは何時ものことなのに。
「大丈夫。また、逢えるから」
私は自分にそう言いきかせた。泣かないで、とチルノに言ったのに、私が泣いてちゃ駄目だよ。また、逢えるから。だから、もう、泣かないの。湖に離れてゆくたびに、涙が流れる。その涙を拭きながら私は「また逢えるから」と呟いていた。
――――そして、あのときから1年近くが過ぎた
今年の幻想郷は例年と同じくらいに初雪が降った。しんしんと降る雪の中に二人が抱き合い、喜びの声が湖に響いた。
約束された地。それは紅魔館の周りの湖。
約束の場所。それは二人がほんの冬の間だけ出会う場所。
終わり
湖まであと少し。もうすぐ、もうすぐ逢えるのね。
チルノ。待っててね。すぐ、そこに行くから。
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その日が来るまで… レティ編
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それは、去年の冬の始まりのことだった。私はこの幻想郷の冬の訪れを告げるためにやってきて、そして雪を降らす。その雪は様々な場所で降り積もり、やがて春になれば水となっていき、多くの生き物の明日を繋ぐ。もちろん私がここへ来るのはその為なのだけど、もう一つ私にとって大きな目的がある。それは――――
「レティーーーーーー!! 」
ほら、聞こえてきた。私を呼ぶ妖精。私にとってかけがえの無い友人、チルノ。私はその子に逢う為に来てるのだから。わっ! チルノったら、私に抱きついてきたわ。もう、そんなに興奮しなくても。
「レティ! 久しぶりだね!! まっていたんだよ!! ずっと! 」
声がうわずっている。泣くほどのことでもないのに。
「チルノ。嬉しいのに泣くなんて貴女らしくないわ。……ほら、泣かないの。ね? 」
「うん!でも……うれしくて、レティはあんまりここにこれないから、つい……」
「……分かったわ。だから、もう泣かないの。ね? チルノは強い子なんでしょ? 」
うん! と言いながらチルノは涙を拭った。涙は決して人前では見せちゃいけないよ。貴女みたいな強い子は。
「あ、レティさん! 久しぶりです」
「あら、大妖精。貴女も元気そうで何よりだわ」
大妖精なら、きっと分かってくれるはず。私は大妖精に伝えなければいけない現実を彼女に打ち明けることにした。大妖精も私が来たことに嬉しい気持ちを裏切るような行為だと思うけれども。私は大妖精に目をやり、
「大妖精、ちょっといい? 」
と呼んだ。突然呼ばれてちょっと驚いてるね。でも、これからもっと驚く、いやショックを受けるような事実を伝えるようなものだけど。
「ねーねー。どうしたのレティ? なんだか顔暗いよ? 」
「ううん。なんでもないよ。気のせいだよ、きっと」
「そっかー」
そうだわ。チルノの前でこんな暗い顔をして、嫌な話をしてはチルノが心配してしまう。私はチルノに席をはずしてもらおうと言おうとしたけど、大妖精が代わりに言ってくれた。
「チルノちゃん。ちょっとレティさんと話があるから少しいいかな?」
気が利くわね。
「えー」
「でもちょっと大事なお話だからどうしても……」
「うー…。わかったよぉ」
ごめんね、チルノ。もっとお話したり、遊んだりしたいけど、それもすぐにできない。悲しいことだけど。
* * *
チルノは何時ものように湖の水辺で蛙と戯れていた。私たちとチルノとの距離は、私たちが何を喋っても聞こえないくらい離れていた。
「なんですか? レティさん。なんだか凄く暗い顔ですけど……」
「……あのね、大妖精。このことはチルノには内緒よ」
「どうしたのですか? 」
しばらく私は黙り込んだ。チルノよりは幾分か大人の大妖精でも、このことを聞けば一体どういう反応を見せるのか。きっとショックは受けるだろう。大妖精の心を私は推し量った。だが、いずれ知らなければいけない現実であり、避けて通れない事実である。私は決心し、その重い口を開いた。
「実はね、私、明後日ここを離れなくてはいけないの……。貴女や、チルノには辛いことだけど……」
「えっ!? 」
大妖精はその一言に尽きた。無理も無い。年に1度か2度しか逢えない妖精にようやく逢ったというのに、すぐにここを去るということを聞かされては、誰だってそういう反応は見せるわ。しばらくは大妖精は黙り込んだ。きっとショックを受けてるでしょう。でもすぐに大妖精は口を開いた。
「そうですか……。えっと、その……」
「悲しい? 」
「……はい。正直……」
大妖精はまたうつむいた。ごめんね。私も本当は言いたくなかったけれども。
「でも、どうしてここをすぐに離れるのですか? 理由を知らずして私も黙ってここを離れさせるのも嫌ですから」
「そう。実は以前私が冬を越して大雪を降らせたことがあったでしょう? 」
大妖精は黙ってうなずく。
「そのせいで私の残っていた魔力が切れてしまったの。いつもは次の冬のために魔力を残しておくけれど。魔力の切れた私はそのあと立ち上がるのが精一杯な状態になってしまった。今はようやく小さな雪を降らせるようになったけど、ここに来るまでは相当大変だったの。でもまた無理に雪を降らせようとすると今度は意識までが朦朧となってしまうかもしれない。来年の冬のためにも私は早めに雪を降らせるのをやめて、魔力の回復をしなければいけない。だから私はすぐにこの場を離れるの」
長く喋り続け私は、ふぅ、と一つため息をついた。これで本当に理解してくれれば良いのだけれど。私は少しそんな心配をした。こんな長い話は言い訳に近い話だ。本当に理解してくれ無いかもしれない。でもそんな言い訳に近い話でも真実は真実。そして避けて通れない事実だから、耳を塞いで知らん振りにして逃げることができない。すると、大妖精は全てを受け入れたかのように私に向かって微笑みながら答えた。
「そうだったのですか。そのようなことがあったのなら仕方ありません。正直忘れたい事実ですけど、でも、もうすぐ目の当たりにする現実です。私は悲しんだりはしませんから、レティさんはそこまで心配しなくても大丈夫ですよ」
そう言いつつも、大妖精の目は潤んでいた。上辺ではそんなことを言っていても本心彼女は悲しいに決まっている。
「突然な事を言って申し訳ないわ。極力言わないようにしようとしたけど、でも一人だけでもいいから私が離れる理由を知ってもらいたかったの。身勝手なことを言って本当に
ごめんなさい」
「もう謝ったりしないでください。もう私は大丈夫ですから」
「そう……。あ、それと」
「はい? 」
「最初に言ったように、決してチルノにはこの事を言わないようにして。あの子は貴女とは違ってまだ幼い妖精。このことをありのままに伝えてはきっと彼女は混乱するし、悲しむわ。だから、今日あったことは言わないようね」
「分かりました」
そう言って大妖精は私の元を去った。私は米粒ほどのチルノを見つめていた。チルノは独りで遊んでいる。こんな穢れの無い純粋な彼女には出来るだけ辛い思いはさせたくない。けれども、いずれはそんな辛い思いを味わってしまう。何よりも辛いのはチルノもそうだが私もだ。無垢なあの子を騙しているような罪悪感が私の心に突き刺さる。そしてとても痛い気持ちだ。やはり、あの子に知らないままここを去ったほうが良いのか? 私は自分にそう尋ねた。だが、答えは見つからない。言った方が良い、言わないほうが良い。どちも正しいとは言い切れないから。
* * *
う、眩しい……。ああ、もうこんなに陽が上がっている。だいぶ寝てしまったようね。昨日のことでちょっと夜眠れなかったし。私は身体をゆっくりと伸ばしながら徐々に目を
覚ます。今日はいい天気だ。雲が少し目立つけど。でも、冬にしては天候は良い。
「あれー? レティはー? 」
向こうでチルノの声が聞こえる。もう起きたんだ。ちょっと悪戯してあげよう。もう今年もすぐに私はここから去るから。私は息を潜め、忍び足でチルノの背後に近づいて
いった。
そして両手でチルノの目を押さえた。
「うわー! 前が見えないよー!! 誰ー! 誰なのー!!」
あらあら、そんなにも暴れなくてもいいのに。
「誰なのー! 大ちゃん? レティ? 」
「うふふ。誰だろうね? 」
「あっ! 分かった! レティね! レティなのね!! 」
正解。私はそう呟いてぱっと両手を離した。チルノはせわしく目をゴシゴシとかきながらこちらを向いた。やっぱりチルノはいつ見ても可愛いものね。微笑みながら私はそう思った。こちらの顔を見るなりチルノの大きな瞳は輝き始めた。そしてすぐさま私に抱きついた。嬉しいんだろうね、握る力が必要以上に強い。
「レティ! やっと起きたんだね?」
本当はチルノより遅いけど私は嘘をついた。
「あら? 貴女と同じくらいに起きたけど……」
「へ? そうだったっけ?」
「ええ。そうよ」
「ふぅーん。レティもお寝坊さんだね!」
お寝坊さん……。そこから連想したのは、昨日のことについてずっと考え続けた夜のことだった。伝えていいのか、伝えなくてもいいのか。そんなような葛藤をしてたことを思い出すとまた少し暗い気持ちになった。同じ事を思ったのか、近くにいた大妖精も私のほうを暗い顔で見ていた。
「あ、そういえば昨日レティに渡そうとしていた物があったのだけど
忘れてたんだ!! 」
チルノは私たちが暗い顔をしているのにも気付かず、急いでこの場を去った。だいぶ離れたところまで行った所で大妖精が心配した顔つきでこちらにやってきた。
「レティさん、大丈夫ですか? 」
「……実は、ちょっと……」
「やっぱり無理をしないほうが……」
それは駄目。例え私がきつい状況でもチルノの前では常にいつもの私を保たなければならない。幼い子供はその場の空気で相手の気持ちを汲み取ることができると言うから。だから心配しちゃ駄目。そう私は大妖精に向かって目で訴えた。
「そうですか……」
そう言って大妖精はこの場所を離れた。
「レティー! これだよー! これを渡したかったのー!! 」
チルノは無邪気な笑顔をしながらカチンカチンに凍った蛙を手に持って私のところへ飛んできた。このチルノの顔が見れるのも、もう数えるくらいなのね……。
湖の周りに生えている樹肌を露出させた樹々がまるで私の寂寥の感を映し出しているようなものだった。
* * *
今日は昨日と違って何故か早く目覚めた。明日ついに別れのときが来る。そんなことを考え出すと事実を伝えていないチルノを騙しているような罪悪感が募った。こんな間近になって私は急に不安になってしまった。なぜなら、このままチルノに何も言わずにここを去って良いのか? 本当にそれがチルノにとって良い事なのか。知らぬが仏と言うが、嫌な事は全て伝える必要は無いとでも言うのだろうか? 私はチルノだけ知らないまま終わらせるのが怖くなってきた。もし、知らない間に私がここから消えていたら、チルノは思うのだろうか? 次第に自分のやっている事が正しいことか分からなくなってきた。私が湖のほとりで独り悩んでいたところに、大妖精が私のところへ来た。
「レティさん。まだ身体の具合が良くないのですか? 」
「違うわ。身体は昨日よりは少し良い。けど……」
「けど?」
私は深くため息をつく。まだ太陽は東の空から現れておらず、辺りは薄暗い。私は大妖精に今思っていることを全て打ち明けた。チルノをこのまま何も知らないままにするべきか、もし、そのままで私はここから去った時のチルノはどう思うかという事を。大妖精はしばらく黙り込んだ。やはり他人の心には推し量れないものがある。特に幼い心は。
黙り込んだ末、大妖精が導き出した答えはこうだった。
「そこは私でもどうしたらいいか分かりません……。私はやっぱりチルノちゃんには悲しい思いはさせたくないから言わないほうが良いと思いますけど、それが本当に正しいかと訊かれると難しいところです」
「やっぱり何も言わないほうが良いのかしら? 」
「……じゃあ、他の人に訊いてみたらどうですか? 」
そうだ。それがあったわ。
「他の人ねぇ……。でも私が知っている幻想郷の人って言ったら…… 」
「博麗霊夢とかどうですか? 彼女は誰に対しても平等に見ますから」
霊夢……。確かあれは春のときに会った巫女ね。
「でも、本当に話を聞いてくれるかしら?」
「大丈夫ですよ。これをもっていってアレに入れれば大丈夫ですよ! 」
「アレ? 」
私はそう言われて渡された物を持ち、大妖精に連れられて、博麗霊夢の居る博麗神社という場所へ向かった。
「ここです。ここが博麗神社です」
始めの印象は、まず大きい。そしてかなり年季が入っている。神社の所々に穴や傷が入っていて、柱の色も焦げ茶色に変色している。こんな所でも人は住むものなのか。内心私は驚いた。
「あ゛~~っ。おなかすいた~~~~」
神社内からうめき声が上がった。私はかなり驚き、ちょっと飛び上がった。大妖精はそっと私に耳打ちをした。
「今のうめき声を上げたのが博麗霊夢です。レティさん、これを持っていってアレに入れていってください。では」
私に例の物を渡すと、湖へ帰っていった。何故か私は変に緊張をした。面識があり、初見じゃないのに何故か緊張をしてしまう。原因はきっとさっきのうめき声でしょうね。
神社の入り口にあるアレの前に行きそっと例の物を投げた。そう、それは……。
「今、何を入れた!? 」
襖から霊夢が目を大きくして現れた。
「賽銭よ」
「ホントに!? 」
霊夢は目にも止まらぬ速さで賽銭箱に食いついた。賽銭箱の裏側に入ってごそごそ何かを探ると彼女は大仰すぎるリアクションで手に握られた硬貨を天に仰いだ。
「ああ~!! 今日は最高だわ~!! 生きている間に賽銭というお金を手に入れることが出来るなんて!!」
そんなに嬉しいことかしら?私は霊夢の家庭内事情はよく分からないからたった一枚の500円玉で喜ぶ気持ちは理解しにくい所だわ。
「でも、私に賽銭を出したということは、何か条件付きかしら? 」
「まぁ、そう言ったところね」
「だったら、中に入って行ったら? お賽銭の分ということで」
「あら、賽銭払わなかったら外で話を聞くつもりだったのかしら? 」
「そういったところね」
賽銭次第で待遇がこんなにも甚だしいなんて、ちょっとやらしいわね。そんなことを思いながら私は神社の中へ入った。
私は霊夢に案内され、神社の縁側に座った。神社から眺める境内の景色は、樹肌の焦げ茶色が重苦しい雰囲気の中に一際目立つ燃えるような朱色の鳥居が堂々と建っていた。霊夢はおくから湯飲みを乗せた盆を運んできた。湯飲みからは湯気がもやもやと宙を描いている。
「気が利くわね」
受け取った湯飲みを持ちながら霊夢に言う。霊夢は照れ気味に笑った。
「これくらいで気が利くなんて言われてもこっちが照れるわ。お茶程度なんて何時ものように淹れているから」
「そうなの。じゃあ、一口頂くわ」
ズズズ…。熱い。でも辛い熱さじゃない。確かに熱いけど、それと違う熱さ……いや、温かさと言ったほうがいいかしら。茶を飲みながら、私は茶の温かさに不思議な気持ちを覚えた。味のほうは、始めは少し苦い。けれども徐々に甘みが口の中に広がる。砂糖のような甘さではない。くどくなく、いやみの無い甘さ。私はこの二つの不思議な味わいに惹かれ、どんどん飲んだ。気がつけば湯飲みの中のお茶は空っぽになっていた。こういう物は意外と早く無くなってしまう物なのね。空の湯飲みを見つめる私を霊夢が言う。
「まだお茶が残っているけど、飲むかしら? 」
「いや、いいわ。私はお茶は楽しめたけれど、もう結構よ」
そう……。そう言って霊夢は茶を啜った。
「で、用事は何なの? 」
「そうだったわね。……貴女なら、どっちにするかしら? 」
「? どういうこと? 」
私は霊夢に事の一部始終を彼女に説明した。この幻想郷を明日離れること。チルノのこと。霊夢は私が話している間、何も言わず、ただ茶を啜りながら静かに聞いていた。
そして全てを話し終え、霊夢はすぐさまこう答えた。
「私からの立場で言わせれば、このまま言ってしまった方がいいと思うわ」
やはり。
「でも、ちょっと手遅れ気味かもしれないわね」
「それは分かってる。こういう大事なことは始めのうちに打ち明けておいたほうが楽かもしれないわね」
「楽かどうかはあなた次第よ。ただ、あのバカのことを考えてあげると、あなたの言うとおりになる。だけど、言ってしまった方がいいという考えはあくまでも私の一存よ。
それをどう判断するかはあなた次第だから」
外からそよ風が吹きつける。少し寒さを感じるけど。
「どうするつもり? これから」
私はフッと鼻で軽く笑う。
「まぁ。あなたに相談した甲斐はあったと思うわ。おかげで、少し迷いが消えた感じもあるし」
「言うの? 」
私は縁側から立ち上がった。そして振り向きざまに人差し指を頭に指して一言
「さぁ? それはあなたの勘次第ね」
そう言って私は湖へ帰るために、襖を開けた。
「じゃあ、また何時かここに来るわね」
* * *
「あれは……」
霊夢はその一言に尽きる。私もその場に立ったまま、何も言葉が出なかった。その理由はただ一つ。チルノがその場に居たから。
「レティ! 」
そう言うと、チルノは真っ先に私の懐に飛び込んだ。服を握るチルノの小さな手は、離れないように強く、強く握った。私のことを探していたのだろう。
「チルノ……」
その先の言葉を言おうとしても、喉の辺りで詰まり、言葉にならない。私は躊躇った。本来ならもう少し心の準備が出来てから言うつもりだったのだが、こうも早く来てしまうのは正直困惑した。だが、今ここで言わなければますます言えなくなるかもしれない。私は決心して、チルノに告白をした。
「チルノ、せっかく私を探してくれて、私のことを本気で心配してくれるのにとても嫌な事言うようだけど……」
「え?」
涙と鼻水を流しながらチルノは顔を上げる。やはり私が居ないと不安になるのだろうか。
「チルノ。私、実は…………明日、ここを離れなくちゃいけないの……」
「え……」
チルノは目を丸くした。
「な……なんで?」
「実はね。私、一度春まで大雪を降らせたことあるよね……。実はそれが原因で、雪を降らせる魔力が切れたの。あと一日降らせるところまでは回復したけど、 やっぱり長くはここに留まれない。来年の冬のためにもここから離れないと、四季に大きな影響を与えてしまう。チルノ、貴女にはかわいそうだけど、これは 幻想郷に住むみんなにとって大事なことなの。だから……」
「なんで!!」
チルノが強く声を張り上げた。氷のように透き通った雫が頬を伝い、そして落ちる。
「なんで、なんであたいにもっと早く教えてくれなかったの!! どうして! あたい、分かんないよ! どうしてレティはあたいに隠し事をするの!! 隠し事はよくないのにどうして隠し事をするの!!」
「でも、チルノ。私は貴女が悲しむようなことにさせたくないから……だから私は何も……」
「もう……いいよ。もういいよ!! レティの言い訳なんて聞きたくない!!レティのバカ!!もう知らない!」
チルノは私を押し出して、湖のほうへ飛んでいった。チルノの飛んでいった後にはキラキラと光る小さな雫が見えた。私はその場で立ち尽くした。どうすればよいのかという混乱とチルノの気持ちを分かってあげることが出来なかった自責の念が私の心の中で鬩ぎ合う。後ろで様子を見ていた霊夢は、私の肩をそっと叩き、「仕方ない」と言わんばかりの顔でこちらを見ていた。
「ねぇ、霊夢」
「何? 」
「これでよかったのかしら? 私は、言っても何もすっきりしない……。これで本当によかったのかしら? 」
「……」
霊夢は何も答えない。答えるには少し難しすぎたようだ。私もその後の言葉が続かない。その場に沈黙だけが続いた。そんな沈黙に耐え切れなくなったのか、霊夢はふとこんなことを言った。
「そういえば、今年の雪はまだ一昨日しか降っていないわね」
「それが……どうしたというの? 」
「どうせなら、あなたがここを去る日ぐらいは、雪を降らせてあげたら? 」
「……」
私は何も答えず、空を見つめていた。そして、何も言わず私は湖へ行った。
「雪の無い冬なんて寂しいものだから」
そんなようなことを霊夢は最後に言った気がした。
* * *
今日、ついに別れのときが来た。私は湖の上空にいた。空を見上げ、気を集中し、魔力を空へ放出させる。放出された光る球体のような形の魔力が肉眼では見えない所まで行くと、小さな白い粉が降ってきた。次第に粉程度の大きさであった雪も大きくなっていく。私はチルノのほうへ向かう。東の空はまだ陽が上っていない。そんな早い時間にはチルノはおきていなかった。うつ伏せになりながらチルノは湖の水辺で眠っていた。小さな寝息を上げながら眠るチルノを私はゆすって起こす。
「起きて、チルノ。起きて……」
「う、う~ん」
まだ眠りたいのだけど、今日だけは許してね。心の中で私はチルノに謝った。身体をほぐし、大きくあくびをしているチルノの瞼は少し赤く腫れている。泣いていたのね。
「ごめんね、チルノ。こんな早くに起こして」
「……」
ふくれっ面でこちらを向かない。
「チルノ。昨日はあんなことを急に言ってしまってごめんなさい。悪気は無かったの。だけど、チルノのことを考えると、あの事を言うとチルノは悲しむかと思って。正直隠したくは無かったけれども、貴女の事を考えるとどうしても言えなかったの……。言ったら、きっと貴女は悲しむだろうって……」
「……」
「でも、今考え直してみると、隠し事をしていたら、正直に言うよりも気分が悪くなるっていうことがよく分かった。そして私は誓ったの、チルノの前では決して、あの時のように大事な事は隠さずにしようって」
「……レティ」
「ん? 」
うつむいて私を呼ぶ。
「あたいも……あたいもレティに謝らなくちゃいけない事、あるよ。きのう、レティを必死で探していたからあたいはつい、あんな事を言っちゃった。レティ、ごめん。あのときあたいがもっとレティにやさしかったらレティも嫌な気持ちにならなかったのに……。ごめん。
……………ごめんね……」
ポロポロと涙を流しながらチルノは私に謝る。私はチルノと同じ視線になってかがみこみ、服でそっと涙を拭いた。もう、泣く必要なんてないのよ。
「いいのよ、チルノ。元々は私の責任。貴女を悲しませたりしたのは私のせいだから」
「でも、でも、レティはなんにも悪くないのよ! ぜんぜん悪くない! 悪いのは……あたいだから…… 」
「もう、いいわよ、チルノ。自分を責めないで」
私は、チルノの頭を撫でた。辺りの雪は既に周囲の風景が霞むほどの量が降っている。けれども、それは静かに降り注いでいる。私たちだけの世界を包み込むように。
「もう、泣かないのよ。ね? 私はまた、来年来るから……。そのときは、今年遊べなかった分いっぱい遊ぼうね」
「レティ……」
私はチルノに言い残し、その場を離れようとした。だが、私はそのとき手を強く握られた感触が走った。見ればチルノは私の手を強く、強く握っていた。離れないように、別れを惜しむように。
「約束だよ……」
寂しげにチルノは言う。私は微笑んでこう言い返した。
「ええ。約束するわ……」
それが今年最後のチルノとの会話だった。私は湖から離れていった。降りしきる雪の中、チルノの姿はどんどんその雪の中へと霞んでゆく。何故だか私の目から涙が止まらなかった。別れるのは何時ものことなのに。
「大丈夫。また、逢えるから」
私は自分にそう言いきかせた。泣かないで、とチルノに言ったのに、私が泣いてちゃ駄目だよ。また、逢えるから。だから、もう、泣かないの。湖に離れてゆくたびに、涙が流れる。その涙を拭きながら私は「また逢えるから」と呟いていた。
――――そして、あのときから1年近くが過ぎた
今年の幻想郷は例年と同じくらいに初雪が降った。しんしんと降る雪の中に二人が抱き合い、喜びの声が湖に響いた。
約束された地。それは紅魔館の周りの湖。
約束の場所。それは二人がほんの冬の間だけ出会う場所。
終わり
その若さにして素養は十分だと思います。
これからもがんばってください
ところでひとつ謝罪しておきます。
この前私は!と?の後はひとつあける、と申しましたが、説明不足でした。
後を空ける場合は文章が続く場合、すなわち……。
「どうせなら、あなたがここを去る日ぐらいは、雪を降らせてあげたら? 」
は
「どうせなら、あなたがここを去る日ぐらいは、雪を降らせてあげたら?」
となるわけです(引用させていただきました)
説明不足をお詫びいたします。