※まえがき
タイトルに偽り有り。
そして、タコは8本足でオクトパス。
まずは高さが28ミリメートル。
用途を考えると、深すぎても浅すぎてもいけない。
膨大な試行錯誤と演算の果てに叩き出した理想値がこの値であった。
そして、横幅が218ミリに対し、奥行きが135ミリ。
その比率、1:1.618。
最も安定し、見るものに至高の美を感じさせるという黄金の比率。
・み立てた容器を前にして、期待通りの出来栄えに、小悪魔は満足そうに頷いた。
▽
壁にはずらりとならんだ膨大な数の調理器具。
ほんの数時間前までは盛大な炎が灯っていたオーブンの群れは、まだ熱を放っている。
時には何百人という単位での食事を賄う、紅魔館が誇る巨大な厨房である。
その片隅で、小悪魔はいそいそと調理に勤しんでいた。
「んー……やはり思うように丸くはならないですが……これぐらいなら上出来ですかねー」
取り出し、皿にに盛り付けたのは、こんがりと狐色の焦げ目がついた丸い物体。
直径はおよそ3センチ。小麦粉ベースの生地が、香ばしい芳香を立てている。
見栄えの良い球形に焼き上げるのが非常に難しく、すでに焼き直しは5回目である。
1回目は完全に失敗でつぶれてしまい、2回目以降、一応は球形と呼べるだけのものはできたのではあるが、微妙な歪みや、こげ具合が気に入らず、これだけの回数になってしまった。
近くの皿には、失敗した分も合わせると、凄まじい量の焼き上げた生地が転がっている。
膨大な数の住人を持つ紅魔館である。
作り過ぎても、余るという事は、まぁあるまいが、これ以上作ると用意していたソース等が足りなくなるかもしれない。
ここらで妥協すべきだろう、と判断し、次の作業に移る。
焼き上げた生地への仕込みと、形の良い物をより分けるだけでそれなりの時間を食ってしまった。
愛しき主のためと思えば、自然と少しでも良いものを、より完璧に近いものをと、時間も考えずに際限なく凝ってしまう。
悪い癖だな、と思考の片隅で反省し、小悪魔は作業に勤しむ。
懐中時計を取り出して時間を確認すれば、我が主のお茶の時間まで残り30分。
時間通り出さなければならない決まりがあるわけでも、そう催促されているわけでもないが、主の生活習慣を考え、ベストと判断できる時間がそれだ。
察しの良い主ではあるが、さして意識はしていないだろう。
労いの言葉こそいただけるが、「お茶を出す」という行為そのもの以上に、感謝されるわけでも褒められるわけでもない。
「でも、良いのー。それがわたしの愛のかたぁぁぁちぃぃぃー♪」
歌なんぞ口ずさみながら、用意しておいた器に盛り付ける。
悪魔の身の上で愛を語るのもどうかと思わないではないが、誰も気にしていないのだし、構うまい。
愛は種族を超えると、誰かも言っていたし。
微妙に意味を取り違えてる気がしないでもないが、些細な問題だ。多分。
器には、きっかり8個が収まった。
黄金比を計算し、特注で作らせた容器である。
燻した葉で『船』を組んで器にする事も考えたが、実験したところ耐久性に若干の難があったため、無難なものにすることにした。
書を嗜む主の事だ。万が一、器が崩壊して書物に汚れなど残そうものなら、深く悲しむに違いない。
トッピングを施していく。
まずは、様々な隠し味を加えた濃密な黒色のソース。
刷毛で塗りつけてもいいのだが、ここは見栄えを重視して細く絞り出しながら何度も何度も往復させて、並んだ生地を飾る。
これも地味に技術の必要な作業ではあるが、事前に練習済みだ。
一回目で満足いく成果を得られた。
そして、彩りとして薄茶色の削り節と、濃緑色の粉末を振り掛ける。
さらに白色のソースなども、さきほどの黒いソース同様に加える事ができれば、見た目は完璧だとは思うのだが、味を考えてあえて避ける。
これ以上の味付けは、あまりに濃くなり過ぎるだろう。
「やはり、味も完全にしてこそですよね」
完成した作品に、小悪魔は満足そうな微笑を浮かべ、ぱたぱたと尻尾を揺らした。
最後に、何か見落としはないか、一つ一つチェックしていく。
こんがりと狐色に焼き上げた丸い生地。
美しい光沢を放つ黒色のソース。
薄茶の削り節に、濃緑の粉末。
うむ、と一つ頷き。
「どこからどう見ても、完璧な『たこ焼き』ですね」
凝りに凝っただけあって、十人が見れば十人がそう判断するだろうという確信があった。
仕上げに、と。
これまた特注で作らせた、通常、里などで売られているものより、長い爪楊枝を添える。
これの正体は、本来爪楊枝で食べるものではない。
見るものに、きっと『これはたこ焼きだ』という印象を強めてくれる事だろう。
「完璧です。どういうリアクションを取ってくれるか楽しみですねー」
楽しさの余り、その場でくるくると踊ってしまう。
味の感想、ではない。
そう重要なのはリアクションである。
誰がどう見ても、「たこ焼き」な其れ。
実は全く別のものを、其れらしくデコレーションした代物である。
些細な。実に些細な悪戯。
引っかかった所で、誰が不幸になるでもない。
誰が怒るでもない、本当にささやかな悪戯。
「今回こそは、上手くいくといいですねぇ」
最近は、主も慣れてしまったのか、多少風変わりな物を出すぐらいでは驚いてくれなくなってしまった。
それは余りよろしくない。
この身は悪魔。
甘言と驚愕を持って、日々の生活を彩るエンターテイナーである。
仕込んだネタが不発に終わるなど、長年鍛えた技が泣くというものだ。
あちこちから異論が飛んできそうな気もしたが、とりあえずは気にしない。
前回の、香りはセイロンなのに味はダージリンという、数々の実験の果てに苦労して生み出した至高の紅茶は「いつもの葉と違うわね」の一言で済まされてしまった。
そうじゃないんです、我が愛しき主。
そういうリアクションが欲しいんじゃないんです。
もっとこう「この紅茶を淹れたのは誰だぁっ!!」的な驚愕が欲しいんです。
これでは、平穏な日々に幸いな刺激をもたらすエンターテイナー失格である。
驚かすだけならば、刺激物なぞ加えるだけでも十分かもしれない。
だが、それでは駄目なのだ。
対象者に、ダメージを残すような手段を取れば、禍根を残す。
タバスコとマスタードとワサビに頼るのは三流というのが小悪魔の信念であった。
前回の反省を踏まえるに。
要するに紅茶の外見で、紅茶の味というのがまずかったのだろう、と判断した。
人によっては違いがわからないような些細な差では、自然と反応も薄くなる。
今回は、誰がどうみても味と外見がかけ離れている。
今日こそは、と静かに情熱を迸らせる小悪魔であった。
「あら、良い香りね」
一緒に持っていく紅茶を淹れていると、後ろから声がかかった。
「あ、咲夜さんもお茶の用意ですか」
「ええ」
振り返ると、そこには一人の影。
個人的にはどうかと思う、ミニスカートのメイド服。
いまや紅魔館における顔役にまでなったメイド長、十六夜咲夜である。
「なんだか、風変わりなものを作っているのね……」
こちらの、外見はたこ焼きの其れを見てつぶやく。
確かに、洋館でたこ焼きというのは変わっているかもしれない。
結構、ストレートの紅茶にあうのだけれど。
そこまで考えてふと閃く。
日々を彩るエンターテイナーとしては、身近な関係の人物にも幸いな刺激を振りまいてしかるべきではないだろうか。
「少し苦味があるぐらいに淹れた紅茶と意外とあうんですよー。お一ついかがですか?」
まずは、本戦の前の予行練習といこう。
主へと持っていく物とは別の、失敗作の中ではまともな部類が集まった皿を差し出した。
「あら、いいの? それじゃ遠慮なく一つ」
爪楊枝なぞ、使う機会がなかなか無いのだろう。
手に取ってから、しばし物珍しげに眺めてから、外見的にはたこ焼きそのものを其れに突き刺して口に放り込んだ。
さて、どんな反応を取るだろう。
瀟洒で通る彼女は、リアクションに関しても一級品である。
以前、冷めかけのおでんを差し出したら、まるで今の今まで業火の上で煮えたぎっている物を食したかのような、表情と転げっぷりを披露してくれた。
そう、この超一級メイドは空気も読めるメイドなのだ。
期待に胸が躍る。
目の前で、そのメイドがもぐもぐと口を動かし、時間をかけて租借する。
なるほど、いい溜めだ。
よく味わう事で、今か今かと心躍らせる相手を、あえて待たす。
焦らしプレイとはやはり上級者は違う、と小悪魔は静かに関心し、その口が開かれるのを待つ。
そして、咲夜の言葉が紡がれた。
「なかなか良い出来ね」
空気読めよ。
「って、どうしたの? 突然倒れたりして」
「ティーカップは死守してますんで、だいじょぶでーす……」
思わず突っ伏してしまったではないか。
馬鹿な、他の者ならいざ知らず、この瀟洒なメイドがこの反応とは考えられない。
何か、何か見落としがあったのか?
「え……と、それだけですか……?」
「ん? 何が?」
「いえ、感想。ほらもっと何かこう」
「そうねぇ……。 食べやすい大きさではあるけど、このサイズだと生地のふくらみが甘くなるから、もう少し大きくしてもいいんじゃないかしら?」
「えーと、他には?」
「ソースはもう少し控えてもいいんじゃない? ちょっとくどくなりすぎてるかも」
「……そうですか。アドバイス感謝します」
顔で笑って、心で泣いて。
今の心境はそんな感じ。
「あ、ちょっと待って。せっかくそんなに作ったのなら、お嬢様にもお出ししたいんだけど、分けてもらえないかしら? その――シュークリーム」
シュークリーム。
そう、十人が見れば十人がたこ焼きと判断するであろう、それの正体は、サクッとした食感と、甘いクリームが奏でるコンビネーションが魅力のシュークリームである。
生地を工夫して、可能な限り真球に近い形で焼き上げたシュー生地。
大きさは一口サイズに抑えるため小ぶりだが、中にはちゃんとカスタードクリームと生クリームを1対1の割合で仕込んである。
秘伝のタレを思わせる黒い光沢のソースは、カカオとビターチョコをベースに作ったチョコレートソース。
薄茶の削り節は、硬い固形チョコをナイフで削ったもので、濃緑の粉末は青海苔ではなく、抹茶を練りこんだチョコレートである。
ただでさえ、甘く仕上げたシュークリームに3種類のチョコレートで味付けをしているのだ。
ちょっとくどい、という咲夜の表現は的を射たものだろう。
其れゆえ、マヨネーズに見立てたホワイトチョコでのソースは断念したのだし。
苦心の果てに完成した、ビックリ料理が、まさか真っ当な料理批評を下されるとは……。
「数は十分にありますので、それは構いませんが……」
だが、空気の読める咲夜でさえ、この反応だったのだ。
小悪魔の本能に近い危険信号が灯る。
スベる。
これは間違いなく、スベる。
このまま出してもいいものだろうか?
「ん? 何か問題が? 確かに私はちょっと甘すぎるかなとは思ったけど、甘いものが好きなお嬢様ならこのぐらいがちょうどいいんじゃないかしら?」
味の問題ではないんです。
目的の問題なんです。
「いえ、ちょっと自信がなくて」
「さっきも言ったけど、いい出来じゃない。それにそのシュークリーム、パチュリー様にはお出しするんでしょう? お嬢様が後から聞いたら、きっと欲しがると思うわよ」
「ですが……」
踏ん切りがつかず、渋っていると、そこに一つの考えが浮かぶ。
ひょっとして……。
「時に、咲夜さん」
「なに?」
「たこ焼きというものを見たことがありますか?」
「タコヤキ……? 聞いたことはないけど……食べ物?」
なるほど。
このメイド、たこ焼きを知らないのか。
考えてみれば、その可能性はあって然るべきだった。
この洋館において明らかに場違いなそんなもの、料理として出るはずもない。
かといって、ここのメイドが他所の食文化にふれる機会なぞ、早々あるわけもない。
知ってるとすれば、食文化にさえ膨大な知識を持つ、我が主ぐらいのものだろう。
たこ焼きに模しているのを容易く見破られたのではなく、そもそも似せた対象を知らないのであれば、内容は変わってくる。
「わかりました。良いですよ。まだ結構残ってますんで、お嬢様だけじゃなく、他の皆にもどーんと振舞っちゃってください」
「ありがとう。それじゃ休憩時間にでも配るとするわ」
「あ、あと出来れば、コレがシュークリームだって話さないで皆に渡してください」
「あら、なんで?」
「そのほうが楽しめる人が、確実に何割かは居ると思いますのでー」
「そうなの? まぁ、貴女がそういうのなら、そうするわ。それじゃ、ありがとうね」
何皿かに分けて、器用に持っていく咲夜を見送って小悪魔は溜息をついた。
「なるほど……。凝った仕込みが効果を発揮するには、対象者にも其れ相応の知識と対応力が必要となる、と」
聞いた事はあったが、実感するのは初めての事であった。
「ま、いくらこの館で知名度が低いといっても、知ってる人は何割かはいるでしょうし。その人たちだけでも驚いてくれれば僥倖ですかねー」
やれやれ、また失敗か、とまた一つ溜息を漏らす。
「まぁ……パチュリー様だけでも、何かリアクションしてくれればそれで良い……かな」
初戦は敗退。
だが、本戦はまだこれからだ。
小悪魔は少しの期待を胸に、盆に件のシュークリームとティーセットを載せ、食堂を後にした。
▽
「パチュリー様、お茶をお持ちしました」
「ん。そこに置いといて」
薄暗い灯りの下、一人の少女が何十という書物を広げている。
紅魔館が大図書館。その主、パチュリーである。
細くしなやかな指がページをめくり、さらりとかき上げた絹糸のような髪が流れる。
嗚呼、我が主は今日も美しい。
この感情は――愛。
悪魔が語る愛にだって、プラトニックな物はあるんです。
「今日はこんなものを作ってみました」
「ん」
ことり、と机にたこ焼きに似せたシュークリームを置く。
しかし、パチュリーは書面から顔を上げもせず、短く返答しただけだった。
そっけない態度に、いちいち落胆するほど短い付き合いではない。
パチュリーの様子を見やれば、いつもとは雰囲気が違う。
一冊、一冊をじっくりと読むパチュリーが、複数の書を同時に広げる事自体珍しい。
さらには、普段は読むばかりだというのに、先程から一心不乱に何か術式のらしきものを凄まじい勢いで書き連ねている。
鬼気迫る……というのは言い過ぎだろうが、普段が、さながらそこだけ時間の流れが止まっているかのような雰囲気で読書にふけるパチュリーだけに、その異常性ははっきりと感じられる。
「ずいぶんと夢中になっておられるようですね。何かの研究を?」
パチュリーは一つのものに熱中すると、まわりが見えなくなる事が多い。
楽しんでいるという事でもあるので、小悪魔としては歓迎したい所だ。
主の楽しみは、仕える者の楽しみでもある。
小悪魔の呼びかけで、はたと我に返ったのか、妙に熱っぽい溜息をついた後、パチュリーは筆をおいた。
「ん……ちょっと剣について、ね」
「剣、ですか」
またすぐに別の書物への閲覧へと戻る。
「星々の煌きを束ねた宝剣。輝ける電光の閃刃。最も洗練された武器と呼ばれ、ある時代には世界情勢を覆す戦争においても用いられ、またある時代には人心を魅了し世界経済さえ動かした」
小声で、かつ早口でパチュリーが語る。
ノっている、と小悪魔は判断した。
このしゃべり方は、熱中の度合いをしめす値に換算すると、間違いなく最上位に位置する時のものだ。
それほどまでに、魅力的な研究なのだろうか。
「ある者は、それを手に入れるためにオークションで全財産を投げ出した。また、ある者はその剣を模倣し、誰もいないところでこっそり演舞し、甘酸っぱい黒歴史として残した」
「なんだか、妙に庶民派な印象になりましたね」
「それだけ、魅力的であったという事でしょう」
一区切りをつけたのか、顔を上げたパチュリーに微笑みかけて、ティーセットから淹れた紅茶を差し出した。
目が合う。
疲労のためか、目の焦点が合ってないように見えた。
相当の時間、作業を続けていたらしい。
「ありがとう、小悪魔」
「感激の至りにございます。それで、その剣を作ろうとしているのですか?」
「作る、というと語弊があるわね。其れは元々形なき剣。不型の光剣。作るのではなく、魔法で再現しようとしているのよ」
つぶやいて、紅茶を一口。
「なるほど」
「もう少しなんだけどね。どうにも音がまだ上手く再現できなくて……」
「音? 剣なんですよね?」
「ええ、そうよ。音。この光の剣が、人心を鷲掴みにしたのは、それから発する音が最大の要因ではないかと分析しているのよ」
「はぁ……音ですか」
気の無い返事をして、机の対面に腰掛けた。
できれば、たこ焼きっぽいシュークリームの話題にもっていきたいところだが、パチュリーがこれだけ能動的に言葉を作るというのも珍しい。
ここは、聞きに徹するべきだろう。
「納得できない、って顔ね。いいわ、未完成だけど見せてあげる」
そういって席を立つパチュリー。
立ち上がった瞬間、ふらりと体が揺れ、倒れそうになったところを、慌てて支える。
「……っと! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫。問題ないわ」
さっぱり大丈夫そうではない声でそう告げ、机の上をごそごそと探りだす。
山のように広げた書物をかき分け、その下から金属の棒のようなものを取り出した。
20センチメートル強、といったところか?
剣としては余りに短いが。
「魔法で再現するわけだから、飾りみたいなものだけどね。これが柄になるのよ」
「なるほど」
「見てなさい」
パチュリーが幾つかの呪を紡ぐと、ぞわりと周囲の空気が震えた。
魔力の胎動。
なるほど、大仰な伝聞でもって書物に残るだけの事はある。
そして、パチュリーが『柄』を一振りすると……例えるならそれは羽虫のようなハウリング音と共に一振りの光刃が発現していた。
「どう?」
「どう、と言われましても……」
確かに、ほとばしる魔力の波動はなかなかのものだし、斬りつければそれ相応の威力は発揮するのだろう。
だが、いかんせんこの紅魔の館には、目の前の光剣などとは訳が違う。それこそ一薙ぎで、山さえ消し飛ばすような炎の魔剣――いや、あれは魔杖だったか? ともかく凄まじい使い手がいるのだ。
どうしても、比較するとなると、矮小と判断せざるをえない。
「威力が問題じゃないのよ」
そういって、2,3振ってみせる。
元が魔力で編んだ剣のためか、目の前の光剣と同じサイズの鉄剣ならば、持ち上げるのさえ困難であろうパチュリーでも、其れは軽快に空を斬る。
そして、刀身が通り過ぎた後には、光の残像が走り、動かすたびに起動時にも鳴ったハウリング音が響く。
「良い音だと思わない?」
「うーん、確かに聞こえも、見栄えも良いと思いますが」
目に焼きつく様に走る剣閃と、クセのあるハウリング音は、確かに視覚的にも聴覚的にも派手で、見栄えという点では確かに優れてはいるのだが。
やはり素振りだけではいまいちパッとしない印象がある。
「やっぱり、音の再現に難があるのかしらねぇ……」
光の刃を解除し、トボトボとパチュリーが席に戻る。
「現物を聞いたことないですからねぇ……私にはわかりかねますけど……。それにしても、パチュリー様、ずいぶんお疲れの様ですが……本当に大丈夫ですか?」
「ん……。そういえば、ここ4日ぐらい研究で寝てないような気がするわ」
「寝ましょうよ、そこは」
くぁ、と猫の様なあくびをするパチュリー。
あ、なんか可愛い。
「お茶飲み終えたら、休むとするわ。それで、今日は何を作ってきたの?」
と、ここで本来の目的を思い出す。
そうだった。
本来の目的は、食べるとささやかながら驚嘆をもたらす料理でもって、主の平坦な日常にちょっとした刺激をプレゼントする事。
今日は、その渾身の一作である。
……出足は躓いたが。
「コレです。この国の文化に根ざした料理をイメージして作ってきました」
「ん……。面白いデザインね」
そういって、爪楊枝に手を伸ばすパチュリー。
その様子を見ながら、小悪魔の心中に不安がよぎる。
なんというか――パチュリーが手に取った其れを見つめる表情は、まさしく初見のものを見る目だった。
口に放り込んで、もぐもぐとかみ締める。
パチュリーのスキルでは、咲夜ほどの空気を読んだリアクションはとれまい。
だが。
ほんの少し。
そう、ほんの少しでもいいのだ。
ちょっと驚いた表情を見せて、ビックリした、と。
そうつぶやいてくれるだけで、私は満たされるのだ。
もぐもぐと主が口の中のものを租借し、飲み込んだ。
緊張した面持ちで、その口が開かれるのを待つ小悪魔。
ああ、一瞬という時間がこんなにも長いなんて。
「……ちょっと甘すぎる感はあるけど。ああ、それで今日の紅茶は少し苦味が強いのね。なるほど。いい仕事よ、小悪魔……って、どうしたのよ、うなだれて」
今の心境を表すならなんだろう。
とりあえず、アルファベット3文字で割りと視覚的に表現できそうな感じではあるが。
「……あー、いえ。だいぶ見込みと違いまして」
「そう? 見事な味だと思うけど」
「そう言って頂けるのは嬉しいんですけど……」
「?」
「何ででしょう。何で誰も気付いてくれないんでしょうっ! 誰がどう見てもたこ焼きじゃないですかっ! 甘辛いタレと、表面はカリッとしかし中はトロッとした生地とのハーモニーに、かみ締めるほどに旨味の染み出るタコの味わいがたまらない一品ですよ!?」
何で、皆知らないんですか、と。
もう一度だけ嘆いて、机に突っ伏した。
「タコ……? オクトパスの事? 8本足の?」
そういって、うにょうにょと手を動かしてみせるパチュリー。
ああ、奇行すらも愛らしい。
じゃ、なくて。
「その呼び方だと、まるで食材に聞こえませんね」
「食材……。ああ、ひょっとしてそれ、そのタコを使用した料理を模した物なのね」
「そうですけど……。もしかして、見たことないんですか?」
「幻想郷じゃ、わかるのなんて、そういないと思うけど」
「な、なぜですか!?」
あんなに美味しいのに。
「海が無いじゃない。幻想郷」
時間が止まった。
……様な気がした。
タコは海で取れるものである。
海が無ければ食材として調達できない。
そして、食材が無ければ、当然それを利用した料理の文化も根付かない。
「それは……気付きませんでした」
「何もそこまで打ちひしがれなくても」
がっくりと、今度こそ膝をついてうなだれた。
誰が呼んだか、失意体前屈。
最大限の、ガックリ感を表現するポーズをとって、小悪魔は、よよよと涙を流した。
そんな小悪魔の様子を見て、ふむとパチュリーは溜息をついて、語りかける。
「貴女は自分の常識と、周囲の常識が必ずしも一致していない事を認識すべきね」
「うー」
「悪魔とは本来、高次元の存在。世界はおろか次元も時代も跨ぐ放浪者。仮定が生み出す全能者。推測でしか存在しえない異世界常識を自身で経験せずとも、受信してしまう」
「……はい」
「おかげで私としては助かってるんだけどね」
「……そういっていただけると、救われたような気がします」
「まぁ、貴女のささやかで、幸いないたずらは失敗に終わったかもしれないけれど」
「……」
「私としては、そんな貴女を眺めるのも一つの幸いよ?」
そういって、微笑むパチュリー。
嗚呼――。
その笑顔、その仕草、その言葉だけで今日の試みは無駄じゃなかった、と。
そう実感する事ができた。
やはり、これは愛。
これが、愛。
悪魔的にどうかと思うけど、これぞ愛!!
「ただね、うん」
「はい?」
自分的に盛り上がってきた所で、魔が差す一声。
「いえ、私自身、思ってたより徹夜が堪えてたみたいでね」
「はい」
「なんか、一息ついたら、どっと疲れが来たというか」
愛しい笑顔で続けるパチュリー。
「ごめん。なんか。もう。無理っぽい」
そうつぶやいた直後、バタンと机にぶっ倒れた。
最後の最後まで笑顔のままだった。
「パ、パチュリー様!? パチュリーさまぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!」
ガチャン、と。
ティーカップが音を立てた。
タイトルに偽り有り。
そして、タコは8本足でオクトパス。
まずは高さが28ミリメートル。
用途を考えると、深すぎても浅すぎてもいけない。
膨大な試行錯誤と演算の果てに叩き出した理想値がこの値であった。
そして、横幅が218ミリに対し、奥行きが135ミリ。
その比率、1:1.618。
最も安定し、見るものに至高の美を感じさせるという黄金の比率。
・み立てた容器を前にして、期待通りの出来栄えに、小悪魔は満足そうに頷いた。
▽
壁にはずらりとならんだ膨大な数の調理器具。
ほんの数時間前までは盛大な炎が灯っていたオーブンの群れは、まだ熱を放っている。
時には何百人という単位での食事を賄う、紅魔館が誇る巨大な厨房である。
その片隅で、小悪魔はいそいそと調理に勤しんでいた。
「んー……やはり思うように丸くはならないですが……これぐらいなら上出来ですかねー」
取り出し、皿にに盛り付けたのは、こんがりと狐色の焦げ目がついた丸い物体。
直径はおよそ3センチ。小麦粉ベースの生地が、香ばしい芳香を立てている。
見栄えの良い球形に焼き上げるのが非常に難しく、すでに焼き直しは5回目である。
1回目は完全に失敗でつぶれてしまい、2回目以降、一応は球形と呼べるだけのものはできたのではあるが、微妙な歪みや、こげ具合が気に入らず、これだけの回数になってしまった。
近くの皿には、失敗した分も合わせると、凄まじい量の焼き上げた生地が転がっている。
膨大な数の住人を持つ紅魔館である。
作り過ぎても、余るという事は、まぁあるまいが、これ以上作ると用意していたソース等が足りなくなるかもしれない。
ここらで妥協すべきだろう、と判断し、次の作業に移る。
焼き上げた生地への仕込みと、形の良い物をより分けるだけでそれなりの時間を食ってしまった。
愛しき主のためと思えば、自然と少しでも良いものを、より完璧に近いものをと、時間も考えずに際限なく凝ってしまう。
悪い癖だな、と思考の片隅で反省し、小悪魔は作業に勤しむ。
懐中時計を取り出して時間を確認すれば、我が主のお茶の時間まで残り30分。
時間通り出さなければならない決まりがあるわけでも、そう催促されているわけでもないが、主の生活習慣を考え、ベストと判断できる時間がそれだ。
察しの良い主ではあるが、さして意識はしていないだろう。
労いの言葉こそいただけるが、「お茶を出す」という行為そのもの以上に、感謝されるわけでも褒められるわけでもない。
「でも、良いのー。それがわたしの愛のかたぁぁぁちぃぃぃー♪」
歌なんぞ口ずさみながら、用意しておいた器に盛り付ける。
悪魔の身の上で愛を語るのもどうかと思わないではないが、誰も気にしていないのだし、構うまい。
愛は種族を超えると、誰かも言っていたし。
微妙に意味を取り違えてる気がしないでもないが、些細な問題だ。多分。
器には、きっかり8個が収まった。
黄金比を計算し、特注で作らせた容器である。
燻した葉で『船』を組んで器にする事も考えたが、実験したところ耐久性に若干の難があったため、無難なものにすることにした。
書を嗜む主の事だ。万が一、器が崩壊して書物に汚れなど残そうものなら、深く悲しむに違いない。
トッピングを施していく。
まずは、様々な隠し味を加えた濃密な黒色のソース。
刷毛で塗りつけてもいいのだが、ここは見栄えを重視して細く絞り出しながら何度も何度も往復させて、並んだ生地を飾る。
これも地味に技術の必要な作業ではあるが、事前に練習済みだ。
一回目で満足いく成果を得られた。
そして、彩りとして薄茶色の削り節と、濃緑色の粉末を振り掛ける。
さらに白色のソースなども、さきほどの黒いソース同様に加える事ができれば、見た目は完璧だとは思うのだが、味を考えてあえて避ける。
これ以上の味付けは、あまりに濃くなり過ぎるだろう。
「やはり、味も完全にしてこそですよね」
完成した作品に、小悪魔は満足そうな微笑を浮かべ、ぱたぱたと尻尾を揺らした。
最後に、何か見落としはないか、一つ一つチェックしていく。
こんがりと狐色に焼き上げた丸い生地。
美しい光沢を放つ黒色のソース。
薄茶の削り節に、濃緑の粉末。
うむ、と一つ頷き。
「どこからどう見ても、完璧な『たこ焼き』ですね」
凝りに凝っただけあって、十人が見れば十人がそう判断するだろうという確信があった。
仕上げに、と。
これまた特注で作らせた、通常、里などで売られているものより、長い爪楊枝を添える。
これの正体は、本来爪楊枝で食べるものではない。
見るものに、きっと『これはたこ焼きだ』という印象を強めてくれる事だろう。
「完璧です。どういうリアクションを取ってくれるか楽しみですねー」
楽しさの余り、その場でくるくると踊ってしまう。
味の感想、ではない。
そう重要なのはリアクションである。
誰がどう見ても、「たこ焼き」な其れ。
実は全く別のものを、其れらしくデコレーションした代物である。
些細な。実に些細な悪戯。
引っかかった所で、誰が不幸になるでもない。
誰が怒るでもない、本当にささやかな悪戯。
「今回こそは、上手くいくといいですねぇ」
最近は、主も慣れてしまったのか、多少風変わりな物を出すぐらいでは驚いてくれなくなってしまった。
それは余りよろしくない。
この身は悪魔。
甘言と驚愕を持って、日々の生活を彩るエンターテイナーである。
仕込んだネタが不発に終わるなど、長年鍛えた技が泣くというものだ。
あちこちから異論が飛んできそうな気もしたが、とりあえずは気にしない。
前回の、香りはセイロンなのに味はダージリンという、数々の実験の果てに苦労して生み出した至高の紅茶は「いつもの葉と違うわね」の一言で済まされてしまった。
そうじゃないんです、我が愛しき主。
そういうリアクションが欲しいんじゃないんです。
もっとこう「この紅茶を淹れたのは誰だぁっ!!」的な驚愕が欲しいんです。
これでは、平穏な日々に幸いな刺激をもたらすエンターテイナー失格である。
驚かすだけならば、刺激物なぞ加えるだけでも十分かもしれない。
だが、それでは駄目なのだ。
対象者に、ダメージを残すような手段を取れば、禍根を残す。
タバスコとマスタードとワサビに頼るのは三流というのが小悪魔の信念であった。
前回の反省を踏まえるに。
要するに紅茶の外見で、紅茶の味というのがまずかったのだろう、と判断した。
人によっては違いがわからないような些細な差では、自然と反応も薄くなる。
今回は、誰がどうみても味と外見がかけ離れている。
今日こそは、と静かに情熱を迸らせる小悪魔であった。
「あら、良い香りね」
一緒に持っていく紅茶を淹れていると、後ろから声がかかった。
「あ、咲夜さんもお茶の用意ですか」
「ええ」
振り返ると、そこには一人の影。
個人的にはどうかと思う、ミニスカートのメイド服。
いまや紅魔館における顔役にまでなったメイド長、十六夜咲夜である。
「なんだか、風変わりなものを作っているのね……」
こちらの、外見はたこ焼きの其れを見てつぶやく。
確かに、洋館でたこ焼きというのは変わっているかもしれない。
結構、ストレートの紅茶にあうのだけれど。
そこまで考えてふと閃く。
日々を彩るエンターテイナーとしては、身近な関係の人物にも幸いな刺激を振りまいてしかるべきではないだろうか。
「少し苦味があるぐらいに淹れた紅茶と意外とあうんですよー。お一ついかがですか?」
まずは、本戦の前の予行練習といこう。
主へと持っていく物とは別の、失敗作の中ではまともな部類が集まった皿を差し出した。
「あら、いいの? それじゃ遠慮なく一つ」
爪楊枝なぞ、使う機会がなかなか無いのだろう。
手に取ってから、しばし物珍しげに眺めてから、外見的にはたこ焼きそのものを其れに突き刺して口に放り込んだ。
さて、どんな反応を取るだろう。
瀟洒で通る彼女は、リアクションに関しても一級品である。
以前、冷めかけのおでんを差し出したら、まるで今の今まで業火の上で煮えたぎっている物を食したかのような、表情と転げっぷりを披露してくれた。
そう、この超一級メイドは空気も読めるメイドなのだ。
期待に胸が躍る。
目の前で、そのメイドがもぐもぐと口を動かし、時間をかけて租借する。
なるほど、いい溜めだ。
よく味わう事で、今か今かと心躍らせる相手を、あえて待たす。
焦らしプレイとはやはり上級者は違う、と小悪魔は静かに関心し、その口が開かれるのを待つ。
そして、咲夜の言葉が紡がれた。
「なかなか良い出来ね」
空気読めよ。
「って、どうしたの? 突然倒れたりして」
「ティーカップは死守してますんで、だいじょぶでーす……」
思わず突っ伏してしまったではないか。
馬鹿な、他の者ならいざ知らず、この瀟洒なメイドがこの反応とは考えられない。
何か、何か見落としがあったのか?
「え……と、それだけですか……?」
「ん? 何が?」
「いえ、感想。ほらもっと何かこう」
「そうねぇ……。 食べやすい大きさではあるけど、このサイズだと生地のふくらみが甘くなるから、もう少し大きくしてもいいんじゃないかしら?」
「えーと、他には?」
「ソースはもう少し控えてもいいんじゃない? ちょっとくどくなりすぎてるかも」
「……そうですか。アドバイス感謝します」
顔で笑って、心で泣いて。
今の心境はそんな感じ。
「あ、ちょっと待って。せっかくそんなに作ったのなら、お嬢様にもお出ししたいんだけど、分けてもらえないかしら? その――シュークリーム」
シュークリーム。
そう、十人が見れば十人がたこ焼きと判断するであろう、それの正体は、サクッとした食感と、甘いクリームが奏でるコンビネーションが魅力のシュークリームである。
生地を工夫して、可能な限り真球に近い形で焼き上げたシュー生地。
大きさは一口サイズに抑えるため小ぶりだが、中にはちゃんとカスタードクリームと生クリームを1対1の割合で仕込んである。
秘伝のタレを思わせる黒い光沢のソースは、カカオとビターチョコをベースに作ったチョコレートソース。
薄茶の削り節は、硬い固形チョコをナイフで削ったもので、濃緑の粉末は青海苔ではなく、抹茶を練りこんだチョコレートである。
ただでさえ、甘く仕上げたシュークリームに3種類のチョコレートで味付けをしているのだ。
ちょっとくどい、という咲夜の表現は的を射たものだろう。
其れゆえ、マヨネーズに見立てたホワイトチョコでのソースは断念したのだし。
苦心の果てに完成した、ビックリ料理が、まさか真っ当な料理批評を下されるとは……。
「数は十分にありますので、それは構いませんが……」
だが、空気の読める咲夜でさえ、この反応だったのだ。
小悪魔の本能に近い危険信号が灯る。
スベる。
これは間違いなく、スベる。
このまま出してもいいものだろうか?
「ん? 何か問題が? 確かに私はちょっと甘すぎるかなとは思ったけど、甘いものが好きなお嬢様ならこのぐらいがちょうどいいんじゃないかしら?」
味の問題ではないんです。
目的の問題なんです。
「いえ、ちょっと自信がなくて」
「さっきも言ったけど、いい出来じゃない。それにそのシュークリーム、パチュリー様にはお出しするんでしょう? お嬢様が後から聞いたら、きっと欲しがると思うわよ」
「ですが……」
踏ん切りがつかず、渋っていると、そこに一つの考えが浮かぶ。
ひょっとして……。
「時に、咲夜さん」
「なに?」
「たこ焼きというものを見たことがありますか?」
「タコヤキ……? 聞いたことはないけど……食べ物?」
なるほど。
このメイド、たこ焼きを知らないのか。
考えてみれば、その可能性はあって然るべきだった。
この洋館において明らかに場違いなそんなもの、料理として出るはずもない。
かといって、ここのメイドが他所の食文化にふれる機会なぞ、早々あるわけもない。
知ってるとすれば、食文化にさえ膨大な知識を持つ、我が主ぐらいのものだろう。
たこ焼きに模しているのを容易く見破られたのではなく、そもそも似せた対象を知らないのであれば、内容は変わってくる。
「わかりました。良いですよ。まだ結構残ってますんで、お嬢様だけじゃなく、他の皆にもどーんと振舞っちゃってください」
「ありがとう。それじゃ休憩時間にでも配るとするわ」
「あ、あと出来れば、コレがシュークリームだって話さないで皆に渡してください」
「あら、なんで?」
「そのほうが楽しめる人が、確実に何割かは居ると思いますのでー」
「そうなの? まぁ、貴女がそういうのなら、そうするわ。それじゃ、ありがとうね」
何皿かに分けて、器用に持っていく咲夜を見送って小悪魔は溜息をついた。
「なるほど……。凝った仕込みが効果を発揮するには、対象者にも其れ相応の知識と対応力が必要となる、と」
聞いた事はあったが、実感するのは初めての事であった。
「ま、いくらこの館で知名度が低いといっても、知ってる人は何割かはいるでしょうし。その人たちだけでも驚いてくれれば僥倖ですかねー」
やれやれ、また失敗か、とまた一つ溜息を漏らす。
「まぁ……パチュリー様だけでも、何かリアクションしてくれればそれで良い……かな」
初戦は敗退。
だが、本戦はまだこれからだ。
小悪魔は少しの期待を胸に、盆に件のシュークリームとティーセットを載せ、食堂を後にした。
▽
「パチュリー様、お茶をお持ちしました」
「ん。そこに置いといて」
薄暗い灯りの下、一人の少女が何十という書物を広げている。
紅魔館が大図書館。その主、パチュリーである。
細くしなやかな指がページをめくり、さらりとかき上げた絹糸のような髪が流れる。
嗚呼、我が主は今日も美しい。
この感情は――愛。
悪魔が語る愛にだって、プラトニックな物はあるんです。
「今日はこんなものを作ってみました」
「ん」
ことり、と机にたこ焼きに似せたシュークリームを置く。
しかし、パチュリーは書面から顔を上げもせず、短く返答しただけだった。
そっけない態度に、いちいち落胆するほど短い付き合いではない。
パチュリーの様子を見やれば、いつもとは雰囲気が違う。
一冊、一冊をじっくりと読むパチュリーが、複数の書を同時に広げる事自体珍しい。
さらには、普段は読むばかりだというのに、先程から一心不乱に何か術式のらしきものを凄まじい勢いで書き連ねている。
鬼気迫る……というのは言い過ぎだろうが、普段が、さながらそこだけ時間の流れが止まっているかのような雰囲気で読書にふけるパチュリーだけに、その異常性ははっきりと感じられる。
「ずいぶんと夢中になっておられるようですね。何かの研究を?」
パチュリーは一つのものに熱中すると、まわりが見えなくなる事が多い。
楽しんでいるという事でもあるので、小悪魔としては歓迎したい所だ。
主の楽しみは、仕える者の楽しみでもある。
小悪魔の呼びかけで、はたと我に返ったのか、妙に熱っぽい溜息をついた後、パチュリーは筆をおいた。
「ん……ちょっと剣について、ね」
「剣、ですか」
またすぐに別の書物への閲覧へと戻る。
「星々の煌きを束ねた宝剣。輝ける電光の閃刃。最も洗練された武器と呼ばれ、ある時代には世界情勢を覆す戦争においても用いられ、またある時代には人心を魅了し世界経済さえ動かした」
小声で、かつ早口でパチュリーが語る。
ノっている、と小悪魔は判断した。
このしゃべり方は、熱中の度合いをしめす値に換算すると、間違いなく最上位に位置する時のものだ。
それほどまでに、魅力的な研究なのだろうか。
「ある者は、それを手に入れるためにオークションで全財産を投げ出した。また、ある者はその剣を模倣し、誰もいないところでこっそり演舞し、甘酸っぱい黒歴史として残した」
「なんだか、妙に庶民派な印象になりましたね」
「それだけ、魅力的であったという事でしょう」
一区切りをつけたのか、顔を上げたパチュリーに微笑みかけて、ティーセットから淹れた紅茶を差し出した。
目が合う。
疲労のためか、目の焦点が合ってないように見えた。
相当の時間、作業を続けていたらしい。
「ありがとう、小悪魔」
「感激の至りにございます。それで、その剣を作ろうとしているのですか?」
「作る、というと語弊があるわね。其れは元々形なき剣。不型の光剣。作るのではなく、魔法で再現しようとしているのよ」
つぶやいて、紅茶を一口。
「なるほど」
「もう少しなんだけどね。どうにも音がまだ上手く再現できなくて……」
「音? 剣なんですよね?」
「ええ、そうよ。音。この光の剣が、人心を鷲掴みにしたのは、それから発する音が最大の要因ではないかと分析しているのよ」
「はぁ……音ですか」
気の無い返事をして、机の対面に腰掛けた。
できれば、たこ焼きっぽいシュークリームの話題にもっていきたいところだが、パチュリーがこれだけ能動的に言葉を作るというのも珍しい。
ここは、聞きに徹するべきだろう。
「納得できない、って顔ね。いいわ、未完成だけど見せてあげる」
そういって席を立つパチュリー。
立ち上がった瞬間、ふらりと体が揺れ、倒れそうになったところを、慌てて支える。
「……っと! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫。問題ないわ」
さっぱり大丈夫そうではない声でそう告げ、机の上をごそごそと探りだす。
山のように広げた書物をかき分け、その下から金属の棒のようなものを取り出した。
20センチメートル強、といったところか?
剣としては余りに短いが。
「魔法で再現するわけだから、飾りみたいなものだけどね。これが柄になるのよ」
「なるほど」
「見てなさい」
パチュリーが幾つかの呪を紡ぐと、ぞわりと周囲の空気が震えた。
魔力の胎動。
なるほど、大仰な伝聞でもって書物に残るだけの事はある。
そして、パチュリーが『柄』を一振りすると……例えるならそれは羽虫のようなハウリング音と共に一振りの光刃が発現していた。
「どう?」
「どう、と言われましても……」
確かに、ほとばしる魔力の波動はなかなかのものだし、斬りつければそれ相応の威力は発揮するのだろう。
だが、いかんせんこの紅魔の館には、目の前の光剣などとは訳が違う。それこそ一薙ぎで、山さえ消し飛ばすような炎の魔剣――いや、あれは魔杖だったか? ともかく凄まじい使い手がいるのだ。
どうしても、比較するとなると、矮小と判断せざるをえない。
「威力が問題じゃないのよ」
そういって、2,3振ってみせる。
元が魔力で編んだ剣のためか、目の前の光剣と同じサイズの鉄剣ならば、持ち上げるのさえ困難であろうパチュリーでも、其れは軽快に空を斬る。
そして、刀身が通り過ぎた後には、光の残像が走り、動かすたびに起動時にも鳴ったハウリング音が響く。
「良い音だと思わない?」
「うーん、確かに聞こえも、見栄えも良いと思いますが」
目に焼きつく様に走る剣閃と、クセのあるハウリング音は、確かに視覚的にも聴覚的にも派手で、見栄えという点では確かに優れてはいるのだが。
やはり素振りだけではいまいちパッとしない印象がある。
「やっぱり、音の再現に難があるのかしらねぇ……」
光の刃を解除し、トボトボとパチュリーが席に戻る。
「現物を聞いたことないですからねぇ……私にはわかりかねますけど……。それにしても、パチュリー様、ずいぶんお疲れの様ですが……本当に大丈夫ですか?」
「ん……。そういえば、ここ4日ぐらい研究で寝てないような気がするわ」
「寝ましょうよ、そこは」
くぁ、と猫の様なあくびをするパチュリー。
あ、なんか可愛い。
「お茶飲み終えたら、休むとするわ。それで、今日は何を作ってきたの?」
と、ここで本来の目的を思い出す。
そうだった。
本来の目的は、食べるとささやかながら驚嘆をもたらす料理でもって、主の平坦な日常にちょっとした刺激をプレゼントする事。
今日は、その渾身の一作である。
……出足は躓いたが。
「コレです。この国の文化に根ざした料理をイメージして作ってきました」
「ん……。面白いデザインね」
そういって、爪楊枝に手を伸ばすパチュリー。
その様子を見ながら、小悪魔の心中に不安がよぎる。
なんというか――パチュリーが手に取った其れを見つめる表情は、まさしく初見のものを見る目だった。
口に放り込んで、もぐもぐとかみ締める。
パチュリーのスキルでは、咲夜ほどの空気を読んだリアクションはとれまい。
だが。
ほんの少し。
そう、ほんの少しでもいいのだ。
ちょっと驚いた表情を見せて、ビックリした、と。
そうつぶやいてくれるだけで、私は満たされるのだ。
もぐもぐと主が口の中のものを租借し、飲み込んだ。
緊張した面持ちで、その口が開かれるのを待つ小悪魔。
ああ、一瞬という時間がこんなにも長いなんて。
「……ちょっと甘すぎる感はあるけど。ああ、それで今日の紅茶は少し苦味が強いのね。なるほど。いい仕事よ、小悪魔……って、どうしたのよ、うなだれて」
今の心境を表すならなんだろう。
とりあえず、アルファベット3文字で割りと視覚的に表現できそうな感じではあるが。
「……あー、いえ。だいぶ見込みと違いまして」
「そう? 見事な味だと思うけど」
「そう言って頂けるのは嬉しいんですけど……」
「?」
「何ででしょう。何で誰も気付いてくれないんでしょうっ! 誰がどう見てもたこ焼きじゃないですかっ! 甘辛いタレと、表面はカリッとしかし中はトロッとした生地とのハーモニーに、かみ締めるほどに旨味の染み出るタコの味わいがたまらない一品ですよ!?」
何で、皆知らないんですか、と。
もう一度だけ嘆いて、机に突っ伏した。
「タコ……? オクトパスの事? 8本足の?」
そういって、うにょうにょと手を動かしてみせるパチュリー。
ああ、奇行すらも愛らしい。
じゃ、なくて。
「その呼び方だと、まるで食材に聞こえませんね」
「食材……。ああ、ひょっとしてそれ、そのタコを使用した料理を模した物なのね」
「そうですけど……。もしかして、見たことないんですか?」
「幻想郷じゃ、わかるのなんて、そういないと思うけど」
「な、なぜですか!?」
あんなに美味しいのに。
「海が無いじゃない。幻想郷」
時間が止まった。
……様な気がした。
タコは海で取れるものである。
海が無ければ食材として調達できない。
そして、食材が無ければ、当然それを利用した料理の文化も根付かない。
「それは……気付きませんでした」
「何もそこまで打ちひしがれなくても」
がっくりと、今度こそ膝をついてうなだれた。
誰が呼んだか、失意体前屈。
最大限の、ガックリ感を表現するポーズをとって、小悪魔は、よよよと涙を流した。
そんな小悪魔の様子を見て、ふむとパチュリーは溜息をついて、語りかける。
「貴女は自分の常識と、周囲の常識が必ずしも一致していない事を認識すべきね」
「うー」
「悪魔とは本来、高次元の存在。世界はおろか次元も時代も跨ぐ放浪者。仮定が生み出す全能者。推測でしか存在しえない異世界常識を自身で経験せずとも、受信してしまう」
「……はい」
「おかげで私としては助かってるんだけどね」
「……そういっていただけると、救われたような気がします」
「まぁ、貴女のささやかで、幸いないたずらは失敗に終わったかもしれないけれど」
「……」
「私としては、そんな貴女を眺めるのも一つの幸いよ?」
そういって、微笑むパチュリー。
嗚呼――。
その笑顔、その仕草、その言葉だけで今日の試みは無駄じゃなかった、と。
そう実感する事ができた。
やはり、これは愛。
これが、愛。
悪魔的にどうかと思うけど、これぞ愛!!
「ただね、うん」
「はい?」
自分的に盛り上がってきた所で、魔が差す一声。
「いえ、私自身、思ってたより徹夜が堪えてたみたいでね」
「はい」
「なんか、一息ついたら、どっと疲れが来たというか」
愛しい笑顔で続けるパチュリー。
「ごめん。なんか。もう。無理っぽい」
そうつぶやいた直後、バタンと机にぶっ倒れた。
最後の最後まで笑顔のままだった。
「パ、パチュリー様!? パチュリーさまぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!」
ガチャン、と。
ティーカップが音を立てた。
もう小悪魔自身がネタですね。
「朝だ! 猛進の寝起きレポート inメイド長室 」希望します。
サクポの寝巻き姿をry
ただ、「海が無い」は盲点でしたね…。もともとタコを食べる文化自体、少ないわけですし。そうなると、それこそ山の上の神社の方々くらいしか、驚かないかも。
小悪魔のイタズラも『アレ』も共通してるように思いますね~。
自重せずそのまま続けてください、次回も楽しみにしております。
ゆかりんに食べさせるんだ!
早苗でもいいけど!
とりあえず…パッチェさんのライトセイバーの完成に期待してるのは俺だけのはず。
DQN?
こぁこぁ
愛は烈しく、苦しく、我が身を焦がし、我が心を苛む!
此処でこあパチェの続編を要求する!
べ、別に「秘密の給湯室 ~メイド長のイケナイ☆レストタイム~」が見たくない訳ではないからな!
これはまたすばらしい小悪魔さんをありがとうございました。
新しい造語と共に私の胸に深く深く刻み付けさせていただきます。
ではまた次回作で会いましょうw
特に小悪魔の手作りのやつ
こあーのたこ焼きシュー食べたいなぁ。