Coolier - 新生・東方創想話

夫婦茶

2008/04/30 06:11:51
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 ごくりと、喉を鳴らしてお茶を飲み下した。
 
「ふぅ……。……?」
 
 更にもう一口淹れたばかりの熱いお茶を口に含んで飲み下すと、思わずため息が出た。
 ……感じた妙な違和感をごまかすように、お茶を持ったまま天井を見上げて、しばし物思いにふけた。
 
――元気にしているだろうか、彼女たちは。
 
 魔理沙は魔法使いから魔女になった。丹の軽量化に成功して、それを飲んだからだ。
 今でも彼女は元気に図書館へと赴いて、泥棒行為を繰り返していることだろう。
 ここ近年、この店には来ていない。「あのとき」から、ずっと。
 
 紅魔館のメイド長、十六夜咲夜はいまでもこの店に時折日常品の購入にやってくる。
 今でもまだ何十年も前の姿を保てているのは、吸血鬼にでもなったか、それとも自分の容姿の時間でも止めているのか。
 前者だとしたら彼女が望んだことではなく、主が望んだことなのだろう。
 小食の彼女が愛しい従者をいつまでも傍に置くために血を吸い切ろうとする姿を想像して、思わず苦笑混じりの笑みが浮ぶ。
 
 彼女たちは、容姿どころか性格も数十年前と変わっていない。だが――
 
――霊夢は、死んだ。
 
 彼女は巫女とはいえ、ただの人間だ。最強とも言われる彼女も、短い寿命には敵うことはなかった。
 最期を看取ったのは僕だ。僕と彼女は、数十年前に――結婚した。その数十年前の彼女の姿を思い出す。
 
『跡継ぎが必要なんだけど、手ごろな男がいないから霖之助さんでいいわ』
『は?』
 
 突然ウチにやってきて、開口一番そう叫ぶ彼女の顔はいつもどおりだった。
 ただ淡々と事実を告げるような口調で、彼女は一生の思い出となるはずの求婚の言葉を、飾ることなくただ己の思うままに僕に告げた。
 どうしようかと迷ったが、腕を組んでしばらく考えるうちに、まぁいいかという気持ちが生まれた。
 そうして僕らは愛の無い結婚をした。結婚式は盛大ではあったが。
 
 彼女らしいといえば彼女らしい結婚理由だったな。実際、共に生活し始めても僕らの間には恋愛感情というものはなかった。
 長い年月も二人の感情を変えることはなく、たとえていえば兄妹感情、いや、もっと曖昧に家族感情とでもいうべきか。
 そういう類の感情だけが、だが、お互いの心を強く強く結び付けていたようにも思う。
 跡継ぎがどうこうとか言ってはいたが、結局夜の交わりはなかった。今の博麗の巫女は、早苗という少女の娘だったか。
 ただ漫然と日々を過ごしていただけだった。霊夢と僕が交代で食事を作り、共に食べ、夜は二枚の布団で同じ部屋で寝る。
 
――それだけで、よかった。今でもそう思う。
 
 霊夢が生きていたころに魔理沙にそういったら、「倦怠期の夫婦みたいだ」などと笑われたが、
 実際それに近いのだから文句は言えなかった。それに、何も問題はない。
 それだけで、僕も、おそらく彼女も心に平穏が満ち足りていたのだから。
 彼女がいなくなった今、……結婚する以前に戻ってきたはずなのに、心は何かしら落ち着かない。
 本を読んでもお茶を飲んでも商品を眺めても、落ち着かない。
 
 そういえば死ぬときに、彼女は最期に呟いていた。
 
「楽しかったわよ」
 
 愛していたわよ、ではなく楽しかったわよ。彼女らしく、そして僕ららしい最期の言葉だった。
 お互いの感情は「愛しい」ではなく「恋しい」だということなのだ。
 
「熱っ!」
 
 湯飲みを持ったまま呆けていたせいか、手のひらに唐突に熱さを感じて、回想が途切れた。
 慌てて湯飲みを机において、ふとあることを思い出した。
 
 そういえば――彼女が死んで何年かたって、しばらく墓参りなど行ってなかったな。
 
 行く必要がないと思っていたのではなく、なんと言えばいいか……いっても、しっくり来なかった。それだけのこと。
 何度行って墓を掃除したり何かを備えたりしても、彼女らしく、
 いや僕ららしくない墓参りな気がしてならず、結局数回しか行っていない。
 
――久しぶりに、行ってみるか。
 
 そう思い立った僕は、手早く準備を整えると、玄関の扉を開けて墓場へと足を進めた。
 店は森の中にあるので、ここから墓場へ行くとなると結構時間を必要とするが、まぁ大丈夫だろう。
 墓場でそうそう時間のかかることをしなければ、妖怪たちの活動が活発になる宵闇に世界が飲み込まれる前に帰ってこれるはずだ。
 そう思い魔法の森の道なき道をてこてこと若干早足で歩きながら、竹で出来た筒に入れておいたお茶を口に含む。
 
――そういえば、彼女はお茶が好きだったな。むしろ、お茶狂いとでもいうべきか。
 
 料理の腕もそこそこあった彼女の一番得意とするものはお茶を淹れることだった。
 それを料理といってしまっていいのかどうかはわからないが。
 料理を作る順番が僕のときでも、お茶だけは彼女が自分で淹れていた。曰く、「霖之助さんはお茶を分かっていない」だそうだ。
 その言葉を叫べるだけの実力はあった。たしかに彼女のお茶はとてもおいしかった。
 彼女と結婚してよかったと思えたことのひとつは、間違いなくそれを毎日飲めることができることだった。
 おそらく、他の人間が彼女に求婚の言葉を投げかけるとしたら「俺のために毎日お茶を淹れてくれ」で決まりだろう。
 まぁ、結局彼女から愛もなく僕に求婚(?)したのだから詮無い推測なのだが。
 それにお茶が切れると苦しがるらしい彼女にとっても、定期的に買い込んでお茶を切らさない僕の几帳面さには感謝していた。
 
 そんなことを考えながら再びお茶を口に含んだ。うぅむ、彼女のお茶の味を思い出してしまった後だと大分味気なさを感じる。
 二人で横に並んで一口啜れば心の中により大きな平穏が心に生まれるようなおいしいお茶だった。
 彼女が倒れて死ぬちょっと前においしいお茶の淹れ方を教わってはいたが、結局その技術を習得することはできなかった。
 淹れたお茶を飲ませるたびに額に向けて針を刺されたのも今ではいい思い出だ……多分。
 
――死ぬ寸前まで教えないところも、彼女らしい
 
 己の死期を悟っていたのだろう。半ば焦るように教えてくれていた。
「お茶を飲んで私を思い出しなさい」などと言っていたな、そういえば。彼女らしい。
 だがそれでも習得できなかったのは今でも悔やむべきところだ。
 ……むしろ、結婚理由などを考えればそれ以外に悔やむべきところもないといえてしまうのだが。
 何十年も共に生活して夜に何もなかったというのは考えてみればすごい話だ。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。
 
「おっと」
 
 考え事でぼーっとしていたせいか、木の根に足を引っ掛けて転びかかって、僕の回想が途切れた。危ない危ない。
 若干ずれた眼鏡を手で直し、顔に滲み出ている少しの冷や汗とただの汗が混じった液体を服の袖で拭う。
 かって知ったる魔法の森とはいえ、時折構造自体が変わる森の中を呆けるように歩くのはよくないな。
 いまはただこの森を抜けることに集中しなければと、僕は慎重をきして足を進めた。
 
 
 
「ふぅ」
 
 ようやく魔法の森を抜けて、慎重すぎたせいか少々の疲れを感じた僕はため息をつきながら空を見上げた。
 空には雲少なく青空が広がっていて、僕の髪を撫で付けるような少しばかり強い風が吹いていた。
 だがここから墓場までまだまだ道は長い。その労力を考えると、この風はむしろ有難かった。
 上がりざるを得ない体温を冷やしてくれる冷たい風。風だけに空気が読めているな。
 
――……あまり、上手くないな。
 
 そういえば彼女は僕の冗談で笑ってくれたことは一度もなかった。
 むしろ冗談を言った瞬間、何を言われたかわからないような顔をしばらくしたあと、
 ポンと手を叩いて「あぁ、そういうこと」とようやく冗談が冗談であることを理解する。
 彼女の理解力が乏しいとかそういうわけでは決してなく、ただただ単純に僕が滅多に冗談など言わないからなのだろう。
 普通にその日あったこと―朝食時と昼食時、それと夕食と寝る時以外は彼女は神社にいた―を話す彼女には笑顔があったから、
 別に彼女の感情が乏しいとかそういうわけではないのだ。むしろ多彩な表情をその顔に浮かび上がらせていたのを覚えている。
 
――彼女の笑顔が一番輝いていたのは、……あのときか。
 
 多彩な笑顔をみせる彼女が一番笑っていたのは、お茶を淹れてその湯のみに茶柱が立っていたときだ。
 その笑顔の輝きに、あまり女性という存在に対して特別な感情を持ちづらい僕でさえ、思わず見惚れてしまっていたものだ。
 ふむ。あの笑顔を楽しむことができたというのも、結婚してよかった理由に加えてよいかもしれないな。
 
 ビュゥ、と強い風が吹いて、僕はハッとして周りをきょろきょろと見回した。
 自分が空を見上げたままで一歩も足を進めていないことに気が付いた。
 墓場でどれほどの時間を過ごすかはまだ決めていないが、早く行くに越したことはない。
 夜になってしまうのは非常にマズい。妖怪に襲われたりしたら一たまりもないからだ。
 土を踏みしめる速度を少しばかり速めて、僕は再び墓場へと歩き出した。
 
 
 
――ようやく着いた。
 
 博麗神社に着いて、僕はふぅとため息を吐いた。墓場はここの裏にある。
 この墓場は霊夢が死んだときに作られたものだ。彼女に縁があるものが集まり、作ったもの。
 
「私が死んだらここに埋めてもらう」
 
 みんながみんなそう言っていたのを思いだす。誰に対しても平等に接する彼女がどれだけ慕われていたかが分かるな。
 ただ、あれから誰も死んでいないから霊夢は一人ぼっちになってしまっているのだが。
 まぁ、彼女はそんなことを気にする性格でもないだろう。魂は既に上に昇っているしね。
 冥界の姫君がわざわざ僕の店に来て報告してくれたんだったかな。幸せそうに成仏していったわよ、と言っていた。
 
「あれ?霖之助じゃあないか」
 
 突然誰かに声をかけられて、僕の思考が途切れた。ビクッとしながら僕は声の主へと顔を向ける。
 長い角。ボロめの服。鎖。小さい体。瓢箪。鬼の伊吹萃香がそこに立っていた。
 
「久しぶりだね。まだここに?」
「そだよー」
 
 本来なら今の博麗の巫女が住むはずの場所には、彼女が住んでいる。
 今の巫女は妖怪の山に本社を持つ早苗の娘なので、そっちのほうが住み慣れているということでこっちには住んでいない。
 本来ならこの神社は人がいなくなって寂れゆく定めだったが、元々住んでいた萃香がそのまま住み着いて、
 意外と豆に掃除を行っているので、この神社は今もこうして綺麗なまま残っているのだ。鬼は豆が苦手にも関わらず。
 
「いつまでここにいるつもりだい?」
「さぁ。裏の墓場に入るときまで、かな」
 
 にこにこと笑いながら彼女が答えた。今はこうして笑ってはいるが、
 霊夢が死んだときの悲しみ方は尋常ではなかった。悲しみのあまり3日ほど断酒したらしい。
 長い年月を生きる種族とはいえ、やはり知る者が亡くなる悲しみに慣れることはないのだろうな。
 
「あんたは墓参りに?」
「あぁ」
 
 そう僕が答えると、彼女は右手に持っていた瓢箪を僕に投げた。慌ててそれをキャッチして、目を向けて彼女にその意味を問う。
 
「たまには奥さんとお酒でも飲んできたら?」
「あぁ……ありがとう」
 
 奥さん、か。正直そんな気持ちで日々を過ごしたことは一度もなかったな。
 形式上はたしかに霊夢は僕の妻ではあるのだろうが、やはり妹としての目しかできなかった。
 そうえいば意外だったのは結婚発表をするとき誰も彼もが祝福してくれていたことだ。
 霊夢に恋愛感情を抱いていたもの――同性ではあるがこの幻想郷でそんなことは関係ないだろう――は多いと思ったのだが。
 一度気になりだすとその疑問はむくむくと胸の内に広がっていってしまった。思わず、口に出る。
 
「そういえば、なんでみんな結婚を祝福してくれていたんだ?」
「ん? んー……」
 
 答えにくい質問だったのか、萃香の顔が困ったような笑い顔へと変化した。
 その顔のまましばらく時間を置いたあと、ようやく彼女は口を開いた。
 
「んーとね……皆ね、最初は結婚式を邪魔するつもりで神社に来てたのよ」
 
 結婚式は神社で行った。初詣の時期でさえ人妖が少し来る程度の神社に結婚式とはいえ宴会でもないのに
 大量の人妖が集まったから何事かと思っていたが、そういうことか。
 
「でねー。あらかじめ打ち合わせをして、衣装を着た霊夢があんたといっしょに登場した瞬間、
 霊夢に劣情を抱いているヤツらがありとあらゆる能力を駆使してあいつを攫っちゃえってことになったんだよ。
 あんたを人質に取れば霊夢もおとなしく着いてくるかなぁと思ってた。ちなみに他の日は神社に結界が張ってあったから無理だったよ」
 
 非常に、非常に恐ろしい話だ。結構ギリギリの綱の上を歩きながらの結婚式だったんだな。
 一番の問題としては僕を人質に取られて僕ごと気にせず弾幕を撃ってきそうな霊夢という存在がいることだが。
 
「でもさぁ。登場した霊夢……すごく、いい笑顔をしていたからさ。みんな一気にやる気無くなっちゃって」
「――え?」
 
 霊夢が笑顔……? 一体、何故だ? 彼女には僕への愛などなかったはずなのに。
 ただ事務的に婚約して、ある種儀式としての形式だけの結婚式のはずじゃなかったのか? なのに、笑顔……?
 僕と結婚できて嬉しかったから、なのだろうか? いや、小さい頃から彼女を見ている僕は嘘をついているか否かなどすぐに分かる。
 プロポーズの言葉を言った瞬間の霊夢の顔は真剣で、間違いなく本気で言っていた。
 
「何故……?」
 
 思わず疑問符が口から飛び出す。
 
「さぁ。私も『他に相手いないから霖之助さんと結婚するわ』って聞かされたから攫いにいったのよ?
 なのにあんな笑顔されたら攫いようがなかったよ。照れ隠し……ってわけでもないだろうし」
 
 いったいどういうことだろう。なんで彼女は笑顔だったのだろうか。わからないな。
 萃香も疑問に思ったのか、上を向いて何かを考えているような顔をしていた。
 目があったので萃香と二人で首を傾げる。沈黙が長く尾を引いて続いた。
 結局お互いに理由など何も思いつけず、無言のまま別れ、僕は墓場へと向かった。
 
 
 
 墓場へと足を踏み入れた瞬間、強い風が吹いた。上着の裾がびらびらと揺れる。
 気にせず僕はサクサクと小石の敷き詰められた地面を歩き出した。
 この墓場の地面には丸く小さい石がびっしりと敷き詰められ、入り口の門から墓石へと伸びる道は
 石を四角く切り出して、それらを並べて作られている。周りには墓場を四角く囲むように桜が植えられていて、
 おおよそ墓場といった雰囲気がない。そして中心に――霊夢の墓が存在していた。
 
「楽園の巫女、ここに眠る、か……」
 
 敷き詰められた石をじゃりじゃりと踏み荒らしながら、霊夢の墓石の前に立って、そこに掘られた文字を読み上げた。
 記憶がただしければこんな文字は掘られていなかったはずだが。
 思わず僕は首を傾げた。誰だ、こんな文字を掘ったのは。西洋の墓に刻むならまだしも、どう考えても和風の墓に刻むなんて。
 そもそも墓を守る仕事は寺が行うものではなかったか。いいのだろうか、神社の裏に墓場など作ってしまって。
 ……いや、むしろこれこそが霊夢らしいと言えるのだろうか。誰に対しても分け隔てなく接することができる彼女。
 ならばどんな宗教観に対しても妙な感情を浮かび上がらせることなく平等に相対することができるからこそなのかもしれない。
 逆にいえば、巫女でありながら無神論者なのではないかということになるのだが。
 まぁ、いいか。平等というのは無関心であるということに繋がらないこともないからね。
 文字を掘ったのは紅魔館のレミリアあたりだろう。吸血鬼は西洋妖怪だからね……。
 ……西洋の墓はたしか吸血鬼の弱点である十字架の形を模していると読んだことがあるが、
 和風とはいえ墓を見てそれを思い出して恐怖したりしないのだろうか。
 
「うわっ!」
 
 そんなことを考えていると、また強い風が吹いた。あの幼い吸血鬼が僕の思考を嗅ぎつけて
 起こしたものではないかとふと思った。……そんなわけないか。
 
「ん?」
 
 ふと見ると、供え物だろうか、墓石の傍に妙なものが置いてあった。思わず手に取ってまじまじと見つめた瞬間、名前が分かった。
 僕の能力は「未知の道具の名称と用途が分かる程度の能力」だ。見るだけで頭に名前が浮び、口に出せば用途が分かる。
 
「烏龍茶……」
 
 用途、飲むもの。頭の中にそう情報が流れ込んできた。見たことも聞いた事もないものだが、ひょっとして外の世界の飲み物だろうか。
 茶、とついているからにはお茶の一種なのだろうが、一体どんな味がするというのか。
 烏……龍……? さっぱり予測がつかない。烏のように黒く、龍のように口の中を蹂躙する苦さ、とかそんな感じだろうか。
 持って帰って飲んでみたいが、そういうわけにもいかない。これは供え物だ。謎とはいえお茶はお茶だ。霊夢に呪い殺されかねない。
 若干残念な気持ちになりながらも、僕はそれを元の場所に置いた。ま、紫か誰かが持ってきたのだろう。頼めば分けてくれるかもしれない。
 
「さて、と……」
 
 どうでもいい事に気を取られそうになったものの、僕は墓参りをすることにした。
 萃香が掃除でもしてくれているのか、お墓は遠くから見て分かるほどに綺麗だった。
 神社の途中に生えていたので摘んできた花をあらかじめ設置してある瓶に入れ、持ってきた煎餅と饅頭を供えた。
 桶に水を汲んできて、水鉢に水をはり、杓子でそれを掬い墓にかけた。
 これをかけ水というらしいが、墓石を清めるというほかに、仏教では亡き人に施す食べ物としての意味があり、
 あの世で飢え苦しみから救う役割があるそうだ。……ふむ、ということはお酒をかけたほうがいいか?
 彼女は結婚前からかなりのうわばみであったし、そっちのほうがあの世で喜んでくれるかもしれない。
 ……ただまぁ、彼女は飽くまで巫女だ。仏教徒ではない彼女に神様がお酒を届けてくれるだろうか。……いや、仏様か。
 それにいくらでも湧き出てくるとはいえ、水の代わりに酒を使うなど萃香にバレでもしたらとんでもないことになるかもしれない。
 結婚式の時に助かった命をむざむざと捨てる必要も勇気も僕にはなかった。
 
「……しまった」
 
 ろうそくと線香を立てて火をつけようとしたが、その肝心の火を忘れてしまっていた。
 このままでは火のともらないろうそくと香らない線香が立てられている妙な墓ということになってしまう。
 神社に戻って萃香に火を借りてこようかと思ったとき、僕の後ろから石を踏むじゃりじゃりという音が聞こえてきた。
 
「あ……」
「やぁ。……久しぶりだね」
 
 僕の顔を見て若干気まずそうな顔で――魔理沙がそこに立っていた。本当に久しぶりに会った気がする。霊夢の葬式のとき以来だろう。
 ただ一言「じゃあな」とそう告げて、魔理沙は店に来なくなった。
 
「久しぶりだな、こーりん。お前も墓参りか?」
「そうだよ。君もか」
「あぁ。……ちょっと昔から毎日来てる。お前が来ない分、ちゃんと掃除もしてるぜ?」
 
 若干咎めるような視線を混ぜて、魔理沙が苦笑しながら僕を見つめた。
 神社の中はそう狭くない。加えて敷地内も含めれば結構でかいほうだ。木もたくさん生えているし、
 境内はすぐに葉で埋め尽くされる。萃香一人でそれを掃除しなければならないのに
 墓まで綺麗になってるのはどういうことかと思っていたがそういうことか。
 
「ありがとう、魔理沙」
「ははっ。当然だぜ。なんだかんだ言って……私にとって、あいつは親友みたいなもんだったからな」
 
 若干恥ずかしそうな顔をしながら、魔理沙が言った。あまりそういうことを明言しない彼女にとって、
 今の台詞は気恥ずかしいものだったのだろう。
 
「しかし、香霖が来てるなら私の仕事はなさそうだな。今日は拝むだけにして帰ることにするぜ」
「そうかい? ……あ、そうだ。ちょっとこのろうそくに火をつけてくれないか?」
 
 魔法使い、いや、いまや魔女になった魔理沙なら火種のひとつぐらいあるだろう。
 稗田阿求が書いた書籍のひとつにも「帽子の中に爆発するようなものを入れるのはどうかと思う」と書いてあった。
 そう思った僕は魔理沙にろうそくを一本手渡した。
 
 ……稗田阿求か。阿礼乙女という特殊な家系ゆえに短命のはずである彼女が未だに生きているのはいったい何故なのだろう。
 そういえば、霊夢は以前彼女について愚痴っていた気がする。「覆せ得る運命を受け入れるのが気に入らない」、と。
 覆せ得るというのはどういうことなのかと聞こうと思ったときには既に霊夢はいなくなっていた。
 次の朝になって戻ってきたとき、彼女はボロボロだった。「閻魔に喧嘩を売ってきた」と言っていたな。
 今思えばアレはおそらく閻魔を脅して阿礼乙女たちの寿命を延ばすように言ってきたのだろう。
 そう考えれば阿求が今でも生きている理由も分かる気がする。
 そこまで考えたところで、僕は先ほどのように空を見上げて、その青さがそのままであるのを確認し、心の中で叫んだ。
 
――本当に、この世界は何も変わっていない。変わったのは、霊夢がいないということだけだ。
 
 心なしか気分が暗くなった。そういえば、彼女が死んだときは悲しみではなく喪失感が浮んだ。
 冷たい人間であるというわけではないと自分ではそう思っているのだが、あの時は本当にそれしかなかった。
 霊夢に対してたしかに愛はなかったが、なんとなく必要な存在ではあった。それを亡くしてしまった事実に改めて心が痛む。
 
「あ」
 
 思考を遮るようにボゥっという音と間の抜けた声がしたかと思うと、
 彼女の手に握られていたろうそくが一瞬にしてただのろうへと変化した。
 ……一体どうやって火をつけようとしたのだろうか。
 
「念のためもう一本持ってきておいて助かったよ」
 
 気まずそうな顔をしながらも彼女は僕が差し出したろうそくを受け取り、
 八卦炉を帽子から取り出してで小さい炎を出し、ろうそくに火を灯した。
 
 火のついたろうそくをあらかじめ墓においてある小さいお椀のようなものについた針に刺し、
 ことんと花の対になる位置において、その火から線香に火をつけて地面に刺した。
 火のついた部分から煙がもくもくとあふれ出し、心なしか安らぎを与えてくれる線香の香りが辺りに充満する。
 さっきかけた水があの世に届けられるなら、この香りも届けられるのだろう。
 あの世でどうなっているかは分からないが、いつものように過ごしているであろう霊夢がこの香りで安らいでくれると――
 
「うっ」「うわっ!」
 
 唐突に強い風が吹いて、ろうそくの火が消え、線香が風に捕まり飛んでいった。
 辺りに漂っていた線香の香りも風に乗ってどこかへと消え去ってしまい、ほんのちょっぴりしかその香りは残っていなかった。
 
「あーあ」
「困ったね。線香はもうないぞ?」
 
 うーん、とうなり声を上げ、腕を組んで考え込む。困った。
 しばらくいかなかったがゆえに家にある線香は頻繁に来ていたころの残りしかなく、ちょうど一本だけだった。
 こんなことなら買い足しておけばよかったとは思ったものの、
 神社の前に人里になど寄っていたらここに着く頃には夜になってしまっていただろう。
 
「今の風は霊夢が起こしたものかもしんないぜ。線香なんかいらないわ!ってな感じで」
「まさか」
 
 魔理沙の冗談にそう返しつつも、あり得ないことではないと思ってしまう。なんせ相手はあの霊夢だ。やりかねない。
 ろうそくを置くためにしゃがみ込んでいた僕の横に、自分も拝んでおこうと思ったのか魔理沙が立ったので、
 席を譲るかのように僕は立ち上がって一歩下がった。……ん?
 
――わざわざ後ろに下がる必要、あったかな?
 
 自分の無意識の行動にしばし驚く。横にずれればいいものを、僕は今後ろに動いた。
 まるで横にいられたくないかのように。何故だろう。横にいられたくなかった、とかだろうか?
 馬鹿な。彼女に対して何か特別な感情を抱いてしまっているがために横に並ばれると霊夢への罪悪感が生まれる、とかなら分かるが、
 魔理沙は僕の中では妹のような存在に過ぎないし、そもそも霊夢と僕の間に愛などなかったのだから
 本当に愛してしまったのなら罪悪感を感じることもないはずだ。
 
 そんな僕の思考とは関係なく魔理沙はそのまましばらく両手を合わせたあと、立ち上がって僕のほうに向かいなおした。
 そのまま帰ろうとする魔理沙を久しぶりだからと引き止めて、世間話を始めた。
 
「なぁ、魔理沙」
 
 しばらく喋っているうちにふと気になったことがあったので、彼女に問いかけることにした。
 
「なんで店に来なくなったんだい?」
 
 その途端、魔理沙はうっとつぶやいて顔を背けてしまった。別に咎めたつもりはないのだが。
 長い時間沈黙状態が続いて、ようやく魔理沙は口を開いた。
 
「お前が悪い。お前の店もな」
「え?」
「霊夢と結婚したあとも、その前も。私はよく香霖の店に行ってただろう? なんでだか分かるか?」
「ふむ……分からないな。何故だい?」
「……安らぐからだぜ。ただただ単純に、お前の店にいると心が安らぐんだ」
 
 安らぐ……?
 
「二人が結婚したあともそれは変わらなかった。……だからこそ、行くのを止めたんだ。
 霊夢に悪いからな、いなくなったあともお前の店で安らぐのは……」
「何故だい?」
「え?」
「何故霊夢がいないのに安らぐのが悪いことなんだい?」
 
 僕の言葉にしばらく呆けた表情をしたあと、魔理沙はくすくすと笑い出した。
 
「ははっ! そ、そうか! お前、ひょっとして霊夢がどんな気持ちでいっしょにいたか分かってないな?」
 
 どんな気持ち? どういう意味だろう。家族感情以外に何か別方向の感情があったということなのだろうか。
 恋愛感情? まさか。いっしょに暮らしていたんだ。それに気づけないほど僕は鈍感ではない。
 
「まぁ、別に知らなくても問題はないんだけどな。くくく……知らなくても霊夢は何も気にしないさ。
 アレだぜ。ヒントをいうなら……『今、霊夢は苦しがってるだろう』ってことだ」
 
 え? そんな馬鹿な。冥界の姫も言っていた。霊夢は幸せそうに成仏していった、と。
 
「『お茶』がないからってことだぜ」
 
 あぁ、そういうことか。たしかに、あの世にお茶がないのなら今頃霊夢は苦しんでいることだろう。
 だがそれがヒントとは一体どういうことだろう? それをたずねようとしたが、
 その前に魔理沙はクルッと僕に背を向けて、顔を上に向けて喋りだした。
 
「あーあ。霊夢がうらやましいぜ。香霖と結婚できてさ!」
「……え?」
 
 どういう意味だ、それは。まさか、彼女は僕に好意を……? まさか。
 だが、いつのまにかこっちを向いていた魔理沙は、僕の表情をみて笑い出した。
 
「ははっ、そう焦ったような顔をするなって。別にお前が好きだからとかそういう意味じゃない。
 霊夢と同じ理由……いや、もっと正確にいうなら霊夢が結婚式で笑顔だった理由と同じ、だぜ?
 笑顔だったこともその理由も両方お前は知らないだろうけどな」
 
 なんと。先ほど萃香と二人で悩んだ疑問の答えを、どうやら魔理沙は知っているらしい。
 さすがは親友同士というべきか。それとも霊夢本人から聞いたのだろうか?
 
「何故なんだ?」
「お? 霊夢が笑顔だったことに驚かないってことは……知ってたのか?」
「さっき聞いたんだ」
「そゆこと。ふっふっふ。教えない。理由はないぜ。これもヒントだけだ!」
 
 いたずらっ子のような笑みを浮かべて、魔理沙が叫んだ。
 
「霊夢も私も好きな『物』しか身近におかない。そして……そうだな。霊夢も私は和食派だってことだぜ!」
 
 ……。さっぱり分からない。もっと詳しく問い詰めようとしたが――魔理沙は既に箒に乗っていた。

「じゃあな、香霖っ! 私は二度とお前の店には行かない。霊夢が手に入れた物を奪うことになるからなっ!
 でもお前と会わないわけじゃない。『横にさえ立たなければ』奪うことには……いや、喋りすぎか。そんじゃ!」
 
 一方的に理解不能な言葉を投げつけて、魔理沙は飛び去っていった。
 
 
 
 嵐のように魔理沙が立ち去ったあと、気を取り直すように僕は再び墓に向きなおった。
 しゃがみこんで墓に向かって両の手のひらを合わせて目をつぶる。
 
――君が向こうでも平穏でありますように
 
 願い事は神社の賽銭箱に小銭を投げてするものだと分かってはいるが、問題はないだろう。
 ……だが。なんだろう、この感覚は。以前行ったときと同じ感覚だ。しっくりこない。
 霊夢に対する墓参りの仕方じゃない気がするというか、……わからないな。
 
――そういえば酒があったな
 
 解けない疑問を忘れようと、萃香から借りた瓢箪に口をつけて、傾けた。
 冷たい酒が口の中へと注ぎ込まれ、冷たさと熱さが口に広がる。
 鬼が飲むものであるがためか相当強い酒だ。一口で体に高い熱を感じる。
 だが旨い。妙なクセがなく、飲みやすい。萃香がぐびぐびと飲んでいる理由が分かったような気がした。
 一口だけでは味気ないともう一口含んで、飲み下す。旨さ、そして熱さがどんどん口に生まれてきた。
 そのまま3,4口飲むと、半妖であるがために酒やその他のものに強い僕でも流石に酔いが回ってきた。
 立っているのが少々ツラくなってきたので、「失礼するよ」とつぶやきながら霊夢の墓石の横に動いてしゃがみこんだ。
 
――え?
 
 その途端、心にとてつもない平穏が生まれた。霊夢が死んでから一度も感じることのできなかった、深く強い平穏が。
 僕の心をどんどん満たしていく。その平穏が眠気も引き起こし、瞼がどんどん重くなっていった。
 
 ・
 ・
 ・
 
『ねぇ、霖之助さん』
 
 気がつくと目の前には死んだはずの霊夢がいた。一瞬驚きを感じたが、自分の体が動かないのでこれが夢であることに気づいた。
 夢と自覚したので目を覚ますことも可能ではあるのだろうが、僕はそのまま夢に体を任せることにした。
 眼球だけは動かせるようで、僕はきょろきょろと周りの状況を伺った。
 ここは……そうだ、見慣れた場所、僕の店、彼女との生活の場である香霖堂の中だ。
 そこで僕は椅子に座り、本を読んでいて、霊夢はカウンターを挟んで向かいに立っていた。
 そして体が僕の意思とは何の関係も示さず動き出し、持っていた本をぱたりと閉じて霊夢に向き合った。
 
『なんだい』
 
 口が勝手に動いて、霊夢の言葉に返事を返した。これは多分、過去の光景だ。
 夢とは脳の記憶を整理するために必要なものであると何かで読んだことがある。
 記憶を整理するために忘れていた思い出を呼び起こしているのだろう。
 
『私と結婚してよかった?』
『さぁね。分からないな』
『私もよ』
 
 にこにことした笑みを顔に浮かべながら、からかうように霊夢が答える。
 
『どうして突然そんなことを?』
『わからないわ』
 
 そういいながら、彼女は突然、ぱたりと消えた。本の一瞬だけ呆気に取られるが、すぐに何処にいるのかわかった。
 彼女は僕の隣にいただけだった。瞬きの一瞬を狙ってしゃがみ込み、僕の横へと移動したのだろう。
 顔を動かしたわけではない。だが、彼女が今まさに横にいるというのは分かる。
 
 心に平穏が生まれているから。
 
『ふむ。やはり結婚してよかった気がするね』
『どうして?』
『君が隣にいると何故か心が安らぐ』
『私もよ』
 
 寄り添うわけでもなく、ただただ二人で並んでいるだけで、僕らの心は平穏だった。
 お互いに愛など無い。お互いに見返りは求めない。お互いに心を安らぎあう。それだけでよかった。
 それだけで、結婚したことを喜べるだけのものはあった。隣合うだけでいいんだ。ただ、それだけで。
 僕らは幸せで、平穏に満ち足りていた。
 
『霖之助さん』
 
――おや?
 
 見返すことで思い出していた記憶の中では、このあとはたしかそのまま二人とも寝てしまっていたはずだ。
 霊夢が再び話しかけてくることなどなかったのに。夢であるがためだろうか。
 
『なんで結婚したか分かる?』
『手ごろな男がいなかったから、だろう?』
 
 いつのまにか体が自由になったので、僕は自分の意思でそう返した。
 動くこともできるだろうが、その必要はない。むしろ、このままでいたかった。
 
『そうよ、そのとおり。じゃあ次……いえ、最後の質問。
 なんで結婚式で私が喜んでいたか、分かる? 魔理沙のヤツ喋りすぎてたし分かっちゃったかしら?』
『……さぁね』
 
 たっぷりと長い時間をかけて考えたあと、僕は一言そう返した。やはり思い至らない。
 霊夢が笑顔であることを知らなかったはずの過去の情景においてはおかしな質問だし、
 そもそも魔理沙との会話をこの霊夢が知っている時点で夢の中だからの一言で片付く。
 
『単純な話。結婚式の数日前からいっしょに神社に泊まったときに、貴方がお茶みたいな人だって気づいたからよ』
『え?』
『私に平穏を与えてくれるってこと。時々妙なことを口走って、私を驚かせてくれたりもした。
 何の前置きも無く、ね。まるで突然立つ茶柱みたいに。……あら。噂をすれば』
 
 そういうと霊夢はいつのまにか持っていた湯飲みの中を僕に見せた。
 その中には、悠然と茶柱が浮んでいた。
 
『これは……』
『じゃあね、霖之助さん。またいつの日か会いましょう。そのときは飲み干してあげるわ。
 愛を込めず恨みをこめて。待ち遠しかったわよ! って叫びながら一気にね』
 
 
 
「ん……」
 
 目が覚めると、僕は眠ってしまう前と変わらず墓石の横に座っていた。
 辺りはまだ明るい。そう長い間眠ってしまったというわけではないらしい。
 
 妙な夢だったな。
 
 とても現実感のある夢だった。前半は過去の記憶であるから当たり前といえば当たり前かもしれないが、
 後半の脳みそが勝手に作り上げた物語も、まるで本当にそういうことがあったかのようだった。
 しかし飽くまであれは夢だ。僕の脳が作り上げた虚構の物語。だから、霊夢の答えは真実などではない。
 僕の脳が構築した霊夢が答えそうな答えに過ぎず、それが本当に正しいのか誰も断言することはできない。
 
 だが、あれが正しい。
 
 理屈や理論など全て遥か彼方に投げ捨てて、僕の理性はそう叫んだ。
 根拠はないが、まず間違いなく夢の中の霊夢のいったことは真実だと確信していた。
 
――だろう? 霊夢
 
 声に出さずに霊夢の墓石にそう問いかけた。もちろん返事は無い。さっきのような風が吹くわけでもない。
 だが僕の心には更なる平穏が生まれた。それこそが彼女の返事だ。彼女らしい返事だ。
 しかし、正しいならば僕には一つ反論がある。
 
――君も、お茶だよ
 
 普段は無感情だが、楽しいときには笑い、悲しい時には悲しそうな顔をする。まるで湯のみのようじゃないか。
 ちょっとの変化で素晴らしい笑顔を見せる君の顔は、少しの違いで味の変わるお茶のようじゃないか。
 誰にも流されず場に漂うことのできる姿は、そのまま茶柱だ。
 君も僕もお茶だったんだ。どちらかが湯飲みでどちらかがお茶、などという三流恋愛小説の一説のような話ではなく、
 二人とも、ただのお茶を飲むお茶だったんだ。だから、……平穏があった。
 
 そんなことを考えながら、僕は萃香の酒ではなく、まだ残っていたお茶を口に含んだ。
 行きと同じお茶が入っているはずなのに、僕の口の中には不快感のないまるであの頃飲んだ
 お茶と中身が入れ替わってしまったのかと疑ってしまうほど素晴らしいお茶の香りと味が広がった。
 
――あぁ、おいしい
 
 何故、僕は彼女に教えてもらい自分で淹れたお茶をおいしいと思えなかったかようやく分かった気がする。
 心に平穏がなかったからだ。彼女の隣で飲むお茶じゃなかったから、味が違った。
 今思えば教えてもらってるときも彼女は僕の横ではなく目の前にいた。
 そしてまた彼女とともにお茶を飲むときは二人で並んでいた。ただ単純にそういうことなのだろう。
 
 だが。だがもう彼女はこの世にはいない。僕の隣に並ぶことはできない。
 この墓石の隣にいれば平穏を感じるが、……彼女とともにお茶を飲んだときほどではない。
 それにずっとここで座ることができるほど、僕は自分自身を狂わせる自信もない。
 ならば、せめて――
 
 僕は立ち上がって、出口へと歩き始めた。強い風が僕の横をすり抜けていった。
 
 
 
 さくさくと地面を力強く踏んで、行きと同じ道を辿る。一歩一歩が何らかの意思を持っているかのようだ。
 空の明るさは消えてはいなかった。時折吹く強い風がまた僕の体温を下げる。
 時々顔に滲み出る汗を服の袖で拭きながら、僕は歩くことに全神経を置いていた。
 なるべく早く、だが焦ることなく家に帰ろう。頭にあるのはその一言だけだ。
 神社の階段を一段一段慎重に降り、魔法の森へと続く野道を転んだりすることのないよう丁寧に歩を進めた。
 森の中を記憶しているとおりの道筋を辿りながら、行きにはなかったはずの草や葉を掻き分けて進んだ。
 
 そうしてようやく、暗くなるぎりぎり前に僕は自分の家へとたどりついた。
 そして椅子に座り、久しぶりの長い運動で若干疲れた体をだらりとさせて、顔を上に上げた。
 古ぼけた埃がついた天井と向き合いながら、静かに目を閉じて明日からの予定を考え始めた。
 
――明日から、毎日無縁塚へと赴こう
 
 そう強く胸に誓った。目を摘むったままで、手を上に上げてぎゅっと握りしめる。
 そして、ありとあらゆるものを拾いに行くことにしよう。それらを片っ端から店に並べよう。隙間無く、店を狭くするように。
 もう彼女はこの世にはいない。彼女が僕の隣にいられることはない。ならばせめて。
 僕があの世にいったとき、彼女が僕の隣に立つことができるように、僕の横を埋めよう。
 誰も僕の横に立つことができないよう、ひたすらに商品で店を埋め尽くそう。
 
 そう考えた瞬間、僕の心には再び安らぎが生まれた。首を傾げつつ目を開いて横を見ると、
 昼のとき淹れたまま中身の残った湯飲みの中には、茶柱が立っていた。
 思わずそれを手にとって――

 ごくりと、喉を鳴らしてお茶を飲み下した。
お茶大好きです。

*修正しました。ご指摘ありがとうございます。
鬼干瓜
http://demonwolf.syuriken.jp/
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コメント



0.5300簡易評価
3.90名前が無い程度の能力削除
しんみりしちゃうお話だなぁ。
お茶でも淹れてこようかな。二人分。
4.80#15削除
やべ。茶が飲みたくなってきた。
6.90名前が無い程度の能力削除
ちょっと熱い茶淹れてくる。
8.80名前が無い程度の能力削除
あれ?目から⑨が・・・
9.100名前が無い程度の能力削除
俺は神の存在を信じる。
なぜならこのSSを書いたやつがそうだからだ。
11.80まだこ削除
いやはや、しんみりとほんわかしてしまいました。
お茶は冷めてたろうに、あたたまりました。
15.90名前が無い程度の能力削除
非常に良かったです。

1つだけ気になった点を。
文末や文頭に同じ言葉を連続させると少々見栄えが悪いように思います。
例えば
「紫か誰かが持ってきたのだろう。頼めば分けてくれるだろう」
よりも
「紫か誰かが持ってきたのだろう。頼めば分けてくれるだろうか」
「紫か誰かが持ってきたのだろう。頼めば分けてくれるに違いない」
という感じにすると良いような気がします。
16.70床間たろひ削除
良かった……

とりあえずお茶でも飲もう。
とっときの葉っぱを急須にいれて。茶こしもつけずに。

茶柱がたったらいいな。
19.90名前が無い程度の能力削除
さて、茶を淹れるか……
20.100名無し妖怪削除
いい物を見せていただきました
21.90煉獄削除
ううむ・・・これはなんとも切なくなるも暖かな話ですね。
こういうの好きです。
いやはやお見事でした。

あ、私もお茶好きです。
22.100名無し妖怪削除
いい物を見せていただきました
超久しぶりに鬼干瓜さんのSS読めたけどやっぱり鬼干瓜さんのSSはいいな
24.100名前が無い程度の能力削除
お茶か…
最近は眠気覚ましにしか呑んでない…
お茶っ葉あったかな…
32.100名前が無い程度の能力削除
お茶みたいな人か…なんとも霊夢らしい言葉。
素晴らしい作品でした。

自分も熱くて濃いお茶飲むか。
35.100名前が無い程度の能力削除
鬼さんの成長というか、本気を見させていただきました。
素晴らしかったです。結構長かったのに、いつの間にか読み終わってました。
ほんとお茶のよう。
36.90名前が無い程度の能力削除
お茶っ葉買ってこようっと
37.90名前が無い程度の能力削除
いい話でした。
本当に霊夢らしいですね。
とりあえずお茶いれてきます。(笑)
38.100名前が無い程度の能力削除
ちょっとお茶葉と急須買ってくるわ
42.100☆月柳☆削除
自分もお茶は大好きです。
急須と湯呑は何時でも飲めるよう用意してあったり。
しんみりとしてましたが、暖かいお話でした。
44.100絢村削除
ブログなどを見せて頂きましたが鬼さんの本気を垣間見た気がします…。
とりあえず急須を買っt(ry
46.90名前が無い程度の能力削除
霖之助の飾らないモノローグがすごいなじみます
ちょっとお茶淹れて来ますね
47.90はみゅん削除
僕も霊夢同様、お茶がないと体調崩してしまいます。
それは兎も角、とてもしんみりさせてもらいました。

偶にはパックじゃなくて、ちゃんとしたお茶飲もうかな……
49.100名前が無い程度の能力削除
自分お茶は嫌いですがそれをコーヒーに入れ替えてみて納得
こういうしんみり系の話は引き込まれるぜ…
51.100名前が無い程度の能力削除
私は粉末タイプのお茶をよく飲みますが…
茶葉買ってk(ry
55.100コマ削除
私も日々お茶が欠かせない人間なので、「お茶のような」という表現は、なんだか
とてもしっくりくるものを感じます。

いいですよね、お茶。
56.100名前が無い程度の能力削除
ほんわかしんみり。
このSSこそお茶みたいな感じでした。
57.100名前が無い程度の能力削除
淡々とした生活の中で表に出すことはなくても霊夢はとても幸せだったんでしょうね
自分の好きなものに囲まれて暮らせるわけですから
58.100欠片の屑削除
淡々としていますが、非常に深く染み入るお話ありがとうございました。
お茶のような存在か…
59.100名前が無い程度の能力削除
おっちゃああああああああああああああああああああああ!!!
64.100時空や空間を翔る程度の能力削除
二人良い夫婦だよ
霊夢の分まで美味しいお茶を・・・
66.100名前が無い程度の能力削除
愛だのなんだの言わず、こんなカタチこそが本当の夫婦の在り方なのかもしれないね。

68.100名前が無い程度の能力削除
いつもは紅茶や珈琲派だけど、このSSを読んで緑茶を出してしまった
いい雰囲気のSSでした
69.100名前が無い程度の能力削除
parfect。
74.90朝夜削除
いいですね……私も霊夢と一緒に飲みたいです。

……でもやっぱり遠慮するとしましょう、二人に失礼かもしれませんから。
75.100名前が無い程度の能力削除
いいですね……なんだかしんみりと、それでいてじんわりと温かくなれました
85.100名前が無い程度の能力削除
なんていうか、あったかくなりました
87.80you削除
とてもよかったです。



少しだけ誤字

上がりざるを得ない体温を冷やしてくれる冷たい風>上がらざる

心の中により大きな平穏が心に生まれるような>心が重複しています

意外と豆に掃除を行っているので>豆 故意?

毎日無縁塚へと赴こう~~目を摘むったままで>瞑る
88.無評価you削除
失礼

上がりざるを得ないは無問題かも。ごめんなさい。
90.100三文字削除
夫婦の仲は空気のようなもの。

あって当たり前だけど無いと困る。

ネタ系だったらこーりん殺すってレスがあるかもしれませんが、これは良い夫婦。

霊夢は霖之助に譲るとしましょうか。
91.80名前が無い程度の能力削除
淡々としているのにじんわりと心に染み入ってくるようでした。

何かホッとするような良い小説でした。
94.80名前が無い程度の能力削除
しんみりしてしまった。

あっついおちゃでもいれてきましょうか。
97.100PAC削除
読み返し。心なしか汚い部屋の中で茶の香りがした気がします。
雰囲気に浸りながら今から一杯飲めば、格別心温かくなる事でしょう。
99.80マイマイ削除
何というか、どこまでも“らしい”話でした。
霊夢の素っ気無さといい、魔理沙の義理堅さといい。
まぁ、萃香の3日の断酒っていうのには苦笑しましたけど。それも“らしさ”でしょう。
愛ではなかったかもしれないが、確かな安らぎがそこにあり、
悲哀はなく、ただ、喪失だけが木魂する。
面白かったです。
101.100名前が無い程度の能力削除
いかにも霊夢らしい想いを垣間見た気がします。
心の中で茶柱が立ったような感じです。
113.100名前が無い程度の能力削除
日常に紛れ込む良さを感じた。
茶を飲んでくる。
124.80名前が無い程度の能力削除
お茶上手く入れられないんだよなあ・・・
精進しよ。
131.90名前が無い程度の能力削除
自分もお茶みたいな人間になりますっ!!
135.100m.k削除
やめろよ・・・泣いちまうじゃねえか・・・
138.100名前が無い程度の能力削除
ジャスミンティだけど飲んできます。