幻想郷大戦 ~PAD’s WAR~
序章
以下、稗田阿求の記した書物よりの抜粋
今回、幻想郷で起きたこの大乱を書に残すかどうか――あれから数ヶ月たった今でも、私はそれを決めかねていた。
人間達にも、そしてもちろん妖怪達の間でさえ、この騒乱は誤報と数多の疑惑を孕んだまま伝わり、結果、あの出来事の全貌を正確に把握しているものはほとんどいない。そのような状況を受け、私がここに一冊の書として記録を残すのは当然なのかも知れないと、半ば納得はしているのだ。
私がここで書として、文章として、文字としてこの記録を残さなければ、或いは百年二百年後、同じ事態を招くことになるやも知れないことも、当然承知している。
人間は、百年も経てば、それを忘れる。
妖怪達も、当事者でもなければ、もしかすれば判断を誤り、同じ悲劇を生みかねない。
詳細を知ることなしに、どうしてLunaticやExtraのボスたちと対等に渡り合えよう。初見で妹様とか無理だろ、普通。
妙な例えを出したが、それほどまでにここに記録を残すことは重大なことなのだ。
それならば、何故、私は躊躇うのか?
何故こうも回りくどく説明しているのか、そもそもこれを読んでお気付きのように、既にこうして文書として残しているのにも関わらず。これを読んでいる読者の方には、軽く理由を述べておくべきだと思う。
はっきり言って、判断に困る理由はそう、本当にそのような大それた前提で、今回の事件は残す価値があるのかどうか、ということである。
当事者に近しい位置からこの事件を眺めていた私からすれば、この事件ほどくだらない、私的で、利益のない戦争は私の記憶する限りでは(初代稗田よりの記録もあわせて差し支えない)これが初めてなのである。何より馬鹿げているのは、この戦争により、何か現在が変わったかといえば、全く平凡な日常が続いていることに呆れ返るほど、普通な毎日が流れている。
大乱、とか騒乱などという大それたことでもないような気さえしてくるのも、きっと最後まで読み進めてくれた方にならわかってもらえるだろう。
あと、本音を少し混ぜさせてもらえば、次の代の稗田の子に何と伝えたらよいかということもある。そのまま記憶を引き継ぐと言うわけではないので、伝え方を一歩誤れば、九代目はアホだと思われる。ぶっちゃけこれ書いてる私がそう思うんだから間違いない。
けれど事実は事実。一歩間違えば、歴史は最悪の展開を描いていた。
今の幻想郷にあって、このような事態が起こるとは、恐らく誰一人として予期していなかったことだろう。妖怪達は独自の文化を花開かせ、私たち人間も、もうおおっぴらには妖怪を恐れなくてもいい時代になったというのに。一体誰が、その今日の幻想郷にあって、こんなことを予測出来ただろうか。
或いは、こんな時代が到来したからこその必然だったのかもしれないが……。
私たちは、今平穏な生活を手にしている。
ふと仰ぎ見ればそこには何の不安もない青空が広がっており、そして同じ空の下で、妖怪もまた同じ空を眺められるのである。横を向けば、人間と妖怪、手を取り合うことだって出来そうな気がする。
人は、もう理不尽な暴力の蹂躙に脅えなくてもいい
妖怪は、もう敵意と悪意の対象にされなくてもいい。
それが、今の幻想郷である。
そんな今の幻想郷に、振って湧いた今回の事件。
それは本当は、私たちが暮らす世界がいかに脆く、崩れやすい砂上の楼閣なのだと、警告していた出来事だったのかもしれないのだ。
何故このような生活を、私たち人間と妖怪達が手に出来たか。私たちは、その信頼というかけがえのないものを、ひょっとして日の光や空気のように、当たり前の世界の前提として組み込んでいたのかもしれない。人と人との繋がりのように、両者がその細い糸を互いに寄り合わせて、編みこんでいかなければならないということを、忘れていたのかもしれない。
私はここに、あの事件に関しての、私の知りうる全てを書き記す。
けれど、あえて求聞史記には載せずに私的な形として残しておく。つい先ほどは熱く語ってしまったが、まあ、初めに渋っていた通り、全て読めばその理由も説明するより早くわかってもらえるかもしれない。
では、次のページから、事件の全容を語るとしよう。この大乱の関係者たちの取材も行なったので、あわせて見て欲しい。
願わくば、私のこの判断(ああ、こうして記録を残していることですよ)とこの記録が、正しい形で後世に伝わることを願って。
第一章 始まりの日のお茶の味
あの時、私はまだこの館における平和と安穏を信じていた。
妹様はここへやってきた人間のおかげで少しは扱いやすくなったし、レミィはその人間と打ち解けてすっかり丸くなっていた。そうなれば、その従者でこの館のメイド長でもある咲夜も、もう刺々しいような雰囲気をまとうこともなくなった。
彼女たちがそうなれば、その下で働く者たちもみな、一様にそれにならった。こんな風に、この館の中はいつの間にか定着した平穏に、いや、この館も同様、彼女たちにならい緩やかに流れる安楽の香りに染まっていた。
そんなものだから、誰もそれがあんなにもあっさり崩れ去るなんて思いもしなかったはずだ。そう、平和や静寂といったものは、やはり脆く、儚いからこそ価値があるのだということを、私たちは忘れていた。
きっとそんな矢先に、あの事件は起きた。
~紅魔館に住む妖怪、パチュリー・ノーレッジによる独白メモ~
「そういえば咲夜さんって」
「咲夜がどうかしたの?」
あまりに唐突に話題を振られたため、何か考えて発言したわけではない。紅魔館の図書館の中で私こと、パチュリー・ノーレッジは言葉の主に視線を送る。
「いえ、少し気になることがありまして」
自分で話題を変えておきながら、その話題の主は言い淀んでいた。
ここは、言わずと知れた紅魔館の地下、ヴワル魔法図書館。普段と違うのは、少々周りが雑然としていることと、あまりここに来ることのない人物がいることぐらいか。
あたりに本が散らばっている中で、そこだけ意図的に物がよけられた場所にテーブルがあって、私たちはそこでしばしの休憩を楽しんでいた。私の向かいには彼女がいて、目の前にはついさっき私が飲み干したばかりの紅茶のカップ。もちろん、彼女の分も。
「やっぱり咲夜さんって……」
話題の主は、やはりどこか言いにくそうに、けれどどうしてもしゃべりたい――まるで女子大生からOLになって社会的な認知度に合わせて上司の前では噂話をはばかるようにしている新入社員の娘のようにもじもじしていた。そうすると、私は中間管理職の立場だろうか? と無駄に想像してみた。
「あなたらしくないわね。言いたいことぐらい、きっぱり言えばいいのに」
普段の彼女らしくないしぐさに、私はそう言ってやる。
今日は、ここの図書館の大掃除の日。
大掃除の日、なんて大層に言ったけれど、別に恒例行事というわけではない。実際思い立ったのはつい最近で、理由はそう、この間魔理沙が例のごとく本を盗みに来たときにぼそりと言った一言。
「ここって、なんか辛気臭いよな。やっぱり本を読むのには適してないぜ」
今思えば単純な理由だけれど、ともかく私はこの一言で、ここの大掃除を決行することにしたのだ。別段、魔理沙の言うように思っていたわけではない。定期的に掃除も整理もしている。特にそんなことをする必要など見出せなかったのも確かだけれど。
こういうところは、我ながら現金だとは思う。まるで魔理沙のご機嫌取りをしているようにも思われるのだろうが、現にそうなのだから仕方がない。こういうのを惚れた弱みというのか、はたまた、女の甲斐性なのか。とりあえず思うことはこれを機に少し気持ちのいい図書館を作ろうと画策したことで、まあ、魔理沙云々は少し置いておくとして、ではどうすればそうなるか、そうすればどうなるか、ちょっと想像してみた。
まず、図書をすぐに選出できるよう、図書目録を作成する。次に、ネットを使ってそれらをすぐに検索、かつどこに置いてあるか、貸し出し中かなどの詳細情報も調べられるようにする。
室内では、空調の行き届いた環境で悠々と読書に浸る私と魔理沙。調べたい本もすぐに見つかり、魔理沙は快適すぎて家に持ち帰ることも忘れて、自然とこうもらす。
「パチュリー、ここの図書館、随分居心地がよくなったな」
ソファに倒れ掛かりながら、満面の笑みのご褒美付きで話してくる魔理沙に、なるべくそっけなさを装いながらこう言うのだ。
「そうかしら? 前からこうだったわよ」
「いやいや、こんな快適なのは初めてだぜ。お前の気配りや配慮の良さには感心したぜ」
本を閉じ、私の方に擦り寄ると、魔理沙はおもむろにこう言って来る。
「それとも、居心地がいいと感じるのは、本当はお前が傍にいるからなのかな?」
私の高鳴る鼓動を知ってか知らずか、魔理沙は吐息がかかるくらい傍で微笑む。
「からかわないでよ……。あなたがその気なら、私はいつでも傍にいても……」
魔理沙に正面から向き直る私。精一杯の勇気と、それとほんの少しばかりの大胆さで。
見つめる魔理沙。
見つめられる私。
次第に近づいてくる魔理沙の顔。自然とまぶたが下りて、私もゆっくりと顔を近づけて……。
「パチュリー……」
「魔理沙……」
「パチュリー様?」
がばっと、という擬音が正しいかどうかはわからないが、私は突然の彼女の呼びかけに、思わず身を起こすなんていうらしくない失態を犯した。
「あ、ご、ごめんなさい。何だったかしら」
「もう、パチュリー様ったらおっかしい」
くすくす、と言葉通り本当におかしそうに彼女は笑っていた。彼女の長い赤い髪が揺れて、その笑顔は、ちょっとだけ眩しかった。
そう、私はその大掃除の手伝い要員として、ここ紅魔館の門番こと紅美鈴の手を借りていた。
「パチュリー様でも、寝ぼけることってあるんですね」
「……もう、悪かったわよ」
あんまり楽しそうに笑うので、怒るというより恥ずかしくなって、歯切れ悪くそう返した。というより、彼女は私が居眠りしていたとでも思ったのだろうか?
「それで、何の話なの?」
けれどそれを指摘して、じゃあ何をお考えになっていたんですか? なんて聞かれたら答えようがないので、そこは無視して話をつなげることにする。まさか美鈴に向かって魔理沙とのうんたらかんたら(曖昧に言葉を濁すのは日本の美学らしいわね)を想像してましたと語るわけにもいかない。
「だからぁ、あの話ですよ、咲夜さんの」
なおも美鈴は嬉しそうに微笑みながらそう言った。
「咲夜の何?」
ほてった顔をなるべく無視して、努めて冷静に、彼女に返す。
「あら、二人して珍しいわね」
会話の途中、いや、会話の途中の続きの途中に、まだ幼さとあどけなさの残る声がそれを遮った。数百年を生きた吸血鬼の声がこれでは、例え比類なき実力や力を示しても威厳などあってないようなものだと、以前彼女を恐れずにやってきた人間の姿とあわせて、何故か妙に納得してしまった。
「どうしたの、レミィ。あなたこそここに来るなんて珍しい」
「今日はちょっと早めにお茶にしたいという珍しい気分なの。で、咲夜を探してあちこち歩いていたら、また珍しい光景に出くわしたじゃない?」
彼女の言う珍しいは、この図書館の大掃除のことか、はたまた美鈴とお茶していたことなのかと少し考えながら、長年の友人に微笑み返す。
「今日はここの大掃除の日なのよ。美鈴は、私が呼んだ雑用要員」
「はい、頑張って雑用してます」
美鈴は私の少し棘のあるような台詞も優しく包んで、レミィに付け加えて説明した。彼女といるとたびたびこういう優しさが見えてくる。受け入れてくれる安心感というか、包み込んでくれる暖かさというか。根がそういう気質なのだろうと思うが、それでもそれに触れるたび、どこか嬉しく思うものだ。
だからちょっと、甘えてみたくもなる。
「でも、ちょっと物分りが悪くて使いづらいわね。どの本をどこに、とかすぐに動いてくれなくて」
「パチュリー様ぁ、あんなに種類のある本を覚えろだなんて無理ですよぉ」
だけど、いやだからこそだろう。そんな彼女と一緒にいると、少し自分も素直になりたいなんて思ったりもするのだ。こういうのは、嫉妬、という感覚が一番近い。
だからほらまた、からかいたくなってくる。
「無理でもしなさい。でなきゃ、明日から昼抜きにするわよ」
「そんなぁ」
けれど美鈴、ただの雑用要員なんかに、一緒にお茶しようなんて言わないんだからね。
「ところでお嬢様、咲夜さんを探していたんですよね」
テーブルについたレミィの分の紅茶を注ぎながら、美鈴は話を戻した。
「ああ、そう、そうなのよ。美鈴、あなた知らないかしら?」
と言っても、もう既に咲夜を探す目的は果たされてしまったわけだけれども。ほっと息を吐いて紅茶の余韻を楽しむ友人を横目に、そんなことを思った。
それとも別に何か、彼女は咲夜に用があったのか。
「そう言われましても」
自分で話題を振っておきながら、彼女ははさして有益な情報を持ってなかったようで、幾分申し訳なさそうにそう言うのだった。
……、
………、
…………ん?
あら、私、何だか前にも同じ台詞を口にした(声に出してないけど)気がするわ。
「ねえ美鈴、あなた確かさっきも似たようなこと言ってなかった?」
「え? そうでしたっけ?」
と、すっとぼけたことを本気で口にしながら、すぐにそれと思い当たることが浮かんできたようで、美鈴は最初のときの(ああ、最初って言うのは私が誰かに向かって語りだしたあたりのことよ)あのそわそわした雰囲気で、ようやく核心に触れ始めるのだった。
「ああ、そうそう、すっかり忘れてましたけど」
ですから、などという前置きの後、彼女はその言葉を口にした。
後に、この一言がきっかけで幻想郷を恐怖と狂気に陥れることになるだろうとは、誰もそのとき、夢想だにしていなかったことだろう。
あの穏やかな日々を、ゆったりとした平和な日々を、誰がその一言で覆せると信じただろうか?
あの時、好奇心のままにその言葉を述べた美鈴を、一体誰が責められるだろうか?
「咲夜さんのアレって、本物なのでしょうか?」
彼女は自分の胸を、掴んであるほどのそれを持ち上げながら言った。
「ああ、アレね」
笑いながらというか、どこか苦笑いというか、そんな面持ちで私の長年の友人は応えた。
「何よふたりして、それは何かの暗号?」
示し合わせたジェスチャーで納得する二人を見て少し面白くないと思ってそう聞いたのだが、彼女らのほうが意外だという風な顔をして聞き返してきた。
「あれ、パチュリー様はご存知ないのですか?」
ご存じないのか、と聞かれてご存じないから聞いてるのだということを説明するのもなんなので、私は少し考えあぐねて、素直に知らないと言って返した。
「あなたも意外とぬけてるとこあるわね」
と、レミィまでもが先ほどの美鈴と同じことを口にした。
はて、としばし思考をめぐらす。
二人は、一体咲夜の何を指摘して納得しあったのだろう? レミィはともかく美鈴にも通じることだから、私も要点を捉えられれば見つけられることではないか。
何を見落としたのだろう?
美鈴はアレと言った。アレとは、そのあとすぐに美鈴がジェスチャーしたように、胸のことには違いないはず。
で、咲夜の胸がどうかしたのか?
先ほどから美鈴はその話題を出そうか出すまいかとしていたけれど、今聞いた限りではそれを躊躇っていた理由も思いつかない。私たち女性が体型やプロポーションの話題をしたがらないかといえば、その手の話こそ未来永劫私たちの興味と関心をやまない事象であり、永遠の命題であることは疑いようがないのだし。確かに彼女から胸の話題を引き出されると、なるほど多少嫌味に思えるところもあるかもしれないが、それも恐らく理由としては適当ではない。実際そこに気を使うならレミィのいる前でわざわざ話したりはしないでしょうし。
では、他には何があるか?
確か、美鈴はこう表現していた。アレは本物なのかと。
アレとはやはり胸のことなのだろうか? と言っても、胸に本物も偽物もないだろう。私たちのような種族ならいざ知らず、人間である咲夜が体の一部や二部をとっかえひっかえできるはずなどないんだから。言ってしまえば胸が偽物なら咲夜が偽物なのだ。
と、ここまで考えたところで二人が既にその話題で盛り上がっていることに気付いた。
「お嬢様なら、知ってるんじゃないですか?」
「でも今まで巧みに誤魔化されてきたような気もするのよ。まあ、咲夜が触れて欲しくないならと思って何も言わないできたけど」
触れて欲しくないこと?
彼女の胸には傷でもあるのだろうか? やむにやまれぬ事情でそれをひた隠しにしてきたとか。
「そうね。でもいい機会だから聞いてみるわ」
「真相がわかったら私にも教えてくださいよ」
結局どうにも合点がいかないまま、けれどああ言われてまた聞こうなんて気も起きぬまま、私はなんでもないような話を投げかけて、その話題から彼女らの気をそらした。
本当は、それこそ先ほどのとは違う本当の嫉妬だったのだと気付くのも、また随分後になってからである。
こうして私たちは平穏無事な最後の会話を終えて、私と美鈴は整理の作業に戻り、レミィは咲夜を探してまた館をうろつき始めた。
そうして悲劇は、起こるべくして起こったのである。私がそれを目の当たりにするのは、レミィと別れてからおよそ三十分後、彼女の悲鳴を聞いたときからだった。
続く
序章
以下、稗田阿求の記した書物よりの抜粋
今回、幻想郷で起きたこの大乱を書に残すかどうか――あれから数ヶ月たった今でも、私はそれを決めかねていた。
人間達にも、そしてもちろん妖怪達の間でさえ、この騒乱は誤報と数多の疑惑を孕んだまま伝わり、結果、あの出来事の全貌を正確に把握しているものはほとんどいない。そのような状況を受け、私がここに一冊の書として記録を残すのは当然なのかも知れないと、半ば納得はしているのだ。
私がここで書として、文章として、文字としてこの記録を残さなければ、或いは百年二百年後、同じ事態を招くことになるやも知れないことも、当然承知している。
人間は、百年も経てば、それを忘れる。
妖怪達も、当事者でもなければ、もしかすれば判断を誤り、同じ悲劇を生みかねない。
詳細を知ることなしに、どうしてLunaticやExtraのボスたちと対等に渡り合えよう。初見で妹様とか無理だろ、普通。
妙な例えを出したが、それほどまでにここに記録を残すことは重大なことなのだ。
それならば、何故、私は躊躇うのか?
何故こうも回りくどく説明しているのか、そもそもこれを読んでお気付きのように、既にこうして文書として残しているのにも関わらず。これを読んでいる読者の方には、軽く理由を述べておくべきだと思う。
はっきり言って、判断に困る理由はそう、本当にそのような大それた前提で、今回の事件は残す価値があるのかどうか、ということである。
当事者に近しい位置からこの事件を眺めていた私からすれば、この事件ほどくだらない、私的で、利益のない戦争は私の記憶する限りでは(初代稗田よりの記録もあわせて差し支えない)これが初めてなのである。何より馬鹿げているのは、この戦争により、何か現在が変わったかといえば、全く平凡な日常が続いていることに呆れ返るほど、普通な毎日が流れている。
大乱、とか騒乱などという大それたことでもないような気さえしてくるのも、きっと最後まで読み進めてくれた方にならわかってもらえるだろう。
あと、本音を少し混ぜさせてもらえば、次の代の稗田の子に何と伝えたらよいかということもある。そのまま記憶を引き継ぐと言うわけではないので、伝え方を一歩誤れば、九代目はアホだと思われる。ぶっちゃけこれ書いてる私がそう思うんだから間違いない。
けれど事実は事実。一歩間違えば、歴史は最悪の展開を描いていた。
今の幻想郷にあって、このような事態が起こるとは、恐らく誰一人として予期していなかったことだろう。妖怪達は独自の文化を花開かせ、私たち人間も、もうおおっぴらには妖怪を恐れなくてもいい時代になったというのに。一体誰が、その今日の幻想郷にあって、こんなことを予測出来ただろうか。
或いは、こんな時代が到来したからこその必然だったのかもしれないが……。
私たちは、今平穏な生活を手にしている。
ふと仰ぎ見ればそこには何の不安もない青空が広がっており、そして同じ空の下で、妖怪もまた同じ空を眺められるのである。横を向けば、人間と妖怪、手を取り合うことだって出来そうな気がする。
人は、もう理不尽な暴力の蹂躙に脅えなくてもいい
妖怪は、もう敵意と悪意の対象にされなくてもいい。
それが、今の幻想郷である。
そんな今の幻想郷に、振って湧いた今回の事件。
それは本当は、私たちが暮らす世界がいかに脆く、崩れやすい砂上の楼閣なのだと、警告していた出来事だったのかもしれないのだ。
何故このような生活を、私たち人間と妖怪達が手に出来たか。私たちは、その信頼というかけがえのないものを、ひょっとして日の光や空気のように、当たり前の世界の前提として組み込んでいたのかもしれない。人と人との繋がりのように、両者がその細い糸を互いに寄り合わせて、編みこんでいかなければならないということを、忘れていたのかもしれない。
私はここに、あの事件に関しての、私の知りうる全てを書き記す。
けれど、あえて求聞史記には載せずに私的な形として残しておく。つい先ほどは熱く語ってしまったが、まあ、初めに渋っていた通り、全て読めばその理由も説明するより早くわかってもらえるかもしれない。
では、次のページから、事件の全容を語るとしよう。この大乱の関係者たちの取材も行なったので、あわせて見て欲しい。
願わくば、私のこの判断(ああ、こうして記録を残していることですよ)とこの記録が、正しい形で後世に伝わることを願って。
第一章 始まりの日のお茶の味
あの時、私はまだこの館における平和と安穏を信じていた。
妹様はここへやってきた人間のおかげで少しは扱いやすくなったし、レミィはその人間と打ち解けてすっかり丸くなっていた。そうなれば、その従者でこの館のメイド長でもある咲夜も、もう刺々しいような雰囲気をまとうこともなくなった。
彼女たちがそうなれば、その下で働く者たちもみな、一様にそれにならった。こんな風に、この館の中はいつの間にか定着した平穏に、いや、この館も同様、彼女たちにならい緩やかに流れる安楽の香りに染まっていた。
そんなものだから、誰もそれがあんなにもあっさり崩れ去るなんて思いもしなかったはずだ。そう、平和や静寂といったものは、やはり脆く、儚いからこそ価値があるのだということを、私たちは忘れていた。
きっとそんな矢先に、あの事件は起きた。
~紅魔館に住む妖怪、パチュリー・ノーレッジによる独白メモ~
「そういえば咲夜さんって」
「咲夜がどうかしたの?」
あまりに唐突に話題を振られたため、何か考えて発言したわけではない。紅魔館の図書館の中で私こと、パチュリー・ノーレッジは言葉の主に視線を送る。
「いえ、少し気になることがありまして」
自分で話題を変えておきながら、その話題の主は言い淀んでいた。
ここは、言わずと知れた紅魔館の地下、ヴワル魔法図書館。普段と違うのは、少々周りが雑然としていることと、あまりここに来ることのない人物がいることぐらいか。
あたりに本が散らばっている中で、そこだけ意図的に物がよけられた場所にテーブルがあって、私たちはそこでしばしの休憩を楽しんでいた。私の向かいには彼女がいて、目の前にはついさっき私が飲み干したばかりの紅茶のカップ。もちろん、彼女の分も。
「やっぱり咲夜さんって……」
話題の主は、やはりどこか言いにくそうに、けれどどうしてもしゃべりたい――まるで女子大生からOLになって社会的な認知度に合わせて上司の前では噂話をはばかるようにしている新入社員の娘のようにもじもじしていた。そうすると、私は中間管理職の立場だろうか? と無駄に想像してみた。
「あなたらしくないわね。言いたいことぐらい、きっぱり言えばいいのに」
普段の彼女らしくないしぐさに、私はそう言ってやる。
今日は、ここの図書館の大掃除の日。
大掃除の日、なんて大層に言ったけれど、別に恒例行事というわけではない。実際思い立ったのはつい最近で、理由はそう、この間魔理沙が例のごとく本を盗みに来たときにぼそりと言った一言。
「ここって、なんか辛気臭いよな。やっぱり本を読むのには適してないぜ」
今思えば単純な理由だけれど、ともかく私はこの一言で、ここの大掃除を決行することにしたのだ。別段、魔理沙の言うように思っていたわけではない。定期的に掃除も整理もしている。特にそんなことをする必要など見出せなかったのも確かだけれど。
こういうところは、我ながら現金だとは思う。まるで魔理沙のご機嫌取りをしているようにも思われるのだろうが、現にそうなのだから仕方がない。こういうのを惚れた弱みというのか、はたまた、女の甲斐性なのか。とりあえず思うことはこれを機に少し気持ちのいい図書館を作ろうと画策したことで、まあ、魔理沙云々は少し置いておくとして、ではどうすればそうなるか、そうすればどうなるか、ちょっと想像してみた。
まず、図書をすぐに選出できるよう、図書目録を作成する。次に、ネットを使ってそれらをすぐに検索、かつどこに置いてあるか、貸し出し中かなどの詳細情報も調べられるようにする。
室内では、空調の行き届いた環境で悠々と読書に浸る私と魔理沙。調べたい本もすぐに見つかり、魔理沙は快適すぎて家に持ち帰ることも忘れて、自然とこうもらす。
「パチュリー、ここの図書館、随分居心地がよくなったな」
ソファに倒れ掛かりながら、満面の笑みのご褒美付きで話してくる魔理沙に、なるべくそっけなさを装いながらこう言うのだ。
「そうかしら? 前からこうだったわよ」
「いやいや、こんな快適なのは初めてだぜ。お前の気配りや配慮の良さには感心したぜ」
本を閉じ、私の方に擦り寄ると、魔理沙はおもむろにこう言って来る。
「それとも、居心地がいいと感じるのは、本当はお前が傍にいるからなのかな?」
私の高鳴る鼓動を知ってか知らずか、魔理沙は吐息がかかるくらい傍で微笑む。
「からかわないでよ……。あなたがその気なら、私はいつでも傍にいても……」
魔理沙に正面から向き直る私。精一杯の勇気と、それとほんの少しばかりの大胆さで。
見つめる魔理沙。
見つめられる私。
次第に近づいてくる魔理沙の顔。自然とまぶたが下りて、私もゆっくりと顔を近づけて……。
「パチュリー……」
「魔理沙……」
「パチュリー様?」
がばっと、という擬音が正しいかどうかはわからないが、私は突然の彼女の呼びかけに、思わず身を起こすなんていうらしくない失態を犯した。
「あ、ご、ごめんなさい。何だったかしら」
「もう、パチュリー様ったらおっかしい」
くすくす、と言葉通り本当におかしそうに彼女は笑っていた。彼女の長い赤い髪が揺れて、その笑顔は、ちょっとだけ眩しかった。
そう、私はその大掃除の手伝い要員として、ここ紅魔館の門番こと紅美鈴の手を借りていた。
「パチュリー様でも、寝ぼけることってあるんですね」
「……もう、悪かったわよ」
あんまり楽しそうに笑うので、怒るというより恥ずかしくなって、歯切れ悪くそう返した。というより、彼女は私が居眠りしていたとでも思ったのだろうか?
「それで、何の話なの?」
けれどそれを指摘して、じゃあ何をお考えになっていたんですか? なんて聞かれたら答えようがないので、そこは無視して話をつなげることにする。まさか美鈴に向かって魔理沙とのうんたらかんたら(曖昧に言葉を濁すのは日本の美学らしいわね)を想像してましたと語るわけにもいかない。
「だからぁ、あの話ですよ、咲夜さんの」
なおも美鈴は嬉しそうに微笑みながらそう言った。
「咲夜の何?」
ほてった顔をなるべく無視して、努めて冷静に、彼女に返す。
「あら、二人して珍しいわね」
会話の途中、いや、会話の途中の続きの途中に、まだ幼さとあどけなさの残る声がそれを遮った。数百年を生きた吸血鬼の声がこれでは、例え比類なき実力や力を示しても威厳などあってないようなものだと、以前彼女を恐れずにやってきた人間の姿とあわせて、何故か妙に納得してしまった。
「どうしたの、レミィ。あなたこそここに来るなんて珍しい」
「今日はちょっと早めにお茶にしたいという珍しい気分なの。で、咲夜を探してあちこち歩いていたら、また珍しい光景に出くわしたじゃない?」
彼女の言う珍しいは、この図書館の大掃除のことか、はたまた美鈴とお茶していたことなのかと少し考えながら、長年の友人に微笑み返す。
「今日はここの大掃除の日なのよ。美鈴は、私が呼んだ雑用要員」
「はい、頑張って雑用してます」
美鈴は私の少し棘のあるような台詞も優しく包んで、レミィに付け加えて説明した。彼女といるとたびたびこういう優しさが見えてくる。受け入れてくれる安心感というか、包み込んでくれる暖かさというか。根がそういう気質なのだろうと思うが、それでもそれに触れるたび、どこか嬉しく思うものだ。
だからちょっと、甘えてみたくもなる。
「でも、ちょっと物分りが悪くて使いづらいわね。どの本をどこに、とかすぐに動いてくれなくて」
「パチュリー様ぁ、あんなに種類のある本を覚えろだなんて無理ですよぉ」
だけど、いやだからこそだろう。そんな彼女と一緒にいると、少し自分も素直になりたいなんて思ったりもするのだ。こういうのは、嫉妬、という感覚が一番近い。
だからほらまた、からかいたくなってくる。
「無理でもしなさい。でなきゃ、明日から昼抜きにするわよ」
「そんなぁ」
けれど美鈴、ただの雑用要員なんかに、一緒にお茶しようなんて言わないんだからね。
「ところでお嬢様、咲夜さんを探していたんですよね」
テーブルについたレミィの分の紅茶を注ぎながら、美鈴は話を戻した。
「ああ、そう、そうなのよ。美鈴、あなた知らないかしら?」
と言っても、もう既に咲夜を探す目的は果たされてしまったわけだけれども。ほっと息を吐いて紅茶の余韻を楽しむ友人を横目に、そんなことを思った。
それとも別に何か、彼女は咲夜に用があったのか。
「そう言われましても」
自分で話題を振っておきながら、彼女ははさして有益な情報を持ってなかったようで、幾分申し訳なさそうにそう言うのだった。
……、
………、
…………ん?
あら、私、何だか前にも同じ台詞を口にした(声に出してないけど)気がするわ。
「ねえ美鈴、あなた確かさっきも似たようなこと言ってなかった?」
「え? そうでしたっけ?」
と、すっとぼけたことを本気で口にしながら、すぐにそれと思い当たることが浮かんできたようで、美鈴は最初のときの(ああ、最初って言うのは私が誰かに向かって語りだしたあたりのことよ)あのそわそわした雰囲気で、ようやく核心に触れ始めるのだった。
「ああ、そうそう、すっかり忘れてましたけど」
ですから、などという前置きの後、彼女はその言葉を口にした。
後に、この一言がきっかけで幻想郷を恐怖と狂気に陥れることになるだろうとは、誰もそのとき、夢想だにしていなかったことだろう。
あの穏やかな日々を、ゆったりとした平和な日々を、誰がその一言で覆せると信じただろうか?
あの時、好奇心のままにその言葉を述べた美鈴を、一体誰が責められるだろうか?
「咲夜さんのアレって、本物なのでしょうか?」
彼女は自分の胸を、掴んであるほどのそれを持ち上げながら言った。
「ああ、アレね」
笑いながらというか、どこか苦笑いというか、そんな面持ちで私の長年の友人は応えた。
「何よふたりして、それは何かの暗号?」
示し合わせたジェスチャーで納得する二人を見て少し面白くないと思ってそう聞いたのだが、彼女らのほうが意外だという風な顔をして聞き返してきた。
「あれ、パチュリー様はご存知ないのですか?」
ご存じないのか、と聞かれてご存じないから聞いてるのだということを説明するのもなんなので、私は少し考えあぐねて、素直に知らないと言って返した。
「あなたも意外とぬけてるとこあるわね」
と、レミィまでもが先ほどの美鈴と同じことを口にした。
はて、としばし思考をめぐらす。
二人は、一体咲夜の何を指摘して納得しあったのだろう? レミィはともかく美鈴にも通じることだから、私も要点を捉えられれば見つけられることではないか。
何を見落としたのだろう?
美鈴はアレと言った。アレとは、そのあとすぐに美鈴がジェスチャーしたように、胸のことには違いないはず。
で、咲夜の胸がどうかしたのか?
先ほどから美鈴はその話題を出そうか出すまいかとしていたけれど、今聞いた限りではそれを躊躇っていた理由も思いつかない。私たち女性が体型やプロポーションの話題をしたがらないかといえば、その手の話こそ未来永劫私たちの興味と関心をやまない事象であり、永遠の命題であることは疑いようがないのだし。確かに彼女から胸の話題を引き出されると、なるほど多少嫌味に思えるところもあるかもしれないが、それも恐らく理由としては適当ではない。実際そこに気を使うならレミィのいる前でわざわざ話したりはしないでしょうし。
では、他には何があるか?
確か、美鈴はこう表現していた。アレは本物なのかと。
アレとはやはり胸のことなのだろうか? と言っても、胸に本物も偽物もないだろう。私たちのような種族ならいざ知らず、人間である咲夜が体の一部や二部をとっかえひっかえできるはずなどないんだから。言ってしまえば胸が偽物なら咲夜が偽物なのだ。
と、ここまで考えたところで二人が既にその話題で盛り上がっていることに気付いた。
「お嬢様なら、知ってるんじゃないですか?」
「でも今まで巧みに誤魔化されてきたような気もするのよ。まあ、咲夜が触れて欲しくないならと思って何も言わないできたけど」
触れて欲しくないこと?
彼女の胸には傷でもあるのだろうか? やむにやまれぬ事情でそれをひた隠しにしてきたとか。
「そうね。でもいい機会だから聞いてみるわ」
「真相がわかったら私にも教えてくださいよ」
結局どうにも合点がいかないまま、けれどああ言われてまた聞こうなんて気も起きぬまま、私はなんでもないような話を投げかけて、その話題から彼女らの気をそらした。
本当は、それこそ先ほどのとは違う本当の嫉妬だったのだと気付くのも、また随分後になってからである。
こうして私たちは平穏無事な最後の会話を終えて、私と美鈴は整理の作業に戻り、レミィは咲夜を探してまた館をうろつき始めた。
そうして悲劇は、起こるべくして起こったのである。私がそれを目の当たりにするのは、レミィと別れてからおよそ三十分後、彼女の悲鳴を聞いたときからだった。
続く