※オリキャラが出ます。二十人くらい。
「――弾幕ごっこ?」
秋の終わりの収穫祭。
宴もたけなわの主賓席。
この秋の葡萄で作ったばかりの新酒を口に運びかけたところで、穣子は場違いな単語に顔を上げた。
「左様でございます」
酌を終えた瓶を胸元の定位置に抱えなおし、里の長にして稲作の第一人者である神楽山軍鶏衛門(72)は恭しく応じた。
「聞くところによれば、今どきの神様がたはそのような遊びで人との親交を深めておられるのだとか」
「んー」
適当に頷きながら、穣子はあらためて盃を傾ける。
酒としてはいささか物足りない、しかし瑞々しく鮮烈な甘みと酸味が口中に広がる。
秋の実りの豊かさをそのまま溶かし込んだような、この若い葡萄酒の味が穣子は好きだった。
うん、今年もいい出来。
里の人々の仕事に好意的な判定を下してから、豊穣の女神は盃を下ろし軍鶏衛門に向き直る。
「そうね。特に最近、新しい風神様が山にいらしてからはそういうことも増えたみたい」
「ほほう。やはり穣子さまも楽しんでおられるのですか?」
「……う、うん、まあね。神様だもの」
「それはそれは。勇ましゅうございますなあ」
あはは。
最近の戦績といえば通りすがりの巫女にボコられたことくらいしかない穣子は、わずかに目を逸らして乾いた笑いを漏らす。
一口に神様といってもピンキリである。件の風神のような強大な御方ならともかく、穣子はあまり弾幕ごっこというものが得意ではなかった。
「……で、弾幕ごっこがどうかしたの?」
「は、それでですな」
軍鶏衛門は空になった穣子の盃に再び酒を満たしながら、
「ぜひに我らも、それで穣子さまと静葉さまをおもてなししたいと思いまして」
「えっ」
「ですから、いたしましょう。今から。弾幕ごっこを」
「えっ」
大真面目に言い放つ軍鶏衛門に、穣子は目をぱちくり。
「いたしましょうって……。そりゃ、私とお姉ちゃんは空も飛べるし弾幕も作れるけど……」
隣の、もう一つの主賓席を振り返る。
そこでは穣子の姉神である静葉が、里の子供や若い娘たちに囲まれ、紅葉の髪飾りなんぞを作ってやったりしては楽しそうに笑い合っていた。
無口で控えめで、穣子以上に荒事には不向きな姉である。
それでもまあ、神様のはしくれだからひととおりの事はできた。
が。
「この里には弾幕ごっこのできる人間なんていないでしょ。誰か特別ゲストでも呼んだの?」
「いえいえ、我ら自身がお相手仕ります」
「……どうやって?」
「そこは信仰の力でなんとか!」
「なんとかって、あんた」
穣子よりもよほど盛り上がっている様子で、軍鶏衛門は拳を固め力説する。
瓶から酒がちょっとこぼれた。
「あのねえ、シャモ爺……」
愛称で呼びかけながら、穣子はたしなめるように手をひらひらさせる。
確かに信仰というのは力の源に違いないが、人にとってのそれは生きる支えとでもいうべき性質のものであって、信ずる者はアイキャンフライなどという単純なものではないのだ。
素敵な思いつきではあるけれど――と、穣子は爺さんに言い聞かせようと、
「そうです穣子さま! わしらはやりますぞ!」
「我らの信仰の篤さ、とくと御覧にいれますぞ!」
「パターン化でチョン避けで切り返しで抱え落ちですぞ!」
「アイキャンフライですぞ!」
「静葉お姉さま、抱いてー!」
たちまち、周りに控えていた人々までもが一斉に同調し始めた。
なんだこのノリ。
「……そもそも、なんでみんながみんな弾幕ごっこのことを知ってるのよ」
浮かんだ疑問を、穣子が口にする。
弾幕ごっこは別に秘密の儀式というわけでもないが、カタギの人間なら深くは関わらない類のものではなかったか。
「それはですな。ほれ、そこの」
穣子に応えて、軍鶏衛門はある方向を指差した。
収穫祭の主賓席は、里を南北に貫く大通りにやぐらを組んで作られている。穣子のいる場所からは里全体がよく見渡せた。
しわしわの指がヨボリと指し示す先、そこには通りに面した一軒の茶店があった。
「わしの孫があそこの店で茶娘をしとるんですが」
「うん。知ってる」
「つい先日、店に立ち寄られた博麗の巫女さまから、神遊びやら弾幕ごっこやらの話を聞いたそうでしてな」
「へえ」
「で、孫からそれを聞いたわしが里中に言いふらしたんですわ」
あんたか。
「……まあ、事のいきさつは解ったわ。だけど実際、どうやって弾幕ごっこをするつもりなの?」
「いやなに、心配は御無用。必要とあらば皆の家から弾になりそうな物を持ち寄りましょう。我が家からは、そうですな、芋やら胡瓜やら愛用の座薬やら……」
「神に座薬投げんな」
本当はこいつら、単に弾幕ごっこをしてみたいだけなんじゃないだろうか。
軽く頭を押さえながら、穣子はそんなことを考える。
だが、里の人々が自分や姉のことを慕い、信仰してくれているのは十分に解っていたし、できる限りのことで神様を喜ばせたいというその気持ちは掛け値なしに嬉しいとも思う。
むぅ。
「お姉ちゃーん、どうしようか?」
穣子は再び隣を振り返り、子供と手を打ち合わせて遊んでいる姉に声を掛けた。
呼ばれた静葉は軽く首を傾げたが、弾幕ごっこ云々の話は聞こえていたらしく、すぐに理解の色を顔に浮かべるとにっこり笑って頷いた。
いいんじゃない? ということらしい。
「しずはさまー、だんまくごっこするのー?」
静葉の手を取り、幼い声でそう尋ねたのは赤井修太(6)。
大きくなったら秋姉妹の両方と結婚する、と公言してはばからないエキセントリック少年である。
静葉は修太の手を握り返すと、顔を寄せ、目を細めて頷いた。
「……うーん。ま、お姉ちゃんもやる気だっていうなら……」
やりますかー。
そう宣言して盃を干す穣子の周りで、皆の歓声が一斉に弾けた。
◇
さて。
いくら意気込んでみたところで、弾が撃てなければ弾幕ごっこにならない。
人間であれ妖怪であれ、弾というものを生み出せるようになるのに最低1フェアリーの弾幕力が必要であることは周知の事実だが、多くの妖怪が生まれながらにして1フェアリーをゆうに超える弾幕力を持っているのとは対照的に、標準的な人間のそれはたかだか0.1~0.2フェアリーに過ぎない。
血筋ゆえに、あるいは厳しい修業の果てに、妖怪に匹敵する弾幕力をモノにしている人間もわずかながら存在するわけだが、ちょっと弾幕ごっこを楽しみたいという程度のことであれば、なにもそこまで規格外の力を求める必要もないだろう。
そこで協議の結果、穣子と静葉が里の人々に秋パワーを照射することにより、彼らの弾幕力を一時的に底上げすることにした。
最低レベルの弾幕力を人に与えるくらいのことは、姉妹の神が力を合わせればそう難しくもないのだ。
ちなみに、空を飛べるようになるにはこれまた1ゲンジーの飛翔力が必要なのだが、穣子たちも流石にそこまでは面倒を見きれない。
弾幕ごっことしてはいささか変則的だが、この際人間たちには地上で頑張ってもらうことにする。
「それじゃあ力を送るから、体を楽にして気持ちを静めてね」
かしこまって居並ぶ人々を前に、穣子が言い渡す。
豊穣神と紅葉神は手を取り合って目を閉じ、もう一方の手を厳かに前方へとかざす。
一言。二言。人間には決して聞き取れない神の言霊が、その口から紡がれる。
そして二人は――なんとなく秋っぽい感じに気合いを込めた。
おお――。
人々の間から、とりわけ老人たちから、歓喜と驚嘆の入り混じった声が漏れる。
一番風呂に肩まで浸かったときのような声だった。
「ほぉ~、なにやら気持ちええの~」
「血の巡りがようなった気がするの~」
「きっと今なら空も飛べるはずじゃあ~」
だから飛べないって。
はいそこ、屋根に登らない。
ヘルニアが治りました――根津川キヌ(60)
宝くじに当たり、彼女もできました――瀬良木九朗(27)
結婚三年目にして子宝に恵まれました――佐山真司(31)&深佳(30)
お金持ちの男友達ができました――鳴海郁枝(24)
思いのほか評判の良かった弾幕力の注入が終わり、人々はめいめいに射撃の練習を始めた。
今や彼らの弾幕力は都合1.0~2.0フェアリーに達していたから、ちょっとコツを掴むと弾を出せるようになる者が次々に現れた。
「やったあ! 弾が出たぞー!」
「綺麗ねー」
「これこそ神の御加護じゃよ!」
「まさに信仰のタマものというわけだな」
「まあくだらない! オホホホホ」
「ムヒヒヒ」
皆が皆、生まれて初めての経験に浮かれているようだった。
穣子としても、実のところこのような力を人間に授けるのは初めてだったから、どうやら上手くいったらしいことに胸を撫で下ろしていた。
人に向けちゃ駄目よー、と声を掛けながら、穣子はつたない弾の飛び交う中を歩いてまわる。
見たところ、弾の種類や飛び方にも色々と個性が表れるようだった。
たとえば、農業を営む者は米粒のような弾を撃つことが多いし、大工や鍛冶屋などの職人が撃つものは多くが楔型をしていた。
気性の荒い人間の弾は赤くて陰気な者のそれは青く、落ち着きのない人の弾はばらばらに飛ぶし、思慮深い人物の弾道は狙いすましたように一点に集中する。
なんの因果か、そっくり同じような弾を撃つ少年と少女がおり、周りの友達に囃し立てられたりもしていた。
「やーいやーい、お似合いのカップルー!」
「お前らケッコンしろ! ケッコンー!」
「う、うるせー! こんなブスのことなんとも思ってねーよっ!」
「…………」
「星香! お、お前も黙ってないでなんとか言ってやれよ!」
「………………」
「嬉しそうな顔すんなぁ―――っ!!」
望月透と舞戸星香、ともに十歳。
二人が本当の夫婦になるのは十年後のことである。
ところで。
これだけ大勢の人間がいれば、やはり中には適性のない御仁もいるようで――。
「ふー……、ふぬぅー……!」
「頑張れシャモ爺!」
「爺っちゃん、気合いだ! あと一息だ!」
「ふしゅーっ、ふぬはー……っ!」
ポロッ。
「ああっ、出た! 出たぞ!」
「やったぞシャモ爺! 白くて半透明で、なんか尾を引いた立派な弾……が……?」
「……ガクッ」
「うわーっ!? 爺っちゃーん!」
「衛生兵! 衛生兵ーッ!」
「葬儀屋ー!」
どたばた。
――あん? 弾を出そうと踏ん張ってたら魂が出た?
そんな阿呆な理由で死神の仕事を増やすんじゃないよ。
あたいは忙しいんだ、さあ帰った帰った――。
「……というわけで穣子さま、無念至極ながらわしは辞退させていただきます」
「うん。お大事にね」
見学一名。
それはそれとして、ここに準備は整ったのである。
◇
黄金色の秋風が、姉妹の頬を順に撫でては吹き過ぎてゆく。
穣子と静葉は今、小高い丘に立って里を見下ろしていた。
風に浮きかかる帽子を片手で押さえながら、穣子がぽつり、
「……そろそろ、かな」
弾が出るようになったと言っても、所詮は張り子の付け焼き刃。
弾幕ごっこにおける里の人間たちの力量は、おおむねそこらの毛玉や妖精と同レベルであった。
一対一では勝負は見えているし、そもそも里の全員といちいち真っ当にやり合っていたのでは穣子たちも大変だろうということで、即席のルールによる独自の勝負が提案された。
ルールはこうだ。
人間たちは、里の大通りの各所で二人の神を待ち構える。
穣子と静葉はその通りを南から北へと移動しながら、次々に襲い来る人間と戦う。お互い、一発でも被弾したらその時点で撃墜されたものとする。
そうして、ゴールは姉妹が今いるのとは反対側、里の北の外れにある丘のてっぺん。二人のいずれか一方が辿り着いた時点で神の勝ち、二人とも撃墜されれば人間の勝ちだ。
このルールだと、穣子たちが早々に撃墜されてしまった場合、大部分の参加者がなにもしないうちにゲームが終わってしまうわけだが、信心深い里の人々は「よもやお二人に限ってそんなことはありますまい」と当たり前のように思っていた。まるっきり信じて疑っていなかった。
そうなると穣子たちとしてもその期待に応えないわけにはいかず、今はいささか緊張の面持ちで戦いの始まりを待っているのだった。
眼下の里では、稲穂や紅葉で飾りつけられた大通りのあちこちに人々が散開してゆくのが見える。
やぐらの上から四方八方に檄を飛ばしているのは、どうやら軍鶏衛門のようだった。
――やがて、里の南の入口から穣子たちに向かって手を降る人影。
準備は整ったらしい。
「行こっか。お姉ちゃん」
穣子の言葉に、静葉が頷く。
そして、秋の姉妹神は里へと飛び立った。
◇
「さあ、人間たちのお手並み拝見よ!」
穣子は左に。静葉は右に。
二人はある程度の距離をおいて横に並び、低空飛行で通りに侵入する。
しばらく進むと、さっそく前方に四、五人の集団が見えた。いずれも若い男だった。
彼らはすぐに弾を撃つ様子もなく、こちらへ真っ直ぐ近づいてくる。
さて、どんな弾で応じたものか――穣子は彼我の距離を詰めながら考える。
どんな弾でも当てれば撃墜ということなのだから、この際火力は問題ではない。
むしろ適当に加減をして、当たっても痛くない弾というのがいいだろう。相手にはお年寄りも多いことだし――。
「……って、どこまで近づいてくるつもりなんだろ」
なお一発の弾も撃たずに猪突猛進してくる男衆を、穣子は怪訝な表情で見据える。
接近戦を挑むにしたって、ああも直線的な動きでは的にしてくれと言っているようなものではないか。
「ま、いっか。ええと、痛くない弾、痛くない弾……。椎茸弾なんかがいいかな?」
と、その時。
駆け込んでくる男たちがなにやら異口同音に口走っているのが穣子の耳に届く。
「「「「「穣子さまの一番絞りは俺がもら―――うっ!!」」」」」
甘栗弾(イガイガ)と銀杏弾(完熟)が男たちに炸裂した。
なんだよ一番絞りって。
「「「「「うぎゃああああっ☆☆☆」」」」」
どこか嬉しそうな断末魔とともに倒れ伏す、秘密結社『穣子さまに恋する会』の面々。
その傍らを、何事もなかったかのように秋姉妹が飛び過ぎてゆく。
ちなみに、穣子の秋弾幕を望みどおり最初に受けた男の名は、日乃神十三(23)。
翌年、彼の水田では例年比五倍の米が収穫されたとか。
「わ、我が秋に……一片の悔いなし…………ぐふっ」
♪BGM:稲田姫様に叱られるから
左右の路地から大通りへ、次々と小集団が踊り出てくる。
その一人一人が放つ入魂の弾をくるくると避けつつ、穣子と静葉は応射に転じていた。
「いざっ!」
次なる相手は八丁里銘蔵。
「八丁里豆腐店」のせがれで、ときどき買い物に来る狐のおねーさんにラブラブぞっこんな十五歳。
油揚げの作り方ばっかり真面目に覚えやがる、とは親父の苦言である。
どかーん。
「参りますっ!」
主婦、春野響子(37)。
彼女の作るスイートポテトに、穣子は目がなかった。
この里ではサツマイモに限って毎年必ず最高の上物が採れるのだが、それが穣子の私情入りまくりの御利益のせいであることは誰も知らない。
すこーん。
「静葉お姉さまぁー! 受け止めて私のフォールオブフォーリンラ―――ヴ!!」
糸村玲。
静葉へのいけない恋心に身を焦がし、幼なじみからの再三の求愛を華麗にスルーし続ける十六歳の少女。
今年の冬は鬱になった静葉お姉さまをあの手この手で慰め、あわよくばむふー……。というプランを目下画策中である。
ぴちゅーん。
数人単位でフォーメーションを組み、波状攻撃を仕掛ける――というのが、どうやら人間チームの基本戦術であるらしい。
個々では不足しがちな火力を補い、多種の弾幕を組み合わせることで回避を困難にするという点で、これは理に適った作戦といえる。
また、集団攻撃の合間には、稲穂を手にした老人たちがのっそりと現れて弾をばら撒いてくる。
若輩者と比べてやはり信心深い彼らは、動きが鈍い反面、なかなか巧みな弾幕を展開するのだった。
「静葉さま穣子さま、お覚悟……」
そんなシルバー世代にあって一際鋭い眼光を持つ男、磯生又次郎七十八歳。
物心ついた頃から鉄火場をねぐらにしているという筋金入りの博徒であり、最近は人里での丁半博打にハマっている小鬼と連夜の激闘を繰り広げていた。
そんなアウトローな生業を持つ彼であるが、その信仰と弾幕密度はやはり本物だった。
「うわっ、と」
一見して隙間が見つからず、穣子は咄嗟の判断で弾幕全体を大きく迂回してやりすごす。
その花札弾がちりちりと体をかすめていく様には、一瞬だが肝の冷える思いがした。
返す一撃で又次郎を沈め、当面の敵影が途絶えたところで穣子は小さく息をつく。
「……ふぅ」
いやはや、素人相手もなかなか気が抜けない――と穣子は思う。
一般的な水準と比べてスピードの鈍い彼らの弾幕は、その遅さゆえに弾の未来位置を予測することが難しかった。
また、遅い弾は拡散するのも消えるのも遅いため、調子に乗って前に出ていると思いがけず濃密な弾幕に行く手を阻まれることになるし、ハードやルナと同じ感覚で速く動きすぎると、一度避けたはずの弾に自分から突っ込みそうになったりもする。ハードやルナってなんだろう。
まあ、多少は危ういくらいでないと面白くない――。
穣子は隣をゆく姉と視線を交わし、お互い無傷であることを確かめ合う。
不敵な笑みとともに穣子が親指を立てて見せると、静葉もにこりと笑顔を返してきた。
やがて、主賓席のあるやぐらが見えてきた。ここが里の真ん中だ。
やぐらの上で一人戦いを見守っていた軍鶏衛門に手を振りつつ、姉妹は通りをさらに北へと飛んでゆく。
◇
主賓のいないやぐらの片隅で、うごうご蠢く影三つ。
といっても、常人の目には映らないのだが。
「……スター、どう?」
「ええ、神様は二人とも行っちゃったから大丈夫よ」
「それじゃ、行動開始ね。ほらルナも」
「はいはい……。それにしても、里の人たちってば総出で変なこと始めたわね」
「いいじゃない? おかげでつまみ食いもやりやすいわけだし。あ、この葡萄ジュース美味しいー」
「でもそこに一人お爺さんがいるから、二人とも迷彩は続けててね。あら、このおはぎ絶品」
「ちょっと淋しそうね、あのお爺さん。……ん、この松茸は至高」
もぐもぐ。
◇
快進撃が続いていた。
ほとんどの人間は、姉妹の前方に立ち塞がってひととおり攻撃したあと、穣子なり静葉なりの反撃を受けてあっさり墜ちてゆく。
彼らはあくまで「弾が撃てる」というだけの素人であるし、穣子たちは文字通り制空権を握っていたわけだから、攻防ともに優劣は明らかだった。あえて人間たちに攻撃の先手を譲ってやっているのも、言わば勝負を楽しむための手心である。
ただ、こちらだけが空を飛べるというのも良い事ばかりではない。
人間たちが撃ってくる弾は、当たらなければそのまま空へ飛んでいってすぐ消えるだけだが、穣子や静葉は逆に地上に向かって弾を撃ち下ろす形になる。
そのため、下手をすれば目標を外した攻撃が家屋などに被害を与えかねないわけで、神様としては色々と気を遣ったりもするのだ。
なるべく高度をとって攻撃すれば、外れた弾も地面に当たるだけだから問題はないのだが、あまり高低差があるとお互いに首が疲れることだし、それにその――。
「今さらだけどさ、」
快進撃の小休止。
幻想郷一のドロワーズ職人と謳われる文楽トメ(67)を撃破したところで穣子はふと立ち止まり、姉を振り返った。
「こういう事して遊ぶんだったら、ドロワーズ履いてくればよかったね」
どうして?
静葉が目で問い返す。
「だって、ほら……。飛んでるの私たちだけだし、ロングとはいえスカートだから……ね。お姉ちゃんも今日は普通のぱんつなんでしょ?」
――――……。
妹のその言葉に、なにを思ったのか。
静葉はしばし、微動だにせず虚空を見据える。
それから、首を右に傾げ、左に傾げ――。
あっ。
なにかを思い出したように顔を上げたかと思うと、それっきり押し黙ってしまった。
さすがの穣子も、姉がなにを言いたいのやらさっぱり解らなかった。
「なによ『あっ』って。お姉ちゃんドロワーズ履いてきたの?」
ふるふる。
静葉は黙って首を振る。
「……じゃ、普通のぱんつなのね」
ふるふる。
静葉は黙って首を振る。
「…………」
なにやら不穏な空気が渦を巻き、穣子までもが黙りこむ。
空のどこかで、鴉が鳴いた。
「ちょ、ちょっと失礼……」
まさかね。
そう思いながら穣子はふわりと高度を下げ、開店前の蕎麦屋を訪ねるように、その紅い暖簾をそっとくぐった。
大変だった。
穣子の慟哭が、スカートの内部に響き渡った。
神様、神様。
なにゆえうちの姉は「ハンカチ持った?」とか妹に注意しておきながら、それよりも遥かに重要な布切れを忘れるのでしょうか。
「…………」
静かに蕎麦屋を出た穣子は、頬を染めてうつむく姉の両肩に優しく手を添えた。
「棄権、する?」
ふるふるふる。
その提案に、静葉はなおも明確に首を振る。
「ゴールに近くなるほど、相手は手強くなってきてる気がする。この先は多分、もっと危険になるわ。それでもやるの?」
静葉は強く頷いた。
穏やかに、笑みさえ湛えて穣子を見つめ返すその瞳の奥には、不退転の決意の炎もまた燃えさかっていたのだった。
「……そう」
穣子は短く応えて、静葉の肩から手を下ろした。
普段は穣子のわがままや気まぐれによくよく付き合ってくれる姉だが、いざという時には意外に芯の強いところがある。
穣子の提案は姉の身を案じてのものだったが、今は無理に言ったところで聞くまい。
それに穣子自身、静葉の気持ちは理解できるのだ。
この弾幕ごっこ、楽しんでいるのはお互い様としても、人間たちの心尽くしのもてなしには違いない。
秋という季節が最も芳しく香り、最も麗しく映えるこの日、神冥利に尽きると言ってもいいこの舞台を、おいそれと放棄したくはないのだろう。もとより年がら年中元気でいられるわけでもない秋神の身にしてみれば尚更のことだ。
ならば――よし。
穣子は気合いと共に拳を固め、
「わかった。ここからは私がお姉ちゃんを護るわ」
凛然と、そう宣言する。
「なるべく一緒に飛んで進みましょう。お姉ちゃん、私から離れちゃ駄目よ?」
静葉が頷く。
決意と信頼の眼差しを交わし合い、姉妹は再び北へと始動した。
◇
「ねえルナ。なんだかお爺さんがこっちの方を見てる気がするんだけど……」
「別に、気付かれてるわけじゃないでしょ。私とサニーがいるんだから、音も姿も――」
「……う~ん……でりりうむ~……」
「ってサニー、真っ赤な顔してひっくり返ってる!?」
「な、なんだってー!?」
「あのジュースお酒だったのね……。ああ、お爺さんがこっちに来るわ……」
「……仕方ないわね。ルナ、この場は私が逃げるからあなただけでも時間を稼いで!」
「う、うん解った……ってなによそれ? こら待ちなさいっ!」
「きゃー放せー!」
ばたばた。
◇
「お姉ちゃんの紅葉の花園には何人たりとも立ち入らせないわっ!」
切らなくてもいい啖呵を威勢良く切って、穣子が里を突き進む。
あんまり大声で言わないでー、とばかりに困り顔の静葉が、そのすぐ後ろに続く。
「お二人が来たぞ! 葛井、貴様は後方から回り込め!」
「――だ、駄目ですっ! 動きが取れません!」
「なにっ!?」
「敵の豊穣神の守備が厚くて突破できませ……うわーっ!」
「葛井―――ッ!!」
ぼかーん。
穣子の展開する攻撃は先よりも数段激しく、特に静葉への接近や攻撃を試みる人間に対しては容赦がなかった。
派手に弾を撃ちまくる一方、その機動はあくまで低速と低空を維持し、後方やや下でサポートにあたる姉が不用意に高度を上げようとすればすかさず尻で押し戻す。
雄々しく人間を蹴散らすその様はまさに、お~たむ戦車。
今、護るべきものを持つ穣子に隙はなかった。
「あっはっは! さあさあ人間たちよ、かかって来なさァ―――い!!」
ついでにハイになっていた。
穣子が睨んでいたとおり、どうも北のゴールに近い場所ほど少数精鋭の布陣になっているらしい。
一人倒して進むごとに速く鋭くなる攻撃を踊るようにすり抜けながら、豊穣神は高笑いして弾を撒き散らす。
人間たちもまた、俄然ヒートアップしてきた戦いに望むところといった様子で果敢に撃ちかかってくるのだった。
「あ、お帰りなさいませ姉妹様」
次に現れ、よくわからない挨拶をしてきたのは一色奈々(17)。
洋装のメイド姿に憧れて紅魔館に就職するも三十分で逃げ帰り、今は仮装趣味を活かしてメイド屋台カフェを営む少女である。
「それでは参りますね。ところで可愛いと思いませんか? この新作フリフリエプ――」
「可愛いっ!」
ずがーん。
「がはははは! 行きますぜ、お二方っ!」
次なる相手は倉石栄吉(35)。
青果店の主である彼は、ワーハクタクが通りすがれば「こりゃ慧音先生、うちのガキがいつも世話ンなっとりやす!」、半人半霊の少女が来店した際には「その歳で宮仕えたァ偉いねえ」、御阿礼の九代目を見掛けようものなら「御身お大事に。精をつけておくんなさい」などと言いつつ大量の野菜を無償でばらまき、『儲からない八百屋』の異名と女将の小言を
「長いっ!」
みのみのみのみのみのみのみのドッギャアァ―――ン。
「……」
次。
黙礼して姉妹と相対するのは樫尾詠美――
「もういっちょ撃墜ィー!」
「――ふっ――!」
あら?
穣子は目を丸くする。
鋭い息遣いとともに二十八歳の女猟師はひらりと跳びすさり、穣子の弾が空を切ったのだった。
腕利きのハンターとして野山を駆け巡り、宵闇妖怪に襲われても慌てず騒がず絶品アウトドア料理で餌付けしてしまうほどの猛者である彼女は、流石と言うべきか、飛べないなりにも小癪な回避行動を見せてくれた。
「……へえ。やるじゃない」
穣子が嬉しげな声を漏らす。
里の者たちは弾よけの訓練をしていないから仕方がないのだが、「撃てば当たる」という状況にもいささか飽きがきていたところだったのだ。
「でも、逃げてばかりじゃ勝負にならないわよ!」
「……くっ……!」
詠美は体勢を立て直し反撃に転じる――が、どうにも攻撃のキレが悪い。
へろへろで狙いも甘いそのクナイ弾を、穣子は鼻歌まじりにひらりと避けてしまう。
「気迫が足りないなあー。えーみんってば優しいから、攻撃が鈍っちゃうんでしょ」
「や、私はその……」
「今は神様が相手なんだから、遠慮は要らないわ。私を狩りの獲物だと思って本気でかかってきなさい!」
「…………は」
余裕の笑みで叱咤する穣子に再び頭を下げ、詠美は背中に手を回してなにやらごそごそやり始めた。
なにが出てくるのか、と顔を見合わせる穣子と静葉。
その二人の前で彼女が取り出したのは――弓。
「へっ?」
矢はつがえられていない。
それで一体どうするというのか。
訝る穣子の眼前で、詠美は粛々と弓を引き絞り――。
真紅の光の矢が忽然とそこに現れるのと、穣子のスカートが後ろから思いっ切り引っ張られるのがほぼ同時だった。
「――わひゃあぁっ!?」
がくん、と落ちる高度。
色々と突然のことに思考が追い付かない穣子の頭をかすめ、一条の光が唸りをあげて通り過ぎていった。
紛れもなく、詠美の弓から放たれたものだった。
「ちょっ、なっ、なによそれ!?」
予期せぬ詠美の一撃に墜とされかけたところを、静葉の機転で間一髪かわした――。
遅れてそれを認識した穣子が、ドキドキ跳ねる胸を押さえながら詠美に向きなおる。
――そこに立っていたのは、寡黙で心優しい大和撫子ではなく、血に飢えた狩猟者だった。
「フウゥゥゥ……空飛ぶ焼き芋……仕留める……」
「ひぃっ!?」
濃密な殺気をドロドロに漏らしながら、紅い瞳をぎらつかせる詠美。
明らかに、先程までとは様子が違っていた。
一体なにが起こったのか――?
詠美が今どき鉄砲よりも弓を好んで使っているのには、もちろん理由がある。
秋姉妹のみならず狩猟の神に対しても信仰の篤い彼女は、いたずらに山を騒がせて鉛弾を撒き散らすことをよしとしないのである。
すなわち、樫尾詠美にとっての弓とはただの商売道具ではなく、心身両面の依り処とも言える存在だったのだ。
美学、信念、忠義、信仰――。
そういった人の心の強さは、弾幕に如実に反映される。
詠美が穣子の言に従って弓を手にした瞬間、狩人としての並外れた集中力と信仰心の相乗効果が弾幕力を爆発的に高め、それによって生じた霊的な余波が彼女をトランス状態に陥らせたのだろう。って慧音が言ってた。
「……や、焼き芋って私のことよね。じゃあ、お姉ちゃんは?」
詠美の理性を取り戻させる算段で、穣子は背後の姉を差しつつ質問を試みる。
ちなみにその姉は、さっき引っ張った拍子にずれてしまった妹のスカートを一生懸命直していた。
「ハアァァァ……それは……ただの空飛ぶ落ち葉……」
「ひどっ!? つーか空飛んでるのに落ち葉って――」
「射ァァァ――――――ッ!!」
「きゃひいぃんっ!?」
たとえトランス状態でも、獲物とそうでない物の区別はちゃんとつけるのが樫尾詠美の美徳である。
放たれた第二射はまたも穣子に迫り、帽子飾りの葡萄の実を一粒、二粒、虚空に散らして突き抜けていった。
「ぶ、葡萄がぶっどんだー!?」
まずい。
このままではやられてしまう。
葡萄の位置を直し、形のバランスを整えるために千切り取った一粒をもぐもぐしながら、穣子は考えを巡らせる。
あんな超高速弾をいつまでも避け続ける自信はないし、こんな状態の詠美が一発や二発喰らったところで大人しく「撃墜」されてくれるとも思えない。
あまりやりたくはないが、ここは少々手荒な弾幕で詠美の目を醒ましてやるしかないか――。
なおも息荒く弓を引こうとする詠美に対し、不本意ながらも身構える穣子。
しかしその時、二人の間にすっと割って入る影があった。
静葉である。
「……お姉ちゃん?」
不意に現れた障害物に、詠美の射撃動作がぴくりと止まる。
標的に至る隙間を探るように、殺気をまとって揺れる光の矢。しかし静葉はそれに臆することなく、どこまでも穣子を護るように立ちはだかる。
「ちょ、ちょっと。危ないよお姉ちゃん――」
身を乗り出しかけた穣子を、背を向けたままの静葉は腕をかざして遮った。
張り詰めた空気の中、油断なく詠美と対峙を続ける静葉が、ゆっくりと穣子を振り返る。
――ここは、私が。
狼狽する穣子を静かに見つめ返すその瞳は、そう語っていた。
「……お姉ちゃん一人で戦うっていうの?」
落ち着き払った表情で静葉は頷く。
それが良策である、と。
「う~ん……」
確かに、と穣子も思う。
「獲物」である穣子がこの場を去った方が詠美の興奮も静まりやすいだろうし、狩りの対象として認識されていない静葉に対しては攻撃の手も鈍るかもしれない。
そこらへんの理屈は、まあ理解できる。のだが。
穣子は気遣わしげな顔で腕を組み、
「大丈夫? あの弾……というか矢だけど、当たったら多分、すごく痛いよ?」
穣子の言葉に、静葉は迷いのない目で頷いた。
そして腕をすらりと伸ばし、北を指差す。
示された先にあるのは、ゴールである北の丘。
それからその少し手前に、ぽつんと一人、誰かが立っている。
あれが最後の相手だろう。
あちらは任せた――ということか。
姉の意を汲んで取り、穣子は決心した面持ちで腕組みを解く。
「……わかった。私は先に行くわ。お姉ちゃん、気を付けてね……?」
特に、スカートの動きに。
言外に匂わせたそれを察してくれたかどうかは怪しいが、静葉は柔らかく微笑んで頷いた。
――それじゃあ。
うん――。
姉妹は目だけで示し合わせ、さん、にい、いち、と心の中でタイミングを合わせる。
ゼロ。
寄り添っていた二人の距離が弾けるように広がり、穣子は北へ向かって全速力で離脱を開始。しかし詠美は即座に反応し、一直線に遠ざかろうとする穣子の動きを正確にトレースして狙いを定める。
無防備に晒された獲物の背中に、必中にして必殺の一撃を、
――無数の紅葉のカーテンが、その射界を覆い尽くした。
「……っ……!?」
不発。
矢は放たれることなく、紅葉の吹雪が過ぎ去ったとき、穣子は遥か遠くへと逃げおおせていた。
「……ふしゅー……」
一度ならず、二度までも。
仕留めそこなった原因がソコのソレであることを認識したらしい詠美は、初めて「敵」を見る眼で静葉に向き直った。
狩人の、まさに射るような視線を泰然と受け止めながら、静葉はむしろ慈しむような瞳で詠美を見返す。
舞い飛ぶ落葉。
ぎらつく光の矢。
紅葉の化身と、赤眼の射手が、激突する。
◇
「さあ、お上がり。お嬢さんがた」
「う、うん……」
「……いいの?」
「いいともさ。なにしろ今年は豊作、今日は晴れの日だからの。妖精に食わせる量なぞたかが知れとるし、好きなだけ食べていきなさい」
「わあ、ありがとうお爺ちゃん☆」
「もう、スターったら調子いいんだから。……サニーは大丈夫かしら?」
「だいぶ飲んどったようだからな。しばらくは寝かせておくのが良かろう」
「はいお爺ちゃん、お酌してあげる!」
「あっ……じゃあその、私も……」
「お、ほっほ。こりゃ身に余る幸せだの。しかし、今はあのお二人を差し置いて飲むわけにはいかんでなあ。お嬢さんがたが飲んだらええわ」
「あら残念。どうしようかルナ?」
「まあ、飲み過ぎなければ大丈夫でしょ。……あ、これ本当に美味しい……」
◇
「……あら」
北の丘の麓に辿り着き、そこに佇んでいた少女の姿を認めて、ああこの子か――と穣子は思った。
考えてみれば、この弾幕ごっこが始まってから今まで彼女の顔を見ていなかったし、身体の弱い者や赤子を除いては皆がこの弾幕ごっこに参加しているわけだから、最後の相手は消去法で決まるのだった。
「お待ちしてました。穣子さま」
明るく張りのある声で口上を述べ、少女はぺこりとお辞儀をする。
その、今ひとつ幼いながらも一生懸命な礼儀正しさは、穣子も好感を持って記憶していた。
「あなたは、たしかシャモ爺の」
「はいっ。孫の嫁子です!」
そうそう、嫁ちゃんだ。
神楽山軍鶏衛門の孫で、通りの茶店の看板娘。祭の間も給仕として働いていたのか、店にいるときと同じ朽葉色の着物に純白のエプロンという取り合わせがよく似合っていた。
軍鶏衛門によれば、彼女が博麗の巫女から弾幕ごっこの話を仕入れてきたのが今回の催しの発端ということだが……。
「なるほどね。このお遊びの仕掛け人として、トリを務める栄誉を担ったってわけ?」
「……えっと、はい。本当はその、お爺ちゃんが出たがってたんですけど。私が代わりにって」
「あー。どっちかといえば首謀者はあっちの方か」
とにかく、嫁子はその実力ゆえにこの場にいるわけではないということか。
最後の相手は詠美以上の強者かと身構えていた穣子にとってはいささか拍子抜けだったが、だからといって手加減してやるつもりもない。
やはり最後は華々しく勝利を納めて、神のカリスマというものを見せつけるべきであろう。
「それじゃ嫁ちゃん、始めよっか」
「は、はい。よろしくお願いしますっ!」
足先が地面より僅かに浮く程度のところまで、穣子は高度を落とした。一対一ならこの方がやりやすい。
対する嫁子もまた、緊張した面持ちでエプロンを結びなおす。
日は傾き、空は黄金色から茜色へと染め変えられてゆく。
通りすがりの風が、路傍のススキをさらさらと鳴らす。
秋は夕暮れ。
それはまた、逢魔ヶ刻とも呼ばれる刻。
この幻想郷が、至上の美と寂寥と妖気に満たされる――まさに今がその瞬間だ。
人の信仰と自然の摂理が整えた、最高の舞台。
決戦に臨む二人の口から、約束していたかのように言葉が紡がれる。
「我らが慈悲と威光、とくと知りなさい――愛しき人間よ!」
「私たちの想い、しかとお届けします――親愛なる神よ!」
その台詞が秋空に響き渡るや否や、穣子は即座に弾幕を展開した。
手をかざした穣子の周囲に無数の米粒弾が生まれ、それらが一斉に嫁子へと殺到してゆく。
それは、過日の穣子が博麗の巫女とやり合ったときに放ったものとなんら変わらない、要するに素人相手に初手からぶっ放すようなものでは断じてない、実に神々しくも大人げない攻撃であった。
「いけぇ―――っ!」
夕陽をちらちらと照り返しながら、標的に迫るライスシャワー。
嫁子はというと、あまりの弾数に面食らっているのか、迫り来るそれらを丸い目で凝視するばかりだった。
弾道に一切のブレはなく、嫁子は立ちすくんで微動だにしない。
――獲った!
穣子が、心の拳を天に突き上げる。
その直後には、すべての米粒弾が完膚なきまでに嫁子をピチューンする――はずであった。
「……えっ?」
ほんの一瞬。
ほんの一歩。
嫁子が、傍目にはよろめいたようにしか見えないほど小さく、左に動いた。
完全勝利をもたらしかけていた弾は、たったそれだけで一つ残らず目標から逸れた。
「なっ――!」
嫁子の傍らを、すいすいと素通りしてゆく弾の列。
穣子は唖然としてそれを見送る。
狙いは完璧だった。
すべての弾が、寸分の狂いもなく嫁子のいる場所に狙いを定めていた。
だからこそ嫁子が一歩動いただけで、それらは「嫁子のいた空間」を貫くだけの外れ弾と化した――。
その理屈は解る。
問題は、嫁子自身がその理屈に基づいて今の回避行動をとったのか、ということだが……。
「そ、そんなわけないか……あはは」
いかにも。
巫女でもなければ魔法使いでもない一介の茶娘が、初めて見る弾幕に対してそんな動きをしてのけるはずがない。
弾に対して反応が遅れたことが、幸運な方向に転がっただけの話だ――。
そう結論づけた穣子は、気を取り直して次の攻撃に移る。
「ひゃっ、わっ……」
ほらね。
穣子が軽く放った放射状の甘柿弾から、嫁子はいかにも危なっかしい足取りで逃げ回る。
弾に踊らされているようなあのつたない動きは、明らかに素人のそれだ。
ならば――。
「幸運は二度も続かないわよ!」
これで決まる。
穣子がそう確信して米粒弾の第二波を展開し始めた瞬間――嫁子の足がぴたりと止まった。
推力を得た弾たちは先と同様、動かぬ目標に一様に狙いを定め、列をなして飛んでゆく。
しかし結局のところ、それはのろまな蛇に過ぎなかった。
嫁子が道を譲るように一歩退くと、すべての弾は何を穿つこともなく、戦場の外へと消えてゆく。
――結果は繰り返された。
「ああ、恐かった――」
「……」
一連の弾幕をやり過ごし、どうやら本心から胸を撫で下ろしているらしい嫁子に、穣子はおずおずと声をかける。
「……えっと、嫁ちゃん?」
「はい。穣子さま」
「その、今みたいな弾の避け方って、一体、どこで習ったのかな?」
「えっ?」
目をしばたたかせる嫁子。
質問の意図がまるで伝わっていないようだった。
「いや、だからさ。あんなにわらわらーって弾が出てきたら、普通は慌てて右や左に動き回るでしょ? 普通」
「はー。そうなんですか。普通」
そうして動けば動き回っただけ、目標を外さぬ米粒弾はその行く手を塞ぎ、遂には逃げ場をなくした相手が被弾を余儀なくされる――。
あの弾幕の真骨頂であり、幾多の相手を(初見の一回だけ)葬り去ってきた穣子の切り札だった。
「でも、嫁ちゃんは無駄に動かずに全部の弾を一箇所に集めてたでしょ。あのやり方はどこで覚えたのかなー、って……」
「ああ、それはですね」
ようやく理解の表情を浮かべた嫁子が、エプロンの前掛けをひらりと舞わせて穣子に示す。
「この前、うちの店に博麗の巫女さまがいらしたときに――」
……弾幕ごっこの極意?
まあ、一番の基本は「動かずに様子を見る」ってことかしら。
一見危ないようだけど、それが最も確実な回避に繋がるのよ。
えーっと、よもぎパフェと焙じ茶ね。
「――と仰っていたので」
「……あの紅白の入れ知恵か」
それにしても、弾幕ごっこの極意とは。
どういう流れでそんな話題になったのかは知らないが、嫁子も滅多なことを訊きたがるものだと思う。
「あなた、弾幕ごっこに興味があるの?」
「はい。その、少し前に幻想郷縁起を読んだんですけど、それに弾幕ごっこの事が書いてあって。ちょっと楽しそうだなあって……えへ」
無邪気にはにかむ嫁子。
子供の興味の対象ってのも、時代とともに変わるものねえ――などと、神様らしいというよりは年寄り臭いことを穣子は思った。
「――って、ちょっと待った」
「はい?」
「巫女の助言どおり動かずに様子を見たのはいいとして、その先の避け方は嫁ちゃんが自分で考えたってこと?」
「……えーと、はい。そうですね。言われてみれば」
「ほほほ。言われてみれば、ね……」
意識せずに避けていたというのか。
色々と底の知れない娘だった。
「まあ、いいわ。続きを始めましょう」
「はいっ」
「――さあ、これを避けてみなさいっ!」
ぱきゅんぱきゅん。
避けられた。
「コラ―――ッ!!」
穣子の叫びも耳に入らない様子で、嫁子はひたむきに動く、動く。
その立ち回りはどう見ても被弾寸前の悪あがきにしか見えないというのに、一向に掠りもしないのが恐ろしい。
時折ぶつぶつと何かを口走っているのは、どうやら巫女から聞いた話を復唱しているらしかった。
「これならどうっ!」
足の速い弾が続けざまに飛んでくるような場合、一つ一つの弾を目で追おうとするとかえって混乱するわ。
そういうときはむしろ弾から視点を外して、ぼんやりと、一帯を均等に視界に捉らえるの。
……ちょっと、なんでスプーンが二つもあるのよ。
えっ、こいつ? 連れなんかじゃないって。
そこらのスキマから勝手に涌いて勝手についてきた、ただのお邪魔妖怪よ――。
すいすい。
穣子の全方位高速シメジ弾を嫁子は避ける。
「……くっ、この……!」
いろんな軌道の弾がそこら中を飛び交ってるようなときは、自分の周りに「結界」をイメージするといいわ。
仮想の境界線を引いて、その内側に入ってきた弾だけを見るようにするわけ。関係ない弾には注意力を割くなってことね。
……こら。あんたもちゃっかりスプーン持つんじゃないの。これは私が一人で食べるって……えっ?
いや、あーんじゃなくて――。
ひょいひょい。
穣子の四方八方ランダムナスビ弾を嫁子が避ける。
「幻想郷の芋たちよ! 私に力を貸して!」
いったん前に出て、下がりながら左右に動く。そうすればより細かく――、
……いいから。自分で食べるから。
ふざけてないでそのスプーン貸しなさ――ちょっ、垂れる垂れる、やっ、こら、垂れ……ああもうっ!(あむっ)
ひらりひらり。
……ひらり。
弾の嵐が過ぎ去り、一陣の秋風が戦場をさらう。
穣子は確信した。
神楽山嫁子は、紛うことなき天才だった。
いくら妖怪退治のプロにアドバイスを貰ったといっても、しょせん知識は知識。茶飲み話に聞いただけの戦術を即座に実践できる方がどうかしている。
しかも、先に嫁子が語ったとおり、「どう動けば避けられるか」という実際のところは彼女自身がこの場で考え出したことなのだ。
飛ぶこともできなければ詠美ほどの運動能力もなく、その立ち回りは一見無様。しかしそれは、身のこなしに頼らずとも弾避けができていることの証しでもあった。
闇雲には動かず、相手の攻撃の特性を冷静に見極め、それに対する最適の機動を選択、実行する――これが弾幕ごっこにおける回避の本質だ。
それを、嫁子は、感性のレベルで身に付けてしまっている。
「……たまにいるのよね。こういう冗談みたいな才能の持ち主が……」
ちなみに、その多くが年若い娘だったりする。
それが幻想郷の理なのかもしれない。
とにかく、今この場において嫁子が恐るべき敵手であるのは確かだった。
彼女に出番を譲った軍鶏衛門も、さぞかし溜飲の下がる思いだろう。
「そういえばあなた、攻撃のほうの腕前はどうなの? さっきから撃ってこないけど」
「えっ」
唐突な穣子の問いに、嫁子がぴょこんと背筋を伸ばした。
「……あのー、それは……」
視線を落とし、なにやら逡巡する様子でエプロンに「の」の字を書く嫁子。
しかし、やがて意を決したようにその顔がきりりと上向いた。
一つ深呼吸をして眼を閉じ、嫁子は胸の前の空間に両の掌をそっと添える。
「……む~……!」
どうやら一途に気合いを込めているらしく、眉根を寄せて嫁子は唸る。
いま攻撃したら当たるかなあ、などと思いながら穣子が見守る中、嫁子の手の内にぽつんと光が生まれた。
初め小さな点だったそれは嫁子の呼吸に合わせて次第に膨らんでゆき、ついには西瓜ほどの大きさの球体になった。
詠美の例もあることだし、嫁子のその弾がどのように襲い掛かってくるものやら、穣子は気を張って身構える。
そして、
「――やあっ!」
黄色い掛け声とともに、嫁子の手から淡く輝くそれが放たれたと思ったら消えた。
「…………は?」
間の抜けた声と表情で固まる穣子に、嫁子は恐縮した様子で頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ! 私の弾、ほとんど飛ばないですぐ消えちゃうんです」
「……あー、そうなの。いや、別に謝らなくてもいいんだけど……」
とんだ肩透かしに調子を狂わされながら、穣子は今の一発を思い返す。
大きさは十分、スピードはなかなか、弾道もきれいで真っ直ぐ飛んでいたようだ――が、いかんせん射程が短すぎた。
見たところ、飛距離は一間あるかないかというところだろうか。
あれでは弾幕ごっこというよりチャンバラの間合いである。
「天は二物を与えずってやつかしらねえ」
「お、恐れ入ります……」
そういえばシャモ爺も弾が撃てなかったんだっけ、と穣子は思い出す。
嫁子の比類なき素質のこともひっくるめて、もしかしてそういう家系なのだろうか。
思うに「神楽山」というのも随分と立派な氏であるし、ご先祖に名のある異能者でもいたのかもしれない。避け専門の退魔師とか。
「はてさて――」
穣子はあらためて嫁子の能力を分析する。
飛べない。
リーチがない。
そして、ずば抜けた分析能力に裏打ちされた回避力……。
意を決する。
対抗策は一つ。
穣子は懐から一枚の符を取り出し、高々と掲げた。
「神楽山嫁子! その見事な戦いぶりに敬意を表して、私も本来の力で応えましょう! いざ、神の弾幕を受けてみなさい!」
「は、はいぃっ!」
いや、本当は他に手を思い付かないからなんだけど。
威厳を込めて言い放ちながらも、穣子は内心で冷や汗をかく。
嫁子は嫁子で、おそらくは初めて見るのであろうスペルカードに、気圧されながらもどこか目を輝かせている様子だった。まったくこの子は。
「顕現せよ秋の空。秋符――」
穣子の指とともに天を指したスペルカードが、黄金色の輝きを放つ。
「オータムスカイ!」
穣子から三百六十度全方位へと、大量の米粒弾が射出された。
等間隔に連なる弾が描くその環はみるみるうちに径を拡げ、ある程度の大きさになったところでぴたりと静止。
そして――、
「どうだぁ―――っ!」
規則的に並んでいた米粒弾が、突如として分裂を始めた。
二倍。三倍。数を増し、軌道を変化させ続ける弾の群れは、全体として巨大なリングを形成しながら周囲の空間を獰猛に飲み込んでゆく。
「わ、わっ……」
不規則に交錯しながら迫る弾列をじっと見つめていた嫁子が、にわかに慌てた様子でちょこまかと動き出す。
そう――これが穣子の作戦だった。
このスペル、オータムスカイには決まったパターンというものがない。
全方位に放たれる弾幕ゆえ、弾層の厚いところもなければ薄いところもない。あったとしても、一瞬の後にはその状況が変わる。
よく見て、細かく動いて、避ける。
それだけなのだ、このスペルへの対抗策は。
何らかの規則性を持つ弾幕に対しては無敵の分析力を持つ嫁子も、いちいち精神力を削りながら回避を試みるしかあるまい。
そして、もう一つ。
この環状弾幕、発生源である穣子に近づけば近づくほどにその径は小さくなり、弾の密度は増す。接近しすぎれば被弾は必至だ。
つまり、距離を取らない限り避けることのできないこのスペルは、相手を寄せ付けないという点に関して絶対の信頼性を持っているのである。
オータムスカイを展開し続ける限り、手の短い嫁子に攻撃のチャンスはない。
そして、飛ぶことのできない彼女は回避行動のたびに余計な体力をじりじりと消耗してゆき、いずれは確実に被弾する――。
卑怯? 無粋?
いーえケフィアです。
易しいフリをしていても、最後にゃ理不尽な鬼弾幕で潰しにかかる。それが幻想郷の神クオリティ。
発狂状態の狩人とノーパンで渡り合っている姉を思えば、勝利のため非情にもなろうというものである。
「さあさあ、いつまで避け続けられるかなー?」
「あわわわ」
穣子の作戦は的中したらしい。
疎と密が乱雑に織り重ねられたその弾幕に、嫁子はこれといった対処も思い付かない様子で翻弄されている。
第二波、第三波と攻撃を重ねてもなお回避が続くあたりは非凡というほかないが、やはりか弱い小娘、その足捌きは次第に重苦しいものになってゆく。
「はぁっ……ふぅ……」
息を乱し、上気した顔を苦しげに歪めながら、必死で逃げ回る可憐な少女――。
秋穣子、なんだか新たな趣味に目覚めそうだった。
一方、そんな状況にありながらも紙一重の回避をひーこら続ける嫁子に諦めの様子はなかった。
なんとかしてオータムスカイの弱点を見いだそうとしているのか、その真剣な眼差しはなおも弾道を捉らえて放さない。
「うふふふふふ無駄よ。このスペルに穴なんてないわ!」
穣子は余裕の笑みを嫁子に返しながら、着実に次の攻撃を展開する。
術者を守るように、整然と穣子を取り巻いて現れる弾の壁。その様をじっと凝視する嫁子。ああ駄目よ嫁ちゃん、そんな熱っぽい目で――
きらりーん。
刹那。
その瞳に熱ではなく光を宿したかに見えた嫁子が、穣子に向かって猛然と駆け出した。
「――むっ?」
一気に近付いて攻撃する腹か。
穣子が次の射撃体勢に入る中、嫁子は無謀とも思える勢いで高密度の米粒弾幕に突入した。
朽葉色の着物と純白のエプロンを無数の弾がかすめ、それでも嫁子自身は首の皮一枚で被弾から逃れ続ける。
よく見て、細かく動いて、ただただ避ける。
完全に腹をくくった少女はなおもその勢いを殺さず、前進、前進――、
抜けた。
「――お見事っ!」
心からの驚きと称賛をあらわにする穣子――しかし勝利の確信は揺るがない。
穣子とて相手の接近を阻むことを第一に考えているのだ。すでに次の射撃体勢は整っており、迎撃が間に合わないということは絶対にない。
そして、これ以上間合いが近くなれば弾幕の密度は致命的なレベルに達する。
嫁子が猫か兎にでも化けない限り、物理的に抜けられる隙間が存在しなくなるのだ。回避もへったくれもない。
チェックメイト。
穣子は筋書きを現実のものとすべく、最後の攻撃を、
「秋空に散れぇ――――――っ!!」
「えいっ」
……目の前に嫁子がいた。
「え」
たったいま穣子の展開した環状弾が、二人を空しく取り巻いている。
つまるところ、嫁子は弾幕の内側に入り込んでいた。
「き」
一切の障害物も挟まずに向き合う、神と人。
チャンバラどころか、キスだってできる間合いだった。
「きゃ―――――っ!?」
ありえなーい♪
ありえなーい♪
完全に想定外の事態。
穣子の脳内でミニ厄神が大量発生し、くるくる回りながら混乱の歌を唄う。
交錯の瞬間に起こった事を、すぐには理解できなかった。
確かに放ったオータムスカイ。
気合とともに地を蹴った嫁子。
弾とその標的は予想以上の相対速度で迫り――するりと擦れ違った。
嫁子は見抜いていた。
そして狙っていたのだ。
無軌道ゆえにつけいる隙もないはずのオータムスカイが、秩序という名の式に支配される唯一の瞬間を。
すなわち、射出された弾が分裂を始める前、拡がった環がぴたりと静止するその刹那――。
正気の避け方じゃない。
というか穣子自身、そこに抜けられる隙間があるなんて思ってもみなかった。
「ありえなーい!」
至近の敵に、がら空きの防御。
動転しつつもなんとか距離を取ろうと後退する穣子に、しかし嫁子はじりじりと食らい付いてくる。
慌てて一発また一発と放ったオータムスカイも、先程と寸分変わらぬタイミングでぴょいこらぴょいと抜けられてしまう。
嫁子の手の中に、光が生まれた。
「ヨメェェェッー!」
零距離大型高速単射弾――それが嫁子の攻撃スペック。
もはや射程のハンデは意味を成さず、この距離であのサイズと弾速はかわしようがない。
反撃。やられる前に嫁子を墜とす。選ぶほかない選択肢が穣子の頭をよぎる。でもどんな攻撃で?
穣子の弾は押しなべて速力に欠ける。生半可な攻撃では、たとえこの距離でも嫁子なら避けてしまうだろう。
速射性があって足が速く、しかも数のある弾――。
穣子は手持ちのスペルに猛然と検索をかける。
豊符「オヲトシハーベスター」……弾がのろい。
梨符「ナッシングバレット」……弾数が少なすぎる。
落日「バケットフォール」……いやいやこれは姉のスペル。
肥符「スカイ・ハイ・ホース」……キモい。
起死回生の手は見えず、嫁子のチャージはいよいよ完了に迫る。
……あ、もしかして上に飛んで逃げてれば良かった?
遅すぎる名案に虚脱しながら、穣子は諦め半分の目で嫁子を見る。
鳴呼、なんという勇姿。なんという茶娘。致命的な射程の短さを戦術レベルで補ってしまうとは。
あんなの使えない弾だと高をくくっていた自分が愚かだっ――
「!」
穣子が再起動した。
その瞳に、にわかに戦意が戻る。
使えないからと。
そう。
忘れかけていた――あのスペル。
嫁子の弾が光に満ちる。もはや逡巡する暇はない。穣子はオータムスカイに注いでいた力を遮断、周囲に展開されていた米粒弾が光となって砕けて消える。
嫁子が振りかぶる。穣子は帽子の下に乱暴に手を突っ込み、隠してあった秘密の符を抜き放って、
「飾りじゃ――」
高らかに告げるその名は、
「――ないのよ秋の実りはっ!!」
――果符「テイクアグレイプ」――
穣子の帽子の、飾りの葡萄。
その一粒一粒が宝玉のごとき輝きを放つや否や、一気に爆発した。
反動で、穣子の上体が殴られたように仰け反る。
解き放たれた葡萄の実たちは、風神のクシャミさながらに前方の空間に飛び散り――
ぺちーん。
「あ」
嫁子が止まった。
乾坤一擲の弾撃を今まさに放たんとする、その姿勢で。
呆然と穣子を見つめ返す、嫁子の双眸。
その真ん中、額から鼻筋にかけて、一筋の紅い雫がたらりと伝い落ちる。
もちろん、葡萄の汁だった。
テイクアグレイプ――。
極端に射程が短く、威力もなく、お気に入りのアクセサリをいちいちオシャカにしなければ使えない駄目スペル。
その一発限りの弾幕の、そのまた一発の葡萄弾が、嫁子の額にぴたりと張り付いていたのだった。
すなわち。
「ああ――参りました。やっぱり穣子さまはお強いんですね!」
「……か、勝った……」
――決着!
◇
「さすがは神様です。私たちではとても敵いませんね」
「いやーそれほどでもー。嫁ちゃんもなかなか強かったわよ?」
あっはっは。
勝者の余裕でもって、嫁子の肩を叩く。
ギリギリすぎる勝利の直後には腰が抜けそうになっていた穣子だったが、嫁子の尊敬に満ちた言葉と視線を浴びるうちにすっかり元の調子を取り戻していた。
信じるものがあると、人は強くなれる。
そして、信じてくれる人がいれば、神は強く在れるのだ。
「……えっと……」
潰れた葡萄の実がまだ張り付いたままの額に、嫁子がおずおずと手を伸ばす。
しかし、とっとと捨てればいいのに、その指先は何かに迷うように葡萄に触れようとしない。
もしかして、授かり物かなにかだと思って手を出せずにいるのだろうか。
まったく可愛いものだと、穣子は慈愛の笑みを浮かべて嫁子の頬に手を添えた。
「ごめんねー。顔に当てちゃって」
「あっ……」
小さくとも甘い芳香をいっぱいに漂わせるその一粒を、そっと摘んで取ってやる。
それから穣子は、嫁子の小さな鼻筋を伝う雫にも舌を伸ばし――
「――ひゃんっ!? み、みのりこさま、おたわむれを~」
「ほっほっほ。よいではないかー」
一番搾りの葡萄味。
それから、ちょっぴり汗の味。
◇
気配を感じて振り返ると、静葉がいた。
「――お姉ちゃん! 大丈夫だった?」
静葉は頷き、くるりと一回転してみせる。
その鮮やかに紅いワンピースには、幾つか矢が掠ったと思しき小さな裂け目があったが、どうやら直撃は免れているようだった。
静葉の周りを舞う紅葉がひらりぺたりと張り付くごとに、その裂け目も少しづつ塞がってゆく。
便利な服だ、と思いながら穣子は安堵の溜め息をついた。
「おお、やはり神の力は偉大じゃあ!」
「闘うお姿、お美しゅうございましたわ!」
「嫁子もよくやったぞー!」
里の方からぞろぞろと、これまで秋姉妹が撃墜してきた人々もやってきた。
彼らの惜しみない称賛と万雷の拍手に包まれながら、穣子と静葉は丘の頂上に並び立った。
いい気分。
まったくいい気分。
まるで神様にでもなったようだった。
「楽しかったね、お姉ちゃん!」
繋いだ手をぶんぶん振ってはしゃぐ穣子に、静葉もまた破顔して、
「――――うんっ!」
口数が少ない割に、よく笑う姉だけど。
これがこの秋最高の笑顔かな、と穣子は思ったのだった。
◇
皆と一緒に里へ戻る道中、詠美がいた。
彼女は落ち葉の山に埋まり、てっぺんから首だけ出しているという奇怪な状態にあった。
静葉に尋ねると、トランス状態の治療中なのだという。なるほど。
詠美は半分正気に戻ったような顔で「ウニュ葉様」とか言っていた。
祭の主会場であるやぐらに戻る。
二人を迎えた軍鶏衛門は恐縮した様子で立ち上がろうとしたが、穣子はやんわりとそれを押しとどめた。
彼の傍らに一人、膝の上に二人の妖精が、赤い顔で寝息を立てていたからである。
弾幕談義に花が咲きまくり、収穫祭は異例の二次会に突入。
かがり火が焚かれ、新たな酒樽が封を切られ、陽気な演奏と歌声が里中を満たす。
嫁子は甲斐甲斐しく働き、軍鶏衛門は嫁子の活躍話に感無量、妖精たちは芋一袋とともにいつの間にか姿を消していた。
宴が終わる。
ああ、秋が終わる。
毎年毎年、どんなに盛り上がった祭でも、終わりが近づくとそう思わずにいられない。
愛しい人間たちの喧騒に浸りながら、楽しければ楽しかった分だけ、穣子はなんだか涙が出そうになってくる。
今年は豊作。
これから一年、人間たちが食うに困ることはないだろう。
食って寝て耕して――。
食って寝て種を撒いて――。
そうしてまた来年、新たな実りの季節を迎えるのだ。
ふと、隣から穣子の手に重ねられる手があった。
静葉。秋の終わりを惜しむ気持ちは変わらぬ二人だ。
――また来年、ね。
ん、また来年――。
姉妹はそれぞれに呟き、肩を寄せ合った。
◇
季節は移り、幻想郷の冬。
秋姉妹は例年通り、鬱々とした日々を過ごしていた。
日がな一日、住処どころか炬燵からもろくに出ず、たまに思いつきで下らぬ暇潰しにふけっては空しくなってやめる日々――。
「……はぁっ……」
腰から下を炬燵に突っ込み、蒸し上げられて熱っぽくなった息の塊を吐きながら、穣子はごろりと寝返りをうつ。
炬燵の反対側では、静葉がやはり似たような姿勢で湿っぽい溜息をついており、傍から見るとその様はまるで前後に頭のあるカタツムリのよう。
そんな益体もない光景が、秋姉妹にとっての冬を体現する風物詩だった。
ただ、今年の冬は、いつもと少し違ったところもある。
「……お姉ちゃん、」
穣子の小さな呼びかけに、静葉がもぞりと反応する。
『来年も是非に!』
収穫祭の終わり、人間たちとの別れ際に交わした一つの約束。
そう。来年も収穫祭で弾幕ごっこだ。
今年は辛くも勝利をおさめたが、次も、その次も、神として無様な姿をさらすわけにはいかない。
荒事は苦手だと、言ってばかりもいられない。
だから、これからは時々――、
「弾幕ごっこ……しようか?」
幻想郷の冬。
時折、晴れて暖かい日などに、弾の撃ち合いに興じる秋姉妹が目撃されるようである。
ちなみに、穣子は負けそうになるとテイクアグレイプを使うのが癖になってしまった。
そのせいで静葉はよく葡萄汁まみれになる。
~おしまい~
いや、この発想は無かった。
最初の注意書きで思わず吹きましたが、全く違和感無く気付けば読了。
そして後書きで二度楽しませていただきました。
名前の元ネタは、
糸村玲:ムーンライトレイ
瀬良木九朗:セラギネラ9
鳴海郁枝:エターナルミーク
赤井修太:スカーレットシュート
文楽トメ:乙女文楽
春野響子:春の京人形
八丁里銘蔵:ファイツォーリ冥奏
佐山深佳:御射山御狩神事
佐山真司:御射山御狩神事
一色菜々:七つの石と七つの木
でしょうか。
これ以上は分からず……というか、この言葉遊びのセンスに感服です。
実にいいSSを読ませていただきました。
ということで、東方うpろだ4にこの小説のネタとなったリプを投稿しました。
th3_0016です。興味がおありの方はどうぞ。
静葉姉さんの愛すべき天然っぷりと糸村玲さんの紹介だけでもう満点決定。他のオリキャラも魅力的過ぎて堪りません。この作品に会えた事を私は二柱に感謝します。
人間達との弾幕ごっこもちょっとした緊張感があって、ワクワクしながら読めました。
素晴らしかった!
コメント読んでから初めて弾幕とキャラクターの相関に気がつきました。うう、鈍いですなぁ。
かといってなんかもうこのまま里の住民にしてしまってもおかしくないような連中ばかりですね。あと合間合間の三月精、ご飯食べておしまいなのかな。もうちょっと見たかったような。まぁ閑話ですしそこは贅沢でしょうね。
雰囲気はとてもよくて、お話のテンポも抜群。いや、いい作品を読ませていただきました。
こんな幻想郷が大好きだ
倉石栄吉:GHQクライシス
舞戸星香:マインドシェイカー
望月透:インビジブルフルムーン
日乃神十三:アポロ13
磯生又次郎:グレイ ソーマタージ
葛井:葛井の清水
いや、だってオリキャラ20とかめっちゃ気になるって。
ちなみに名前の元ネタはほとんど気づけなかったです;;
良いテンポでお話が進んでいくので、飽きることなく読み終えることができました。
回想(復唱)で
ちゃっかりあーんとかラブラブな結界組に悶えたのは私だけでいい。
ギャグとシリアスのテンポが非常に心地よかったです。
樫尾詠美:華胥の永眠
根津川キヌだけ分からないorz
そりゃ冬になると暗くなるわなぁ
それでいて結構きちんとバトルしてるんですよねw
ちなみに根津川さんは火鼠の皮衣かと
堪能させていただきました。
こういったオリキャラならもっと読んでみたいです。
・・・本当にこんな感じなんだろな、人里って。
ぱんつ、はいてません
どきゅーん
こうですね。わかります。
秋姉妹がこんなに輝いてるのを久しぶり(はじめて?)見ました。
そして里の連中の弾幕力と妄想力と信仰心は脱帽の一言です。
あとはいてないお姉ちゃんがもっと見たかったです。
ああ、こんな幻想郷なら自分にだって1フェアリーくらい身につくかもとか思いながら、これにて。
あと、前書き通り、きっちり20人なのにも感心しました。
オリキャラがこんなにも溢れ返っており、それぞれが個性溢れるキャラだというのに、違和感を全く感じさせない。
そして、非常に笑える。
とても素敵な内容でした。
そしてこれだけは言わせて欲しい。
詠美はウニョラー化したのかw
だろーかー??
あ、壮絶に面白かったです
> 「「「「「穣子さまの一番絞りは俺がもら―――うっ!!」」」」」
何で幻想郷はこんなんばっかw
この世界の人達は、たとえ妖怪に食われても
次の日には平然と復活してるに違いない。
オリキャラのクオリティすげぇw
そして登場シーンは少ないのにオリキャラ一人一人に味がある。
もう見事としか言いようが無いです。脱帽!
根津川キヌ→ねずかわきぬ→火鼠の皮衣、のつもりです。
「衣」と「きぬ」をかけてます。ちょっと判り辛いかも。
その他の回答もばっちり正解。
しかし、投稿から二十四時間も経たないうちに全問正解されるとは……。
熱心に読んで頂いて嬉しい限りです。ありがとうございました。
元ネタあるのにはコメント読むまで気付きませんでしたがw
てかキス出来る間合いで弾幕交わされる幻想郷の神クオリティ低すぎるww
あと秋姉妹がかわいすぎると思います!!
トッピロキーー!! ですね、わかります。
丁寧に練られた素材の数々に脱帽です。
生き生きとした老若男女の住人たちに混ざって、まるで自分も収穫祭に参加しているような気分に浸れました。
盗み食いに来た三月精を笑って歓待するシャモ爺が最高! 良い里長だなぁ。
きちんと神様している秋姉妹も可愛かったです。
唯一、静葉のアレのネタが消化不良気味だったことだけが引っ掛かりました(『蕎麦屋の紅い暖簾』の例えには笑いましたけど(笑))。
名前に元ネタがあったとは・・・全く気づきませんでしたorz
オリキャラの使い方上手すぎですね。
名前の元ネタは半分も分からなかったけど、設定がしっかりしてるのはいいな。
楽しんで読むことができました。とっても面白かったです。
避け専門の退魔師と、駄目スペルがなぜかツボにww
最高でした。
ひたすら研鑽を積みプロとしての境地に至った……筈なのに暴走状態に突入しちゃったギャグキャラ体質の詠美さんが好きです。なんか妖忌とイメージがかぶります。
> 易しいフリをしていても
優しい、の方が適切なんじゃないでしょうか?
さり気無くゆかれいむ分が…!俺歓喜
ハラハラしてた俺の完敗だッ!
とても心があったかくなりました
こんな幻想郷なら行ってみたいものです
小ネタも弾幕理論もキャラクターたちの掛け合いも、すべてが輝いていて面白かったです。
生き生きとした穣子に、台詞がないながら魅力にあふれる静葉姉様と、オリキャラたち。
ああもう最高だなぁ
こういう風景を見ていると、幻想郷はどこまでも続いて行くんだろうなと思います。
ちょっとこの静葉さまはりりしくてかわいい、な
オリキャラが出るたびにわくわくしている自分がいましたw
秋姉妹が可愛すぎることを再確認。実に仲が良い姉妹でした。
最後、穣子が負けるかも知れないとハラハラしました
俺も弾幕力分けてもらいたいぜー
秋神様達がもっと好きになりました。
その後も全力で走り抜けるような感じで読めて何だかすごく楽しかったです。
…それにしてもオリキャラをこんな風に使うという発想はありませんでしたw
オリキャラの可能性を見せつけられましたw
秋姉妹に最近目覚めた自分にはオリキャラもあいまって
お得感満載でした。
アレダだ嫁だ、かわいいなぁ