「ちょっと、あなたは其処で何をしているの?」
「すみません、厨房へはどう行けば良いのでしょうか……」
「まさか……迷ったの?」
「……どうもその様です」
これは、とある館の新人メイドと、その館の主、そして館の門番を勤める少女のお話です。
「えーっと、名前は十六夜咲夜っていうのね?」
どうやらこの子は館の中で迷ってしまったらしい。
まぁ新人によくある事よね、私も来たばかりの頃はそうだったし。
「はい、この館で勤めさせていただく事になりました」
見たところ人間だけど、何か特殊な力でも持ってるのかな?
じゃなきゃ人間のメイドなんて雇わないだろうし……。
ちょっと意地悪な事を言ってみよう。
「そっか、私は紅 美鈴よ、よろしくね。ちなみに妖怪だから」
普通の人間なら妖怪と聞いて何かリアクションがあるところだけど……。
「はい宜しくお願いします」
特に驚いたり、怖がったりはしてない……結構肝の据わった人間みたい。
「さて、自己紹介も済んだところで質問ね、あなたは何処に行きたかったの?」
私の休憩も長くはない、早く持ち場に着けるよう案内してあげよう。
「厨房に行くよう、先輩の方に言い付けられました」
新人は人手の要る館の清掃か買い物とかの雑務に付けられる事が多いんだけど、
厨房に回されるって事は余程技術があるんだろう。
「貴方は手先が器用なんだね」
「刃物の扱いは得意です」
「へぇ……まぁ案内してあげるから付いて来て」
「はい、有難う御座います」
それ程長くない廊下を歩き目的の場所へと移動する。
「はい、ここが厨房だよ。後はお勤め頑張って」
「態々すみませんでした、有難う御座います」
とても丁寧にお辞儀を返される、私は案内しただけなんだけど。
「うん、それじゃあね」
返事を待たずに厨房を出る、後ろで咲夜さん、と呼ばれていたのが耳に入った。
この館は調理が出来る人が少ないし、彼女は即戦力になるみたい。
辞めずに働いてくれれば嬉しいんだけどな、と思いつつ、私は自分の仕事場に戻るため歩を進める。
途中、ホールの掛け時計を見て時間を確認。
……まずい、休憩時間終わってる。
広いホールに、ばたばたと走る音が木霊した。
厨房に着いた私が命じられた事は材料の下拵えと献立に合う飲み物を用意する事。
先にやるべきは下拵えで、飲み物を選ぶのはそれが終わってからになるらしい。
どうやら先輩方は気を使ってくれたようで、下拵えする材料はそれ程手が掛からない物だった。
しかし私が楽する分、彼女たちの負担は多くなってるのだろう。
ならば手早く、完璧に仕事を済ませてしまえ。
幸い、それが出来る能力が私にはある。
この館の正門に一人の少女が居た。
紅い館の門を守る門番隊、その隊長を務める紅美鈴である。
「………」
門番隊の勤務時間は長く、間に休憩はあるが24時間体制になっている。
主が活動していない昼は当然の事として、夜にも門番隊には休みがない。
夜の王であるこの館の主を敢えて夜に討ち、名を上げようという愚か者の襲撃があるからだ。
では門番隊は暇無く、辛い役職かと言うとそうでもない。
何故なら、先程述べた主を討とうとする愚か者が、今では殆ど存在しないからだ。
「ん~、もうたべられませんよぅ~」
「こぉ…起き……い!」
「ぐぎゃっ!」
「まったく……使えない門番ね」
「うぅ……何があったの……? 敵襲?」
「敵襲じゃないわ、使えない門番に足を振り下ろしただけよ」
「使えない門番って! 私は真面目に仕事してますよ!」
「大口開けて寝ていて、情けない寝言言って、そのうえ顎に涎が垂れてるのにそんな事を言うの?」
「はっ! おおお、お嬢様!?」
「まったく、門番のくせに何堂々とサボってるんだか……そろそろ新しいのを雇い入れるべきかしら」
そう、職務怠慢の門番を叩き起こしたのはこの館と私の主、レミリア・スカーレット様だった。
本来、日光の下には出られないが、どうやら特別製の日傘で日光を遮断しているみたい。
そのせいか、傘がその体とは不釣合いなほど大きくて、なんというか子供が無茶をしているようで可愛らしい。
「うぅ……真面目に働きますのでクビだけは勘弁してください……」
地面に頭を擦り付ける勢いで土下座する私。
何で寝てたんだろう……昨日は夜更かしとかしてないのに…。
「冗談よ、また新しい門番を探すのは骨が折れるし……。それに貴方も弱いって訳じゃないんだから」
「あ、ありがとうございます! 私一生懸命働きますから!」
お嬢様が私を褒めてくれるなんて……!
その信頼に応えるためにも、精一杯の笑顔で返事をしよう。
「そ、そう……まぁしっかり励みなさい」
……おや? お嬢様の顔が上気してるように見える、
お嬢様は少し体が弱いそうだし、大丈夫だと思うけど言ってみよう。
「レミリア様、失礼ですがお顔が赤いですよ? ……日の光もありますし無理はしないで下さい」
「う、煩いわねっ! とにかく貴方はしっかり門を守りなさい!」
はうぁ、怒られた。
どうもそうじゃないみたい……余計なおせっかいだったかなぁ……。
せめてしっかり返事をして安心してもらおう。
「はい! この紅 美鈴、全身全霊を持って職務に当たりたいと思います!」
その言葉に、お嬢様は少し呆れたように、
「……まったく、元気だけはあるんだから」
と、呟いていかれた。
「さて、下拵えも終わってしまったわね……飲み物は食事に合わせて中国茶にするとして、後は何をしようかしら」
所変わって、ここは館の厨房である。
時刻は、先ほど彼女が先輩メイドに指示をされてから5分と経っていない。
こんなにも早く仕事の終了を迎えるのは、彼女に与えられた仕事が少ないわけではなく
彼女の類稀なる能力に起因していた。
仕事が出来る事を証明するためにやったのだが、暇になってしまったのは少々誤算であった。
よって、彼女は手が空いてそうな先輩メイドに指示を仰ぐ事にした。
「あの、指示された食材の下拵えは終わりました、私は何をするべきでしょうか?」
「そうね……厨房にはお仕事がもう無いからこのあたりの清掃を手伝ってあげて」
「でも、12時になるまでには戻ってきて飲み物の用意をしてね?」
「はい、畏まりました」
この館の規模、それに加えて働いているものの殆どが妖精という事もあり、
すぐには指示が出ないだろうと思っていた彼女に、盥回しにされず次の仕事が言い渡された事は少々の驚きと感心を齎した。
然しすぐに気を取り直し、消え入るように厨房から離れていく。
……厨房を物音一つ立てずに去った彼女へ、
働いていた同期のメイドが尊敬の眼差しを向けていたことに、彼女はとうとう気付かなかった。
清掃に向かった先でその手腕を如何なく発揮し、手早く終わらせた後、
彼女は厨房に戻り飲み物の準備をしていた。
本来、茶というものはきちんとした手順で淹れて、それを飲むというのが正しい味わい方である。
しかし、この館での昼食は使用人が食事をする場なので大量に作らなくてはならない。
その場合犠牲になるのは料理の質となり、
作られる料理は万人受けするもの、大量に作るのに手間が掛からないもの、もしくは自分好みに味付けできるものが多く並ぶ事になる。
たまに仲の良い使用人らが自分達用に特別なものを一品作るなどの例外はあるが、大抵は大皿に盛られた料理を食すことになる。
これは飲料も同じで、万人受けする葉を使い大量に作り、それを保温が利くポッドに小分けして各卓に置く。
飲みたい時はポッドを取り、自分で注ぐ、という形式になっている。
しかし、彼女はこれに納得がいかず、自分に出来る限りの完璧を求め、それを実現させようとした。
『いっただきまーす!』
大勢の声が唱和する、この館の食堂、その中でも端の方で美鈴は食事をしていた。
理由は単純、厨房が近いからである。
通常、体を使う門番業は大量に食べるということでエネルギーを賄っている。
なので門番隊には味が大雑把で構わないと言う者が多い。
だから普通はこの位置に座らず、中央辺りの大皿がより多く射程圏内に入る方に座るのだが……。
美鈴は、門番隊の中では美食家であった。
量よりも質を優先する彼女がここに位置取るのは必然と言えよう。
如何に大皿に装った料理とは言え、この人数、そのうえ大量に飯を食べる者も居る、
よって大皿には声をかければ料理の補充がされるのだ。
ここで厨房に近いという立地が活きてくる。
もうお分かりだろうが、厨房に近いと言う事はそれだけ暖かい料理が口に入ると言う事だ。
「ん~、今日も美味しい~」
「幸せそうな顔ねぇ……こんな顔を見たら作った側は料理の苦労なんて吹き飛ぶのかしら?」
ん~、どうだろう……? 私も仕事の成果が出たら嬉しいしそうかな?
「いや~、こんな美味しい料理を作れるなんて素晴らしいですよ!
私の笑顔くらいで料理がまた作れるのなら私はいくらでも料理を食べますね!」
ちょっと考えて、私は思いついた言葉をそのまま口に出す。
私は料理がそこまで上手くないし、美味しい料理が作れる人は尊敬してるから。
「……そう、作った傍から食べていくんじゃ意味が無いと思うけど。
それと敬語を使わない使用人は食事抜きにした方がいいかしら?」
でも、私の考えには矛盾があったみたいで……って!
「はわわ!? お、お嬢様? これは大変な失礼を致しました!」
慌てて頭を下げる、慌てすぎて頭が卓と衝突してしまい卓上の料理が落ちそうに…。
……ふぅ、よかった落ちなかった。
「ふぅん、謝る事には謝るけど料理か雇用主かだと貴方の天秤は料理に傾くのね」
「うぅ……すみません」
「冗談よ、顔を上げなさい」
「はい……申し訳ありませんでした」
冗談って言ってくれたけどこれ以上の失礼は重ねないようにしなきゃ……。
「だからもう良いってば。それよりお喋りで喉が渇いちゃったわ、紅茶を頂戴」
「はい、じゃあお願いしますね」
お茶のポッドは近くにあるけど、これは使用人向けの味付けだからお嬢様には味が足りない、それに今日のは中国茶。
だから近くのメイドさんにお願いしてお嬢様用に紅茶を用意してもらわないと。
「すいません、お嬢様用に紅茶を用意していただけませんか?」
「……お嬢様用に? すみません、お嬢様用とはどういう意味なのでしょうか?」
あらら、どうやら新人さんを捕まえちゃったみたい……って、
「十六夜さん? そっか、あなたはまだ新人だものね」
「美鈴? その子と面識があるの?」
「はい、今日休憩時間に知り合いまして、人間ですけど良い子ですよ……有能そうですし」
「有難う御座います、それでお嬢様とは其方のお方でしょうか?」
普通はレミリア様を見ても、お嬢様とは思わないと思うのだけど。
……もしかしてさっきのを見られてたのかな?
「そう、私がこの館の主であるレミリア・スカーレットよ。早く覚えなさい? 新人さん」
「えっと、お嬢様は吸血鬼なので普通の料理は味があんまり感じ取れないんですね」
「はい、だから新しく『お嬢様用』として淹れるんですね?」
「そうそう、お嬢様用には動物とかの血を入れるの」
「分かりました、それは人間の血でも宜しいのですか?」
「それが一番良いのだけれども、中々手に入らないのよねぇ……」
肩を竦め、お嬢様は溜息を吐く。
確か、此処に着てからは人間の血なんて稀にしか吸っていない。
動物の血では、やはり満足できないのだろう。
「まぁまぁ、ここに住む条件はそれを抑えてることなんですから。あのスキマにどやされますよ?」
「解ってるけど……たまには飲みたいわ」
「なら私の血をお召しになりますか?」
……暫く会話に間が空く、今この人はなんと言った?
「……良いの?」
「お嬢様が宜しいのならば」
「そう、じゃあ頼もうかしら」
「畏まりました」
そういって紅茶のカップを用意しナイフを指先に当てる咲夜さん、
綺麗な赤い雫がカップの中に吸い込まれていきます。
……いけない、見とれてないで止めないと。
「十六夜さん、あまり多く入れない方がお嬢様好みの味になると思うわ」
「……そうなのですか?」
「うんうん、よく分かってるわね美鈴」
目を細め微笑む姿は、猫の喉をくすぐった時の顔に似ていて愛らしく、とてもじゃないが500年近く生きているようには思えない。
「長年勤めてますから」
そういって少し胸を張る、後輩の前ではいいとこ見せたいですからね。
「お待たせいたしました」
「ありがとう、じゃ、頂くわ」
「どうぞお召し上がり下さい」
料理を口に運びながら二人の様子を窺い見る。
うん、手付きも慣れたものだったし、紅茶は淹れた事があるんだろう。
惜しむらくは、この紅茶が新しくお湯を用意して淹れたものではなく、食堂に置いてあるポッドから注いだものという事かな?
私もお嬢様と同じで少し喉が渇いた、少しお茶を飲むとしよう。
「……これは今淹れた訳じゃないのよね?」
「はい。ですが今日の茶を担当したのは私ですので、至らぬ所があれば申し付け下さい」
「……いえ、不満はないわ……ただ……」
注いだお茶を口に運ぶ、さてさてどんな味がするのかな?
「おいしーい!」
うわぁ、二人にジト目で見られてる……。
「……うちの門番が叫ぶくらいに美味しいって事、どうやってこれを淹れたの?」
あうぅ、恥ずかしい……それにしても何でこんなに美味しいのだろう?
「これってこの葉に合った熱さと殆ど同じ熱さですよね? 味が出過ぎてもいないし、
さっきまで放置されてあったポッドから用意した紅茶とは思えないです」
どんなマジックを使ったとしても、急にお湯を沸かすなんて事は出来ない。
本物の魔法使いでも、火を起こしたり何かしてじっくり温めるはずだ。
「そういう事、新しく用意した訳でもないのに、何故こんなにも熱いのかしら?」
もしかして温度を操る程度の能力なのかな? そうだとしたら咲夜さんが厨房に配属されたのも頷ける。
「貴女は人間のようだけど、何か魔法でも使えるの?」
「いえ、私の能力は時間を操る事ですので」
「……」
それを聞いた私は暫く何もいえなかった。
当たり前だろう、『時を操作する』等と言う事は通常、神ですら起こせない奇跡を超えた現象だ。
勿論、強大な力を持つお嬢様でもそんな事は出来ないだろうし……。
「そ、それって凄くない!? そんな能力を持ってたの!?」
「……貴方、本当に人間……?」
私は感嘆を、お嬢様は猜疑心を顕にし彼女に尋ねる。
「はい。尤も、この能力のおかげで随分と疎まれる事になりましたが……」
「ふぅん……苦労してるのね」
「私如きの苦労など、お嬢様には及びません」
「とても美味しい紅茶だったわ、また淹れてね」
「はい、次の機会を心よりお待ちしております」
それだけ言って、お嬢様は厨房を去って行った。
こんな時間まで起きてたからお休みになられるんだろうなぁ……ちょっとだけ羨ましい。
「美鈴様……お口に合いませんでしたか?」
顔をそちらに向けるとあまりにも近い咲夜さんの顔が!
どれくらい近いかというと互いの息がかかりそうなくらいの近さ
「うひゃぁ!」
「も、申し訳ありません!」
私のオーバーなリアクションにつられて咲夜さんも焦ったような声を出す。
「あ、変な声出してごめんね、ちょっとびっくりしただけだから」
「はい、此方こそすみません」
落ち着いて落ち着いて、咲夜さんは何を聞いてたんだっけな……?
……そうだ、お茶の味を聞いてたんだ。
「それでお茶の味だよね? うん、とっても美味しかったよ」
「そうですか……良かった、有難う御座います」
そういって恥じらいがちな笑みを返してくる彼女、うん、とっても可愛い。
……私はそんな趣味の人じゃないと思ったんだけどなぁ。
料理は片付けが終わるまでがその範疇、という言葉がある。
全くもってその通りであり、この館のメイドもそれを忠実に守っている。
それは、新人である彼女も勿論例外ではない。
「仕込みが少なめだったのはこういう事なのね……」
現在、彼女は厨房と食器類や食材をしまう簡易倉庫への往復を繰り返している。
使わなかった食材や、洗い終わった食器、更には次の夕食の材料などを運んでいるのだ。
「確かにこれは先輩方には無理ね……」
この館が雇っているメイドは殆どが妖精であり、皆重労働には不向きな身体だ。
だからこそ人間である彼女は運搬を一手に引き受けているのだが。
「流石にこんな量を一気には運べないか……」
目の前には大きな登山バックと幾つもの紙袋。
その中には今夜使う小麦粉など、袋詰めされた大量の食材が入ってる。
こうも重いと完璧を目指す彼女も気持ちが萎えてくるだろう。
彼女は異能者ではあるが、根は人間であり妖怪ではない。
つまり、弱音の一つも吐きたくなるのだ。
しかし、
「こんな事で弱音を言ってるようじゃ、この館のメイドは務まらないのよ!」
重さにも負けず、毛足の長い絨毯に足を取られる事も無く彼女は歩いていく。
端的に言えば、彼女は負けず嫌いであった。
「咲夜さーん、今度はこっちの大皿をしまって来てくれない?」
「あ~食器倉庫行くのならティーセットも! 昨日と今日で割っちゃった子が結構居たの。
十一セットだったかな?お願いします」
「私も頼もうと思ってたのに……ティーセット運び終わった後でいいからゴミ捨てにも行ってくれないかしら?
生ゴミが多めに出ちゃって、ゴミ箱がそろそろパンクしちゃいそう……」
「はい……只今向かいます」
壁に寄りかかって休憩している人影が一つ、運搬係もとい厨房に携わるメイド、十六夜咲夜だ。
「これは、荷物運びを軽く見てたわ……さっきの宣言は撤回しなきゃ……」
倉庫へ食器をしまいに行き、ティーセットを見つけ運ぼうとしたら持ち上がらず、
仕方なく休憩を取っているのである。
「そろそろ運ばないと他の人の仕事に影響が出るわね……」
すっくと立ち上がり、自分に気合を入れ直す。
少々足元が覚束ないが、与えられた仕事をしっかりこなそうとする彼女。
新人に必要なのは仕事に対し積極的且つ前向きに当たることなのだ。
どこかの門番隊隊長のように、仕事をサボって昼寝など彼女に出来る筈も無い。
だが現実は非常である、体は言う事を聞かず、先ほどから休め! と脳に要求するばかりであった。
「……仕方無い、私の力の使い時かしら……」
彼女は時間を操る程度の能力を持っている、これを応用すれば空間も弄る事が出来るのだ。
ただ強大な力には常にリスクが付き纏う、彼女も例に違わずその事で葛藤していた。
「あんまり使うと肌が荒れて大変なのよねぇ……」
……女性の肌に関する悩みは尽きない、
それは時に自分の仕事と釣り合う程の重さを持っているのだ。
この館で一番豪勢な食事が出るのは朝方で、一番賑やかなのは昼食だ。
では豪勢でも賑やかでもない筈の夕食は軽んじられているのだろうか?
答えは否、それは本来この館の主が活動を始める前に摂る食事が夕食に当たるからである。
更にこの夕食はこの館の使用人の意向で、使用人(仕事のある門番隊、厨房勤務の者を除く)全員が揃っている。
よって豪勢でも、賑やかでもないが、荘厳な雰囲気を醸し出すのである。
……たまに昼に起き出し、卓の端辺りで紅茶を飲むという事もしているが、
それに対しては『アレは夜食みたいな物よ、貴方も摂る事はあるでしょう?』との事だ。
この館の主人は、何処までも奔放である。
「さ~て、今日の晩御飯は何かな~? 早く調理終わらないかな~」
卓の端、いつもの位置で食事を待つ、今日の晩御飯は何かな? お肉は食べれるかな?
変な人が門破り何てかけてくるから、余計な運動をしてしまったのだ。
だから、言葉としてもう出てるけど、今はお腹が減って仕方が無い。
「随分とご機嫌ねぇ、良い事でもあったの?」
お嬢様がやってきて態々声をかけてくれた、これはしっかり報告しなくては!
「いや~久しぶりの挑戦者がいらっしゃいましてね」
「何も報告が無いって事は撃退できたのね?」
「はい! ちょっと手強かったですけど…ちゃんと私も役に立ってるんですよ!」
「はいはい、これからも頑張ってね……頼りにしてるから」
頼りにしてる、なんて素晴らしい響きだろう……。
以前この言葉をかけていただいたのはいつだったっけな?
すぐに思い出せないのがちょっと悲しい。
「うぅ……! この紅 美鈴、全力を持って仕えさせていただきます!」
「こちらからも宜しく頼むわよ、美鈴」
お嬢様の台詞が終わったところで、クラシックの音楽が流れ始める。
これは席に付いてない使用人に夕食を知らせる合図だ。
もうしばらくすれば、待ちに待った夕食が始まるだろう。
『お待たせしました、只今から料理を配膳していきますので自席でお待ち下さい』
流れるのは魔法で音量を増幅された誰かの声、声が大きくなって聞こえやすいけど
平坦になって、誰の声か分からなくなるのがこの魔法の欠点かな?
魔法に詳しくも無いのにこんな事を言っていたら、もう一人のお嬢様にジト目で睨まれてしまうけども。
「今日は珍しく和食ね」
確かに珍しい。
この館は洋館なのでどちらかと言うと洋食や大陸系の食事が多いのだ。
「お昼は中華でしたから、こってりの後にはさっぱりしたものをっていう事じゃないですかね?」
お嬢様には朝食、私たちには夕食となるものだし、軽くも重くも出来る和食はぴったりだ。
「……うちのコックには悪いけど、あの子達の出す和食ってそれほど美味しくないのよ」
「……確かに、慣れてる人が居ないからでしょうけど」
お嬢様の言うとおり、味を指摘されると『美味しくは無い』と感じてしまう。
けれども、厨房に関わってる人達が美味しくしようと頑張っているのだから、
私達はそれに答えるべきだと思う。
……主に多く食べるという事で。
「でも美味しそうな香りはするし、期待してみましょう」
「はい、それじゃあ!」
『いただきます』
大勢の合唱、けれどもうるさいとは感じさせずに感謝をしっかりと伝える挨拶。
作ってる人達はきっと、この言葉とこの食事の終わりの言葉を聞いた時
言いようの無い充実感と満足感で心が満たされるはずだろう。
……だって私もそうだったし。
「いやー美味しかった」
そういってお腹を叩く美鈴、ちょっとどころかかなり行儀が悪い。
それを見て、館の主は眉を顰める。
そんな抜けた姿を見たら、誰だって皮肉の一つや二つを言いたくなるだろう。
「よくもまあ、あんなに入るわね……しかも全く太らないし……貴方の体はどうなってるのかしら」
主の疑問も尤もな事で、美鈴は門番隊の名に恥じぬ大飯食らいである。
しかしその割には太らず、女性として付いて欲しいところに肉が付くという羨ましすぎる体質をしている。
本人は全く嬉しく無い様だが。
「あ、あはは……しっかり働いてるからですよ、それに胸なんてあっても邪魔なだけですし」
「その割には今日、昼寝なんてしてたわよね? というか後の言葉は私に対する当てつけかしら?」
「そんな! とんでもございません! ……お願いですから減給だけは勘弁してください」
オーバーなリアクションで謝罪をする美鈴、もはや門番隊隊長としてのプライドなど塵も等しい。
「減給なんてしないわよ、給料という概念を取っ払うだけだから」
「そんな殺生な!」
「冗談よ冗談。まったく……貴女は言葉に気を付けた方が良いわね、
体型で悩んでる子だって結構居るんだから、後ろから刺されても知らないわよ」
「はい、すいません……」
「ふぅ、少し喉が渇いたわね、喋り過ぎたかしら」
「ならお頼みしましょう、今日は和食にあわせて緑茶ですがお嬢様は紅茶ですよね?」
「えぇお願い……そうだ美鈴、どうせならあの子に淹れてもらって」
「あの子と言いますと?」
「昼に、貴方を唸らせる程の紅茶を淹れた子よ」
時間を少し遡る、所変わってこちらは厨房、今この館で最も熱い場所である。
何人もの妖精メイド、一人の人間メイドが忙しなく働いている。
「卵焼き無くなったわよ、追加急いで!」
「釜飯炊きあがりました! 何番テーブルですか?」
「ちょっと、煮物はしっかりかき混ぜて頂戴、具材を崩さない力加減で」
「……先輩……手に力が入りません……」
「情けないわね……なら食堂行って補充の要る料理をリストアップしてきて!」
「釜飯の追加来てたでしょう? 種類は何!?」
「山菜7、筍4、浅蜊2、茸8ですね。推測ですが茸が足りない様に思われます」
「そんなに!? あぁもうどれだけ食べるのよ! ……食材のストック出して!」
「ストックなら倉庫ですけど……」
「要補充料理、リストアップしてきました! 今の消費ペースだと漬物が追いつきません!」
「追いつかないって、ここには漬けてある大根や胡瓜がもう無いのに?」
「……そろそろ冷倉庫から引っ張ってこないと間に合いませんね」
「咲夜さん、お願いできる? これがリストなんだけど」
「了解しました……随分と多いですね、余りませんか?」
「余ったら門番隊の方々に差し入れするか、賄いに使うかどちらかね」
「分かりました、直ぐお持ちします」
どうやら一人だけの人間メイドは、主に力仕事に活躍しているようだ。
勿論、自分の仕事である飲料の供給も怠らない。
完璧瀟洒なメイドの姿が、其処にはあった。
「リストの品、これで宜しいですか?」
「えっと……うん、完璧ね。ありがとう」
「咲夜さん手が開いたの? できれば漬物の盛り付けに回って欲しいのだけど…」
「構いませんが、緑茶も淹れなくてはならないので大皿で2枚程度が限度かと…」
「それでいいわ、お願い」
「では、流しを一つお借りします」
そう言って流しの前に立ち、野菜を丁寧かつ素早くで盛り付けていく彼女。
その技巧は見た者を圧倒し、一瞬だが作業を遅らせるほどの腕前だったとか。
「茄子の漬物、大皿二枚分上がりました」
「はい、ありがとう! じゃそこの子これ持ってって~」
「分かりました。うんしょ……じゃあ行って来ますね」
小柄な妖精の中でも一際小柄な者が大皿二枚を運んでいく、
その光景を見送りながらも、彼女は次の作業へと意識が向いていた。
補充に充てる緑茶を淹れようとした正にその時、
「咲夜さん、お嬢様が貴方の淹れた紅茶をご所望よ」
かけられた一言で彼女の行おうとした行動にストップが掛かる。
「…お嬢様が? 私に?」
「何でも『貴方の仕事に対する姿勢は気に入ったから、次は味を見てみたい』だそうよ」
「そうですか……分かりました。今向かいます」
「早めに行ってあげてね、あれで結構癇癪持ちだから」
「そのような言葉は控えた方が宜しいのでは?」
「なら聞かなかった事にして欲しいわね」
「ええ、そうします」
「今お願いしましたから、もう少しすれば咲夜さんが来ると思いますよ」
「そう、ありがとう美鈴」
お礼を言われちゃった、私は大した事もしてないんだけれども。
「どういたしまして、それにしても何で彼女に頼もうと思ったんですか?」
率直に、浮かんだ疑問をぶつけてみる。
正直な話、咲夜さんが淹れてくれた紅茶は美味しかったけど、
それよりも上の技量を持つ人はこの館にはそれなりにいると思う。
なのになぜ、彼女に淹れて欲しいのか私にはちょっと分からなかった。
「そりゃ美鈴、紅茶は淹れたてのほうが美味しいからよ」
「それはそうですけど…でも咲夜さんより淹れるのが上手い方は居るじゃないですか」
「はぁ…美鈴、何を以って彼女の淹れた物が他の物より劣っていると?」
お嬢様の問いを受け、少しの間考える、
やがて導き出されたのは、自己診断だが、すごく自分らしい答えだった。
「う~ん、今日のお昼に飲んだのよりは古参の方々の淹れた紅茶の方が美味しかったからかな?」
やっぱり食物の価値は味で決まると思うしなぁ……。
健康とかもあるだろうけど、そういうのは気にしない人たちばかりだし。この館の住人は。
「美鈴らしい答えだけど……その考えが正しいかどうか、味わって試してみる事ね」
「お嬢様とのお茶会なんて何年ぶりでしょうかね……」
「少なくとも、300年は経ってるでしょうね」
「そんなにかぁ……あ、来たみたいですよ」
厨房の方から咲夜さんがこちらに向かって来ている。
もちろん、その場で淹れるための道具が乗ったカートを押しながら。
「さって! どんな紅茶が飲めるかな~」
「そうね、お手並み拝見と行きましょう」
「淹れる前に二つ確認を宜しいでしょうか」
「一つは、茶葉の指定はありますか? こちらの判断でダージリンをお持ちしましたが……」
「どうしたの? 紅茶なら大体飲めるから心配しなくて良いわよ」
「もう一つ、血はお入れになりますか?」
「…紅茶の味を楽しみたいし、入れなくて良いわ」
「では、淹れさせて頂きます」
カートを止め、私は手早く用意をしていく。
「頑張って下さいね、咲夜さん」
「とびきり美味しいのを期待しましょう」
茶葉を量る、ミリグラム単位で僅かな妥協すら認めない。
湯を沸かせ、温度を調整しティーポッドに湯を注ぎ込む。
蓋を閉じる、茶葉を蒸らし最大限に味を引き出していく。
使う葉はダージリン、その為に水道ではなく、備え付きの井戸から硬度の低い水を汲んで来た。
何か好みがあるのかと心配したが、嬉しい事に杞憂で済んだ。
……もしもの事が有っても、違うと確定した瞬間に時を止め、違う茶葉と水を用意するだけ。
「咲夜さんは時計を使わないんですか?」
「そうね、貴女は時計を持ってないの?」
「時計は持ち歩いていないのですが、時の事なら問題ありません、そういう能力ですから」
「ほぇ~、便利ですねぇ。羨ましいです」
「そうね、何処かの誰かさんは体内時計がしっかり働いてないようだし」
「うぅ……」
「時計を持ってなくても不便ではないのね、羨ましいわ」
「そうでしょうか? お嬢様に時計など不要に見受けられますが」
「これでも起床と睡眠を決まった時間にしようと心がけてるの」
「それは申し訳ありません、出過ぎた事を申しました」
「良いのよ、ただ気紛れでやっているだけだから」
「そうそう、お嬢様は気紛れで行動するから後始末が大変なのよ。この前もね……」
「美鈴、勇敢と蛮勇は違うのよ。今貴女がしてるのは蛮勇の方ね」
「あ、はは……は……すいません出来れば恩赦を下さい」
「良いわ、美鈴」
「ありがとうございます!」
「スペカ一枚で許してあげるわ」
「死んじゃいますから! 私みたいなのが喰らったら死んじゃいますから!」
「あら、初めて会った時、肉弾のみとはいえ私を追い詰めた妖怪が言う台詞ではないわね」
「……何故お嬢様は生活リズムを一定にしようと思ったのですか?」
「(有難う御座います咲夜さん!)」
「(中々良いフォローね、話してた事を聞かれたら無視できないじゃない……)
……この館に住んでる者は皆、起床時間が一定じゃないからね。せめて私だけでもって理由だったかしら」
「そうですか、でもお嬢様が一定の生活をなさる様になれば使用人も少しは楽になるでしょうね」
「それはなぜですか? 咲夜さん」
「それはどうして? 聞かせて咲夜」
「単純な事なのですが、この館の使用人が一堂に会するのがお嬢様の朝食です。
それが決まった時間になれば料理の仕込みや配膳も決まった時間になりますね?」
「うんうん、なりますねー」
「そうね、なるわね」
「そうすればお嬢様の起き出す時間に合わせる為に急いで料理を仕上げたり、
お嬢様を待つ間に料理が冷めるというのを防ぐ事になります」
「なるほどー、確かに楽になりそうですね。」
「咲夜は、皮肉も上手なのね……」
「い、いえ今日は特に忙しくてその理由を考えてたらお嬢様の起床時間のバラつきが思い当たって
それでもし一定になれば私達がこんな急いで支度する必要も無いなーとか思ってたわけじゃないです」
「咲夜さん……フォローが不可能です……」
「そうね……メイドには負担を掛けてたのね……そうよね……うん……」
「さ、差し出がましい事を…」
「良いのよいいのよかまわないわよー……、悪いのは我侭な私だからねー……」
……荘厳な食堂の一角で、机に頬をぺったりと付け拗ねる館の主が見れたとか見れなかったとか。
「……いけない、お喋りが過ぎたかしら」
「そうですね。咲夜さん、紅茶は出過ぎてませんか?」
「心配ありません、細工は流々です」
「そう、随分と頼もしいわね」
「食には自信がありますから」
「では、いただきましょう」
「お注ぎ致します」
暫し会話が止まり、辺りに液体の流れる音と、香しい紅茶の香りが広がった。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
「いただくわ」
「いただきまーす!」
「……ちょっと美鈴、行儀悪いわよ」
……暫くして
「ごちそうさまでした~」
「ご馳走様」
「如何でしたでしょうか? 至らぬ所は改善しておきますので…」
「非の打ち所のない味だったと思いますよ」
「そうね、とても美味しいわ、普通の紅茶をこんなに味わったのは久しぶりね」
「そうですか……有難う御座います」
「こんなにも美味しい紅茶、少し静かに味わいたいわ」
「食堂は騒がしいですからね、今度はテラスでしませんか?」
「……では、名残惜しいんですが勤務時間なので」
「そう、お勤め頑張ってね。頼れる門番さん」
「行ってらっしゃいませ、美鈴様」
「……咲夜さん、様付けはちょっとやめて欲しいかな……背中の辺りがこう……」
「そうですか……では如何しましょう」
「美鈴はそういうのに慣れてないからねぇ、美鈴さんとでも呼んであげたら?」
「そう致します。では、改めて……美鈴さん、行ってらっしゃいませ」
「ありがとうございます、では夜間警備に移りますね。」
そういうと大きく息を吸い込み、食堂に全体に通る澄んだ声で号令を飛ばした。
「門番隊! 食事はとった? 点呼するから正門前に集合! 五分以内には全員揃うようにお互い声をかけなさい!」
途端、慌しく食器を片付けに行く影が多数、どうやら全て門番隊のようだ。
主の手前、以前のように見っとも無い姿を晒すのは許されない。
背を伸ばし、胸を張り、見る者を見惚れさす後姿で門番は食堂を立ち去る。
それは、いつもの様なだらしの無い妖怪では無く、館の守護者としての威厳に満ちた姿だった。
「全く……何時もああしていれば良いのに……そうは思わない?」
「あのままですと少々、話を掛け辛いですが」
くすくすと、上品に、けれど何処か子供のような笑い方でお嬢様は笑う。
何か可笑しなところはあっただろうか?
「それもそうね、ついでに美鈴は人払いをしてくれたみたいだけど」
「人払い……?」
今、食堂に残っているのは片付け担当のメイドと私達のみ。
そのメイドも、気を遣ってか此方にはやって来ない。
「そ、全員揃って食事をすると言ってもやっぱり仕事とかで大体は抜けてくのよ。
それで最後まで残るのが門番隊って訳」
「はぁ…しかし何の為にですか?」
「大方気を利かせたのでしょう。まったく、良く出来た門番だわ」
「……」
「それでね咲夜、貴方のこと見込んで頼みがあるのよ」
「はい、何なりと」
「この館の、使用人の長になって欲しいの」
私は能力を使ったっけ? 完全に時間が止まっていた気がする、主に私の。
「……今、何と……?」
主の言葉を聞き違えるほど忠誠心が薄いとは思わないが、確認のために聞き返してみる。
「だから咲夜にメイド長を勤めて欲しいの」
答えは変わらなかった、あぁ、何を仰るのだろうこの方は。
「私は異能を持っているとは言え人間です」
「下手な妖怪よりはよっぽど強いくせに?」
「それにこの館で過ごした時間も短いです」
「この館は実力主義よ、知らなかったの?」
「まだ館を迷わずに歩く自信がありません」
「必要ならいくらでも改築して良いわよ?」
「何より、私を推す理由が見つかりません」
「私がそう望んでいるのよ。駄目かしら?」
「……」
「……」
「……謹んで承ります」
「ありがとう、咲夜」
「今日もいい天気ですね~、洗濯物が良く乾きそう。あ、虹も出てますよ」
「そうね、憎たらしいくらい晴れてるわね、虹が見れるくらいに。」
「確かにお嬢様にとってはそうですけど……なら何でこちらにいらしたんですか?」
「それはね……」
「……此処にいらっしゃいましたか」
「あ、咲夜さん」
「うわっ、咲夜」
「探しましたよお嬢様……片付けてもらわねばならない書類があるというのに書斎を抜け出して……。
そろそろ食費の予算や維持費の予算に印を頂けないとこの館が立ち行かなくなってしまいますよ?
だから厳重に魔法を掛けて閉じ込めておいたのにどうして、いやどうやって逃げ出したんですか……?
魔法で施錠するにも彼女が等価交換なんて言いだすから変な格好で図書館の司書の真似事を半日やって、
それでやっと施錠して頂いたのにあっさり逃げ出すし……私の苦労はなんだったんですか……?
……とにかく、見付けたからにはしっかり書類に目を通して印を頂くまで逃がしませんから。
さぁ、書斎の方にお戻りください、今直ぐ、待った無しです」
「お、落ち着いて咲夜……それは一日十二時間、それも活動しない昼に休憩無しで机に向かっていた主に言う言葉?
食費や維持費なら全く文句は言わないから咲夜の好きに動かすように言いつけて置いたじゃない。
それに魔法で施錠って、従者が主に対してやる事!? 私はもう眠たかったの!
咲夜が司書の真似事をしたってのは私に関係無いじゃない……。
主を閉じ込めるために居候の力を借りる従者なんて聞いたこと無いわよ。
とにかくね、私は休憩を要求します! これは正当な要求よ、美鈴だって味方に付いてくれる筈だわ!」
「そうよね美鈴!」
「どうなの美鈴!」
「……えぇっと、私には職務がありますので」
「そんなの後にしなさい!」
「こっちを優先しなさい!」
「……ならお嬢様は今直ぐ必要なのにだけ目を通して休憩して、咲夜さんはその間に他の家事を片付ければ……」
「……もう寝たい」
「……残ってない」
「(素晴らしいヘタレっぷりですお嬢様。素晴らしい従者の見本です咲夜さん)
……譲歩は交渉に必要な事ですから、お互い改善しないと」
「……美鈴に諭されるなんて余程疲れがたまっていたようだわ。用意して、咲夜」
「では書類の選別をして参ります、少々お待ちを」
「どうにか丸く収まりましたね」
「有能なのは良いんだけど、有能すぎるわねぇ……」
「ご用意しました」
「早かったわ……ね?」
「……」
「どうか致しましたか? お嬢様」
「あのー、咲夜さん。多くないですか……? ざっと数えただけで百枚近くあるように見えるんですが」
「そうよ、私は最低限のものだけ用意しろと言ったはずなんだけど」
「ですから最低限に絞った結果がこれです。ですが安心してください、
三十枚ほどは屋敷の見取り図などで文章ではありません」
「て事は残りの七十枚近くは文章で埋まってるわけですか……」
「……美鈴、手伝ってくれない?」
「職務がありますので失礼します! では!」
「お嬢様、書斎の方が日も当たりませんし宜しいかと」
「そうね……こうなったらとことん付き合ってやるわよ……」
「ありがとうございます、これで館も安泰です」
「うー、なんで夜の王がこんな昼間にこんなみみっちい事をしなきゃならないのよー……」
「それが必要だからです」
「その通りだけどね! ……さっさと終わらして私は寝るわよ。」
「すみません、本来なら主を何事でも優先するべきなのでしょうが……」
「そうね、主を部屋に閉じ込めようとする従者なんてそうそう居ないわ」
「……後悔していますか?」
「まさか、するわけ無いじゃない。咲夜は立派なメイド長よ」
「そうですか……有難う御座います」
「逃げられると思って先程は申しませんでしたが、本当の事を言うと二百五十二枚ありますので」
「やってられるかぁーーーーー!!」
大きな湖に佇む紅い館。これは、紅魔館に住む、
完璧瀟洒なメイド長、永遠に紅い幼い月、そして華人小娘のお話でした。
「すみません、厨房へはどう行けば良いのでしょうか……」
「まさか……迷ったの?」
「……どうもその様です」
これは、とある館の新人メイドと、その館の主、そして館の門番を勤める少女のお話です。
「えーっと、名前は十六夜咲夜っていうのね?」
どうやらこの子は館の中で迷ってしまったらしい。
まぁ新人によくある事よね、私も来たばかりの頃はそうだったし。
「はい、この館で勤めさせていただく事になりました」
見たところ人間だけど、何か特殊な力でも持ってるのかな?
じゃなきゃ人間のメイドなんて雇わないだろうし……。
ちょっと意地悪な事を言ってみよう。
「そっか、私は紅 美鈴よ、よろしくね。ちなみに妖怪だから」
普通の人間なら妖怪と聞いて何かリアクションがあるところだけど……。
「はい宜しくお願いします」
特に驚いたり、怖がったりはしてない……結構肝の据わった人間みたい。
「さて、自己紹介も済んだところで質問ね、あなたは何処に行きたかったの?」
私の休憩も長くはない、早く持ち場に着けるよう案内してあげよう。
「厨房に行くよう、先輩の方に言い付けられました」
新人は人手の要る館の清掃か買い物とかの雑務に付けられる事が多いんだけど、
厨房に回されるって事は余程技術があるんだろう。
「貴方は手先が器用なんだね」
「刃物の扱いは得意です」
「へぇ……まぁ案内してあげるから付いて来て」
「はい、有難う御座います」
それ程長くない廊下を歩き目的の場所へと移動する。
「はい、ここが厨房だよ。後はお勤め頑張って」
「態々すみませんでした、有難う御座います」
とても丁寧にお辞儀を返される、私は案内しただけなんだけど。
「うん、それじゃあね」
返事を待たずに厨房を出る、後ろで咲夜さん、と呼ばれていたのが耳に入った。
この館は調理が出来る人が少ないし、彼女は即戦力になるみたい。
辞めずに働いてくれれば嬉しいんだけどな、と思いつつ、私は自分の仕事場に戻るため歩を進める。
途中、ホールの掛け時計を見て時間を確認。
……まずい、休憩時間終わってる。
広いホールに、ばたばたと走る音が木霊した。
厨房に着いた私が命じられた事は材料の下拵えと献立に合う飲み物を用意する事。
先にやるべきは下拵えで、飲み物を選ぶのはそれが終わってからになるらしい。
どうやら先輩方は気を使ってくれたようで、下拵えする材料はそれ程手が掛からない物だった。
しかし私が楽する分、彼女たちの負担は多くなってるのだろう。
ならば手早く、完璧に仕事を済ませてしまえ。
幸い、それが出来る能力が私にはある。
この館の正門に一人の少女が居た。
紅い館の門を守る門番隊、その隊長を務める紅美鈴である。
「………」
門番隊の勤務時間は長く、間に休憩はあるが24時間体制になっている。
主が活動していない昼は当然の事として、夜にも門番隊には休みがない。
夜の王であるこの館の主を敢えて夜に討ち、名を上げようという愚か者の襲撃があるからだ。
では門番隊は暇無く、辛い役職かと言うとそうでもない。
何故なら、先程述べた主を討とうとする愚か者が、今では殆ど存在しないからだ。
「ん~、もうたべられませんよぅ~」
「こぉ…起き……い!」
「ぐぎゃっ!」
「まったく……使えない門番ね」
「うぅ……何があったの……? 敵襲?」
「敵襲じゃないわ、使えない門番に足を振り下ろしただけよ」
「使えない門番って! 私は真面目に仕事してますよ!」
「大口開けて寝ていて、情けない寝言言って、そのうえ顎に涎が垂れてるのにそんな事を言うの?」
「はっ! おおお、お嬢様!?」
「まったく、門番のくせに何堂々とサボってるんだか……そろそろ新しいのを雇い入れるべきかしら」
そう、職務怠慢の門番を叩き起こしたのはこの館と私の主、レミリア・スカーレット様だった。
本来、日光の下には出られないが、どうやら特別製の日傘で日光を遮断しているみたい。
そのせいか、傘がその体とは不釣合いなほど大きくて、なんというか子供が無茶をしているようで可愛らしい。
「うぅ……真面目に働きますのでクビだけは勘弁してください……」
地面に頭を擦り付ける勢いで土下座する私。
何で寝てたんだろう……昨日は夜更かしとかしてないのに…。
「冗談よ、また新しい門番を探すのは骨が折れるし……。それに貴方も弱いって訳じゃないんだから」
「あ、ありがとうございます! 私一生懸命働きますから!」
お嬢様が私を褒めてくれるなんて……!
その信頼に応えるためにも、精一杯の笑顔で返事をしよう。
「そ、そう……まぁしっかり励みなさい」
……おや? お嬢様の顔が上気してるように見える、
お嬢様は少し体が弱いそうだし、大丈夫だと思うけど言ってみよう。
「レミリア様、失礼ですがお顔が赤いですよ? ……日の光もありますし無理はしないで下さい」
「う、煩いわねっ! とにかく貴方はしっかり門を守りなさい!」
はうぁ、怒られた。
どうもそうじゃないみたい……余計なおせっかいだったかなぁ……。
せめてしっかり返事をして安心してもらおう。
「はい! この紅 美鈴、全身全霊を持って職務に当たりたいと思います!」
その言葉に、お嬢様は少し呆れたように、
「……まったく、元気だけはあるんだから」
と、呟いていかれた。
「さて、下拵えも終わってしまったわね……飲み物は食事に合わせて中国茶にするとして、後は何をしようかしら」
所変わって、ここは館の厨房である。
時刻は、先ほど彼女が先輩メイドに指示をされてから5分と経っていない。
こんなにも早く仕事の終了を迎えるのは、彼女に与えられた仕事が少ないわけではなく
彼女の類稀なる能力に起因していた。
仕事が出来る事を証明するためにやったのだが、暇になってしまったのは少々誤算であった。
よって、彼女は手が空いてそうな先輩メイドに指示を仰ぐ事にした。
「あの、指示された食材の下拵えは終わりました、私は何をするべきでしょうか?」
「そうね……厨房にはお仕事がもう無いからこのあたりの清掃を手伝ってあげて」
「でも、12時になるまでには戻ってきて飲み物の用意をしてね?」
「はい、畏まりました」
この館の規模、それに加えて働いているものの殆どが妖精という事もあり、
すぐには指示が出ないだろうと思っていた彼女に、盥回しにされず次の仕事が言い渡された事は少々の驚きと感心を齎した。
然しすぐに気を取り直し、消え入るように厨房から離れていく。
……厨房を物音一つ立てずに去った彼女へ、
働いていた同期のメイドが尊敬の眼差しを向けていたことに、彼女はとうとう気付かなかった。
清掃に向かった先でその手腕を如何なく発揮し、手早く終わらせた後、
彼女は厨房に戻り飲み物の準備をしていた。
本来、茶というものはきちんとした手順で淹れて、それを飲むというのが正しい味わい方である。
しかし、この館での昼食は使用人が食事をする場なので大量に作らなくてはならない。
その場合犠牲になるのは料理の質となり、
作られる料理は万人受けするもの、大量に作るのに手間が掛からないもの、もしくは自分好みに味付けできるものが多く並ぶ事になる。
たまに仲の良い使用人らが自分達用に特別なものを一品作るなどの例外はあるが、大抵は大皿に盛られた料理を食すことになる。
これは飲料も同じで、万人受けする葉を使い大量に作り、それを保温が利くポッドに小分けして各卓に置く。
飲みたい時はポッドを取り、自分で注ぐ、という形式になっている。
しかし、彼女はこれに納得がいかず、自分に出来る限りの完璧を求め、それを実現させようとした。
『いっただきまーす!』
大勢の声が唱和する、この館の食堂、その中でも端の方で美鈴は食事をしていた。
理由は単純、厨房が近いからである。
通常、体を使う門番業は大量に食べるということでエネルギーを賄っている。
なので門番隊には味が大雑把で構わないと言う者が多い。
だから普通はこの位置に座らず、中央辺りの大皿がより多く射程圏内に入る方に座るのだが……。
美鈴は、門番隊の中では美食家であった。
量よりも質を優先する彼女がここに位置取るのは必然と言えよう。
如何に大皿に装った料理とは言え、この人数、そのうえ大量に飯を食べる者も居る、
よって大皿には声をかければ料理の補充がされるのだ。
ここで厨房に近いという立地が活きてくる。
もうお分かりだろうが、厨房に近いと言う事はそれだけ暖かい料理が口に入ると言う事だ。
「ん~、今日も美味しい~」
「幸せそうな顔ねぇ……こんな顔を見たら作った側は料理の苦労なんて吹き飛ぶのかしら?」
ん~、どうだろう……? 私も仕事の成果が出たら嬉しいしそうかな?
「いや~、こんな美味しい料理を作れるなんて素晴らしいですよ!
私の笑顔くらいで料理がまた作れるのなら私はいくらでも料理を食べますね!」
ちょっと考えて、私は思いついた言葉をそのまま口に出す。
私は料理がそこまで上手くないし、美味しい料理が作れる人は尊敬してるから。
「……そう、作った傍から食べていくんじゃ意味が無いと思うけど。
それと敬語を使わない使用人は食事抜きにした方がいいかしら?」
でも、私の考えには矛盾があったみたいで……って!
「はわわ!? お、お嬢様? これは大変な失礼を致しました!」
慌てて頭を下げる、慌てすぎて頭が卓と衝突してしまい卓上の料理が落ちそうに…。
……ふぅ、よかった落ちなかった。
「ふぅん、謝る事には謝るけど料理か雇用主かだと貴方の天秤は料理に傾くのね」
「うぅ……すみません」
「冗談よ、顔を上げなさい」
「はい……申し訳ありませんでした」
冗談って言ってくれたけどこれ以上の失礼は重ねないようにしなきゃ……。
「だからもう良いってば。それよりお喋りで喉が渇いちゃったわ、紅茶を頂戴」
「はい、じゃあお願いしますね」
お茶のポッドは近くにあるけど、これは使用人向けの味付けだからお嬢様には味が足りない、それに今日のは中国茶。
だから近くのメイドさんにお願いしてお嬢様用に紅茶を用意してもらわないと。
「すいません、お嬢様用に紅茶を用意していただけませんか?」
「……お嬢様用に? すみません、お嬢様用とはどういう意味なのでしょうか?」
あらら、どうやら新人さんを捕まえちゃったみたい……って、
「十六夜さん? そっか、あなたはまだ新人だものね」
「美鈴? その子と面識があるの?」
「はい、今日休憩時間に知り合いまして、人間ですけど良い子ですよ……有能そうですし」
「有難う御座います、それでお嬢様とは其方のお方でしょうか?」
普通はレミリア様を見ても、お嬢様とは思わないと思うのだけど。
……もしかしてさっきのを見られてたのかな?
「そう、私がこの館の主であるレミリア・スカーレットよ。早く覚えなさい? 新人さん」
「えっと、お嬢様は吸血鬼なので普通の料理は味があんまり感じ取れないんですね」
「はい、だから新しく『お嬢様用』として淹れるんですね?」
「そうそう、お嬢様用には動物とかの血を入れるの」
「分かりました、それは人間の血でも宜しいのですか?」
「それが一番良いのだけれども、中々手に入らないのよねぇ……」
肩を竦め、お嬢様は溜息を吐く。
確か、此処に着てからは人間の血なんて稀にしか吸っていない。
動物の血では、やはり満足できないのだろう。
「まぁまぁ、ここに住む条件はそれを抑えてることなんですから。あのスキマにどやされますよ?」
「解ってるけど……たまには飲みたいわ」
「なら私の血をお召しになりますか?」
……暫く会話に間が空く、今この人はなんと言った?
「……良いの?」
「お嬢様が宜しいのならば」
「そう、じゃあ頼もうかしら」
「畏まりました」
そういって紅茶のカップを用意しナイフを指先に当てる咲夜さん、
綺麗な赤い雫がカップの中に吸い込まれていきます。
……いけない、見とれてないで止めないと。
「十六夜さん、あまり多く入れない方がお嬢様好みの味になると思うわ」
「……そうなのですか?」
「うんうん、よく分かってるわね美鈴」
目を細め微笑む姿は、猫の喉をくすぐった時の顔に似ていて愛らしく、とてもじゃないが500年近く生きているようには思えない。
「長年勤めてますから」
そういって少し胸を張る、後輩の前ではいいとこ見せたいですからね。
「お待たせいたしました」
「ありがとう、じゃ、頂くわ」
「どうぞお召し上がり下さい」
料理を口に運びながら二人の様子を窺い見る。
うん、手付きも慣れたものだったし、紅茶は淹れた事があるんだろう。
惜しむらくは、この紅茶が新しくお湯を用意して淹れたものではなく、食堂に置いてあるポッドから注いだものという事かな?
私もお嬢様と同じで少し喉が渇いた、少しお茶を飲むとしよう。
「……これは今淹れた訳じゃないのよね?」
「はい。ですが今日の茶を担当したのは私ですので、至らぬ所があれば申し付け下さい」
「……いえ、不満はないわ……ただ……」
注いだお茶を口に運ぶ、さてさてどんな味がするのかな?
「おいしーい!」
うわぁ、二人にジト目で見られてる……。
「……うちの門番が叫ぶくらいに美味しいって事、どうやってこれを淹れたの?」
あうぅ、恥ずかしい……それにしても何でこんなに美味しいのだろう?
「これってこの葉に合った熱さと殆ど同じ熱さですよね? 味が出過ぎてもいないし、
さっきまで放置されてあったポッドから用意した紅茶とは思えないです」
どんなマジックを使ったとしても、急にお湯を沸かすなんて事は出来ない。
本物の魔法使いでも、火を起こしたり何かしてじっくり温めるはずだ。
「そういう事、新しく用意した訳でもないのに、何故こんなにも熱いのかしら?」
もしかして温度を操る程度の能力なのかな? そうだとしたら咲夜さんが厨房に配属されたのも頷ける。
「貴女は人間のようだけど、何か魔法でも使えるの?」
「いえ、私の能力は時間を操る事ですので」
「……」
それを聞いた私は暫く何もいえなかった。
当たり前だろう、『時を操作する』等と言う事は通常、神ですら起こせない奇跡を超えた現象だ。
勿論、強大な力を持つお嬢様でもそんな事は出来ないだろうし……。
「そ、それって凄くない!? そんな能力を持ってたの!?」
「……貴方、本当に人間……?」
私は感嘆を、お嬢様は猜疑心を顕にし彼女に尋ねる。
「はい。尤も、この能力のおかげで随分と疎まれる事になりましたが……」
「ふぅん……苦労してるのね」
「私如きの苦労など、お嬢様には及びません」
「とても美味しい紅茶だったわ、また淹れてね」
「はい、次の機会を心よりお待ちしております」
それだけ言って、お嬢様は厨房を去って行った。
こんな時間まで起きてたからお休みになられるんだろうなぁ……ちょっとだけ羨ましい。
「美鈴様……お口に合いませんでしたか?」
顔をそちらに向けるとあまりにも近い咲夜さんの顔が!
どれくらい近いかというと互いの息がかかりそうなくらいの近さ
「うひゃぁ!」
「も、申し訳ありません!」
私のオーバーなリアクションにつられて咲夜さんも焦ったような声を出す。
「あ、変な声出してごめんね、ちょっとびっくりしただけだから」
「はい、此方こそすみません」
落ち着いて落ち着いて、咲夜さんは何を聞いてたんだっけな……?
……そうだ、お茶の味を聞いてたんだ。
「それでお茶の味だよね? うん、とっても美味しかったよ」
「そうですか……良かった、有難う御座います」
そういって恥じらいがちな笑みを返してくる彼女、うん、とっても可愛い。
……私はそんな趣味の人じゃないと思ったんだけどなぁ。
料理は片付けが終わるまでがその範疇、という言葉がある。
全くもってその通りであり、この館のメイドもそれを忠実に守っている。
それは、新人である彼女も勿論例外ではない。
「仕込みが少なめだったのはこういう事なのね……」
現在、彼女は厨房と食器類や食材をしまう簡易倉庫への往復を繰り返している。
使わなかった食材や、洗い終わった食器、更には次の夕食の材料などを運んでいるのだ。
「確かにこれは先輩方には無理ね……」
この館が雇っているメイドは殆どが妖精であり、皆重労働には不向きな身体だ。
だからこそ人間である彼女は運搬を一手に引き受けているのだが。
「流石にこんな量を一気には運べないか……」
目の前には大きな登山バックと幾つもの紙袋。
その中には今夜使う小麦粉など、袋詰めされた大量の食材が入ってる。
こうも重いと完璧を目指す彼女も気持ちが萎えてくるだろう。
彼女は異能者ではあるが、根は人間であり妖怪ではない。
つまり、弱音の一つも吐きたくなるのだ。
しかし、
「こんな事で弱音を言ってるようじゃ、この館のメイドは務まらないのよ!」
重さにも負けず、毛足の長い絨毯に足を取られる事も無く彼女は歩いていく。
端的に言えば、彼女は負けず嫌いであった。
「咲夜さーん、今度はこっちの大皿をしまって来てくれない?」
「あ~食器倉庫行くのならティーセットも! 昨日と今日で割っちゃった子が結構居たの。
十一セットだったかな?お願いします」
「私も頼もうと思ってたのに……ティーセット運び終わった後でいいからゴミ捨てにも行ってくれないかしら?
生ゴミが多めに出ちゃって、ゴミ箱がそろそろパンクしちゃいそう……」
「はい……只今向かいます」
壁に寄りかかって休憩している人影が一つ、運搬係もとい厨房に携わるメイド、十六夜咲夜だ。
「これは、荷物運びを軽く見てたわ……さっきの宣言は撤回しなきゃ……」
倉庫へ食器をしまいに行き、ティーセットを見つけ運ぼうとしたら持ち上がらず、
仕方なく休憩を取っているのである。
「そろそろ運ばないと他の人の仕事に影響が出るわね……」
すっくと立ち上がり、自分に気合を入れ直す。
少々足元が覚束ないが、与えられた仕事をしっかりこなそうとする彼女。
新人に必要なのは仕事に対し積極的且つ前向きに当たることなのだ。
どこかの門番隊隊長のように、仕事をサボって昼寝など彼女に出来る筈も無い。
だが現実は非常である、体は言う事を聞かず、先ほどから休め! と脳に要求するばかりであった。
「……仕方無い、私の力の使い時かしら……」
彼女は時間を操る程度の能力を持っている、これを応用すれば空間も弄る事が出来るのだ。
ただ強大な力には常にリスクが付き纏う、彼女も例に違わずその事で葛藤していた。
「あんまり使うと肌が荒れて大変なのよねぇ……」
……女性の肌に関する悩みは尽きない、
それは時に自分の仕事と釣り合う程の重さを持っているのだ。
この館で一番豪勢な食事が出るのは朝方で、一番賑やかなのは昼食だ。
では豪勢でも賑やかでもない筈の夕食は軽んじられているのだろうか?
答えは否、それは本来この館の主が活動を始める前に摂る食事が夕食に当たるからである。
更にこの夕食はこの館の使用人の意向で、使用人(仕事のある門番隊、厨房勤務の者を除く)全員が揃っている。
よって豪勢でも、賑やかでもないが、荘厳な雰囲気を醸し出すのである。
……たまに昼に起き出し、卓の端辺りで紅茶を飲むという事もしているが、
それに対しては『アレは夜食みたいな物よ、貴方も摂る事はあるでしょう?』との事だ。
この館の主人は、何処までも奔放である。
「さ~て、今日の晩御飯は何かな~? 早く調理終わらないかな~」
卓の端、いつもの位置で食事を待つ、今日の晩御飯は何かな? お肉は食べれるかな?
変な人が門破り何てかけてくるから、余計な運動をしてしまったのだ。
だから、言葉としてもう出てるけど、今はお腹が減って仕方が無い。
「随分とご機嫌ねぇ、良い事でもあったの?」
お嬢様がやってきて態々声をかけてくれた、これはしっかり報告しなくては!
「いや~久しぶりの挑戦者がいらっしゃいましてね」
「何も報告が無いって事は撃退できたのね?」
「はい! ちょっと手強かったですけど…ちゃんと私も役に立ってるんですよ!」
「はいはい、これからも頑張ってね……頼りにしてるから」
頼りにしてる、なんて素晴らしい響きだろう……。
以前この言葉をかけていただいたのはいつだったっけな?
すぐに思い出せないのがちょっと悲しい。
「うぅ……! この紅 美鈴、全力を持って仕えさせていただきます!」
「こちらからも宜しく頼むわよ、美鈴」
お嬢様の台詞が終わったところで、クラシックの音楽が流れ始める。
これは席に付いてない使用人に夕食を知らせる合図だ。
もうしばらくすれば、待ちに待った夕食が始まるだろう。
『お待たせしました、只今から料理を配膳していきますので自席でお待ち下さい』
流れるのは魔法で音量を増幅された誰かの声、声が大きくなって聞こえやすいけど
平坦になって、誰の声か分からなくなるのがこの魔法の欠点かな?
魔法に詳しくも無いのにこんな事を言っていたら、もう一人のお嬢様にジト目で睨まれてしまうけども。
「今日は珍しく和食ね」
確かに珍しい。
この館は洋館なのでどちらかと言うと洋食や大陸系の食事が多いのだ。
「お昼は中華でしたから、こってりの後にはさっぱりしたものをっていう事じゃないですかね?」
お嬢様には朝食、私たちには夕食となるものだし、軽くも重くも出来る和食はぴったりだ。
「……うちのコックには悪いけど、あの子達の出す和食ってそれほど美味しくないのよ」
「……確かに、慣れてる人が居ないからでしょうけど」
お嬢様の言うとおり、味を指摘されると『美味しくは無い』と感じてしまう。
けれども、厨房に関わってる人達が美味しくしようと頑張っているのだから、
私達はそれに答えるべきだと思う。
……主に多く食べるという事で。
「でも美味しそうな香りはするし、期待してみましょう」
「はい、それじゃあ!」
『いただきます』
大勢の合唱、けれどもうるさいとは感じさせずに感謝をしっかりと伝える挨拶。
作ってる人達はきっと、この言葉とこの食事の終わりの言葉を聞いた時
言いようの無い充実感と満足感で心が満たされるはずだろう。
……だって私もそうだったし。
「いやー美味しかった」
そういってお腹を叩く美鈴、ちょっとどころかかなり行儀が悪い。
それを見て、館の主は眉を顰める。
そんな抜けた姿を見たら、誰だって皮肉の一つや二つを言いたくなるだろう。
「よくもまあ、あんなに入るわね……しかも全く太らないし……貴方の体はどうなってるのかしら」
主の疑問も尤もな事で、美鈴は門番隊の名に恥じぬ大飯食らいである。
しかしその割には太らず、女性として付いて欲しいところに肉が付くという羨ましすぎる体質をしている。
本人は全く嬉しく無い様だが。
「あ、あはは……しっかり働いてるからですよ、それに胸なんてあっても邪魔なだけですし」
「その割には今日、昼寝なんてしてたわよね? というか後の言葉は私に対する当てつけかしら?」
「そんな! とんでもございません! ……お願いですから減給だけは勘弁してください」
オーバーなリアクションで謝罪をする美鈴、もはや門番隊隊長としてのプライドなど塵も等しい。
「減給なんてしないわよ、給料という概念を取っ払うだけだから」
「そんな殺生な!」
「冗談よ冗談。まったく……貴女は言葉に気を付けた方が良いわね、
体型で悩んでる子だって結構居るんだから、後ろから刺されても知らないわよ」
「はい、すいません……」
「ふぅ、少し喉が渇いたわね、喋り過ぎたかしら」
「ならお頼みしましょう、今日は和食にあわせて緑茶ですがお嬢様は紅茶ですよね?」
「えぇお願い……そうだ美鈴、どうせならあの子に淹れてもらって」
「あの子と言いますと?」
「昼に、貴方を唸らせる程の紅茶を淹れた子よ」
時間を少し遡る、所変わってこちらは厨房、今この館で最も熱い場所である。
何人もの妖精メイド、一人の人間メイドが忙しなく働いている。
「卵焼き無くなったわよ、追加急いで!」
「釜飯炊きあがりました! 何番テーブルですか?」
「ちょっと、煮物はしっかりかき混ぜて頂戴、具材を崩さない力加減で」
「……先輩……手に力が入りません……」
「情けないわね……なら食堂行って補充の要る料理をリストアップしてきて!」
「釜飯の追加来てたでしょう? 種類は何!?」
「山菜7、筍4、浅蜊2、茸8ですね。推測ですが茸が足りない様に思われます」
「そんなに!? あぁもうどれだけ食べるのよ! ……食材のストック出して!」
「ストックなら倉庫ですけど……」
「要補充料理、リストアップしてきました! 今の消費ペースだと漬物が追いつきません!」
「追いつかないって、ここには漬けてある大根や胡瓜がもう無いのに?」
「……そろそろ冷倉庫から引っ張ってこないと間に合いませんね」
「咲夜さん、お願いできる? これがリストなんだけど」
「了解しました……随分と多いですね、余りませんか?」
「余ったら門番隊の方々に差し入れするか、賄いに使うかどちらかね」
「分かりました、直ぐお持ちします」
どうやら一人だけの人間メイドは、主に力仕事に活躍しているようだ。
勿論、自分の仕事である飲料の供給も怠らない。
完璧瀟洒なメイドの姿が、其処にはあった。
「リストの品、これで宜しいですか?」
「えっと……うん、完璧ね。ありがとう」
「咲夜さん手が開いたの? できれば漬物の盛り付けに回って欲しいのだけど…」
「構いませんが、緑茶も淹れなくてはならないので大皿で2枚程度が限度かと…」
「それでいいわ、お願い」
「では、流しを一つお借りします」
そう言って流しの前に立ち、野菜を丁寧かつ素早くで盛り付けていく彼女。
その技巧は見た者を圧倒し、一瞬だが作業を遅らせるほどの腕前だったとか。
「茄子の漬物、大皿二枚分上がりました」
「はい、ありがとう! じゃそこの子これ持ってって~」
「分かりました。うんしょ……じゃあ行って来ますね」
小柄な妖精の中でも一際小柄な者が大皿二枚を運んでいく、
その光景を見送りながらも、彼女は次の作業へと意識が向いていた。
補充に充てる緑茶を淹れようとした正にその時、
「咲夜さん、お嬢様が貴方の淹れた紅茶をご所望よ」
かけられた一言で彼女の行おうとした行動にストップが掛かる。
「…お嬢様が? 私に?」
「何でも『貴方の仕事に対する姿勢は気に入ったから、次は味を見てみたい』だそうよ」
「そうですか……分かりました。今向かいます」
「早めに行ってあげてね、あれで結構癇癪持ちだから」
「そのような言葉は控えた方が宜しいのでは?」
「なら聞かなかった事にして欲しいわね」
「ええ、そうします」
「今お願いしましたから、もう少しすれば咲夜さんが来ると思いますよ」
「そう、ありがとう美鈴」
お礼を言われちゃった、私は大した事もしてないんだけれども。
「どういたしまして、それにしても何で彼女に頼もうと思ったんですか?」
率直に、浮かんだ疑問をぶつけてみる。
正直な話、咲夜さんが淹れてくれた紅茶は美味しかったけど、
それよりも上の技量を持つ人はこの館にはそれなりにいると思う。
なのになぜ、彼女に淹れて欲しいのか私にはちょっと分からなかった。
「そりゃ美鈴、紅茶は淹れたてのほうが美味しいからよ」
「それはそうですけど…でも咲夜さんより淹れるのが上手い方は居るじゃないですか」
「はぁ…美鈴、何を以って彼女の淹れた物が他の物より劣っていると?」
お嬢様の問いを受け、少しの間考える、
やがて導き出されたのは、自己診断だが、すごく自分らしい答えだった。
「う~ん、今日のお昼に飲んだのよりは古参の方々の淹れた紅茶の方が美味しかったからかな?」
やっぱり食物の価値は味で決まると思うしなぁ……。
健康とかもあるだろうけど、そういうのは気にしない人たちばかりだし。この館の住人は。
「美鈴らしい答えだけど……その考えが正しいかどうか、味わって試してみる事ね」
「お嬢様とのお茶会なんて何年ぶりでしょうかね……」
「少なくとも、300年は経ってるでしょうね」
「そんなにかぁ……あ、来たみたいですよ」
厨房の方から咲夜さんがこちらに向かって来ている。
もちろん、その場で淹れるための道具が乗ったカートを押しながら。
「さって! どんな紅茶が飲めるかな~」
「そうね、お手並み拝見と行きましょう」
「淹れる前に二つ確認を宜しいでしょうか」
「一つは、茶葉の指定はありますか? こちらの判断でダージリンをお持ちしましたが……」
「どうしたの? 紅茶なら大体飲めるから心配しなくて良いわよ」
「もう一つ、血はお入れになりますか?」
「…紅茶の味を楽しみたいし、入れなくて良いわ」
「では、淹れさせて頂きます」
カートを止め、私は手早く用意をしていく。
「頑張って下さいね、咲夜さん」
「とびきり美味しいのを期待しましょう」
茶葉を量る、ミリグラム単位で僅かな妥協すら認めない。
湯を沸かせ、温度を調整しティーポッドに湯を注ぎ込む。
蓋を閉じる、茶葉を蒸らし最大限に味を引き出していく。
使う葉はダージリン、その為に水道ではなく、備え付きの井戸から硬度の低い水を汲んで来た。
何か好みがあるのかと心配したが、嬉しい事に杞憂で済んだ。
……もしもの事が有っても、違うと確定した瞬間に時を止め、違う茶葉と水を用意するだけ。
「咲夜さんは時計を使わないんですか?」
「そうね、貴女は時計を持ってないの?」
「時計は持ち歩いていないのですが、時の事なら問題ありません、そういう能力ですから」
「ほぇ~、便利ですねぇ。羨ましいです」
「そうね、何処かの誰かさんは体内時計がしっかり働いてないようだし」
「うぅ……」
「時計を持ってなくても不便ではないのね、羨ましいわ」
「そうでしょうか? お嬢様に時計など不要に見受けられますが」
「これでも起床と睡眠を決まった時間にしようと心がけてるの」
「それは申し訳ありません、出過ぎた事を申しました」
「良いのよ、ただ気紛れでやっているだけだから」
「そうそう、お嬢様は気紛れで行動するから後始末が大変なのよ。この前もね……」
「美鈴、勇敢と蛮勇は違うのよ。今貴女がしてるのは蛮勇の方ね」
「あ、はは……は……すいません出来れば恩赦を下さい」
「良いわ、美鈴」
「ありがとうございます!」
「スペカ一枚で許してあげるわ」
「死んじゃいますから! 私みたいなのが喰らったら死んじゃいますから!」
「あら、初めて会った時、肉弾のみとはいえ私を追い詰めた妖怪が言う台詞ではないわね」
「……何故お嬢様は生活リズムを一定にしようと思ったのですか?」
「(有難う御座います咲夜さん!)」
「(中々良いフォローね、話してた事を聞かれたら無視できないじゃない……)
……この館に住んでる者は皆、起床時間が一定じゃないからね。せめて私だけでもって理由だったかしら」
「そうですか、でもお嬢様が一定の生活をなさる様になれば使用人も少しは楽になるでしょうね」
「それはなぜですか? 咲夜さん」
「それはどうして? 聞かせて咲夜」
「単純な事なのですが、この館の使用人が一堂に会するのがお嬢様の朝食です。
それが決まった時間になれば料理の仕込みや配膳も決まった時間になりますね?」
「うんうん、なりますねー」
「そうね、なるわね」
「そうすればお嬢様の起き出す時間に合わせる為に急いで料理を仕上げたり、
お嬢様を待つ間に料理が冷めるというのを防ぐ事になります」
「なるほどー、確かに楽になりそうですね。」
「咲夜は、皮肉も上手なのね……」
「い、いえ今日は特に忙しくてその理由を考えてたらお嬢様の起床時間のバラつきが思い当たって
それでもし一定になれば私達がこんな急いで支度する必要も無いなーとか思ってたわけじゃないです」
「咲夜さん……フォローが不可能です……」
「そうね……メイドには負担を掛けてたのね……そうよね……うん……」
「さ、差し出がましい事を…」
「良いのよいいのよかまわないわよー……、悪いのは我侭な私だからねー……」
……荘厳な食堂の一角で、机に頬をぺったりと付け拗ねる館の主が見れたとか見れなかったとか。
「……いけない、お喋りが過ぎたかしら」
「そうですね。咲夜さん、紅茶は出過ぎてませんか?」
「心配ありません、細工は流々です」
「そう、随分と頼もしいわね」
「食には自信がありますから」
「では、いただきましょう」
「お注ぎ致します」
暫し会話が止まり、辺りに液体の流れる音と、香しい紅茶の香りが広がった。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
「いただくわ」
「いただきまーす!」
「……ちょっと美鈴、行儀悪いわよ」
……暫くして
「ごちそうさまでした~」
「ご馳走様」
「如何でしたでしょうか? 至らぬ所は改善しておきますので…」
「非の打ち所のない味だったと思いますよ」
「そうね、とても美味しいわ、普通の紅茶をこんなに味わったのは久しぶりね」
「そうですか……有難う御座います」
「こんなにも美味しい紅茶、少し静かに味わいたいわ」
「食堂は騒がしいですからね、今度はテラスでしませんか?」
「……では、名残惜しいんですが勤務時間なので」
「そう、お勤め頑張ってね。頼れる門番さん」
「行ってらっしゃいませ、美鈴様」
「……咲夜さん、様付けはちょっとやめて欲しいかな……背中の辺りがこう……」
「そうですか……では如何しましょう」
「美鈴はそういうのに慣れてないからねぇ、美鈴さんとでも呼んであげたら?」
「そう致します。では、改めて……美鈴さん、行ってらっしゃいませ」
「ありがとうございます、では夜間警備に移りますね。」
そういうと大きく息を吸い込み、食堂に全体に通る澄んだ声で号令を飛ばした。
「門番隊! 食事はとった? 点呼するから正門前に集合! 五分以内には全員揃うようにお互い声をかけなさい!」
途端、慌しく食器を片付けに行く影が多数、どうやら全て門番隊のようだ。
主の手前、以前のように見っとも無い姿を晒すのは許されない。
背を伸ばし、胸を張り、見る者を見惚れさす後姿で門番は食堂を立ち去る。
それは、いつもの様なだらしの無い妖怪では無く、館の守護者としての威厳に満ちた姿だった。
「全く……何時もああしていれば良いのに……そうは思わない?」
「あのままですと少々、話を掛け辛いですが」
くすくすと、上品に、けれど何処か子供のような笑い方でお嬢様は笑う。
何か可笑しなところはあっただろうか?
「それもそうね、ついでに美鈴は人払いをしてくれたみたいだけど」
「人払い……?」
今、食堂に残っているのは片付け担当のメイドと私達のみ。
そのメイドも、気を遣ってか此方にはやって来ない。
「そ、全員揃って食事をすると言ってもやっぱり仕事とかで大体は抜けてくのよ。
それで最後まで残るのが門番隊って訳」
「はぁ…しかし何の為にですか?」
「大方気を利かせたのでしょう。まったく、良く出来た門番だわ」
「……」
「それでね咲夜、貴方のこと見込んで頼みがあるのよ」
「はい、何なりと」
「この館の、使用人の長になって欲しいの」
私は能力を使ったっけ? 完全に時間が止まっていた気がする、主に私の。
「……今、何と……?」
主の言葉を聞き違えるほど忠誠心が薄いとは思わないが、確認のために聞き返してみる。
「だから咲夜にメイド長を勤めて欲しいの」
答えは変わらなかった、あぁ、何を仰るのだろうこの方は。
「私は異能を持っているとは言え人間です」
「下手な妖怪よりはよっぽど強いくせに?」
「それにこの館で過ごした時間も短いです」
「この館は実力主義よ、知らなかったの?」
「まだ館を迷わずに歩く自信がありません」
「必要ならいくらでも改築して良いわよ?」
「何より、私を推す理由が見つかりません」
「私がそう望んでいるのよ。駄目かしら?」
「……」
「……」
「……謹んで承ります」
「ありがとう、咲夜」
「今日もいい天気ですね~、洗濯物が良く乾きそう。あ、虹も出てますよ」
「そうね、憎たらしいくらい晴れてるわね、虹が見れるくらいに。」
「確かにお嬢様にとってはそうですけど……なら何でこちらにいらしたんですか?」
「それはね……」
「……此処にいらっしゃいましたか」
「あ、咲夜さん」
「うわっ、咲夜」
「探しましたよお嬢様……片付けてもらわねばならない書類があるというのに書斎を抜け出して……。
そろそろ食費の予算や維持費の予算に印を頂けないとこの館が立ち行かなくなってしまいますよ?
だから厳重に魔法を掛けて閉じ込めておいたのにどうして、いやどうやって逃げ出したんですか……?
魔法で施錠するにも彼女が等価交換なんて言いだすから変な格好で図書館の司書の真似事を半日やって、
それでやっと施錠して頂いたのにあっさり逃げ出すし……私の苦労はなんだったんですか……?
……とにかく、見付けたからにはしっかり書類に目を通して印を頂くまで逃がしませんから。
さぁ、書斎の方にお戻りください、今直ぐ、待った無しです」
「お、落ち着いて咲夜……それは一日十二時間、それも活動しない昼に休憩無しで机に向かっていた主に言う言葉?
食費や維持費なら全く文句は言わないから咲夜の好きに動かすように言いつけて置いたじゃない。
それに魔法で施錠って、従者が主に対してやる事!? 私はもう眠たかったの!
咲夜が司書の真似事をしたってのは私に関係無いじゃない……。
主を閉じ込めるために居候の力を借りる従者なんて聞いたこと無いわよ。
とにかくね、私は休憩を要求します! これは正当な要求よ、美鈴だって味方に付いてくれる筈だわ!」
「そうよね美鈴!」
「どうなの美鈴!」
「……えぇっと、私には職務がありますので」
「そんなの後にしなさい!」
「こっちを優先しなさい!」
「……ならお嬢様は今直ぐ必要なのにだけ目を通して休憩して、咲夜さんはその間に他の家事を片付ければ……」
「……もう寝たい」
「……残ってない」
「(素晴らしいヘタレっぷりですお嬢様。素晴らしい従者の見本です咲夜さん)
……譲歩は交渉に必要な事ですから、お互い改善しないと」
「……美鈴に諭されるなんて余程疲れがたまっていたようだわ。用意して、咲夜」
「では書類の選別をして参ります、少々お待ちを」
「どうにか丸く収まりましたね」
「有能なのは良いんだけど、有能すぎるわねぇ……」
「ご用意しました」
「早かったわ……ね?」
「……」
「どうか致しましたか? お嬢様」
「あのー、咲夜さん。多くないですか……? ざっと数えただけで百枚近くあるように見えるんですが」
「そうよ、私は最低限のものだけ用意しろと言ったはずなんだけど」
「ですから最低限に絞った結果がこれです。ですが安心してください、
三十枚ほどは屋敷の見取り図などで文章ではありません」
「て事は残りの七十枚近くは文章で埋まってるわけですか……」
「……美鈴、手伝ってくれない?」
「職務がありますので失礼します! では!」
「お嬢様、書斎の方が日も当たりませんし宜しいかと」
「そうね……こうなったらとことん付き合ってやるわよ……」
「ありがとうございます、これで館も安泰です」
「うー、なんで夜の王がこんな昼間にこんなみみっちい事をしなきゃならないのよー……」
「それが必要だからです」
「その通りだけどね! ……さっさと終わらして私は寝るわよ。」
「すみません、本来なら主を何事でも優先するべきなのでしょうが……」
「そうね、主を部屋に閉じ込めようとする従者なんてそうそう居ないわ」
「……後悔していますか?」
「まさか、するわけ無いじゃない。咲夜は立派なメイド長よ」
「そうですか……有難う御座います」
「逃げられると思って先程は申しませんでしたが、本当の事を言うと二百五十二枚ありますので」
「やってられるかぁーーーーー!!」
大きな湖に佇む紅い館。これは、紅魔館に住む、
完璧瀟洒なメイド長、永遠に紅い幼い月、そして華人小娘のお話でした。
出かけなければいけないのに、続きが気になって一気に読んでしまいました。
次回作も楽しみに待っています。
『十六夜咲夜』という名前はお嬢様から直接もらった名前なので、咲夜さんが勤めていることを知らないという設定でいく場合何か特別な事情がないといけません。あと咲夜さんは『掃除係』が主な仕事です。
あとこれだけ館内のことを書いているのにパチュリーについて欠片も触れてないのが泣けてきました。まぁそれは物語の都合上しょうがないといえばそうなんですが……。
で、ここからは文章に突っ込みを。
冒頭から美鈴→咲夜さんと視点が移動し、そのあとで第三者視点になりいきなり違和感を突きつけられました。作品が後半になるにつれて台詞だけが占めるようになってしまい、地の文が殆ど消えてしまっているのもちょっとまずいです。せっかくいい雰囲気を出せているのに、それに地の文がついてきてなくて読者の想像力に任せっぱなしになってしまっているのがもったいないです。
状況説明をしてくれないと、私たちには何がなんだか分かりませんから。
あと「!」や「?」のあと、一文字開けているところと無いところと分かれていた部分も気になりました。ちゃんと全部開けましょうー。
辛口になってしまいましたが、面白くなる作品であると思います。一日置いて、推敲をしてみると色々と見えてくるので試してみてください。では。
結構テンポ良くよめましたよ。
でも、台詞が少々多くて文章が少なかったですね。
もう少し増やしたり館内の様子や厨房での忙しさ・・・いや、その台詞の多さが
厨房での忙しさを物語らせているんでしょうか?
あと、咲夜さんの心情などをもう少しだすと良かったのではと私は思いました。
しかしこれが初作品なんですね。良い作品でした。
これからも経験を積んで良い作品を作ってください。
次回作にも期待してます。
後半の会話文の多さは目につきましたが、お話はなかなか楽しかったです。