第百二十三季 卯月の一
【 各地で桜開花宣言 されど花の命は短く 】
当妖怪の山における天狗気象観測班が先日、幻想郷各地で桜の開花を観測した。
翌日○日から今日△日にかけて四月中旬~下旬並みの陽気に恵まれたこともあり、次々に開花してゆく桜は幻想郷に本格的な春の訪れを告げている。
人間の里や博麗神社などの日当たりの良い所では既に満開の桜もあるとのことだ。
里で寺子屋を開いている上白沢慧音さん(半獣)は、「長いこと見てきたが、今年の桜はかなりよく咲いている」と太鼓判。
慧音さんは花見相手を探していたようなので、声を掛けてみるのもいいだろう。酒と女は早い者勝ちなのである。
また、幻想郷のあちらこちらでリリー・ホワイトさん(春を運ぶ妖精)がご機嫌で飛び回っている姿が何度も目撃されている。
この分なら、桜の名所として知られる白玉楼(西行寺家の屋敷、庭までなら一般公開されている)ではさぞかし見事な宴会場になるだろうと期待が寄せられている。
見頃は例年より少し遅れて、◇日からの数日間にピークを迎えるとのこと。
白玉楼含む冥界の樹齢数百年を越える巨大桜。
その咲き始めは薄いピンク色で満開時は白色、散り際は淡い墨色に変化するという。
特に散り際の美しさはもはやこの世の物ではないと聞くので、満開時だけでなく、何度か足を運んでみるのもいいだろう。
ただし西行寺家の庭園にお邪魔するのは、ちゃんと管理者の許可を得てからにするべきだ。
「西行寺の敷地に無断で上がり込んだあげく、我が物顔で騒ぎ立てるような輩などたとえ斬り捨てられようと文句は無いでしょう」と勇んで語るのは庭師である魂魄妖夢さん(半霊)。
毎年、プリズムリバー三姉妹次女、メルラン・プリズムリバーさん(騒霊)を初めとした数人(数霊?)が斬られているようなので、巻き込まれないよう気をつけられたし。
なお、西行寺家のお嬢様である幽々子さん(亡霊)との親睦を深めたいという極めて変わり者の人がいるのなら、先に中有の道に寄っておくことを勧める。中有の出店名物「白玉楼しらたま」を手土産として持っていくと非常に喜ばれるからだ。
また「白玉楼しらたま」購入の際にはこの「文々。新聞」を見せると各種割引を受けられるようお願いしておいたので、ぜひ有効利用してほしい。
少し話がそれてしまったが、このように幻想郷は春の匂いと酒の香りで一杯になっている。
この機会に人間は妖怪と、妖怪は人間と、交流を深めてみてはどうだろうか?
知らない誰かと、あるいは普段は付き合わない誰かと呑んでみるというのも、なかなかにオツなものである。
「素敵な幻想郷ライフ? ばっかそんなもん、楽しく呑んでりゃそれでいいんだぜ!」と霧雨魔理沙さん(人間)も言っている。
ただ、浮かれ過ぎて相手を怒らせないようにだけは気を付けてほしいと思う。
最後に、天気について触れておこう。
ここまで花見について盛り上げておいて何だが、実のところ、雲行きがあまりよろしくない。
妖怪の山河童連盟天気予報班の報告によれば、ここ数日の天気は安定しているが、それ以降は桜雨が訪れる可能性があるらしい。
最悪の場合、白玉楼の花見シーズン、特に散り際と被ってしまう恐れがあるので、今年の花見は少し早めに済ましておくのが安全だろう。
折角の花びらも雨で散ってしまうのは悲しいものだが、しかしそれこそが――その儚さこそが、桜の醍醐味なのかも知れない。
以上、幻想郷の桜情報をいち早くお届けした。
(射命丸 文)
□
「お天気ですね」
「そだね」
「雲ひとつない快晴ですね」
「うん、快晴だね。天晴《あっぱ》れ天晴れ」
「……あの私、先日の記事に『今日あたりから桜雨が訪れます』みたいなことを書いてしまったんですが」
「あーそなの? ま、晴れて好かったじゃない。雨よりゃずっとマシでしょ」
「それはそうですけど」
私が困った顔をしていると、にとりさんは意地が悪そうに、
「連中の報告なんて当てにならないのさ、なはは」
と笑った。
よく分からないが、河童の中でも色々あるらしい。
「はあ。それでは……雨は降らない、と?」
「うんにゃ、降る。きっと降るよ」
「降るんですか」
一体どっちなんだろう。
相変わらずにとりさんの思考もよく分からない、河童ってこんなもんなのだろうか。あるいは単に私をからかっているだけなのかも。
そんなことを考えていると、にとりさんが楽しそうに――心底楽しんでいるように――言った。
「でもちょーっと違うんだなあ、これが。わたしゃ専門じゃないからあくまで推測だけど――そうね、もしかすると今日は、面白いものが見れるかも知んないよ」
――――と、ここまでがつい先ほどの話。
にとりさんの含みあるセリフに色々思うところがあったが、彼女はそれ以上のことを教えてくれなかった。
当然といえば当然だった。その正体を聞いてしまったら、それは面白くも面黒くもなくなってしまうだろうし。
その辺りがにとりさんの食えないところで、『面白そうなもの』という記事のネタになりそうなエサに見事に釣られた私は、今まさに人間の里へと向かっているのだった。
陽春の真っ青な空の下。早朝独特の澄んだ空気の中、吹き抜ける季節の風に乗って。
『きゅうり○○本、忘れるな!』と書かれたおつかいメモを持って。
□
「これは――中々」
里の桜は満開だった。
いやもちろん、現在進行形で絶賛満開咲き溢れているのだけれど。
空から見下ろす人間の里はどこまでも平和で、どこまでも春に色付いていて、どこまでも幻想郷だったのだ。
まず見えてきたのは里外れ。
いつもは田んぼと民家がぽつぽつと存在している、ただそれだけの場所だったので実際なんの興味も期待も持ってはいなかったのだけど、いざ訪れてみると春の力を思い知らされることとなった。
目の前に広がるのは雲ひとつない青空を映す、田植え前の水田。
そこかしこで小鳥がさえずり、十方では蝶々が飛び交い、足元ではさらさらと水の音がする、そんな風景。
遠くを見ればうっすらとした山々の輪郭がそこにあり、近くを見ればたんぽぽ道が畦に沿ってなだらかな曲線を描いていた。
そこには鮮やかな黄色に小さな青、背の高い真白な花など沢山の色彩が顔を覗かせており、私の心を穏やかなものにしてくれた。
そうして続く畦道にこれまたぽつりと、しかし立派に咲き誇る桜の樹があるのだ。
樹の下では太陽が映し出した光と影のまだらが、苗のない、ただ水を張っただけの田まで伸びていた。
時が止まったかのように静かで透き通ったその水上、そこにひらりひらりと淡いピンクの花びらを浮かばせている――――そんな彼らに風情で勝てるものなど、ちょっといないだろう。
自然、カメラのシャッターを絶えず切っている自分がいて驚いた。
そうしてゆっくり時間をかけて里の中心部へと向かうと、これがまた中々すごいのだ。
商店やら民家やらの建物が並ぶ大通りの両側に、垂れ桜が真っ直ぐ――本当に真っ直ぐ――ずうっと並んでいて、その景色にまた心奪われてしまった。
これではフィルムがあっという間に消えてしまうな、と嬉しい悲鳴がもれた。
そうしてまた一枚、シャッターを切る音を聞いた。心持は最高だった。
目を見張るほどに美しい情景は、まだまだ私の手を休ませてくれそうになかった。
馬鹿みたいに綺麗な景色があんまりにも続くものだから、もう空を飛んで駆けるのが馬鹿馬鹿しくなってきて、ついには歩いて里を回ることに決めた。
時間を掛けて、ゆっくり、ゆっくり歩くのだ。
これがまた、たのしい。
「おはようございます、みなさん!」
満開の桜の下を歩いているのだから、上をみれば桜だらけで、下をみてもやっぱり桜の花びらでいっぱいで。
そんな夢みたいな状況では元気に挨拶したくなるのが当然だっていうものだし、上機嫌なのだから声が上擦ってしまうのだって仕方が無いし、勿論これも言うまでもないのだけれど、みんなも活き活きとした笑顔で、ああ文ちゃんお早う、と挨拶を返してくれて。
つまり何が言いたいのかというと、その、嬉しかった。
あ、にとりさんの言っていた『面白いもの』っていうのが私のこの、にんまり顔のことだったらどうしよう、そりゃ確かに面白いかも知れないけど。だとしたらどっかで監視してるのじゃないか、それは恥ずかしいな。
……とか何とか、浮かれた気分で可笑しなことを考えてみた。中々馬鹿らしくて面白かった。
フィルムをかなりのペースで消費しつつ並木沿いに歩いていると、やがてちょっとした広場にでた。
ちょっとした、広場。
今までの並木道が普通だとすると、ちょっとした広場っていうのはやっぱり普通よりちょっとすごい訳で。
それはつまり、
「――――すごい」
すごいみたい。
それはもうすごい大きな桜がそこにあって、本当に、すごいすごいと無意識のうちに呟いてしまうくらいにすごかった。
私は案の定またシャッターを切っていて、しかしそれでも視線は桜の樹から放れてくれそうもなかったので、ただただ思うがままにカメラを構えていた。
そのため桜の樹の下に集まっていた人たち、そんな彼らが私に向けていた視線に気がつくのに、大分遅れてしまった。
すごく、見られてた。
「あ、あー……」
すごく、気まずかった。
「……み、みなさん、おはようございます。あは、あははは……」
これは恥ずかしいところを見られちゃいましたね、と、顔が赤くなるのを感じつつ頭を下げた。
しかしそこはみなさん。特に奇怪な目で私を見るわけもなく、明るく笑ってくれた。
恥なんてもの、どこかに吹き飛んでいったように思えた。
「立ち話もなんだし、文ちゃんもどうだい?」
続いて、そんな声を掛けられた。
みなさんは樹の下に御座を敷き、その上に豪華な馳走と良い香りのする酒をずらっと広げているところで、どうやら朝から宴会をするつもりらしかった。
それはどうなのか、とちょっと思ったけど、こんなに春の陽気があるのだ。仕方無い仕方無い。
ただ残念ながら、今日の私にはちょっとやりたいことがあった。
「すいません。お気持ちだけありがたく頂戴しておきます」
なのでそう断り、用事がある旨を伝えてお暇することにした。
そのとき、
「お、取材かい。いってえ誰をお探しで?」
「手伝えることがあれば、何でも言ってくれよ!」
と、みなさんが親切を申し出てくれた。
どうしたものか、と少し考えたが、折角なのでお言葉に甘えることにした。
誰かを探すのなら、彼らほど頼りになる人たちは幻想郷のどこを探しても他にいないのだ。
えっと、
「リリー・ホワイトさん――――なんですけど、どこにいらっしゃるか存知ですか?」
□
「リリーちゃん? それなら今朝、あっちで見かけたよ」
みなさんの中に丁度目撃者さんがいたため、私はすぐその方向へ足を運ぶことにした。
途中、竜神の石像を見かけた。河童が造った高性能の気象予報機能を備えているハイテク石像だ。
かなりの的中率を誇るというそれは、私がすっかり忘れてしまっていた『午後からの雨』を告げていた。
空を見上げた。
しかし、相変わらず天は青く、遠かった。
それでも石像の無機質さが私を、確かに雨が降るのだろうな、という気にさせた。
ああ、なるほど。雨、雨か。
みなさんは、きっと。
雨で桜が散ってしまうその前に、今年最後の花見を行おうとしていたのだ。
□
ひらり、ひらり――――ぱしっ
ひらり、ひら――――ぱしんっ
花屋の前にリリーさんと橙さんはいた。
二人はそこでぼおっと、満開に咲き乱れる桜の木を見上げていた。
ひらり、ひら――――ぱしんっ
ひら、ひらり――――ぱちんっ
ぱちぱち、ぱちぱち。
このよく分からないオノマトペの応酬は一体何なのかというと、ひとつは、橙さんが舞い散る桜の花びらを獲物のように追い回し、それを拍手《かしわで》を打つように挟み込む音。
そしてもうひとつは、橙さんのその姿にリリーさんが笑顔で拍手《はくしゅ》を送っている(感動でもしたのだろうか?)、そんな音だった。
あまりに平和すぎるその光景に、私はちょっと笑ってしまった。
どうも面白そうなので、木陰に隠れてもう少しの間眺めていることにした。
さあ、と風が吹いた。
小枝がこすれ、さやさやとさえずってみせた。
するとまた春のかけらが、ひら、ひらり。
――――ぱしんっ
ぱち、ぱち。
繰り返される、ありふれた情景。
子供がシャボン玉を追いかけるような、どこにでもある微笑ましい響き。
それにゆったりと身を寄せていると、やがて花屋の店員が姿を表した。
手には、小さな苗。可愛らしい双葉。
それを見た春の妖精が、その天使の笑顔をより一層ほころばせて店員に駆け寄っていく。
じゃあ、お願いね。
と差し出された瑞々しい双葉。
まだこの世に顔を出したばかりの彼に、妖精がやさしく息を吹きかけた。
目を閉じ、何かを願う儚い少女のような面持ちでそれはやさしく、穏やかに。
すると彼は慈愛に満ちたその行為に応えるかのように成長し、ものの数分で、自らを誇るかのように綺麗な群青を彩ってみせた。
そこにいる全員が見惚れてしまうくらいに、立派な花だった。
そうして他の苗木たちにも春が届けられ、やがて花屋は色取り取りの花で一杯になった。
私にはそれがまるで地上の虹のように見えて、どことなく嬉しくなった。
春の日差しの中。
暖かい光、温かい空気の中。
時間を忘れて、眺めていたいと思った。
ひらり、ひらり――――
また一枚、私の前で春が舞い落ちる。
それは静かに滑らかに、流れるようにそっと土の上に辿り着いた。
こうして花びらの動きをじっと見つめるなんてこと、いつ以来だろうか。
この平凡な、しかしだからこそ輝く美しさというものは日常に溶け込みすぎていて、きっとみんな知らぬ間に忘れていってしまうのだ。
陽春を心ゆくまで楽しんでいたいつかの時代。
その記憶は懐かしく愛おしく、染み込むようにそっと私の心に甦った。
いつかの瞳には、ふわりと風に乗る花びらがどこまでも神秘的に映った。
ふと、柄にもなく、
ひらりと宙を滑る花びらの音を聞いてみたいと思った。
舞い散る桜が奏でるその音を。
儚く、けれど力強い、春の息吹を。
いつか、聴けるだろうか?
その音を、いつか。
――――ぱしんっ!
「……うにゃ?」
小気味良い音を鳴らした橙さんが、その小さな首をかしげていた。
それもそのはず、白い花びらが彼女の手から逃れ、再び空へと舞い上がったのだ。
「あ、モンシロチョウですねー」
それを見たリリーさんが微笑んだ。
なるほどそうかーモンシロチョウかーそれならしかたがないなー。
と、私はそんな感じでへらへら笑って眺めていたのだが、
「――――にゃ!」
橙さんはどうも違ったようだ。
格下の獲物に逃げられることは、猫としての本能やらプライドが許さないのだろう。
橙さんを挑発するかのように、ひらひらと空を飛んでいるモンシロチョウに狙いを定め――大腿部に精一杯の力を籠め――不意に、勢いよく飛びかかった。
ばちんっ!!
その様子を見ていたリリーさんは、やっぱり微笑んだまま、
「あ、それは花びらですねー」
と言った。
橙さんの手の中に入ったのは、白い花びらだった。
ああもう、和むなあ。
幻想郷は今日も平和です。
とまあ、そんなこんなで私の頭からは取材のことなどすっぽりと抜け落ちていた。
見事、橙さんの魔の手から逃れたモンシロチョウはというと、どこか春を喜ぶように、そしてもっと春を求めるように青い青い大空へと向かって行った。
あのモンシロチョウには、春の音が聴こえているのだろうか。
そうだといいな、と私は満足げに彼を見送った。
□
リリー・ホワイトさんには謎が多い。
もともとが自然から生まれた、生み出された存在であるからして妖精という種族その全てを解明できる筈もないのだが、それにしてもリリーさんには不思議な点が多いのだ。
例えば、
彼女は一体、どこからやってくるのか?
彼女は一体、どこへ帰っていくのか?
そもそも住家はあるのか? 何を食べているのか?
そして『春が来た事を伝える程度の能力』とは、一体何なのか?
……といったことを文花帖にメモしながら、リリーさんの後を堂々と追けている私だった。
彼女はその良い意味で間の抜けた性格からか、全くうしろを気にする素振りがない。よって非常に調査しやすいのだ。
取材とはよく言ったもので、実際はピッタリ尾行して勝手に調べ上げる、というものだった。
私は彼女の謎をひとつでもはっきりさせたかったのだ。
今日の午後からしばらく降り続くであろう雨。それがあける頃にはもう、初夏なのだ。
この春の妖精は一体どうするのだろうか。それが知りたい、ただその一心だった。
いやまあ、記事にもなってくれればそりゃもっと素晴らしいんだけど、ね。
現在リリーさんは、モンシロチョウが飛んでいったその方角へふらふらと移動している。
しばらく追けてみて分かったことだが、彼女は『春』を求めて移動しているらしい。
行く先々はすべて春の花が咲き散らかっていて、また日当たり、風通しのいい場所ばかりだった。
それらをただのんびりと巡り、そこに人がいれば気持ちの会釈だけ済ましてまた次の場所へと向かう。
それだけだった。それだけのことを、飽きることなく、何度も繰り返していく。
……人のプライベートにケチをつけるつもりはないけれど、それにしたってこれも十分な謎である。
一旦筆を止め、私はそういったことを一人悶々と考えていた。
そしてまた文花帖を開き、頭の中で纏まり始めたものをそのまま書き連ねていく。
――――思うに、彼女は春の妖精として、春の終わりを告げているのではないだろうか。
別れを告げることも、彼女の仕事のうちなのではないか。
『春が来た事を伝える程度の能力』
と、稗田さんは幻想郷縁起にそう記した。
しかし私には彼女が持つのは『春を運ぶ程度の能力』に思えてならないのだ。
一説によれば彼女、リリーさんは二度人前に姿を現すという。
一度目は春の始まりに。そして二度目は、春の終わりに。
春の終わりに現れる――それは春を運び、次の季節に全てを託す行為だとは取れないだろうか。
そう考えてみれば、彼女の二つ名である『春を運ぶ妖精』の方に近い気がするのだ。
彼女はこの幻想郷に、この風に、この気候に――そして先ほど私の心にさえも――春を運び込んでくれた。
そしてもうすぐ桜雨と共に、舞い散る桜と共に、春を運び去っていく。
こうして初夏に入り、梅雨の季節へと移り変わり、それが明けると――――輝かしい夏がやってくる。
そんな考えは少しロマンティックにすぎるだろうか?
ふと、紙面を走らせていたペンを止める。
見れば、文花帖が私の文字でびっしり埋め尽くされていた。
「……こんなにわくわくするのは久しぶりです」
記事のネタが多いことは私にとって良いことであり、すなわち幸せである。
長年愛用していたためによれよれになった文花帖。気が付けば、私はその一頁一頁をぺらと指で流していた。
今の今まで書き溜め、そしてこれからも積み重ねていくだろう文字たちに、こうして新しい風を触れさせてあげる。
春の空気がそこに馴染むように溶け込んでいった気がして、つい、えへへ、という声がもれた。
なんというかこれは、私の心躍る時にだけ現れる、一種のクセのようなものなのだ。
□
次にリリーさんが訪れた場所には見知った顔があった。
慧音さんと妹紅さんだ。彼女ら二人は里の外れにあるやはり満開の桜の木の下、けれど地面に舞い散った桜の花びらの上、そしてそのまた座敷の上で、幹に寄り添い――二人で寄り添い――そこに居た。
妹紅さんは真っ赤な顔をして気持ちよさそうに眠りこけていた。
傍では慧音さんは静かに佇んでいて、時々、信じられないくらいに優しい眼をして妹紅さんの髪をなでている。
私は彼女たちを包む空気だけがとても柔らかく、そして彼女たちに流れる時間だけがとてもゆっくりと進んでいるのではないか、と思った。
そう思えるほど素敵な光景だった。
ちょっとだけ、羨ましい。
しかしまあ妹紅さんはというと、見事な酔いつぶれっぷりだった。
この様子では多分、昨晩から今朝にかけてずうっと呑んでいたのではあるまいか。
『酒と女は早い者勝ちなのである』
私の記事で言うなれば妹紅さんが一人勝ち、ということらしかった。
しかし先日の記事は里の男達も見ている筈だから、きっと昨夜は熱い闘いが繰り広げられたことだろう。
――――澄み切った春の夜。桜大樹に集う、里々の粋で好事な酒飲みたち。
彼らは麗しの慧音嬢のために己が力を存分に振るってみせるのだ。
てんやわんやのすったもんだ、てんでんがってがってな真剣勝負!
コブシ飛び交う勝負はいつの間にやら宴に替わり、最後にゃがははと陽気に笑って戦友《とも》と共に酒を桜を心ゆくまで楽しもう!
なあに夜はまだまだ有るぞ、歓声あげてほら呑めほら食え、騒がにゃ損々もう一杯ッ!
――――と。
宴はさぞかし盛り上がったに違いない。
それこそ、陽が昇ってもまだ呑んでいたいくらいに。
いつしか人間たちは一人、また一人と我が家に戻り、静かな日常に戻っていったのだろう。
そうして最後に残ったのがこの幸せそうな二人である。
本当に、二人とも幸せそうな顔をしていて、
「……参りました」
邪魔できる筈が無く。
そう呟き、写真を一枚失礼して消えることにした。
リリーさんだって会釈を済ましてすぐに別のところへ向かってしまったのだし。
その次に訪れた博麗神社で、
いつでも平和な筈の博麗神社で、
平和な、みんな仲良しな筈の、博麗神社で、
「あーーっ!? それ私の鶏だぜ返せこんにゃろッ!」
さっきの想像がリアルに実現していた。
「五月蝿いわね、あんまり騒ぐと殺すわよ?」
「レミリア。あんた、その辺にしときなさい。魔理沙もよ。はむ」
「って霊夢、貴方だってそれお嬢様の――――!?」
「あによ、文句あるの?」
「いえ本当は別にどうでも」
「よろしい」
「――――待ちなさい。咲夜、あなた今従者の分際で何て?」
「あっ、いえっ」
「なははっ! 正直に言ってやれ、おじょーさまとやらの我侭に付き合わされて心底ウンザリしてますわ、ってな!!」
「な、な……、魔理沙……っ!」
「げっ、あ、あ、あぶねーだろっ!! ナイフ投げんな!!」
戦争のような宴である。
いや訂正、宴のような戦争。
うん、もう殺し合い。
「まあまあ、咲夜さんってばちょっと落ち着いて下さ……いひゃんっ!?」
スコーン! と良い音がしたと思ったら、草むらにしゃがみ込んでいた私の目の前に額から血を流した中国さんが倒れてきた。
あれ? 中国さんでよかったっけ? まあいいや。
「…………」
「咲夜さんひどいです、しくしく…………あれ」
げ、目が合った。
「…………どうも」
「あ、はいどうも、お久しぶりです。文さん」
血だらけでそんな普通の挨拶されても。
「……お久しぶりです。中ご……いや、ほん……ああいえ、すいません、やっぱり中ご」
「紅美鈴です!」
間髪入れず訂正された。
「そうでしたっけ? ……本当に?」
「本当です!」
「あれ、でも何か違うような……」
「合ってます! 合ってますから!!」
「ええ、分かってます。冗談ですよ、だから安心して下さい中国さん」
「違います紅美鈴です!!」
……とまあ、面白半分恐怖半分(恐怖=血とかナイフとか)でからかってみたものの、それだけぎゃあぎゃあ騒いでいると、
「楽しそうね。そこで一体何してるの?」
バレるのも当然であって。
しまったなあ、なんて思いながらゆっくりと顔を上げると、そこには満開の桜を背景に博麗の巫女こと霊夢さんが立っていた。
それに続いて魔理沙さんもこちらにやってくるのが見えた。
ただ、レミリアさんはその場から動こうとせず(地面に固定した日傘の問題だろう)、また咲夜さんは魔理沙さんへの攻撃を諦めたのか、あるいは呆れたのか、まあそんな顔をしてレミリアさんの傍に仕えており、美鈴さんにいたっては倒れたまま放置だった。
向こうで、ひらり、と一枚の花びらが零れ落ちた。
これは桜が美鈴さんを哀れんだのかもしれないし、もしかすると私の死を宣告しているのかも知れなかった。
「そこで一体何してるの?」
もう一度、同じ質問が投げ掛けられた。
「……すいません、今ちょっと草になりきりたい気分なのです」
「はい?」
「あー分かるぜ、それ。うんうん、誰にだってそんな時期があるよなー」
苦し紛れの、どんなに良くても冗談にしかならないような言い訳だったが、何故か魔理沙さんには通じたようだった。
もしかすると本当に魔理沙さんにはそんな時期があるのかも知れない。
「そうです、そうなのです。だからそっとして置いて下さい」
こらこら、と苦笑いをしている霊夢さんの声を聞き流し、のそのそと草むらにもぐりなおす私。
私が追いかけているのはリリーさんだけなので、彼女にさえバレなければそれで構わないのだ。
――――と、そのとき。
「こんにちはー」
リリーさんのほがらかな声が聞こえてきた。
「ん、こんにちは」
「お。ちーっす」
私は草に頭を突っ込んでいるので、当然目の前は地面。なのでリリーさんがいるのはきっとお尻の方向である。
まさに頭隠して尻隠さず……笑えもしなかった。
とにかく、ひたすらその体勢のまま耐えているとまた挨拶の声が聞こえてきた。
少し声が遠い。おそらく、レミリアさんや咲夜さんたちにも律儀に会釈しているのだろう。
それでもさらに耐えていると、やがて静かになった。
またどこか次の場所へと向かったのだろう。
……しかし、さすがにバレただろうか?
と思考を巡らせたい衝動に駆られたが、いやまて、と思いなおすことにした。
重要なのはバレただのバレなかっただのでなく、今この状況をどうやって脱出しまた追跡を開始するかなのだ。早くしないとリリーさんを見失ってしまう。
しかしこれが中々難しい。下手をすれば先ほどの宣告が実現されてしまう可能性だってあるのだ。
…………よし。一か八か伸るか反るか、知らん振りで通すことにしよう。
半兵衛さんだって知らぬ顔を決め込んで上手くやったのだし。
「あ、皆さん居たんですかこんにちは今日は花見日和ですね。ではさようなら」
――――振り向きざまのこれできっとイケる!
思い立ったが吉日、いや吉秒。逃げるは急げ、なのだ。
「あ、みなさ……」
「春の妖精とやらはもう行ったぜ」
そして走れば躓く。
所詮、天狗の出鼻は挫かれる運命にあるのかも知れなかった。
「どーせ春の妖精追っかけて記事にしようって魂胆なんだろ?」
にしし、と笑って魔理沙さんが言った。
どうやら彼女たちには全部見抜かれていたらしい。
だとすると如何に足掻いても仕方がないので、その通りです、と正直に言うことにした。
ところが私にとって予想外の発言が、霊夢さんから発せられた。
「あんたも懲りないわね……まあ邪魔はしないわ、ほら、あっちよ」
「え?」
「さっさと追いかけなさい」
「え、えっ、本当ですかっ、いいんですかっ!?」
「げ、霊夢がやさしい。こりゃ一雨くるな、間違いないぜ」
「うるさい」
あまりに驚いたものだから、またちょっと声が上擦ってしまったけれど、そんなことは取材さえ続けられることと比べればちっとも恥ずかしくなんか無かった。
ありがとうございますと礼を告げ、霊夢さんの指差す方向へ飛び立とうとした矢先。
ただし尾行は止めときなさい、と強い語気――というよりも強い意志――の籠められた声が掛けられ、私は思わず振り返ってしまった。
「それでは、どうやって取材すればいいんですか」
「そんなの簡単じゃない。取材させて下さい、それで済む話でしょうが」
あまりに明瞭で簡潔で一目、いや、一言瞭然なその答え。
霊夢さんは何の迷いも澱みもなく、至極当然のように私の眼を見て言うものだから、どうしても言葉に詰まってしまった。
けれど。
少しの間自分の胸の内を探り、思案し、そして何よりもリリーさんの性格を考えてみて現れたその答え。
それもまた、揺るぎようがないくらいに簡単なものだった。
「ま、結果は一番に聞かせてくれよな」
魔理沙さんよく通る声が、私の背中を押してくれた。
□
時刻はじきに、正午になりかかろうとしていた。
相変もわらず空は青いままであり、雲のひとかけらさえみられなかった。
「やっほ~、そろそろ来る頃だと思ってたよ。……って、アンタは?」
幻想郷の遥か上空、白玉楼へ続く結界前。本来なら雲の上にでてもおかしくない高度。
全身を照らす眩しい太陽の光、髪をなびかせる天空の風、澄んだ気流の流れる音。
その心地よさは飛びながらにして居眠りをしてしまいたくなるほどだった。
目下に広がる幻想郷の風景もまた私を、すこぶる爽快な気分にさせてくれた。
「どうもこんにちはリリカさん。鴉天狗で、一応新聞記者やってる射命丸です。趣味は写真に特技はストーキング、座右の銘は」
「そんなことは知ってるよ。私が聞きたいのは、アンタがどうしてここにいるのかってこと!」
そこに現れたのがプリズムリバーが三女、リリカ・プリズムリバーさんだった。
彼女ら騒霊三姉妹は大抵まとまって行動している筈だが、今日はリリカさん一人キーボードを抱えて、ここでリリーさんを待っていたようだった。
そんなところに私がひょっこり付いてきたものだから、彼女はちょっと戸惑っているように見えた。
戸惑っているようだったので、とりあえず自己紹介をしておいたのだった。
お互いよく知った仲ではあるのだけれど……しかし、座右の銘まで本当に知っているのだろうか。
まあ、今まで誰にも言ったことないんですけどね。
「ただの取材ですので、お気になさらず。さあリリーさん、どんどん行きましょう!」
「取材って……あ、ちょっと待ちなさいよ~!」
実を言うと私だってどうしてリリカさんが、それも一人でリリーさんを待っていたのか知りたくて堪らなかった。
しかしそれはそれ、正体を聞いてしまったら、やっぱりそれは面白くも面黒くもなくなってしまうのだ。
私はまた、文花帖をぺらぺらとめくるクセが出ているのに気が付いた。心は、躍っていた。
あのあと――霊夢さんにお礼をいってすぐあと――私は急いでリリーさんを追いかけた。
どこへ向かっているのかは、実はもう知れていた。
幻想郷中の桜と桜とを飛び回る彼女が今日、まだ訪れていない場所。そして霊夢さんの指差した方向。
この世で最も、いや、あの世でさえ最も美しいといわれる桜の咲く冥界だ。
そうと分かれば追いつくのに時間は掛からなかった。
冥界へ、白玉楼へ続くこの空は見晴らしが非常によく、彼女の姿を楽に確認することが出来た。
そして私はリリーさんを呼びとめ、正直に言った。取材をさせてください、と。
返事は聞くまでも無かった。
砂時計に鳩時計などは問題外、どんなに精巧な懐中時計よりもよっぽどマイ・ペースな彼女は、一切の驚いた素振りも嬉々とした仕草も迷惑そうな顔もせず、ただ微笑んで、
「はい、ありがとうございます」
と一言。
私も、彼女も、たったそれだけ。
それだけで、こうもきっぱり解決出来る話だったのだ。
何だか馬鹿らしくなって、でも嬉しくなって、私はつい文花帖に『リリーさんはいいひと!』と書き込んだ。
書き込んでからリリーさんは人間でなく妖精だと気が付いたけれど、直そうとは思わなかった。
□
「しっかし、アンタがいると気が散るんだけど」
「心外です。散るのは桜だけで十分ですよ」
「それ私のセリフね」
白玉楼に通じる階段を二人で仲良く皮肉り合いつつ進んでいく。
リリーさんは傍にいるものの微笑んだまま、あまり口を開こうとはしなかった。
足元を見れば白い花びらが、もう随分と積もっていた。
「じゃ、代わりになるセリフを探して下さい」
「んーそうねー。『迷惑かけて御免なさいもう帰りますさようなら』なんてピッタリだと思うんだけど?」
「あ、妖夢さんです。こんにちはー!」
「って無視するなあ!」
長い長い階段を抜けると、視界が一気に開けてだだっ広い景色に移り変わった。
しかしその全てが西行寺家の私有地である。
それは名家の庭だけあってどこもかしこも丁寧に手入れがなされており、私にとっても、おそらく誰にとっても、心休まる憩いの場になっていた。ししおどしの音が、こぉん、と響いた。
庭木は、見事に切り揃えられていた。
風化した庭岩とその苔が、歴史と風情を感じさせてくれた。
泉水では錦鯉が顔をのぞかせ水面をゆらし、その周りの飛び石が視覚に締まりを与えてくれた。
そして忘れた頃にまた、ししおどしが――こぉん――と、くぐもった音色を奏でて……と、素晴らしいところをあげるとキリがないほどだった。
その中にこの風景を創り上げた張本人、魂魄妖夢さんがいた。
「今日は。リリカさん達もお花見ですか?」
「ん。いや、見送り~」
「ああ成る程。もうそんな季節ですか、早いものですね」
見送り?
見送りって一体どういうことですか、と聞こうとしたところ、
「それはそうと」
急に妖夢さんがこちらに振り向いたのでちょっと、驚いた。
「射命丸さん。ちょっと良いですか」
「え、あ、はい。何でしょう」
「貴方の新聞を今朝、拝見したのですが。『親睦を深めたいのならしらたま買ってくるべし』なんて書き方、変ですよ」
目を瞑り、腕組をして語る妖夢さん。
しかし記事の話題とは、これまた意外な。
「そう、あれは幽々子様が貴方にお書きになるようお願いしたに違いありません」
「……すごいですね。正解です」
「やはりそうでしたか……、しかし、ありがた迷惑と言っては失礼ですが、もう、それはもう、屋敷内がしらたまでいっぱいに……」
でしょうね。そのための記事ですし。
「お気の毒さまです。ですが、幽々子さんは喜んでいるのでしょう?」
「ええ、まあ」
「なら良かったではありませんか。それくらいのことでよければこの私、微力ながら何時でもお力添えしますので気軽に声を掛けて下さいね」
「あ、はい! ご厚志ありがたく存じ上げます!」
「いえいえ、礼には及びませんよ」
だってお返しに良いもの貰ったり、良いこと教えて貰いましたし。
それは例えば妖夢さんのスリーサイズだったり、はたまた妖夢さん日記だったり、あと妖夢さんの小さい頃の着物とか?
使い古されたサラシ、なんてのもあったっけ。
幽々子さんは中々私というものを分かっておられます、ええ、本当に。
「……終わった? もう行ってもいい? ていうかアンタ放って先に行っとけばよかった」
ずっと話を聞いていたリリカさんが、急かすように口を開いた。
もーそんなに構って欲しいのかー仕方ないなー。
「そんな悲しいこと言わないで下さい。私とあなたの仲じゃないですか」
「大嫌い同士ってことねー」
「いえ、好きですよ。私は」
「あっそ」
話は早々に切り上げられ、じゃー行ってくるわねー、とリリカさんが妖夢さんに向かって手を挙げた。
妖夢さんがどうぞ、と声を出しかけたその時、遠くから楽器特有の高い音が聴こえてきた。これは……トランペットだろうか。
その音がどんどん大きく、騒がしく、そして楽しそうに広がっていくのが分かった。
「あ、姉さんだ」
どうやらメルランさんらしかった。
まさか記事通り騒いでみせるとは、さすがメルランさん、頭がちょっと柔らかい。
「そのようですね。はあ、今年もですか……」
妖夢さんが呆れたようにため息をついた。
そしてリリカさんの方を向き、腰に差した刀の柄に触れる。
「……あの、……宜しいですか?」
「うん。遠慮なく斬り捨てちゃって」
「分かりました、それでは――遠慮なく」
そんな物騒な会話をいくつか交わした後、妖夢さんは駆け出した。
剣術家の鏡と言って申し分無いほど軽やかな体重移動で、あっという間に向こうへ消えてしまった。
しばらくして悲鳴のようなものが聞こえてきたけれど、リリカさんもリリーさんも、そして当然私を含めた全員が気にも留めなかった。
□
まるで、夢のなかにいるような心地だった。
桜並木の景色が視界の外へ流れていく。
白玉楼を抜けたその並木道、その両側では白い桜が花をゆらしていた。
しかし不思議なことに、足元には満開への軌跡が一枚たりとも見受けられなかった。
光はどこか、ぼやけるように四方へ伸びていた。
音はどこか、吸い込まれるように辺りに沈み込んでいた。
色はどこか、あいまいで存在感というものが決定的に欠けていた。
全ての実体があやふやで、動くものは何もおらず、私がここにいるという実感すら湧かなかった。
そしてそれは進めば進むほどに、加速していった。
冥界。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
しかしそれに恐怖や不快を感じることはなく、むしろ神秘的とさえ思えた。
嗚呼、こうして、死んだ魂は奥へ奥へと誘われるんだろうな――――なんて思ったりもした。
淡々と、静寂の道中を息をひそめるように飛んでいく。
その間だれも口を開こうとはしなかった。
やがて、最果てに辿り着く。
その場所は見渡す限り、白、白、真白だった。
純白、ではない。真白には違いなけれど、純白ではなかった。
雪のように今にも消えてしまうでは、と思わせる儚い白。尊い真白なのだ。
有るのは一本の巨大な桜の樹と、その奥でひっそりと流れる一筋の川だけだった。
リリーさんが桜の大樹の下へ静かに歩んで行った。
私はどうしてか、彼女についていってはならない、邪魔してはならない、そんな気がした。
その気配は私の身体に染み込み、ただぼんやりとそこで立っていることしか出来なかった。
あるいは目前の大樹に、眼を、心を、そして魂までも奪われてしまっただけなのかも知れない。
声が出なかった。
息がつまった。
胸の鼓動すらも一瞬、停止した。
忘我し、思考は一つの言葉で一杯になった。
すなわち、美しい――と。
視覚だけでなく私の総身が、確かに私の五感の全てが、そう感じ取っていた。
そして大樹も総身を有って、全身の全霊を有って、幽雅に白い春の雨を咲かせていた。
視界一面その全てが、真白な桜であったといっても過言ではない。いや、それでは到底物足らなかった。
遥かな虚空さえも大樹は覆い隠し、その隙間から溢れ出る光の束は――リリーさんを包むその煌きは――天上の神々が、大樹と彼女を称えているようにも見えた。
その壮大さは周囲の大気からも明確に感じ取れ、思わず躊躇してしまう。
ここは私などが立ち入れる場所ではないのではないか――――
「そんなにカタくならなくてもいいんじゃない?」
リリカさんが私の顔を覗き込んで、意地悪な笑顔を見せた。
……そんなに、分かりやすかっただろうか。
「ま、気楽にみてなさいって」
言って、リリカさんは一歩前に出た。
そのとき丁度、大樹の枝がゆれるのが見えて――僅かに遅れて、ふわりとした風が私達の所にまで届いた。
一羽の白い鳥が、花びらの一枚すら散らさずに飛び立つ音が聞こえてきた。
そんな程度の距離が、ここに立つ私達と大樹の下に立つリリーさんの間にはあった。
リリーさんの背中越しに、彼女が祈るように手を組んだのが分かった。
小さく下を向き、静かに瞼を閉じ、それは天使のように。
すると彼女を照らす光の粒子が、一層輝きを増したような気がして――――
ついに、雨が降り出した。
朝霧のような、あたりを優しく抱擁するような、霞《かすみ》の雨だった。
光の粒子と水の飛沫、それが互いに結びついていくのが分かった。
周囲の神秘的な空気さえも溶かし、柔らかな情調が紡がれていくのさえもはっきりと感じられた。
微かに覗き見得る大空にはやはり雲ひとつなく、それでも天から春霞の雨は降り注ぎ、音も無く大地へ染み込んでいく。
私はそれを受けいれた。衣服や髪が緩やかに水気を帯びていくのを、心地良いと思ったのだ。
依然、雨は続いている。
透明な水の粒、それは決して視界を遮らなかった。
それどころかより鮮明に、より晴れやかにこの景色を飾っていくようにすら見えた。
大樹の桜にはやがて水滴が浮きはじめ、それが宝石のように透明だと思ったとき、私はまた心奪われてしまった。
そうしてここにいる誰一人として動こうとせず、花びらさえ舞うことを忘れ、ただ静かに時の流れに身を任せていた。
つ。つつ――――、と。
桜の花びらに湛えられた水滴がその曲線に沿ってすべり、その端で動きを止めた。
猶も雨は景色を濡らし、潤ませ、風景に足跡を、色を、模様を残していく。
視界は白と光と雨で、どこまでも透明に、どこまでも眩しく澄み渡っていった。
リリカさんのキーボードが宙に浮いた。
そして静寂が訪れる。
次の瞬間を、待っている。
送別の、見送りの合図を、待っている。
つつ――――、と。
その時私は、聞こえるはずの無い音を、聞いた。
忘れられた幻想の音を、私は聴いた。
桜の雫がこぼれ落ち、地面で弾けたその時――――音が奏でられたのだ。
リリカさんの指がその一点を確かに捉えて動き、瞬間、音が明確な形を持って私に伝わっていく。
幻想の音は眼にみえるものとなり私の身体を駆け抜け、やがて胸にその余韻だけを残し、そしてまた私は音の無い世界に戻ってきた。
私は時が止まった錯覚に囚われた。
つつ――――。
雨は、止まない。また一粒、また一粒とこぼれる。
光を反射する雫に雨が重なり、少しずつ大きくなり、ふるえ、速度を増してこぼれ落ちる様子が私にはゆっくりとスローに見て取れた。
それらが地面を叩く刹那、リリカさんの白い指先が流れるようにキーボードの上をすべり、そしてまた幻想が奏でられ、響く。
花びらは停滞することなく水気を纏っていき、また雫をこぼし、響く。
静寂と、幻想の演奏が繰り返され、その度、間隔は短くなっていく。
大地に溶け込む春の涙。加速する音と指の動き。そして奔るは幻想の旋律。
弾奏は果てしなく正確に、独奏は果てしなく熱烈に一点を奏して輝く。
やがて雫は際限なく増加していき――――そのことごとくを、リリカさんは逃がさなかった。
息をする間さえなくリズムに乗って、そして何より楽しそうに演奏する彼女の周囲は確かな熱を持ち光ってさえみえた。
それでも猶、加速し、加速し、加速し、加速して最高潮に達したそのとき――――
リリーさんが顔を上げた。頭上の桜を仰ぐように手を広げた。
途端。
桜の雨が降った。
それは比喩でも何でもなく本当に、桜が雨の様に散ったのだ。
真白だった花が、彼女が手を上げたと同時に薄紅に染まり、それがゆえに墨色のように色付き。
そして、降り始めた。
桜の雨が、一息に。
ひらり、ひらり――――
幻想の音を、奏でつつ。
ひらり、ひらり――――
雨となって、降り注いだ。
私を、リリカさんを、そしてリリーさんをも包み込み、覆い尽くした。
視界は春の色に埋め尽くされ、春のかけら意外に何も見えなくなり、ひらりという春の音だけがこの夢のような光景を、私の存在を、力強く確かめさせてくれた。
――――ぱしんっ
私は思わず、手を伸ばしていた。
そっと手を開くと、そこには春の感触が残っていて。
泣きそうになった。
それがあんまりに懐かしくて、嬉しくて、あたたかくて、私は泣きそうになった。
花びらは光の束によって透過し、きらきらと輝いていて。
それを見てすごい、という言葉や、きれい、という言葉をもらすでもなく、私はただ――泣きたくなった。
そして、
桜の雨の合間、そのとおくに。
リリーさんの笑顔が見えた気がした。
――――さようなら。また、今度。
――……やがて視界はひらけ、眩しい、新しい世界が私の眼に飛び込んでくるだろう。
そう、新しい世界。新しい、季節。
次に見える風景はきっともう、春じゃない。
私は、そんな気がした。
□
雨はいつの間にか、止んでいた。
演奏もいつの間にか、終わっていた。
残っていたのは足元に溜まった桜の花びらと、私と、リリカさんだけだった。
向こうで流れる小さな川には、花筏《はないかだ》が出来ていた。
「あーあ。びしょびしょになっちゃったね、ヤダヤダ」
そういう彼女は、ちっとも嫌そうな顔をしていなかった。
「本当、災難です。こんな事になるなんて聞いてません」
濡れた服の中に入り込んだ花びらをつまみ出しながら、私も言った。
「その割にアンタ、楽しそうだけど?」
リリカさんが言った。
「それを言うなら、あなただって嬉しそうじゃないですか」
私達は、違いない、と笑い合った。
大樹に目をやると、きらきらと、しずくが若葉を伝っていた。
□
「お、やっとお出ましか。遅いぜ遅いぜ」
「これでも急いで来たんですけどね。あと私一応、幻想郷最速やってますんで速いです」
リリカさんと別れたあと、私は博麗神社に戻ってきた。
結果を一番に聞かせるという約束を果たすため――――と言えば格好良いけど、実際のところ、私も酒が呑みたくなった。ただそれだけの事だった。
「で、どうだったの?」
「えーと。実はですね、ちょっと、泣きそうでした」
「そっか」
霊夢さんの質問に、私は曖昧に答えただけだったけど、彼女はそれ以上のことを聞こうとはしなかった。
「さて、今日は私も一杯頂きますよ!」
「まてまて、もうちょっと聞かせてくれよ」
「あ、わたしも聞きたいです」
だけど魔理沙さんだとか、美鈴さん(まだ居たのには驚いたけど)は許してくれそうになかった。
咲夜さんとレミリアさんは相変わらず、蝙蝠傘の下で優雅にワインなんか愉しんでいるみたいだった。
「聞きたいですか? 聞きたいですか?」
私は自分でも分かるくらいに上機嫌で繰り返し、魔理沙たちのじれったそうな顔を見て楽しんだ。
あんまりじらすのも怒られそうだったので、ひとつ咳をして、そうですね、と続けた。
「私、四季の中で春が一番好きになりました」
へえ、と魔理沙さんは頷いた。
「でも数ヵ月後には夏が好きになった、っていってるぜ、きっと」
「その次は秋で、仕舞いには冬も一番好きになりましたー! って、ですか?」
「ああ。きっとな」
「……ええ、そうかも知れませんね」
私はちょっと想像してみた。
夏の私達。秋の風景。冬の積雪。そして次の春。
晴れの日もあれば、雨の日もあるだろうし、風の日も、台風だってくるだろう。
熱かったり寒かったり、虫が多かったり、食べ物が美味しかったり。
そんな毎日を、こんな季節が好きです、こんな一日もいいものですね、と笑って暮らすのだ。
素敵ですね、と私は頷いて空を見上げた。
初夏の青い空。そこには、七色の虹が浮かんでいた。
□
「――――こんな一日もいいものですね、と笑って暮らすのだ……射命丸文……――――っと。よし、中々の出来です」
その日の夜に、私は記事を書いた。
リリーさんのことには触れず、ただ、私の書きたいことだけを選んで書いた。
「あとは、見出しです」
うーむ何にしようか。
と悩むふりをしてみたけれど、実はもう、心に決めていた。
私は自慢の筆を紙面にすべらせた。黒いインクが筆の先で跡を残し、さらさらと小気味好《こきみよ》い音とともに一字一画が出来上がっていった。
満足し、筆を置く。机には今日撮った数々の写真が散らばっていた。
その中の一枚、大きな虹の前でみんなが集まって撮った写真を拾い上げてみた。
「……ふふっ」
それをじっと眺めているとちょっと嬉しくなってきたので、お気に入りの見出し文字をつい声に出してみたら、なおさらに嬉しくなってきて、どうにも仕方が無かった。
「――――過ぎ行く春に、桜雨の歓びを――――」
【 各地で桜開花宣言 されど花の命は短く 】
当妖怪の山における天狗気象観測班が先日、幻想郷各地で桜の開花を観測した。
翌日○日から今日△日にかけて四月中旬~下旬並みの陽気に恵まれたこともあり、次々に開花してゆく桜は幻想郷に本格的な春の訪れを告げている。
人間の里や博麗神社などの日当たりの良い所では既に満開の桜もあるとのことだ。
里で寺子屋を開いている上白沢慧音さん(半獣)は、「長いこと見てきたが、今年の桜はかなりよく咲いている」と太鼓判。
慧音さんは花見相手を探していたようなので、声を掛けてみるのもいいだろう。酒と女は早い者勝ちなのである。
また、幻想郷のあちらこちらでリリー・ホワイトさん(春を運ぶ妖精)がご機嫌で飛び回っている姿が何度も目撃されている。
この分なら、桜の名所として知られる白玉楼(西行寺家の屋敷、庭までなら一般公開されている)ではさぞかし見事な宴会場になるだろうと期待が寄せられている。
見頃は例年より少し遅れて、◇日からの数日間にピークを迎えるとのこと。
白玉楼含む冥界の樹齢数百年を越える巨大桜。
その咲き始めは薄いピンク色で満開時は白色、散り際は淡い墨色に変化するという。
特に散り際の美しさはもはやこの世の物ではないと聞くので、満開時だけでなく、何度か足を運んでみるのもいいだろう。
ただし西行寺家の庭園にお邪魔するのは、ちゃんと管理者の許可を得てからにするべきだ。
「西行寺の敷地に無断で上がり込んだあげく、我が物顔で騒ぎ立てるような輩などたとえ斬り捨てられようと文句は無いでしょう」と勇んで語るのは庭師である魂魄妖夢さん(半霊)。
毎年、プリズムリバー三姉妹次女、メルラン・プリズムリバーさん(騒霊)を初めとした数人(数霊?)が斬られているようなので、巻き込まれないよう気をつけられたし。
なお、西行寺家のお嬢様である幽々子さん(亡霊)との親睦を深めたいという極めて変わり者の人がいるのなら、先に中有の道に寄っておくことを勧める。中有の出店名物「白玉楼しらたま」を手土産として持っていくと非常に喜ばれるからだ。
また「白玉楼しらたま」購入の際にはこの「文々。新聞」を見せると各種割引を受けられるようお願いしておいたので、ぜひ有効利用してほしい。
少し話がそれてしまったが、このように幻想郷は春の匂いと酒の香りで一杯になっている。
この機会に人間は妖怪と、妖怪は人間と、交流を深めてみてはどうだろうか?
知らない誰かと、あるいは普段は付き合わない誰かと呑んでみるというのも、なかなかにオツなものである。
「素敵な幻想郷ライフ? ばっかそんなもん、楽しく呑んでりゃそれでいいんだぜ!」と霧雨魔理沙さん(人間)も言っている。
ただ、浮かれ過ぎて相手を怒らせないようにだけは気を付けてほしいと思う。
最後に、天気について触れておこう。
ここまで花見について盛り上げておいて何だが、実のところ、雲行きがあまりよろしくない。
妖怪の山河童連盟天気予報班の報告によれば、ここ数日の天気は安定しているが、それ以降は桜雨が訪れる可能性があるらしい。
最悪の場合、白玉楼の花見シーズン、特に散り際と被ってしまう恐れがあるので、今年の花見は少し早めに済ましておくのが安全だろう。
折角の花びらも雨で散ってしまうのは悲しいものだが、しかしそれこそが――その儚さこそが、桜の醍醐味なのかも知れない。
以上、幻想郷の桜情報をいち早くお届けした。
(射命丸 文)
□
「お天気ですね」
「そだね」
「雲ひとつない快晴ですね」
「うん、快晴だね。天晴《あっぱ》れ天晴れ」
「……あの私、先日の記事に『今日あたりから桜雨が訪れます』みたいなことを書いてしまったんですが」
「あーそなの? ま、晴れて好かったじゃない。雨よりゃずっとマシでしょ」
「それはそうですけど」
私が困った顔をしていると、にとりさんは意地が悪そうに、
「連中の報告なんて当てにならないのさ、なはは」
と笑った。
よく分からないが、河童の中でも色々あるらしい。
「はあ。それでは……雨は降らない、と?」
「うんにゃ、降る。きっと降るよ」
「降るんですか」
一体どっちなんだろう。
相変わらずにとりさんの思考もよく分からない、河童ってこんなもんなのだろうか。あるいは単に私をからかっているだけなのかも。
そんなことを考えていると、にとりさんが楽しそうに――心底楽しんでいるように――言った。
「でもちょーっと違うんだなあ、これが。わたしゃ専門じゃないからあくまで推測だけど――そうね、もしかすると今日は、面白いものが見れるかも知んないよ」
――――と、ここまでがつい先ほどの話。
にとりさんの含みあるセリフに色々思うところがあったが、彼女はそれ以上のことを教えてくれなかった。
当然といえば当然だった。その正体を聞いてしまったら、それは面白くも面黒くもなくなってしまうだろうし。
その辺りがにとりさんの食えないところで、『面白そうなもの』という記事のネタになりそうなエサに見事に釣られた私は、今まさに人間の里へと向かっているのだった。
陽春の真っ青な空の下。早朝独特の澄んだ空気の中、吹き抜ける季節の風に乗って。
『きゅうり○○本、忘れるな!』と書かれたおつかいメモを持って。
□
「これは――中々」
里の桜は満開だった。
いやもちろん、現在進行形で絶賛満開咲き溢れているのだけれど。
空から見下ろす人間の里はどこまでも平和で、どこまでも春に色付いていて、どこまでも幻想郷だったのだ。
まず見えてきたのは里外れ。
いつもは田んぼと民家がぽつぽつと存在している、ただそれだけの場所だったので実際なんの興味も期待も持ってはいなかったのだけど、いざ訪れてみると春の力を思い知らされることとなった。
目の前に広がるのは雲ひとつない青空を映す、田植え前の水田。
そこかしこで小鳥がさえずり、十方では蝶々が飛び交い、足元ではさらさらと水の音がする、そんな風景。
遠くを見ればうっすらとした山々の輪郭がそこにあり、近くを見ればたんぽぽ道が畦に沿ってなだらかな曲線を描いていた。
そこには鮮やかな黄色に小さな青、背の高い真白な花など沢山の色彩が顔を覗かせており、私の心を穏やかなものにしてくれた。
そうして続く畦道にこれまたぽつりと、しかし立派に咲き誇る桜の樹があるのだ。
樹の下では太陽が映し出した光と影のまだらが、苗のない、ただ水を張っただけの田まで伸びていた。
時が止まったかのように静かで透き通ったその水上、そこにひらりひらりと淡いピンクの花びらを浮かばせている――――そんな彼らに風情で勝てるものなど、ちょっといないだろう。
自然、カメラのシャッターを絶えず切っている自分がいて驚いた。
そうしてゆっくり時間をかけて里の中心部へと向かうと、これがまた中々すごいのだ。
商店やら民家やらの建物が並ぶ大通りの両側に、垂れ桜が真っ直ぐ――本当に真っ直ぐ――ずうっと並んでいて、その景色にまた心奪われてしまった。
これではフィルムがあっという間に消えてしまうな、と嬉しい悲鳴がもれた。
そうしてまた一枚、シャッターを切る音を聞いた。心持は最高だった。
目を見張るほどに美しい情景は、まだまだ私の手を休ませてくれそうになかった。
馬鹿みたいに綺麗な景色があんまりにも続くものだから、もう空を飛んで駆けるのが馬鹿馬鹿しくなってきて、ついには歩いて里を回ることに決めた。
時間を掛けて、ゆっくり、ゆっくり歩くのだ。
これがまた、たのしい。
「おはようございます、みなさん!」
満開の桜の下を歩いているのだから、上をみれば桜だらけで、下をみてもやっぱり桜の花びらでいっぱいで。
そんな夢みたいな状況では元気に挨拶したくなるのが当然だっていうものだし、上機嫌なのだから声が上擦ってしまうのだって仕方が無いし、勿論これも言うまでもないのだけれど、みんなも活き活きとした笑顔で、ああ文ちゃんお早う、と挨拶を返してくれて。
つまり何が言いたいのかというと、その、嬉しかった。
あ、にとりさんの言っていた『面白いもの』っていうのが私のこの、にんまり顔のことだったらどうしよう、そりゃ確かに面白いかも知れないけど。だとしたらどっかで監視してるのじゃないか、それは恥ずかしいな。
……とか何とか、浮かれた気分で可笑しなことを考えてみた。中々馬鹿らしくて面白かった。
フィルムをかなりのペースで消費しつつ並木沿いに歩いていると、やがてちょっとした広場にでた。
ちょっとした、広場。
今までの並木道が普通だとすると、ちょっとした広場っていうのはやっぱり普通よりちょっとすごい訳で。
それはつまり、
「――――すごい」
すごいみたい。
それはもうすごい大きな桜がそこにあって、本当に、すごいすごいと無意識のうちに呟いてしまうくらいにすごかった。
私は案の定またシャッターを切っていて、しかしそれでも視線は桜の樹から放れてくれそうもなかったので、ただただ思うがままにカメラを構えていた。
そのため桜の樹の下に集まっていた人たち、そんな彼らが私に向けていた視線に気がつくのに、大分遅れてしまった。
すごく、見られてた。
「あ、あー……」
すごく、気まずかった。
「……み、みなさん、おはようございます。あは、あははは……」
これは恥ずかしいところを見られちゃいましたね、と、顔が赤くなるのを感じつつ頭を下げた。
しかしそこはみなさん。特に奇怪な目で私を見るわけもなく、明るく笑ってくれた。
恥なんてもの、どこかに吹き飛んでいったように思えた。
「立ち話もなんだし、文ちゃんもどうだい?」
続いて、そんな声を掛けられた。
みなさんは樹の下に御座を敷き、その上に豪華な馳走と良い香りのする酒をずらっと広げているところで、どうやら朝から宴会をするつもりらしかった。
それはどうなのか、とちょっと思ったけど、こんなに春の陽気があるのだ。仕方無い仕方無い。
ただ残念ながら、今日の私にはちょっとやりたいことがあった。
「すいません。お気持ちだけありがたく頂戴しておきます」
なのでそう断り、用事がある旨を伝えてお暇することにした。
そのとき、
「お、取材かい。いってえ誰をお探しで?」
「手伝えることがあれば、何でも言ってくれよ!」
と、みなさんが親切を申し出てくれた。
どうしたものか、と少し考えたが、折角なのでお言葉に甘えることにした。
誰かを探すのなら、彼らほど頼りになる人たちは幻想郷のどこを探しても他にいないのだ。
えっと、
「リリー・ホワイトさん――――なんですけど、どこにいらっしゃるか存知ですか?」
□
「リリーちゃん? それなら今朝、あっちで見かけたよ」
みなさんの中に丁度目撃者さんがいたため、私はすぐその方向へ足を運ぶことにした。
途中、竜神の石像を見かけた。河童が造った高性能の気象予報機能を備えているハイテク石像だ。
かなりの的中率を誇るというそれは、私がすっかり忘れてしまっていた『午後からの雨』を告げていた。
空を見上げた。
しかし、相変わらず天は青く、遠かった。
それでも石像の無機質さが私を、確かに雨が降るのだろうな、という気にさせた。
ああ、なるほど。雨、雨か。
みなさんは、きっと。
雨で桜が散ってしまうその前に、今年最後の花見を行おうとしていたのだ。
□
ひらり、ひらり――――ぱしっ
ひらり、ひら――――ぱしんっ
花屋の前にリリーさんと橙さんはいた。
二人はそこでぼおっと、満開に咲き乱れる桜の木を見上げていた。
ひらり、ひら――――ぱしんっ
ひら、ひらり――――ぱちんっ
ぱちぱち、ぱちぱち。
このよく分からないオノマトペの応酬は一体何なのかというと、ひとつは、橙さんが舞い散る桜の花びらを獲物のように追い回し、それを拍手《かしわで》を打つように挟み込む音。
そしてもうひとつは、橙さんのその姿にリリーさんが笑顔で拍手《はくしゅ》を送っている(感動でもしたのだろうか?)、そんな音だった。
あまりに平和すぎるその光景に、私はちょっと笑ってしまった。
どうも面白そうなので、木陰に隠れてもう少しの間眺めていることにした。
さあ、と風が吹いた。
小枝がこすれ、さやさやとさえずってみせた。
するとまた春のかけらが、ひら、ひらり。
――――ぱしんっ
ぱち、ぱち。
繰り返される、ありふれた情景。
子供がシャボン玉を追いかけるような、どこにでもある微笑ましい響き。
それにゆったりと身を寄せていると、やがて花屋の店員が姿を表した。
手には、小さな苗。可愛らしい双葉。
それを見た春の妖精が、その天使の笑顔をより一層ほころばせて店員に駆け寄っていく。
じゃあ、お願いね。
と差し出された瑞々しい双葉。
まだこの世に顔を出したばかりの彼に、妖精がやさしく息を吹きかけた。
目を閉じ、何かを願う儚い少女のような面持ちでそれはやさしく、穏やかに。
すると彼は慈愛に満ちたその行為に応えるかのように成長し、ものの数分で、自らを誇るかのように綺麗な群青を彩ってみせた。
そこにいる全員が見惚れてしまうくらいに、立派な花だった。
そうして他の苗木たちにも春が届けられ、やがて花屋は色取り取りの花で一杯になった。
私にはそれがまるで地上の虹のように見えて、どことなく嬉しくなった。
春の日差しの中。
暖かい光、温かい空気の中。
時間を忘れて、眺めていたいと思った。
ひらり、ひらり――――
また一枚、私の前で春が舞い落ちる。
それは静かに滑らかに、流れるようにそっと土の上に辿り着いた。
こうして花びらの動きをじっと見つめるなんてこと、いつ以来だろうか。
この平凡な、しかしだからこそ輝く美しさというものは日常に溶け込みすぎていて、きっとみんな知らぬ間に忘れていってしまうのだ。
陽春を心ゆくまで楽しんでいたいつかの時代。
その記憶は懐かしく愛おしく、染み込むようにそっと私の心に甦った。
いつかの瞳には、ふわりと風に乗る花びらがどこまでも神秘的に映った。
ふと、柄にもなく、
ひらりと宙を滑る花びらの音を聞いてみたいと思った。
舞い散る桜が奏でるその音を。
儚く、けれど力強い、春の息吹を。
いつか、聴けるだろうか?
その音を、いつか。
――――ぱしんっ!
「……うにゃ?」
小気味良い音を鳴らした橙さんが、その小さな首をかしげていた。
それもそのはず、白い花びらが彼女の手から逃れ、再び空へと舞い上がったのだ。
「あ、モンシロチョウですねー」
それを見たリリーさんが微笑んだ。
なるほどそうかーモンシロチョウかーそれならしかたがないなー。
と、私はそんな感じでへらへら笑って眺めていたのだが、
「――――にゃ!」
橙さんはどうも違ったようだ。
格下の獲物に逃げられることは、猫としての本能やらプライドが許さないのだろう。
橙さんを挑発するかのように、ひらひらと空を飛んでいるモンシロチョウに狙いを定め――大腿部に精一杯の力を籠め――不意に、勢いよく飛びかかった。
ばちんっ!!
その様子を見ていたリリーさんは、やっぱり微笑んだまま、
「あ、それは花びらですねー」
と言った。
橙さんの手の中に入ったのは、白い花びらだった。
ああもう、和むなあ。
幻想郷は今日も平和です。
とまあ、そんなこんなで私の頭からは取材のことなどすっぽりと抜け落ちていた。
見事、橙さんの魔の手から逃れたモンシロチョウはというと、どこか春を喜ぶように、そしてもっと春を求めるように青い青い大空へと向かって行った。
あのモンシロチョウには、春の音が聴こえているのだろうか。
そうだといいな、と私は満足げに彼を見送った。
□
リリー・ホワイトさんには謎が多い。
もともとが自然から生まれた、生み出された存在であるからして妖精という種族その全てを解明できる筈もないのだが、それにしてもリリーさんには不思議な点が多いのだ。
例えば、
彼女は一体、どこからやってくるのか?
彼女は一体、どこへ帰っていくのか?
そもそも住家はあるのか? 何を食べているのか?
そして『春が来た事を伝える程度の能力』とは、一体何なのか?
……といったことを文花帖にメモしながら、リリーさんの後を堂々と追けている私だった。
彼女はその良い意味で間の抜けた性格からか、全くうしろを気にする素振りがない。よって非常に調査しやすいのだ。
取材とはよく言ったもので、実際はピッタリ尾行して勝手に調べ上げる、というものだった。
私は彼女の謎をひとつでもはっきりさせたかったのだ。
今日の午後からしばらく降り続くであろう雨。それがあける頃にはもう、初夏なのだ。
この春の妖精は一体どうするのだろうか。それが知りたい、ただその一心だった。
いやまあ、記事にもなってくれればそりゃもっと素晴らしいんだけど、ね。
現在リリーさんは、モンシロチョウが飛んでいったその方角へふらふらと移動している。
しばらく追けてみて分かったことだが、彼女は『春』を求めて移動しているらしい。
行く先々はすべて春の花が咲き散らかっていて、また日当たり、風通しのいい場所ばかりだった。
それらをただのんびりと巡り、そこに人がいれば気持ちの会釈だけ済ましてまた次の場所へと向かう。
それだけだった。それだけのことを、飽きることなく、何度も繰り返していく。
……人のプライベートにケチをつけるつもりはないけれど、それにしたってこれも十分な謎である。
一旦筆を止め、私はそういったことを一人悶々と考えていた。
そしてまた文花帖を開き、頭の中で纏まり始めたものをそのまま書き連ねていく。
――――思うに、彼女は春の妖精として、春の終わりを告げているのではないだろうか。
別れを告げることも、彼女の仕事のうちなのではないか。
『春が来た事を伝える程度の能力』
と、稗田さんは幻想郷縁起にそう記した。
しかし私には彼女が持つのは『春を運ぶ程度の能力』に思えてならないのだ。
一説によれば彼女、リリーさんは二度人前に姿を現すという。
一度目は春の始まりに。そして二度目は、春の終わりに。
春の終わりに現れる――それは春を運び、次の季節に全てを託す行為だとは取れないだろうか。
そう考えてみれば、彼女の二つ名である『春を運ぶ妖精』の方に近い気がするのだ。
彼女はこの幻想郷に、この風に、この気候に――そして先ほど私の心にさえも――春を運び込んでくれた。
そしてもうすぐ桜雨と共に、舞い散る桜と共に、春を運び去っていく。
こうして初夏に入り、梅雨の季節へと移り変わり、それが明けると――――輝かしい夏がやってくる。
そんな考えは少しロマンティックにすぎるだろうか?
ふと、紙面を走らせていたペンを止める。
見れば、文花帖が私の文字でびっしり埋め尽くされていた。
「……こんなにわくわくするのは久しぶりです」
記事のネタが多いことは私にとって良いことであり、すなわち幸せである。
長年愛用していたためによれよれになった文花帖。気が付けば、私はその一頁一頁をぺらと指で流していた。
今の今まで書き溜め、そしてこれからも積み重ねていくだろう文字たちに、こうして新しい風を触れさせてあげる。
春の空気がそこに馴染むように溶け込んでいった気がして、つい、えへへ、という声がもれた。
なんというかこれは、私の心躍る時にだけ現れる、一種のクセのようなものなのだ。
□
次にリリーさんが訪れた場所には見知った顔があった。
慧音さんと妹紅さんだ。彼女ら二人は里の外れにあるやはり満開の桜の木の下、けれど地面に舞い散った桜の花びらの上、そしてそのまた座敷の上で、幹に寄り添い――二人で寄り添い――そこに居た。
妹紅さんは真っ赤な顔をして気持ちよさそうに眠りこけていた。
傍では慧音さんは静かに佇んでいて、時々、信じられないくらいに優しい眼をして妹紅さんの髪をなでている。
私は彼女たちを包む空気だけがとても柔らかく、そして彼女たちに流れる時間だけがとてもゆっくりと進んでいるのではないか、と思った。
そう思えるほど素敵な光景だった。
ちょっとだけ、羨ましい。
しかしまあ妹紅さんはというと、見事な酔いつぶれっぷりだった。
この様子では多分、昨晩から今朝にかけてずうっと呑んでいたのではあるまいか。
『酒と女は早い者勝ちなのである』
私の記事で言うなれば妹紅さんが一人勝ち、ということらしかった。
しかし先日の記事は里の男達も見ている筈だから、きっと昨夜は熱い闘いが繰り広げられたことだろう。
――――澄み切った春の夜。桜大樹に集う、里々の粋で好事な酒飲みたち。
彼らは麗しの慧音嬢のために己が力を存分に振るってみせるのだ。
てんやわんやのすったもんだ、てんでんがってがってな真剣勝負!
コブシ飛び交う勝負はいつの間にやら宴に替わり、最後にゃがははと陽気に笑って戦友《とも》と共に酒を桜を心ゆくまで楽しもう!
なあに夜はまだまだ有るぞ、歓声あげてほら呑めほら食え、騒がにゃ損々もう一杯ッ!
――――と。
宴はさぞかし盛り上がったに違いない。
それこそ、陽が昇ってもまだ呑んでいたいくらいに。
いつしか人間たちは一人、また一人と我が家に戻り、静かな日常に戻っていったのだろう。
そうして最後に残ったのがこの幸せそうな二人である。
本当に、二人とも幸せそうな顔をしていて、
「……参りました」
邪魔できる筈が無く。
そう呟き、写真を一枚失礼して消えることにした。
リリーさんだって会釈を済ましてすぐに別のところへ向かってしまったのだし。
その次に訪れた博麗神社で、
いつでも平和な筈の博麗神社で、
平和な、みんな仲良しな筈の、博麗神社で、
「あーーっ!? それ私の鶏だぜ返せこんにゃろッ!」
さっきの想像がリアルに実現していた。
「五月蝿いわね、あんまり騒ぐと殺すわよ?」
「レミリア。あんた、その辺にしときなさい。魔理沙もよ。はむ」
「って霊夢、貴方だってそれお嬢様の――――!?」
「あによ、文句あるの?」
「いえ本当は別にどうでも」
「よろしい」
「――――待ちなさい。咲夜、あなた今従者の分際で何て?」
「あっ、いえっ」
「なははっ! 正直に言ってやれ、おじょーさまとやらの我侭に付き合わされて心底ウンザリしてますわ、ってな!!」
「な、な……、魔理沙……っ!」
「げっ、あ、あ、あぶねーだろっ!! ナイフ投げんな!!」
戦争のような宴である。
いや訂正、宴のような戦争。
うん、もう殺し合い。
「まあまあ、咲夜さんってばちょっと落ち着いて下さ……いひゃんっ!?」
スコーン! と良い音がしたと思ったら、草むらにしゃがみ込んでいた私の目の前に額から血を流した中国さんが倒れてきた。
あれ? 中国さんでよかったっけ? まあいいや。
「…………」
「咲夜さんひどいです、しくしく…………あれ」
げ、目が合った。
「…………どうも」
「あ、はいどうも、お久しぶりです。文さん」
血だらけでそんな普通の挨拶されても。
「……お久しぶりです。中ご……いや、ほん……ああいえ、すいません、やっぱり中ご」
「紅美鈴です!」
間髪入れず訂正された。
「そうでしたっけ? ……本当に?」
「本当です!」
「あれ、でも何か違うような……」
「合ってます! 合ってますから!!」
「ええ、分かってます。冗談ですよ、だから安心して下さい中国さん」
「違います紅美鈴です!!」
……とまあ、面白半分恐怖半分(恐怖=血とかナイフとか)でからかってみたものの、それだけぎゃあぎゃあ騒いでいると、
「楽しそうね。そこで一体何してるの?」
バレるのも当然であって。
しまったなあ、なんて思いながらゆっくりと顔を上げると、そこには満開の桜を背景に博麗の巫女こと霊夢さんが立っていた。
それに続いて魔理沙さんもこちらにやってくるのが見えた。
ただ、レミリアさんはその場から動こうとせず(地面に固定した日傘の問題だろう)、また咲夜さんは魔理沙さんへの攻撃を諦めたのか、あるいは呆れたのか、まあそんな顔をしてレミリアさんの傍に仕えており、美鈴さんにいたっては倒れたまま放置だった。
向こうで、ひらり、と一枚の花びらが零れ落ちた。
これは桜が美鈴さんを哀れんだのかもしれないし、もしかすると私の死を宣告しているのかも知れなかった。
「そこで一体何してるの?」
もう一度、同じ質問が投げ掛けられた。
「……すいません、今ちょっと草になりきりたい気分なのです」
「はい?」
「あー分かるぜ、それ。うんうん、誰にだってそんな時期があるよなー」
苦し紛れの、どんなに良くても冗談にしかならないような言い訳だったが、何故か魔理沙さんには通じたようだった。
もしかすると本当に魔理沙さんにはそんな時期があるのかも知れない。
「そうです、そうなのです。だからそっとして置いて下さい」
こらこら、と苦笑いをしている霊夢さんの声を聞き流し、のそのそと草むらにもぐりなおす私。
私が追いかけているのはリリーさんだけなので、彼女にさえバレなければそれで構わないのだ。
――――と、そのとき。
「こんにちはー」
リリーさんのほがらかな声が聞こえてきた。
「ん、こんにちは」
「お。ちーっす」
私は草に頭を突っ込んでいるので、当然目の前は地面。なのでリリーさんがいるのはきっとお尻の方向である。
まさに頭隠して尻隠さず……笑えもしなかった。
とにかく、ひたすらその体勢のまま耐えているとまた挨拶の声が聞こえてきた。
少し声が遠い。おそらく、レミリアさんや咲夜さんたちにも律儀に会釈しているのだろう。
それでもさらに耐えていると、やがて静かになった。
またどこか次の場所へと向かったのだろう。
……しかし、さすがにバレただろうか?
と思考を巡らせたい衝動に駆られたが、いやまて、と思いなおすことにした。
重要なのはバレただのバレなかっただのでなく、今この状況をどうやって脱出しまた追跡を開始するかなのだ。早くしないとリリーさんを見失ってしまう。
しかしこれが中々難しい。下手をすれば先ほどの宣告が実現されてしまう可能性だってあるのだ。
…………よし。一か八か伸るか反るか、知らん振りで通すことにしよう。
半兵衛さんだって知らぬ顔を決め込んで上手くやったのだし。
「あ、皆さん居たんですかこんにちは今日は花見日和ですね。ではさようなら」
――――振り向きざまのこれできっとイケる!
思い立ったが吉日、いや吉秒。逃げるは急げ、なのだ。
「あ、みなさ……」
「春の妖精とやらはもう行ったぜ」
そして走れば躓く。
所詮、天狗の出鼻は挫かれる運命にあるのかも知れなかった。
「どーせ春の妖精追っかけて記事にしようって魂胆なんだろ?」
にしし、と笑って魔理沙さんが言った。
どうやら彼女たちには全部見抜かれていたらしい。
だとすると如何に足掻いても仕方がないので、その通りです、と正直に言うことにした。
ところが私にとって予想外の発言が、霊夢さんから発せられた。
「あんたも懲りないわね……まあ邪魔はしないわ、ほら、あっちよ」
「え?」
「さっさと追いかけなさい」
「え、えっ、本当ですかっ、いいんですかっ!?」
「げ、霊夢がやさしい。こりゃ一雨くるな、間違いないぜ」
「うるさい」
あまりに驚いたものだから、またちょっと声が上擦ってしまったけれど、そんなことは取材さえ続けられることと比べればちっとも恥ずかしくなんか無かった。
ありがとうございますと礼を告げ、霊夢さんの指差す方向へ飛び立とうとした矢先。
ただし尾行は止めときなさい、と強い語気――というよりも強い意志――の籠められた声が掛けられ、私は思わず振り返ってしまった。
「それでは、どうやって取材すればいいんですか」
「そんなの簡単じゃない。取材させて下さい、それで済む話でしょうが」
あまりに明瞭で簡潔で一目、いや、一言瞭然なその答え。
霊夢さんは何の迷いも澱みもなく、至極当然のように私の眼を見て言うものだから、どうしても言葉に詰まってしまった。
けれど。
少しの間自分の胸の内を探り、思案し、そして何よりもリリーさんの性格を考えてみて現れたその答え。
それもまた、揺るぎようがないくらいに簡単なものだった。
「ま、結果は一番に聞かせてくれよな」
魔理沙さんよく通る声が、私の背中を押してくれた。
□
時刻はじきに、正午になりかかろうとしていた。
相変もわらず空は青いままであり、雲のひとかけらさえみられなかった。
「やっほ~、そろそろ来る頃だと思ってたよ。……って、アンタは?」
幻想郷の遥か上空、白玉楼へ続く結界前。本来なら雲の上にでてもおかしくない高度。
全身を照らす眩しい太陽の光、髪をなびかせる天空の風、澄んだ気流の流れる音。
その心地よさは飛びながらにして居眠りをしてしまいたくなるほどだった。
目下に広がる幻想郷の風景もまた私を、すこぶる爽快な気分にさせてくれた。
「どうもこんにちはリリカさん。鴉天狗で、一応新聞記者やってる射命丸です。趣味は写真に特技はストーキング、座右の銘は」
「そんなことは知ってるよ。私が聞きたいのは、アンタがどうしてここにいるのかってこと!」
そこに現れたのがプリズムリバーが三女、リリカ・プリズムリバーさんだった。
彼女ら騒霊三姉妹は大抵まとまって行動している筈だが、今日はリリカさん一人キーボードを抱えて、ここでリリーさんを待っていたようだった。
そんなところに私がひょっこり付いてきたものだから、彼女はちょっと戸惑っているように見えた。
戸惑っているようだったので、とりあえず自己紹介をしておいたのだった。
お互いよく知った仲ではあるのだけれど……しかし、座右の銘まで本当に知っているのだろうか。
まあ、今まで誰にも言ったことないんですけどね。
「ただの取材ですので、お気になさらず。さあリリーさん、どんどん行きましょう!」
「取材って……あ、ちょっと待ちなさいよ~!」
実を言うと私だってどうしてリリカさんが、それも一人でリリーさんを待っていたのか知りたくて堪らなかった。
しかしそれはそれ、正体を聞いてしまったら、やっぱりそれは面白くも面黒くもなくなってしまうのだ。
私はまた、文花帖をぺらぺらとめくるクセが出ているのに気が付いた。心は、躍っていた。
あのあと――霊夢さんにお礼をいってすぐあと――私は急いでリリーさんを追いかけた。
どこへ向かっているのかは、実はもう知れていた。
幻想郷中の桜と桜とを飛び回る彼女が今日、まだ訪れていない場所。そして霊夢さんの指差した方向。
この世で最も、いや、あの世でさえ最も美しいといわれる桜の咲く冥界だ。
そうと分かれば追いつくのに時間は掛からなかった。
冥界へ、白玉楼へ続くこの空は見晴らしが非常によく、彼女の姿を楽に確認することが出来た。
そして私はリリーさんを呼びとめ、正直に言った。取材をさせてください、と。
返事は聞くまでも無かった。
砂時計に鳩時計などは問題外、どんなに精巧な懐中時計よりもよっぽどマイ・ペースな彼女は、一切の驚いた素振りも嬉々とした仕草も迷惑そうな顔もせず、ただ微笑んで、
「はい、ありがとうございます」
と一言。
私も、彼女も、たったそれだけ。
それだけで、こうもきっぱり解決出来る話だったのだ。
何だか馬鹿らしくなって、でも嬉しくなって、私はつい文花帖に『リリーさんはいいひと!』と書き込んだ。
書き込んでからリリーさんは人間でなく妖精だと気が付いたけれど、直そうとは思わなかった。
□
「しっかし、アンタがいると気が散るんだけど」
「心外です。散るのは桜だけで十分ですよ」
「それ私のセリフね」
白玉楼に通じる階段を二人で仲良く皮肉り合いつつ進んでいく。
リリーさんは傍にいるものの微笑んだまま、あまり口を開こうとはしなかった。
足元を見れば白い花びらが、もう随分と積もっていた。
「じゃ、代わりになるセリフを探して下さい」
「んーそうねー。『迷惑かけて御免なさいもう帰りますさようなら』なんてピッタリだと思うんだけど?」
「あ、妖夢さんです。こんにちはー!」
「って無視するなあ!」
長い長い階段を抜けると、視界が一気に開けてだだっ広い景色に移り変わった。
しかしその全てが西行寺家の私有地である。
それは名家の庭だけあってどこもかしこも丁寧に手入れがなされており、私にとっても、おそらく誰にとっても、心休まる憩いの場になっていた。ししおどしの音が、こぉん、と響いた。
庭木は、見事に切り揃えられていた。
風化した庭岩とその苔が、歴史と風情を感じさせてくれた。
泉水では錦鯉が顔をのぞかせ水面をゆらし、その周りの飛び石が視覚に締まりを与えてくれた。
そして忘れた頃にまた、ししおどしが――こぉん――と、くぐもった音色を奏でて……と、素晴らしいところをあげるとキリがないほどだった。
その中にこの風景を創り上げた張本人、魂魄妖夢さんがいた。
「今日は。リリカさん達もお花見ですか?」
「ん。いや、見送り~」
「ああ成る程。もうそんな季節ですか、早いものですね」
見送り?
見送りって一体どういうことですか、と聞こうとしたところ、
「それはそうと」
急に妖夢さんがこちらに振り向いたのでちょっと、驚いた。
「射命丸さん。ちょっと良いですか」
「え、あ、はい。何でしょう」
「貴方の新聞を今朝、拝見したのですが。『親睦を深めたいのならしらたま買ってくるべし』なんて書き方、変ですよ」
目を瞑り、腕組をして語る妖夢さん。
しかし記事の話題とは、これまた意外な。
「そう、あれは幽々子様が貴方にお書きになるようお願いしたに違いありません」
「……すごいですね。正解です」
「やはりそうでしたか……、しかし、ありがた迷惑と言っては失礼ですが、もう、それはもう、屋敷内がしらたまでいっぱいに……」
でしょうね。そのための記事ですし。
「お気の毒さまです。ですが、幽々子さんは喜んでいるのでしょう?」
「ええ、まあ」
「なら良かったではありませんか。それくらいのことでよければこの私、微力ながら何時でもお力添えしますので気軽に声を掛けて下さいね」
「あ、はい! ご厚志ありがたく存じ上げます!」
「いえいえ、礼には及びませんよ」
だってお返しに良いもの貰ったり、良いこと教えて貰いましたし。
それは例えば妖夢さんのスリーサイズだったり、はたまた妖夢さん日記だったり、あと妖夢さんの小さい頃の着物とか?
使い古されたサラシ、なんてのもあったっけ。
幽々子さんは中々私というものを分かっておられます、ええ、本当に。
「……終わった? もう行ってもいい? ていうかアンタ放って先に行っとけばよかった」
ずっと話を聞いていたリリカさんが、急かすように口を開いた。
もーそんなに構って欲しいのかー仕方ないなー。
「そんな悲しいこと言わないで下さい。私とあなたの仲じゃないですか」
「大嫌い同士ってことねー」
「いえ、好きですよ。私は」
「あっそ」
話は早々に切り上げられ、じゃー行ってくるわねー、とリリカさんが妖夢さんに向かって手を挙げた。
妖夢さんがどうぞ、と声を出しかけたその時、遠くから楽器特有の高い音が聴こえてきた。これは……トランペットだろうか。
その音がどんどん大きく、騒がしく、そして楽しそうに広がっていくのが分かった。
「あ、姉さんだ」
どうやらメルランさんらしかった。
まさか記事通り騒いでみせるとは、さすがメルランさん、頭がちょっと柔らかい。
「そのようですね。はあ、今年もですか……」
妖夢さんが呆れたようにため息をついた。
そしてリリカさんの方を向き、腰に差した刀の柄に触れる。
「……あの、……宜しいですか?」
「うん。遠慮なく斬り捨てちゃって」
「分かりました、それでは――遠慮なく」
そんな物騒な会話をいくつか交わした後、妖夢さんは駆け出した。
剣術家の鏡と言って申し分無いほど軽やかな体重移動で、あっという間に向こうへ消えてしまった。
しばらくして悲鳴のようなものが聞こえてきたけれど、リリカさんもリリーさんも、そして当然私を含めた全員が気にも留めなかった。
□
まるで、夢のなかにいるような心地だった。
桜並木の景色が視界の外へ流れていく。
白玉楼を抜けたその並木道、その両側では白い桜が花をゆらしていた。
しかし不思議なことに、足元には満開への軌跡が一枚たりとも見受けられなかった。
光はどこか、ぼやけるように四方へ伸びていた。
音はどこか、吸い込まれるように辺りに沈み込んでいた。
色はどこか、あいまいで存在感というものが決定的に欠けていた。
全ての実体があやふやで、動くものは何もおらず、私がここにいるという実感すら湧かなかった。
そしてそれは進めば進むほどに、加速していった。
冥界。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
しかしそれに恐怖や不快を感じることはなく、むしろ神秘的とさえ思えた。
嗚呼、こうして、死んだ魂は奥へ奥へと誘われるんだろうな――――なんて思ったりもした。
淡々と、静寂の道中を息をひそめるように飛んでいく。
その間だれも口を開こうとはしなかった。
やがて、最果てに辿り着く。
その場所は見渡す限り、白、白、真白だった。
純白、ではない。真白には違いなけれど、純白ではなかった。
雪のように今にも消えてしまうでは、と思わせる儚い白。尊い真白なのだ。
有るのは一本の巨大な桜の樹と、その奥でひっそりと流れる一筋の川だけだった。
リリーさんが桜の大樹の下へ静かに歩んで行った。
私はどうしてか、彼女についていってはならない、邪魔してはならない、そんな気がした。
その気配は私の身体に染み込み、ただぼんやりとそこで立っていることしか出来なかった。
あるいは目前の大樹に、眼を、心を、そして魂までも奪われてしまっただけなのかも知れない。
声が出なかった。
息がつまった。
胸の鼓動すらも一瞬、停止した。
忘我し、思考は一つの言葉で一杯になった。
すなわち、美しい――と。
視覚だけでなく私の総身が、確かに私の五感の全てが、そう感じ取っていた。
そして大樹も総身を有って、全身の全霊を有って、幽雅に白い春の雨を咲かせていた。
視界一面その全てが、真白な桜であったといっても過言ではない。いや、それでは到底物足らなかった。
遥かな虚空さえも大樹は覆い隠し、その隙間から溢れ出る光の束は――リリーさんを包むその煌きは――天上の神々が、大樹と彼女を称えているようにも見えた。
その壮大さは周囲の大気からも明確に感じ取れ、思わず躊躇してしまう。
ここは私などが立ち入れる場所ではないのではないか――――
「そんなにカタくならなくてもいいんじゃない?」
リリカさんが私の顔を覗き込んで、意地悪な笑顔を見せた。
……そんなに、分かりやすかっただろうか。
「ま、気楽にみてなさいって」
言って、リリカさんは一歩前に出た。
そのとき丁度、大樹の枝がゆれるのが見えて――僅かに遅れて、ふわりとした風が私達の所にまで届いた。
一羽の白い鳥が、花びらの一枚すら散らさずに飛び立つ音が聞こえてきた。
そんな程度の距離が、ここに立つ私達と大樹の下に立つリリーさんの間にはあった。
リリーさんの背中越しに、彼女が祈るように手を組んだのが分かった。
小さく下を向き、静かに瞼を閉じ、それは天使のように。
すると彼女を照らす光の粒子が、一層輝きを増したような気がして――――
ついに、雨が降り出した。
朝霧のような、あたりを優しく抱擁するような、霞《かすみ》の雨だった。
光の粒子と水の飛沫、それが互いに結びついていくのが分かった。
周囲の神秘的な空気さえも溶かし、柔らかな情調が紡がれていくのさえもはっきりと感じられた。
微かに覗き見得る大空にはやはり雲ひとつなく、それでも天から春霞の雨は降り注ぎ、音も無く大地へ染み込んでいく。
私はそれを受けいれた。衣服や髪が緩やかに水気を帯びていくのを、心地良いと思ったのだ。
依然、雨は続いている。
透明な水の粒、それは決して視界を遮らなかった。
それどころかより鮮明に、より晴れやかにこの景色を飾っていくようにすら見えた。
大樹の桜にはやがて水滴が浮きはじめ、それが宝石のように透明だと思ったとき、私はまた心奪われてしまった。
そうしてここにいる誰一人として動こうとせず、花びらさえ舞うことを忘れ、ただ静かに時の流れに身を任せていた。
つ。つつ――――、と。
桜の花びらに湛えられた水滴がその曲線に沿ってすべり、その端で動きを止めた。
猶も雨は景色を濡らし、潤ませ、風景に足跡を、色を、模様を残していく。
視界は白と光と雨で、どこまでも透明に、どこまでも眩しく澄み渡っていった。
リリカさんのキーボードが宙に浮いた。
そして静寂が訪れる。
次の瞬間を、待っている。
送別の、見送りの合図を、待っている。
つつ――――、と。
その時私は、聞こえるはずの無い音を、聞いた。
忘れられた幻想の音を、私は聴いた。
桜の雫がこぼれ落ち、地面で弾けたその時――――音が奏でられたのだ。
リリカさんの指がその一点を確かに捉えて動き、瞬間、音が明確な形を持って私に伝わっていく。
幻想の音は眼にみえるものとなり私の身体を駆け抜け、やがて胸にその余韻だけを残し、そしてまた私は音の無い世界に戻ってきた。
私は時が止まった錯覚に囚われた。
つつ――――。
雨は、止まない。また一粒、また一粒とこぼれる。
光を反射する雫に雨が重なり、少しずつ大きくなり、ふるえ、速度を増してこぼれ落ちる様子が私にはゆっくりとスローに見て取れた。
それらが地面を叩く刹那、リリカさんの白い指先が流れるようにキーボードの上をすべり、そしてまた幻想が奏でられ、響く。
花びらは停滞することなく水気を纏っていき、また雫をこぼし、響く。
静寂と、幻想の演奏が繰り返され、その度、間隔は短くなっていく。
大地に溶け込む春の涙。加速する音と指の動き。そして奔るは幻想の旋律。
弾奏は果てしなく正確に、独奏は果てしなく熱烈に一点を奏して輝く。
やがて雫は際限なく増加していき――――そのことごとくを、リリカさんは逃がさなかった。
息をする間さえなくリズムに乗って、そして何より楽しそうに演奏する彼女の周囲は確かな熱を持ち光ってさえみえた。
それでも猶、加速し、加速し、加速し、加速して最高潮に達したそのとき――――
リリーさんが顔を上げた。頭上の桜を仰ぐように手を広げた。
途端。
桜の雨が降った。
それは比喩でも何でもなく本当に、桜が雨の様に散ったのだ。
真白だった花が、彼女が手を上げたと同時に薄紅に染まり、それがゆえに墨色のように色付き。
そして、降り始めた。
桜の雨が、一息に。
ひらり、ひらり――――
幻想の音を、奏でつつ。
ひらり、ひらり――――
雨となって、降り注いだ。
私を、リリカさんを、そしてリリーさんをも包み込み、覆い尽くした。
視界は春の色に埋め尽くされ、春のかけら意外に何も見えなくなり、ひらりという春の音だけがこの夢のような光景を、私の存在を、力強く確かめさせてくれた。
――――ぱしんっ
私は思わず、手を伸ばしていた。
そっと手を開くと、そこには春の感触が残っていて。
泣きそうになった。
それがあんまりに懐かしくて、嬉しくて、あたたかくて、私は泣きそうになった。
花びらは光の束によって透過し、きらきらと輝いていて。
それを見てすごい、という言葉や、きれい、という言葉をもらすでもなく、私はただ――泣きたくなった。
そして、
桜の雨の合間、そのとおくに。
リリーさんの笑顔が見えた気がした。
――――さようなら。また、今度。
――……やがて視界はひらけ、眩しい、新しい世界が私の眼に飛び込んでくるだろう。
そう、新しい世界。新しい、季節。
次に見える風景はきっともう、春じゃない。
私は、そんな気がした。
□
雨はいつの間にか、止んでいた。
演奏もいつの間にか、終わっていた。
残っていたのは足元に溜まった桜の花びらと、私と、リリカさんだけだった。
向こうで流れる小さな川には、花筏《はないかだ》が出来ていた。
「あーあ。びしょびしょになっちゃったね、ヤダヤダ」
そういう彼女は、ちっとも嫌そうな顔をしていなかった。
「本当、災難です。こんな事になるなんて聞いてません」
濡れた服の中に入り込んだ花びらをつまみ出しながら、私も言った。
「その割にアンタ、楽しそうだけど?」
リリカさんが言った。
「それを言うなら、あなただって嬉しそうじゃないですか」
私達は、違いない、と笑い合った。
大樹に目をやると、きらきらと、しずくが若葉を伝っていた。
□
「お、やっとお出ましか。遅いぜ遅いぜ」
「これでも急いで来たんですけどね。あと私一応、幻想郷最速やってますんで速いです」
リリカさんと別れたあと、私は博麗神社に戻ってきた。
結果を一番に聞かせるという約束を果たすため――――と言えば格好良いけど、実際のところ、私も酒が呑みたくなった。ただそれだけの事だった。
「で、どうだったの?」
「えーと。実はですね、ちょっと、泣きそうでした」
「そっか」
霊夢さんの質問に、私は曖昧に答えただけだったけど、彼女はそれ以上のことを聞こうとはしなかった。
「さて、今日は私も一杯頂きますよ!」
「まてまて、もうちょっと聞かせてくれよ」
「あ、わたしも聞きたいです」
だけど魔理沙さんだとか、美鈴さん(まだ居たのには驚いたけど)は許してくれそうになかった。
咲夜さんとレミリアさんは相変わらず、蝙蝠傘の下で優雅にワインなんか愉しんでいるみたいだった。
「聞きたいですか? 聞きたいですか?」
私は自分でも分かるくらいに上機嫌で繰り返し、魔理沙たちのじれったそうな顔を見て楽しんだ。
あんまりじらすのも怒られそうだったので、ひとつ咳をして、そうですね、と続けた。
「私、四季の中で春が一番好きになりました」
へえ、と魔理沙さんは頷いた。
「でも数ヵ月後には夏が好きになった、っていってるぜ、きっと」
「その次は秋で、仕舞いには冬も一番好きになりましたー! って、ですか?」
「ああ。きっとな」
「……ええ、そうかも知れませんね」
私はちょっと想像してみた。
夏の私達。秋の風景。冬の積雪。そして次の春。
晴れの日もあれば、雨の日もあるだろうし、風の日も、台風だってくるだろう。
熱かったり寒かったり、虫が多かったり、食べ物が美味しかったり。
そんな毎日を、こんな季節が好きです、こんな一日もいいものですね、と笑って暮らすのだ。
素敵ですね、と私は頷いて空を見上げた。
初夏の青い空。そこには、七色の虹が浮かんでいた。
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「――――こんな一日もいいものですね、と笑って暮らすのだ……射命丸文……――――っと。よし、中々の出来です」
その日の夜に、私は記事を書いた。
リリーさんのことには触れず、ただ、私の書きたいことだけを選んで書いた。
「あとは、見出しです」
うーむ何にしようか。
と悩むふりをしてみたけれど、実はもう、心に決めていた。
私は自慢の筆を紙面にすべらせた。黒いインクが筆の先で跡を残し、さらさらと小気味好《こきみよ》い音とともに一字一画が出来上がっていった。
満足し、筆を置く。机には今日撮った数々の写真が散らばっていた。
その中の一枚、大きな虹の前でみんなが集まって撮った写真を拾い上げてみた。
「……ふふっ」
それをじっと眺めているとちょっと嬉しくなってきたので、お気に入りの見出し文字をつい声に出してみたら、なおさらに嬉しくなってきて、どうにも仕方が無かった。
「――――過ぎ行く春に、桜雨の歓びを――――」
桜が目に沁みました。きっとそうです。
散り往く華に涙し、やがて若葉を繁らせる
桜に生命を感じて自然に笑顔がこぼれるのですよ。
日本に生まれて良かったと心から想う瞬間です。
設定に関しては現状記述や解釈等不自然に思える点もないので問題は無いと思いますよ。といいますかむしろちゃんとしっかり調べてあるというその姿勢は好感が持てました。
これからも頑張ってください。
応援ありがとうございます。
お花見ですか。僕、実はやったことないんですよね。
来年辺りは東方ファンの皆さんと墨染寺で薄墨桜を見に行きたいなあ、とか思ってます。
>ごちそうさまでした。
おかわりはいかがでしょうか?
ほら、炊きたてご飯と一緒に味噌汁もどうぞ。
>日本に生まれて良かったと心から想う瞬間です。
いいですよねー、日本。でも、日本の将来を考えてみたりするとちょっと恐くなるのは秘密です。
>春らしい素敵な話でした
どちらかというと、最後に出た「初夏」という言葉に素敵さを感じてもらいたかったりします。でも、春らしさを感じてもらえて嬉しいです。
日本に生まれてよかったと心から思えるような美しい文章だと感じました。
めるぽかわいそす・゚・(ノД`)・゚・
とてもよいお話をありがとうございます。
リリカが素敵。
ありがとうございます。粋な男になりたい僕には最高の褒め言葉です。
リリカの演奏、一度でいいから聴いてみたいですよね。彼女へ届け僕の想い!
>めるぽかわいそす・゚・(ノД`)・゚・
メルランさんは成仏なさいました。けど、すぐに戻って来ます。
あっちの世界でもちょっと騒ぎすぎて追い返されるみたいです。つええ。
>文章でここまで表現できるんだなぁと感動しました。
最高の褒め言葉第二弾きましたよコレ! ありがとうございます。
僕はろくな文章力持ってないくせに、こういうガチンコ表現のあるSSを結構書いてしまうみたいなので、そう言って貰えると嬉しい限りです。
目標は、否応を言わせずに風景を連想させる、映画のような文章です。