高い秋の空を隠す低い頭上の雲、そこから降り注ぐもの、そして山道の上に敷かれた絨毯、
全てが紅、茶、黄、わずかばかりの緑で織り成されている。紅葉と落葉の時期を迎えた
妖怪の山、その麓。次第に冬を迎えようとしている時節の朝であるため、非常に肌寒い。
つい昨夜に開かれた人間の里での収穫祭が明けた後でも、この場所はそのような喧騒とは
無縁で、静寂に満ちていた。鼓膜をわずか、響かせるものはそよ風に揺れる木々と、踏み
しめられる落ち葉。むき出しの足裏にその感触までも覚えさせつつ、豊穣を司る秋の神、
秋穣子は帰路につく。腕には人里からの土産である、葡萄酒とパン、チーズ、種々の果実を
入れたバスケットを提げている。彼女は今年もまたつつがなく開かれた収穫祭に賓客として
迎えられ、祭りを楽しんできた後だった。祭りそのものは実に盛大で、土産に渡された品も
彼女達の好みに合う西洋の物であったため、実に上機嫌で歩を進めていた。しかし、この
道の先に待っている者のことを思うにつれて、浮わついた足取りが少しずつ重たくなっていく。
色彩鮮やかな錦の天蓋が途絶え、木々の無い開けた空間が現れた。この広場の奥に
ひっそりと構えられているのは、山小屋くらいの大きさの無人社。この建物は丸太で
組んだ校倉造りで建築されているため、どことなく簡素な佇まいに感じられる。屋根には
どういうわけか、紅色の落ち葉のみが降り積もっている。穣子は無人社の前まで歩み寄り、
屋根の上に声をかけた。
「ただいま、姉さん」
声の切れより少し遅れて、屋根から一枚、また一枚と紅い木の葉が穣子の隣にひらり
ひらりと舞い落ちてくる。次第に降りしきる紅い牡丹雪、その中にまぎれて、一際大きな
紅がひるがえる。それは、真紅の衣装に身を包んだ一人の少女。彼女は宙で一度回転して、
それから無音で紅の落ち葉の上に爪先立った。つまんでいたスカートの裾をおもむろに
離す。そして隣にいる穣子に、わずか陶酔感を含めた笑顔を向けた。対する穣子は溜息
混じりに声を返す。
「はいはい、実に風雅な舞い降り方だったわ、流石は静葉姉さん。それよりもほら、
人間の里で色々と貰ってきたわ。朝ごはんにしない?」
寂寥と終焉を司る秋の神、秋静葉は妹のそっけない対応に頬を膨らませる。やけに
子供っぽく見えてしまう姉のそんな仕草に、力の抜けた笑みを返す穣子。
(今年もまぁ、思っていたよりも元気そうね)
自分だけが人里の収穫祭に招待されているときの姉の様子は、穣子にとっては何かと
気がかりだった。穣子の司るものは秋の実りという和、及び不稔という荒、それゆえに
人里では農耕に携わる者たちからそれなりの信仰が得られている。昨晩のように人々に
請われて収穫祭に顔を出すなど、交流も充分に図られている。一方、静葉の司るものは
秋の彩りと朽ち果て。これは人にとって実益はあまりなく、かといって是が非でも阻止
したい事象でもない。和を求めるにも荒を鎮めるにも足らない、静葉はそのような
神霊であった。だから静葉には人々の信仰が集まりにくい、力も穣子より弱い、弾幕
遊びも不得手なのである。そんな姉が、一人でもちゃんと無聊の時間を埋められている
だろうか、その日の食事に事欠いていないだろうか、あれこれと気をもんでいた時期も
かつてはあった。今にして思えば杞憂が過ぎたのではと感じている。
先ほどの膨れ面はどこへやら、興味深げにバスケットを覗き込もうとしてくる静葉を見て、
穣子は改めてそう思った。
千切ったパンから溢れる香ばしさ、そこに苺のジャムを塗りつけて、甘酸っぱい匂いを
組み合わせる。葡萄酒の瓶のコルク栓は既に抜かれ、その中身はグラスの中で金緑石の
ごとき淡い輝きを纏いつつ、爽やかな芳香を放っている。その甘露を口の中に注ぎ、
すぐにオリーブスライスの乗ったチーズに後を追わせる。
頬の内側に広がる種々の芳香の余韻を目を閉じて愉しむ穣子。落葉の絨毯の上に座って
いる彼女の前には、大きな切り株をテーブル代わりに、持ち帰ったバスケットとその
中身が置かれている。その向かい側には、別の木が裾野を伸ばしてきた根の上に静葉が
腰掛けている。その静葉は先程からパンを頬張った状態で語りかけてきている。とは
いうもののそれは言の葉を介した形ではない。もみじの葉を連想させる、小さく繊細な
手のひら、それがせわしなく様々な形をとり、穣子の視界を前に舞い踊る。手話・・・そう
呼ばれるものに近い意思伝達法。その意味するところを正確に理解できるのは、今の
ところ穣子だけである。静葉は穣子が祭りに呼ばれている間にあった出来事を必要以上に
事細かに伝えてくる。姉が食事と意思伝達を同時に行ってくるので、対応する穣子は
あまり食事にありつけない。かといって返事を疎かにすると、姉の機嫌を損ねてしまう。
現に今、話題となっているのは紅葉自慢と冬が近付いていることに対する愚痴であり、
それを見るだけで空模様が窺える。
(私がいない間、相当ヒマだったのね。せっかくの収穫祭の後の逸品なのに・・・まぁいいか、
私は昨晩もっと豪華なご馳走にありつけていたわけだし)
静葉は右手でグラスを傾けつつ、左手だけを目まぐるしく変形させる。いつものこと
ながら器用なものだと感心する。自分でもこの手振りを真似してみようと思ったことは
あるが、あまりの複雑さに挫折してしまった。何より、言葉によってこちらの意思を充分に
伝えられるという事実が、習得の意欲を大幅に削り取った。自分はただ、姉の話を理解する
事ができる、それだけでいいと穣子は思うことにした。とはいえ、その事実は今のような
状況では都合が悪い。穣子は勢いをつけて葡萄酒を最後まで飲み干すと、手を合わせて
頭を傾けた。
「ご馳走様」
こういうときは食事のことは諦めてさっさと切り上げた方が面倒はない、穣子はそう判断
した。姉の長話でこれ以上胃を膨らませたくはない。穣子は腰を浮かせようとして・・・
「さ、後片付けしないと。あぁ、姉さんはまだ食べてても・・・いい・・・のよ」
服の袖を掴まれてしまっていることに、言葉の途中で気が付いた。静葉は膝を付いて前
のめりになって、手を穣子の袖まで届かせている。自分のよりも下に移ったその顔を
窺うと、不機嫌そうな容貌、だがその中に幾分か寂しさと甘えが混じっているように
見えた。穣子は諦めるべき物事を追加することにした。まだ瓶の中に残っている葡萄酒を
まずは姉のグラスに、それから自分のグラスに注ぐ。
「それで、木々の紅葉は姉さんの紅潮と同調しているっていう話だったかしら?」
話半分で切り上げようとしてほとんど流してしまっていたためか、見当はずれな返答を
する穣子を、首を大きく横に振ってからねめ上げる静葉。それから片手で話の訂正と
文句をまくし立てる、もう片方の手は穣子の袖から離すことなく。そんな姉の様子に
苦笑を浮かべつつ、適当に相槌を打ってはグラスを傾ける穣子。
結局、姉の話が終わる頃には、陽は既に高く昇りきってしまっていた。
まだ緑の残る木々の、枝から枝へと輪舞しながら飛び移る。スカートがひるがえって
旋回するたびに、緑の葉が時に赤く、時に黄色く変ずる。さらに高い枝へと飛翔する、
その余韻が舞い散る木の葉に残される。木の頂上で両腕を広げながら旋回し、裾野から
峰まで全てが朱に染まるやいなや、開いていた両腕を閉じて自らの身を抱き締める。
そのまま旋回を緩めていき、止まったところで身を傾け、木の葉の枝から離れるときの
ように落下する、連れ添いの落葉を纏って。その身を風が柔らかくすくい上げ、その
恩恵を最大限受けるためにスカートをつまんで展開し、再び飛翔する。
「While she is turning, leaves are turning red, というところかしら」
姉の踊る様を前に、木々の下で呟く穣子。晩秋は穣子よりも静葉の活動が活発になる
時節である。季節の黄昏時の、この一日の黄昏時まで、妖怪の山を飛び回っていた静葉に
引きずられていた穣子はそれを改めて思い知る。ただ溌剌としているように見えても、
一人で踊りまわる様の端々に終焉の寂しさを感じずにはいられない。穣子は膝を折り、
鮮やかに染まった一枚の紅葉を拾う。舞いと共に訪れる木々の紅葉は華やかなもので
あるが、同時にそれは衰退の始まりを意味するものでもある。それゆえに賑やかな
祭りとは相容れない性質であるということを穣子は勿論、静葉も充分に自覚している。
だから静葉は人間の里の収獲を祝う祭りには参加しない。寂しさを司る神は寂寥の中に
自らを置かなければならない。またその心の動きを理解するために、感情を殺すことは
許されない。静けさの為に声を殺すことはあっても。
穣子は葉柄を捻り回し、愁いを帯びた溜息を吐く。このような気分を誘発するのもこの
季節の特色の一つであり、姉はその色を具現化した存在である、その事実も哀愁に拍車を
かける。寒風が地面の落ち葉を巻き上げ、穣子を通り過ぎていった。冬の足音が聞こえて
きていることも影響しているのかもしれない。服に付いた木の葉を振り払うように穣子は
立ち上がる。頭上の緑は見る影もないほど薄れ、代わりに映るのはそよ風に揺れる紅葉と
落葉。姉の前では決して口にはしないが、見事なものだと思う。木々のざわめく音が
万雷の拍手となり、狂おしいほどに落ちる木の葉はダンスホールを埋める紙吹雪となって、
穣子の代弁を務めてくれている。穣子は足元の影に目をやると二、三歩後ずさり、
エプロンを持ち上げて広げる。
自らの身を抱き締めたダンサーはその上に、背から舞い落ちてきた。舞台を終え、疲弊
しきった静葉をしっかりと抱きとめる穣子。全身はすっかり脱力し、額には汗、頬には朱。
「なんだ、やっぱり姉さんの紅潮と同調してるじゃない」
妹の言葉を受けて、苦く笑う静葉。穣子も笑い返し、姉の鼻先に自分の横髪を寄せる。
すると呼吸を乱していた静葉の息遣いが緩やかになり、そのまま静葉は目を閉じた。
穣子は様々な農作物・果実の香りを身に纏っている。その中には気分を落ち着け、眠気を
誘う薬効を持つものもいくらか含まれている。姉が眠りに落ちたのを確認し、その身体が
ずり落ちないように体勢を整え・・・姉の華奢な身体を抱きなおす。
(こんな細身で力も弱いというのに、幻想郷中の木々を染め上げ、そして散らせると
いうのだからたいしたものだわ)
穣子は次第に暗くなりつつある森を見渡す。腕の中にいる小さな存在に比して遥かに
大きなアトリエ。しかもこれはまだほんの一部にすぎない。これから姉が取り掛からねば
ならない作業の多さに憂いを抱きつつ、しかし毎年のことと思い直し、穣子は安らかに
身を委ねてくる姉を連れて無人社への帰路についた。
鮮やかに色づいた妖怪の山だけでなく、乾坤の全てを塗りつぶす夜が訪れた。その中で、
色をわずか取り戻してくれる星々、月の明かりの下、穣子は屋外で夕餉の支度をしていた。
静葉はまだ社の中にしつらえた二段ベッドの上段で安静にしている。このまま晩御飯が
出来上がるまでは眠っていてもらおう、穣子はそう考えていた。気を静められるように、
ラベンダーを基調としたポプリなどを効かせておくことも忘れない。
姉と共に山を回っていたときに拾っておいた栗の皮を丁寧に剥いていく。その粒の大きさや
数から、ここ最近の妖怪の山における食材の実りが、新たな神を迎えた事でいっそう豊かな
ものとなっていることを実感させられる。
皮を取り払った栗を新米や根菜、茸などと一緒に釜に入れて、山水を注ぐ。乾を創造し
恵みの雨をもたらすというその神は、その神徳と信仰を山だけでなく麓にある人間の里にも
広めようと画策していて、そのために自分達のような幻想郷の土着神の手も借りようと
している。
火にかけた釜と蓋のスキマから、香ばしい湯気が立ち上っていく。・・・上手くすれば
排他的な妖怪の山と人間の里との境界をある程度曖昧なものに出来るかもしれない、そう
すれば里の人間も気軽に山に近付くことができ、紅葉狩りなどを楽しんでいける、そういう
時が訪れるのではないだろうか、穣子は密かな期待を胸に抱いていた。錦の天蓋・屏風・
毛氈で飾られたハレの舞台で執り行われる秋の祭りは、また違った趣を人間達に与える
ものに違いない。その舞台でなら姉の舞いもさぞかし映えることだろう。今日のように
観客がひとりだけというのは勿体無い。ついでに打ち明けるなら、姉に見せ付けられるのが
自分だけという億劫な現状を打破してもらいたい。
炊き上がった釜の蓋を持ち上げる。舌鼓を打たせる芳醇な香りが湯気の形をとって視界を
覆う。夕食の出来栄えを確かめるために、大粒の栗を含み、香りとともに舌の上に遊ばせる。
つまみ食いへの言い訳は、秋の香りを体の内側まで行き渡らせるため。そうして準備を整え、
香ばしい匂いが薄まってしまわないうちに釜の蓋を閉じる。
「さて、今日は散々姉さんに紅葉の美を見せ付けられたわけだから、そのお返しをしないとね。
色彩が奪われてしまった今の時間からが私のターン」
収獲の秋の香りを封じ込めた釜を持ち上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべて、穣子は姉の待つ
無人社へ歩いていった。
全てが紅、茶、黄、わずかばかりの緑で織り成されている。紅葉と落葉の時期を迎えた
妖怪の山、その麓。次第に冬を迎えようとしている時節の朝であるため、非常に肌寒い。
つい昨夜に開かれた人間の里での収穫祭が明けた後でも、この場所はそのような喧騒とは
無縁で、静寂に満ちていた。鼓膜をわずか、響かせるものはそよ風に揺れる木々と、踏み
しめられる落ち葉。むき出しの足裏にその感触までも覚えさせつつ、豊穣を司る秋の神、
秋穣子は帰路につく。腕には人里からの土産である、葡萄酒とパン、チーズ、種々の果実を
入れたバスケットを提げている。彼女は今年もまたつつがなく開かれた収穫祭に賓客として
迎えられ、祭りを楽しんできた後だった。祭りそのものは実に盛大で、土産に渡された品も
彼女達の好みに合う西洋の物であったため、実に上機嫌で歩を進めていた。しかし、この
道の先に待っている者のことを思うにつれて、浮わついた足取りが少しずつ重たくなっていく。
色彩鮮やかな錦の天蓋が途絶え、木々の無い開けた空間が現れた。この広場の奥に
ひっそりと構えられているのは、山小屋くらいの大きさの無人社。この建物は丸太で
組んだ校倉造りで建築されているため、どことなく簡素な佇まいに感じられる。屋根には
どういうわけか、紅色の落ち葉のみが降り積もっている。穣子は無人社の前まで歩み寄り、
屋根の上に声をかけた。
「ただいま、姉さん」
声の切れより少し遅れて、屋根から一枚、また一枚と紅い木の葉が穣子の隣にひらり
ひらりと舞い落ちてくる。次第に降りしきる紅い牡丹雪、その中にまぎれて、一際大きな
紅がひるがえる。それは、真紅の衣装に身を包んだ一人の少女。彼女は宙で一度回転して、
それから無音で紅の落ち葉の上に爪先立った。つまんでいたスカートの裾をおもむろに
離す。そして隣にいる穣子に、わずか陶酔感を含めた笑顔を向けた。対する穣子は溜息
混じりに声を返す。
「はいはい、実に風雅な舞い降り方だったわ、流石は静葉姉さん。それよりもほら、
人間の里で色々と貰ってきたわ。朝ごはんにしない?」
寂寥と終焉を司る秋の神、秋静葉は妹のそっけない対応に頬を膨らませる。やけに
子供っぽく見えてしまう姉のそんな仕草に、力の抜けた笑みを返す穣子。
(今年もまぁ、思っていたよりも元気そうね)
自分だけが人里の収穫祭に招待されているときの姉の様子は、穣子にとっては何かと
気がかりだった。穣子の司るものは秋の実りという和、及び不稔という荒、それゆえに
人里では農耕に携わる者たちからそれなりの信仰が得られている。昨晩のように人々に
請われて収穫祭に顔を出すなど、交流も充分に図られている。一方、静葉の司るものは
秋の彩りと朽ち果て。これは人にとって実益はあまりなく、かといって是が非でも阻止
したい事象でもない。和を求めるにも荒を鎮めるにも足らない、静葉はそのような
神霊であった。だから静葉には人々の信仰が集まりにくい、力も穣子より弱い、弾幕
遊びも不得手なのである。そんな姉が、一人でもちゃんと無聊の時間を埋められている
だろうか、その日の食事に事欠いていないだろうか、あれこれと気をもんでいた時期も
かつてはあった。今にして思えば杞憂が過ぎたのではと感じている。
先ほどの膨れ面はどこへやら、興味深げにバスケットを覗き込もうとしてくる静葉を見て、
穣子は改めてそう思った。
千切ったパンから溢れる香ばしさ、そこに苺のジャムを塗りつけて、甘酸っぱい匂いを
組み合わせる。葡萄酒の瓶のコルク栓は既に抜かれ、その中身はグラスの中で金緑石の
ごとき淡い輝きを纏いつつ、爽やかな芳香を放っている。その甘露を口の中に注ぎ、
すぐにオリーブスライスの乗ったチーズに後を追わせる。
頬の内側に広がる種々の芳香の余韻を目を閉じて愉しむ穣子。落葉の絨毯の上に座って
いる彼女の前には、大きな切り株をテーブル代わりに、持ち帰ったバスケットとその
中身が置かれている。その向かい側には、別の木が裾野を伸ばしてきた根の上に静葉が
腰掛けている。その静葉は先程からパンを頬張った状態で語りかけてきている。とは
いうもののそれは言の葉を介した形ではない。もみじの葉を連想させる、小さく繊細な
手のひら、それがせわしなく様々な形をとり、穣子の視界を前に舞い踊る。手話・・・そう
呼ばれるものに近い意思伝達法。その意味するところを正確に理解できるのは、今の
ところ穣子だけである。静葉は穣子が祭りに呼ばれている間にあった出来事を必要以上に
事細かに伝えてくる。姉が食事と意思伝達を同時に行ってくるので、対応する穣子は
あまり食事にありつけない。かといって返事を疎かにすると、姉の機嫌を損ねてしまう。
現に今、話題となっているのは紅葉自慢と冬が近付いていることに対する愚痴であり、
それを見るだけで空模様が窺える。
(私がいない間、相当ヒマだったのね。せっかくの収穫祭の後の逸品なのに・・・まぁいいか、
私は昨晩もっと豪華なご馳走にありつけていたわけだし)
静葉は右手でグラスを傾けつつ、左手だけを目まぐるしく変形させる。いつものこと
ながら器用なものだと感心する。自分でもこの手振りを真似してみようと思ったことは
あるが、あまりの複雑さに挫折してしまった。何より、言葉によってこちらの意思を充分に
伝えられるという事実が、習得の意欲を大幅に削り取った。自分はただ、姉の話を理解する
事ができる、それだけでいいと穣子は思うことにした。とはいえ、その事実は今のような
状況では都合が悪い。穣子は勢いをつけて葡萄酒を最後まで飲み干すと、手を合わせて
頭を傾けた。
「ご馳走様」
こういうときは食事のことは諦めてさっさと切り上げた方が面倒はない、穣子はそう判断
した。姉の長話でこれ以上胃を膨らませたくはない。穣子は腰を浮かせようとして・・・
「さ、後片付けしないと。あぁ、姉さんはまだ食べてても・・・いい・・・のよ」
服の袖を掴まれてしまっていることに、言葉の途中で気が付いた。静葉は膝を付いて前
のめりになって、手を穣子の袖まで届かせている。自分のよりも下に移ったその顔を
窺うと、不機嫌そうな容貌、だがその中に幾分か寂しさと甘えが混じっているように
見えた。穣子は諦めるべき物事を追加することにした。まだ瓶の中に残っている葡萄酒を
まずは姉のグラスに、それから自分のグラスに注ぐ。
「それで、木々の紅葉は姉さんの紅潮と同調しているっていう話だったかしら?」
話半分で切り上げようとしてほとんど流してしまっていたためか、見当はずれな返答を
する穣子を、首を大きく横に振ってからねめ上げる静葉。それから片手で話の訂正と
文句をまくし立てる、もう片方の手は穣子の袖から離すことなく。そんな姉の様子に
苦笑を浮かべつつ、適当に相槌を打ってはグラスを傾ける穣子。
結局、姉の話が終わる頃には、陽は既に高く昇りきってしまっていた。
まだ緑の残る木々の、枝から枝へと輪舞しながら飛び移る。スカートがひるがえって
旋回するたびに、緑の葉が時に赤く、時に黄色く変ずる。さらに高い枝へと飛翔する、
その余韻が舞い散る木の葉に残される。木の頂上で両腕を広げながら旋回し、裾野から
峰まで全てが朱に染まるやいなや、開いていた両腕を閉じて自らの身を抱き締める。
そのまま旋回を緩めていき、止まったところで身を傾け、木の葉の枝から離れるときの
ように落下する、連れ添いの落葉を纏って。その身を風が柔らかくすくい上げ、その
恩恵を最大限受けるためにスカートをつまんで展開し、再び飛翔する。
「While she is turning, leaves are turning red, というところかしら」
姉の踊る様を前に、木々の下で呟く穣子。晩秋は穣子よりも静葉の活動が活発になる
時節である。季節の黄昏時の、この一日の黄昏時まで、妖怪の山を飛び回っていた静葉に
引きずられていた穣子はそれを改めて思い知る。ただ溌剌としているように見えても、
一人で踊りまわる様の端々に終焉の寂しさを感じずにはいられない。穣子は膝を折り、
鮮やかに染まった一枚の紅葉を拾う。舞いと共に訪れる木々の紅葉は華やかなもので
あるが、同時にそれは衰退の始まりを意味するものでもある。それゆえに賑やかな
祭りとは相容れない性質であるということを穣子は勿論、静葉も充分に自覚している。
だから静葉は人間の里の収獲を祝う祭りには参加しない。寂しさを司る神は寂寥の中に
自らを置かなければならない。またその心の動きを理解するために、感情を殺すことは
許されない。静けさの為に声を殺すことはあっても。
穣子は葉柄を捻り回し、愁いを帯びた溜息を吐く。このような気分を誘発するのもこの
季節の特色の一つであり、姉はその色を具現化した存在である、その事実も哀愁に拍車を
かける。寒風が地面の落ち葉を巻き上げ、穣子を通り過ぎていった。冬の足音が聞こえて
きていることも影響しているのかもしれない。服に付いた木の葉を振り払うように穣子は
立ち上がる。頭上の緑は見る影もないほど薄れ、代わりに映るのはそよ風に揺れる紅葉と
落葉。姉の前では決して口にはしないが、見事なものだと思う。木々のざわめく音が
万雷の拍手となり、狂おしいほどに落ちる木の葉はダンスホールを埋める紙吹雪となって、
穣子の代弁を務めてくれている。穣子は足元の影に目をやると二、三歩後ずさり、
エプロンを持ち上げて広げる。
自らの身を抱き締めたダンサーはその上に、背から舞い落ちてきた。舞台を終え、疲弊
しきった静葉をしっかりと抱きとめる穣子。全身はすっかり脱力し、額には汗、頬には朱。
「なんだ、やっぱり姉さんの紅潮と同調してるじゃない」
妹の言葉を受けて、苦く笑う静葉。穣子も笑い返し、姉の鼻先に自分の横髪を寄せる。
すると呼吸を乱していた静葉の息遣いが緩やかになり、そのまま静葉は目を閉じた。
穣子は様々な農作物・果実の香りを身に纏っている。その中には気分を落ち着け、眠気を
誘う薬効を持つものもいくらか含まれている。姉が眠りに落ちたのを確認し、その身体が
ずり落ちないように体勢を整え・・・姉の華奢な身体を抱きなおす。
(こんな細身で力も弱いというのに、幻想郷中の木々を染め上げ、そして散らせると
いうのだからたいしたものだわ)
穣子は次第に暗くなりつつある森を見渡す。腕の中にいる小さな存在に比して遥かに
大きなアトリエ。しかもこれはまだほんの一部にすぎない。これから姉が取り掛からねば
ならない作業の多さに憂いを抱きつつ、しかし毎年のことと思い直し、穣子は安らかに
身を委ねてくる姉を連れて無人社への帰路についた。
鮮やかに色づいた妖怪の山だけでなく、乾坤の全てを塗りつぶす夜が訪れた。その中で、
色をわずか取り戻してくれる星々、月の明かりの下、穣子は屋外で夕餉の支度をしていた。
静葉はまだ社の中にしつらえた二段ベッドの上段で安静にしている。このまま晩御飯が
出来上がるまでは眠っていてもらおう、穣子はそう考えていた。気を静められるように、
ラベンダーを基調としたポプリなどを効かせておくことも忘れない。
姉と共に山を回っていたときに拾っておいた栗の皮を丁寧に剥いていく。その粒の大きさや
数から、ここ最近の妖怪の山における食材の実りが、新たな神を迎えた事でいっそう豊かな
ものとなっていることを実感させられる。
皮を取り払った栗を新米や根菜、茸などと一緒に釜に入れて、山水を注ぐ。乾を創造し
恵みの雨をもたらすというその神は、その神徳と信仰を山だけでなく麓にある人間の里にも
広めようと画策していて、そのために自分達のような幻想郷の土着神の手も借りようと
している。
火にかけた釜と蓋のスキマから、香ばしい湯気が立ち上っていく。・・・上手くすれば
排他的な妖怪の山と人間の里との境界をある程度曖昧なものに出来るかもしれない、そう
すれば里の人間も気軽に山に近付くことができ、紅葉狩りなどを楽しんでいける、そういう
時が訪れるのではないだろうか、穣子は密かな期待を胸に抱いていた。錦の天蓋・屏風・
毛氈で飾られたハレの舞台で執り行われる秋の祭りは、また違った趣を人間達に与える
ものに違いない。その舞台でなら姉の舞いもさぞかし映えることだろう。今日のように
観客がひとりだけというのは勿体無い。ついでに打ち明けるなら、姉に見せ付けられるのが
自分だけという億劫な現状を打破してもらいたい。
炊き上がった釜の蓋を持ち上げる。舌鼓を打たせる芳醇な香りが湯気の形をとって視界を
覆う。夕食の出来栄えを確かめるために、大粒の栗を含み、香りとともに舌の上に遊ばせる。
つまみ食いへの言い訳は、秋の香りを体の内側まで行き渡らせるため。そうして準備を整え、
香ばしい匂いが薄まってしまわないうちに釜の蓋を閉じる。
「さて、今日は散々姉さんに紅葉の美を見せ付けられたわけだから、そのお返しをしないとね。
色彩が奪われてしまった今の時間からが私のターン」
収獲の秋の香りを封じ込めた釜を持ち上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべて、穣子は姉の待つ
無人社へ歩いていった。
なぜか耽美美少女物という気がしません。危うさの種類が違うんでしょうか。
秋姉妹を書きたかったから全力で書いてみた、と作者に見せつけられた気分ですよw
ごちそうさまでした。
日本に生まれてよかったズラ、と思わせてくれる良SSです。
ああ、可愛いなぁ秋姉妹。
秋姉妹と作者さんへ私からの愛込めて。