◆◆◆
そこはどこかで見た事がある場所できっと昔の記憶なのだと思った。
夢なのだからそれは当たり前なのかもしれないのだけれどきっとこれは自分の昔の記憶なのだろう。
この暗い部屋で向き合ってもう1人誰か立っていた。
彼女の顔は見えないけどきっと笑っているだろう。
思った通りに彼女は心底おかしそうに笑ってこう言った。
「ねぇ」
「くだらないことをしているの?」
「いつまでそんな」
◆◆◆
「お嬢様、失礼します」
2回のノックの後に、そうやって呟いてから主人の部屋に入るのが咲夜のいつものルールだった。
まだ起きていないであろう主人の邪魔にならない程度の音と声で、それでいて一言添えるのは忘れず。
そしていつも通り反応の無い主人の声を待たずして、部屋へと入る。
「あら咲夜。どうしたのこんな時間に」
「え、あ……」
が、その日は違った。
すでにレミリアは起きており、ベットに腰かけて本を読んでいたのだった。
まだお昼である。吸血鬼は寝ている時間のはずである。
一体どういった風の吹き回しなのか、すがすがしい顔のレミリアになぜか異様なオーラを感じ、咲夜は半歩下がっていた。
正直、「どうしたのこんな時間に」はこっちのセリフであった。
だが咲夜も瀟洒なメイド長である。
この程度の主人の気まぐれでいつまでもうろたえているわけにはいかない。
小さく咳ばらいをして、下がった半歩を前に出し、そして部屋に入っていった。
「お嬢様が寝ていらっしゃる間にお部屋の掃除をしようと思ったのですが、邪魔のようでしたね」
「あら、わざわざ御苦労さま。そうね……お願いしようかしら」
嫌味ではなく、本心から邪魔になるだろうと思って言った言葉だったのだが、レミリアはどう取ったのか本を閉じて立ち上がってしまった。
しまった。わざわざお嬢様の体を煩わせてしまった。と後悔した咲夜だったが、次のレミリアの言葉はその後悔を突き飛ばす衝撃があった。
「それで、なにをすればいいの?」
「……はい?」
「だから、何をすればいいのよ」
「あの、何がでしょうか?」
レミリアとは長い付き合いである。レミリアが何を言いたいのかは大体分かる。
でも、それでも。まさかレミリアがそんな事を言う筈が無いと思っている咲夜は聞き返していた。
レミリアはやれやれ。みたいな顔をした後、大真面目な顔でこう告げた。
「だから、私は咲夜の掃除をどうやって手伝えばいいの?」
……どうやら、間違いではなかったようだった。
「いえ、あの、お嬢様の手を煩わせることもありませんし、私1人で大丈夫です」
「ダメよ。自分の部屋くらい自分で掃除するわよ」
「いえ、ですが」
「いいったらいいのよ。もう、勝手にやるわ」
頬を膨らませながらも、レミリアは咲夜の持っていたはたきを奪い取って掃除を始めた。
ここまできたら、もう何を言っても無駄か。と諦めた咲夜は小さくため息をしてから、自分も掃除にとりかかった。
1人でやるよりは時間のかかったものの、レミリアと一緒に掃除をするという、
非日常的なできごとを咲夜は少なからず楽しんでいた。
それが、レミリアの異変の1個目であり、『その日』から2週間前だった。
◆◆◆
「くだらなくなんてないわ。いいからきえなさい」
目の前の人影にそう言うが人影は声を荒げて笑うだけだった。
なにが可笑しいのかなにが滑稽なのか。
それも分からない自分を笑っているのか。
そして人影は少しづつ近づきながらさらに話しかけてきた。
「ねぇ」
「いつまでもそんな無駄なこと」
「してないで素直になりなよ」
◆◆◆
どうも最近、美鈴の仕事が雑である。
咲夜はメイドたちの噂を頼りに調査した結果、確かに美鈴の『門番としての仕事』は雑になっていた。
『門番としての仕事』は、である。
すこし前、料理番であるメイドが1人体調不良になったことがあった。
その際に代わりをうってでたのが美鈴だった。
美鈴の作りだす中華料理の数々は絶品であり、あのレミリアでさえもうならせるレベルだった。
それで気を良くしたのか、最近の美鈴はやたら料理に凝っていた。
それは門番としての仕事をおろそかにするレベルで、である。
案の定、その日も美鈴は厨房にいた。
「……美鈴」
「あ、咲夜さん! 見てください新作ですよ新作!!」
すこしだけ怒気を織り交ぜた呼びかけだったのだが、美鈴は気付いていないのか大皿に盛った料理を咲夜に近づけてきた。
たしかにおいしそうな匂いと見た目である。
これだけでご飯は3杯はいけるだろう。
でも、今はそのことを話しに来たのではない。
咲夜はサッと、ナイフを1本取り出した。
「ひっ!! さ、咲夜さんこの料理嫌いでしたか!?」
その動作に思わず声をあげる美鈴だったが、怒られると思った事はかなり見当違いなものだった。
怒るを通り越してもはや呆れかえった咲夜は上げたナイフをゆるゆると下げた。
「……美鈴。あなたの仕事はなに?」
「え? 門番ですけど」
「それじゃあ、今やってることは?」
「え? 料理ですけど」
「……あなたの仕事は?」
「え? 門番ですけど……?」
イライラしてきた。
いい加減こいつをクビにできないだろうかとすら思えてきた。
が、美鈴はなにかに気づいたような顔になると、頬を膨らませた。
「バカにしないでくださいよ咲夜さん。私だって好きで仕事サボってるわけじゃないんですよ」
「サボってるっていう自覚はあったのね」
「う……じゃ、じゃなくて。最近お嬢様の食欲が無いみたいだからって私は頼まれたんですよ」
「え、お嬢様の食欲が?」
「はい。料理番の子が、最近お嬢様はお食事をとってないって。もしかしたらお嬢様の嫌いなものが入ってたんじゃないかって。
でも私思うんですよね。いくらお嬢様でも嫌いなもののために料理を食べないなんていけないと思うんですよ。
料理番の子が丹精込めて作ってる料理をですよ? お米にだって何万の神様が宿ってるって言うじゃないですか。
だから私考えたんです。お嬢様の嫌いなものでもちゃんと食べれるような料理を作り出してやろうって!!
あ、もちろん門番の仕事をおろそかにするつもりはありませんよ。並行してちゃんとこなしていくつもりです。
それにあたって、まずはお嬢様の嫌いな食材を見つけないといけないんですよね。それで最近の料理を見比べて……」
美鈴が長々となにか喋っていたが、咲夜はずっと「最近食欲が無い」という所だけを考えていた。
確かに、考えてみればここ最近レミリアが物を食べているところを見た事が無い。
部屋に持って行こうともしたが、レミリア自ら断られた事もあった。
確か、美鈴が初めて料理番を変わった時は食べていたのだから、3週間前は食べていたはずである。
「そして私が選んだのはピーマンでした。確かにピーマンはここ最近ずっと入っていましたからね。
それでお嬢様でも食べれるピーマン料理として私が選んだのは……」
「美鈴。お嬢様が食べないようになったのっていつくらいからだったか分かる?」
「はい? えーっと……1週間くらい前ですかね」
「1週間前……」
となると、レミリアが一緒に掃除をしようと言い出した時の前後である。
なにか違和感を感じた咲夜だったが、それがどんな違和感なのかは分からなかった。
そして再び美鈴が長々と話すのを無視しながら、咲夜は再び思考を始めるのだった。
それがレミリアのレミリアの異変の2個目であり、『その日』から1週間前のことだった。
◆◆◆
「むだなことなんかじゃないわ。いいからきえなさい」
それでも人影は笑い続けた。
まるで道化のようだと笑い続けた。
このころになってようやくその人影がなんなのかが分かりかけてきた。
そして人影はさらに口を開いた。
「ねぇ」
「いい加減」
「自分のことをよく見てみなよ」
その言葉に視線を下にやった。
自分の下半身が消えるように無くなっていることに初めてその時気づいた。
◆◆◆
紅魔館の庭の手入れも咲夜の仕事だった。
大小様々な花の園である庭の手入れをしているときは、咲夜も上機嫌なのである。
今ならたとえ美鈴が大きな失敗をしたところで怒る気にはならないだろう。
メイドたちもその事をよく知っているので、大きな失敗をした時は咲夜が庭の手入れを始めてから報告しているようにしている。
その日も、咲夜が鼻歌交じりに庭の手入れをしていた時だった。
「ふんふふんふ~ん……ふふ~ん」
「あら、鼻歌なんてえらく機嫌がいいのね、咲夜」
「え!? お、お嬢様!?」
突然のレミリアの訪問に、咲夜は手に持っていた如雨露を落としてしまった。
時間はまだ真昼である。
太陽が一番高く上っている時間であり、吸血鬼にとって最も忌むべき時間である。
そんな時間に、レミリアが単独で外に出ていた。
もちろん日傘片手ではあるのだが、それでも。である。
「あら、如雨露を落としたわよ咲夜。なにやってるのよ」
「いえ、思わず……お嬢様こそ、なにをしているのですか?」
「なにって、散歩よ。悪い?」
「散歩?」
慌てて落ちた如雨露を拾い上げた咲夜だったが、まさかレミリアの口から散歩などという言葉が出てくるとは思わず、
再び如雨露を落としてしまうところだった。
「ど、どちらまで行かれるのですか?」
「ん? そうね……霊夢の所にでも行こうかしら」
レミリアの口ぶりからすると、本当に目的地の無いただの散歩のようだった。
……なんだかまた違和感を感じる。
だがそんな思いの咲夜とは別に、レミリアは晴れ晴れとした顔で日傘片手に飛び出した。
「あ、お嬢様!!」
「大丈夫よ! 夜までには戻るわ!!」
そのまま、レミリアは空も飛ばずに走っていってしまった。
どういう事なのだろうか。
自ら掃除をして、食事をとらず、気楽に散歩をして。
まるでいままでのレミリアからは考え付かない行動だった。
それがレミリアの異変の3個目であり、まさに『その日』の昼ごろであった。
そして、その晩。
帰りが遅いレミリアを心配して、咲夜は門の前で待っていた。
その横には仕事として門の前に立っている美鈴。
辺りは暗くなるが、レミリアは一向に姿を表さない。
「……咲夜さん。今夜は冷えますよ。そろそろ中に」
「お嬢様が来るまで待つわ」
「ですから、お嬢様が来たら私知らせますから」
「いいのよ。美鈴はちゃんと門番してなさい」
咲夜さんに隣にいられると落ち着かないんですよ。
と弱々しい声で呟きながらも、美鈴は立ちつくすしかできなかった。
レミリアが1回言ったら聞かないのと同じように、咲夜もまた強情な部分があるのを知っているからである。
しかし、確かに寒くなってきた。
メイド服のまま外で待つには辛い寒さである。
それを見かねたのか、美鈴はガサゴソと門に立てかけた鞄を漁っていた。そして、
「はい、咲夜さん」
「え? これは……」
「本当は夜食にしようとしてた肉まんなんですけど、どうぞ。温かいうちに」
無垢な笑顔でそういう美鈴の手には、恐らくお手製であろう肉まんがあった。
またこいつは仕事さぼって料理してたのか。
と、怒りたいところだったが、今はすこし肌寒い身にちょうどの温かさの肉まんが恋しかった。ついでにお腹も少し減っていた。
食欲と寒さには勝てず、咲夜は黙ってその肉まんを受け取った。
「ありがとう、美鈴」
「いえいえ。って、あれ、お嬢様じゃないですか?」
美鈴も満足そうに肉まんを頬張るが、そこにちょうどレミリアが帰ってきた。
周りの闇と同化しているように、気配も無く。
その異様な光景に、咲夜は口にしていた肉まんを美鈴に投げ渡し、レミリアに走り寄った。
「お嬢様!!?」
そして咲夜がレミリアの元に辿りつくと同時に、レミリアの体は崩れるように倒れ込み、
そのまま咲夜の胸の中へと落ちていった。
顔色は悪く、小刻みに震えており。
一目見ただけで異常事態が起きているのが分るほどだった。
◆◆◆
下の方から消えていく体をただ眺めていたのだがすぐにその視界は地面とぶつかった。
下半身が完全に消えたようでそのまま上半身が地面に落ちていったようだった。
なんとか顔だけを人影に向ける。
相変わらずの笑顔で人影は立っていた。
「だから言ったのよ」
「無茶だったんだって」
その顔は笑っているようでいて。
そして同時に心配しているようでもあった。
ここでようやく私は気がついた。
あぁ。きっとこの人影は自分自身なんだろうな。と。
◆◆◆
「ふぅ……」
「パチュリー様! お嬢様の具合は!?」
倒れたレミリアを見た瞬間は焦った咲夜だったが、すぐさまパチュリーに使いをだし、レミリアをそのまま部屋へと連れていった。
こんな時間である。まともな医者は期待できない。
むしろ、吸血鬼の医者なんかがいるのかどうかすらわからないので、苦肉の策としてのパチュリーである。
パチュリーもそういった本を読んだことがあるからか、すぐさまレミリアの容態を調べ始めた。
そして数十分後、レミリアの部屋から出てきたパチュリーはまず大きなため息をついた。
「……悪いわね。最悪と言っても過言じゃないわ」
「そんな!! ど、どうしてです!?」
確かに昼に見た時は元気だった。走れるほどに元気だったのである。
それがたった数時間で最悪にまでなるとは、到底思えない。
パチュリーに歩み寄る咲夜だったが、そこでふとパチュリーの顔を見てみた。
その顔は、どこか怒りが混じっていた。
「……最近、レミィは食事をとってないんでしょ」
「は、はい。美鈴も確かそうだと」
「やっぱりね……」
「や、やっぱりというと……?」
深刻そうにうなづくパチュリーを見て、咲夜は嫌な予感しかしなかった。
「レミィは今、吸血鬼としての機能が極端に衰えているわ。そのせいでしょうね、急に体調が悪くなったのは」
「え?」
「確かにレミィは少食だけど、全然食べないでいいわけじゃないのよ」
「……つまりは」
「えぇ」
こくりと頷くと、パチュリーは閉め切った扉の向こうで横たわるレミリアを見た。
咲夜の嫌な予感は、的中してしまっていた。
「レミィはここ半月近く、まったくといっていいほど血を摂取してないわ」
吸血鬼にとっての血液。
スカーレットデビルとも言われ、少食で1人の人間の血も飲みきれないレミリアなのだが、半月の間もその血を飲まずに生きてきた。
そして同時に、それ以外の食事もほとんどしていなかったのである。
咲夜はただ茫然としていた。
「な、なんでそんな……」
「くだらない事よ」
そんな咲夜のつぶやきに、パチュリーが答えた。
ハッと顔を上げると、そこにはさっきと同様、怒っているような顔のパチュリーがいた。
「くだらない事をしているだけよ。バカみたい……もっと自分という存在を弁えればいいのに」
その表情は険しく、いつものパチュリーからは考えもつかないものだった。
その表情に飲まれて、咲夜は何も言えず、そんな咲夜を横目にパチュリーはさっさと立ち去ってしまった。
1人残った咲夜は、とりあえずレミリアの顔を見ることにした。
パチュリーが何も言わなかったということは、面会謝絶というわけでもないのだろう。
「…………お嬢様」
部屋のベットで横たわるレミリアの顔色は灰がかっており、生気が感じれなかった。
今日のお昼までは元気だったレミリア。
いや、そのお昼のレミリアだって、血への飢えと戦っていたうえでの元気さだったのだろう。
なぜ、そこまでして血を我慢していたのか。
なぜ……
咲夜は気づけば泣いていた。
なぜ、自分はお嬢様の異変に一番に気づいてあげれなかったのだろうか。
なぜ、あの時感じた違和感をちゃんと考えないでいたのだろうか。
押し寄せてくる後悔に、咲夜はただ静かに泣いていた。
数十分が経った後、咲夜は目をぬぐうと勢いよく立ちあがった。
泣いてばかりもいられない。
パチュリーはどうすれば治るのかの情報をくれなかったが、そこは自分で調べればいいのである。
今は、一刻も早くレミリアに元気になってほしい。
そう思った咲夜はすぐに部屋から飛び出していた。
現在、一番最後にレミリアと会っていた人物、博麗霊夢の元へと。
「あら咲夜。こんな時間にどうしたの」
「…………」
今までで一番早い速度で神社まで来ると、咲夜はそのまま霊夢の部屋へと向かっていた。
そして部屋でのんびりとお茶を飲んでいた霊夢の元へ歩み寄ると、その両肩を強く、固くつかんだ。
「痛っ」
「今日お嬢様がこっちに来たでしょ? その時おかしな事はなかった?
いいえ、むしろ霊夢。あなたお嬢様におかしな事しなかったでしょうね?」
咲夜は自分でもわかるほどに興奮していた。
視界に映る霊夢の顔は戸惑い半分怒り半分といったところだった。
そしてその顔のまま、霊夢は咲夜の拘束をふりほどいた。
「痛いってば! なによ急に来て、昼に来たレミリアと一緒ね」
「やっぱり来てたのね」
「えぇ来たわよ。それがどうかしたの。私がなにかしたとか言ってたけど」
改めて、目の前の女性に目をやった。
いつもお茶を片手にのほほんと人気の無い神社で暮らす巫女。
異変でも起きないとまともに動こうとすらしない巫女。
……こんなやつを疑うとは、自分もよほど焦っていたのだろうか。と咲夜は頭を抱えた。
「なによ。なにか失礼なこと考えてないでしょうね」
「いえ、なんでもないわよ……それじゃあ霊夢、お昼のお嬢様の様子を教えてくれない?」
「なんでよ」
なぜか説明しないとテコでも動かないらしい。
困った性格だと思いつつも、もしかしたら霊夢なら。という気持ちも無いわけでもない。
とりあえず咲夜は大まかな説明をすることにした。
「へぇ、レミリアが血を吸わずに倒れたわけね」
「えぇ。今はぐっすりと寝ているわ」
「うーん……確かに言われてみれば、今日のレミリアはおかしかったわね」
「どんな風に?」
咲夜の問いに、霊夢はこちらも大まかな説明を始めた。
なんでも無いところで急にこけたり、先に来ていた魔理沙やアリスとやたらもめたり、
少し顔色が悪かったり、なにより真昼間から神社に顔を出していたり、それに……
「なんだかずっと私や魔理沙の方を見ていたのよね」
「霊夢や魔理沙を?」
「えぇ。感情が読めない目で、ジーって。魔理沙もそれは感じてたみたいよ」
余計に謎が増えてきた。
最近のレミリアの行動はどこかおかしい。
血への渇きの禁断症状と見ればいいのかどうか。それすら分からない。
頭を悩ませる咲夜に、霊夢はなにか深く考え込んでから、口を開いた。
「ねぇ、咲夜。これは本当に冗談だと思って聞いてほしいの」
「なにをよ」
「冗談。希望的観点。くだらない話。妄想。そういった類の話よ」
そういった前置きをしてから、霊夢はゆっくりと話し始めた。
「もしかしたら、レミリアは人間になりたがっていたんじゃないかしら?」
「……え?」
初め、霊夢の言っている意味がよく分からなかった。
「話半分のさらに半分だけどね。血を全然飲まなかったり、やけに人間じみた行動をしてたり、私や魔理沙を観察していた。
……その辺りから考えれる理由っていえば、私にはこれしかないわね」
「でも、なんでそんな事を」
「……うーん、これも同じような話になるんだけど、咲夜と一緒に居たかった……とか?」
「私と?」
「咲夜と一緒に歳をとりたかった。咲夜と一緒に死にたかった……咲夜と同じものになりたかった、とかね」
それだけを聞いたら、咲夜としては嬉しい限りの言葉である。
だがしかし、
「でも、そんな事」
「そう、できるはずないわ。吸血鬼がたかが血を飲まずに人間ぶった行動をしたところで、種族の壁なんて越えられない」
「……でも、だったら」
「気持ちだけでもそうありたい。とか思ったんじゃないかしらね。それで体壊して咲夜に心配かけてたら世話ないけどね」
まぁ、全部私の妄想で、本当の理由は本人に聞くのが一番だけどね。
そう言って霊夢はお茶を1杯すすった。
確かに冗談のような、三流小説のような話である。
でもそれでも。咲夜には考え付かない話ではあった。
そのまま咲夜は霊夢からお茶を1杯いただくと、ふらりと帰っていった。
思いつめているような顔の咲夜を見送りながら、霊夢は頭を悩ませていた。
「あ、咲夜さん!」
「美鈴……仕事御苦労さまね」
ずっと心ここに非ずで歩いていたからか、咲夜は気がついたら紅魔館の前にいた。
すでに朝日は昇りかけており、美鈴も眠そうな目で咲夜を見ていた。
「ありがとうございます。じゃなくて! お嬢様が目を覚ましたみたいですよ!」
「……そう」
「そう。って……あの、心配じゃないんですか?」
愚問よ。
そう言い残すと、咲夜は音もなく消えていた。
確かに、わざわざ能力をつかってまでレミリアの元へと急ぐメイド長を見れば愚問も愚問だったなぁ。
と、美鈴は眠い目をこすりながら思うのだった。
そして、レミリアの部屋。
咲夜はその扉をいつものルールを忘れて慌てて開けたら、そこには寝ている時と同じような顔色のレミリアが、ベットの上で上半身を起こしていた。
レミリアはあわてて入ってきた咲夜の顔を見ると、もうしわけなさそうに身を縮めた。
「あぁ、咲夜……心配かけたみたいね、ごめんなさい」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
そんなレミリアの言葉を聞いているのかいないのか。
咲夜は息が荒いままレミリアの元へと歩みより、
突然服を脱ぎ出した。
「……」
呆気にとられるレミリアをよそに、咲夜はモクモクとと脱いでいく。
そして下着姿になったところで動きを止め、レミリアの目をジッと見つめた。
「……なにしてるのよ、咲夜」
「お飲み下さい」
「はぁ? ……って、咲夜!?」
一体なんのことか。とレミリアは首をかしげた瞬間。
咲夜はもっていたナイフを腕につきつけ、縦に一閃した。
レミリアは、咲夜から大量に流れ出るまるで芳醇なトマトで作ったジュースのような血に目を奪われた。
「咲夜、なにをして」
「お嬢様がどのような気持ちで血を飲まないのかは、私には分りません。
霊夢が言ったように私のせいだったのなら、私のすべてを使ってでも償って見せます。
ですから、無理なんてしないでください。
私と一緒にいたいのだったら、私は自分の能力を最大限に駆使してでも生き続けます。
お嬢様と死をご一緒するためなら、たとえ私は人間じゃなくなっても生き続けます。
ですからお嬢様。どうか、どうか無理だけはしないでください!
どうか…………私に、皆に、心配させることだけは、しないでください……」
涙を流しながら、言葉を荒げる咲夜に、レミリアは何も言えなかった。
うつむき、少しの間静かな時間が流れていく。
咲夜の静かに泣く声だけが聞こえる中、再び扉が開いた。
そこにいたのは、霊夢だった。
「異変が起こったと聞いて飛んできたわ」
「……何よ。もう霧なんて出してないでしょ」
「違うわよ。吸血鬼が半月もの間一切血を吸ってないとかいう異変を解決しにきたのよ」
まるでピンチにかけつけたヒーローかのように、堂々と部屋に侵入してくる霊夢。
そんな霊夢と咲夜を見て、レミリアはなぜか、どこか恥ずかしそうな顔をしていた。
「……最近ね、ずっと同じ夢を見るのよ」
「夢?」
「えぇ、場所は毎回変わるんだけど、私は真っ黒な人影と対峙して立ってるの。顔はまったく見えないのよ。
そして毎回その人影は私を攻め立てるの。今のお前の行動は無駄なんだって。くだらないことなんだって……」
そこで一度、レミリアは自嘲気味に笑った。
「もしかしたら、本当にそうだったのかもね……倒れた今、そう思うわ。
咲夜や霊夢……それに、美鈴やパチェを見ているとね」
涙を止めた咲夜と、堂々と構える霊夢に視線を移しながら、レミリアは頭をポリポリとかいた。
「それで、なんでレミリアはそんな無茶をしたのよ。吸血鬼が血を飲まずにいれるはずないじゃない」
「……そ、それは…………」
が、霊夢のその問いには何故かうやむやな返事だった。
あっちを見たり、こっちを見たり。頭をかいたり体をかいたり。
ため息をついたり顔を赤らめたり。
しまいには霊夢を睨みつけたりもした。
「なによ、早く言いなさいよ」
「……絶対に、笑わない?」
「は? 当たり前じゃない」
「私もです」
念を押すレミリアだが、なかなか口を開こうとはしないでそのまま数分の間静かな時が過ぎていく。
そしてようやく、ようやくレミリアが小さな、本当に小さな声で答えた。
「…………ダイエット」
「…………」
「…………」
「「は?」」
何を言ったのか理解できない顔の2人と、顔を赤らめるレミリア。
霊夢にいたっては耳をほじったりして今のは幻聴なんじゃないのかと確かめている。
咲夜はもはや茫然としていた。
「……け、血液っていうのは高栄養でカロリーが高いのよっ!
だから、その、血を吸うのを止めて、なるべく運動するようにして……」
「それで、普通の食事もあまりとらずに、私のところにもわざわざ徒歩できて、
空腹のイラ立ちから魔理沙とアリスに突っかかった。と?」
「……はい」
じょじょに小さくなっていくレミリア。
霊夢は大きなため息をついた後、力強く言い放った。
「バカね」
「う、うるさいわね!! 元はと言えば霊夢が悪いのよ!!」
「私が!?」
「そうよ! 忘れたとは言わせないわよ、半月とちょっと前での宴会の事!!」
半月とちょっと前。
例によって例の如く開かれた博麗神社での宴会にて。
酔っぱらった咲夜を見ながら酒をガブ飲みするレミリアがそこにはいた。
その横にはベロベロに酔った魔理沙と、飲んでるはずなのにまったく変化がない霊夢もいた。
そんな時である。
ふと、霊夢が思いついたように口を開いた。
「ねぇレミリア」
「えぇ? なによ」
「うーん……なんていうかさ、最近レミリア丸くなってない?」
「……え?」
突然の霊夢の指摘に、レミリアは思わず体中をべたべたと触った。
そしてさらに横から一升瓶を持った魔理沙も加わる。
「おー! そういえば最近レミリアちょっと肥えてきたよなーうへへー」
「あのね魔理沙、そういうことじゃなくて」
「う、うわーん!! 霊夢と魔理沙のアホー!」
「……あの事件が私の危機感を刺激したのよ。確かに最近食っちゃ寝の生活を続けていたわ……ってね」
「……」
霊夢は呆れかえっていた。
そして、スタスタとレミリアに近づくと静かにその肩に手を置いた。
「なによ。いまさら謝ろうっていうの?」
「うん、ごめん。そういう意味じゃないのよ」
「え?」
レミリアを見る霊夢の顔は、呆れているような顔でもあり、笑いを堪えているような顔でもあった。
「体格として丸くなったんじゃなくて、性格って意味で私は言ったのよ。魔理沙はどうだか知らないけど」
「……え? で、でも実際体重増えてるのよ私」
「どれくらい増えたか知らないけど、そんな小さい事でいちいちうろたえる吸血鬼がいるの?」
「う……い、いるじゃない。ここに」
ふたを開けてみれば、くだらない話だった。
ただの霊夢の言葉選びの悪さと、レミリアの変なプライドと、魔理沙の悪酔いが混じり合っただけの、くだらない話だった。
今にも笑いだしそうな霊夢と、顔を真っ赤にするレミリア。
そしてその後ろで、咲夜は涙を流していた。
「さ、咲夜!?」
「……よかった……」
「え?」
血が流れる腕を押さえながら、咲夜は笑いながらも泣いていた。
「よかったです……理由がそんなくだらない事で……本当によかったです」
「……ごめんね、咲夜」
「いいメイドを持ったわね、レミリア。あんたには勿体ないくらいよ」
「うるさいわね。そもそも誰が好き好んで人間なんかになろうとするのよ。
こんなよわっちい生き物になるなんて、こっちから願い下げよ」
一件落着。のような雰囲気を出しながら、霊夢はそのまま部屋を出て行こうとした。
「それじゃ、私は邪魔みたいだし、異変は解決したから帰るわね」
「もうちょっとゆっくりしていってもいいじゃない」
「そうだけど……咲夜もそんな格好してるし、ね?」
そこで改めて咲夜は自分の格好を見て顔を赤らめた。
思えばずっと下着姿のままである。しかも腕からは大量の血。
あわてて服をかき集める姿は瀟洒とはほど遠く、霊夢は小さく笑った。
「それじゃあレミリア。ちゃんとみんなにも謝るのよ。いいわね」
「はーい」
「返事は短く」
「はい」
「そうそう。それじゃ、またなにか異変が起きたらいいなさい」
にっこりと微笑み、もちろんその時は素敵な賽銭箱を活用してね。
と言い残して霊夢は扉を閉じた。
脱いだ服を抱える咲夜と、ベットに座ったままのレミリアが、どちらともなく視線を合わせる。
「……咲夜。久し振りの生き血、あなたのものでいいかしら?」
「……はい。もちろんです。私の血肉細胞、時間や所有物にいたるまで、全てがお嬢様のものですから」
そしてゆっくりとレミリアに近づくと、その血に染まった腕を差し出した。
「ごめんね、美鈴」
「はい? なにがですか?」
その日の昼。
せっかく昼に起きても違和感を感じなくなってきたということで、紅魔館みんなに謝ることにしたレミリア。
まずは厨房にいた美鈴からだと思ったのだが、美鈴は本当に理解してないような顔で首をひねった。
「え、だから夜の」
「あぁ! はいはい!! だめですよお嬢様。好き嫌いして食事しないで、さらにお腹減ってる時に動きまわるなんて」
「え、え?」
どうやら絶賛勘違い継続中らしい美鈴は笑いながらいましがた作ったばかりの料理を皿にもった。
とてもおいしそうで、正直お腹が減っているレミリアには生唾ものだった。
「どうぞ! ピーマン嫌いなお嬢様でも食べれるように工夫に工夫を重ねた回鍋肉を召し上がれ!!」
「……ありがとうね、美鈴」
どこか抜けている門番に自然に笑みを浮かべながら、レミリアはその皿を受け取り一口食べた。
「あら……本当においしいじゃない」
「ですよね!? やったー! お嬢様が食べたー!」
「うん、おいしいわ。それじゃあ今日の夕飯も美鈴にお願いしようかしら」
「はいっ!! 腕によりをかけて豪華なもの作るんで楽しみにしててくださいね!!」
楽しそうに厨房に戻っていく美鈴を見て、もしかしたら門番よりもこっちの方が天職なのかもしれない。
と思ったレミリアだった。
そして、次に図書館。
ふくれっ面で本を読んでいるパチュリーの横にレミリアはスッと座った。
「ごめんね、パチェ」
「えぇまったくよ。またくだらない事をするから怒るを通り越して呆れたわよ」
「また? …………あぁ、そんな、何十年前の話よそれ」
「レミィを診てて、あのトラウマが蘇ってきたわよ」
笑うレミリアと、怒るパチュリー。
何十年か前も同じようにダイエットを試み、さらにその時はパチュリーを巻き込んでいたらしい。
さらにはそれがパチュリーにとってはトラウマレベルの事だったらしいのだが、詳細は不明である。
「本当に精神的に弱いわねパチェは」
「その言葉、そっくりそのままレミィに返してあげるわよ」
そう言うと、ふんと鼻を鳴らしてパチュリーは再び本に集中することにした。
その後ちょっとしたイタズラをしたりしたのだが、本に集中したパチュリーは無視を決め込んでいるらしく、仕方なくレミリアは離れることにした。
「さて、残りは………」
◆◆◆
その夜、また同じ夢を見た。
目の前には人影で、笑っていて。
だけど今日は何も言わずに立ち尽くしていた。
「……ありがとうね、『フラン』」
そして私のその言葉に、人影はピクリと体を動かすと、また笑った。
「よく分かったね、お姉さま」
「何年あなたの姉をしていると思ってるの?
それにあなたも御苦労なことよ。わざわざ紫なんかに頼んで『夢と現実の境界』をいじるなんてね」
「『姉と妹の境界』もいじってもらってるよ」
いつのまにか人影は、完全にフランのものになっていた。
フランは笑顔で私に近寄ってくる。
「あなたが一番初めに気づいたのね、私の変化に」
「当たり前じゃない。何年お姉さまの妹をしていると思ってるの?」
「……ふふ」
「えへへ」
そして、私は目の前のフランを思いっきり抱きしめた。
感謝の気持ちと、謝罪の気持ちをこめて。
「私ね、ずっと夢にでてくる私は敵だと思ってた。
でも、だれよりも心強い味方だったみたいね」
「うん。お姉さまはお姉さまなんだから、無理なんてしなくていいの、分かってほしかったから」
フランの言葉が身にしみて、私は笑顔でフランの頭を優しくなでた。
「今日は、私の部屋にいらっしゃい。夢なんかじゃなくて、現実で抱きしめて、一緒に寝てあげるから」
「うん!!」
いつのまにかフランは消えていて、景色も私の部屋へと戻っていた。
そこには、咲夜が1人静かに立っていた。
どうやら、私を待っているようだった。
「……フランにも、ちゃんと言っておこうと思って」
「いえ、当然のことです」
「それじゃあ、お願いね」
「はい……」
そう言うと、咲夜はナイフで腕……ではなく、指の先を刺し、ゆっくりと血をにじみ出していく。
そしてそれに私は近づき、吸っていく。
「……ぷはっ。ごめんね咲夜。なんだか、咲夜の血でしか満足できなくなってきたみたいなの……」
「いえ、言ったはずですお嬢様。私の血肉細胞、時間や所有物にいたるまで、全てがお嬢様のものです。と……」
結果的には、咲夜に無理をさせる形になったのだけれど、咲夜がいいというのならいい。
私は自分の家族が、とてもお人好しばかりで温かいものだと気付いたのだから。
……この気持ちの変化が、霊夢に言っていた『精神的に丸くなった』。ってことなのかしらね。
>誤字の報告
「今がずっすり寝ているわ」になってましたが正確には「ずっすり」じゃなくて「ぐっすり」ですよね。
他にもいくつか誤字があったと思いますが・・・どこら辺だったろう。
確かに血液は高タンパクで水分も塩分も摂れる万能の液体ですから。そらまあ摂りすぎれば確かに太るやも知れません。
もっとも世間には、吸血鬼になると通常の食物ではエネルギーを摂取できない難儀なのか便利なのか微妙な吸血鬼も居るそうですが。
あ、あとひとつだけ、あんまり普段こういうツッコミはしたくないんですが、明らかに間違えて使っていると思われる部分が。
図書館のむらさきもやしさんは、100歳ちょっとですからね。
どんな重い理由が来るのかと思えば、それが理由かw
うまいなぁ。
でも最後に紫の名前が出てきたのがちょっと違和感あった。
そこはオリジナル設定でもいいから、スカーレット姉妹で完結してほしかった。
紫の能力使いたかったのなら作中にもちゃんと紫を登場させないと。
これだとただの便利アイテム程度にしか見えない。
あとパチュリーさんとの会話で何百年、と出ているのに妹君とだと何年になっているのでここも違和感です。パチュリーさんも長く生きてますが、妹君はもっと長生きです。パチュリーさんの年齢を間違えているのは既に言われているので、そこのところをちょっと突っ込みです。
霊夢はなかなかにロマンチストですね。
誤字報告
>倒れてわけね → 倒れたわけね
>心配かけてみたいね → 心配かけたみたいね
>何百年 → 何十年 (もし故意でしたらすいません)
まんまと引っ掛かってしまった
酔った勢いとはいえ同じ女性なんだから魔理沙自重しろw
レミリアも小食なんだからダイエットなんかしなくても大丈夫だよ!
フランの名前が出たときには驚きました。
キャラも文体も好みで、すっきりと読めました。
ただやはり紫には違和感を覚えました。
次回作を楽しみにしています。
全体的にダークな雰囲気だったので本当にひっかかりました
>誤字関連
勢いで書いてしまって、そのまま流し読みで誤字探しをしてしまうので毎回少なからず出てしまいますね。
今後はもっとじっくりと探しておきます。
指摘のあった箇所や、自分で見つけた部分の修正をしました。
>パチェさんの年齢
完全に失念してました。反省。
何十年と修正しておきました。
>紫云々
今になって見れば、霊夢のところで一緒にいれば多少の違和感はぬぐえたなと反省。
たしかに突然出てきてますね。今後は気をつけます。
>目によろしくなかった
言われてみれば確かに。文字色を変更しました。
とても面白かったよw
シリアスかと思ったらこれは見事。
でも少しくらい丸くてもお嬢様ならダイジョウブダヨー!