※注意書き
この話には私的設定が混じっております。そういうものに嫌悪感を催される方はお控えください。
それでも読んでやるぜ!! という勇気ある幻想の読書家の方々はどうぞ。
緑豊かな幻想郷に存在する白玉楼という、幽霊たちが住まう場所のこと。
白い綿飴のような霊を連れた庭師、魂魄妖夢という少女が庭木の剪定をしていると不思議なものを見つけた。
「……ん?」
それは彼女にとっては奇天烈な、珍妙な代物であったが外の世界では馴染み深いもの。
スーパーファミコンである。
ご丁寧にカセットまで挿してあるそれを手に取った妖夢は色々な角度から観察し、ときおり上下左右に振る。
当然だが機械は動力となる電気がないと動かないということを彼女は知らない。
「……んん?」
一口かじる。
「固い」
食べられるわけがない。
手にしたものを何でも口に入れる赤ん坊ではないのだから、なにも食べてみようと試みなくてもいいのに。
手にした感触で食べられないと考えなかった彼女の天然ぶりに、木陰から見ていた天狗が鼻血を噴き出しながら「グッジョブ!!」と親指を立てて倒れたことを妖夢は知らない。
「そうだ、幽々子さまに聞いてみよう」
鼻歌も軽やかにスキップ混じりで屋敷に戻る妖夢。
余談だが、屋敷へ向かう妖夢を下から撮影していた天狗の頭に投げ捨てられた枝きりバサミが直撃していた。
◆
「というわけなのですが」
「ちょっと妖夢! 私はまだ何も説明されていないわよ!?」
白玉楼の亡霊姫。エンゲル係数ブレイカーなどと色々言われている西行寺幽々子が庭師の適当な態度に怒った。
しかし幽々子が怒っていたのは妖夢の無気力で適当な発言に対してではなかった。
「そもそも何よ!? 昼餉を終えてのんびりしていただけなのに、部屋に入ってくるなりこの塊をぶつけてくるなんて!!」
茶室でゴロゴロしていた主を見つけた妖夢は魂魄流・消える魔球でスーパーファミコンを投げつけ、見事幽々子の顔面を捉えたのだった。
そして小さくガッツポーズした庭師に主として幽々子は怒りを露わにし、今に至る。
「私なりに努力しました」
「顔を狙って投げる練習を!!?」
「それはともかく幽々子さま、これはいったい何なのでしょうか」
「主を攻撃しておいて、ともかくって……。けどそうねえ、私も見たことがないわあ」
スーパーファミコンを妖夢と同様に上下左右から観察する幽々子。そして味見。
もちろん固い。
「妖夢の唾液の味がするわ」
「ぶっ!!!? な、なななんで私の味だって分かるんですか!!?」
「あら、私は妖夢のことなら何だって知っているのよ」
舐めたことがあるのだろうか。いやいやまさかそんなことはあるまい、と妖夢は首を振って自分の考えを全力で否定する。
ともかく深く考えないようにしようと妖夢は話題を変える。
「ごほん。と、とにかく幽々子さま。これがどんなものなのか、紫さまに伺ってみてはどうでしょうか」
「そうね。紫ー? ゆ~か~り~」
虚空へと幽々子が声を投げかける。
すると空間に裂け目が現れ、そこから見目麗しい女性が這い出てきた。
「はぁ~い、呼んだかしら?」
紫色のゴスロリチックな衣装を着た境界の妖、八雲紫はスキマと呼んでいる裂け目から出ようとして。
「あっ」
こけた。それも畳に向かって顔面から派手なダイビング。
冥界の茶室だけがぱーふぇくとふりーず。イージーなんて目じゃないぜ。
やっとのことで起き上がった紫は恥ずかしそうにしていたが、すかさず幽々子が彼女の肩に手を置いてフォローする。
「あらあら、紫ったらお茶目さんねえ。自分のスキマに足をひっかけるなんて」
「(あれ!? 普通にフォローされた!?)え、ええそうなのよ。うっかりスキマにつまづいちゃって」
「もう少女って呼ばれる歳はとっくの昔に過ぎているのにねえ」
「辛辣な一言をアリガトウ幽々子」
幽霊は歳を取らないのよねチクショウと毒づく紫。もちろん妖夢は聞かないふりをして話を進める。だって反応したらスキマに落とされるもん。
妖夢はかくかくしかじかと紫にスーパーファミコンを見つけた経緯と味の感想を話した。やがてすべてを聞き終えた紫はふむと何かを考えるような仕草を見せると、スキマからメガネを引っ張りだしてスーパーファミコンを観察し始める。
「なるほどね。妖夢、残念だけどこれは白玉楼どころか幻想郷のほとんどの場所では意味のない無価値なものよ」
「茶菓子にはなりませんでしょうか」
「あれのことは忘れなさい」
紫が指差したところには掛け軸があり、達筆な文字で「先ずは食せよ」と書かれていた。誰が書いたかは知らないが幽々子は掛け軸をネタに妖夢に変なことを吹き込んだに違いない。
「これは電気がなければただのゴミよ。あと食べても美味しくないからヨダレを拭きなさい、幽々子」
再び食べようとしていた幽々子にやんわりとストップをかける紫。
妖夢はうーんと腕を組んで悩んだ。自分が拾ってきたものが意味のないものであるならば捨てなければならないが、彼女は目の前の奇妙な箱の用途がとても気になっていた。
「ではどうすればいいのでしょう?」
「いい場所があるわ」
そう言って紫は妖夢を手招きした。
なんだろうと思いながら妖夢が紫の近くへ行くと、突然首根っこを掴まれてスキマへと放り投げられた。
一瞬だけ手を振る幽々子の姿が見えたが、ぶん投げられた妖夢にはどうでもいいことだった。
◆
たどり着いた(落ちた)先は森近霖之助が開いている森の雑貨店、香霖堂。
突如現れたスキマと落ちてきた妖夢に驚いた店主。そして妖夢の背中に押しつぶされた陶器たち。
「な、なんなんだ一体……」
「ここは………? あ、どうも香霖堂さん」
まったく悪気のない妖夢が割れた陶器を踏みながら霖之助に近づき、霖之助の頭の中で金額カウンターがどんどん上昇していく。
「キミは妖夢さん、だったか。今日は何のようだい?」
あえて陶器のことには触れず、頭の中で客のツケや弁償額を増やしていく。それがコーリンクオリティ。
そんなこととは露知らず、妖夢は一緒に落ちてきたスーパーファミコンと用件を話した。
興味深く話を聞いていた霖之助は最後にスーパーファミコンに触れ、一拍間を置いてから「なるほど」と一人頷いた。
「これは電気で動く外の世界のカラクリだね。つい少し前に似たようなものを見たよ」
「そうなんですか?」
「最近幻想郷に引っ越してきた山の巫女、東風谷さんといったかな。彼女が携帯電話と“あだぷた”というものを持ってきて『お願いします!! 死活問題なんです!!』と土下座して頼み込んできたんだ」
「死活……」
妖夢は山の巫女と直接面識がないのでよく分からなかったが、外の世界の人間は電気のカラクリに頼らなければ生きていけないのか、そーなのかーと理解しつつあった。
「ほら、あそこ。外の世界のものは電気がなければ動かないものが多くてね、カラクリ仲間の河城さんにコンセントを部屋の隅に設置してもらったんだ」
「はぁ」
「ところが彼女は壁に穴を空ける作業が苦手で、仕方ないから常連のアリスさんにも上質な布を1セット差し上げるという条件で手伝ってもらってね。ところがタイミングの悪いことに魔理沙のやつが来て『そういうことなら私がやってやるぜ』とか何とか言って店に大穴を空けたものだから、里の慧音さんに僕が寺子屋の臨時講師をするということで壁を破壊された歴史をなかったことにしてもらって事なきを得たんだが……」
次から次へと出てくる弾幕少女たちの名前。てめえはタラシかよと妖夢は毒づいたが窓の外にいる天狗も、天井近くから覗いているスキマ妖怪も同じことを考えていた。
兎にも角にもコンセントを使用してみようと試みるが、妖夢にはどう使えば電気が得られるのか分からない。結局店主にお願いして全部準備をしてもらった。
「これでいいはずだよ」
「ありがとうございます」
店主に礼を言うとさっそく正座をしてスーパーファミコンの動向をじっと観察する妖夢。しかし一向にスーパーファミコンに変化は訪れない。
もう気づいている人はいるかもしれないが、ゲームを始めるに必要なものはゲーム機本体とソフトに電気、そしてテレビである。
さすがの香霖堂でもテレビはない。いや、あるかもしれないがあったとしても幻想郷の人間はゲーム機とテレビを繋がなければ意味がないということを思いつかないであろう。
それは妖夢も例外ではない。
「…………(ドキドキワクワク)」
期待して待っている彼女だったがしばらく待つうちにだんだん表情が曇ってきた。横にいる半霊も少々心配そうにしている。
「………」
いくら待っても固まりに変化がないことに苛立った彼女はつい、やってしまったのだ。
ドン、と軽く握った拳でスーパーファミコンを叩く妖夢。
その弾みでゲーム機に電源が入り、起動し始める。
「え」
驚いたのも束の間。突如としてゲーム機から強烈な光が発せられ、妖夢の体を包み込んだ。
何が起きたのか理解できないまま、妖夢は光の粒子となってゲーム機のなかへと吸い込まれていった。
◆
厄日だ、と魂魄妖夢は思った。昼に見つけた塊を手にしてからいいことがない。
昼餉を終えて「ちょっと読書にいそしんでくるわ」と言ったはずの幽々子が茶室でゴロゴロしていたことに始まり、紫が慣れているスキマの出入りに失敗し、さらに少女と呼ばれる歳ではないと主に言われた八つ当たりなのかスキマに投げ込まれた。トドメは塊が光をはきだした。何が起こったのかは分からないが、とにかく良くないことが起こったのは感覚的に分かっていた。
だから今自分は気を失っていたのだと閉じたままの視界で考える。
(こんなところ、幽々子さまに見られたら笑われるだろうな)
憂鬱な気分で自分の醜態を誰にも見られていないようにと祈りながら妖夢がゆっくりと目を開けると、そこには香霖堂ではない光景が目の前に広がっていた。
広がる空。地平線まで続く草原。遠くにそびえたつ山々。
(いつの間に外に。まさか店主に気絶していると邪魔だから店の外に追い出されたのだろうか)
しかし妖夢は暇を見つけては白玉楼の階段から顕界を見下ろしていたので、今いる場所が幻想郷のどこでもないらしいと考えた。
それに店主がいくら人間らしくないとはいえ、気絶している人間を放り出すような非道な人間ではない。
だとすればここは何処なのか。
「あのー」
後ろから声をかけられた。妖夢が振り向くと、そこには真っ赤な髪をした大陸風衣装を着た女性が立っていた。
「め、美鈴さん!」
「え? はい、確かに私は美鈴ですけどあなたは?」
「………あ、あれ?」
紅美鈴であるはずの女性が自分を忘れている。このとき、おかしいなと妖夢の頭のなかで警鐘が鳴った。
魂魄妖夢と紅美鈴は面識がある。怪しい霧が幻想郷にあったとき、その元凶は忘れ去られた鬼であったが原因を探っているその途中、紅魔館に立ち寄ったときに彼女と出会った。
冥界より眺めていたときから、いつか彼の門番とは手合わせしたいものだと機会を窺っていた妖夢は、何とか戦闘を回避しようとする彼女にこれは好機と胸が躍るのを抑えきれず問答無用で斬りかかった。
結果は惨敗。対等に渡り合うどころか一太刀も浴びせることができず、奇しくも元凶にたどり着くことはできないまま白玉楼に戻った。
しかし自分は冥界一堅い盾。紅魔の門番より劣っていたのでは主に示しがつかないと考えた妖夢は異変の後に行われた鬼を交えた宴会でまたしても美鈴に斬りかかった。だが結果はまたしても惨敗であった。
悔しい。私は悪魔の犬どころか、紅魔の門番にさえ打ち勝てぬのかと妖夢は己の未熟さに泣いていたところ、紅美鈴は言った。
『私でよければ、いつでも相手になりますよ』
妖夢は驚いた。己の力に奢ることがなければ卑しい謙遜もない。清々しいまで彼女の武に尊敬すらしていた。
そのすぐあとに美鈴は悪魔の犬からナイフの雨と「サボる口実が欲しいだけでしょう」という類の説教を受けていたが、彼女は常人では動いたことすら気づかない体捌きで急所をわずかに外していた。
強い相手と戦って自らを高めたいという妖夢の考えは変わっていない。しかし、紅美鈴が強い理由は他にもあると思った妖夢はその日をきっかけに美鈴との親交を深めてきた。
だが目の前の美鈴は自分のことを覚えていない。会えば必ず「妖夢さん」と呼んでくれた彼女が忘れているはずがない。
だとすれば自分がいるのは幻想郷ではないのだろうか。とてつもない不安に妖夢は背筋が震えるのを感じた。
「あの、大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いようですけれど」
「え、あ、だいじょうぶ、です」
「もしよかったら私の酒場に来ませんか? お水くらいなら出しますよ」
酒場と聞いて妖夢はますます表情を曇らせた。美鈴は紅魔館の門番、酒場など経営しているはずがない。
やはり別の世界なのかと認識したところで美鈴が顔を覗き込んでいるのに気づき、あまり気を遣われないようにとなんとか笑顔を繕ってみせる。
とりあえず行く当てもないので妖夢は彼女についていくことにした。
道中の話で、彼女は近くの城下町で酒場を開いていて今は店を他の人にまかせて山菜を取りに行っていたのだという。
やはり別人なのだなと妖夢が寂しい気持ちで美鈴の話を聞きながら歩いていると、やがて城下町にたどり着いた。
人の多い城下町は活気に溢れており、静かで穏やかな幻想郷の村とはまったく逆だったことに妖夢は驚き、さらに酒場に入ってたくさんの武器を担いだ男性や女性で溢れかえっていたこともまた彼女を驚かせた。
「すごいでしょう。これみんな、魔王を倒すために集まった冒険者たちなんですよ」
「魔王………?」
「そう。百年前に封印されていた、この世のあらゆるものを食べつくす魔王が復活してモンスターを生み出し始めたんです。それで魔王を討伐した人には王様がどんな願いも叶えてくれる聖杯を与えてくれるそうなんです」
「それでこんなに人がいるのか」
なるほどね、と妖夢は辺りを見回した。
(……あんまり強そうな人はいないな。これなら私のほうがよっぽど強い)
もしくは美鈴が行ったほうがいいのでは? と思いながらカウンターに入った美鈴に声をかける。
「美鈴……さん。ひとつ聞いてもいいですか?」
「はい、なんですか?」
妖夢は美鈴の頭上を指差した。
「それ、なんですか?」
「やだなぁ、ステータスに決まっているじゃないですか。あなたの上にもありますよ?」
紅美鈴。LEVEL・65。HP883/883。MP201/201。
魂魄妖夢。LEVEL・1。HP24/24。MP15/15。
当然だが妖夢には何のことだかさっぱり分かっていない。
「??? 一体何なんですか、これは」
「あれ、もしかして本当に分からないんですか? これはそれぞれ熟練度、体力値、技量値を表しているんです。熟練度の数値が高いとそれだけ強く、体力値が高ければ攻撃に耐えやすくなり、技量値が高いと特技を多く使えるんです」
よく分からない。はてなと小首を傾げて頭上の数値と睨めっこをする妖夢。
首が痛くなった。
周囲を見渡すと冒険者たちの頭上にも同じ数字や文字があり、ますます妖夢は首を傾げた。
「コンパクヨウムさん、でいいんでしょうか」
「え、はい。合っています」
「もしよければ妖夢さんも魔王を退治に行かれませんか?」
「そうですね……」
魔王討伐。成功すれば報酬として願いを叶える聖杯が手に入るというが、この世のあらゆるものを食べつくすというのが自分のよく知っている誰かを連想させてならない。
だが好都合だ。願いを叶える聖杯とやらがあれば、元いた幻想郷へ戻ることも可能かもしれない。
そうと決まれば行動は迅速、決断は即決。さっそく魔王討伐の準備を始めなくてはならない。今のところ武器は楼観剣と白楼剣のみ。防具は庭師の服。装備に関しては何の問題もない。問題はスペルカードが使用できるかどうかだが、とりあえずできるほうで考えておく。
あとは魔王を共に討伐する仲間だけ。
(できれば同世代の女性がいいな……)
なんてったって魂魄妖夢は花も恥らうお年頃の女の子。歳の違う男と旅をするというのは何となく気疲れしてしまう。
それならば美鈴のように強くて、自分の知っている人に仲間になってもらいたい。
「美鈴さんは魔王討伐に行かれないんですか?」
「あはは。私は自分の酒場を持っていますし、今以上に欲張るものはないですから」
残念だ。熟練度が高く、よく知っている彼女が仲間だったのならどれほど心強かったことか。
「代わりというわけではありませんが、ここに魔王討伐の仲間を募集している人の名簿がありますので、どうぞ」
美鈴から差し出された名簿を受け取って、どれどれと名前を眺めてみる。
思ったとおり、名簿に載っているのは知らない名前の人たちばかり。職業が横に書かれていたが、どういう人を仲間にすればいいのか分からない。
困ったなあと頬杖をつきながら名簿をめくる。
「………あ」
名簿には妖夢も知っている名前があった。名前、鈴仙・優曇華院・イナバ。職業、ウサギ。しかし彼女の職業は医者見習いではなかったか。
鈴仙とは白玉楼に薬を分けにきてくれる非常に気立てのよい優しい性格に惹かれた、唯一の女の子らしい付き合いをしている。立場も酷似しており、ともに主に苦労しているところもそっくりなものだから一緒に茶を飲みながら愚痴をこぼしあうこともしばしば。
赤の他人だろうがこの際どうでもいい。知っている顔さえいてくれれば胸に渦巻くモヤモヤとした不安が晴れるかもしれないと助けを求める気持ちで鈴仙の名前を指差した。
「美鈴さん! この人、鈴仙さんでお願いします!!」
「あー、その人ですか。わかりました、ではちょっと待っていてくださいね」
カウンターを離れた美鈴が階段の上へと消える。とりあえず彼女が戻ってくるまで他に知っている人がいないか探してみようと名簿に視線を戻す。
「………………うげ」
名前、霧雨魔理沙。職業、普通の魔法使い。
ダメだ、こいつだけはダメだ。妖夢が春を集めていたときに彼女にひどい目に遭わされ、それからずっと魔理沙が来るたびに迷惑をかけられた。
宴会の席では絡まれてマスタースパークを頂いたこともあれば、他にも白玉楼が所蔵している本を盗まれたこともある。
歩く最悪の災厄。どんな苦境に陥ろうとも奴だけは呼ぶまいと魔理沙の名前は見なかったことにする。
「お待たせしました。鈴仙さん、彼女です」
来た。微かな期待を胸に階段へと目を向ける。
そこには美鈴同様、寸分も違わぬ姿でこちらを見ている鈴仙・優曇華院・イナバという永遠に生きる民に仕えるウサギがいた。
「れい……」
他人であることは承知で声をかける。
が。
「妖夢――――――――ッッッ!!!!」
「せん……って、えええっっ!!?」
突然、目を潤ませた鈴仙がすばらしい跳躍力で階段から遠く離れた妖夢に向かって一直線に飛び込んできた。
そういえばウサギだったな、と妖夢は床に打ちつけた頭の痛みを心地よく感じながら思った。
「れ、鈴仙、でいいのよね……?」
「もっちろんだよー! よかった、知っている人がいて本当に嬉しい!!!」
「うん、私も嬉しい。嬉しいからとりあえず退いて」
首を絞めつけられてそろそろ苦しくなった妖夢がぺしぺしと鈴仙の頭をはたいて「早く退いて」とアピール。
やっと自分が首を絞めていることに気づいた鈴仙が「ごめんね」と可愛く舌を出して謝った。
「ところでどうしてここに? 香霖堂には店主と私しかいなかったはずなのに」
「あ、それね。ちょうどあの日は霖之助さんのところに薬を補充する日で、妖夢が来ているって聞いたから声をかけようと思ったんだけど、そのときいきなり光に包まれて……。気がついたらここにいたの」
「そう……。他に店に誰か来ていなかった?」
妖夢が塊と睨みあっていた時間はかなり長かった。どれほど塊を眺めていたかは覚えていないけれど、その間に香霖堂に人が来ていたかもしれない。
最近はハーレムフィーバーの店主だ。代わる代わる弾幕少女たちがやってきていたとしても何ら不思議はない。
「そういえば奥に魔理沙がいたみたいだけど」
「いなかったわ」
「え? でも、その名簿にも」
「いなかった。もしくは一人称が『俺』の偽魔理沙」
「……あー、なるほど。言いたいことは分かったよ」
魔理沙は仲間にするべきではないという必死の訴えが伝わったようで、鈴仙が苦笑いをしながら頬をかいた。
後ろのほうで美鈴が首を傾げているが、一番の被害者は幻想郷の紅美鈴を中心とした紅魔館の面々であることを彼女は知らない。知らないことがあることは幸せなことだ。またひとつ勉強になった妖夢は鈴仙と一緒にカウンターの席に座り、再び名簿をめくっていく。
酒場は三階建て。相当の冒険者がいるのだろう、名簿は分厚くぎっしりと名前が詰め込まれている。他にも鈴仙のようにこの世界に迷い込んだ幻想郷の人がいるかもしれない。
ちらりと妖夢は鈴仙の耳の上あたりにある“すてーたす”とやらは? と気になったので見てみる。
鈴仙・優曇華院・イナバ。LEVEL・1。HP16/16。MP24/24。
技量値が高く、体力値の高い妖夢より技巧派であるのが見て取れた。
「あっ」
「?」
鈴仙がいきなり声をあげたので何か見つけたのだろうかと一緒になって名簿を覗き込むと、そこには妖夢もビックリの名前が載っていた。
名前、伊吹萃香。職業、鬼。
伊吹萃香といえば幻想郷に怪しい霧が立ち込めていたときの元凶だった忘れ去られた鬼。結局、彼女と手合わせすることはなく美鈴に負けてしまったのだが。
「鬼かあ。あんまり面識ないなあ」
「私も。他に誰かいないかしら」
「やっぱり魔理沙……」
「あいつはここで置き去られておしまいなのよ」
とは言ったものの、面識のない相手とはいえ同じ幻想郷の住民であることには変わりはない。むしろ赤の他人である可能性もありうる。
「美鈴さん、会うだけっていうのはダメですか?」
「うーん、そういうのはダメなの。ここにいる人たちは気軽にパーティーを組むことを目的にしているから、品定めみたいなことはしないようにしているの」
「やっぱりダメかあ」
「鈴仙さんだってその条件で了承したじゃないですか」
仲間選びにあまり時間はかけたくはない(だが魔理沙は断る)。早く幻想郷に戻らなければ腹を空かせた幽々子が暴れ出すかもしれない。
敵を食い止めるのが盾の役目であるならば、主の暴走を食い止めるのもまた盾の役目。そうでなければ何のための魂魄家か。
遅決は良くない結果の元。決めたら実行あるのみ。
「決めた。美鈴さん、伊吹萃香さんでお願いします」
「はい、じゃあちょっと待っていてください」
再び美鈴が階段を上って消えていく。
美鈴が見えなくなるのを待ってから鈴仙が妖夢に話しかけた。
「大丈夫なの? その、とてつもなく不安なんだけど」
「心配しすぎ。だいいち私たちと鬼は面識がないのだから、この世界にいる伊吹萃香だったとしても同じことだわ」
「それはそうなんだけどぉ……」
ただでさえ元気のないふにゃふにゃの耳がさらに垂れ下がる。
後ろ向きだなぁと妖夢は小さくため息をもらした。
「鈴仙はもう少し気楽になったほうがいい。どうしてもというのなら楽にしてあげるわ」
「いやいやいや! 大丈夫だよ、妖夢! 別の意味で楽になっちゃいそうだから白楼剣は止めて! ほら、私は元気だからさ! ね?」
それを聞いた妖夢は「残念だわ」と剣を収める。姉妹がじゃれているような光景だが、どちらが姉なのかは分からない。鈴仙を気遣っている妖夢が姉なのか、それとも強行的な妖夢をなだめている鈴仙が姉なのか。
ほどなくして美鈴が小さな女の子をつれて降りてきた。
「萃香さん。彼女たちです」
伊吹萃香。密と疎を操る程度の能力を持つ鬼が、無限に酒が湧くという瓢箪を片手に現れた。
今の今まで飲んでいたからだろう、少々顔が赤いように見える。しかし彼女はふらつくことなく、まっすぐに妖夢たちのところまでやってきた。
「あんたたちが私と組みたいっていう連中? 私は伊吹萃香、見てのとおり鬼だよ」
「鈴仙・優曇華院・イナバです。見てのとおりウサギです」
「魂魄妖夢。見てのとおり半人半霊です」
「知ってるよ。永遠亭の使い走りと白玉楼の辻斬りだろう?」
「「……はい?」」
なんたる偶然、なんたる奇遇。またしても選んだ名前は別世界に迷い込んだ幻想郷の住民だった。いったい何人迷い込んでいるんだかと妖夢はがっくりとうな垂れた。
しかし愕然としているわけではない、むしろ喜ばしいことだ。まったく知らない世界に知っている人がいるというのはとても心強い。
「ほ、本人だったのね……」
「本人だよ。ただしこの世界の“一部の人間を除いては全員本物だけど”」
「一部……?」
「そう。例えばこの酒場に自分の意思で名前を乗せたあんたたちと私、それから魔理沙」
「あ、やっぱり本人なんだ」
鈴仙が一人で得心しているが妖夢にとっては魔理沙のことなど道端の小石ほどどうでもいい。
まるで訳知り顔をしている萃香に素早く詰め寄った。
「教えてください。ここはどこですか?」
「ここは此処。幻想郷のさらに内側、いや、裏側というべきかな。ともかくここはあんたが拾った塊のなかだよ、魂魄妖夢」
「塊の……? どうしてそれを知っているんですか」
「そりゃあ一部始終を見ていたからだよ。悪気はなかったんだけど、つい面白そうだからずっとあんたの側にいた」
つまり主に塊をぶつけたことも紫に投げられたところも見られていた。それを聞いて妖夢はわずかに顔を赤くした。
そんなことを知らない鈴仙はうーんと何かを考えており、やがて聞きたいことがまとまったのか「でも」と口を開いた。
「名簿に載っている人が本物だとしたら、この酒場を経営している美鈴さん以外は幻想郷にいた人たち、ってことにならない?」
「ああ、そっか。ごめん、語弊があった。正確には“魔王を討伐して元の世界に帰ろうと考えているのは私たちだけじゃない”ってことだよ。分かった?」
ぐいっと酒をあおる萃香。彼女がいいたいことは何なのか。
とにかく今妖夢たちがいるのは塊の中の世界、だから幻想郷のさらに内側だと萃香は言っている。それは分かる。しかし名簿に載っている人間がすべて幻想郷の人間ではないとすれば、いったいどこから来た人たちなのか。そこである人物の言葉が浮かんだ。
『これは電気で動く外の世界のカラクリだね』。香霖堂の店主が塊に触れたときに言った言葉だ。店主は触れた物の名前と用途が分かる程度の能力の持ち主。彼が外の世界といったからには塊は外から来たものである。
「……まさか、外の世界の人たち」
「正解。ここにいるのは妖夢みたいに塊を拾って光に呑みこまれた連中なわけ。つまりさ、この世界の人間にとって魔王は絶対に害を与えない存在だから、進んで魔王を討伐することはないけど、名簿に名前を載せるということは必ずそこに目的が存在する」
「あ、だから美鈴さんは強いけど魔王を討伐する気はないんだ」
名前を呼ばれて「なんですか?」と笑顔を向ける美鈴に、なんでもないと手を振って誤魔化す鈴仙。
そういうことなら鈴仙、萃香が名簿に載っていて本物であることも多少の説明がつく。
「ところで美鈴さん、仲間は何人までですか?」
「四人です。だから妖夢さんはあとお一人、誘えますよ」
「一人、ですか……」
「魔理沙しかいないんじゃないかな。薬を届けに来た鈴仙とずっと後をつけていた私はともかく、他にこーりんに用事のあるやつなんて多くないよ。それに同じ時間に四人もいたことが事態がすでにすごい偶然なんだからさ」
それもそうかと妖夢は半分諦めた気持ちで「魔理沙にするしかないのかなあ」と呟く。けれどもやはり諦めきれずに他に誰かいないかと名簿の最後のページを開く。
別に意地を張らずとも魔理沙を連れて行けばいいのだが。人の良い鈴仙はやれやれといった感じで妖夢と一緒に名簿を覗き込み、萃香は我関せずといった感じで椅子に座って足をぶらぶらさせながら酒を呑んでいる。
「………ん? もしかして、これ」
「どうしたの妖夢?」
「鈴仙、これってあの人じゃない?」
「あの人? ……あー、なるほど。確かに魔理沙よりは良識があるかも」
「お、魔理沙以外にもいたの? どれどれ」
三人が一様に同じ名前を除きこむ。
名前、Patchouli Knowledge。職業、動かない大図書館。だからどうして三人とも書かれている職業がおかしいのだろうか。動かない大図書館は職業ではあるまい。
「パチュリーか。まあ、魔理沙よりは頼りになるかな。いいじゃん、どうして香霖堂にいたのかは分からないけど」
「たぶん、あそこに魔理沙がいると踏んで本を返してもらいに来たんじゃないかな。それで光に巻き込まれたんだよ、きっと」
「そうね。なんだか他人の気がしないわ」
これで白玉楼、永遠亭、紅魔館、博麗神社の四大勢力の人間が揃ったことになる。幻想郷ではありえない組み合わせだ。
さっそく美鈴に頼んでパチュリーを呼び出してもらう。
と、ここで鈴仙が控えめに口を開いた。
「あのさ、パチュリーさんって喘息もちだったよね。大丈夫かな」
「前衛で活躍しろってわけじゃないんだし、後方で頑張るくらいなら何とかなるって」
かんらかんらとお気楽に酒をあおる萃香は深く考えていないだろうが、かなり理想的な組み合わせであることは間違いない。
前線は妖夢と萃香で暴れまわり、後方から鈴仙とパチュリーが支援する。加えて鈴仙は医者見習い、傷の治療もできる。おそらくこの四人が組めば、負けることはほとんどない。きっと魔王にだって勝ててしまう。
さて、パチュリーはまだか。彼女の登場に期待を寄せながら待っていると、いいタイミングで美鈴が現れた。
ドキドキしながらパチュリーが降りてくるのを待つが、いくら待っても彼女は降りてこない。三人はおかしいなとそろって小首を傾げる。
そこで三人を代表して鈴仙が質問をした。
「美鈴さん、パチュリーさんは?」
「それが………」
言いにくそうに言葉を濁す美鈴。何かがあったのは間違いない。
まさか、酒で喘息が悪化して倒れたのではないかと心配になったが返ってきたのは別の声だった。
「妖夢さんたちの名前を出した途端、二階の窓から飛び降りていってしまって」
「「「な……ッ」」」
三人がほぼ同時に驚愕し、同じことを考えた。
馬鹿な、あの病弱娘のどこにそんな力が―――――ッッッ!!!
「嘘だッ!! この世界じゃ私たちは飛べないはずなのに!」
萃香が珍しく焦りを露わにして叫ぶ。
「はうっ!! 西北西にパチュリーの電波を確認!」
鈴仙の耳がレーダーのように特定の方向を指し示す。そうか、あれはそうやって使うのかと妙に納得する美鈴。
「追うわよ! まだそんなに遠くには行っていないはず!!」
妖夢を先頭にして三人が酒場を飛び出す。すると外に出てすぐに妖夢の目が城下町を出て行こうと駆けていく紫色のマントを捉えた。
間違いない。あれはパチュリーだ。
「パチュリー、逃がさん!!」
名前を呼ばれたパチュリーがちらりと妖夢たちを振り返ったが、逃亡速度はまったく緩めない。
ここで彼女はミスではないミスを犯した。窓から飛び降りるという強行策によって一旦は機先を制したが、相手が悪かった。
二百由旬の庭を駆ける庭師。迷いの竹林を疾駆するウサギ。驚異的な身体能力を誇る鬼。敵は駿馬をも凌ぐ駿足の少女。病弱で読書家の彼女にはあまりにも壁が高すぎたのだ。
「はっ……ぁ、はぁ………」
加えて自身は喘息持ち。長期戦が常識の逃亡戦において持病があるというのは致命的であった。
間もなくパチュリーは追いつめられ、容易に捕獲されたのだった。
「捕まえた。さて、パチュリー。逃亡した理由を詳しく聞かせてもらおうか」
「内容によっては師匠の実験台になってもらいますよ」
「ま、私たちを相手によく逃げたほうだと思うけど。で、逃げた理由は何なのかな?」
問い詰められたパチュリーはぷいっとそっぽを向いてしまって答えようとしない。
「じゃあ私の口から言わせてもらうよ。どうせ目的は魔理沙だったんだろうさ、そうだろパチュリー?」
「………ッ!!」
そっぽを向いていたパチュリーが顔を真っ赤にして萃香を睨みつけた。どうやら図星を突かれたらしい。
どういう意味なのだろうと鈴仙と妖夢は頭のうえにハテナを浮かべていたが、構わず萃香は酒を呑みながら話を続ける。
「魔理沙の名前を見つけたアンタは魔王退治に誘ってもらおうと待っていた。しかし私たちが仲間に呼んで、しかも最後の一人なんだから魔理沙とは組めないことになる。そりゃ逃げたくもなるよねえ」
「ち、違……ぅ」
「それに魔理沙はしばらく帰らないよ、なぜならこの世界に興味を持ってしまったからね。魔理沙の探求に付き合うなら止めないけどさ、いつも後手に回っているアンタにそれができるとは思えないなあ」
「黙りなさい、鬼のくせに!!」
パチュリーの体から魔力が炸裂し、萃香に襲い掛かる。
対する萃香は片手だけで魔力の風を弾き、ふんと鼻を鳴らした。
「アンタだって、たかが魔女じゃないか。その魔女が人に惹かれるなんてとんだ笑い種だよ。加えてアンタは弱い。力と心だけじゃなくその存在も脆弱すぎる」
「何もかもを知っているフリをして、人の輪を外から眺めることしかできない傍観者が言うセリフじゃないわね。寂しいから人に突っかかるの? まだまだ子どもね」
「あっははは! ……生意気だよ、小娘」
一触即発の空気が流れる。さすがにこのままではまずいと思い、妖夢と鈴仙がそれぞれ止めに入った。
「ちょっと待ってよ。ほら、落ち着いて萃香ちゃん。ね?」
「誰が萃香ちゃんだって? んん?」
「あ、いやぁ、そのぉ…………ごめんなさい」
鈴仙が頭を撫でて萃香をなだめ、一方では猛牛のごとく息を荒げているパチュリーを妖夢がなだめた。
「パチュリー、大人気ないから止めましょうよ」
「何よ。あなたも鬼の肩を持つつもり?」
「そうじゃなくて。これから旅をする仲間なのにいがみ合っても仕方がないってことです。パチュリーは不本意かもしれないけど、こうなったのも何かの縁だと思って仲良くしましょうよ」
「むきゅう……」
「それに魔理沙だって本が必要になったらきっと図書館に行くでしょう。そうなったときのために幻想郷に戻っておくのも悪くないですよ。主が不在の図書館だったら全て持っていかれるかもしれませんし」
「そ、そうよね。全部持っていかれたら困るもの」
どうやら怒りも収まったらしく、パチュリーの勢いが鎮火する。
これでよしと思っていたが一方の萃香のほうはまだ収まっておらず、しかも怒りの矛先が鈴仙に向かっていた。
不安だなあと妖夢は真っ青な空を見上げてため息をついた。
◆
伊吹萃香。LEVEL・1。HP31/31。MP10/10。
パチュリー・ノーレッジ。LEVEL・1.HP11/11。MP40/40。
体力の高い鬼と魔法使いの両極端が仲間となり、やっと冒険の第一歩を踏み出した。
「で、これからどうしよっか」
ぐぐっと背伸びをした鈴仙が妖夢たちを振りかえる。
「とりあえず魔王の居場所ね。魔王を倒さないと聖杯は手に入らないから」
「でもさ、妖夢。私たちの……熟練度だっけ、たった1じゃ無理じゃない?」
全員がレベル1。当然だが敵の親玉を相手にするにはまったくもって未熟。このまま戦うのは無謀である。
それには知識人のパチュリーも鈴仙の意見に賛同した。
「そのとおりよ、まずは自分たちの熟練度を上げることが重要だわ。遠出をするのはまだ危険すぎる」
「何を小さいこと言っているのさ。大丈夫だよ、例えどんな妖怪が出てきたって問題ないない!!」
あっはっは!! と笑ったかと思うとまたしても酒を呑む萃香。アルコール中毒にならないのだろうか。
あまりにも無茶な萃香の発言にパチュリーが大仰に肩を竦めてみせ、鈴仙は彼女の珍しい仕草に苦笑いする。
幻想郷とは違うまったく別の世界にいるのに暢気なものだと妖夢は一人呆れる。
(それとも、この暢気さが私には足りないのだろうか)
魂魄家は西行寺家を守るために存在する。そのためには家を守るために庭師となり、食事を作ることも兼ねる。常に気を張り、たった一匹のネズミの侵入も許さない。それが当たり前で自分の役目であると妖夢は自らに命じてきた。
しかし永遠亭といい、紅魔館といい、どちらも侵入者があっても実力者たちは慌てることなく、むしろ最近では事後に出てくることも少なくない。
もちろん妖夢は白玉楼に踏み込もうとする輩を階段で食い止める。白玉楼に踏み込まれてからでは遅い。
(敵を踏み込ませるなんて無能の証明)
妖夢を負かした美鈴もあの霧雨魔理沙には負けた。それもまったく本気ではなく完全に手抜きで、彼女が妖夢と戦ったときと比べれば雲泥の差だった。
そのことを魔理沙が通ったあとで美鈴にどうして本気を出さないのか聞いたとき、彼女は妖夢にこう言った。
『じゃあ妖夢さんは、どんな敵なら門を通したいですか?』
逆に聞き返されてしまい、それに見合うだけの答えを持ち合わせていなかった妖夢は白玉楼に戻ってからもずっと考えていた。
そもそも門を通した時点で敵に負けを認めたことになる。だから敵は絶対に通してはならないし、通すべき敵などあってはならない。
だが、美鈴のなかにはちゃんとした答えがある。だからこそ妖夢に問いかけてきた。そしていまだ答えは見つかっていない。
「あ、なんか来た」
萃香の言葉にハッとして妖夢が顔をあげると、少し遠くにゲル状の物体が近づいてきていた。
それも一匹や二匹ではなく、数えきれないほどの大群だった。
(情けない。またしても敵を察知できなかった)
ぎちと歯噛みして、妖夢は急ぎ剣を抜いて臨戦態勢をとった。
「あれはスライムね。以前実験で作ったのだけれど、小悪魔が嫌がって捨てちゃったのよね」
「ぱ、パチュリーさん?」
「なんでもないわ。それよりあれ、打撃に強いから私が魔法で……」
「あー……でも、もう妖夢が」
鈴仙が指差したところには一人でスライムの大群に突っ込んでいく妖夢の姿があった。
むきゅう、と悲しそうにパチュリーが拗ねた。
「あんなところにいられたら広範囲の魔法が撃てないじゃない」
「じゃあ私が妖夢を援護するよ。パチュリーさんはまとまっているスライムたちをお願い」
「そうね。で、あの鬼はどこかしら」
「萃香ちゃんなら妖夢と一緒に突撃しちゃったみたい。ほら、あそこ」
元気よく両腕を振り回しながら妖夢とともにスライムの大群に突っ込んでいく萃香。
それを見たパチュリーはますます悲しそうに拗ねた。
「惜しいわ。妖夢さえいなければエメラルドメガリスを存分に撃てたのに」
「悔しがる方向が違うッッ!!? ちょっとパチュリー! お願いだから仲間を巻き込むのだけは止めてね!?」
「冗談よ」
疑う鈴仙を尻目にパチュリーは無詠唱で大群に向かって次から次へと火弾を放りこんでいく。妖夢さえいなければと言う割にはパチュリーの狙いは正確そのもの。確実に一匹ずつ焼却していく。
続いて鈴仙もお得意の銃弾似の魔力塊を指先から打ち出し、どんどん数を減らしていく。
さらに前線の活躍も強烈だった。瞬時に間合いを詰めて光速の剣閃を浴びせる疾風怒濤の妖夢と、強烈な一撃で敵をまとめて吹き飛ばす烈火のごとき萃香。
四人はチームワークとは無縁なバラバラの動きをしていたが、有象無象の集団を蹴散らすには十分だった。
ものの一分か二分でスライムの大群はすべて倒された。
「呆気ない。修練にもならないわ」
「まぁだまだいけるよ!」
「うん、上出来っ、かな?」
「実験の素材にならないだけ感謝なさい」
四人がそれぞれ勝利の台詞を決め、一斉に頭上のステータスを見上げる。
妖夢が5。萃香は6。鈴仙が3。パチュリーは4。
経験値は個別らしく上がり具合に差があった。
「鈴仙はあんまりあがってないね」
「ううっ、そういう萃香は上がりすぎだよぅ……。私の二倍もあるじゃない」
ちなみに全員無傷。
察して欲しい。なぜなら彼女たちは幻想郷の弾幕少女、スライムの単調な攻撃に当たるはずなどないのだ。
回避なんて彼女たちにとってはお茶の子歳々。文字通り朝飯前なのである。
「この調子なら楽に熟練度は上がりそうね」
「そうですね」
はて、とパチュリーが沈んだ表情の妖夢を見て疑問を口にする。
「あまり嬉しくなさそうね。強くなるのはあなたにとっても悪いことではないでしょうに」
「そうなんですけど、このまま闇雲に修練していても美鈴さんのような強さには程遠い気がして」
「美鈴? ええと………ああ、門番ね」
紅魔館の面々に本気で名前を忘れられかけているのではなかろうか。妖夢は美鈴の将来が不安に思った。
ふと、妖夢の頭に美鈴の問いかけが蘇った。先刻はスライムたちの襲撃で中断されたが今、目の前には賢人とも呼べる少女がいる。
自らに課せられた問いを他人にゆだねるのは卑怯な気がしたが、美鈴の問いに答えないのもまた不誠実なことだと思い、妖夢は恥を承知でパチュリーに美鈴の問いを投げかけた。
「あの、パチュリー。あなたが門番だったら門を通したい敵って、いますか?」
「どうしたの、藪から棒に」
「実は……」
妖夢は美鈴に問いかけられたときの状況ややりとりなどを細かくパチュリーに説明した。
「なるほどね、門を守るべき門番が通す敵。それが気になって仕方ない、と」
「私は白玉楼を守るもの。通したい敵なんて考えもしなかったから」
「そうね……」
パチュリーはしばらく顎に手をあてて考える仕草をしていた。その間、妖夢はじっと彼女の答えを待った。鈴仙と萃香はというと離れたところで魚釣りを始めていた。
やがてパチュリーが顔を上げた。
「妖夢は、美鈴が魔理沙を真面目に撃退しようとしないのが変だといいたいのね?」
「そうです。美鈴さんが本気を出せば魔理沙なんてあっという間に追い払えるはずなのに、なぜそうしようとしないのか不思議で」
「あの子の実力は私も分かりかねるけど……そうね、少なくとも妖夢にとって魔理沙は招かれざる客なのよね」
「ええ」
ふむ、とパチュリーはもう一度だけ考える仕草をした。
「じゃあ聞くけど、その魔理沙は亡霊姫を暗殺する計画でも立てているのかしら?」
「え?」
「というか、死ぬはずないわよね、幽霊なのだから。例え死なせることができたとしても幻想郷は弾幕ルールによって命を奪うことは戒められているもの」
「あ、あのう……?」
「だからね、妖夢」
パチュリーが細く白い手を妖夢の肩を軽く叩き、か細く笑った。
驚く妖夢を他所に彼女は言葉を続ける。
「あなたの敵は、今どこにいるのかしら」
動かない大図書館は簡潔かつ大胆なヒントを半人半霊に差し出した。
「私の、敵?」
「よく言うわよね、自分の敵は自分だって。それって自分が相手を敵と見なさなければ敵なんて誰もいないということでしょう。さすがに言い過ぎかもしれないけれど、美鈴が言いたいのはそれを見極めろということじゃないかしら」
「見極める……ですか」
「あの子の真意のほどは分からないけどね。でも魔理沙があなたやあなたの主を亡き者にしようとしたことが一度でもあったかしら」
「幽々子さまは初めから幽霊ですけど」
だがパチュリーの言葉は正解に近いのではないか。魔理沙は紅魔館の主やパチュリーに命の危機を与えるようなことはしない。本を持っていかれたら困るということでパチュリーが少々派手に応対することもあるが、それでも命のやりとりには程遠い遊びであることには違いない。
白玉楼には人が来ない。冥界という理由だけではなく空にあるし、遠いということもあるけれど問題は別にあるのではないだろうか。
冥界を閉じる門にではなく、頑なに来客を拒む妖夢自身に。
「あと私個人から言わせてもらうけど」
「? はい」
「その言葉遣い、どうにかならないかしら。さっきからすごくむず痒いのだけど」
ぽりぽりと帽子の端っこを掻いて。
「鈴仙に話すみたいにしてくれていいわ。そんな馬鹿丁寧な言葉遣い、ウチの犬だけで十分足りているから」
などと七曜の魔女が顔を赤らめながら言うので、言われた妖夢も「はい」と返したものの顔を赤くして俯いた。
結局彼女たちは萃香と鈴仙が釣れた魚を自慢しに来るまで硬直したままだった。
◆
しばらくは戦いながら魔王を目指す順調な旅が続いた。
ある時は走り回り。
「食い逃げだー!!」
「萃香ちゃん!! またあなたなの!?」
「魔王を倒して平和にしてやろうって言っている連中に金銭を要求するほうがおかしいんだよっ!!」
ある時は衝突しあい。
「イカサマ王と言われた私に勝てると思う、パチュリー?」
「知識は時として技術を上回るということを教えてあげるわ、妖夢」
「ちょっと!? 二人ともカジノで何をしているの!!?」
「「ポーカー」」
あるときは泣いた(一人だけ)。
「こんなパーティー組んでられないよーっ!!!」
「パチュリー! 非常食が逃げたよ!!」
「大丈夫よ、妖夢がすでに飢えているから」
「肉ゥゥゥッッッ!!!」
「妖夢、正気に戻ってえぇぇ!!!」
様々な試練と苦難を乗り越えて、妖夢たちは魔王を倒す勇者にふさわしい力を身につけていった。色々と割愛された気がしてならないが、ともかく妖夢たちは魔王のいる場所へと確実に近づいていた。
そしてついに、とある漁村にて魔王がいると言われている城の情報を得るまでに至ったのだった。
「あの山の裏側に魔王の城があるよ。でもあんたたち、本当に大丈夫なのかい?」
漁師の男性に問われ、妖夢は「大丈夫です」と強く頷いた。
「私には頼もしい仲間たちがいますから」
「そうかい、だったら心配いらないかねえ。これまでにあんたたちみたいに魔王を目指した連中はみんな、ひどい顔をして帰っていくものだから」
「それ、どういうこと?」
パチュリーが横から会話に入る。
漁師は少し沈んだ表情で答えた。
「どうもこうも、みんなひどい怪我をして戻って来るんだが誰一人として魔王の姿について同じ言葉が返ってこないんだよ」
「え、でも彼らは魔王の姿とか顔とか見たわけですよね? だったら普通同じことを言うと思うんですけど」
「けどおっかしいんだ。ある人は女だって言うし、ある人は巨漢だったっていうんだ」
「そう。ありがとう、もういいわ」
漁師はぺこりと頭を下げると自分の仕事に戻っていった。
話を聞いた鈴仙はむむむ、と唸っていた。
「どういうこと? 魔王って一人じゃないの?」
「考えられるのは二つだね。魔王が相手によって姿を変えているか、もしくは相手が幻覚を見ていたか」
「もうひとつあるわよ萃香。魔王が姿を変えなければいけない理由があるということよ」
姿を変える理由。統一されていない魔王の人物像。
そのとき、美鈴の魔王についての情報が妖夢の頭のなかで浮かび上がった。
「じゃあもしかして……私の場合は幽々子さま?」
「え? どうしてそう思うの?」
「美鈴さんは『あらゆるものを食べつくす魔王』と言っていた。けれど漁師さんは女と言ったけれど、巨漢であるともいった。幽々子さまは男ではないから違うかもしれないと思ったけど、でも人によって情報と魔王の姿が変わるのだとしたら辻褄が合う」
相手と最も親しい相手が魔王。だとすれば、冒険者たちが魔王に勝てなかったということにも符合する。
「まだそうと決まったわけじゃないわ。とにかく行ってみましょう、魔王の城とやらに」
「そうだよ妖夢。きっと大丈夫だって」
「ええ」
四人は漁村を離れると橋をつかって魔王の城がある島へと渡る。
そして巨大な山の裏側へと回りこみ、ついに魔王の城を正面に捉えた。
「ようやく辿りついた……」
「長い道のりだったよね」
「ええ、本当に長かったわ」
「うん…………」
妖夢のLEVEL、65。萃香のLEVEL、67。パチュリーのLEVEL、71。
鈴仙のLEVEL、94。
「鈴仙、あなただけは良識のある人だと思っていたのに」
「妖怪キラー……人でなし……」
「永遠亭を影から支配するウサギという噂は本当だったのね。私も咲夜には注意しないと」
「仲間に食べられそうになれば嫌でも熟練度を上げたくなるわよう!!!」
涙ながらに訴える鈴仙。非常食にはなるまいと頑張った結果がパーティーのエースとなって事実上の孤立。
というのは嘘で。しかし妖夢のスペルカードによって非常食になりかけたのは本当である。むしろ人でなしは仲間を非常食呼ばわりした妖夢たちのほうだと思う。
「で、ここが例の魔王城ということだけど」
四人は魔王城の前まで来ていた。そこで驚くべきことに、魔王城は幻想郷のとある場所と酷似していた。
延々と続くと思われる階段。周囲には白い人魂が漂い、地面には血と思わせておいてケチャップと食べかすらしきゴミが散乱していた。ここまで来れば如何に鈍感な妖夢であっても魔王が誰であるかは想像がつく。
状況を察した仲間たちはすかさず憐憫の情を表した。
「妖夢、落ち込まないで」
「そうだよ。きっと魔王は幽々子の姉妹だって」
「そうよ、妖夢。今までの鬱憤を晴らすいい機会だと考えればいいのよ。存分に斬り潰しましょう」
「「いや、それはダメでしょ」」
パチュリーの爆弾発言に他の二人からストップがかかる。
「いいえ、ここにいる魔王は幽々子さまの名を語る偽物だわ。みんなこそ遠慮しないで」
気丈に振るおうとする妖夢になぜか感極まった鈴仙と萃香が抱きつき、妖夢は何の抵抗もしないまま押し倒される形となった。
そのなかで、パチュリーだけが冷静に魔王のいる城を観察していた。
(魔王討伐に行くメンバーは本当に偶然だった。以前から知り合いだった鈴仙はともかく、私と萃香はほとんど話したことがない)
異様な空気の漂う別世界の白玉楼。まるで幻想郷からそのまま持ってきたような。
しかしパチュリーのなかで嫌な予感が膨らんでいた。冥界は生きる心地を持たない人間を死に誘う怠惰的な雰囲気があったが、今彼女の前にある白玉楼からは隙あれば魂を抜き取ろうとする悪意を感じるのだ。
(そして登場人物。まるで妖夢の対人関係を表しているような主要人物の少なさ。村人や町民のなかに私たちの知っている人物はひとりもいなかった)
酒場にいた紅美鈴。そして薄気味悪い偽白玉楼の魔王と言われている、おそらく西行寺幽々子と思われる人物。友達の鈴仙はパーティーにいるから登場人物から省かれるとして、接触したことのある博麗の巫女や歴史の半獣が出てこない。
だとすれば主要人物は妖夢の対人関係から影響されているとしか考えられない。
(まさか、あの塊は発動させた人間の対人関係を別次元に反映させて物語を作り出したというの? ううん、それこそありえないわ。親しい人間だけを反映させて偽物を作り出したとしてもあれだけの村人たちが妖夢と親しいとは考えづらい)
だが、あの村人たちは気にかかる。なぜか、あの村人たちには家族構成というものがほとんど存在しなかった。
そしてパチュリーはひとつの結論に達した。
(友人。そうか、あの村人たちは塊の世界に迷い込んだ冒険者たちの友人。だからこの世界の人口が異様に少なかった)
そこに妖夢のよく知る人物が二、三人だけ混じった。だからどれだけ探しても村人たちのなかに知り合いがいなかった。
(でもどうして妖夢なの? 萃香なら霊夢や八雲紫、鈴仙なら蓬莱人、私なら紅魔館のみんなが出てくるはずなのに)
矛盾が解けない理由はそれだ。妖夢とともに塊に吸い込まれた三人(と、魔理沙)の友人関係が反映されてしかるべきなのに、なぜか妖夢だけが反映されている。
何か条件があるのだろうか。しかしそれを考えている間に妖夢たちは階段を上り始めていた。
「パチュリー?」
「え? ああ、ごめんなさい。すぐ行くわ」
とりあえず今は聖杯を手に入れ、幻想郷に戻るのが先決。仕組みを考えることは後からできるし、必要になればもう一度塊の世界に入り込んで調査をすればいい。
(今は、魔王を倒す。でも)
今日は調子もいいはずのパチュリーなのに、彼女は魔王の城に来てから体がぎゅっと締め付けられている錯覚に襲われていた。
(何か良くないことが起こる気がする)
「……ふふ、私としたことが根拠もない不安を信じるなんて」
彼女は自超気味に呟くと小走りに妖夢たちを追いかける。
もう二十分は登っただろうか。飛べばすぐなのに、歩くと非常に遠かった階段を上りきると白玉楼が見えた。やはりというか幻想郷の白玉楼とはまったく雰囲気が異なっていた。華やかな雰囲気が黒い泥に塗りつぶされたような気持ち悪さ。
そこに、白玉楼の主が立っていた。
「いらっしゃい、食材さんたち。とっても美味しそうに育ってきたのねえ」
「幽々子さま……」
「安心していいわよお。例え私を満足させられる味じゃなかったとしても」
骨の髄まで食べつくしてあげる。
言って、魔王は暗い笑みをこぼした。
一言で表すなら極寒。細胞が運動を止め、その場に在るすべての動きを止める死の冷気。どんな分子さえも彼女が作り出す永久凍土の前には眠るしかない。
まさしく亡霊姫。生の暖かさを瞬く間に奪っていく死の少女。
幽々子を見慣れているはずの妖夢でさえ身動きの取れない殺気に、戦いなれている弾幕少女たちさえ戦慄していた。
「負けない……」
そんななか、妖夢が静かに抜刀する。
「私たちは負けない。私たちがここまで来たのは、決してお前に負けるためじゃない!!」
「妖夢……」
威ある声に萃香が驚き、そして「まいったなあ」と苦笑いした。
そして笑みもほどほどに萃香を中心に萃められた強固な岩が球体となって彼女の頭上に形成される。
「半人前の妖夢に私が勇気づけられるなんて、これは気合を入れなおさなきゃね!!」
萃香に呼応するようにあとの二人も戦闘体制をとる。
「うん! 負けられない、私たちは負けないよ!」
「当然だわ。私たちは勝って必ず元の世界に戻ってみせる」
「ええ、そのとおりよ。なぜならば、私たちに勝てないものはほとんどない!!!」
妖夢の言葉をきっかけに一斉に幽々子への攻撃が始まった。
鈴仙と幽々子が牽制し、その間に妖夢と萃香が距離を詰める。その狙いどおりに幽々子は弾幕を扇子で弾き返したが、そのときすでに妖夢は刀の射程内に捉えていた。
一閃。
「………!!」
振り下ろされた楼観剣が幽々子にたった指二本で受け止められる。
驚愕する妖夢だったが、その間にも萃香の岩をともなった一撃が迫る。
「くらえっ!!」
「甘いわね」
薙ぎ払う死蝶の腕。妖夢の刀を指で持ち上げたまま何の助走もつけずに萃香を払いのけた。刀を押さえられたままの妖夢は萃香に激突し、二人は激しく地面に転がる。
そしてトドメを刺そうと幽々子が二人に迫るが間を隔てるように銃弾と金属の弾幕が襲い掛かった。
「この程度なの……? 残念」
ボッという音とともに大気が抉り取られた。正確には幽々子は右手の扇子を音速に届くであろうと見紛うほどの驚異的速度で振りぬき、その攻撃によってすべての弾幕が消し飛ばした。
さらには発生した衝撃波によって離れた場所にいたパチュリーと鈴仙を吹き飛ばした。
「きゃあああぁっっっ!!!」
「ん………ッ!!!」
すべてが終わったときには立っていたのはただ一人、魔王のみ。
「そよ風に弾き飛ばされるなんてヤワな体ねえ。もう少し歯ごたえがあったほうが嬉しいのだけれど、よくよく考えてみれば柔らかい肉というのも油がのっていて美味しいわねえ」
「誰が大人しく食べられてやるものか……ッ」
剣を杖に立ち上がった妖夢が幽々子を睨みつける。
しかし彼女にも分かっていた。四対一にして圧倒的な戦力差。これを覆すには今の状況はあまりにも絶望的であることを。
「諦めなさい、あなたはもう勝てないと分からないの? 相手の実力が分からないほど愚かじゃないでしょう」
「違う、私は勝てないなんて思っていない」
鞘より引き抜かれる白楼剣。
二つの刀を構え、少女は叫ぶ。
「私は確信した……! 私の敵は、私の守ろうとするものを奪うお前みたいなやつだ!!!」
少女が爆発した。否、爆発に匹敵する加速をもって地を駆けた。しかし許せないと咆哮した妖夢を嘲笑うかのように幽々子が扇子を構え、そして振りぬく。
が、その動きは腕を狙った銃弾によって阻まれた。
攻撃の方向を見れば、いつの間にか鈴仙が指を幽々子の腕に向けて立っていた。
「妖夢は、あんたなんかにやらせない」
「これで止めたつもり? まだ、」
左腕が持ち上がる。勢いをつけた一撃は地を突き、衝撃波が妖夢に向かって走る。
妖夢と衝撃波がぶつかる。しかしそれより早くに衝撃波の前に球状に固められた岩が遮って、攻撃を受け止めた。萃香が岩を固めて、妖夢を守るためにそれを投げたのだ。
「やらせないって鈴仙が言ってただろ? わかってないのはアンタのほうだよ、幽々子」
妖夢の疾走は止まらない。萃香の投げた岩塊を踏み台にして、大きく跳躍する。
飛び込む姿は無防にして無謀。しかし強烈な一撃であり、攻撃の対象となっている幽々子こそが妖夢の攻撃は危険であることをよく分かっていた。
「だったら何なのかしら。止めれば私の勝ち、分かっていないのはあなたたちのほうよ」
「馬鹿ね。止められない自信があるからこそ戦うのよ」
パチュリーの本が開く。そこからあふれ出した魔力が風となってあふれ出していた。
「金&土符『エメラルドメガリス』」
孔雀色をした岩たちが一斉に召喚され、すばやく幽々子へと殺到する。三百六十度全方位攻撃によって彼女は妖夢の接近に気を配ることすら許されなかった。
そしてあと少しで妖夢が攻撃を届かせられるというところでエメラルドメガリスは標的を幽々子の周囲に変更し、逃げ場のない状況を作り出す。
“飛ぶ”ということができない世界で行く手を阻まれることは、回避することができないことを表す。
逃げられないと悟った幽々子の表情が恐怖で引きつった。
「や………っ」
「覚悟!!」
「止めて、妖夢!! あなたは自分の主を斬るつもり!!?」
「………!!!」
ぴくっと妖夢の眉が動いて、わずかに柄を握る力などに迷いが浮かんだ。
「もらった!」
そこへ豪風のごとき幽々子の魔手が伸びて妖夢の心臓を捉え、そして貫いた。
だらりと庭師の少女の四肢が投げ出され、刀が地に落ちた。
「勝った……!!」
「ええ、勝ったわ」
声が足元からした。
幽々子が、ゆっくりと下の方へ目をやるとすでに二刀を構えた妖夢の姿があった。
「魂魄『幽明求聞持聡明の法』」
幽々子の腕から感触が抜け落ちる。そしてさっきまで魂魄妖夢だった姿が白い人魂になって幽々子の腕から離れた。
「そして」
美しい銀色の刃が月光を浴びたように輝く。
「 待 宵 反 射 衛 星 斬 」
天から降り注いだ刃が地面を引き裂いたかのような無数の斬撃が超高速で放たれた。
神速にして一撃必殺。文句をつけるところなどない、単純にして最強の一撃。そのあまりの破壊力に周囲の岩塊は塵となってはじけ飛び、斬られた幽々子は数メートルも吹き飛ばされ、それでもなお転がる勢いはなかなか緩まらず。
ついには屋敷の壁にぶつかり、そうしてやっと幽々子の体は慣性から解放された。
「はぁ……ッ、はぁ……ッ。勝、った?」
動かない魔王を見て、呆然と呟く。
勝った。仲間たちから歓声がわき、一斉に妖夢のところに集まって喜びを分かち合う。
これで元の世界に帰れる。誰もが観喜に溢れていたとき。
魔王の亡骸が光った。
一同がその光景に驚いていると、亡骸からあふれ出した光がやがて一人の少女の形を成した。それは幽々子でもなければ幻想郷の誰でもない、おそらく外の世界の住民だろう女の子の姿だった。
妖夢にはすぐに分かった。彼女が幽霊の類であることを。
「あなたは?」
『私はこの世界の創造主。あなたが拾った物に憑いていた人間です』
「憑いていた……」
それがどういう意味なのか、拾った妖夢のなかでパズルのピースが埋まってひとつの考えが浮かび上がった。
白玉楼に外の世界のものは流れ着くことは滅多にない。あるとすればそれは八雲紫が持ち込んでくるものだったり、あるいは曰く付きの呪われた一品だったりする。
ならば妖夢の見つけた塊も何かが憑いていると考えるのが自然だったのだ。
「どうしてこの世界に飲み込まれた人たちの友人ばかりが登場するのかしら」
パチュリーの問いに幽体の少女がかすかに俯く。
『私に、友達がいなかったから。だから他の人には私みたいな寂しい思いをしてほしくなくて。私に誰かを結びつけられる力があったらと思って』
「それで引きずり込んだ人間の友達をコピーしたってこと? でもどうして私やパチュリーや萃香ちゃんの友達はコピーしなかったの?」
「おそらく誰か一人を中心とした人間関係しか模倣できなかったんだね。だから一緒に光に巻き込まれた私たちだけは模倣されなかったってことさ」
だから最初に触れた妖夢の人間関係だけが物語に反映された。
話の全容はこうだ。
塊には友達に恵まれないまま生涯を閉じた女の子が憑いていて、それが白玉楼に流れ着いたところを妖夢が見つけた。そして香霖堂で起動させたときに場に居合わせた鈴仙、萃香、パチュリー、ついでに魔理沙が巻き込まれた。
その世界では塊を起動させた人間の友人たちが登場人物として現れ、ひとつの物語を形成していた。ところが塊の作り出した世界には他にも多くの人が巻き込まれており、より完成度の高い世界が出来上がっていた。
『この世界に入った人たちが、ここを通して仲良くできたらいいなと思って。そして私のような人がいなくなれば』
「そっか。だから美鈴さんの酒場では一度仲間にする人を決めたら取りやめにすることができなかったのね」
気軽に誰かを誘える物語。知らない誰かを誘ってひとつの目的進み、その過程で親友関係を築いていく。
友達を作るために開かれた空間。それが塊の正体。
けれど、彼女自身が蓋となってしまって世界には自分のいた場所に戻れない人たちで溢れてしまった。
「でも、もうこんなことはしないでいいんです」
妖夢が幽霊の体に触れる。
ゆっくりと幽霊の足から光の泡になって空へと昇っていく。
「あなたはとても優しいから、今度生まれ変わってくるときはきっとたくさん友達ができますよ」
完全に形がなくなる間際、女の子が笑った気がした。
四人は幽霊の少女が空に消えていくのを見送った。
だが、光の泡が消えて重たい空気もなくなった瞬間。
世界が急激な縦揺れを起こした。突然のことに四人は緊張で顔をこわばらせた。
「なに!? いったい何が起きているの!?」
「創造主だった女の子がいなくなって城が形を保てなくなったのね。早く脱出しないとこの城と一緒に消えてなくなるわ」
「ちょっと、なんでパチュリーはそんなに冷静なのよーっ!! それって幻想郷に帰れなくなるってことじゃない!!」
「さっさと脱出だよ!! ほら、妖夢も早くっ!!」
四人は急ぎ、白玉楼を飛び出して階段を駆け下りる。こんなときに飛べないなんてと四人ともが思ったが文句を言っている場合ではない、全員がこれまでにないくらい走った。
しかしいつまで経っても下が見えない。そんなとき、ふと妖夢が振り返ると少し後方で息も切れ切れのパチュリーに気づいた。
妖夢はすぐに足を止め、パチュリーに駆け寄った。
「パチュリー、しっかりして。走れる?」
「ふ、ふ……っ。ダメね、こんな大事なときに息切れなんて、ッ……ごほっ、ごほっ!!」
咳込むパチュリー、そのとき、後方で何かが崩れるような轟音が鳴り響いた。二人が振り返るとさっきまでいた偽の白玉楼が跡形もなく壊れ、闇の底へ落ちていったのが見えた。
このままではこの階段も危うい。妖夢はパチュリーの背中を押して急かしてやる。
「急ごう。この階段もすぐに崩れ出すわ」
「ええ。そうね……、ッ!!?」
パチュリーが一歩踏み出したとき、いきなり彼女の足場が崩れた。
落ちかけた彼女の手をとっさに妖夢が手を伸ばして掴んだ。
「くっ………!!」
「妖夢……!? ダメよ、手を離して! このままだとあなたまで、せめてあなただけでも……!!」
「離さない、絶対に……ッ! だってパチュリーは、私の友達だもの……!!」
「妖夢………」
「うあああああぁっっっ!!!」
その小さな体のどこに力が残っていたのだろう。妖夢は片腕だけでパチュリーを一気に引っ張り上げ、腕の中に抱きとめた。
「ふう……」
「………………」
「パチュリー?」
「え、あ、ななんでもないわ。ありがとう」
顔を真っ赤にしてパチュリーは礼を言うと顔をそむけてしまった。
危険な状況にも関わらず、妖夢は少し照れながら笑った。
「どういたしまして。でも、向こう側へは行けなくなってしまったわね」
二人して崩れてしまった階段を見やる。
下へ向かう階段が途中で崩れてしまい、勢いをつけただけでは向こう側まで飛び移れないくらいの距離があった。
妖夢ひとりなら何とかいけるかもしれない。しかし、パチュリーを置いていくわけにはいかない。
考えている間にも二人の後ろで階段はどんどん崩れていく。
そのとき、崩れた階段の向こう側に心配して戻ってきた萃香と鈴仙が現れた。
「パチュリー! 妖夢!」
「出口はすぐそこだよ! 早く!!」
遠くには地上が見えた。どうやら崩壊しているのは白玉楼と階段だけらしく、地上まで降りられれば助かりそうだ。
希望が見えた。妖夢は覚悟を決め、パチュリーを抱える。いわゆるお姫様抱っこという抱え方である。
「よっ、妖夢!!?」
「しっかり掴まっていて。飛ぶわ」
「そんなの無茶だわ!! だって向こう側までかなり距離があるのに、私を抱えていたらできっこない!」
「大丈夫、信じて。届かないときはパチュリーだけでも向こう側に渡してみせる」
しかしもう時間がない。妖夢たちのすぐ後ろまで崩壊が進んでおり、先にどちらかが向こうへ渡ったとしても片方はその場に取り残される。ましてやパチュリーの足では向こう側へ跳ぶのは至難を通り越して不可能。ならば自分が抱えて飛ぶしかないと妖夢は限界まで後ろに下がり助走距離をとる。
いざ、と階段の向こう側を見据える。
そのときだった。
向こう側から萃香と鈴仙を押しのけて駆けてくる人影があった。
邪魔になるから退いてほしいと言おうとした妖夢より早く、大きく両腕を広げた人影が叫んだ。
「妖夢さん!! 早く飛ぶんだ!!!」
声に呼ばれ、妖夢は全身をフルに使って跳躍する。
重力からの離脱。そしてそのまま彼女はパチュリーを抱えたまま人影の胸に飛び込んだのだった。
◆ エピローグ
別の世界から帰ったとき、幻想郷では一日と過ぎていなかった。
元の世界に戻った四人は帰還を喜びあい、再び四人揃って会うことを約束して別れた。
それから一週間が経ったあとの白玉楼。
「妖夢? よ~う~む~?」
白玉楼の主がのほほんとした声で庭師を呼ぶがとんと返事がない。
そろそろ昼飯時なので何か用意してもらおうと思い立った幽々子だったのだが、呼べばすぐに飛んでくるはずの庭師はまだやってこない。
どうしたものかと小首を傾げながら居間へ入ると、そこには丁寧な小さめの文字によって伝言が書かれた紙切れがあった。
「あらあら。そういえば今日だったわねえ」
伝言を読み終えた幽々子は裾で口元を隠しながら微笑む。
そこへスキマが出現し、ひょっこりと紫が姿を現した。
「楽しそうね、幽々子」
「そういうことだから昼餉はマヨヒガで頂くわ」
「そちらは心配しなくても大丈夫よ。藍にはいつもの倍以上を作らせているから」
すべての事情を察している紫も幽々子と一緒になって笑う。
「で、元凶はあなたでしょう?」
スキマより取り出されたのは件の塊。それを元凶のまえに突き出すと、紫は少々呆れ気味に言った。
「コレを妖夢に見えるところにわざと置いておくなんて酷いことをするわ。もちろんとちゃんと浄霊はしたのでしょうね?」
「もちろんよ。それに昔から言うじゃない、『可愛い子には旅をさせろ』って」
「『獅子は子を千尋の谷に突き落とす』じゃなくて?」
「『情けは人のためにならず』だわ」
「それはどちらかというと魔理沙の本分でしょうに」
もっとも、正確には情け容赦なく相手から物を盗んでいくのだが。
元凶、幽々子はふわりと扇子を広げて口元を隠した。
「それに突き落とした甲斐はあったわよお? たくさんの友人を得て、あの子が帰ってきたときは別人のように大人びていたから、ずっとあの子の側にいた私でさえ驚いてしまったわ」
「やっぱり突き落としたんじゃないの。でもそうね、自らの迷いを断てたみたいね」
「あらあ? まだあの子の受難は続くと思うわよ。どうやら今度は別の火種を抱えてしまったみたいだから」
「元凶がよく言うわ」
「紫だって共犯みたいなものじゃないのよ~」
そんな黒幕二人の会話も露知らず、顕界ではある集まりが行われていた。
場所は魔法の森。目的はピクニック。集まった面々はそれぞれ手製の弁当持参しており、そこでは楽しそうな笑い声が絶えなかったと目撃した妖精は言う。
集まっていたのは四人の少女。すなわち鈴仙、萃香、パチュリー、妖夢の四人は幻想郷の誰もが羨む関係になっていた。
偶然が生んだ、最高の友人たちは忘れない。あの日の出会いがなければ今の自分たちがいなかったことを。
彼女たちを結びつけた、一人の優しい少女がいたことを。
――――――――――The End
この話には私的設定が混じっております。そういうものに嫌悪感を催される方はお控えください。
それでも読んでやるぜ!! という勇気ある幻想の読書家の方々はどうぞ。
緑豊かな幻想郷に存在する白玉楼という、幽霊たちが住まう場所のこと。
白い綿飴のような霊を連れた庭師、魂魄妖夢という少女が庭木の剪定をしていると不思議なものを見つけた。
「……ん?」
それは彼女にとっては奇天烈な、珍妙な代物であったが外の世界では馴染み深いもの。
スーパーファミコンである。
ご丁寧にカセットまで挿してあるそれを手に取った妖夢は色々な角度から観察し、ときおり上下左右に振る。
当然だが機械は動力となる電気がないと動かないということを彼女は知らない。
「……んん?」
一口かじる。
「固い」
食べられるわけがない。
手にしたものを何でも口に入れる赤ん坊ではないのだから、なにも食べてみようと試みなくてもいいのに。
手にした感触で食べられないと考えなかった彼女の天然ぶりに、木陰から見ていた天狗が鼻血を噴き出しながら「グッジョブ!!」と親指を立てて倒れたことを妖夢は知らない。
「そうだ、幽々子さまに聞いてみよう」
鼻歌も軽やかにスキップ混じりで屋敷に戻る妖夢。
余談だが、屋敷へ向かう妖夢を下から撮影していた天狗の頭に投げ捨てられた枝きりバサミが直撃していた。
◆
「というわけなのですが」
「ちょっと妖夢! 私はまだ何も説明されていないわよ!?」
白玉楼の亡霊姫。エンゲル係数ブレイカーなどと色々言われている西行寺幽々子が庭師の適当な態度に怒った。
しかし幽々子が怒っていたのは妖夢の無気力で適当な発言に対してではなかった。
「そもそも何よ!? 昼餉を終えてのんびりしていただけなのに、部屋に入ってくるなりこの塊をぶつけてくるなんて!!」
茶室でゴロゴロしていた主を見つけた妖夢は魂魄流・消える魔球でスーパーファミコンを投げつけ、見事幽々子の顔面を捉えたのだった。
そして小さくガッツポーズした庭師に主として幽々子は怒りを露わにし、今に至る。
「私なりに努力しました」
「顔を狙って投げる練習を!!?」
「それはともかく幽々子さま、これはいったい何なのでしょうか」
「主を攻撃しておいて、ともかくって……。けどそうねえ、私も見たことがないわあ」
スーパーファミコンを妖夢と同様に上下左右から観察する幽々子。そして味見。
もちろん固い。
「妖夢の唾液の味がするわ」
「ぶっ!!!? な、なななんで私の味だって分かるんですか!!?」
「あら、私は妖夢のことなら何だって知っているのよ」
舐めたことがあるのだろうか。いやいやまさかそんなことはあるまい、と妖夢は首を振って自分の考えを全力で否定する。
ともかく深く考えないようにしようと妖夢は話題を変える。
「ごほん。と、とにかく幽々子さま。これがどんなものなのか、紫さまに伺ってみてはどうでしょうか」
「そうね。紫ー? ゆ~か~り~」
虚空へと幽々子が声を投げかける。
すると空間に裂け目が現れ、そこから見目麗しい女性が這い出てきた。
「はぁ~い、呼んだかしら?」
紫色のゴスロリチックな衣装を着た境界の妖、八雲紫はスキマと呼んでいる裂け目から出ようとして。
「あっ」
こけた。それも畳に向かって顔面から派手なダイビング。
冥界の茶室だけがぱーふぇくとふりーず。イージーなんて目じゃないぜ。
やっとのことで起き上がった紫は恥ずかしそうにしていたが、すかさず幽々子が彼女の肩に手を置いてフォローする。
「あらあら、紫ったらお茶目さんねえ。自分のスキマに足をひっかけるなんて」
「(あれ!? 普通にフォローされた!?)え、ええそうなのよ。うっかりスキマにつまづいちゃって」
「もう少女って呼ばれる歳はとっくの昔に過ぎているのにねえ」
「辛辣な一言をアリガトウ幽々子」
幽霊は歳を取らないのよねチクショウと毒づく紫。もちろん妖夢は聞かないふりをして話を進める。だって反応したらスキマに落とされるもん。
妖夢はかくかくしかじかと紫にスーパーファミコンを見つけた経緯と味の感想を話した。やがてすべてを聞き終えた紫はふむと何かを考えるような仕草を見せると、スキマからメガネを引っ張りだしてスーパーファミコンを観察し始める。
「なるほどね。妖夢、残念だけどこれは白玉楼どころか幻想郷のほとんどの場所では意味のない無価値なものよ」
「茶菓子にはなりませんでしょうか」
「あれのことは忘れなさい」
紫が指差したところには掛け軸があり、達筆な文字で「先ずは食せよ」と書かれていた。誰が書いたかは知らないが幽々子は掛け軸をネタに妖夢に変なことを吹き込んだに違いない。
「これは電気がなければただのゴミよ。あと食べても美味しくないからヨダレを拭きなさい、幽々子」
再び食べようとしていた幽々子にやんわりとストップをかける紫。
妖夢はうーんと腕を組んで悩んだ。自分が拾ってきたものが意味のないものであるならば捨てなければならないが、彼女は目の前の奇妙な箱の用途がとても気になっていた。
「ではどうすればいいのでしょう?」
「いい場所があるわ」
そう言って紫は妖夢を手招きした。
なんだろうと思いながら妖夢が紫の近くへ行くと、突然首根っこを掴まれてスキマへと放り投げられた。
一瞬だけ手を振る幽々子の姿が見えたが、ぶん投げられた妖夢にはどうでもいいことだった。
◆
たどり着いた(落ちた)先は森近霖之助が開いている森の雑貨店、香霖堂。
突如現れたスキマと落ちてきた妖夢に驚いた店主。そして妖夢の背中に押しつぶされた陶器たち。
「な、なんなんだ一体……」
「ここは………? あ、どうも香霖堂さん」
まったく悪気のない妖夢が割れた陶器を踏みながら霖之助に近づき、霖之助の頭の中で金額カウンターがどんどん上昇していく。
「キミは妖夢さん、だったか。今日は何のようだい?」
あえて陶器のことには触れず、頭の中で客のツケや弁償額を増やしていく。それがコーリンクオリティ。
そんなこととは露知らず、妖夢は一緒に落ちてきたスーパーファミコンと用件を話した。
興味深く話を聞いていた霖之助は最後にスーパーファミコンに触れ、一拍間を置いてから「なるほど」と一人頷いた。
「これは電気で動く外の世界のカラクリだね。つい少し前に似たようなものを見たよ」
「そうなんですか?」
「最近幻想郷に引っ越してきた山の巫女、東風谷さんといったかな。彼女が携帯電話と“あだぷた”というものを持ってきて『お願いします!! 死活問題なんです!!』と土下座して頼み込んできたんだ」
「死活……」
妖夢は山の巫女と直接面識がないのでよく分からなかったが、外の世界の人間は電気のカラクリに頼らなければ生きていけないのか、そーなのかーと理解しつつあった。
「ほら、あそこ。外の世界のものは電気がなければ動かないものが多くてね、カラクリ仲間の河城さんにコンセントを部屋の隅に設置してもらったんだ」
「はぁ」
「ところが彼女は壁に穴を空ける作業が苦手で、仕方ないから常連のアリスさんにも上質な布を1セット差し上げるという条件で手伝ってもらってね。ところがタイミングの悪いことに魔理沙のやつが来て『そういうことなら私がやってやるぜ』とか何とか言って店に大穴を空けたものだから、里の慧音さんに僕が寺子屋の臨時講師をするということで壁を破壊された歴史をなかったことにしてもらって事なきを得たんだが……」
次から次へと出てくる弾幕少女たちの名前。てめえはタラシかよと妖夢は毒づいたが窓の外にいる天狗も、天井近くから覗いているスキマ妖怪も同じことを考えていた。
兎にも角にもコンセントを使用してみようと試みるが、妖夢にはどう使えば電気が得られるのか分からない。結局店主にお願いして全部準備をしてもらった。
「これでいいはずだよ」
「ありがとうございます」
店主に礼を言うとさっそく正座をしてスーパーファミコンの動向をじっと観察する妖夢。しかし一向にスーパーファミコンに変化は訪れない。
もう気づいている人はいるかもしれないが、ゲームを始めるに必要なものはゲーム機本体とソフトに電気、そしてテレビである。
さすがの香霖堂でもテレビはない。いや、あるかもしれないがあったとしても幻想郷の人間はゲーム機とテレビを繋がなければ意味がないということを思いつかないであろう。
それは妖夢も例外ではない。
「…………(ドキドキワクワク)」
期待して待っている彼女だったがしばらく待つうちにだんだん表情が曇ってきた。横にいる半霊も少々心配そうにしている。
「………」
いくら待っても固まりに変化がないことに苛立った彼女はつい、やってしまったのだ。
ドン、と軽く握った拳でスーパーファミコンを叩く妖夢。
その弾みでゲーム機に電源が入り、起動し始める。
「え」
驚いたのも束の間。突如としてゲーム機から強烈な光が発せられ、妖夢の体を包み込んだ。
何が起きたのか理解できないまま、妖夢は光の粒子となってゲーム機のなかへと吸い込まれていった。
◆
厄日だ、と魂魄妖夢は思った。昼に見つけた塊を手にしてからいいことがない。
昼餉を終えて「ちょっと読書にいそしんでくるわ」と言ったはずの幽々子が茶室でゴロゴロしていたことに始まり、紫が慣れているスキマの出入りに失敗し、さらに少女と呼ばれる歳ではないと主に言われた八つ当たりなのかスキマに投げ込まれた。トドメは塊が光をはきだした。何が起こったのかは分からないが、とにかく良くないことが起こったのは感覚的に分かっていた。
だから今自分は気を失っていたのだと閉じたままの視界で考える。
(こんなところ、幽々子さまに見られたら笑われるだろうな)
憂鬱な気分で自分の醜態を誰にも見られていないようにと祈りながら妖夢がゆっくりと目を開けると、そこには香霖堂ではない光景が目の前に広がっていた。
広がる空。地平線まで続く草原。遠くにそびえたつ山々。
(いつの間に外に。まさか店主に気絶していると邪魔だから店の外に追い出されたのだろうか)
しかし妖夢は暇を見つけては白玉楼の階段から顕界を見下ろしていたので、今いる場所が幻想郷のどこでもないらしいと考えた。
それに店主がいくら人間らしくないとはいえ、気絶している人間を放り出すような非道な人間ではない。
だとすればここは何処なのか。
「あのー」
後ろから声をかけられた。妖夢が振り向くと、そこには真っ赤な髪をした大陸風衣装を着た女性が立っていた。
「め、美鈴さん!」
「え? はい、確かに私は美鈴ですけどあなたは?」
「………あ、あれ?」
紅美鈴であるはずの女性が自分を忘れている。このとき、おかしいなと妖夢の頭のなかで警鐘が鳴った。
魂魄妖夢と紅美鈴は面識がある。怪しい霧が幻想郷にあったとき、その元凶は忘れ去られた鬼であったが原因を探っているその途中、紅魔館に立ち寄ったときに彼女と出会った。
冥界より眺めていたときから、いつか彼の門番とは手合わせしたいものだと機会を窺っていた妖夢は、何とか戦闘を回避しようとする彼女にこれは好機と胸が躍るのを抑えきれず問答無用で斬りかかった。
結果は惨敗。対等に渡り合うどころか一太刀も浴びせることができず、奇しくも元凶にたどり着くことはできないまま白玉楼に戻った。
しかし自分は冥界一堅い盾。紅魔の門番より劣っていたのでは主に示しがつかないと考えた妖夢は異変の後に行われた鬼を交えた宴会でまたしても美鈴に斬りかかった。だが結果はまたしても惨敗であった。
悔しい。私は悪魔の犬どころか、紅魔の門番にさえ打ち勝てぬのかと妖夢は己の未熟さに泣いていたところ、紅美鈴は言った。
『私でよければ、いつでも相手になりますよ』
妖夢は驚いた。己の力に奢ることがなければ卑しい謙遜もない。清々しいまで彼女の武に尊敬すらしていた。
そのすぐあとに美鈴は悪魔の犬からナイフの雨と「サボる口実が欲しいだけでしょう」という類の説教を受けていたが、彼女は常人では動いたことすら気づかない体捌きで急所をわずかに外していた。
強い相手と戦って自らを高めたいという妖夢の考えは変わっていない。しかし、紅美鈴が強い理由は他にもあると思った妖夢はその日をきっかけに美鈴との親交を深めてきた。
だが目の前の美鈴は自分のことを覚えていない。会えば必ず「妖夢さん」と呼んでくれた彼女が忘れているはずがない。
だとすれば自分がいるのは幻想郷ではないのだろうか。とてつもない不安に妖夢は背筋が震えるのを感じた。
「あの、大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いようですけれど」
「え、あ、だいじょうぶ、です」
「もしよかったら私の酒場に来ませんか? お水くらいなら出しますよ」
酒場と聞いて妖夢はますます表情を曇らせた。美鈴は紅魔館の門番、酒場など経営しているはずがない。
やはり別の世界なのかと認識したところで美鈴が顔を覗き込んでいるのに気づき、あまり気を遣われないようにとなんとか笑顔を繕ってみせる。
とりあえず行く当てもないので妖夢は彼女についていくことにした。
道中の話で、彼女は近くの城下町で酒場を開いていて今は店を他の人にまかせて山菜を取りに行っていたのだという。
やはり別人なのだなと妖夢が寂しい気持ちで美鈴の話を聞きながら歩いていると、やがて城下町にたどり着いた。
人の多い城下町は活気に溢れており、静かで穏やかな幻想郷の村とはまったく逆だったことに妖夢は驚き、さらに酒場に入ってたくさんの武器を担いだ男性や女性で溢れかえっていたこともまた彼女を驚かせた。
「すごいでしょう。これみんな、魔王を倒すために集まった冒険者たちなんですよ」
「魔王………?」
「そう。百年前に封印されていた、この世のあらゆるものを食べつくす魔王が復活してモンスターを生み出し始めたんです。それで魔王を討伐した人には王様がどんな願いも叶えてくれる聖杯を与えてくれるそうなんです」
「それでこんなに人がいるのか」
なるほどね、と妖夢は辺りを見回した。
(……あんまり強そうな人はいないな。これなら私のほうがよっぽど強い)
もしくは美鈴が行ったほうがいいのでは? と思いながらカウンターに入った美鈴に声をかける。
「美鈴……さん。ひとつ聞いてもいいですか?」
「はい、なんですか?」
妖夢は美鈴の頭上を指差した。
「それ、なんですか?」
「やだなぁ、ステータスに決まっているじゃないですか。あなたの上にもありますよ?」
紅美鈴。LEVEL・65。HP883/883。MP201/201。
魂魄妖夢。LEVEL・1。HP24/24。MP15/15。
当然だが妖夢には何のことだかさっぱり分かっていない。
「??? 一体何なんですか、これは」
「あれ、もしかして本当に分からないんですか? これはそれぞれ熟練度、体力値、技量値を表しているんです。熟練度の数値が高いとそれだけ強く、体力値が高ければ攻撃に耐えやすくなり、技量値が高いと特技を多く使えるんです」
よく分からない。はてなと小首を傾げて頭上の数値と睨めっこをする妖夢。
首が痛くなった。
周囲を見渡すと冒険者たちの頭上にも同じ数字や文字があり、ますます妖夢は首を傾げた。
「コンパクヨウムさん、でいいんでしょうか」
「え、はい。合っています」
「もしよければ妖夢さんも魔王を退治に行かれませんか?」
「そうですね……」
魔王討伐。成功すれば報酬として願いを叶える聖杯が手に入るというが、この世のあらゆるものを食べつくすというのが自分のよく知っている誰かを連想させてならない。
だが好都合だ。願いを叶える聖杯とやらがあれば、元いた幻想郷へ戻ることも可能かもしれない。
そうと決まれば行動は迅速、決断は即決。さっそく魔王討伐の準備を始めなくてはならない。今のところ武器は楼観剣と白楼剣のみ。防具は庭師の服。装備に関しては何の問題もない。問題はスペルカードが使用できるかどうかだが、とりあえずできるほうで考えておく。
あとは魔王を共に討伐する仲間だけ。
(できれば同世代の女性がいいな……)
なんてったって魂魄妖夢は花も恥らうお年頃の女の子。歳の違う男と旅をするというのは何となく気疲れしてしまう。
それならば美鈴のように強くて、自分の知っている人に仲間になってもらいたい。
「美鈴さんは魔王討伐に行かれないんですか?」
「あはは。私は自分の酒場を持っていますし、今以上に欲張るものはないですから」
残念だ。熟練度が高く、よく知っている彼女が仲間だったのならどれほど心強かったことか。
「代わりというわけではありませんが、ここに魔王討伐の仲間を募集している人の名簿がありますので、どうぞ」
美鈴から差し出された名簿を受け取って、どれどれと名前を眺めてみる。
思ったとおり、名簿に載っているのは知らない名前の人たちばかり。職業が横に書かれていたが、どういう人を仲間にすればいいのか分からない。
困ったなあと頬杖をつきながら名簿をめくる。
「………あ」
名簿には妖夢も知っている名前があった。名前、鈴仙・優曇華院・イナバ。職業、ウサギ。しかし彼女の職業は医者見習いではなかったか。
鈴仙とは白玉楼に薬を分けにきてくれる非常に気立てのよい優しい性格に惹かれた、唯一の女の子らしい付き合いをしている。立場も酷似しており、ともに主に苦労しているところもそっくりなものだから一緒に茶を飲みながら愚痴をこぼしあうこともしばしば。
赤の他人だろうがこの際どうでもいい。知っている顔さえいてくれれば胸に渦巻くモヤモヤとした不安が晴れるかもしれないと助けを求める気持ちで鈴仙の名前を指差した。
「美鈴さん! この人、鈴仙さんでお願いします!!」
「あー、その人ですか。わかりました、ではちょっと待っていてくださいね」
カウンターを離れた美鈴が階段の上へと消える。とりあえず彼女が戻ってくるまで他に知っている人がいないか探してみようと名簿に視線を戻す。
「………………うげ」
名前、霧雨魔理沙。職業、普通の魔法使い。
ダメだ、こいつだけはダメだ。妖夢が春を集めていたときに彼女にひどい目に遭わされ、それからずっと魔理沙が来るたびに迷惑をかけられた。
宴会の席では絡まれてマスタースパークを頂いたこともあれば、他にも白玉楼が所蔵している本を盗まれたこともある。
歩く最悪の災厄。どんな苦境に陥ろうとも奴だけは呼ぶまいと魔理沙の名前は見なかったことにする。
「お待たせしました。鈴仙さん、彼女です」
来た。微かな期待を胸に階段へと目を向ける。
そこには美鈴同様、寸分も違わぬ姿でこちらを見ている鈴仙・優曇華院・イナバという永遠に生きる民に仕えるウサギがいた。
「れい……」
他人であることは承知で声をかける。
が。
「妖夢――――――――ッッッ!!!!」
「せん……って、えええっっ!!?」
突然、目を潤ませた鈴仙がすばらしい跳躍力で階段から遠く離れた妖夢に向かって一直線に飛び込んできた。
そういえばウサギだったな、と妖夢は床に打ちつけた頭の痛みを心地よく感じながら思った。
「れ、鈴仙、でいいのよね……?」
「もっちろんだよー! よかった、知っている人がいて本当に嬉しい!!!」
「うん、私も嬉しい。嬉しいからとりあえず退いて」
首を絞めつけられてそろそろ苦しくなった妖夢がぺしぺしと鈴仙の頭をはたいて「早く退いて」とアピール。
やっと自分が首を絞めていることに気づいた鈴仙が「ごめんね」と可愛く舌を出して謝った。
「ところでどうしてここに? 香霖堂には店主と私しかいなかったはずなのに」
「あ、それね。ちょうどあの日は霖之助さんのところに薬を補充する日で、妖夢が来ているって聞いたから声をかけようと思ったんだけど、そのときいきなり光に包まれて……。気がついたらここにいたの」
「そう……。他に店に誰か来ていなかった?」
妖夢が塊と睨みあっていた時間はかなり長かった。どれほど塊を眺めていたかは覚えていないけれど、その間に香霖堂に人が来ていたかもしれない。
最近はハーレムフィーバーの店主だ。代わる代わる弾幕少女たちがやってきていたとしても何ら不思議はない。
「そういえば奥に魔理沙がいたみたいだけど」
「いなかったわ」
「え? でも、その名簿にも」
「いなかった。もしくは一人称が『俺』の偽魔理沙」
「……あー、なるほど。言いたいことは分かったよ」
魔理沙は仲間にするべきではないという必死の訴えが伝わったようで、鈴仙が苦笑いをしながら頬をかいた。
後ろのほうで美鈴が首を傾げているが、一番の被害者は幻想郷の紅美鈴を中心とした紅魔館の面々であることを彼女は知らない。知らないことがあることは幸せなことだ。またひとつ勉強になった妖夢は鈴仙と一緒にカウンターの席に座り、再び名簿をめくっていく。
酒場は三階建て。相当の冒険者がいるのだろう、名簿は分厚くぎっしりと名前が詰め込まれている。他にも鈴仙のようにこの世界に迷い込んだ幻想郷の人がいるかもしれない。
ちらりと妖夢は鈴仙の耳の上あたりにある“すてーたす”とやらは? と気になったので見てみる。
鈴仙・優曇華院・イナバ。LEVEL・1。HP16/16。MP24/24。
技量値が高く、体力値の高い妖夢より技巧派であるのが見て取れた。
「あっ」
「?」
鈴仙がいきなり声をあげたので何か見つけたのだろうかと一緒になって名簿を覗き込むと、そこには妖夢もビックリの名前が載っていた。
名前、伊吹萃香。職業、鬼。
伊吹萃香といえば幻想郷に怪しい霧が立ち込めていたときの元凶だった忘れ去られた鬼。結局、彼女と手合わせすることはなく美鈴に負けてしまったのだが。
「鬼かあ。あんまり面識ないなあ」
「私も。他に誰かいないかしら」
「やっぱり魔理沙……」
「あいつはここで置き去られておしまいなのよ」
とは言ったものの、面識のない相手とはいえ同じ幻想郷の住民であることには変わりはない。むしろ赤の他人である可能性もありうる。
「美鈴さん、会うだけっていうのはダメですか?」
「うーん、そういうのはダメなの。ここにいる人たちは気軽にパーティーを組むことを目的にしているから、品定めみたいなことはしないようにしているの」
「やっぱりダメかあ」
「鈴仙さんだってその条件で了承したじゃないですか」
仲間選びにあまり時間はかけたくはない(だが魔理沙は断る)。早く幻想郷に戻らなければ腹を空かせた幽々子が暴れ出すかもしれない。
敵を食い止めるのが盾の役目であるならば、主の暴走を食い止めるのもまた盾の役目。そうでなければ何のための魂魄家か。
遅決は良くない結果の元。決めたら実行あるのみ。
「決めた。美鈴さん、伊吹萃香さんでお願いします」
「はい、じゃあちょっと待っていてください」
再び美鈴が階段を上って消えていく。
美鈴が見えなくなるのを待ってから鈴仙が妖夢に話しかけた。
「大丈夫なの? その、とてつもなく不安なんだけど」
「心配しすぎ。だいいち私たちと鬼は面識がないのだから、この世界にいる伊吹萃香だったとしても同じことだわ」
「それはそうなんだけどぉ……」
ただでさえ元気のないふにゃふにゃの耳がさらに垂れ下がる。
後ろ向きだなぁと妖夢は小さくため息をもらした。
「鈴仙はもう少し気楽になったほうがいい。どうしてもというのなら楽にしてあげるわ」
「いやいやいや! 大丈夫だよ、妖夢! 別の意味で楽になっちゃいそうだから白楼剣は止めて! ほら、私は元気だからさ! ね?」
それを聞いた妖夢は「残念だわ」と剣を収める。姉妹がじゃれているような光景だが、どちらが姉なのかは分からない。鈴仙を気遣っている妖夢が姉なのか、それとも強行的な妖夢をなだめている鈴仙が姉なのか。
ほどなくして美鈴が小さな女の子をつれて降りてきた。
「萃香さん。彼女たちです」
伊吹萃香。密と疎を操る程度の能力を持つ鬼が、無限に酒が湧くという瓢箪を片手に現れた。
今の今まで飲んでいたからだろう、少々顔が赤いように見える。しかし彼女はふらつくことなく、まっすぐに妖夢たちのところまでやってきた。
「あんたたちが私と組みたいっていう連中? 私は伊吹萃香、見てのとおり鬼だよ」
「鈴仙・優曇華院・イナバです。見てのとおりウサギです」
「魂魄妖夢。見てのとおり半人半霊です」
「知ってるよ。永遠亭の使い走りと白玉楼の辻斬りだろう?」
「「……はい?」」
なんたる偶然、なんたる奇遇。またしても選んだ名前は別世界に迷い込んだ幻想郷の住民だった。いったい何人迷い込んでいるんだかと妖夢はがっくりとうな垂れた。
しかし愕然としているわけではない、むしろ喜ばしいことだ。まったく知らない世界に知っている人がいるというのはとても心強い。
「ほ、本人だったのね……」
「本人だよ。ただしこの世界の“一部の人間を除いては全員本物だけど”」
「一部……?」
「そう。例えばこの酒場に自分の意思で名前を乗せたあんたたちと私、それから魔理沙」
「あ、やっぱり本人なんだ」
鈴仙が一人で得心しているが妖夢にとっては魔理沙のことなど道端の小石ほどどうでもいい。
まるで訳知り顔をしている萃香に素早く詰め寄った。
「教えてください。ここはどこですか?」
「ここは此処。幻想郷のさらに内側、いや、裏側というべきかな。ともかくここはあんたが拾った塊のなかだよ、魂魄妖夢」
「塊の……? どうしてそれを知っているんですか」
「そりゃあ一部始終を見ていたからだよ。悪気はなかったんだけど、つい面白そうだからずっとあんたの側にいた」
つまり主に塊をぶつけたことも紫に投げられたところも見られていた。それを聞いて妖夢はわずかに顔を赤くした。
そんなことを知らない鈴仙はうーんと何かを考えており、やがて聞きたいことがまとまったのか「でも」と口を開いた。
「名簿に載っている人が本物だとしたら、この酒場を経営している美鈴さん以外は幻想郷にいた人たち、ってことにならない?」
「ああ、そっか。ごめん、語弊があった。正確には“魔王を討伐して元の世界に帰ろうと考えているのは私たちだけじゃない”ってことだよ。分かった?」
ぐいっと酒をあおる萃香。彼女がいいたいことは何なのか。
とにかく今妖夢たちがいるのは塊の中の世界、だから幻想郷のさらに内側だと萃香は言っている。それは分かる。しかし名簿に載っている人間がすべて幻想郷の人間ではないとすれば、いったいどこから来た人たちなのか。そこである人物の言葉が浮かんだ。
『これは電気で動く外の世界のカラクリだね』。香霖堂の店主が塊に触れたときに言った言葉だ。店主は触れた物の名前と用途が分かる程度の能力の持ち主。彼が外の世界といったからには塊は外から来たものである。
「……まさか、外の世界の人たち」
「正解。ここにいるのは妖夢みたいに塊を拾って光に呑みこまれた連中なわけ。つまりさ、この世界の人間にとって魔王は絶対に害を与えない存在だから、進んで魔王を討伐することはないけど、名簿に名前を載せるということは必ずそこに目的が存在する」
「あ、だから美鈴さんは強いけど魔王を討伐する気はないんだ」
名前を呼ばれて「なんですか?」と笑顔を向ける美鈴に、なんでもないと手を振って誤魔化す鈴仙。
そういうことなら鈴仙、萃香が名簿に載っていて本物であることも多少の説明がつく。
「ところで美鈴さん、仲間は何人までですか?」
「四人です。だから妖夢さんはあとお一人、誘えますよ」
「一人、ですか……」
「魔理沙しかいないんじゃないかな。薬を届けに来た鈴仙とずっと後をつけていた私はともかく、他にこーりんに用事のあるやつなんて多くないよ。それに同じ時間に四人もいたことが事態がすでにすごい偶然なんだからさ」
それもそうかと妖夢は半分諦めた気持ちで「魔理沙にするしかないのかなあ」と呟く。けれどもやはり諦めきれずに他に誰かいないかと名簿の最後のページを開く。
別に意地を張らずとも魔理沙を連れて行けばいいのだが。人の良い鈴仙はやれやれといった感じで妖夢と一緒に名簿を覗き込み、萃香は我関せずといった感じで椅子に座って足をぶらぶらさせながら酒を呑んでいる。
「………ん? もしかして、これ」
「どうしたの妖夢?」
「鈴仙、これってあの人じゃない?」
「あの人? ……あー、なるほど。確かに魔理沙よりは良識があるかも」
「お、魔理沙以外にもいたの? どれどれ」
三人が一様に同じ名前を除きこむ。
名前、Patchouli Knowledge。職業、動かない大図書館。だからどうして三人とも書かれている職業がおかしいのだろうか。動かない大図書館は職業ではあるまい。
「パチュリーか。まあ、魔理沙よりは頼りになるかな。いいじゃん、どうして香霖堂にいたのかは分からないけど」
「たぶん、あそこに魔理沙がいると踏んで本を返してもらいに来たんじゃないかな。それで光に巻き込まれたんだよ、きっと」
「そうね。なんだか他人の気がしないわ」
これで白玉楼、永遠亭、紅魔館、博麗神社の四大勢力の人間が揃ったことになる。幻想郷ではありえない組み合わせだ。
さっそく美鈴に頼んでパチュリーを呼び出してもらう。
と、ここで鈴仙が控えめに口を開いた。
「あのさ、パチュリーさんって喘息もちだったよね。大丈夫かな」
「前衛で活躍しろってわけじゃないんだし、後方で頑張るくらいなら何とかなるって」
かんらかんらとお気楽に酒をあおる萃香は深く考えていないだろうが、かなり理想的な組み合わせであることは間違いない。
前線は妖夢と萃香で暴れまわり、後方から鈴仙とパチュリーが支援する。加えて鈴仙は医者見習い、傷の治療もできる。おそらくこの四人が組めば、負けることはほとんどない。きっと魔王にだって勝ててしまう。
さて、パチュリーはまだか。彼女の登場に期待を寄せながら待っていると、いいタイミングで美鈴が現れた。
ドキドキしながらパチュリーが降りてくるのを待つが、いくら待っても彼女は降りてこない。三人はおかしいなとそろって小首を傾げる。
そこで三人を代表して鈴仙が質問をした。
「美鈴さん、パチュリーさんは?」
「それが………」
言いにくそうに言葉を濁す美鈴。何かがあったのは間違いない。
まさか、酒で喘息が悪化して倒れたのではないかと心配になったが返ってきたのは別の声だった。
「妖夢さんたちの名前を出した途端、二階の窓から飛び降りていってしまって」
「「「な……ッ」」」
三人がほぼ同時に驚愕し、同じことを考えた。
馬鹿な、あの病弱娘のどこにそんな力が―――――ッッッ!!!
「嘘だッ!! この世界じゃ私たちは飛べないはずなのに!」
萃香が珍しく焦りを露わにして叫ぶ。
「はうっ!! 西北西にパチュリーの電波を確認!」
鈴仙の耳がレーダーのように特定の方向を指し示す。そうか、あれはそうやって使うのかと妙に納得する美鈴。
「追うわよ! まだそんなに遠くには行っていないはず!!」
妖夢を先頭にして三人が酒場を飛び出す。すると外に出てすぐに妖夢の目が城下町を出て行こうと駆けていく紫色のマントを捉えた。
間違いない。あれはパチュリーだ。
「パチュリー、逃がさん!!」
名前を呼ばれたパチュリーがちらりと妖夢たちを振り返ったが、逃亡速度はまったく緩めない。
ここで彼女はミスではないミスを犯した。窓から飛び降りるという強行策によって一旦は機先を制したが、相手が悪かった。
二百由旬の庭を駆ける庭師。迷いの竹林を疾駆するウサギ。驚異的な身体能力を誇る鬼。敵は駿馬をも凌ぐ駿足の少女。病弱で読書家の彼女にはあまりにも壁が高すぎたのだ。
「はっ……ぁ、はぁ………」
加えて自身は喘息持ち。長期戦が常識の逃亡戦において持病があるというのは致命的であった。
間もなくパチュリーは追いつめられ、容易に捕獲されたのだった。
「捕まえた。さて、パチュリー。逃亡した理由を詳しく聞かせてもらおうか」
「内容によっては師匠の実験台になってもらいますよ」
「ま、私たちを相手によく逃げたほうだと思うけど。で、逃げた理由は何なのかな?」
問い詰められたパチュリーはぷいっとそっぽを向いてしまって答えようとしない。
「じゃあ私の口から言わせてもらうよ。どうせ目的は魔理沙だったんだろうさ、そうだろパチュリー?」
「………ッ!!」
そっぽを向いていたパチュリーが顔を真っ赤にして萃香を睨みつけた。どうやら図星を突かれたらしい。
どういう意味なのだろうと鈴仙と妖夢は頭のうえにハテナを浮かべていたが、構わず萃香は酒を呑みながら話を続ける。
「魔理沙の名前を見つけたアンタは魔王退治に誘ってもらおうと待っていた。しかし私たちが仲間に呼んで、しかも最後の一人なんだから魔理沙とは組めないことになる。そりゃ逃げたくもなるよねえ」
「ち、違……ぅ」
「それに魔理沙はしばらく帰らないよ、なぜならこの世界に興味を持ってしまったからね。魔理沙の探求に付き合うなら止めないけどさ、いつも後手に回っているアンタにそれができるとは思えないなあ」
「黙りなさい、鬼のくせに!!」
パチュリーの体から魔力が炸裂し、萃香に襲い掛かる。
対する萃香は片手だけで魔力の風を弾き、ふんと鼻を鳴らした。
「アンタだって、たかが魔女じゃないか。その魔女が人に惹かれるなんてとんだ笑い種だよ。加えてアンタは弱い。力と心だけじゃなくその存在も脆弱すぎる」
「何もかもを知っているフリをして、人の輪を外から眺めることしかできない傍観者が言うセリフじゃないわね。寂しいから人に突っかかるの? まだまだ子どもね」
「あっははは! ……生意気だよ、小娘」
一触即発の空気が流れる。さすがにこのままではまずいと思い、妖夢と鈴仙がそれぞれ止めに入った。
「ちょっと待ってよ。ほら、落ち着いて萃香ちゃん。ね?」
「誰が萃香ちゃんだって? んん?」
「あ、いやぁ、そのぉ…………ごめんなさい」
鈴仙が頭を撫でて萃香をなだめ、一方では猛牛のごとく息を荒げているパチュリーを妖夢がなだめた。
「パチュリー、大人気ないから止めましょうよ」
「何よ。あなたも鬼の肩を持つつもり?」
「そうじゃなくて。これから旅をする仲間なのにいがみ合っても仕方がないってことです。パチュリーは不本意かもしれないけど、こうなったのも何かの縁だと思って仲良くしましょうよ」
「むきゅう……」
「それに魔理沙だって本が必要になったらきっと図書館に行くでしょう。そうなったときのために幻想郷に戻っておくのも悪くないですよ。主が不在の図書館だったら全て持っていかれるかもしれませんし」
「そ、そうよね。全部持っていかれたら困るもの」
どうやら怒りも収まったらしく、パチュリーの勢いが鎮火する。
これでよしと思っていたが一方の萃香のほうはまだ収まっておらず、しかも怒りの矛先が鈴仙に向かっていた。
不安だなあと妖夢は真っ青な空を見上げてため息をついた。
◆
伊吹萃香。LEVEL・1。HP31/31。MP10/10。
パチュリー・ノーレッジ。LEVEL・1.HP11/11。MP40/40。
体力の高い鬼と魔法使いの両極端が仲間となり、やっと冒険の第一歩を踏み出した。
「で、これからどうしよっか」
ぐぐっと背伸びをした鈴仙が妖夢たちを振りかえる。
「とりあえず魔王の居場所ね。魔王を倒さないと聖杯は手に入らないから」
「でもさ、妖夢。私たちの……熟練度だっけ、たった1じゃ無理じゃない?」
全員がレベル1。当然だが敵の親玉を相手にするにはまったくもって未熟。このまま戦うのは無謀である。
それには知識人のパチュリーも鈴仙の意見に賛同した。
「そのとおりよ、まずは自分たちの熟練度を上げることが重要だわ。遠出をするのはまだ危険すぎる」
「何を小さいこと言っているのさ。大丈夫だよ、例えどんな妖怪が出てきたって問題ないない!!」
あっはっは!! と笑ったかと思うとまたしても酒を呑む萃香。アルコール中毒にならないのだろうか。
あまりにも無茶な萃香の発言にパチュリーが大仰に肩を竦めてみせ、鈴仙は彼女の珍しい仕草に苦笑いする。
幻想郷とは違うまったく別の世界にいるのに暢気なものだと妖夢は一人呆れる。
(それとも、この暢気さが私には足りないのだろうか)
魂魄家は西行寺家を守るために存在する。そのためには家を守るために庭師となり、食事を作ることも兼ねる。常に気を張り、たった一匹のネズミの侵入も許さない。それが当たり前で自分の役目であると妖夢は自らに命じてきた。
しかし永遠亭といい、紅魔館といい、どちらも侵入者があっても実力者たちは慌てることなく、むしろ最近では事後に出てくることも少なくない。
もちろん妖夢は白玉楼に踏み込もうとする輩を階段で食い止める。白玉楼に踏み込まれてからでは遅い。
(敵を踏み込ませるなんて無能の証明)
妖夢を負かした美鈴もあの霧雨魔理沙には負けた。それもまったく本気ではなく完全に手抜きで、彼女が妖夢と戦ったときと比べれば雲泥の差だった。
そのことを魔理沙が通ったあとで美鈴にどうして本気を出さないのか聞いたとき、彼女は妖夢にこう言った。
『じゃあ妖夢さんは、どんな敵なら門を通したいですか?』
逆に聞き返されてしまい、それに見合うだけの答えを持ち合わせていなかった妖夢は白玉楼に戻ってからもずっと考えていた。
そもそも門を通した時点で敵に負けを認めたことになる。だから敵は絶対に通してはならないし、通すべき敵などあってはならない。
だが、美鈴のなかにはちゃんとした答えがある。だからこそ妖夢に問いかけてきた。そしていまだ答えは見つかっていない。
「あ、なんか来た」
萃香の言葉にハッとして妖夢が顔をあげると、少し遠くにゲル状の物体が近づいてきていた。
それも一匹や二匹ではなく、数えきれないほどの大群だった。
(情けない。またしても敵を察知できなかった)
ぎちと歯噛みして、妖夢は急ぎ剣を抜いて臨戦態勢をとった。
「あれはスライムね。以前実験で作ったのだけれど、小悪魔が嫌がって捨てちゃったのよね」
「ぱ、パチュリーさん?」
「なんでもないわ。それよりあれ、打撃に強いから私が魔法で……」
「あー……でも、もう妖夢が」
鈴仙が指差したところには一人でスライムの大群に突っ込んでいく妖夢の姿があった。
むきゅう、と悲しそうにパチュリーが拗ねた。
「あんなところにいられたら広範囲の魔法が撃てないじゃない」
「じゃあ私が妖夢を援護するよ。パチュリーさんはまとまっているスライムたちをお願い」
「そうね。で、あの鬼はどこかしら」
「萃香ちゃんなら妖夢と一緒に突撃しちゃったみたい。ほら、あそこ」
元気よく両腕を振り回しながら妖夢とともにスライムの大群に突っ込んでいく萃香。
それを見たパチュリーはますます悲しそうに拗ねた。
「惜しいわ。妖夢さえいなければエメラルドメガリスを存分に撃てたのに」
「悔しがる方向が違うッッ!!? ちょっとパチュリー! お願いだから仲間を巻き込むのだけは止めてね!?」
「冗談よ」
疑う鈴仙を尻目にパチュリーは無詠唱で大群に向かって次から次へと火弾を放りこんでいく。妖夢さえいなければと言う割にはパチュリーの狙いは正確そのもの。確実に一匹ずつ焼却していく。
続いて鈴仙もお得意の銃弾似の魔力塊を指先から打ち出し、どんどん数を減らしていく。
さらに前線の活躍も強烈だった。瞬時に間合いを詰めて光速の剣閃を浴びせる疾風怒濤の妖夢と、強烈な一撃で敵をまとめて吹き飛ばす烈火のごとき萃香。
四人はチームワークとは無縁なバラバラの動きをしていたが、有象無象の集団を蹴散らすには十分だった。
ものの一分か二分でスライムの大群はすべて倒された。
「呆気ない。修練にもならないわ」
「まぁだまだいけるよ!」
「うん、上出来っ、かな?」
「実験の素材にならないだけ感謝なさい」
四人がそれぞれ勝利の台詞を決め、一斉に頭上のステータスを見上げる。
妖夢が5。萃香は6。鈴仙が3。パチュリーは4。
経験値は個別らしく上がり具合に差があった。
「鈴仙はあんまりあがってないね」
「ううっ、そういう萃香は上がりすぎだよぅ……。私の二倍もあるじゃない」
ちなみに全員無傷。
察して欲しい。なぜなら彼女たちは幻想郷の弾幕少女、スライムの単調な攻撃に当たるはずなどないのだ。
回避なんて彼女たちにとってはお茶の子歳々。文字通り朝飯前なのである。
「この調子なら楽に熟練度は上がりそうね」
「そうですね」
はて、とパチュリーが沈んだ表情の妖夢を見て疑問を口にする。
「あまり嬉しくなさそうね。強くなるのはあなたにとっても悪いことではないでしょうに」
「そうなんですけど、このまま闇雲に修練していても美鈴さんのような強さには程遠い気がして」
「美鈴? ええと………ああ、門番ね」
紅魔館の面々に本気で名前を忘れられかけているのではなかろうか。妖夢は美鈴の将来が不安に思った。
ふと、妖夢の頭に美鈴の問いかけが蘇った。先刻はスライムたちの襲撃で中断されたが今、目の前には賢人とも呼べる少女がいる。
自らに課せられた問いを他人にゆだねるのは卑怯な気がしたが、美鈴の問いに答えないのもまた不誠実なことだと思い、妖夢は恥を承知でパチュリーに美鈴の問いを投げかけた。
「あの、パチュリー。あなたが門番だったら門を通したい敵って、いますか?」
「どうしたの、藪から棒に」
「実は……」
妖夢は美鈴に問いかけられたときの状況ややりとりなどを細かくパチュリーに説明した。
「なるほどね、門を守るべき門番が通す敵。それが気になって仕方ない、と」
「私は白玉楼を守るもの。通したい敵なんて考えもしなかったから」
「そうね……」
パチュリーはしばらく顎に手をあてて考える仕草をしていた。その間、妖夢はじっと彼女の答えを待った。鈴仙と萃香はというと離れたところで魚釣りを始めていた。
やがてパチュリーが顔を上げた。
「妖夢は、美鈴が魔理沙を真面目に撃退しようとしないのが変だといいたいのね?」
「そうです。美鈴さんが本気を出せば魔理沙なんてあっという間に追い払えるはずなのに、なぜそうしようとしないのか不思議で」
「あの子の実力は私も分かりかねるけど……そうね、少なくとも妖夢にとって魔理沙は招かれざる客なのよね」
「ええ」
ふむ、とパチュリーはもう一度だけ考える仕草をした。
「じゃあ聞くけど、その魔理沙は亡霊姫を暗殺する計画でも立てているのかしら?」
「え?」
「というか、死ぬはずないわよね、幽霊なのだから。例え死なせることができたとしても幻想郷は弾幕ルールによって命を奪うことは戒められているもの」
「あ、あのう……?」
「だからね、妖夢」
パチュリーが細く白い手を妖夢の肩を軽く叩き、か細く笑った。
驚く妖夢を他所に彼女は言葉を続ける。
「あなたの敵は、今どこにいるのかしら」
動かない大図書館は簡潔かつ大胆なヒントを半人半霊に差し出した。
「私の、敵?」
「よく言うわよね、自分の敵は自分だって。それって自分が相手を敵と見なさなければ敵なんて誰もいないということでしょう。さすがに言い過ぎかもしれないけれど、美鈴が言いたいのはそれを見極めろということじゃないかしら」
「見極める……ですか」
「あの子の真意のほどは分からないけどね。でも魔理沙があなたやあなたの主を亡き者にしようとしたことが一度でもあったかしら」
「幽々子さまは初めから幽霊ですけど」
だがパチュリーの言葉は正解に近いのではないか。魔理沙は紅魔館の主やパチュリーに命の危機を与えるようなことはしない。本を持っていかれたら困るということでパチュリーが少々派手に応対することもあるが、それでも命のやりとりには程遠い遊びであることには違いない。
白玉楼には人が来ない。冥界という理由だけではなく空にあるし、遠いということもあるけれど問題は別にあるのではないだろうか。
冥界を閉じる門にではなく、頑なに来客を拒む妖夢自身に。
「あと私個人から言わせてもらうけど」
「? はい」
「その言葉遣い、どうにかならないかしら。さっきからすごくむず痒いのだけど」
ぽりぽりと帽子の端っこを掻いて。
「鈴仙に話すみたいにしてくれていいわ。そんな馬鹿丁寧な言葉遣い、ウチの犬だけで十分足りているから」
などと七曜の魔女が顔を赤らめながら言うので、言われた妖夢も「はい」と返したものの顔を赤くして俯いた。
結局彼女たちは萃香と鈴仙が釣れた魚を自慢しに来るまで硬直したままだった。
◆
しばらくは戦いながら魔王を目指す順調な旅が続いた。
ある時は走り回り。
「食い逃げだー!!」
「萃香ちゃん!! またあなたなの!?」
「魔王を倒して平和にしてやろうって言っている連中に金銭を要求するほうがおかしいんだよっ!!」
ある時は衝突しあい。
「イカサマ王と言われた私に勝てると思う、パチュリー?」
「知識は時として技術を上回るということを教えてあげるわ、妖夢」
「ちょっと!? 二人ともカジノで何をしているの!!?」
「「ポーカー」」
あるときは泣いた(一人だけ)。
「こんなパーティー組んでられないよーっ!!!」
「パチュリー! 非常食が逃げたよ!!」
「大丈夫よ、妖夢がすでに飢えているから」
「肉ゥゥゥッッッ!!!」
「妖夢、正気に戻ってえぇぇ!!!」
様々な試練と苦難を乗り越えて、妖夢たちは魔王を倒す勇者にふさわしい力を身につけていった。色々と割愛された気がしてならないが、ともかく妖夢たちは魔王のいる場所へと確実に近づいていた。
そしてついに、とある漁村にて魔王がいると言われている城の情報を得るまでに至ったのだった。
「あの山の裏側に魔王の城があるよ。でもあんたたち、本当に大丈夫なのかい?」
漁師の男性に問われ、妖夢は「大丈夫です」と強く頷いた。
「私には頼もしい仲間たちがいますから」
「そうかい、だったら心配いらないかねえ。これまでにあんたたちみたいに魔王を目指した連中はみんな、ひどい顔をして帰っていくものだから」
「それ、どういうこと?」
パチュリーが横から会話に入る。
漁師は少し沈んだ表情で答えた。
「どうもこうも、みんなひどい怪我をして戻って来るんだが誰一人として魔王の姿について同じ言葉が返ってこないんだよ」
「え、でも彼らは魔王の姿とか顔とか見たわけですよね? だったら普通同じことを言うと思うんですけど」
「けどおっかしいんだ。ある人は女だって言うし、ある人は巨漢だったっていうんだ」
「そう。ありがとう、もういいわ」
漁師はぺこりと頭を下げると自分の仕事に戻っていった。
話を聞いた鈴仙はむむむ、と唸っていた。
「どういうこと? 魔王って一人じゃないの?」
「考えられるのは二つだね。魔王が相手によって姿を変えているか、もしくは相手が幻覚を見ていたか」
「もうひとつあるわよ萃香。魔王が姿を変えなければいけない理由があるということよ」
姿を変える理由。統一されていない魔王の人物像。
そのとき、美鈴の魔王についての情報が妖夢の頭のなかで浮かび上がった。
「じゃあもしかして……私の場合は幽々子さま?」
「え? どうしてそう思うの?」
「美鈴さんは『あらゆるものを食べつくす魔王』と言っていた。けれど漁師さんは女と言ったけれど、巨漢であるともいった。幽々子さまは男ではないから違うかもしれないと思ったけど、でも人によって情報と魔王の姿が変わるのだとしたら辻褄が合う」
相手と最も親しい相手が魔王。だとすれば、冒険者たちが魔王に勝てなかったということにも符合する。
「まだそうと決まったわけじゃないわ。とにかく行ってみましょう、魔王の城とやらに」
「そうだよ妖夢。きっと大丈夫だって」
「ええ」
四人は漁村を離れると橋をつかって魔王の城がある島へと渡る。
そして巨大な山の裏側へと回りこみ、ついに魔王の城を正面に捉えた。
「ようやく辿りついた……」
「長い道のりだったよね」
「ええ、本当に長かったわ」
「うん…………」
妖夢のLEVEL、65。萃香のLEVEL、67。パチュリーのLEVEL、71。
鈴仙のLEVEL、94。
「鈴仙、あなただけは良識のある人だと思っていたのに」
「妖怪キラー……人でなし……」
「永遠亭を影から支配するウサギという噂は本当だったのね。私も咲夜には注意しないと」
「仲間に食べられそうになれば嫌でも熟練度を上げたくなるわよう!!!」
涙ながらに訴える鈴仙。非常食にはなるまいと頑張った結果がパーティーのエースとなって事実上の孤立。
というのは嘘で。しかし妖夢のスペルカードによって非常食になりかけたのは本当である。むしろ人でなしは仲間を非常食呼ばわりした妖夢たちのほうだと思う。
「で、ここが例の魔王城ということだけど」
四人は魔王城の前まで来ていた。そこで驚くべきことに、魔王城は幻想郷のとある場所と酷似していた。
延々と続くと思われる階段。周囲には白い人魂が漂い、地面には血と思わせておいてケチャップと食べかすらしきゴミが散乱していた。ここまで来れば如何に鈍感な妖夢であっても魔王が誰であるかは想像がつく。
状況を察した仲間たちはすかさず憐憫の情を表した。
「妖夢、落ち込まないで」
「そうだよ。きっと魔王は幽々子の姉妹だって」
「そうよ、妖夢。今までの鬱憤を晴らすいい機会だと考えればいいのよ。存分に斬り潰しましょう」
「「いや、それはダメでしょ」」
パチュリーの爆弾発言に他の二人からストップがかかる。
「いいえ、ここにいる魔王は幽々子さまの名を語る偽物だわ。みんなこそ遠慮しないで」
気丈に振るおうとする妖夢になぜか感極まった鈴仙と萃香が抱きつき、妖夢は何の抵抗もしないまま押し倒される形となった。
そのなかで、パチュリーだけが冷静に魔王のいる城を観察していた。
(魔王討伐に行くメンバーは本当に偶然だった。以前から知り合いだった鈴仙はともかく、私と萃香はほとんど話したことがない)
異様な空気の漂う別世界の白玉楼。まるで幻想郷からそのまま持ってきたような。
しかしパチュリーのなかで嫌な予感が膨らんでいた。冥界は生きる心地を持たない人間を死に誘う怠惰的な雰囲気があったが、今彼女の前にある白玉楼からは隙あれば魂を抜き取ろうとする悪意を感じるのだ。
(そして登場人物。まるで妖夢の対人関係を表しているような主要人物の少なさ。村人や町民のなかに私たちの知っている人物はひとりもいなかった)
酒場にいた紅美鈴。そして薄気味悪い偽白玉楼の魔王と言われている、おそらく西行寺幽々子と思われる人物。友達の鈴仙はパーティーにいるから登場人物から省かれるとして、接触したことのある博麗の巫女や歴史の半獣が出てこない。
だとすれば主要人物は妖夢の対人関係から影響されているとしか考えられない。
(まさか、あの塊は発動させた人間の対人関係を別次元に反映させて物語を作り出したというの? ううん、それこそありえないわ。親しい人間だけを反映させて偽物を作り出したとしてもあれだけの村人たちが妖夢と親しいとは考えづらい)
だが、あの村人たちは気にかかる。なぜか、あの村人たちには家族構成というものがほとんど存在しなかった。
そしてパチュリーはひとつの結論に達した。
(友人。そうか、あの村人たちは塊の世界に迷い込んだ冒険者たちの友人。だからこの世界の人口が異様に少なかった)
そこに妖夢のよく知る人物が二、三人だけ混じった。だからどれだけ探しても村人たちのなかに知り合いがいなかった。
(でもどうして妖夢なの? 萃香なら霊夢や八雲紫、鈴仙なら蓬莱人、私なら紅魔館のみんなが出てくるはずなのに)
矛盾が解けない理由はそれだ。妖夢とともに塊に吸い込まれた三人(と、魔理沙)の友人関係が反映されてしかるべきなのに、なぜか妖夢だけが反映されている。
何か条件があるのだろうか。しかしそれを考えている間に妖夢たちは階段を上り始めていた。
「パチュリー?」
「え? ああ、ごめんなさい。すぐ行くわ」
とりあえず今は聖杯を手に入れ、幻想郷に戻るのが先決。仕組みを考えることは後からできるし、必要になればもう一度塊の世界に入り込んで調査をすればいい。
(今は、魔王を倒す。でも)
今日は調子もいいはずのパチュリーなのに、彼女は魔王の城に来てから体がぎゅっと締め付けられている錯覚に襲われていた。
(何か良くないことが起こる気がする)
「……ふふ、私としたことが根拠もない不安を信じるなんて」
彼女は自超気味に呟くと小走りに妖夢たちを追いかける。
もう二十分は登っただろうか。飛べばすぐなのに、歩くと非常に遠かった階段を上りきると白玉楼が見えた。やはりというか幻想郷の白玉楼とはまったく雰囲気が異なっていた。華やかな雰囲気が黒い泥に塗りつぶされたような気持ち悪さ。
そこに、白玉楼の主が立っていた。
「いらっしゃい、食材さんたち。とっても美味しそうに育ってきたのねえ」
「幽々子さま……」
「安心していいわよお。例え私を満足させられる味じゃなかったとしても」
骨の髄まで食べつくしてあげる。
言って、魔王は暗い笑みをこぼした。
一言で表すなら極寒。細胞が運動を止め、その場に在るすべての動きを止める死の冷気。どんな分子さえも彼女が作り出す永久凍土の前には眠るしかない。
まさしく亡霊姫。生の暖かさを瞬く間に奪っていく死の少女。
幽々子を見慣れているはずの妖夢でさえ身動きの取れない殺気に、戦いなれている弾幕少女たちさえ戦慄していた。
「負けない……」
そんななか、妖夢が静かに抜刀する。
「私たちは負けない。私たちがここまで来たのは、決してお前に負けるためじゃない!!」
「妖夢……」
威ある声に萃香が驚き、そして「まいったなあ」と苦笑いした。
そして笑みもほどほどに萃香を中心に萃められた強固な岩が球体となって彼女の頭上に形成される。
「半人前の妖夢に私が勇気づけられるなんて、これは気合を入れなおさなきゃね!!」
萃香に呼応するようにあとの二人も戦闘体制をとる。
「うん! 負けられない、私たちは負けないよ!」
「当然だわ。私たちは勝って必ず元の世界に戻ってみせる」
「ええ、そのとおりよ。なぜならば、私たちに勝てないものはほとんどない!!!」
妖夢の言葉をきっかけに一斉に幽々子への攻撃が始まった。
鈴仙と幽々子が牽制し、その間に妖夢と萃香が距離を詰める。その狙いどおりに幽々子は弾幕を扇子で弾き返したが、そのときすでに妖夢は刀の射程内に捉えていた。
一閃。
「………!!」
振り下ろされた楼観剣が幽々子にたった指二本で受け止められる。
驚愕する妖夢だったが、その間にも萃香の岩をともなった一撃が迫る。
「くらえっ!!」
「甘いわね」
薙ぎ払う死蝶の腕。妖夢の刀を指で持ち上げたまま何の助走もつけずに萃香を払いのけた。刀を押さえられたままの妖夢は萃香に激突し、二人は激しく地面に転がる。
そしてトドメを刺そうと幽々子が二人に迫るが間を隔てるように銃弾と金属の弾幕が襲い掛かった。
「この程度なの……? 残念」
ボッという音とともに大気が抉り取られた。正確には幽々子は右手の扇子を音速に届くであろうと見紛うほどの驚異的速度で振りぬき、その攻撃によってすべての弾幕が消し飛ばした。
さらには発生した衝撃波によって離れた場所にいたパチュリーと鈴仙を吹き飛ばした。
「きゃあああぁっっっ!!!」
「ん………ッ!!!」
すべてが終わったときには立っていたのはただ一人、魔王のみ。
「そよ風に弾き飛ばされるなんてヤワな体ねえ。もう少し歯ごたえがあったほうが嬉しいのだけれど、よくよく考えてみれば柔らかい肉というのも油がのっていて美味しいわねえ」
「誰が大人しく食べられてやるものか……ッ」
剣を杖に立ち上がった妖夢が幽々子を睨みつける。
しかし彼女にも分かっていた。四対一にして圧倒的な戦力差。これを覆すには今の状況はあまりにも絶望的であることを。
「諦めなさい、あなたはもう勝てないと分からないの? 相手の実力が分からないほど愚かじゃないでしょう」
「違う、私は勝てないなんて思っていない」
鞘より引き抜かれる白楼剣。
二つの刀を構え、少女は叫ぶ。
「私は確信した……! 私の敵は、私の守ろうとするものを奪うお前みたいなやつだ!!!」
少女が爆発した。否、爆発に匹敵する加速をもって地を駆けた。しかし許せないと咆哮した妖夢を嘲笑うかのように幽々子が扇子を構え、そして振りぬく。
が、その動きは腕を狙った銃弾によって阻まれた。
攻撃の方向を見れば、いつの間にか鈴仙が指を幽々子の腕に向けて立っていた。
「妖夢は、あんたなんかにやらせない」
「これで止めたつもり? まだ、」
左腕が持ち上がる。勢いをつけた一撃は地を突き、衝撃波が妖夢に向かって走る。
妖夢と衝撃波がぶつかる。しかしそれより早くに衝撃波の前に球状に固められた岩が遮って、攻撃を受け止めた。萃香が岩を固めて、妖夢を守るためにそれを投げたのだ。
「やらせないって鈴仙が言ってただろ? わかってないのはアンタのほうだよ、幽々子」
妖夢の疾走は止まらない。萃香の投げた岩塊を踏み台にして、大きく跳躍する。
飛び込む姿は無防にして無謀。しかし強烈な一撃であり、攻撃の対象となっている幽々子こそが妖夢の攻撃は危険であることをよく分かっていた。
「だったら何なのかしら。止めれば私の勝ち、分かっていないのはあなたたちのほうよ」
「馬鹿ね。止められない自信があるからこそ戦うのよ」
パチュリーの本が開く。そこからあふれ出した魔力が風となってあふれ出していた。
「金&土符『エメラルドメガリス』」
孔雀色をした岩たちが一斉に召喚され、すばやく幽々子へと殺到する。三百六十度全方位攻撃によって彼女は妖夢の接近に気を配ることすら許されなかった。
そしてあと少しで妖夢が攻撃を届かせられるというところでエメラルドメガリスは標的を幽々子の周囲に変更し、逃げ場のない状況を作り出す。
“飛ぶ”ということができない世界で行く手を阻まれることは、回避することができないことを表す。
逃げられないと悟った幽々子の表情が恐怖で引きつった。
「や………っ」
「覚悟!!」
「止めて、妖夢!! あなたは自分の主を斬るつもり!!?」
「………!!!」
ぴくっと妖夢の眉が動いて、わずかに柄を握る力などに迷いが浮かんだ。
「もらった!」
そこへ豪風のごとき幽々子の魔手が伸びて妖夢の心臓を捉え、そして貫いた。
だらりと庭師の少女の四肢が投げ出され、刀が地に落ちた。
「勝った……!!」
「ええ、勝ったわ」
声が足元からした。
幽々子が、ゆっくりと下の方へ目をやるとすでに二刀を構えた妖夢の姿があった。
「魂魄『幽明求聞持聡明の法』」
幽々子の腕から感触が抜け落ちる。そしてさっきまで魂魄妖夢だった姿が白い人魂になって幽々子の腕から離れた。
「そして」
美しい銀色の刃が月光を浴びたように輝く。
「 待 宵 反 射 衛 星 斬 」
天から降り注いだ刃が地面を引き裂いたかのような無数の斬撃が超高速で放たれた。
神速にして一撃必殺。文句をつけるところなどない、単純にして最強の一撃。そのあまりの破壊力に周囲の岩塊は塵となってはじけ飛び、斬られた幽々子は数メートルも吹き飛ばされ、それでもなお転がる勢いはなかなか緩まらず。
ついには屋敷の壁にぶつかり、そうしてやっと幽々子の体は慣性から解放された。
「はぁ……ッ、はぁ……ッ。勝、った?」
動かない魔王を見て、呆然と呟く。
勝った。仲間たちから歓声がわき、一斉に妖夢のところに集まって喜びを分かち合う。
これで元の世界に帰れる。誰もが観喜に溢れていたとき。
魔王の亡骸が光った。
一同がその光景に驚いていると、亡骸からあふれ出した光がやがて一人の少女の形を成した。それは幽々子でもなければ幻想郷の誰でもない、おそらく外の世界の住民だろう女の子の姿だった。
妖夢にはすぐに分かった。彼女が幽霊の類であることを。
「あなたは?」
『私はこの世界の創造主。あなたが拾った物に憑いていた人間です』
「憑いていた……」
それがどういう意味なのか、拾った妖夢のなかでパズルのピースが埋まってひとつの考えが浮かび上がった。
白玉楼に外の世界のものは流れ着くことは滅多にない。あるとすればそれは八雲紫が持ち込んでくるものだったり、あるいは曰く付きの呪われた一品だったりする。
ならば妖夢の見つけた塊も何かが憑いていると考えるのが自然だったのだ。
「どうしてこの世界に飲み込まれた人たちの友人ばかりが登場するのかしら」
パチュリーの問いに幽体の少女がかすかに俯く。
『私に、友達がいなかったから。だから他の人には私みたいな寂しい思いをしてほしくなくて。私に誰かを結びつけられる力があったらと思って』
「それで引きずり込んだ人間の友達をコピーしたってこと? でもどうして私やパチュリーや萃香ちゃんの友達はコピーしなかったの?」
「おそらく誰か一人を中心とした人間関係しか模倣できなかったんだね。だから一緒に光に巻き込まれた私たちだけは模倣されなかったってことさ」
だから最初に触れた妖夢の人間関係だけが物語に反映された。
話の全容はこうだ。
塊には友達に恵まれないまま生涯を閉じた女の子が憑いていて、それが白玉楼に流れ着いたところを妖夢が見つけた。そして香霖堂で起動させたときに場に居合わせた鈴仙、萃香、パチュリー、ついでに魔理沙が巻き込まれた。
その世界では塊を起動させた人間の友人たちが登場人物として現れ、ひとつの物語を形成していた。ところが塊の作り出した世界には他にも多くの人が巻き込まれており、より完成度の高い世界が出来上がっていた。
『この世界に入った人たちが、ここを通して仲良くできたらいいなと思って。そして私のような人がいなくなれば』
「そっか。だから美鈴さんの酒場では一度仲間にする人を決めたら取りやめにすることができなかったのね」
気軽に誰かを誘える物語。知らない誰かを誘ってひとつの目的進み、その過程で親友関係を築いていく。
友達を作るために開かれた空間。それが塊の正体。
けれど、彼女自身が蓋となってしまって世界には自分のいた場所に戻れない人たちで溢れてしまった。
「でも、もうこんなことはしないでいいんです」
妖夢が幽霊の体に触れる。
ゆっくりと幽霊の足から光の泡になって空へと昇っていく。
「あなたはとても優しいから、今度生まれ変わってくるときはきっとたくさん友達ができますよ」
完全に形がなくなる間際、女の子が笑った気がした。
四人は幽霊の少女が空に消えていくのを見送った。
だが、光の泡が消えて重たい空気もなくなった瞬間。
世界が急激な縦揺れを起こした。突然のことに四人は緊張で顔をこわばらせた。
「なに!? いったい何が起きているの!?」
「創造主だった女の子がいなくなって城が形を保てなくなったのね。早く脱出しないとこの城と一緒に消えてなくなるわ」
「ちょっと、なんでパチュリーはそんなに冷静なのよーっ!! それって幻想郷に帰れなくなるってことじゃない!!」
「さっさと脱出だよ!! ほら、妖夢も早くっ!!」
四人は急ぎ、白玉楼を飛び出して階段を駆け下りる。こんなときに飛べないなんてと四人ともが思ったが文句を言っている場合ではない、全員がこれまでにないくらい走った。
しかしいつまで経っても下が見えない。そんなとき、ふと妖夢が振り返ると少し後方で息も切れ切れのパチュリーに気づいた。
妖夢はすぐに足を止め、パチュリーに駆け寄った。
「パチュリー、しっかりして。走れる?」
「ふ、ふ……っ。ダメね、こんな大事なときに息切れなんて、ッ……ごほっ、ごほっ!!」
咳込むパチュリー、そのとき、後方で何かが崩れるような轟音が鳴り響いた。二人が振り返るとさっきまでいた偽の白玉楼が跡形もなく壊れ、闇の底へ落ちていったのが見えた。
このままではこの階段も危うい。妖夢はパチュリーの背中を押して急かしてやる。
「急ごう。この階段もすぐに崩れ出すわ」
「ええ。そうね……、ッ!!?」
パチュリーが一歩踏み出したとき、いきなり彼女の足場が崩れた。
落ちかけた彼女の手をとっさに妖夢が手を伸ばして掴んだ。
「くっ………!!」
「妖夢……!? ダメよ、手を離して! このままだとあなたまで、せめてあなただけでも……!!」
「離さない、絶対に……ッ! だってパチュリーは、私の友達だもの……!!」
「妖夢………」
「うあああああぁっっっ!!!」
その小さな体のどこに力が残っていたのだろう。妖夢は片腕だけでパチュリーを一気に引っ張り上げ、腕の中に抱きとめた。
「ふう……」
「………………」
「パチュリー?」
「え、あ、ななんでもないわ。ありがとう」
顔を真っ赤にしてパチュリーは礼を言うと顔をそむけてしまった。
危険な状況にも関わらず、妖夢は少し照れながら笑った。
「どういたしまして。でも、向こう側へは行けなくなってしまったわね」
二人して崩れてしまった階段を見やる。
下へ向かう階段が途中で崩れてしまい、勢いをつけただけでは向こう側まで飛び移れないくらいの距離があった。
妖夢ひとりなら何とかいけるかもしれない。しかし、パチュリーを置いていくわけにはいかない。
考えている間にも二人の後ろで階段はどんどん崩れていく。
そのとき、崩れた階段の向こう側に心配して戻ってきた萃香と鈴仙が現れた。
「パチュリー! 妖夢!」
「出口はすぐそこだよ! 早く!!」
遠くには地上が見えた。どうやら崩壊しているのは白玉楼と階段だけらしく、地上まで降りられれば助かりそうだ。
希望が見えた。妖夢は覚悟を決め、パチュリーを抱える。いわゆるお姫様抱っこという抱え方である。
「よっ、妖夢!!?」
「しっかり掴まっていて。飛ぶわ」
「そんなの無茶だわ!! だって向こう側までかなり距離があるのに、私を抱えていたらできっこない!」
「大丈夫、信じて。届かないときはパチュリーだけでも向こう側に渡してみせる」
しかしもう時間がない。妖夢たちのすぐ後ろまで崩壊が進んでおり、先にどちらかが向こうへ渡ったとしても片方はその場に取り残される。ましてやパチュリーの足では向こう側へ跳ぶのは至難を通り越して不可能。ならば自分が抱えて飛ぶしかないと妖夢は限界まで後ろに下がり助走距離をとる。
いざ、と階段の向こう側を見据える。
そのときだった。
向こう側から萃香と鈴仙を押しのけて駆けてくる人影があった。
邪魔になるから退いてほしいと言おうとした妖夢より早く、大きく両腕を広げた人影が叫んだ。
「妖夢さん!! 早く飛ぶんだ!!!」
声に呼ばれ、妖夢は全身をフルに使って跳躍する。
重力からの離脱。そしてそのまま彼女はパチュリーを抱えたまま人影の胸に飛び込んだのだった。
◆ エピローグ
別の世界から帰ったとき、幻想郷では一日と過ぎていなかった。
元の世界に戻った四人は帰還を喜びあい、再び四人揃って会うことを約束して別れた。
それから一週間が経ったあとの白玉楼。
「妖夢? よ~う~む~?」
白玉楼の主がのほほんとした声で庭師を呼ぶがとんと返事がない。
そろそろ昼飯時なので何か用意してもらおうと思い立った幽々子だったのだが、呼べばすぐに飛んでくるはずの庭師はまだやってこない。
どうしたものかと小首を傾げながら居間へ入ると、そこには丁寧な小さめの文字によって伝言が書かれた紙切れがあった。
「あらあら。そういえば今日だったわねえ」
伝言を読み終えた幽々子は裾で口元を隠しながら微笑む。
そこへスキマが出現し、ひょっこりと紫が姿を現した。
「楽しそうね、幽々子」
「そういうことだから昼餉はマヨヒガで頂くわ」
「そちらは心配しなくても大丈夫よ。藍にはいつもの倍以上を作らせているから」
すべての事情を察している紫も幽々子と一緒になって笑う。
「で、元凶はあなたでしょう?」
スキマより取り出されたのは件の塊。それを元凶のまえに突き出すと、紫は少々呆れ気味に言った。
「コレを妖夢に見えるところにわざと置いておくなんて酷いことをするわ。もちろんとちゃんと浄霊はしたのでしょうね?」
「もちろんよ。それに昔から言うじゃない、『可愛い子には旅をさせろ』って」
「『獅子は子を千尋の谷に突き落とす』じゃなくて?」
「『情けは人のためにならず』だわ」
「それはどちらかというと魔理沙の本分でしょうに」
もっとも、正確には情け容赦なく相手から物を盗んでいくのだが。
元凶、幽々子はふわりと扇子を広げて口元を隠した。
「それに突き落とした甲斐はあったわよお? たくさんの友人を得て、あの子が帰ってきたときは別人のように大人びていたから、ずっとあの子の側にいた私でさえ驚いてしまったわ」
「やっぱり突き落としたんじゃないの。でもそうね、自らの迷いを断てたみたいね」
「あらあ? まだあの子の受難は続くと思うわよ。どうやら今度は別の火種を抱えてしまったみたいだから」
「元凶がよく言うわ」
「紫だって共犯みたいなものじゃないのよ~」
そんな黒幕二人の会話も露知らず、顕界ではある集まりが行われていた。
場所は魔法の森。目的はピクニック。集まった面々はそれぞれ手製の弁当持参しており、そこでは楽しそうな笑い声が絶えなかったと目撃した妖精は言う。
集まっていたのは四人の少女。すなわち鈴仙、萃香、パチュリー、妖夢の四人は幻想郷の誰もが羨む関係になっていた。
偶然が生んだ、最高の友人たちは忘れない。あの日の出会いがなければ今の自分たちがいなかったことを。
彼女たちを結びつけた、一人の優しい少女がいたことを。
――――――――――The End
あと勝利台詞にテイルズ臭が漂う気が致しました。
最後に現れて種明かしをされるより、お話の途中で徐々に明かしていってくれたらなぁと思いました。面白い舞台であるだけに、状況説明と最初、そのあと大ボスまでほぼ端折ったのがもったいないです。
まぁ所詮一読者のたわ言ですので、あまりお気になさらず。これからも頑張ってください。
こーりんころ(ry
お話はの内容は自身の好みもあり楽しめました。