『しんこう売ります』
箱につり下げられたプラカードには、そのように書かれていた。
早苗はプラカードに目を通し、再び兎に視線を戻す。
スマイル100%の兎が、買えと言わんばかりに箱を突き出していた。
「一袋300円」
箱の中には、紐で口を結ばれた紫色の小さな袋が幾つも入っている。
胡散臭いことこの上ない。
ただ、それよりも早苗には言いたいことがあった。
早苗が掃除をして集めたゴミの上に、兎は堂々と立っていたのだ。文句の一つでも言わないと気が済まない。
「一袋300円です」
有無を言わさぬ兎である。
仕方なく、早苗は財布を取り出さざるをえなかった。
300円という、微妙に払える値段がいやらしい。
「毎度あり」
兎はお金を懐にしまい込むと、文字通り脱兎の如く境内から走り去っていった。
手元には謎の袋。
そして足下には散らばったゴミ。
早苗はため息をつきつつ、再び掃除をするのであった。
帰宅すると、神奈子は開口一番、
「詐欺だね、そりゃあ」
と断定した。
分かっていたが、改めて言われるとショックが大きい。
半ば押し売りに近い形だから、騙されたというよりは買わされたという方が近いのだが。
いずれにしろ、お金が返ってこない事に変わりはない。
肩を落とす早苗を励ますように、優しい声色で神奈子は言った。
「まあ、良い勉強になったと思うことだね。お金なら後でちゃんとあげるから」
口には出さなかったが、母親のようだと早苗は思った。
言うと怒るのだ。
「マジで! やったー! 駄菓子買いにいこうっと」
「諏訪子にやると言った覚えはないね」
「神様にも病院が必要な時代だな……」
「真面目な顔して馬鹿なこと言うもんじゃないよ」
そして諏訪子は子供のようなことを言っていた。あれで本気だから困る。
そのくせ、時折神様らしい威厳のあることを言うのだ。
大人と子供の両面を持った、柔軟性のある神様。神奈子はそう評価していたが、物は言い様だと早苗は纏めた。
「ところでさ、それ何が入ってるの?」
神奈子との論争に敗北したのか、軽く涙目の諏訪子が身を乗り出してくる。
早苗は首を傾げ、袋の紐を取った。
「……種?」
「種だね」
神様達は顔を見合わせ、袋の中を再び覗き込む。
中には胡椒のような黒い粒が詰まっていた。
「これが兎の言う信仰なのかねぇ。さしずめ、信仰心の種ってところか」
「本物なら凄いね。柿かな? 桃かな?」
目を輝かせながら、諏訪子が種がつまみ出す。
言いにくいが、そのどちらも実がなるまでに相当の時間を要する。
サンタクロースに喜ぶ子供を見るような目で、神奈子は諏訪子の頭を撫でた。ん、と不満げな声を漏らすものの、諏訪子はされるがままで抵抗をしない。
なんとも微笑ましい光景だ。
「まあ、桃も柿もすぐにはならないんだけどね。信じる心は大切さね」
「なんだとぉ! 結局馬鹿にしてるのか!」
すぐ喧嘩になるのが難だけど。
とりあえず、蒔いてみることにした。
騙されて買った物だけど、物自体には罪がない。
それに諏訪子じゃないけれど、早苗もこれが何の種か気になっていたのだ。
無論、信仰心の種じゃないことぐらい分かっている。畑で信仰心が取れるなら、神社は今頃畑の上だ。
パラパラと大地に種を蒔き、じょうろで水をやる。土も弄る必要があるのかもしれない。
なにせ、早苗が用意した畑は境内の裏側。
ここで作物が育つとは考えにくい。
ただ、早苗にはその手の知識が皆無だった。キャベツとレタスの違いも危うい。
しかして、ここは神の膝元。
そして作るのは現人神。
二重の神力があるのだから、きっと何かしらのご加護があるはず。
アスファルトに蒔いたって、今なら何かが生えそうな気がする。
と、少しずれた思いを抱きながら、水をやり続けること早三日。
ただの地面にも関わらず、まだ三日しか経っていないにも関わらず、早々に芽が出たのは一体どうしたことだろう。
早苗は神様の力だと思っていたが、その筋の専門家である秋穣子もこれには首を傾げたという。
そんな豊穣の神様でも不思議がるような作物を育てていくうちに、早苗は少しずつ、あれは本当に信仰の種だったのではないかと思い始めた。
なにせ、ここは幻想郷。
少しぐらい不思議な作物があったとしても、おかしくはない。
加えて、あの兎は永遠亭の住人だという。
永遠亭には変わった薬師がおり、怪しげな実験を繰り返していると聞いた。
きっと、あの種はその薬師が作ったものなのだろう。
日が経つにつれ、早苗の妄想は益々加速していった。
どんな花を咲かせるのだろうか。
どんな実がなるのだろうか。
雨の日も、風の日も、早苗は手入れを欠かさなかった。
神奈子は感心するように唸っていたが、諏訪子はお株を奪うなと何故かご立腹だ。
彼女なりに譲れないものがあるらしい。それが何かは知らないけど。
そんなやり取りをしながらも、作物は順調に育っていった。
どうやらそれは地面の下で育つタイプの野菜らしく、青々とした葉が地面からひょっこりと顔を出している。
なかなか愛嬌のある顔をしているではないか。
畑に並ぶ葉の群れを眺めながら、早苗は満足そうに微笑む。
作業の合間のことだった。
「お客さん、お客さん」
ふと顔を向ければ、そこにはいつぞやの兎の姿が。
ただし、今日は箱を持っていない。
どうしたのかと尋ねてみれば、
「私の言うことを素直に信じて、種を蒔いてくれたお礼に良いことを教えてあげる。その作物はね、ただ作るだけじゃ意味がないんだよ。ある事をしないと駄目」
それは何かと訊いてみるが、兎は笑ってはぐらかした。
「残念ながら、ここから先は教えられないよ。でも、見れば分かると思うから。頑張って育ててあげてね」
兎は去ったが、謎は残った。
早苗はてっきり、信仰がとれるものだとばかり思っていたのだが。
どうやら、世の中そんなに甘くないようだ。
何をすればいいのだろう。
考えたところで、肝心の作物は土の中。
採ってみるまで分かるわけがない。
……ちょっと、採ってみるか。
早苗は畑を見渡した。
考えてみれば、そろそろ収穫しても良い時期に入っているように思える。
だから、決して兎の誘惑に負けて見たくなったわけではない。
自分にそう言い聞かせながら、早苗は手近にあった葉っぱに手をかける。
腰を入れて、思い切り引っこ抜いた。
地面にお尻をぶつける。力加減を間違えたらしい。
お尻をさする早苗のお腹に、ぽすんと何かが落ちてきた。
土が付いても尚白いそれを、世間では大根と呼んでいる。
どうやら、あれは大根の種だったらしい。
やはり信仰ではなかったのか。がっかりする反面で、初めての収穫物に心躍る自分がいる。
それに、あの兎は言っていたではないか。
ただ作るだけでは信仰たりえない。何かをしなくてはならない。
大根を眺めながら、早苗は考える。
しかし思い浮かぶのは、これをどう料理したものかという主婦的な発想のみ。
やはり大根は料理してこそ大根だ。
そこで、はたと早苗は思い当たった。
自分が神奈子を信仰しても意味がない。信仰するのは人や妖怪。
だったら、信仰の作物を食べることで、彼らは神奈子を信仰するのではないか。
きっとそうだ。
早苗は全ての大根を引っこ抜き、一部を奉納し、一部を食事用に保存し、残りを里と山の人妖へ配ることにした。
「んん、ありがとう。お礼に今度から二部ずつ文々。新聞を配達するわ」
天狗は感謝の言葉と共に、少し迷惑なお土産もくれた。
「ちょうど良かった。料理用の器具を発明したところだったんだ。これは有り難く使わせて貰うよ」
河童はお礼こそ言っていたが、それを食用として使ったのかは疑問が残る。
「わかった。では、これは里の者達に配っておく」
ワーハクタクは丁寧にお辞儀をして、言葉通りそれを里の人間に配ってくれた。
後は、人々の心に信仰が宿るのを待つばかり。
夕食の時。
早苗の機嫌が良かったのは、ふろふき大根の出来が良かっただけではないのだろう。
嘘だと疑いたくなるほど、大根の効果は覿面だった。
神社には以前よりも妖怪が訪れるようになったし、博麗の分社には連日のように参拝客がやってくるようになったらしい。
それも決まって分社の方を拝むもんだから、霊夢が「どっちが本社だがわからないわね」と愚痴るのも無理はない。
信仰も増えている。予想以上の展開となった。
それなのに。
早苗の心はどうにも晴れない。
確かに信仰は集まった。集まったけれども、それは本当の信仰なのだろうか。
お金に綺麗も汚いもない。
お金は物だ。物の清濁を決めるのは人の心。
だからお金自身に清濁の概念は無い。
でも、信仰は心からできている。憎しみや怒りからなる信仰は信仰にあらず、人はそれを怨念と呼ぶのだ。
だとしたら、早苗の集めた信仰は本当に信仰なのだろうか。
人の意志を無視して、強引に信ずるものを変えてしまう。
ひょっとするとそれは、洗脳と言うのかもしれない。
早苗は愕然とした。
神奈子の為にと集めたそれは、自分が最も忌み嫌う連中と同じ手段によるものなのだ。
宗教をお金儲けの道具としか思っていない連中と、自分が同じ事を。
それは早苗を深く傷つけた。
そしてそれ以上に、神奈子に申し訳なかった。
早苗は神奈子を探した。
急に謝りたくなったのだ。
「ど、どうしたのさ。そんなに血相を変えて」
会ってすぐ、早苗は神奈子に頭をさげた。
そうされる覚えのない神奈子は、不思議そうな顔で首を傾げた。
「いきなり謝られても困るんだけど」
もっともである。
話すのは辛いけど、でも話さなければならない。
自分のしたことを。嘘偽りの一切を混ぜることなく。
神奈子は真面目な表情で早苗の告白を聞き、最後の最後で手を振り上げた。
目を閉じて、歯を食いしばる。
しかし、待ち受けた衝撃はなく、変わりに頭に優しい感触が降りてきた。
「馬鹿だね……そして、不器用で天然だ」
恐る恐る、顔を上げる。
呆れていながら、どこか優しげな神奈子の表情があった。
「確かに、洗脳で集まった信仰心なんて私はいらない。それでしか自分を保てないとしたら、私はきっと消える方を選ぶでしょうね」
神奈子が消えてしまうのは嫌だが、泥を食べてまで生きろとは言えない。
泥とは汚れた信仰心であり、あの種で集めてしまった人々の心。
早苗の表情が暗くのを見て、神奈子は笑った。
「あんたは大きな勘違いをしている。集まってきた人妖は、自分の意志でやってきたというのに」
自分の意志?
でも、彼らは作物の影響で……
早苗の言葉を神奈子が遮る。
「馬鹿言っちゃいけない。信仰心がなる作物なんて、幻想郷にだってあるわけない。神様の私が保証するよ。あれは、正真正銘ただの大根さ」
思わず目を丸くする。
だとしたら、あの人たちはどうして集まってきたのか。
大根を食べて、洗脳されたのではなかったのか。
「単純なことよ。彼らは単に、あんたにお礼が言いたかったのさ」
息を呑む。
「だけど、肝心のあんたは妖怪の山に住んでるときた。人間達が山に入ってくることはできない。だから、博麗神社の分社にお参りするようになったんだと思うよ。妖怪達はまあ、単に騒ぎたいだけかもしれないけど」
妖怪の巣窟とも言える山に、入ってこれる人間など数少ない。
巫女や魔法使いが特殊すぎるだけで、守矢神社の代わりに分社へ行こうという考え方は、それほど極端なものではなかった。
だとしたら。
早苗のしたことには、何の非も無い。
むしろ、喜ぶべきことだ。
「私への信仰というより早苗への感謝だけど、その方が嬉しいね。だから、気に病む必要はないよ。彼らは自分の意志でお参りをしている。そこに幻想が入り込む余地なんて無い」
重い荷物を下ろしたように、背中が急に軽くなる。
代わりに勘違いした恥ずかしさもこみあげてくるが、それもまた喜ばしい感情の一つだ。
途端に、早苗は博麗神社へ行きたくなった。
自分の為に来てくれている人がそこにいる。
そう思うと、居ても立っても居られなくなったのだ。
神奈子は言った。
「行っといで」
早苗は笑って、それに答える。
「はいっ!」
どうしようもない勘違いだったけど、偽物の種だったけど、早苗は心から満足していた。
詐欺師の兎に感謝する。道を誤らずに済んだのだから。
騙してくれて、ありがとう。
そして、早苗は博麗神社へと駆け出すのであった。
文体もきちっと整えられてて非常に読みやすかったです。落語のよう童話のようなお話で、起承転結しっかりしていたので物語の評価70に+20でこの点数です。
最後のほうに誤字がありましたよー。
『思い荷物』となっていましたー。
てゐの扱い方が上手ですね。 これは良いw
とても面白かったですよ。
植物の謎で興味をひき、それを破綻なくきれいにまとめ、あとがきのオチでしめる。お見事でした。
かと思えばやっぱりお新香だったりと何だか不思議と納得してしまうお話でした。ご馳走さまです。
やっぱり大根ったか、ってあれ、信仰?
と上手い具合に予想を躱してくれました
自分や、親しい人の作った作物が美味しいのはそれだからなのでしょうか。
>だとしたら、早苗の集めた信仰は本当に信仰なのだろうか。
>人の意志を無視して、強引に信ずるものを変えてしまう。
>ひょっとするとそれは、洗脳と言うのかもしれない。
>早苗は愕然とした。
>神奈子の為にと集めたそれは、自分が最も忌み嫌う連中と同じ手段によるものなのだ。
>宗教をお金儲けの道具としか思っていない連中と、自分が同じ事を。
おかしいなとってもみみがいたいや。
早苗さんのようにどんな作物が出来るかわくわくしてました
しかしいい話だった。てゐもいい役割でよかった
てゐの「らしさ」がよく出ている気がします。
嘘はついても不幸に陥れたりはしない。
読んでて気持ちの良いお話でした。
でも、どこか粋なてゐの嘘が良かったです。
早苗らしさが出てて、とても楽しめました。
っと思ったらあとがきでやっぱりか、と。
やってくれたな詐欺兎w
騙しても必ず幸福にする。てゐらしいなぁと思いました。
そもそも幻想郷の名有りキャラには人間が少なすぎるからあまりなかったけど、早苗とてゐはいいコンビなのかもしれないなぁ…。
早苗以外だったらこうはいかなかったかもしれないけど、結果よければすべてよし。てゐ最高。
思わず唸っちまいました。
人々の信仰…プライスレス
ナイス、てゐ。
たしかに「しんこう」の種だな
嘘はついてない