「これが、そうですか?」
「これが、そうさ」
瀟洒なメイドに、古道具屋の店主はそう答えた。
二人の間に置かれたのは、年代物の楽器。それも、ハーモニカであった。
木製のボディ、十個の穴。クロマニック・ハーモニカと呼ばれる物。
そして、ここ一月ほどの間、香霖堂を騒がした代物である。
「見た所、普通のハーモニカに見えますが……手に取って見てもよろしいかしら?」
「ええ、どうぞ」
彼女は、興味深げな手つきでハーモニカを手に取ると、まず全てを余すことなく眺めていく。
確かに珍しい物だが、このハーモニカの何が、そこまで彼女の興味を引いたのだろうか?
霖之助は、そんな事を考えながら、熱心にハーモニカを調べる咲夜を眺めていた。
一通り調べ終えたところで、彼女は霖之助に問いかけるような視線を向ける。
何を言いたいかを察し、霖之助は頷いて見せた。
彼女は、軽く目礼をすると……ゆっくりと、ハーモニカに口をつけ、ふぅーと息を吹きいれた。
だが、何の音もしなかった。彼女が息を吹いた音だけが静かな香霖堂の中に響き渡る。
「本当に音が鳴らないのですね」
「僕もそれが鳴るのを一度も聞いた事がない」
「噂どおりという事ですか」
「確認しようがないけど、噂どおりという事さ」
ならない楽器
いつの事だか分からない。いや、それはどうだっていい。ただこれは古い物って事だぜ。
きっと、これは子供……それも、女の子にプレゼントされた物なんだ。なんで、そう思うかって? おいおい、よく見ろよ、香霖。そこに名前が書いてあるじゃないか『琴』って。
まあ、私は昔習わされた事があるからよ、なんとなく分かるけど楽器を上手く扱うってのは、結構難しい事なんだぜ。
最初は思ったように音も出ない。気の抜けたような音がでて悲しくなるんだ。だから、練習が必要なんだよ。最初からうまく楽器を使いこなせる奴なんてそうはいないんだぜ。
きっと、その女の子も頑張って練習したんだろうな。噂を聞く限りならば、きっと恥ずかしがり屋なのか、誰にも知られないようにずっと練習していたんだと思う。だけど、中々うまくならない。いくらやっても上手くいかないんだよ。きっと、何度も投げ出したくなったんだろうぜ。
だけど、頑張って頑張って頑張って頑張って練習を続けたんだぜ。
上手く吹けるように、皆にどうだって言えるように。頑張って頑張って練習を続けたんだぜ。
だけど……志し半ばで彼女は吹けなくなったんだぜ。
悲しかっただろうな、悔しかっただろうな。だから、今も練習を続けているんだ。誰にも見つからないように隠れてな。
きっと、本当に上手くなった時、彼女がもう誰かに聞かせても大丈夫だと自信をもった時に、皆に聞かせてくれると思うんだぜ。
「と、魔理沙は言っていたね」
「それは、本当ですの?」
「いや、彼女の創作さ」
そもそもの事の発端は一月前、霖之助が無縁塚にてハーモニカを拾ってきた事だった。
名前は『ハーモニカ』。用途は『音楽を奏でること』。別に能力を使わなくても、それの存在を知っていた香霖は別段驚く事もなしに拾ったのだ。
だが、普通と違ったのは、そのハーモニカの音が鳴らなかったこと。そして、どこも壊れていなかった事だ。
これだけならば、別段どうという事はなかっただろう。棚の片隅かどこかに埋もれるか、再び無縁塚に行った時についでに捨てるか、或いは由来を一つ打って『ならない事に意味がある楽器』として売りつけていたという所だ。
だが、音は鳴ったのだ。
それは、霖之助が外出していた時のこと、偶然出会った烏天狗の新聞記者が教えてくれた。
「さっき、貴方の店の前に通りかかった時に音楽が聞こえたけど。店の留守を誰かに預けるなんて珍しいですね」
もちろん、霖之助は誰かに店の留守を任した記憶はない。そんな事、怖くて出来やしない。急いで家に帰ると、もちろん誰もいなかった。音楽も聞こえない。
最初は気にしなかった。理解できないことは気にしない。霖之助の持論。
だが、何度かそう言う事があり……ついに気になった。頼んだ相手は、博麗の巫女。
「いままでのツケをチャラにしてくれるならば、霖之助さんのお願いを聞いてもいいわ」
とひどく無茶な事を言ってきたが、もちろん却下。
数分間の交渉の末、ツケの少しと次に新しいお茶が入った時に無条件で渡すという事で手打ちとなる。
「次に来るお茶は、きっととてもいいお茶ね。私の勘がそう言っているわ」
彼女は、そう微笑んで異変の解決に乗り出したが……。
「結果として、分かったのはこのハーモニカが原因だというだけですか」
「ああ、これが誰もいない時に限り音楽を奏でていると判っただけさ」
倒すべき敵も解決すべき問題もない。ただ、誰もいない時に音楽が鳴り響くだけ。巫女は、『原因が判ったのだから解決ね』とだけ言って調査を終えた。
おそらく、次に霖之助がお茶を入荷した時に測ったように現れてお茶を持っていくのであろう。
そう思うと、霖之助は少し憂鬱になった。
「で、後は捨てるなり壊すなりすれば解決だと彼女は言ったが、どれもする気が起きなくてね。だからこそ、そのままだ」
「なるほど、先程の話は、なぜ音が鳴るのかを魔理沙が考えてみたという所ですか?」
「ああ」
少し前に読んだ本で、推理小説という物があった。それによると、事件は、『誰が』、『どこで』、『何で』、『どのようにして』が重要だという。
今回に限り、『誰』はハーモニカが。『どこ』は香霖堂でまでは分っている。だが、残りの二つ。『なぜ』と『どのようにして』が謎なのだ。
霊夢の調査が終わった後、どこから話を聞いたのか人が集まり、この一月ほどは、その『なぜ』と『どのよにして』を推測する遊びが流行ったのであった。
霖之助にしてみたら、物を買わずに冷やかしに来る迷惑な客達という所である。
皆が勝手に訪れて自分の推測や物語を述べて帰っていく、ここ一月は来客数だけならば過去最高であったのではなかろうか?
その中で、魔理沙が考えた話が一番印象深かったのは、いかにも彼女らしい物語だったからであろう。
だからこそ、霖之助は、流行が冷めた今頃に訪れる客に、その話を聞かせるようにしている。
「それで、結局の所本当の所はどうなのですか?」
「残念ながら誰にも分らない」
いや、あの不吉な笑顔の少女には正解が判っていたのかも知れない。
彼女は、霖之助とハーモニカを交互に眺めて、ふふっと笑い帰っていった。
あの妖怪少女は、未だに何を考えているのかが判らなくて霖之助は苦手だ。
「良いものですね、これは」
「残念ながら、売り物じゃないよ」
「あら、どうしてですか?」
「僕がそれは、道具じゃないと考えるからさ。僕の考える物語はこうだ」
この楽器は生きている。いや、今まさに妖怪になろうとしている物であると。
曰く、付喪神。
長き時を経た物は妖怪になると言う。これは、別に器物に限っての事でなく、猫や犬などの動物にも言える事だ。
この『付喪』というのは当て字であり、本来は『九十九』と書く。これは、九十九年という長い時間、或いは、九十九種類の多種多様な万物を表すとされる。
九十九というのは、多いという意味の言葉であり、明確に九十九年や九十九種類という訳ではない。神の数とされる八百万と同じである。
さらに言えば、九十九髪と表される場合もあり、これは『髪』という字は『白髪』を意味し、やはり長い時間や経験を表すとされている。
この解釈でいうならば、年経て妖怪となった動物達も総じて九十九神と言えるのであろう。
「おっと、話がそれたね」
軌道修正。
霖之助には、女性の幽霊が誰もいない時を見計らって、練習をしているという説については、疑問があるのだ。
それは……。
「なぜ、この楽器を誰も鳴らせないかだ」
そう、それが重大な疑問点。別にこれがその女性の物だとしても、他の人間が鳴らせないという道理はない。幽霊だからそう言う事も出来るという、理屈で言うならば何でもありになってしまうので、あえてその案は外しておく。
「だから僕は、鳴らせないのではなく。鳴らない。この楽器自らが誰かに鳴らされるのを拒否していると考えているのだよ」
そう、理由は分らない。
もしかしたら、その元の持ち主の女性があまりにも下手であったとか、あるいは何か重大な思い出でもあるのかも知れない。
何が正しいかわからないけれど、この楽器は人によって鳴らされるのを拒否しているのではないかと霖之助は考えている。
「だからこそ、これは誰にも鳴らせないんだ。道具自らが自らの用途を果たすのを拒否している」
「なるほど、誰にも鳴らせないという理由から導いた話な訳ですね。では、誰もいない時に限って鳴るという所は?」
「前の持ち主を懐かしんでいる。或いは、誰かに鳴らされる事を拒否しても、自らの用途を果たそうとしているというのはどうかな?」
それは、自立という物だ。
誰かに頼らないといけなかった自分を嫌い。誰にも頼らなくてもよいように自ら音を鳴らすことを選ぶ。
親を離れる子のように。
師を棄てて、自らの道を選ぶように。
「誰にもいない時にしか鳴らないというのは……そうだね、ちゃんと自立が出来るまで、自分のみっともない姿を誰かに見せたくないという見栄という所かな」
「面白い話です。魔理沙の考えた話が彼女らしいとしたら、こちらの解釈は貴方らしいというべきかしら」
「さあね。どこが僕らしいのかはよく判らないけど、僕はそう言う風に思っているよ」
道具ではなく、九十九神であるというのが霖之助の考える話の大きな所。
「僕は、そのハーモニカが自立するまで場所を貸しているだけさ。だからこそ、それは商品じゃないんだ。この店は道具を扱っても、生き物は扱ってないからね」
ふふっと彼女は笑う。
「手元に残しておきたい物を売らないための言い訳の様にも聞こえますよ」
「邪推だよ」
それがないとは言わない。
だが、霖之助にとってこれを売ってしまうのは正直惜しい。
「売り物でないならば、惜しいですが諦めるとします」
彼女は笑いながらハーモニカを霖之助の前へと置いた。
「すまないね」
「いいえ、注文の品を取りに来たついでですから」
そう言えばそうであった。彼女はこの前見せに来た時に注文をしていた物を取りに来ただけだったのだ。
ただ、挨拶がてらの世間話の中でハーモニカの話題がでただけなのである。
「少し待っていてくれ、注文の物は奥にあるんだ……泥棒避けにね」
「はい」
彼女の返事を背に霖之助は注文の品を取りに奥へと向かった。
注文の品を持って店に戻ってくると、彼女はまだあのハーモニカを眺めていた。
「そんなに、気に入ったのかい?」
と声をかけると彼女は微笑みながら頷いた。
「ええ、それに私もこれがどうして鳴るのか少し興味が湧いて……いろいろ、考えていました」
「ほお、どんな風に思う?」
「貴方の話も面白いですが、やはり……誰もいない時にしか鳴らないという部分の理由が弱いと思います」
「ふむ」
確かにそうだ。だが、結局は推測に推論を重ねるしかないので、理由が弱いというのはしょうがない気がする。
「だから、私はこう考えるのですよ。このハーモニカは自立ではなく、練習をしているのではないかと」
「練習?」
「そう、練習」
魔理沙の話に近いのか。いや、あれは幽霊が練習しているという話であり、ハーモニカが練習しているという訳ではない。だが、それは霖之助が考えた事を言い換えただけではないだろうか。
「貴方の言う自立をするための見栄として、誰にも練習を聞かれたくないという訳ではないですよ」
霖之助の心を読んだように咲夜は言う。
「練習をしているのは、誰かに聞かせたいからと私は考えます」
「誰かに聞かせたいから?」
「ええ、下手だけど一生懸命というのは、所詮、周りの評価にすぎません。誰かに上手い演奏を聞かせたいと願うならば、少しでも上手く、完璧な物をと思うでしょう」
瀟洒と称される彼女が言うと妙に説得力のある言葉だった。
「なるほど、誰かに聞かせたいからこそ、隠れて自分が納得できるまで、上手く演奏できると自信を持つまで練習をしていると」
「はい」
なるほど、新しい説だ。
自分の為ではなく他者の為に、このハーモニカは隠れて努力をしているというのか。
「それは、やはり亡くなった持ち主の為とかかい?」
「いえ、持ち主はこの場にいませんので」
「妖怪として姿をもった時に会いに行くとか」
「ここで、練習を続ける理由にはなりませんわ。隠れて練習する程に聞かせたい人がいるならば、その人の傍にいたいと考えるとは思いません?」
「……どうかな」
それについては、霖之助は何も言えない。素直に言ってそう言う物は良く判らなかった。
よく魔理沙や霊夢に彼は枯れていると言われるが、こういう情緒が判らないのが理由なのかもしれない。
「じゃあ、誰の為にかな?」
「誰かに聞かせたい人がいて、隠れて練習をしているとするならば。私ならば、絶対にその人だけには聞かれないように練習します」
彼女はそう言って、意味ありげに霖之助を見た。
さすがに霖之助も気づく。そして、思わず笑った。
「僕かい? まさか」
霖之助は、そこまで自惚れてはいない。彼には、自らがこのハーモニカに好かれる理由が思いつかなかった。
だからこそ、自分の為に練習をしていると言われても、全く理解不能だ。
「私の私見ですが、貴方は道具に好かれるように思います」
だが、彼女は微笑みながらそう言う。
「道具に好かれる……それは、道具屋冥利に尽きるけど、その心は?」
「貴方は、道具の名前とその用途――役割を判ってあげられますから」
彼女は、その事についてはどこか自信ありげに言いきった。
「自分の名前と役割をちゃんと判って……知っていて貰えるというのは、ひどくうれしい事なのですよ」
彼女はそれだけ言うと、霖之助から品物を受け取り館へと帰って行った。
「道具に好かれるね」
霖之助はまだどこか納得していない。
好かれているという自覚はなく、彼女が言っているだけで確証もない。
ただ、悪い気はしなかった。
目の前にあるのは、音が鳴らないハーモニカ。なぜ鳴らないのか? なぜ誰もいない時だけ鳴るのかは、結局の所判らない。
魔理沙の物語も、霖之助の物語も、咲夜の物語も結局の所、それぞれが勝手に言っているだけで真実は不明なのだ。
考えても分らない。答えのない疑問。ただのお遊びに過ぎない。
だからこそ……
「理解できないことは考えない」
霖之助の持論。奇想天外摩訶不思議な出来事が平気でまかり通る幻想境にて彼が生きていく上で導き出した結論だ。
彼はハーモニカを手に取ると、店の棚の一つに置いた。
何時の日かわからないが、答えは出るかもしれない。
それまで、この店の棚は、このハーモニカか、あるいは持ち主の幽霊か、誰も知らぬ何者かの練習場であり続けるのだろう。
いつの日か結果わかる時まで。
まあ、いつか何かが起こるという楽しみが増えた。
霖之助は、そのハーモニカに対してそう考えることにしている。
香霖が道具に好かれる、というのも考えてみれば至極納得の理由ですし、そう考えると紫の意味深な笑みも咲夜さんの推論を後押ししているようにみえて面白いですね。
うまい表現ができない自分が悲しいですが、この作品はスゥっと読めてしまいました。
いやはや・・・確かに日常にあるようなお話でしたが面白かったです。
香霖はきっと色々な道具に好かれているんだろうなぁ。
その内、笠地蔵みたいな恩返しがあったりしてw
でも、面白かったです