※オリ設定が含まれてますので苦手な方はブラウザで戻るをどうぞ
※多少儚月抄ネタが含まれてますが、気にしない程度のものです。
※神話捻じ曲げてます。
千年以上前、月でのこと――
禁薬、蓬莱の薬の精製及び服用がばれてしまい、
捕らえられてから数日。私と姫様の処遇が決定した日。
同じ事をしたというのに私は無罪で、姫様は処刑。
暗い牢の中、私は申し訳ない気持ちで一杯だった。
「大丈夫、永琳。私はもうどうやっても死なない体なんだから」
「こんなの不毛です! 姫様だけ処刑で、私は無罪と……」
「それは貴女が月に必要とされてるから」
私は唇を噛み締めた。
姫様に近付けたのは八意の名のおかげだ。
なのに、今はその八意の名のせいでこんなにも苦しい思いをしなくてはならないと。
「永琳、これから私はどうなると思う?」
「これから……」
「あなたが頭いいのは誰よりも理解してるつもりよ。ねえ、教えて」
「……わかり、ました」
精一杯頭を働かせ、これからの事をシュミレートする。
過去の例、月の刑罰、姫様の罪の重さ、身分――
今までにない特例中の特例だが、お偉方の考えることなぞたかが知れてる。
『扱いに困った時には捨てる』だ。
となると――
「――出ました。『穢れた地上に追放』です」
「そう……期間は?」
「恐らく十年程」
「短いわね」
「そんな、短いなんて」
「永遠の生を手に入れたのよ? 短いわ」
「そう、ですね」
姫様は何故ここまで気楽なのだろう。
いや、もしかしたら私に余計な気負いをさせないために、
無理矢理気楽に振舞っているのではないのだろうか?
「姫様、貴女は」
「もう、名前で呼んでよ。私達、友達でしょ」
まだ姫様は私の事を『友達』と呼んでくれる。
それが嬉しくもあり、辛くもある。
「……カグヤは辛くないの?」
「…………」
「私は……辛い」
カグヤの綺麗な黒髪を撫でる。
もう、こうやって髪を梳く事も無いだろう。
例え十数年後、月にカグヤが帰ってきても二度と引き合わされ無いだろうから。
「友達に、カグヤに会えなくなるのは、辛い」
頬に触れる。するとカグヤの目から涙が流れ、私の手に触れた。
「永琳、私も辛い」
「カグヤ……」
私は涙を指でそっと拭ってやった。
「後悔、してる?」
「してない」
カグヤははっきりと答える。
「永琳は?」
「さっきまで少し。でも今はしていません」
私は正直に答えた。
事実、先程まで姫様のお願いとして蓬莱の薬を作ったことに後悔していた。
もしその時、是が非でも断っていたらこんな辛い思いをしなくて済んだから。
だが、過去は変えられない。
あれがもし間違った選択なら、これから最良を選び続ければいいのだ。
今の最良の選択は『後悔しないこと』。
「永琳、約束してくれる?」
「何?」
――私達は永遠に友達だって
「……カグヤ」
私の考える、最良の返答は――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「じゃあね、永琳」
「はい、姫様」
やがて、処刑の日が迫ると、私達は別々の牢へと移された。
直前に監視員の小言を聞き取って分かったが、カグヤは処刑場の見える『特別牢』に移され、
私は無罪とは決定してるものの月の上層部の体面からか重罪人が行く牢に移されるらしい。
その際、カグヤには両腕が使えないように拘束具が付けられたが、
私には何も付けられなかった。
「永琳様。これ以降、接触の機会は与えられません。よろしいですな」
「それはつまり、処刑に立ち会うことも無いと?」
「ええ」
「……わかりました」
これでしばらくの別れか、とカグヤを見ると、
やはり淋しそうな顔をしていた。
私もきっと同じような顔をしているに違いない。
「カグヤ様も、よろしいですか?」
「構いません」
「……では、移送を開始します」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カツ、カツ、カツ、カツ――
「それにしても、永琳様。災難ですね」
「……何がですか?」
牢に向かう為、監視員の男についていく途中、男にいきなり話しかけられた。
恐らく気を使っての事だろうが、永琳はもう後悔をしてないのでむしろ余計なお世話だった。
「カグヤ様に無理を言われて禁薬を造られたのでしょう」
「…………」
「このような事になって永琳様もいい迷惑――」
「ちょっと、あなた」
「は――」
ボキ、とおおよそ人体によくない、嫌な音が鳴った。
永琳が振り向いた男の鼻っ柱を思いっきりぶん殴ったからだ。
男は訳が分からない、と言った表情で鼻を押さえてうずくまり、
永琳は冷やかにそれを見下す。
「――ッ!?」
「あれはカグヤも私も望んでやったことなの」
殴った拳を開いて二、三度手を振る。
思わず力が入り、強く殴りすぎたらしい。
永琳は気分が幾分かすっきりしたものの、
移送中に監視員を殴ったせいで騒ぎが起こり、永琳の牢の生活が少し伸びる羽目になった。
「永琳様が監視員を殴ったそうだ。鼻の骨が折れたらしい」
「ん、大方あいつがデリカシーの無いことでも言ったんだろう」
「あの温厚な永琳様が鼻っ柱折るほどか? そりゃ酷い」
「いや、人は見かけによらんと言うだろ。女性で天才となると何するか……」
「なるべく刺激しないように気を付けないとな」
(永琳ったら……)
牢の中に入った直後に聞こえてきた会話に、
カグヤは友達の行く末がちょっと心配になった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここが永琳様の牢です」
結局、先程の男とは別の監視員が永琳を案内することになった。
私としてはできればあの男をあと二、三回殴っておきたかったが、
警備員が割り込んできてそれは叶わなかった。
数分後、今度は特に何事も無く牢屋に着いた。
牢内は薄暗いものの、そこそこ片付いていて居着くのに特に不自由はしなさそうだ。
古びたベット、机、椅子。
机の上には小さい電灯があり、いくつかの本が入った棚もある。
「あら、これうちの私室にある本じゃない」
手に取ってみると分かったが、
本棚に納められている本は自分の所持している研究所にあった物だった。
「はい、『地上の監視者』の方が見繕って持ってきたようです。『綿月』、といいましたかな」
「ふうん……後でお礼を言っとくわ」
手に取った本をパラパラと捲り、暇潰しになりそうと判断する。
私は心の中で少しばかり知り合いの『地上の監視者』に感謝した。
少し時間が経ち、監視員が大体のここでの生活の説明を始めた。
「では、私はこれで」
「ご苦労様」
説明が終わると、監視員は別れの挨拶もそこそこに
ガシャン、と色気の無い音を立てて牢の入口が閉じられ、
わざとらしく靴音を響かせながら向こうへと帰っていった。
「……ふう、本でも読みましょうか」
私はとりあえず時間を潰す為に一冊の本を手に取り、
椅子に腰掛けて読み始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
本を読んでいる途中、ふと誰かの視線を感じた。
私がゆっくりと顔を上げると、
向かいの牢に別の人間がこちらを物珍しそうに見ているではないか。
「…………」
恐らく他の囚人だろう。
ここの牢は重罪人が集まる場所らしいが、
私はここ最近大きな事件や事故は聞いていない。
ならだいぶ前からここにいるのか、はたまた裏の人間か……
「誰?」
私は一旦本を閉じてその人物に話しかける事にした。
その人物は紅いローブを着ていて、薄蒼い長めの髪が暗闇にちらちらと見えた。
「あ、ごめんなさい」
話しかけると、女性らしい綺麗なソプラノの声が返ってきた。
しかし、その人物はそそくさと暗闇に引っ込んでしまい、
一瞬だが蒼い髪の間から少女らしき顔が見えた。
何故このような場所に少女が?
と私は不思議に思い、同時に興味を持った。
「別に気にしてないわ。で、貴女は誰?」
もう一度話しかけると、暗闇の中からひょっこりと少女が顔を出した。
「な、名前はあんまり言いたくないかな」
「ふうん……」
名前を明かしたくない……となると相当な名家の出身なのだろうか。
しかし、私の記憶のどこにも彼女のような人物はいない。
……となると、私を警戒しているのか。
「私の名前は八意 永琳。禁薬とされる『蓬莱の薬』を造り、服用した罪でここに来たの」
なら自分の事を先に話すのが一番だろうと、
目の前の少女に素性を明かすことにした。
「八意……?」
途端、少女は訝しげな目で私を見る。
薬の天才の家系である『八意』の名は伊達じゃない。
「なんでそんな有名人がここに?」
「言ったでしょ。月の禁忌に触れたの」
「禁忌……まさか、いや」
少女は口に手を当てて驚いていた。
やはりこの少女、だいぶ前からここにいたらしい。
「私も月の禁忌に手を出しちゃってね。かなり前からここにいるの」
「どんな?」
今度は私が驚く事となった。
まさか他に月の禁忌に辿り着く人間がいたとは思いもしなかったからだ。
しかもこのような少女が、だ。
私が質問すると、少女は顎に手を当てて数秒、考える素振りを見せた。
……それにしても、いちいち何をしているかわかりやすい子だ。
「んー、まあどうせ一生出られない予定の身だし、話してもいいかな」
終身刑とは……この少女、一体どんな禁忌に触れたのだろう。
ますます私は興味を持った。
「えっと、まずは月の古代文明は知ってる?」
「ある程度は」
牢屋越しに少女が語り始めた。
私は記憶の引き出しを探り、相槌を打つ。
「じゃあ古代の魔法の存在は知ってる?」
魔法。何のことは無い、古びた月の記憶。
「ああ、時代から削ぎ落とされたって噂のね。
……そもそも物的証拠が少ないから謎が多いと聞くわ」
「そこまで知ってるなら十分ね。なら色々説明しなくていいか」
少女はうーん、と唸る。
恐らく次に話すべきことを考えているのだろう。
十数秒、たっぷり考えた後、少女は口を開いた。
「……私はその『古代魔法』を研究する人間なの。
まあ、昔いらなくなった物をわざわざ発掘するような研究だから賛同者は少ないんだけどね」
「なるほど。で、貴女はその『古代魔法』の禁忌に触れたのね」
「うっ、順を追って言おうと思ったのに……」
私がズバリ言うと、少女は眉根を寄せ、渋い顔になった。
つくづくわかりやすい子だ。
「……そう、あれは何年も前の話。研究が停滞してて、
新しい手がかりを探そうと、月の遺跡に私達はたびたび足を運んでたの」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
― 数年前、月の遺跡 ―
「チーフ、やっぱりここは調べ尽くされてて何もありませんよ」
「そうは言ってられないわよ。
もしかしたらそこの壁の染み一つに何か手がかりがあるのかもしれないし」
私達は月の遺跡に来ていた。
最近停滞気味の『古代魔法』の研究の推進剤を探す為だ。
そこはもう何十回と訪れた遺跡なのだが、
私には『ここには何かある』という勘があった。根拠は無い。
「何か違うのよね……今回はもう少し奥へ行きましょうか」
「やめましょうよチーフ、呪われますって」
私が奥に行こうとすると、仲間達が口々に止めようとした。
事実、この遺跡ではよく”呪われて変死した”などという噂があったが、
それぐらいで恐れていては探求者の名が廃る。
「なによ、皆意気地なしねー」
「そういうチーフだって、
この間足場を踏み外してちょっと怪我しただけで半べそだったじゃないですか」
どきり、と私の心臓が跳ねた。
まさかそんな痴態を見られていたとは。
「あ、あれはね……予期しないことがあってね……その」
「怪物とか出るかもしれませんよ? 番人の一体や二体潜んでてもおかしくない」
「うう……でも行きたいのよ」
目の前で手を組んでお願いのポーズ。
これで落ちない人間はいないと私は自負している。
ちょっと上目使いに目を潤ませるのがポイントだ。
勿論、自負しているだけあってすぐに効果が表れた。
「あー、もう、行けばいいんでしょ、行けば」
「チーフいっつもそれで誤魔化すよなあ」
「しょうがないじゃない。チーフだもの」
仲間達は諦め気味にガシャガシャと機材を集め始める。
「ごめんね、皆。私の我侭に付き合わせて」
「分かっててするんだもんなあ」
――私達は、奥へ、奥へと進んだ。
途中、私がちょっとした物音で仲間達の影に隠れたり、
段差に躓いただけで半べそをかいたり、
果ては私が持っていた電灯が燃料切れを起こしただけで大声を出したり――
全く持っていい所は無かった。
「チーフは本当に臆病だなあ」
「そ、そ、そんなこと、な、ないわよ」
恐さのあまり、思わず抱きついた仲間の内の一人にそんな事を言われたので、
私は真っ赤になって反論した。噛んだせいでますます顔は真っ赤になったが。
「大丈夫ですよ、チーフは何が起こっても生き残る人だもの」
「な、なんで?」
「そんなタイプなんですよ。たとえどんな状況でも誰かが必ず護ってくれる」
「そうだな。なんというか、こう……ホントに誰かいなきゃ生きていけなそうだもんなあ」
「うう、酷い……」
「でもその分、護っている人は勇気が出るんです。
今だってチーフがいなければ、臆病な我々がこんな奥まで来れませんよ」
「チーフがいたから私達はここにいる。それだけは忘れないで下さい」
「…………」
私は、初めて仲間達の前で泣いた。
でもすぐに涙を拭った。
「……私も、皆がいたからここにいるんだからね!」
そう言い、私は一番先頭を突っ切って歩き出した。
「あうっ」
「チーフ……」
直後、私は段差に躓いてしまい、
なんとも言えない空気になってしまったが。
ー それからしばらく後 ー
「見てください、石版ですよ」
「確保して。なるべく慎重にね」
「これは……瓶、ですかね」
「開けないでね。それも確保」
進みに進んで、着いた場所は、まさに研究の推進剤の宝庫だった。
少し大きめの部屋で、部屋の真ん中に巨大な支柱が一本、
辺りには色々なものが散乱し、支柱には文字が刻まれていた。
番人もいない。罠も無い。そして全員無事という最高のコンディション。
私は仲間の言葉を軽く聞き流しながら、柱に刻まれた古代文字の解読に懸命だった。
「月讀命……『ツクヨミノミコト』?」
この『古代文字』とは、地上の言葉で書かれており、
地上の文字、というのが賛同者が少ない理由の1つであった。
一般的に月では『地上は穢れている』とされ、
そのことから地上を嫌っている者が月ではほとんどを占めていたからだ。
私はそんなのは差別主義だと思うが……洗脳教育とはそういうものなのだろう。
では何故、遺跡に地上の文字が使われているのか。
それは月にいた最初の1人が地上に由縁のある、
『ツクヨミ』と呼ばれている神だったからだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「待って」
「……何? せっかくいいところなのに」
私が話を割るように止めると、少女は口を尖らせた。
というか1研究分野のリーダーである辺り、
少女に見えるが実はもう成人なのかもしれない。
それでも少女、と言った方がしっくりくる。
まあそれはさておき。
「『ツクヨミ』の話は知ってるわ。……『ヤゴコロ』は『ツクヨミ』と縁があるし」
「あら、そうなの?」
「うちと縁があるというのは一部の人間しか知らないわ」
頭の中でこの少女が話したことを反芻する。
遺跡、魔法、、古代文字、ツクヨミ――
私自身の記憶、私見を交え、言葉が連鎖するように繋がる。
結果、出た結論は――
「『魔法』って……創造のこと?」
私がそう聞くと、少女はキョトン、とした顔になった。
当たっているかはともかく、私は仮説を述べる。
「月の民の原初は『ツクヨミ』。……だけれども、『ツクヨミ』自身にそんな力は無い。
あるのは『夜の支配』、それと『暦や月齢を読み、暦や時を支配する』ぐらい」
カグヤにも『永遠と須臾を操る程度の能力』と、時を支配する力の名残がある。
月の民の正当な家系であるから、いわゆる先祖返りなのだろう。
「――なら、『ツクヨミ』はどうやって月の民を創り出したのか?
それが『魔法』。無から有を作り出し、月人を創った……違う?」
私が自信満々に答えると、少女は首を横に振っていた。
次いで、私に向かって微笑む。
「ふふふ、おしいわ、すっごく」
少女はクスクスと堪えるように笑い出した。
「いくらなんでも無から有は不可能。魔法であってもそれは同じ……」
「……どういうこと?」
「人の話はちゃんと聞くこと。あなたにはそれが足りないの」
そう言うと、少女は可愛らしく片目を瞑ってウインクした。
どうやら自分が話を続けても無意味じゃないという事が嬉しいらしい。
「私は古代文字の解読を続ける内に、『古代魔法』の正体を知ったわ。
奇しくも魔法のヒント、そのきっかけはツクヨミがある神を剣で斬り殺してしまった時」
少女は再び語り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は柱に刻まれた文字を慎重に汲み取りながら解読していった。
ある程度読んだ所で頭の中で整理して一文づつ組み立てる。
『ツクヨミノミコト
私は独りぼっちになった。
私が穢らわしいとウケモチを斬ってしまったからだ
私は穢らわしいものが嫌いだ
アマテラスがウケモチの様子を見てきてくれと言ったので地上に赴いた所、
ウケモチは口から米を、魚を、獣を吐き出してそれで私をもてなそうとしたのだ』
「……あれ? いや、間違ってないわよね……どういう意味?」
筆記した文を見る限り、個人主観で書かれていると思われるのだが、
口から生物を吐き出す存在など聞いたことが無い。
『口から吐き出したものを食わせるとは何だと怒りのあまり太刀でウケモチを斬った
それが同じく地上にいるヤクモを経てアマテラスの耳に届いた
アマテラスは私にもう会いたくないと言ってきた
地上は完全に日と月に分かたれてしまった
駄々をこねて追い出されたスサノヲが自分がやったと触れ回っている噂も聞いた
スサノヲも私達と仲直りしたいのだろうが、もはやその溝は大きすぎる』
「ウケモチ、ヤクモ、アマテラス、スサノヲ……日と月は昼と夜のことかしら?」
確かスサノヲ、アマテラス、ツクヨミの三柱は同じ神から生まれ、
アマテラスは日の神と記憶している。
スサノヲの名前もどこかで書かれていた記憶があるが、あまり見かけない。
地上というのは文字通り地上なのだろう。
『そもそもあのヤクモが存在しなければ良かったのではないかと思いもした
いや、単に私のやったことが間違いだっただけだ
地上の神にも私は嫌われてしまい、
この月で、私は独りぼっちになってしまった
誰でもいい、そばに誰か居て欲しい』
「これは……」
私は身震いした。
これは月の原初、『ツクヨミ』自身の日記。
一番最初の、月の記録――
私は息を呑んで、さらに先へと読み進んだ。
しかし、しばらく何も進展は無く、ただ悪戯に日記は動き出す。
いや、『月記』とでも呼んだ方がいいか。
次の壁へと向かった所でようやく月記に変化が訪れた。
『ツクヨミノミコト
そういえば、と思い出した
ウケモチは死んでしまった時、体から四足の獣、稲や麦などが生まれていたことに
かくいう私自身、イザナギ様が穢れを落とす際に右目から生まれたのだ
もしや神が捨てた部分は何かしら生物が生まれるのではないか?
私は思い切って片手の小指を切り落とした
誰であってもいい、ともかく寂しさを紛らわす存在が欲しいと願いながら』
「…………」
『生まれた
小指は見る見るうちに変化し、人の型となった
汝、名を何と、と問うと
私はツクヨミ様の小指ですと言い
次いで役割を問うと
ツクヨミ様の傍らにと言った
私は嬉しくなった これで寂しくなくなると』
「神が身を削って生み出した人……月人?」
月人はこうして生まれたのか、と私は感嘆する一方で
このような理由で生まれた自分達を少し皮肉に思った。
もしかしたら月人はツクヨミの潔癖症が遺伝しているのかもしれない。
それからは小指との生活がつらつらと書かれており、
長い文が続く中、月記を綴るツクヨミはとても楽しそうであった。
そしてまた柱の一面が読み終わり、次の壁へと移ると月記に変化が訪れた。
『ツクヨミノミコト
小指と暮らしてからかなりの年月が経った
小指は話し相手になってくれ、寂しさはもう無いと言っていい
だが、そろそろ話す事が無くなりそうだった
私がそのことを小指に言うと
小指は無いのなら創ればいいのですと言う
それを聞いて久しぶりに思ったが、月にはまったくもって何も無い
そうだ、月を地上と同じく人間の住まう土地にしよう
イザナギ様が
アマテラスが日を、私が月を、スサノヲが海原を支配するように命じたように
月を管理する神を生み出そう
小指の無い片手、残りの四指を使い
親指に夜の管理を
人差し指に民達の指導を
中指に暦の管理を
薬指に知恵を
それぞれ願い、私は新たに四人の家族を生み出した
月にも海原はあるのだが
スサノヲが海原の支配を断り、私達の仲が悪くなったように
嫌な予感がしたので海原の管理人を創るのはやめることにした』
月には海があるにはあるのだが、確かに生物らしき生物はいない。
地上の海には豊富な生物が生息していると聞くが、
なるほど、ツクヨミがそもそもの『種』を蒔いていなかったからなのか。
それに地上には四季という、暑くなったり寒くなったりする時期があるという。
しかし、月では一年中暖気に包まれていて、そのような寒暖差はない。
これも恐らくツクヨミが『種』を蒔いていないからなのだろうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「日記が進むごとにツクヨミの身は削られていき、
その分だけ月は豊かになり、同時にツクヨミの力は衰えた。
……でも、とても幸せそうだった」
「神が余分に介入したおかげでここまで月は発展したと? 眉唾ものね」
私はそういうものの、自らの手をじっと見ていた。
薬指は『薬師指』とも呼ばれ、
昔、薬を水に溶かす際や塗る際にこの指を使ったことに由来している。
知恵が授けられた薬指。
薬の天才家系、八意家。
私がその薬指の末裔だとする。
そして暦を管理する中指、
おそらくツクヨミと同様に時を操れるだろう。
その中指の末裔が同じく時間を操れるカグヤとすると、
私とカグヤは丁度隣り合う関係になる。
……やはり私は『八意』であったからこそカグヤに巡り会えたのだろうか?
偶然にしては出来すぎた話だ。
「古代の魔法、それは神が使用する創造、破壊そのもの。
ただ純粋に『欲しい』という願い。
まだ人間のいない無秩序な世界でツクヨミが行った事の全て。
ツクヨミには何も無かったから自身の身を削った訳だけど」
少女がどこからか一体の人形を手に取り、私に見せ付ける。
それをトン、と牢の格子の前に置いた。
多少クセのある金色の髪で、紅いリボンに濃い茶色と紅のドレスを着た人形。
「例えばこの人形。可愛いでしょ? 『アリス』っていうの」
「ええ、可愛らしい人形ね……でもあなた大人? の割に相当な少女趣味ね」
「わ、私だってもう少し身長があれば色々と苦労しなかったわよ。これでも大人なのっ」
私はなんだか少女が、精一杯背伸びしようとしている子供に見え、
つい、クスリと笑ってしまった。
「笑わないでよ。……まあいいわ、見てなさいよ」
少女が言い、何の変哲も無い人形に向けて手をかざした。
「……?」
ポウ、と少女の手が淡く紅に光り、
蒼が人形へと流れていく。
「アリスちゃん、挨拶」
ぺこり、と人形が可愛らしくお辞儀をし、
きょろきょろと辺りを見回した。
「……生きてるのね」
私は牢から手を伸ばし、そっと人形の頬を撫でた。
ほんのりと温かく、僅かながら脈動も感じられる。
「おい、なんだ? 何か今光らなかったか?」
突然、遠くから監視員の声が聞こえた。
「っ!」
「(アリスちゃん、そっち行って!)」
少女が慌てて小声で人形に指示すると、
とてて、と牢の鉄格子の間をすり抜けて私の膝に人形が抱きついてきた。
その直後に監視員が姿を現し、何事も無さそうだと確認すると、
人形を抱く私を訝しげに見た。
「ん? 永琳様、その人形は?」
「そこの向かいの人が”元気が出るように”って貸してくれたのよ」
ちらり、と監視員は向かいの牢にいる少女を見る。
少女はニコニコと笑っており、それを見た監視員の顔が軽く引き攣る。
まるで何かに恐怖しているようだった。
「……永琳様、彼女は『シンキ』と言い、大規模なテロを起こそうとした人物です」
ぼそり、と小声で私に伝える。
「シンキ……ね。テロを起こす人間には見えないわ」
私は生きている鼓動を感じる人形の頭を撫でながら聞き流すように答えた。
「私も詳しいことは知りませんし、
あのような人間がそのようなことをするように見えないのですが……そう聞いていますので」
……そうか、『そうには見えないから』恐怖していたのか。
「なんにせよ、御気を付け下さい」
それだけ言うと、監視員は踵を返し、もとの場所へと戻ろうとした。
「……ああ、それと」
と、何かを思い出したのか首だけこちらに向けて口を開く。
「シンキの隣の牢に居るのが共謀者と思しき『異能者』です。
シンキ、永琳様含む三人しかここにはいませんが」
「……『異能者』?」
シンキの隣の牢を見たが、誰か居る気配は無かった。
あるのはただの暗闇で――いや、
幾重にも拘束された人間が椅子に縛りつけられていた。
辛うじて銀髪が見えるものの、
微動だにせず、生きているとはとても思えない。
――カチ、カチ、カチ、カチ
と、時計の音がどこからともなく聞こえた。
「……生きてるの?」
「そう思って近付き、怪我した監視員が何人か。
それに取り押さえようとしても触れられません」
「触れられない?」
「触れようとした時にはもうその場にいないのです。
まるで瞬間移動したかのように……」
「よくそんなのが捕らえられたわね」
「どういうわけかシンキの言う事だけは聞くので」
それを聞いて私はシンキに目を向けるも、
当のシンキは相変わらずニコニコしているだけだった。
……なるほど、確かに少し怖いかもしれない。
「では、お喋りはこの辺で」
「ご苦労様」
カッ、カッ、カッ――
と、またわざとらしく靴音を響かせて、
今度こそ監視員はもとの場所へと戻っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……で、あなたの名前が分かった訳だけど」
「あの監視員はお喋りが過ぎて困るのよ」
シンキは溜め息をつく。
次いで人形に「戻っておいで」と指示すると、
人形は私から離れ、向かいの牢へと戻った。
腕からぬくもりが消え、少しばかり私は未練を感じた。
「おやすみ、アリスちゃん」
人形を抱き上げ、その髪を撫でると、紅の淡い光がシンキの手へと移り、
そのまま光は溶けるように消えた。
後には何も無い、物言わぬ人形へと戻った子を愛しく抱く母のみ。
シンキは目を閉じ、ニ、三度髪を撫で、ゆっくりと顔を上げた。
「……これが、禁忌よ。有から別の有へ。何もかもを超えた神の御業」
「隣の牢にいるのはあなたが創ったの?」
「彼女は私が創ったんじゃないわ。名前は『イザヨイ』」
――カタン。
シンキが名前を呼んだ時、椅子が動く音がした。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「遺跡にはもっと大きな秘密があったの。
私が魔法を使えるのも、『イザヨイ』の存在理由も、
なんで私がここに居るのかも、全て話しましょう」
――カチ、カチ、カチ、カチ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
部屋の周りをあちこちに動き回り、私は解読作業に夢中になっていた。
既に手に持つ紙は解読文で埋まっており、碌に記録せずにそのまま月記を読み続けていた。
「チーフ、そろそろ引き上げましょう」
「待って。まだ、もう少し」
月記は残す所、後少し。
最後の解読作業に私は今までに無いくらい集中した。
『ツクヨミノミコト
私は今まで生まれてきてこれほど幸せだと思った事は無い
力は衰え、もはやこのように記録を書き綴るのも小指に任せているが
目の前に広がる全ての光景が美しく感じる
ついさっきアマテラスがスサノヲが原因で閉じこもってしまい、
地上がずっと夜になったと親指が言って来た
なあ、薬指、私は今こそ三人の溝を直すべきだと思う
だが、私にはもはや地上に行く力は無い
頼む、薬指よ
お前の知恵でアマテラスを救ってやってくれ
そしてアマテラスとスサノヲに言って欲しい
侘びでも媚びでもない
ただ一言、 ありがとう と』
書いてある通り、少し前の月記から書いている者が変わっていた。
代筆しているのはどうやら小指のようで、
恐らく他の四指はそれぞれの管理などで忙しいのだろう。
知恵の薬指は例外らしく、小指と共にツクヨミの傍に居るようだが……
『ツクヨミノミコト
アマテラスは、明るさを取り戻し、スサノヲも反省したらしい
スサノヲはまた追放されたらしいが、今度はきっと間違いを起こさないだろう
薬指、ありがとう
アマテラス、スサノヲ、私達は兄弟だ
いくら時間が経とうともそれは変わらない
なあ、小指よ
私はこれ以上の幸福を願ってよいだろうか
そうか
薬指、すまないがアマテラスに伝えて欲しい事がある
今度、日と月が重なる時、三人で会おうと』
月と太陽は稀に重なる時がある。
今でもツクヨミとアマテラス、スサノヲは会っているのだろうか?
「あら……?」
次の月記から突然文字が荒くなっていた。
何かあったのだろうか?
『コユビ
ツクヨミ様が突然倒れ、月は混乱に陥った
私はどうすればいいのだろう
今までツクヨミ様の為に生き、
いつしか増えた家族達と
愉しみ、笑い、哀しみ、葛藤してきた
倒れられたツクヨミ様は私に記録を頼みました
指は全員集まり、民も皆ツクヨミ様を心配しております
いつかツクヨミ様が言っておりました
心から願うことで叶わないことは無いと
それが魔法だと
お願いです、誰か、ツクヨミ様を助けてください
私はあなたの為に存在しているのです
誰か、誰か
私にはあなたのお傍に居る力しかありません
だから、誰か、誰か、お願いします』
「神が……倒れた?」
もう一度読み返してもどこも間違いは無い。
まだツクヨミはアマテラスにもスサノヲにも会っていないのに……
このような終わりは絶対にあってはならない。
これでは、
――魔法は、『幸福』は不幸を生み出す存在になってしまう
『コユビ
私が一生懸命心から願っているのに
ツクヨミ様は一向に回復しない
誰か、誰か
ツクヨミ様は仰った
もういいよ、私は幸せだったと
違うのです、私が悲しいのです、
私一人の我侭なのです
誰か、誰か
私に、力を、
ずっとツクヨミ様のお傍にいられる魔法を』
ここまで読みきった所で月記のすぐ下の壁の一部が傷だらけになっているのに気が付いた。
小指はここまで苦痛を感じていたのだろうか?
『コユビ
ツクヨミ様は何度も咳をしながら仰いました
小指には何かしら力があるはずだ
私が一番初めに願って出した存在なのだから、と
私にはツクヨミ様のお傍に居る力しかありません、と言うと
そのおかげで私は幸せになれた、ありがとう
しかしそのせいでお前を不幸にしてしまった、すまない、と
私は久しぶりにツクヨミ様の謝りの言葉を聞きました
ツクヨミ様は私になにかして欲しい事は無いか、と仰ったので
私はずっと傍に居て欲しいと、
ツクヨミ様の前で初めて我侭を言いました
ツクヨミ様は目を細め、
名前を、あげよう。私は月そのもの。
ならその月の次に生まれたものの、隣り合うような名前をあげようと
そう言い、名前をくれました。私はもう小指という名ではありません
―――――――――
――――――――――
嬉しい、これでずっと一緒にいられます』
……肝心の名前が表記されていない。
いや、削り取られているのか?
だとしたら何のために?
「ツクヨミはどんな名前をあげたのかしら……? 月の次に生まれたもの?」
私はうんうん唸って考えてみたがそれらしいものは思いつかない。
その月記以来、名前の部分は削りとられていて、
気が付いたら最後の月記となっていた。
そこには――
『――――
どうにも月の入り口が騒がしいなと思ったら、
なんと親指が、アマテラス様とスサノヲ様を
つれて来たというのです
まだ月と太陽が重なっていないにも関わらず、
兄弟の身体を心配して来たと
ツクヨミ様もとても喜んで、お二方を迎えました
スサノヲ様は一見気が荒そうな方でしたが
芯の通った立派な方でしたし、
アマテラス様は天上を治めてると聞くだけあって
慈愛に満ちた素晴しい方でした
スサノヲ様が今までの行いにより地上に降とされ、
反省の暁に、民を困らす巨大な大蛇を倒した冒険活劇を話したり
アマテラス様が今の月に足りないものを教えてくれたり
過去の自分達の過ちを肴にして、笑いあい、憂いあって
その時間は見ている私達まで微笑ましく思えるものでした
やがて次の日が来ると、お二方はまた今度、と
天上に、地上に帰っていきました
ツクヨミ様は仰いました
私は、やはり幸せになりすぎたな、と
もう、ツクヨミ様は限界でした
多分、あのお二方はこのこともわかって来ていたのでしょう
私は家族を皆、ツクヨミ様の前に集めました
ありがとう、私はツクヨミであってよかった
たった一言、ツクヨミ様は笑い、
どこにも居なくなってしまいました
いえ、私がお傍に居ます
私 の 力 で
永 遠 に 』
――カチ、カチ、カチ、カチ
ふと、奇妙な音が私の頭に響いた。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「……時計の音?」
どうも上から聞こえてくる。
何かと思って上を見上げると、
人が、十字架に磔にされていた。
「――ッ!?」
私は目を見開く。
磔にされているのは長い銀髪の少女で、蒼いローブを纏い、胸に何かを抱いていた。
――銀に輝く時計。
しかしその時計の針は全く動いていなかった。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「何の音なの、これは」
耳を塞いでも時計の音は聞こえ続け、私を悩ます。
辺りを見回しても、音を発してるようなものは無く、
耳障りな音の原因は掴めない。
「……うう、痛い、痛いよお」
「チーフッ!?」
謎の音が頭の中で幾重にも響き合い、
頭痛にも似た痛みが走る。
痛みに頭を抑え膝を着くと、誰かが私に駆け寄ってきた。
声が聞こえた方に顔を上げても、視界は酷く歪んで仲間の誰かさえも判別出来ない。
「時計、時計を止めて」
「と、時計……? 何の事ですか!?」
「聞こえ、ないの? この、カチ、カチ、カチ、カチって、音、が」
「おい、皆! チーフの様子が変だぞ!」
――カチ、カチ、カチ、カチ
私の視線の先にある床を棒状の何かが通り過ぎる。
それは影で、影を辿ると月記の書かれていた柱から伸びていた。
人工的な明かりがあるのにも関わらず、その光には左右されず、
規則正しく、影の先端が部屋を周回するように動いている。
影が少し動く、頭の中でカチ、と鳴る。
影が動き続け、頭の中ではカチ、カチ、カチ、カチ、と鳴り響く。
「あった、と、けい」
それは部屋の中央にある柱を起点に針が回る巨大な『時計』そのものだった。
目の前を再び通り過ぎる影を手で押さえる。
が、針は我関せずと動き続ける。
仲間達が何かを言っているが、何も聞こえない。
もう、針の音しか聞こえない。
思わず手をついた柱から、針ではない『音』が聞こえた。
――時計を壊せ。
「どう、やって……?」
私は柱に聞き返した。
――銀時計を、そうすれば
私は聞き終わる前に仲間の手にある電灯を引ったくり、
無我夢中で柱の上に磔にされている少女に向かって投げつける。
電灯は少女の手に当たり、
カランと音を立てて銀時計が、ガシャンと音を立てて電灯が落ちた。
私は落ちた電灯を拾い上げ、高く高く振りかぶり、
――銀時計に力の限り強く叩きつけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
叩きつける一瞬、世界が灰色に染まった。
しかしそれは本当に一瞬で。
銀時計は割れ、
耳障りな時計の音は最後の残響を残して無くなった。
私はへたり、と座り込み、仲間達に目を向ける。
「チーフ! 大丈夫ですか!」
「ええ、大丈夫」
徐々に視界も戻ってくると、私は壊した銀時計を拾い上げ、
表、裏と銀時計を見ても何の遜色も無い、普通の時計だった。
しかし、突然ごぽっ、と紅い何かが時計から溢れ出した。
「わっ」
つい驚いて時計を落としてしまったが、ごぽごぽと紅は流れ続ける。
何なのかは解からない、だが淡く光るそれは血ではないのは確か。
私は真っ赤に染まった時計を再び拾い、
仲間達がその光景を見てざわざわと騒ぎ出す。
「な、何ですかその時計!?」
「分からないわ、でもあの少女が抱いていたのよ」
「少女?」
私は十字架を指差すも、仲間達は頭に”?”を浮かべるだけだった。
「どこに?」
「え……?」
――いない。
少女は十字架を残して忽然と姿を消していた。
あの少女は何者だったのだろうか。
「なんにせよ、ここは危険です。戻りましょう」
「……そう――!?」
私が返事をしようとした時、また視界が灰色に染まった。
今度は一瞬などではなく、灰色のまま。
誰も彼もが動かない世界。
「今度は何なのよ……!」
――カチ、カチ、カチ、カチ
また、『あの音』が聞こえてくる。
私は柱を見たが、巨大な方の時計は動いていなかった。
――カチ、カチ、カチ、カチ
聞こえてくるのは手元から。
手にあるのは壊れた血の懐中時計。カチ、カチと捻れた針が動いていた。
――ツクヨミ様……ずっと、お傍に
「!?」
視線を戻すと、目の前にいつの間にか磔の少女が居た。
銀の長い髪に、長い前髪の間から、真紅の瞳がちらちらと見える。
灰色の世界で私と彼女、そして銀時計だけが動いていた。
私は思わず後ずさりをすると、彼女はその分だけ近付く。
ジリジリと後退すると、やがて背にトン、と何かが当たり、石の質感が感じられた。
……柱だ。
「ツクヨミ、様」
ぼんやりとした瞳。
彼女は掠れる様な声で、私の手にある銀時計に手を伸ばしてきた。
「ずっと……お傍にいると、約束しました……」
「あなた、まさか……」
「何故、私の元から、離れていくのですか……?」
一歩一歩、こちらに向かってくる彼女に私は立ち尽くすしかなかった。
彼女の瞳からは涙が溢れ、唇はふるふると震えている。
私は理解した。
この子は『小指』で、この灰色の世界でツクヨミとずっといたのだと。
彼女の言う『ずっとツクヨミの傍に居られる力』とは、『時間の停止』だと。
私の手にある銀時計そのものがツクヨミなのだと。
「また、名前で呼んで下さい、あなたと隣り合う、あの名前で」
ごぽ、と銀時計……いや、ツクヨミからまた紅が流れ出した。
何かを伝えようとツクヨミが喋っているのだろうか?
「……『イザヨイ』」
ふと、口から勝手に声が出た。
「ツクヨミ、様?」
『声』に私は驚いたが、目の前の少女の方がもっと驚いた様子だった。
私は慌てて口を塞ぐも、『声』は止まない。
「もはや時は戻った」
「ツクヨミ様、私はあなたのお傍に居るのが役目です」
「私という器はとうに消え失せ、残った意思をお前がこの銀時計に無理矢理封じ込めたに過ぎない」
「……でもっ! あなたはここにいる!」
「私はこの女性の器を一時的に借りてるだけだ」
グシャリ、と私は紙細工のように銀時計を握り潰す。
もちろん私の意志ではない。
ツクヨミがそうさせているのだ。
溢れ出す『紅』。
「辛いか、イザヨイ。私が居なくなるのが」
「私は、あなたが居なければ駄目なのです」
「終わらそう、お前の悲しみを」
――私が、お前を壊す事で全部
「止まった時の中でずっと考えていた」
そっと私はイザヨイの涙が流れ続ける頬を撫でる。
「お前と過ごした幸福な時間、それに見合う不幸。
差し引く不幸としてお前を壊す事で、全て虚となる」
「ツクヨミ様……」
「お前が居た事で全部が始まり、お前が居なくなる事で、全部が終わる」
ははは、と私は自嘲気味に笑う。
「なんだ、結局私には最初から無しかないじゃないか」
「いいえ」
イザヨイは、溢れる涙を抑えようともせず、ニコリと可愛らしく微笑んだ。
「あなたには私がいます」
「……すまない」
「そんな言葉、あなたには似合いません」
「……そうだな」
――ありがとう。
私は、ゆっくりと、イザヨイに手を……
「……ぬ?」
動かない。
いや、動かさせない。
これは、私だけが出来る最後の抵抗。
「邪魔をしないで欲しいのだが」
……ふざけないで!
こんな、こんな最後なんて私は認めない!
魔法は、人を不幸になんて絶対にしない!
たとえ、それが神であっても!
「本当に幸福に出来るなら、今も月には魔法はある。
無いのはイザヨイの行いを見た他の子らがあえて封印したからだ」
あなたはこうして生きていた、
イザヨイもこうして生きていた!
十分じゃないの!
……まだ幸福は終わっていない!
「陳腐な言葉だな……何故、赤の他人がそう必死になる?」
私がずっと追い求めていたものが、
こんな、結末なんて!
「だが、私もこうしてずっとそなたに宿るわけにいかない」
構わない。
「たとえそなたの意思が無くなろうともか?
人の身で私を、神を背負うか?」
いいわ。
ずっと追ってきた夢物語、虚空で終わらせない。
絶対に……!
「……ふん、我が子孫ながら、諦めが悪い」
「……ツクヨミ様?」
「イザヨイ、
お前を壊すまでの考えに至るのに数百年、
壊すのを決心するのに千数百年。
その時を待つまで数千年。
……ここで、私が揺らぐか……」
ふっ、と手から力が抜ける。
「イザヨイ、やはりお前に聞こう。
私は、これ以上の幸福を願ってもよいのだろうか?」
月記に書かれた状況がデジャヴする。
「……っ勿論です!」
イザヨイは大きく首を縦に振った。
「そうか」
私は、ツクヨミは安心したように息をつく。
「ツクヨミ様、私も聞きたいです。
私は、これからも幸福を願ってもよいのでしょうか?」
「勿論だ」
なら、
――貴女の『時』は私の物だと誓ってもらえるか
――貴方の『時』は私の物だと誓ってくれますか
魔法という名の幸福は終わらない、いままでも、これからも、ずっと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「その後、ツクヨミは私に意思と力を預け、私達は灰色の世界から戻った」
少女は胸に手を当て、ぎゅっとローブを握り締めた。
「私はこの身に『神』を宿したわ」
「まさか、ありえない」
「『ありえない』なんてこの世界の何処にも無いわ」
少女は断言する。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「ふふ、いつか『私』は消えるかもしれないわね。
いえ、もしかしたらもう『私』はすでにいないのかも」
彼女は儚げに微笑み、
その表情に後悔の色は無かった。
「それでも構わない。私の追い求めたものが無駄でないのなら……」
「でも、なんであなたがこの牢ににいるの?」
「月に居る訳にいかないからよ。
私達の先祖がツクヨミのようなことが二度と起こらないように
全力で伝承を阻止したのに、こうも掘り返されちゃたまったものじゃないでしょう?
向こうが何かしら手段をとる前に、私達は月から離れるわ」
「どうやって?」
「適当にひと暴れしてドサクサ紛れに地上へ逃げる」
「…………」
先程とは打って変わってニッコリと笑いつつ言う姿は
とてもそんな事を行うようには見えなかった。
地上に行くための装置は確かこの付近、
カグヤの居る『特別牢』の付近にあるはずだった。
「後のことは全部仲間達に託したわ。
研究は実質上『打ち切り』……」
「よくそんなの通ったわね」
「こう、目の前で手を組んでお願いのポーズで。
ちょっと上目使いに目を潤ませるのがポイントよ」
「……いい仲間を持ったわね」
「全く、ホントにね」
少女はクスクスと笑う。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「貴女にはいない? そういう、誰よりも信頼できるひと」
「そうね、1人だけいるわ」
「聞かせて、貴女の『記憶』。ツクヨミもイザヨイもきっと聞きたがってる」
「……いいわよ」
私は、カグヤとの思い出を夜が明けるまで話した。
出会った時の、教育の時の、初めて笑い合った時の、遊んだ時の、
悲しんだ時の、後悔した時の、禁忌に触れた時の――
――カチ、カチ、カチ、カチ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私の釈放期限一杯まで私達は話し合った。
やはりあの時もう少し監視員を殴っておくんだったな、と思えるほどに楽しい時間。
しかし、どうやっても時間は止まらない、戻れない。
それはここにいる全員が痛いほど知っていることだった。
やがて、その日が来る前の夜、私はシンキにある『お願い』をした。
「……いいわよ」
「ごめんなさいね、無理言って」
「いいわよ、ついでみたいなものだし」
シンキは承諾してくれ、私はある言葉を告げた。
――カチ、カチ、カチ、カチ
― 次の日の朝 ―
「永琳様、こちらへ」
「ええ。じゃあね、シンキ、イザヨイ」
「またいつかね、永琳」
――カチ、カチ、カチ、カチ
『また今度』
私達は笑顔で別れを告げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
― 八意 永琳釈放、その数日後 ―
「シンキ、お前に手紙が――」
忽然と、シンキは姿を消していた。
「ッいない!? おい、誰か! 脱走者だ!」
監視員は一枚のメッセージカードを落とし、
急いで守衛室へと向かった。
カードの送り主は八意 永琳。
メッセージはただ一言、
『貴女に幸多からん事を』と。
― 特別牢 ―
「なんだか外が騒がしいわね」
永琳と別れてそこそこの日が経つも、カグヤは依然元気そうだった。
むしろ監視員をからかったりと、そこそこ牢生活をエンジョイしていた。
勿論、友達と会えないのは淋しいが、
カグヤはいつかきっと会えると信じていた。
これからもっと、少なくとも十年近くは会えないのだから、
このような所で『飽き』が来ては永遠を生きるなんてとても出来ないだろう。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「はぁい、カグヤ姫様」
「? 誰?」
いつの間にか音も立てずに牢の前に少女が二人、立っていた。
一人は紅いローブを着た薄蒼い髪で、腕に人形を抱いており、
もう一人は銀色の髪で、ボロ、というより包帯をつぎはぎした様な衣服を纏っている。
「あら、もう少し驚いてくれると思ったのに」
「あ、ごめんね……ってこの騒ぎは貴女?」
ぷう、と目の前の少女は膨れっ面になり、
カグヤは少し微笑ましくなりつつも、とりあえず謝っておいた。
「ええ、ちょっと用事がね……。
ついでにご近所さんから貴女へ言付けよ」
「ご近所……?」
「八意 永琳からの言付け、とくと聞きなさい」
「永琳から!?」
途端、カグヤは身を乗り出して話に食いついてきた。
カグヤの声を聞きつけたのか遠くからバタバタと慌しい音が聞こえてくる。
「ちょ、落ち着きなさいよ。……ごめん、イザヨイは監視員の相手してて」
「御心のままに」
紅服の少女が指示すると、銀髪のイザヨイと呼ばれた少女は音も無く消え、
――程なくして、誰かの悲鳴が断続的に続いた。
「……うん、これでいいわ」
「ねえ、はやく聞かせてよ」
「もう、せっかちさんねえ。そんな大それた言葉じゃないわ」
「いーいーかーらー!」
「わかったわよ、もう」
カグヤは鉄格子を掴んでガシャガシャと揺らし、
待ちきれず、すぐにでも聞きたいという様子だった。
「『いつもありがとう、カグヤ。また会いましょう』……はい、伝えたわよ」
「……それだけ?」
「ええ。じゃ、伝えたわよ。イザヨイー! 戻ってきてー!」
「ここに」
思いのほか簡素だった親友の言葉に半ば呆然とするカグヤを放って、
紅服の少女はイザヨイを呼ぶ。
すると、また音も無くイザヨイと呼ばれる少女が姿を現し、
その手には刃物が握られており、少しばかり血らしきものが付着していた。
「じゃあねー、お姫様。縁があったら地上で会いましょう」
「えっ!? ねえ、他には無いのー!」
すぐさま脱兎のごとく二人の少女は駆け出し、向こうの角へと曲がり――
「『処刑は痛いのは一瞬ですよ』って言ってたわよー!」
角からひょっこりと顔を出し、それだけ言って
今度こそどこかへ行ってしまった。
「…………何だったのかしら」
カグヤは首を傾げたが、答えが出るわけでもない。
まあ、永琳が何時も通りに戻ってるみたいだからいいかな。
と、とりあえず結論だけして、後の事は監視員達に任せて、
自分は適当に『何があったのか知らない』ふりでもしていることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私達は言付けも済まし、地上へ行く為の装置の所まで来ていた。
「イザヨイ、追っ手は?」
「いません。上手く撒いたかと」
「そう……」
古びた大きい装置を前にして、軽く深呼吸をする。
「もう、月には戻って来れないわ、いい?」
「私はツクヨミ様に従うまで」
私はイザヨイの返事を聞くと
装置に手をかけ、作動させた。
ブウン、と主電源が点灯し、しっかり動くことを確認する。
「よい! いける!」
「……? ツクヨミ様、誰か……来ます!」
「ええっ!?」
せっかくいいところなのに一体誰だ、全く。
まあ、イザヨイならここの監視員ぐらい――
バキリ、と予想外の方向から何かが砕ける音がした。
それは『真上』。その何もない空間。
空間を破って、二人分のシルエットが見える。
「おやおや、『聖者は十字架に磔にされた』は飽きたのか」
「……私達に黙って行かせはしないよ、『小指』」
すとん、と床に降り立つと、その全貌が現れた。
その姿はが私達が良く見知った人物。
「『親指』、『人差し指』!?」
「おおや、覚えてた」
「ついこの間まで『停まって』たんだから『小指』にとっては久しぶり程度なのでしょう」
黒い聖衣を身に纏った金髪の夜の管理者『親指』と、
白い聖衣を身に纏った銀髪の民の管理者『人差し指』。
「何しに来た!」
イザヨイは敵意を露にして剣を構えるが、
対する二人は敵意が無いと示すように両手を上げた。
「そう邪険にするな。別に止めに来た訳じゃない」
「新しいツクヨミ様に挨拶に来ただけだ」
ニ人の視線がいまいち事態の飲み込めていない私に集まる。
「わ、私?」
「お戻りになられるのをお待ちしておりました」
そう言うと、二人は頭を垂れる。
私とイザヨイは困惑した。
てっきり引き止めに来たものと思っていたのに、そんな気配は全く無いから。
「……引止めに来たんじゃないの?」
「何を言う『小指』、いや『イザヨイ』。ツクヨミ様が望むことにどうして我らが口出しできる」
「私達はただのお見送りとそこの装置の操作に来ただけだ」
確かに、今気付いたがこの装置は外に誰かいないと操作できないものだった。
気付かなかった自分も自分だが。
「それと、私達の新しい名前を呼んで欲しくて」
「アマテラス様とスサノヲ様から戴きました」
……なんだ、結局全て杞憂だったんじゃないか。
私と、私の中のツクヨミは揃って苦笑いをした。
「いいわよ、教えて頂戴、彼方達の新しい名前」
目を輝かせる子供達に、私は微笑んだ。
きっと、これからも『魔法』は続くだろう。
永遠に。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……行ったね」
「ええ」
しん、と静まり返る部屋の中、残された二人の子供達は
名残惜しそうに二人が旅立った跡を見ていた。
「いつか、私も地上へ行こうかしら」
「月は誰が見るのよ」
「それもそうね」
ふふふ、と二人は笑い合う。
「『中指』も『薬指』も子孫を残してどっかに行っちゃったしね」
「『カグヤ』と『永琳』でしたね、今の子孫は」
「あ、カグヤは今ここにいるみたいよ」
「それはまた」
『楽しそうね、月の神様?』
突如、何処からか聞き覚えの全く無い声が聞こえた。
『この様子なら月の侵略も楽かしら。なんてねぇ、クスクス』
「誰!?」
「『サリエル』! 装置からだ!」
見ると、地上に行く為の装置にぱっくりと裂け目が出来ていて、
中から無数の瞳がこちらを覗いていた。
『地上からの侵略者よ』
にゅっ、と何か、棒状のようなものが裂け目から姿を現す。
――それは、古臭い卍傘で、月には無い代物だった。
「ッ! ムーンライトレイ!」
『スパーク』
言い知れぬ殺気にいち早く反応した『親指』が光のレーザーを放ち、
それとほぼ同時に傘の先端からもレーザーが放たれた。
光と光がぶつかり合い、その衝撃で『親指』は壁まで吹っ飛ぶ。
「『ルーミア』!」
「ゴホッ、サリエルッこの部屋を隔離して! 急いで!」
煙がもうもうと立ち込める中、ルーミアはサリエルに向かって叫ぶ。
『あらあ、あなた強そうねえ』
『幽香、いきなりそんなの撃たないでよ。スキマが歪むわ』
『うん、着いた?』
ぐにゃり、と裂け目が広がり、三人の『何か』が出てきた。
「あはははははははっ! こんにちは! 悪魔が笛を吹きに来たわよ!」
緑の髪、赤いチェックの服の悪魔。
「悪いわねえ、あなた達がこの変てこな装置を使ってくれたおかげで月と地上が完全に繋がったわ。」
金の髪、紫のドレスを着た妖怪。
「ふふ、月にはどんな料理があるのかしらね。龍料理?」
桜色の髪、蒼い和服を着た亡霊。
その三人を筆頭に、ぞくぞくと妖が出てくる。
「何をしに来た!」
ルーミアは片手で空間を砕き、
中から現れた漆黒の大剣を手に取り、構える。
「言ったでしょ、侵略戦争。ま、私は強い奴を潰せれば何でもいいんだけどね」
悪魔も嬉々として卍傘を構える。
「悪魔と天使? 妙な取り合わせねえ」
「紫、私達もそう大差ないわよ」
残りの二人は高みの見物、と文字通りに高い場所で裂け目に腰掛けていた。
「……出来れば争いは避けたいんだけど」
「あなた達が大人しく月を明け渡したらね」
サリエルは術を行使しながら、二人に話しかけるも、
向こうは最初から温和に解決するつもりはないようだ。
「そう……ルーミア、出来たわ! ここはもう密室よ!」
「おおおおおおおおっ!」
サリエルの声を聞くないなや、
ルーミアは妖の群れへと突っ込んでいき、
サリエルも何処からか取り出した純白の杖を手に、
ルーミアの後を追うように妖の群れに向かっていった。
― 幻想月面戦争、開始 ―
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ん……? ここ、は?」
打ち捨てられた、古戦場。
周りには、誰もいない。
お気に入りのアリス人形も無かった。
長いこと、『私』は歩いた。
歩いて歩いて、時々名前を呼んで。
「はぐれた、のかな」
いくら歩いても、名前を呼んでもイザヨイはいない。
私は寂しくなり、打ち捨てられた一本の剣を手に取った。
寂しくならないように、あの時と同じように。
剣に命を与え、人の型にした。
イザヨイの事を忘れないように、
あえて正反対の見た目にした。
「あなたの名前は?」
「シンキ様の剣です」
「あなたの役目は?」
「シンキ様のお傍に」
「名前をあげる。『剣』じゃ味気ないでしょ」
「そうですか?」
「そうねえ、”夢の始まりの子”、夢子よ」
いつかきっとイザヨイにまた会える。
それまでいつでも待とう。
だって、貴女の時は私の物なのだから――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…………」
「あら、面白いモノが『降ってきたわ』」
紅い、大きな屋敷の前。
「美鈴。コレ、うちの新しいメイドね」
「な、なんですかこのボロ雑巾みたいな人間」
「いいから。名前はイザヨイ……『十六夜 咲夜』よ」
ピクリ、と『十六夜 咲夜』は僅かに動いた。
「また運命でも覗いたんですか?」
「さて……どうかしら」
紅い悪魔は微笑む。
その顔はとても残酷な、悪魔らしい笑みだったという。
(了)
― 『ああ、そうそう。ここに来る途中、すれ違った二人だけどね……』 ―
― 『一人を過去に、一人を未来に飛ばしといたわ』 ―
※多少儚月抄ネタが含まれてますが、気にしない程度のものです。
※神話捻じ曲げてます。
千年以上前、月でのこと――
禁薬、蓬莱の薬の精製及び服用がばれてしまい、
捕らえられてから数日。私と姫様の処遇が決定した日。
同じ事をしたというのに私は無罪で、姫様は処刑。
暗い牢の中、私は申し訳ない気持ちで一杯だった。
「大丈夫、永琳。私はもうどうやっても死なない体なんだから」
「こんなの不毛です! 姫様だけ処刑で、私は無罪と……」
「それは貴女が月に必要とされてるから」
私は唇を噛み締めた。
姫様に近付けたのは八意の名のおかげだ。
なのに、今はその八意の名のせいでこんなにも苦しい思いをしなくてはならないと。
「永琳、これから私はどうなると思う?」
「これから……」
「あなたが頭いいのは誰よりも理解してるつもりよ。ねえ、教えて」
「……わかり、ました」
精一杯頭を働かせ、これからの事をシュミレートする。
過去の例、月の刑罰、姫様の罪の重さ、身分――
今までにない特例中の特例だが、お偉方の考えることなぞたかが知れてる。
『扱いに困った時には捨てる』だ。
となると――
「――出ました。『穢れた地上に追放』です」
「そう……期間は?」
「恐らく十年程」
「短いわね」
「そんな、短いなんて」
「永遠の生を手に入れたのよ? 短いわ」
「そう、ですね」
姫様は何故ここまで気楽なのだろう。
いや、もしかしたら私に余計な気負いをさせないために、
無理矢理気楽に振舞っているのではないのだろうか?
「姫様、貴女は」
「もう、名前で呼んでよ。私達、友達でしょ」
まだ姫様は私の事を『友達』と呼んでくれる。
それが嬉しくもあり、辛くもある。
「……カグヤは辛くないの?」
「…………」
「私は……辛い」
カグヤの綺麗な黒髪を撫でる。
もう、こうやって髪を梳く事も無いだろう。
例え十数年後、月にカグヤが帰ってきても二度と引き合わされ無いだろうから。
「友達に、カグヤに会えなくなるのは、辛い」
頬に触れる。するとカグヤの目から涙が流れ、私の手に触れた。
「永琳、私も辛い」
「カグヤ……」
私は涙を指でそっと拭ってやった。
「後悔、してる?」
「してない」
カグヤははっきりと答える。
「永琳は?」
「さっきまで少し。でも今はしていません」
私は正直に答えた。
事実、先程まで姫様のお願いとして蓬莱の薬を作ったことに後悔していた。
もしその時、是が非でも断っていたらこんな辛い思いをしなくて済んだから。
だが、過去は変えられない。
あれがもし間違った選択なら、これから最良を選び続ければいいのだ。
今の最良の選択は『後悔しないこと』。
「永琳、約束してくれる?」
「何?」
――私達は永遠に友達だって
「……カグヤ」
私の考える、最良の返答は――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「じゃあね、永琳」
「はい、姫様」
やがて、処刑の日が迫ると、私達は別々の牢へと移された。
直前に監視員の小言を聞き取って分かったが、カグヤは処刑場の見える『特別牢』に移され、
私は無罪とは決定してるものの月の上層部の体面からか重罪人が行く牢に移されるらしい。
その際、カグヤには両腕が使えないように拘束具が付けられたが、
私には何も付けられなかった。
「永琳様。これ以降、接触の機会は与えられません。よろしいですな」
「それはつまり、処刑に立ち会うことも無いと?」
「ええ」
「……わかりました」
これでしばらくの別れか、とカグヤを見ると、
やはり淋しそうな顔をしていた。
私もきっと同じような顔をしているに違いない。
「カグヤ様も、よろしいですか?」
「構いません」
「……では、移送を開始します」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カツ、カツ、カツ、カツ――
「それにしても、永琳様。災難ですね」
「……何がですか?」
牢に向かう為、監視員の男についていく途中、男にいきなり話しかけられた。
恐らく気を使っての事だろうが、永琳はもう後悔をしてないのでむしろ余計なお世話だった。
「カグヤ様に無理を言われて禁薬を造られたのでしょう」
「…………」
「このような事になって永琳様もいい迷惑――」
「ちょっと、あなた」
「は――」
ボキ、とおおよそ人体によくない、嫌な音が鳴った。
永琳が振り向いた男の鼻っ柱を思いっきりぶん殴ったからだ。
男は訳が分からない、と言った表情で鼻を押さえてうずくまり、
永琳は冷やかにそれを見下す。
「――ッ!?」
「あれはカグヤも私も望んでやったことなの」
殴った拳を開いて二、三度手を振る。
思わず力が入り、強く殴りすぎたらしい。
永琳は気分が幾分かすっきりしたものの、
移送中に監視員を殴ったせいで騒ぎが起こり、永琳の牢の生活が少し伸びる羽目になった。
「永琳様が監視員を殴ったそうだ。鼻の骨が折れたらしい」
「ん、大方あいつがデリカシーの無いことでも言ったんだろう」
「あの温厚な永琳様が鼻っ柱折るほどか? そりゃ酷い」
「いや、人は見かけによらんと言うだろ。女性で天才となると何するか……」
「なるべく刺激しないように気を付けないとな」
(永琳ったら……)
牢の中に入った直後に聞こえてきた会話に、
カグヤは友達の行く末がちょっと心配になった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここが永琳様の牢です」
結局、先程の男とは別の監視員が永琳を案内することになった。
私としてはできればあの男をあと二、三回殴っておきたかったが、
警備員が割り込んできてそれは叶わなかった。
数分後、今度は特に何事も無く牢屋に着いた。
牢内は薄暗いものの、そこそこ片付いていて居着くのに特に不自由はしなさそうだ。
古びたベット、机、椅子。
机の上には小さい電灯があり、いくつかの本が入った棚もある。
「あら、これうちの私室にある本じゃない」
手に取ってみると分かったが、
本棚に納められている本は自分の所持している研究所にあった物だった。
「はい、『地上の監視者』の方が見繕って持ってきたようです。『綿月』、といいましたかな」
「ふうん……後でお礼を言っとくわ」
手に取った本をパラパラと捲り、暇潰しになりそうと判断する。
私は心の中で少しばかり知り合いの『地上の監視者』に感謝した。
少し時間が経ち、監視員が大体のここでの生活の説明を始めた。
「では、私はこれで」
「ご苦労様」
説明が終わると、監視員は別れの挨拶もそこそこに
ガシャン、と色気の無い音を立てて牢の入口が閉じられ、
わざとらしく靴音を響かせながら向こうへと帰っていった。
「……ふう、本でも読みましょうか」
私はとりあえず時間を潰す為に一冊の本を手に取り、
椅子に腰掛けて読み始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
本を読んでいる途中、ふと誰かの視線を感じた。
私がゆっくりと顔を上げると、
向かいの牢に別の人間がこちらを物珍しそうに見ているではないか。
「…………」
恐らく他の囚人だろう。
ここの牢は重罪人が集まる場所らしいが、
私はここ最近大きな事件や事故は聞いていない。
ならだいぶ前からここにいるのか、はたまた裏の人間か……
「誰?」
私は一旦本を閉じてその人物に話しかける事にした。
その人物は紅いローブを着ていて、薄蒼い長めの髪が暗闇にちらちらと見えた。
「あ、ごめんなさい」
話しかけると、女性らしい綺麗なソプラノの声が返ってきた。
しかし、その人物はそそくさと暗闇に引っ込んでしまい、
一瞬だが蒼い髪の間から少女らしき顔が見えた。
何故このような場所に少女が?
と私は不思議に思い、同時に興味を持った。
「別に気にしてないわ。で、貴女は誰?」
もう一度話しかけると、暗闇の中からひょっこりと少女が顔を出した。
「な、名前はあんまり言いたくないかな」
「ふうん……」
名前を明かしたくない……となると相当な名家の出身なのだろうか。
しかし、私の記憶のどこにも彼女のような人物はいない。
……となると、私を警戒しているのか。
「私の名前は八意 永琳。禁薬とされる『蓬莱の薬』を造り、服用した罪でここに来たの」
なら自分の事を先に話すのが一番だろうと、
目の前の少女に素性を明かすことにした。
「八意……?」
途端、少女は訝しげな目で私を見る。
薬の天才の家系である『八意』の名は伊達じゃない。
「なんでそんな有名人がここに?」
「言ったでしょ。月の禁忌に触れたの」
「禁忌……まさか、いや」
少女は口に手を当てて驚いていた。
やはりこの少女、だいぶ前からここにいたらしい。
「私も月の禁忌に手を出しちゃってね。かなり前からここにいるの」
「どんな?」
今度は私が驚く事となった。
まさか他に月の禁忌に辿り着く人間がいたとは思いもしなかったからだ。
しかもこのような少女が、だ。
私が質問すると、少女は顎に手を当てて数秒、考える素振りを見せた。
……それにしても、いちいち何をしているかわかりやすい子だ。
「んー、まあどうせ一生出られない予定の身だし、話してもいいかな」
終身刑とは……この少女、一体どんな禁忌に触れたのだろう。
ますます私は興味を持った。
「えっと、まずは月の古代文明は知ってる?」
「ある程度は」
牢屋越しに少女が語り始めた。
私は記憶の引き出しを探り、相槌を打つ。
「じゃあ古代の魔法の存在は知ってる?」
魔法。何のことは無い、古びた月の記憶。
「ああ、時代から削ぎ落とされたって噂のね。
……そもそも物的証拠が少ないから謎が多いと聞くわ」
「そこまで知ってるなら十分ね。なら色々説明しなくていいか」
少女はうーん、と唸る。
恐らく次に話すべきことを考えているのだろう。
十数秒、たっぷり考えた後、少女は口を開いた。
「……私はその『古代魔法』を研究する人間なの。
まあ、昔いらなくなった物をわざわざ発掘するような研究だから賛同者は少ないんだけどね」
「なるほど。で、貴女はその『古代魔法』の禁忌に触れたのね」
「うっ、順を追って言おうと思ったのに……」
私がズバリ言うと、少女は眉根を寄せ、渋い顔になった。
つくづくわかりやすい子だ。
「……そう、あれは何年も前の話。研究が停滞してて、
新しい手がかりを探そうと、月の遺跡に私達はたびたび足を運んでたの」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
― 数年前、月の遺跡 ―
「チーフ、やっぱりここは調べ尽くされてて何もありませんよ」
「そうは言ってられないわよ。
もしかしたらそこの壁の染み一つに何か手がかりがあるのかもしれないし」
私達は月の遺跡に来ていた。
最近停滞気味の『古代魔法』の研究の推進剤を探す為だ。
そこはもう何十回と訪れた遺跡なのだが、
私には『ここには何かある』という勘があった。根拠は無い。
「何か違うのよね……今回はもう少し奥へ行きましょうか」
「やめましょうよチーフ、呪われますって」
私が奥に行こうとすると、仲間達が口々に止めようとした。
事実、この遺跡ではよく”呪われて変死した”などという噂があったが、
それぐらいで恐れていては探求者の名が廃る。
「なによ、皆意気地なしねー」
「そういうチーフだって、
この間足場を踏み外してちょっと怪我しただけで半べそだったじゃないですか」
どきり、と私の心臓が跳ねた。
まさかそんな痴態を見られていたとは。
「あ、あれはね……予期しないことがあってね……その」
「怪物とか出るかもしれませんよ? 番人の一体や二体潜んでてもおかしくない」
「うう……でも行きたいのよ」
目の前で手を組んでお願いのポーズ。
これで落ちない人間はいないと私は自負している。
ちょっと上目使いに目を潤ませるのがポイントだ。
勿論、自負しているだけあってすぐに効果が表れた。
「あー、もう、行けばいいんでしょ、行けば」
「チーフいっつもそれで誤魔化すよなあ」
「しょうがないじゃない。チーフだもの」
仲間達は諦め気味にガシャガシャと機材を集め始める。
「ごめんね、皆。私の我侭に付き合わせて」
「分かっててするんだもんなあ」
――私達は、奥へ、奥へと進んだ。
途中、私がちょっとした物音で仲間達の影に隠れたり、
段差に躓いただけで半べそをかいたり、
果ては私が持っていた電灯が燃料切れを起こしただけで大声を出したり――
全く持っていい所は無かった。
「チーフは本当に臆病だなあ」
「そ、そ、そんなこと、な、ないわよ」
恐さのあまり、思わず抱きついた仲間の内の一人にそんな事を言われたので、
私は真っ赤になって反論した。噛んだせいでますます顔は真っ赤になったが。
「大丈夫ですよ、チーフは何が起こっても生き残る人だもの」
「な、なんで?」
「そんなタイプなんですよ。たとえどんな状況でも誰かが必ず護ってくれる」
「そうだな。なんというか、こう……ホントに誰かいなきゃ生きていけなそうだもんなあ」
「うう、酷い……」
「でもその分、護っている人は勇気が出るんです。
今だってチーフがいなければ、臆病な我々がこんな奥まで来れませんよ」
「チーフがいたから私達はここにいる。それだけは忘れないで下さい」
「…………」
私は、初めて仲間達の前で泣いた。
でもすぐに涙を拭った。
「……私も、皆がいたからここにいるんだからね!」
そう言い、私は一番先頭を突っ切って歩き出した。
「あうっ」
「チーフ……」
直後、私は段差に躓いてしまい、
なんとも言えない空気になってしまったが。
ー それからしばらく後 ー
「見てください、石版ですよ」
「確保して。なるべく慎重にね」
「これは……瓶、ですかね」
「開けないでね。それも確保」
進みに進んで、着いた場所は、まさに研究の推進剤の宝庫だった。
少し大きめの部屋で、部屋の真ん中に巨大な支柱が一本、
辺りには色々なものが散乱し、支柱には文字が刻まれていた。
番人もいない。罠も無い。そして全員無事という最高のコンディション。
私は仲間の言葉を軽く聞き流しながら、柱に刻まれた古代文字の解読に懸命だった。
「月讀命……『ツクヨミノミコト』?」
この『古代文字』とは、地上の言葉で書かれており、
地上の文字、というのが賛同者が少ない理由の1つであった。
一般的に月では『地上は穢れている』とされ、
そのことから地上を嫌っている者が月ではほとんどを占めていたからだ。
私はそんなのは差別主義だと思うが……洗脳教育とはそういうものなのだろう。
では何故、遺跡に地上の文字が使われているのか。
それは月にいた最初の1人が地上に由縁のある、
『ツクヨミ』と呼ばれている神だったからだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「待って」
「……何? せっかくいいところなのに」
私が話を割るように止めると、少女は口を尖らせた。
というか1研究分野のリーダーである辺り、
少女に見えるが実はもう成人なのかもしれない。
それでも少女、と言った方がしっくりくる。
まあそれはさておき。
「『ツクヨミ』の話は知ってるわ。……『ヤゴコロ』は『ツクヨミ』と縁があるし」
「あら、そうなの?」
「うちと縁があるというのは一部の人間しか知らないわ」
頭の中でこの少女が話したことを反芻する。
遺跡、魔法、、古代文字、ツクヨミ――
私自身の記憶、私見を交え、言葉が連鎖するように繋がる。
結果、出た結論は――
「『魔法』って……創造のこと?」
私がそう聞くと、少女はキョトン、とした顔になった。
当たっているかはともかく、私は仮説を述べる。
「月の民の原初は『ツクヨミ』。……だけれども、『ツクヨミ』自身にそんな力は無い。
あるのは『夜の支配』、それと『暦や月齢を読み、暦や時を支配する』ぐらい」
カグヤにも『永遠と須臾を操る程度の能力』と、時を支配する力の名残がある。
月の民の正当な家系であるから、いわゆる先祖返りなのだろう。
「――なら、『ツクヨミ』はどうやって月の民を創り出したのか?
それが『魔法』。無から有を作り出し、月人を創った……違う?」
私が自信満々に答えると、少女は首を横に振っていた。
次いで、私に向かって微笑む。
「ふふふ、おしいわ、すっごく」
少女はクスクスと堪えるように笑い出した。
「いくらなんでも無から有は不可能。魔法であってもそれは同じ……」
「……どういうこと?」
「人の話はちゃんと聞くこと。あなたにはそれが足りないの」
そう言うと、少女は可愛らしく片目を瞑ってウインクした。
どうやら自分が話を続けても無意味じゃないという事が嬉しいらしい。
「私は古代文字の解読を続ける内に、『古代魔法』の正体を知ったわ。
奇しくも魔法のヒント、そのきっかけはツクヨミがある神を剣で斬り殺してしまった時」
少女は再び語り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は柱に刻まれた文字を慎重に汲み取りながら解読していった。
ある程度読んだ所で頭の中で整理して一文づつ組み立てる。
『ツクヨミノミコト
私は独りぼっちになった。
私が穢らわしいとウケモチを斬ってしまったからだ
私は穢らわしいものが嫌いだ
アマテラスがウケモチの様子を見てきてくれと言ったので地上に赴いた所、
ウケモチは口から米を、魚を、獣を吐き出してそれで私をもてなそうとしたのだ』
「……あれ? いや、間違ってないわよね……どういう意味?」
筆記した文を見る限り、個人主観で書かれていると思われるのだが、
口から生物を吐き出す存在など聞いたことが無い。
『口から吐き出したものを食わせるとは何だと怒りのあまり太刀でウケモチを斬った
それが同じく地上にいるヤクモを経てアマテラスの耳に届いた
アマテラスは私にもう会いたくないと言ってきた
地上は完全に日と月に分かたれてしまった
駄々をこねて追い出されたスサノヲが自分がやったと触れ回っている噂も聞いた
スサノヲも私達と仲直りしたいのだろうが、もはやその溝は大きすぎる』
「ウケモチ、ヤクモ、アマテラス、スサノヲ……日と月は昼と夜のことかしら?」
確かスサノヲ、アマテラス、ツクヨミの三柱は同じ神から生まれ、
アマテラスは日の神と記憶している。
スサノヲの名前もどこかで書かれていた記憶があるが、あまり見かけない。
地上というのは文字通り地上なのだろう。
『そもそもあのヤクモが存在しなければ良かったのではないかと思いもした
いや、単に私のやったことが間違いだっただけだ
地上の神にも私は嫌われてしまい、
この月で、私は独りぼっちになってしまった
誰でもいい、そばに誰か居て欲しい』
「これは……」
私は身震いした。
これは月の原初、『ツクヨミ』自身の日記。
一番最初の、月の記録――
私は息を呑んで、さらに先へと読み進んだ。
しかし、しばらく何も進展は無く、ただ悪戯に日記は動き出す。
いや、『月記』とでも呼んだ方がいいか。
次の壁へと向かった所でようやく月記に変化が訪れた。
『ツクヨミノミコト
そういえば、と思い出した
ウケモチは死んでしまった時、体から四足の獣、稲や麦などが生まれていたことに
かくいう私自身、イザナギ様が穢れを落とす際に右目から生まれたのだ
もしや神が捨てた部分は何かしら生物が生まれるのではないか?
私は思い切って片手の小指を切り落とした
誰であってもいい、ともかく寂しさを紛らわす存在が欲しいと願いながら』
「…………」
『生まれた
小指は見る見るうちに変化し、人の型となった
汝、名を何と、と問うと
私はツクヨミ様の小指ですと言い
次いで役割を問うと
ツクヨミ様の傍らにと言った
私は嬉しくなった これで寂しくなくなると』
「神が身を削って生み出した人……月人?」
月人はこうして生まれたのか、と私は感嘆する一方で
このような理由で生まれた自分達を少し皮肉に思った。
もしかしたら月人はツクヨミの潔癖症が遺伝しているのかもしれない。
それからは小指との生活がつらつらと書かれており、
長い文が続く中、月記を綴るツクヨミはとても楽しそうであった。
そしてまた柱の一面が読み終わり、次の壁へと移ると月記に変化が訪れた。
『ツクヨミノミコト
小指と暮らしてからかなりの年月が経った
小指は話し相手になってくれ、寂しさはもう無いと言っていい
だが、そろそろ話す事が無くなりそうだった
私がそのことを小指に言うと
小指は無いのなら創ればいいのですと言う
それを聞いて久しぶりに思ったが、月にはまったくもって何も無い
そうだ、月を地上と同じく人間の住まう土地にしよう
イザナギ様が
アマテラスが日を、私が月を、スサノヲが海原を支配するように命じたように
月を管理する神を生み出そう
小指の無い片手、残りの四指を使い
親指に夜の管理を
人差し指に民達の指導を
中指に暦の管理を
薬指に知恵を
それぞれ願い、私は新たに四人の家族を生み出した
月にも海原はあるのだが
スサノヲが海原の支配を断り、私達の仲が悪くなったように
嫌な予感がしたので海原の管理人を創るのはやめることにした』
月には海があるにはあるのだが、確かに生物らしき生物はいない。
地上の海には豊富な生物が生息していると聞くが、
なるほど、ツクヨミがそもそもの『種』を蒔いていなかったからなのか。
それに地上には四季という、暑くなったり寒くなったりする時期があるという。
しかし、月では一年中暖気に包まれていて、そのような寒暖差はない。
これも恐らくツクヨミが『種』を蒔いていないからなのだろうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「日記が進むごとにツクヨミの身は削られていき、
その分だけ月は豊かになり、同時にツクヨミの力は衰えた。
……でも、とても幸せそうだった」
「神が余分に介入したおかげでここまで月は発展したと? 眉唾ものね」
私はそういうものの、自らの手をじっと見ていた。
薬指は『薬師指』とも呼ばれ、
昔、薬を水に溶かす際や塗る際にこの指を使ったことに由来している。
知恵が授けられた薬指。
薬の天才家系、八意家。
私がその薬指の末裔だとする。
そして暦を管理する中指、
おそらくツクヨミと同様に時を操れるだろう。
その中指の末裔が同じく時間を操れるカグヤとすると、
私とカグヤは丁度隣り合う関係になる。
……やはり私は『八意』であったからこそカグヤに巡り会えたのだろうか?
偶然にしては出来すぎた話だ。
「古代の魔法、それは神が使用する創造、破壊そのもの。
ただ純粋に『欲しい』という願い。
まだ人間のいない無秩序な世界でツクヨミが行った事の全て。
ツクヨミには何も無かったから自身の身を削った訳だけど」
少女がどこからか一体の人形を手に取り、私に見せ付ける。
それをトン、と牢の格子の前に置いた。
多少クセのある金色の髪で、紅いリボンに濃い茶色と紅のドレスを着た人形。
「例えばこの人形。可愛いでしょ? 『アリス』っていうの」
「ええ、可愛らしい人形ね……でもあなた大人? の割に相当な少女趣味ね」
「わ、私だってもう少し身長があれば色々と苦労しなかったわよ。これでも大人なのっ」
私はなんだか少女が、精一杯背伸びしようとしている子供に見え、
つい、クスリと笑ってしまった。
「笑わないでよ。……まあいいわ、見てなさいよ」
少女が言い、何の変哲も無い人形に向けて手をかざした。
「……?」
ポウ、と少女の手が淡く紅に光り、
蒼が人形へと流れていく。
「アリスちゃん、挨拶」
ぺこり、と人形が可愛らしくお辞儀をし、
きょろきょろと辺りを見回した。
「……生きてるのね」
私は牢から手を伸ばし、そっと人形の頬を撫でた。
ほんのりと温かく、僅かながら脈動も感じられる。
「おい、なんだ? 何か今光らなかったか?」
突然、遠くから監視員の声が聞こえた。
「っ!」
「(アリスちゃん、そっち行って!)」
少女が慌てて小声で人形に指示すると、
とてて、と牢の鉄格子の間をすり抜けて私の膝に人形が抱きついてきた。
その直後に監視員が姿を現し、何事も無さそうだと確認すると、
人形を抱く私を訝しげに見た。
「ん? 永琳様、その人形は?」
「そこの向かいの人が”元気が出るように”って貸してくれたのよ」
ちらり、と監視員は向かいの牢にいる少女を見る。
少女はニコニコと笑っており、それを見た監視員の顔が軽く引き攣る。
まるで何かに恐怖しているようだった。
「……永琳様、彼女は『シンキ』と言い、大規模なテロを起こそうとした人物です」
ぼそり、と小声で私に伝える。
「シンキ……ね。テロを起こす人間には見えないわ」
私は生きている鼓動を感じる人形の頭を撫でながら聞き流すように答えた。
「私も詳しいことは知りませんし、
あのような人間がそのようなことをするように見えないのですが……そう聞いていますので」
……そうか、『そうには見えないから』恐怖していたのか。
「なんにせよ、御気を付け下さい」
それだけ言うと、監視員は踵を返し、もとの場所へと戻ろうとした。
「……ああ、それと」
と、何かを思い出したのか首だけこちらに向けて口を開く。
「シンキの隣の牢に居るのが共謀者と思しき『異能者』です。
シンキ、永琳様含む三人しかここにはいませんが」
「……『異能者』?」
シンキの隣の牢を見たが、誰か居る気配は無かった。
あるのはただの暗闇で――いや、
幾重にも拘束された人間が椅子に縛りつけられていた。
辛うじて銀髪が見えるものの、
微動だにせず、生きているとはとても思えない。
――カチ、カチ、カチ、カチ
と、時計の音がどこからともなく聞こえた。
「……生きてるの?」
「そう思って近付き、怪我した監視員が何人か。
それに取り押さえようとしても触れられません」
「触れられない?」
「触れようとした時にはもうその場にいないのです。
まるで瞬間移動したかのように……」
「よくそんなのが捕らえられたわね」
「どういうわけかシンキの言う事だけは聞くので」
それを聞いて私はシンキに目を向けるも、
当のシンキは相変わらずニコニコしているだけだった。
……なるほど、確かに少し怖いかもしれない。
「では、お喋りはこの辺で」
「ご苦労様」
カッ、カッ、カッ――
と、またわざとらしく靴音を響かせて、
今度こそ監視員はもとの場所へと戻っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……で、あなたの名前が分かった訳だけど」
「あの監視員はお喋りが過ぎて困るのよ」
シンキは溜め息をつく。
次いで人形に「戻っておいで」と指示すると、
人形は私から離れ、向かいの牢へと戻った。
腕からぬくもりが消え、少しばかり私は未練を感じた。
「おやすみ、アリスちゃん」
人形を抱き上げ、その髪を撫でると、紅の淡い光がシンキの手へと移り、
そのまま光は溶けるように消えた。
後には何も無い、物言わぬ人形へと戻った子を愛しく抱く母のみ。
シンキは目を閉じ、ニ、三度髪を撫で、ゆっくりと顔を上げた。
「……これが、禁忌よ。有から別の有へ。何もかもを超えた神の御業」
「隣の牢にいるのはあなたが創ったの?」
「彼女は私が創ったんじゃないわ。名前は『イザヨイ』」
――カタン。
シンキが名前を呼んだ時、椅子が動く音がした。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「遺跡にはもっと大きな秘密があったの。
私が魔法を使えるのも、『イザヨイ』の存在理由も、
なんで私がここに居るのかも、全て話しましょう」
――カチ、カチ、カチ、カチ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
部屋の周りをあちこちに動き回り、私は解読作業に夢中になっていた。
既に手に持つ紙は解読文で埋まっており、碌に記録せずにそのまま月記を読み続けていた。
「チーフ、そろそろ引き上げましょう」
「待って。まだ、もう少し」
月記は残す所、後少し。
最後の解読作業に私は今までに無いくらい集中した。
『ツクヨミノミコト
私は今まで生まれてきてこれほど幸せだと思った事は無い
力は衰え、もはやこのように記録を書き綴るのも小指に任せているが
目の前に広がる全ての光景が美しく感じる
ついさっきアマテラスがスサノヲが原因で閉じこもってしまい、
地上がずっと夜になったと親指が言って来た
なあ、薬指、私は今こそ三人の溝を直すべきだと思う
だが、私にはもはや地上に行く力は無い
頼む、薬指よ
お前の知恵でアマテラスを救ってやってくれ
そしてアマテラスとスサノヲに言って欲しい
侘びでも媚びでもない
ただ一言、 ありがとう と』
書いてある通り、少し前の月記から書いている者が変わっていた。
代筆しているのはどうやら小指のようで、
恐らく他の四指はそれぞれの管理などで忙しいのだろう。
知恵の薬指は例外らしく、小指と共にツクヨミの傍に居るようだが……
『ツクヨミノミコト
アマテラスは、明るさを取り戻し、スサノヲも反省したらしい
スサノヲはまた追放されたらしいが、今度はきっと間違いを起こさないだろう
薬指、ありがとう
アマテラス、スサノヲ、私達は兄弟だ
いくら時間が経とうともそれは変わらない
なあ、小指よ
私はこれ以上の幸福を願ってよいだろうか
そうか
薬指、すまないがアマテラスに伝えて欲しい事がある
今度、日と月が重なる時、三人で会おうと』
月と太陽は稀に重なる時がある。
今でもツクヨミとアマテラス、スサノヲは会っているのだろうか?
「あら……?」
次の月記から突然文字が荒くなっていた。
何かあったのだろうか?
『コユビ
ツクヨミ様が突然倒れ、月は混乱に陥った
私はどうすればいいのだろう
今までツクヨミ様の為に生き、
いつしか増えた家族達と
愉しみ、笑い、哀しみ、葛藤してきた
倒れられたツクヨミ様は私に記録を頼みました
指は全員集まり、民も皆ツクヨミ様を心配しております
いつかツクヨミ様が言っておりました
心から願うことで叶わないことは無いと
それが魔法だと
お願いです、誰か、ツクヨミ様を助けてください
私はあなたの為に存在しているのです
誰か、誰か
私にはあなたのお傍に居る力しかありません
だから、誰か、誰か、お願いします』
「神が……倒れた?」
もう一度読み返してもどこも間違いは無い。
まだツクヨミはアマテラスにもスサノヲにも会っていないのに……
このような終わりは絶対にあってはならない。
これでは、
――魔法は、『幸福』は不幸を生み出す存在になってしまう
『コユビ
私が一生懸命心から願っているのに
ツクヨミ様は一向に回復しない
誰か、誰か
ツクヨミ様は仰った
もういいよ、私は幸せだったと
違うのです、私が悲しいのです、
私一人の我侭なのです
誰か、誰か
私に、力を、
ずっとツクヨミ様のお傍にいられる魔法を』
ここまで読みきった所で月記のすぐ下の壁の一部が傷だらけになっているのに気が付いた。
小指はここまで苦痛を感じていたのだろうか?
『コユビ
ツクヨミ様は何度も咳をしながら仰いました
小指には何かしら力があるはずだ
私が一番初めに願って出した存在なのだから、と
私にはツクヨミ様のお傍に居る力しかありません、と言うと
そのおかげで私は幸せになれた、ありがとう
しかしそのせいでお前を不幸にしてしまった、すまない、と
私は久しぶりにツクヨミ様の謝りの言葉を聞きました
ツクヨミ様は私になにかして欲しい事は無いか、と仰ったので
私はずっと傍に居て欲しいと、
ツクヨミ様の前で初めて我侭を言いました
ツクヨミ様は目を細め、
名前を、あげよう。私は月そのもの。
ならその月の次に生まれたものの、隣り合うような名前をあげようと
そう言い、名前をくれました。私はもう小指という名ではありません
―――――――――
――――――――――
嬉しい、これでずっと一緒にいられます』
……肝心の名前が表記されていない。
いや、削り取られているのか?
だとしたら何のために?
「ツクヨミはどんな名前をあげたのかしら……? 月の次に生まれたもの?」
私はうんうん唸って考えてみたがそれらしいものは思いつかない。
その月記以来、名前の部分は削りとられていて、
気が付いたら最後の月記となっていた。
そこには――
『――――
どうにも月の入り口が騒がしいなと思ったら、
なんと親指が、アマテラス様とスサノヲ様を
つれて来たというのです
まだ月と太陽が重なっていないにも関わらず、
兄弟の身体を心配して来たと
ツクヨミ様もとても喜んで、お二方を迎えました
スサノヲ様は一見気が荒そうな方でしたが
芯の通った立派な方でしたし、
アマテラス様は天上を治めてると聞くだけあって
慈愛に満ちた素晴しい方でした
スサノヲ様が今までの行いにより地上に降とされ、
反省の暁に、民を困らす巨大な大蛇を倒した冒険活劇を話したり
アマテラス様が今の月に足りないものを教えてくれたり
過去の自分達の過ちを肴にして、笑いあい、憂いあって
その時間は見ている私達まで微笑ましく思えるものでした
やがて次の日が来ると、お二方はまた今度、と
天上に、地上に帰っていきました
ツクヨミ様は仰いました
私は、やはり幸せになりすぎたな、と
もう、ツクヨミ様は限界でした
多分、あのお二方はこのこともわかって来ていたのでしょう
私は家族を皆、ツクヨミ様の前に集めました
ありがとう、私はツクヨミであってよかった
たった一言、ツクヨミ様は笑い、
どこにも居なくなってしまいました
いえ、私がお傍に居ます
私 の 力 で
永 遠 に 』
――カチ、カチ、カチ、カチ
ふと、奇妙な音が私の頭に響いた。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「……時計の音?」
どうも上から聞こえてくる。
何かと思って上を見上げると、
人が、十字架に磔にされていた。
「――ッ!?」
私は目を見開く。
磔にされているのは長い銀髪の少女で、蒼いローブを纏い、胸に何かを抱いていた。
――銀に輝く時計。
しかしその時計の針は全く動いていなかった。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「何の音なの、これは」
耳を塞いでも時計の音は聞こえ続け、私を悩ます。
辺りを見回しても、音を発してるようなものは無く、
耳障りな音の原因は掴めない。
「……うう、痛い、痛いよお」
「チーフッ!?」
謎の音が頭の中で幾重にも響き合い、
頭痛にも似た痛みが走る。
痛みに頭を抑え膝を着くと、誰かが私に駆け寄ってきた。
声が聞こえた方に顔を上げても、視界は酷く歪んで仲間の誰かさえも判別出来ない。
「時計、時計を止めて」
「と、時計……? 何の事ですか!?」
「聞こえ、ないの? この、カチ、カチ、カチ、カチって、音、が」
「おい、皆! チーフの様子が変だぞ!」
――カチ、カチ、カチ、カチ
私の視線の先にある床を棒状の何かが通り過ぎる。
それは影で、影を辿ると月記の書かれていた柱から伸びていた。
人工的な明かりがあるのにも関わらず、その光には左右されず、
規則正しく、影の先端が部屋を周回するように動いている。
影が少し動く、頭の中でカチ、と鳴る。
影が動き続け、頭の中ではカチ、カチ、カチ、カチ、と鳴り響く。
「あった、と、けい」
それは部屋の中央にある柱を起点に針が回る巨大な『時計』そのものだった。
目の前を再び通り過ぎる影を手で押さえる。
が、針は我関せずと動き続ける。
仲間達が何かを言っているが、何も聞こえない。
もう、針の音しか聞こえない。
思わず手をついた柱から、針ではない『音』が聞こえた。
――時計を壊せ。
「どう、やって……?」
私は柱に聞き返した。
――銀時計を、そうすれば
私は聞き終わる前に仲間の手にある電灯を引ったくり、
無我夢中で柱の上に磔にされている少女に向かって投げつける。
電灯は少女の手に当たり、
カランと音を立てて銀時計が、ガシャンと音を立てて電灯が落ちた。
私は落ちた電灯を拾い上げ、高く高く振りかぶり、
――銀時計に力の限り強く叩きつけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
叩きつける一瞬、世界が灰色に染まった。
しかしそれは本当に一瞬で。
銀時計は割れ、
耳障りな時計の音は最後の残響を残して無くなった。
私はへたり、と座り込み、仲間達に目を向ける。
「チーフ! 大丈夫ですか!」
「ええ、大丈夫」
徐々に視界も戻ってくると、私は壊した銀時計を拾い上げ、
表、裏と銀時計を見ても何の遜色も無い、普通の時計だった。
しかし、突然ごぽっ、と紅い何かが時計から溢れ出した。
「わっ」
つい驚いて時計を落としてしまったが、ごぽごぽと紅は流れ続ける。
何なのかは解からない、だが淡く光るそれは血ではないのは確か。
私は真っ赤に染まった時計を再び拾い、
仲間達がその光景を見てざわざわと騒ぎ出す。
「な、何ですかその時計!?」
「分からないわ、でもあの少女が抱いていたのよ」
「少女?」
私は十字架を指差すも、仲間達は頭に”?”を浮かべるだけだった。
「どこに?」
「え……?」
――いない。
少女は十字架を残して忽然と姿を消していた。
あの少女は何者だったのだろうか。
「なんにせよ、ここは危険です。戻りましょう」
「……そう――!?」
私が返事をしようとした時、また視界が灰色に染まった。
今度は一瞬などではなく、灰色のまま。
誰も彼もが動かない世界。
「今度は何なのよ……!」
――カチ、カチ、カチ、カチ
また、『あの音』が聞こえてくる。
私は柱を見たが、巨大な方の時計は動いていなかった。
――カチ、カチ、カチ、カチ
聞こえてくるのは手元から。
手にあるのは壊れた血の懐中時計。カチ、カチと捻れた針が動いていた。
――ツクヨミ様……ずっと、お傍に
「!?」
視線を戻すと、目の前にいつの間にか磔の少女が居た。
銀の長い髪に、長い前髪の間から、真紅の瞳がちらちらと見える。
灰色の世界で私と彼女、そして銀時計だけが動いていた。
私は思わず後ずさりをすると、彼女はその分だけ近付く。
ジリジリと後退すると、やがて背にトン、と何かが当たり、石の質感が感じられた。
……柱だ。
「ツクヨミ、様」
ぼんやりとした瞳。
彼女は掠れる様な声で、私の手にある銀時計に手を伸ばしてきた。
「ずっと……お傍にいると、約束しました……」
「あなた、まさか……」
「何故、私の元から、離れていくのですか……?」
一歩一歩、こちらに向かってくる彼女に私は立ち尽くすしかなかった。
彼女の瞳からは涙が溢れ、唇はふるふると震えている。
私は理解した。
この子は『小指』で、この灰色の世界でツクヨミとずっといたのだと。
彼女の言う『ずっとツクヨミの傍に居られる力』とは、『時間の停止』だと。
私の手にある銀時計そのものがツクヨミなのだと。
「また、名前で呼んで下さい、あなたと隣り合う、あの名前で」
ごぽ、と銀時計……いや、ツクヨミからまた紅が流れ出した。
何かを伝えようとツクヨミが喋っているのだろうか?
「……『イザヨイ』」
ふと、口から勝手に声が出た。
「ツクヨミ、様?」
『声』に私は驚いたが、目の前の少女の方がもっと驚いた様子だった。
私は慌てて口を塞ぐも、『声』は止まない。
「もはや時は戻った」
「ツクヨミ様、私はあなたのお傍に居るのが役目です」
「私という器はとうに消え失せ、残った意思をお前がこの銀時計に無理矢理封じ込めたに過ぎない」
「……でもっ! あなたはここにいる!」
「私はこの女性の器を一時的に借りてるだけだ」
グシャリ、と私は紙細工のように銀時計を握り潰す。
もちろん私の意志ではない。
ツクヨミがそうさせているのだ。
溢れ出す『紅』。
「辛いか、イザヨイ。私が居なくなるのが」
「私は、あなたが居なければ駄目なのです」
「終わらそう、お前の悲しみを」
――私が、お前を壊す事で全部
「止まった時の中でずっと考えていた」
そっと私はイザヨイの涙が流れ続ける頬を撫でる。
「お前と過ごした幸福な時間、それに見合う不幸。
差し引く不幸としてお前を壊す事で、全て虚となる」
「ツクヨミ様……」
「お前が居た事で全部が始まり、お前が居なくなる事で、全部が終わる」
ははは、と私は自嘲気味に笑う。
「なんだ、結局私には最初から無しかないじゃないか」
「いいえ」
イザヨイは、溢れる涙を抑えようともせず、ニコリと可愛らしく微笑んだ。
「あなたには私がいます」
「……すまない」
「そんな言葉、あなたには似合いません」
「……そうだな」
――ありがとう。
私は、ゆっくりと、イザヨイに手を……
「……ぬ?」
動かない。
いや、動かさせない。
これは、私だけが出来る最後の抵抗。
「邪魔をしないで欲しいのだが」
……ふざけないで!
こんな、こんな最後なんて私は認めない!
魔法は、人を不幸になんて絶対にしない!
たとえ、それが神であっても!
「本当に幸福に出来るなら、今も月には魔法はある。
無いのはイザヨイの行いを見た他の子らがあえて封印したからだ」
あなたはこうして生きていた、
イザヨイもこうして生きていた!
十分じゃないの!
……まだ幸福は終わっていない!
「陳腐な言葉だな……何故、赤の他人がそう必死になる?」
私がずっと追い求めていたものが、
こんな、結末なんて!
「だが、私もこうしてずっとそなたに宿るわけにいかない」
構わない。
「たとえそなたの意思が無くなろうともか?
人の身で私を、神を背負うか?」
いいわ。
ずっと追ってきた夢物語、虚空で終わらせない。
絶対に……!
「……ふん、我が子孫ながら、諦めが悪い」
「……ツクヨミ様?」
「イザヨイ、
お前を壊すまでの考えに至るのに数百年、
壊すのを決心するのに千数百年。
その時を待つまで数千年。
……ここで、私が揺らぐか……」
ふっ、と手から力が抜ける。
「イザヨイ、やはりお前に聞こう。
私は、これ以上の幸福を願ってもよいのだろうか?」
月記に書かれた状況がデジャヴする。
「……っ勿論です!」
イザヨイは大きく首を縦に振った。
「そうか」
私は、ツクヨミは安心したように息をつく。
「ツクヨミ様、私も聞きたいです。
私は、これからも幸福を願ってもよいのでしょうか?」
「勿論だ」
なら、
――貴女の『時』は私の物だと誓ってもらえるか
――貴方の『時』は私の物だと誓ってくれますか
魔法という名の幸福は終わらない、いままでも、これからも、ずっと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「その後、ツクヨミは私に意思と力を預け、私達は灰色の世界から戻った」
少女は胸に手を当て、ぎゅっとローブを握り締めた。
「私はこの身に『神』を宿したわ」
「まさか、ありえない」
「『ありえない』なんてこの世界の何処にも無いわ」
少女は断言する。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「ふふ、いつか『私』は消えるかもしれないわね。
いえ、もしかしたらもう『私』はすでにいないのかも」
彼女は儚げに微笑み、
その表情に後悔の色は無かった。
「それでも構わない。私の追い求めたものが無駄でないのなら……」
「でも、なんであなたがこの牢ににいるの?」
「月に居る訳にいかないからよ。
私達の先祖がツクヨミのようなことが二度と起こらないように
全力で伝承を阻止したのに、こうも掘り返されちゃたまったものじゃないでしょう?
向こうが何かしら手段をとる前に、私達は月から離れるわ」
「どうやって?」
「適当にひと暴れしてドサクサ紛れに地上へ逃げる」
「…………」
先程とは打って変わってニッコリと笑いつつ言う姿は
とてもそんな事を行うようには見えなかった。
地上に行くための装置は確かこの付近、
カグヤの居る『特別牢』の付近にあるはずだった。
「後のことは全部仲間達に託したわ。
研究は実質上『打ち切り』……」
「よくそんなの通ったわね」
「こう、目の前で手を組んでお願いのポーズで。
ちょっと上目使いに目を潤ませるのがポイントよ」
「……いい仲間を持ったわね」
「全く、ホントにね」
少女はクスクスと笑う。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「貴女にはいない? そういう、誰よりも信頼できるひと」
「そうね、1人だけいるわ」
「聞かせて、貴女の『記憶』。ツクヨミもイザヨイもきっと聞きたがってる」
「……いいわよ」
私は、カグヤとの思い出を夜が明けるまで話した。
出会った時の、教育の時の、初めて笑い合った時の、遊んだ時の、
悲しんだ時の、後悔した時の、禁忌に触れた時の――
――カチ、カチ、カチ、カチ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私の釈放期限一杯まで私達は話し合った。
やはりあの時もう少し監視員を殴っておくんだったな、と思えるほどに楽しい時間。
しかし、どうやっても時間は止まらない、戻れない。
それはここにいる全員が痛いほど知っていることだった。
やがて、その日が来る前の夜、私はシンキにある『お願い』をした。
「……いいわよ」
「ごめんなさいね、無理言って」
「いいわよ、ついでみたいなものだし」
シンキは承諾してくれ、私はある言葉を告げた。
――カチ、カチ、カチ、カチ
― 次の日の朝 ―
「永琳様、こちらへ」
「ええ。じゃあね、シンキ、イザヨイ」
「またいつかね、永琳」
――カチ、カチ、カチ、カチ
『また今度』
私達は笑顔で別れを告げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
― 八意 永琳釈放、その数日後 ―
「シンキ、お前に手紙が――」
忽然と、シンキは姿を消していた。
「ッいない!? おい、誰か! 脱走者だ!」
監視員は一枚のメッセージカードを落とし、
急いで守衛室へと向かった。
カードの送り主は八意 永琳。
メッセージはただ一言、
『貴女に幸多からん事を』と。
― 特別牢 ―
「なんだか外が騒がしいわね」
永琳と別れてそこそこの日が経つも、カグヤは依然元気そうだった。
むしろ監視員をからかったりと、そこそこ牢生活をエンジョイしていた。
勿論、友達と会えないのは淋しいが、
カグヤはいつかきっと会えると信じていた。
これからもっと、少なくとも十年近くは会えないのだから、
このような所で『飽き』が来ては永遠を生きるなんてとても出来ないだろう。
――カチ、カチ、カチ、カチ
「はぁい、カグヤ姫様」
「? 誰?」
いつの間にか音も立てずに牢の前に少女が二人、立っていた。
一人は紅いローブを着た薄蒼い髪で、腕に人形を抱いており、
もう一人は銀色の髪で、ボロ、というより包帯をつぎはぎした様な衣服を纏っている。
「あら、もう少し驚いてくれると思ったのに」
「あ、ごめんね……ってこの騒ぎは貴女?」
ぷう、と目の前の少女は膨れっ面になり、
カグヤは少し微笑ましくなりつつも、とりあえず謝っておいた。
「ええ、ちょっと用事がね……。
ついでにご近所さんから貴女へ言付けよ」
「ご近所……?」
「八意 永琳からの言付け、とくと聞きなさい」
「永琳から!?」
途端、カグヤは身を乗り出して話に食いついてきた。
カグヤの声を聞きつけたのか遠くからバタバタと慌しい音が聞こえてくる。
「ちょ、落ち着きなさいよ。……ごめん、イザヨイは監視員の相手してて」
「御心のままに」
紅服の少女が指示すると、銀髪のイザヨイと呼ばれた少女は音も無く消え、
――程なくして、誰かの悲鳴が断続的に続いた。
「……うん、これでいいわ」
「ねえ、はやく聞かせてよ」
「もう、せっかちさんねえ。そんな大それた言葉じゃないわ」
「いーいーかーらー!」
「わかったわよ、もう」
カグヤは鉄格子を掴んでガシャガシャと揺らし、
待ちきれず、すぐにでも聞きたいという様子だった。
「『いつもありがとう、カグヤ。また会いましょう』……はい、伝えたわよ」
「……それだけ?」
「ええ。じゃ、伝えたわよ。イザヨイー! 戻ってきてー!」
「ここに」
思いのほか簡素だった親友の言葉に半ば呆然とするカグヤを放って、
紅服の少女はイザヨイを呼ぶ。
すると、また音も無くイザヨイと呼ばれる少女が姿を現し、
その手には刃物が握られており、少しばかり血らしきものが付着していた。
「じゃあねー、お姫様。縁があったら地上で会いましょう」
「えっ!? ねえ、他には無いのー!」
すぐさま脱兎のごとく二人の少女は駆け出し、向こうの角へと曲がり――
「『処刑は痛いのは一瞬ですよ』って言ってたわよー!」
角からひょっこりと顔を出し、それだけ言って
今度こそどこかへ行ってしまった。
「…………何だったのかしら」
カグヤは首を傾げたが、答えが出るわけでもない。
まあ、永琳が何時も通りに戻ってるみたいだからいいかな。
と、とりあえず結論だけして、後の事は監視員達に任せて、
自分は適当に『何があったのか知らない』ふりでもしていることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私達は言付けも済まし、地上へ行く為の装置の所まで来ていた。
「イザヨイ、追っ手は?」
「いません。上手く撒いたかと」
「そう……」
古びた大きい装置を前にして、軽く深呼吸をする。
「もう、月には戻って来れないわ、いい?」
「私はツクヨミ様に従うまで」
私はイザヨイの返事を聞くと
装置に手をかけ、作動させた。
ブウン、と主電源が点灯し、しっかり動くことを確認する。
「よい! いける!」
「……? ツクヨミ様、誰か……来ます!」
「ええっ!?」
せっかくいいところなのに一体誰だ、全く。
まあ、イザヨイならここの監視員ぐらい――
バキリ、と予想外の方向から何かが砕ける音がした。
それは『真上』。その何もない空間。
空間を破って、二人分のシルエットが見える。
「おやおや、『聖者は十字架に磔にされた』は飽きたのか」
「……私達に黙って行かせはしないよ、『小指』」
すとん、と床に降り立つと、その全貌が現れた。
その姿はが私達が良く見知った人物。
「『親指』、『人差し指』!?」
「おおや、覚えてた」
「ついこの間まで『停まって』たんだから『小指』にとっては久しぶり程度なのでしょう」
黒い聖衣を身に纏った金髪の夜の管理者『親指』と、
白い聖衣を身に纏った銀髪の民の管理者『人差し指』。
「何しに来た!」
イザヨイは敵意を露にして剣を構えるが、
対する二人は敵意が無いと示すように両手を上げた。
「そう邪険にするな。別に止めに来た訳じゃない」
「新しいツクヨミ様に挨拶に来ただけだ」
ニ人の視線がいまいち事態の飲み込めていない私に集まる。
「わ、私?」
「お戻りになられるのをお待ちしておりました」
そう言うと、二人は頭を垂れる。
私とイザヨイは困惑した。
てっきり引き止めに来たものと思っていたのに、そんな気配は全く無いから。
「……引止めに来たんじゃないの?」
「何を言う『小指』、いや『イザヨイ』。ツクヨミ様が望むことにどうして我らが口出しできる」
「私達はただのお見送りとそこの装置の操作に来ただけだ」
確かに、今気付いたがこの装置は外に誰かいないと操作できないものだった。
気付かなかった自分も自分だが。
「それと、私達の新しい名前を呼んで欲しくて」
「アマテラス様とスサノヲ様から戴きました」
……なんだ、結局全て杞憂だったんじゃないか。
私と、私の中のツクヨミは揃って苦笑いをした。
「いいわよ、教えて頂戴、彼方達の新しい名前」
目を輝かせる子供達に、私は微笑んだ。
きっと、これからも『魔法』は続くだろう。
永遠に。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……行ったね」
「ええ」
しん、と静まり返る部屋の中、残された二人の子供達は
名残惜しそうに二人が旅立った跡を見ていた。
「いつか、私も地上へ行こうかしら」
「月は誰が見るのよ」
「それもそうね」
ふふふ、と二人は笑い合う。
「『中指』も『薬指』も子孫を残してどっかに行っちゃったしね」
「『カグヤ』と『永琳』でしたね、今の子孫は」
「あ、カグヤは今ここにいるみたいよ」
「それはまた」
『楽しそうね、月の神様?』
突如、何処からか聞き覚えの全く無い声が聞こえた。
『この様子なら月の侵略も楽かしら。なんてねぇ、クスクス』
「誰!?」
「『サリエル』! 装置からだ!」
見ると、地上に行く為の装置にぱっくりと裂け目が出来ていて、
中から無数の瞳がこちらを覗いていた。
『地上からの侵略者よ』
にゅっ、と何か、棒状のようなものが裂け目から姿を現す。
――それは、古臭い卍傘で、月には無い代物だった。
「ッ! ムーンライトレイ!」
『スパーク』
言い知れぬ殺気にいち早く反応した『親指』が光のレーザーを放ち、
それとほぼ同時に傘の先端からもレーザーが放たれた。
光と光がぶつかり合い、その衝撃で『親指』は壁まで吹っ飛ぶ。
「『ルーミア』!」
「ゴホッ、サリエルッこの部屋を隔離して! 急いで!」
煙がもうもうと立ち込める中、ルーミアはサリエルに向かって叫ぶ。
『あらあ、あなた強そうねえ』
『幽香、いきなりそんなの撃たないでよ。スキマが歪むわ』
『うん、着いた?』
ぐにゃり、と裂け目が広がり、三人の『何か』が出てきた。
「あはははははははっ! こんにちは! 悪魔が笛を吹きに来たわよ!」
緑の髪、赤いチェックの服の悪魔。
「悪いわねえ、あなた達がこの変てこな装置を使ってくれたおかげで月と地上が完全に繋がったわ。」
金の髪、紫のドレスを着た妖怪。
「ふふ、月にはどんな料理があるのかしらね。龍料理?」
桜色の髪、蒼い和服を着た亡霊。
その三人を筆頭に、ぞくぞくと妖が出てくる。
「何をしに来た!」
ルーミアは片手で空間を砕き、
中から現れた漆黒の大剣を手に取り、構える。
「言ったでしょ、侵略戦争。ま、私は強い奴を潰せれば何でもいいんだけどね」
悪魔も嬉々として卍傘を構える。
「悪魔と天使? 妙な取り合わせねえ」
「紫、私達もそう大差ないわよ」
残りの二人は高みの見物、と文字通りに高い場所で裂け目に腰掛けていた。
「……出来れば争いは避けたいんだけど」
「あなた達が大人しく月を明け渡したらね」
サリエルは術を行使しながら、二人に話しかけるも、
向こうは最初から温和に解決するつもりはないようだ。
「そう……ルーミア、出来たわ! ここはもう密室よ!」
「おおおおおおおおっ!」
サリエルの声を聞くないなや、
ルーミアは妖の群れへと突っ込んでいき、
サリエルも何処からか取り出した純白の杖を手に、
ルーミアの後を追うように妖の群れに向かっていった。
― 幻想月面戦争、開始 ―
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ん……? ここ、は?」
打ち捨てられた、古戦場。
周りには、誰もいない。
お気に入りのアリス人形も無かった。
長いこと、『私』は歩いた。
歩いて歩いて、時々名前を呼んで。
「はぐれた、のかな」
いくら歩いても、名前を呼んでもイザヨイはいない。
私は寂しくなり、打ち捨てられた一本の剣を手に取った。
寂しくならないように、あの時と同じように。
剣に命を与え、人の型にした。
イザヨイの事を忘れないように、
あえて正反対の見た目にした。
「あなたの名前は?」
「シンキ様の剣です」
「あなたの役目は?」
「シンキ様のお傍に」
「名前をあげる。『剣』じゃ味気ないでしょ」
「そうですか?」
「そうねえ、”夢の始まりの子”、夢子よ」
いつかきっとイザヨイにまた会える。
それまでいつでも待とう。
だって、貴女の時は私の物なのだから――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…………」
「あら、面白いモノが『降ってきたわ』」
紅い、大きな屋敷の前。
「美鈴。コレ、うちの新しいメイドね」
「な、なんですかこのボロ雑巾みたいな人間」
「いいから。名前はイザヨイ……『十六夜 咲夜』よ」
ピクリ、と『十六夜 咲夜』は僅かに動いた。
「また運命でも覗いたんですか?」
「さて……どうかしら」
紅い悪魔は微笑む。
その顔はとても残酷な、悪魔らしい笑みだったという。
(了)
― 『ああ、そうそう。ここに来る途中、すれ違った二人だけどね……』 ―
― 『一人を過去に、一人を未来に飛ばしといたわ』 ―
あの面子を全員シバくとか親指強いな!
縫い目を感じさせない衣服のように、諸説混ぜ合わせてできた今作は、とてもすばらしいものだと思います。
イザヨイの一途さに泣いた。
それだけに、ラストでさらっとお嬢様に名づけられてENDの扱いには物足りなさを感じます。
オチが不完全燃焼かなあ、と。紙面が尽きたのでここまで、みたいな終わり方ではないでしょうか。
それを差し引いても、十分に読み応えのある作品でした。
多謝。
親指超強いな!!
そのうえで「今回は色々な東方的な謎を一気にまとめて解決してみました」とかいうのは正直寒い。
題名、中学校のころ教科書で見かけた気がします
とはいえ想像力より表現力の方が磨くのは楽だし、表現だけ走っていても内容が地味なものよりかはよっぽど好み。
でもそれは片方だけ出てる例での比較なので、やっぱり両方秀でているに越したことは無いと思います。
というわけで、個人的にはもう少し表現力が付いた頃に是非書き直してもらいたい。
オリ設定が許容できる身としては内容はよかった、ので次に期待……と行きたいところだけど、それだと-30点になるのかw
地味だし根気の要る作業ではあるけど、表現力を磨いてみると良いと思います。
しかしまぁ、難解とか複雑なわけでもないのに中々予想外の方向に突っ走ってたね。
「今回は色々な東方的な謎を一気にまとめて解決してみました」には確かに首を傾けざるを得ないけど、後書きだし評価対象としては見なかったことにしておきましょうかw
なかなか面白かったです
なんとなくいいなぁ、と思える作品でした。
ssってこういうものなんですか?
ギャグとしてならわかりますが、一見真面目な話のようですし。
つまり面白ければ何でもOK
でも、もう少し文章を捻って欲しかったり…
各キャラの立ち位置も、そこで出すか、といった感で予想を裏切ってくれましたので。
それだけに後半のしぼめ方がもったいない。説明で終わらせずにルーミアやサリエルももうちょい出しても良かったんじゃないかなーと。