清澄なる河川の流れのように着々と色づき始める桜。それはここ、白玉楼も例外ではない。最も唯一の例外がこの白玉楼には頓挫しているが、あれは桜というよりも妖怪に近い。
桜の満開は宴会の始まりを意味する。そして白玉楼から見える桜は、それはもう壮大なものだった。
花見酒で酔っ払った少女達は、地面に生えた芝の絨毯に身を委ねながら満開の桜と、その散華を見るのだ。桜の木の梢に繚乱と咲く花は、風が吹くたび繊細に、しかし盛大にその身を散らせていく。雄大に散るさまは、見る者の心に多少の名残惜しさを残しつつも、一切の溜飲を留まらせる事は無い。
幽々子は毎年、そんな想いを馳せながら縁側より咲き初める桜を眺めている――と、妖夢はこの時期毎日、要介護老人の話を聞くかのように聞いているのだが、今、縁側に幽々子はいなかった。それも仕様の無いことかもしれない。障子一つを挟んだ五十米四方の大部屋には、正座をした妖夢が張り詰めた緊張感を放っているからだ。
「……」
精神統一。
大部屋は、しんと静まり返っており、中心にはあの妖怪桜の如く微動だにしない妖夢がいた。
妖夢は目を瞑っており、傍らには稀代の宝剣、白桜剣と楼観剣が身を休めている。
隙は、無い。
溢れるほどの集中力が、今この部屋を途絶する事無く満たしている。もしもこの部屋に賊が入るとすれば、それは余程の愚か者か余程の手練であろう。それこそ、妖夢の師である魂魄妖忌ほどの者でなければ、足を踏み入れた瞬間には殺気に身を貫かれ、知らぬ間に首が飛んでいるだろう。
しかし、白玉楼にはそうそう賊は入らないし、そもそも妖夢に気付かれることなく部屋に入ることの出来る者など――
「よ・う・む~」
「みょんっ!?」
居た。
天衣無縫の亡霊、西行寺幽々子その人である。
妖夢の心臓は一瞬のうちでばねの様に跳ね上がった。それを隠すために立ち上がって幽々子に文句を言おうとしたが、足が痺れて顔からこけてしまった。
仕方なく白桜剣を杖にして、中腰になりつつも立ち上がる。無意識のうちに宝剣を松葉杖にしてしまい、心の中で深く慙愧する妖夢だった。
「あらあら、生まれたての鹿みたいねえ」
「茶化さないで下さい! 驚きましたよ、本当に……来るなら来ると言って下さいよ」
「あら、貴方は主より力量のある者に対しても、わざわざそう言うのかしら? 頼りないわねぇ~」
言いよどむ。返す言葉が無かった。
幽々子の接近を察知できないということは、それすなわち幽々子以上の力量を持つ者に対して自分は何も出来ないということだ。逆に言えばそれは自分が幽々子の護衛としては全く意味をなさないということでもあるので、妖夢は自分の意識の甘さを改めて恥じ、何時も以上に厳しい鍛錬を更に厳しくすることを誓う。
悔しさの余り握りしめた拳を何とかして解きながら、妖夢は苦し紛れに言った。
「……縁側に居たんじゃないんですか」
「あらぁ、だって背後から緊張感がびりびり伝ってくるから風情が台無しだし、外は雨だしで気が進まないんだもの」
「それは申し訳ありませ……って、雨!? 今雨が降っているんですか!?」
「そうよ。もしかして聞こえないほどに集中していたの?」
幽々子の言葉を皮切りに、地面を震わす雨音が妖夢の耳に入ってきた。
どうやら土砂降りのようだ。これほどの雨、いつの間に降ってきたのだろうか。
妖夢にとって、雨音が聞こえないほどの集中というのは別段気にすることではない。寧ろ好ましいことだ。
しかし、これほどの大雨の気配を察知できなかったのはいただけない。未熟者め。唇を強く噛む。犬歯に噛まれた唇が血を流し、楼観剣に滴った。
妖夢はハッと楼観剣に目をやると、居ても立ってもいられなくなって、それを片手に外へ飛び出した。
「すいません、幽々子さま。庭へ行ってきます!」
「あ、ちょっと妖夢。待ちなさい!」
@
ほんの少し欠けた月が雲に隠されている。
黒く濁る様な雨が、桜の木を打ち、やがて地面に溶けてゆく。
妖夢は降りしきる雨と少量の桜を意識の外に追い出す。
桜観剣を腰だめに構え、一心に雨を見据えている。勝負は一度。失敗すれば終わりだ。
「まだ……だな」
妖夢は目を瞑り、更に雑念を霧散させる。
空はほの暗く、雨は容赦なく妖夢の体を打ち、冷たい風が体を通り抜けた。しかし妖夢の意識は、先程とは比べ物にならぬほど高められている。
息を吸い込んで、吐き出す。その時顔に滴る雨を吸い込んだが、気にするどころか気付く様子すらない。
目を見開く。高めた意識を前方のみに集中させる。このときには妖夢の体を打つ雨は、たちまち蒸発して霧となった。
今、妖夢の状態はこの上ないものになった。これで一瞬の機を逃し、雨を斬る事が出来なければ、まだまだ妖夢が及ばないということだ。
空気がぴんと張った状態。息の一つで、張り詰めた空気が壊れてしまう。
妖夢はひたすらに待った。自らの目に映る、暗闇の中の一筋の光明を――
――見えた。
瞬間。
闇に食われんとする少量の光を全て吸い込んだ白銀の煌きが宙に映る。
妖夢は空中を楼観剣で袈裟に斬っていた。
雨の重たさが剣に伝わった。
「……ふぅ」
体制はそのままに、しばらくするとため息をつきながら楼観剣を鞘に戻した。失敗だった。
「……寒い……」
集中が一気に途絶える。今までのツケを返せとばかりに、風と雨の冷たさが容赦なく体を襲った。
妖夢は走って屋敷の中に入ると、まずは刀身をゆっくりと丁寧に磨いて、傍に置いた。そしてそれに雨が滴らぬよう注意しながら、あらかじめ用意しておいたタオルで自分の体を拭いた。
――雨を斬るということは、すなわち、雨に触れないことだ。これは達人でもそうそう成しえられることではない。
先代の魂魄妖忌でさえ、生まれてから両手で足りる程度しか斬れたことは無いと言う。事実、妖夢の前では見せることは無かった。一度斬る事すら、奇跡に近いのだ。
妖忌の教えによると、一回斬って徒党に終わったら、その雨に対してはもうそれ以上挑戦しても無駄だそうだ。成功するかしないかが疎らなのは、雨にも性格があるからだと聞いた。相性が悪ければ天地空に名を馳せる様な大剣豪であってもただの素振りに終わるのだ。
雨を斬るには三十年というのは妖忌直々の言葉である。だが、これは寝食惜しんで雨を斬る鍛錬に費やし、更にその者が天賦の才を持っていると仮定して、やっと三十年なのである。
実はそのことを――恐らく意図的に――知らされていない妖夢は、ずっと己の未熟さを恥じていた。
妖夢は半人半霊ゆえに、不老長寿とまではいかないが寿命が長く老化が遅い。
三十年。
剣を習い始めてからのその年月は、冬の風景の如く過ぎ去っていった。
「幽々子さまぁ~、風呂に入ってきます」
はぁ~い、という返事を聞く前に妖夢は脱衣所の中へ入っていった。
水気を吸って重くなったタオルと、深緑のベストとスカートを籠の中に放り投げた。
風呂場へ入ると、湯気が妖夢の体を包んだ。桶で風呂から湯を掬って体にかける。冷えた体が、急に熱に晒されて悲鳴を上げた。
相当動揺している。落ち着け。
妖夢は深く息を吸った。湯気が少し下の方で巻き込まれるように鼻に入っていった。深呼吸のつもりで吸った酸素は、吐いたときにはため息混じりの二酸化炭素になっていた。
適当な石鹸とタオルをひったくる。
もう何をしても無駄なようなので、妖夢は少し荒々しくなりながらも体を洗った。
さっきのは手加減だとばかりに勢いを強める雨の音が、酷く不快だった。
@
翌日、昨日の雨が嘘だったかのように晴れた日。霊夢と魔理沙と咲夜が白玉楼にやってきた。
桜の下見と称しているが、実のところは飲みに来ただけだろう。名目さえあれば、いや、無くとも宴会を始めるのが連中の悪い癖だ、と妖夢は思っている。しかし幽々子が認めている上、あまつさえ本人が加わっているので妖夢は何もいえない。
手に持った盆の上には酒や甘味が入っている。
来客にも関わらず、憮然とした表情である。自分だけ蚊帳の外で拗ねているのではなく、恐らく昨日のことが響いているのだろう。
「……お前何拗ねてんだ?」
「拗ねてないっ!」
「解りやすさナンバーワンね、あんたは」
「霊夢に言われたくありませんよ」
「ほら、そうやってムキになるから拗ねてるとか言われるんじゃない」
「……これは昨日の鍛錬が振るわなかったせいだよ」
「それで取り乱すようじゃまだまだね~。妖忌に顔向け出来ないんじゃない?」
前言撤回。やはり拗ねていたようだ。
一対一でさえ良い様に乗せられる妖夢が、四対一で叶うはずがない。
そのことは、スキマから参加するチャンスを狙っていた紫から見ても明らかだった。
「どうぞ、注文通り、酒と甘味です。それでは私はこれから鍛錬があるので」
「あら、妖夢行っちゃうの? あなたも頂いていけば良いのに」
「そうよ、同じ従者の私も居るんだから、遠慮なんてする必要ないわよ」
「残念ね。この甘味よだれの代わりに手が出るくらいに美味しいのに」
「しかも酒まで飛び切り上質だしなあ。妖夢もどうだ? ほれ」
「遠慮しておきます。どうぞ皆さんは楽しんでください」
卑怯だ。鍛錬という逃げ場にしがみついた挙句、参加できるはずも無い。あの四人も解って言っているのだろう。あの一瞬で団結したような空気がその証拠だ。
ダムのようにたまった怒りが、妖夢の中に渦巻いていた。全く理不尽だ。この気持ちを、剣を振るうことによって発散しよう。
頭を思いっきり横に振って、妖夢は自分の顔を叩いた。
駄目だ駄目だ、いい加減な気持ちで剣を振るうなと師に言われたのを忘れたか魂魄妖夢。そうだ精神を落ち着けよう。そして空のように澄んだ気持ちになった後に剣の鍛錬を……。
……空? 空気だ。
そういえば、と妖夢は閃いた。
雨を斬る、時間を斬るという概念に対して、空気を斬るという概念はいまいち理解できていなかった。漠然としたイメージすら湧かないのだ。
だが、今なら何となく理解できるような気がする。
空気を斬る、というのは先程のような雰囲気を一太刀の元に断ち切ることではないか? そうだ、そうに違いない。
考えてみればますます確信が深まる。この国には、空気を読め、空気に馴染め、なんだもうばてたのか妖夢サムライなら主に負けぬ食う気を見せろ、という風に、実に空気が崇拝されている。お前らはカルト宗教の信者か、というくらいに。
妖夢は、単純で一途な性格である。あるがゆえ、先程のようにからかわれやすく、そして今のように妄信に陥りやすい。
小さな復讐心は、背理法もびっくりな仮定を生み、その仮定が結論を生み、その結論が大きな行動を起こそうとしていた。
妖夢は、四人の居る襖の前で、昨日のように息を潜めて精神集中している。
昨日のように――そう、それは雨を斬る時のように。
妖夢は、今襖越しの空間を包んでいるにぎやかな雰囲気をぶち壊そうとしていた。
妖夢の緊張が高まる。平素ならばこのただならぬ様子に気付けぬ四人ではないが、生憎今は酒に酔っている上、場所が場所なのでそういったことに気が向かなかった。
まだかまだかと待つ妖夢だったが、その一瞬はあっという間に到来した。何事かは解らぬが、空気に変化があったのだ。
妖夢が襖を開け放って、天高く飛び上がった。
一瞬の出来事だった。
さて。
これはあくまで不幸な必然と言っていいだろう。
人里は何時も通り機能しているし、人は正常な輪廻を繰り返しているし、逆立ちした拍子に頭を打ったチルノはやっぱり馬鹿だし――
何事があったかというと、妖夢が襖を開ける直前、紫がスキマを介してテーブルから出現した。
妖夢は、これを空気の異変と察して部屋へ突入。
そして紫の出現に気を取られていた四人は、驚きの余り襖が盛大に開け放たれたのにも気付かなかった。
そんな反応に満足したのか、紫は口の端を少し吊り上げ、霊夢に向かって――つまり妖夢に背をむけた状態で――何か言いかけた、その時。
そう、一瞬の出来事だった。
まず、紫の頭から楼観剣の鈍い打撃音が響いた。
それを受けて気を失った紫は霊夢に、天狗もあわやという勢いで頭突きを食らわせた。
すると上半身が急激に沈んだ反動で、霊夢のだらけきって伸ばしていた足が浮き上がり四脚のテーブルの裏に直撃。甘味と酒が宙を舞う。
甘味が咲夜に、酒が魔理沙にルパンダイブを決行。咲夜がスペルカードをきる。魔理沙が八卦路を酒瓶にむける。
しかし遅い。アドバンテージがありすぎた。
それぞれべちょ、ゴシカァンという音を立てて、甘味と酒が咲夜と魔理沙に直撃した。
ちなみに四人が食べていた甘味は非常に美味い反面、非常にべたつく。質は確かでありながら、イマイチ人気が出ないのはそのせいだろう、と自称スイーツ評論家の東風谷早苗氏はそう語った。
閑話休題。
部屋は一瞬で、しんと静まり返った。
鈍痛にのたうちまわる霊夢と魔理沙、甘味を取ろうとすればするほど全身がべたついていく咲夜、何故か気絶している紫。
妖夢はこのびっくりするほどユートピアな様子を目にして、極めて冷静に呟いた。
「――七十点、といったところか」
針が頭に刺さり上体が仰け反った。
ナイフがまたも頭に刺さりそのまま倒れそうになった。
何故か満面の笑みの幽々子が死蝶を出した。
最後はマスタースパークで外に吹き飛ばされたと思ったら、霊夢の警醒陣に遮られて最初に戻るという奇跡のローテーションが完成した。
雨が、目に入ったことだけは覚えている――
@
散らばっていた意識が段々と形作られることがわかった。
体が痛い。鍛錬が出来ないほどに弱ってはいないが、惰性に任せてもうちょっと眠っていたい。
だって瞼の重みには勝てないし、後頭部から伝わるやわらかい温もりはとても心地が良かったし、まだ雨の音しか聞こえないし……。
「……雨!?」
妖夢の体が一気に起き上がった。
幽々子は一瞬、虚をつかれたように体を震わせたが、直ぐに微笑んで言った。
「お早う、妖夢。体調はいかがかしら?」
「……幽々子さま」
正座の姿勢を崩した幽々子を見て、膝の上で眠っていたのだな理解した。
しかし雨が理由で目を覚ますなど、修行のし過ぎでパブロフの犬にでもなったかと苦笑する。
楼観剣を持って外に出ようとすると、幽々子が止めた。
「どこに行くの?」
「外に鍛錬です。ちょうど雨が降ってますので」
幽々子は手のかかる子を見るように笑った。
「妖夢が最近口を開くたびに鍛錬、鍛錬で私は寂しいわ」
「……未熟者ですので」
「それにしたって、貴方最近ますます磨きがかかってるじゃない。そのせいで貴方、疲れているわ」
「そんなことはありません!」
「じゃあ昼の奇行は何なのよ」
返す言葉も無かった。
「妖夢、しばらくは私が目に余ると判断した鍛錬は禁止するわ」
「……何故ですか?」
「あ~ん、妖夢のいけず。何度も恥ずかしいこと言わせないでよ。私がとっても寂しいのよ」
妖夢は苦笑した。誤魔化し方が判りやすすぎる。何時もの余裕を無い。それほどまでに気を遣わせてしまっていたのか。
思えば昨日もそうだ。精神統一の時。普通ならわざわざ気付かれないように部屋に入ったりはしないだろう。用件こそ何も言わなかったが、きっとやんわりと制止しようとしたのだ。今と特に用も無いのに、他人の邪魔をするような方ではない。
申し訳なさの反面、なにやら肩の荷が降りたように楽になった。
「なによぅ、そんなに可笑しな事言ったかしら?」
「いえ、何でもありません。了解しました」
「まあ嬉しいわ、妖夢。じゃあ最後に、鍛錬に付き合ってくれた雨に別れのご挨拶をして来なさい。今までありがとうございました。次に私が狙った時はお前の命は無いぞ、ってね」
「それは幽々子さまからの伝言として伝えれば良いのでしょうか?」
「あらやだ。自分で行動できないような年じゃないわよ」
「解ってますよ。では」
妖夢はおもむろに立ち上がり、踵を返した。
しかし雨との会話とはいかなるものだろうと思案していると、幽々子が声をかけた。
「妖夢、忘れ物よ」
半身だけ振り返ると、幽々子が寝転びながら体を伸ばしていた。なんとか楼観剣に手が届くと、妖夢に向かって放り投げた。
「これは?」
「楼観剣」
「知っていますけど」
「知ってるわ」
「知っています」
「知ってるわ」
「知ってます」
「知ってるわ」
「……私の負けで良いですから。これは何でしょう?」
「最後の手合わせよ」
幽々子は扇を取り出して、釣りあがる口を隠すようにした。
それによって醸し出される雰囲気は、妖艶という言葉がこの上なく相応しい。そんな笑みだった。
「冥界の管理人兼、魂魄妖夢の主として命じるわ」
妖夢は無意識のうちに佇まいをなおした。
魂魄の血と幽々子の表情がそうさせたのかもしれない。
「雨に、けりをつけてきなさい。結果は問わないわ」
妖夢も笑った。
悪戯を生きがいとするような、年相応の笑みだ。
魂魄と西行寺。生まれながらの主従。それは運命の如き出会いでも、永遠の育んだ信頼でもない。しかし、自分にとってはこれこそが何よりも強い絆である。そう、運命よりも、永遠よりも。
妖夢は幽々子に跪いた。主から命令が下ったのなら、返事は一つ。
「了解しました」
この、一言だけで良い。
@
外に出ると、昨日以上の豪雨であった。
しかし昨日とは打って変わって、満月はその身を隠す事無く空に浮いている。
妖夢はぼんやりと、月を見るとも無く見ていた。しかし左手には、楼観剣が強く握られている。
「けりをつけてこい、とおっしゃったけど……」
やっぱり自分にはまだ無理そうだな、と思った。
しかしそれは諦めではない。
決意は爛々と、しかし蒼く燃える炎のように静かに燃え上がっていた。
「雨よ、今回は主の命により、負けを認めてやろう。しかし、待っていろ。私が今以上の実力をつけた、その暁には――」
自分で言っておいて、まるで三文の悪党の台詞みたいだと思って笑った。
妖夢は楼観剣を、撫でるようにゆっくりと雨振る空に振るった。
「――我が主の命により、お前の命は尽きると思え」
踵を返す。
それは決して逃走ではなく、また戦うことが宿命付けられた好敵手との別れ――なんて事を言うと、ますます言い訳くさい。
そんなことを思いながら、妖夢は水滴一つついてない、青白い月光を反射する楼観剣を鞘に収めた――
桜の満開は宴会の始まりを意味する。そして白玉楼から見える桜は、それはもう壮大なものだった。
花見酒で酔っ払った少女達は、地面に生えた芝の絨毯に身を委ねながら満開の桜と、その散華を見るのだ。桜の木の梢に繚乱と咲く花は、風が吹くたび繊細に、しかし盛大にその身を散らせていく。雄大に散るさまは、見る者の心に多少の名残惜しさを残しつつも、一切の溜飲を留まらせる事は無い。
幽々子は毎年、そんな想いを馳せながら縁側より咲き初める桜を眺めている――と、妖夢はこの時期毎日、要介護老人の話を聞くかのように聞いているのだが、今、縁側に幽々子はいなかった。それも仕様の無いことかもしれない。障子一つを挟んだ五十米四方の大部屋には、正座をした妖夢が張り詰めた緊張感を放っているからだ。
「……」
精神統一。
大部屋は、しんと静まり返っており、中心にはあの妖怪桜の如く微動だにしない妖夢がいた。
妖夢は目を瞑っており、傍らには稀代の宝剣、白桜剣と楼観剣が身を休めている。
隙は、無い。
溢れるほどの集中力が、今この部屋を途絶する事無く満たしている。もしもこの部屋に賊が入るとすれば、それは余程の愚か者か余程の手練であろう。それこそ、妖夢の師である魂魄妖忌ほどの者でなければ、足を踏み入れた瞬間には殺気に身を貫かれ、知らぬ間に首が飛んでいるだろう。
しかし、白玉楼にはそうそう賊は入らないし、そもそも妖夢に気付かれることなく部屋に入ることの出来る者など――
「よ・う・む~」
「みょんっ!?」
居た。
天衣無縫の亡霊、西行寺幽々子その人である。
妖夢の心臓は一瞬のうちでばねの様に跳ね上がった。それを隠すために立ち上がって幽々子に文句を言おうとしたが、足が痺れて顔からこけてしまった。
仕方なく白桜剣を杖にして、中腰になりつつも立ち上がる。無意識のうちに宝剣を松葉杖にしてしまい、心の中で深く慙愧する妖夢だった。
「あらあら、生まれたての鹿みたいねえ」
「茶化さないで下さい! 驚きましたよ、本当に……来るなら来ると言って下さいよ」
「あら、貴方は主より力量のある者に対しても、わざわざそう言うのかしら? 頼りないわねぇ~」
言いよどむ。返す言葉が無かった。
幽々子の接近を察知できないということは、それすなわち幽々子以上の力量を持つ者に対して自分は何も出来ないということだ。逆に言えばそれは自分が幽々子の護衛としては全く意味をなさないということでもあるので、妖夢は自分の意識の甘さを改めて恥じ、何時も以上に厳しい鍛錬を更に厳しくすることを誓う。
悔しさの余り握りしめた拳を何とかして解きながら、妖夢は苦し紛れに言った。
「……縁側に居たんじゃないんですか」
「あらぁ、だって背後から緊張感がびりびり伝ってくるから風情が台無しだし、外は雨だしで気が進まないんだもの」
「それは申し訳ありませ……って、雨!? 今雨が降っているんですか!?」
「そうよ。もしかして聞こえないほどに集中していたの?」
幽々子の言葉を皮切りに、地面を震わす雨音が妖夢の耳に入ってきた。
どうやら土砂降りのようだ。これほどの雨、いつの間に降ってきたのだろうか。
妖夢にとって、雨音が聞こえないほどの集中というのは別段気にすることではない。寧ろ好ましいことだ。
しかし、これほどの大雨の気配を察知できなかったのはいただけない。未熟者め。唇を強く噛む。犬歯に噛まれた唇が血を流し、楼観剣に滴った。
妖夢はハッと楼観剣に目をやると、居ても立ってもいられなくなって、それを片手に外へ飛び出した。
「すいません、幽々子さま。庭へ行ってきます!」
「あ、ちょっと妖夢。待ちなさい!」
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ほんの少し欠けた月が雲に隠されている。
黒く濁る様な雨が、桜の木を打ち、やがて地面に溶けてゆく。
妖夢は降りしきる雨と少量の桜を意識の外に追い出す。
桜観剣を腰だめに構え、一心に雨を見据えている。勝負は一度。失敗すれば終わりだ。
「まだ……だな」
妖夢は目を瞑り、更に雑念を霧散させる。
空はほの暗く、雨は容赦なく妖夢の体を打ち、冷たい風が体を通り抜けた。しかし妖夢の意識は、先程とは比べ物にならぬほど高められている。
息を吸い込んで、吐き出す。その時顔に滴る雨を吸い込んだが、気にするどころか気付く様子すらない。
目を見開く。高めた意識を前方のみに集中させる。このときには妖夢の体を打つ雨は、たちまち蒸発して霧となった。
今、妖夢の状態はこの上ないものになった。これで一瞬の機を逃し、雨を斬る事が出来なければ、まだまだ妖夢が及ばないということだ。
空気がぴんと張った状態。息の一つで、張り詰めた空気が壊れてしまう。
妖夢はひたすらに待った。自らの目に映る、暗闇の中の一筋の光明を――
――見えた。
瞬間。
闇に食われんとする少量の光を全て吸い込んだ白銀の煌きが宙に映る。
妖夢は空中を楼観剣で袈裟に斬っていた。
雨の重たさが剣に伝わった。
「……ふぅ」
体制はそのままに、しばらくするとため息をつきながら楼観剣を鞘に戻した。失敗だった。
「……寒い……」
集中が一気に途絶える。今までのツケを返せとばかりに、風と雨の冷たさが容赦なく体を襲った。
妖夢は走って屋敷の中に入ると、まずは刀身をゆっくりと丁寧に磨いて、傍に置いた。そしてそれに雨が滴らぬよう注意しながら、あらかじめ用意しておいたタオルで自分の体を拭いた。
――雨を斬るということは、すなわち、雨に触れないことだ。これは達人でもそうそう成しえられることではない。
先代の魂魄妖忌でさえ、生まれてから両手で足りる程度しか斬れたことは無いと言う。事実、妖夢の前では見せることは無かった。一度斬る事すら、奇跡に近いのだ。
妖忌の教えによると、一回斬って徒党に終わったら、その雨に対してはもうそれ以上挑戦しても無駄だそうだ。成功するかしないかが疎らなのは、雨にも性格があるからだと聞いた。相性が悪ければ天地空に名を馳せる様な大剣豪であってもただの素振りに終わるのだ。
雨を斬るには三十年というのは妖忌直々の言葉である。だが、これは寝食惜しんで雨を斬る鍛錬に費やし、更にその者が天賦の才を持っていると仮定して、やっと三十年なのである。
実はそのことを――恐らく意図的に――知らされていない妖夢は、ずっと己の未熟さを恥じていた。
妖夢は半人半霊ゆえに、不老長寿とまではいかないが寿命が長く老化が遅い。
三十年。
剣を習い始めてからのその年月は、冬の風景の如く過ぎ去っていった。
「幽々子さまぁ~、風呂に入ってきます」
はぁ~い、という返事を聞く前に妖夢は脱衣所の中へ入っていった。
水気を吸って重くなったタオルと、深緑のベストとスカートを籠の中に放り投げた。
風呂場へ入ると、湯気が妖夢の体を包んだ。桶で風呂から湯を掬って体にかける。冷えた体が、急に熱に晒されて悲鳴を上げた。
相当動揺している。落ち着け。
妖夢は深く息を吸った。湯気が少し下の方で巻き込まれるように鼻に入っていった。深呼吸のつもりで吸った酸素は、吐いたときにはため息混じりの二酸化炭素になっていた。
適当な石鹸とタオルをひったくる。
もう何をしても無駄なようなので、妖夢は少し荒々しくなりながらも体を洗った。
さっきのは手加減だとばかりに勢いを強める雨の音が、酷く不快だった。
@
翌日、昨日の雨が嘘だったかのように晴れた日。霊夢と魔理沙と咲夜が白玉楼にやってきた。
桜の下見と称しているが、実のところは飲みに来ただけだろう。名目さえあれば、いや、無くとも宴会を始めるのが連中の悪い癖だ、と妖夢は思っている。しかし幽々子が認めている上、あまつさえ本人が加わっているので妖夢は何もいえない。
手に持った盆の上には酒や甘味が入っている。
来客にも関わらず、憮然とした表情である。自分だけ蚊帳の外で拗ねているのではなく、恐らく昨日のことが響いているのだろう。
「……お前何拗ねてんだ?」
「拗ねてないっ!」
「解りやすさナンバーワンね、あんたは」
「霊夢に言われたくありませんよ」
「ほら、そうやってムキになるから拗ねてるとか言われるんじゃない」
「……これは昨日の鍛錬が振るわなかったせいだよ」
「それで取り乱すようじゃまだまだね~。妖忌に顔向け出来ないんじゃない?」
前言撤回。やはり拗ねていたようだ。
一対一でさえ良い様に乗せられる妖夢が、四対一で叶うはずがない。
そのことは、スキマから参加するチャンスを狙っていた紫から見ても明らかだった。
「どうぞ、注文通り、酒と甘味です。それでは私はこれから鍛錬があるので」
「あら、妖夢行っちゃうの? あなたも頂いていけば良いのに」
「そうよ、同じ従者の私も居るんだから、遠慮なんてする必要ないわよ」
「残念ね。この甘味よだれの代わりに手が出るくらいに美味しいのに」
「しかも酒まで飛び切り上質だしなあ。妖夢もどうだ? ほれ」
「遠慮しておきます。どうぞ皆さんは楽しんでください」
卑怯だ。鍛錬という逃げ場にしがみついた挙句、参加できるはずも無い。あの四人も解って言っているのだろう。あの一瞬で団結したような空気がその証拠だ。
ダムのようにたまった怒りが、妖夢の中に渦巻いていた。全く理不尽だ。この気持ちを、剣を振るうことによって発散しよう。
頭を思いっきり横に振って、妖夢は自分の顔を叩いた。
駄目だ駄目だ、いい加減な気持ちで剣を振るうなと師に言われたのを忘れたか魂魄妖夢。そうだ精神を落ち着けよう。そして空のように澄んだ気持ちになった後に剣の鍛錬を……。
……空? 空気だ。
そういえば、と妖夢は閃いた。
雨を斬る、時間を斬るという概念に対して、空気を斬るという概念はいまいち理解できていなかった。漠然としたイメージすら湧かないのだ。
だが、今なら何となく理解できるような気がする。
空気を斬る、というのは先程のような雰囲気を一太刀の元に断ち切ることではないか? そうだ、そうに違いない。
考えてみればますます確信が深まる。この国には、空気を読め、空気に馴染め、なんだもうばてたのか妖夢サムライなら主に負けぬ食う気を見せろ、という風に、実に空気が崇拝されている。お前らはカルト宗教の信者か、というくらいに。
妖夢は、単純で一途な性格である。あるがゆえ、先程のようにからかわれやすく、そして今のように妄信に陥りやすい。
小さな復讐心は、背理法もびっくりな仮定を生み、その仮定が結論を生み、その結論が大きな行動を起こそうとしていた。
妖夢は、四人の居る襖の前で、昨日のように息を潜めて精神集中している。
昨日のように――そう、それは雨を斬る時のように。
妖夢は、今襖越しの空間を包んでいるにぎやかな雰囲気をぶち壊そうとしていた。
妖夢の緊張が高まる。平素ならばこのただならぬ様子に気付けぬ四人ではないが、生憎今は酒に酔っている上、場所が場所なのでそういったことに気が向かなかった。
まだかまだかと待つ妖夢だったが、その一瞬はあっという間に到来した。何事かは解らぬが、空気に変化があったのだ。
妖夢が襖を開け放って、天高く飛び上がった。
一瞬の出来事だった。
さて。
これはあくまで不幸な必然と言っていいだろう。
人里は何時も通り機能しているし、人は正常な輪廻を繰り返しているし、逆立ちした拍子に頭を打ったチルノはやっぱり馬鹿だし――
何事があったかというと、妖夢が襖を開ける直前、紫がスキマを介してテーブルから出現した。
妖夢は、これを空気の異変と察して部屋へ突入。
そして紫の出現に気を取られていた四人は、驚きの余り襖が盛大に開け放たれたのにも気付かなかった。
そんな反応に満足したのか、紫は口の端を少し吊り上げ、霊夢に向かって――つまり妖夢に背をむけた状態で――何か言いかけた、その時。
そう、一瞬の出来事だった。
まず、紫の頭から楼観剣の鈍い打撃音が響いた。
それを受けて気を失った紫は霊夢に、天狗もあわやという勢いで頭突きを食らわせた。
すると上半身が急激に沈んだ反動で、霊夢のだらけきって伸ばしていた足が浮き上がり四脚のテーブルの裏に直撃。甘味と酒が宙を舞う。
甘味が咲夜に、酒が魔理沙にルパンダイブを決行。咲夜がスペルカードをきる。魔理沙が八卦路を酒瓶にむける。
しかし遅い。アドバンテージがありすぎた。
それぞれべちょ、ゴシカァンという音を立てて、甘味と酒が咲夜と魔理沙に直撃した。
ちなみに四人が食べていた甘味は非常に美味い反面、非常にべたつく。質は確かでありながら、イマイチ人気が出ないのはそのせいだろう、と自称スイーツ評論家の東風谷早苗氏はそう語った。
閑話休題。
部屋は一瞬で、しんと静まり返った。
鈍痛にのたうちまわる霊夢と魔理沙、甘味を取ろうとすればするほど全身がべたついていく咲夜、何故か気絶している紫。
妖夢はこのびっくりするほどユートピアな様子を目にして、極めて冷静に呟いた。
「――七十点、といったところか」
針が頭に刺さり上体が仰け反った。
ナイフがまたも頭に刺さりそのまま倒れそうになった。
何故か満面の笑みの幽々子が死蝶を出した。
最後はマスタースパークで外に吹き飛ばされたと思ったら、霊夢の警醒陣に遮られて最初に戻るという奇跡のローテーションが完成した。
雨が、目に入ったことだけは覚えている――
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散らばっていた意識が段々と形作られることがわかった。
体が痛い。鍛錬が出来ないほどに弱ってはいないが、惰性に任せてもうちょっと眠っていたい。
だって瞼の重みには勝てないし、後頭部から伝わるやわらかい温もりはとても心地が良かったし、まだ雨の音しか聞こえないし……。
「……雨!?」
妖夢の体が一気に起き上がった。
幽々子は一瞬、虚をつかれたように体を震わせたが、直ぐに微笑んで言った。
「お早う、妖夢。体調はいかがかしら?」
「……幽々子さま」
正座の姿勢を崩した幽々子を見て、膝の上で眠っていたのだな理解した。
しかし雨が理由で目を覚ますなど、修行のし過ぎでパブロフの犬にでもなったかと苦笑する。
楼観剣を持って外に出ようとすると、幽々子が止めた。
「どこに行くの?」
「外に鍛錬です。ちょうど雨が降ってますので」
幽々子は手のかかる子を見るように笑った。
「妖夢が最近口を開くたびに鍛錬、鍛錬で私は寂しいわ」
「……未熟者ですので」
「それにしたって、貴方最近ますます磨きがかかってるじゃない。そのせいで貴方、疲れているわ」
「そんなことはありません!」
「じゃあ昼の奇行は何なのよ」
返す言葉も無かった。
「妖夢、しばらくは私が目に余ると判断した鍛錬は禁止するわ」
「……何故ですか?」
「あ~ん、妖夢のいけず。何度も恥ずかしいこと言わせないでよ。私がとっても寂しいのよ」
妖夢は苦笑した。誤魔化し方が判りやすすぎる。何時もの余裕を無い。それほどまでに気を遣わせてしまっていたのか。
思えば昨日もそうだ。精神統一の時。普通ならわざわざ気付かれないように部屋に入ったりはしないだろう。用件こそ何も言わなかったが、きっとやんわりと制止しようとしたのだ。今と特に用も無いのに、他人の邪魔をするような方ではない。
申し訳なさの反面、なにやら肩の荷が降りたように楽になった。
「なによぅ、そんなに可笑しな事言ったかしら?」
「いえ、何でもありません。了解しました」
「まあ嬉しいわ、妖夢。じゃあ最後に、鍛錬に付き合ってくれた雨に別れのご挨拶をして来なさい。今までありがとうございました。次に私が狙った時はお前の命は無いぞ、ってね」
「それは幽々子さまからの伝言として伝えれば良いのでしょうか?」
「あらやだ。自分で行動できないような年じゃないわよ」
「解ってますよ。では」
妖夢はおもむろに立ち上がり、踵を返した。
しかし雨との会話とはいかなるものだろうと思案していると、幽々子が声をかけた。
「妖夢、忘れ物よ」
半身だけ振り返ると、幽々子が寝転びながら体を伸ばしていた。なんとか楼観剣に手が届くと、妖夢に向かって放り投げた。
「これは?」
「楼観剣」
「知っていますけど」
「知ってるわ」
「知っています」
「知ってるわ」
「知ってます」
「知ってるわ」
「……私の負けで良いですから。これは何でしょう?」
「最後の手合わせよ」
幽々子は扇を取り出して、釣りあがる口を隠すようにした。
それによって醸し出される雰囲気は、妖艶という言葉がこの上なく相応しい。そんな笑みだった。
「冥界の管理人兼、魂魄妖夢の主として命じるわ」
妖夢は無意識のうちに佇まいをなおした。
魂魄の血と幽々子の表情がそうさせたのかもしれない。
「雨に、けりをつけてきなさい。結果は問わないわ」
妖夢も笑った。
悪戯を生きがいとするような、年相応の笑みだ。
魂魄と西行寺。生まれながらの主従。それは運命の如き出会いでも、永遠の育んだ信頼でもない。しかし、自分にとってはこれこそが何よりも強い絆である。そう、運命よりも、永遠よりも。
妖夢は幽々子に跪いた。主から命令が下ったのなら、返事は一つ。
「了解しました」
この、一言だけで良い。
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外に出ると、昨日以上の豪雨であった。
しかし昨日とは打って変わって、満月はその身を隠す事無く空に浮いている。
妖夢はぼんやりと、月を見るとも無く見ていた。しかし左手には、楼観剣が強く握られている。
「けりをつけてこい、とおっしゃったけど……」
やっぱり自分にはまだ無理そうだな、と思った。
しかしそれは諦めではない。
決意は爛々と、しかし蒼く燃える炎のように静かに燃え上がっていた。
「雨よ、今回は主の命により、負けを認めてやろう。しかし、待っていろ。私が今以上の実力をつけた、その暁には――」
自分で言っておいて、まるで三文の悪党の台詞みたいだと思って笑った。
妖夢は楼観剣を、撫でるようにゆっくりと雨振る空に振るった。
「――我が主の命により、お前の命は尽きると思え」
踵を返す。
それは決して逃走ではなく、また戦うことが宿命付けられた好敵手との別れ――なんて事を言うと、ますます言い訳くさい。
そんなことを思いながら、妖夢は水滴一つついてない、青白い月光を反射する楼観剣を鞘に収めた――
妖夢が妖夢らしくて私の中のイメージにぴったり合いました。
妖夢の成長物語、その途中の1ページですね。
これからもこの妖夢は色んな経験をしながら、周囲にからかわれながら強くなってゆくのでしょうね。