Coolier - 新生・東方創想話

富士見の娘と妖怪桜

2008/04/05 06:54:22
最終更新
サイズ
66.76KB
ページ数
1
閲覧数
2114
評価数
18/39
POINT
2620
Rate
13.23

分類タグ


富士見の娘、西行妖満開の時、幽明境を分かつ、

その魂、白玉楼中で安らむ様、西行妖の花を封印しこれを持って結界とする。

願うなら、二度と苦しみを味わうことの無い様、永久に転生することを忘れ・・・


















                     * * *



西行妖。

西行寺家の庭に立つ、巨大な妖怪桜。

幾多の魂を喰らい、凄絶に咲き誇る。

今はまだ八分咲きといったところ。

満開になるのも、もうあとわずかのことだろう。

しかし、西行妖が満開になることはない。

なぜならば西行妖は、今宵封印されるのだから。



西行寺 幽々子はその巨大な桜を見上げて、不思議な気持ちに駆られた。

なんと逞しく、なんと美しい。

それでいて、とても儚げで、

そして、醜い。

幽々子は嫌悪に顔を歪める。

幾多の魂を食らってきた妖怪桜。

通常ではありえないほどの年齢を重ねた、そのうねるような樹皮は、

グロテスクとしか言いようがない。

「幽々子。」

父の促すような声に、幽々子は小さく頷いて返す。

かがり火で作られた、妖怪桜への道。

夜も明けきらぬ深夜。

月明かりはなく、ゆらゆらと揺れる炎の明かりのみ。

父と屋敷中の従者が見守る中、幽々子は歩く。

一人の従者を従えて。

ゆっくりと、厳かに。

風すらその神経質な空気に気圧されたかのように、静か。

やがて、幽々子は桜の元へとたどり着く。

見上げるほど巨大な桜。

その花びらは、一枚も散ることはない。

それが、溜め込んだ魂を手放すまいとする様に思えて、

幽々子はその浅ましさに憤りすら覚えるのだった。

「妖香。白楼剣を。」

傍に付き従っていた従者、魂魄 妖香は、

頭を垂れ、捧げるように一振りの刀を差し出した。

魂魄 妖香。

歴史ある魂魄宗家の中でも、最も才能に優れていると言われる天才剣士。

女性でありながら武勇に優れ、幼少の頃より幽々子に仕え、共に育ってきた。

そのため妖香は、幽々子を主であると同時に、妹のようにも感じていた。

また、幽々子も人目のないところでは、妖香と姉妹のように振舞っていたという。

きっちりと肩口で切りそろえられた髪と、意思の強そうな切れ長の瞳。

可愛らしさよりも凛々しさを感じさせるその顔は、今は苦痛に耐えるように歪められていた。

それは当然ともいえる。

妖香が妹のように感じ、幼い頃より付き従っていた幽々子は、

今よりこの場所にて、自ら命を絶つのだ。

この妖怪桜、西行妖を封じるために。



西行妖はいつの頃からか、西行寺家の庭に存在していた。

その桜の咲き誇る様は美しく、見るもの全てを魅了した。

そのためか、

「最期の時はこの美しい桜の元で。」

と考える者も少なくなく、数多の人間達がこの桜の元で自刃していった。

いつの頃からか、この西行妖には不思議な力が宿り、

自ら美しく咲き誇るために、人間達の魂を誘い喰らうという憶測が流れた。

いや、それは憶測ではないのだろう。

桜の元で遺体が発見されると、桜は必ずといっていいほど美しく咲き誇っていたという。

また、その桜の影響なのか、西行寺の娘には時折不思議な力を持つ者が生まれた。

西行寺 幽々子もそうである。

幽々子には生まれつき、『死霊を操る程度の能力』が備わっていた。

それだけならばまだ良かったのだが、

その力はやがて『人を死に誘う程度の能力』に変わっていった。

それに呼応するかのように、西行妖の元で自刃する者も格段に数を増していった。

おそらくは、西行妖が魂を喰らい、力を増すにしたがって、

西行寺の娘の能力も呼応して強力になったのだろう。

そして西行寺の娘の能力が、さらに西行妖の元へ魂を誘う。

このままでは、西行妖に都中の人間が喰らい尽くされてしまう。

西行寺家は西行妖を止めるために、苦肉の策を決した。

西行妖が西行寺の娘に影響を与えるならば、西行寺の娘が鍵になるのではないか、と。

その策の内容は、西行寺の娘が桜の元で自刃する、というものだった。

西行妖によって力を与られた者が、その元で自刃する。

それは西行妖が与えた力を、西行寺の娘が拒否したことと同意となる。

そして魂を呼び寄せるための能力者がいなくなれば、西行妖はその力を維持できなるなるだろう。

この西行妖封印の儀式は、幽々子が西行妖の元で自刃することで完了する。



頭を垂れたままの妖香の耳に、かたかたと小刻みに小さな音が聞こえた。

―かたかたかた...

「幽々子様・・・。」

妖香は顔を上げた。

震えていた。

刀を取ろうとする幽々子の手が、小さく、だが確かにわかるほど。

怖いのだ。

怖くないはずがない。

こんな年端もいかぬ少女が、自ら命を絶たねばならないのだから。

妖香は唇をきつく噛み締めた。

唇が切れて血の味が広がっても、噛み続けた。

もういいんです!

やめましょう!

そんな言葉が、今にも口から出てしまいそうだったから。

「・・・大丈夫。出来るわ。」

小さく、姉にしか聞こえないほどの声。

幽々子はしっかりと刀を握ると、

すらりと抜き放った。

人の迷いを断つといわれる、魂魄家に伝わる宝刀。

白楼剣。

それが、自身の迷いを断ってくれると願って。

―さぁ...

風が流れた。

それが、幽々子に纏わり付く最後の迷いを吹き流したかのように、

幽々子の顔から表情が消えた。

まるで、蝋で作られた人形のように無機質に。

震えは止まった。

今が、儀式の時。

「数多の魂を喰らい続ける妖怪桜、西行妖。

 わたくしの命を持って、ここに封印致します。」

白楼剣がかがり火の光を受けて、赤く煌く。

その刀身が、幽々子の細い首に押し当てられた。

幽々子はその最期の瞬間、妖香をちらりと覗った。

今にも飛び出してきそうな妖香。

飛び出して、刀を取り上げたいと思う自分を全身全霊をかけて押さえ込んでるのがわかる。

あまり躊躇うと、妖香に悪いわね。

幽々子は、その刀を握る手を一思いに引き



―バカンッ!!



厳かな静寂を、あまりに場違いな騒音が粉々に打ち砕いた。

幽々子の眼前を障子が舞う。

障子である。

そう、あの障子だ。

それが、屋敷から外れて幽々子の前まで飛んできたのだ。

さらにその障子を追う様にして、一つの影が儀式の場に舞い込んだ。

体を丸めてごろごろと転がり、

幽々子の目の前まで来てぴたりと止まった。

動きが止まって、その姿がようやく視認できた。

青年である。

長髪を頭のてっぺんの辺りで結わえた、野生的な顔立ちの青年。

腰に一振りの長刀を携え、

その両手には、

・・・なぜかまんじゅう。

いや、口にも一つくわえていた。

両手と口。

まんじゅう三刀流。

あまりにも場違いな青年の登場に、場の人間全ての時間が停止した。

「・・・いかん。妙に静かだったんで、誰もいないと思ってこっちに逃げてきたんだが。」

手を使わずに、くわえたまんじゅうを器用に口だけで食べ尽くすと、

青年は周りを見回した。

どう見ても場違い。

目の前には刀を自分の首に押し当てた少女と、

物々しい雰囲気の人間達が一個師団。

その全てが、目を丸くして呆然と自分に注目している。

どうしたものか、と青年はのんびり頭を巡らせ、

―ぱくっ

「「って続行すんなッ!!」」

食事を続行した。

闖入者の衝撃からようやく回復し始めた屋敷の者達が、

青年の周りを取り囲み始める。

「ええい、この大事な時に曲者めッ!」

え~っと、なんだかまずい雰囲気?

青年が2つ目のまんじゅうを食べ終わるころには、

刀を抜き放った数人の男達に周囲を囲まれていた。

「ま、まてまて、話せばわかる。

 怪しいものじゃないんだ。」

どう見ても怪しい。

「ああ、いや、このまんじゅうはだな。

 仏様からの贈り物というか、仏様に捧げられてたもんをちょいと拝借したというか。」

しかも食い逃げかよ!

「いやいや、拝借っていうか、借りるだけだぜ?」

食ったものをどうやって返す気かのか。

「ええい、討てぇい!!」

「マジでっ!?」

―ビュン!!

正面の男の一閃を慌てて伏せてかわす。

「うわっ、刀だよ! 真剣だよ!

 たかがまんじゅう1つで心狭すぎ!!」

3つである。

いや、そんな細かいことはこの際どうだっていい。

とにかく、今はこの状況を打開しなければ。

なにか使えるものはないか、と青年はがむしゃらに手を伸ばす。

そして、なにかを掴んだ。

「きゃっ!?」

引き寄せると、それは少女だった。

脇差くらいの長さの刀を持った、物騒な少女である。

といっても、見た目どう見てもお嬢様で、刀が扱えるとは到底思えない。

まあいい。

今はこれを使って打開策を考えなければ。

(といっても、これしかないよなぁ。)

青年は少女を体の前にしっかり抱えると、

少女が持っていた刀をその細首に押し当てた。

「お前ら動くな! このちょっと天然入ったような小春日和な頭が宙を飛ぶかも知れないぜ!?」

うっひょ~、俺ってば超悪役。

アドリブでこんな凝ったセリフが思いつくんだから、才能あるかもしれない。

そして効果は抜群だった。

手を出しかねるように、刀を持った男達が遠巻きから警戒するように距離を開けている。

いける、これはいけるぞ!

「妖香、なにをしている!? さっさとその不届き者を片付けろ!!」

「し、しかし御館様! お嬢様を人質に取られては・・・!!」

そう。下手に手を出すわけにはいかなかった。

幽々子は桜の元で『自刃』しなければならない。

誰か他の人間の手によって殺されたのでは駄目なのだ。

それは西行妖を封印する術が永遠に失われることを意味する。

それだけは絶対に避けなければならなかった。

(頼むからもうちょっと大人しくしといてくれよ。後でちゃんと解放してやるからな。)

少女だけに聞こえるように、青年は囁いた。

(あ、あの・・・。)

(頼むよ、マジで。あとちょっとだってば。)

もぞもぞと腕の中で動く少女に、青年は焦る。

流石にこんな顔も知らない少女を一思いに殺せるほど、青年は悪人ではない。

少女に逃げられればその時点でゲームオーバーだ。

(いえ、あの、私協力します。あなたが逃げるのに。)

(そいつは助かるね。じっとしておいてくれるだけでいいんだけど。)

(は、はい。じっとしていますから、一つだけお願いを聞いてください。)

青年は面食らった。

この状況で取引?

見かけによらず、案外肝が据わっているのか。

なんにしても、この状況では青年はそれを飲まざるをえない。

なにかとんでもない条件を突きつけられたら非常に困る。

青年は内心冷や汗を流しながら、その条件を聞いた。

(私を、解放しないでください。このまま、私を連れて行って・・・。)

「・・・・・・は?」

青年は思わず間抜けな声を上げた。



                     * * *



家と家の隙間に幽々子を放り込むと、

青年は体を乗り出さないように表通りを覗った。

「探せ! お嬢様だけは必ず無事に保護しろ!!」

妖香が鋭い指示を飛ばし、男達を適度に分散させる。

手馴れている。

本気であれを相手にしたら相当に厄介だろう。

しかしながら、まあなんとか無事に西行寺の屋敷を抜け出すことができたわけである。

青年は盛大にため息をつくと、どかっと路上に腰を落とした。

(なんか、厄介なもん拾っちまったかなぁ・・・。)

少女はきょとんとした表情でこちらの顔を覗っている。

せめて可愛いことだけが救い。

これで不細工だったら速攻で放り出してやっている。

「で、お前、名前は?」

「はい。西行寺 幽々子です。」

ぺこり、と丁寧にお辞儀までして、幽々子は名乗った。

やっぱり天然なのかもしれない。

こんな得体もしれないような男にここまで礼儀正しいなんて。

「あの、あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」

「ん? おお・・・。」

青年は少し考えた後、

なぜかふんぞり返って名乗った。

「牛若だ。牛若丸。知ってるか?」

「・・・いいえ。有名な方なのですか?」

「・・・・・・あそっ。知らんならいいんだ。

 俺のことはうっちゃんとでも呼んでくれ。

 俺はお前のことをゆーちんと呼ぶ。」

「・・・・・・。」

「露骨に嫌そうな顔すんな。冗談だよ。

 俺は幽々子って呼ぶから、お前は牛若って呼べよ。」

「・・・はい、牛若。」

「よし、OK。」

満足げに頷く牛若。

「あっ、そうだ。この剣はあなたに差し上げます。」

「んっ? マジで!?」

幽々子は一振りの刀を差し出した。

どう見ても、この世に二つとない名刀だ。

白楼剣。

人の迷いを断つといわれる、魂魄家の宝刀。

本当はもう一本、楼観剣という刀もあったらしいのだが、

そちらは賊に盗まれ、現在は行方知れずだという。

売れば数年は寝食に困らない程度の価値がある。

「いいのか、これ。すんげぇ名刀だぜ?」

「いいんです。これからお世話になりますから。」

お世話?

ああ、そうか。

俺はこのお嬢様を拉致しなければならないのだった。

ん~、いや、しかしなぁ・・・。

牛若の顔が困ったように歪む。

ちょっとどころではない厄介ごとの気配がする。

さくっとここらでとんずらしたほうが、世のため人のため。というか自分のため。

「あの・・・?」

「いやなぁ、いくら女の子のためとはいえ、ちっと割りに合わないかなぁ、とか思ってたり。」

「・・・じゃあその刀であなたを従者として雇います。

 駄目ならその刀、返してくださいね。」

「ぐっ、そう来たか。」

牛若は頷かざるを得ない。

だって、これほどの名刀はそうお目にかかれるものじゃない。

手放してしまうにはあまりに惜しいものだった。

「わかったよ。商談成立だ、お嬢様。

 んじゃまずは状況を聞こうか。」

状況。

つまり、あの庭でなにが行われていたのか。

なぜ、あそこまで必死に幽々子を取り返そうとしているのか。

いやまあ、良家のお嬢様なら必死にもなるだろうけど、

それにしたって食い逃げ相手に真剣はやりすぎだろうと思うし。

それに、なぜ幽々子が屋敷に帰りたがらないのかも。

「・・・西行妖、という妖怪桜をご存知ですか?」

「いいや。あのドでかい桜がそうなのか?」

「はい。あの桜は人の魂を喰らうといわれています。」

「人の、魂を・・・?」

「はい。今日は庭でそれを封印するための儀式を行っていたのです。

 その儀式とは、西行寺の娘、つまり私が、西行妖の元で自刃することなんです。」

「ジジンって、あれか。ウナギが暴れるやつ?」

「それは地震です。あと、暴れるのはナマズです。

 自刃とは、自ら命を絶つことですよ。」

「・・・そりゃまた。で、それが嫌になって逃げ出したくなった、と。」

「はい。そうです。」

牛若は大きく欠伸をしながら、耳の穴をほじった。

その態度に、幽々子はむっとする。

「信じてませんね?」

「あったりめぇだバーカ。桜が人を殺すわけないだろうが。」

「殺しますよ。あの桜は人を殺します。私と、同じように・・・。」

幽々子はすっと立ち上がると、手を伸ばした。

一匹の蛾が飛んでいた。

その蛾が止まるように、幽々子は手を掲げる。

蛾が、幽々子の手に止まった。

飛び立つ気配はない。

幽々子がそっと手を傾けると、

蛾は身動き一つせずに、ぽとりと地面に落ちた。

死んでいた。

「西行寺の娘は時折、西行妖の影響を受けて、西行妖と同じ能力を持つそうです。」

「・・・・・・マジかよ。」

「本当です。私は生き物を簡単に死に誘える。それこそ、呼吸をするのと同じように。」

頷くしかなかった。

実際に、それを目の前で見せられては。

「・・・怖いですか、私が?」

「・・・・・・。」

答えられなかった。

それは肯定と同意だ。

否定ならば、違うとはっきり言えばいい。

「・・・私も、怖いです。自分の力が。」

幽々子は自分の体を抱きかかえるようにして膝を折った。

「生み出すことなどできない、奪うだけの力。

 こんな力、なければ良かった。消えてしまえばいい。

 だから私は、あの儀式に同意したんです。

 私が死ぬことで、西行妖を止めることができるなら。誰かを守ることができるなら。」

震えていた。

幽々子は、小さく、だが確かにわかるほど。

「でも怖かったんです! 死ぬのが怖かった!

 死にたくない! 私、死にたくないんです!!」

幽々子の体の震えが止まった。

変わりに、今度は抜け殻のように脱力した表情になって、

「・・・最低ですね。奪うことしかできない化物が。

 人を簡単に殺せるくせに。人を簡単に殺してきたくせに。

 それが生きたいですって? 死にたくないですって?

 なんて醜くて、浅ましい・・・。」



「・・・いんじゃね、別に?」



は?

幽々子は呆けたような声を上げた。

「お前さ、頭いいだろ?」

「は、はぁ・・・。教育係には、頭の回転が早いと言われましたけど・・・?」

牛若は、めんどくさそうに頭を掻いて、

「難しく考えすぎなんだよ。

 好きなことやって、好きなように生きろ。

 自分のために生きてなにが悪い。」

当たり前のことを聞くな、といった声で、

「お前、今なにがしたい?」

「は、はぁ・・・。」

幽々子は真剣に首をひねった。

たっぷり数分はしたところで、ようやくそれに答える。

「屋敷に戻りたくないです。」

―ぽかっ

「痛い!」

「質問の答えになってねぇよ。

 なにをしたくない、じゃない。なにがしたいか聞いたんだ。

 もっとポジティブに考えろ。」

したいこと。

自分が、したいこと。

自分が、生きて、自由になって、したいこと。

「都を・・・。」

「あん?」

「都を、見て周りたいです。

 あの、屋敷から外に出たことがないので・・・。」

幽々子は屋敷から外に出たことはなかった。

それは幽々子の持つ、特異な能力のせい。

西行寺は有名な家系だ。

そこに、幽々子のような異能者が生まれたと知れたら、

家の名前に傷が付く。

だから、幽々子は生まれてからずっと屋敷に住まわされていた。

幽閉、といってもいい。

障子の隙間から眺めていただけの世界。

それが、幽々子の唯一の憧れだった。

牛若はそれを聞いて納得した。

なるほど、あの儀式はつまり、一石二鳥だったわけだ。

西行寺の家にとっては。

「よし、そんじゃ行くか。」

牛若は幽々子の手を引っ張り、立ち上がらせた。

幽々子は困惑した表情で聞き返す。

「行くって、どこへですか?」

「知るか。お前が決めろ。」

「え、ええっ!? 私が、ですか・・・?」

「見て周りたいんだろ。好きにすりゃいいさ。」

「・・・・・・はい!」

幽々子はしっかりと頷き返し、

ふとなにかを思い出したように振り返った。

「あっ、ちょっと待ってください。」

とことこと先ほどの場所に戻ると、

なにやら地面をがさごそ掘り返し始めた。

その穴に、小さな蛾の死骸を納め、

もう一度土をかぶせる。

「さ、行きましょう!」

その幽々子の明るい笑顔は、

丁度差し込む朝日に映えるようだった。



                     * * *



「ナウマク・サマンダボダナン・ベイシラマンダヤ・ソワカ。」

朗々とした声が響き渡る。

涼やかささえ感じられる女性の声。

西行妖の前に座禅を組む、一つの影。

艶やかな黒髪を高い位置で纏め上げ、

風によって気まぐれに晒されるその横顔は、この世のものとは思えないほどに整っている。

どんな名工が削りだした彫像にも勝る美しさ。

儀式が中断された今、再び幽々子が見つかるまでの応急処置として、

西行妖を抑えるための儀式の真っ最中。

それを遠巻きに眺める従者たちの声。

「なにもんじゃあ、あの娘?」

「うむ。西行妖のことで困っているだろう、と突然押しかけた得体の知れない奴じゃ。」

「安部 逢魔とか名乗りよった。あの安部 清明の血族の結界師らしいぞ。」

「なら安心してもよさそうじゃのう。」

従者たちの無駄話を塗り潰すかのような、逢魔の呪言。

「チチンプイプイ・ビビディバビディブゥ。」

奇怪な呪文だった。

猛烈に胡散臭い。

だが幽々子が見つからない以上、藁にもすがる思いだった。

「しかし、安部 清明といえば、あの妖怪とも噂された陰陽師じゃろう?」

「なるほどのぅ。あの美しさも妖怪かも知れんと思えば頷けんこともないのう。」

と、逢魔が突然立ち上がった。

そのままおもむろに西行妖に近づいていく。

ごくり、と従者達が固唾を飲み込み、

「おーぷんせさみ!!」

―どげしっ!!

蹴った。

西行妖を。

そのすらりと伸びた御足で。

しん、と辺りが静まりかえり・・・、

「・・・ダメか!?」

「「当たり前だろッ!!」」

困惑した表情の逢魔に、従者たちはついついツッコミを入れてしまう。

結界を張るのがそんな力技だなんて、聞いたこともない。

どう見ても詐欺師だった。

騙されたのだ。

幽々子の父の顔がみるみる赤く染まる。

「・・・ええい、この詐欺師め!! 引っ捕えろ!!」

いち早く反応した妖香が飛び出した。

流石である。

いつの間にか抜き放った刀を構え、あっさりと自分の間合いに入り込む。

「観念しろ、詐欺師。」

「あ~、えっと・・・。」

逢魔は明後日の方向を見ながら、

困ったように頬をぽりぽりと掻いて、



「怒っちゃいやん♪」



可愛くウィンク。

「叩き斬れィ!!」

「御意!!」

「うわっ、ジョークの通じない人たち!?」

―ビュッ!!

妖香の一閃。

逢魔はまるで空でも飛んでいるかのように、ふわりと飛び上がった。

(か、かわされた!?)

妖香の顔に動揺が走る。

今のは手加減なしの一閃だった。

魂魄家の中でも随一と謳われた妖香の一閃を、こうもあっさりと。

こいつ、只者じゃない・・・!?

「アディオ~ス!」

「あっ、待て!!」

すたこらと逃走を開始する逢魔。

その耳に、従者達のひそひそ話が聞こえた。

本来聞こえるはずのない音量であるにも関わらず。

「やはり、幽々子様がいないと西行妖を鎮めるのは・・・。」

「一刻も早く幽々子様を探し出さなければ・・・。」

それに、逢魔は邪悪めいた笑みを浮かべる。

(幽々子。西行寺 幽々子、か・・・。)

まるで悪戯を思いついた子悪魔のような表情で、

逢魔は西行寺家の敷地を飛び出した。

後方に妖香を従えたまま。



                     * * *



「おっちゃん、焼き魚定食!」

「あいよ~!」

調理場から威勢のいい返事が返ってくる。

ここはとある定食屋。

「おい、幽々子。さっさと決めろよ。」

「き、決めるって・・・?」

「注文だよ。なにが食いたいんだ?」

「・・・えっと。」

「・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・・・・。」

「どん臭い奴だな。魚は好きか?」

「・・・いえ、あんまり。」

「じゃあ肉は?」

「・・・いえ。」

「・・・野菜は?」

「・・・・・・すみません。」

牛若は呆れた様子で肩を落とした。

「お前なに食って生きてきたんだよ。」

「食事をすること自体が、あまり好きではないんです。」

「・・・・・・じゃあ焼き魚な。おっちゃん、焼き魚もう一つ!」

「あいよ~!」

焦れた牛若は勝手に注文を決めてしまう。

どうせなにが来たって一緒だろう。

そう、腹に入ってしまえば一緒。

「へいお待ち!」

「よっしゃ!」

料理が届くと、待ってましたと言わんばかりに牛若は箸を割った。

意気揚々と魚の身をほぐし始める牛若を、

幽々子はじぃーっと見つめている。

「どうした? 惚れたか?」

「いえ。食べ方を見ていたんです。」

「即答かよ。」

ややがっかりする牛若。

どうやら幽々子は魚の食べ方も知らないらしい。

どんだけ箱入り娘だったのか。

「その、骨や皮は、出される段階ではずされていたので・・・。」

「くっ、なんだこの敗北感。」

すみません、と頭を垂れる幽々子。

まあいいや、と牛若は気を取り直して、

箱入りのお嬢様に魚の食べ方をレクチャーする。

「いいか、こうやって上側の身をほぐして。」

「はい。」

「真ん中の骨を一気にはずすのだ。」

「はい。」

「そして一口大につまんで食す。」

「はい。」

「どうだ、うまいか?」

「痛い。」

小骨が混じっていたらしい。

「己の全霊を持って噛み砕け。」

「あう、はい・・・。」

痛みに顔をしかめながらも、もくもくと箸を進める幽々子。

なるほど、頭の回転が早いと言われていたのも、あながちお世辞ではなかったらしい。

もう魚の食べ方に慣れ始めている。

「おっちゃんおかわり!」

「あっ、あの、わたしも・・・。」

「あいよ!」

「で、まずはどこに行くか決めたか?」

「い、いえ。なにがあるのか知らないので・・・。」

「そうか。まあ適当にぶらつくのもいいか。」

「そうですね。」

「おっちゃんおかわり!」

「あっ、わたしも・・・。」

「あいよー!」

怪訝な顔で幽々子を見る牛若。

幽々子は居心地悪そうに牛若を見返した。

「あ、あの、なんでしょうか?」

「いや、よく食うなぁ、と思って。

 飯食うの嫌いじゃなかったのかよ。」

「す、すみません・・・。

 知らなかったんです。人と食べるご飯が、こんなに美味しいなんて。」

いつも食事は一人でしたので。

やや照れくさそうにはにかむ幽々子に、

牛若は呆れたようなため息で返す。

「そりゃ羨ましい舌だね。一枚くれんか?」

「私は一枚しか持ってません。」

私は、という辺り、その辺の含みには気付いたのだろう。

結局、2人とも4杯目を平らげたところで食事は終了した。

「さて、たらふく食ったし、そろそろ行くか。」

「えっ、あの・・・?」

そのまま堂々と出て行こうとする牛若を見て、

幽々子は目を丸くした。

流石の幽々子も、外で食事をするにはお金がいることくらい知っている。

代金はどうするのか、と問う幽々子に、

牛若は本当に呆れたように目を細めた。

「バカだな、お前は。」

「は、はい?」

「お前と俺が初めて会った時の事を思い出してみろ。」

「はい・・・。」

思い出してみた。

まんじゅう三刀流の牛若。

「食い物を食ったまま逃げる。これがどういうことかわかるか?」

「えっと、食い逃げ、ですか?」

「おうよ。そこまでわかってるなら話は早い。

 せーので一気に走るぞ。腹の余裕は十分か?」

理解した。

そもそもこの男は文無しなのだ。

つまり、最初から金を払う気などない。

つまり、この場は食い逃げで逃れるしかない。

「せーの!!」

「えっ、ちょっと!?」

幽々子の静止を聞く間もなく、

牛若は勢いよく定食屋を飛び出していた。

ちょろいぜ。

牛若はほくそ笑む。

ほら、店主もあまりの早業に追ってこれていない。

・・・というか、追ってきていない。

「ゆ、幽々子ォ!?」

幽々子がとっ捕まったに違いない。

くそっ、どこまでもどん臭いやつめ!!

牛若は心の中で悪態を吐きながら、

定食屋に戻って―――

「ありがとやんしたー!」

「ごちそうさまでした。」

幽々子は店主に満面の笑顔で見送られていた。

・・・何故!?

ぺこり、と幽々子は店主に頭を下げて、

とことこと牛若の元へ駆け寄ってきた。

「もう! 駄目ですよ、食い逃げなんて。」

「お、お前、どんな詐術を・・・!? 見かけによらず黒い!?」

「そ、そんなことないです!!」

幽々子は気恥ずかしそうにしながら、

トリックの種明かしをした。

「・・・あの、請求はお屋敷の方に、と。」

・・・なるほど。

つまりはツケか。

こいつ、いつの間にそんな熟練の高等技術を・・・。

「俺、お前のことちょっと見直した。」

「はい?」

小首をかしげる幽々子の顔が、なんとも滑稽だった。



                     * * *



「ん、なんだ?」

表通りに出ると、周囲がやけに騒がしかった。

なにか見世物でもやっているのだろうか。

人ごみが道を完全に塞いでいる。

「・・・どうかしたんでしょうか?」

「知らん。」

人ごみの向こうを覗おうと、牛若は背を伸ばし、

しかし、すぐにそれは必要なくなった。

人ごみが物凄いスピードで割れ始めたのである。

モーゼの十戒よろしく。

まるで、高速で突っ込んでくるなにかを避けるかのような。

いや、それは実際、まさしくその通りで、

「はいは~い、きりもみしながら家屋に突き刺さりたくない人はどいてね~♪」

「く、くそっ、待てこの詐欺師!!」

艶やかな黒髪を振り乱して飄々と逃げる逢魔を、妖香が全力で追いかけていた。

スキップしているような歩き方なのに、

妖香と逢魔の距離は一向に縮まらない。

妖香は狸に化かされているような気分だった。

「おお、いかん!!」

妖香という危険人物がこちらに向かっていることに気付いた牛若は、

あわてて幽々子の腕を掴んで路地に飛び込もうとした。

・・・無理だった。

食べてすぐ運動すると痛くなる、アレである。

ぐぁ、と搾り出すような悲鳴を上げて、牛若はうずくまった。

「ゆ、幽々子様ッ!?」

妖香に気付かれた。

これは非常にまずい。

簡単にやり過ごせるような相手ではない。

その上、得体の知れない奴がもう一人居た。

「幽々子・・・? ふ~ん、この娘が・・・。」

にたぁ~っと笑う逢魔。

こいつは味方ではない。絶対に。

あまり関わり合いになりたくないタイプの人間。

まず間違いなく敵であろう妖香と、

得体の知れない逢魔。

状況はかなりまずい。

牛若の頬を嫌な汗がたらりと伝い、

「幽々子とそこの金魚のフン。こっちよ!」

逢魔がふわりと宙を舞った。

重力をまるで無視したような跳躍。

隣の高い塀を軽々飛び越え、

反対側に抜けていった。

それに、幽々子と牛若はあんぐり口を開けた。

「み、見ました? 今のあの人の動き?」

「・・・ああ、かぼちゃパンツだったな。」

「牛若ッ!!」

「いでっ、いでででででごめんなさいごめんなさいッ!!」

同じく逢魔の動きを見て呆然としている妖香の脇をすり抜け、

幽々子を抱えた牛若も塀を飛び越えた。

ギリギリの高さだった。

かなり無茶をしたので横っ腹が痛い。

「くっ、待てッ!!」

ようやく我に返った妖香が、同様に塀を飛び越える。

軽々だった。

妖香の身体能力は常人を遥かに超えている。

この程度の塀などものともしない。

あっさりと塀を飛び越えた妖香は、

落下の勢いを利用して、そのまま牛若に飛び掛った。

―どさっ

「捕まえたぞ詐欺師!! ・・・あっ、いや、食い逃げだったか?

 ええい、どっちでもいいわ!!」

すばやく関節を極めて身動きを封じる。

よし、完全に捕らえた。

任務達成。

・・・・・・って、違う!?

本当の任務は幽々子様の保護で、食い逃げの捕獲じゃない!!

こんな奴よりも幽々子様を保護しないと。

慌てて視界を巡らせるが、そこには一緒に飛んだはずの幽々子と逢魔の姿はない。

「貴様、幽々子様をどこへやった!?」

噛み付くように怒鳴る妖香に、

組み敷かれた牛若は、お茶目な感じに舌をぺろっと出した。

「うふっ、残念でした~♪」

女の声。

あの逢魔の声だった。

妖香が驚いて飛びのくと、

牛若の体は、ぽんっ、という音を立てて消滅した。

かわりに、ひらひらと人型に切り取られた紙切れが舞う。

妖香は、ただただその紙切れが風に運ばれるのを見ていることしかできなかった。



                     * * *



「すげえな、どうなってるんだ?」

呆然と佇む妖香を物陰に隠れて覗いながら、

牛若は感心したように逢魔を見た。

逢魔は自慢げに、人型の紙切れをひらひら揺らした。

「式神というやつよ。陰陽道には基本ね。」

どうやら、その人型の紙切れを牛若の姿に変化させて、

妖香の目を欺いたらしい。

「すごいんですね。」

「でしょう? うふふ~♪」

目を輝かせて話しかける幽々子に、

逢魔はにやにやした笑みを浮かべて手を伸ばし、

「触んな。」

「きゃっ!?」

あとちょっとのところで、幽々子は牛若に抱え込まれてしまう。

「あん。いけず。」

残念そうに口を尖らせる逢魔に、

牛若は警戒心を隠そうともせずに距離を取る。

「なによ、ちょっとくらいナデナデしたっていいじゃない。」

「胡散臭ぇんだよ、お前は。」

あっさりと妖香を巻いた逢魔。

それはつまり、逢魔のほうが妖香よりも敵に回すと厄介な相手ということだ。

絡め手を使う分、直情的な妖香よりも扱いが難しい。

「牛若? 助けて頂いたのに失礼ですよ?」

「そうよ失礼よ。」

「うるせぇ!!」

律儀にぺこりとお礼を言う幽々子。

やっぱりこいつは天然だ。

どう見たって胡散臭いだろう、こいつは。

そんな相手を、一度助けられたくらいで簡単に信用するなんて。

「・・・ひどい。」

「あなた、頭ん中で考えてることを口に出しちゃうタイプでしょう?

 垂れ流しよ。いまの全部。」

なにっ!?

そうだったのか。

知らなかった・・・。

「それに牛若。この方、私には悪い人には見えませんよ。」

「どう見ても悪い人だろう!! 典型的な!!」

小首をかしげる幽々子に、牛若は頭を抱えた。

一方の逢魔は、なぜだが中途半端な半笑いを浮かべていた。

「そ、そうよ? こういうのは悪い人の典型なんだから。覚えておきなさい。

 じゃないとあなた、簡単に騙されるわよ。」

自分で言うな、自分で。

ともかく、逢魔は自他ともに認める悪い人ということで、多数決で決定した。

「大体お前、なんで俺たちに協力したんだよ。」

「協力?」

「別に俺たちを一緒に逃がさなくても、俺たちをダシにすりゃ簡単に逃げられただろ。

 式神を使うなんて回りくどいやり方をしなくても、お前一人なら簡単に逃げられたはずだ。」

「まあ。あなたのほうがよっぽど悪人じゃない。」

「牛若、ひどいです。」

「お前は黙ってろっつーの!!」

しかし、牛若の言うとおりだ。

牛若たちを足止めなりなんなりして、妖香にとっ捕まえさせたほうが、

それに集中している妖香から簡単に逃げられたはず。

わざわざ牛若たちまで一緒に逃がす必要はない。

「放っておけなかったのよ。一目惚れってやつ?」

「俺にか? 照れるぜ。」

「はい、鏡。」

―ガシャーン!!

割ってやった。

「私が気になるのはその娘よ。金魚のフンはどうでもいいわ。」

「わ、私、ですか・・・?」

「そうよ。あなたが可愛いから放っておけなかったの。」

んふふ、と意味ありげな笑みを向ける逢魔。

さすがの幽々子も若干居心地悪そうだった。

「お尋ねもの同士、仲良くしましょうよ。」

「冗談じゃない。可愛いお人形さん買ってあげるからさっさと失せろ。」

「あら残念。じゃあ、あの剣客娘にもう二度と見つからないことを祈るのね。

 多分きっと、次にあったら逃げられないでしょうから。」

ぐぅ、と牛若は呻いた。

痛いところを突かれた。

図星だったのだ。

最初は幽々子という人質がいたから何とかなったが、

次も逃げ切れる自信はない。

もう一度人質に使えって?

馬鹿を言うんじゃない。

相手だって当然それを警戒している。

魂魄 妖香は、二度も同じ手が通用するほど甘い相手ではない。

「ねえ、牛若。一緒に行きましょう?」

「幽々子。俺を納得させる理由を述べろ。30字以内。」

「一緒に行った方が楽しいじゃない?」

16文字。

実に幽々子らしい理由。

納得した。

「・・・わかったよ。一緒に行こう。」

確かに逢魔がいなければ妖香から逃げ切れないのは事実だし、

それに、適当な距離を置いておけばいつでも別れることはできる。

必要がなくなったら切り捨てればいい。

それまでは、精々利用させてもらおう。

「やった♪ 私は逢魔よ。安部 逢魔。

 よろしくね、幽々子!」

「俺は・・・?」

「・・・・・・。」

「露骨に嫌そうな顔すんな。顔だけなら超絶美人だから傷つくだろ。」

「彼は牛若丸っていうの。よろしくね、逢魔!」

「よろしくね、牛若丸!」

「てめぇ後でぜってぇ泣かす。」

仲良くなった証に、お互いに握手。

しかし、幽々子がそっぽを向いている間に、逢魔は素早く、かつ念入りに手を拭いていた。

左手。

ちなみに、逢魔は右手で幽々子と、左手で牛若と握手していた。

この野郎・・・!!

「それじゃ、行きましょう!」

路地を抜けて、意気揚々と大通りに出る幽々子。

「行くって、どこへ?」

「都を見て周ってるの。逢魔も一緒に周りましょ。」

実に楽しそうに視界から消えていく幽々子を、

逢魔はぽかんとした表情で見送っていた。

「ねえ、あの娘、追われてるのよね。」

「ああ。」

「あの娘、ひょっとしてバカ?」

「ああ。」

これは疲れそうだ。

牛若と逢魔は揃って肩を落とした。

あれに逢ったが運の尽き、か・・・。





                     * * *



「逢魔! あれはなに? すごくいい匂いがするわ!」

「ああ、あれはウナギ屋ね。美味しいわよ。」

「本当!? 3本ください!」

「・・・あの娘、見かけによらず食べるのね。」

「ああ、意外と大喰らいなんだよ。」

「はい、二人とも。1本ずつね!」

「・・・・・・顔赤いわよ。」

「・・・・・・顔にやけてるぜ。」



                     * * *



「本当、幽々子は可愛いわねぇ。食べちゃいたい感じ。」

「ああ。出るとこ出てるし、喰い甲斐はあるだろうな。」

「ね~。瑞々しいというかなんというか。」

「実に食べ頃な感じだな。」

「2人とも、なんの話?」

「いや、果物の食べ頃について熱く語り合っていたのだよ、幽々子君。」

「知ってるわ! 腐りかけが美味しいのよね!?」

「「それはないッ!!」」



                     * * *



「あれはねぇ―――」

「おう、なにしてるんだ?」

「逢魔にいろいろ教えてもらってたの。逢魔は難しい言葉をたくさん知ってるのよ。」

「ほう。たとえば?」

「ほら、幽々子。あれは『ロリコン』っていうのよ。」

「牛若、ろりこん~?」

「コラァー!!」



                     * * *



―くぅ~~~きゅるるるるる...

「おっ、盛大な腹の虫だな。」

「も、もう、牛若! はしたないですよ!」

「俺じゃねぇよ。」

「じゃ、じゃあ逢魔?」

「あはは~、ごめんなさいね~。お腹空いちゃって。」

「しょうがねえな。あそこに茶屋があるから一服するか。」

「・・・。」

「・・・。」

「・・・・・・ありがと、逢魔。」

「・・・・・・あとでたっぷり頬ずりさせてもらうわよ。うふふふっ。」



                     * * *





私は、どうするべきなのだろう。

間違ったことはしていないはずだった。

正しいことをしたはずだった。

教えられてきたとおりに従ったはずだった。

『はず』だった。

なのに、違うと言う私がいる。

嫌だと叫ぶ私がいる。

なぜだろうか。

わからない。

私は、今までずっと魂魄家の規律に従ってきた。

ただ西行寺のみに仕え、

ただ西行寺のみを守り、

ただ西行寺のためだけに剣を振るい、

ただ西行寺のためだけに、死ぬ。

西行寺の命は絶対であり、魂魄はそれに忠実に従うべし。

魂魄家はそうして長い歴史のあいだ、西行寺家に仕えてきた。

私が初めて剣を握ったのは4つの時だった。

剣といっても、真剣ではなく竹刀や木刀などの模擬刀ではあったが、

私は初めて剣を握ったその日から、一日も欠かさず剣を振るってきた。

剣を握らぬ日はなかった。

剣を振るわぬ日はなかった。

それを間違っているとは思わず、

正しいとも思わず、

ただ、それが当たり前のことだと思っていた。

私が初めて幽々子様にお会いしたのは、10の時。

幽々子様は、まだ6つ。

その日から、ずっと幽々子様にお仕えしてきた。

私が幽々子様を守るのだ。

子供心に、それを誇りに思っていたことを今でも鮮明に覚えている。

幽々子様はお屋敷のみで過ごされていたせいか、とても人見知りの激しい方で、

最初の内はとても苦労した。

最初だけだ。

幽々子様は本当は、とても寂しがりやな方。

それに気付けば、すぐに打ち解けることができた。

そして一度打ち解ければ、幽々子様は私の傍を離れようとはしなかった。

嬉しかった。

私を頼りにしてくれている。

私を信頼してくれている。

私を必要としてくれている。

魂魄家の規律などなくても、私はこの方のために全てを尽くそう。

そう、思った。



「うっ・・・、うぅ・・・、ぐすっ。」

「幽々子様!? どこかお怪我はありませんか!? 痛むところは!?」

「・・・おでこ。」

「見せてください。・・・・・・大丈夫、なんともなっていませんよ。」

「妖香のおでこ。」

「はい? あ、ああ、私のですか。

 平気ですよ。日々の訓練に比べれば、この程度どうということはありません。」

「ごめんなさい。私が屋根に上ったりなんかしなければ・・・。

 ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・。」

「幽々子様をお守りするのが私の使命です。

 幽々子様にさえお怪我がないのなら、私はそれでよいのですよ。」

「・・・・・・嫌。」

「は、はい?」

「妖香が怪我をすると、私が嫌。」

「し、しかし、体を張って幽々子様をお守りするのが私の・・・。」

「嫌なの!」

「は、ははは、参ったな。」

「約束して? 妖香も怪我しちゃ嫌。」

「私は―――」



西行寺家の屋敷の縁側に座り、月を眺めながら過去を思う。

私は、あの時なんと答えたのだろうか。

随分と昔の話だ。今はもう、かすれてしまって思い出せない。

幽々子様をお守りするのが魂魄家の規律。

しかし幽々子様は私に怪我をするなという。

怪我をせずに幽々子様をお守りできるなら、それ以上のことはない。

しかし、私はまだまだ未熟者だ。

もし再び同じような出来事に会ったとき、

私は魂魄家の規律と、幽々子様のお願いと、

どちらを優先すべきなのだろうか。

私には、わからな―――

―ゴッ!!

「ッッッづぁ!?」

脳天を激痛が貫いた。

痛い。痛すぎる。

星が飛んだ。

なにか硬いもので脳天を痛打されたのだ。

「気が迷いで揺らいでおるわ。たわけめ。」

「ち、父上ッ!?」

いつの間にか、木刀を携えた父が後ろに立っていた。

睨み殺されそうなほどの眼光をこちらに向けて。

「この木刀が真剣ならお前は死んでいたぞ。

 頭を冷やしてこい、この未熟者めが。」

「・・・はい。」

叩かれた脳天がズキズキ痛む。

私は唇を強くかみ締めた。

痛みではなく、その痛みが突きつける自身の不甲斐なさに。

そして、ここにはいない幽々子様に思いを馳せる。

自分の未熟さゆえに、連れ去られたまま帰ってこない幽々子様。

儀式の直前。

刀に手を伸ばす、幽々子様の震えた手。

幽々子様の、恐怖に怯えた顔。

私は、どうするべきなのだろう。

間違ったことはしていないはずだった。

正しいことをしたはずだった。

教えられてきたとおりに従ったはずだった。

『はず』だった。

なのに、違うと言う私がいる。

嫌だと叫ぶ私がいる。

儀式なしには西行妖を止められない。

放っておけばいずれ西行寺を、いや、それどころが都中を全て喰らい尽くすだろう。

西行寺の存続のためには、儀式は必要だった。

間違ってなどいない。

魂魄家として正しいことをした。

そのはずなのに。

私は、いまだ迷っている。



妖香はその後、3時間は滝に打たれ続けていた。



                     * * *



幽々子が屋敷を飛び出してから、もう数日が経過した。

涼やかな夜。

鈴虫の音色すら聞こえない。

本当に、静かな夜だった。

夜中にふと目を覚ました牛若は、夜風に当たろうかと宿を出た。

先客がいた。

逢魔である。

「・・・よう、なにしてるんだ?」

「夜風に当たっていたのよ。」

目的は同じか。

宿の外に設置された腰掛。

逢魔の隣に牛若は腰を下ろす。

「あら、もう私のことを警戒しないの?」

「して欲しいならしてやってもいい。這いつくばって懇願しろ。」

「・・・・・・。」

ああ、視線が痛い。

今、確実に地雷を踏んだ。

「・・・・・・ぷっ。」

突然、逢魔がこらえきれなくなったように噴き出した。

なんだ、ウケていたのか?

「あはははっ! 本当に面白いわね、あなたたちは。」

「馬鹿にされてるような気がするぜ。」

「してるのよ。あはははっ!」

してるのかよ。

「でもね、あなたたちと馬鹿をやってるのも、本当に面白かったわ。」

「なんだよ。今日でお別れみたいな言い方だな。」

「そうよ。今日でおしまい。」

逢魔はすっと立ち上がると、前方を指差した。

「御覧なさい。」

逢魔が指差す方向を見る。

通行人が一人居た。

壮年の男性である。

その通行人の後ろを、ひらひらと蝶が舞っていた。

「・・・蝶?」

その蝶を見て、牛若はぞっとした。

光っていた。

月明かりを反射して、とかではない。

蝶自体がわずかに発光している。

そんなバカな・・・。

その蝶が、通行人の頭に止まった。

―ぱたり

まるでなにかの冗談のように、通行人が倒れた。

「う、嘘だろ!?」

牛若が慌てて駆け寄る。

死んでいた。

その通行人は、その一瞬の出来事の間に絶命していたのである。

「始まったのね、西行妖。」

逢魔が見上げた西の空。

わずかに光っていた。

違う、太陽の光じゃない。

今は夜だし、

太陽の光では、空は桜色には染まらない。

「いよいよ満開になろうとしているのよ。

 そのために必要な人間の魂を町中から集めているの。」

「西行妖が!?」

よく見ると、輝く蝶は無数の桜の花びらで形成されていた。

この蝶が町中に放たれ、魂を手当たり次第に食い荒らしているのだ。

ぞっとした。

これだけの大きな規模の都。

一体どれだけの死人が出るか・・・。

「ちっ!」

ここに居ては危険だ。

幽々子を連れ出して、少しでも遠くに逃げなければ・・・。

「幽々子ッ!!」

牛若は宿の扉を開け放った。

そして、戦慄した。

宿の主人が倒れていた。

その背には、無数の蝶が群がって・・・。

建物の中でも安全とは言えないらしい。

見ると、宿の勝手口が開け放たれていた。

幽々子の姿は見えない。

おそらく、幽々子はまだ無事だ。

ほっとする反面、強烈な不安に駆られた。

幽々子は、どこに行った・・・!?

「西行寺の屋敷ね。また独り言、洩れてるわよ。」

「くそっ。」

牛若と逢魔は宿を飛び出した。

「気をつけなさい、蝶に触れると死ぬわよ。」

「わかってる!!」

そして、全力で駆け出した。

桜色に染まる空の方角。

西行寺の屋敷へ。



                     * * *



死ぬ。

ここにいれば、確実に死ぬ。

しかし、離れるわけにはいかなかった。

ここを守るのが私の使命。

「御館様、お気を確かに!!」

妖香は背後に主君を庇いながら、西行妖に対峙していた。

手遅れだった。

もうわかっている。

幽々子の父は死んだ。

ここにはもう、守るべきものはない。

しかし、ここを離れるつもりはない。

これは意地だ。

なれば、絶対に折れはしない。

「ッ、化物め。」

精一杯の悪態をついて、目の前の蝶を切り払う。

すり抜けた。

実体が無いのだ。

まるで亡霊のように、妖香の一閃はすり抜ける。

こうなったら、相打ちになってでも、あの妖怪桜に一矢報いるか・・・。

妖香は気持ちを落ち着けると、

西行妖のもとへ弾丸のように駆け出し



「妖香ッ!!」



この声。

もう何千回と聞いた、体に染み入るような声。

「幽々子様ッ!?」

そう、幽々子だ。

門を抜け、幽々子が妖香の元へ滑り込んできた。

それを妖香はしっかりと抱きとめる。

「幽々子様、よくぞご無事で!」

「妖香、あなたも無事で、本当によかった・・・。」

きつく、きつく抱き合う。

お互い生きていることを確かめ合うように。

「これが、西行妖・・・。」

「ええ。幽々子様が連れ去られてから、西行妖の力はますます強くなり・・・。

 御館様も守れませんでした。申し訳ございません。」

幽々子は父の亡骸に目を止める。

厳しかった父。

西行妖を鎮めるため、自刃しろと言った父。

それでも、幽々子にとって父は父だった。

「さ、幽々子様。ここは危険です。お下がりください。」

幽々子を軽く下がらせると、再び西行妖に向き直る。

さて、俄然やる気が出てきた。

幽々子を守らなければ。

こんなところで殺されている暇などない。

「幽々子ッ!!」

牛若と逢魔も到着した。

「あっ、お前あの時の食い逃げ犯と詐欺師!!」

「こんなときに細かいこと気にすんな。時効だ時効!!

 おい、逢魔!」

「はいはいっと。」

逢魔がパチンと指をならすと、

半透明の壁が突然出現して幽々子を覆った。

結界だ。

「これで幽々子のことは心配いらないわ。思いっきり戦えるわね。」

「おう!」

幽々子が結界に守られているなら、後顧の憂いはない。

後は全力で戦い、あの西行妖を討ち滅ぼすだけだ。

「というかお前、それ白楼剣だろう。」

「ん? ああ、そうだけど?」

「返せ! それは魂魄家の宝刀だ!」

慌てて飛び退く牛若。

しかしあっさりと妖香に白楼剣をぶん盗られてしまった。

やっぱり身体能力じゃかなわなかった。

「ちくしょう。」

「ふん。」

「ちょっとちょっと、これから力を合わせて戦うって時に、チームワークないわねぇ。」

二人の中の悪さは致命的なようだ。

もう遺伝子レベルでソリが合わないのかもしれない。

だがまあ、それならそれで手はある。

「じゃあ二人で競争したら? どっちがあの西行妖を討ち滅ぼせるか。」

「「それだ!!」」

言うや否や、二人は競い合うように飛び出した。

両者の負けず嫌いを逆に利用する、という手もある。

二人はまんまと逢魔の手に嵌められたわけだが、

そんなことを気にするほど、二人は細かいタイプではなかったようだ。

無数に舞う蝶をものともせずに駆け抜け、

二人でほぼ同時に西行妖に斬りかかった。

―ガツッ!!

「かってぇ!?」

わずかに樹皮を削った程度。

太い幹にはほとんど問題にならない程度の傷。

「が、傷付いたのならいずれは斬り倒せる!!」

妖香が同じ場所にもう一閃。

先ほどよりもわずかに深く入ったが・・・、

「ちぃっ!!」

側面から襲ってきた蝶を避ける。

触れれば即死。

斬る事すら叶わない。

攻撃を中断して避けるしかない。

そして、その攻撃がやんだわずかな隙に、

「なっ、傷が―――」

「―――塞がった!?」

西行妖の幹に刻まれた傷は、瞬く間に塞がった。

流石に、牛若と妖香は引き攣った笑いを浮かべる。

「こいつはまた、難儀な事で・・・。」

「リタイアするか?」

「言ってろ馬鹿。」

もう一度、二人は斬りかかった。



                     * * *



傷つけても傷つけても、傷はあっという間に塞がっていく。

反面、二人の体力は目に見えて消耗していた。

このままでは拉致があかない。

いずれは疲弊し、蝶に捕まるだろう。

このままでは絶対に勝ち目はない。

「逢魔! お願い、あの二人を助けて!!」

逢魔は幽々子を守る結界に背中を預けて、

ただ二人の戦いを傍観しているだけだった。

参戦しようとすらしない。

「逢魔!!」

「なぜ?」

逢魔は幽々子を見つめ返した。

薄く、冷徹な笑みを浮かべながら。

「なぜ、私があの二人を助けなければいけないの?」

なぜって・・・!?

仲間じゃないの!?

「仲間? 誰がいつ、誰の仲間になったというのかしら?」

幽々子は愕然とした。

逢魔の考えていることがわからない。

ただわかるのは、

逢魔は二人を助ける気などない。

「私があなた達に協力していた理由、教えてあげましょうか。」

逢魔が笑みを強めた。

その口元が、三日月のように凄絶に裂ける。

まるで、昨日までの逢魔とは思えない、邪悪な笑い方。

「満開の西行妖が見たかったからよ。

 だから私はあなたが西行寺の屋敷に連れ帰られないように助けた。

 あなたが西行妖の前で自刃すると、西行妖が満開になるところが見られないから。」

実に楽しそうな笑みを浮かべながら、牛若たちの絶望的な戦いを傍観する。

「わかる、幽々子?

 あのまま二人が西行妖に殺されてしまったほうが、私にとっては都合がいいのよ。」

くくっ、と笑みをかみ殺したような笑い声。

しかし、口元だけははっきりと笑みを浮かべていて、全然隠しきれていなかった。

いや、隠す必要などないのだ。

あの二人は、西行妖と戦うだけで必死だから。

その逢魔に、幽々子は毅然として言い放った。



「嘘。」



逢魔の顔から笑みが消えた。

怪訝な顔で幽々子のほうを向く。

本当に、意味がわからないという顔で。

「嘘? なにが嘘なの?」

「嘘よ。そんなのは嘘だわ。」

あまりのショックに現実逃避でもしたのか。

逢魔はわずかに落胆する。

もっと賢い子だと思ってたのに。

しかし、幽々子ははっきりと確信を持ってそれを告げていた。

「逢魔、あなたは本当は優しい人。私にはわかるわ。」

「優しい? 私が?」

普段の逢魔なら、きっと鼻で笑い飛ばしていただろう。

しかし、逢魔はその幽々子の言葉に目に見えて不機嫌になった。

「馬鹿にしてるの? 私が優しいですって?」

「馬鹿になんかしていない。私は事実を告げているだけ。

 どうしてあなたはそんなに悪人のふりをするの?」

「ふざけないで。それ以上同じことを吐こうなら、私も本気で怒るわよ。」

「怒るのはそれが図星だからよ。」

―ガッ!!

結界を貫通した逢魔の右手が、幽々子の細い首をわしづかみにした。

そのままギリギリと締め上げる。

女性の細腕とは思えないほどの力で、幽々子の足が地面を離れる。

くっ、と幽々子の喉から苦しげなうめきが洩れた。

「図に乗るな、小娘。貴様の細首など2秒でへし折れる。」

「折れないわ。あなたには折れない。」

「貴様ッ―――」

「だって、あなたは私を殺さなかった。」

びくっ、と逢魔の腕が震えた。

痛いところを突かれた、そんな表情。

「そうでしょう?

 満開の西行妖が見たいなら、西行妖が封印されるのを防ぎたいなら、

 私を殺せばいい。

 私を殺せば、西行妖を封印する術は失われ、いずれ西行妖は満開になる。

 あなたはとても頭のいい人。そんなことくらいとっくに気付いていたはず。

 それが出来なかったのは、やっぱりあなたが優しい人だからよ。」

逢魔から反論の言葉は出てこない。

「・・・・・・。」

「・・・逢魔、2秒経ったわ。」

「・・・・・・そうね。」

やがて、逢魔はゆっくりと手を離した。

けほっ、と幽々子が軽くむせるのをみて、逢魔はわずかに目を細めた。

「逢魔・・・!」

「勘違いしないで頂戴。」

逢魔が西行妖を指差した。

不覚にも、幽々子はそれを綺麗だと思った。

西行妖は今、

数多の人間の魂を喰らい、

満開に咲き誇っていた。

「目的は達成されたわ。西行妖は満開になった。

 けど―――」

逢魔はがっかりしたように肩を落とす。

「残念。思ったより綺麗じゃないわね。

 消えてもらいましょう。目障りだから。」

逢魔はいつもの自信に溢れた笑みを浮かべて、

牛若たちの元へ駆け出した。



                     * * *



「どうした? もうバテたのかよ!」

「お前こそ、剣筋が目に見えて落ちているぞ!」

二人とも悪態をつきながら、

もう何百回目かになる斬撃を加える。

あれがあの二人なりの叱咤激励らしい。

「はいストップ。集合!」

逢魔がパンパンと手を叩いて召集をかける。

二人は不承不承、逢魔の元に駆け寄った。

「いい? 西行妖は今この瞬間も、町中から魂を集めて喰らっているの。

 だから、ただ闇雲に傷をつけてもすぐに回復されてしまうわ。」

「だろうな。」

「そんなことくらいわかっている。」

「・・・・・・。」

「い、いや、すまん。そんなに落ち込むな。」

「あ、ああ。少々配慮が足りていなかった。謝る。」

「・・・・・・こほん。気を取り直して。」

パチンと、逢魔が指を鳴らすと、

今度は屋敷の敷地を完全に覆うように結界が張り巡らされた。

「とまあこのように。外から魂を集められないようにしてしまえば、いずれは斬り倒せるでしょう。

 ただし、結界内での蝶の密度は格段に上昇するわ。覚悟はいいかしら?」

「最初からそうしろよ。」

「とんだ無駄骨だったな。」

「・・・・・・。」

「すっげー! 逢魔すっげー!」

「本当に助かるよ! お陰で何とかなりそうだ!」

「・・・・・・くすん。」

気を取り直して。

逢魔の結界のお陰で、西行妖の再生能力は断たれた。

あとはひたすら削るだけ。

ようやく勝機が見えてきた。

「そろそろ本名教えてちょうだいな、牛若。

 牛若丸って、それ偽名でしょ。」

「な、なぜわかった!?」

「源 九郎 義経を騙るには、少々顔が足りないんじゃない?」

「ぐ、ぬぅ・・・。」

地味にショックだった。

顔にはそれなりに自信あったのに。

わずかに拗ねたように、牛若は答えた。

「・・・妖忌だよ。魂魄 妖忌。」

「魂魄・・・? お前ひょっとしてあの分家の末子の?」

「おう、俺ってば有名人か?」

「ああ。魂魄家始まって以来の大馬鹿者だそうだな。

 おまけに勘当されて魂魄家を追い出されたと。なるほど、会って納得した。」

「ををぃ!!」

魂魄 妖忌。魂魄分家の末子。

自分勝手な性格で、規律を嫌い、

そのあまりの傍若無人さに、勘当されて魂魄家を追い出されたのだという。

妖忌は不機嫌そうに、今度は逢魔を指差した。

「今度はお前の番だぜ。安部 逢魔って偽名だろ。」

「あら、よくわかったわね。」

「いや、当てずっぽう。」

「・・・・・・。」

呆れたように、逢魔は肩を落とした。

カマをかけられた、ということか。

逢魔は髪を結わえていた紐を解く。

ばさりと下りた艶やかな黒髪は、

瞬く間に輝く金色の髪へと変色した。

「紫よ。八雲 紫。金髪は目立つからね。普段は染めてるのよ。」

「で、その八雲 紫ってのも偽名だろ。」

紫は目を丸くした。

しばし目をぱちくりさせる。

それから、くすりと小さく笑って、

「さあ、どうかしらね。」

「きったねぇ・・・。」

はぐらかされて、妖忌は口を尖らせた。

まあいい。

とりあえず、八雲 紫に仮決定。

「さて。覚悟はいいかしら、妖忌、妖香。

 まずは枝を落とすのよ。蝶の増殖が少しはマシになるはずだから。」

「ならどっちが多く枝を切り落とせるか勝負だな。」

「負けても泣くなよ、妖忌!!」

三人は一斉に行動を開始した。

妖忌、妖香の二人は直接斬りつけるために距離を詰める。

紫は二人をサポートするため、少し離れた位置に陣取った。

「枝か。高いな・・・。」

根元までたどり着いた妖香は西行妖を見上げる。

枝までは結構な距離がある。

幹を駆け上がれば届かなくもないが、

この蝶の密度の中、直線的に限られたルートで上りきれるかどうか。

「妖香、飛びなさい! 足場は私が作るわ!!」

紫の声に反応して、妖香はとっさに飛んだ。

判断はとりあえず後。

空中に居る妖香の足元に、本当に足場が出現する。

「結界か!? 助かる!!」

紫の出した結界だ。

妖香の眼前に、階段を形成するように次々と結界が生み出される。

その結界を足場として、妖香は階段を駆け上がるように枝へと迫る。

「一本目!!」

―ズバッ!!

そして一閃。

一本目の枝を落とすことに成功した。

再生する気配はない。

よし、いける・・・!!

「紫! 適当に足場を散らしてくれ! 後はこっちで対応する!」

「了解よ!」

瞬時にいくつかの結界が形成された。

それを足場に妖忌と妖香は飛び交いながら枝を落としていく。

「妖忌、無理をするなよ! 蝶は斬れん!!」

「ところがどっこい!!」

―ビュッ!!

妖忌の一閃が蝶を切り裂く。

そんな馬鹿な・・・。

妖香の刀では斬ることができなかったというのに。

「心配ご無用。この楼観剣に斬れないものはほとんどないんでね。」

「楼観剣を盗み出しだ賊っておまえかッ!!」

「おうよ! 勘当された腹いせにかっぱらってきたのさ!!」

「こんの馬鹿者!! もういい、お前は蝶退治に専念しろ!!

 蝶はお前の楼観剣でなければ斬れん!!」

「あいさー!」

妖忌が蝶を斬り、妖香が枝を斬る。

付け焼刃のチームワークは、不思議なほどに息が合っていた。



「みんな・・・。」

妖忌たちの戦いを、結界の中から不安そうに見つめる幽々子。

私のために戦っているのだ。

ただ西行妖を止めたいのなら、封印の儀式をすればいい。

私が西行妖の前で自刃すればいい。

それだけで決着がつくのに、彼らは戦う。

西行妖を討ち滅ぼそうと。

それは自分のためなのだ。

蝶に触れれば即死。

ほんの小さなミスが一瞬で死へと変わる。

それなのに、彼らは私なんかのために・・・。

「そんな顔をしないでください、幽々子様。」

妖香は戦いのさなか、振り返って幽々子に微笑みかけた。

「私、決めたんです。

 私はただ、あなたのためだけに戦う。

 あなたの願いを叶えるために剣を振るう。

 西行寺のためではなく、ただあなたのために。

 あなたが生きたいというのなら、私はあの妖怪桜さえ討ち滅ぼして見せましょう。

 それがたとえ、魂魄家の規律に逆らうことになろうとも!」

蝶をまとめて5匹も斬り捨てた妖忌が、

一度剣を納め、膝をついて頭を垂れた。

「西行寺 幽々子様の従者、魂魄 妖忌にございます。

 幽々子様のためならばこの命、いつでも打ち捨てる所存。

 いかようにでもお使いくださいますよう。」

妖忌らしからぬ、堅苦しい言葉で誓う。

が、すぐにいつもの口調に戻って、

「あ~、いや、やっぱやめ。いまの取り消し。

 だってほら、お前のこと危なっかしくて、おちおち死んでもいられねぇよ。

 だから俺は死なねぇし、あの妖怪桜もぶった斬る。

 それでいいだろ、お嬢様?」

くすくす、とおかしそうに笑う声。

紫は目じりを擦りながら、幽々子に向かってウィンクする。

「愛されてるわね、幽々子。

 あっ、愛してるのは私もよ?

 これが終わったらいっぱいナデナデさせてもらうんだから。」

そして、三人は再び妖怪桜に向かい合う。

士気は十分。

あとは力の限り戦うのみ。

「魂魄家の規律に逆らうのは生まれて初めてだよ。」

「おう。どんな気分だ、優等生?」

「いや、まったく清々しいね。クセになりそうだ。」

「ハッ、そいつはなによりだ。」

お互いニヤリと笑い合うと、再び妖怪桜に飛び掛っていった。

「みんな、死なないで・・・。」

膝を突き、両手を胸の前に組んで、

幽々子は結界越しに彼らの無事を祈るのだった。



                     * * *



「やれやれ・・・。」

三人は中央に集まって一息ついた。

「すまんな。私がもっと早く枝を斬り落としていれば。」

「うんにゃ。俺が蝶を減らす速度も遅かったね。」

それでも状況は絶望的だった。

周囲にはもう、歩く隙間もないほどの蝶。

枝はまだ、両の手に余るほどの本数が残っている。

「ん~、もうちょいいけると思ったんだけどねぇ・・・。

 ここでゲームセットか。」

結局、三人の力を持ってしても妖怪桜には敵わなかった。

もう枝には近づけない。

蝶を斬っても、増殖する速度のほうが速い。

あるいは、楼観剣があと5本ほどもあれば数も減っていくかもしれないが・・・。

あとはこの美しい蝶と桜の花びらに囲まれて、死ぬのを待つだけか。

三人が諦めかけた、その時、

紫が突然、驚きに目を見開いた。

「結界が破れた!? 幽々子!?」

幽々子を囲っていた結界が破れたのだ。

いや、違う。

結界が、殺された。

それも内側から。

(まさか、幽々子の力がそれほどまで・・・!?)

満開になるほど力を得た西行妖。

それに呼応して、幽々子の力もかつてないほどに強力になっているのということか。

紫の結界を殺しきるほどに。

動揺する紫を尻目に、幽々子は静かに歩き出した。

妖香にちらりと視線を送り、頷く。

「・・・・・・紫、その馬鹿を頼む。」

妖香はそれに頷き返すと、妖忌を紫に向けて突き飛ばした。

「お、おい!?」

―パチンッ

妖忌の声はあっさりと結界に阻まれた。

妖忌と紫。

二人だけを囲う結界。

妖香は白楼剣を携え、幽々子を待つ。

「幽々子様。桜の元まで、お供させて頂きたく存じます。」

「・・・ええ、ありがとう。」

無数の蝶たちが、まるで自ら道を開けるかのように、

幽々子と西行妖を結ぶ直線から退いてく。

わずかに光を発する蝶は、まるでかがり火のよう。

それがまるで、

あの、妖忌と幽々子が初めてあった時の、

あの儀式の光景に重なる。

そう、あの時と同じように、幽々子は妖香を従えて、西行妖の元へと歩む。

そしてあの時と同じように、幽々子は西行妖を見上げた。

あの時とは違う。

今はただ、その桜が美しかった。

「妖香。白楼剣を。」

妖香は頭を垂れ、掲げるように白楼剣を差し出す。

幽々子はそれを手に取る。

今度は震えてはいなかった。

その様は、むしろ誇らしげに。

「幽々子、やめろッ!!」

結界を殴りつけて叫ぶ妖忌に、幽々子は微笑んで返した。

優しく、そして力強く。

その瞳には、今までの幽々子にはなかった確かな意思が宿っていた。

「私はこの力を呪いました。西行寺の娘に生まれたことを呪いました。

 生み出すことなどできない、奪うだけの力。

 人を簡単に殺せる力。人を簡単に殺してきた力。

 でも今は、それを誇りに思います。」

すらり、と白楼剣が抜き放たれる。

それは蝶の発する光を受けて、桜色に煌いていた。

「この力で、あなた達を救うことができるから。守ることができるから。

 だから、私は今、自分の意思で、この西行妖を封印したい。」

音が消えた。

幽々子にはもう聞こえなくなった。

妖忌が自分を呼ぶ声も。

妖香が歯を食いしばって耐える音も。

紫がなにかを言いかけて、それを躊躇ったその息遣いも。

「数多の魂を喰らい続ける妖怪桜、西行妖。

 わたくしの命を持って、ここに封印致します。」

そして、



「幽々子ーーーッ!!」



・・・音が戻った。

幽々子は妙に清々しい頭で、妖忌の声を理解した。

ぱっと散る鮮血が、まるで花が咲いたかのようで、

綺麗だな。

幽々子はそんな場違いな感想を抱く。

ああ、本当に心地がいい。

自分の意思を貫き通すことが、こんなに心地がいいことだったなんて。

それを教えてくれた妖忌には、本当に感謝の気持ちでいっぱいに―――



西行妖が散っていく。

花びらだけではなく、

その幹から全て。

光の粒子となって、風に流れてゆく。

西行妖の封印の儀式は、これで完了した。

「ッ!? いいえ、まだよ!!」

紫が悲鳴に近い声を上げた。

まだだ。

まだ、幽々子の命は完全に尽きていない。

そして西行妖も、そこから放たれた蝶も、まだ完全に消えてはいない。

幽々子の命が完全に尽きる前に、

蝶が幽々子に触れたらなにもかもが無駄になる。

現に蝶は今、幽々子の命を喰らおうと間近に迫っていた。

「幽々子様。」

妖香は下げた刀を捨てると、覆いかぶさるように幽々子を抱き込んだ。

その幽々子の頭を、褒めるように撫で、

「本当に、よく頑張ったわね。偉いわよ、幽々子。」

それに幽々子は、本当に嬉しそうに微笑んで・・・。

蝶が一斉に、妖香の背に群がった。



                     * * *



西行妖は完全に散った。

封印の儀式は成功したのだ。

あとには何も残らない。

残ったのは、幽々子と妖香、

二人分の亡骸だけ。

妖香は幽々子の命が尽きるまでの間、身を呈して幽々子を守り続けたのだ。

二人の亡骸は、まるで仲のいい姉妹が抱き合って眠るようだった。

紫の結界も全て解除された。

まるでそう、本当に全てが夢だったようで・・・。

「なんでだよ、紫・・・。」

紫は答えない。

妖忌は激情して紫に掴みかかった。

「なんでだよ、紫ッ!!

 なんで黙って見てたんだよ!!

 なんで幽々子を助けようとしなかったんだよ!!

 なんで、なんで・・・ッ!!」

紫は冷たい、感情の篭らない視線を妖忌に向ける。

「それを幽々子が決断したからよ。

 私たちを生かすために、幽々子は自らの意思を貫き通した。

 私にもあなたにも、妖香にもそれを止める権利はないわ。」

「ふざけんじゃねえよ!! そんなの納得できるわけねえだろ!!

 死んでなにになるって言うんだよッ!!

 お前、幽々子が死んでなんとも思わねえのかよ!!」

―バキィッ!!

妖忌は紫に殴り飛ばされて、屋敷の塀に背中から激突した。

それくらい、尋常じゃない力が込められた拳。

「私の百分の一も生きてない餓鬼が、生意気なこと言ってんじゃない!!」

怒鳴った。

紫が激情に駆られて怒鳴るなど、生まれて初めてのことだった。

荒く肩で息をしていた紫が、

ようやく自身を落ち着けて息を吐く。

「幽々子の気持ちも汲み取りなさい、馬鹿。」

紫はそう吐き捨てると、西行寺の屋敷を後にした。

もうこれ以上、ここに残る意味はない。

そしてもう二度と、ここを訪れることはないだろう。

ここは紫には少し、楽しすぎた。

「・・・ってぇ。」

背中を打った衝撃から、ようやく妖忌は復帰した。

それでも、体に力が入らなくて、まだ立てそうにない。

妖忌は壁に背をついたまま、遥かな空を仰ぎ見た。

空は朝日を遮るようにどんよりと曇り、

今にも泣き出しそうな、悲しい顔をしていた。

「ああ、馬鹿なんだよ。馬鹿だからわかんねぇよ。

 でもよ、俺はお前みたいに頭良くなりたいとは思わないぜ。

 なぁ、幽々子・・・。」

そこに、答えるものは誰もなく・・・。







                     * * *



三途の川。

辺りを注意深く覗いながら、こそこそと駆ける一つの影。

居眠りをしている死神を起こさぬよう、

慎重に事を進める。

「・・・・・・ちょろいぜ。」

その人影は河岸に泊められていた船を拝借すると、

そそくさと川の向こうへと消えていった。



「次の者。」

また一つ、魂に裁定を加えた閻魔は、

次の魂が入るように促す。

扉が開かれ、次の魂が裁判場に・・・、

いや、魂ではなかった。

人間である。

いや、それもちょっと違うのか・・・?

「・・・生身の人間が彼岸に来るなんて。

 小町はなにをやっていたのかしら。」

「おう、外の死神か? 寝てたぜ。」

閻魔はこめかみを押さえる。

ひどい頭痛がした。

気を取り直して、閻魔はその人間に向き直る。

「あなた、おかしなことになっていますね。」

「おう。知り合いの妖怪に頼んでな、半分殺してもらった。」

知り合いの妖怪は何でも、『境界を操る程度の能力』を持つらしい。

それで生と死の境界を弄って貰い、今は半人半霊という奇妙な体になっている。

なんでも、この彼岸には生身の人間は入ってこれないらしいのだ。

せっかく、幽々子が全てを賭して守った命。

流石に全殺しはちょっと抵抗があったので、半分だけ殺してもらった。

それくらいはおおめに見て欲しい。

「それで、そんなにまでしてここにどのような要件が?」

「ああ。ここに西行寺 幽々子とかいう、ちょっと天然入った魂が来ただろう?」

「ええ、来ました。」

「どこに行った?」

「答える義務はありません。」

かくっ。

にべもない。

「ちょっとくらい教えてくれたっていいだろう?」

「よくありません。さっさと現世に帰りなさい。」

流石は閻魔。手ごわい相手だ。

ならば仕方があるまいと、その人間は腰に下げた刀を引き抜く。

刀が鈍く光を反射するが、閻魔の顔色は変わらない。

「・・・・・・なんの真似ですか?」

「こいつは楼観剣といって、斬れない物はあんまりない万能包丁なんだ。

 大抵のもんは斬れるぜ。たとえば、外に行列を作ってる魂たちとか。

 なんならお目にかけようか。」

挑戦的に笑みを浮かべる人間。

閻魔は再びこめかみを押さえた。

どうしてこう、問題児ばかり・・・。

「西行寺 幽々子には冥界の管理を命じました。

 冥界の白玉楼という屋敷に居るはずです。」

「よっしゃ! サンキュー、キュートな閻魔様!

 しかめっ面ばっかりしてると可愛い顔が台無しだぜ?」

「さっさと出て行きなさいッ!!!」

「あいー!!」

怒鳴られて、その半人半霊は脱兎のごとく逃げ出した。

褒めたんだけどなぁ・・・。

なんだか腑に落ちない様子で首をかしげながら。



「・・・・・・。」

彼が出て行ったのを確認し、

さらに周囲に誰もいないことを用心深く確認すると、

閻魔はこっそりと手鏡を取り出した。



                     * * *



ぼんやりと、ただ庭を眺めて過ごしていた。

冥界の管理、というのも暇なもので、

実質座っているだけで、なにもすることはない。

ただ存在することだけが仕事なのだ。

幽々子はただぼけ~っと、殺風景な庭を眺める。

動くものは何もなく、静止画を見ているような風景。

・・・いや、視界の隅でなにかが動いた。

「・・・客人、ですか? 白玉楼にどのようなご用件でしょうか。」

客人は青年だった。

半人半霊という不思議な青年で、

どこか、懐かしさにも似た感覚を覚える。

「よう、久しぶりだな。」

幽々子は首を傾げる。

自分に知り合いなどいない。

冥界の管理を任され、この白玉楼に移動するまで、

他の人物など閻魔にしか会っていない。

「ありゃ、覚えてないのか。」

「あの、もしかして、生前の私のお知り合いの方でしょうか?」

幽々子には生前の記憶がなかった。

別にないならないで、なにも困ったことはないと思っていたが、

まさか知り合いが尋ねてくるとは思わなかった。

それも、わざわざ冥界にまで。

「ああ、俺は魂魄 妖忌っていうんだ。

 生前のお前に仕えていた従者なんだぜ。」

「はぁ、そうなのですか。」

いまいち説得力がない。

従者なのに主にタメ口なのだろうか。

まあ、今の自分にはあまり関係のないことだから構わないのだけれど。

「それで、どのようなご用件なのでしょうか?」

「ああ、お前が一人でこんなところに居るんじゃ寂しいんじゃないかと思ってな。

 いっそのこと俺もこっちに移住しようかと思ってるんだ。」

「・・・そのために、わざわざ現世から?」

「おうよ。」

そうですか、と幽々子は視線を落とす。

生前の私は、どれほど大切に思われていたのだろう。

今の私には、知る由もない。

ただ、自分にとってこの妖忌という人間が、

おそらくきっと、大切な人物だったであろうことは、なんとなくわかった。

だから、幽々子は微笑んでこう答えた。

「現世にお帰りください。」

妖忌は豆鉄砲を食らったような顔になった。

まさか断られるとは思っていなかったのだ。

「あなたはまだ生きています。半分だけですが。

 生きているならその命、大切にして現世で生きなさい。

 生前の私も、きっとそう望むでしょう。」

幽々子は嬉しかった。

記憶がなくても、それ以外のどこかで妖忌の言葉が嬉しかったのだ。

だから断る。

妖忌に、生きて欲しいと願うから。

「いや、でも・・・。」

「ならば主として命じます。

 現世に帰りなさい。

 従者ならば、主の命令は絶対ですね?」

幽々子は頑として妖忌の言葉を跳ねつける。

たとえ、主という立場を利用してでも。

汚いと謗られても構わない。

自分の意思は貫き通す。

その昔、誰かにそう教えられたような気がしたから。

「・・・・・・。」

妖忌は幽々子に呆れたような顔で返す。

その視線が、痛くないわけじゃない。

でもそれ以上に私は―――



「じゃ、やめた。」



「は?」

幽々子は妖忌の言葉に目を丸くした。

や、やめたって、なにを?

「お前の従者やめた。」

「や、やめたって、そんなあっさり!?」

「おう。すっぱりやめてやったぜ、ざまあみろ。

 もうお前の言うこと聞く筋合いはない。」

な、なんて屁理屈。

子供だ。

まるで自分勝手な子供。

「俺は好きなことやって、好きなように生きる。

 自分のために生きてなにが悪い。」

偉そうに踏ん反り返りながら。

偉くない。

ちっとも偉くない。

つい数秒前まで、従者だったくせに。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・ぷっ、面白い人。」

「おう、よく言われるぜ。」

褒めてないというのに。

「ふふっ、あはははははっ。」

「笑いすぎだコラ!」

閑散とした白玉楼に、

その日初めて、二人分の笑い声が木霊した。
































                     * * *



それから、数百年後。

閻魔の元に、一つの魂が呼び出されていた。

生真面目にぴしりと起立する様は、

規律にうるさい閻魔にはとても好意的に感じられる。

「魂魄 妖香。」

「はい。」

「長い間、お勤めご苦労様でした。

 あなたの現世での罪は全て残らず洗われました。

 これよりあなたは現世に転生し、再び生を受けることとなります。」

「はい。」

「・・・・・・どうしました? なにか言いたげですね?」

「・・・はい。あの、転生先の希望があるのですが、聞いていただけませんでしょうか。」

「希望、ですか。 ふむ、まあ、あなたは優秀な模範生でしたし。

 無理のない範囲であれば特別に計らいましょう。」

「ありがとうございます!」

「それで、どこに転生したいのですか?」

「はい。是非、私を冥界に転生させてください。」

「め、冥界!? 転生先に冥界とは・・・。

 むぅ~、冥界とは本来死者が向かうところなのですが・・・。

 まあ、半人半霊という形ならば無理がないでもありません。

 幸いなことに、前例もあることですし。」

「それでは!?」

「ええ、いいでしょう。

 魂魄 妖香。あなたに冥界への転生を命じます。」

「はい! ありがとうございます!」



白玉楼の庭。

高い木々に無駄な枝がないかと眺める老人は、

木々のざわめきの間に混じる奇妙な声を聞いた。

まるで、赤ん坊が産声を上げるような・・・。

いや、それはまさしくその通りで、

声の元をたどっていくと、そこには小さな赤ん坊の姿があった。

捨て子か。

しかも、こんな冥界の片隅に。

その上自分と同じ、半人半霊ときた。

珍しいこともあるものだ。

どうしたものかと、老人はしばらく髭を弄び、

結局、拾って帰ることにした。

流石に、こんなところに赤ん坊を放置していくのも忍びない。

主も歓迎こそすれ、迷惑がったりはしないだろう。

老人はその赤ん坊を抱え上げると、

主の住まう屋敷へと戻っていった。

それにしても、この赤子、

なんだか見覚えのある顔じゃのぅ・・・。

どこで見たのかのぅ・・・。

年をとると、どうも忘れっぽくなっていかん。

結局、老人がそれを思い出すことはなく。



その、魂魄 妖夢と名づけられた赤ん坊が活躍するのは、

もう少しばかり後の話となる。









投稿20発目。
キリのいい番号なので相当に気合を入れて書きました。
長いです。過去最長です。3500行前後あります。行間消せば1200行前後。
読了、大変お疲れ様でした。そしてありがとうございます。

妖忌はシヴい爺として書かれる事が多いので、あえて僕は逆を行く。
妖忌にも、こんなやんちゃな頃はあったと思うのですよ。
牛若丸を採用したのは時代背景的に丁度良さそうな有名人だからです。弁慶でもよかった。
時代については諸説ありますが、ここではこんくらいの時代で動いています。

僕の中のゆかりん像は、頑張って悪者ぶってるイイ人なのです。

レス場
Q:半霊って年取るのん?
A:のんびり取ると思われます。少なくとも半人のほうは年取ります。
Q:幽々子の親父って歌聖ちゃうのん?
A:この話ではちゃいます。歌聖が死んでから随分あとの話なのです。
  霖堂とか求聞とか儚月とかまで調べ切れませんのでホントは知りません。公式設定? 知らんがな。(´・ω・`)
暇人KZ
http://www.geocities.jp/kz_yamakazu/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.910簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
百点
自分にはそれ以外にこの作品を称える方法がないことをとても悲しく思います。
願わくばこれからも素晴らしい作品を……
3.100大天使削除
素晴らしすぎて涙でた。
鳥肌たった。いやマジで。
GJすぐる。
4.100蝦蟇口咬平削除
当時のうなぎ調理法は多分まずいなんて空気読まない事はともかく、面白かったです
これで妖忌さんが行方不明になった訳とか紫さまとの再会とかもきになるところです

PS半霊って年取るんですかねえ?
6.80名前が無い程度の能力削除
やっぱり、閻魔様も女性だなw

>PS半霊って年取るんですかねえ?
半人半霊はゆっくりと取りますが(妖々夢のキャラ設定をどうぞ)
『半人』側ではなく、『半霊』側は変わっていくかと言うことですか?
9.80名前が無い程度の能力削除
ところで西行妖が妖怪桜になったのは幽々子の父親が死んだのがきっかけだったような・・・
間違ってたら御免なさい。
10.70名前が無い程度の能力削除
話の筋は楽しめたのですが展開が急すぎると感じました。長ければ良いというわけではないですが、この話ではもっと4人の交流に筆を割かないと最後の共闘の部分に説得力が生まれにくいと思います。具体的には妖香と妖忌、幽々子と紫。

あとポジティブに噴きました。いきなりカタカナ語ですか妖忌さんw
11.100名前が無い程度の能力削除
これは良いシリアス。
特にえーき様最高(ぉぃ
12.100欠片の屑削除
最高の二次創作!実に読みやすく面白かったです。
必要な部分を丁寧に踏まえつつも、規定の概念を設定から突き抜けさせると言う、とても実力を必要とする手法に感服です。
歴史小説や冒険譚を読んでいるようで、きびきびとした展開に終止わくわくしっ放しでした。
非常にしっかりとした読み応えのある作品を朝からありがとうございました。
おかけで早出出勤に遅刻しかけましたが…
13.100#15削除
非の打ち所がありません。全く持って見事です。
ストーリーが、1から10まで完璧に作られています。
これほど見事なSSなそうないです。
>幽々子の父親が死んだのがきっかけだったような…
勝手に回答失礼。
確かにそのような公式もありますが、「~ではないか?」という形で、断言はされていなかったと記憶しています。
14.90三文字削除
おーぷんせさみ吹いたw紫様、それは無いですってww
それにしても、破天荒な妖忌良いなぁ。
それと妖香の転生で涙腺が・・・
15.100名無し削除
素晴らしい作品でした。
東方知って一年に満たない自分でもとても面白かったです。妖忌のキャラが最高でした。
余談ですが、小町と某所の門番が重なって見えたw
17.100朝夜削除
今更ですが、読ませていただきました。
妖忌のキャラがいい感じでした。
あと、妖香が妖夢に(私の解釈が間違っていなければ)転生したところも、いい感じにまとめられていると思います。
最近使ってなかったのですが、この得点で。
ありがとうございました、これからも素晴らしい作品をお願いします。
21.90名前が無い程度の能力削除
眠いけど面白かった。
今の今までずっと、長さに敬遠していたのが間違いでした。

生前のお人は可愛らしい。これぞ少女というような。
22.100名前が無い程度の能力削除
あれ…細かい所抜きにして…
かなりの名作じゃね?
25.100名前が無い程度の能力削除
閻魔www  いい話です。感動しました。100点以外に出来ない。
32.100名前が無い程度の能力削除
一気に読みました
33.100名前が無い程度の能力削除
…今更ながら、この話に出会えてよかった。
そう思えるくらい好きな話です。
妖忌のこれまでのイメージが良い意味でぶち壊された……カッコ良すぎだ、お前。
36.100名前が無い程度の能力削除
すごく良かったです・・・
最後のあたりが特に感動的でした。