西行寺家の庭師兼剣の師範、魂魄妖夢。
その日も妖夢は、白玉楼の広大な庭の管理と主の食事の準備とおやつの準備に追われていた。
剣の師範の仕事は現在開店休業中。
庭師の仕事に業物を振るうのはせめてもの帳尻あわせ。
師に知られたら「未熟者」とそしりを受けることは間違いない。
昼食の片付けを終え、三時のおやつまでの間に洗濯物を取り込んでいたとき。
屋敷の中に良く知る気配が湧き出た。
妖夢は突然現われた紫のため、お茶の用意をする。
湯飲みと急須を載せた盆を廊下に置き、正座で客間の障子戸に手をかける。
「失礼します」
障子を開けた妖夢だったが和室には主の幽々子一人きり、すでにそこに紫の姿はなかった。
「ご苦労さま妖夢、紫ならもう帰ったわよ」
幽々子はいつも通り、つかみ所のない笑顔で庭師に告げる。
「しばらく人里に行く用事がないように、必要なものは今日明日中に揃えておきなさい」
「幽々子さま、なぜでございますか」
急須から茶を注ぎ、幽々子の前に茶碗を置く妖夢。
「紫が言うにはもうすぐ異変が起こるそうよ」
ガチャ
とんでもない幽々子の言葉に、急須を落としそうになる。
「そんな、一大事じゃないですか、なんでそんなに平然としてられるのですか」
「決まっているじゃない」
お茶を飲み一息つく幽々子。
「紫が異変の件は任せてと言ったのよ」
それ以上の保証がどこにあるのと言わんばかりに、茶請けを口にする幽々子。
「そうですね」
なぜ幽々子と紫が親友なのか、今更ながら実感した妖夢。
「妖夢」
「はい、幽々子さま」
「おやつの時間はまだかしら」
「……はい、幽々子さま」
主は茶請けに用意した二人分の大福を消し去ると、さも当たり前のように言った。
□ □ □ □ □
さて、これで永夜の異変で、冥界の主従の出番はなくなりました。
異変は巫女と魔女の活躍で解決されたのですが、それはまた別のお話です。
□ □ □ □ □
それが起きたのは、紫が帰った翌日。
「妖夢、妖夢」
いつものように、乾きの悪い洗濯のものを取り込んでいる妖夢に、主のお呼びがかかった。
さて、おやつは用意ご希望通りのものを用意したはずだし、今晩の献立のご要望でもあるのかしらと主の下へ駆けつける。
「失礼します」
障子を開けて、和室に入る。
「妖夢、ちょっとそこに座りなさい」
座卓に愛用の湯飲みを手にした主は、目の前の座布団を示しそういった。
神妙な態度の妖夢に対し、幽々子はいつもの笑顔。
「幽々子さま、何用でしょうか」
「いやね、妖夢。そんなに畏まって」
座卓の下からごそごそとなにかを取り出す。
「はい、妖夢の分」
妖夢の前に皿が置かれた。
その皿の上には、和菓子が乗っている。
「幽々子さま、私の分とはどういう意味でしょうか」
目の前の皿に乗った和菓子の正体は、本日のおやつの栗饅頭。
栗饅頭は幽々子たっての希望で里の銘店まで買いに走り求めたもの。
10個もあれば十分と急ぎ戻ってきたのだが、なにか落ち度があったのかと首を傾げる妖夢。
「だからあなたの分のお饅頭よ」
庭師にして剣士とはいえ妖夢も女の子、甘味をきらいな訳がない。
だが、なぜ主がそれを自分に与えようとしているのかが分からなかった。
一日三食。それと三時のおやつに食後のスイーツ、深夜の夜食、ときには月見、花見のお酒とその肴。
そのどれも、幽々子は大量に食べる上、味に五月蝿い。
例えば、一食に食べる量は実に米一升分。
朝に炊いた分が昼まで持たないことも日常茶飯事。
それだけの量がどこへ入り、どこへ消えるのか。
幽々子の体には少しの変化も見られない。
夏の暑い日、白玉楼に避暑に来た黒白の魔法使いは、幽々子の食事光景を思い出し語る。
『奴の胃袋は宇宙だ』
おかげで白玉楼のエンゲル係数は鰻上り。
次の冥界拡張計画の予算案に特別会計の増額と、予算の一般財源化を具申し食費に当てなければならぬ程。
それだけ食べても自分の分だけでは足りないようで、妖夢の分を物欲しそうに見る主。
「よろしければ……」
従者の言葉に、春のような笑顔を見せる。
『武士は食わねど高楊枝』
幽々子が喜ぶ顔見たさに、これも修行のうちと己の腹の虫に忍耐を強いる妖夢。
その修行の成果が剣の腕に反映されることはないだろう。
半分幻の庭師の顔色が青白いのは、決して半霊だからと言うわけではない。
その幽々子が自分のおやつを妖夢に分け与えようとしている。
頭が理解していても、精神が容易に受け付けない。
固まったまま動かない妖夢をじっと見つめる幽々子。
(ああ、そうか)
妖夢の手が皿に伸びる。
(私としたことが、なんとはしたない)
おそるおそる栗饅頭を口に運ぶ。
(こんな夢を見るなんて)
パクリと栗饅頭を口にする。
皮の上品な甘味と、餡のまったりとした甘味が口の中で溶け合う。
「どう、美味しいでしょう」
ニコニコと聞いてくる幽々子。
もぐもぐと口を動かしながら、コクコクと頷く妖夢。
「たとえ夢の中とはいえ、幽々子さまからおやつを頂けるなんてうれしいです」
食べかけの栗饅頭を手に、うれしそうに答える。
「まあ、酷い妖夢、夢だなんて」
プーと膨れる幽々子。
「これでも夢だというの」
手を伸ばし、妖夢の柔らかな頬を軽く抓る。
「いた、痛いです幽々子さま」
涙目で、じたばたする妖夢。
「どう、夢でないと分かった」
「はい、夢じゃないです……」
と言った途端、さっと後ずさり土下座する妖夢。
「も、申し訳ございません。幽々子さまのおやつに手を出すなんて無礼なまね、お許しください」
平身低頭に謝る妖夢の姿の唖然とする幽々子。
「かくなる上はこの腹かっさばいて、中のものお返しいたします故」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。そんなの返されても困るわ……じゃなくて、なんでそうなるの」
白刃を腹に当て、介錯をと叫ぶ妖夢に待ったをかける。
「……どう、落ち着いた」
「申し訳ございません」
幽々子の淹れたお茶を飲み、落ち着きを取り戻した妖夢。
目の前の皿の上には食べかけの栗饅頭がある。
「もう、妖夢ったらあんなに取り乱して」
「申し訳ございません、まさか幽々子さまからおやつを分けていただくなんて夢にも思いませんでしたので」
「失礼ね、私だってたまには妖夢におすそ分けくらいするわよ」
「……」
「……ちょっと」
「……」
「ねえ、ひょっとして今までしたことなかった」
「はい」
「一度も」
「はい」
どうやらこの主は、自身の食に関する拘りに全く自覚がなかったらしい。
「幽々子ショック……」
あまりに酷い事実を突きつけられ、着物の袖を目によよよと泣き崩れる幽々子。
「まあ、それはそれとして、これは日頃のあなたへの感謝の気持ちよ。遠慮なく召し上がれ」
すぐに立ち直り、笑顔で残りを食べるよう、妖夢に勧める。
再び栗饅頭をぱくつきだす妖夢。
その様子を嬉しそうに見る幽々子。
白玉楼に幸せな時間が流れていた。
□ □ □ □ □
次の日も、また次の日も、またまたその次の日も、幽々子はおやつの時間になると、妖夢を呼び出し、取り置いておいたおやつを食べさせた。
栗饅頭に始まり、たい焼き、今川焼き、磯辺焼きに大判焼き。
大福に豆大福に苺大福に。
ワッフル、エクレア、シュークリームにショートケーキ。
みたらしだんごに餡だんごに三色だんご。
そして今日は桜餅。
幽々子は妖夢を呼び出すと、それらを与え、ニコニコと彼女が食べるのを見ているのだ。
最初はただ喜んでおやつをいただいていた妖夢だったが、ことが三日過ぎ、一週間すぎた頃からなにかがオカシイと感じはじめた。
まず、妖夢がおやつを食べている間、幽々子は見ているだけでおやつを一緒に食べるということがない。
妖夢が用意するおやつは今まで通り、決して増やしたりはしていない。
以前はそれを食べ終えては。
「腹八分目ね」
と言って、名残惜しそうに空の皿を眺めていたのに、今では妖夢が遠慮しておやつを幽々子へ返そうとすると。
「もうお腹いっぱいよ。それとも妖夢はわたしの好意を受け取ってくれないのかしら」
と泣き真似までして、妖夢におやつを食べるようにと勧めてくる。
そして、さらに重大なことがもう一つ。
幽々子の食事量が減少しているのだ。
一食の炊飯量が一升あったものが、一週間で五合に、半月たった今では一食一合にまでに減っていた。
半人半霊の妖夢と違い、幽々子は食事をとっても取らなくても良い亡霊。
食事の量で健康を左右されたりはしない。
むしろ食べないほうが普通なのだろうが、唯一の楽しみとばかりに近年、食事量を増加させてきた。
妖夢が口をすっぱくして言っても改まらなかった暴食が、今ではすっかり影を潜めてしまっていた。
それでいて、食事以外、普段の生活はいつも通り、幽々子は楽しそうに詩を詠み、茶を点てて過ごしている。
普段なら喜ぶべきことなのだが。
苦労性の妖夢は原因について考える
(この間の異変が関係しているのか)
いや、異変は巫女と魔法使いによって解決されたはず。
それに幽々子の変化は永夜の異変の前から現われていた。
(紫さまに満腹と空腹の境界を弄られたか)
流石の紫も意味もなく親友にそんな悪さはしないだろう。
……意味があればやるという疑念が拭えないのが残念ではあるが。
(なにものかが幽々子さまと入れ替わったか)
おやつの時間と食事以外はいつも通りの幽々子、妖夢が主を違える筈がない。
(では、なにか……)
「妖夢、妖夢」
幽々子の声がする。
もうおやつの時間。
主に不安げな顔を見せるわけも無く。
妖夢は思案を一時中断して幽々子のもとへ急ぐ。
□ □ □ □ □
「ふむ、それは病気かもしれないね」
妖夢に事情を聞いた店主が言った。
里に買出しに出た妖夢。
行き着けの店の店主が浮かぬ顔の妖夢を心配して話しかけてきたのだが。
「びょうき」
店主の言葉にはっとする。
半人半霊の自身なら兎も角、主が病気になるなんて全く考えていなかった。
「そう、お医者様でも草津の……」
もはや店主の声など耳に届いてない
代金を払い、品物を受け取るのもやっと、ふらふらと店を出る。
(幽々子さまが病気だなんて……)
覚束ない足取りで里中を歩く。
亡霊である主を、人間の医者が診てもどうこうなるとは思えない。
そもそも亡霊の病がどのようなものか妖夢には見当もつかなかった。
今の妖夢には、にぎやかな里の雑踏がまるで別世界の出来事のように感じられた。
ドンッ
「ちょっと、どこ見ているの」
「すみません」
ぶつかった相手を見る。
短いスカート、ブレザーにウサギの耳、長いストレートの髪に白いきめ細かい肌。
そして、紅い目。
その目を見た途端、妖夢は気を失った。
□ □ □ □ □
目を覚ますと見えるのは見知らぬ天井、とそこに白くフワフワ浮かぶ我が半身。
和室に敷かれた布団に妖夢は寝かされていた。
「気がついた」
傍らには先ほど雑踏でぶつかったブレザー姿のウサ耳少女が座っていた。
「あの、ここはどこですか」
「ここは永遠亭。私は薬師見習いの鈴仙よ」
「魂魄妖夢です」
ようやく雑踏で倒れたことを思い出す。
「助けていただき、ありがとうございました」
「いや、気にしないで」
ぽりぽりと頬を掻く鈴仙。
「本当にご迷惑をお掛けしてしまい、なんとお詫びしてよいか」
「ちょうど配達も終えて帰るとこだったし。原因は私のほうだから……」
鈴仙は自身の狂気を操る目のことを話す。
妖夢は何も知らず、その目を直視してしまい、暴走する前に精神が体に緊急停止を命じたため失神したようだ。
鈴仙の落ち着かない視線の意味を妖夢はようやく理解した。
今も鈴仙は目をあらぬ場所に、主に半霊を見ながら妖夢と話している。
「配達ですか」
「私の師匠特製の蓬莱印の家庭常備薬、評判良いのよ」
えへんと胸を張る鈴仙。
「お薬……」
「そう、月の頭脳、八意永琳の薬よ」
「月の頭脳」
「うちの師匠は天才なの、なんたって不老不死の蓬莱の薬も作ってしまうくらい」
「不老不死……」
「あ、でも今は作ってないから」
「鈴仙さん、おねがいがあります」
布団の上に背筋を伸ばし、正座する妖夢。
「それで、亡霊に効く薬はないかというわけね」
「はい」
鈴仙の案内で八意永琳の研究室に入った妖夢は、今までの経緯を話した。
「ま、無理ね」
「師匠そんな」
妖夢から話を聞いた永琳はあっさりと言った。
「薬は転じれば毒となる。本人の容態も分からずに薬を出す程いい加減な仕事はしてないつもりだけど」
「でも、常備薬くらいは渡してあげても良いじゃないでしょうか」
珍しく師匠に食い下がる鈴仙。
「あれは人間用の薬。妖怪用に作ってないわ。ましてや亡霊なんてものに効く保障はないのよ」
永琳の言葉にうなだれる妖夢。
「あなたが本当にその人のためを思うなら、きちんと話し合ってここに連れてきなさい」
妖夢に対し突き放したように言う永琳。
「ただ、主の威を恐れ、意を伺い、それに応えるだけがあなたの役目なの。時には主の意に逆らってでも進言し、苦言を呈することが必要なのではないの」
永琳の言葉が妖夢の胸に突き刺さる。
「よく話し合いなさい。そして、ここへ連れてくることが出来たなら私が責任を持って薬を調合するわ」
「はい、ありがとうございます」
立ち上がるとペコリと頭を下げその場を去る妖夢。
しかし、その背中からは落胆の色が隠せない。
「師匠の言うことももっともだけど、あんな言い方しなくても」
「……」
「妖夢さん、そんなに気を落とさないで下さいよ」
「……」
「幽々子さんと話し合って……」
永琳の研究室から出て、永遠亭の長い廊下を歩く妖夢と鈴仙。
「幽々子さまは、私の言うことなど聞いてくれるのでしょうか」
妖夢は呟く。
「西行寺家に仕える剣の師範、幽々子さまの護衛役とは名ばかり。やっていることは庭の手入れ、食事の準備や家事ばかり。大事な事案は幽々子さまが全て決められ、私はその命に従うだけ」
「妖夢さん」
「幽々子さまは私なんかよりずっと頭が良くて、物知りで、強くて、お綺麗で」
鈴仙は押し黙ったまま妖夢の言葉を聴く。
「あの方に、本当に私が必要なのでしょうか……。私の言うことに耳をかしてくれるのでしょうか」
永遠亭の玄関を出る妖夢と鈴仙。
「ねえ、ちょっと待って」
鈴仙は永遠亭を出て、竹林から飛び立とうとする妖夢を呼び止めた。
その声でその場に留まった妖夢に駆け寄ると、鈴仙はその手を両手でギュッと握る。
「これは」
妖夢の手の中には、白い小さな紙包みが握らされた。
「胃腸薬よ、漢方だから副作用は少ないはず。師匠はああ言うけど気は心、役に立たないだろうけど」
「鈴仙さん」
「師匠には内緒よ、怒ると凄く怖いから」
テヘヘと笑う鈴仙。
「なぜこんなことまで」
手のなかの薬を握り締める妖夢。
「なんか、なんとなく……ね」
冥界の主に仕える従者、天才に師事する弟子。
妖夢の心情を理解して余りあるものがあったのだろう。
「お気持ちありがたく頂戴します」
薬を胸元にしまい込む妖夢。
「でも、師匠の言うことも分かってあげて」
「はい、帰ったら幽々子さまと話し合ってみます」
先ほどまでとは別人のように生気を取り戻した顔で永遠亭を後にした妖夢。
それを見送ると、鈴仙は屋敷に戻る。
竹林の中で光る目に気づくはずも無く……。
□ □ □ □ □
「妖夢、妖夢」
永遠亭を後にした翌日。
白玉楼に響く主の声。
「失礼します」
覚悟を決めて障子を開ける。
卓上にはいつものようにおやつが……。
「なんですか」
皿の上には、細長い棒状の白い物体。
その両端の断面には、桃色のぐるぐる渦巻き。
「なにって、なるとよ、今日のおやつの」
(ああ、そうか、いつも食べるときは薄く切ってあるから気づかなかった)
合点した妖夢。
たしか、おやつには芋羊羹を用意したはずだが。
「いやいや、妖夢。今日は中華なおやつの気分だったから」
なるとを中華なおやつと言い張る主。
その発想は妖夢の常識を超えてた。
「幽々子さま、お話があります」
妖夢は昨日永遠亭であった出来事を話す。
幽々子が病気ではないかと疑ったこと。
永遠亭の薬師に薬の調合を依頼し断られたこと。
そして、主と話し合うように諭されたこと。
「幽々子さま、私に隠し事をするのは止めてください」
妖夢はじっと主の目を見つめる
「お体の調子が悪いのでしたら、一緒に薬師のもとへ行ってください」
両手をつき頭を下げる妖夢。
「紫には誰にも見せるなと言われていたのよ」
幽々子は懐から手の平サイズのガラス製の小瓶を取り出す。
中には透明な液体が三分の一ほど入っている。
「いい、よく見ていなさい」
そう言うと幽々子は小瓶の中身を一滴なるとへ垂らす。
「なにも起きませんが」
暫くじっと見ていた妖夢が痺れを切らし幽々子へ言ったその時。
ボン
軽い音と共に、卓上の皿のなるとが二本に増えていた。
「ゆ、幽々子さまこれは」
「ちょっと待ってね」
二本に増えたなると、うち一本を幽々子ともぐもぐとアッと言う間に食べ終えた。
「この前、紫からもらったのよ」
先日、永夜の異変のことを告げに来た紫がお土産に置いていったそうだ。
なんでも、食べ物に一滴垂らすとその食べ物が二倍に増える薬らしい。
『絶対に他の人に教えたり、渡したりしちゃダメよ。あなただから渡すのよ』
その時、紫は幽々子に何度も念を押し帰ったそうだ。
「じゃあ、今までのおやつは」
「この薬で増やしていたの」
おやつを食べては最後の一個で薬を使いどんどん増やし。
また最後一個で薬を使い増やす。
「じゃあ、わたしにおやつを分けてくれたのは」
「本当におすそ分け、私は十分に頂いたから」
「食事の量が減ったのは」
「おやつをちょっと食べすぎてね、エヘ」
「私の心配は……」
「だから、病気でもなんでもないの。妖夢の取り越し苦労よ……」
わなわなと下を向いて肩を震わせる妖夢。
剣の達人が見れば、妖夢の体から黒い怒りのオーラが吹き出ているのに気づいただろう。
まあ、半霊に浮かぶ怒りマークを見れば誰でもわかるけど。
「幽々子さま……って」
意を決し顔を上げるが、そこに主の姿は無かった。
卓の上には、白い紙。
“ちょっと次期拡張計画のことで映姫様に相談に行ってきます。
夕食には帰ります。
PS ちゃんとなるとは食べるのよ”
墨で書かれた達筆な書置き。
それを手に取り、一気に脱力する妖夢。
「良かった」
妖夢はほっと胸を撫で下ろす。
竹林の薬師の言ったとおり、まず話をすることが大事だった。
勝手に主のためと思い悩んだ自分はなんだったのか。
気の抜けたまま、卓上のなるとを見つめる妖夢だった。
□ □ □ □ □
「はぁ~」
上が霞んで見えない、果てしなく続く長い石段を前に溜息を吐く。
背中に竹で編んだ薬箱を背負い、うさぎの薬売りと書かれたのぼりを手に持つブレザー姿のウサ耳少女。
白玉楼へ続く石段の前には鈴仙・優曇華院・イナバの姿があった。
「よーし、いくぞ」
掛け声と共に、石段を登り始める。
彼女が、今、白玉楼を目指すのには訳がある。
「ウドンゲ、どういうつもり」
永遠亭の研究室。
妖夢に出会った翌日、鈴仙は師匠の永琳よりお説教を受けていた
椅子に腰掛け足を組んだ厳しい顔の永琳は、打ちつけの床の上に座らせた鈴仙に問いかける。
「薬と毒は紙一重、相手の容態も分からぬまま薬を渡すなんて薬師失格」
「どうしてそれを……」
永琳に内緒で妖夢に薬を渡したことが露見したらしい。
「今はそんなことはどうでも良いの。問題はあなたが何故そんな事をしたのかよ」
「……」
「私の弟子はいつの間に亡霊に効く薬なんてものを調合できるようになったのかしら」
「……」
「それほどの腕があるなら、もう私が教えることも無いわね」
冷たく言い放つ永琳。
「師匠」
俯いたまま永琳の言葉を聞いていた鈴仙は顔を上げる。
「確かに容態も分からない相手に薬を渡したのは、師匠の教えに反した行いです」
「自覚はあったのね、じゃあ、何故役にも立たない薬を渡したの」
「妖夢さんのためです」
まっすぐと永琳の目を見る鈴仙。
「あのまま妖夢さんを帰したら、きっと彼女が病気になっていました。だから」
「たとえ効かないと分かっていても、薬を渡して安心させたかったというわけ」
「永遠亭を訪れたものが、あんな顔して帰っていくなんておかしいです」
師匠である永琳を前にして一歩も引かない鈴仙。
「もういいわ、あなた、今日の仕事は他のイナバに代わってもらいなさい」
「……はい」
「そして、昨日の娘のところへ出かけなさい」
「え」
「あなたが渡した薬、責任は自分で取るのよ」
「はい、ありがとうございます」
鈴仙は立ち上がり、頭を下げると部屋から出て行った。
「かわいい子には旅をさせろ、かしら」
「姫」
飛び出した鈴仙と入れ違いに、永遠亭の主、蓬莱山輝夜が部屋へ入ってきた。
「私をずっとここに閉じ込めておいたのは、かわいい子でなかったから」
「姫は十分かわいいですよ、ただ、子供と言うのには……」
「その話は御法度でしょ、お互い」
輝夜は苦笑して永琳の言葉を制す。
永夜の異変までの長い間、永遠亭の存在は迷いの竹林の奥に隠されてきた。
異変後、もはや隠す必要が無いと知った輝夜と永琳は、薬を通じて幻想郷に関わることを決めた。
「旅といっても、冥界なんてところまで鈴仙一人で行かせて心配はないの」
「そうですね、まるで心配してないとは言いませんが」
「なら、一緒に行ったらよかったのに」
「いいえ、姫」
輝夜の言葉に首を振る永琳。
「冥界の主、西行寺幽々子はあの八雲紫の盟友と聞きます。ついこの間異変を起こしたばかりの私が乗り込んで行ったらあらぬ疑いをかけられます」
「ずいぶん慎重なのね」
「ええ、ですから冥界の従者が来たときには少し考えました」
幻想郷のパワーバランスの一角を担う白玉楼、そことコンタクトを持つ機会など永遠を生きる蓬莱人の永琳にとって、ほぼ皆無と言ってよかった。
「自然な形で向こうと繋がりを持てればと」
「その大役を鈴仙に任せるの」
「鈴仙にはなにも伝えていません、ただ私があの娘の優しさを利用しただけです」
「すべては計算通り、天才の思いのままかしら」
「姫」
「悪ぶるあなたも良いけど、もう少し素直になったら。鈴仙を信じているって」
「……」
「なにかあったら教えて、力になるから」
「はい」
永琳は部屋から出て行く輝夜の背中に返事を返した。
□ □ □ □ □
白玉楼への長い石段にそって飛び続ける鈴仙。
ようやく門が見えたと思ったが、いくら飛んでも近づかない。
日が傾きかけたころにやっと門の近くまで来て、あらためてその大きさに驚く。
門は見上げるほど高く、塀は地平まで果てしなく広がり顕界と冥界を隔てる結界を成している。
鈴仙は、その門前で箒を手に掃除に勤しむ妖夢の姿を見つけた。
「妖夢さん」
やっとのことで妖夢の傍に着地する鈴仙。
「あれ、鈴仙さん、なんでここに」
妖夢の声に鈴仙は一息ついて顔を上げる。
フラ~
「危ない」
倒れる妖夢を慌てて抱きとめる。
不用意に鈴仙の目を見た妖夢は気を失った。
「気がつきました」
白玉楼の門前、妖夢は鈴仙の膝枕の上で目を覚ました。
「鈴仙さん、また私……」
「ごめんなさい」
鈴仙は両手を合わせて謝る。
「いえ、私こそ不注意でした」
起き上がると頭を下げる妖夢。
里の雑踏の時の再現。
妖夢は鈴仙の狂気の眼を見てしまい、また気を失ったのだ。
妖夢が寝かされていた石畳の上には鈴仙の上着が敷かれていた。
「中に入って家まで送りたかったのだけど、この門の開け方分からなくて」
巨大な門を見る鈴仙。
「ああ、この門は普段は使いませんよ」
「え、じゃあどうやって出入りしているの」
妖夢は黙って空を指差す。
「なるほど、飛び越えるわけね」
「鈴仙さん、なぜここまで」
「それが、あなたに薬を渡したことが師匠にばれて」
門の上へ向かう途中、鈴仙は今朝の師匠とのやり取りを話す。
「すみません、私のせいで」
「いいの、結局あの薬は必要なかったのでしょ」
幽々子の病気の件は結局、妖夢の勘違いだったと聞いて安心する鈴仙。
「幽々子さまは居られませんが、お茶をご馳走させてください」
ようやく高い門の上に辿り着いた妖夢と鈴仙。
「な、なんですかこれは」
門の上からの景観に驚きの声を上げる鈴仙。
「すごいでしょ、白玉楼の庭はちょっとした……」
眼下に見渡す風景に言葉を失う妖夢。
白玉楼は白一色に染まっていた。
雪でも、花吹雪でもない。
見渡す限り白で覆われた冥界。
妖夢と鈴仙は門より飛び降り、冥界を覆ったそれを手に取る
手の中には、細長い棒状の白い物体。
その両端の断面には、桃色のぐるぐる渦巻き。
「これは……」
「……なると……です」
白玉楼の庭を埋め尽くす白。
その正体は無数のなるとだった。
二百由旬を埋め尽くす無数のなると。
修練を積む剣士と未だ衰えない戦士の勘。
空へと飛び上がる妖夢と鈴仙。
ボン
破裂音が鳴り響き、爆発的に地面が突きあがる。
間一髪空へ飛んだ二人を地面から生じた衝撃波が襲う。
吹き飛ばされるも何とか体勢を立て直すと、そのまま冥界の空に滞空する二人。
「妖夢さん、なんですか、これは」
鈴仙の言葉もよそに、妖夢は先ほど拾い上げたなるとを見る。
「鈴仙さん、さっきまでは一本でしたよね」
最初はなんのことか分からなかった鈴仙。
妖夢の視線に気づき、手にしたなるとを見る。
「に、二本になっている」
一つ手にしたはずのそれは、いつの間にか手の中で二本に増えている。
『食べ物に一滴垂らすとその食べ物が二倍に増える薬』
『ちゃんとなるとは食べるのよ』
妖夢は昼間の主の話と書置きの内容を思い出す。
「一個が二個になるだけじゃない……」
妖夢の推測は当たっていた。
「倍に、倍に増えていく……」
昼間、幽々子が出かけた後、おやつ事件の真相を知り気が抜けた妖夢は、なるとをそのまま食べる気にもなれず、夕食のおかずの足しにしようと台所の戸棚にしまい庭掃除に出かけた。
そして門前の掃除中に鈴仙に出会い、先ほどまで気絶していたのだった。
戸棚のなかで一個が二個に、二個が四個に、四個が十六個にと時間とともになるとは増えていく。
なるとは戸棚を破り、台所から溢れ、白玉楼を埋め尽くすまでに増殖した。
いや、今も二人の眼下で増殖を続けている。
『絶対に他の人に教えたり、渡したりしちゃダメよ。あなただから渡すのよ』
紫の言葉も今の妖夢なら理解できる。
幽々子が食べ物を残すなんて、神社の賽銭箱が小銭で溢れかえることぐらいあり得ないことだと熟知していたからこそ、紫は幽々子に薬を渡したのだろう。
まして、自分の食べ物を妖夢に分け与えるなんて夢にも思わず。
幽々子の行動を予測しえなかったからと紫を責めることは何人にもできまい。
では、きまぐれな優しさを見せた主を責めるのか。
そのような考え、妖夢に浮かぶはずも無い。
ただ、ただ自責の念を募らせるのみ。
「妖夢さん、しっかりしてください」
鈴仙の声が遠く聞こえる。
リン
背中の二刀の鞘鳴りの音。
「あれ、あの光は」
鈴仙の声に眼を向けた冥界の薄闇の中、淡い光が地上から夜空に立ち上る。
なるとに覆われた二百由旬の白玉楼の庭、そのほぼ中央にあるもの。
「西行……妖」
脱兎の如く飛び出す妖夢。
□ □ □ □ □
西行妖のある丘陵。
巨大な妖怪桜は丘陵を覆うように枝を伸ばし偉容を示している。
透明な半球状の結界がその丘陵を囲むように、十重に張られている。
『冥界の重要文化財なのだから、大切にしないとね』
春雪異変の後、顕界と冥界を隔てる幽明結界の修復もそこそこ、八雲紫は西行妖の周囲に結界を張った。
白く覆われた白玉楼、丘陵を囲む結界のなか、怪しい光を放つ西行妖を目の当たりする妖夢と鈴仙。
ドンッ
再び衝撃波が二人を襲う。
薬の効果によりなるとは瞬時に増殖する、その度に僅かだが周囲に揺らぎが生じる。
それが二百由旬を埋め尽くす量になるとどれほどのものか。
増殖の際生じた揺らぎは衝撃波となり、質量は冥界を囲む幽明結界に押し返され、中心部に収束する。
西行妖へと。
バリンッ
その衝撃に耐え切れず、西行妖を囲む結界の外郭部、壱の結界はガラスが割れるように砕け散った。
「斬り潰す」
二刀を抜き西行妖に群がる無数のなるとに斬りかかる妖夢。
妖夢は二刀を振るい烈風の如く周囲を吹き飛ばす、斬り刻まれ、丘陵一帯のなるとが宙を舞う。
荒ぶる風と化した妖夢は結界に沿い円を書くように、なるとを尽く斬り潰していく。
ズドンッ
分裂の衝撃波で体を飛ばされる妖夢。
その妖夢の体を鈴仙は宙で受け止めた。
いかに魂魄家に伝わる二刀といっても、二百由旬を埋め尽くす相手を一気に切り伏せることは出来ない。
「妖夢さん、いくらなんでも無理ですよ、一人でこんな量」
再び向かおうとする妖夢の腕を鈴仙は掴む。
「それに、あれは無限に増える。このままでは冥界だけでなく、幻想郷まで溢れ出て埋め尽くしますよ。ここは一旦退いて対策を」
「ここで斬り崩しておかないと、食い止めないと」
鈴仙の手から逃れようと身をよじる妖夢。
「一人でやろうなんて死んじゃいますよ」
「もとより半霊の身、半分は死んでいるも同じです」
眼下でなるとは分裂、増殖した。
西行妖の弐の結界が破れ、参の結界に亀裂が入る。
それを見るや意を決し、鈴仙の手を振りほどく妖夢。
「鈴仙さん早くここから離れて、顕界へこの事を」
言い残し、我が身を閃光と化して突撃する妖夢。
結界の周囲で二刀を振るう妖夢。
その有様は竜巻。
竜巻は白く染まり、なるとを巻き込み吹き飛ばす。
衝撃波
正面からくるそれに斬撃を飛ばし相殺するも、衝撃波は多方向から迫り妖夢に襲い掛かる。
炸裂音
爆風が妖夢を襲う衝撃波を撹拌する。
「鈴仙さん」
太刀を振る手も休めず声をかける。
背中あわせに妖夢の後ろに立つ鈴仙。
「こう見えても永遠亭では荒事担当なの」
鈴仙は両手に構えた二丁の機関銃から出る火線操り、手榴弾を投げなるとを吹き飛ばす。
背中の薬箱から伸びる給弾ベルトが二丁の機関銃に繋がっている。
「鈴仙さんどうして」
「この間も言ったでしょ、なんとなく、よ」
斬撃を飛ばし斬り続ける妖夢に、昨日の竹林での言葉をそのまま返す鈴仙。
「それに、二人のほうが二倍早く片付くでしょう」
強がる鈴仙の言葉だが、実際はほんの僅か破滅を先に延ばしたに過ぎない。
「足手まといです、はやく消えてください」
そのことを知る妖夢は乱暴に言葉を投げつける。
「むう、元月軍のエリートに何を言うの、私のいた部隊はかの有名な元忍者部隊げt」
「わーわーわー」
鈴仙の言葉を大声で遮る妖夢。
「拳銃は最後の武器よ」
「その手にあるのはなんですか……」
「これは軽機関銃です」
「どんな理屈ですか」
剣と銃、二つの竜巻は一つの嵐となりうず高く白玉楼を覆う白い堆積物をデリートしていく。
妖夢のなかにあった先ほどまでの焦燥感は消え、春雪異変の際には感じなかった高揚感を感じていた。
それは鈴仙も同様、永夜異変の戦いでは得られなかった充足感を得ている。
それは剣士として、戦士として戦いに臨む喜びとはまた違う。
今までの妖夢には持つ術はなく、鈴仙は再び得るとは思わなかったもの。
仲間と、友と共に戦う喜び。
戦友を得て臨む戦場の高揚感。
西行妖の周囲で巻き起こる爆炎と閃光、そして白刃が煌く。
戦場で銃と剣は踊り続け、圧倒的物量で迫る敵を迎え撃つ。
絶望的な状況下、剣士と戦士は顔に不敵な笑みを浮かべている。
白で覆われた白玉楼、空から見れば燐光を放つ西行妖の丘陵周囲のみ、臍のように窪んでいるのを確認出来る。
どれほどの時が過ぎたのか、妖夢と鈴仙は未だ抗っていた。
だがそれも二百由旬を厚く覆う圧倒的な物量を前にしては、蟷螂の斧に等しい。
いかに鍛え抜かれた二人とはいえ疲労の色は隠せない。
すでに西行妖の結界はあと三つを残すのみ。
腕の感覚が無いまま二刀を振るう妖夢。
「妖夢さん」
鈴仙の声も間に合わない。
刀を用いる妖夢の戦闘スタイルはそれだけ敵に近い間合いを取ることになる。
今はそのことが仇となった。
荒れ狂う戦場で不規則に変化する衝撃波。
相殺しきれず、吹き飛ばされ西行妖の結界へ叩きつけられる妖夢。
一瞬、意識が途切れた。
気がつくと目の前に鈴仙の後姿、妖夢の背中には西行妖の幹がある。
バリンッ
そして、八の結界が破れ、なるとの無限増殖、堆積した高さは巨大な西行妖を超え完全に結界を覆い包む。
「大丈夫」
鈴仙は西行妖にもたれかかる妖夢の前に銃器を置きしゃがみこむ。
「ここは」
「結界のなか、衝撃波で吹き飛んだあなたを結界は弾かずに受け入れたみたいね」
妖夢の通り抜けた結界の歪みから鈴仙も中に入ることが出来た。
外界から白い壁で閉ざされた結界内を、西行妖の発する燐光が満たしている。
妖夢はまるで化け物の中に取り込まれたような錯覚を覚えた。
話しながら、包帯を取り出す鈴仙。
「大丈夫です」
妖夢は立ち上がろうとするもバランスを崩す。
「うごかないで、今固定するから」
見ると、妖夢の右腕はあらぬ方向へ曲がっていた。
それでも白楼剣を離さなかったのは日ごろの修行の賜物。
鈴仙は手早く応急処置を済ます。
「すみません」
楼観剣を片手に立つ妖夢。
鈴仙は残り二つとなった結界の向こう、なるとの白壁を見る。
「この結界、外からの攻撃は弾くけど、中から向こうを攻撃するのには支障ないみたい」
鈴仙が放った小石は、結界を素通りし、なるとでできた壁に食い込む。
「妖夢さん、今から突破口を作るからそこから外へ出て」
「鈴仙さん」
「黙って聞いて、このままだと完全に閉じ込められる。そして結界はもう長くもたない。このままでは二人とも潰される。そうなる前に幻想郷から応援を呼んできて」
「それなら、鈴仙さんが行って下さい。私が残ります」
「その体で残っても、時間稼ぎにもならないわ。怪我人は大人しく退場しないとね」
「……できません」
「それは剣士の誇りのせい」
鈴仙の言葉に首を横に振る妖夢。
「鈴仙さんを置いて逃げるなんて、できません」
このままでは二人とも助からない。
誰かが助けを呼びに行く必要がある。
片腕が使えない自分が居ても鈴仙の足手まとい。
理解はできても行動に移すのは躊躇われた。
「妖夢、私は死にたくない」
手持ちの弾薬を確認する鈴仙。
「だったら……」
頑なに反対しようとする妖夢。
ギュッ
鈴仙は妖夢を胸に抱きしめる。
「私の命、あなたに託すの。お願いよ」
抱きしめられた鈴仙の体は暖かく、
そして震えていた。
「鈴仙さん、どうして」
昨日から何回繰り返したか、同じ質問を妖夢は口にする。
「言ったはずよ、なんとなく……ってね」
「そんな答、納得できません」
生真面目な妖夢に苦笑する鈴仙。
「だから」
妖夢は覚悟を決める。
「次は納得できる答を聞かせください」
白楼剣を握った手を鈴仙に差し出す。
「鈴仙さんにお預けします」。
妖夢は鈴仙の信頼に応える術を他に知らなかった。
黙って白楼剣を受け取る鈴仙。
「必ず戻ります」
「いきますよ」
鈴仙はありったけの火力を直上に向けて放つ。
結界の外側、西行妖を覆い包む分厚い白壁を宙へ吹き飛ばす。
「今よ」
斬撃を放ち、鈴仙の作った突破口より西行妖の上に出る妖夢。
妖夢が抜け出た瞬間、白壁に開いた穴は周囲から圧力を受け瞬時に塞がる。
そのまま振り返りもせず、行き場を失った無数の霊が浮かぶ白玉楼の空を駆け顕界へと妖夢は急ぐ。
西行妖の根元、鈴仙は背の荷を下ろし両手の火器を地面へ置く。
妖夢を顕界へ送り出すため、手持ちの弾薬爆薬は使い果たした。
「あとは、どれだけやれるか」
人差し指と親指を伸ばし拳銃を模した右手を外に向ける。
“拳銃は最後の武器”
その言葉通り霊気を集め増幅し、西行妖の周囲に霊弾を展開させ弾幕を形成する鈴仙。
西行妖を覆い、押し潰さんと存在する白壁に向け弾幕を撃ち出し結界周囲を吹き飛ばした。
□ □ □ □ □
「うわっ」
紅魔館近くの湖、点在する小島の一つで寝ていた氷精はものすごい声を出して飛び起きた。
「どうしたの、チルノちゃん」
大妖精がチルノの顔を覗き込む。
「ん、な、なんでもない」
ごろりとと二度寝を決め込むチルノ。
「もう、チルノちゃんまだ寝るつもり」
「いいの、さいきょうだから」
あきれ顔の大妖精を尻目に再び氷のベッドの上で目を閉じ、さっき見た夢を思い出す。
なにか、不気味なものに押し囲まれ、粉々になる……。
「ああ、もぅ」
チルノは喚いて、目を瞑る。
悪い夢を見た時は、いい夢を見るまで寝なおすのが一番ってけーねが言っていた。
□ □ □ □ □
白玉楼
鈴仙の切り札、霊弾の全方位弾幕にも関わらず九の結界が破られた。
西行妖の周囲を覆う結界は唯一、終の結界を残すのみ。
吐く息も荒く、弾幕を形成し放ち続ける鈴仙。
(こんなことなら、もっと真面目に訓練しとけばよかったな)
集中力が鈍り、取りとめもないことばかりが頭をよぎる。
(ここで私が死んだら、みんなはどんな顔するのだろう)
てゐは泣くだろう、輝夜さまも悲しんでくれる、師匠は……。
(やっぱり怒るかな)
永琳の泣き顔など想像できない自分に可笑しくなりクスリと笑う。
(ああ、あとあの娘)
必ず戻ると言って飛び出した妖夢を思い出す。
きっと誰よりも自分自身を責めるだろう。
(悲しむ顔は見たくなかったけど)
薬を渡した時、妖夢が一瞬見せた笑顔を思い出す。
霊力は尽き果て、弾幕も形成できなくなる。
ピシッ
(今度あったら、なんて言えば笑ってくれるかな)
膝から崩れ落ち、見えない空を見上げる。
結界の向こうには不気味に蠢く壁が照らしだされているだけ、故郷も見ることが出来ない。
ピシッピシッ
終の結界にヒビが入り広がっていく。
鈴仙は西行妖に背を預け、足を投げ出し座り込む。
手に妖夢の預けた白楼剣を握る。
(師匠、あとはおねがいします)
鈴仙は柄を手に、白楼剣を眼前まで掲げ鞘から刀身を抜く。
ピシッピシッピシッピシッ
全体に蜘蛛の巣のようなヒビが走り、終の結界が砕ける。
無数の霊が空にが浮かび、無数のなるとが地を覆う。
天と地が白一色となった冥界。
威容を誇る西行妖の姿も白で埋め尽くされ、もう見ることはできない。
剣士は冥界の門で腰に構えた刀の柄に手を置く。
この世に生を受けて以来、どれほどの年月をそこで過ごしたか。
目に見えずとも白玉楼の庭、体に染み付いた記憶を違えるはずはない。
目を瞑り、西行妖を内に浮かばせる。
刹那
二百由旬の一閃
手にするは、妖怪が鍛えし業物、楼観剣。
其を振るうは、二代目西行寺御庭番、魂魄妖夢。
なるとは無限に増殖を繰り返し、幽明結界を越えんとばかりに増え白玉楼を埋め尽くしていた。
妖夢の放った奥義は、高く堆積したそれを深く地面まで、遠く地平まで一文字に裂く。
そして一直線に西行妖までの道が切り開かれ、化け物桜の姿が露になる。
二百由旬を斬る威力を込めながら、妖怪桜の枝葉一つ傷つけない精緻の技。
妖夢の生涯を通じても会心の一撃だった。
「鈴仙!」
燐光を放つ西行妖の下、倒れ伏す鈴仙を見つけ妖夢は飛ぶ。
終の結界も半ば崩壊したなか、白楼剣を手に丸く膝を抱え倒れている鈴仙。
妖夢の一撃も遅かったか。
「鈴仙さん」
地に足を着くのももどかしく、鈴仙へ駆け寄る妖夢。
「さわらないで」
短い一言が妖夢を引き止める。
声の主は妖夢の脇を抜け、鈴仙の傍にしゃがみこみ慎重に、しかし手早く鈴仙の容態を確認する。
「永琳さん、鈴仙さんは」
「無事よ、意識がないだけね」
永遠亭の薬師、八意永琳の言葉にようやく一息つく妖夢。
「それならはやく目覚めさせてあげなさい」
「それが、この場では難しいですね」
西行妖の上に浮遊する蓬莱山輝夜の言葉に否と応じる永琳。
助けを求め急ぐ妖夢だったが、白玉楼の石段を過ぎたところで永遠亭の主従、蓬莱山輝夜と八意永琳と遭遇した。
鈴仙の後にこっそりついていったイナバから話を聞き、おっとり刀で駆けつけたとのこと。
妖夢の折れた腕は、永琳の薬を塗っただけで完治した。
『あなたや鈴仙に効きそうな薬を持って行っただけ』
後日話を聞くと妖夢へそう答えた永琳。
一目見ただけで半人半霊の妖夢に効く薬を見立てできるとは、流石は天才としか言いようがない。
「じゃあ、鈴仙は永遠亭へ運ぶとして、早くこのいっぱいあるやつらをなんとかして、さすがにこの量だといつまでももたないわ」
二百由旬の白玉楼の庭を埋め尽くしたそれの増殖を、輝夜は永遠と須臾の能力で冥界の変化を封じた。
「そうですね、サンプルを持ち帰り分析、増殖の効能を消す中和剤の開発には半年くらいは必要ですね」
「遅いわよ」
「特定の蛋白質のみに反応して分解する薬の量産は一ヶ月もあれば……」
「だから、そんなにもたないわよ」
永琳の言葉に、殺す気かと怒り出す輝夜。
まあ、死なないけど。
輝夜の力をもってしても、これだけの規模の時間を操るのは精神的、肉体的に相当な無理を強いている。
「どこかのスキマ妖怪なら今すぐどうにかできるかも知れませんが」
「は~い、呼んだ」
永琳の言葉を受け、にゅうとスキマから顔を出す大妖八雲紫。
□ □ □ □ □
「あら、いつからいたのかしら」
「今起きたところよ」
輝夜にさらりと応える紫。
「さて、とりあえずここの主がいないと始まらないわね」
一度スキマに引っ込み、再び幽々子と共に一緒に姿を現わす紫。
「やあね、紫ったら、映姫様に断りも無く、いきなりなんて」
あの世で閻魔、四季映姫との会談中にスキマに攫われた幽々子はきょろきょろとあたりを見渡す。
「はじめまして」
「いえいえ、こちらこそ」
幽々子は見知らぬ永遠亭の主従を見かけると暢気に挨拶を交わした。
「幽々子さま」
「あらあら妖夢どうしたの」
駆け寄る従者へ何事かと問う幽々子。
「それが、どう説明して良いか……」
「まあ、詳しい話は後にしましょう、それよりも幽々子」
何事かを幽々子に耳打ちする紫。
「え、そんなこと」
紫の言葉に頬を赤らめ、首を振る幽々子。
しかし最後には幽々子は広げた扇子を片手に口元を隠し、小さく頷く。
「じゃあ、やるわよ」
妖力を全開にする紫。
白玉楼を覆っていた無数のなるとが、轟轟と音を立て蟻地獄のように口を開けた大小のスキマへ雪崩込み、飲み込まれていく。
あまりにも馬鹿馬鹿しいスケールのでかさに、空からそれを見る一同はある意味感動を覚える。
そしてなるとは白玉楼から完全に姿を消した。
冥界を震撼させた事件はこうして終息した。
□ □ □ □ □
「これをどうぞ」
「まあ、ご丁寧に」
あの事件から数日後の白玉楼。
八雲紫の式、八雲藍は主の名代として菓子折り手に西行寺幽々子のもとを訪れていた。
「この度の災難、紫様は自分に責任があると大変思い悩み、幽々子さまに合わせる顔がないと寝込んでしまい……」
「寒くなったわね、もうすぐ冬かしら」
「……幽々子さまに合わせる顔がないと寝込んでしまい、私が名代としてお詫びに参りました」
これ幸いと冬眠したのではないのかとの幽々子の言葉に、大事なことなので二回言いましたとばかりに繰り返し、菓子折りを前に頭を下げる藍。
「いいのよ、そんなに気にしなくて」
幽々子は笑顔で藍に茶を勧める。
白玉楼の庭はすっかり以前の景観を取り戻していた。
冥界は顕界の映し身。
水面に映る虚像と同じ。
いくら水面を波立て乱そうとも、波が治まればそこに映る姿もまた戻るのは道理。
「それに、妖夢やあの桜も無事だったし」
冥界の理に反して命あるものが二つ。
魂魄妖夢と西行妖
それが無事だったのだからなにも気に病むことはないと、冥界の主は八雲の名代に伝えた。
「妖夢殿はどのように」
「別に、いつも通りやっているわよ」
ことがことだけに処罰を覚悟していた妖夢だったが、幽々子はなんの沙汰も下さなかった。
実際、妖夢に咎はなく冥界にも実質的な被害はない。
それに謹慎などを申し付けたら困るのは自分自身なのだということを、主は誰よりも熟知していたからかもしれない。
「妖夢にとっても、良い経験になったわ」
前にも増して仕事に打ち込む妖夢だったが、時折遠くを見るような、もの思いに耽るような表情を見せるようになった。
どうしたかと幽々子が訊ねても、なんでもないですと仕事に戻る妖夢。
「ホントに素直じゃないのよね」
「幽々子様も人が悪い……」
原因を知っていながら知らぬ振りをする幽々子。
そんな主を持つ妖夢に同情する藍。
妖夢の変化の原因など一つしかない。
「会いに行くように言わないのですか」
「あら、なんのこと」
真面目な妖夢のこと、事件の後で自分から白玉楼を離れるようなことを言えるはずも無い。
あの月のウサギのことを妖夢が気にしない訳が無いと知りながら、幽々子は何も口にしなかった。
「会えない時間が想いを育むのよ」
私と紫もそうだったわ、と口走る幽々子を尻目に茶を飲む藍。
「それでは、失礼します」
「ああ、それから」
幽々子は懐から携帯スキマを取り出す藍に声をかける。
「なんでしょうか」
「紫に伝えて、動けるようになったらいつでも来てと」
「……はい」
白玉楼を元に戻すため大規模且つ大量のスキマを操った紫は、迷い家で休養を取っていた。
気取られる言質は与えなかったのに、やはりこの方は底が知れないと思い知り藍は白玉楼を後にした。
□ □ □ □ □
「鈴仙は出かけたの」
「はい」
冥界の事件から数日後の永遠亭、輝夜は永琳の研究室を訪れた。
冥界の事件後、意識が戻らぬまま永遠亭に運び込まれた鈴仙だったが、昨日ようやく回復した。
「あなたにしては時間がかかったわね」
「特殊な仮死状態だったので仕方ありません」
終の結界が崩壊する直前、万策尽きた鈴仙は白楼剣の刀身を鏡代わりに自己催眠をかけた。
鈴仙は自身を鉄塊だと自己催眠をかけ仮死状態にした。
必ず妖夢が戻ると、救助が来ることに賭けたのだ。
「薬も注射も受けないほど見事な催眠術でした」
薬を飲ませても受けつけず、注射を打とうと折れた針の数が二桁を超えた時、永琳は薬物による覚醒の試みを諦めた。
「それで、解除条件はなんだったの」
「……」
催眠術を行使するとき、術者は万が一の時に備えて安全のために、術を解除するためのキーワード、または条件を用意する。
『師匠、わたしの催眠術の解除条件はですね……』
以前、鈴仙が嬉しそうにいっていたのを覚えている。
その時はなにを馬鹿なことをと鈴仙を叱り付けた永琳。
『万が一の時はおねがいしますね』
その万が一の状況が実際起きてしまった。
いっそ自分の記憶を消しておいたほうが良かったと永琳は後悔した。
「まあ、あんな馬鹿でも弟子は弟子なのでなんとかしました」
「馬鹿な子ほどかわいいと言うしね」
永琳をみてニヤニヤする輝夜。
永遠亭に運ばれた鈴仙がなかなか回復しないことを輝夜は気にかけ、何度も様子を見に来ていた。
「……知っていましたね、姫」
「前に鈴仙が教えてくれたの、自分や永琳にもしもの時があったらって」
鈴仙の容態を気遣う輝夜が涙目で助けてえーりんと言っていた時から感じた違和感。
その正体にようやく気づく月の頭脳。
「久しぶりに授業をしたくなりましたよ、輝夜」
「あら、呼び捨て」
研究室の空間が歪む。
無重力、漆黒の闇が広がり、星を散りばめたバトルフィールドが形成される。
「正しい知識を詰め込んで、無駄な記憶を消してあげます」
「こんな面白いこと、簡単に忘れられないわね」
弓を手にする永琳に対して、蓬莱の枝を構える輝夜。
一刻もはやく輝夜の記憶を消し去りたい永琳。
あと百年は弄れるネタを手放したくない月の姫。
「鈴仙は放って置いてよいのかしら」
「ご心配なく、すでに洗脳ずみです」
「納得」
弾幕を展開する二人の蓬莱人。
「再教育の時間です、姫」
「私の難題を解けるかしら、天才さん」
こうして永遠亭の一室で弾幕戦が開始されたのだった。
□ □ □ □ □
永遠亭の前。
迷いの竹林の中で月のウサギが出てくるのを隠れ待つ影一つ。
「なにしているのかな」
「れ、鈴仙ちゃん」
いきなり後ろに現われた鈴仙に驚く因幡てゐ。
「なにもしてないウサ、また鈴仙ちゃんにコッソリついていこうなんて思ってないウサ」
「ハァ」
てゐの言葉に溜息を吐く鈴仙。
「なら一緒に行きましょうか」
「あんな遠いとこ、もう行かないよ」
鈴仙の差し出す手から顔を背ける。
「てゐ、この前はありがとう」
「なんのことウサ」
「師匠と姫にわたしがピンチだと伝えてくれて」
「ちがうウサ、そんなことしてないウサ」
鈴仙の後をこっそりついて行き、白玉楼での戦いを目にしたてゐ。
どれほど無理をしたのか、永琳の話では全速力で永遠亭についたてゐは、鈴仙のことを伝えてすぐ倒れてしまったそうだ。
照れ隠しに口笛を吹くてゐ。
「それはそれとして」
鈴仙の穏やかだった表情が険しくなる。
「妖夢さんに薬渡したこと、師匠に告げ口したのあなたでしょ」
「知らないウサ、ほんとに知らないウサよ」
てゐはブンブンと首を左右に振る。
「てゐ知っていた、イナバが嘘をつくとき、右の耳がピクピクしているの」
「えっ、うそっ」
慌てて頭の上の耳に手をやるてゐ。
「そんなの嘘じゃない!」
「ええ、嘘よ」
鈴仙の言葉にしまったと顔を青くするてゐ。
「だが、間抜けは……って、てゐ」
てゐは鈴仙の言葉を待つまでもないとばかり竹薮に駆け込む。
「ほんっとに、しょうがない」
てゐへのお説教を諦めて、冥界へ向かおうとする鈴仙。
「鈴仙ちゃん」
竹薮から顔を出すてゐ
「あの子に会えて良かったね」
鈴仙へそう言い残すと、竹林の奥へ姿を消す。
てゐが永琳へ妖夢に渡した薬のことを言わなければ、鈴仙は白玉楼へ訪れることはなかっただろう。
てゐが鈴仙を追って行かなければ、輝夜と永琳が冥界へ向かうこともなかっただろう。
「ありがとう、てゐ」
鈴仙は白ウサギが消えた竹林へ大声で叫んだ。
□ □ □ □ □
妖夢は冥界への長い階段を掃き清める。
背中にはいつもの二刀はなく桜観剣一刀のみ。
白楼剣は鈴仙に預けたまま、意識のない鈴仙は白楼剣をしっかり握り締めた状態で永遠亭へ運ばれた。
真剣な表情で掃除を続ける妖夢だったが、時々電池が切れたように動きを止める。
主がそんな妖夢の様子を心配してかける声に、なにもございませんと答える妖夢。
ようやく止まった手に気づき、慌てて掃除を続ける。
ふと気がつくと、考えるのはあの薬師見習いのことばかり。
意識が戻らないまま永遠亭へ戻った鈴仙。
永琳に命に別状がないと説明されたが、その後どうなったのか。
できれば今すぐにでも鈴仙のもとへ飛んで行きたい。
しかし、幽々子からなんの沙汰がなかったとは言えあの事件のあと、自分から白玉楼を離れるようなことを言い出すのは躊躇われた。
リン
背中の桜観剣から普段はしない鞘鳴りの音。
顔を上げた妖夢の目に映るのは、こちらに向けて飛んでくる月のウサギの姿。
心の準備が整う間もなく、妖夢の傍へ降り立つ鈴仙。
一言二言挨拶を交わしたあと、エヘヘと笑いながら鈴仙は白楼剣を妖夢へ手渡す。
硬い表情でそれを受け取る妖夢。
「それで、あの約束のことだけど覚えている?」
照れながら尋ねる鈴仙の言葉を受け、黙って頷く妖夢。
『次は納得できる答を聞かせください』
何故、己が命を賭けるような真似ができたのか。
妖夢のことをどのように思っているのか。
「わたし、あなたのことね……」
言い終えると、顔を真っ赤にして上目遣いで妖夢の様子を窺う鈴仙。
妖夢は笑顔で鈴仙に抱きついた。
「よ、妖夢さん」
腕の中の妖夢をどうしてよいか分からずあたふたする鈴仙。
妖夢は幸せな笑顔を浮かべ、鈴仙の胸に顔を埋めた。
この事件の後、白玉楼で以前と変わったことが幾つかある。
白玉楼に永遠亭の置き薬を置くようになり、月のウサギが冥界まで訪れるようになったこと。
白玉楼のお茶会、永遠亭のお月見、その席に互いの主が招待されるようになり交流が始まったこと。
そして
「妖夢、妖夢」
今日も白玉楼に従者を呼ぶ主の声が響く。
「ただいま参ります」
台所から甘味とお茶を用意して幽々子のもとへ急ぐ妖夢。
「それではいただきましょう」
「はい、幽々子さま」
食事の量も以前に戻った幽々子。
その幽々子の提案でおやつの時間は主従一緒。
同じものを食べるようになった。
「どう、おいしい」
「はい、おいしいです幽々子さま」
どら焼きを頬張る妖夢を嬉しそうに見つめ、自分も食べ始める幽々子。
白玉楼に幸せな時間が流れていく。
これまでも、これからも。
迷い家
「紫様、お食事の用意ができました」
「いつもすまないね」
白玉楼から戻った藍は主のため食事の準備をした。
「まったくです」
「いやん、そこは『それは言わない約束でしょ』っていわないと」
はいはいと応じ、紫の体を起こし配膳をすます藍。
「それにしても、あの薬を使ったのはいくらなんでも無茶だったのでは」
「ちゃんとスキマからモニターしていたわよ」
「あんな危険な薬に頼らなくても、他に方法があったのでは」
無限増殖の効能を持つ薬。
その危険性、幻想郷はおろか世界を滅ぼす可能性があったほど。
「あのまま無限増殖をしていたら、ほぼ一日で宇宙を埋め尽くしていましたよ」
「まあ、無事終わったのだからもういいじゃない」
「よくありません、こんな無理をなされるなんて」
白玉楼での幽々子の言葉通り、紫は無理が祟って寝込んでいた。
藍は主の無茶を諌めるため小言を言い続ける。
「藍、永遠を生きる蓬莱人と冥界の白玉楼とは本来交わるはずがないものよ」
スキマから二本の平行する直線が書かれた紙を取り出す。
「この二本の直線が交わる点をあなたは導き出せる」
「申し訳ございません」
主の言葉に即座に首を横に振る藍。
『平面上に平行に存在する二本の直線は永遠に交わることはない』
なぜ主はこのようなことを聞くのかと首を傾げ藍。
「ほんと、だめな式神ね」
紫は手にした平行線の書かれた紙の両端を持ち軽く捻る。
「あっ」
歪んだ紙の上で二本の線は向かい合い、交差する。
「世界を捻れば良い♪」
ニヤニヤ笑う主に黙って頭を下げる藍。
三途の河の河幅をも算出できる藍だったが、それは緻密な式を積み重ね。
主の才に遠く及ばぬことを改めて思い知る。
交わる筈のない理を捻じ曲げるのに、どれほどの力が必要なのか。
「そこまでしてあのもの達が必要ですか」
「せっかく引っ張り出したのに、医療行為なんて慈善事業で満足されたら困るのよ」
永夜の異変で知れ渡った永遠亭だったが、まだ幻想郷との繋がりは薄い。
冥界という一番縁遠いところと交わりを持ってしまえば、他と交流を持つことなど容易いこと。
交流が多くなれば、縁も深まる。
幻想郷との繋がりも。
(なんのために)
藍の疑問に紫が素直に答えるとは思えない。
「では、大量のなるとはどこへ消えたのでしょうか」
もう一つの疑問を口に出す藍。
宇宙すら埋め尽くす量、紫のスキマといえども抱え込むのは無理な話。
「あの薬はなるとという概念に作用するの、そのなるとが形を崩したり、その意味を無くせば無限増殖の効能は無くなるわ」
妖夢と鈴仙の攻撃で増殖を止められたのも、食べてしまえば増えなくなるのもそういう薬の性質があったからだ。
「だから、あのなるとが意味を無くすところへ送り込んだわよ」
紫は胡散臭い笑いを浮かべる。
それはどこか。
白玉楼で紫がした幽々子への耳打ち。
夏の暑い日、白玉楼に避暑に来た黒白の魔法使いの言葉。
「紫様、まさか」
「いやね、あとは乙女のヒ・ミ・ツ」
馬鹿馬鹿しい推測を否定できず愕然とする藍。
そんな式にお構いなし、おいしそうに食事を頂く紫の姿があった。
読み「れいせん・うどんげいん・いなば」
あと、ところどころ「?」を付け加えた方がいいかと。
誤字訂正いたしました。
りん→鈴で変換していたので、すみません。
読んでいただきありがとうございました。
欄は主のため食事の準備をした。ではなく
藍は主のため食事の準備をした。ではないでしょうか
鈴仙とか妖夢のキャラを壊さずに面白い話をつくってくれてよかったです。
ご指摘ありがとうございます。
誤字修正いたしました。
読んでいただきありがとうございました。
ご感想ありがとうございます。
鈴仙を不遇に扱ってしまった埋め合わせができたらと思い書きました。
拙作と機会に鈴仙を好きになっていただいて幸いです。
東方キャラは全てのキャラクターが魅力的ですね。
介錯が必要とはまだまだ未熟 by妖忌