Coolier - 新生・東方創想話

化かし合い

2008/04/03 08:51:19
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※このお話には、若干のオリキャラ成分が含まれます。


  ☆


 星屑の散りばめられた、満点の夜空。
 その中に一際巨大に光り輝く月が浮かんでいる。
 明日には真ん丸の満月になろうという月は、暗雲に邪魔されることなく、その存在を際立たせるように輝きを放つ。
 そうして降り注ぐ月光は、幻想郷の夜を煌々と照らし上げていた。

 古来より月の光には狂気が含まれているとされている。
 他の光に阻まれることなく月の光が届くこの地だからか、毎夜必ず何処かで宴が開かれていた。
 宴と言えば美味い酒に美味いつまみ、そして最高の余興が揃えば文句はない。
 
 その余興といえば、ここ幻想郷では“弾幕ごっこ”と相場は決まっている。
 美しさも競い合いの材料の一つとなるため、遊る者だけでなく、見る者も楽しめるのだ。
 今宵も空に弾幕の花が咲き誇り、人間と妖怪が狂瀾の遊びに酔い痴れる。

「いっけぇ霊夢ーっ。そんな女狐なんざ、撃ち落とせーっ」

 上空を舞う紅白巫女と九尾の狐を、酒瓶片手に観戦しているのは霧雨魔理沙だ。
 どこからその情報を手に入れてくるのか、博麗神社で宴が開かれるとき、彼女は必ずと言っていい程姿を見せる。
 今日だって、突発的に始められた宴会にも関わらず、気がつくと其処にいた。
 
「あら、うちの式神はそんな柔ではありませんわよ」

 この宴会を開いた、というか開かせた張本人が、酒で紅潮した顔を不敵な笑みで染める。
 グラスを月夜にかざし、輝く琥珀色を揺らめかせる姿が似合う女性――八雲紫その妖である。


  ☆

 
 夕刻、霊夢が竹箒を閉まいに納屋へ向かった時、扉を開くとそこには埃塗れで立ちつくしている紫がいた。
 どうやら霊夢を驚かそうと納屋の中に現れたらしいが、思った以上に埃が溜まっていて、その餌食になったらしい。
 折角衣装も化粧も決めてきたのに、誰かに会う前に台無しにされ、恨みがましい視線を向ける姿には、大妖怪の威厳など微塵も感じられない。

「何やってんのよ」
「貴女ね、納屋だって家の一部なんだから掃除くらいしなさいな」
「そんな涙目で言われてもねぇ」
「埃が目に入ったのよ! ……まったく、せっかく上物の洋酒を手土産に来てあげたのに」

 だったらちゃんと入り口から入りなさいよ、という霊夢の至極真っ当なつっこみが入る。
 それに対して紫は、頬に人差し指をあてて片目を閉じるという、見た目相応歳不相応なポージングを決めてこう言った。

「大妖怪のお茶目よ」


 そんな前座があって、突如として開かれることになった一人と一匹のささやかな宴会。
 魔理沙がいつの間にか参加していた事についてはさておき、そのささやかな宴でどうして霊夢は弾幕ごっこに興じているのか。
 それは魔理沙が現れるほんの少し前に、紫が言った言葉が発端となる。

「――それはそうと霊夢、最近貴女の腕は如何かしら」

 腕と言われて、霊夢は不意に自身の二の腕を見る。
 博麗霊夢と言えども女の子。指で抓んだその感触が、「ぷにっ」と言えばショックの一つも受けるというもの。
 霊夢は指から伝わってきた安全圏の感触に、ホッと息を吐きながら紫を睨んだ。

「腕って……そんなに太ってないわよ」
「腕って調伏の腕前に決まっているじゃない。永夜異変以来これと言って大きな事件は起こっていないでしょう」

 紫の言葉に、霊夢は取り繕うように咳払いをし、さも何事もなかったかのように言葉を返した。

「季節問わずに花が咲き誇った異変はあったと思うけど」
「あれは恒例行事みたいなもの。異変と呼ぶほど大層なものではないわ」
「別に異変が起きないなら、それはそれで良いじゃない」
「まったく、そんなままだと突然の異変に対処できなくなるわよ」
「その時はその時よ。今までだってどうにかなってきたんだし」
「はぁ、博麗の巫女には何を言っても無駄というわけですわね。でも今の実力を把握するくらいはしておいても損はないはずよ」

 今まで安穏と続いていた会話が突然途切れた。
 見ると霊夢の視線がいつの間にか、どこか冷たさを含んだ物に変わっている。
 紫の告げた言葉の最後に、悪意とも敵意とも違うが、明らかに友好的ではない得体の知れない感情を感じたのだ。

「何? あんたが挑発するなんて珍しいわね」
「別にそんなつもりじゃありませんわ。それに相手をするのは私じゃないもの」

 言って紫は扇子を閉じて頭上に「一」の字を書くように、ついと動かした。
 その一文字から空間が裂け、中から金毛を生やした長身の女性が現れる。
 静かに、それでいて威圧的な存在感を醸しながら降り立つ。その背中には九つの尾がまるで炎のように揺れている。
 最強の妖獣と謳われる九尾の狐、名は八雲藍。
 八雲紫の式神として仕える忠実な僕である。

「お呼びですか、紫様」
「えぇ、そうよ。今から霊夢と弾幕ごっこをしてもらうわ」
「ちょっと、本人の意思は無関係?」
「あら、さっき私の言葉を挑発と受け取ったのは何処の何方かしら」

 紫のしたり顔に、うぐ、と言葉を詰まらせる霊夢。
 突然呼ばれたにも関わらず、藍か落ち着いているのは、持ち前の性格もあるだろうが、紫から事前にこうなることを教えてもらっていたのだろう。
 そうでなければ、聡明な藍のことである。いくら弾幕ごっこはスポーツや遊びに近いものとは言え、何の理由もなしに闘う真似はしないはずだ。

「何が目的なのかは知らないけど、やるからには勝たなきゃ気分が悪いわよね」

 なんだかんだでやる気をかいま見せる霊夢に対し、すでに臨戦の心構えを済ませている藍は、主である紫に勝負の運び方を尋ねていた。

「紫様、どの程度の力でやり合えばよいのですか」
「そうねぇ。霊夢の今の実力が知りたいから、多少の本気を引き出す程度で良いわ」
「かしこまりました」

 式神に成り下がったと言っても、藍はれっきとした妖狐族最強の九尾の狐。その力は相当のものだ。
 霊夢に対し、どれほどの手加減をすれば良いかということを尋ねるのも、それだけの実力を備えていることを自分で理解しているからに他ならない。
 だが霊夢からしてみれば、そういう会話はあまり面白くない。

「随分と格下に見られたものね」
「そういうわけではない。紫様がお前の実力を見たいと言っている。だから私はその目的が適うように働くだけよ」
「九尾の狐のくせに、主の為、紫の為って、自分の力が勿体ないとか思わないの?」
「私はあの方の式神になったときから、そんなことは考えたこともない。私は自分であの方の力を認めた上で、あの方に仕える道を選んだのだから」
「あっそう。でも私はあんな胡散臭い妖怪の言いなりに動くようなあんたには、負ける気はしないから」
「何とでも言うが良いよ。やってみればわかることだ」


  ☆


 ――と、まあそんな調子で始まった弾幕ごっこは、かれこれ三十分ほど続いている。
 藍は霊夢の今のキャパシティを見定める戦い方をしているのだから、決着がなかなか着かないのは当たり前。
 しかしここまで長丁場になると、そろそろ決着をつけて欲しいと観客としては思うようになる。
 紫と飛び入り観客の魔理沙は、どちらが勝つかにそれぞれのつまみを賭けて、決着の行方を待っていた。

「そうだ、そこで追い込んでそのまま落とせっ」
「無駄よ。そんな単純な作戦じゃあ、藍には通用しない」
「自慢のペットってわけか?」
「ペットじゃなくて式神よ。まぁ自慢するほどのものでもないわ。私に仕えるなら九尾の狐くらいでなきゃ」
「相変わらず嫌な奴だな。まぁ良いぜ、私の鬱憤まで霊夢に晴らしてもらうからな」
「つまみを私に差し出して、鬱憤がさらに溜まらないように祈ることですわ」
「それはこっちの台詞だぜ。ほら、そろそろ決着が着きそうだ」
「あら、そう。それじゃあその燻製肉はいただきますわね」

 そう言って紫が、魔理沙の賭け品であるビーフジャーキーに手を伸ばしたその時だった。
 ハエ叩きがクリーンヒットして叩き落とされる羽虫が如く、霊夢と弾幕ごっこを繰り広げていた藍が、地面に落下してきたではないか。
 気絶しているのか受け身も取れず、あえなく庭先の地面に激突。そのまま仰向けに倒れ込み、勝敗は完全に決した。
 呆然とする紫と、にやにや笑いを浮かべる魔理沙の元に、やれやれといった様子で霊夢が降りてきた。

「まったく、下手な手加減なんてするからよ」
「どうやら賭は私の勝ちのようだな。そのホッケは頂くぜ」
「ちょっと魔理沙。勝ったのは私なんだから、半分はよこしなさい」
「仕方がないな。半分ならオッケーだ」

 二人がそんな会話を繰り広げる中、紫の顔からは余裕の笑みは消え失せ、その視線は気絶したままの藍を凝視している。
 そんなに藍の敗北が信じられなかったのだろうか。
 紫は縁側を離れ、倒れ伏した式神の元へと近づいていった。

「う、ん……」

 紫が近づいた丁度その時、藍はようやく目を覚まし、地面との直撃で身体に負った痛みに顔を歪める。
 苦悶を浮かべる両眼に主の姿が映り、藍は申し訳なさそうに告げた。

「申し訳ありません。不甲斐ない姿をさらしてしまって」
「全くね」

 孤軍奮闘した式神に掛けられた言葉は、鋭く尖った氷柱のような鋭利で冷たいもの。
 しかし藍はそれをありのままに受け入れ、悲しい表情を浮かべたりはしない。

「それでも貴女はこの八雲紫の式神なの?」
「申し訳ありません」
「あれだけ強気に出ておいて、結果がこれじゃあ目も充てられないわ」
「紫様のおっしゃる通りです……」
「貴女が負けた所為で……」

 紫はどこから取り出したのか、右手に愛用の桜色のパラソルを掲げる。
 別に雨が降っているわけでも、陽射しが強いわけでもない。
 閉じたままのパラソルを振り上げると、容赦なく藍の身体に振り下ろした。

「楽しみにしていたホッケが食べられちゃったじゃないっ。結構巧く焼けたから、勝利の美酒と一緒に堪能しようと思っていたのにっ」
「すっ、すいませんっ、すいませんっ」
「藍の馬鹿ッ、藍の馬鹿ッ、藍の馬鹿ッ」

 ビシビシガスガスバキバキと、紫はとても悔しそうに声を荒立て、藍の身体を叩きまくる。
 どこからどう見ても八つ当たりにしか見えないその光景に、霊夢と魔理沙も呆れ顔だ。

「あれが大妖怪と最強の妖獣とは……誰が見ても信じられない光景だな」
「紫の性格が訳が分からないのはいつものことだけど、あんな目に遭わされる藍の気が知れないわね」
「だな。そういや、いつかの天狗の新聞でも、あんな目に遭わされていたっけ」
「最強の妖獣、九尾の狐の名が泣くわね」


「まったくだ」


 霊夢の言葉に賛同したのは、魔理沙のものとは異なる野太い声だった。
 突然乱入してきた声に、霊夢と魔理沙はその主を確かめようと、その声のした方を見る。
 するとそこにはやたら図体のでかい、強面の男が立っていた。
 よくよく見ると頭部には人間のものとは明らかに異なる獣の耳があり、臀部からは巨大な栗色の尾が生えている。
 どこからどう見ても妖獣が変化した姿にしか見えない。
 霊夢はいち早くその男の正体を見抜き、言い当てた。

「あんた、狸ね?」
「ご名答。流石は噂に名高い博麗の巫女だ」

 外見に似合わず紳士的な態度を取る、妖怪狸の男。
 何をしに来たのか、そう二人が尋ねる前に、男は藍と紫の元にずかずかと近づいていく。
 紫もその存在に気がついたのか、藍を叩く手を止め、近づいてくるに男に対して身構えるように向き合った。

「なんの用かしら。この辺では見かけない顔のようですけど」
「私が用があるのは貴女ではない。境界の大妖怪、八雲紫殿」
「私の正体を知っていながらその態度。力は良いものを持っているようですわね。でも私に用がないとなると、目的はこの子かしら」

 そう言って紫はパラソルの先端で、未だ倒れ込んだままの藍を示し指した。
 すると男は、こっくりと頷き肯定の意を示す。
 紫はその場を一歩離れ、藍に立って相手をするように態度で促した。

 主に傘で叩かれまくるという、情けない姿から一変。藍は立ち上がると何事もなかったように凛とした姿で男と相対する。
 その変わり身の早さに、男も驚きはせず、藍に対して鋭い視線を送り続けていた。

「私に用があるそうだが、さてどんな用件だ」
「狸が狐に用があると言えば一つに決まっているだろう」
「……そんな事を言う狸は何百年ぶりか」

 藍は何処か面白そうに呟いた。
 男の方も心なしか笑っているように見える。
 だがそれは、友人同士が語らう和気藹々とした談笑などでは断じてない。
 いつ何時争いが始まってもおかしくない、一触即発のピリピリとした空気が二人の間に張り詰めている。

 昔から狐と狸は、変化の力を持つ獣として競い合ってきた間柄。
 時には競い合い、時には争い合い、いつの時代もあまり友好的とは言い難い関係を築き続けている。

「お前、かなりの自信家のようだが、名前は何という。まさか名無しの妖狸如きが、九尾の狐に挑むことはないだろう」
「これは失礼した。我が名は八ツ島刑部(やつしまぎょうぶ)」
「刑部……成る程な、お前が妖狸族の総大将、隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)か」

 隠神刑部――妖狸族の本拠、四国地方に数多いる選りすぐりの妖狸の頂点に立つと呼ばれる、妖狸の中の妖狸。
 八百八の妖狸を従えることから、その数を取り八百八狸とも呼ばれている。
 妖狐族最強が九尾の狐であるならば、妖狸族の最強は彼、隠神刑部といっても過言ではないだろう。

 刑部の名を持つこの妖狸は、藍の言葉に隠し立てをする様子を見せることなく頷きを返した。

「如何にも。この幻想郷に我等妖狸族最大の好敵手、妖狐族の中でも最強と謳われる九尾の狐が居ると聞き、化かし合いを申し込むためやって来たのだ。……のだが」

 刑部の顔からは不敵さが無くなり、代わりに落胆の色が浮かぶ。

「先程から拝見していたが、どうやら九尾の狐と言っても大したことはないらしい。紫殿の式神としても、それでは力不足だろう」
「何だと?」
「九尾の狐と言えば、遙か昔より日本だけでなく大陸でも、その名を轟かせていたほどの大妖怪。相対する狐族とはいえ、その力を認めていたのだが」

 溜息を吐いてますます落胆の色を濃くする刑部だったが、そこまで言われて藍が黙っているはずもない。
 金色の毛並みを憤怒で逆立てながら、その声色と顔色は静かな怒りが溢れている。

「言ってくれるな……古狸風情が」
「式神に成り下がったことで、全盛期ほどの力を失ってしまったのではないか?」
「そんなことはない! 紫様の式神になってから、さらに力をつけたことはあっても、下がる事なんて絶対にない!」
「いやでも、さっきのあんな姿見せられたら、そう思いたくもなるわよねぇ」
「んなっ!?」

 刑部とのシリアスに会話に茶々を入れてくるのは、すっかり存在を蔑ろにされてしまっていた霊夢達だった。
 しかし、いくら主とは言えあんな仕打ちを許すようでは、霊夢達が刑部の言葉に頷くのも当然である。
 人間にまでそんなことを言われてしまっては、九尾の狐の名折れ。

 刑部の表情には、最早最強の妖獣を前にしているという緊張感は欠片も無くなってしまっている。
 何やら勝負を申し込みにやって来たようだが、相手の実情を知ってしまうと、そんな気すら起きないのだろう。
 このままでは、九尾の狐は大したことのない奴だったという、妖狸族にとっては嬉しいのかがっかりなのか微妙なニュースを持って帰るだけになる。

 だが相手の情けない姿を目の当たりにした上で、勝負を申し込むのもまた出来ない話だ。
 刑部は遺憾の意をたっぷり込めた深い溜息を吐きながら、藍に向かって背を向ける。
 それは、読んでそのまま話にすらならないという意思表示。

 背を向けた刑部の前には、背後にいた八雲紫が立ちはだかる形となる。
 大妖怪としてのカリスマを醸す紫に、刑部は恭しく一礼をすると、その横を通り過ぎようとする。
 だがちょうど紫の隣を通り過ぎる瞬間、紫は口元に不敵な笑みを浮かべながら、刑部を呼び止めるように呟いた。

「でも、せっかくこんな所までご足労いただいたのに、勝負の一つも無しに手ぶらで帰るのは勿体なくはありませんこと?」

 その言葉に、帰るつもり満々だった刑部の足がピタリと止まり、紫の方に身体を向けた。

「確かに。ですが、今の彼女では私の相手にもなりますまいて」

 相手は大妖怪である八雲紫。
 それでも刑部は落ち着いた様子で、自分の考えを曲げることをしない。
 流石は八百八家の妖狸を束ねる長だけのことはある。

「それはどうかしら。確かに藍の力不足は否めないけれど、まだ会って間もないのに弱いと決め付けるのは軽薄ではなくて?」
「僕がけなされて気でも立ちましたか。だが私は事実を言ったまでのこと」
「別に怒っているわけではありませんわ。もうしばらくゆっくりしていっても宜しいのでは、と提案しているだけよ」

 紫のどこか不敵めいた微笑みに、何かしらの謀略を感じない者はいないはずだ。
 だが刑部はその誘いを敢えて受けるかのように、同じような笑みを浮かべて言った。

「ふむ……九尾の狐の力が本当に最強の名に相応しいか、それを確かめるのも悪くはない、か」
「決まりですわね」
「あぁ。では改めて、貴女を介して九尾の狐に勝負を申し込むとしよう」

 刑部はゆっくりと腰を下ろし、土の上に正座をする。そして右拳を地につけて、頭上の紫に向かって真剣な眼差しを向けた。
 紫もその眼差しを真っ向から受け止めて、真摯な瞳で見返している。
 二人の間には、藍と刑部の間に流れたものとはまた異なる緊張感が漂っていた。

「我が名は八ツ島刑部、字は隠神。九尾の狐たる八雲藍に、狐狸化け勝負を申し込む所存也」
「しかと聞き受けました。八雲紫の名において、此処に八ツ島刑部と八雲藍の正式な決闘を行うことを認めましょう」
「感謝致す」
「決闘の日時は明日戌の刻、場所はここで。幻術において相手を如何に出し抜くかで優劣を決める、伝統の狐狸決闘方法によるもの」
「異論はない。それでは私は明日に供えて寝床を探すことにしよう」

 今度こそ、刑部は博麗神社を後に、立ち去っていった。
 残された四人の内、紫はこの展開を面白がって笑う一方、藍に至っては途中から、当人のはずなのに完全にお役御免にされてしまったままだ。
 そして無関係者である霊夢と魔理沙は、完全に他人事だとこの場を認識し、無責任な感想を言い合っていた。

「おいおい、なんだか楽しくなってきたな」
「何言ってるのよ。面倒事が増えたの間違いでしょ。妖怪同士の化かし合いなんて、私には関係ないからどうでも良いけど」
「でもここでやるんだ。嫌でも様子を見ることにはなるぜ?」

 それが問題なのよね、と霊夢は面倒くさげに呟いた。
 しかし態度に見せなくても、最近大きな異変も起きなくて退屈していた所に転がり込んできたイベントだ。
 しかも、いつもなら当事者として動くことになる異変とは違い、この決闘は面白可笑しく見ているだけで良い。
 楽して楽しめる格好の機会を、みすみす逃す手はないというもの。
 なんだかんだで魔理沙の隣で、観戦モードで座っている霊夢の姿が容易に想像できる。

 そんな人間二人が相変わらず無責任な会話を続ける側で、藍は紫に何やら無言で視線を送り続けていた。
 勝手に話を進められたばかりか、一方的に決闘の申し込みを許諾したことを、怒っているのか。

 いや、そうではなかった。

「紫様、ありがとうございました」

 深々と頭を下げた礼をし、感謝の言葉を述べる藍。その口調に嘘偽りは感じられない。
 主従関係があるにしても、ここはむしろ文句の一つでも口にする方が妥当である。
 そうではなく感謝の言葉を述べるとは一体どういう了見なのか。
 それは古来より続く妖狐と妖狸の、切っても切れない関係が生んだそれぞれの種族の矜恃があるからだ。

 藍には、妖狐族最強の証である九尾に懸けて、妖狸族最強である隠神刑部との決闘は受けて当然、負けたら恥でしかない。
 それに最強の立場に立つ者が負ければ、その種に対する評価はがくりと下がってしまう。
 そもそも勝負を持ちかける気にすらならないと、隠神刑部ほどの妖狸が口走れば、妖狸族だけでなく、他の妖獣からも妖狐族への評価は下がっていたことだろう。
 藍が感謝の言葉を述べたのは、もう少しで勝負をすることが出来なくなっていたところを、紫の一言が救ってくれたから。
 自身の矜恃、そして種族の矜恃を守ることができたのは、他ならぬ紫のおかげなのだ。

「別に貴女のために許諾した訳じゃないわ。隠神刑部という妖狸の力を、この目で直に見てみたかったのよ」
「それでも、この機会を作ってくれたのは事実。八雲の名を持つ式神としても、明日の勝負には必ず勝つことをお約束します」

 あくまでも律儀に頭を下げ続ける配下の式神に、紫は肩をすくめて呆れを見せた。
 嫌がっているようには見えないところから、部外者からは、なんだかんだで良い関係を築いているように見える。
 ハッと気がつくと、霊夢と魔理沙がにやにやと気色の悪い笑みを浮かべており、紫は慌てて取り繕うように咳払いをした。

「コホンッ! き、期待しないで見ているわ。……とりあえず私達も帰るわよ。今日は霊夢の力も見られたことだし、明日に備えて休みたいし」
「帰ったらすぐに湯浴みの準備を。お夜食の方は?」
「要らないわ。それより貴女こそ、明日の決闘に差し支えがないように休んでおきなさい」
「かしこまりました」

 微笑ましい主従関係で完全に外部との空気を遮断したまま、大妖怪とその式神はスキマの中に姿を消した。
 この宴を開き、いざこざを持ち込んだ張本人であるにも関わらず、何もオチをつけずに帰ってしまう。
 残された二人、特に霊夢にとってはやるせなさばかりが募る始末である。
 無責任に刑部との勝負を楽しみにしていた彼女たちだったが、当事者の思惑などには興味がない。
 安っぽいメロドラマを見せられても、腹は満たないし酔うこともできやしないのだから。

「何っ、何なのあいつ等はっ」
「いや私に言われてもどうしようもないんだけど。……とりあえず私達もお開きにするか?」

 たしかにこのまま飲み直す気にもなれないし、何より明日の夜にいざこざのメインイベントが開かれるのだ。
 今日はもうさっさと片付けて休んでしまうのが得策だろう。
 自分の利害も考慮した上で、魔理沙の提案に乗ることにした霊夢は、そうねと端的に相槌を返す。

「ほいじゃま、私はこれで……」

 そそくさと退散しようとする魔理沙の袖を、霊夢の白い手ががっしと掴む。
 見た目の華奢さからは考えられないほどの力が加えられ、魔理沙は振り解くことが出来ない。
 だが振り解けない真の理由は、こちらを見る霊夢の顔がにっこりとした微笑みに彩られていたからだ。
 笑っているのに笑っていない。矛盾した表現だが、そうとしか言い表すことの出来ないオーラが霊夢からは醸し出されていた。

「後片付けもせずに帰るつもり?」
「い、いや。その前にトイレを借りようとしてだな」
「逃げるつもりだったでしょう」
「そ、そんなとこはないぜ。断じてないからっ。トイレ行った後、ちゃんと片付けしてから帰るって」
「あらそう? それじゃあ片付けてから帰ってね。私は先に休ませてもらうから」
「なっ!」

 しまったと思ったときには既に遅し。
 縁側に散乱した酒瓶、つまみ滓、これらの後片付けを一手に押しつけられてしまった魔理沙。
 どさくさ紛れならまだしも、他に押しつけられる不憫役も今日は居ない。この状況下でばっくれでもしたら――

「しゃあない……さっさと片付けて帰ろ」

 こういう場合、頭の中で天使と悪魔が口論するというが、今の魔理沙にはそれがない。
 口論する前に、悪魔の魔理沙と天使の魔理沙の両方が、本気で怒らせたときの霊夢を思い返し、一致団結して「片付けろ、さもないと自分が片付けられるぞ」と涙目で抗議してくるのだ。
 脳内満場一致の否決無しでは、片付けないわけにもいかないだろう。

 こうして決闘前日の博麗神社の夜は更けていくのであった。


  ☆


 翌日、山裾から日が顔を出し、天鵞絨に包まれていた山々、森、谷、そして人里に目覚めの光が広がっていく。
 人々はそれぞれの生活のために布団から抜け出て、その目覚めの光を全身に浴びて身体を起こす。
 そして今日も一日を生きていくのだ。

 その反面、夜中に活動していた妖怪達は、日が昇ると同時に寝床に就く。
 しかし中には人間同様、昼間に活動する妖怪とて、この魑魅魍魎が跋扈する幻想郷には少なくない。
 理由は千差万別だが、人間とは違う思考の持ち主たる妖怪共のこと。考える必要はあまりないだろう。

 ここにも一人――いや正確には一匹と言うべきだが――、太陽の下で活動する妖怪が居た。

「さて、と。今日は絶好の洗濯日和だな。洗濯物が綺麗に乾きそうだ」

 昇ってきた朝日に眼を細めながら、絵に描いた天然記念物級の良妻賢母のような台詞を口にするのは、今宵決闘を控えているはずの八雲藍だ。
 昨日あれだけ緊迫した空気を作った相手との決闘を目前にしているのに、彼女がやっていることはいつもと変わらない生活。
 そんな事で良いのか。少しでも決闘のための練習なり、特訓なりしなくても良いのか。
 そんな疑問を持つ者は、彼女のすぐ側にも居た。

「あの、藍……様?」
「どうした、橙。もう朝餉は食べたのかい」
「はいっ、とても美味しかったです! や、そうじゃなくて」

 思わず素直な言葉を口にしたものの、今はそういう場合ではないと頭を振る猫耳の少女。
 彼女は藍の式神として使役される橙という猫叉である。
 式神が憑けられていない時でも、藍を慕ってこうして遊びに来るのだ。
 昨日の夜家を空けるということで、藍が留守番の為に呼び寄せて、今は朝餉を振る舞った後というわけである。

 橙はその時に、藍本人の口から昨夜のことを聞かされていた。
 彼女を慕う者として心配するのは間違ってはいない。
 しかし心配するだけで、自分には何もすることができないことを、橙は理解していた。
 他の猫を統率することも出来ない自分が、最強の妖獣同士の決闘で何ができるというのか。

 そんな自分でも、提言することくらいはできる。

「良いん、ですか? 決闘に向けて何か備えるとか」
「無いよ」

 そう苦笑を浮かべながら、布団のシーツを紐に掛ける藍。
 パンと手慣れた様子でシーツの皺を伸ばし、風と陽に晒して満足げだ。
 そして橙に目線を向けると、安心させるように穏やかな口調で告げた。

「今から緊張していても仕方がないわ。いつもの生活を送って、いつもの呼吸を乱さない。これも一つの立派な備えだよ」
「ぅぅ、藍様がそう言うなら」
「心配してくれていたのね。ありがとう。……ありがとうついでに、そこの洗濯物を取ってもらえる?」
「はいっ」

 不安げな表情を晴れ晴れとしたものに変え、橙は洗い立てで石鹸の香りがするシーツを藍に手渡した。
 その時に、もう一つ疑問に思っていたことを口にする。

「ねぇ藍様? そのぎょーぶっていう狸って、そんなに凄いんですか?」
「ん? そうだね、彼奴は妖狸族の総大将だ。そんじょそこらの豆狸(まめだ)とは比べものにならないだろう」
「……勝て、ますよね」
「ん?」

 見るとまた橙の表情が曇ったものに変わっている。
 そして縋り付くような目で、藍のきょとんとした瞳を覗き込んで言った。

「勝てますよね、藍様なら」
「……あぁ、勝つよ。相手は最強の妖狸と言っても、所詮は狸。それに、私には勝算がある」

 本当は「どうだろう、勝てるかどうかはわからない」と言おうとした。
 しかし、自分を慕う橙のあんな目を見ては、そんな弱気なことは口に出来ない。
 それに“勝算がある”と言ったのは本当のことだ。
 だがそれも確実なものではない。あくまで彼女の想像に過ぎないし、だから勝てるという程の勝算ではないのだ。

「それでも勝つよ、私は」

 最後の台詞は橙に向かって告げられたものではない。
 藍が、自分自身に言い聞かせるために告げたものだ。
 決意を秘めた呟きを漏らすと同時に、藍の雰囲気は元の穏やかなものに戻る。

「さぁ橙。昼からは夕餉の魚を獲りに川へ行くよ。今の内に準備をしておいてくれ」
「あ、はい。わかりましたっ」

 いつもの生活が藍の勝利に繋がると聞いた橙は、その言葉に忠実に従うつもりらしい。
 釣り道具を探しに屋敷の方へ駆けていく後ろ姿を、藍は微笑ましく見つめていた。


  ☆


 あれだけ晴天だった青空が、再び黒い画用紙に白い砂粒を溢したような星空に変わる頃合い。
 今宵は満月、妖怪達がわけもなく騒ぎたがる一ヶ月に一度の最高の夜。

「最高だ。我等妖狸族は、最も満月の恩恵を受けることの出来る種族。この良き世に、良き報せを持って帰ることが出来るのだからな」
「そう上手くいくかどうかは、これからの勝負次第ですけどね」

 すでに勝利を確信しているかのような言葉を放つ刑部に、紫が冷たく諫めの言葉を返す。
 もうすぐ約束の時間ということもあり、決闘の場として――勝手に――選ばれた博麗神社には、刑部と紫、そして観客である霊夢達の姿があった。
 観客席の縁側には、主である藍を案じてやって来たのか、橙の姿もある。

 しかし、当の藍本人がまだ来ていない。

 月の高さを見れば、知能の高い妖怪なら今が大体何時くらいかは知ることが出来る。
 刑部は白い月を見つめながら、なかなか到着しない決闘相手のことを考えていた。 

「どうした、もうそろそろ約束の時間だろう。あの生真面目そうな性格が、まさか遅れてくるとは思えないが」

 だが、来ないなら来ないで一向に構わないと、刑部は余裕綽々な態度を崩さない。
 もし約束の時刻を過ぎてもやって来なければ、九尾の狐は隠神刑部を恐れて逃げたという、何とも情けない土産話を持ち帰るだけのことなのだ。

 人間の目には数刻経たなければ動いていることすら見極めづらい月の軌道も、妖怪にとってすればそれを見るのは、時計を見るのと同じ。
 少しずつ、しかし確実に刻まれる時の流れを、刑部はじっと見据えている。

 そして――その時は訪れた。

「どうやら時間のようね。始めても宜しいかしら?」
「あぁ、だがこれはどうしたことか。相手も居ないのに決闘開始とは」

 紫は何事もないかのように進行するも、肝心の対戦相手が揃っていない。
 勝負とは少なくとも自分と相手の両方が揃って、初めて成立するものだ。
 その相手が居ないのでは話にならない。

「……成る程な、“そういうこと”か」

 しかし刑部は、すぐに何かを察したらしく、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
 そしてその手に数枚の木の葉を取り出し、その一枚を頭に乗せる。

 その様子を縁側で見ていた魔理沙が、些か興奮気味にはしゃいだ声を上げた。

「おぉ、狸が頭に葉っぱを乗せたぜ、霊夢。本物だ本物だ」
「煩いわね。興奮するほどのものじゃないでしょ。でも藍は一体どうしたのかしら」
「案外もう来てたりしてな」

 まさかな、と魔理沙が笑ったその刹那、木の葉を頭に乗せたまま瞑想していた刑部の目がカッと開かれる。
 すると突然、静かな庭先に鈍い金属音が響き渡った。
 ガランガランと派手に大きな音を立てて転がるのは、洗濯などに使われる金だらい。
 それは縁側にいた橙の頭部目掛けて、落とされた物だった。
 標的とされた橙は間一髪の所でそれを避け、金だらいは床にぶつかりそのまま地面へと転げ落ちた、というわけだ。

「おいちょっと!」
「なんだ」
「いくら藍が来ないからって、関係ない奴に当たることはないだろうがっ」

 刑部のやり方に声を荒立て抗議する魔理沙。
 どうやら、刑部が対戦相手が来ない苛立ちで、八つ当たりの為に橙を狙ったと勘違いしたらしい。
 だが霊夢は別の考えを持っていた。

「違うわ。藍はもうここに来ている。それを誘き出すために、橙を狙ったんでしょう?」

 その昔、巌流島で行われたとされる宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘。
 武蔵はわざと遅れてくることで、小次郎の精神を乱したとか何とか。
 その逸話でも許にして、少しでも勝率を上げようという魂胆なのだろうか。

 いや、そうでもなかった。

「それも違うぞ、博麗の巫女。先程紫殿は、始めても良いかと聞いた。つまり役者は揃っていたのだ」
「だから藍はもう来てるんでしょ」
「あぁ、そこまでは正解だ。だが私は誘き寄せるなどと姑息な手は使わない」

 刑部の視線は、先程からずっと橙に注がれ続けている。
 妖狸最強の刑部が、たかだか猫叉一匹に注ぐ視線にしては鋭すぎる。
 そのことが全てを表していた。

「先制攻撃のつもりか? だがその程度で私の目は誤魔化せんぞ」
「そのようだな」

 刑部の言葉に、彼女らしからぬ口調で橙が答える。
 そこには無邪気な猫叉としての表情はなく、ストイックな捕食者としての敵意がありありと浮かんでいた。

 どろん、と。

 次の瞬間、橙の姿はどこにもなく、代わりに彼女が立っていた場所には、導師服に身を包んだ妖麗な九尾の狐が現れていた。
 ようやく姿を見せた対戦相手に、刑部はますますその笑みの不敵さを増していく。

「狐らしい姑息な手だ。確かに最初から幻術を使ってはいけない規則はないからな」
「これで少しはやる気も出してもらえたか?」
「あぁ、こうでなくては伝統ある狐狸の決闘としては面白くない」

 幻術による化かし合い。
「狐の七化け、狸の八化け」と謡われるように、どちらの妖獣も化けるのは十八番。
 その詩には「鼬の九化け~」と続くのだが、それはさておき、様々な妖術を扱う中でもこの種族は殊騙すことにかけては双肩を並べている。
 だからこそ二つの種族は度々諍いを起こしては、人間の民俗伝承にも残る形で、仲の悪さが伝えられているのだ。

 先程の金だらいも、無から有を作り出すのは神の所行。いくら最強の妖狸でもそんな大それた術は使えない。
 刑部の放った幻術が視覚と聴覚に作用し、さも金だらいが何もないところから落ちてきたように見えただけのこと。
 しかしそれに当たれば触覚までも幻術によって騙され、痛みを感じていただろう。
 それだけのことが、最強の妖狸たる刑部には容易に可能なのだ。

「さて、先攻は思わぬ形で譲ったが、次は私の手番で構わないか?」

 そう言って刑部は再び、その手に木の葉を構える。
 だがそれを見た藍は、突然笑いを溢し始めた。

「フフフッ」
「どうした、何か可笑しいか」
「あぁ可笑しいとも。それでこの九尾の狐を騙せているつもりかしら」

 藍の言っている意味が、霊夢と魔理沙には理解できない。
 幻術やその類の術は、普段の弾幕ごっこにおいても使用されることはある。
 だが幻術オンリーの戦いとなると初見に近い。
 いくら妖怪との戦いに慣れているとはいえ、こういった勝負は初めてならば、一体何がどうなっているのかを見定めるのも一苦労だ。

 そんな二人をさておいて、藍は相手の幻術を打ち破るために、その正体を見破った。

「その姿こそ幻。さっき金だらいの幻術を放ったときに、本当は別の幻術を掛けていた。そうだろう?」
「どうしてそう言える?」
「お前ほどの妖力を持った者が、わざわざ変化の儀式を行う必要なんてない。木の葉を乗せるのは未熟な豆狸くらいだ。妖狸族でなくても、それくらいのことは知っている」
「成る程な」

 刑部の幻は観念したことを示すように、その手からはらはらと木の葉を落とし、姿を煙に変えて消えた。
 しかし刑部本人の姿はどこにも見えない。
 これでは先程と立場が逆転してしまっている。

『どうした、ただ幻を見破っただけでは、私の姿は捉えられないぞ』

 どこからともなく響いてくる刑部の声。
 耳ではなく、直接脳を刺激して発せられる言葉のために、どの方向から声が聞こえてくるのかさっぱりわからない。

「わかっているさ。だが人のことを姑息といった割に、お前こそ狡猾な手を使う」
『なんだと?』
「だから言っただろう。お前なら儀式なんて必要ないと。ならば最初にどうして木の葉を使った」

 勿論それは藍に対して、これくらいで見破れるかどうかを試すブラフだったかもしれない。
 だが藍はそこに一つの可能性を見出していた。

「もしお前が最初から幻術で作った自分を、あの場に置いているとしたら?」

 金だらいを落とした瞬間に入れ替わったのではなく、最初から幻術の自分を本物としておいていたと、藍はそう睨んだのだ。
 幻術で作った分身が、幻術を使うことは普通の妖狸ができることではない。
 だが普通出来なくても、相手が隠神刑部という時点で、疑う余地は充分にある。

「あの木の葉に最初から幻術の式を組み込んで、意思の一つで解放するという手段が使えでもすれば……」
『面白い発想だ。だが仮にそうだとして、本物の私が何処にいるのかを当てなければ、このままお前の負けになるぞ』

 刑部の言うとおり、この決闘においては幻術を使った相手を見つけることが必要となる。
 藍の説明ではまだその項目をクリアしたことにはならない。

「それならもう見当は着いている」

 藍はゆっくりと、ある者に向かって近づいた。

「な、なんだよ」
「先程の木の葉といい、詰めが甘くはないか?」

 藍が近づいたある者。それは縁側で傍観を決め込んでいるはずの魔理沙だった。
 突然身も蓋もなく、自分が刑部だろうと詰め寄られて、困惑の表情を浮かべている。
 しかし、藍は構わず魔理沙との距離を詰めていく。

「違和感を感じたのは、私にお前が金だらいを落とした瞬間だ。あの時お前は「関係ない奴」と言った。だが、橙は私の式神、関係のない存在ではないことくらい、魔理沙なら知っている」
「でもこの勝負自体には関係ないだろう。私はそういう意味で関係ないって言ったんだ」
「それだけじゃないさ。もう一つ、お前は私が実はすでにあの場にいることを見抜いていた。案外近くに、と言ったのも私への挑発だろう?」
「う……ぐ……」

 藍の澱みのない論理に、次第に言葉を失っていく魔理沙。
 さらに畳み掛けるように藍は追い詰める言葉を続けていく。

「霧雨魔理沙の口調は独特だ。男性的で、しかも些か乱暴なものを日常的に好んで使っている。だからその発音には不自然さが無い」

 だが、と、ついに藍は詰めの一言を言い放った。

「お前の言葉には不自然な発音が幾つか混じっている! それがお前が魔理沙ではない、何よりの証拠だっ」

 文字だけでは到底伝わらないこの論理。
 だがこれが決め手になったらしく、それまで困惑していた魔理沙は、突然その表情を一変させた。
 そしてこれまて魔理沙らしからぬ口調で話し始める。

「いやはや、まさか発音で見抜くとは。もう少し化けやすい者に化けるべきだったか」

 魔理沙の姿を元に戻し、巨大な体躯の妖狸が姿を現した。
 しかし、正体を見抜いていた藍は勿論、隣に座っていた霊夢も落ち着いた様子で酒に口を付けている。
 
「なんだ。なんだか変な感じはしていたけど、偽物だったのね」
「おや、巫女殿にまで気付かれていたのか。確かに詰めが甘かったようだ」
「私と魔理沙がどれだけの付き合いを重ねていると思ってるのよ。発音もそうだけど、雰囲気からして違和感があったわ」
「そうか、長年の付き合いで分かってしまうものなのだな」

 刑部は成る程成る程と言って笑っている。
 しかしその笑みは藍と向き合うとすぐになりを潜めた。

「お、どうやら見破られたようだな」

 そこへ刑部が化けていた本人が戻ってきた。
 自分に化けることを了承して、離れたところから様子を窺っていたのだと魔理沙は霊夢に話す。

「なぁ霊夢? まさかお前まで偽物、なんて言わないよな?」
「そうね。例え面白そうでも、自分と同じ顔が増えるのは気持ち悪いもの」
「そうか? 結構面白かったけどな」
「楽天的で良いわね。それより、そろそろ勝負が次の段階を迎えそうよ」

 霊夢の言葉に、魔理沙も嬉々とした視線を藍たちの方へと向けた。
 二人の周囲では、さらに剣呑とした雰囲気が高まっている。

「正直、昨日の姿を見た限りでは、ここまでできるとは思っていなかった」
「それは褒めてくれているのか?」
「あぁ、私は例え相手が狐でも、認めざるをえない者は認める主義だ。だが、それでも私の方が上だと思い知らせておこう」

 そう言い放つと、再び刑部の姿が闇に解けて消えた。
 また幻術を使って姿を隠したらしい。

 今度は先程とは違い、何のヒントも無い。
 周囲に居る霊夢達が入れ替わる様子も無いし、何か違和感を感じるものも無い。
 姿どころか、臭いも、音も、気配すら……。

「これはまた見事に消えたな」
「消えるのも幻術なのかしら」

 人間二人の会話も、ヒントになる可能性がある。
 固定観念に囚われず想像力を働かせ、あらゆる可能性に気付くことが、幻術を打ち破る最善の策なのだ。

 幻術の本質は騙すこと。
 騙す対象は目であり、耳であり、ひいてはそれらの中枢である脳に作用を及ぼすこと。
 そこにないものを見させたり、そこにない音を聞かせたり。
 そういった騙し方は、全て術が脳に影響を与えることで可能となる。
 これを直接的な幻術というのなら、もう一つ、幻術には間接的なものもある。

 もう一つの“間接的な幻術”とは思い込ませること。
 そうであると思わせれることができれば、特に人間などはすぐに騙すことが出来るものだ。
 逆に、思い込みとはそれだけ強い力を持っているとも言える。
 思い込み次第で、普段は発揮できないような力を発揮したり、己の体調すら回復させたりもする。
 精神と肉体が切っても切れない関係にある以上、肉体の疲労が精神を弱らせるのと同様に、精神が肉体に作用を及ぼしても何ら不思議はないのだ。

 幻術とは、その精神と肉体の関係の間にある、隙を突いて相手を騙す術。
 精神の隙を突き肉体を騙す。肉体の隙を突き精神を騙す。
 その力を左右するコツを、狐も狸も熟知しているから人を散々騙せてきたのだ。

「そう、私達の武器は騙すこと。この勝負は化かし合い……思い込んだ方が負ける」

 目で見たものを信じてはいけないのは当然。
 聞いたもの、嗅いだもの、感じたものすら、信じたらそれで騙されているとも考えられる。
 またそうであると思い込んでもいけない。
 直接的であれ間接的であれ、幻術に掛かっているとすれば、まずは騙されていることを認め、そこから何をどうやってどんな風に騙されているかを考える。


 ダガシカシ――――


 刹那、藍の頭に、一筋の光明が走った。

 
 こうも考えられないだろうか。もしかすると“その騙されているという考えすら、騙されているのかもしれない”と。



(あれ? ということは……やっぱり)

 藍は朝方、橙と話した中に出した“ある勝算”を思い出していた。
 あの時はまだ確たる要素が少なかったが、これだけ相手と関わり合った今なら――。

「おーい、どうした? 見つかりそうにないのか?」
「もしかして降参? そんなことしたら魔理沙との賭に負けちゃうじゃない」
「そんなことはしない。賭けるというなら、私こそ一か八かで勝負に出るさ」

 勝手なことを言うばかりの霊夢達に、藍はそう言って歩き始める。
 その向かう先には、審判を務め、勝負の開始時より一言も喋っていない紫が居る。
 まさか今度は紫に化けたのか、とこの場にいる誰しもがそう思っていただろう。
 しかし、藍が紫に告げたのは、正体を見破る言葉ではなかった。

「どうやらこの勝負は私の勝ちで決着したようですね」

 勝ちを確信したとか、そういう含みはない。
 もう完全に勝負そのものが終わったのだと、藍の口調はそう告げているようにしか聞こえなかった。
 まだ消えた刑部の姿は見つけていない。
 だがそれでも藍は、すでに勝負は終わったと言う。

「どうして、そう思うの?」

 そこで決闘が始まって以来、ずっと口を噤んでいた紫が言葉を発した。
 藍の次の言葉を待っているのか、端的にそう切り返した後はまた何も喋らない。
 だから藍は紡ぐ。
 自身の導き出した答えを確かめるために。
 その為の材料はひとまず揃っている。後は、相手の出方次第。

「違和感、というほどのものではありませんでしたが、彼が突然現れたところから、気にはなっていました」

 まるでタイミングを見計らったかのように現れた隠神刑部。
 しかし最強の妖狸である彼が、相対する妖狐族最強の九尾の狐に勝負を挑みに来るのは、考えられる範疇のことではある。
 タイミングが良すぎても、それ以外に違和感がないまま話が進められたので、藍もまだそこまで気にはしていなかった。

「ですが今、彼と幻術で闘ってみて、その小骨のような違和感がどんどん気になり始めたのです」

 特に藍がその違和感を確固たるものに感じたのは、木の葉をヒントに見破った二重幻術。
 しかしそれでも違和感の域を出なかったのは、これが幻術戦ということが最たる要因だ。
 あの式神を彷彿とさせる術の使い方は、疑う余地はあっても、やはり妖狸には難しいことである。。
 思えば、自分に式神が扱えるのも、紫の下で途方もない時間を過ごし、そのやり方を見様見真似で覚えてようやく習得した。
 ただし、怪しさばかり募らせても、刑部にそれができないという確証も無い。

 怪しんでは、それを怪しめ。

 そんな堂々巡りを続け、それで答えが出るのかと、並の者ならそんな当然の思考にたどり着くだろう。
 だが幻術戦を制するとは、そんな疑惑の螺旋の先に解決の光を見出すこと。
 幻術を熟知する九尾の狐だからこそ、そのことはよく理解している。
 そして熟知しているが故に、藍はその違和感に対する答えをも導き出せたのだ。

「決め手となったのは、刑部が消えた後から彼の声が聞こえなくなった。それは、もう彼の役目が終わったことを意味しているのではないかと考えたのです」

 押し黙ったまま藍の推論を聞き続ける紫。
 顔の半分を扇子で隠しているため、よりその表情を見極めることは難しい。

 傍から見ると、まったくもって面白くない光景に、観客席からは落胆の溜息が聞こえてくる。
 今の今まで、目まぐるしく行われる狐と狸の化かし合いの攻防が見られていたのに、途端始まったのは淡々と紡がれる言葉の羅列。
 しかも藍が言っているのは、自分の中で出ている答えだから、周囲の者が聞いても心当たりが無ければ面白くない。

「ったく、なんだなんだ。なんでこんな辛気くさいんだ。これなら弾幕ごっこの方が、ずっと楽しいぜ?」

 溜息を吐いた魔理沙が、態度も口調も揃えて退屈を露わにする。
 せっかく二夜連続で出張ってきたのに、その結末がこんなでは納得がいかない。

「まぁ、元々私にとっては迷惑な話だったんだけど。どうやらそれ以上に茶番だったようね」

 そんな魔理沙とは対照的に、霊夢は何か勘づいたらしく、口を尖らせて事の次第を見守っている。
 一人取り残された状態の魔理沙は、勿論霊夢に説明をせがむが、霊夢は黙って見てろの一点張り。
 仕方がないので、魔理沙も霊夢の隣で藍の次の言葉を待つことにする。
 こうなったらさっさと終わらせてくれと、身勝手なことばかり考えながら。

 まぁそんな二人の思惑など、最初から藍にとっては関係がない。
 この勝負の行方に終止符を打つべく、最後の詰めに入る。


「そろそろ認めてください。もう刑部は居ないのでしょう? そろそろ隠している尻尾を出してはもらえませんか……“紫様”」


 それまで藍が口にしなかった主の名前。
 その途端、開いていた扇子を閉じ、名を呼ばれた紫の口元が少しだけ動いた。
 
「私に尻尾なんて無いわよ?」
「確かに証拠と呼べるものは何一つありません。でも、今の私にははっきりと言うことができます。あの八ツ島刑部と名乗った妖狸。彼奴は紫様の式神だったのでしょう?」

 あくまでもとぼける紫に、藍ははっきりと自身の導き出した答えを突き付ける。
 すると不敵に彩られていた笑みは三日月のような弧を描き、可愛らしいとは遠く離れた怪しげな雰囲気が紫を包む。
 
「まったく、時間が掛かりすぎね」
「どうしてこんのようなことを? いつものお戯れですか」
「いつものって、私がいつも巫山戯ているみたいな物言いね」

 実際そうだろう。
 そう観客席からヤジが飛ぶが、紫は耳にも入っていない様子で続ける。

「でもまぁいいわ。その答えにたどり着いたということで、この勝負はお終い。貴女の勝ちよ、オメデトー、パチパチパチ」

 夜の境内に、たった一人だけの拍手が響く。
 その様子は、まだ彼女が隠し事をしていることを知らしめている。
 それは、どうしてこんな真似をしたのかという、その目的である。
 しかも刑部という式神を使った手の込んだやり方で。

 そこが曖昧すぎるから、藍も最後の最後まで確証が持てないでいたのだ。
 目的が曖昧な行動は、目的だけでなく行為結果全てが曖昧となる。
 しかし逆に、目的がハッキリすれば、曖昧だった全てが明朗になるとも言える。

「紫様、まさか目的まで自分で理解しろ、と?」
「ハァ……そこまではまだ分かってないのね。それだとギリギリ合格って言ったところかしら」
「合格って、単に私を試すためだけに、こんな手の込んだ芝居を打っていたと言うんですかっ」
「そうよ」

 そうよ、の一言で簡単に片を付けてしまう紫に、藍はがっくりと肩を落とす。
 もっと深い意味は無かったのか、自分には到底理解できないような目的を秘めていたのではないのか。

「考えるのも大事だけど、たまには直感的にならないとね」
「……いや、でもですね」
「ヒントは幾つもあげていたでしょう。刑部の幻術が式神じみたものだって、そう言ったのは貴女自身じゃない」

 つまり紫は最初から、刑部なる妖狸は存在そのものが偽物であり、裏で糸を引いているのが自分であることを、藍に見破らせようとしていたと、そういうことになる。
 しかもそれは藍を試すためだけの、本当に手の込んだ芝居を経てのこと。
 藍のような他人に憑かせて使役する式神とは異なり、刑部は本当に自身で操り操作するタイプの式神だったのだ。

 刑部の行動も、言葉も、全ては紫によるもので、紫はそんな自分と対話していたことになる。
 絡繰りを白状された上で思い返すと、何とも滑稽な光景だ。
 
「ま、最後には私の式神として、最低限恥ずかしくない結果を残してくれたから良かったものの」
「……すみません」
「普段から私の言うことをもっと聞いて、私が言うように動けば良いの。そうすれば自然とその行動の意図を掴むことができるの」

 そうすれば、もうあんな無様な負け姿を晒すことはないんだからと紫は呟く。
 紫にとって、目の前で藍が晒した負け姿はそれほどまでに情けなかったのだろう。
 だから考えたのだ。力を見るべきは霊夢ではなく、藍ではないのかと。

「なるほどな、だから霊夢は茶番って言ったのか」
「そうよ」
「でも、霊夢だって最初から気付いていた訳じゃないんだろ? どこから気付いたんだよ」
「私もあの二重幻術って奴を見たときからね。普通式神が式神を使うなんてことは不可能に近いわ。だけどあの式神はそれをやっていた。それはあの時の妖狸は紫が化けた姿で、あの一瞬のうちに入れ替わっていたからできたことなのよ。私はその一瞬に、紫が何かしたって勘づいた。そこから目的を察して、あぁこれは唯の茶番劇だったんだって気付いたってわけ」

 霊夢の解説に、紫は先程見せたものよりは気の入った拍手を起こした。
 どうやらその言葉がお気に召したらしい。

「そう、そこまでできたら完璧だったのよ。藍はまだまだ頭が硬い。そして私が絡むと途端に決断力が下がる」
「そ、そう言われましても……紫様を疑うなんて」
「でも、最後にはハッキリと言えたようね。それはどうしてなの?」

 紫は再度藍を試すような口ぶりで尋ねてくる。
 このように拍車を掛けられて、いつもの藍なら狼狽するところだろうが、こればかりは違っていた。
 どこか照れ臭げに苦笑を浮かべながら、藍は口を開いた。

「えっと、長年の付き合い、とでも言いましょうか。それが最後の決め手だったんです」

 確証は無い。証拠もない。
 だけど、何かひっかかるものは感じる。
 その違和感に気付かせてくれたのは、紫の言うとおり直感的なものだった。

 長年、と言うには途方が暮れるほどの歳月を共に過ごしてきた二人なのだ。
 数年の付き合いしかなくても、霊夢が魔理沙の違和感を感じたのだから、藍が同じように何かを察しても不思議ではない。
 ただ藍はそれを信じる前に、論理に走ってしまった。
 式神だから仕方が無いとも言えるが、結局それが答えを導き出すのに時間を掛けてしまった最大の要因とも言える。

「まだまだ修行不足ですね」
「それは最初からずっと言ってるんだけど?」

 面目ないと頭を下げる式神に、主は呆れを見せる。
 だがどちらの表情も柔らかで穏やかなのは、きっと霊夢達の気の所為ではないだろう。

「まったく、大妖怪と最強の妖獣の関係にしては和やかな光景だな」
「最後の最後まで茶番に付き合わされて、こっちはホント良い迷惑だったわ」

 やれやれだわ、と肩をすくめる霊夢に魔理沙はにまにまとした気持ちの悪い笑顔を向ける。

「それにしてはいい顔してるけどな。霊夢もさ」
「うるさい。あぁ、それと今日も、お・か・た・づ・け、お願いね」
「きょ、今日は霊夢だって呑んでたじゃん! せめて公平にじゃんけんで決めようぜ」

 その後、あっさりと三連敗で片付け役が決定した魔理沙の、悔恨の叫びが境内に響き渡り、この化かし合いは幕を閉じるのであった。


  ☆


 その日の深夜。
 博麗神社から戻ってきた紫は、満月の下で月見酒と洒落込んでいた。
 隣には藍が正座し、酌を務めている。
 朱塗りの盃に小さな水面を作り、その上に浮かぶ月をゆらゆらと歪めては、それを飲み干すという単調な動作。
 その繰り返しを、先程から何度も紫は行っていた。
 しかしどれだけ酒を飲み干しても、酔いに呑まれることはなく、紫は妖艶な笑みを絶やさない。
 黙って酒を飲む紫と、黙って酒を注ぐ藍。
 静寂の時の中、不意に紫の口が開かれた。

「ねぇ、藍。私が以前に月に侵略を仕掛けたことを覚えているかしら?」
「えぇ。大敗に終わったことを記憶しています」
「そうね。見事なまでの大敗だったわね。……でも、今ならどうかしら?」

 不穏な発言に、藍は思わず紫の顔を見る。
 そこには変わらず、何を考えているのか察することの出来ない薄笑いが浮かんでいるだけだ。
 しかしその顔の下、紫は確かに企んでいた。

「私は諦めた訳じゃない。時が満ちるのを待っていただけ……」

 昨夜、霊夢の今の実力を見たのもその為。
 しかしそれ以前に、藍の不甲斐なさを見せられて少しだけ寄り道をしてしまったわけだが。
 だが、これならあと僅かで時は満ちるに違いない。

 紫は酷薄の笑みを浮かべながら、盃の水面に映る月を凝視している。
 その視線が、一体何を物語っているのか、この時の藍には未だ理解することはできなかった。


 これは、紫が第二次月面侵略の計画を推し進める数ヶ月前の話である。


《終幕》
儚月抄上巻発売間近ということで、このような話を一つ。
でも原作とは何ら関係在りません。作者の妄想をこれでもかとぶちまけた次第です、はい。
主軸が化かし合いということで、四月馬鹿にちなんだっぽい話ですが、あまり意識はしていません。
書き終えた時期が四月頭に重なったので、まぁ季節ネタとしても丁度良いかなというくらいです。
結局エイプリルフール中の投稿は逃してしまったわけですしね。
ちなみに時々紫のカリスマが抜けているのは、完全に私の趣味です。ゆかりん可愛いよゆかりん。

何はなくとも、ここまで読んでいただいたことに感謝を。
誤字脱字感想指摘等々ありましたら、よろしくお願いします。
雨虎
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すっかり化かされた
いやはやお上手だ