博麗神社の縁側で、今日も私はお茶を飲む。
旨みをじんわり味わえば、幸せ気分で満たされて。
そして湯飲みをコトリと置けば、急須が現れ茶を注ぎ。
ゆらめく湯気に誘われて、すぐさまそれに手が伸びる――
「はあ……、落ち着く」
「……あのさあ、浸ってるとこ悪いんだけど、ここはあんたの家じゃないのよ」
「ここには八坂様の分社もありますから、私の家と言っても間違いではありません」
「うわ、よくもまあぬけぬけと。乗っ取りを目論んでただけのことはあるわね」
そう言えば、かつて私はここの神社を神奈子様のものにしようとして圧力をかけに来たんだっけ。
けれど今はそんなことなどすっかり忘れてしまったみたいに、当の神社に腰を落ち着けてまったりとお茶を啜っている私。こうしていると、その時の出来事がまるで遠い昔のことのように思えて来るのだった。
「まあ、いいわ。で、あんたそもそもここに何しに来たわけ?」
「理由がなければ来てはいけないのですか?」
「……お茶代取るわよ」
そんなけちくさいこと言ってるから参拝客が現れないんですよ。――なんてことを言ったら本当にお茶代を請求されてしまいそうなので、言わないけど。
ちなみに私は、別に用もなくここを訪れたわけではない。神奈子様の分社がちゃんと手入れされているかを確認しに来たのだ。見たところ、私の予想に反してきちんと掃除がなされているようだった。
ここ博麗神社は、意外にも掃除がしっかりと行き届いている。
いつから建っているのかは知るよしもないけれど、建物自体にはあちこちに汚れや傷が散見され、相当の時の経過が刻み込まれている。けれどその姿は、神社の退廃具合を示すものでは決してなく、むしろ、長い年月ここに在り続けていることを誇っているかのようだった。
古びていても、貧しくはない。むしろ美しくすらある。
人であれ物であれ、あらゆるものは、何もせずただ単に時間を重ねるだけでは、古ぼけて醜くなってゆくしかない。けれどきちんと手入れが成されれば、新しい時とはまた違った、内から溢れるような美しさが見い出される。
私がこの博麗神社に感じたのは、そういった類の美しさだった。つまり霊夢さんは、そう感じさせるだけの手入れを欠かすことなく行なっているのだ。
それでもこうして寂れてしまっているのは、やはり神社そのものの宣伝が足りないからか。
お賽銭箱も一際きれいにされているみたいだけど、その役割を果たせているのかははなはだ疑問だった。
「ところで、ひとつお伺いしたいのですが」
「何かしら?」
「今年になってから、参拝客はどのくらい訪れましたか?」
「ゼロ」
「……は?」
時候の挨拶みたいにさらりと言うものだから、そのまま流してしまいそうだった。
「冬の季節は仕方がないのよ。雪が強い年はここへの道がすっかり雪で埋まっちゃうから、里の人は誰も来られなくなっちゃうの。私一人じゃあ、せいぜい境内の雪かきをするのが限界だもの」
「そうなんですか……」
私がここを訪ねる時は、いつも空から直接飛んで来ている。もちろん、冬の間もそうだった。考えてみれば、博麗神社へと続く長い石段に雪が沢山積もってしまえば、普通の人間がここまで登り切るのは困難だろう。それは、信仰の有無以前の、物理的な問題だった。
ちょっと茶化すような意図も込めて質問をしていた自分が、少し恥ずかしかった。
「まあでも、ようやく暖かくなって来たことだし、そろそろ誰か来てくれると思うわ」
そう言って霊夢さんは立ち上がり、2、3歩進んで伸びをする。紅白の衣装が、透明な青空の中で清々しく映えていた。
今日は風も穏やかで、お日様も眩しいくらいに良く晴れ渡っている。朝方の冷え込みも緩く、三寒四温で言えば、温の日にあたる。お彼岸も過ぎたことだし、まもなく本格的な春の訪れを感じることが出来るだろう。
「もうすぐ、春なんですねぇ」
のどかな昼下がり。うららかな陽気に誘われて、口調がついのんびりしたものになってしまう。
「そうねぇ、最近はもう、朝が寒くて布団から出られないなんてこともないし」
「……もうちょっとこう、風流なものの言い方はないのですか?」
「いきなり風流さを装ったってそれこそお寒いだけよ。それよりも、日々の生活に根差した実感を私は大切にしたいわね」
根差し過ぎな気が。
「それにあんただって、布団があったかくてなかなか起き出せなかったことくらいあるでしょ」
「う。それは、まあ……」
ある。と言うか正直、毎朝そんな調子だった。
幻想郷の冬の朝は、外の世界よりも冷え込みが一層厳しい。寒い寒いと布団に包まりながら、タイマーで目覚めの1時間前に暖房をセットしていたあの頃を、毎日のように懐かしんでいたくらいなのだ。
ここ最近は確かに、寒くて布団から出られないなんてことはなくなり、サッと起きられるようになった。それはまさに、春が近付きつつあることを身体が感じている確たる証拠なのだった。
結局霊夢さんの言うとおりだというのは、少々癪ではあるけれど。
「ま、もう少ししたら、また布団から抜け出せない日々が始まるんだけどね」
「どういうことですか?」
「春眠暁を覚えず、って言うでしょ。気持ちいいからつい二度寝しちゃうのよねぇ」
「あはは、全くその通りです。気持ちいいんですよねぇ、あれ」
それでいいのかと自分に突っ込む声が頭の中になくもないけれど、霊夢さんの言うとおり、春の眠りは心地良く、いつまでも布団に包まれていたい思いにとらわれてしまう。春先の寝床は、冬場のこたつに匹敵するほど抜け出し難いのだ。
何だか霊夢さんと話をしていると、外面を取り繕うことが下らないことのように思えて来る。実際のところはもちろん分からないけれど、彼女は思ったことそのままを、飾ることなく表現している気がする。
現人神として、時に自分を押し殺していなければならなかった私にとって、いつでもありのままの自然体でいる霊夢さんが、眩しくさえ見えるのだった。
まあ、そんなことを感じさせるエピソードが二度寝の話題だったのはどうかと思うけど。
「どしたの? ぼーっとしちゃって」
「あ、いえ、何でもないです」
そう言って誤魔化すが、私の顔を覗き込む霊夢さんの表情は、どこか含んだようにニヤニヤしている。
「とか何とか言って、日差しが暖かいから眠たくなって来たんじゃないの?」
「違いますよ」
「別にいいのよー無理しなくてー。何なら私が膝枕でもしてあげようかしら」
「ちっ、違いますって!」
「なーんてね」
「はい?」
霊夢さんがツイッと身を離す。
「あんたもホント、人の言うことを真に受けるのねぇ。からかいがいがあって面白いわ」
「かっ……」
からかわれていた。手を当てるまでもなく、頬がすぐさま火照って来るのがよく分かる。
「そうそう、そうやって後から恥ずかしがるところなんか最高ね」
「最高ってひどいですよそれ!」
「そうやって反論するところも可愛いわねぇ」
「っ!」
そんなこと言われたら、こっちとしては何も言えなくなってしまう。やっぱり私は、からかわれるのに慣れてないんだなぁと思う。
外の世界にいた頃を思い返しても、他の人にからかわれた記憶などほとんどない。普通の人からすれば、ある種特別な立場にいた私をからかうのは少なからず勇気が必要だろうから、それは無理もないことだった。
もちろん、冗談を言い合えるような友達も沢山いたけれど、私をここまでからかう子はいなかった。その頃はあまり深く考えてはいなかったけれど、やっぱり遠慮をされていたのかな、と思う。
言うまでもなく、彼女たちが悪いわけではない。相手の立場や身分に一切とらわれることなく、純粋にその相手と付き合える人なんて、そうそういないのだから。
そういう意味で、私は幻想郷に来て初めて、普通の人間として接してもらえるようになれたのかも知れない。
初めにもくろんでいた博麗神社乗っ取りは見事に失敗したわけだけれども、今ではそれで良かったと思っている。成功していたら、幻想郷中の信仰を集めることは出来たとしても、こうやって誰かと親交を持つことは出来なかった気がする。
それに失敗したと言っても、今はウチの分社もここに建っている。山では妖怪の、ここでは里の人の信仰を集めることが出来る現状は、もしかしたら最も理想的な姿なのかも知れない。
まあ……、今ここには参拝客が全然いないのだけれども、霊夢さんの言によれば、冬さえ終われば誰かが来るそうなので、それを待ち望むしかないだろう。
「霊夢さん」
「何かしら」
さっき私をからかっていた時の表情そのままに、彼女は笑っていた。
「参拝客、増えるといいですね」
だから私はあえて、純粋にそう願っているような落ち着いた微笑みを見せて、言った。
すると霊夢さんは、困ったようにその笑顔を引きつらせ、う、と呻く。そして数瞬の間の後、彼女は言葉を詰まらせたまま私の隣に腰掛けると、
「んぐっ、何するんですかぁ!」
いきなり私にヘッドロックをキメて来たのだ。
「なんか知らないけどこうしたくなったのよ」
「苦しいですよー」
「何よ、こんなへんてこりんな髪飾り着けちゃって」
「やめてーケロちゃん取らないでー」
「うりうり~」
昼間っからじゃれ合う私たち。こんな明るい時間に何やってるんだろうと思わなくもないけれど、まあそれなりに楽しいからいいか。私たちの痴態を目撃しているのはお日様くらいなものだろうし。
そう思って、何となく境内を見渡した時だった。
「霊夢さん、すとっぷすとっぷ」
「なに、今度はこの蛇取っちゃうわよ」
「そうではなくて、誰か来てますよ」
「えっ?」
霊夢さんは慌てて、私から離れていく。良かった、どうやら髪飾りはどっちも無事みたいだ。
あらためて境内の方を見やると、鳥居のところに人が立っているのが見えた。恐らく里の人だろう。ごく普通のおばあさんだった。
「あの人は……」
「お知り合いの方ですか?」
「時々、ここにお参りに来てくれる人」
「へぇ……」
意外、と言っては大いに失礼だけれども、固定客みたいな存在は博麗神社にもちゃんといるみたいだった。
そのおばあさんは鳥居の前で立ち止まると、一方の柱に寄って、ゆったりとした動作で本殿へ向けて一礼をしていた。
「凄いですね。境内に入る前にちゃんと礼をしました」
「そう? する人は割としてくれるけど。そう言えば、あんたはやってないわね」
「うっ」
やぶ蛇だった。
神社に参拝をする時は、神様に失礼のないように、境内に立ち入る前に一礼をするのが作法となっている。さらに言えば、参道の中央は神様が通る道であるため、左右どちらかに避けて通ることが望ましい。
あのおばあさんは、それらをきちんと守っていた。
私がそれを守らなかったのはまあ、参拝をしに来たのではないから、ということにしておこうか……などと、あれこれと弁解の言葉を考える。
しかしそれは、言い訳にもなっていない。神域である境内に空からいきなり降り立つのは、人様の家に許可なく土足で上がりこむようなもので、極めて失礼な行為に当たる。それは参拝であろうがなかろうが、関係ない。
おばあさんは境内に立ち入ると、私たちの方にも会釈を寄越してくれた。
「こんにちは、お久し振りです」
「こんにちは。お久し振りねぇ、霊夢ちゃん」
私たちが歩み寄って挨拶をすると、おばあさんは目尻にしわを寄せて微笑み、また礼をする。そして私の方へ、ちょっとだけ困惑したような表情を向けた。
「霊夢ちゃん、こちらのお方は?」
「あ、私、このたび山の方に引っ越して参りました、東風谷早苗と申します」
「ひょっとして、山の神社の方?」
「はい、そうです」
「あらまあ、ごくろうさまです」
そう言って、またしてもぺこりと礼をされる。私もあわてて頭を下げた。
ここに分社が置かれたこともあって、妖怪の山に新しい神様が引っ越して来たという話は里へも広まっている。ただ、巫女として居る私の存在はほとんど認知されていない。私は買出しの時くらいしか里には顔を出さないので、それは仕方のないことだった。
おばあさんは、先に参拝を済ませるからと言って、離れていく。向かった先は手水舎。
右手で柄杓を持って水をすくい、まず左手を清める。次に柄杓を持ち替え、右手を清める。もう一度持ち替えて左手に水を受け、それで口をすすぐ。再度左手を清め、最後に柄杓を立てて柄を洗い流す。それはまるで清流のように、淀みのない自然な流れだった。もはや頭の中で手順をなぞる必要さえないほどに、作法として身に付いているのだろう。
それこそお手本のような一連の動作に、私は見とれてしまっていた。
「人のことあんまりじろじろ見るものじゃないわよ」
「あ、すみません。あんまりお上手だったので、つい」
「ご年配の方々は、やっぱりそのへんしっかりしてるわね。……でもあの水、凄く冷たいから、無理してやらなくてもいいのに……」
そう言えばそうだ。
もう氷の張るような時期ではないけれど、屋根があるために日の光が当たらない手水舎の水は、まだまだ冷たいだろう。
私はつい形式的なところばかりに目が行ってしまいがちだけれども、霊夢さんは実のあるところをちゃんと見ている。神社の巫女として参拝者のことを見つめるまなざしは、願いの成就を信じているかのようで、とても暖かなのだった。
「はい。これはウチの息子と孫が採って来たふきのとう」
「わぁ。いつもありがとうございます」
参拝を終えると、霊夢さんはおばあさんをお茶に誘い、私たち三人は神社裏の母屋の縁側で日向ぼっこと洒落込むことになった。さすがの霊夢さんも、今回ばかりは本殿の縁側は避けたようだった。
おばあさんは、神前での作法もやはり丁寧だった。二拝二拍手一拝を守るのは当たり前で、何より一つ一つの立ち居振る舞いの柔らかさが私の目を引いた。あまりに自然な身のこなしだったので、おばあさんにとっては、参拝という行為はもはや作法ですらなく、息を吸って吐くことと同じように普通の行ないなのかも知れない。
「これできっと、ご利益がいっぱいありますよ」
「あらあら、霊夢ちゃんも調子いいんだから」
霊夢さんはふきのとうをもらってほくほく顔。おばあさんも、そんな霊夢さんを見てニコニコと笑っていた。
「でもねぇ、この歳になると、お願いすることなんて、なあんにもないの。せいぜい、孫が元気に育ちますように、くらいなものよ」
「そう言えば、お孫さんは今おいくつでしたっけ」
「今年で、9つになるわね」
「わんぱくな盛りですねぇ」
「そうねぇ。何かと苦労もさせられるけど可愛いものよ」
おばあさんはけっこう話好きであるらしい。笑顔を絶やさずに話を続ける。可愛い盛りのお孫さんに始まり、皆が雪下ろしに苦労していたことや、誰それの家に双子が生まれたこと、里の者が集まって博麗神社へ花見に来る計画があること――などなど。冬の間の里での出来事が、生き生きと語られる。幻想郷を訪れてまだ日の浅い私にとっては、そのどれもが新鮮で、何だか聞いているだけでも頬が緩んでしまう。
それにしても、こうしてみると霊夢さんも普通に「里の巫女さん」してるなぁと、妙なところに感心してしまう。普段はつっけんどんに振る舞うところばかり見ているから、こうやって里の人と普通に会話をしている姿が、どこか微笑ましくさえ感じられてしまう。
もっとも、私が知らなかっただけで、これが本来の霊夢さんの姿なのかも知れなかった。
「……でも、たまにはご自分のお願いもしていいんですよ。博麗神社はご利益いっぱい。遠慮はいりませんから」
世間話が一段落ついた頃になって、霊夢さんはあらためて、確認するようにぽつりとつぶやいた。
何となくだけれども、霊夢さんはそれを言う機会を探していたような気がする。そう思うのはきっと、私も霊夢さんと同じことを考えていたからだろう。
不遜な考えだけれども、願いを聞き届ける側にいる者としては、やっぱりこういう人の願いこそ成就して欲しいと思うのだ。
「霊夢ちゃんは優しいわねぇ」
「あはは……、ありがとうございます」
頬をぽりぽりとかく霊夢さん。珍しいことに、ちょっと照れているようだ。
おばあさんはゆったりとお茶をすすり、その美味しさに頬をほころばせる。
「私もほんとは、ここに来る時は、いくつもお願いごとを考えて来ているの」
「それなら……」
「でもやっぱりねぇ、気が付いたら、お願いじゃなくて感謝をしてるのよ、神様に。健康でいられますように、じゃなくて、健康でいさせてくれてありがとうございます、って。だから私にとっては、それがもう願いごとなの」
「…………」
ひとつひとつの言葉を、噛み締めるように紡ぎ出す。その言葉は、霊夢さんだけでなく自分にも向けられているかのようで、私の胸の中にも、確かな質量をもって積み重なってゆく。
お願いではなく、感謝。
お参りで、神に願いごとではなくて感謝をする。世の中にはそんな人もいるのだと、私は胸が熱くなるのを感じずにはいられなかった。
「それで、私は毎年この時期にお願いをしているの。“今年も元気なままで、博麗神社のきれいな桜を見られそうで、ありがとうございます”って」
ふわり、と。
その時、そっと撫でるような穏やかな風が、私たちの間を通り過ぎていった。
静やかに流れ去ったそれは、羽毛のようにやわらかくて、陽だまりのようにあたたかくて。そして、どこか懐かしさがこみ上げて来るようで。
それは、優しい春の風だった。
その風に触れていると、まだ咲いてもいないのに、ほのかな桜の香りで胸が満たされてゆくように感じられてしまう。
きっとそれは、春風と桜の思い出とが、分かち難く結ばれているからなのだろう。だからこそ、この風は懐かしい。
おばあさんの願いに、風が応えてくれた。――きっと、そうなのだろう。
「大丈夫、ですよ」
霊夢さんはそう言って、おもむろに立ち上がる。私たちが座る縁側の真向かい、彼女が歩いてゆく先には、途方もない数の桜の木が生え備わっている。
冬の間は、雪を被って寒そうに震えていた枝々。それが今は、そこここに小さなつぼみをほころばせている。
辺りには若草が萌え、ウグイスたちは一足早く春を歌う。
霊夢さんが歩みを止めて、くるりとこちらを振り返る。それに合わせてふわりと舞った黒髪が、とてもきれいだった。
その表情は穏やかで、先ほどの春風のようにあたたかい。
そして両手を広げ、誇らしげに、高らかに宣言するようにして、言った。
「博麗神社の桜は、今年だけじゃなくて、来年も、再来年も、いつだっておばあちゃんを歓迎しますから」
その言葉は、桜たちの思いをそのまま代弁しているかのように、確信に満ち溢れていた。
それは、こうして桜の木々と呼吸を共にして日々生きているからこそ、言えることなのだろう。
おばあさんはいつまでも、ニコニコと笑顔を絶やすことはなく、
「ありがとうね、霊夢ちゃん」
と、心からの感謝の言葉を述べたのだった。
「もう帰ってしまうのですか?」
おばあさんはお茶を飲み終えると一息つき、そろそろ帰らないとねぇと言った。
もっと色んなお話を聞いていたかったし、参拝に訪れてからまだ1時間も経過していない。だから私はつい、そんなことを口にしていた。
「ごめんねぇ、早苗ちゃんとももっとお話をしたかったけれど」
「あ、すみません。お気になさらずに……」
普通に謝られてしまい、何だか申し訳なくなってしまう。
おばあさんはごちそうさまを言って湯飲みを置くと、ゆっくりと立ち上がる。
その動作で、ようやく分かった。おばあさんの足では、ここから里まで帰るだけでもひと苦労だろう。そろそろここを出ないと、日が暮れるまでに帰れない。そのくらいのことは、すぐに気付くべきだった。
「でも、早苗ちゃんもここのお花見に来るわよね。その時にまた、お話しましょう」
「はい、是非」
それでも、こんな私にそう言ってくれることが嬉しかった。
「そうそう、霊夢ちゃん。さっきのふきのとう、早苗ちゃんにも分けてあげてね」
「私にも下さるのですか?」
「もちろんよ」
「……ありがとうございます」
「仲良くはんぶんこしなさいね。まあ……あなたたちは仲良しみたいだから心配してないけど、ね」
おばあさんはそう言うと、ちょっとだけいたずらっぽい笑みを私たちの方へ向けて見せた。
……どうやら、さっきのアレを見られていたらしい。私と霊夢さんは、無言で目を合わせることしか出来なかった。
「それじゃあ、またね」
それでも最後には、もとの柔らかい微笑みを浮かべて、帰っていった。
日時を約束しなかったから、お花見の時に会えるかも知れないし、会えないかも知れない。それでも、いつか私がたまたまここを訪れた時に、おばあさんもたまたまひょっこりと現れるような、そんな気がした。
石段を下りていくおばあさんの姿が見えなくなってからも、霊夢さんは見守るようなまなざしでその方向を見つめていた。
「時々お参りに来るのよ、あのおばあちゃん。こうやって、家で採れたものを持って来てくれたりもするの。
ちょうどここの桜が満開になった頃に、きっとまた来てくれると思うわ。今度は、お孫さんたちと一緒に」
なるほど、過去にも同じようなことがあったらしい。
だから霊夢さんはさっき、お孫さんの話題を振ることが出来たのか。
「ここにはね、桜の花が見ごろになると、わざわざ里の人がお花見に来たりするのよ」
「じゃあ、ここの桜は、本当にとてもきれいなんですね……」
「まあね。そう言えばあんた、まだここの桜を見たことないんだっけ?」
「ないですよ。私がこっちに引っ越して来たのは秋でしたから」
「なんかもう、普通に馴染んじゃってるからずっと前から居た気になってたわ」
「実は私もそんな感じです」
ちょっと厚かましいとも思うけれど、それが素直な感想だった。
けれどよくよく考えてみれば、私たちが幻想郷に引っ越してきてから、まだ半年程度しか経っていないのだ。それにもかかわらず、これだけの時の経過を感じてしまうのは、こちらで過ごす日々がそれだけ濃密だったということなのだろう。
守矢神社が受け入れられるまでの騒動、宴会尽くしの秋、寒さ厳しい冬――。私は半年の間に、実に多くのものを見聞きし、体験して来た。
それでも、春という季節に幻想郷が見せる表情を、私はまだ知らない。
「でもねぇ、人ばっかりじゃなくて妖怪まで寄って来るのが面倒なのよねぇ」
「……それはまずくないですか?」
「まあ、昼間は妖怪払い、夜は人払いしておけば大丈夫。それでこの時期私は、昼も夜も誰かの相手をしてないといけないから大変なのよ」
ため息混じりにそうぼやくが、まんざらでもない様子だった。彼女とて、賑やかなのは嫌いではないのだろう。
「で、夜はいつものように宴会だから、よろしくね」
「はぁ……」
何か、いつの間にか私も宴会に強制参加させられるようになっていた。
もちろん、親交を深められることもあるし、こうして宴会のメンバーに入れてくれることはとても嬉しい。
けれど、お酒に弱い身としては少しばかりつらいと言うのも確かだった。それに泥酔してしまっては、せっかくの花見が台なしになってしまう。
「もちろん、片付け係でもあるからお願いね」
「やっぱりですか?」
「文句を言わないの。とにかくそういうことだから、あんたはお酒を控えめにね。いい? 酔い潰れられると困るから」
……ああ、そういうことか。
お酒をあまり呑まない言い訳を、霊夢さんは与えてくれているのだ。
もちろん、タダで片付けをしてくれる私は都合の良い存在なのだろうけど、彼女だってある意味タダで片付けをさせられている。
そう考えれば、片付けを手伝わされることについては別段腹が立つこともない。
それゆえ私の中には、霊夢さんの心遣いだけが残るのだった。
「お気遣い、ありがとうございます」
だから私は、素直にお礼を言った。
けれど、私のその言葉が余りにも意外だったせいか、霊夢さんは戸惑いの表情を浮かべ、そのままそっぽを向いてしまった。
どうやら、不意に感謝をされることには慣れていないらしい。
「何か今日は、妙にお礼をされる日ね……。調子が狂うわ」
そう言って頭をかくと、私と目を合わせることなく、そのままお茶の片付けに引っ込んでしまった。照れているのかも知れないが、そこのところを突っ込むとまたヘッドロックを決められそうなので、やめておいた。
そうして、博麗神社の裏庭には、私一人だけが取り残された。
早春の穏やかな空気に包まれながら、私は桜の木々へと歩み寄る。
見上げると、開花を間近に控えたつぼみたちが、早くも青空を彩り始めている。もうあと幾日かすれば、空の色をすっかりと染め替えてしまうのだろう。
人間や妖怪を集め、あのおばあさんが神に感謝し、そして霊夢さんが誇らしげに語るほどの、博麗神社の桜。その美しさを期待する思いが、私の胸の中で、それこそつぼみのように膨らんでいく。
それが花開く時が、間もなく訪れる。
桜の花咲く季節。春はもう、すぐそばまで来ていた。
巫女同士仲良しなのもグッドだよ、グ~ッド!!
読んでいる間、神社の風景がアニメのように頭に流れていって、とても楽しかったです。
おばあさんがいいアクセントになっててよかったです。
確かに布団は凶器ですからね~
遅刻はなかなかに痛いですしw
ゆっくりと流れる一時がいいですね。
同業者であるこの二人が仲良しだと、姉妹のようで微笑ましいよね。
のんびりとした時間をありがとうございます。
異変が無い時の博麗神社はきっとこんな感じなんでしょうねぇ・・・
早苗さんも咲夜さんみたいにだんだん暢気になっていきそうだぁ。
2次的には貧乏が板に染みついてる霊夢ですが、公式にはこんな感じなんですよね
普通に巫女だぁ。
そして、とても気持ちのいい霊夢と早苗でした。
壊れているのもいいけれど、こういうほのぼのとしていて正統派なのはさらにいいですね。いいわー。
素敵過ぎる
こういう話大好きです。
これはいい霊夢
このおばあさんもいいなぁ
こんな風に日々のんびりと過ごしていければいいですね
そうだよなあ、原作的にはこんな位置づけなんだろうな、霊夢。
神様に願うのではなく感謝する……古き良き日本人と言う感じですねぇ。
年をとったらそうありたいと思いました。
おばあちゃんが帰ったあとふきのとうは渡さないわ的なこと言い出すオチかと思ってたのですが、浅はかでしたw
より気分に浸ろうと窓の外を見ても、桜が咲いているはずも無く。
それにしても、描写が見事ですね。場面の一つ一つが鮮やかに浮かんできます。
そして、久々に見た、ちゃんと巫女さんをしている霊夢に暫し感動。他の方も仰って
いますが、これぞまさに「素敵な」巫女さんですね。
東方には真の意味で『普通』の人が少ないから、逆に新鮮ですね
霊夢と早苗の関係も理想的でした。
読むことができて、本当に良かったです!