この物語は作品集50の『紅美鈴~みんなに愛される程度の能力~』の数日後のお話となっていますが、
特に読んでいなくても大丈夫だと思います。
「それじゃ、行ってきま~す!」
「ああ、夕飯までには帰って来るんだぞ」
満面の笑顔で『はいっ』と力強く返事し、尻尾を振りながら橙はマヨヒガの外へと駆けて行った。
その微笑ましい姿を優しい笑みで見届けて、藍は食べ終えた二人が食べ終えた朝食の食器を洗い始める。
皿を洗いながら、藍は頭の中で今日の予定を考える。まずは溜まった洗濯物を片付けてしまおう。
今日は気持ち良いくらい空が晴れ渡っていて、まさしく絶好の洗濯日和だ。
きっとこの青空の中で洗い物を乾せば、凄く気持ち良いに違いない。その後は買い物に、それから結界のチェックに行こう。
それは藍にとっていつもの日常だった。ただ、今日はそのいつもの日常が久々に壊されることになる。
隣の部屋につながる襖が音を立てて開かれ、いつもならこの時間は惰眠を貪っている主が目覚めたからだ。
「おはよう、藍…ふぁぁ」
「おはようございます、紫様。こんな早朝にお目覚めとは珍しいですね」
「ん。何だか目が冴えちゃってね。それよりも藍、私の分の朝食をお願い」
「かしこまりました。用意いたしますので少々お待ち下さい」
藍の返事を聞き、彼女の主――八雲紫はまた一つ小さく欠伸をしながらイソイソとコタツに潜り込む。
もうすぐ春だと言うのに八雲家ではコタツはまだ主力選手としてフル回転していた。
その理由は紫がこのようにコタツの中で二度寝する為に藍にコタツをしまわないように指示した為だ。
どうやらもっと気温が上がるまではコタツのオフシーズンは到来しないらしい。
「紫様、朝食をお持ちしました。ですので起きて下さい」
「う~…眠い…やる気でない…お箸持てない…
藍、私に食べさせて。橙にしてるみたいに私に『あ~ん』ってして。子供を愛でる母のように」
「いい歳して何気持ち悪いこと宣ってるんですか。
それに私が紫様にそんなことしたら親子というより老人介護そのものじゃないですか」
「老人介護!?老人介護ってどういうこと!?」
「いいからさっさと食べてくださいよ。紫様が食べ終えないと洗い物が終わらないんですから」
紫を軽く一蹴し、台所に戻り食器洗いを再開する藍。
主に対する態度として如何なものかと思われるかもしれないが、実はこれは二人の日常だったりする。
現に二人の事を知っている幻想郷の住人なら誰一人この光景に驚くことはないだろう。
しっかり者の式とぐーたらの主。それが幻想郷最強と謳われる八雲の名を冠する二人の人間的な評価だった。
「うう…藍が反抗期になった…
昔はあんなに可愛かったのに…いつでも私に寄り添って『紫しゃま大好き』って言ってくれたのに…」
「一体何千年前の話をしてるんですか。というかコタツに潜り込まないでさっさとご飯を食べ終えて下さいってば」
「ふーんだ。ゆかりんは大変機嫌を損ねました。そんな冷たい式の言うことなんか聞いてあげられません。
藍が謝るまでコタツに篭もるのを止めないもん」
「そうですか。それじゃご飯は下げさせて貰いますね。食器片付けたいので」
「あああっ、ごめんなさいっ、お願いだから下げないで~!あ~ん、藍の意地悪~!」
食べかけのおかずを持っていこうとした式の足元にいやんいやんと縋りつく主。
それを見て、藍は分かっていたようにおかずをコタツの上へと戻していく。
何度も言うが、二人は主と式。主が紫で式が藍である。決して逆ではない。決して逆ではないのだ。
「藍、少し話があるからちょっと来なさい」
朝食を終え、その紫の使った食器を洗い終えた藍を紫はポンポンと机を叩いて呼び寄せる。
濡れた手をタオルで拭き終え、藍は言われるがままに紫と向かい合う形でその場に正座する。
「一体何でしょうか。この後は溜まった洗濯物を洗ってしまいたいので手短にお願いしたいのですが」
「洗濯なんか後にしなさい。今から私は藍にとても大切な話があります」
何故か言い改まる紫に、藍は眉を顰めて怪訝そうな顔をする。
数千年の付き合いともなると、こういう場面に何度も彼女は出くわしているから分かるものなのだ。
そう。藍はこの紫を見て、一瞬にして感じ取った。『ああ、これは面倒な事が起こりそうだな』と。
「藍。貴女は私の式よね。そして私は貴女の主。それは間違いないかしら?」
「間違いありません。前にも後ろにも八雲藍の主は八雲紫ただ一人。
まだ一介の妖でまだ右も左も分からぬ稚児であった私を、紫様は拾って下さいました。
己の物心もつかぬ頃ですが、あの時紫様が私を式に迎え入れて下さった時の喜びは一時も忘れたことはありません」
藍の言葉に、紫は微笑を浮かべて満足そうに頷いた。
今でこそ九尾の狐として最強の妖獣の名を冠している藍だが、彼女とて当然幼き頃はあった。
彼女は妖狐という種類の妖獣だが、その中でも特に異質な存在だった。
妖獣というカテゴリーでは収まりきれない程の恐るべき妖力を彼女は生まれたときから持っていた。
そんな彼女を恐れた妖狐達は、まだ生まれたばかりの藍を群れから弾き出したのだ。
どんなに強い力でも、出過ぎた力は疎まれ恐れられるモノ。そんな彼女を拾ったのが紫であった。
「その日から紫様は私の主であり、私の母です。それは永遠に変わらぬ私と紫様の絆です。
貴女が望む限り、私はいつまでも紫様に付き従いましょう。
貴女が望むのならば、私はいつでもこの首を差し出しましょう。
貴女の行く手を阻む者がいれば、その者は私が屠りましょう。
八雲紫の望む万物を叶える事、それが私の喜びであり、八雲藍の使命だと考えています」
それは彼女、八雲藍の永久の誓い。
まだ尻尾が今のように生え揃わない、彼女がまだ橙なんかよりも幼かった頃から育ててくれた紫への感謝。
高い妖力を秘めていたとはいえ、きっとあのまま野で一匹で生きていくことなどきっと出来なかっただろう。
例え運よく野たれ死を避けたとしても、きっと何の知識も教えられなかった藍は無闇に人を襲っただろう。
そして、何時の日か人間達に討たれていたに違いない。そんな道しか残されていなかった藍を紫は救ってくれたのだ。
藍に知識を、力の使い方を、生きる喜びを。そして何より、紫は藍に家族というモノを教えてくれた。
幼き藍を紫は優しく抱いてくれた。母の温もりを教えてくれた。他者を愛するということを教えてくれた。
だからこそ藍は誓った。この人にどこまでもついていこうと。この人の為ならば、死ぬことだって怖くはない。
今の自分を藍は誇る。紫の為に生き、紫に殉ずる己の生涯を彼女は誇らしく思うのだ。
「そう…うう、こんなに良い子に育って、お母さん嬉しいわ。
これも偏に私への愛情によるものなのね…ゆかりん感激」
「お願いですからコタツ布団で顔を拭うのは止めて下さい。後で洗うの大変なんですから。
あといい加減ゆかりんって一人称は止めて下さい。聞いてるこっちが恥ずかしいので」
ただ、そんな誇りも日常生活には何の意味も無かった。何の役にも立たなかった。
年甲斐もなく感激の涙を流す主に藍は淡々と口を挟む。そんな藍に紫はビシっと指を刺して『それよ!』と声をあげる。
「それ、とは?」
「貴女が私の事を敬愛してくれているのは良く分かるわ。
現に貴女は私によく尽くしてくれているし、何より今の私がこうして生活出来るのも貴女のおかげと言っても良い」
「勿体無いお言葉、ありがとうございます。
あと話が終わったらコタツ布団も洗いますので、今日はコタツ無しで過ごしてくださいね」
「そんなの嫌よ!コタツが無かったら寒くて死んじゃうじゃない!
冬眠明けの身体にはまだまだ寒気がつらいんだもん!」
「リリーが喧しい程に『春ですよ~』って叫びまわってるなか、未だにコタツ出してるのはウチくらいのものですよ。
霊夢を少しは見習って下さいよ。あの巫女なんかこの冬は薄い掛け布団一枚で乗り切ったそうじゃないですか。厳冬だったのに」
「霊夢はただ単に貧乏でコタツどころか毛布すら買えなかっただけじゃない!」
「まあ確かに紫様が永眠明けで御身体が本調子でないというのは分かりますが…」
「永眠明け!?冬眠明けの間違いでしょ!?何勝手に主を亡き者にしようとしてるのよ!?
…というか話がずれちゃってるわね。え~と、何処まで話したかしら…藍、分かる?」
「紫様が記憶力減退の疑いがあるということはよく分かりました。
私の方を指差して『それよ』と叫んだところまでですね」
そうそう、と思い出したように紫はポンと手を叩く。そんな主を見ながらも藍の頭の中は既に別の事を考えていた。
ちなみに今の彼女の思考は『今から洗濯を大慌てでするとして、昼のタイムサービス間に合うかなあ』である。
「藍。貴女は凄く優秀な式であり、私の自慢の娘だわ。
だけど、だけど最近の貴女の事で私は一つだけ不満があるの」
「そうですね。私も卵の特売がお一人様二パック限りというのに甚だ不満を感じています。
私の愛しい橙が現在食べ盛りの成長期だというコトをもう少し店側は考えるべきですね。
橙の未来のプロポーションの為にも、店側はもう少し客側に歩み寄る努力が必要だと思います」
「何の話をしてるのよ何の。橙のプロポーションを考えるのは後になさい。
いい?私が貴女に不満を持っていることはね、最近の貴女は少し私に対して冷た過ぎだと思うのよ」
「……はあ」
紫の言葉に藍は思いっきり空返事する。その時の藍の表情を言葉で表すなら『何言ってんだこいつ』である。
そんな藍の表情の変化に気付いていない紫は、勢いのままに言葉を続ける。
「最近の藍は橙ばかりに構い過ぎで私への愛を忘れているわ。
勿論橙に愛情を注ぐことは凄く良いことだわ。その事には私は何も言わないし、もっと注ぐべきだと思う。
けれど、だからと言ってそれは私を蔑ろにしてよいという理由にはならないわ」
「……あの、紫様。少々質問をよろしいでしょうか」
「いいわ。話してみなさい」
小さく挙手した藍の発言権が認められたので、藍は溜息をつきながら口を開く。
「私、紫様を冷たく扱った記憶も蔑ろにした記憶もないのですが」
「自覚症状無し!?というかさっきまで散々冷たくも蔑ろにもしてたじゃない!!
さっき私の相手もせずに食べかけの朝食を下げようとしたことなんか凄く良い例じゃないの!」
「あれは愛です。紫様が食事中にコタツに潜り込むというマナー違反を犯した為、それを矯正しようという」
「そう、愛なら仕方ないわね…って違うわ!!
私が求めてるのはそんな踏んで縛って叩いて蹴ってじらして吊るされるような愛じゃないのよ!
もっとこう、藍の愛を心で感じられるような温かい愛が欲しいの!」
「……はあ」
バンバンと机を叩いて熱論する紫に藍はこれ以上ないくらい空返事する。その時の藍の表情を言葉で表すなら『めんどくせえこいつ』である。
紫の言葉に藍は困ったとばかりに悩む。どうやら今回はそう簡単に解放してはくれないらしい。
しかも今回の難しいところは紫の主張に対し、藍が全く自覚症状の無い事である。
「具体的に紫様は私に一体どうして欲しいのでしょうか。私に出来ることなら頑張りたいとは思うのですが」
「そうねえ…まずは私に対して貴女の愛をぶつけて頂戴。
私の事を真に考え、心の底にしまっている貴女の本当の想いを私に伝えなさい。
主と式という立場上、恥ずかしくて伝えたくても伝えられない、甘くせつない言葉とかあるでしょう?」
「心の底にしまっていた伝えたくても伝えられない想いですか…それでは失礼ながら言わせて頂きますが、
紫様はご自身の事を『少女』とよく表現されていますが、あれ正直『うわあ…』と毎回思ってるので止めて下さい。
少女という表現が許されるのは妖夢くらいまでだと私は考えています故」
「何その酷い発言!?誰も私に対する不満をぶつけろとは言ってないでしょ!?
というか貴女私が言ってることを真面目に聞いてないでしょう!?」
「はあ…。まあ、とりあえず話が終わったなら洗濯をさせて欲しいのですが。
大体私が紫様を誰よりも敬愛していることくらい、言葉にしなくても分かることではありませんか。
私の想いは貴女と出逢った時から何一つ変わっていませんし、これから先も変わる事などありえません」
「嫌~!!それでも態度に表してくれなきゃゆかりん嫌~!!」
コタツでバタバタと足を暴れさせる主を藍は溜息をつきながらどうしたものかと考える。
普段は寝たり霊夢達に悪戯をしたりして過ごしている紫だが、時々こんな風に訳も無く藍に我侭を言うことがある。
今まではこの流れで適当に話が終わっていたのだが、今日はどうやら終わらせるつもりはないらしい。
再び溜息をつく藍に、紫はぴたりと足を止め、良いことを思いついたと言わんばかりの笑顔で藍を見つめる。
その笑顔を見て藍は心の中で嘆いた。『ああ、今日は洗濯もタイムサービスも諦めなきゃいけないのか』と。
「藍。貴女は今日一日幻想郷中を回って
他の従者達から『主への愛情』と『従者としての在り方』というものを学んできなさい」
出た。藍は心の底からそう思った。
こうした紫の笑顔の後に出る提案は十中八九訳の分からないモノなのだ。今回もどうやらその流れらしい。
「紫様、仰っていることが良く理解出来なかったのでご説明をお願いできますか」
「いい?藍は確かに従者として、式としては優秀かもしれないわ。
だけど、それはあくまで『従者』としての一つの視点から見た側面に過ぎないの。それは真の優秀と言えるかしら?
答えはNoよ。では真の従者達、完璧な従者が持つもう一つの側面とは一体何か。それは主への愛情よ」
「はあ…失礼ですが、主への愛情ならば誰にも負けない自信があるのですが」
「そうね。確かに藍の私への愛情は誰にも負けないかもしれない。
けれど貴女はその愛情を上手く表現出来ているとはお世辞にも言えないわ。
現にこうして私に寂しい想いをさせている時点で、他の従者達よりも劣っていると言えるわね。そもそも貴女は…」
紫の力強い主張の中、藍は小さく息をついた。もうこの流れは誰にも止められないのだろうな、と。
とりあえず食器を洗い終えていた事だけは良かったかなあと藍は自分自身を励ました。最悪の事態だけは防いだ、と。
「…という訳で藍、貴女は今すぐ幻想中の従者のいる家を回ってくること。
その人達を見て、従者として良いところを沢山学んできなさいな。盗めるモノはしっかり盗んでくること。
そして『主への愛情』と『従者としての在り方』をちゃんと理解出来るまで今日は家に帰ってきちゃ駄目だからね」
「はあ…分かりました。それでは、出発の前に洗濯だけは…」
「それじゃ行ってらっしゃ~い」
紫が指をパチンと鳴らし、藍の足元にスキマが生じて彼女はコントのワンシーンのように落ちていった。
本当、最低限だが食器を洗い終えていて良かった。真っ逆さまにスキマの中に落ちていく中、藍は心からそう思うのであった。
スキマの外に放り出された藍が最初に向かったのは、彼女にとって一番馴染みの深い白玉楼だった。
本当ならばこんな滅茶苦茶な注文など放ってタイムセールに突入したかったのだが、
流石に主の命令に背くというのは藍の心は許さなかった。何だかんだいって、彼女は紫の式であり紫の子なのだ。
という訳で、紫の命である『他の従者の見学』を遂行する為に、藍は己の知人を何人か思い出す。
彼女の知っている幻想郷で、従者を従えている場所など数える程しかない。
藍の知っている限り、従者を従えているような場所は永遠亭、紅魔館、そして今向かっている白玉楼という訳だ。
白玉楼の主、西行寺幽々子は紫とは彼女が生前からの付き合いである。
冥界も紫に付き従って何度も遊びに来ていた藍にとって、その三ヶ所の中では一番馴染み深い場所という訳だ。
ただ、今回はいつもとは訪れる目的が少し違うのだけれど。今回、藍が用事があるのは主の方ではなく。
「さて、と…おっと、いたいた」
飛行速度を落とし、藍はゆっくりと目的の人物の傍へと着地する。
白玉楼の館へと続く階段で掃き掃除していたその人物も藍の姿を捉えたのか、
箒の手を止めて、藍が降りてくるのをじっと待っていた。
「おはよう。朝から精が出るな、妖夢」
「おはようございます、藍さん。珍しいですね、一人でこの場所を訪れるなんて。
紫様は今日は一緒ではないんですか?」
その少女――魂魄妖夢の言葉に、藍は『見ての通りさ』と苦笑する。
彼女、魂魄妖夢こそ白玉楼の主、西行寺幽々子の従者であり(正確には少し違うが)、藍の目的の人物だった。
「本日は幽々子様に何か御用ですか?
幽々子様なら今、縁側にいらっしゃると思いますが」
「ああ、いや、違うんだ。今日は幽々子様に用があってきた訳じゃない。
今日は妖夢、お前に少し色々と学びたいことがあってな」
「わ、私にですか!?冗談言わないで下さいよ、藍さん。
私のような未熟者が藍さんに何かを教えるなんて絶対に無理ですよ。むしろ色々と教えて頂きたいくらいです」
妖夢の言葉に、藍は困ったなと苦笑を浮かべる。
魂魄妖夢とは彼女が生まれた頃からの付き合いで、藍は妖夢の事を実の妹のように可愛がっていた。
そんな妖夢にとって、藍は色々な意味で憧れの存在であり、妖夢を可愛がってくれた姉のような存在であるのだ。
だから、主同士が友人である従者達という関係以上に彼女達はつながりが深い。
余談ではあるが、その藍が実の娘のように可愛がっている橙と妖夢は藍とは別の意味で仲が良い。
橙は妖夢にとって、良き友人であり良き妹のような存在であったりする。
「そんな事言わずに頼むよ。このままじゃ私は溜まった洗濯物を片付ける事が出来ないんだ。
こんな良い天気に洗濯出来ないなんて、それこそお天道様への冒涜だよ」
「はあ…ですが、いきなり『学びたいことがある』と言われましても。
私は藍さんに一体何を教えればいいんですか?」
「『主への愛情』と『従者としての在り方』」
藍の言葉に、妖夢は一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、そして何か心当たりがあったのか苦笑を浮かべる。
何故藍が先ほどからこのような訳のわからないことを言っているのか、なんとなく検討がついたからだ。
「もしかしなくても紫様に関係する事でしょうか」
「流石は妖夢。もしかしなくても紫様に関係することなんだ」
よく出来ましたとばかりに藍は妖夢の頭にポンと手を置いて優しく撫でる。
そんな藍の行動を妖夢は恥ずかしそうに照れながらも、為されるがままに受け入れていた。
「紫様のご命令で他の従者達の姿を見て勉強してこいと言われたよ。
何でも私には主への愛情が足りていないらしい。このままでは従者失格の烙印を押されてしまいそうでな。
本当に困ったものだ」
「藍さんが駄目なら、幻想郷中の誰もが従者失格になると思うんですが…」
妖夢の言葉に『買い被りすぎだよ』と藍は笑って答える。
実際、彼女ほど有能な従者など某メイド長くらいしかいないことは事実なのだが。
「そういう訳で妖夢、今日はお前に色々と勉強させてもらおうと思った訳だ。
幽々子様に仕えるお前の従者としての在り方、心構えを私に教授してくれるとありがたい」
「う~ん…でも、藍さんも知っていると思いますが、私は本当にまだまだ半人前で未熟者です。
従者としての私の目標である藍さんに教えられることなんて本当に何もないと思いますし…
だから、むしろ私こそ幽々子様の為にもそれらを学びたいくらいで…」
「それは良い考えだわ」
「みょんっ!?」
突如背後から聞こえた声に、妖夢は思わず箒を手から落としてしまうくらい驚く。
妖夢は箒を慌てて拾い直し、恐る恐る背後を振り向くと、そこには彼女の主――西行寺幽々子が楽しそうに笑いながら立っていた。
「幽々子様っ!?いつからそこに」
「藍がお天道様がどうのこうの言ってた辺りからかしら。
貴女はともかく、藍は私に最初から気付いてたわよ」
「そんな前から!?というか藍さんも気付いていたなら教えて下さいよっ!」
「いや、何と言うか…何時気付くかなあ、と。おはようございます、幽々子様」
「おはよう、藍。ふふ、私の悪戯心が分かるなんて本当に紫の式は優秀ねえ」
「まあ、私の主は紫様ですから」
「それもそうね。貴女の主は悪戯に関しては幻想郷で右に出る者はいない程の妖怪だったわね」
「お願いですから悪戯の部分を実力に変えて下さい。
幻想郷一の悪戯妖怪の式なんて呼ばれるのは流石に嫌過ぎますよ」
妖夢への悪戯が成功したことが嬉しかったのか、幽々子は口を袖で隠してクスクスと上品に笑った。
それを見て妖夢は一つ大きな溜息をつく。その姿を見て藍は何故かデジャブを感じて仕方が無かった。
「それよりも藍。貴女はこれから他の場所の従者のところも回るのでしょう?」
「はい。一応、紫様の命ですからとりあえず自分が納得するまでは」
藍の返答に幽々子は満足したように笑い、妖夢の背中をトンと押した。
突如背を押された妖夢は、そのまま足を縺れさせて藍の方へと倒れそうになる。それを藍は上手く抱きとめる。
「ちょ、ちょっと幽々子様、一体何を!?」
「ねえ、藍。今日はその面白そうな旅路に妖夢も参加させてもらえないかしら?」
「え、えええええ!?ゆ、幽々子様!?」
慌てふためく妖夢に取り合うことも無く、幽々子は藍に『どうかしら?』と尋ねかける。
藍は少し考える素振りを見せたものの、悩むことはないかと思い幽々子に口を開く。
「私は構いませんが、よろしいのですか?」
「いいのよ~。この娘は普段から私に付きっきりな生活してるから、たまにはこういうのも悪くないわ。
それに貴女と行動することで、妖夢も色々と学ぶこともあるでしょうしね」
「で、ですが異変が起こっている訳でもないのに、幽々子様を置いて私一人何処かへ行くなどと…」
「んもう、妖夢は頭が固いわねえ。いい?ちょっとこっちへいらっしゃいな」
藍から離れるように妖夢を呼び寄せ、幽々子は妖夢の耳元へと囁くように話しかける。
「あの鈍感過ぎる紫の式のことだもの。このままじゃきっと貴女の気持ちに気付くなんて絶対にありえないわ。
だから今日を良い機会だと思って藍に思いっきり甘えちゃいなさい。好きなんでしょ?藍の事が」
「なっ!!!!???」
予想だにしていなかった幽々子の言葉に、妖夢は思わず大声をあげてしまう。
否、声を上げてしまうだけでは収まらず、妖夢の顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていった。
そんな妖夢を見て、幽々子は満足そうにクスクスと笑う。
「馬鹿ねえ。貴女の主である私がそんなことも知らないとでも思っていたの?
貴女がずっと私の傍にいたように、私もずっと貴女の傍にいたのよ?気付かない筈がないじゃない」
「ち、違いますっ!!私は別にそんな!」
誰が見ても『その通りです』と言わんばかりの反応を見せる妖夢に幽々子は苦笑する。
前述の通り、彼女――魂魄妖夢は姉代わりの存在ともいえる藍に対し、親愛の情を抱いている。
だが、それと同時に彼女は一人の女性として藍に淡い恋心を抱いていた。
最初はただの憧れだった。最強の妖怪と呼ばれる紫の式として、何事にも完璧な彼女を妖夢は尊敬していた。
公私において紫に尽くす彼女の姿は、まさしく妖夢が憧れるに相応しい従者であったのだ。
(実際はそんな立派なものじゃなく、藍にしてみれば我侭ばかり言う紫の世話をしていただけに過ぎないのだが)
そして、気付いた時には彼女は藍に恋していた。それは藍はおろか、親友の橙すらも知らない秘密だった。
…だった筈なのだが。どうやら世の中は妖夢が考えている以上に恐ろしい場所らしい。
「『私はそんなんじゃありません』?駄目よもう、そんな調子じゃ全然駄目よ妖夢。
それじゃいつまでたっても藍との関係は変わらないし、そのうち橙に藍を独り占めされちゃうかもしれないわよ」
「え…そ、そんな…」
必死で否定しようとする妖夢に幽々子はやんわりと言い聞かせる。
「良い?今でこそ藍は橙の事を子供のように可愛がっているわ。それこそ超のつくほど親馬鹿丸出しでね。
だけど、橙だっていつまでも今の子供のままじゃないのよ?いつかは大きくなって立派な式になる日がくるの。
その時、大きくなった橙への愛情が娘への愛から一人の女性への愛に変わるかもしれないじゃない」
「ううう…た、確かに…」
彼女の親友であり、己の式である橙に対する藍の愛情は恐ろしいほどに大きい。
それこそ橙の事になると普段の冷静沈着な彼女は何処に消えたと疑いたくなる程に豹変してしまう。
それは娘に対する母の愛情と妖夢は思い込むようにしていたが、幽々子の言う通り、もし橙が成長したならば。
自分が何も出来ずに指を咥えたまま藍を眺めるだけの日々を過ごしたならば。
『藍さま、私はもうこんなに大きくなりました!もう私を子ども扱いしないで下さい!
私だって藍さまに一人の女の子として見てもらいたいんです!』
『橙…済まなかった。私は馬鹿だな…可愛い橙を知らぬ間に傷つけていただなんて…』
『藍さま…』
『おいで、橙…これからはお前に寂しい想いなんてさせたりしない。
今夜はお前を式ではなく、一人の女の子として私に愛させて欲しい…』
「だだだっ!!駄目です!!!そんなの絶対認めませんっ!!」
「なら決定ね。ら~ん!妖夢も一緒に行きたいって言ってるから、この娘のことよろしくね」
「あ…」
しまったと思った時には既に遅し。
少し離れた場所で二人を待っていた藍に、幽々子は楽しそうに微笑みながら告げる。
うう、と唸る妖夢の背中を押して、幽々子は楽しげに言う。
「ほらほら。決まったものは仕方ないでしょ。主の命令だと諦めて、今日は一日楽しんでらっしゃいな。
妖夢は真面目過ぎるから、時には羽を伸ばすことも必要でしょ?
私は心配なのよ。普段から真面目過ぎる妖夢がいつか倒れたりしないか、って。だから、ね?」
「幽々子様…はいっ!」
幽々子の優しい言葉に、妖夢はようやく微笑をみせた。
妖夢の返事に幽々子は満足げに頷き、藍の方へと視線を向け直す。
「それじゃ藍、お願いね」
「はい。正午までには終えると思いますので」
「あら、別に私は朝帰りでも全然構わないのだけど?優しくしてあげて頂戴ね」
「ゆ、幽々子様っ!!」
「そうですか?幽々子様と妖夢さえよければ、そのご提案は私も大変喜ばしいのですが」
「へ…?え、えええええ!!?」
予想だにしていなかった藍の言葉に、妖夢は思わず声をあげてしまう。
妖夢程ではないが、幽々子も驚いたのか目を丸くさせて藍を驚きの表情で見ていた。
そんな妖夢を見て、藍は少しだけ悲しそうな表情を浮かべる。
「もしかして妖夢は嫌だったか…?
まあ、無理強いするのは良くないし、嫌なら私も諦めるが…」
「ぜぜぜっ、全然嫌じゃないですっ!!ふ、不束者ですがよろしくお願いしますっ!!」
顔を再び真っ赤に染め上げた妖夢の言葉を聞いて、藍は『そうか』と表情を綻ばせる。
「それでは本日はマヨヒガの客室にお二人の宿泊される準備をさせて頂きます。
幽々子様と妖夢が遊びに来てくださると、きっと紫様も橙も喜びますよ」
「…妖夢。貴女、よりによってどうしてこんな鈍感狐なんか好きになったりしたの?」
「うう…言わないで下さい」
「?何のことですか?
それより今日は帰りに沢山食材を買って帰らないといけないな…家の食料だけじゃ絶対に足りないだろうし。
昼過ぎから人里の店で行われるタイムサービスに駆け込めれば妖夢と私で卵が四パックいけるか…出来れば他の商品も」
二人を他所に、藍は一人ブツブツと呟きながら夕刻時の戦場へと想いを馳せていた。
そんな藍を見て、妖夢は再び小さく溜息をついた。苦笑しながらも、そんな妖夢の頭を幽々子は優しく撫でていた。
白玉楼を後にして、二人が次に向かった場所は紅魔館だった。
紅魔館も永遠亭も二人にとってはどちらが先でも問題は無かったのだが、順路的な観点からの結論だった。
藍も妖夢も博麗神社で開かれる宴会には主に付き従う為に常に参加している為、
どちらの場所の住人に対しても初対面という訳ではない。その場所に行けば見知った顔に会うだろう。
そのように考えていた二人だったが、紅魔館に辿り着いた途端、それは間違いだったことに気付く。
「ようこそ紅魔館へ。初めて見る方々ですが、本日はどのようなご用件でしょうか。
その理由次第によっては、この館を護る門番としてそれ相応の対応をさせて頂きますが」
紅魔館の門前を守護する門番を見て、二人は足を止める。
――初めて見る顔だな。少なくとも博麗神社の宴会では見たことの無い顔だ。
否、宴会はおろか、昔レミリア・スカーレットと対峙した時にもだ。そう考え、藍はその門番をじっと観察する。
美しい美貌に紅の髪。そして何より、彼女がこちらに放つ威圧感。
確かに紫や幽々子、この館の主であるレミリア・スカーレットには到底及ばないが、それでも分かる。彼女は強い、と。
それは実力だけの強さを言っているのではない。実力だけを謳うなら藍にも彼女は及ばないだろう。力量的には大きく水を開けている。
だが、それでも。それでも藍は感じるのだ。それは強者としての彼女の経験による感覚。
『もし弾幕勝負ではなく、実力のみでこの門を押し通ろうとすれば、こちらも決して無事では済まないだろう』と。
だが、それ以上に。それ以上に藍は気になる事があった。
目の前の門番、彼女が只者ではないことは分かる。だが、それ以上に――
「きゃー!!めーりん格好良いー!!流石は私のめーりんねっ!!」
門番である彼女の身体にまとわりついているレミリア似の少女は一体誰だろう。
というか門番はどうして傘を持って私達を威圧しているのだろう。こんなにも晴れているのに傘を開いているのだろう。
それ以前にどうして門番は看護服など着ているのだろう。ナース服と言った方が分かりやすいかもしれないが。
それは妖夢も同じ気持ちだったのか、藍同様に言葉を失したままこの光景を眺めていた。
「ちょ、ちょっと妹様!?駄目ですよ、今お客様と大切なお話をしているところなんですから…ひゃあああ!?
お、お願いですから耳に息を吹きかけないで下さいいいいいい!!というか私から降りて下さいよおお!!」
「やだ。めーりんがちゃんと『フラン』って呼び捨てにしてくれるまで嫌がることを止めないッ!」
「そ、そんな我侭を仰らないで下さいよおお…
妹様を呼び捨てにするなんて今度こそ私は首になっちゃいますよ…」
「む~、めーりんの意気地なし!私と紅魔館、どっちが大切なのよ!
さあ!今すぐ大きな声で私を愛していると言ってみなさいっ!」
「い、妹様を愛してますううう…」
「ん~?聞こえないなあ~。そんな声じゃ私への愛の言葉は届かないよ?
ちゃんと大きな声で『フランちゃんの事がレミリア様より愛してます』って言いなさいっ!」
「フランちゃんの事が…って、さっきと台詞が変わってますよね!?」
きゃいきゃいと目の前でいちゃつき合うナース服とレミリア似の少女。
その光景に藍は思わず頭痛を感じてしまった。おかしいな、私の知っている紅魔館とは随分イメージが違う、と。
藍が昔、紫と共に訪れた紅魔館はそれはそれは人間や妖怪にとって恐怖の象徴だった。
一度その地に足を踏み入れれば、二度とは生きて帰れぬ悪魔の館。
事実、彼女の主の紫も今は亡きスカーレット家の主との激闘後、無事とは言えない傷を負った。
自分はともかく、最強の妖怪と謳われる彼女の主すらも無事では済まさなかった紅魔館。それが今では――
「ど、どうしたんですか藍さん!?な、何で泣いてるんですか!?」
「あ、ああ…すまない妖夢。時間の流れとは残酷だと思っただけだ。記憶というものは美しいな」
「はあ…えっと、よく分かりませんけど元気を出してください」
「そうだな…あの、すまないが門番とやら。私は八雲紫の式で名を八雲藍という。
本日はこの館に務めている十六夜咲夜に用があってここに来た。お目通り願えるだろうか」
藍の声に少女と漫才を繰り広げていた門番は、慌てて藍の方へと向き直して真面目な表情を作る。
だが、どんなに真剣を装っても背中に抱いているチビッ子悪魔のせいで思いっきり台無しではあるのだが。
「咲夜さんにですか。それでは少々お待ち頂けますか。
この館を通して良いのかどうか、貴女が本当に咲夜さんの知り合いかどうか確かめる必要がありますので」
「ああ、構わない。約束をしていた訳でもなし、こちらの一方的な用件だからな。
許可が出るまではゆっくりとここで待たせてもらうよ」
藍の返事に分かりました、と門番は返し、門番隊の妖精の一人を咲夜の下へと遣わせた。
その光景を眺めていた藍を、二つの小さな瞳が物珍しそうに美鈴の背中から眺めていた。
視線に気付いた藍もまた、その少女の方を軽く一瞥する。見れば見るほど、その少女はレミリアによく似ていた。
そして、藍は宴会の場で聞いた一人の少女の名を思い出す。
曰く、レミリア・スカーレットの実妹で、破壊と狂気と司る少女。その実力はあのレミリアすらも凌ぐと言われる程。
そうだ。確か彼女の名は…
「フランドール。レミリア・スカーレットの実妹、フランドール・スカーレットよ。可愛い可愛い狐さん?」
「っ!?」
クスクスと笑いながら己の名を紡ぐフランに、藍は驚きの表情を見せる。
それも当然の事だ。彼女はまるで、藍の思考を読み取ったかのようなタイミングで自己紹介をしたのだから。
「…顔に出ていたか?」
「ん~ん。ただ、自己紹介をしておこうと思っただけよ。
だって、私は貴女のことを知っているのに、貴女が私の事を知らないのは不公平でしょ?」
「…私の事を知っているのか?失礼だが、何処かで会った事があっただろうか」
「会ってないわよ。会っていたら、貴女も私の事を知っている筈じゃない。
ただ、貴女が昔この館に乗り込んできた時にお姉様と戦っているトコロを覗き見してただけ。
ふふっ、可愛らしかったわよ。最強と謳われる八雲の妖獣がお姉様一人に手も足も出ずにただ無様に地を這う姿は」
無邪気に笑うフランの言葉に、藍は『あちゃあ』としかめっ面を浮かべる。
かつて紅魔館がこの幻想郷に現れた時、この館の吸血鬼達は幻想郷のルールに従わず周囲の人間や
妖怪達に己の力を誇示した。それを知り、紫と当時の博麗の巫女、そして藍はこの館に乗り込んだ。
その時に藍はレミリア・スカーレットと対峙したのだが…結果はフランの言う通り、惨めな程に惨敗だったのだ。
「まあ、私の事を知っているのなら話は早い。その情けない妖獣が私、八雲藍だよ」
「ふ~ん…冷静だね。流石は八雲の式、か。
面白くないなあ、挑発されても動じないなんて」
「もう己を侮辱されて激昂するような年齢ではないよ。
実際、レミリアに敵わなかったのは事実だからな。実力的にも精神的にも、だ」
「う~、つまんないなあ…貴女の方が遊ぶと面白そうだったんだけど。
まあ、今回は見逃してあげる。今日は『そっち』で我慢してあげるわ」
はて、そっちとはどっちだろう。そんな事を頭の中で考えていた藍だが、
背後から放たれる妖気に気付き、首を後ろへと向ける。そこには鞘から刀を抜いた妖夢がフランの方をじっと睨みつけていた。
「へえ…狐さんに比べれば見劣りすると思っていたら、なかなかどうして。
貴女は私をどれくらい楽しませてくれるのかなあ?霊夢くらい?魔理沙くらい?それともお姉様くらい?」
「取り消せ。藍さんに並べた侮辱の数々を今すぐ取り消せ。
さもなくば、お前を楼観剣で切り伏せる。白楼剣で切り潰す」
「よ、妖夢?別に私は気にしていな…」
「嫌。だって事実じゃない。そこの狐は弱い。お姉様より弱い。弱いから負けた。無様に負けたのよ。
本当の事を言って何が悪いの?それとも何?私が『狐はお姉様より強い』なんて嘘をつけば貴女は満足?」
「…よく言った。この妖怪が鍛えた楼観剣、斬れぬものはあんまり無い事をその身で味わえ!!」
妖夢が構え、フランが微笑みを浮かべたまま挑発する光景に藍は大きく溜息をついた。どうしよう、と。
どうやってこの事態を収拾するか。間に割り込むか。…嫌だなあ、絶対私だけ痛い目にあうんだろうなあ。
『仕方ないか』と決意をした藍だが、救いの手は意外なところから現れた。
「妹様、お客様相手にケンカは駄目ですよ?
お遊びなら後で私が満足して頂けるまで相手いたしますから。…うう、本当は凄く嫌なんですけど」
「本当!?じゃあ止めるっ」
うわーいと喜びを全身で表現してフランは美鈴を強く抱きしめる。
そんなフランを慣れた様子で美鈴は良し良しと抱き抱える。先ほどのフランの様子が嘘みたいな変わりようだった。
それは妖夢も同じだったのか…否、それ以上だったのか、剣を構えたままでどうしたらいいのか分からないといった状態だった。
「ほら、妖夢。もうケンカは終わりだから剣を仕舞いなさい」
「…へ?あ、はい」
ポンポンと藍に頭を撫でられ、妖夢は納得いかないといった表情ありありのままで剣を鞘に仕舞う。
そんな妖夢を見て、藍は苦笑する。橙とはまた違う意味で、妖夢もまだまだ藍の愛すべき存在なのだ。
「ありがとう」
「え?」
「妖夢は私の為に怒ってくれたのだろう?私が侮辱された事に怒ってくれたのだろう?
私の代わりに妖夢が怒ってくれたこと、私は嬉しかったよ。だから、ありがとう」
優しく笑って告げる藍の言葉に、妖夢は頬を赤く染めて言葉を濁らせたものの、
それを無理矢理隠すように藍に微笑み返した。照れ隠しだと分かっていたから、藍は微笑んだままで何も言わなかった。
そして藍は助け舟を入れてくれた美鈴の方へと視線を向ける。
「すまない。助かったよ。ええと…」
「美鈴。紅魔館の門番長、紅美鈴と言います。
頭を下げて頂く必要なんてありませんよ。元々はこちらが悪いのですから」
「もう、めーりんったらちゃんと反省してよね」
「そうですよね、本当にゴメンなさい……って、えええええ!!?わ、私が悪いんですか!?」
「?私が悪いの?めーりんは私が悪いって言うんだ?」
「あうう……ごめんなさいごめんなさい、全ては私が悪いんです…妹様は全然悪くないです…」
「心が篭もってな~い!全然気持ちが篭もってな~い!
めーりんに足りないものは、それは愛情愛情愛情愛情愛情愛情愛情、そして何よりも私に対する愛情が足りない!」
「ふえええええ!?ほ、ほへはいひゃはらひっはらはいへふらはーい!!」
美鈴の両頬を引っ張りながらキャッキャと楽しそうに笑うフラン。ひーんと助けを求める美鈴。
そんな彼女を見て藍と妖夢は思った。『ああ、この人は同族だ』と。
この人も自分達のように主人の我侭に振り回されては毎日過ごしている、きっとそんな人なのだと。
きっと他人から見た自分と主の光景はこんな様子に違いない。そんな事を思い、藍と妖夢は同時に溜息をついた。
そんな時、紅魔館の門の向こうから先ほど使いに出ていた妖精メイドがフワフワとこちらに戻ってきた。
「メイド長からの伝言です。『今は手が離せないから上がって頂戴。案内はこの娘に頼んでおいたから』。
という訳でお二人様をメイド長の所まで案内させて頂きます~」
「あ、ああ…よろしく頼むよ。それでは、美鈴にフラン嬢、世話になった」
「えっと…その、頑張って下さい」
「そ、そんなあああああ!!見捨てないでええええ!!!お願いですから助けて下さいいいいいいい!!!!」
「ひーれーふーしーなーさいー!人もー妖もめーりんもー!
ふーくーぬーぎーなーさいー!めーりんのおっぱいー見せてー!」
「嫌あああああ!!!お、お願いですからそれだけは!!それだけはああああああ!!!!」
地面に押し倒した美鈴の上に馬乗りになり、高らかに変な歌を熱唱するフラン。
その姿を見ながら妖夢は思う。あんな状態になりながらも傘を手放さずに日光からフランを護る美鈴。
あれこそが誠の忠義なのだと。けれど思う。自分はあんな忠義だけは絶対に勘弁して欲しいと。
「熱いハートの微熱今すぐ奪ってよ~誘って触って大事な場所に口付けて~♪
心も身体も~全部フランちゃんだけのモノ~♪うわ~!やっぱりめーりんのおっぱい大きい~!!」
「うあああああああああん!!!もうお嫁にいけないよおおおおおお!!!!」
藍と妖夢は互いに顔を見合わせ、瞳を閉じて耳を塞いだ。
見なかった。聞こえなかった。自分たちは何も知らない。それが何より彼女の為だと。
悪魔の館、紅魔館の門前。いつもと変わりなく、日々是平和である。無論、約一名を除いてだが。
妖精メイドに案内され、紅魔館の一室に足を踏み入れた藍と妖夢はその室内を見て目を丸くした。
何故ならそこには咲夜だけではなく、二人の予想していなかった人物達が居たからだ。
「何よ、その顔は。まるで私がここに居るのが悪いみたいじゃない。失礼ね」
「あ、ああ…悪い。こんな朝早く…とは言えない時間だが、お前が起きているとは思わなかった」
「吸血鬼が夜しか起きてないと思い込むのは勝手だけど、眼前の事実は素直に認めなさい。八雲の狐」
彼女が驚いた理由の一つ――藍の視線の先にはこの館の主、レミリア・スカーレットが
咲夜の隣の椅子に座り、優雅に紅茶を飲んでいたからだ。太陽も出て間もない早朝に、だ。
「大体門前にいるフランには会ったのでしょう?あの娘も吸血鬼なのよ?
あの娘に会っているのにどうして私が起きている事に驚くのよ」
「…言われてみれば、それもそうだな。すまん、何か色々とありすぎて頭の中が混乱していたらしい」
その色々な事とは勿論美鈴に関することだが二人は何も言わないことにした。
美鈴があまりに不憫だったからだ。もうこれ以上、彼女の傷には触れてはいけない。そんな気がした。
藍は気を取り直し、視線をもう一つの意外な人物の方へと向けた。
彼女は藍達の事を気にすることもなく、レミリアとは正反対に湯のみで緑茶を啜っていた。
「一応聞いておくが、貴女はどうしてここに居るんだ。上白沢慧音」
「…どうしても何も、ここは現在の私の住居だからな。居ない方がおかしいだろう」
彼女――上白沢慧音は藍の言葉をはぐらかす様に答え、視線を合わせようともしない。
藍も妖夢も慧音の様子に首を捻る。どうやら彼女は現在虫の居所が悪いらしい。
少なくとも、宴会の時に見た彼女はこんな風に素っ気無い人間ではなかった。
確か妹紅と一緒に居て、周囲の酔っ払った連中の諌め役となるほどの人物だった筈なのだが。
疑問に思ったのは妖夢も同じだったようで、むすっとした慧音に妖夢は問いかける。
「あの、慧音さんは人里に住んでいらっしゃると思っていたのですが…妹紅さんはどうしたんですか?」
「うわああああああああああ!!!!!!妹紅の事は言うなあああああああああ!!!!!!!!」
「みょんっ!?」
妖夢の言葉の何かが彼女の琴線に触れてしまったらしい。
おいおいとその場で泣き始める慧音を横目に、レミリアはあーあ、と非難の声をあげる。
「いくら何でもその追い討ちは酷いわね。折角さっき泣き止んだばかりなのに」
「え、えええ!?な、何故!?」
オロオロと困惑する妖夢に、今まで黙ったままで縫い物をしていた咲夜は一つ溜息をついて語る。
「慧音は妹紅とちょっとしたことで擦違っちゃってね。
それで今日、勇気を出して妹紅に謝りに行ったんだけど…話も聞いてもらえずに鳳翼天翔って訳」
「違うっ!!鳳翼天翔じゃなくてフジヤマヴォルケイノだ!!」
「どっちも大して変わらないじゃないの」
「全然違う!!博麗神社と守矢神社の賽銭箱の中身くらい違う!!
鳳翼天翔くらいの怒りならまだ何とか出来る筈だったんだよ!!それがフジヤマヴォルケイノだなんて!!
あああ…妹紅の奴、全然怒りが収まってないんだ…凄く怒ったままだ…私はどうすればいいんだ…」
「なあ、妖夢…私にはその違いが全然分からないんだが」
「えっと…すいません、私にも全然分かりません…」
「とりあえず霊夢のトコロの賽銭箱がぽっと出の神社に負けてる事は分かったわ。哀れいむ」
ふう、と溜息をつきながらも咲夜は裁縫している手を休めない。
どうやら服を繕っているようだが、かなりの年季モノらしく、彼方此方を修繕しているらしい。
「ところで八雲の式、ウチの咲夜に用があるのではなかったの?」
「あ、ああ。そうだった。
いかんな…どうもこの館は予想外の光景が広がり過ぎて当初の目的を忘れてしまう」
「ただの健忘症ではないの?もしくは頭の中があの猫の事しか入ってないとかね」
「そうかなあ…健忘症はともかく橙の事は一日平均十九時間くらいしか考えてないつもりだが」
「じゅ、十九!?あの、ちなみに藍さんの睡眠時間は…」
「大体六時間くらいかなあ」
「合わせて二十四時間を越えてるわね。見事に足が出てるわ」
「夢の中で橙に会えない日があるとその日の朝は欝過ぎて軽く死にたくなるな」
「ちょ!?そんな事で死なないで下さいよっ!?」
「修行が足りないわよ八雲の式。私クラスの存在ともなると夢の中で美鈴に会うことなんて造作もないこと。
ちなみに今日の夢は美鈴が攻めだったわ。ふふ、寝床の上だけは激しい美鈴も嫌いじゃないわ」
「ちょ、ちょっとレミリアさん!?涎!!涎出てますよ!?」
「お嬢様…その気持ち、良く分かりますわ。
夜の性活では主従の立場が逆転するのですね。その気持ち、凄く分かります」
「な、何か咲夜さんまで凄い良い笑顔浮かべてるーーー!!!親指立てて鼻血出してるし!!」
慧音が泣いている今、この中でまともな人間は実はさっきから『みょわー!』と突っ込みを入れてる妖夢だけだったりする。
カリスマただ漏れ現在進行中のレミリア。鼻血を垂らす完全で瀟洒な咲夜。
おまけに橙の事になると頭のネジが三十本くらい平気でぶっ飛ぶ藍。今日も紅魔館はパラダイスだ。
「それで藍、用事とは何かしら。
私も見ての通りやらなければならないことがあるから、出来ることは限られているのだけど」
鼻血を拭いて、手に持っている折りたたまれた衣服を藍に見せる咲夜。
裁縫という仕事があるから面倒事は引き受けられないという意思表示だ。それを見て藍は勿論と頷く。
「今日ここに来たのは咲夜に二つほど質問に答えて欲しくてな。
それが終わったらすぐに帰るつもりだ。仕事の邪魔をする程の手間は取らせんよ」
「質問…ね。私に答えられることなら答えてあげるわ」
藍の方を見ながらも服を繕う手は休めない咲夜。
それを見て妖夢は感心する。一体どうやって手元を見ないであんなに綺麗に縫えるのだろうと。
「まず一つ目。『従者としての在り方』とはどうあるべきか?」
「愚問ね。従者とは主に従い尽くすことよ。
常に主の事を考え、主の望む行動をし、主の期待に応える事こそ従者の存在意義。
そんなことも出来ない者は従者を名乗ることすら許されない。従者の在り方など従者以外に無い。
主に属する者、その主の存在こそが己の全てと知ること。それが従者よ」
下らないとばかりに言い放つ咲夜に『ほう』と藍は感心したような表情を浮かべる。
流石は幻想郷一と謳われる従者。この歳にしてここまで言い切れるか。藍は素直に敬意を表す。
従者として彼女は完璧だ。まるで教科書通りの…否、教科書以上の聖書とも言って差し支えない程だ。
きっと彼女の領域に常人が達することなど出来はしない。何十年、何百年と主に仕えても決して。
そんな領域に彼女は二十歳にも満たぬままで踏み入れている。一体彼女はどんな道を歩んできたというのか。
彼女は決して言葉だけではない。先ほどの言葉を全て実行するだろう。否、現在もしているのだろう。
そんな藍とは反対に、妖夢は納得がいかないという表情を浮かべている。
どうやら彼女の中の従者と咲夜の語る従者では理想の形が違っていたらしい。そして妖夢は咲夜に口を開く。
「しかし、主とて絶対ではない筈です。時には間違えることもある筈です。
ただ従うだけではなく、時には諌めるのもまた従者の役目ではないでしょうか」
「間違えないわ」
「え…?」
服に通した糸を歯でぷつりと噛み切り、当たり前の事のように咲夜は告げる。
「お嬢様は間違えない。お嬢様は道を違わない。
普段、お嬢様がご冗談を言ったときに私が口を挟むことはあるわ。けれど、それは諌めるということではない。
本当に諌めることが必要な間違いなんて、お嬢様は絶対に犯さない。そんな事はお嬢様自身が許さない。
私の主、レミリア・スカーレットは決して道を違える事は無い。だから、そんな事は考えるだけ無駄なのよ」
咲夜の言葉に妖夢は息を呑んだ。咲夜の言葉が絶対的な重さを持っていたからだ。
それは決して妄執や崇拝などではない。彼女はただ事実を述べているだけだというように言い切ったのだ。
それは何と美しく、何と理想な主と従者の形なのだろうか。世俗の王の誰もが望み、それを具現化した形。
何も知らない人間が聞けば『それは妄信であり、真の従者ではない。後に腐敗を生む』と声高に叫ぶかもしれない。
しかし、考えて欲しい。もし仮に完璧な、何も違えない理想の主が存在したならばそれは妄信と言えるだろうか。
そしてそんな主が必要とする従者とはどんな者だろうか。それはきっと己の采配を全て形に出来る完全な従者。
理想の主と理想の従者。もし仮にこの二人が出会ってしまったら、二人はどんな関係になりうるだろう。
――それこそ愚問。解答など探す必要は無い。今ここに、美しいまでに具現化させた答えがここにあるのだから。
「完全で瀟洒な従者…か。よくもまあ、年頃の少女をここまで完璧に育て上げたものだ。素直に感心するよ」
「私はただ咲夜の才能を開花させてあげただけよ。
異端児というだけで咲夜を吸血鬼ハンターなんかに宛がうなんて人間は本当に愚かにも程があるとは思わない?
まあ、そんな下賎な連中は二度とウチの咲夜に手出し出来ないように丁重にお帰り願ったのだけれど」
「ほう?それは紅魔館のメイド長の誕生秘話でも聞かせてもらえるのか?」
「貴女が猫娘との出会いを赤裸々に語ってくれるのなら考えてあげてもいいわ」
レミリアの言葉に藍は苦笑する。
つまりレミリアは『身内の話に首を突っ込むな』と藍に言っているのである。
「それではもう一つ。『主への愛情』とは?」
「勿論結果を出すことよ。過程や方法なんてどうでも良い…なんて考えるのは所詮二流の考え、言語道断。
真の従者とは主に恥じることないよう、もっとも優雅で美しい過程、方法を考え、それを実行し結果を得ること。
主の期待に応え、常に満点以上の結果を叩き出すことこそが従者として主に示すことの出来る愛情だわ」
愛情とは行動、そして結果で示す。それが彼女、十六夜咲夜の答えだった。
未だに納得がいかないのか表情を顰める妖夢の頭を藍は苦笑しながらポンポンと優しく撫でる。
きっと幽々子のような主従よりも家族の絆を第一に考える主を持つ妖夢には、咲夜の考えを理解するにはまだ若過ぎる。
もっとも、そんな境地に辿り着いている咲夜ですら、まだ早過ぎると藍は思っているのだが。
「そして咲夜は私へ常に満点以上の解答を示し続けている。
自分で言うのも何だけど、咲夜を超える従者は前にも後にも幻想郷に存在しないことを断言してあげる。
従者とは駒。主の命に如何に対応出来るのか、それが全てよ。咲夜は私の一の言葉を十の行動で返してくれるわ」
「でも、それだけの関係だなんて…」
「妖夢。落ち着いてよく見てご覧」
反論を試みようとする妖夢に、藍は笑ってレミリアと咲夜の方を指し示す。それを見て、妖夢はようやく気付く。
レミリアと会話する咲夜の表情。そして咲夜と会話するレミリアの表情。それは決して主従関係だけでは在り得ない事を。
もし、彼女が言うように形だけを求める主従関係なら、こんな風に二人は笑いあったり出来るものか。
もし、彼女が言うように従者が唯の駒だと言うのなら、互いをこんな温かい空気が包み込むものか。
そう。紫にとって藍がそうであるように。幽々子にとって妖夢がそうであるように。
レミリアにとって咲夜もまた、特別な存在なのだ。それはきっと、従者という言葉以外で表すのならば藍達と同じ。
彼女、十六夜咲夜こそがレミリア・スカーレットの娘なのだろう。
「主従関係にも色々あると言う事さ。
妖夢達のように誰もが分かるようにつながる絆もあれば、レミリア達のように見えない所でつながる絆もある」
「あら、知った風に口を利くわね。一介の化け狐風情が私の何を知ったとでも?」
「私は別に何も知らんよ。ただ、妖夢にお前達の関係が誤解されたままだと可哀想だなと思っただけだ」
「何が可哀想なのよ何が。以前のようにもう一度ボロボロになるまで教育してあげましょうか」
「それは結構。教育されるのは紫様からだけで間に合ってるよ」
笑う藍にレミリアは舌打ちをして『狐が』と呟く。
一つ息をつき、レミリアは鬱陶しいそうな表情を浮かべて藍にシッシと追い払うように手を振った。
「用件はそれで終わり?だったらさっさと帰りなさい」
「言われなくとも帰るさ。それじゃ三人とも、お邪魔したな。
咲夜、急な訪問で悪かった。それと助かったよ、ありがとう」
「別にお礼を言われるようなことではないわ。
こっちこそ悪いわね。来客と言うのにお茶の一つも出せなくて」
「何、もとより約束すら取り付けていない急な訪問だ。気にはせんよ。それではな」
一礼して扉へと歩き出す藍に追従するように、妖夢も一礼して藍を追う。
二人が部屋を出ようとしたその瞬間、突如背後から大きな声が上がった。
「これでよし、と…お嬢様、ついに完成しました!」
「本当!?ついにコレが完成したのね!?
ああ、この瞬間をどれほど待ちわびたことか!!咲夜、早く完成品を私に見せなさい!!」
咲夜とレミリアの声に何事かと藍と妖夢は顔を見合わせ、ゆっくりと後ろを振り返った。
そこには咲夜が先ほどから裁縫を続けていた衣服を広げ、レミリアに見せているところだった。
それを見て藍と妖夢は言葉を失った。いや、もっとストレートに表現すると驚いた。びっくりした。何やってんだと思った。
何故なら咲夜が広げた衣服はどこかで見た衣装だったからだ。
もっと詳しく言うならそれを誰かが着ているのをどこぞの神社で見たような…
「ああ!!これよ!!私が求めていたのはコレなのよ!!
博麗神社の巫女服IN紅霧異変ヴァージョン!!ふふ、霊夢に頼み込んで譲って貰った甲斐があったわ!!
とうとうコレを美鈴が着ている姿を見ることが出来るのね!?巫女巫女美鈴を見ることが出来るのね!?」
「勿論です!美鈴のあの豊満なバストサイズに対応出来るようにと
メジャー片手に時間を止めて美鈴のスリーサイズを測って美鈴サイズに作り直しましたから!
無論、メジャーによる計測誤差も私が直々にこの手で触って調べることにより±0.01mm程度に抑えています!」
「流石は咲夜!貴女ほど優秀な従者なんてこの世に存在しないわ!!
ああ…巫女美鈴、何て甘美な響きなのかしら…きっと美鈴がこの巫女服を纏えば、私達を天へと誘ってくれる筈よ!
ふふ、うふふ…ねこ巫女美鈴愛してる…ねこ巫女美鈴何してる…ねこ巫女美鈴酒乱ゆらり…ねこ巫女美鈴むろんふらり…」
「お嬢様、妄想の途中に申し訳ありませんが意見を述べさせて頂きます。
時間とは有限です。お嬢様の美鈴を妄想する時間一秒が、今急ぐことにより現実のものへと変わるのです。
この世の理はすなわち早さだと思います。物事を早く成し遂げればその分時間が有効に使えます。
遅いことなら誰でも出来ますし九代かけて強くてニューゲームすれば誰でも求聞史紀が書けます。
有能なのは稗田阿求より上白沢慧音、上白沢慧音よりも射命丸文です。
つまり早さこそ有能なのが文化の基本法則。そして私の持論です。
結局何が言いたいのかと申しますと、下らない妄想はいいからさっさと美鈴のところへ行きましょうということです。
聞いてますか?ちゃんと私の言葉が聞こえてますかお嬢様?」
「…は!?い、いけない私としたことがあまりに甘美な妄想のあまり思わずトリップしてしまったわ。
行くわよ咲夜!!私の美鈴は何処!?」
「恐らく門前かと。今日の美鈴当番は妹様ゆえ、地下室の可能性も否めませんが」
「あの娘なら間違いなく外よ!!
昨日の夕食時、私にあてつけるように『明日美鈴と外でデートするんだあ』って言ってたもの!!
くきー!!私を差し置いて美鈴と野外プレイだなんて許さないわよ、フラン!!やるなら私も混ぜなさい!!」
「美鈴の巫女服をフォトグラフに収める為にもパチュリー様にも連絡をしておきます。
それとお嬢様、僭越ながら私もその末席に加えて頂きたく思います」
急な展開で全く何が起こったのか理解出来ていない扉の前の二人を
突き飛ばすようにレミリア達は部屋を後にした。残されたのは尻餅をついた藍と妖夢。そして。
「…まあ、何だ。その、居候の身ではあるが一応代わりに頭は下げておく。すまん」
「べ、別に構わないけど何なのよあれは…」
いつの間に立ち直ったのか、慧音がすまなそうに笑って二人に手を差し伸べる。
未だに事態が把握出来ていないのか、藍は動転するあまり素の口調に戻ってしまっている。所謂女言葉である。
藍の質問に慧音は微笑を浮かべて言葉を返した。それしか答えは持ち合わせていないとでもいうように。
「この館の皆は紅美鈴の事が大好きで大好きで堪らないらしい」
「そ…そうか。よく分からんが、分かった…」
自分を取り戻し、曖昧な返事をしながらも藍は思った。『今までのあいつ等の台詞、全部台無しだなあ』と。
その横で妖夢も思った。『今までのお二人の台詞、全部台無しだなあ』と。
二人の顔を見て慧音も思った。『ああ、今二人は『今までの台詞が全部台無しだ』と考えているんだろうな』と。
三者三様に顔を見合わせ、軽く溜息をついた。本当は深い溜息だったがレミリアの尊厳の為にも軽くと表記しておく。
「それじゃ、今度こそ…世話になった…訳ではないが、一応礼は言っておく」
「そ、それじゃ失礼しました…」
二人の言葉に、慧音はうむと返事をして、笑って見送った。
そんな慧音を見て妖夢は思う。もしかしたらこの人がこの館の最後の良心なのかもしれないと。
二人が扉の外に出て行き、扉が閉められて、慧音は『さて、と』と一人呟く。
「それでは私も門前に行こうかな…
あ、いや、これは決して美鈴の巫女姿に興味があるとか巫女美鈴見てみたいなあとかそういう訳じゃないぞ?
無論私の心は常に妹紅一筋だ。勘違いしてもらっては困る。
これはえ~と…そう!紅魔館の連中が美鈴に色々とやり過ぎないように見守っているんだ!
…しかし巫女服か。私としては現在の看護服もかなりのものだと思っているのだが巫女服はそれ以上の破壊力が…」
一人宙に向かってブツブツと呟き続ける慧音。しかしその足は着実に扉の向こうへと向かっていた。
歴史喰いの半獣にして人里の護り人、上白沢慧音。現在藤原妹紅と一方的にケンカ中。傷心モード真っ只中。
幻想郷一の常識人として誉れ高かった彼女だが、紅魔館と関わったばかりに何かもう色々と駄目かもしんない。合掌。
紅魔館を後にした二人は次の目的地、永遠亭へと向かって空を翔けていた。
とりあえず当初の目的であった従者の話は聞けた為(後半のことは何も見なかったことにしたらしい)、
次なる目的地の従者、八意永琳に話を聞こうということになった。
永遠亭の場所も妖夢が知っていた為、案内を必要とすることも無く空を飛んでいた二人だが、
永遠亭へと続く空に一人の少女が二人を待ち構えるように佇んでいるのに気付き、その場でブレーキをかける。
その少女――藤原妹紅は不思議そうな表情で二人に口を開く。
「あれ…誰かと思えば紫と妖夢じゃないか。永遠亭に何か用か?
見たところ病気って訳でもなさそうだし…」
「別に病気などではないが、少しばかり永琳に用があってな。
ちなみに私は紫様ではなく藍だ。頼むから二度と間違えないで欲しい。少しばかり鬱になる」
「う、鬱になるんですか!?」
「なる。何ていうか、あの方と同一扱いされると本気で泣きたい衝動に駆られるんだ。
私は自分の事を少女だなんて言わないしアスパラを食べて『美味しいわねこのセロリ』なんて言わない」
さらりとトンでもないことを暴露しまくる藍。どうやら主人と同一視されることが本気で嫌だったらしい。
それを見て妖夢は思う。『やっぱりこの人は凄い人だ』と。ちなみに恋する乙女は常に美化120パーセントである。
「ああ、ゴメンゴメン。どうも人の名前は覚えるのが苦手でね。
永遠亭に行くんだろ?そこまで案内してあげるからついて来なよ。どうせ暇だしね」
ぶっきらぼうに告げる妹紅に、藍と妖夢は顔を見合わせて苦笑する。
博麗神社での宴会で彼女の事は何度か顔を合わせているが、実は彼女が優しい人物だということは二人とも知っていた。
大騒ぎする霊夢達の傍らで、妹紅はチルノやルーミアといった
チルドレンズ(妖精や妖怪なので正確には子供ではないが)の面倒を見ていたりするのだ。
無論、子供に対しても妹紅はこんな調子なのだが、子供は心優しい人を見抜く眼力が備わっているのか、
いつも妹紅に懐いていたりする。そんな姿を見られては輝夜にからかわれ、いつもケンカに発展するのだ。
また、二人は知る由もないが妹紅は寺小屋の子供達にも大人気だったりする。
そんな妹紅だからこそ気を緩めてしまっていたのか、妖夢が再び爆弾に火をつけてしまう。
「ところで妹紅さん、慧音さんとは仲直りしないんですか?
さっき紅魔館を伺った際、慧音さんからケンカしているというような事をお聞きしたのですが…」
『それロン。大三元字一色四暗刻単騎の四倍役満。良かったわね、藍。裏ドラを見る必要もないじゃない』。
ピタリとその場に立ち止まった妹紅を見て、藍が最初に頭に浮かんだ言葉がそれだった。つまり『やっちゃったZE』。
ちなみにその言葉は博麗神社で脱衣麻雀を無理矢理やらされた時に貧乏巫女に直撃された時の台詞だ。
あの貧乏巫女は金が掛かると弱いくせに下らないゲームでは最強の強さを発揮する。本当に無駄な強さである。
麻雀勝負に負け、その日から一週間藍の仇名が『スッパテンコー』となっていたのは今は関係ないので省略する。
ちなみに地雷を思いっきり踏みつけた妖夢は現状を全然理解してなかったりする。この娘、生真面目ですが本当にアホの子です。
「う、ううう…うわああああん!!!!!」
「え、えええええ!?またですか!?ど、どうして!?私何か傷つけるようなこと言いました!?」
泣き出す妹紅にオロオロとする妖夢。それを見て藍は思う。いや今メッチャ普通に言ったじゃん、と。
このまま困り果てた妖夢を母のように優しく見守るのも悪くは無いが、流石に妹紅が可哀想なので止めておいた。
ちなみにどうでもいいが今日妖夢が泣かした女の子はこれで二人目である。本当にどうでもいい。
「あーよしよし、ごめんな妹紅。ウチの妖夢が少し酷いこと言っちゃったな。私に免じて許してくれ」
「ええええ…うう、何が何だかよく分かりませんが藍さんが言うならその通りなんですね。
ごめんなさい妹紅さん…私、酷いこと言っちゃいました…」
本当にすまなそうに謝る妖夢を見て、藍はふと『心の篭もった罪悪感の無い謝罪ってどうなんだろう』とか思ったりした。
そんな藍達を他所に、妹紅は何とか泣き止んだ。藤原妹紅、実は結構精神的に打たれ弱かったりする。
「あの…さ。慧音の奴、何か言ってた…?」
「言ってたというか、泣いてたな。何かフジヤマヴォルケイノが鳳翼天翔でもう駄目だとか。
まあ…私は第三者だし余計な口出しを出来る立場でもないが、慧音を許してあげたらどうだ?
何が仲違いの原因かは知らないが、私の見たところお前達はお互い仲直りしたがってるみたいじゃないか。
だからこそ慧音の事を尋ねられてそんな風に泣いたりしたんだろう?」
「そりゃ私だって出来るならしたいさ!!でも慧音の奴が悪いんだ!!
慧音があの女のところになんか行かなければ私だって…私だって…うわああああん!!!!」
「みょんっ!?ら、藍さんまた泣いちゃいましたよ!?これもやっぱり私のせいですか!?」
「うん、間違いなく妖夢のせいだ。ちゃんと謝らないと駄目だぞ?」
「そ、そうですか…妹紅さん、ゴメンなさい。何が悪かったのかよく分かりませんが…」
己の罪をサラリと妖夢に擦り付ける辺り、藍様もかなりド外道である。
普段は誠実で心優しい藍だが、面倒なことに出くわしたりすると時々こんな風になったりする。
これではまるで主の紫そのものじゃないか…等と言ってはいけない。蛙の子は蛙。神奈子の子は諏訪子。スキマの子は狐なのである。
「あ~、妹紅?泣いてばかりではどう慧音が悪いのか私達には分からないんだが…」
クスンと涙を啜りながら、妹紅はポツポツと慧音との喧嘩の事情を二人に語りだした。
何でも突然人里に訪れた妖怪と慧音が浮気をした事が喧嘩の原因らしい。
その浮気現場を見た妹紅はどうしようもなくなり、思わず慧音の家を飛び出してしまったのだという。
「うーむ…話を聞く限りでは百パーセントを通り越して慧音が悪いが…
果たしてあの慧音が浮気なんかするかなあ…そういう不誠実なことをするような人には見えないが」
「そうですね…宴会などでも慧音さんと何度か話したりしたのですが、とても生真面目で心優しい方でしたよ。
それに先ほどの紅魔館での様子もとても浮気していたようには思えませんでしたし…」
「そんな事、分かってるよ…慧音は浮気なんかしたりする奴なんかじゃない。
アイツは馬鹿なくらい生真面目で口うるさくて私何かと友達になってくれるくらいのお人良しなんだ…
慧音が浮気なんてする訳ないことくらい、私だって分かっていたんだ…」
では何故?そう尋ねようとした藍より先に妹紅は『でも!!』と大声を空に響かせる。
「でも浮気していないならどうして慧音は紅魔館で生活しているんだよ!!
よりによってその浮気相手が住んでいる紅魔館なんかに!!自分の家があるのにどうして!!
そんな慧音を許すなんて出来る訳がないじゃないか!!慧音の言葉が全部嘘に聞こえても仕方ないじゃないか!!」
涙を目に貯めながら叫ぶ妹紅の言葉を聞いて藍は呆れ果てる。『何やってんだあの半獣は』と。
ちなみに藍や妖夢はもとより、妹紅も慧音が紅魔館に滞在している経緯を知らなかったりする。
はあ、と軽く溜息をついて藍は仕方ないとばかりに慧音を庇ってあげることにする。
どうやら謝ることばかりが頭に行き過ぎて、慧音は妹紅に色々と説明不足のようだ。
まあ、実際は説明しようとした慧音に妹紅が有無を言わさずフジヤマヴォルケイノで一撃粉砕しただけなのだが。
「あー…妹紅、確かに慧音が悪いのかもしれん。お前の言い分もあるだろう。
だが、今のままでは何も解決しないだろう?少しは慧音の言葉に耳を傾けてみてはどうだ?
もしかすると、お前の知らない側面を慧音は教えてくれるかもしれないぞ?場合によっては慧音も被害者なのかもしれん」
「でも…じゃ、じゃあアンタなら!アンタならどうするんだ!?
もし私の立場だったら慧音に話を聞きに行くのか!?素直に慧音の話に耳を傾けることが出来るのか!?」
妹紅の言葉に藍はふむ、と考える仕草を見せる。自分の立場に置き換えたら、か。
置き換えるとなると、当然妹紅の立場は私だ。そして慧音…恋人?恋人などいないから分からない。
ならば大切な人と置き換える。慧音は橙だ。私と橙が恋人同士。二人はいつもラブラブだとする。
しかし、ある日、見知らぬ妖怪――まあこれは適当に紫様でいいや。紫様が橙を私から奪い去った。
橙は必死に私に『浮気じゃない』と言っている。でも、橙は紫様のところに居る。紫様のベットで寝てる。
ああ、成る程。実に簡単な問題だ。紫様風に言うなら『SIMPLEだね☆』といったところか。
「馬鹿かお前は。私がお前の立場なら取るべき行動などたった一つだろう」
「え…や、やっぱり慧音の話を聞きに行くのか?」
「いいや、浮気相手を完膚なきまでに打ちのめす。二度とそんなふざけた真似が出来ないようにするな。
大体自分の好きになった者(橙)が浮気なんかする訳ないじゃないか。きっとふざけた妖怪(紫様)に誑かされたに過ぎん。
ならばさっさとその妖怪(紫様)をブッ飛ばして元の鞘に戻れば無事完結じゃないか」
「え、ええええ!?そ、それって解決してるんですか!?」
「してるじゃないか。というか元凶は紫様だ。全部紫様が悪いだろう。
橙は全然悪くない。全く、私の愛しい橙を誑かすなんてとんでもないスキマだ。
そうだ、反省の意味も込めて明日の朝ごはんはご自分で用意するように言っておこう」
「ゆ、紫様と橙はこの話に何も関係ないというか、そもそも紫様は何を反省すれば…」
妖夢の突っ込みに『そうか?』と言ってのける藍。普段は冷静で温厚な藍だが、橙が絡むと(以下略
そんな藍の滅茶苦茶な言葉だが、妹紅はまるでコロンブスの卵を初めて見たかのような衝撃を受けて固まっていた。
『あの…妹紅さん?』と声をかけようとした妖夢だが、その瞬間に妹紅は突如口を開いた。
「そうか…そうだったのか…
なんて事だ…私は慧音を責める事ばかり考えて慧音の事を全然考えていなかった…」
「うむ、その通りだ。分かったなら少しは慧音の話に耳を…」
「そう…本当に悪いのは慧音なんかじゃなくて、慧音を誑かしたあの女なんだ!!
許さない…私から慧音を奪うなんて、絶対に許さない…」
「そうそう、悪いのは全部あの女…あれ?」
話の流れがどうも自分の期待していたモノとは百八十度違うことに気付き、藍はおかしいなと首を傾げる。
妹紅はといえば怒りのあまり己の背中に不死鳥を召還する程である。正直熱くて敵わない二人だったりする。
「ありがとう、藍…アンタは私に大切なコトを教えてくれた。感謝するよ。
待ってなよ紅美鈴!!アンタを消し炭にして私は慧音を取り戻す!!!」
「ちょ、ちょっと待っ!?」
藍の静止も聞かずに妹紅は大空へと飛び立った。彼女は向かった方向は先ほど自分たちが通ってきた道。
あの方向はどう考えても紅魔館の方向だ。つまり、彼女が言っていた紅美鈴とは先ほどレミリアの妹に滅茶苦茶にされていた…
「……行っちゃいましたね」
「……行っちゃったな」
「……妹紅さん、紅美鈴って言ってましたね」
「……妹紅、紅美鈴って言ってたな」
妹紅の小さくなっていく姿を見届けながら呟きあう二人。
そして藍は何事も無かったかのようにクルリと身体を永遠亭の方へと向けた。そして――
「さ、行こうか」
「え、ええええーー!?妹紅さん放っておいていいんですか!?」
「ううん…まあ、大丈夫だろう。何、これも良い機会だ。
紅魔館に行って慧音と一度腹を割って話せば誤解も解ける筈さ」
「でも妹紅さん、あの門番を消し炭にするって…」
「妖夢、これ以上は私達部外者が口出しすべき問題ではないよ。
愛というものはね、沢山の出来事を二人で乗り越えてこそ育まれるものなんだ。
ふふ、妖夢もいつかそんな素敵な相手と巡り会えるといいな」
優しく微笑み、妖夢の頭を優しく撫でる藍。
ぶっちゃけ思いっきり誤魔化そうとしてる。何事も無かったようにしようとしてる。凄い良い笑顔浮かべてる。
その姿を見て、妖夢は思う。『やっぱりこの人は凄い人だ』と。ちなみに恋する乙女は常に美化180パーセントである。
それと余談であるが、この後再び紅魔館から華人小娘の叫び声が響き渡ったりした。
あとその後にやっぱり慧音の叫び声も響き渡ったりした。でもそれって妹紅の愛なの。ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ~。
「『従者としての在り方』…ねえ。
急な来訪で何の用かと思えば変な質問をするのね。しかも変な組み合わせだし」
「へ、変じゃないです!!私と藍さんは全然変な組み合わせなんかじゃないです!!」
「落ち着きなさいな。ただ私は貴女達が一緒にここを訪れたのが珍しいなと言っただけよ。
だって、以前貴女達がここに来たときはそれぞれ自分の主と一緒だったじゃないの」
ガーッと叫ぶ妖夢に、苦笑を浮かべながら永琳は答える。
永遠亭に辿り着いた二人を迎えた鈴仙が、二人を永琳の居る部屋へと案内したのだ。
そして藍達は先ほど咲夜に行った質問を永琳にした、という訳だ。
「しかし貴女達も暇人なのね。そんな質問をする為にワザワザここまで来るなんて」
「実にその通りなのだが、何だかお前に言われると悔しくて仕方が無いのは何故だろうか」
その話を横で聞いてた輝夜の一言に、藍は納得いかないような表情を浮かべる。
何というか、他の人間ならともかく輝夜にだけは言われたくなかった一言だった。他の誰でもなく、輝夜にだけは。
「残念だけど貴女達の望むような解答を私は与えられそうもないわね。
だって『従者としての在り方』とは、なんて考えたことないもの。
私はありのまま、自分の望むままに行動した結果が今の姫様との形だものね。
その結果に『従者』なんて言葉は存在しないわ。それに私は従者という形からは大きく外れている」
「えっと…つまりどういうことですか?」
「つまり、形式上では永琳は私の従者だけど、それは本質的な意味では少し異なるということ。
まあ、要するに従者なんて言葉で片付けられるような関係じゃないのよ、私達は。色々といわく付きだからね」
苦笑しながら告げる輝夜の言葉を、永琳は否定せずに笑うだけだった。
その言葉に納得出来なかった妖夢は未だに首をかしげている。それも当然だろう。
彼女が異変の際にこの屋敷に乗り込んだ時、八意永琳は誰よりも従者であった。
偽りの月を生み出し、輝夜を隠し通そうとし、その為には己の身すらも危険に差し出した。
それでも永琳は自分を従者ではないという。従者としては在り得ないというのだ。
「そういう訳だから、悪いけれど私からは貴女達に何も答えることが出来ないわね。
だからウドンゲ、二人には貴女が質問に答えてあげなさいな」
「ええええ!?」
突如話を振られ、鈴仙は驚きの声をあげる。
「この屋敷で従者という存在が誰かと問うならばイナバ達でしょう?
ならイナバをまとめてるのは誰か、紅魔館の十六夜咲夜の立場はウチなら貴女でしょう?
てゐはちょっと違うような気がするし」
「ええと…師匠、私も正確には姫様の従者という訳では…」
「あ゛?何?イナバは私の従者が嫌な訳?」
「ええええええ!??べべべ別にそういう訳では!!っていうか師匠の時と対応が全然違うううう~~!!!」
逃げに走ろうとした鈴仙の兎耳をガシリと掴み、恐喝…ではなく、問いただす輝夜。
その光景を見て藍と妖夢は『やっぱり何処にでもこういう立場の人はいるんだなあ』と思った。
マヨヒガの藍、白玉楼の妖夢、紅魔館の美鈴、永遠亭の鈴仙。これが恐らく幻想郷の苦労人4トップであろう。
「何を嫌がる必要があるのよ。貴女が思ってることをただ口に出してあげればいいだけじゃない」
「はぁ…ですが」
鈴仙は言葉を濁しながらチラチラと輝夜の方を見ている。
どうやら彼女の主の存在が本音で語ることを妨げているらしい。ぶっちゃけ、輝夜の前では言いたくないらしい。
「別に何を言っても私は怒ったりしないわよ。
イナバの言葉をイチイチ怒ったりするほど私は狭量ではないわ。分かったら早く答えてあげなさい」
ほらほら、と急かす輝夜に鈴仙はようやく心が決まったのか、口を開くことにした。
しかしこれから彼女を待つ展開が見えてしまうのは藍と妖夢の気のせいだろうか。怒る。輝夜は絶対怒る。
主があんな風に言った時に己の本心を曝け出して怒られなかった試しが無い気がする。
「ええと…『従者としての在り方』ですが、私は特に何も…ないかなあ。
とりあえず、姫様は部屋から滅多に出てこないので、何もする必要がないんですし…
従者として、何て考えることなく私は常に自然体の自分でいることを心がけてます」
「部屋から出てこないのか?そんな必要はないだろう。
もう幻想郷と外界は完全に分断されているのにか?」
「姫様は根っからの引き篭もり人間ですから…早い話、月の民とか関係無しに姫様は引き篭もりますよ。
この前だって部屋に引き篭もったまま一週間も出てこなかったんですよ?呼んでも返事もしませんし。
最近は妹紅さんのおかげで大分マシになったんですが、このままじゃ駄目人間のお手本みたいな状態ですよ」
鈴仙の話がどんどん逸れていっている事に気付き、藍はマズイなあと心の中で考えていた。
どうやら彼女は色々と心の中に鬱憤というか、言いたいことを溜め込んでいたらしい。
だから愚痴を零すのに夢中で彼女の隣で笑っている輝夜に全然気付いていない。ああ、可哀想に。自業自得というには余りに不憫だ。
そう言えば先ほど妹紅という名前が聞こえた気がするが気のせいだろうか。…まあ、気のせいだろう。
「もういっそのこと姫様も紫さんのように冬眠したり
レティさんのように春夏秋眠してしまえばいいんじゃないかと思ったりする時がありますね」
「へ~え…それはつまり私に一年中寝てろと言いたいのね。
お前は生きてるだけで資源の無駄遣いだと。成る程ね…イナバの気持ち、痛いほどに良く分かったわ」
「…え?ええええ!?ひ、姫様!?どうして私の方に近づいてくるんですか!?さっき怒らないって…
痛ーーーー!!!!耳を引っ張らないで下さいいいい!!!!耳が千切れちゃいますよおおお!!!」
「いい?物事には何事にも限度というモノがあるのよ?それじゃ少し私の部屋でお話しましょうか。
最近イナバ達とのコミュニケーションが不足していると思っていたところだし、丁度良い機会だわ」
「いやああああ!!!師匠!!助けて師匠ーーーー!!!」
「えーりんえーりん助けてえーりん♪ってね」
泣き叫ぶ鈴仙を引きずりながら輝夜は歌を口ずさみながら部屋の外へと出て行った。
その光景を眺めながら、永琳は何事もなかったかのようにお茶を啜って二人に告げる。
「貴女達、一体ウチに何しに来たのかしらね」
「まあ…良い話は聞けたよ。聞けた筈だ。そう思いたい。そう思わなきゃやってられない」
先ほど鈴仙に出されたお茶を飲みながら、藍は自分を納得させるように何度も何度も言い聞かせた。
結局、藍と妖夢がこの永遠亭で得られた結果は、美鈴と鈴仙という二人の被害者を生み出したことだけだった。
仕方が無い。これも仕方が無いのだ。美鈴はともかく、鈴仙は自業自得な部分もあるのだから。
世の中、上司から告げられる無礼講ほど信じてはならない言葉はないのだ。
永遠亭を後にした二人は、これからどうしたものかと悩み始める。
妖夢は元々藍に着いていくのが目的である為、藍の決定に従うだけなのだが、
藍としてはもう少し時間をどこかで潰しておきたかった。目的のタイムサービスまでもう少し時間に余裕があるのだ。
しかし藍にはもう他に従者が居る場所など思い当たらなかった。
「どうしたものかなあ…妖夢は他に従者が居る場所を知らないか?
出来ればというか、ここから辿り着くのにあまり時間が掛からない場所でという条件付だが」
「えっと…従者かどうかは分かりませんが、三途の川にいた小町さんが閻魔様の部下ですね」
「ううん…三途の川は少しばかり遠いなあ。
そこまで行ってしまうと、橙の為の卵が買えなくなってしまう」
「卵ですか?」
「そう、卵。私と妖夢で四パック。買い終えた後に再び並びなおせば八パックだ。
将来の橙のスタイルの為にも私は命に代えても卵を購入せねばならん」
既に藍の頭の中では最早タイムサービスの特売卵>紫の命令らしい。
否、どうやら彼女は最初からそうだったみたいだが。八雲藍、主の命より愛娘が大切なお年頃である。
ブツブツと独り言を呟き始めた藍だが、ふと何かアイディアが浮かんだのか、ポンと掌を叩いて妖夢に口を開く。
「妖夢、今から博麗神社に向かおう」
「博麗神社ですか?でも、博麗神社には従者なんていませんよ?」
「従者ならいるじゃないか。形だけとはいえ、神に仕える博麗の従者が」
藍の言葉に妖夢は成る程と納得の表情を浮かべる。
確かに博麗神社の巫女――博麗霊夢は別の見方をすれば神に仕える従者といえるだろう。
だが、妖夢は再び疑問を抱いた。果たしてあの怠惰な巫女に従者として見習うところなどあるのだろうか。
妖夢が知る限り、あの巫女はシャレにならないくらい仕事をしない。ハッキリ言うと、やる気がない。
異変解決以外で彼女が積極的に何かをしているところを、妖夢は今まで一度たりともみたことがないのだ。
霊夢が日頃行っていることと言えば、縁側でお茶を飲んでるか寝ているか。そんな巫女に一体何を学べというのだろう。
首を傾げる妖夢に、藍は笑って告げる。
「何事も自分の主観で決め付けるのは妖夢の悪い癖だな。
変なところで意外性のある霊夢のことだ。もしかしたら、妖夢をあっと驚かせてくれる光景を見せてくれるかもしれないぞ?」
「そうですか…?私は霊夢に関してだけは絶対にありえないと思うのですが…」
「妖夢、何事にも絶対というものは存在しないよ。
…まあ、私も別に霊夢にそんな期待などしていないが。博麗神社からだとタイムサービスに間に合うからな」
藍様思いっきりぶっちゃけた。信じられないくらいぶっちゃけた。
どうやら彼女の紫の命は咲夜に話を聞いた時点で終了してしまっているらしい。
「?藍さん後半の方が聞き取れなかったのですが…」
「霊夢に沢山の事を学ばせてもらおうと言っただけだよ。さあ、行くぞ妖夢」
「あ、ま、待って下さい~!」
博麗神社の方へと翔け出した藍の背中を、妖夢は必死で追いかける。
数十分の飛行を経て、二人は目的の地である博麗神社へと辿り着いた。
だが、境内にこの神社の主である巫女の姿はなく、二人は周囲をキョロキョロと見回した。
「…いないな。仕方ない、勝手に上がらせてもらおう」
「多分、部屋の中で寝てるだけだと思いますけど…」
幽々子のお使いで何度か博麗神社を訪れた妖夢だったが、その時は十中八九霊夢は昼寝をしていた。
ちなみに残りの一、ニはお茶を飲んでいた。だから今日もいつもと変わらずそうだろうと思っていたのだ。
「そうか。だったら霊夢が出てくるまで待つべきかな」
「そんな必要ありませんよ。霊夢はこっちが起こすまで絶対に起きないんですから。
霊夢ー!いるんでしょー!早く起きなさーい!」
ドンドンと扉を叩くものの、中から返事は返ってこない。
どうしたものかと悩む藍を置いて、妖夢は慣れた様子で中庭の方へと歩いていく。
こういう場合の霊夢は大抵縁側で寝ていることを知っているからだ。妖夢の予想通り、霊夢はいつものように縁側で横になっていた。
呆れるように溜息を一つ、妖夢は寝転がっている紅白の巫女の方へと足を進めていく。
「ちょっと霊夢、いい加減に起きなさ…」
「…あ……よーむ……いらっしゃい……」
「な、何か人としてヤバイくらい衰弱してるーーーーーーー!?」
これがギャグ漫画ならば背景に『みょわーーー!!』と出てもおかしくないくらい驚く妖夢。
それも当然で、縁側で寝てると思っていた巫女を近くで見てみれと、明らかに衰弱しきっているのだ。
そんな霊夢を見て、藍も驚いて慌てて声をかける。
「お、おい大丈夫か!?一体何があったんだ!?病気か何かなら今すぐ永遠亭に運んでやるが…」
「大丈夫よ……ただ、三日ばかり何も食べてないだけだから……」
「三日も!?何で食べてないんだ!?」
「お金……無いもん……雑草ってあんまりおいしくないのね……」
霊夢の言葉に、藍は思わず目頭を押さえてしまった。
不憫だ。余りにも不憫すぎる。一体何処の世界に庭に生えてる草を食べる巫女が存在するだろうか。
それは妖夢も同じ感想だったのか、なんというかこれ以上無いくらい霊夢を優しい瞳で見つめている。
このままじゃ流石にマズイと思った藍は懐から果実とお菓子を取り出して霊夢に差し出した。
「何……これ……」
「桃と饅頭だ。胃が衰弱してるとはいえ、これくらいなら喉は通るだろう?」
「でも……私、お金持ってない……」
「馬鹿っ、金なんか要るか!いいからさっさと食え!このままだと本気で死んでしまいかねんだろうが!」
ほら、と霊夢に押し付ける藍。それを霊夢は震える手で受け取り、ゆっくり口に含んだ。
その光景を見て、妖夢は不思議そうに藍を見つめていた。
「どうした、妖夢。そんな不思議そうな顔をして」
「あ、いえ、都合よく果物とお菓子を持っていたなと思いまして」
「?私は常に持ち歩いているぞ?急に橙がお腹空いたと言い出した時の為に常備は欠かさんよ。
むしろ今日は手持ちとしては少ないほうだぞ。今日は橙が外に遊びに行ってしまったからな」
サラリと当たり前の事のように言ってのける藍。くどい様だが、藍様はどうしようもない程に親馬鹿である。
その証拠にと言うように、藍は妖夢にも飴を渡す。それを受け取りながら妖夢は藍を尊敬の眼差しで見つめていた。
やっぱりこの人は従者の鏡だと。ちなみに恋する乙女は常に美化250パーセントである。
やがて、桃と饅頭を食べ終えた霊夢は助かったとばかりに身体を縁側からゆっくり起こした。
「ふう…助かったわ、藍。流石の私も今回ばかりは本気でやばかったもの。
もし今日貴女達が来てくれなかったら私は死んでいたかもしれないわね」
「頼むからこんな下らない理由で幻想郷を終わらせないでくれ…
身体の方はもう動かしても大丈夫なのか?先ほどまでは有り得ないほどに衰弱しきっていたが」
「ええ、ただ単にお腹が空いて動けなかっただけだしね。感謝するわ、藍」
笑う霊夢を見ながら、妖夢は一人思う。
確かにこの巫女は私をあっと驚かせてくれたが、こんな驚きは別に欲しくなかったなあ、と。
そんな霊夢に、藍は呆れたように大きく溜息をついて、口を開く。
「大体なんで飯が食えないほどに金が無いんだ。
いくら賽銭が少ないとはいえ、一食に事欠く程少ないわけではないだろう?」
「一食に事欠く程に少ないのよ。ただでさえ賽銭が少なかったのに、最近は商売敵まで出来ちゃって嫌になるわ」
ぷんぷんと怒る霊夢の言葉に、藍は納得した。
ああ、先ほど咲夜が言っていた何とか神社のことか、と。しょうがない、と藍は再び溜息をついた。
正直、紫様だけでも持て余しているのに、これ以上は勘弁して欲しいのだが、このまま霊夢を放って置く訳にもいかないだろう。
博麗の巫女が餓死などと最低な終わりを迎えさせる訳にはいかないからだ。
「霊夢、今から荷物をまとめてここを出る準備をしろ。
数日くらいなら博麗神社を離れても問題ないのだろう?」
「へ?別に問題はないけど…何で?」
「どうせこのままだと同じことの繰り返しだ。だから今日からマヨヒガの方に泊まっていけ。
飯も出してやるから、ゆっくりして体調を戻してくれ。紫様には私の方から言っておくから」
藍の突然の言葉に霊夢も妖夢も驚きの余り言葉を失った。藍がそんなことを言い出すとは思っていなかったからだ。
彼女の言っている言葉の意味をようやく理解したのか、少しの間を置いて、霊夢はプルプルと震えだした。そして…
「らーーーーーん!!!!!!」
「うああああっ!?!?」
「あああああああああああああ!!!!!!!!!」
博麗の巫女は涙を流しながら思いっきり藍へと抱きついた。
ちなみに最後の悲鳴は妖夢の絶叫だったりする。
「大好きよ藍!!!お願いだから私と結婚して!!!私のお嫁さんになって!!!」
「馬鹿!!いいから離れてくれ!!
何が悲しくて私が貧乏巫女の嫁なんぞにならなきゃならんのだ!!」
「そ、そうよ!!よりによって藍さんに結婚してだなんて!!そんなの私が絶対に認めないんだから!!!」
「じゃあ娘でもいい!!私を藍の娘にして!!
藍のことお母さんって呼ぶから!!橙のことお姉さんって呼ぶから!!妖夢のことお父さんって呼ぶから!!」
「呼ぶな!!私の娘は後にも先にも橙だけだ!!いいからさっさと離れてくれーーー!!!」
「お父さん…と、ということは私と藍さんが夫婦…あ、あわわわわ…そんな、いや、でも…」
「じゃあ私が橙に嫁ぐから義理の母として…」
「式神『仙狐思念』!!!式神『十二神将の宴』!!!式輝『狐狸妖怪レーザー』!!!」
「って、えええええ!?そこでスペルカード発動するんですか!?しかも三連発!?」
施し貰って即ピチューン~狂気の腋巫女霊夢~。
その日、藍の発動したスペルカードの弾幕は以前にも増してエクストラだったと後の巫女は天狗に語ったという。
霊夢に後でマヨヒガに来るように告げて、二人は博麗神社を後にした。
結局、二人が幻想郷中を飛び回ってまともに話が聞けたのは咲夜からだけであった。
「結局、大した話は得られませんでしたね…」
「そう気にすることはないさ。面白い話は沢山聞けたし、何より良い経験をさせてもらったしな」
「それもそうなんですが…結局、従者の在り方はどうあるべきなんでしょうね」
「ふふ、妖夢は本当に真面目だな。もしかして今日は本当にその答えを求めようとしていたのか?
「ええ?だ、だって藍さんは紫様にそれを学んでくるように言われたんじゃ…」
「無いよ」
妖夢の質問に、藍は何でもないように答える。
穏やかではあるは、それはハッキリとした言葉。何より重たさの感じられる言葉。
「従者がどうあるべきか、なんて問いに唯一の答えなんか存在しないよ。
咲夜には咲夜の、鈴仙には鈴仙の、そして妖夢には妖夢の答えがあるんだから。
それを一つの形にまとめようとするなんて土台無理な話だよ」
「えええ…それじゃ、紫様のご命令は…」
「さあ…紫様の事だから、私に休暇をやろうとでも思ったんじゃないか?
もしくはいつものようなご戯れか。あの方の考えていることは私如きでは本当に理解出来ないよ」
笑って告げる藍の表情を見て、妖夢は思わず見惚れてしまう。
それは主に対する絶対的な信頼をおいた微笑み。口ではそう言っているが、紫に対する親愛の情がハッキリと読み取れた。
「まあ、慌しい一日ではあったが退屈はしなかっただろう?
でもまあ、紫様に感謝しようとは思わないが。どうせなら洗濯を終えた後にしてくれればよかったのに」
「それもそうですが…何故か腑に落ちないのはどうしてでしょう」
「ふふ、それが紫様の従者を務める者の日常だということさ。
それじゃ、早く人里に向かおうか。そろそろタイムサービスの始める時間だからな」
む~、と不満げな表情を浮かべる妖夢に苦笑しながら、藍は再び空を翔け出した。
そんな藍と並んで飛びながら、妖夢は一つ藍に質問を投げかけた。
「では、藍さんは『紫様の従者とはどうあるべきか』と問われたらどう答えますか?」
「ううん…成る程、今日はその質問を投げかけてばかりだったが、いざ受け手となると答えに困る質問だな」
咲夜は答えた。レミリアの従者とは主に従い尽くすことだと。
鈴仙は答えた。輝夜の従者とは自然体であることだと。
では彼女は。幻想郷最強の妖怪、八雲紫の式である彼女は一体何と答えるのだろう。
妖夢はただ純粋に知りたかった。自分が幼い頃から憧れ続けた人の答えが。自分の目指すべき到達点にいる藍の答えが。
少し考える仕草をみせて、やがて藍は微笑みながら妖夢に答えた。
「――常に誇りを胸に抱くこと。八雲紫様の式となれたことを、従者としてお傍にいられる日々に誇りを持つこと。
それが私の従者としての在るべき姿…というより、常に心に持ち続けている信念かな」
そう。私は紫様の傍にいられることを何より誇りに思う。
同族達に捨てられた私に、紫様は全てを教えてくれた。実の娘でもない私に、紫様は惜しみなく愛情を注いでくれた。
疎まれ続けた忌み子の私を、誰にも触れて貰えなかった私を紫様は優しくその手で抱きしめて下さった。
森の中で泥だらけになっていた私を、紫様は衣服が汚れることも気にせずにただ優しく私を抱きしめて下さったのだ。
運命というものが存在するのなら感謝しよう。紫様と私を引き逢わせてくれた事に。
運命というものが存在するのなら感謝しよう。月日が流れた今もなお、紫様のお傍に仕えることが出来るこの日々を。
「藍さん…紫様のこと、愛していらっしゃるんですね」
「愛しているよ。それはどれだけ時が流れようとも決して変わる事はない。
まあ、紫様がもう少しだらしないトコロを直してくれれば面と向かって言ってもいいんだけどな」
そう言って微笑む藍の表情は、何故だか外見以上に幼く感じられた。
その笑顔につられて、妖夢も微笑む。そして、心の中でそっと呟いた。『敵わないな』、と。
きっと藍の心はこれからも変わらない。主の為に生き、主に全てを捧げ、主の傍に佇み続けるのだろう。
それはきっと一つの永遠の愛の形。二人の関係に割り込める者など決して存在はしない。
たとえそれが情慕とは違う絆であったとしても、きっと藍と紫の二人の間に割り込めはしない。
「もう…少しだけ妬けちゃいますね」
「そんな良いモノじゃないと思うけどね。
それに妖夢だって幽々子様がいるだろう?それと同じだよ」
相変わらずの見当違いな解答に、妖夢は苦笑する。
本当に鈍感な人だ。だけど、それが私の好きになった人。誰よりも優しく、誰よりも温かく、誰よりも素敵な人。
きっと自分はどれだけ時が過ぎても紫様には勝てないだろう。藍さんの中で紫様を越える人などありはしないのだから。
だけど――それでも諦めるにはまだ早い。こんなことで諦めるほど、私の想いは安くは無い。
紫様には決して勝てないだろうけど、いつかは藍さんに振り向いて貰ってみせる。想いを届かせてみせる。
「…って、あああああ!!!まだ開店前なのに既に人だかりが!!?
なんという卑劣な…そこまでして卵が欲しいか外道め!!行くぞ妖夢!!早くしなければ橙の卵が無くなってしまう!!」
「はいっ!!魂魄妖夢、お供させて頂きます!!」
このどうしようもない程に親馬鹿で、どうしようもない程に優しい狐さんに、いつの日か私の本当の気持ちを。
願わくば、この鈍感な人が私の気持ちをいつの日か受け取ってくれますように――
『藍。私の可愛い藍。貴女はこの世界は好き?』
『ゆかりしゃまといっしょなら、どんなせかいでも、らんはだいすきですっ』
『そう、可愛い娘ね。そんな藍にお母さんからのお願い。
この世界をどうか愛してあげて。この世界に生きている全てのモノを愛してあげて。
生み出されていくモノ、消えゆくモノ、今ここにあるモノ。その全てを訳隔てることなく愛してあげて頂戴。
全てを拒まず、万物を受け入れること。この世の生きる全てのモノを愛すること。
それはきっと遠くない未来、貴女に要求されること。この私の娘として生きる貴女にはきっと』
『らんはおはなもちょうちょもゆかりしゃまもみんなだいすきですよ?』
『ふふっ、そうだったわね。藍はみんなみんな大好きだものね。
藍。私の愛しい藍。どうかその気持ちをいつまでも忘れないで。
この世界に私達の居場所が無くなったとしても、追放されたとしても、決して何も恨んではいけないわ。
それが私達、八雲に生きる者の運命(さだめ)。藍は良い子だから大丈夫よね』
『はいっ!!らんはいいこだからだいじょうぶですっ!』
『ありがとう、藍…誇り高き妖狐にして、望まずして呪われし八雲の名を与えられた藍。
こんな私だけど、どうか貴女と一緒に生きることを許してね。
幼い貴女をこの手に抱いた時、初めて生きるということの意味を見出すことが出来た…本当に愚かな妖怪を。
これからの道を、私と貴女で一緒に歩いていきましょう。貴女が私を愛してくれる限り、いつまでも…』
ええ、歩みましょう。
貴女が私を愛してくれる限り、貴女が私に微笑んで下さる限り。
誇りを胸に。主従を誓いに。家族を絆に。私は貴女と歩み続けましょう。
時がどれだけ移り変わったとしても。やがていつの日か死が二人を別つとしても。
――私は歩き続けましょう。
――紫様の手を握り、貴女と二人何処までもきっと。
「ちょっと藍、今日は一体何処に行ってたのよ。
洗濯物はほったらかしだし、結界の点検には行ってないし、本当に駄目じゃないの。
主に無断で幻想郷をほっつき歩いているなんて許しがたい所業だわ。これはお仕置きが必要ね」
「紫様はどうやら食欲があまり無いようなのでオカズを幽々子様と霊夢にあげるそうですよ」
「あらそう?悪いわね紫。頂きま~す」
「ありがと、紫。遠慮なく貰うわね」
「ああーー!!嘘嘘!!冗談よ冗談!!お願いだから私のご飯を食べちゃらめえええ!!!!
ちょっと幽々子、霊夢、何遠慮なく受け取って…あああああああ!!!私の魚とコロッケがああああ!!!!」
「…ねえ、橙。私の事、お父さんって呼んでみてもいいよ?」
「?変な妖夢。藍様おかわりー!」
それはきっと、いつもと変わりない幻想郷の一日なのかもしれない。
けれど…それはきっと、何よりも愛おしいと思える――そんな幻想郷の一日なのかもしれない。
前作にも増して面白かったです。
この作品のおかげで紫様と藍が愛しく感じました。
最近ふと思ったのですが、めーりんって、この『気を扱う程度の能力』で、人気を操っている、っていう考えは無しですかね?
ちなみに、めーりんには(てか全員が)眼鏡が似合うと思っていますが何か?
藍もいいですが、むしろみょんが楽しかったですね~
あの、フィルターは何でできているんでしょうかね?w
うどんげ・・・災難だ・・・・・
今回も楽しかったです!!次回作も期待してますね!!
願わくば次は、早苗が出ることを願って・・・
みょん楽しそうですね。いろいろと。
紅魔館は既にカミングアウトしてるところで吹きましたwwww。
フラン替え歌うまいね。うん。元々はてるよだけの歌だったのにね。
面白かったです。ありがとうございました。
最後の回想シーンでやっと少し紫様のカリスマが
戻ったのでほっとしました
どうして素直に関心出来ないんだろうwwww
そして紅魔館がもう凄いことになってますね・・・。
美鈴・・・強く生きろ。
回想シーンの紫様の台詞にぐっときました。
それでこそ紫様です。カリスマが溢れてますね。
こんな幻想郷だったら移住したい
120点上げたいくらいっすよ。マジGJ!
これだけボリュームがあるのに一気に読んでしまう威力はそうそうない。
自分なりに、この作品で特に印象に残った部分を適当に繋げてみた。
『苦労人4トップがめーりんのおっぱいをSIMPLEだね☆』
意味がわからんくなったw
優劣つけるのもあれかもしれなけど、前作よりも好きかもです。
ごちそうさま。
内容長いのを忘れさせる作品ですな^^
とくに我儘な紫ば(ウオ ナニヲスルヤメ
紅魔館はいつも桃源郷。願わくば永久にこの平穏が続きますように。
あと慧音。早く墜ちろ。慧×美が見たいから。
そしてゆかりんは藍に振りまわされるぐらいが1番かわいいと思うのであります
皆様のご感想の一つ一つを興奮のあまり奔流する鼻血を拭きつつ読ませて頂いてます。
このように二作目を無事書き終えることが出来たのも偏に
皆様の暖かいご感想に背中を押して頂けたからだと思います。本当にありがとうございました。
当初の目的だった、大好きな美鈴と藍しゃまの話をこうして書き終えたので、
次回作はまだ全然考えていませんが、また皆様とこうして創想話を通じて出会うことが出来ればと思います。
もしまた変態紅魔館や逆転八雲一家に逢う事がありましたら、
『またこいつ性懲りも無く書いてやがる』と鼻で笑ってやって下さいませ。
最後にもう一度感謝の言葉を述べさせて下さい。
このお話を読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
でもその後で台無しだーw
誰でも良い・・・
美鈴と鈴仙を救いの手を・・・
しかし、回想の紫様はカリスマにあふれていました。
そして哀れいむ。
深い絆があるけど普段は・・・って感じがいいね
それでも、従者としての咲夜さんや藍様のセリフは格好よかったです。
ところで、最速の方が所々で……
あと、妹様御自重なさってくださいw
美化度が上がってるって事は相対的に藍の尊厳度が下がってるのかw
子は親の背中を見て育つってまさにね・・・w
橙がどんな子に育つか楽しみです(笑
美鈴が報われなさすぎて哀れww
あと「シリアスを台無しにする程度の能力」のレミ咲も笑いましたw
要約すると変態しかいない真面目なお話ですね、本当にありがとうございましたw
読んでて暖かい気持ちになれました
でもところどころ変体ダメ妖怪達のおかげで台無しw
あ、それと
>「ふふ、妖夢は本当に真面目だな。もしかして今日は本当にその答えを求めようとしていたのか?
藍様のセリフの鍵括弧がなくなってませんか?
と思ったら最後の一幕で陥落させられた・・。
従者<大好き主しゃま