※ 注意! 鬱展開含みます
見上げると、凝縮された青色が天高くに塗られている。
そのキャンバスの一角に、ハケで撫でたような透き通った白が塗られている。
秋真っ只中もいいところだ。穏やかな朝、心地よい一日のスタートになると思っていたけれど。
「おお、冷える。お日様も頼りないねえ」
深まってきたこの季節、朝晩の気温差も激しくなっている。久々に空高くを飛んでみたが、さすがに体にこたえるようだ。
「体は大切にしなきゃな」と、またぐ箒を前傾させて高度を下げた。
魔術の研究にも飽きてきた。がらにも無く健康を気遣うようになり、最近はふらふらと散歩、もとい散飛が日課となってしまった。何より、暇をつぶせるからだ。
このごろ、最大の敵は、暇なのだ。時間ばかり余るがゆえ、いかに暇を叩きつぶすかをきちんと考えておかないと、身が持たなくなってしまいそうだ。
「さて、今日は霊夢でもいじって遊ぶかね」
どうも独り言が増えた。立ち座り時に「よっこいせ」なんて自覚しないうちに発してないか、ふと心配になった。
箒の柄の先を神社の方向に向けて、ゆっくりと進み始める。
今日も、あくびが出るほど平和な朝だ。
紅く染まった木々を背に立つ、例の神社が見えてきた。飛べるお陰で、階段を昇らずに済むのが幸いだ。
木造のそのこじんまりとした作り、見れば見るほど味が出てくるように思えて仕方が無い。
人の趣味も変わりゆくものかなと思いながら、着地するためゆっくりと地面に近づいてゆく。
ちょうど椅子に座る時の格好のまま、箒から立ち上がる。
「んよっこいしょっとお」
浮いたままの箒を手に取り、縁側へ向かう。そして箒を逆さまにし、杖代わりに使った。
いつものように暇な朝だ。霊夢はやはりいつものように暇して茶をすすっていた。
「あらあらお久しぶり。あれ出してもらうからね、待ってて」
神社の中に向かって「あれ持ってきて、あれ」と大きめの声で呼ぶ霊夢。
その未だ美しい黒髪の中に、数本白髪が混じってるのが見えた。私はその年寄りの隣に座って話しかけた。
「とうとうぼけたか霊夢。最近、あー三日ばかし前か? 会ったばかりなのに久しぶりだなんてな」
「あんたもまあ箒が杖がわりだなんて、それこそ婆くさくなったもんよ」
互いに憎まれ口を叩くのも、全然変わっちゃいない。が、随分変わってしまったこともあるものだ。
「お前も歳拾って随分丸くなったねえ。霊夢がどつきまわした、なんてことも滅法聞かなくなった」
「同じ言葉を返すわ。あんただって、だぜだぜ言わなくなって長いわ。それに今じゃ外をほっつきまわるもふらふらで、幻想郷最速だなんて滅法聞かなくなったわね」
「いい歳したレディーがだぜだぜなんて人が聞いて笑うぜ? あと、ふらふら飛んでるのは体のためだ。外にでも出ないと、いつかおかしくなるだろ?」
会話が滑り出した頃合に、茶が出された。博麗の後代の娘か。
霊夢は娘に仕事をまかせっきりにしているのだろう、いつでもここに座っている。
「このお茶、肝臓にいいらしいわ。若い頃無茶した分、今飲んでも損はないと思うわ」
「どこも歳くったら考えること同じだな。急に体に気ぃ遣いだす」
酒を飲まなくなって久しい。妖怪どもは未だ飲み続けているらしいが、一体あいつらの肝臓はどうなっているんだ。もう一度だけでも思いっきり飲んでみたいものだ。
「それにしても、お前の後代、誰かさんの若い頃にそっくりだ。色気は無いが結構、可愛いんじゃないか?」
「歳を取っても綺麗なままなんてね。それでずっと妖怪に寄りつかれるなんて嫌よ。そんな美貌は持ちたくないわねえ。そういえば咲夜って結構な歳になってるはずなのに、あんまり老けてないのよね」
「あー、あいつは自分の時間でも操ってるんじゃないかい? へえ、歳なのに若いというと稗田のなんだっけ、あれだ、阿求は今どんなだっけな」
「それは一体いつの話よ。今は十一代目。彼女も二十歳過ぎてるし」
「おろ、そうだっけな? ついこないだまで元気してたような気がしたんだが」
同世代が続々死んでいくのはなんともいえない恐ろしさがある。「次はお前かもね」と言われているように思えてしまう。
「次はお前かもな、霊夢」
「案外そうかもね。でもまだ早苗だって死んでないけどね」
「あれ、あいつまだ生きてたのか? 絶対早死にすると思ってたんだがな、ストレスだとかで」
傍から聞くと残酷な話題かもしれないが、歳をとると何故だか生存確認も趣味になってしまった。
死が近いためか、特に気にする事ではないと思えてきたのだろう。
「早苗は多分、酒をあんまり飲まなかったからじゃない? 案外、私達のほうが先かもね」
「ああ、そうかもしれん。調子乗って飲みすぎるんじゃなかったなあ」
そう言いつつも、後悔なんかはしていない。正直、若い頃に楽しめたってだけで上等だ。
ただちょっと寿命が短くなったと思うと、もったいない気がした。
妙に生き死にについて考えてしまうのは、秋だからだろうか。
縁側から見える一本の木が寂しそうに紅葉していた。霊夢を見れば、同じくその木を眺めていたらしい。
そしてぽつりとその口を開いた。
「そういえば秋が一番多く人が死ぬ季節らしいわね。知ってた?」
「初耳だなあ。教えてくだせえな、霊夢婆さんや」
婆さんに反応したのか、溜息一つついて、それから白髪交じりが説明を始めた。
「夏は食欲がないとかで素麺ばっかり食べてたり、食べる量が減ったりで、あんまり良い栄養が取れないらしいのよ」
「それは夏バテの話じゃないか?」
「そうそう。それを引きずって、秋の気温差に対応できずにぽっくり、というのが多いらしいわ」
なるほどそうなのかもしれない。栄養不足の体では秋の激しい寒暖のリズムについていけないのだろう。
それに何となく、秋という季節は死というイメージがついてくるものだ。
「確かに気温差でやってられないってのはあるかもな。実際ここんところ、朝晩すっかり冷えこまないかい?」
「冷え込むわね。どうも冷え性だから湯たんぽ、昨日から使いだしたところ。あ、朝晩冷えてるってことは今年の椛はいいかも」
霊夢の話しぶりからすると、今の紅葉の具合を知らないらしい。
実際、ここから紅葉具合が分かるものは、目の前の名も知れぬ一本の木だけだ。
神社に閉じこもってばかりいる彼女のために、教えてやることにしよう。
「寒暖の差が激しいほど良い椛がうんぬんか。山もそろそろ見ごろってとこだったぞ」
「あら、もうそんなに?」
「ここで茶ばっかり飲んでるから分かんないんだ。大体どうやったら八十年も同じようなこと続けられるんだ。ずっとこんな事だと、それこそ呆けるぞ? そして寝たきりになる」
「呆けもしないし寝たきりにもならないけど、そうね……」
霊夢が何かを思いついたように前置きをした。この感じだと、季節にあった茸を頂戴、鍋にしましょうといったところだろう。
長いつきあいだ。これくらいは分かる。霊夢に顔を向けると、彼女もまた私を向いていた。
そして彼女は口調を変えずに言った。
「紅葉狩り、しない?」
「え? 霊夢今なんと?」
「いや、だから紅葉狩り。丁度いいんでしょ? せっかくだから今日、行きましょ?」
なんてことだ。霊夢が外へ誘うの、今まで見たことあっただろうか。
いつもは私の誘いすら断るような面倒くさがりだったような気がするのだが。
「珍しいな、そっちからどっか行こうだなんて」
「ひょっとしたら、これが最後の秋かもしれないからね」
そういうと、自嘲気味に霊夢が微笑んで続けた。滅多な冗談なんて言うもんじゃない。
彼女を視界から外し、例の木を見れば、木の葉が一枚、ぽろりとこぼれて地面に向かっていった。
不吉なものから目を離すように、もう一度霊夢に顔を向ける。
彼女もまたその老いた木を眺めているようだ。
誰かが死んだだの生きてるだの、慣れてしまったとは思ってはいたが、目の前の相手が消えてしまうと思うとやはり、心が少しばかり苦しくなる。
「今から何か食べて、それから昼頃になって、妖怪の山に行きましょうか。きりのいいところで帰って往復。あんたも暇でしょ?」
「まあ、暇だねえ。せっかくだから行こう。それにしても懐かしいとこだね、妖怪の山」
神奈子達が一騒動起こしたことがあったっけな。そんな思い出に頭をめぐらしながら、本日の予定が着々と決まっていった。
朝とは打って変わった、元気付いてるお日様を背にして老人二人が空を行く。
見下ろせば、黄色の地に赤模様の絨毯。見上げれば、真っ青な天井。
そしてまっすぐ前を見れば鮮ざやかな赤の壁。その壁こと妖怪の山に向かって霊夢とゆっくりゆっくり飛び進む。
太陽め、はりきりすぎだ。黒い帽子だと熱がこもって蒸れてくる。
「まともに日に当たったら、中々暑いもんだな霊夢」
「これでも晩は冷えるんだから嫌になるわね。魔理沙、帽子ちょっと貸してくださいな」
「年甲斐もなくリボンなんかつけといて帽子はないね帽子は」
霊夢の白髪混じりながらの黒髪でも、それ相当に暑いのだろう。
帽子はやらなかったが、彼女は不満を漏らさず話を切り替えた。
「まあ、それにしても本当に見頃で良かったわ。あんなに赤々としてる」
「たまには運動しろってことだな。で、今日はどの辺まで行くんだ? 守矢の神社が気になるんだが」
「あんた無茶する気? この時分だと、そうね、樹海を抜けるのが精一杯だと思うんだけど」
「じゃあ今日はその辺で折り返すってとこだな」
老人二人が樹海観光ツアー、か。傍から見ると連れ添い自殺に見えるかもしれない。
そんなことを考えていると、さっきは赤の壁でしかなかった妖怪の山が、木々の一本一本が識別できるほどまでになっていた。
この木々をくぐればまさに樹海だ。
「で、ここまで来たはいいが、どうする霊夢?」
「せっかく来たんだから、歩きね。仕方ないけれど危ないまねをするよりはいいわ」
「まあ、歩いたほうが風流ってもんだろうしな」
さすがに樹海というだけあって、木々が、その枝々が、複雑に絡み合っているために飛んで通過するには危なすぎる。
そうは言っても、若い頃は特急でここをくぐり抜けたはずなのだが。ああ若いって素晴らしい。
在りし日へ思いを巡らせているうちに霊夢が既に着地していたようだ。
木々の間隔の広くなった、樹海への入り口に見えるその場所で、彼女は手を招いていた。
「ほら、早く来て、なかなかすごいわよ」
今日の霊夢はやたら行動的だ。彼女の背中を見て私が動いたこと、今までにあっただろうか。
まさか本気で最後の秋などと考えているのだろうか。いや、霊夢はそう思い込むようなやつではないだろう。
私はいつもとちょっぴり違う彼女の下へ降りていった。
「ほう、これは……」
目の前に広がったその光景。
炎のトンネルとでも呼べばいいだろうか。
燃えるように赤い落ち葉が、曲がりくねった道をずっとつくっている。
その道の両側にある木、その枝の一本一本に炎の花を咲かせている。
そしてその椛は天を覆い、たくましい赤のアーチを形作っている。
炎のアーチもまた、見えなくなるほど遠くまでずっと奥まで続いていた。
視界の一面に燃えるような赤が映る。枯葉で出来ているのに、生きていると感じさせられた。
あまりに活き活きとした赤さだ。まさしく命の炎と呼ぶにふさわしい光景であった。
「来た甲斐があったというもんだぜ」
「魔理沙、口調が若返ってるわよ」
「そりゃ若返りもするさ。こんなもの見せられたんだからな」
「入り口でこれだもの。さ、奥へ行きましょう」
そう言って霊夢がまっすぐ前を見ながら奥へ歩き始めた。
私も続けて行こうとしたが、壮大な絵画作品の中へ足を踏み入れるようで、一瞬とまどってしまった。
その時、風が吹いたらしく、静寂の中に、ざあという木々の声が響いた。
一層恐ろしさを感じたが、霊夢を待たせるわけにはいかない。
私は上下左右に目をやりながら早歩きで絵画の中に飛び込んだ。
「全く、そんなに急いでどうするんだ。ゆっくりしていこうぜ」
立ち止まった霊夢に追いつき、一休み。しかしまたすぐに霊夢は歩き出した。
「私からそんなに離れたいか。何か嫌な思いをさせたというなら三百円で謝罪を売るぜ」
「そんなわけじゃないの。自然と先へ先へと進みたくなるの。それだけよ」
そこに配慮というものなどかけらも無いのが霊夢らしいといえるか。しかしあまり速く行き過ぎても良いものでもないだろう。
そこで私が注意してやることにした。
「お前な、仮にも樹海だ。迷ったらどうする気だ? 呆けた頭じゃ道を完璧に覚えるなんてできっこないぞ」
「珍しく弱気ね。本当に迷うと思う? 後ろを見てごらん」
霊夢が振り返り指を差す。つられて振り向いてみれば、曲がりくねった紅葉の道の最後に青々とした外の景色が見えた。
生命力を持て余した赤で包まれた、整然と浮かび上がる青。これもまた活気がつく光景だ。
いや、今はそういったことが重要なのではない。要するに遠くからでもはっきり出口が見えるということだ。
「なるほどこれなら迷う心配もないか」と前に向き直り、また歩き進む。
分け入っても分け入っても赤い山。そうはいっても同じような光景ばかりで不満というのではない。
むしろ一つ一つの景色で異なった情景を映しだされ、なるほど霊夢のように次々に進みたくなる気持ちも分かる。
風に吹かれて葉が揺れ、その時にそそがれる光の束。それに照らされ、より鮮明に燃える落ち葉の赤。
風が止まり、日が注がれなくなり、膨れ上がる静寂の中に見える落ち着いた赤。
同じ赤でも随分と違った表情を見せてくれる。その赤が上下左右とぐるりと私を取り囲んでいる。
そう思うと、やはり一瞬一瞬の、そしてその場その場の見所を逃すまいと、じっくり進みたくなる自分の気持ちも分かる。
同じ道ながら、楽しみ方は人それぞれ、ということか。
「なあ霊夢、この辺の椛もまた、燃えるようでいいと思わないか?」
「私はどっちかっていうとあの木の幹がいいわね。枝の伸び方も繊細できれいと思うんだけど」
私の想像以上に人それぞれであった。
束の間の意見交換が終わり、視界を前にもっていくと樹海にどうやら先客がいるのが見えた。
そのまま歩み近づいてみると、先客のくるりくるりと回っている様子がはっきりと分かった。
こちらに気付いているのかいないのか、声をかけてみることにした。
「よお、久しぶりだな。お前は確か……あれだ。雛であってるか?」
そういうと相手は華麗に回り終え、スカートが彼女の体に一旦巻きついて、そしてねじれが戻った。
随分、綺麗に舞うもんだ。
霊夢を見ると、今度ばかりは立ち止まり、彼女の姿を懐かしがるように眺めていた。
「雛であってるわ。お二人とも本当、歳取ったわね」
神からすれば人間の歳の取り方が速く見えるのだろう。実際、雛は今でもみずみずしく整った体つきのままだ。
そう思っていると、霊夢が雛に答えた。
「余計なお世話ね。で、あんたはここで何をしてたの?」
「いつも通り厄集めってところよ。どう、あなた達の厄も集めてあげようか、長生きするわよ」
「巫女が厄なんか持っててどうするのよ。遠慮しとくわ。ほら、魔理沙、行くわよ」
霊夢があっさりと会話を終わらせ、また先へ先へと進み始めた。しかしそのまま雛を置いていくわけにもいかないだろう。
少しばかり雛と話を続けてから霊夢を追うことにした。
「ごめんな雛。いま紅葉狩りしててな、霊夢は妙にどんどん進みたがるんだ。悪気があるんじゃあない」
「そんなこと気にしてないわよ。ところで魔理沙、あなたの厄も集めといてあげよっか?」
「霊夢を待たせるから私も遠慮しとく」
「あっ、そう! じゃあ最後に一つ忠告しておくけれど」
そういうと雛はまたくるりと回り始めて言った。
「二人とも結構な厄が溜まってるの。短い時間ながら吸い取ってあげたけど、まだ残ってる。近いうちに祓っといてもらいなさい」
そして雛は回りながら樹海の脇道へ入っていった。
厄が残ってる、なんて言われると気味が悪いものだ。あとで神社で祓ってもらうことにするか。
前を見ると霊夢はここからそんなに離れていないのが分かる。そこで立ち止まっているようだ。
雛のせいかどうかわからないが、少し冷えてきた。そろそろ予定では折り返しといったところか。
霊夢の下へ歩き近づいていると、川の流れる音が聞こえてきた。
終始地面を見がちな老いぼれ視線を前にやると、なるほど川岸らしいところが見える。
どうやら樹海を抜けたらしい。霊夢に追いつき、二人して立ち止まる。
そしてどこともなく座り、束の間の休息と川の観賞をすることにした。
「三途の川よ、魔理沙。渡ってみなさい」
「変な冗談なんて言うもんじゃないぞ全く」
川は橙色の光で輝き、穏やかに流れている。彼岸花は無いが、代わりにすすきが川岸に生えていて、風に揺られていた。
時の流れも速い。空を見れば既に暖かい赤色に染まっていた。秋のつるべ落としとはよく言ったものだ。
ゆるやかな川を見ながら霊夢が言う。
「今日はこれを楽しんで帰りましょうか。すっかり寒くなってきたことだし」
「そうだな。せっかくここまで歩いてきたんだ。しっかり目に焼き付けておかないとな」
朝に寒暖の差が激しいと言ったが、特に夕刻からの冷え込みが厳しくなってきている。
時折吹いてくる風も冷たく乾いたもので、すすきも寒そうに震えている。
輝く川水はこの時間のようにのんびりと、ただただ流れている。
余りの秋らしさに、そしてここまでの疲れを癒すように、私は溜息を一つついた。
弁当でも持ってくれば良かったのではないだろうか。外で、しかもこういった景色をみながらの食事は格別だ。
弁当は無いが、今はもう少しだけこの自然を味わっておこう。
すすきの中から虫がきりりと声を上げ、また水音だけの空間になる。
すすきが、乾ききった木枯らしに吹かれて身を屈した。そして川の水面に波ができ、橙色の輝きが不安定に揺られはじめた。
ふと、寂しい。
「なあ、霊夢」
そう言って隣を見た。
霊夢の姿が、無い。
私を置いて勝手にいくなんて。そう思いながら箒を使って立ち上がる。
そして振り向き、霊夢の後を追う。
思ったよりその姿は遠く、椛の葉一枚分に隠れてしまいそうなほどだった。
もう一度、椛で包まれた赤い空間に立ち入る。
「霊夢、おうい、霊夢、待てったら」
返事は返ってこず、霊夢は背中を向けたままずっと先にいる。
「待てったら。聞こえないのか? 待ってくれよ」
もう一段階大きな声を使うが、霊夢はやはり背中を向けたまま、はるか先にいる。
自然と早足になる。落ち葉が踏まれ、壊れる音がはっきりと聞こえる。木枯らしが一段と強くなる。
「霊夢、霊夢ったら!」
もう一度声をあげたその時だった。
強烈な赤の光が目に飛び込んだ。目がくらみ立ち止まってしまう。
瞼を閉じ、ゆっくりと開けると、夕日に向かう霊夢の姿があった。
それは余りに赤すぎる光景であった。
巨大な夕日が樹海の出口一杯に立ちふさがっている。
その真っ赤な光に照らされ、落ち葉も、天を覆う椛も、全てが燃え上がるような赤に変わっていた。
鮮明すぎる、血のような赤の世界に、私は止まっていることが精一杯だった。
延々と奥まで続く炎のアーチの下にいる霊夢が。
地平線まで続くような燃えさかる絨毯のような落ち葉の上にいる霊夢が。
そして、沈み、ゆらゆらと揺れながら燃焼する夕日に向かう霊夢が。
赤達に今、溶け込もうとしていた。
霊夢は赤の世界に同化し、消えかかっていた。
彼女にその赤が、燃え移っていた。
蝋燭の炎は、ひとしきり強く燃えてから消える。
ふとそんなことが頭に浮かんでしまった。
「霊夢!」
しわがれた声で強く叫んだ。
するとようやく気付いたのか、霊夢は振り向こうとした。
振り向こうとした、のだが、そのまま地面に倒れこんでしまった。
足が勝手に動いていた。その時、木枯らしがもう一度吹き荒れた。
椛の葉が一枚、落ちた。
構わず歩を進める。霊夢はまだ、ずっと先だ。
椛の葉がまた、はらはらと落ちてくる。
駆け足になった。が、その足がすぐに止まってしまった。
一斉に、椛が降り注いだのだ。
視界が全て葉で奪われる。動くことができない。
波のような葉の音が響き渡る。
右を見ても、左を見ても、はらはらと舞いながら落ちる葉ばかり。
その落ち続ける葉のうねりの中心に私がいた。
圧倒的な光景に、座り込んでしまった。
葉音が静かになった。
残った葉が、二、三枚だけ、名残惜しそうに地面に向かいながら、ふわふわと落ちていった。
あの燃えさかっていた椛は全て木から離れていた。
木々はただ、寒そうに枝を伸ばしているものばかりとなった。
見上げても天井はなく、ぽかんと空が見えるだけ。
日がすっかり落ちかかり、その弱い光で、地を覆う落ち葉は全て生気の無い焦げ茶色となっている。
そして頭だけ見える日を背にしているはずの霊夢が、どこにもいなかった。
霊夢が消えていなくなってしまった。霊夢はもう、いない。
なくなってしまったこの場所。涙が一粒、あふれてしまった。
「ああ……、ああ!」
私を置いて勝手にいくなんて。私を置いて勝手にいくなんて。
握りこぶしを作り、落ち葉を殴りつける。手ごたえの無い柔らかい感触がかえってきた。
ずっと私の先を進んでいって。こんなことまで先をいかなくていいではないか。
どうしてこうなったのか。私が帽子を貸さなかったからか。厄が残ってたからなのか。
やはり秋はぽっくりいきやすいのか。分からない。ただ理由を見つけてやり場の無い気持ちをぶつけてやりたかった。
「どうだった? 私の紅葉ショー」
素っ頓狂な声が聞こえ、顔を上げる。静葉といっただろうか、いつかに会った神がいた。
「どうだったもくそもあるか! 何なんだ一体……」
「せっかく私の力で旅の終わりを美しくしてあげたのに、そんな言い方はないと思うんだけど」
紅葉を司る力で終わりを演出してやったというのだろうか。
「恩着せがましいやつめ」
「むう、不満みたい。紅葉の魅力が分かってない。せっかくなのにもったいない。教えてあげる」
彼女が霊夢を殺したわけではない。しかし無性に腹がたつ。そっぽをむいてやった。静葉はそのまま続けた。
「紅葉は終焉の象徴。だけど寂しさの象徴でもあるの」
「ああ寂しいとも。それで何が良いっていうんだ」
「だって、なんで寂しいかっていうと、立派に紅葉してたからよ」
意味が分からない。というより、今は身に起こることを頭に入れたくなかった。
「美しく紅葉してたから、いざ散るとなると寂しいの。でも、その時だって美しいじゃない」
静葉のほうを見ると、熱をいれて話している様子が見えた。
「だからずっと美しくいられた。寂しいけれど、終焉まで美しくいられたなら、本望なはずよ」
私は箒を手に取って立ち上がった。静葉は構わず笑って言った。
「だから、寂しくても、旅の最後まで笑顔でいてほしいと思うの」
「知るか! 霊夢はまだ最期じゃない!」
言って箒にまたがり、静葉の横を突っ切る。
死んでなんかいるものか。死んでなんかいるものか。
先ほどまで霊夢のいたところまで全力で飛ぶ。
左右に流れる景色が分からなくなるほど加速する。
瞬間、腹に鈍痛を感じた。視界が揺らぐ。
そのまま地面に向かっていく。柔らかい落ち葉に背中を打ちつけた。
木の枝に腹をぶつけたらしい。その痛みが次第に増していき、身悶える。
腰を痛めた上に箒もどこかへ飛んでいったお陰で、立つ事すらできない。
あふれ出す痛みに意味のなさぬ声が漏れた。
情けない自分の姿。それを思うと、先ほどの言葉が頭に浮かんできた。
最後まで美しくいられたらいい、か。
霊夢は確かに美しく最期を迎えたのだ。あの壮大な自然の中に消えていったのだ。
それはきっと悲しいことではない。誉れなことなのだ。だからこそ、笑っていよう。
そう考えると、彼女の死を快く受け入れられる気がしてきた。
だが自分はどうか。
腰を痛めて動けぬまま死を迎えるというのか。なんてみすぼらしいのか。
空を見ればすっかり夜になっていた。月ひとつ無い、闇夜である。
その余りの静けさに、落ち着きを何とか取り戻した。ゆっくりと目を閉じる。
最期の瞬間まであがいてやろうではないか。せめて美しく終わるため、笑って死のうではないか。
そう思えたのである。
この世から離れると思うと、確かに寂しい。が、これも運命なのだろう、どうしようもできないことだ。
どうしようもできないことを嘆いても仕方ないではないか。
そうだ。他人の死を受け入れるかどうより、まずは自分の死を受け入れないといけないのだ。
全身の筋肉が弛緩し始める。意識が段々ぼやけてくる。
私は自らの死期を悟った。ああ、悟れるものなのだなとぼんやりと思う。
悔いは、無い。悔いはないのだから、笑顔だ。
ざくりざくりと足音がする。夜を歩く死神の足音だ。
あの世に行っても笑って過ごしていよう。
さあ死神よ、連れて行ってくれ。笑って話してみようじゃないか。
「お迎えに来たわよ」
そうか、やはりお迎えか。極上の笑顔でこちらもおもてなししてやろう。私からも口を開いてやった。
「死神さんや、早く連れていきな。地獄の果てまで一緒に行こうじゃないか」
「そろそろ呆けてないでさっさと起きなさい。それとも立てないの?」
「え?」
嫌な予感がする。非常に嫌な予感がする。なので、目を開けてみた。
「れ、霊夢! 霊夢! お前、お前、死んだんじゃあ……」
「そういうのは私の死体でも見てから言ってちょうだいな」
あまりの出来事に、脳の処理が追いつかない。
「何か死神がどうたらぶつぶつ言ってたからとうとうおかしくなったかと思ったわよ」
「え……?」
「しかも倒れてるのに一人でずっとにやにやしてるんだもの。なかなか面白かったわよ」
「うわあ……うわあ、何なんだよ、お前がてっきり死んだかと思って! それで! さっきお前倒れたじゃないか!」
「あら、こけたとこ見られてたのね。恥ずかしい」
「何だよ、何で生きてるんだよ! ああもう損した、一杯損した」
しかもあんな訳の分からないところをじっと霊夢は見ていたのか。
歳をとっても変わらない奴だ、全く。恥ずかしいじゃあないか。
「で、それはいいとして立てるの? なんだかんだでうなってたから心配したんだけど」
「こっちのほうがよっぽど心配したぞ! あ、ああ、それと立てない。箒も無い。立てても多分歩けない」
「そう。それじゃあ……」
そう言って霊夢が背中を向けた。
「おい、お前まさか……」
「霊夢タクシー。乗ってきなさい」
冷える夜だが、霊夢の背中が温かい。見上げれば、きらめく秋の星々。
ひとまず神社までと注文し、運び運ばれる老人二人。こいつの腰のほうが心配だ。
今日一日を振り返り、霊夢に一つ尋ねてみることにした。
「なあ霊夢、仮に明日、私が死んだとしたらどうする?」
霊夢は顔だけをこちらを向かせて、少し考えて答えた。
「普通に縁側でお茶でも飲んでるわ」
「それを聞いて安心した」
「冗談だったのに、言ってる意味が分からないわ」
そう言いながら、霊夢がまた前を向いて、笑いながら言った。
「あなたがいつ死んでも構わないわよ」
「お前こそな」
きっと、死ぬ時も死んだ後も私は笑顔でいられるだろう。
星が散りばめられた夜空を見上げる私は、今もやはり笑顔であった。
ある意味シュールで不思議が笑みが零れる話でした。
もし鬱にしたいなら、歳を取る事の惨さをもっとえげつなく伝えるべきだったと思います。確かに対比として歳をとらない妖怪が出ていますが、印象に欠けていたかと。(決して歳を取るのが悪いといっている訳でなく、そのような方向性にするならば、です)
あと、稗田はそうポンポン転生せんでしょうw
静葉と魔理沙の会話は面白かったです。
稗田のことは独自設定でしょうか?違和感を感じてしまうので、説明がほしいと思いました。
あと、稗田は30くらいで死んで転生に数百年かかるって話だったような……
霊夢と魔理沙の掛け合いは面白かったです。
死ぬぞー死ぬぞーと思わせてそうならないのを狙ってみたものの
冒頭にあれだとやはり期待を外してしまうみたいですね。
また一つ勉強。
阿求さんは30生きられない程度というのが頭に残りすぎて
転生のほうがまったく頭に入っていなくて
二つ勉強。
そして何より読み手がいて嬉しかったということが
三つ勉強。
精進です。精進です。
欝だったら100点だけど欝からちょっとずれてるからこの点数で