※ 違和感注意
クルクル回り続ける。
己の目的を果たす為に。
冬の空、ただただ孤独に、ワルツを踊るように。
厄よ集まれ我が身を糧に。
厄よ集まれ己の下に。
厄よ集まれ、我が身を満たせ。
「……困りました」
妖怪の山の空。ただただ回り、周囲にあった厄を集め終え。
八百万神、鍵山雛は、回るのをピタリと止め、悲しい顔をしながら、困り果てたように呟く。
「厄が、全然足りません…」
いつもなら妖怪の山に籠もり、延々と集め続けられたのに。
今年の厄は、あまりにも少ない。
周囲にはいい事なのかもしれない。厄が少ないという事は、それ程自分が集めるまで、不幸な事が起こっていなかったということだろう。
だが、自分にとっては足りない。
「…折角神社がお立ちになったというのに…」
雛は妖怪の山に最近越してきた、守矢神社の存在に当初喜んでいた。
神社といえば厄を落とす所、厄払いされた厄を自分が集めれば、もっとより多くの厄を集められると思っていたからだ。
しかし、現実は、そう上手くはいかないようだ。
雛は少しばかり勘違いしているが、あくまで守矢の神社は、八坂神奈子の信仰を集める為に、建てられた神社である。
巫女もいなく、風祝の者である東風谷早苗しかいない神社に、厄を落とす作法があるかと言われれば、疑わしい事だ。
「どうしましょう…」
妖怪の山で足りないのなら、他の場所で、厄が多く噴出している可能性がある。
雛が妖怪の山付近を根城にしていた理由は、単に、妖怪達が住まう山が、一番多く厄を溜め込んでいた為であり、それが少ないとなれば、他の所に行くべきだろう。
けれど、一体何処へ?
「……神社と言えば…」
以前、この妖怪の山に来た、巫女の事を思い出す。
博麗神社に住まう、あの巫女の所ならば、もっと、より多くの厄があるのではないか?
そう思い、雛が決断するのは早かった。
妖怪の山からふよふよと飛んでいく。
行き先は、あの巫女が住まう、博麗神社へ。
空は澄み渡る青空に、爛々と太陽が照らしている。
まだ冬ではあったが、もう季節は春と言ってもいいぐらいに、陽だまりの暖かさがあった。
その空の中、博麗神社の巫女である博麗霊夢は、神社の掃除をしていた。
いつもの脇が見える巫女服を着用し、長い黒髪をリボンでとめ、手に箒を持ち、黙々と、ゴミを神社の中央に集める作業を繰り返していた。
「ふぅ……」
昼を少し回ったぐらいだろうか。
いつものごとく、神社としてはよくはないが、参拝客もいなく、自分に会いに来る妖怪や、吸血鬼も今日はまだ見えていない。
する事と言えば、神社の掃除に、縁側でお茶を啜るぐらいだ。
その一つをただただ繰り返し、程なくして掃除は終わった。
「掃除も終わった事だし、お茶でも飲もうかしら」
一人呟くように、霊夢は箒を片手に神社の中の方へと歩き戻ろうとする。
誰か来るとすれば、自分がお茶を飲んでいる時だ。友人である魔法使い、霧雨魔理沙なんかは、お茶を飲みに来る為だけにお茶の間の時間に来る時だってある。
そう思い、いつものように、箒に跨って飛んでくるんじゃないかと、霊夢は空を一度見た。
「……ん?」
霊夢は、空を見て首を傾げる。
魔理沙ではなかったが、遥か上空の空に、何かがいた。
目を細め、霊夢は太陽の下、クルクルと回る何かを見る。
「あれって……」
見えるのは以前、妖怪の山に行った時に出会った、神様の一人。
「…何やってるのかしら?」
神社の上で、クルクルと回り続ける雛を見て、霊夢は疑問を浮かべる。
彼女は確か、厄神と呼ばれる類の、神のはずだ。
「……聞けばいい事ね」
少しばかり考えたが、本人に直接聞けばいい事だろう。
霊夢は神社の賽銭箱に、手に持っていた箒を置くと、そのまま地を蹴るようにして、雛が回っている空へと飛んだ。
「~♪」
雛は、喜々とした表情をしながら博麗神社の周辺を漂う厄を集めていた。
妖怪の山を出て、真っ直ぐここに飛んできた雛だったが、思っていた以上の厄が博麗神社にあり、すぐに厄集めを始めたのだ。
クルクル回りながら集まる厄に、雛は満たされていく。
「ちょっと、神社の上で何してるのよ?」
「…え?」
だが、喜々とした表情は、横から聞こえてきた声に、すぐに消えうせる。
回るのをピタリとやめ、声のした方に振り向けば、いつぞやの巫女の姿が視界に映る。
自分が回ってたのを見てやってきたのだろうか。
「見て、分かりませんか? 厄を集めてるんです」
「えぇ、それは見ればわかるわ」
霊夢はビシっと雛に指差し、言葉を続ける。
「何で、神社の上で厄を集めているのよ?」
「…? ここに厄があるからですよ?」
「……妖怪の山の厄はどうしたのよ」
霊夢は厄があるという言葉にピクリと眉を寄せたが、口調は静かなままであった。
「妖怪の山の厄は集めました。ですが、あまりにも少なかったので…」
「ここに来たって事?」
霊夢の言葉に雛は頷く。
「…そんなに、神社の周りは、厄があったのかしら?」
「はい。貴方の眼から見えていないだけで、ここには多くの厄がありますよ」
雛は喜ぶようにその事を話すが、霊夢は溜息を吐いて、腕を組む。
「いい事ではないわね。…ええと、鍵山雛だったかしら? 貴方の名前」
「名乗った覚えはありませんが、合っています」
「文から以前聞いたのよ。……そうね、ちゃんと名乗った覚えはないけど、私の名前はわかるかしら?」
「博麗、霊夢さんですよね?」
雛は霊夢におずおずと、間違ってないか聞いた。
「ええ、合ってるわよ。雛、悪いのだけど、その厄集め、下でやってもらえないかしら?」
「…? 何故でしょうか?」
雛は首を傾げる。厄を集める行為を止める気がないのなら、空でやっても地上でやっても同じ事なのに。
「自分の目に映る範囲に、いてほしいだけよ」
「…はぁ」
霊夢の言葉に雛はどうしようか迷う。
厄を集める行為を空でする事と、地上でする事はそこまで大差はない。
だが、地上でするという事は…。
「……貴方に、災厄が降りかかる可能性がありますが?」
雛は目の前にいる霊夢を心配する。
「離れてないといけないって事かしら?」
霊夢はそんな雛の言葉を笑ってみせる。
「大丈夫よ。私は」
霊夢は雛の災厄が降りかかるという言葉を、はっきり言って、甘く見ていた。
不安げな表情のまま神社へと降りる雛に続き、霊夢も地面に降りた途端。
―――ブチ
「へぶぅ!?」
何かが切れる音と共に、思いっきり顔から地面へと、口付けするはめになった。
「いたたた……なん、なのよぉ…」
咄嗟に受身を取ろうとしたが、腕と顔をしたたかに打ち、霊夢は涙目になるのを堪えながら、何故地面に倒れるはめになったのかの原因を見た。
足元から音がしたそれは、草履の鼻緒が切れる音だったようだ。
脳裏に先ほど雛が言った言葉を思い出す。
「だ、大丈夫ですか?」
雛の方に顔を向けてみれば、心底心配したような顔をして、霊夢を見おろす姿があった。
「だ、大丈夫よ。ちょっと、切れる物が、とうとう切れただけよ」
早々切れる物でもないが、霊夢は笑ってごまかす。
地面から立ち上がり、まだ鼻緒が切れてない方の草履で片足で立ち、ピョンピョンと跳ねるように神社の方へと飛ぶ。
―――ブチ
「あっ」
音を聞いた瞬間、霊夢は悟り、咄嗟に腕を前に突き出した。
今度は顔からダイブはせず、受身を取るように、地面に転がって見せる。
「……」
無言でサッと草履を見てみれば、見事に先ほどと同じく、鼻緒が切れていた。
「あ、あの…やっぱり私、上で厄を集めます!」
鼻緒が切れたのを見た雛が、自分のせいだと思ったのか。
急ぎ再び空に飛ぼうとしたが。
「まちなさい」
霊夢は咄嗟に雛の赤と黒を基調としている長めのロングスカートの端を掴み、飛ぶのを止めた。
「別に、貴方のせいじゃないわよ。これもただ単に、“偶然”鼻緒が切れただけよ。ええそうよ」
霊夢は立ち上がり、自分に言い聞かせるようにそう言うと、不安げな表情をしたままの雛に微笑み、手に、履いていた草履を握る。
「いいから、ここで厄を集めなさい」
霊夢は雛にそう言うと、神社の方へとゆっくりと、歩いて戻った。
そのまま神社の中へと戻り、縁側に壊れた草履を置き、不安げに立ちすくんだままの雛を一瞥しつつ、縁側に腰を下ろした。
雛は腰を下ろし、じっとこちらを見つめたままの霊夢を、おろおろと見ていたが、当初のここに来た目的の為に、空で回っていたように、クルクルと回り始める。
霊夢は、雛が回る様をじっと見つめ続けていた。
いや、回る様をじっと見つめ続けていたのだが、動けないと言った方がいいだろうか。
先ほど草履の鼻緒が切れたのを見る限り、雛の災厄とは、霊夢にとって、何らかの不幸が起こるという事で、合っているはずだ。
ならば動かなければ何も起きないのではないか?
自分の行動そのものが、何らかの、災厄の引き金になっているのではないかと思い、霊夢はお茶も飲まず、ただ雛が回る様を見続ける。
空で厄を集めさせるのもいいかもしれないが、もしそれでも災厄が自分の身に起きれば、それはそれで癪に触る。
何より、雛の不安げな表情を見て、つい呼び止めてしまったのもあった。
「……はぁ」
霊夢は溜息を吐く。目の前で回る雛の表情は、先ほどとは打って変わって、徐々に喜々とした表情に変わっていた。
素人目で見てもわかるほど、彼女の中に、厄が集まっていくのが見える。
神社にこれ程の厄が集まっていたのかと思うと、溜息も吐きたくなるものだ。
※
数刻、雛の回る様子を見ていただろうか。
厄を集め終えたのか、回るのをピタリと止めた雛は、息を弾ませ、喜々とした表情は崩さずに、その場に立ち尽くし、空を仰いでいた。
「ん、集め終わったの?」
霊夢は雛が止まった姿を見て、声をかけるが、草履が両足共先ほどの事で壊れている為、駆け寄る事もなく、縁側に座ったままだ。
「…はい、集め終えました」
声をかけられた雛は、霊夢の方にゆっくりと顔を向けると、嬉しそうに答えた。
「そう。なら一緒にお茶でも飲まない? 神社の厄を集めてくれたお礼ってわけでもないけど」
霊夢は雛のその様子を見て、縁側から立ち上がる。
「…え?」
だが、嬉しそうな表情は何処にいったのか、驚いたように、雛は首を横に振った。
「だ、駄目です! 私とこれ以上一緒に居ては…! 直ぐにここから離れますから!」
「大丈夫よ。さっきの事なら気にしなくていいし、それとも、私とお茶を飲むのは嫌かしら?」
「そ、そういうわけじゃ…」
雛は、霊夢の言葉に首を横に振り続ける。お茶を飲む事自体は、別に嫌いではない。
けれど、自分の身に先ほどより多くの厄を集めているせいか、よりいっそう、雛は霊夢に、拒絶の意志を見せていた。
「縁側に座って待ってて。直ぐに用意するから」
霊夢はそれだけ言うと、神社の中に引っ込む。
「ど、どうしましょう」
雛は困り果てたように、神社の中へと引っ込んだ、霊夢の姿を見送り、どうするべきか考える。
自分の言葉の通り、すぐに離れるべきなのはわかっている。
厄神である私は、身近にいる者全てに、厄を落としてしまう。
偶然草履の鼻緒が切れただけと、霊夢は言ったが、あれは、私がいたから起きた現象だ。
今は、博麗神社にあった厄まで私に集まってしまっている。
そんな状態で、一緒にお茶を飲むという行為が、出来るはずがないじゃないか。
「……」
霊夢も、それはわかっているはずだ。それを踏まえた上で、私を誘ったと考えれば、何か考えでもあるのだろうか?
「? あら? まだそこで立ってたの?」
どれぐらい、立ち尽くしていたのか。
程なくして、霊夢が神社の縁側から戻ってきてしまう。
「…あ、あの……」
「つっ立ってないで、こっちに来たら? お茶請けもあるし」
霊夢はお盆を手に、湯飲みを二つと、煎餅を持っていた。
縁側に腰を下ろし、お盆を横に置き、立ち尽くす雛に手招きする。
「…はい」
雛は、結局、流されるままに霊夢の横へと、縁側に座った。
横に座る雛を見て、霊夢は中が空になっている湯のみに、お茶を注ぐと、雛に渡す。
「はい、熱いから、気をつけて頂戴」
「あ、ありがとうございます」
注がれたお茶を、いつになく、真剣な眼差しで受け取った雛は、身を強張らせつつ、口に運んだ。
「………おいしい」
程よく身体を動かしていたせいか、熱いお茶を飲んだ雛は、ほっと一息吐くように感想を零す。
「そう言ってくれると、嬉しくなるわね」
霊夢は雛の様子を見て微笑むと、自分の湯飲みの方にもお茶を注ぐ。
―――バキッ
「…あら?」
注ぎ始めた湯飲みから、欠けるような音が聞こえてきた。
霊夢は、おそるおそる、何か、欠けたような音が聞こえた湯飲みを手に取り、顔を近づけ、目を細めた。
「…参ったわね」
まさかと思ったが、見事に湯飲みにヒビが入ってしまっている。
これでは、お茶を注いでも、ヒビ割れた部分からお茶がこぼれてしまう事だろう。
「…やっぱり、私が居ると…」
「ああ、もう。何でもかんでも自分のせいにするのはやめなさいよ。聞いてて嫌になるわ」
湯飲みがヒビ割れたのを見て、顔を俯かせて落ち込む雛に、霊夢はうんざりするように、溜息を吐いた。
「でも…私の能力のせいで、周りに厄が…」
「それなら、離れなくてもその厄を受けないようにするとか、考えなさいよ」
霊夢は自分の言葉に何かピンと来たのか。
「そうだ。雛、貴方のその厄って、貴方には、何も影響がないの?」
「…? そう、ですが? それが何か…?」
「なら、完璧に密着すれば、私にも影響が出ないんじゃないかしら?」
雛はその言葉に、思考が固まった。
完璧に、密着というと、肌を重ねるという事だろうか。
目の前にいる霊夢を見て、想像し、雛は顔を赤くしてブンブンと首を横に振る。
「そ、それは、やった事がないから、わ、わかりませんが…」
「物は試しよ。試した事がないなら、なおさらやってみるのもいい事だわ」
霊夢はヒビの入った湯飲みをお盆に置くと、すっと立ち上がり、雛の後ろに回ると、縁側に座り直し、両足を広げて、後ろから雛に抱きついた。
「れ、霊夢さん!?」
「何よ、驚いた声なんかあげちゃって」
抱きついたまま雛の肩に、霊夢は顔を乗っけると、そのまま空いた手で、お盆に置かれた煎餅を手にとって食べ始める。
雛は顔を紅潮させたまま、湯飲みを両手で持ち、身体を強張らせたまま、霊夢の横顔を見る。
「ゆ、友人でもないのに、こんな事をするのは…」
むしろ、友人でもこんな行為は、しないだろう。
「うん? 恥ずかしい?」
霊夢はきょとんと、雛の顔を見て首を傾げる。
「あ、貴方は、恥ずかしくないのですか…?」
霊夢の平静な装いに、雛は質問を質問で返してしまう。
「うーん…湯飲みがヒビ割れて、雛が落ち込むより、いい考えだと思ったのだけど」
ボリボリと、煎餅を咀嚼して、霊夢は、雛の言葉に返す。
「落ち着かないならやめる? 今のところ、目立った不幸は起こってないけれど」
霊夢の言葉に、雛は言葉を詰まらせる。
事実、雛に抱きついてから、霊夢には何も影響が出ていない。
さっきまでの事を考えると、このままお茶を飲むなら、こうしていた方が、霊夢にも迷惑をかけずに済むのは、確かなようであった。
「……霊夢さんが、恥ずかしくないなら、このままでいいです」
「そう、ならこのままお茶を飲みましょ」
霊夢はニコリと笑うと、雛の肩に顔を乗っけたまま、澄み渡る青空を、眺める。
雛は、自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じながらも、急ぎ、注がれたお茶を飲み始めた。
入れたお茶はまだ熱く、少しずつしか飲めない。
雛は、後ろで自分を抱きしめる霊夢の心臓の鼓動を背中で感じ、重なる肌の暖かさに、顔を紅潮させてしまう。
厄神である、雛にとって、他者と触れ合う事は、初めての体験だった。
自分は、いつも孤独に厄を集めている存在だったというのに。
どうして、この巫女は、図々しくも、私に構うのか。
「んー、やっぱ煎餅だけだと喉が渇くわね……」
雛の肩に顔を置いていた霊夢は、ふと、空へと向けていた視線を、雛が飲む湯飲みへと落とす。
「雛、ちょっといいかしら?」
「え?」
落ち着かない様子で、身体を強張らせていた雛に一声かけると、霊夢は雛が持つ湯飲みに手を重ねる。
そのまま雛の両手毎自分の顔へと持っていき、ズズズっと、雛が飲んでいたお茶を啜った。
「な…」
「ふぅ…」
雛は、口をわなわなと震わせて、より、顔を赤くした。
「れ、霊夢さん。それ……私の…」
ようやく、雛の口から出た言葉に、霊夢は、きょとんとしつつも、雛の湯飲みから手を離していた。
「ん? ああ、煎餅食べたら喉が渇いちゃって。別の湯飲みを居間に取りに行くのが面倒だったから」
「……」
雛は、霊夢の落ち着いたままの様子に、言葉をなくしてしまう。
今、私の湯飲みを取って飲んだという事は、間接キスだというのに。
これでは、まるで私が恥ずかしい事だと思っているだけじゃないか。
顔を赤くしたままの雛は、じっと、霊夢が口を付けた湯飲みを凝視し、自分も口を付けて飲んでみせる。
「…ん」
熱い痺れに、緑茶独特の苦い味を口内で味わいながら、雛は、震える手を必死で押さえつつ、コクコクと飲みこんでいく。
別に、霊夢が口を付けたからと言って、味が変わったわけでもない。
恥ずかしい事でもない。彼女は唯、喉が渇いたから、近くにあった私のお茶を飲んだだけだ。
ただ、それだけの事。
高鳴る鼓動を抑えつつ、雛は未だ熱いお茶を一息に飲み切る。
「はぁ……」
舌が火傷したかもしれない。ヒリヒリする熱い舌を噛み締めつつ、されど、お茶を飲みきった行為に、雛はやっとこれで、ここから離れられると思った。
「あら、雛も喉が渇いていたの?」
そんな雛の心境等知らず、霊夢は勢いよくお茶を飲みきった雛を見て、片手でお盆から、お茶が入った急須を持つと。
「なら、まだ飲むわよね」
雛の返答を待たずに、空になった湯飲みに、お茶を注いだ。
「…え」
やっとの思いで飲んだというのに、再び、熱い湯気を出しながら、自分の髪の色よりも、濃い色の、緑色の液体が並々と湯飲みに注がれていく。
「まだまだあるから、おかわりしたければ自分で入れて頂戴ね」
急須をお盆へと置いて、霊夢は雛にそう言うと、雛の腰の方へと手を回し、再び空を眺め始める。
「……」
雛は、再び並々と注がれたお茶と、背中に感じる、霊夢の鼓動との板挟みに、再び身体を強張らせる。
ここに来て、あの時、黙ってでも、離れておくべきだったと後悔した。
※
どれぐらい、そのまま霊夢に抱きつかれたままでいただろうか。
お茶を飲みきっても、霊夢の善意によって、ここを離れられないと知った雛は、諦めたように、その身を委ねていた。
紅潮していた頬も、時が流れていけば、落ち着きを取り戻し、お茶その物を味わう余裕すら出来た。
まだ、恥ずかしかったが。今の自分のこの状況を誰かに見られでもしたら、私は耐えられるのだろうか?
幸い、誰かがここに来る気配は、今のところない。偶然なのか、それとも、いつも通りなのか。
参拝客の姿もなく、緩やかな風と、爛々と輝く太陽を、その身に味わいながら、熱いお茶を啜る。
雛は、後ろで抱きついたままの霊夢が、無言のままでいる事に疑問を持ちつつも、何か話すという事もなく、飽きもせずに空を眺め続ける。
先ほどまで、顔を自分の肩に乗っけていたが、疲れたのか、今は顔を後ろの方に戻してしまっている。
表情も見えず、話す事もない。
唯、トクン、トクンと鳴る、霊夢の心臓の鼓動を背中で感じているだけだ。
腰に回された腕や、自分の側に伸びる足を見ては、雛は、人の温もりというものを、再確認していた。
季節が冬なのも相まってか、抱きつかれる事に、未だに羞恥を感じつつも、霊夢の暖かさは、心地いい。
離れておくべきだったと、先ほど後悔したが、初めて味わう温もりは、悪くなかった。
「……すぅ」
何処からか、寝息まで聞こえてくる。
こんな陽気と暖かさだ。お茶を啜ってのんびりと空を眺めている自分も、少しばかり眠気があった。
「…あれ?」
だが、ぼんやりと考えていた思考が、一気に眠気や落ち着きを払っていった。
どうして、こんな近くで、寝息が聞こえるのか。
おそるおそる、雛は後ろを振り返る。
「……すぅ……んん」
振り返って見れば、夢心地の表情をしながら、霊夢は、目を閉じて、夢の中へと落ちていた。
「…な」
無言だったのはこのせいかと、雛は愕然とし、両手に持ったままの湯飲みを横に置かれていたお盆へと置くと、自分の腰に回していた霊夢の腕を、起こさないように、ゆっくりとほどいていく。
「……はぁ」
背中に手を回して、自分に抱きつく為に、広げた霊夢の足を、一度閉ざし、雛は、ゆっくりと、足の方にも手を回して、霊夢を持ち上げた。
このままここを離れてもいいのだが、縁側で寝かせたまま放置してしまえば、風邪を引いてしまうかもしれない。
さっきまでは、自分と肌を寄り添わせて、寝ていたからいいかもしれないが。
霊夢の寝顔を間近で見て、雛は、先ほどまで抱きつかれていた事に、再び顔を紅潮させる。
本当に、身勝手な巫女だ。勝手に誘い、勝手に寄り添って、勝手に寝て…。
厄神である自分に、こんなに接してきた人間は初めてだった。
雛は器用に、履いていたブーツを脱ぐと、そのまま神社の中へと、霊夢を抱っこしながら入っていく。
「何処か、寝かせられる場所は……」
居間を通りすぎ、開けられたままの襖をいくつか越えて、宴をする所だろうか。広い、畳部屋へと出た。
抱っこしていた霊夢を、雛はそこに一度寝かし、奥にあった襖を開けてみる。
案の定、開けてみれば、布団がいくつも置かれてあった。
酔いつぶれた者を介抱する為か、それともここで寝泊りする為の物か。
どちらにしても、雛にとっては都合がいい。
布団一式を、持ち上げると、霊夢が横になっている所へと運び、横にせっせと敷いていく。
敷き終えた布団に、霊夢を再び持ち上げて、ゆっくりと降ろしていった。
「ふぅ……」
一仕事終えたように、雛は息を吐き、布団に入っても起きる気配がない霊夢の寝顔を、ぼんやりと見つめる。
「……どうして、貴方は私に構ったのですか?」
返答等、あるはずがないのに、口から出てしまった。
寝顔だけを見れば、綺麗な、少女らしい顔つき。
今の彼女を見て、妖怪達に恐れられる、博麗の巫女だと言っても、信じる者はいないかもしれない。
「…いかないと」
あれだけ離れたいと思っていたのに、いざ離れようとすると、名残惜しい。
全身に、霊夢の温もりが残っており、雛は、じっと霊夢の寝顔を見つめ続けてしまう。
だが、数分と経たず、雛は、そこから足早に離れる。
自分は厄神であり、彼女は、博麗の巫女。
一緒に居ても、迷惑をかけるだけだ。
縁側まで戻ると、雛は置かれているお盆を手に取り、そのまま居間のテーブルに置く。
再び縁側へと行き、自分が履いていたブーツを履き直して、博麗神社から、足早に去っていった。
※
「…あら?」
博麗神社から、足早に去る雛の姿を、見ている者がいた。
博麗神社の鳥居辺りに隙間を作り、八雲の大妖である紫は、いつもの派手な紫のドレスに、愛用しているピンクの日傘を手にしながら、降り立っていた。
紫は、思案顔のまま、雛が飛び去っていく方向を見て、いつも掃除をしているか、お茶を飲んでいるかしている、霊夢の姿を探す。
「何処にいるのかしら?」
ここでは見かけない厄神を見たのもあってか、紫は足早に神社の方へと歩いていくと、霊夢を探す為に、神社の中へと、靴を脱いで、縁側から上がりこむ。
「……あらあら」
すぐに、霊夢の姿は見つかった。
神社で行われる宴会場の部屋の中、敷かれた布団の上でスヤスヤと寝ていた。
紫は手元に持っていた日傘を、開けた隙間の中に入れると、寝ている霊夢の傍らに座り、寝顔をじっと見始める。
霊夢のお茶を飲みに来たのだが、本人がこうも寝ていては、起こすのも可哀想だ。
「…でも、厄神がここを訪れたのかしら?」
霊夢が、こんな時間に寝ているのも珍しければ、宴会場である、この大部屋で寝ているのを見るのは、初めてかもしれない。
先ほど神社から飛び去っていった厄神が、何らかの理由で、霊夢が寝たのを見て、ここに布団を敷いた。
そんな所だろうか。
「…厄が集まらなかったのかしら」
ここに来る理由を紫は考えたが、妖怪の山に漂う厄だけでは、満足しなかったのかもしれない。
一度、霊夢が厄神と妖怪の山で接触しているのも聞いている。
神社、というのを考慮してここに来たのだろうか?
「……よく、わからないわね」
色々な考えが頭に浮かぶが、実際の所、霊夢本人から聞いて見ないと、わからないだろう。
紫はのんびりと、薄く笑みを作りながら、霊夢の寝顔をニヤニヤと傍らで見続けた。
※
「…んん」
「あ、やっと起きたかしら?」
眠気とぼやけた視界の中。
霊夢は声がした方へと、顔を向ける。
「…紫?」
「おはよう、霊夢」
向けた先には、ニコニコと微笑む紫の姿があった。
「…なんで、アンタがここにいるの」
ぼやけた視界の中、霊夢は布団から身体を起こす。
「つれないわねぇ。暇だからお茶を飲みに来たのよ」
「お茶……?」
目を擦り、視界を戻しながら、紫の言葉に、霊夢は反応する。
「……」
辺りを見渡して見るが、一緒にお茶を飲んでいた、雛の姿は何処にもない。
「紫、雛を見なかった?」
「雛?」
「厄神の神様よ」
自分が寝てしまうまでは、抱きしめていたはずだが。
雛の身体が暖かくて、ついつい眠気に誘われ、そのまま寝てしまったようだった。
「やっぱり、ここを訪れたのね」
「? 何か、知っているの?」
「ここに来る前に、神社から飛んでいくのを見たのよ」
紫の話では、神社から飛んでいく雛を見たそうだ。
「…そう、悪い事をしたわね」
自分でお茶に誘っておいて寝てしまうとは。いつもならこんなミスをするはずがないのに。
「………霊夢、貴方、厄神と何をしたのかしら?」
「? 何って、お茶を飲んでいただけよ?」
紫の質問に、簡単に返す霊夢だったが、紫は少しばかり、顔を強張らせた。
「厄神の近くにいて、よく平気だったわね。彼女の近くにいるだけで、何かしらの不幸が周りに起きるというのに」
まるで、何か汚い物を指すように、紫は侮蔑を込めて、雛の事を話す。
「そうでもないわ。確かに、最初は色々と戸惑う事があったけど、密着すれば、何も起きなかったわよ」
霊夢は、そんな侮蔑を込めた紫の言葉に、怒りもせず、淡々と、雛が敷いた布団から這い出て返す。
「…密着?」
「えぇ、密着。そうでもしないと埒があかなかったから」
「……ふぅん」
紫は面白くなさそうに声を上げるが、霊夢は気にしない。
雛が敷いた布団をたたんで、持ち上げると、そのまま、開けたままの襖の方へと持っていく。
「霊夢。貴方、厄神が、何故厄を集めるか、知っているかしら?」
「? 厄を溜め込むのが、その神の能力だからでしょう?」
襖の前へと布団を置いた霊夢は、座ってくつろぐ紫の前に立つ。
「能力はあっても、義務ではないわ。厄神はね、人や妖怪の不幸を貪るのが、大好きだからよ」
隙間から、紫は座布団を取り出すと、立ったまま紫の話を聞く霊夢に投げてよこす。
「…そんな風には、見えなかったけど?」
座布団を受け取った霊夢は、畳の上に敷くと、その上に座る。
「言い方が直球すぎたかしら。厄が出る理由は、色々とあるけれど、大体は、妖怪や人間の起伏によって溢れるのよ。怒りや悲しみ、この世界から見て、不幸と思われる現象全てに、厄というものは付きまとう」
「……それを集めているというのなら、雛は良い子って事かしら?」
紫の言っている通りなら、厄を集め回る雛は、その不幸となる現象を、取り除く神様という事になる。
「確かに、厄を集める行為は、いい事かもしれないわね。だけど、逆を言えば、厄神の居る所に、不幸は起きる」
紫は笑う。何処か、蔑んだように。
「厄神は、なにかしらの不幸が起こる場所を、駄犬のように嗅ぎ回る存在よ。他人の不幸は蜜の味。厄神は、不幸を至福の喜びと考える―――」
「紫」
最後まで言い切る前に。
「それ以上言ったら、いくら私でも怒るわよ」
霊夢は淡々と、冷めた表情を崩さず、紫に告げる。
「紫の言う厄神もいるかもしれないけれど、雛はそんな子じゃないわ。他人の心配だってするし、人間想いの、良い子よ」
寝てしまった私をここまで運び、布団まで敷いてくれたのも、雛だろう。
他者の不幸が、喜びと思っているのなら、そんな事、決してしない。
「…やけに、肩入れするわね」
「紫の言い方が悪いからよ」
怒ると言われ、紫は少しばかり悲しげな表情をするが、口元は、笑みを崩していない。
「まぁ、次に会う機会があったなら、聞いて御覧なさい。厄はおいしいか? って」
「…厄に味なんてあるとは思えないけど……そもそも、何で神社に厄が溜まっていたかもわからないのよ?」
霊夢は溜息を吐きつつ、座布団から立ち上がると、座布団を紫に投げ返す。
「あら、厄がここに溜まっていた理由は簡単よ。妖怪や吸血鬼。魔法使いが出入りしているのだから」
投げ返された座布団を受け取ると、紫は隙間を開き、中へと入れる。
立ち上がり部屋を出ようとする霊夢の後を追うようにしながら、紫は話を続ける。
「存在そのものが、災厄を起こす可能性がある連中のほうが、厄を生み出す量が多いって事?」
「そうなるかしらね」
「……それはまた面倒な事を、ここに招き入れてるのね」
この神社に来る面々を思い浮かべ、霊夢は苦笑してしまう。
話せばそんなに悪い連中ではないが、吸血鬼のレミリアや、鬼の萃香等は、「人間」という存在と、本来は相容れぬのは、確かだ。
この神社が異端なのか、それとも、私の立ち位置が異端なのか。
博麗は平等に、全てに、平等に接する者。
人間でも妖精でも妖怪でも、神様でさえ、態度を変える事はない。
縁側まで霊夢は出て、既に、茜色の空になっている夕日を見上げる。
「…随分と、寝てたみたいね」
「えぇ、霊夢の寝顔は可愛かったわよ」
「……夕餉の支度しなきゃ」
紫の言葉を霊夢は無視して、台所へと向かう。
「紫も馬鹿な事言ってないで、マヨヒガに戻ったら?」
「本当につれないわねぇ。一緒に夕飯を食べようぐらい、言ってくれないのかしら?」
何も動じない霊夢に溜息を吐きつつ、紫は、霊夢の後ろにトコトコと一緒についていく。
「紫が作ってくれるのなら、考えるけど?」
「私が作るぐらいなら藍を呼ぶわ」
即答する紫に、霊夢は、呆れた顔をする。
「…はぁ。帰る気はないの?」
「ないわね。というか、今日は泊まるわ」
「帰れ」
泊まると言いはじめる紫に、霊夢はやんわりと言っていた言葉を捨てる。
「吸血鬼や萃香は泊めるのに、私は駄目なのかしら?」
「レミリアや萃香は仕方なくよ。勝手に酔い潰れて勝手に寝ていくのだから」
泊まる気が最初からあったのかもしれないが、紫が挙げた両名は、どちらとも、酔い潰れて帰れない状態にあったから泊めただけだ。
承諾した覚えはない。
「ああ、ならお酒があれば泊めてくれるのね」
「…どうしてそういう話になるのよ」
ニコリと笑って、隙間から一升瓶を取り出し始める紫に、頭を抱える。
本当に、帰る気はないらしい。
「いいじゃない、たまには。泊めてくれるのなら……そうね。面倒だけど、私が御飯も作ってあげるわよ」
何が楽しいのか。紫はニコニコと笑いながら、隙間から一升瓶を数本取り出し、台所に立つ霊夢の横に立ち、再び隙間を開く。
隙間の中から、どしゃりと、野菜やら肉が出てきた。
「? どうしたのよ、これ?」
「晩酌用に溜め込んで置いたものよ。これでお鍋でも作るわ」
紫は怪訝に見る霊夢を尻目に、勝手知ったる我が家のごとく、隙間から大きな鍋を取り出すと、調理をし始める。
調理と言っても、ぶった切って、調味料を入れて、煮るだけだが。
面倒臭がりの紫にとって、一番楽な調理なのだろう。
「…はぁ」
最初から泊まる気だったんじゃ? と霊夢は思うが、作ってくれるのなら文句も言えない。
居間に戻り、置かれているテーブルに座ると、のんびりと、紫の鍋を待つことにした。
※
「……」
雛は、クルクルと、星が輝く夜空の中、踊るように、妖怪の山で回っていた。
厄を集めているわけではない。朝から昼の間に、ここの厄は集め終えてしまった。
再び溢れ出すのは、もう少し先の事になるだろう。
それでも回る。回っていれば、落ち着くから。
あの神社から、離れていけば離れて行くほど、自身の身体が、風に触られ、冷たくなっていくのが。
徐々に、苦痛となっていった。
クルクルと回っている間も同じであった。
いつもと変わらない、厄を集める為に行うその行為が。
ただ、先ほど味わった温もりが消えていくだけで、苦痛に感じるなんて、どうかしている。
孤独になっていくのが、こんなに寂しい物だったのか。
孤独になっていくのが、こんなに苦痛だったのか。
孤独になっていくのが、自分の在り方ではなかったのか。
厄を集める自分に、近づけば、不幸が起こる。
そんな自分に近寄る者なんているはずがない。
「…そう、思っていたのに」
脳裏に出てくる黒髪の巫女。
何度考えても、彼女が何故、私に構ったのか、わからない。
「…博麗、霊夢」
彼女に、再び会えば、わかるのだろうか。
雛は自問自答を繰り返しながら、夜空の中、回り続ける。
初めて、本当の意味で、「孤独」というものを味わいながら。
クルクル回り続ける。
己の目的を果たす為に。
冬の空、ただただ孤独に、ワルツを踊るように。
厄よ集まれ我が身を糧に。
厄よ集まれ己の下に。
厄よ集まれ、我が身を満たせ。
「……困りました」
妖怪の山の空。ただただ回り、周囲にあった厄を集め終え。
八百万神、鍵山雛は、回るのをピタリと止め、悲しい顔をしながら、困り果てたように呟く。
「厄が、全然足りません…」
いつもなら妖怪の山に籠もり、延々と集め続けられたのに。
今年の厄は、あまりにも少ない。
周囲にはいい事なのかもしれない。厄が少ないという事は、それ程自分が集めるまで、不幸な事が起こっていなかったということだろう。
だが、自分にとっては足りない。
「…折角神社がお立ちになったというのに…」
雛は妖怪の山に最近越してきた、守矢神社の存在に当初喜んでいた。
神社といえば厄を落とす所、厄払いされた厄を自分が集めれば、もっとより多くの厄を集められると思っていたからだ。
しかし、現実は、そう上手くはいかないようだ。
雛は少しばかり勘違いしているが、あくまで守矢の神社は、八坂神奈子の信仰を集める為に、建てられた神社である。
巫女もいなく、風祝の者である東風谷早苗しかいない神社に、厄を落とす作法があるかと言われれば、疑わしい事だ。
「どうしましょう…」
妖怪の山で足りないのなら、他の場所で、厄が多く噴出している可能性がある。
雛が妖怪の山付近を根城にしていた理由は、単に、妖怪達が住まう山が、一番多く厄を溜め込んでいた為であり、それが少ないとなれば、他の所に行くべきだろう。
けれど、一体何処へ?
「……神社と言えば…」
以前、この妖怪の山に来た、巫女の事を思い出す。
博麗神社に住まう、あの巫女の所ならば、もっと、より多くの厄があるのではないか?
そう思い、雛が決断するのは早かった。
妖怪の山からふよふよと飛んでいく。
行き先は、あの巫女が住まう、博麗神社へ。
空は澄み渡る青空に、爛々と太陽が照らしている。
まだ冬ではあったが、もう季節は春と言ってもいいぐらいに、陽だまりの暖かさがあった。
その空の中、博麗神社の巫女である博麗霊夢は、神社の掃除をしていた。
いつもの脇が見える巫女服を着用し、長い黒髪をリボンでとめ、手に箒を持ち、黙々と、ゴミを神社の中央に集める作業を繰り返していた。
「ふぅ……」
昼を少し回ったぐらいだろうか。
いつものごとく、神社としてはよくはないが、参拝客もいなく、自分に会いに来る妖怪や、吸血鬼も今日はまだ見えていない。
する事と言えば、神社の掃除に、縁側でお茶を啜るぐらいだ。
その一つをただただ繰り返し、程なくして掃除は終わった。
「掃除も終わった事だし、お茶でも飲もうかしら」
一人呟くように、霊夢は箒を片手に神社の中の方へと歩き戻ろうとする。
誰か来るとすれば、自分がお茶を飲んでいる時だ。友人である魔法使い、霧雨魔理沙なんかは、お茶を飲みに来る為だけにお茶の間の時間に来る時だってある。
そう思い、いつものように、箒に跨って飛んでくるんじゃないかと、霊夢は空を一度見た。
「……ん?」
霊夢は、空を見て首を傾げる。
魔理沙ではなかったが、遥か上空の空に、何かがいた。
目を細め、霊夢は太陽の下、クルクルと回る何かを見る。
「あれって……」
見えるのは以前、妖怪の山に行った時に出会った、神様の一人。
「…何やってるのかしら?」
神社の上で、クルクルと回り続ける雛を見て、霊夢は疑問を浮かべる。
彼女は確か、厄神と呼ばれる類の、神のはずだ。
「……聞けばいい事ね」
少しばかり考えたが、本人に直接聞けばいい事だろう。
霊夢は神社の賽銭箱に、手に持っていた箒を置くと、そのまま地を蹴るようにして、雛が回っている空へと飛んだ。
「~♪」
雛は、喜々とした表情をしながら博麗神社の周辺を漂う厄を集めていた。
妖怪の山を出て、真っ直ぐここに飛んできた雛だったが、思っていた以上の厄が博麗神社にあり、すぐに厄集めを始めたのだ。
クルクル回りながら集まる厄に、雛は満たされていく。
「ちょっと、神社の上で何してるのよ?」
「…え?」
だが、喜々とした表情は、横から聞こえてきた声に、すぐに消えうせる。
回るのをピタリとやめ、声のした方に振り向けば、いつぞやの巫女の姿が視界に映る。
自分が回ってたのを見てやってきたのだろうか。
「見て、分かりませんか? 厄を集めてるんです」
「えぇ、それは見ればわかるわ」
霊夢はビシっと雛に指差し、言葉を続ける。
「何で、神社の上で厄を集めているのよ?」
「…? ここに厄があるからですよ?」
「……妖怪の山の厄はどうしたのよ」
霊夢は厄があるという言葉にピクリと眉を寄せたが、口調は静かなままであった。
「妖怪の山の厄は集めました。ですが、あまりにも少なかったので…」
「ここに来たって事?」
霊夢の言葉に雛は頷く。
「…そんなに、神社の周りは、厄があったのかしら?」
「はい。貴方の眼から見えていないだけで、ここには多くの厄がありますよ」
雛は喜ぶようにその事を話すが、霊夢は溜息を吐いて、腕を組む。
「いい事ではないわね。…ええと、鍵山雛だったかしら? 貴方の名前」
「名乗った覚えはありませんが、合っています」
「文から以前聞いたのよ。……そうね、ちゃんと名乗った覚えはないけど、私の名前はわかるかしら?」
「博麗、霊夢さんですよね?」
雛は霊夢におずおずと、間違ってないか聞いた。
「ええ、合ってるわよ。雛、悪いのだけど、その厄集め、下でやってもらえないかしら?」
「…? 何故でしょうか?」
雛は首を傾げる。厄を集める行為を止める気がないのなら、空でやっても地上でやっても同じ事なのに。
「自分の目に映る範囲に、いてほしいだけよ」
「…はぁ」
霊夢の言葉に雛はどうしようか迷う。
厄を集める行為を空でする事と、地上でする事はそこまで大差はない。
だが、地上でするという事は…。
「……貴方に、災厄が降りかかる可能性がありますが?」
雛は目の前にいる霊夢を心配する。
「離れてないといけないって事かしら?」
霊夢はそんな雛の言葉を笑ってみせる。
「大丈夫よ。私は」
霊夢は雛の災厄が降りかかるという言葉を、はっきり言って、甘く見ていた。
不安げな表情のまま神社へと降りる雛に続き、霊夢も地面に降りた途端。
―――ブチ
「へぶぅ!?」
何かが切れる音と共に、思いっきり顔から地面へと、口付けするはめになった。
「いたたた……なん、なのよぉ…」
咄嗟に受身を取ろうとしたが、腕と顔をしたたかに打ち、霊夢は涙目になるのを堪えながら、何故地面に倒れるはめになったのかの原因を見た。
足元から音がしたそれは、草履の鼻緒が切れる音だったようだ。
脳裏に先ほど雛が言った言葉を思い出す。
「だ、大丈夫ですか?」
雛の方に顔を向けてみれば、心底心配したような顔をして、霊夢を見おろす姿があった。
「だ、大丈夫よ。ちょっと、切れる物が、とうとう切れただけよ」
早々切れる物でもないが、霊夢は笑ってごまかす。
地面から立ち上がり、まだ鼻緒が切れてない方の草履で片足で立ち、ピョンピョンと跳ねるように神社の方へと飛ぶ。
―――ブチ
「あっ」
音を聞いた瞬間、霊夢は悟り、咄嗟に腕を前に突き出した。
今度は顔からダイブはせず、受身を取るように、地面に転がって見せる。
「……」
無言でサッと草履を見てみれば、見事に先ほどと同じく、鼻緒が切れていた。
「あ、あの…やっぱり私、上で厄を集めます!」
鼻緒が切れたのを見た雛が、自分のせいだと思ったのか。
急ぎ再び空に飛ぼうとしたが。
「まちなさい」
霊夢は咄嗟に雛の赤と黒を基調としている長めのロングスカートの端を掴み、飛ぶのを止めた。
「別に、貴方のせいじゃないわよ。これもただ単に、“偶然”鼻緒が切れただけよ。ええそうよ」
霊夢は立ち上がり、自分に言い聞かせるようにそう言うと、不安げな表情をしたままの雛に微笑み、手に、履いていた草履を握る。
「いいから、ここで厄を集めなさい」
霊夢は雛にそう言うと、神社の方へとゆっくりと、歩いて戻った。
そのまま神社の中へと戻り、縁側に壊れた草履を置き、不安げに立ちすくんだままの雛を一瞥しつつ、縁側に腰を下ろした。
雛は腰を下ろし、じっとこちらを見つめたままの霊夢を、おろおろと見ていたが、当初のここに来た目的の為に、空で回っていたように、クルクルと回り始める。
霊夢は、雛が回る様をじっと見つめ続けていた。
いや、回る様をじっと見つめ続けていたのだが、動けないと言った方がいいだろうか。
先ほど草履の鼻緒が切れたのを見る限り、雛の災厄とは、霊夢にとって、何らかの不幸が起こるという事で、合っているはずだ。
ならば動かなければ何も起きないのではないか?
自分の行動そのものが、何らかの、災厄の引き金になっているのではないかと思い、霊夢はお茶も飲まず、ただ雛が回る様を見続ける。
空で厄を集めさせるのもいいかもしれないが、もしそれでも災厄が自分の身に起きれば、それはそれで癪に触る。
何より、雛の不安げな表情を見て、つい呼び止めてしまったのもあった。
「……はぁ」
霊夢は溜息を吐く。目の前で回る雛の表情は、先ほどとは打って変わって、徐々に喜々とした表情に変わっていた。
素人目で見てもわかるほど、彼女の中に、厄が集まっていくのが見える。
神社にこれ程の厄が集まっていたのかと思うと、溜息も吐きたくなるものだ。
※
数刻、雛の回る様子を見ていただろうか。
厄を集め終えたのか、回るのをピタリと止めた雛は、息を弾ませ、喜々とした表情は崩さずに、その場に立ち尽くし、空を仰いでいた。
「ん、集め終わったの?」
霊夢は雛が止まった姿を見て、声をかけるが、草履が両足共先ほどの事で壊れている為、駆け寄る事もなく、縁側に座ったままだ。
「…はい、集め終えました」
声をかけられた雛は、霊夢の方にゆっくりと顔を向けると、嬉しそうに答えた。
「そう。なら一緒にお茶でも飲まない? 神社の厄を集めてくれたお礼ってわけでもないけど」
霊夢は雛のその様子を見て、縁側から立ち上がる。
「…え?」
だが、嬉しそうな表情は何処にいったのか、驚いたように、雛は首を横に振った。
「だ、駄目です! 私とこれ以上一緒に居ては…! 直ぐにここから離れますから!」
「大丈夫よ。さっきの事なら気にしなくていいし、それとも、私とお茶を飲むのは嫌かしら?」
「そ、そういうわけじゃ…」
雛は、霊夢の言葉に首を横に振り続ける。お茶を飲む事自体は、別に嫌いではない。
けれど、自分の身に先ほどより多くの厄を集めているせいか、よりいっそう、雛は霊夢に、拒絶の意志を見せていた。
「縁側に座って待ってて。直ぐに用意するから」
霊夢はそれだけ言うと、神社の中に引っ込む。
「ど、どうしましょう」
雛は困り果てたように、神社の中へと引っ込んだ、霊夢の姿を見送り、どうするべきか考える。
自分の言葉の通り、すぐに離れるべきなのはわかっている。
厄神である私は、身近にいる者全てに、厄を落としてしまう。
偶然草履の鼻緒が切れただけと、霊夢は言ったが、あれは、私がいたから起きた現象だ。
今は、博麗神社にあった厄まで私に集まってしまっている。
そんな状態で、一緒にお茶を飲むという行為が、出来るはずがないじゃないか。
「……」
霊夢も、それはわかっているはずだ。それを踏まえた上で、私を誘ったと考えれば、何か考えでもあるのだろうか?
「? あら? まだそこで立ってたの?」
どれぐらい、立ち尽くしていたのか。
程なくして、霊夢が神社の縁側から戻ってきてしまう。
「…あ、あの……」
「つっ立ってないで、こっちに来たら? お茶請けもあるし」
霊夢はお盆を手に、湯飲みを二つと、煎餅を持っていた。
縁側に腰を下ろし、お盆を横に置き、立ち尽くす雛に手招きする。
「…はい」
雛は、結局、流されるままに霊夢の横へと、縁側に座った。
横に座る雛を見て、霊夢は中が空になっている湯のみに、お茶を注ぐと、雛に渡す。
「はい、熱いから、気をつけて頂戴」
「あ、ありがとうございます」
注がれたお茶を、いつになく、真剣な眼差しで受け取った雛は、身を強張らせつつ、口に運んだ。
「………おいしい」
程よく身体を動かしていたせいか、熱いお茶を飲んだ雛は、ほっと一息吐くように感想を零す。
「そう言ってくれると、嬉しくなるわね」
霊夢は雛の様子を見て微笑むと、自分の湯飲みの方にもお茶を注ぐ。
―――バキッ
「…あら?」
注ぎ始めた湯飲みから、欠けるような音が聞こえてきた。
霊夢は、おそるおそる、何か、欠けたような音が聞こえた湯飲みを手に取り、顔を近づけ、目を細めた。
「…参ったわね」
まさかと思ったが、見事に湯飲みにヒビが入ってしまっている。
これでは、お茶を注いでも、ヒビ割れた部分からお茶がこぼれてしまう事だろう。
「…やっぱり、私が居ると…」
「ああ、もう。何でもかんでも自分のせいにするのはやめなさいよ。聞いてて嫌になるわ」
湯飲みがヒビ割れたのを見て、顔を俯かせて落ち込む雛に、霊夢はうんざりするように、溜息を吐いた。
「でも…私の能力のせいで、周りに厄が…」
「それなら、離れなくてもその厄を受けないようにするとか、考えなさいよ」
霊夢は自分の言葉に何かピンと来たのか。
「そうだ。雛、貴方のその厄って、貴方には、何も影響がないの?」
「…? そう、ですが? それが何か…?」
「なら、完璧に密着すれば、私にも影響が出ないんじゃないかしら?」
雛はその言葉に、思考が固まった。
完璧に、密着というと、肌を重ねるという事だろうか。
目の前にいる霊夢を見て、想像し、雛は顔を赤くしてブンブンと首を横に振る。
「そ、それは、やった事がないから、わ、わかりませんが…」
「物は試しよ。試した事がないなら、なおさらやってみるのもいい事だわ」
霊夢はヒビの入った湯飲みをお盆に置くと、すっと立ち上がり、雛の後ろに回ると、縁側に座り直し、両足を広げて、後ろから雛に抱きついた。
「れ、霊夢さん!?」
「何よ、驚いた声なんかあげちゃって」
抱きついたまま雛の肩に、霊夢は顔を乗っけると、そのまま空いた手で、お盆に置かれた煎餅を手にとって食べ始める。
雛は顔を紅潮させたまま、湯飲みを両手で持ち、身体を強張らせたまま、霊夢の横顔を見る。
「ゆ、友人でもないのに、こんな事をするのは…」
むしろ、友人でもこんな行為は、しないだろう。
「うん? 恥ずかしい?」
霊夢はきょとんと、雛の顔を見て首を傾げる。
「あ、貴方は、恥ずかしくないのですか…?」
霊夢の平静な装いに、雛は質問を質問で返してしまう。
「うーん…湯飲みがヒビ割れて、雛が落ち込むより、いい考えだと思ったのだけど」
ボリボリと、煎餅を咀嚼して、霊夢は、雛の言葉に返す。
「落ち着かないならやめる? 今のところ、目立った不幸は起こってないけれど」
霊夢の言葉に、雛は言葉を詰まらせる。
事実、雛に抱きついてから、霊夢には何も影響が出ていない。
さっきまでの事を考えると、このままお茶を飲むなら、こうしていた方が、霊夢にも迷惑をかけずに済むのは、確かなようであった。
「……霊夢さんが、恥ずかしくないなら、このままでいいです」
「そう、ならこのままお茶を飲みましょ」
霊夢はニコリと笑うと、雛の肩に顔を乗っけたまま、澄み渡る青空を、眺める。
雛は、自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じながらも、急ぎ、注がれたお茶を飲み始めた。
入れたお茶はまだ熱く、少しずつしか飲めない。
雛は、後ろで自分を抱きしめる霊夢の心臓の鼓動を背中で感じ、重なる肌の暖かさに、顔を紅潮させてしまう。
厄神である、雛にとって、他者と触れ合う事は、初めての体験だった。
自分は、いつも孤独に厄を集めている存在だったというのに。
どうして、この巫女は、図々しくも、私に構うのか。
「んー、やっぱ煎餅だけだと喉が渇くわね……」
雛の肩に顔を置いていた霊夢は、ふと、空へと向けていた視線を、雛が飲む湯飲みへと落とす。
「雛、ちょっといいかしら?」
「え?」
落ち着かない様子で、身体を強張らせていた雛に一声かけると、霊夢は雛が持つ湯飲みに手を重ねる。
そのまま雛の両手毎自分の顔へと持っていき、ズズズっと、雛が飲んでいたお茶を啜った。
「な…」
「ふぅ…」
雛は、口をわなわなと震わせて、より、顔を赤くした。
「れ、霊夢さん。それ……私の…」
ようやく、雛の口から出た言葉に、霊夢は、きょとんとしつつも、雛の湯飲みから手を離していた。
「ん? ああ、煎餅食べたら喉が渇いちゃって。別の湯飲みを居間に取りに行くのが面倒だったから」
「……」
雛は、霊夢の落ち着いたままの様子に、言葉をなくしてしまう。
今、私の湯飲みを取って飲んだという事は、間接キスだというのに。
これでは、まるで私が恥ずかしい事だと思っているだけじゃないか。
顔を赤くしたままの雛は、じっと、霊夢が口を付けた湯飲みを凝視し、自分も口を付けて飲んでみせる。
「…ん」
熱い痺れに、緑茶独特の苦い味を口内で味わいながら、雛は、震える手を必死で押さえつつ、コクコクと飲みこんでいく。
別に、霊夢が口を付けたからと言って、味が変わったわけでもない。
恥ずかしい事でもない。彼女は唯、喉が渇いたから、近くにあった私のお茶を飲んだだけだ。
ただ、それだけの事。
高鳴る鼓動を抑えつつ、雛は未だ熱いお茶を一息に飲み切る。
「はぁ……」
舌が火傷したかもしれない。ヒリヒリする熱い舌を噛み締めつつ、されど、お茶を飲みきった行為に、雛はやっとこれで、ここから離れられると思った。
「あら、雛も喉が渇いていたの?」
そんな雛の心境等知らず、霊夢は勢いよくお茶を飲みきった雛を見て、片手でお盆から、お茶が入った急須を持つと。
「なら、まだ飲むわよね」
雛の返答を待たずに、空になった湯飲みに、お茶を注いだ。
「…え」
やっとの思いで飲んだというのに、再び、熱い湯気を出しながら、自分の髪の色よりも、濃い色の、緑色の液体が並々と湯飲みに注がれていく。
「まだまだあるから、おかわりしたければ自分で入れて頂戴ね」
急須をお盆へと置いて、霊夢は雛にそう言うと、雛の腰の方へと手を回し、再び空を眺め始める。
「……」
雛は、再び並々と注がれたお茶と、背中に感じる、霊夢の鼓動との板挟みに、再び身体を強張らせる。
ここに来て、あの時、黙ってでも、離れておくべきだったと後悔した。
※
どれぐらい、そのまま霊夢に抱きつかれたままでいただろうか。
お茶を飲みきっても、霊夢の善意によって、ここを離れられないと知った雛は、諦めたように、その身を委ねていた。
紅潮していた頬も、時が流れていけば、落ち着きを取り戻し、お茶その物を味わう余裕すら出来た。
まだ、恥ずかしかったが。今の自分のこの状況を誰かに見られでもしたら、私は耐えられるのだろうか?
幸い、誰かがここに来る気配は、今のところない。偶然なのか、それとも、いつも通りなのか。
参拝客の姿もなく、緩やかな風と、爛々と輝く太陽を、その身に味わいながら、熱いお茶を啜る。
雛は、後ろで抱きついたままの霊夢が、無言のままでいる事に疑問を持ちつつも、何か話すという事もなく、飽きもせずに空を眺め続ける。
先ほどまで、顔を自分の肩に乗っけていたが、疲れたのか、今は顔を後ろの方に戻してしまっている。
表情も見えず、話す事もない。
唯、トクン、トクンと鳴る、霊夢の心臓の鼓動を背中で感じているだけだ。
腰に回された腕や、自分の側に伸びる足を見ては、雛は、人の温もりというものを、再確認していた。
季節が冬なのも相まってか、抱きつかれる事に、未だに羞恥を感じつつも、霊夢の暖かさは、心地いい。
離れておくべきだったと、先ほど後悔したが、初めて味わう温もりは、悪くなかった。
「……すぅ」
何処からか、寝息まで聞こえてくる。
こんな陽気と暖かさだ。お茶を啜ってのんびりと空を眺めている自分も、少しばかり眠気があった。
「…あれ?」
だが、ぼんやりと考えていた思考が、一気に眠気や落ち着きを払っていった。
どうして、こんな近くで、寝息が聞こえるのか。
おそるおそる、雛は後ろを振り返る。
「……すぅ……んん」
振り返って見れば、夢心地の表情をしながら、霊夢は、目を閉じて、夢の中へと落ちていた。
「…な」
無言だったのはこのせいかと、雛は愕然とし、両手に持ったままの湯飲みを横に置かれていたお盆へと置くと、自分の腰に回していた霊夢の腕を、起こさないように、ゆっくりとほどいていく。
「……はぁ」
背中に手を回して、自分に抱きつく為に、広げた霊夢の足を、一度閉ざし、雛は、ゆっくりと、足の方にも手を回して、霊夢を持ち上げた。
このままここを離れてもいいのだが、縁側で寝かせたまま放置してしまえば、風邪を引いてしまうかもしれない。
さっきまでは、自分と肌を寄り添わせて、寝ていたからいいかもしれないが。
霊夢の寝顔を間近で見て、雛は、先ほどまで抱きつかれていた事に、再び顔を紅潮させる。
本当に、身勝手な巫女だ。勝手に誘い、勝手に寄り添って、勝手に寝て…。
厄神である自分に、こんなに接してきた人間は初めてだった。
雛は器用に、履いていたブーツを脱ぐと、そのまま神社の中へと、霊夢を抱っこしながら入っていく。
「何処か、寝かせられる場所は……」
居間を通りすぎ、開けられたままの襖をいくつか越えて、宴をする所だろうか。広い、畳部屋へと出た。
抱っこしていた霊夢を、雛はそこに一度寝かし、奥にあった襖を開けてみる。
案の定、開けてみれば、布団がいくつも置かれてあった。
酔いつぶれた者を介抱する為か、それともここで寝泊りする為の物か。
どちらにしても、雛にとっては都合がいい。
布団一式を、持ち上げると、霊夢が横になっている所へと運び、横にせっせと敷いていく。
敷き終えた布団に、霊夢を再び持ち上げて、ゆっくりと降ろしていった。
「ふぅ……」
一仕事終えたように、雛は息を吐き、布団に入っても起きる気配がない霊夢の寝顔を、ぼんやりと見つめる。
「……どうして、貴方は私に構ったのですか?」
返答等、あるはずがないのに、口から出てしまった。
寝顔だけを見れば、綺麗な、少女らしい顔つき。
今の彼女を見て、妖怪達に恐れられる、博麗の巫女だと言っても、信じる者はいないかもしれない。
「…いかないと」
あれだけ離れたいと思っていたのに、いざ離れようとすると、名残惜しい。
全身に、霊夢の温もりが残っており、雛は、じっと霊夢の寝顔を見つめ続けてしまう。
だが、数分と経たず、雛は、そこから足早に離れる。
自分は厄神であり、彼女は、博麗の巫女。
一緒に居ても、迷惑をかけるだけだ。
縁側まで戻ると、雛は置かれているお盆を手に取り、そのまま居間のテーブルに置く。
再び縁側へと行き、自分が履いていたブーツを履き直して、博麗神社から、足早に去っていった。
※
「…あら?」
博麗神社から、足早に去る雛の姿を、見ている者がいた。
博麗神社の鳥居辺りに隙間を作り、八雲の大妖である紫は、いつもの派手な紫のドレスに、愛用しているピンクの日傘を手にしながら、降り立っていた。
紫は、思案顔のまま、雛が飛び去っていく方向を見て、いつも掃除をしているか、お茶を飲んでいるかしている、霊夢の姿を探す。
「何処にいるのかしら?」
ここでは見かけない厄神を見たのもあってか、紫は足早に神社の方へと歩いていくと、霊夢を探す為に、神社の中へと、靴を脱いで、縁側から上がりこむ。
「……あらあら」
すぐに、霊夢の姿は見つかった。
神社で行われる宴会場の部屋の中、敷かれた布団の上でスヤスヤと寝ていた。
紫は手元に持っていた日傘を、開けた隙間の中に入れると、寝ている霊夢の傍らに座り、寝顔をじっと見始める。
霊夢のお茶を飲みに来たのだが、本人がこうも寝ていては、起こすのも可哀想だ。
「…でも、厄神がここを訪れたのかしら?」
霊夢が、こんな時間に寝ているのも珍しければ、宴会場である、この大部屋で寝ているのを見るのは、初めてかもしれない。
先ほど神社から飛び去っていった厄神が、何らかの理由で、霊夢が寝たのを見て、ここに布団を敷いた。
そんな所だろうか。
「…厄が集まらなかったのかしら」
ここに来る理由を紫は考えたが、妖怪の山に漂う厄だけでは、満足しなかったのかもしれない。
一度、霊夢が厄神と妖怪の山で接触しているのも聞いている。
神社、というのを考慮してここに来たのだろうか?
「……よく、わからないわね」
色々な考えが頭に浮かぶが、実際の所、霊夢本人から聞いて見ないと、わからないだろう。
紫はのんびりと、薄く笑みを作りながら、霊夢の寝顔をニヤニヤと傍らで見続けた。
※
「…んん」
「あ、やっと起きたかしら?」
眠気とぼやけた視界の中。
霊夢は声がした方へと、顔を向ける。
「…紫?」
「おはよう、霊夢」
向けた先には、ニコニコと微笑む紫の姿があった。
「…なんで、アンタがここにいるの」
ぼやけた視界の中、霊夢は布団から身体を起こす。
「つれないわねぇ。暇だからお茶を飲みに来たのよ」
「お茶……?」
目を擦り、視界を戻しながら、紫の言葉に、霊夢は反応する。
「……」
辺りを見渡して見るが、一緒にお茶を飲んでいた、雛の姿は何処にもない。
「紫、雛を見なかった?」
「雛?」
「厄神の神様よ」
自分が寝てしまうまでは、抱きしめていたはずだが。
雛の身体が暖かくて、ついつい眠気に誘われ、そのまま寝てしまったようだった。
「やっぱり、ここを訪れたのね」
「? 何か、知っているの?」
「ここに来る前に、神社から飛んでいくのを見たのよ」
紫の話では、神社から飛んでいく雛を見たそうだ。
「…そう、悪い事をしたわね」
自分でお茶に誘っておいて寝てしまうとは。いつもならこんなミスをするはずがないのに。
「………霊夢、貴方、厄神と何をしたのかしら?」
「? 何って、お茶を飲んでいただけよ?」
紫の質問に、簡単に返す霊夢だったが、紫は少しばかり、顔を強張らせた。
「厄神の近くにいて、よく平気だったわね。彼女の近くにいるだけで、何かしらの不幸が周りに起きるというのに」
まるで、何か汚い物を指すように、紫は侮蔑を込めて、雛の事を話す。
「そうでもないわ。確かに、最初は色々と戸惑う事があったけど、密着すれば、何も起きなかったわよ」
霊夢は、そんな侮蔑を込めた紫の言葉に、怒りもせず、淡々と、雛が敷いた布団から這い出て返す。
「…密着?」
「えぇ、密着。そうでもしないと埒があかなかったから」
「……ふぅん」
紫は面白くなさそうに声を上げるが、霊夢は気にしない。
雛が敷いた布団をたたんで、持ち上げると、そのまま、開けたままの襖の方へと持っていく。
「霊夢。貴方、厄神が、何故厄を集めるか、知っているかしら?」
「? 厄を溜め込むのが、その神の能力だからでしょう?」
襖の前へと布団を置いた霊夢は、座ってくつろぐ紫の前に立つ。
「能力はあっても、義務ではないわ。厄神はね、人や妖怪の不幸を貪るのが、大好きだからよ」
隙間から、紫は座布団を取り出すと、立ったまま紫の話を聞く霊夢に投げてよこす。
「…そんな風には、見えなかったけど?」
座布団を受け取った霊夢は、畳の上に敷くと、その上に座る。
「言い方が直球すぎたかしら。厄が出る理由は、色々とあるけれど、大体は、妖怪や人間の起伏によって溢れるのよ。怒りや悲しみ、この世界から見て、不幸と思われる現象全てに、厄というものは付きまとう」
「……それを集めているというのなら、雛は良い子って事かしら?」
紫の言っている通りなら、厄を集め回る雛は、その不幸となる現象を、取り除く神様という事になる。
「確かに、厄を集める行為は、いい事かもしれないわね。だけど、逆を言えば、厄神の居る所に、不幸は起きる」
紫は笑う。何処か、蔑んだように。
「厄神は、なにかしらの不幸が起こる場所を、駄犬のように嗅ぎ回る存在よ。他人の不幸は蜜の味。厄神は、不幸を至福の喜びと考える―――」
「紫」
最後まで言い切る前に。
「それ以上言ったら、いくら私でも怒るわよ」
霊夢は淡々と、冷めた表情を崩さず、紫に告げる。
「紫の言う厄神もいるかもしれないけれど、雛はそんな子じゃないわ。他人の心配だってするし、人間想いの、良い子よ」
寝てしまった私をここまで運び、布団まで敷いてくれたのも、雛だろう。
他者の不幸が、喜びと思っているのなら、そんな事、決してしない。
「…やけに、肩入れするわね」
「紫の言い方が悪いからよ」
怒ると言われ、紫は少しばかり悲しげな表情をするが、口元は、笑みを崩していない。
「まぁ、次に会う機会があったなら、聞いて御覧なさい。厄はおいしいか? って」
「…厄に味なんてあるとは思えないけど……そもそも、何で神社に厄が溜まっていたかもわからないのよ?」
霊夢は溜息を吐きつつ、座布団から立ち上がると、座布団を紫に投げ返す。
「あら、厄がここに溜まっていた理由は簡単よ。妖怪や吸血鬼。魔法使いが出入りしているのだから」
投げ返された座布団を受け取ると、紫は隙間を開き、中へと入れる。
立ち上がり部屋を出ようとする霊夢の後を追うようにしながら、紫は話を続ける。
「存在そのものが、災厄を起こす可能性がある連中のほうが、厄を生み出す量が多いって事?」
「そうなるかしらね」
「……それはまた面倒な事を、ここに招き入れてるのね」
この神社に来る面々を思い浮かべ、霊夢は苦笑してしまう。
話せばそんなに悪い連中ではないが、吸血鬼のレミリアや、鬼の萃香等は、「人間」という存在と、本来は相容れぬのは、確かだ。
この神社が異端なのか、それとも、私の立ち位置が異端なのか。
博麗は平等に、全てに、平等に接する者。
人間でも妖精でも妖怪でも、神様でさえ、態度を変える事はない。
縁側まで霊夢は出て、既に、茜色の空になっている夕日を見上げる。
「…随分と、寝てたみたいね」
「えぇ、霊夢の寝顔は可愛かったわよ」
「……夕餉の支度しなきゃ」
紫の言葉を霊夢は無視して、台所へと向かう。
「紫も馬鹿な事言ってないで、マヨヒガに戻ったら?」
「本当につれないわねぇ。一緒に夕飯を食べようぐらい、言ってくれないのかしら?」
何も動じない霊夢に溜息を吐きつつ、紫は、霊夢の後ろにトコトコと一緒についていく。
「紫が作ってくれるのなら、考えるけど?」
「私が作るぐらいなら藍を呼ぶわ」
即答する紫に、霊夢は、呆れた顔をする。
「…はぁ。帰る気はないの?」
「ないわね。というか、今日は泊まるわ」
「帰れ」
泊まると言いはじめる紫に、霊夢はやんわりと言っていた言葉を捨てる。
「吸血鬼や萃香は泊めるのに、私は駄目なのかしら?」
「レミリアや萃香は仕方なくよ。勝手に酔い潰れて勝手に寝ていくのだから」
泊まる気が最初からあったのかもしれないが、紫が挙げた両名は、どちらとも、酔い潰れて帰れない状態にあったから泊めただけだ。
承諾した覚えはない。
「ああ、ならお酒があれば泊めてくれるのね」
「…どうしてそういう話になるのよ」
ニコリと笑って、隙間から一升瓶を取り出し始める紫に、頭を抱える。
本当に、帰る気はないらしい。
「いいじゃない、たまには。泊めてくれるのなら……そうね。面倒だけど、私が御飯も作ってあげるわよ」
何が楽しいのか。紫はニコニコと笑いながら、隙間から一升瓶を数本取り出し、台所に立つ霊夢の横に立ち、再び隙間を開く。
隙間の中から、どしゃりと、野菜やら肉が出てきた。
「? どうしたのよ、これ?」
「晩酌用に溜め込んで置いたものよ。これでお鍋でも作るわ」
紫は怪訝に見る霊夢を尻目に、勝手知ったる我が家のごとく、隙間から大きな鍋を取り出すと、調理をし始める。
調理と言っても、ぶった切って、調味料を入れて、煮るだけだが。
面倒臭がりの紫にとって、一番楽な調理なのだろう。
「…はぁ」
最初から泊まる気だったんじゃ? と霊夢は思うが、作ってくれるのなら文句も言えない。
居間に戻り、置かれているテーブルに座ると、のんびりと、紫の鍋を待つことにした。
※
「……」
雛は、クルクルと、星が輝く夜空の中、踊るように、妖怪の山で回っていた。
厄を集めているわけではない。朝から昼の間に、ここの厄は集め終えてしまった。
再び溢れ出すのは、もう少し先の事になるだろう。
それでも回る。回っていれば、落ち着くから。
あの神社から、離れていけば離れて行くほど、自身の身体が、風に触られ、冷たくなっていくのが。
徐々に、苦痛となっていった。
クルクルと回っている間も同じであった。
いつもと変わらない、厄を集める為に行うその行為が。
ただ、先ほど味わった温もりが消えていくだけで、苦痛に感じるなんて、どうかしている。
孤独になっていくのが、こんなに寂しい物だったのか。
孤独になっていくのが、こんなに苦痛だったのか。
孤独になっていくのが、自分の在り方ではなかったのか。
厄を集める自分に、近づけば、不幸が起こる。
そんな自分に近寄る者なんているはずがない。
「…そう、思っていたのに」
脳裏に出てくる黒髪の巫女。
何度考えても、彼女が何故、私に構ったのか、わからない。
「…博麗、霊夢」
彼女に、再び会えば、わかるのだろうか。
雛は自問自答を繰り返しながら、夜空の中、回り続ける。
初めて、本当の意味で、「孤独」というものを味わいながら。
あと、ゆかりんが雛を蔑むのはなんでなんだろう?神としての役割とその神の性質が違うことくらいはわかってそうなんだが。
>何処に言ったのか、襖をいくつか超えて 行った、越えて
あと、~何かじゃなくて~なんかでは?二箇所ほどあったと思います。
霊夢と雛が可愛かったですw悶死するかと思ったww
でも最初の一文の通り、紫様がちょっと、アレ?って感じでした……
ゆかりん(まぁ他のキャラにも言えることですが)は書く御人により違和感が漂う。でもだからこそその方の味が出る、と個人的には思っております。
いい話ですた。ゆかりんが雛を軽蔑するところでは若干な不思議を感じたけど、話の流れでなんとなく理解は出来ました。
ゆかりんが蔑むのは嫉妬という事に脳内変換しておこう
ゆかりん、その準備の良さは泊まる気まんまんじゃねぇかwwww
にしても、雛霊は良いモノだぁ!!
孤独という言葉に反応してしまったのだろうか。
霊夢と紫のやりとりが、霊夢と雛とのやりとりを生かし、さらに雛という厄神をの存在を与える。
違和感?は感じることはなかったです。
読み終わった後にガツンとやられたのは、この作品が久しぶりかも。
なんかよく分からないけど自分にはHITしたんでしょうね。
すごく好きです。100点以上があったら入れてますね確実に。
次回もあるんでしょうか?是非に期待しています!
久しぶりにまだ続いて欲しいと思いましたよ!
とりあえず、短めに、疑問に思われている事だけ。
>ゆかりんが雛を蔑むのはなんでなんだろう?
嫉妬という意味で、蔑むという言葉を使わせて頂きました。
雛という存在自体が、紫様から見て、霊夢に害がある為というのもありますが。違和感を皆さん感じになられるのは、やはり紫様かと思われます。
>久しぶりにまだ続いて欲しい。次回もあるんでしょうか?
こう言ってくださるのは、書き手として嬉しい事なのですが…困りましたね。
以前の風甘の作品で、長すぎるのを書いてしまった為か、どうも完全に、作者の思想で完結させられるのは、よくない感じもしたので。
これ以上書くと、グダグダになる恐れがあるので、怖いのもあるんですよね。
少しばかり長くなってしまいましたね。すみません。では、これにて。
前半読んでてずっとニヤニヤしてしまった
ラストの切なさもいい感じ
雛は厄神様であり、霊夢は博麗神社の巫女であることを上手いこと使ってお話にしているなぁと思います。
お話として完結しているけれども、続きを切望してしまう。
雛を遠ざけようとせずに接する霊夢もすごくいいです
うん、ごめん。読んでても途中まで気づかなかった⑨な私。
最近雛株上昇中なので、これは続きを期待してしまう。
霊夢よくやった
しかし、第5回コンペで悲しい過去持ちの雛作品がありましたけど、やっぱり厄神ってのはネガティブな存在なんですかねえ。
絞め方からして続編があるのかな?
嫉妬して厄神の悪口をいう紫に違和感を感じる人が多いみたいですが私はそんなに違和感を感じなかったです。