「魔女のお茶会っていうのがあってね私と魔理沙とパチュリーで時々集まってお茶を飲んだりおしゃべりをしたりする会でその集まりが今日なんだけどパチェリーがまた風邪で寝込んで来れないってそりゃ霊夢は魔女じゃないけど魔理沙もいるしどうしても来たいって言うなら来ても良いけど勘違いしないで欲しいのは私は別に来て欲しいわけじゃなくて魔理沙もいるしせっかく焼いたお菓子が無駄になるのは嫌だから仕方なくでも誘ってるわけじゃないしパチュリーは来ないけど魔理沙はいるから来るの来ないのどっちなの!?」
という迂遠極まる言い方でアリス・マーガトロイドに誘われた魔女のお茶会とやらに顔を出してきた。
初めて入る魔法の森のマーガトロイド邸は規模や造りこそ魔理沙の家とよく似ているが、整理整頓と手入れが行き届いてはるかに清潔だった。しかし、意味もなくテンパったアリスに案内された小ざっぱりとしたリビングは、真ん中に寝転がった魔理沙によって霧雨色に汚染されていた。
読んだ本や読みかけの本が死屍累々と積み上げられ、紅茶の香り付け用に用意されていたであろうブランデーのビンはすでに空。食いかけのアリス特製マドレーヌを口の端からはみ出させたまま「よぉ霊夢」 などと振り向くもんだから食いカスがボロボロ。
妙な既視感と頭痛を覚える間もなく怒り狂ったアリスが戦闘用の人形を全展開して魔理沙に突撃し、流れ弾を捌いているうちに何故か矛先が私にも向き、人形遣いが思い描いていたであろう優雅な午後のお茶会は、ものの8秒で醜く野蛮な三つ巴の弾幕ごっこへと変貌した。
酔っ払った上に食いすぎの魔理沙が真っ先に撃墜され、がんばったが血に飢えたアリスには力及ばず、ほどなくして私も堕とされた。勝負には勝ったアリスも正気に戻った途端、屋根が吹っ飛んだ自分の家の惨状に目が行き、摘み取られた花のように儚く意識を失った。
阿鼻叫喚の魔女のお茶会は最終的な勝利者を出さず、その時点でお開きとなった。倒れ伏した二人の魔女を面倒くさいからそのままにして、私は家路に着いたのだった。
ぽつりぽつりと雨粒を鼻先に感じたのは、神社に繋がる石段の麓あたりまで来たときだった。
「あ、やっぱり降ってきた」
雨の日に空を飛ぶのはご法度だ。四方八方から吹き付ける雨粒であっというまにびしょ濡れになってしまう。
私は石段の途中にふんわりと降り立ち、マーガトロイド邸の瓦礫の中からかっぱらって来た、いかにもアリスが好みそうな装飾付きの洋傘を開いた。
「治療費代わりに借りてきて正解だったわ。ちゃんと返すから、魔理沙と一緒にしないでね」
被弾して少し血が滲んだ側頭部を撫でながら、言い訳めいたことを口にした。半壊した自分の家を見てひっくり返ったアリスの、医者に不治の病でも告げられたかのような薄幸の表情を思い出したからだ。
似たような顔色の紫もやしなら一人知っているが、そっちは普段の言動がアレすぎるせいかちっとも同情できない。まあもっとも、今回マーガトロイド邸を最終的に吹き飛ばしたのは他ならぬアリス本人のドールズウォーであるから、こちらも本来ならば同情の余地などないのだ。しかし、捨てられたチワワのようなあの哀れっぽい表情を見てしまっては、そんな非情なことはとても言えなかった。
「まあ、いざとなったら魔法で直すだろうからいいわよね。屋根が吹き飛ぶくらい、大したことじゃないもの。うちの神社なんか何回倒壊したと思ってるの……」
傘をくるくる回しながら、石段を登った。いつも飛び回っているせいか、自分の足でこの石段を登るのは久しぶり。知らない間にあちこちに苔が生えていて少し滑る。神社に来る連中のほとんどが空を飛ぶため文句はどこからも出なかったが、問題はそういう輩はすべからくお賽銭を入れていかないこと。
ごく稀に来る(そしてお賽銭を入れていく)里の人たちのためにも、雨が止んだら石段の掃除をしよう。一人でやるのは大変だから誰かに手伝ってもらわないと。こういうことが得意そうなのは、妖夢。それから咲夜。いや、あいつは瀟洒だから石段の苔落としなんて手伝ってくれないか。どっちかというと門番の方ね、相応しいのは。あとは……。
頭の中で石段掃除決死隊の編成を組み立てながら、ふと傘を傾けて鈍色の空を見上げた。
「……雨、強くなってきたわね」
ぽたりぽたりと当る程度だった雨粒は今やバケツをひっくり返したような勢いで、断続的な騒音はプリズムリバー三姉妹のそれに迫るような勢いだった。
「う、わあ。ちょっとこれはひどいわ」
跳ねた泥水がスカートの裾にみるみるうちに染みを作っていくのを見て、私は眉をひそめた。アリスにやられてあちこち破けてはいたけど、私だって女の子だ。これ以上服が汚れるのはあまり愉快なことではなかった。
私はつま先で跳びはねるように石段を登りきり、真っ赤な鳥居をくぐって境内の裏に回った。少し無作法だけど、こっちから本殿の中を通った方が社務所には近いのだ。
「ん?」
傘を畳んで縁側から本殿に上がろうとしたとき、妙なものを見つけた。本殿の裏手、雑草がぼうぼういつも日陰になっている軒下。腰までくらいの高さのあるそこに、真っ黒でほわほわな球体が収まっていた。雨空の下での判別は難しいが、どうやら影の具合でそう見えるわけではないらしい。
「何かしら。毛玉? 悪霊? 魑魅魍魎?」
少し興味を持って近づいた。軒下にすっぽりとはまる形のほわほわは一抱えほどもあり、純粋な闇色をしていた。手を翳してみる。手触りはない。鼻を近づけてみる。匂いもない。
変なの。
でもどこかで見た気がするのよね、これ。
屈み込み、思い切ってずっぽり手を突っ込んでみた。すると指先に何かが触れた。さらさらと細く艶やかな手触り。さらにめり込ませると。ぷにっと何かを突っついた。
「あうっ」
声が聞こえた。
「ん、これって。……んぎゃーっ!」
予想外の激痛が掌に走り、私は慌てて手を引っこ抜いた。すると子供が釣れた。金髪のおかっぱ頭に真っ赤なリボン。白いブラウスに闇色のスカートを着たやせっぽっちの幼い少女。小さな口を目いっぱい開けて、私の手に噛み付いていた。
「いたいいたいいたたた!」
手をぶんぶん振り回して少女を払い落とす。少女は空中でくるりと体勢を整えると、猫のようにしなやかに着地した。
「……うぅ、血が出た」
唾液まみれの掌を押さえて涙目の私。そんな私を睨んで、少女は喉を鳴らして威嚇する。
「何のようなの! 人間!」
「あ、あんたは、」
思い出した。あれは悪さをしたレミリアをとっちめた夜だったか。ちょっかいを出してきたから気持ちよく返り討ちにした女の子いた。宵闇が長い時間をかけて少女の像を成したちっぽけな闇妖。名前は、確か、
「ルーミアだっけ?」
答えず、ルーミアは愛らしい少女の顔を歪めた。敵意のこもった視線を光らせ、力のない弾幕を放つ。
「人間きらい! 巫女きらい!」
私は少しだけ動いて弾を避けた。懐から符を抜きかけ、止めた。反撃するまでもない。以前も大して強くなかったが、それに輪をかけて今日の闇妖にはキレがない。
「あれ、あんた怪我してるじゃないの」
「うるさい」
よく見るとルーミアは傷だらけだった。闇色のスカートはあちこちほつれ、破け、血が滲んでいる。真っ赤なリボンも心なしかくすんでいるようだ。
相手にされていないと分かると、ルーミアは悔しそうに顔を伏せ、足を引きずりながら軒下のほわほわの中に戻った。どうやらこの闇がルーミアの巣なのだろう。
「ち、ちょっとそんなところに住み着かないでよ! ますます参拝客が減るじゃないの」
返事は地味な弾幕だった。余裕を持ってお札で払い落とし、ため息をついた。やれやれ。
私は刺激しないようにゆっくりルーミアの巣に近づき、声をかけた。
「ね、せめてそこから出て来なさい。傷の手当てくらいしてあげるし、お茶も出すわよ。そこじゃ雨だって満足にしのげないでしょ」
「……うるさい」
仕方がない。わたしは腕まくりと心の準備を済ませ、手を一気に闇の中に突き入れた。
「せーの、……ぎゃー!」
激痛と共に引き抜き、またしてもルーミアを釣り上げた。すぐさま首根っこを捕まえて、口の中から手を救出する。
「うぅ、玉のお肌が……」
「全然玉じゃなかった。舌触りがさがさ」
「五月蝿いわねぇ。あんたみたいな有象無象が毎日毎日弾幕勝負を仕掛けてくるからこんなふうになっちゃったんじゃない」
猫の子のようにルーミアをぶら下げて、私は本殿に上がった。ぽいっと縁側に投げ捨てると、ルーミアは力なく転がりうつ伏せに倒れた。
どうやら思った以上に衰弱しているらしい。私はアリスからぶん取ってきた洋傘を広げ、ルーミアの上にかぶせる。
「ま、あんたにもプライドがあるだろうから無理強いはしないわ。ただ、雨宿りの場所はそこにしておきなさい。とりあえずの雨風はしのげるし、傘持っていれば飛沫もかからないでしょ。手当てやお茶が欲しくなったら遠慮なく来ること。社務所にいるから。あ、その傘は私のじゃないから壊さないように。おっかない人形遣いにぶっ飛ばされたくなかったら、ね」
傘をかぶせられたまま不思議そうにこっちを見るルーミアにひらひら手を振り、私は本殿を抜けて社務所に向かった。
水分を吸ったリボンを解き、清潔な布で頭を拭く。汚れた服を脱ぎ捨てて緩んでいたサラシも換え、ぱりっとした新しい巫女服をまとう。最後に口と手を使って袖を腕に括りつけ、私はようやく一息ついた。
「ふぅ」
汚れた衣服はまとめて行李に蹴り込む。明日にでも洗濯をしないと。こういうときはレミリアが羨ましい。どうして神社には瀟洒なメイドがいないのだろう。レミリアのところと何が違うのか。やはり500年くらい生きなくてはダメなのだろうか。
「はっ、それとも羽根か!? 羽根がえーんか!?」
「巫女」
「うわっ! っと。なんだ、ルーミアか」
「なんだとはなんだ」
社務所の入り口を少し開け、そこから闇妖が覗いていた。畳み方が分からないのか、開いたままの傘を難儀そうに抱え、膨れっ面をしていた。
「何してんのよ、入ってきたら?」
「……子鬼は、いない?」
「萃香のこと? ちょっと前に紫のところに遊びに行ったっきり見てないわね」
「……白黒は?」
「魔理沙だったら半壊したアリスの家で失神中よ」
「……ん」
それでようやく危険はないと判断したのか、ルーミアは恐る恐るといった感じで社務所の中に入ってきた。
「こらこら、傘畳んでよ」
「?」
「はぁ。ほら貸しなさい」
受け取った傘を畳んで土間に置き、居心地の悪そうなルーミアを座布団の上に座らせた。
「きょろきょろしないの。で、手当ては? いるの?」
「して」
戸棚の上から薬箱を降ろし、くすぐったがるルーミアを押さえつけて服を脱がした。白い肌のあちこちに付いた擦り傷に消毒と包帯。打ち身に湿布を貼っていく。
「く、くすぐったい」
「こら、暴れるな」
手早く処置を済ませてしまうと、私は箪笥の中から小さくなって着れなくなった巫女服を出した。
「あんたに合うようなサイズのはこれしかないわ、ほら、自分で着なさい」
「巫女の服?」
「そうよ、光栄に思いなさい」
「変なの」
「何おう」
濡れそぼったルーミアの服は壁にかけて乾かしておく。袖を括るのに手間取っていたので手伝ってやると、闇妖もどうにか人心地ついたようだった。
「巫女」
「あのね、私の名前は霊夢。いい加減覚えなさい」
「れーむ。何かたべたい」
「く、我侭なお嬢さんね。お饅頭しかないけど文句言わないでよ」
「おまんじゅう?」
「お菓子。丸くてふわふわで甘いものよ」
「甘いの!? たべたーい」
「はいはい」
二人分のお茶と饅頭を用意すると、ルーミアは目を輝かせた。
「おまんじゅう!」
「はいはいそーよ。味わって食べなさい」
ルーミアは一口でそれを食べた。話を聞いてんのか。
「ウマイ!」
「良かったわね」
「もっと欲しい!」
「私のも食べていいわよ」
「いいの!?」
「あんたを見てたら食欲がなくなったわ。今度は落ち着いて……」
またもや一飲みにされるまんじゅう。
「ウマイ!」
「あんた、大物ね」
私はお茶を啜りながら、ため息をついた。
雨は少し小降りになった。私は「文々。新聞」を広げて、二杯目のお茶を飲む。私と同じ服装をしたルーミアは縁側に出ており、雨垂れで削られている縁石が珍しいのか、腹這いになってずっとそれを眺めている。
ふと気になって、私は顔を上げた。
「そういや、ルーミア」
「んー?」
「あんた、誰にぶちのめされたの?」
「……知らない」
「知らないって、」
「ほんとに知らない奴。妖怪じゃなかった。人間にも似てるけど違う。獣っぽかった。変な帽子をかぶってて、その下には角があって、すっごい怒ってた。おっかなかった」
ぶるりと、少女の形の闇は身を震わせた。私はその言葉で全てを悟り、額を軽く指で押さえた。
「なるほど慧音ね。あいつ、けっこう見境ないからなぁ。あんたもダメじゃない。また里に降りて悪さしたんでしょ」
「してないもん! ただちょっと里の上を通っただけだもん! それなのに、あいつが!」
「……悪かったわね、決め付けたりして。でも、あんた人間を食べるでしょ。そんなあんたが近づいたら、里の連中は怖がるし、慧音も撃たざるを得ないわよ」
「……いけないの?」
「え?」
その時のルーミアの顔は寒いような、痛いような、それでいてひどく透明な感じだった。私は少したじろいた。
「人間を食べるのは、いけないことなの?」
「………」
「霊夢だって、里の人間達だって、鶏や豚や牛を食べるよね。魚だって捕るし、野菜や果物が生き物じゃないとは言わせない」
「……ええ、確かにそうね。私たちは生きるために他のたくさんの命を貰っているわ」
「私だって同じだよ。生きていくために人間を食べるの。それがダメなの? 人間はいいのに、私は許されないの? 私は生きてちゃいけないの?」
なるほど。私はルーミアの陥った思考の袋小路を知った。それは生きている限りついて回る生命の矛盾。生きるために食べる。生きたいから食べられたくない。相反する複数の意思の間にできる、決して埋まることのない溝だ。
幼いながらもルーミアはその疑問を看過できるほど愚かではなく、また割り切って耳を塞げるほど利巧でもなかった。
面倒くさい。私はそう思った。
しかし、ルーミアがその袋小路に行きついたことが不幸とは思わなかった。純粋がゆえにぶち当ったその面倒くさい疑問は、とてもとても大切な問題だと思うからだ。
「ルーミア」
投げかけた私の声は、しかし、ルーミアをひどく震えさせた。
「霊夢も、私を撃つの? あのおっかない奴みたいに。私はやっぱり、生きてちゃいけないの?」
私はルーミアに近づき、怯えるようにあとずさるルーミアの頭を捕まえてぐしゃぐしゃに撫でてやった。
「ばかね。誰も、そんなこと言わないわ」
「けど、」
「あんたも、私も、この世に生まれてきた以上、好き勝手に生きていいのよ。人間だって、食べたいなら好きなだけ食べなさい」
「え?」
ルーミアの大きな目がますます大きくなった。不可解なものを見るような視線を私に向ける。
「……いいの?」
「あんたが生きるためだもん、好きにすればいい。――ただね、食べられる人間だって同じように生きているってことも忘れちゃダメ。人間は生きたいから抵抗するわ。徒労を組んだり、あんたがやられた慧音みたいなのに頼ったり、色々な手を使う。仲間が食べられたら報復だって考える。でもね、それを理不尽と感じるんじゃないよ。人間も、あんたと同じように生きてるんだからね」
「……分かる。分かるよ。私だってほんとは嫌われるのやだよ。怖がられるのやだよ。でも、だけど。人間を食べないと、私は生きていけないよ」
「……あんた、さっき美味しそうにお饅頭食べてたじゃん。別に人間しか食べられないわけじゃないんでしょ?」
「……うん。でも、私は妖怪だもん。妖怪は人間を食べるものだわ」
「ルーミア、私も人間よ。ルーミアは私を食べたい?」
ルーミアは虚を突かれたような顔をして、大きく首を横に振った。
「思わない。最初に霊夢に会ったときはきらいだったし、食べようって確かに思ったよ。でも、今は違う。霊夢は傘をくれたし、着替えもくれたし、おまんじゅうもくれたし、強いし、しゃべっても面白いし、時々怖いけど、すごく優しい。霊夢は好きだよ。好きになった。だから食べたいなんて思わないよ」
私は笑ってルーミアの頭を撫でた。
「そんなふうに言ってもらえて嬉しいよ、ルーミア。私があんたの友達になったから、あんたは私を食べたくなくなったのね。だったらさ、意外と簡単かもよ。人間全部と友達になればいいんだ。あんたは人間を好きになって、人間もあんたが好きになれば、きっとあんたは、人間を食べなくてもやっていけるよ」
「え、と、ともだち? 霊夢と?」
聞き慣れない言葉を噛み締めるように、ルーミアは戸惑った声を上げた。何だか恥ずかしいことを口走ってしまった私は、赤くなって少し怒った。
「なによ。一緒にお茶飲んでお菓子食べたじゃない。傷の手当てもしたし、服も貸したし、これだけおしゃべりした後で、今さら友達じゃないなんて言わせないわよ」
「う、ううん、ううん。違うの。と、ともだちなんて言われたことなかったから、よく分かんなくて。でもなんだろ。この気持ち。なんだろ。へ、変だよ、霊夢。れいむ」
思いがけないような表情で、ルーミアはぽろぽろと、水晶のような涙をとめどなく落とした。
「あ、あれ。なんで……?」
おろおろしながら不思議そうな顔で、ルーミアは困ったように私を見た。その様子に不覚にも胸を熱くし、私は思わずルーミアを抱きしめてその柔らかな髪に頬を寄せた。
「わっ」
びっくりしたルーミアだったけど、やがて顔をくしゃくしゃに歪め、痛いくらい私にしがみ付いて泣き出した。大きな泣き声だった。不器用な泣き声だった。
たった一人で生まれ、たった一人で生きてきた、やせっぽっちの妖怪の女の子は、小さな身体にずっと溜め込んできた涙を、この時ようやく吐き出した。
小さな子供がお母さんにするように、泣き止んだ後もルーミアはしばらく私にしがみ付いていた。そうしたまま髪を撫でてもらうのにも飽きると、ルーミアは静かに私から離れ、泣き腫らした目を照れくさそうに擦って、ごめんねと囁いた。
いつの間にか夕刻になり、忍び寄った宵闇が幻想郷を包んでいた。私は黙って立ち上がり、行灯に火を入れた。それから、ルーミアのために梅昆布茶を淹れてやった。
「人間みんなと友達に……」
噛み締めるように、ルーミアはさっきの私の言葉を繰り返す。
「できるかな、私に」
暖かい梅昆布茶を啜りながら、問いかけるような目で私の顔をうかがった。臆病な声の調子に、だけど私は意図してそっけない調子で返事をする。
「さあ、ね。それはあんた次第よ。確かに簡単なことじゃない。でも、不可能ってわけでもないんじゃない?」
「むー」
不満そうなルーミアだったが、もう一口梅昆布茶を飲み、幾分表情を和らげた。
「……里にはさ、私が食べちゃった人の家族や、友達もいるんだよね」
私は思わず息を飲んだ。しかし、ルーミアの声に絶望の響きはない。そこに自分にはない種類の強さを感じて、私は少し微笑んだ。
「永い時間がかかると思うわ。初めは裏切られたり、ひどいことを言われたりもするかもしれない。でも、大切なのは一歩ずつでも前に進んでいくことじゃないかって、私は思うわ」
「自信ないな」
「難しく考えちゃダメ。身近なところから作っていけばいいのよ、友達なんて。何なら紹介してあげようか、私の親友」
もじもじと恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、ルーミアは笑った。
「うん! 霊夢の親友だったら」
「魔理沙」
「やだー!」
ルーミアは叫んだ。
「なんで? いい奴よ。義理堅いし、陽気だし。ちょっと喧嘩っ早くて口は悪いけど」
「だって怖いよ。私、この辺通ってて追い回されたこと何度もあるもの」
「あのバカそんなことやってんのか……。まったく、今度お灸を据えとくわ。じゃあ別なのにしましょ。咲夜とかどう?」
少し疑わしそうな目をするルーミア。
「誰?」
「私のちょっとした腐れ縁。紅魔館でメイド長やってる子でね、時間を止められるし、ナイフ捌きがすごいのよ」
「も、もっと怖いよ!」
「わがままな奴ね。他に私の知ってるところだと、元人間の人形遣いとか、半分幽霊の辻斬りとか……」
「……もっと普通のがいいんだけど」
「ふつ、う?」
「いないの?」
「あはは」
「笑って誤魔化さないで」
私はルーミアの追及の目から逃れるように立ち上がり、障子を開けて外を見た。さぁっと舞い込む夜気、絹のように滑らかな湿り気を帯びた風。
「ん、星が綺麗ね。月も出てるし。いつの間にか、雨止んじゃってたわ」
「あ……」
振り返ると、ルーミアが悲しそうな顔をしていた。その遠慮がちな表情から気付く。ルーミアは雨宿りをするためにここに来た。じゃあ雨が止んだら、もうここにいる必要はない。そんなふうに思っているんだ。
やれやれ、友達の間にはそんな他人行儀な考え方なんて必要ないのに。まあ、いい。そういうことも含めて、これから学んでいけばいいのだ。
私は箪笥の奥から引っ張り出した小さめの割烹着をルーミアの胸にドンと押し付け、にっこり笑った。
「今日、泊まっていくんでしょ? 晩御飯作るの手伝ってよね」
「う、うんっ!」
弾けるような笑顔が眩しい。何だか私も嬉しくなる。宵闇の妖怪が人に馴染むのに、もしかしたら、そんなに時間は要らないかもしれない。
という迂遠極まる言い方でアリス・マーガトロイドに誘われた魔女のお茶会とやらに顔を出してきた。
初めて入る魔法の森のマーガトロイド邸は規模や造りこそ魔理沙の家とよく似ているが、整理整頓と手入れが行き届いてはるかに清潔だった。しかし、意味もなくテンパったアリスに案内された小ざっぱりとしたリビングは、真ん中に寝転がった魔理沙によって霧雨色に汚染されていた。
読んだ本や読みかけの本が死屍累々と積み上げられ、紅茶の香り付け用に用意されていたであろうブランデーのビンはすでに空。食いかけのアリス特製マドレーヌを口の端からはみ出させたまま「よぉ霊夢」 などと振り向くもんだから食いカスがボロボロ。
妙な既視感と頭痛を覚える間もなく怒り狂ったアリスが戦闘用の人形を全展開して魔理沙に突撃し、流れ弾を捌いているうちに何故か矛先が私にも向き、人形遣いが思い描いていたであろう優雅な午後のお茶会は、ものの8秒で醜く野蛮な三つ巴の弾幕ごっこへと変貌した。
酔っ払った上に食いすぎの魔理沙が真っ先に撃墜され、がんばったが血に飢えたアリスには力及ばず、ほどなくして私も堕とされた。勝負には勝ったアリスも正気に戻った途端、屋根が吹っ飛んだ自分の家の惨状に目が行き、摘み取られた花のように儚く意識を失った。
阿鼻叫喚の魔女のお茶会は最終的な勝利者を出さず、その時点でお開きとなった。倒れ伏した二人の魔女を面倒くさいからそのままにして、私は家路に着いたのだった。
ぽつりぽつりと雨粒を鼻先に感じたのは、神社に繋がる石段の麓あたりまで来たときだった。
「あ、やっぱり降ってきた」
雨の日に空を飛ぶのはご法度だ。四方八方から吹き付ける雨粒であっというまにびしょ濡れになってしまう。
私は石段の途中にふんわりと降り立ち、マーガトロイド邸の瓦礫の中からかっぱらって来た、いかにもアリスが好みそうな装飾付きの洋傘を開いた。
「治療費代わりに借りてきて正解だったわ。ちゃんと返すから、魔理沙と一緒にしないでね」
被弾して少し血が滲んだ側頭部を撫でながら、言い訳めいたことを口にした。半壊した自分の家を見てひっくり返ったアリスの、医者に不治の病でも告げられたかのような薄幸の表情を思い出したからだ。
似たような顔色の紫もやしなら一人知っているが、そっちは普段の言動がアレすぎるせいかちっとも同情できない。まあもっとも、今回マーガトロイド邸を最終的に吹き飛ばしたのは他ならぬアリス本人のドールズウォーであるから、こちらも本来ならば同情の余地などないのだ。しかし、捨てられたチワワのようなあの哀れっぽい表情を見てしまっては、そんな非情なことはとても言えなかった。
「まあ、いざとなったら魔法で直すだろうからいいわよね。屋根が吹き飛ぶくらい、大したことじゃないもの。うちの神社なんか何回倒壊したと思ってるの……」
傘をくるくる回しながら、石段を登った。いつも飛び回っているせいか、自分の足でこの石段を登るのは久しぶり。知らない間にあちこちに苔が生えていて少し滑る。神社に来る連中のほとんどが空を飛ぶため文句はどこからも出なかったが、問題はそういう輩はすべからくお賽銭を入れていかないこと。
ごく稀に来る(そしてお賽銭を入れていく)里の人たちのためにも、雨が止んだら石段の掃除をしよう。一人でやるのは大変だから誰かに手伝ってもらわないと。こういうことが得意そうなのは、妖夢。それから咲夜。いや、あいつは瀟洒だから石段の苔落としなんて手伝ってくれないか。どっちかというと門番の方ね、相応しいのは。あとは……。
頭の中で石段掃除決死隊の編成を組み立てながら、ふと傘を傾けて鈍色の空を見上げた。
「……雨、強くなってきたわね」
ぽたりぽたりと当る程度だった雨粒は今やバケツをひっくり返したような勢いで、断続的な騒音はプリズムリバー三姉妹のそれに迫るような勢いだった。
「う、わあ。ちょっとこれはひどいわ」
跳ねた泥水がスカートの裾にみるみるうちに染みを作っていくのを見て、私は眉をひそめた。アリスにやられてあちこち破けてはいたけど、私だって女の子だ。これ以上服が汚れるのはあまり愉快なことではなかった。
私はつま先で跳びはねるように石段を登りきり、真っ赤な鳥居をくぐって境内の裏に回った。少し無作法だけど、こっちから本殿の中を通った方が社務所には近いのだ。
「ん?」
傘を畳んで縁側から本殿に上がろうとしたとき、妙なものを見つけた。本殿の裏手、雑草がぼうぼういつも日陰になっている軒下。腰までくらいの高さのあるそこに、真っ黒でほわほわな球体が収まっていた。雨空の下での判別は難しいが、どうやら影の具合でそう見えるわけではないらしい。
「何かしら。毛玉? 悪霊? 魑魅魍魎?」
少し興味を持って近づいた。軒下にすっぽりとはまる形のほわほわは一抱えほどもあり、純粋な闇色をしていた。手を翳してみる。手触りはない。鼻を近づけてみる。匂いもない。
変なの。
でもどこかで見た気がするのよね、これ。
屈み込み、思い切ってずっぽり手を突っ込んでみた。すると指先に何かが触れた。さらさらと細く艶やかな手触り。さらにめり込ませると。ぷにっと何かを突っついた。
「あうっ」
声が聞こえた。
「ん、これって。……んぎゃーっ!」
予想外の激痛が掌に走り、私は慌てて手を引っこ抜いた。すると子供が釣れた。金髪のおかっぱ頭に真っ赤なリボン。白いブラウスに闇色のスカートを着たやせっぽっちの幼い少女。小さな口を目いっぱい開けて、私の手に噛み付いていた。
「いたいいたいいたたた!」
手をぶんぶん振り回して少女を払い落とす。少女は空中でくるりと体勢を整えると、猫のようにしなやかに着地した。
「……うぅ、血が出た」
唾液まみれの掌を押さえて涙目の私。そんな私を睨んで、少女は喉を鳴らして威嚇する。
「何のようなの! 人間!」
「あ、あんたは、」
思い出した。あれは悪さをしたレミリアをとっちめた夜だったか。ちょっかいを出してきたから気持ちよく返り討ちにした女の子いた。宵闇が長い時間をかけて少女の像を成したちっぽけな闇妖。名前は、確か、
「ルーミアだっけ?」
答えず、ルーミアは愛らしい少女の顔を歪めた。敵意のこもった視線を光らせ、力のない弾幕を放つ。
「人間きらい! 巫女きらい!」
私は少しだけ動いて弾を避けた。懐から符を抜きかけ、止めた。反撃するまでもない。以前も大して強くなかったが、それに輪をかけて今日の闇妖にはキレがない。
「あれ、あんた怪我してるじゃないの」
「うるさい」
よく見るとルーミアは傷だらけだった。闇色のスカートはあちこちほつれ、破け、血が滲んでいる。真っ赤なリボンも心なしかくすんでいるようだ。
相手にされていないと分かると、ルーミアは悔しそうに顔を伏せ、足を引きずりながら軒下のほわほわの中に戻った。どうやらこの闇がルーミアの巣なのだろう。
「ち、ちょっとそんなところに住み着かないでよ! ますます参拝客が減るじゃないの」
返事は地味な弾幕だった。余裕を持ってお札で払い落とし、ため息をついた。やれやれ。
私は刺激しないようにゆっくりルーミアの巣に近づき、声をかけた。
「ね、せめてそこから出て来なさい。傷の手当てくらいしてあげるし、お茶も出すわよ。そこじゃ雨だって満足にしのげないでしょ」
「……うるさい」
仕方がない。わたしは腕まくりと心の準備を済ませ、手を一気に闇の中に突き入れた。
「せーの、……ぎゃー!」
激痛と共に引き抜き、またしてもルーミアを釣り上げた。すぐさま首根っこを捕まえて、口の中から手を救出する。
「うぅ、玉のお肌が……」
「全然玉じゃなかった。舌触りがさがさ」
「五月蝿いわねぇ。あんたみたいな有象無象が毎日毎日弾幕勝負を仕掛けてくるからこんなふうになっちゃったんじゃない」
猫の子のようにルーミアをぶら下げて、私は本殿に上がった。ぽいっと縁側に投げ捨てると、ルーミアは力なく転がりうつ伏せに倒れた。
どうやら思った以上に衰弱しているらしい。私はアリスからぶん取ってきた洋傘を広げ、ルーミアの上にかぶせる。
「ま、あんたにもプライドがあるだろうから無理強いはしないわ。ただ、雨宿りの場所はそこにしておきなさい。とりあえずの雨風はしのげるし、傘持っていれば飛沫もかからないでしょ。手当てやお茶が欲しくなったら遠慮なく来ること。社務所にいるから。あ、その傘は私のじゃないから壊さないように。おっかない人形遣いにぶっ飛ばされたくなかったら、ね」
傘をかぶせられたまま不思議そうにこっちを見るルーミアにひらひら手を振り、私は本殿を抜けて社務所に向かった。
水分を吸ったリボンを解き、清潔な布で頭を拭く。汚れた服を脱ぎ捨てて緩んでいたサラシも換え、ぱりっとした新しい巫女服をまとう。最後に口と手を使って袖を腕に括りつけ、私はようやく一息ついた。
「ふぅ」
汚れた衣服はまとめて行李に蹴り込む。明日にでも洗濯をしないと。こういうときはレミリアが羨ましい。どうして神社には瀟洒なメイドがいないのだろう。レミリアのところと何が違うのか。やはり500年くらい生きなくてはダメなのだろうか。
「はっ、それとも羽根か!? 羽根がえーんか!?」
「巫女」
「うわっ! っと。なんだ、ルーミアか」
「なんだとはなんだ」
社務所の入り口を少し開け、そこから闇妖が覗いていた。畳み方が分からないのか、開いたままの傘を難儀そうに抱え、膨れっ面をしていた。
「何してんのよ、入ってきたら?」
「……子鬼は、いない?」
「萃香のこと? ちょっと前に紫のところに遊びに行ったっきり見てないわね」
「……白黒は?」
「魔理沙だったら半壊したアリスの家で失神中よ」
「……ん」
それでようやく危険はないと判断したのか、ルーミアは恐る恐るといった感じで社務所の中に入ってきた。
「こらこら、傘畳んでよ」
「?」
「はぁ。ほら貸しなさい」
受け取った傘を畳んで土間に置き、居心地の悪そうなルーミアを座布団の上に座らせた。
「きょろきょろしないの。で、手当ては? いるの?」
「して」
戸棚の上から薬箱を降ろし、くすぐったがるルーミアを押さえつけて服を脱がした。白い肌のあちこちに付いた擦り傷に消毒と包帯。打ち身に湿布を貼っていく。
「く、くすぐったい」
「こら、暴れるな」
手早く処置を済ませてしまうと、私は箪笥の中から小さくなって着れなくなった巫女服を出した。
「あんたに合うようなサイズのはこれしかないわ、ほら、自分で着なさい」
「巫女の服?」
「そうよ、光栄に思いなさい」
「変なの」
「何おう」
濡れそぼったルーミアの服は壁にかけて乾かしておく。袖を括るのに手間取っていたので手伝ってやると、闇妖もどうにか人心地ついたようだった。
「巫女」
「あのね、私の名前は霊夢。いい加減覚えなさい」
「れーむ。何かたべたい」
「く、我侭なお嬢さんね。お饅頭しかないけど文句言わないでよ」
「おまんじゅう?」
「お菓子。丸くてふわふわで甘いものよ」
「甘いの!? たべたーい」
「はいはい」
二人分のお茶と饅頭を用意すると、ルーミアは目を輝かせた。
「おまんじゅう!」
「はいはいそーよ。味わって食べなさい」
ルーミアは一口でそれを食べた。話を聞いてんのか。
「ウマイ!」
「良かったわね」
「もっと欲しい!」
「私のも食べていいわよ」
「いいの!?」
「あんたを見てたら食欲がなくなったわ。今度は落ち着いて……」
またもや一飲みにされるまんじゅう。
「ウマイ!」
「あんた、大物ね」
私はお茶を啜りながら、ため息をついた。
雨は少し小降りになった。私は「文々。新聞」を広げて、二杯目のお茶を飲む。私と同じ服装をしたルーミアは縁側に出ており、雨垂れで削られている縁石が珍しいのか、腹這いになってずっとそれを眺めている。
ふと気になって、私は顔を上げた。
「そういや、ルーミア」
「んー?」
「あんた、誰にぶちのめされたの?」
「……知らない」
「知らないって、」
「ほんとに知らない奴。妖怪じゃなかった。人間にも似てるけど違う。獣っぽかった。変な帽子をかぶってて、その下には角があって、すっごい怒ってた。おっかなかった」
ぶるりと、少女の形の闇は身を震わせた。私はその言葉で全てを悟り、額を軽く指で押さえた。
「なるほど慧音ね。あいつ、けっこう見境ないからなぁ。あんたもダメじゃない。また里に降りて悪さしたんでしょ」
「してないもん! ただちょっと里の上を通っただけだもん! それなのに、あいつが!」
「……悪かったわね、決め付けたりして。でも、あんた人間を食べるでしょ。そんなあんたが近づいたら、里の連中は怖がるし、慧音も撃たざるを得ないわよ」
「……いけないの?」
「え?」
その時のルーミアの顔は寒いような、痛いような、それでいてひどく透明な感じだった。私は少したじろいた。
「人間を食べるのは、いけないことなの?」
「………」
「霊夢だって、里の人間達だって、鶏や豚や牛を食べるよね。魚だって捕るし、野菜や果物が生き物じゃないとは言わせない」
「……ええ、確かにそうね。私たちは生きるために他のたくさんの命を貰っているわ」
「私だって同じだよ。生きていくために人間を食べるの。それがダメなの? 人間はいいのに、私は許されないの? 私は生きてちゃいけないの?」
なるほど。私はルーミアの陥った思考の袋小路を知った。それは生きている限りついて回る生命の矛盾。生きるために食べる。生きたいから食べられたくない。相反する複数の意思の間にできる、決して埋まることのない溝だ。
幼いながらもルーミアはその疑問を看過できるほど愚かではなく、また割り切って耳を塞げるほど利巧でもなかった。
面倒くさい。私はそう思った。
しかし、ルーミアがその袋小路に行きついたことが不幸とは思わなかった。純粋がゆえにぶち当ったその面倒くさい疑問は、とてもとても大切な問題だと思うからだ。
「ルーミア」
投げかけた私の声は、しかし、ルーミアをひどく震えさせた。
「霊夢も、私を撃つの? あのおっかない奴みたいに。私はやっぱり、生きてちゃいけないの?」
私はルーミアに近づき、怯えるようにあとずさるルーミアの頭を捕まえてぐしゃぐしゃに撫でてやった。
「ばかね。誰も、そんなこと言わないわ」
「けど、」
「あんたも、私も、この世に生まれてきた以上、好き勝手に生きていいのよ。人間だって、食べたいなら好きなだけ食べなさい」
「え?」
ルーミアの大きな目がますます大きくなった。不可解なものを見るような視線を私に向ける。
「……いいの?」
「あんたが生きるためだもん、好きにすればいい。――ただね、食べられる人間だって同じように生きているってことも忘れちゃダメ。人間は生きたいから抵抗するわ。徒労を組んだり、あんたがやられた慧音みたいなのに頼ったり、色々な手を使う。仲間が食べられたら報復だって考える。でもね、それを理不尽と感じるんじゃないよ。人間も、あんたと同じように生きてるんだからね」
「……分かる。分かるよ。私だってほんとは嫌われるのやだよ。怖がられるのやだよ。でも、だけど。人間を食べないと、私は生きていけないよ」
「……あんた、さっき美味しそうにお饅頭食べてたじゃん。別に人間しか食べられないわけじゃないんでしょ?」
「……うん。でも、私は妖怪だもん。妖怪は人間を食べるものだわ」
「ルーミア、私も人間よ。ルーミアは私を食べたい?」
ルーミアは虚を突かれたような顔をして、大きく首を横に振った。
「思わない。最初に霊夢に会ったときはきらいだったし、食べようって確かに思ったよ。でも、今は違う。霊夢は傘をくれたし、着替えもくれたし、おまんじゅうもくれたし、強いし、しゃべっても面白いし、時々怖いけど、すごく優しい。霊夢は好きだよ。好きになった。だから食べたいなんて思わないよ」
私は笑ってルーミアの頭を撫でた。
「そんなふうに言ってもらえて嬉しいよ、ルーミア。私があんたの友達になったから、あんたは私を食べたくなくなったのね。だったらさ、意外と簡単かもよ。人間全部と友達になればいいんだ。あんたは人間を好きになって、人間もあんたが好きになれば、きっとあんたは、人間を食べなくてもやっていけるよ」
「え、と、ともだち? 霊夢と?」
聞き慣れない言葉を噛み締めるように、ルーミアは戸惑った声を上げた。何だか恥ずかしいことを口走ってしまった私は、赤くなって少し怒った。
「なによ。一緒にお茶飲んでお菓子食べたじゃない。傷の手当てもしたし、服も貸したし、これだけおしゃべりした後で、今さら友達じゃないなんて言わせないわよ」
「う、ううん、ううん。違うの。と、ともだちなんて言われたことなかったから、よく分かんなくて。でもなんだろ。この気持ち。なんだろ。へ、変だよ、霊夢。れいむ」
思いがけないような表情で、ルーミアはぽろぽろと、水晶のような涙をとめどなく落とした。
「あ、あれ。なんで……?」
おろおろしながら不思議そうな顔で、ルーミアは困ったように私を見た。その様子に不覚にも胸を熱くし、私は思わずルーミアを抱きしめてその柔らかな髪に頬を寄せた。
「わっ」
びっくりしたルーミアだったけど、やがて顔をくしゃくしゃに歪め、痛いくらい私にしがみ付いて泣き出した。大きな泣き声だった。不器用な泣き声だった。
たった一人で生まれ、たった一人で生きてきた、やせっぽっちの妖怪の女の子は、小さな身体にずっと溜め込んできた涙を、この時ようやく吐き出した。
小さな子供がお母さんにするように、泣き止んだ後もルーミアはしばらく私にしがみ付いていた。そうしたまま髪を撫でてもらうのにも飽きると、ルーミアは静かに私から離れ、泣き腫らした目を照れくさそうに擦って、ごめんねと囁いた。
いつの間にか夕刻になり、忍び寄った宵闇が幻想郷を包んでいた。私は黙って立ち上がり、行灯に火を入れた。それから、ルーミアのために梅昆布茶を淹れてやった。
「人間みんなと友達に……」
噛み締めるように、ルーミアはさっきの私の言葉を繰り返す。
「できるかな、私に」
暖かい梅昆布茶を啜りながら、問いかけるような目で私の顔をうかがった。臆病な声の調子に、だけど私は意図してそっけない調子で返事をする。
「さあ、ね。それはあんた次第よ。確かに簡単なことじゃない。でも、不可能ってわけでもないんじゃない?」
「むー」
不満そうなルーミアだったが、もう一口梅昆布茶を飲み、幾分表情を和らげた。
「……里にはさ、私が食べちゃった人の家族や、友達もいるんだよね」
私は思わず息を飲んだ。しかし、ルーミアの声に絶望の響きはない。そこに自分にはない種類の強さを感じて、私は少し微笑んだ。
「永い時間がかかると思うわ。初めは裏切られたり、ひどいことを言われたりもするかもしれない。でも、大切なのは一歩ずつでも前に進んでいくことじゃないかって、私は思うわ」
「自信ないな」
「難しく考えちゃダメ。身近なところから作っていけばいいのよ、友達なんて。何なら紹介してあげようか、私の親友」
もじもじと恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、ルーミアは笑った。
「うん! 霊夢の親友だったら」
「魔理沙」
「やだー!」
ルーミアは叫んだ。
「なんで? いい奴よ。義理堅いし、陽気だし。ちょっと喧嘩っ早くて口は悪いけど」
「だって怖いよ。私、この辺通ってて追い回されたこと何度もあるもの」
「あのバカそんなことやってんのか……。まったく、今度お灸を据えとくわ。じゃあ別なのにしましょ。咲夜とかどう?」
少し疑わしそうな目をするルーミア。
「誰?」
「私のちょっとした腐れ縁。紅魔館でメイド長やってる子でね、時間を止められるし、ナイフ捌きがすごいのよ」
「も、もっと怖いよ!」
「わがままな奴ね。他に私の知ってるところだと、元人間の人形遣いとか、半分幽霊の辻斬りとか……」
「……もっと普通のがいいんだけど」
「ふつ、う?」
「いないの?」
「あはは」
「笑って誤魔化さないで」
私はルーミアの追及の目から逃れるように立ち上がり、障子を開けて外を見た。さぁっと舞い込む夜気、絹のように滑らかな湿り気を帯びた風。
「ん、星が綺麗ね。月も出てるし。いつの間にか、雨止んじゃってたわ」
「あ……」
振り返ると、ルーミアが悲しそうな顔をしていた。その遠慮がちな表情から気付く。ルーミアは雨宿りをするためにここに来た。じゃあ雨が止んだら、もうここにいる必要はない。そんなふうに思っているんだ。
やれやれ、友達の間にはそんな他人行儀な考え方なんて必要ないのに。まあ、いい。そういうことも含めて、これから学んでいけばいいのだ。
私は箪笥の奥から引っ張り出した小さめの割烹着をルーミアの胸にドンと押し付け、にっこり笑った。
「今日、泊まっていくんでしょ? 晩御飯作るの手伝ってよね」
「う、うんっ!」
弾けるような笑顔が眩しい。何だか私も嬉しくなる。宵闇の妖怪が人に馴染むのに、もしかしたら、そんなに時間は要らないかもしれない。
人間の友達なら早苗もいるぜ!
ランクは甲ですねwwwww。めっちゃいい話でした。
欲を言えば、次回は「そーなのかー」を入れてほしいですね。
なんか息継ぎしながら読んだら妙な感じだったけど、息継ぎなしで一気にアリスの台詞読んだらえらいことになったw
10秒くらいで早口でまくしたてるアリスを想像して、なんかアリスらしいなぁって思いました。
序盤に関しては後半で役立ってるし別段問題ないんじゃないですかね。
脇道とはいえ、意味のある脇道もあるということで。
何時もと違うルーミアが見れたのもなかなか良かったかな。
なんか、ルーミアに手を齧られてる霊夢想像して萌えたわ。
原作だとこのぐらい普通に会話したりするんですよね、ルーミア。
噛み付かれた霊夢がちょっと可愛かったw
霊夢とルーミアコンビの話は久々に見たきがする
このルーミアは可愛らしいですよ。
人を食べる妖怪だけど人とも仲良くできる妖怪としても書かれる彼女。
ルーミアのこういったお話とかが好きですね。
>名前が無い程度の能力さん
アリスはかつて人間で、修行の果てに魔法使いになったのだと何かで読みました。早苗さんが出てこないのは、私が風神録を未プレイだからです。超ごめんなさい。
>名前が無い程度の能力さん
こんな正統派っぽくない雰囲気のルーミアでも良いですか? 結婚してください。
>じうさん
次回は「そーなのかー」を絶対使います。超がんばります。
ところでランク甲は喜んでいいのですか? いいですね? やったー!
>☆月柳☆さん
アリスはテンパればテンパるほど味が出るのだと勝手に思ってます。原作ではそれなりにクールな娘ですが、やはりここは二次設定で。ツンデレが流行りみたいなので便乗してみたのですが、こうですか?分かりません!
でもアリスらしいと思ってもらえて救われました。
脇道の件がそれほどでもなくて安心です。教えてくれてありがとうございました! 参考になりました!
>三文字さん
そう、原作だとバカっぽくないんですよね、この子。バカの烙印を押されてるけど、本当はできる子だってお母さん信じてるから……。
齧ら霊夢の意外な人気に嫉妬。
>名前が無い程度の能力さん
この出オチのためにアリスさんには出てもらいました。夜空を彩る単発花火みたいな役回り。合唱。霊夢とルーミアのコンビは以外にも絡ませやすかったです。
>煉獄さん
妖怪っておっかないんですよね。だって人間食うんだぜ。でも奴らは可愛いし、愉快だから、できれば友達でいたいところ。
そんな思いを出発点に書いたSSでした。ありがとうございました。
いいルーミアでした。子供のような純粋さがよく出ていた。霊夢もすごくいい感じ
あと、別に無理して「そーなのかー」を入れる必要はないかと。原作でも1回言ってただけだし
むむ、そんなふうに考えたことはなかったです。あえて人を食べ続けることを選んだルーミア。そんな題材も面白そうですね。
>名前が無い程度の能力さん
ルーミアは疑心暗鬼で手のかかるお子様として、霊夢はぶっきらぼうだけど面倒見の良いお姉さんとして書きました。二人ともことのほか動かしやすかったです。
原作の霊夢はもちっと投げやりな感じだと思うのですが、本当はこれくらい人情溢れる良い子なんじゃないかと勝手に思っているのです。
「そーなのかー」 を言わないルーミアが意外なほど市民権を得ていて、驚きました。そーなのかー。
アリスはフェイントです。ありがとうございました。
ああああああああああああああ、かわええええええええええ
是非に是非に続きをー
かわいく書けて良かったです。読んでくれて本当にありがとう。続編希望の声が出ていて興奮しました。今書いてるのにケリがついて、何かネタが浮かんだら考えようと思います。
今日はゆっくり眠れそうです。