春を愛する人は心清き人。
とは言うが、別段そうでもないと私は思う。
ぽかぽかと、日ごと日ごと暖かくなるにつれて冬の間に降り積もった雪が溶け、透き通った水を残してゆく。
その水が小さな流れをつくり、さらにその流れがいくつも束≪たば≫なり、春の山に美しい清流を形成する。
清流は山からはじまり、滞ることなく幻想郷の隅々まで行き渡り、人や自然、ありとあらゆるものを潤してくれる。
大地がその冷たい水を存分に吸い上げ、ツクシやワラビといった山菜を育み、それを私たちがありがたく頂戴する。
また、タンポポや七草など多くの花が一面に、それも一斉に咲き乱れ、人間はもちろん、妖精や物好きな妖怪たちもそれを喜ぶのだ。
桜の花が咲いているところがあれば、人も妖精も物好きな妖怪たちも構わずこぞって宴会を開き、酒を酌み交わす。
宵から始まった馬鹿騒ぎが酣≪たけなわ≫になる頃には夜もいい感じに更けてきて、澄んだ空気が、火照った体を撫でてくれるのだからたまらない。
そんなとき頭上に十五夜のお月さんでも昇っていようものなら、ささもう一杯、とまた馬鹿騒ぎが始まるのだ。
つまり、春なんてものは誰だって愛しているに違いない。
□
「ふう……結構、採れたな」
八雲家からそう遠くない、いつでも気軽にこれる広い丘。
手には大切な食材のつまった編みカゴ。その中にはキノコやアケビにツクシ、ワラビ、さらには橙が見つけてきた、タケノコ。
タケノコ。
「ふふっ」
どうもだめだ。
そのタケノコを見る度に、どうしても頬が緩んでしまうのだ。
というのも、橙が『藍さま、タケノコ! タケノコ見つけましたー!!』なんて言い寄ってきて、『これ、藍さまにあげます! えへへ』なんて無邪気に笑うものだから仕方が無い。
もしも「教育のため」という逃げ道がなかったなら私は、橙に口では言えないというか口でするというか、そんな感じのイケナイことをしていたかも知れなかった。
……もちろん冗談だ、冗談。
「橙? どこにいる、そろそろ帰るぞ」
この丘は幻想郷の中でも春の足音が真っ先に聞こえてくるという特別な場所だ。
そのため、私たちお気に入りの山菜採りスポットとなっている。
紫様いわく、『土壌豊かで、季節の境界が薄い素敵な場所ね』らしい。
またこの丘は森と隣接しているおかげで、春の七草から山菜、野草、はてにはイノシシといった肉類まで手に入ってしまう。
大自然に感謝あるのみ、とつくづく思う。
そんなわけがあって私と橙の二人は、春になるとこうして山菜採りにここまで訪れるのだ。
私は足元に生えているツクシの群のうち、大きいものだけをいくつか摘み取り、顔を上げて橙を呼んだ。
「橙、戻って来い」
「――はい藍さま、いま行きまーす!」
姿こそ見えないが、森の方から元気な声が返ってきた。
うむ、と頷き、深呼吸をして橙を迎える用意をする。
……ほら、なんだ。そうしないと……素が出てしまう、から。
がさ。
そんな馬鹿なことを考えているうちに、橙が木々を掻き分ける音が聞こえてきた。
それはまだ小さなものだったが、橙が出てくるタイミング計るには丁度いい。
がさ。
だが、音はそこで途切れてしまった。
「……橙?」
声をかけてみても、返事どころか物音さえ返ってこない。
ちょっと不安になって、どうしたものか、と考えて、そこでひらめいた。
「……ふむ」
――――ふふ、分かった。分かったぞ、橙。
おそらく、心配して森に入ろうとした私に飛びつこう――そんな算段なのだろう。
甘い、そんなもの私には通用しない。
というのも、前にも似たようなことされて、その……危なかった、から。
さあて、どう反撃してやろうか。
もしかすると飛びついてきたその瞬間に、私の自慢の爪が橙の服を破いてしまってあんな所こんな所が見えてしまう事故が起きるかも知れない気をつけよう。あくまで事故だから、事故。
そんな妄想をして、自慢の爪を磨いで待っていると、
「藍さまー! お財布ひろいました!」
……という実に、実に現実的な言葉が聞こえてきた。
そして橙がいたって普通に、ゆっくりと歩いて森から出てくる。
ああ……なんというか、ちょっと……残念。
顔には出さず、肩を落とす。
そうか、財布を拾うために足を止めていただけか。畜生、財布め。畜生。
「おお、そうか。よく届けてくれた橙」
橙の手には、私のものと同じ編みカゴ。
中に入っているのは山菜と、橙の好きそうな花(食用ではない)が割とたくさん、そして財布……のようなもの。
財布というよりも、巾着に近い。
こんな変なものに、私のささやかな期待を横取りされたのか。
誰が落としたんだ、タイミングの悪い――なんて、少しは思ったりもする。
だがよく考えてみれば、我が式神が落し物をちゃんと届け出てくれる、中々珍しいシチュエーションかも知れないのだ。
個人的には橙がずぶ濡れになって泣きながら私に抱きついてきてくれるというシチュの次くらいに良い。
というのは冗談にしておき、橙が素直な子に育ってくれたことを素直に喜ぶとしよう。
そうして、橙をみやる。
と、橙は私を上目遣いで見つめ、花が咲くような満面の、あるいは反則の笑顔で、言うのだ。
「藍さま、ほめてほめて~!」
――――ああもう何だこの可愛い生き物は。
「よしよし、橙は偉いな」
とりあえず撫でてみる。
うわ、さらさらだ。
橙の髪の毛さらさらだ、うわどうしよ、うわあああ!
「んー、藍さまふかふか~」
もふっ。
うわあああ橙の顔が、こんな近くうぁあああ~~!!
「こ、こらやめなさいっ」
「えへへ、藍さまあったかいんだもん。ダメですか?」
もふもふ。
にゃああああっ!?
か、かわいいっ! 橙かわいいぃ!!
「……かわいい……ああ、幸せだ……」
――――あ゛っ。
しまっ、つい素が出て――――
「? 藍さま、幸せ?」
「い、いや、何でもないっ! とにかく、離れなさい!」
私の胸に顔をうずめて離れようとしない橙を引き剥がす。
……名残惜しいけど、仕方が無いのだ。名残惜しいけど。……うむ、名残惜しい。
ごほん、と一つ咳をして気持ちを落ち着けて、橙に語りかける。
「……橙、その財布を渡しなさい」
「はい、どうぞ藍さま」
「よろしい。では、私はこの足で、博麗神社までこれを届けてくる。橙は家に帰っていろ」
「はい、分かりました!」
元気に返事をする橙は、やっぱり可愛い。
「――――だが、その前に」
やるべき躾は、やらなければならない。
それがどれだけ可愛い式神だとしても、だ。
「正直に言え、橙」
橙の眼をしっかりと見据え、問い詰める。
自分でも大人げ無いと思うが、見過ごすことは出来ない。
その手のカゴに、沢山摘まれた花を。
「その花は、何だ」
山菜採りにきて、お前は、どうして花を摘んでいたのだ?
それも、山菜より熱心に。
狩りさえせずに。
ただ、花を。
「藍さま、この花は――――」
遊んでいたんだろう?
サボっていたんだろう?
この丘に似合う、美しい花に見とれて。
正直に言えば良し。
反省の色が見えれば、まあ良し。
だが見え透いた言い訳をするようならば――――。
「――――この花は、藍さまのために摘んできたんです!」
「……え?」
この時の私はとても間の抜けた顔をしていたと思う。
橙のその答えは、本当に予想もしていなかったのだ。
「何だかこの花、藍さまが好きそうな気がしたんです」
笑顔で言う橙の眼は、いつもよりさらに輝いていた。
とても嘘をついている、裏のある瞳ではなかった。
「…………私が、好きそう?」
「はいっ!」
そこでまた、それこそカゴに入っている美しい花のように笑うのだ。
「…………そうか」
「えと、藍さま?」
「……そう見えたか! ははっ!」
――――何のことはない。
「ありがとう、橙。私もこういう花が大好きだ」
何のことはないのだ。
私が見ていた『橙の好きそうな花』は、橙にすれば『藍さまの好きそうな花』だった。
ただ、それだけのことだった。
橙と私は、どこかでちゃんと繋がっている。
私はこの時初めて、その確信を得ることができた。
橙の優しさが、叫びだしたいほどに嬉しかった。
「すごく嬉しい。ああ、すごく嬉しいよ」
「わ、やたっ、ホントですか!? 喜んでもらえて良かったです!」
そして橙は、本当に叫ぶみたいに喜ぶのだ。
その素直さが、今はちょっとだけ羨ましい。
だから私も今だけは素直に笑ってみせた。
いつでもこうして、橙と笑っていたいと願う。
太陽みたいに黄色い花と、空よりも青い花が、とても綺麗だった。
「橙、疑ってすまなかったな」
落ち着いた頃、橙に頭を下げた。
が、しかし、中々返事が返ってこない。
「…………ん?」
「???」
橙は頭にでっかいハテナを浮かべていた。
……もしかしてコイツ、怒られてるとさえ気付いてなかったのか。
ははっ、大したヤツだ。
「……えっ、え!? ら、藍さまっ? ご、ごめんなさいっ!?」
そう思った途端、今度は慌て始めるのだ。
それがまた、可愛くて、可愛くて。
――――そういえば。
橙は、私がふかふかで暖かいと言ったっけ。
それはつまり、抱きしめても良いということだよね。
えへへ。
「そうだ、橙。これを頼む」
「は、はいっ!?」
緩みそうになる頬を必死に堪えて、持っていた編みカゴを渡す。
すると当然、橙の両手がふさがってしまう。
橙の小さな体に対して、二つの編みカゴがちょっと大きく見えた。
――――そのアンバランスな姿が、私の心を揺さぶるのだ。
「…………ぎゅー。」
「わっ、藍さまっ!?」
我慢ばっかりではどうもいけない。たまには息抜きも必要なのだ。
素が出て悪い、というわけはあるまい。やっちゃえやっちゃえ。
というわけで早速、橙の体をおもいっきり抱きしめてやった。
カゴを持ってもらうのなんて口実だ。
両手がふさがれば抱きしめやすいし、逃げられにくいのだ。
可愛い私の橙を、逃がすものか。
「……らんさま、くるしい……」
ふふっ。
じたばたと、胸の中であばれる橙の抗議は、聞こえないことにしよう。
「私が帰ってくるまでに、ツクシの袴を取っておいてくれ。今晩中にあく抜きをして、明日の肴≪さかな≫にする。わらびや他の山菜は私がするから、橙はそれだけ忘れないように。返事は?」
「ふぁ、ふぁい、らんしゃま……」
くぐもった声が、こそばゆい。
頬が緩みっぱなしなのも、きっとそのせいに違いない。
「よろしい。それが終わったら、良い子にして待っていろ」
「……ぷはっ」
ぱっ、と橙を開放し、私はさっ、と後ろを向く。
こんな、にやつき顔を見せられるわけがない。
「……はい! いってらっしゃい藍さまー! はやく帰ってきてくださいねー!」
元気な声を聞きながら、私は博麗神社へと向かって飛び立つ。
きっと後ろでは、あの反則級の笑顔を浮かべた橙が大きく手を振ってくれているのだろう。
ああ、荷物を持っているんだっけ? まあ、それはどうでもいい。
それよりも、頬が疲れてしまって仕様が無いのだ。
□
春の博麗神社。それは、参拝に来る人間よりも花見に来る人間の方が遥かに多い。
今年の初詣の参拝客とを比べてみても、まだ花見の方に分があるかも知れない。
それは神社としてはどうなのか、ということだが、逆に言えばそれだけ桜が綺麗、ということでもある。
とは言っても、私がこの神社に訪れることは非常に稀なので、参拝客の数なんて全くわからないし興味も無い。
先の話の大部分は紫様によるものだ。
と、そこまで考えた所でようやく博麗神社の鳥居が視界に入った。
以前見たときと寸分違わぬ、結界と結界の境界。
そんな場所に立ち並ぶ桜の木はやはりどれも見事に咲き誇っている。
まだちらほらと蕾がみられる桜もあるにはあるが、この様子では明日にでも満開になることだろう。
桜。
ふむ、桜か。
そういえば、紫様とならば花見の経験があるが、橙と三人で行った覚えはどこにも無い。
教育だの何だのと躾に追われて、橙と酌み交わすことを避けてきた。
だが、そろそろ、良い頃合なのかも知れない。
主と従者の関係だけでは学べないことだってある。私だって紫様と初めて酌み交わした夜は緊張したものだ。
しかし酒が入れば話は別、普段は恐れ多くてとても出来ない質問なども、その時分だけは許されるのである。
正直な所、私だって橙と腹を据えて話をしてみたい。
行くとするならば、白玉楼だろうか。
あそこなら紫様の付き添いで、私も何度か訪れたことがある。
随分昔になるが、初めてみた西行寺の亡霊は想像していたよりもずっと間が抜けていて、ただの自縛霊ではないかと疑った。
懐かしい思い出だ。
私は白玉楼の雰囲気が好きだ。あの静かさが、何と言うか、私に合っているのだ。
逆に、ここ博麗神社はどうも好きになれない。
やはり巫女に対して知らぬうちに気を置いてしまうから、だろうか。
紫様は巫女のことを良くいうが、私に巫女を言わせれば、どう頑張っても『危険人物』止まりだ。
彼女が重要人物なことくらいは分かっているし、彼女の妖怪退治によって幻想郷の秩序が保たれているのも分かる。
だが、強大な力を持つ人間は、いつでも妖怪達の敵なのだ。彼女に警戒心を抱いていて当然ではないか。
……何を感情的になっているのだろう、私は。
今からその巫女に挨拶に行くというのに、物騒なことを考えていては失礼にも程がある。
少し、頭を冷やそう。
博麗神社の境内前まで来た私は、そこで地面に降り立った。
そこで何度か深呼吸をして、辺りを見渡す。
見事に咲き乱れる桜が、私の心を落ち着けてくれた。
□
「……という訳なんだが、引き受けて貰えるだろうか」
博麗神社の拝殿にかかる、木製の階段の上、そこに博麗の巫女がいた。
ヘタな置物などよりもずっと映えるだろう美しい正座をして、どこを見るともなく、ただ静かに茶を飲んでいた。
おそらくいつ来ても、この巫女はこうなのだろうな、などと思いながら軽く挨拶を交わし、手短に用件を伝えた。
しかし私が話している間、巫女は相槌の一つも打たず、静かに茶を飲み続けるものだから、つい『本当に聞いているのだろうか』なんて疑問を持ってしまう。
現に今だって、私は巫女の返事を待っているのだが、当の巫女は実にゆっくりと湯呑みに口をつけていたりする。
別に急いでいる訳ではないから構わないが、それにしたってのんきなものだ。
大体、飲み過ぎではないか、それとも巫女という種族にまでなればいくら飲んでも平気なのか流石だな、などと要らぬ心配をし始めた頃にようやく、
「いいわよ、私が責任を持って預かりましょう」
と、返ってきた。
首を長くして待ちわびた、承諾の言葉だ。
それを聞いて少し、安心した。巫女も腐ってはいない。
「話が早くて助かる」
実際のところ、早いとはお世辞にも言えなかったがそれはそれ、だ。
「とにかく、礼を言うわ。遠い所から届けに来てくれてありがとう」
「いや、礼なら橙にしてやってくれ。あの子のおかげなんだ」
「遠慮しないの。善いことしたんだから」
「あ、ああ」
「橙にも今度ちゃんとお礼するから、安心なさい」
巫女はそう言って、また湯呑みに手を伸ばす。
両手を添え、行儀正しくお茶を一口含み、味わうように目を瞑る。
胸の前で支えられた湯呑みの中では、半分まで減った濃い緑が湯気と共にゆれていた。
「落とし主、見つかるといいわね」
初めてみる、巫女の笑顔だった。
□
ずず、とお茶をすする。
熱さと湯気と香りと渋さ、その全てを十二分に楽しんで、ほう、と息をつく。
美味い。成る程、良いお茶だ。巫女が飲み過ぎてしまうのも分かる気がした。
「あんたも飲む?」
用事は済んだ、さあ家に帰ろうという時、巫女が言ってきたのがそれだ。
家では橙が待っている。
そんなこともあって、私は丁寧にその誘いを断った。
断ったのだが、
「遠慮しない、遠慮しない。ま、これもお礼の一つだと思って飲んでいきなさい」
と説得されてしまった。
当の巫女はというと、しばらくは私と茶飲み話をしていたがつい先ほど、
「そういえば私、境内の掃除の途中なんだった。桜はいいけど、掃くのが大変で困るわ」
なんて調子で箒を手に行ってしまった。
ここからでも、あちらこちらを掃き回っている巫女の姿が伺える。
掃けども掃けども、桜の花びらはひらりひらりと舞い落ちる。
さらに時たま風が吹きぬけ、集めた花びらを攫っていく。
それでも構わないのか、巫女は静かに掃き掃除を続けている。
よくやるものだ。
ずず、とまたお茶をすする。
皿に用意された羊羹≪ようかん≫を一口、放り込む。
甘い。成る程、良い羊羹だ。そしてまたお茶をすする。
現在私は、二度お茶をすすり、一口羊羹を食べ、それをよく味わうためにもう一度お茶をすする、という楽しみを繰り返している途中なのだ。
うむ、説得されて正解だった。
ほう、と息をつく。
――――思っていたよりもずっと、気詰まりしないものだな。
私は、巫女――霊夢と、話せば話すほど、彼女のことを気に入っていった。
不思議なものだ。
ここを訪れるつい先ほどまで、私は霊夢を『どうしても気を置いてしまう』相手として見ていた。
それどころか、『危険人物』とまで。
なのに今では、そんなことを考えていた自分が馬鹿らしいと思えるのだから驚くしかない。
こういう静かさというのも、案外、心地良い。
羊羹の最後の一切れを、口へ放り込む。
ずず、とややぬるくなったお茶をすする。
このままでは冷めてしまっていけないな、と思い、残っていたお茶を飲み干した。
ご馳走様。
そんな私の満足げな様子に気がついたのか、それともただの偶然か、箒片手に霊夢がこちらへ戻ってきた。
「ご馳走様。茶も羊羹も、とても美味かったよ」
「お粗末様。そう言って貰えると嬉しいわね。あ、お皿は私が片付けておくからいいわ」
「何から何までありがとう、霊夢」
……ちょっと頑張って、名前を呼んでみた。
少しだけ、恥ずかしい。
それに気付いてくれたのかどうかは知らないが、霊夢は、
「なにいってんの、お礼を言うのはこっちだって」
と笑ってくれた。
それが二度目の、霊夢の笑顔だった。
「それにしても、見事な桜だ」
「ま、白玉楼には負けるけど」
「いやいや、どちらも甲乙付けがたいよ」
「そうかなあ」
「そうさ」
私がそろそろ帰るよ、と言うと、霊夢がそこまで送るわ、と言ってくれた。
お言葉に甘えて、と返して二人で鳥居まで歩いている。
真っ赤な鳥居は、もう目の前まで来ていた。
「霊夢」
「ん?」
「良かったら、いつか呑もう」
「そうね、近いうちにきっと。忘れずに呼ぶから待ってて」
「ありがとう。……落とし主、見つかるといいな」
ためらいがちに、霊夢と同じことを言った。
どうしてか、そうしたい気分だったのだ。
「ふふ、そうね」
そして、霊夢の三度目の、笑顔。
つられて私も笑顔になった。
□
好く晴れた、春の博麗神社。
まだ蕾の残っていた桜も、清々しいこの陽気に花を咲かさずにはいられない。
そんな好天の午前、花びらの舞う満開の桜並木を白黒の魔法使いが駆け抜けて行った。
彼女が通った後は、一度散った桜が舞い上がり美しいアーチを描いていた。
風が桜色に染められたと思えば、咲いたそばから波が引いていくように散ってゆく。
その二度咲きあとにはただ心地良い春風だけが吹きぬけ、儚いながらも甘美な情景だった。
いつもの場所でいつものようにお茶を飲んでいた博麗の巫女は、それをみて静かに感動の声をもらした。
「綺麗ね」
魔法使いは桜が満開になると、いつもこうして博麗神社までやってくるのだ。
「いらっしゃい、魔理沙」
これがないと春になった気がしないわね、と巫女が言う。
それも変な話だ、私には春の妖精なんて似合わないぜ、と魔法使いが言う。
そうして二人は、やはりいつものように雑談を始めるのだった。
「どうしたんだ、その変な巾着」
白黒の魔法使い――魔理沙が言った。
彼女が指差すそれは、昨日、霊夢が預かったものだ。
預かったのはいいとして、さて、どうしよう。
何も考えていなかった霊夢は、とりあえず参拝客の目に留まるところに巾着を置いておくことにした。
参拝客自体、滅多に来ないが、何もしないよりはマシだと思ったのだ。
「ちょっと珍しい来客があってね。落し物よ」
「へえ。どれ、ちょっと見せてくれ。……おお!」
「結構入ってるでしょ」
魔理沙が巾着を手に取ると、じゃらりと重そうな音がした。実際、重い。
いくらかの期待を胸に中を覗いてみれば、輝くばかりの夢が一杯に詰まっていて、魔理沙はどことなく興奮してきた。
「うはー! 夢はでっかい方がいいんだぜ!」
「まあ、否定はしないでおこうかしら」
「それで、どうするつもりなんだこれ?」
「どうするもこうするも、決まってるでしょ」
「あれか」
「あれよ」
「「ネコババする」」
二人して『にやり』と笑う。
「というのは冗談なんだけど」
「冗談なのかよ」
「当たり前でしょう。あんたはちょっと気をつけた方がいいんじゃない?」
「いやいや、実をいうと私だって冗談のつもりだったんだぜ」
「本当かしら」
「本当だぜ」
「とか言いながらポケットに入れないの」
「まあまあ、ここにいる間くらいは夢心地で居させてくれよ」
「ちゃんと返すのよ」
「分かってるって。夢は覚めるまでが勝負だ、楽しまないとな」
「ちゃんと、返すのよ」
「分かってる分かってる」
「ほんとかしら」
ずず、と二人してお茶をすする。
そんなとき、博麗神社に本日二人目の来訪者が現れた。
もちろん参拝客ではない。
「こんにちは、霊夢、魔理沙。今いいかい?」
「あら、こんにちは霖之助さん。お久しぶりです」
訪問者というのは、魔法の森付近で香霖堂を営む森近霖之助だった。
どことなく、疲れた顔をしている。
「どうぞ、今お茶お淹れします」
「お構いなく」
「いえいえ、遠慮なさらずに」
「あ、私の分もおかわり頼む」
「あんたは遠慮なさい」
「えー」
「えー、じゃないの」
「ま、そう言いながらも淹れてくれるのが霊夢だろ」
「はは、霊夢らしいね」
「もう、霖之助さんまで……」
昨日今日と、珍しい客が続くわね、と霊夢は心の中で呟く。
そして魔理沙と霖之助の話を後ろ手に聞きながら、お茶を淹れに席を立った。
「しかし珍しいな、香霖。久々にわたしの可愛らしい笑顔でも拝みたくなっただなんて」
「勝手に変な設定を作らないでくれ。それに、どうせ拝むなら巫女さんの方がご利益がありそうだろう」
「それもそうだな、どれ、いっちょ拝んでみるか。南無阿弥陀仏」
「何やってんのあんたは。……お茶、お待たせしました」
「ありがとう、頂くよ」
そう言った霖之助の顔色は、いくらかマシになっていた。
魔理沙は魔理沙なりに、彼を元気付けてくれていたのかも知れない。
霊夢は腰を落ち着けて、なんとなくそう思った。
「それで、どうかしたんですか?」
「ああ、それがね……香霖堂に新商品を入荷しようと思っていたんだけど」
「思っていただけで実は妄想だった、と」
「魔理沙は少し静かにしてくれ頼むから……」
霖之助は、頭を抱えてしまった。
しかしすぐに持ち直し、『それで、実は、』と続ける。
実際のところ、霊夢はこの時点で大体分かっていた。
「そのお金の入った巾着を落としてしまったみたいなんだ」
□
「………………だってさ、霊夢」
「………………そうね、魔理沙」
二人して見合う。
魔理沙は半笑い、霊夢はちょっと複雑な顔をして。
「ん? どうしたんだい?」
「「いや別に」」
くくっ。
魔理沙の笑い声が漏れた。
「…………?」
「いやいやいやいや、本当に何にもない。何も無いからどうか気にしないでくれ」
「そうか……まあ、つまり僕がここに来たのには、そういう事情があるんだ」
「……分かりました。手伝って欲しい、という訳ですね」
「うん、お願い出来るかな」
「任せてください。きっと、必ず、あっという間に取り戻してみせます」
「ああ、絶対だよ、くくくっ」
「ありがとう。頼もしいね」
「ところで、香霖」
「ん? なんだい魔理沙」
「もしも財布が見つかったら、当然、あるよな?」
「……ああ、謝礼のことかい?」
「レディの口からはとてもとても」
「よく言うよ。うん、まあ……そうだね、一割くらいなら安いものだ」
「――――ちょっと待って。霧之助さん、何いってるの?」
「――――おいおい、何いってんだ香霖」
「はい? え、だって相場はそれだろう?」
「分かってないわね、魔理沙」
「ああ、そうだな霊夢」
「……ああ、分かった、分かったよ。それじゃあ三割だす、それでどうだい?」
「……………………」
「……………………」
「え?」
「――――そろそろ私は帰って寝るぜ。探し物見つかるといいな、香霖」
「お疲れさま、魔理沙。私も仕事に戻らないと」
「…………オーケイオーケイ。しょうがない、これなら文句無いだろう?」
「お、いいねえ! だがそこでもう一声だぜ!」
「足元見てくれてどうも。ほら、これでどうだ!」
「――――ねえ魔理沙。みんなに呼びかけようと思ったんだけど、これで全員に粗品を返せるかしら?」
「あー、これじゃあ足りないなー。手伝って貰うなら御礼の品返さなきゃだよなー。結構お金かかるもんなー」
「………………」
「あと少しですけど、ね」
「そうそう、あとちょっと、だぜ」
「……………………」
「(ねえ、魔理沙)」
「(ああ、今にも泣きそうだぜ)」
「…………畜生っ、ぐずっ。……ほら、持ってけ、泥棒――――っ!!!!」
「「よしイタダキッ!!!」」
「…………え?」
「いやあ、良かった良かった。お疲れさん」
「ええ、お疲れ様。見つかって本当に良かったわ」
「…………え、え?」
「今日は香霖のおごりで大宴会だな」
「それじゃ私は、〝みんなに呼びかけてくる〟わね」
「………………あれ……、え、えぇー?」
「そうだ霊夢、紫使えば早いんじゃないか?」
「それもそうね。紫、いるわよね?」
「――――はいはい皆さんこんにちは、ご機嫌麗しゅう~」
「スキマ使って、いつもの顔ぶれにこのこと伝えてきて。近くは私が行くから」
「……あ、あの……」
「御安い御用よ。それでは、皆さんを少しばかり驚かしに行って来ますわ。ふふっ」
「うんうん、香霖にはちいっとばかし御高い御用になっちまったけどなー」
「……あのう、魔理沙……さん、それはどういう、」
「あ、ちょっと待って、紫」
「ちょ、話を……」
「はいはいー?」
「あんたのとこの二人も連れて来てやって」
「――――ええ、もちろんよ。きっとあの子達は喜ぶわ。ありがとう」
「気にすんな、宴会は人数勝負だぜ!」
「そういうこと。もともとはそっちのおかげだしね」
「お礼くらい素直に受け取りなさい。それじゃ、今度こそ行って来ますわ」
「え、あの……みなさん……ちょっと……?」
「さー、今日は飲むぞー!」
「ま、たまにはね。それじゃ霖之助さん、私はちょっと出掛けてくるから準備お願いします」
「…………。……泣いても、いいかい……?」
「頑張って生きろよ、香霖」
「…………ちょっと、手洗いに、行ってきます……」
戻ってきた霖之助の目は、赤かった。
夢は覚めるまでが勝負だぜ、楽しまないとな、と魔理沙が言った。
夢なら覚めてほしい、と霖之助は呟いた。
手伝ってやるぜ、と魔理沙が彼の頬を力の限りはたいてやった。
□
ある春の日の夜。
真ん丸お月様が空に浮かぶ頃。
とある神社の境内で、満開の桜を肴に宴会が開かれた。
人間も、妖怪も、妖精も、神様だって鬼だって何だって、呑めや踊れやの馬鹿騒ぎ。
集った彼らは皆、笑っていた。
ある者が歌を唄い、ある者はひたすら酒を呑み、ある者は静かに語る。
様子は違えど皆、笑っていた。
火照った体を撫でてくれる、澄んだ空気がたまらないのだ。
ずらりと並んだ豪華な料理。
その中にひっそりと添えられた、どこかのだれかが持ってきた、ツクシの佃煮。
それが、意外にも人気だった。
春は好きか?
だれかが言った。
はいっ、大好きです!
だれかが答えた。
そうか、春が好きか! 私も大好きだ! ははっ!! ははははっ!!!
だれかの笑い声が、春の宴に美しい花を咲かせた。
――――そう、春なんてものは、誰だって愛しているに違いないのだ。
霊夢と藍のやり取りもよかった
× 森近霧之助
○ 森近霖之助(もりちか りんのすけ)
とっても素晴しい作品でした
誤字というか、誤解していた所を指摘下さってありがとうございます。
うわ、すっごい恥ずかしい。どっか違和感はあったのですがなるほどそうなのか……。
……香霖だし、きっと名前の間違いは笑って許してくれることでしょう。
>橙が可愛すぎました
>とっても素晴しい作品でした
ありがとうございます。褒めてもらえると嬉しすぎてもう。
でも、橙をめでる藍も可愛いです。どうかそっちにもスポットを当ててやってくださいね。
>春の息吹を感じました
>霊夢と藍のやり取りもよかった
ありがとうございます。春かわいいですよね春。
藍も橙も可愛いし、最高でした。
ただギャグということでしたが、ギャグというより終始ほのぼのしてた感じです。
たぶん前半のほのぼの感が自分にとってかなり良かったようで、ギャグ部分がぼけちゃたかなw
ああ、藍のしっぽもふもふしたいぃ。
始終壊れてるギャグなら気にならないんだけど、前半がほのぼのとしていたのでより引き立ちますね。どっちかの雰囲気で統一してくれる方が読み手としては好きです。
ギャグと言うよりほのぼのでしたね。
そろそろ、春の気が濃くなってきたなぁ
香霖はちょっと可哀相だったw
ゆったりまったりの春の気配に癒されました。
あとラストの一言にはしびれました。
藍様…橙がかわいいのはわかるから、自重してくれ
いつもながら、霊夢の人を惹き付ける力は以上に高いな
警戒してた藍様が一瞬で墜ちるとは…
雰囲気だけが取り得なので、楽しんでもらえてよかったです。
常に「ほのぼの」イメージで書いてきたのが抜けきらなかったみたいですね。
いいや、ほのぼのマスターの称号を目指します!
>前半の雰囲気が好きだったので、後半の魔理沙の外道っぷりの後味がよくありませんでした。
確かに、それが不安のひとつでした。でも前半の描写というのは、藍視点ですよね。それを最後まで崩したくなかったために、後半は描写控えめになってしまいました。
違和感をなくせるよう精進あるのみです。ありがとうございました。
>三文字さま
ですよね外道ですよねー。春の香りを楽しんで頂けたなら幸いです。
いや、しあわせです。しあわせー。
>藍が霊夢を気に入るところの雰囲気がよかった
その場面は、書いててすごく楽しかったです。霊夢かわいいよ霊夢。
まったりが好きな私としては堪りません。
>猫兵器ねこさま
どうぞどうぞ、こんな作品でよければ心行くまでまったり和んでいってください。私も一緒に和みますので。
>あとラストの一言にはしびれました。
衝撃! 自分の文章にそんな力が! とか照れ隠しはやめておきまして。
ありがとうございます。そんな素敵な能力を身につけられるようにもっと頑張ります。
>相変わらず香霖が不遇だww
>いつもながら、霊夢の人を惹き付ける力は以上に高いな
香霖は香霖で結構楽しんでたりしますよ。ええ、きっと。
霊夢はだから人気1位なんですよ。あなたもわたしも霊夢にひかれる。素晴らしいなあ霊夢。
前半の親馬鹿藍様自重してくださいw
でも自重せずにもっと親馬鹿にしてみたいのです。
そりゃあもう、変態クラスに。
魔理沙、酷すぎる。霊夢まで一緒になってるし。
霊夢を信用して預けた藍がこれでは馬鹿みたいだし。
ちゃんと落とし主に返るだろうと思ってた橙もかわいそうです。
>霊夢を信用して預けた藍がこれでは馬鹿みたいだし。
>ちゃんと落とし主に返るだろうと思ってた橙もかわいそうです。
鋭いご指摘、本当にありがとうございます。
一番痛い所です……ギャグだから、と逃げるわけにもいきませんよね。
それでは、いくらか説明を。
結論から入りますと、霊夢は藍や橙の行動を裏切ったわけではありません。
香霖は本気で泣いてはいませんし、魔理沙も霊夢も翌日謝罪に行きます。
(ここから先の展開はあまり書きたくはないのですが)
謝った後、霊夢たちは「協力してくれてありがとう」といった、藍や橙との新しい関係を築くため、架け橋になってくれた香霖にお礼の言葉を述べます。
それを香霖も笑って受け入れるでしょう。
藍が霊夢を信用したように、霊夢も香霖を信用したのです。
藍も橙も、馬鹿みたい、なのではありません。
中身は随分減りはしたものの、落し物はちゃんと持ち主の手に返り、代わりに新しい仲間が出来たことを、香林は満足しているんです。
魔理沙が素直に財布を返していたら、宴会は開かれなかったかも知れません。
藍と橙はそれでも良いのかも知れませんが、魔理沙や霊夢、そして香霖はやっぱり二人と仲良くなりたいのです。
何か、きっかけを探していたのです。
読者様の言いたいことは痛いほど分かりますが、自分はこれでいいと思っています。
……と、ちょっと熱く語ってしまいましたが、なんにせよ、自分とは違う視点からの感想をもらえて本当にありがたいです。
正直なところ、自分でもちょっと頭を抱えています。
もう少し、考えてみますね。
ご指摘ありがとうございました。