いつだって魔法の森は暗く、里の方では全く見られない珍しい樹や植物が平然と生い茂って人間が入って来られないような空間を作り出す。
古来より魔術師が多く棲むといわれるこの森にはその名残からかそこら中から瘴気とも思える程の魔力が溢れ、樹の根元やよくわからない花などからはっきりと魔力が滲み出ていた。
香霖堂はそんな魔法の森の外れに建っている古物商の店だ。
最も店主は余り商売人向けの性格ではなく、どちらかといったらそういった道具のコレクターに近い。
故に店には珍しい物が多い。
それこそこんな薄暗い森でしか意味をなさないようなマジックアイテム等である。
そんなわけで店主の森近霖之助は、相変わらず暇であった。
場所も場所なら売る物も売る物、売る人も売る人というわけで当然のごとく一見の客は滅多な事ではこの香霖堂に訪れない。
一見できる客が居るかどうかも怪しいところだが。
店のカウンターの前の椅子に座り、頬杖を付きながら自分の店を見回す。
ここ十数年殆ど変わりのない自分の店の光景に苦笑する。
埃被った魔道具も浮かばれないという物だ。
中には『触れるな危険!!』などのお札が貼ってあるものも存在する。
お札は巫女に借りたものだ。
余り道具が可哀想になってきたので、霖之助は少しぐらい掃除でもしてやるか、などと思い立って席を立つ。
ガラン、と音を立てて店の扉が開いたのはその瞬間の事だった。
「よう、香霖」
「……魔理沙か。何だよ、僕は今忙しいんだ」
「とてもそうは見えないな。どうせ暇なんだろう?」
にはは、と子供のように笑う少女。
黒い帽子の下に隠された金色の髪が揺れて、綺麗な瞳が間から覗いた。
黒い魔法使い霧雨魔理沙は、ごく平然とそこに立っていた。
はぁ、と霖之助は一つ溜息をつく。何時もの事だがタイミングが絶妙過ぎる。
「これから忙しくなるところだったんだ」
「じゃあ忙しくなる前に私の用件を済ませてくれ」
「……いつもそれだな、君は」
霖之助は呆れたような眼で魔理沙を見る。
魔理沙が来た時はいつもこうだ。
まぁ自分の周りの女の子なんて全員こうだが。とにかく自分のペースで動こうとする。その為だったら相手の行動なんて関係ないのが自分の周りにいる女の子の大半の行動パターンだ。
いい加減慣れてきた自分が恨めしい。
文句を言う暇があるならば自分に主体性を持てばいいんだけどね、と心の中で自分に対する悪態をつくが、考えてみたらそんな事やるよりは相手に身を任せた方が楽だし自分らしい。
何より、魔理沙に対しては反発してもさっきのようにに軽くいなされるのが落ちだ。
どうせ自分の知る仲の良い巫女も同じような結果に収まるのだから、わざわざ自分に無理強いをしてまで主体性を持たせる必要もあるまい。
霖之助は諦めたように席に座りなおす。
身長の小さい魔理沙の顔が自分の真正面に持っていかれた。
「それで、用はなんだい?」
「何時もの用件だよ。大体二ヶ月ぶりぐらいのな」
「……ああ、成程ね」
言いながら、魔理沙は自分のトレードマークともいえる黒い三角帽子を脱いだ。
金色の前髪が魔理沙の瞳を隠したため、それを邪魔だと思って魔理沙は前髪をどかす。ようやく左目が霖之助を覗き込んだ。
「随分伸びたね。魔力が変な作用でも及ぼしてるんじゃないか?」
「可能性は否定できないな。何せ、久し振りに長期に及ぶ実験だったし」
「まぁ、いいだろう。どうする?」
「途中で霊夢が来ても恥ずかしいからな。いつも通り中で頼む」
「わかった。先にあがっててくれ」
「言われなくても」
帽子を右手に握りしめて、魔理沙はカウンターの奥へと歩き出す。
カウンターの奥は霖之助の私室になっている。当然の事だがこの店はここだけが居住空間ではない。
椅子にもたれたまま寝てしまう事もよくあるが、やはり寝心地は畳の上の布団に及ばない。
魔理沙は埃被った道具の間を掻き分け、ようやくカウンターの奥に辿り着く。
黒い服についた白い埃が目立つのが気になり、ぱんぱんと手で払う。
そしてちょっと子供のような憎らしい笑みを浮かべて真横に座る霖之助に視線を送った。
「少しは掃除しろよ、香霖」
埃のせいなのか、一回へくしっ、とくしゃみをする魔理沙。そしてまるで我が家のようにずかずかと店の居住空間へと上がりこんでいった。
霖之助はそれを見送って、やれやれと一つ呟いた後に言う。
「君にだけは言われたくなかったね、そんな事は」
-いきつけの床屋さん-
「さて、ご要望は?」
「何時もの通りで頼む」
香霖堂の居住部。霖之助の自室はそれなりに広い八畳の畳部屋だ。
しかし、店と同じところはといえば物の整理が相も変わらず怠られており普通以上に狭く感じてしまっているというところだろうか。
霖之助は、魔理沙の全身を白い布で包んでやった。
切った髪の毛が服の隙間などに入らないように、しっかりと首元で強く、首が締まらない程度に結んでやる。
魔理沙はまるでてるてる坊主のような服装になっていた。
そのまま畳の上に胡坐で座り込む。
霖之助はというと、魔理沙が動かないように足で固定しながら座っていた。
右手には鋭利なハサミ。空いた左手で魔理沙の肩を押さえつける。
「そうか、それならこっちも楽でいい」
「たまにはお洒落しろ、ぐらい言ってくれてもいいんじゃないか?」
「ずっと家で引きこもってる魔法使いにはそんな言葉は不適切だと思ってね」
なんだよ、私だって女の子だぞ、などと魔理沙は反論するがその瞬間、宙に金色の煌めきが舞った。
魔理沙は思わず目を閉じて黙り込んでしまう。
「余り喋らない方がいい。口の中に髪の毛が入る」
「……わかってるよ」
素直に黙り込む魔理沙。魔理沙の背中に若干の圧迫感がかかる。
霖之助は器用に前髪を少しずつ、切り落としていく。
シュッ、シュッ、と金属音の擦れ合う音が部屋の中に優しく響き渡っていく。
音が鳴る度、黄金色の髪の房が一本一本の毛に分解され、それは空を美しく舞い降りていく。
窓の外から、僅か入り込んでくる太陽の光に反射された金色の毛はより一層煌めいた。
魔法の森といってもこのあたりは非常に人間の里に近いゆえに、昼間ならば多少は明るい。
静かな時が流れていく。
霖之助の手つきは酷く手慣れたものだった。
前髪を左手で軽く持ち上げ、男性とは思えないほと細い滑らかな指の間にしっかりと、けれど引っ張り過ぎて魔理沙が痛がらないように丁寧に挟み込んで、その間の髪の毛をするりと流れるように切っていく。
魔理沙もこの間はずっと目を閉じて、何一つ喋ろうとしない。
前髪を切っている間に喋ると口の中がざらつく事をだいぶ昔に学習したからだ。
カチ、とまるで歯車が組み合わさるような音が聞こえると、魔理沙にかかっていた圧迫感が消えた。
ふぅ、と後ろから霖之助の息を吐く声が聞こえた。
魔理沙が目を開くと、目の前に自分が姿を現す。一瞬びくっと体を揺らすが、その瞬間目の前の魔理沙も体を震わせた。そこでようやく鏡を前に出されていることに気付く。
「さて、前髪はこんなところでどうかな?」
霖之助の声が魔理沙の耳に届く。
よく見ると小さなその手鏡の端っこには手が付いていた。霖之助の左手だ。どうやらわざわざ差し出してくれたらしい。
魔理沙は切られた直後の自分の前髪を鏡で見る。
一番長い房が眉辺りまで切られ、それでいてしっかりと揃えたわけではない。
切り揃えられていない不揃いではあるが、しかし自然に。ごくその場にいて何の不自然もない切り方であった。
魔理沙はそれを自分の手で触って確認する。
若干切り落とし損ねた一部の髪がパラパラと落ちていく。
魔理沙は満足そうに微笑んだ。
「おう、ばっちりだ。流石だな」
「昔、散々文句を言われたからね。いい加減文句を言われないようにしたよ」
霖之助もまた満足そうな笑みを浮かべた。
最初の頃はしっかり切り揃え過ぎて「男の子みたいでカッコ悪い!」などと大泣きされたり前髪を切り過ぎておでこが丸出しになり「こんな姿じゃ歩けない!」と全力で怒られたものだ。大分前の話だが、今でもその話は尽きない。
その話をすると、魔理沙は少しだけ図星を突かれたような表情を浮かべ、咳払いをして誤魔化そうとした。
「ま、まぁ昔の事はいいんだ」
「そうだね。それで、後ろ髪はどうするんだい?」
言いながら、霖之助は魔理沙の後ろの髪を手に取る。
長く伸びた髪は、床に届くとまではいかないが魔理沙の腰の若干上ぐらいに届くほどになっていた。
あー、と魔理沙は一回唸る。
「余り長い意味もないしな。ばっさり切り落としてくれていいぞ」
「……それを言われた時の大半は君の文句で終わるけどね」
「いい加減私の好みというものを判れ。そうすれば文句なんて言わないんだからな」
にしし、と小憎たらしく笑う魔理沙。
相変わらずの我侭お嬢様っぷりに少しばかり目頭が熱くなってくる霖之助。
まぁいいか、などと呟いてから霖之助はハサミを握った。
再び部屋の中にシュッ、シュッ、というハサミの鋭い金属音がかみ合い始める。
「それにしたって、何だか懐かしいな」
後ろの髪を切っていると、魔理沙が唐突に喋り出す。
「何がだい」
「いいや、こうやって切ってもらったの、初めての事を思い出すとさ」
さっき見たいに苦々しい思い出もあるが、などと言いながら魔理沙は顔を掻く。
言われながら、霖之助も昔を思い出す。
最初に彼女に「髪を切ってほしい」と頼まれたのはいつの話だっただろうか。
思い返せば相当昔のような気がする。
それこそ、彼女が実家に勘当されてからの事だった筈だ。
最初に切る時は、まずどれぐらいの長さが調度いいのかがわからなかった。
魔理沙がどれぐらいに切ってもらうのが一番いいのかとか、そもそもハサミで人の髪を切るのが初めてだった。
ハサミなんて、封筒の封を開ける以外に使用したこともなかったからだ。
当然だったが、最初の散髪は大失敗に終わった。
しばらくは魔理沙も外に出歩かなくなって、自分が魔理沙の家に行っても顔を合わせてもらうどころかその辺りにあったマジックアイテムを平然と投げつけられて相当痛い目にあったのを覚えている。
「そうだね。大分、昔の事だ」
だから必死で練習してやった。
その頃の魔理沙は、両親に甘えたい年頃でもあった。
でも、甘える対象はどこにもいなかった。
勘当などというが、殆ど自分で家を飛び出してきたようなものなのだから。
そして魔理沙の父が。自分の師匠が、勘当してもなお魔理沙の事を想っていた事を自分は知っている。
家から離れた彼女の事を、たった一人の娘の事を。迷惑なやつだとは思いながらも、ずっと大事に考えていた事を知っている。
魔理沙の父が、霖之助に魔理沙が頼ってきた時の世話を任せた事も、霖之助は今でも鮮明に覚えている。
「本当に、昔の……」
自分は彼女の父になれるとは思わない。けれど、せめて支えてやりたかった。
師の娘であるこしゃまっくれた生意気な子供を。兄のように、ただ支えてやっていた。
腕をあげて、もう一度彼女の伸びた髪を切ってやった。
やっぱり文句は言われたけど、その後謝ってくれた。
霖之助も、謝った。
それからはずっと、腕前不足な腕で霖之助は彼女の髪を切り続けていった。いつしか彼女は、大きくなっていった。
左手に取った、彼女の金色に輝く髪。昔からそれだけはちっとも変っていない。
その手触りも、その輝きも、何も変わっていない。いつしかその髪を見る目は温かいものになっていた。
「……今じゃ、こんなに生意気になってしまった」
「……こんな時に文句かよ、全く」
はは、と霖之助は笑みを返す。
魔理沙は軽く後ろを振り返るが、頭を動かすな、と霖之助が怒る。
頬を膨らませて声だけで抗議する魔理沙。
けれどその表情は、それなりに満足そうであった。
「これでもさ」
「うん?」
魔理沙の言葉に対して、霖之助が反応する。
あー、とちょっと唸ってから魔理沙は言葉を呟いた。
「感謝してるんだぜ、いつも」
「……僕もついに空耳が聞こえるようになったか」
耳掃除最近してなかったなそう言えば、などと独り言を呟き始める霖之助。
ボカ、と小さく地味ながらも豪快な音が部屋の中に響く。
「馬鹿にしてんのか」
「……すまない、余りに魔理沙らしくない言葉過ぎて頭が介入を否定してしまった」
「あー、ひっぱたきてぇ」
一発殴っておいてよく言う。
霖之助は強く叩かれた頭を摩りながらそう小さく呟いた。
頭の中がジンジン響いている。睨みつけるように魔理沙の横顔を見ると、ふふんと得意気な表情を自分に対して向けていた。
こういったところを見るとやっぱり昔と変わらない。
しかしぷい、と魔理沙は正面に向き直る。というよりも、霖之助に顔を見られないように視線を外した。
「いつもいつもさ、切って貰ってるのはありがたいんだよ。自分じゃ切れないからさ」
「……そうかい。頼めばいつだって髪の一つや二つ切ってやるさ」
言いながら、後ろ髪を再び丁寧に切り始める霖之助。
心地よいリズムは二人の鼓膜にゆっくりと届いていった
「ああ、ありがとな」
魔理沙が感謝を口にする。
言ったあと余りに恥ずかしかったのか、何も言わなくなる。
霖之助もそれを悟ってか、何も声をかけなかった。
しばらく、沈黙が続いて、再びハサミの音だけが部屋中に響いていた。
***
ふぁさ、と、白い布が部屋を舞う。
「終わりましたよ、姫」
「……何だそれ、気持ち悪いぞ」
「……やっぱりか」
魔理沙から纏っていた布を取り払った。
少しだけ布の上に残っていた魔理沙の髪の毛が宙をパラパラと舞う。
変な事を言った霖之助に対して魔理沙が呆れたような、若干軽蔑するような瞳を向けると、霖之助はごほんと咳払いをして誤魔化す。
少し顔も赤らんでいた。
「少しはそういう雰囲気を出そうかとだな……」
「お前馬鹿だろ、やっぱり」
魔理沙の冷静な突っ込みが霖之助の羞恥心を抉る。
どうにか誤魔化そうと何度も強く咳をする霖之助。
ともかく、と言いながら霖之助は魔理沙に鏡を差し出した。そして霖之助は魔理沙の後ろで折り畳み式の鏡を取り出す。
手鏡に魔理沙の後ろ髪が反射して映し出される。
魔理沙の後ろ髪は大体肩ほどまでに届くほどになっていた。
「おー」
「こんなもんでどうだい?」
「下手じゃないな。上々だ。上手くなったじゃないか香霖」
「何から何まで全部人にやらせておいて、よく言うよ」
「人にやらせるから、文句を言うんだぜ?」
そりゃそうだけどね、と霖之助は呟いた。
霖之助は、魔理沙のリボンを手にとっていつも魔理沙が付けているもみあげの部分を結って、リボンを結んでやった。
魔理沙はちょっとだけうっとおしそうな表情をするが、しかし文句は言わない。
霖之助が結び終わった後、魔理沙は少しだけ恥ずかしそうに霖之助に向かって言う。
「それぐらい、自分でやらせてくれよ……ったく、過保護だぜ」
「親切なアフターケアをモットーにしてるんだよ、僕の店は」
「お前が親切なら、霊夢は既に里の人気者だよ」
言いながら、よっと立ち上がる魔理沙。
そして居住場から店の方へと向かう。
歩きながらつま先をとんとん、と靴をしっかりと履きながら。
「忘れものだよ」
「っとぉ。道理で頭がスースーすると思った」
霖之助が魔理沙の三角帽子を魔理沙に向かって投げる。
魔理沙は振り返りざまにそれを軽々と受け取った。
霖之助も魔理沙についていくように店側に向かっていく。
店は相変わらずの静まり具合であった。客がだれ一人来た様子は見えない。
「閑古鳥が鳴き過ぎだろう、この店」
「別に構いはしないよ」
「こんな店主だと店も可哀想だぜ」
そう言いながら、魔理沙は再び道具のなかを掻き分けてカウンターの向こう側へ歩いていく。
抜けた後埃を払うと、魔理沙は霖之助に振り替える。
「さんきゅー、これですっきりして研究再開できるぜ」
「そうかい、それなら良かった」
魔理沙の満面の笑みを霖之助は微笑みで返す。
嬉しそうな微笑みだった。
香霖堂のドアに、魔理沙は手をかける。
が、開ける直前で止まる。
霖之助が不思議そうに魔理沙を見ると、なにやら魔理沙は何かを言い淀むような表情を見せた。
「あー……」
「どうしたんだい、魔理沙」
「ううん、何でもない。それじゃ」
ガラン、とドアに備え付けられた鈴が鳴った。
扉が開いて極僅かな光が差し込む。
その光に向かって、魔理沙は歩いて行った。
そしてドアが開いた時に、彼女はこう、霖之助に向けて言った。
「これからも、髪、宜しくな」
その魔理沙はいつものように、明るく微笑んでいた。
金色の髪が光に反射して太陽のように綺麗に輝く。
そしてそれ以上に眩しい微笑みが霖之助を刺した。
薄暗い光の向こうに魔理沙は消えていく。
扉がゆっくりと閉じられて、いつもの香霖堂がそこには残った。
「ふぅ……」
何事もなかったように、霖之助は椅子に座る。
店の掃除は、後からやり直そう。今日はもうやる気が起きなくなった。
自分にはそう言い聞かせておく。
実際、魔理沙の髪を切った後だと気力を使い果たした気がして何もしようと思わない。
魔理沙が最後に残した言葉。
それの残す意味は霖之助も感づいていた。
捨食、そして捨虫の魔法。
人間の魔法使いが魔法使いを目指す最大にして最後の極致。
人間の身体は全て成長によって成り立っている。
子供の時から性格を成長させ、身長が伸び、あらゆるものが大きくなり、成長していって大人になる。
当然、大人になるにつれ、その成長は止まっていく。
成長が止まると、次に始まるのは老化だ。
人間はその老化を終えて、寿命の最後を持って死を全うする。
その過程がある意味成長である、といえよう。
しかし成長はそう言った物には留まらない。
爪や髪もまた、人間にとって必要になるが故に成長して伸びていく。
必要ではあるものの、そう言った物は必要以上の成長をする事が多い。
だからこそ、それらは途中で抑えなければならない。
爪を切って短くすることで怪我をするのを押さえ、髪が長くなってフケ等も多く溜まり、汚れが目立つようになるからこそ髪を切る。
必要であるからこそ伸び、過剰にある事が問題だからこそ抑える。
もし魔法使いになって捨虫の魔法を使ったとしたらどうなるか?
人間としての成長は完全に止まり、魔理沙は魔理沙としてそのまま生き続ける事になる。
身長の伸びも一切止まり、当然ながら髪を切る必要性もなくなる。
成長を、しないからだ。
当然、その最終過程である老化も必然的にしなくなる。
魔理沙も魔法使いだ。
けれど今は人間だ。
いずれは彼女も種族としての魔法使いを目指す。
いや、既に目指しているだろう。
その為の実験や修行を今でも、怠る事無くずっと続けている。
彼女は努力家だ。
通常よりも遥かに頑張る努力家だ。
あの博麗の巫女に――天才と呼ばれるほどの実力を持つ博麗霊夢を越えようとする人間など、人妖全てを含めても片手で数えるほどしか存在しないのに。
あろうことか、それをしようとする者のうちの一人はただの普通の人間の魔法使いの少女なのだ。
ずっと高みに存在する霊夢を目指している魔理沙だ。
その努力は計り知れない。
いずれ捨虫の魔法を使い、成長を止めるだろう。そうなったら、自分が今まで定期的に日課のようにやっていた事が終わりになる。
魔理沙も、それを知っていたのだろう。
霖之助に髪を切ってもらう必要がなくなる事が。
今まで兄のように見守ってきた霖之助にとっても、それは寂しい事だ。
魔理沙はそれを悟ってくれていたのかもしれない。
いつかその日が来る事を。
「……やれやれ」
全く、素直じゃない。
別に自分は構わない。
それはきっと魔理沙が大きくなった証なのだから。
それは魔理沙の、努力の証なのだから。
……寂しくないといえば、確かに嘘になるけれど。
それまでは。
「ハサミ、新しいのでも買っておこうかな」
それまでは、あの子の長くなった髪は僕が切ってやろう。
あの子が成長しなくなるまで。
それまでは、自分が彼女の為に動いてやろう。
それが、今まで彼女を妹のように見守ってきた、自分にできる事だろうから。
「……にしても」
言いながら、自分の前髪を一房掴んだ。
割と、伸びてきているような気がする。
ふむ、と霖之助は一つ唸ると椅子に強くもたれかかる。
「僕も、そろそろ誰かに切ってもらおうかな」
伸びた髪の毛を自分の手で弄りながら、そんな独り言を呟くのだった。
香霖堂は相変わらずの客入りだ。
今日もこのまま、全く人が訪れずに営業は終わるだろう。
そうなったら適当にその辺りに出払っていくか、などと考えるのだった。
古来より魔術師が多く棲むといわれるこの森にはその名残からかそこら中から瘴気とも思える程の魔力が溢れ、樹の根元やよくわからない花などからはっきりと魔力が滲み出ていた。
香霖堂はそんな魔法の森の外れに建っている古物商の店だ。
最も店主は余り商売人向けの性格ではなく、どちらかといったらそういった道具のコレクターに近い。
故に店には珍しい物が多い。
それこそこんな薄暗い森でしか意味をなさないようなマジックアイテム等である。
そんなわけで店主の森近霖之助は、相変わらず暇であった。
場所も場所なら売る物も売る物、売る人も売る人というわけで当然のごとく一見の客は滅多な事ではこの香霖堂に訪れない。
一見できる客が居るかどうかも怪しいところだが。
店のカウンターの前の椅子に座り、頬杖を付きながら自分の店を見回す。
ここ十数年殆ど変わりのない自分の店の光景に苦笑する。
埃被った魔道具も浮かばれないという物だ。
中には『触れるな危険!!』などのお札が貼ってあるものも存在する。
お札は巫女に借りたものだ。
余り道具が可哀想になってきたので、霖之助は少しぐらい掃除でもしてやるか、などと思い立って席を立つ。
ガラン、と音を立てて店の扉が開いたのはその瞬間の事だった。
「よう、香霖」
「……魔理沙か。何だよ、僕は今忙しいんだ」
「とてもそうは見えないな。どうせ暇なんだろう?」
にはは、と子供のように笑う少女。
黒い帽子の下に隠された金色の髪が揺れて、綺麗な瞳が間から覗いた。
黒い魔法使い霧雨魔理沙は、ごく平然とそこに立っていた。
はぁ、と霖之助は一つ溜息をつく。何時もの事だがタイミングが絶妙過ぎる。
「これから忙しくなるところだったんだ」
「じゃあ忙しくなる前に私の用件を済ませてくれ」
「……いつもそれだな、君は」
霖之助は呆れたような眼で魔理沙を見る。
魔理沙が来た時はいつもこうだ。
まぁ自分の周りの女の子なんて全員こうだが。とにかく自分のペースで動こうとする。その為だったら相手の行動なんて関係ないのが自分の周りにいる女の子の大半の行動パターンだ。
いい加減慣れてきた自分が恨めしい。
文句を言う暇があるならば自分に主体性を持てばいいんだけどね、と心の中で自分に対する悪態をつくが、考えてみたらそんな事やるよりは相手に身を任せた方が楽だし自分らしい。
何より、魔理沙に対しては反発してもさっきのようにに軽くいなされるのが落ちだ。
どうせ自分の知る仲の良い巫女も同じような結果に収まるのだから、わざわざ自分に無理強いをしてまで主体性を持たせる必要もあるまい。
霖之助は諦めたように席に座りなおす。
身長の小さい魔理沙の顔が自分の真正面に持っていかれた。
「それで、用はなんだい?」
「何時もの用件だよ。大体二ヶ月ぶりぐらいのな」
「……ああ、成程ね」
言いながら、魔理沙は自分のトレードマークともいえる黒い三角帽子を脱いだ。
金色の前髪が魔理沙の瞳を隠したため、それを邪魔だと思って魔理沙は前髪をどかす。ようやく左目が霖之助を覗き込んだ。
「随分伸びたね。魔力が変な作用でも及ぼしてるんじゃないか?」
「可能性は否定できないな。何せ、久し振りに長期に及ぶ実験だったし」
「まぁ、いいだろう。どうする?」
「途中で霊夢が来ても恥ずかしいからな。いつも通り中で頼む」
「わかった。先にあがっててくれ」
「言われなくても」
帽子を右手に握りしめて、魔理沙はカウンターの奥へと歩き出す。
カウンターの奥は霖之助の私室になっている。当然の事だがこの店はここだけが居住空間ではない。
椅子にもたれたまま寝てしまう事もよくあるが、やはり寝心地は畳の上の布団に及ばない。
魔理沙は埃被った道具の間を掻き分け、ようやくカウンターの奥に辿り着く。
黒い服についた白い埃が目立つのが気になり、ぱんぱんと手で払う。
そしてちょっと子供のような憎らしい笑みを浮かべて真横に座る霖之助に視線を送った。
「少しは掃除しろよ、香霖」
埃のせいなのか、一回へくしっ、とくしゃみをする魔理沙。そしてまるで我が家のようにずかずかと店の居住空間へと上がりこんでいった。
霖之助はそれを見送って、やれやれと一つ呟いた後に言う。
「君にだけは言われたくなかったね、そんな事は」
-いきつけの床屋さん-
「さて、ご要望は?」
「何時もの通りで頼む」
香霖堂の居住部。霖之助の自室はそれなりに広い八畳の畳部屋だ。
しかし、店と同じところはといえば物の整理が相も変わらず怠られており普通以上に狭く感じてしまっているというところだろうか。
霖之助は、魔理沙の全身を白い布で包んでやった。
切った髪の毛が服の隙間などに入らないように、しっかりと首元で強く、首が締まらない程度に結んでやる。
魔理沙はまるでてるてる坊主のような服装になっていた。
そのまま畳の上に胡坐で座り込む。
霖之助はというと、魔理沙が動かないように足で固定しながら座っていた。
右手には鋭利なハサミ。空いた左手で魔理沙の肩を押さえつける。
「そうか、それならこっちも楽でいい」
「たまにはお洒落しろ、ぐらい言ってくれてもいいんじゃないか?」
「ずっと家で引きこもってる魔法使いにはそんな言葉は不適切だと思ってね」
なんだよ、私だって女の子だぞ、などと魔理沙は反論するがその瞬間、宙に金色の煌めきが舞った。
魔理沙は思わず目を閉じて黙り込んでしまう。
「余り喋らない方がいい。口の中に髪の毛が入る」
「……わかってるよ」
素直に黙り込む魔理沙。魔理沙の背中に若干の圧迫感がかかる。
霖之助は器用に前髪を少しずつ、切り落としていく。
シュッ、シュッ、と金属音の擦れ合う音が部屋の中に優しく響き渡っていく。
音が鳴る度、黄金色の髪の房が一本一本の毛に分解され、それは空を美しく舞い降りていく。
窓の外から、僅か入り込んでくる太陽の光に反射された金色の毛はより一層煌めいた。
魔法の森といってもこのあたりは非常に人間の里に近いゆえに、昼間ならば多少は明るい。
静かな時が流れていく。
霖之助の手つきは酷く手慣れたものだった。
前髪を左手で軽く持ち上げ、男性とは思えないほと細い滑らかな指の間にしっかりと、けれど引っ張り過ぎて魔理沙が痛がらないように丁寧に挟み込んで、その間の髪の毛をするりと流れるように切っていく。
魔理沙もこの間はずっと目を閉じて、何一つ喋ろうとしない。
前髪を切っている間に喋ると口の中がざらつく事をだいぶ昔に学習したからだ。
カチ、とまるで歯車が組み合わさるような音が聞こえると、魔理沙にかかっていた圧迫感が消えた。
ふぅ、と後ろから霖之助の息を吐く声が聞こえた。
魔理沙が目を開くと、目の前に自分が姿を現す。一瞬びくっと体を揺らすが、その瞬間目の前の魔理沙も体を震わせた。そこでようやく鏡を前に出されていることに気付く。
「さて、前髪はこんなところでどうかな?」
霖之助の声が魔理沙の耳に届く。
よく見ると小さなその手鏡の端っこには手が付いていた。霖之助の左手だ。どうやらわざわざ差し出してくれたらしい。
魔理沙は切られた直後の自分の前髪を鏡で見る。
一番長い房が眉辺りまで切られ、それでいてしっかりと揃えたわけではない。
切り揃えられていない不揃いではあるが、しかし自然に。ごくその場にいて何の不自然もない切り方であった。
魔理沙はそれを自分の手で触って確認する。
若干切り落とし損ねた一部の髪がパラパラと落ちていく。
魔理沙は満足そうに微笑んだ。
「おう、ばっちりだ。流石だな」
「昔、散々文句を言われたからね。いい加減文句を言われないようにしたよ」
霖之助もまた満足そうな笑みを浮かべた。
最初の頃はしっかり切り揃え過ぎて「男の子みたいでカッコ悪い!」などと大泣きされたり前髪を切り過ぎておでこが丸出しになり「こんな姿じゃ歩けない!」と全力で怒られたものだ。大分前の話だが、今でもその話は尽きない。
その話をすると、魔理沙は少しだけ図星を突かれたような表情を浮かべ、咳払いをして誤魔化そうとした。
「ま、まぁ昔の事はいいんだ」
「そうだね。それで、後ろ髪はどうするんだい?」
言いながら、霖之助は魔理沙の後ろの髪を手に取る。
長く伸びた髪は、床に届くとまではいかないが魔理沙の腰の若干上ぐらいに届くほどになっていた。
あー、と魔理沙は一回唸る。
「余り長い意味もないしな。ばっさり切り落としてくれていいぞ」
「……それを言われた時の大半は君の文句で終わるけどね」
「いい加減私の好みというものを判れ。そうすれば文句なんて言わないんだからな」
にしし、と小憎たらしく笑う魔理沙。
相変わらずの我侭お嬢様っぷりに少しばかり目頭が熱くなってくる霖之助。
まぁいいか、などと呟いてから霖之助はハサミを握った。
再び部屋の中にシュッ、シュッ、というハサミの鋭い金属音がかみ合い始める。
「それにしたって、何だか懐かしいな」
後ろの髪を切っていると、魔理沙が唐突に喋り出す。
「何がだい」
「いいや、こうやって切ってもらったの、初めての事を思い出すとさ」
さっき見たいに苦々しい思い出もあるが、などと言いながら魔理沙は顔を掻く。
言われながら、霖之助も昔を思い出す。
最初に彼女に「髪を切ってほしい」と頼まれたのはいつの話だっただろうか。
思い返せば相当昔のような気がする。
それこそ、彼女が実家に勘当されてからの事だった筈だ。
最初に切る時は、まずどれぐらいの長さが調度いいのかがわからなかった。
魔理沙がどれぐらいに切ってもらうのが一番いいのかとか、そもそもハサミで人の髪を切るのが初めてだった。
ハサミなんて、封筒の封を開ける以外に使用したこともなかったからだ。
当然だったが、最初の散髪は大失敗に終わった。
しばらくは魔理沙も外に出歩かなくなって、自分が魔理沙の家に行っても顔を合わせてもらうどころかその辺りにあったマジックアイテムを平然と投げつけられて相当痛い目にあったのを覚えている。
「そうだね。大分、昔の事だ」
だから必死で練習してやった。
その頃の魔理沙は、両親に甘えたい年頃でもあった。
でも、甘える対象はどこにもいなかった。
勘当などというが、殆ど自分で家を飛び出してきたようなものなのだから。
そして魔理沙の父が。自分の師匠が、勘当してもなお魔理沙の事を想っていた事を自分は知っている。
家から離れた彼女の事を、たった一人の娘の事を。迷惑なやつだとは思いながらも、ずっと大事に考えていた事を知っている。
魔理沙の父が、霖之助に魔理沙が頼ってきた時の世話を任せた事も、霖之助は今でも鮮明に覚えている。
「本当に、昔の……」
自分は彼女の父になれるとは思わない。けれど、せめて支えてやりたかった。
師の娘であるこしゃまっくれた生意気な子供を。兄のように、ただ支えてやっていた。
腕をあげて、もう一度彼女の伸びた髪を切ってやった。
やっぱり文句は言われたけど、その後謝ってくれた。
霖之助も、謝った。
それからはずっと、腕前不足な腕で霖之助は彼女の髪を切り続けていった。いつしか彼女は、大きくなっていった。
左手に取った、彼女の金色に輝く髪。昔からそれだけはちっとも変っていない。
その手触りも、その輝きも、何も変わっていない。いつしかその髪を見る目は温かいものになっていた。
「……今じゃ、こんなに生意気になってしまった」
「……こんな時に文句かよ、全く」
はは、と霖之助は笑みを返す。
魔理沙は軽く後ろを振り返るが、頭を動かすな、と霖之助が怒る。
頬を膨らませて声だけで抗議する魔理沙。
けれどその表情は、それなりに満足そうであった。
「これでもさ」
「うん?」
魔理沙の言葉に対して、霖之助が反応する。
あー、とちょっと唸ってから魔理沙は言葉を呟いた。
「感謝してるんだぜ、いつも」
「……僕もついに空耳が聞こえるようになったか」
耳掃除最近してなかったなそう言えば、などと独り言を呟き始める霖之助。
ボカ、と小さく地味ながらも豪快な音が部屋の中に響く。
「馬鹿にしてんのか」
「……すまない、余りに魔理沙らしくない言葉過ぎて頭が介入を否定してしまった」
「あー、ひっぱたきてぇ」
一発殴っておいてよく言う。
霖之助は強く叩かれた頭を摩りながらそう小さく呟いた。
頭の中がジンジン響いている。睨みつけるように魔理沙の横顔を見ると、ふふんと得意気な表情を自分に対して向けていた。
こういったところを見るとやっぱり昔と変わらない。
しかしぷい、と魔理沙は正面に向き直る。というよりも、霖之助に顔を見られないように視線を外した。
「いつもいつもさ、切って貰ってるのはありがたいんだよ。自分じゃ切れないからさ」
「……そうかい。頼めばいつだって髪の一つや二つ切ってやるさ」
言いながら、後ろ髪を再び丁寧に切り始める霖之助。
心地よいリズムは二人の鼓膜にゆっくりと届いていった
「ああ、ありがとな」
魔理沙が感謝を口にする。
言ったあと余りに恥ずかしかったのか、何も言わなくなる。
霖之助もそれを悟ってか、何も声をかけなかった。
しばらく、沈黙が続いて、再びハサミの音だけが部屋中に響いていた。
***
ふぁさ、と、白い布が部屋を舞う。
「終わりましたよ、姫」
「……何だそれ、気持ち悪いぞ」
「……やっぱりか」
魔理沙から纏っていた布を取り払った。
少しだけ布の上に残っていた魔理沙の髪の毛が宙をパラパラと舞う。
変な事を言った霖之助に対して魔理沙が呆れたような、若干軽蔑するような瞳を向けると、霖之助はごほんと咳払いをして誤魔化す。
少し顔も赤らんでいた。
「少しはそういう雰囲気を出そうかとだな……」
「お前馬鹿だろ、やっぱり」
魔理沙の冷静な突っ込みが霖之助の羞恥心を抉る。
どうにか誤魔化そうと何度も強く咳をする霖之助。
ともかく、と言いながら霖之助は魔理沙に鏡を差し出した。そして霖之助は魔理沙の後ろで折り畳み式の鏡を取り出す。
手鏡に魔理沙の後ろ髪が反射して映し出される。
魔理沙の後ろ髪は大体肩ほどまでに届くほどになっていた。
「おー」
「こんなもんでどうだい?」
「下手じゃないな。上々だ。上手くなったじゃないか香霖」
「何から何まで全部人にやらせておいて、よく言うよ」
「人にやらせるから、文句を言うんだぜ?」
そりゃそうだけどね、と霖之助は呟いた。
霖之助は、魔理沙のリボンを手にとっていつも魔理沙が付けているもみあげの部分を結って、リボンを結んでやった。
魔理沙はちょっとだけうっとおしそうな表情をするが、しかし文句は言わない。
霖之助が結び終わった後、魔理沙は少しだけ恥ずかしそうに霖之助に向かって言う。
「それぐらい、自分でやらせてくれよ……ったく、過保護だぜ」
「親切なアフターケアをモットーにしてるんだよ、僕の店は」
「お前が親切なら、霊夢は既に里の人気者だよ」
言いながら、よっと立ち上がる魔理沙。
そして居住場から店の方へと向かう。
歩きながらつま先をとんとん、と靴をしっかりと履きながら。
「忘れものだよ」
「っとぉ。道理で頭がスースーすると思った」
霖之助が魔理沙の三角帽子を魔理沙に向かって投げる。
魔理沙は振り返りざまにそれを軽々と受け取った。
霖之助も魔理沙についていくように店側に向かっていく。
店は相変わらずの静まり具合であった。客がだれ一人来た様子は見えない。
「閑古鳥が鳴き過ぎだろう、この店」
「別に構いはしないよ」
「こんな店主だと店も可哀想だぜ」
そう言いながら、魔理沙は再び道具のなかを掻き分けてカウンターの向こう側へ歩いていく。
抜けた後埃を払うと、魔理沙は霖之助に振り替える。
「さんきゅー、これですっきりして研究再開できるぜ」
「そうかい、それなら良かった」
魔理沙の満面の笑みを霖之助は微笑みで返す。
嬉しそうな微笑みだった。
香霖堂のドアに、魔理沙は手をかける。
が、開ける直前で止まる。
霖之助が不思議そうに魔理沙を見ると、なにやら魔理沙は何かを言い淀むような表情を見せた。
「あー……」
「どうしたんだい、魔理沙」
「ううん、何でもない。それじゃ」
ガラン、とドアに備え付けられた鈴が鳴った。
扉が開いて極僅かな光が差し込む。
その光に向かって、魔理沙は歩いて行った。
そしてドアが開いた時に、彼女はこう、霖之助に向けて言った。
「これからも、髪、宜しくな」
その魔理沙はいつものように、明るく微笑んでいた。
金色の髪が光に反射して太陽のように綺麗に輝く。
そしてそれ以上に眩しい微笑みが霖之助を刺した。
薄暗い光の向こうに魔理沙は消えていく。
扉がゆっくりと閉じられて、いつもの香霖堂がそこには残った。
「ふぅ……」
何事もなかったように、霖之助は椅子に座る。
店の掃除は、後からやり直そう。今日はもうやる気が起きなくなった。
自分にはそう言い聞かせておく。
実際、魔理沙の髪を切った後だと気力を使い果たした気がして何もしようと思わない。
魔理沙が最後に残した言葉。
それの残す意味は霖之助も感づいていた。
捨食、そして捨虫の魔法。
人間の魔法使いが魔法使いを目指す最大にして最後の極致。
人間の身体は全て成長によって成り立っている。
子供の時から性格を成長させ、身長が伸び、あらゆるものが大きくなり、成長していって大人になる。
当然、大人になるにつれ、その成長は止まっていく。
成長が止まると、次に始まるのは老化だ。
人間はその老化を終えて、寿命の最後を持って死を全うする。
その過程がある意味成長である、といえよう。
しかし成長はそう言った物には留まらない。
爪や髪もまた、人間にとって必要になるが故に成長して伸びていく。
必要ではあるものの、そう言った物は必要以上の成長をする事が多い。
だからこそ、それらは途中で抑えなければならない。
爪を切って短くすることで怪我をするのを押さえ、髪が長くなってフケ等も多く溜まり、汚れが目立つようになるからこそ髪を切る。
必要であるからこそ伸び、過剰にある事が問題だからこそ抑える。
もし魔法使いになって捨虫の魔法を使ったとしたらどうなるか?
人間としての成長は完全に止まり、魔理沙は魔理沙としてそのまま生き続ける事になる。
身長の伸びも一切止まり、当然ながら髪を切る必要性もなくなる。
成長を、しないからだ。
当然、その最終過程である老化も必然的にしなくなる。
魔理沙も魔法使いだ。
けれど今は人間だ。
いずれは彼女も種族としての魔法使いを目指す。
いや、既に目指しているだろう。
その為の実験や修行を今でも、怠る事無くずっと続けている。
彼女は努力家だ。
通常よりも遥かに頑張る努力家だ。
あの博麗の巫女に――天才と呼ばれるほどの実力を持つ博麗霊夢を越えようとする人間など、人妖全てを含めても片手で数えるほどしか存在しないのに。
あろうことか、それをしようとする者のうちの一人はただの普通の人間の魔法使いの少女なのだ。
ずっと高みに存在する霊夢を目指している魔理沙だ。
その努力は計り知れない。
いずれ捨虫の魔法を使い、成長を止めるだろう。そうなったら、自分が今まで定期的に日課のようにやっていた事が終わりになる。
魔理沙も、それを知っていたのだろう。
霖之助に髪を切ってもらう必要がなくなる事が。
今まで兄のように見守ってきた霖之助にとっても、それは寂しい事だ。
魔理沙はそれを悟ってくれていたのかもしれない。
いつかその日が来る事を。
「……やれやれ」
全く、素直じゃない。
別に自分は構わない。
それはきっと魔理沙が大きくなった証なのだから。
それは魔理沙の、努力の証なのだから。
……寂しくないといえば、確かに嘘になるけれど。
それまでは。
「ハサミ、新しいのでも買っておこうかな」
それまでは、あの子の長くなった髪は僕が切ってやろう。
あの子が成長しなくなるまで。
それまでは、自分が彼女の為に動いてやろう。
それが、今まで彼女を妹のように見守ってきた、自分にできる事だろうから。
「……にしても」
言いながら、自分の前髪を一房掴んだ。
割と、伸びてきているような気がする。
ふむ、と霖之助は一つ唸ると椅子に強くもたれかかる。
「僕も、そろそろ誰かに切ってもらおうかな」
伸びた髪の毛を自分の手で弄りながら、そんな独り言を呟くのだった。
香霖堂は相変わらずの客入りだ。
今日もこのまま、全く人が訪れずに営業は終わるだろう。
そうなったら適当にその辺りに出払っていくか、などと考えるのだった。
霊夢の髪もやってあげてるのかな。
後書きの霊夢、マジ自重w 男性のハゲは真剣な問題なんだぞ!
で、待てそこの紅白、それハサミの音と違うw
後書きの霊夢何やってんだw
序でに誤字発見。
「散発」ではなく、「散髪」かと。
普通に魔理霖SSもいいけどこういう雰囲気のSSも好きです
ってか霊夢よ、もしかしてかみそりでやってないか?
それでも、変わらないで欲しいと願うのが、人の心の愛すべきところであると思います。
もう少しだけ、この「床屋」が続くことを祈りつつ。
ゾリッ
なんかいいな。
いい気分で……。 ゾリッ。
どこを剃られたんだ!
それにしても、良い床屋ですな。
あと、ゾリッて・・・やりやがったな!!
死ぬほど細かい話だけど、曇りの定義は9割からです。
いいですねぇ、こういう掛け合い。
魔理沙がもし本当の魔法使いになったら、霊夢だけが普通に死んでしまうのだと読んでいて思いました。
以下、気になったところです。
最初に「古来より魔術師が多く済む」とありますが、「住む」か「棲む」ではないかと。
「大分前の話だが、
今でもその話は尽きない。」と改行が入っていました。狙いがあったら申し訳ありません。
改装オープンとかだったらまだいいのにね。
>「少しはそういう雰囲気を出そうかとだな……」
>「お前馬鹿だろ、やっぱり」
↑このこーりんの口調に少しばかり違和感が。
「少しはそういう雰囲気を出そうかとだね……」
とかじゃないですか? いや、知っててだったらすいません。私のイメージ上の違和感なので。
物語の今後を見てみたいようなSSでした。