Coolier - 新生・東方創想話

お母さん

2008/03/09 20:28:45
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 人形は巨木の下に倒れていた。
 小さな体を朱のドレスを包み、瞳を閉じて仰向けになっていた。
 魔法の森で誰かに出会うことは珍しい。棲まう者は少なく、来訪者となればさらに稀少だからだ。濃密な魔力を帯びた霧に覆われ、遙か頭上では極彩色の葉と枝が生い茂り絡み合い、鴉の群れが嗄れた鳴き声をあげて羽ばたいている。そんな森に人が近付かないのは当然だろう。妖怪にしても同じこと、よほど力の強い者でなければ足も向けようとしない。
 もっとも、来訪者が絶無というわけではない。貴重な薬草を求める者、他者に言えぬ目的を秘めて人里離れて住まう魔法使いを訪ねるもの。目的は様々だ。その中にあって最も多いのが、何かを捨て去る者である。手元に置いたままでは不都合なものを遺棄するには絶好の場所なのだ。ひび割れたフラスコとビーカー、マンドラゴラめいた正体不明の薬草、果ては怪しげな魔導書まで見つけたことがある。
 だが人形とは――私は僅かに眉をしかめる。
 人形が模しているのは十歳前後の少女といったところか。背丈の縮尺はほぼ一分の一、つまりは現実世界における少女のそれに等しい。装飾的な衣装は細部まで作り込まれており、襟や袖にあしらわれたフリル一枚までおろそかにされていない。紅色のリボンをあしらった金髪の下で、可憐な唇がアルカイックな微笑みをたたえていた。
 総じて逸品である。何より印象的なのは、人間の少女以上に少女らしさを伝えてくる面差しだ。あらゆる点で人間そのものと見紛うばかりだ。
 これほどの人形を置き去りにするなど信じられることではなかろう。
 だが、あまりにも人間らしい人形は意外なほど忌避されやすい。人は、己と酷似した存在を愛玩出来るようには出来ていないらしいのだ。犬猫を愛でるように猿を愛撫する者がいるだろうか。
 ともあれ、私は人形遣いの端くれだ。名品が放置されているのを見過ごすわけにはいかない。
「こんな所に置いていかれて……酷いことするのね」
 近付いて腰をかがめ、頭と地面の間に手を差し込み、抱くようにして半身を起こさせる。小柄な体は意外と重く、硬質だ。フレアスカートの下の足は清潔なソックスに包まれ、膨らんだ裾から伸びた腕にはうっすらと線が走っている。月光を照り返す鮮やかな金髪と白磁の肌が目に眩しい。
 見れば見るほど精巧な造りである。余程腕の良い人形師の手によるのだろう。私に匹敵するかそれ以上だ。野に遺賢あり、とはこのことか。
 思えば私も、理想の人形を作ろうと努力していたものだ。魔法の森から、香霖堂から、博麗の社から、時には高い代償を払ってまで種々雑多な材料を仕入れ、持ち得る魔法と技術の粋を尽くしたものである。目指すべきはただ一つ、喜怒哀楽の念と己の意志を有する自律型の――すなわち、限りなく人に近い人形。
 それは、あらゆる人形師にとって究極の夢だ。
 だが結局、私の腕では人形の域を超えることは出来なかった。当然といえば当然だ。幻想郷でも、外の世界でも、無数の人や妖が半ばにして断念した道なのだから。私に作り得て、手元に残っているのは、上海、蓬莱、仏蘭西……自律と他律の狭間にある人形たちだけ。
 彼女たちに不満はない。己が手になるヒトガタとわかっていても、甲斐甲斐しく仕えてくれる姿には愛情を抱かざるを得ない。
 だが、あの娘たちは自らを律することは出来ない。私が操らねばただ一つ処に佇み続けるだけの生なき影絵だ。窓辺に並んだ彼女たちを目にするたび、心のどこかが囁く。
 お前が望んだ人形は別にあるのではないかと。
 為すべきことがまだあるのではないかとも。
 時間的な制約はないのだ。妖たる私には悠久の時が約束されている。永遠とまではいかねども、試行錯誤を繰り返し究極の一端に辿り着くだけの猶予はあろう。
 それでも。
 理想の人形を作り出そうと腕を振るうことはもうないだろう。あの情熱はどこか熱病に似ている。一度熱がひけば後には何も残らず、己が為そうとしていたことすら思い出せないような。
 ――そういえば
 失敗の後、あの子をどうしたのだったかとふと思う。
 物置に仕舞い込んだままだろうか。
 部屋の片隅で埃をかぶっているだろうか。
 いや、確か――
 イメージの残滓が私の脳裏をよぎり、人形を抱く手に思わず力を込めた時
「……痛い」
「!?」
 人形が声をあげて身じろぎした。
 息を呑み、人形へと注意を転じる。予想外の出来事に、胚胎しかけた想念はどこかに吹き飛んでしまった。
 当然だ。人に近しい人形に思いを馳せていた時に、腕の中の人形がひとりでに動き出したのだから。
 私の腕の中、瞳がゆっくりと開いてゆく。薄い瞼の下から現れた碧眼は煌めき、自ら発光する菫青石(アイオライト)のように輝いている。二、三度目をしばたくと、人形は不思議そうに私を見つめ首を傾げた。
 無機物とは異なる輝きを宿した瞳。
 人としか思えぬ仕草。
 何とはなしに気圧され、私は少しだけ目をそらしてしまう。
「えーっと」
 人形がゆっくりと口を開いた。私はおずおずと声を返す。
「な……何?」
「痛いから手を離して欲しいの」
「……あ、ご、ごめんね!」
 腕の力を緩めると、人形はほっと息をついた。
 正確には、ついたように思えた。
 思えたというのは、人形が呼吸をするはずがないからだ。
 彼女の声には色が、瞳には確たる意志の力があった。技術の粋を尽くした精巧極まりない自動人形であろうとも決して表現出来ないものだ。人形が、いや、少女が生きていることは明白だった。
 人間が人形の振りをしているのではなかろうか。思わずそう考えたくなってしまう。事実、少女を抱いた腕に伝わる感触は、セルロイドやアクリルではなく、質感と肉感を備えた生物のそれだ。すらりと伸びた手足は痛ましいほど白くしなやかであり、美しい。いっそ美しすぎるといいたいほどだ。
 それでもなお、少女は人ではない。肌に薄く走った線と植毛のわずかな痕跡、そして、体温を持たぬかのようなひんやりとした手触り。余人ならば見過ごしてしまうような細部が、人形に他ならない事を示している。
 それでも少女は、己の意志を持ち、生者のように言葉を発している。四肢も思うがままに動かせるようだ。となれば、安易に人形と呼ぶのは不適切ではないのか。
 思考がぐるぐると渦を巻く。
 生者にして生者にあらず。
 人形にして人形にあらず。
 私ですらこんな存在を目にするのははじめてで――

 ――はじめて?

 そうなのだろうか?
 私は彼女を見知っているのではないか?
 どこかでこのような人形と出会ったことがある。そんな気持ちがまとわりついて離れない。腕に少女を抱いたまま、脳髄を振り絞って意識の底から記憶をすくい取ろうとするが、考えれば考えるほど切れ切れのイメージが浮かぶだけだ。たゆたう記憶の欠片は、手にしたかと思えば指の間からするりと抜け出て彼方へと飛び去ってしまう。
「変な顔して、どうしたの?」
「ううん、何でもないわ」
 柔らかな声が混濁しかけた意識を現実に引き戻す。鈴のように澄んだ音色が耳に心地いい。
「それより、大丈夫なの?」
「何が?」
「何が、って。あなた、ここで倒れてたのよ。怪我とかしてない?」
「倒れてたんだ、わたし」
 人形は、いや、少女は呟く。記憶がないのか関心がないのか、さしたる興味もなさそうな口ぶりだ。無垢な表情を浮かべたまま、物珍しげにあちらこちらにと碧眼をさまよわせている。
 するり。腕の中の重さが消失する。少女は私の手を逃れて立ち上がり、一帯を見渡した。多少ふらついてはいるが足下はしっかりしている――と思った途端
「あれ?」
 右の足がかくんと折れ、少女は膝をついてしまう。
 膝を伸ばし、もう一度立とうとするも
 ころん。
 結果は同じだ。地に足をついて体を伸ばそうとすると、膝の裏を背後から突かれたかのようにかくりとへたりこんでしまう。何度か試して起き上がれないことがわかると、少女は不満そうに口を尖らせた。
「変なの。これじゃ、毒を飲んでふらふらする人みたい。わたしは毒でも大丈夫なのに」
 それはそうだろう。人形に有効な毒などあるはずがない。そもそも、なぜ急に毒が出てくるのだろう。どこぞの藥師のような毒マニアでもあるまいに。
 まあ、立ち上がれない原因は大体見当がつく。私はしゃがんで少女と目線をあわせ、手を差し出す。
「足、見せてくれないかしら」
「うん」
 素直に頷くと、少女は地にぺたんと座り足を伸ばした。赤い靴を手にとって持ち上げ、ワイン色のスカートをまくりあげると、若木のように白い足が伸びている。肌理の細かい仕上げに、人形遣いとしては溜息をつかざるを得ない。つくづく見事な造作だと指をはわせると――
「ひゃっ!?」
「な、なにっ!?」
 少女と私、二人の声が揃って裏返る。
「なんでもないの。ちょっとくすぐったかっただけ」
 困ったようにはにかむと、少女の頬に紅が差した。その純朴ともいえる仕草に、私も頬を赤らめてしまう。
 ――いけない。
 これでは少女、それも人形相手にいたずらして興奮する変質者ではないか。いくら私が人形遣いでもそんな趣味はない。
 内心苦笑しながら、爪先から股の付け根へと指を滑らせる。要は触診だ。人間や妖怪でいえば骨の埋まっている箇所、中でも膝のあたりに異常がないか神経を研ぎ澄ます。
 やがて、私の指先は想定通りの感触を伝えてきた。
「やっぱりね」
「やっぱりって、なにが?」
「膝の関節がゆるんでるみたい。立てなくても無理ないわね。時々あるのよ、こういうこと」
「治るのかしら」
「出来ないことはないけど……ここじゃちょっと駄目かな。手持ちの道具があればいいんだけど、今日は持ってきてないし」
「そうなんだ。どうしよう」
 大して困った風でもなく少女が呟く。
 どうしようも何もない。人付き合いは良い方ではないが、この少女を放っておくとほどに人非人、いや、妖非妖ではないつもりだ。
「私の家に来なさい。足、治してあげるから」
「え、いいの?」
「いいに決まってるでしょ。治りません、ではさようなら、じゃあんまり冷たいでしょ。色々な人に怒られちゃうわよ」
「でも、わたし歩けないわ」
「私が連れて行ってあげるから。お節介のつもりはないの。私にあなたを治させてくれないかしら?」
 座ったままの少女に手を差し伸べる。
 一瞬の沈黙。
 そして、少女はおずおずと私の手をとった。ひんやりとした掌が心地良い。
「ありがとう。わたしはメディスンっていうの」
「私はアリス。アリス・マーガトロイドよ。よろしくね、メディスン」
 答え、メディスンを背負う。ふわりと、風にそよぐ金髪が、嗅ぎ慣れぬ香りを運んでくる。
 いや、髪の毛だけではない。メディスンのドレス、いや、体そのものからある匂いが漂っているようだ。
 不快ではない。さりとて、芳香というも当たらない。
 色に例えるなら白にして紫、芳しく甘やか、清楚でありながら魂魄を彼方へと運び去るような危うさを内包した香気。
 そう、これは季節外れの白い花――
 鈴蘭の香りだ。


 さく、さくと。足を踏み出すたび、地面に堆積した枯れ葉は崩れ乾いた音を奏でる。千草八千草秋草が露を含んで夜道に揺れる。
 魔法の森は真昼ですら暗い。深夜となればなおさらだ。一度夜の帳が落ちれば、道標となるのはわずかな月明かり、そして現れては消える蒼い人魂がせいぜいである。獲物を求める梟の鳴き声が、ほうと不吉に木霊した。
 それにしてもメディスンは軽い。背負っていることを忘れてしまいそうな程だ。身長は十歳ほどの少女に近く、人形とはいえそれなりに重いはずなのだが。抱き起こした時はもう少し重かった気がする。こうまで軽いと、実体を持たない幽霊のようで、振り向いたら誰もいないのではないかと埒にもない想像をしてしまう。
「アリス」
 メディスンの声が聞こえた。何故だかほっとして、私は前を向いたまま答える。
「なに?」
「アリスは何をしてる人なの?」
「人じゃなくて魔法使いなんだけど……まあいいか。私はね、人形を造ってるの」
「ふうん……すごいんだね」
 混じりけのない感嘆の声がする。目を丸くした表情までが想像出来るようで、私は一人微笑んでしまう。
 本当に素直な娘だ。人付き合いがよくない私でも、一緒にいたいと思うほど愛らしい。親しい妹や娘がいたらこのような感じなのだろうか。
「それなら――」
 何やら言いかけて、メディスンは言葉を切った。すがりつく手に少しだけ力が加わる。
「なあに?」
 聞き辛いことなのだろうかと思い、歩調を緩め、出来るだけ優しく問う。しばらく黙り込み、少女はおずおずと言葉を続けた。
「うん。アリスは人形のこと、よく知ってるんだよね」
「人並み以上にはね。でも、どうして?」
「えっと、教えて欲しいことがあるの。聞いていいかしら?」
「私で答えられることならね」
 メディスンの問いの調子が変わっていた。淡々としていた声に、好奇の念に由来する起伏が生じている。はじめこそ無関心のように思えたが、実際は好奇心旺盛のようだ。
 私としてもその方がありがたい。道連れがいながら夜の森を黙りこくって歩むのは、いかに私でも少々辛い。騒がしいのは苦手だが、二人連れの重苦しい沈黙はそれ以上に嫌だ。
「人形って、壊れちゃうこともあるんでしょ」
「もちろん、造られたものだもの。素材によって壊れやすい壊れにくいはあるけど、落としたり乱暴にしたりすればどうしてもね」
「壊れたらどうするの?」
「治すわよ。人形はただの道具やおもちゃじゃない。造った人の魂がこもっているの。手がつけられないほど傷んでしまったならともかく、壊れたからって簡単に捨てたりしたら罰が当たるわ」
「――そっか。捨てないんだ」
「メディスン?」
 呟きに、思わず足を止めた。
 手に力がこもり、私の背を強く掴む。
 どうかしたのだろうか。やけに沈んだ声のように思えたが。
「なあに、アリス?」
「……いえ、なんでもないわ」
 気のせいかとわずかに首を振る。
 問い返すメディスンの声はほがらかで無邪気そのものだ。背負った体と同じようにどこまでも軽く、今にも夜風に乗って森を舞い踊りそうな音色に、暗鬱な感情は相応しくあるまい。
 声が沈んで聞こえたのは、森を覆う闇に惑わされたゆえの錯覚だ。
 そうに違いないと、自分に言い聞かせる。
「もう一つ聞いていい?」
「遠慮しないでいいわよ」
「じゃあね、人形を造っても、可愛くなかったり好きになれなかったりしたらどうするのかしら? 私にはよくわからないけど、みんな誰かを好きになったり嫌いになったりするんでしょ。だったら、人形を嫌いになることだってあると思うの」
「まあ、無いとはいえないでしょうけど――」
 ――答えにくいことを聞いてくれる。
 全ての人形を等しく愛することは難しい。被造物である以上、そこには出来の良否しが否応なく生じる。造った時は最高の人形だと思っていても、歳月を経てから見ればあまりの未熟さに苦笑してしまうこともあるだろう。
 人形を造るのは、他者と交友を結ぶのにも似ている。手塩にかけ、時間を費やして組み上げる過程で愛情の濃さに差異が生じるのは避けがたいというのが本当のところだ。
 だからといって、むきだしの本音を伝えるわけにもいくまい。言葉を選びながら口を開く。
「どこかに仕舞い込むか、部屋の隅に追いやるか。罰が当たるとは言ったけど、平然と壊してしまう人だっているかもしれないわ。人それぞれよね。一般的には――」
「他の人の話はいいの」
 かすかに苛立った声が私を遮る。
「アリスだったらどうするか、知りたいの」
 私だったら?
 ますます困る。私は聖人君子ではないから、全部が全部を愛することは出来はしない。
 事実今までも、嫌いとまではいかなくとも、どうにも好きになれない人形というのは確かに存在した。自分で造っておいて勝手な話だがこればかりは理屈ではないのだ。直感的な好悪であり、理性が入り込まないだけに性質が悪い。
「造り直すしかないわね」
「ふうん」
「だって、気に入らなかったからそれでさようなら、というのもひどい話じゃない。せっかく手間をかけて造ったものだし、何より人形が可哀想よ」
「造り直すなら壊さないと駄目だよね」
「再生するためには一度破壊しないといけないの。こればっかりは仕方ないわ」
「本当に仕方ないのかな?」
「どういうこと?」
「壊すのはやっぱり可哀想な気がするわ。人形が自分から造ってとお願いしたわけじゃないのよ」
「そう――でしょうけど」
 痛いところをついてくる。
 どれだけ理屈をつけたとて、出発地点は造りたいという欲望だ。頼みもせずに生み出され、好かれたり嫌われたりでは人形も大変である。作り手の我が儘といえばそれまでだ。
「メディスンの言うことはもっともよ。でも」
「でも?」
「私だって望んで気に入らなかったり、喜んで壊したりするわけじゃないの。それだけは信じて」
 納得いかなげなメディスンに私は語りかける。
 弁明のようだな、と思った途端、自分が滑稽になほど必死であることにはたと気付いた。
 ――おかしい。
 何故私はこんなことに必死になっているのだろう。これでは犯した罪を自己弁護しているようではないか。心のどこかが不安にざわめく。
 ちらとのぞき見ると、メディスンの顔からは表情らしい表情が消えていた。どこまでも作り物めいた、文字通りに人形の貌。
 ごくりと息を呑む私にあわせるように、少女はゆっくりと言葉を続ける。
「でもアリス、嘘ついてるよね」
 嘘――だと?
 眉を寄せる。
 何を言い出すのだ。私が一体、どんな嘘をついているというのだ。
 私も生きている存在である以上、嘘をつくことはある。だが、それは何らかの必要あってのことだ。虚言癖があるわけでもないのに、メディスン相手にいかなる虚偽を並べる必要があるのだろう。
「ちょっと待ちなさい。嘘、ってどういうこと?」
「さっき、捨てないって言ったよね」
 棘を含んだ声も意に介さした様子もない。メディスンは朗らかに言葉を紡ぐ。
「……そうよ」
「じゃあ、何回造り直しても駄目だったらどうするの? 壊して造って、造って壊して、でもやっぱり思いどおりにならない。そんな繰り返しは大変よ」
 ――何を。
「アリスだったらそんな時どうするのかな。壊して最初から無かったことにしちゃうの? ううん、そんなことしないよね。壊したら造り直すんだもんね」
 この少女は何を言っているのだ。
 造った人形が不出来だった時どうするか、という話だったはずだ。それがなぜ、私が嘘をついているという糾弾に化しているのだろう。
「頑張って何度も何度も造り直すの? でもそれは大変よね。朝も昼も夜も、好きになれない人形と向かい合って過ごさなきゃいけないんだもの。ぞっとするわ」
「……」
「ねえ、アリスは本当にそうしてたの? 違うよね。いくらアリスでもそんなこと出来ないよね」
 執拗な問いかけに苛立つ心を抑え込む。
 落ち着け。
 メディスンはただ私の言葉尻をとらえて遊んでいるだけだ。私が一々過敏に反応するからいけないのかもしれない。子供ならではの罪がない悪戯のようなものなのだろう。
 わかっている、わかっているのだが。
「本当は――」
 頭が痛い。
 耳鳴りがする。
 心臓の鼓動が跳ね上がり、呼吸のリズムを乱す。幾度となく首輪を引っ張られだらしなく息を荒げる飼い犬のように。
「捨てちゃったこともあるんじゃないの?」
「やめて!!」
 叫んだ。夜闇をつんざく声音に、草陰で鳴いていた虫の声が止まった。
 しん、とした静寂が森におちる。いつしか梟の鳴き声すらも絶えている。もしかすると、とうに静まっていたのかも知れない。
 沈黙が降りる。
 実際には数分、いや数秒間だったかもしれない。だのに私には、やけに長く感じられた。
「変なアリス。急に怒ったりするんだもの」
 メディスンはころころと笑う。
 可愛らしい声だ。無邪気な笑い声だ。
 だが、今の私には微笑ましいはずのそれがやけに疎ましい。笑いではなく、嗤い。嘲笑ではないかとすら思えてしまう。
 メディスンは一体何が言いたいのか。
 何が知りたいのか。
 悪意から執拗に問い続けているのかも知れないと邪推してしまう。無垢な笑顔と言葉の下で、悪意が牙を潜めているような感覚すらおぼえる。
 だがそれは錯覚だ。
 少なくとも、そう信じたい。
 メディスンは、この人とも人形ともつかぬ少女は、善意や悪意というようなややこしい感情をおそらく持っていない。ただ純粋に、私の言葉を疑問に思い問いかけているだけなのだ。だから子供の戯れ言と思い聞き流せばいい。
 理性はそう告げてくる。
 けれども。
 心のざわめきは止まってくれない。沸き上がるのは、不気味なまでにどす黒い不安と恐怖だけだ。メディスンを助け、我が家へと足を向けたときの昂揚と満足感は少しも残っていない。
 私はただ、一刻も早く家へと帰り着きたいためだけに足を速めた。


 おかしい。
 なぜ家に着かないのだ。
 もう数時間は森をかきわけ進んでいる。満月は西へと沈みかけ、夜露に濡れていた霧は朝靄へと変じている。頭上に輝いているのは夜明けの明星だ。とうに家に戻るどころか、工房でメディスンの治療を終えて一眠りしていても当然の時刻である。
 もしや道に迷ったか。
 そんな思いがちらとよぎるが、すぐに否定する。魔法の森は私にとって庭のようなものだ。軽い気持ちから森に入り込んだ人間ならいざ知らず、毎日のように行き来する路に迷うほど私は方向音痴ではない。
 とはいえ、家路に辿り着かないのもまた事実。迷ったのでないならば――
 ――惑わされたか。
 だが、何に?
 それとも、誰に?
 私はただ黙りこくって歩を進める。
 背中の少女は先ほどから声一つたてない。眠っているのかもしれないが、寝息すら聞こえないのでどうしているのか確かめようもない。
 いや、確かめたくもない。
 重みをほとんど感じないのが幸いだった背負っているという事実を毎秒ごとに突き付けられるようならば、どこかに放り出して逃げ出していたかもしれない。
 歩く。枯れ葉を踏みしめ、薄暗い森を、ただ黙々と。
 どれほどの時が過ぎただろうか。
 奇妙に捻曲った枯れ木が見えた。二柱の樹が交互に絡み合い、アーチ状の入り口を形作っている。入り口からは古びた石畳が彼方に向かって伸びていた。
(よかった)
 安堵の息をつく。
 あれは私の家への道標だ。ここまで来れば辿り着いたも同然、アーチを通り抜ければ家に帰ることが出来る。この奇妙な道行きも終わらせることが出来るだろう。
 足を速め、石畳を目指す。
 上に覆い被さった枯れ木のアーチを一息にくぐりぬけると、足を止めて息をついた。
 ようやく我が家だ。
 安堵の息をつき、目を上げてあたりを見渡す。
 するとそこには――
「……何、これ」
 白が広がっていた。
 黎明の中、花畑が浮かび上がっていた。
 見渡す限り一面に白い花々が咲き誇っている。緑の葉を絨毯に、小さな花は鈴なりとなって風に揺れてる。
 夢見るような、まどろむような、現と幻の境を曖昧とし生き物の意識を幽冥の彼方に運び去る甘い芳香が漂っている。
 私はただ呆然と立ち竦む。
 我が家への門をくぐったはずだ。このような不可解な場所に足を踏み入れるはずがない。
 そもそも此処はどこなのだ。
 身動ぎすると、足元で花がかさりと音を立てた。
 ――確か、この花は。
「鈴蘭よ」
 何処かから声がした。
 誰、と問うても答えはない。ただ、くすくすという笑い声を孕んだ風が流れてくる。
 ここは本当に何なのだろう。
 それに、鈴蘭だと?
 ありえない。鈴蘭は春の花だ、秋の最中に咲いているはずが無いではないか。
 大体、この花畑は何だというのだ。魔法の森にこんな場所は存在しない。
 いや、違う。
 厳密に言えば存在しないわけではない。
 いつのことだか覚えていない昔、私は眼前にも似た花畑を目指したことがある。
 魔法の森でも禁忌とされる一角。人間はもちろん、妖とても滅多に近付かぬ忌み地。何処にも行き場が無い者が最後に辿り着く忘却の原。
 私があの娘を捨ててきた――

 待て。

 捨ててきた?
 何を?
 いや、誰を?
 そもそも私は何をだらだらと考えているのだ。ここが何処なのか、何故辿り着いてしまったのか考えるべきではないのか。
 そうは思うのだが、脳髄は毒にあてられたように痺れてまともに働いてくれない。
 漠然とした、切れ切れの想念が間断なく浮かび、消え去ってゆく。
「メディスン」
 背負った少女へと呼びかける。
 声は空しく宙を切り、たちまち虚空の彼方へと飛び去る。
「メディスン? どうしたの?」
「ここよ、アリス」
 ぼう。
 少女は闇に咲く鈴蘭の中に浮かび上がる。
 月光が照らし出す面差しは、無垢な少女のままだ。ただ、口元に浮かんだ冷たい笑みがその印象を裏切っていた。
「メディ……」
 ふらり。
 一歩を踏み出そうとして、足が揺れた。
 足だけではない。揺れているのは全身だ。
 視界は右に回転したかと思うと左にゆらめき、ぐるぐると渦を巻く。がんがんと耳鳴りがして、脳を痺れさせるような頭痛が断続的に襲ってくる。
「え、あ……?」
 体がふらふらと揺れる度、言葉にならぬ呻きが漏れる。呼吸をする度に、濃厚な香りが鼻腔と口腔から脳髄へと侵入してくる。
 もしや――毒か。
 そう判じたときには、私の体は平衡を失っていた。
 足が動かない。ここから離れようとするもかなわない。
 指先を動かし、首をめぐらせるのがせいぜいだ。体がまったく言うことを効いてくれない。
「あ、やっときいてきた。意外と平気そうなんだもの。ちょっと心配だったけど、大丈夫みたい」
「メディスン、これ……」
 私の喉からかすれた声が漏れる
 メディスンはころころと、鈴のように笑う。
「そうよ、鈴蘭の毒。でも平気、死んだりはしないわ。ちょっと体が動かなくなるだけ」
 膝から崩れ落ち、鈴蘭の上に這い蹲る。鈴蘭が私を柔らかく受け止める。
 さしゅ、と。草花を踏む軽い音がした。
「そろそろ、思い出してくれた?」
 メディスンが私を見下ろしている。
 蒼い眼差しと白磁の肌が鈴蘭の中に浮かんでいる。
 ――ああ、そうだ。
 私はこの少女を知っている。
 それはあの日のこと。
 失敗に失敗を重ねた末の試み。
 持てる力を注ぎ込み、意志ある人形を造り出そうとした挑戦。
 数ヶ月に及ぶ苦闘。
 そして、敗北。
「あなた、まさか――」
「うん、アリスの思ってる通りだよ」
 かすれた声で問う。メディスンは腰をかがめ、私の目を覗き込む。声こそ優しげだが、碧眼にはいかなる感情も浮かんでいない。
「最初は駄目だったんだよね」
 やめて。
 思い出させないで。
 私は叫ぼうとする。だが、喉から発せられるのはひゅうひゅうとした吐息だけだ。
「アリスは諦めなかった。繰り返し繰り返し造り直した。その度に、せっかく造った人形を壊してまで」
 メディスンは私の耳元で囁き続ける
 聞きたくないと目を瞑り耳を塞いでも、その言葉は容赦なく私の耳朶に入り込んでくる。
「でも結局、何度やってもその人形は人間にならなかった」
 ああ、そうだ。その通りだ。
 認める、認めるから。
 これ以上は。
「とうとう、最後は」
 メディスインは一拍置くと、私に微笑みかける。
「――捨てちゃった」
「おねがい、やめて!!」
 必死で声を発し、頭を抱えて首を振る。
 錆び付いていた記憶の扉に手がかかる。
 引き戻そうとしても、私の体は言うことを聞いてくれない。意志に反して把手を強くつかみ、力をこめて錆び付いた扉を引いてしまう。
 ぎぎぎと、軋んだ音は脳髄を取り巻く霧のように私の意識を乱す。
 見たくない。
 開けたくない。
 思い出すことなどしたくもない。
 封じたはずの記憶が脳内で明滅する。
 人形を造り続ける私の姿。
 繰り返される作成、破壊、そして修繕。
 挑戦と敗北。その末の嫌悪と怠惰。
 そして、絶望。
 人形を背負い、魔法の森の奥へと向う私。
 白一面の花畑。
 未完成のまま少女は打ち棄てられ、制作者は背を向けて逃げ出す。
「アリスは人形にひどいことしたよね」
 その通りだ。
 何度も試みた。
 朝陽が昇る前から月が沈むまで、毎日毎日工房に閉じこもり、人形を造り続けていた。
 人間のように、妖怪のように、歩き、泣き、笑う、そんな人形を生み出したかった。
 だけどそれは、私では届き得ない領域。ただ長く生きるというだけの人形師では夢のまた夢である境地。
 何年も何年も続けた。
 何度も何度も失敗した。
 ある時、もしかしてという人形を生み出せた。
 だけども。
 やっぱりうまくいかなくてあの子は歩きはしたけれどそれだけで喋ることは出来なかったし笑うことも泣くことももちろんなかったから私は悔しくて悲しくて人形遣いなんてもうやめようと思ったけど他に出来ることもないしやっぱり続けることにしたけど目の前に失敗した人形が転がっていたら見るたびに何もかもがいやになってしまうのはわかりきっていたから手元に置いておくわけにはいかなくて仕方ないなら人形を背負って森を出てずっと歩いていたら誰もいない鈴蘭畑があったのでそこに人形を寝かせてあげて見つめていたんだけどいつまでもそうしてるわけにはいかないからごめんなさいごめんなさいごめんなさいと泣きながら謝って家に帰った。
 思考が乱れる。封じていたはずの慚愧の念が溢れだす。
「ごめんなさい」
 気付けば私は泣いていた。
 ごめんなさい、ごめんなさいと。私は両手で顔を覆って泣きじゃくる。
 涙はとめどなく溢れ続ける。止めたくても止められない。
「変なの。どうしてあやまるの? 誰も怒ってなんかいないのよ」
 そんなはずがない。
 捨てられたことを恨まぬ者がいるだろうか。人でも、妖怪でも、人形でもそれは同じだ。責められるべきは、生んでおきながら責務すら果たそうとしなかった者だ。
 そう、私のように。
「そんなに責めなくてもいいの」
 私の髪をメディスンが撫でている。声は静かで、限りなく穏やかだ。
「捨てられちゃったんだもの。悲しかった。大声で泣きたかった。でも私は人形で泣けないから、鈴蘭の間で眠ることしか出来なかった」
 寂しかったでしょう。
「うん」
 メディスンは素直に頷き、私に並ぶよう横たわる。
「寂しかった、すごく」
 そのまま私に手を回し抱きついてくる。
 ずしりとした感触が伝わる。
 羽根のようだった少女の体は、今やとてつもなく重い。
 一歩たりとも身動き出来ぬ、最早この身を起き上がらせることが出来ぬほどに。
「でももう平気。アリスは謝ってくれたんだから」
 口元から甘い香りが漂う。そこから吐き出される濃密な紫色の空気が、目から、鼻から、口から、全身の至る所から私の体内に入り込んでくる。
 体が痺れる。
 耳が鳴っている。
 何も見えない。
 何も考えられない。
 視界は歪み、音はかすれ、触覚は鈍磨する。
「だから――」
 五感が緩慢に削り取られてゆく中、耳元で少女が囁く。
 だから今度は。
「ずっと一緒にいてね、お母さん」
 その言葉を最後に、私の意識は闇の中へと落ちていった。




(了)
ここまでお読み下さり有り難うございます。
久しぶりの投稿です。定番といえば定番ですが、人形テーマでは外せないかと。
誤字脱字、問題点などありましたらお知らせ下さると幸いです。
ヤス
http://www.gyosekian.net/
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コメント



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1.80桶屋削除
ちょっとラストが恐いのですけどw 読み終えてタイトル見直すとイメージが全然違いますw
文章が少し重厚なので、何かアリスがえっらく渋い人に見えたりしました。

気になったことが一つ。
「野に遺賢あり」を含む一文が少し気になりました。「野に遺賢なし」をひっくり返したのなら、ひっくり返したと判りやすい方が良いような気がしたので。書き手の好みですけど。
7.80三文字削除
空恐ろしいような、悲しいような、そんなお話でした。
何度も何度も書き直したSSがイマイチの出来だと、そのまま放っておいたりしちゃいますよね……それと同じだ。