カタン、カタン……
固い靴が鳴る。この屋敷の絨毯の引かれぬ部分を、薄汚く泥まみれの靴底で踏み締め、汚いマントに身を包んだ礼儀知らずの奴が私へと歩み寄る。
あぁ……このインチキ手品師め。
何度あいつの攻撃を見ただろう。確かこれで五回目? だとすれば、私の誇りに傷がつくわね。くそっ、好き勝手をしてくれて。
無理にでも床に転がる体を起こしたいというのに、指の一本さえ動かない。それだけのダメージは負ったわね。でももしかしたら、もうとっくに指なんて、あるいは腕なんてないのかもしれないわ。
首も動かせないから、そんなことを確認することさえできない。そもそも、右目は完全に潰れてるし、左目は視界が半分程度がぼやけて見える程度。首が回ったところで、見えもしないかしらね。
そんな私を奴は睨む。寝そべる私と、見下ろす奴。
お? こうして見ると、なかなか美形じゃない。だというのに、酷い顔。歪んでいるわね、あなた。楽しくなさそうな面。あぁ、目に毒。引き裂きたいほどだわ。
言葉を出したいのに、声は出ない。まぁ、喉が裂かれていれば声は出ないわね。
「……死などはない。それは生きる者の怯え。主はあなたを守る。今もあなたの傍に。死などはない。あるのはただ、永久の命」
奴が何か言ってる。呪文? 賛美歌? ま、どっちでもいいわ。私を殺すことしか考えていない奴の言葉だけど、今の私に聞こえる唯一の子守歌なのだから。
ビシャリ
水の跳ねるような音がする。
……何かかかったのかしら。駄目ね、鼻がいかれてて匂いが判らないわ。聖水か、酒か、油か、それともガソリンか……前回は確か、安いウォッカだったわね。今回もそうかしら。
ボウッ
炎の灯る音がする。
なんて色気のない音。あぁ、でも、視界に煉瓦色が揺らぐ。私が燃え始めたのかしら。悔しいけど、この炎はなんて綺麗な色。
痛みはない。けれど、消えていくのが判る。私が燃えていく。目がチカチカとするのは、髪が燃えているから? それとも顔かしら。
私の血が、肉が焼け、醜く崩れ落ちていく。灰と燃え、砂と朽ち、泥と果てる為に。
けれどね、そんな憐れは私の運命にないの……ふふふ、待っていなさいよ、手品師。次こそ、あなたの歪んだ顔を引き裂いてあげるから……
自分の身が焼ける夢を見て、柔らかなベッドの中で私は目を覚ます。肌の感覚から言えば、夕刻が終わり夜の帳が降り始めた頃かしら。
「お目覚め?」
すると、私の眠るベッドに腰を下ろした友人が声を掛けてくる。
「あら、パチェ。友人の部屋で読書なんて、変わった趣味ね」
「おはようレミィ。図書館の大掃除だとかで、図書館を追い出されたのよ」
言葉を返しながら、相変わらず私の方を見ようともしない。けれど、本を読みながらした会話の大半を、この本の虫は忘れてしまう。本当、困った魔法使い。
そういえば、既に人間の生涯が一つ入るほどの時間が、この友人と知り合ってから流れている。時間の流れなんて、不思議なもの。
「あなたの部屋があるでしょう」
「ベッドを叩くと埃が舞うのよ。喘息が悪化するわ」
それはパチェの責任だと思うのだけど。
「なんなら今晩はここで眠る?」
「椅子で眠るわ。寝惚けた友人に噛まれて貧血を起こすのも嫌だから」
「それは残念ね。パチェの肌は柔らかいから、噛むの好きなんだけど」
「嫌よ。あなた本気で噛むんだもの」
「血を吸いたいわけじゃないから、本気じゃないわよ。でも、柔らかな肌を歯で破くのが良いんじゃない。判るでしょ、パチェ」
後ろから抱きつくと、パチェは一度だけ私の腕を撫でて、すぐに本へと意識を戻してしまう。
「残念だけど、魔法使いと吸血鬼ではそういう嗜好は異なるようよ」
「そうでもないかもしれないわよ。今度私の腕を噛ませてあげるわ」
「私に噛み癖がついても困るから」
「その方が面白い」
「酷い友人だわ」
言葉遊び。この会話のどのくらいを、本を読み終わったこの友人は憶えているのだろう。もしも全部忘れていたら、今度本を読んでいる時にこっそり腕を噛んでやる。
ふと、私は思い出し、窓を見る。けれど厚手のカーテンに閉ざされ、外は見えない。
「パチェ。今日は雨?」
「えぇ、酷い降りよ」
そう。それなら、あの夢の光景は、あの運命は今日。なんだ、意外に早いじゃない。それなら、退屈しないで済んで嬉しい限りだわ。
「ねぇ、パチェ。今日はここを出ない方が良いわ。客を迎えるから」
「客? こんな雨の日に、この悪魔のお城に?」
興味をそそられたのか、本に栞を挟んで目線を上げる。けれど本は閉じない辺りは筋金入りね。
「えぇ、そう。悪魔に魅入られた運命の迷子が、母恋しさに魔法のドレスを着込んで城に訪れるわ。無礼のないよう、門番は下げておいて」
「そのお客様は、スペルカードルールの守れる相手?」
「生憎、それを知らない子だわ。まったく、無学な子の相手は一苦労ね」
「援護しましょうか?」
「それは駄目。誰かに助けられるのは、私の運命ではないわ」
「あなたの運命は、本当に難儀ね」
「違うわよ、パチェ。私の運命は、本当に有意義だわ」
パチェの唇に軽く唇を添えると、私はパチェから離れて着替えを始める。
あぁ、こんなにも胸の躍る夜は久しぶりね。ふふ、満月の晩は、もう過ぎたというのに。
「死なないで欲しいと思うのは、私の我が侭かしら」
「その我が侭は愛おしいわね。けれど、私の死なんて運命は刻まない。安心していなさい」
「レミィの傷つく様は見たくないから、本でも読んでいるわ」
「ふふ、ありがとうパチェ」
そうして、また軽く唇を重ねる。ちょっとだけ、パチェの唇を歯で噛みながら。
紅魔館。そういう名の付く居城。けれど、血を飲むのが下手という呼称は返上したいものね。恰好がつかないわ。
その廊下を歩み、エントランスホールを見下ろせる場所にを目指す。私がそこに立つことが、唯一私にできる宴の準備。
と、歩みながら、ホールに飾られた巨大な十字架に目を向ける。
これを嫌う吸血鬼もいるというのだけど、私はこのシンプルで洗礼された形は好き。宗教的な部分には何の興味もないけれど、それでも何か惹きつけるものを感じるわ。
満足げにそれを眺めてから、私は自分の立つべき位置に立つ。
「私がここに立てば、薄汚い偽物の魔女が現れる。これが運命」
と、玄関の戸が開き、夢の中で私を殺したあいつが現れる。
乱れて色褪せた銀の髪に、理性と獣性とを飴で固めたような瞳。
招かれなければ他人の家に入らない私と違い、招かれずに土足で踏み込んでくる下卑た人間。
カッカッカッ
「いらっしゃい。満月の翌晩だというのに、少しも躊躇わない十六夜の月」
なんて傲慢。なんて厚顔。
そのくせなんて、美しい月夜。
巨大な十字架を挟み、私と私を狩る者とが対峙をする。
何度となく声を掛けてみたけれど、一回も返答をしたことはない。きっと心が壊れているのね。
トスン
私の背中にナイフが突き刺さる。
「くはっ!」
瞬時、こいつは私の背後に回り込む。いつもこうだ、こいつの動きは目で追えない。
「ちっ!」
身を翻しながら、私は宙を舞い距離を取る。万能の魔法使いというわけではないようで、あれは空を飛ぶことができない。
けれど、下から雨のように無数のナイフを投げつけてくる。弾くのは容易いが、避けるのは骨が折れる。
さて、どうしたものか。離れたところからの攻撃も近付いての攻撃も、どんな目をしているのか回避される。それに、あれの瞬間移動は厄介。かといって霧になったとして、その状態で聖水を撒かれれば致命傷になりかねない。
やはり、あいつの瞬間移動の種を見つけるのが先決かしら。
……仕方ないわね。傷を負ってでも、仕掛けを見破ることにしましょう。
とは思っても、今まで何度と考えてきて、浮かんだ可能性など目を覆いたくなる二択。
平行世界の自分と入れ替わる力か、時間を操る力。
……どっちにしても、人間にはあまりに過ぎた玩具ね。
トス、トス
ナイフを払った腕に、二本のナイフが突き刺さる。
馬鹿な、見えていなかった……違う、見えていたナイフが、突然距離を縮めたのね。
あぁ、本当に厄介な相手だわ!
片方は浅いけれど、片方は骨にまで届いているようで、手が上手く動かせない。引き抜いて傷を癒すけれど、いつまでも防戦だと拙いわね。
そうだ。これならどうかしら?
薄汚いマントを目掛け、発火の呪文を掛ける。それはパチェに習った数少ない、また未熟な呪文。けれど、あの濡れた布きれくらいは燃やせないかしら。
「くっ!」
マントは瞬時に燃え上がると、そいつはそれを脱ぎ捨てて移動する。
「あら、やっぱり綺麗ね、あなた」
中から現れたのは、雑な衣服を纏った、埃と土に塗れた人間だった。
化粧といったものに興味がないのか、あるいは自分に興味がないのか。
また、あいつが私の視界から消える。気配で探ればすぐに判るが、次々と場所を動いているようで特定できない。
それなら!
私はでたらめに魔法を叩き込む。エントランスが、まるで時が早回りしているように崩れ落ちていく。砂埃さえ舞わなければ、美しい光景なのに。勿体ないわ。
そんな破壊の余韻に浸っていると、そいつは私の背後にナイフを構えて飛び上がった。崩れ落ちる天井を踏み越え、ここまで上ってきたみたい。
そんな芸当……時を止めないと無理よね。
あら、薄く頬が笑ってしまうわ。でも、確信を持つには、もう一手必要ね。
途端、私の体はバラバラと崩れ、硝子の破片の様になりそいつを包囲する。ただの人間、いや妖怪でさえ貫き殺す、必殺の魔法。
「っ!?」
けれどそれを、そいつは異常な反応速度で切り抜ける。全身に斬り傷を負って。
これで、確信が持てた。瞬間移動でも、平行世界の自分と入れ替わる力でもない。時間を操る力。
それも、時間を停止させて自分だけが動くような、とんでもない代物。そうでなければ、移動の際に切り傷を負うことなんてない。
あぁ、けれど、魔法を偽る手品の種を探していて、実は魔法だと証明してしまった気分だわ。
「ははははは! 生まれついてそんな力を持っているの? なんて魔女かしら」
愉快でならない。
こんな異端な人間が、吸血鬼に挑んでいる。何故かしら。私怨? 義務? 善意? どれだとしても、同じくらい馬鹿げている。こんな下らない人間が、こんな上等な力を持っている。まったく馬鹿げているわね。
あぁ、こんなに艶やかな醜さは久しい。
願わくば、こいつの血で私のドレスを染め上げてしまいたい気分。でもそれは、運命に逆らうことになるのよね。ふふふふ……まったく、口惜しい。
私は元の姿に戻ると、全身にこびりついたあいつの血を舐める。
悪くはない。最上級ではないけれど、充分に上等な血。何より、毒っぽい甘さが良いわ。
そいつは、自分の傷など気にしないように、ナイフを構えてこちらを睨む。その目には、驚きも怯えも、そして躊躇も持ち合わせていない。
あれの運命を、歪ませてやりたいわ。歪みが歪めば、整ったりするかしら。
そんなことを考えていると、またナイフの雨が地面から吹き上げる。
あいつの力が判ったとしても、それを切り崩す術はまだ思い付いていない。さすがに、時間を止めるようなイレギュラーはそうそう簡単には倒せそうにないわね。
ピチャピチャ
え?
天井から水が滴り、肩に触れる。
……参ったわ。あれの種を探る為に、暴れすぎたみたい。
自分の力が急激に衰えていくのを感じる。しくじったわね。雨なのを忘れていた。
私の弱りを敏感に察すると、そいつはより一層過激にナイフを放つ。避けもせず、弾けもせず、そのことごとくが私の体に埋もれていく。
あぁ、痛い……
どこが痛いのかは判らない。ただ、全身が痺れるように響く。手櫛で乱暴に髪を梳かすより乱暴に、私の頭の中に入り込んでくる。
あは、あははは。私の体が鉄臭くなるじゃない。酷い相手だわ。
ベチャリ
飛ぶ力を失い、私はエントランスホールに落ちた。
ナイフの所為か、それとも落ちた所為か、私の右腕の感覚がない。
そんな私に、そいつはただゆっくりと、決して油断はなく歩み寄る。
と、そいつが首から懐中時計を提げているのが見えた。
「ふふふ……時を操る魔女が、時計に縛られているの」
その言葉に、ピクリと、初めてそいつが反応を見せる。
「時に縛られないというのに、せめて人でいたいという現れ? それとも、時を逸脱してしまったことが恐いのかしら? ねぇ、どっち? 臆病で、憐れな、美しい人間」
まだ見える目に、そいつの怒りを浮かべる顔が見えた。感情、あったのね。
そいつが、初めて私の言葉に反応するように何かを口にした。けれど、残念。私の耳が、どうも壊れてしまっているみたい。
あぁあ。惜しいわ。
「時計の針の動く様は綺麗よね。けれど私が正しい運命を紡ぐまで、永久にあなたの時計が未来を刻むことはないわ」
そいつは、懐から拳銃を取り出すと、私の頭を何度も撃ち抜く。
……あら、目が見えなくなったわ。
私は、持てる最後の力を込めて、どうにか体を起こす。浮かべた、と言った方が正しいかしら。
ドスン
私の体にナイフが突き立てられる。そして、引き裂くように体中をバラされていく。
……ふふ、今回は駄目ね。でも、尻尾は掴んだわよ、インチキ手品師。
ビシャリ
私の目に映らないそいつは、私に幾度となくナイフを突き立てながら、また何かを私にかける。肌が焼けるから、これは聖水かしら。
「ふふふ、あなたは私を殺すだけの力を持っている。けれど、あなたに私を殺すことは許されていない。時を操るあなたでも、運命には抗いきれないわ」
ビシャリ
次いで、また何かをかけられる。今度はきっと燃えるものね。
ごめん、パチェ。私、ボロボロになって死にそうだわ。
「はははははは! いいわ、今宵の命はあなたにくれてあげる。でも、次はこう簡単にはいかないわよ。覚悟しなさい」
この焼け爛れる姿で、私を殺そうとするそいつを撫でてあげたいのだけど……手が届かないわ……
今宵の夢はここで終わり。
けれど、まだ明日は訪れない。
さぁ、何度でも挑んであげるわ……あなたが私に負けるまで。
この後如何にしてレミリアと咲夜が主従関係を結ぶか気になりますね。
……ってか何気にレミパチェですか!?
運命を操る程度の能力の解釈って難しいですよね。
咲夜さんの能力も凄いけど、このお嬢様の能力も大概だと思われ。
残機が無限のアクションゲームほど、クリアしやすいモノはありますまい。
あー……そういえばそうですね。出だしで読んでもらえなそうな作品に。
運命を操る程度って、巨大すぎて把握想像がつかない力ですよね。
>>三文字さん
終わり。やっぱり、用意した方が良かったですかねぇ。
無限コンティニューっていいなぁって思う私はヘタレゲーマーです。
バトルもテンポ良く楽しかったです。
終わり方も、この話に合っていて良かったと思います。
繰り返す時間と運命が少しずつブレて行く感じと言いますか。
この殺伐としたハンターが、どうやってあんな御奉仕ジャンキーに
なったのかも興味はありますがw