1.
「いや~、昨日は大変だったぜ。たぶんは10匹はいたな。いや、待てよ、同時に20匹は襲ってきてたような気がするぜ」
「おおげさね、魔理沙は」
「いや、嘘じゃないぜ。ほんとにいっぱいいたんだぜ? ひょっとしたら50はいたかもしれないぜ」
三人は持ちまわりで、それぞれの家を溜り場として使っていた。
一番よく使われるのは神社である霊夢の家だったが、ここ最近はアリスと魔理沙が揃って魔法の森に住居を構えているということもあり、よく魔理沙の家に集まるようになっていた。
「でも、魔理沙、それって妖精でしょ? それだったら私だって、同時に50匹ぐらいはやっつけたことがあるわよ」
「何いってるんだぜ、アリス。お前がじゃなくて、人形が、だろ?」
「私が操ってるんだもの、私がやったことに変わりないわよ」
「いや、反則だぜ。アリスいっつも人形いっぱいだすじゃないか。そのときいくつ出した?」
「10ぐらいだったかしら?」
「じゃ、50割る10で、アリスがやっつけたのは、5体だけだな。やっぱり私のほうが強いぜ」
もともと普段から付き合いのあったのは霊夢と魔理沙だけだったが、魔理沙にくっついてアリスも神社を訪ねてくるうち、三人で集まるのが習慣のようになってしまっていた。
「もう、私が操ってるんだから、私の倒したカウントになるに決まってるわよ。まったく魔理沙は話にならないわ。ねぇ、霊夢はどれぐらい倒したことある?」
「勘定に入らない」
「は?」
「え?」
「妖精は一山いくらだから、何匹倒しても、数には入らない」
話すことは、誰が一番強いか、誰をやっつけたか、何匹倒したかばかりだった。
三人が共通して話せる話題はこれしかなかったし、それぞれが夢中になって楽しめることは弾幕についてだけだった。
現在のところ誰をやっつけたかでは、霊夢がレミリア・スカーレット、魔理沙がフランドール・スカーレット、アリスは大物は無し。
全員の見解として魔理沙がややリードしているということになっていた。
そのせいか、魔理沙が話の口火を切り、アリスと霊夢がけちをつける方向で進んでいる。
「魔理沙は二十匹倒したっていうけど、妖精なんか何匹いたってしょうがないのよ。あいつらが何かいいものを持ってる?」
「そういう問題じゃないと思うわ」
「問題は妖怪。それも稼ぎになるやつだけよ。だから何匹倒したかは問題じゃないの。一日で幾らもうかったかだけが問題」
「うわぁ~」
「またでたっ、斬り剥ぎ巫女霊夢」
「こっちは遊びで妖怪退治してるわけじゃないしね。巫女は妖怪退治で生計たててるんだから。倒した数じゃなくって、稼ぎが問題になるわけよ」
山賊も真っ青な霊夢の見解に、あきれて顔を魔理沙とアリスは見合わせている。
「じゃあ、さ。やっつけたヤツからいっぱいモノを取っていればいいんだな?」
「ちょっと、魔理沙まで霊夢みたいなことを言わないでよ」
妖怪を退治する姿勢は、アリスがもっとも趣味性が高く、対照的に霊夢は実益だけを求めていた。
アリスは見栄えを意識し人形を操りながら戦い、一方霊夢は勝手に相手目掛けて飛んでいく御札に任せて、効率良く倒すことだけを追求していた。
魔理沙は魔術の訓練のついでに楽しむという感じで、アリス寄りの意見を持っていた。
「じゃ、私の勝ちだな。ここの本棚が見えるか?」
「見えるわよ。前に比べたらずいぶん増えてるみたいね」
興味なさそうに、それでも魔理沙のコレクションが増えているのを霊夢が確認するのを見て、魔理沙はニヤついた顔をしていた。
「ここの全部、紅魔館の図書館から分捕ってきたもんだぜ」
「さすがに……、魔理沙……」
「非道いわねぇ」
「まっ、私だって、霊夢みたいなことしようと思えばできるってわけだぜ」
2.発生
「ほい、おみやげよ」
「なんだよ。八目鰻じゃないか。どうしたんだぜ? 霊夢?」
「来る途中で屋台が出てたから、もらってきたのよ」
「まさか……、金払ってじゃないわよね?」
「ん、誰が?」
「霊夢がよ」
「いや、最近は顔を出すだけで、くれるようになったわ」
「霊夢……」
「お前なぁ……」
毎度毎度の、山賊のような振る舞いの霊夢に、魔理沙とアリスは絶句していた。
「前は抵抗してくれて面白かったんだけどねぇ。残念ながら鳥頭でも学習するものね」
「はぁ、今日は夜雀が獲物だったわけか」
「魔理沙。私たちとしては、その夜雀の姿焼きとかが持ち込まれなかっただけで、よしとすべきじゃないかしら?」
「こいつだったら本当にやりそうだもんな」
あきれる魔理沙とアリスなど気にも留めずに、霊夢は本日の稼ぎに満足していた。
「あいつのおかげで妖怪の間でお店だすのが流行ってるみたいだし、これからは一杯稼げそうね」
「まぁ、霊夢の生計が立つのはいいこどだけどね」
「ほどほどにしたほうがいいぜ。一発いいのもらったら、霊夢が喰われる立場になるんだぜ」
「そんなことあるわけないじゃないの。あいつらは巫女に食われるためだけに存在してるものなんだから」
ふんっ、と反り返って、霊夢は堂々と言い放った。
「しかし、今日の夜食は豪勢だな。霊夢の持ってきた鰻の蒲焼に、デザートはアリスのクッキーか」
「ちょ、ちょっと魔理沙、霊夢には言わないって――――」
「あ? そうだったか? 霊夢聞いてくれよ。アリス今までお菓子とか作ったことがなかったらしいぜ」
「へぇ~、アリスがお菓子作りねぇ」
少しだけ霊夢は意外に思った。
と、共に妙な感じがした。
三人で集まるようになって、ある種のお約束のようなものが出来上がっていたからだった。
”お菓子作り”は、この空間でアリスに与えられた役目を逸脱している気がした。
「初めてで、形もぐちゃぐちゃで恥ずかしいからって、私だけに見てくれって持ってきたんだぜ」
「も、もうっ、魔理沙ったら、やめてよ」
「これがまたな。ねらったように焦げてたりするんだぜ。大体えらい固いし」
「ま、魔理沙ぁ」
「うーん、でもなぁ、それがいかにも”アリス”って感じがするんだぜ。私は結構好きだぜ。なんとなくアリスっぽいし」
「もうっ、魔理沙って文句ばっかり。今度つくっても魔理沙にはあげないから」
「別に食べないとは言ってないぜ。ただ、ちょっとばっかり固くって焦げてて、苦いって言ってるだけだぜ」
「ふーん、そうなんだ」
場の雰囲気がおかしかった。
霊夢はそう感じた。
アリスと魔理沙は、そうは思わなかった。
霊夢は型に嵌って、留まったままだった時間の流れが崩れていくのを、普段ははしゃいでいても距離を置き気味の魔理沙とアリスの、抑えていた感情の枠組みをはみ出した感のある興奮した話し方に、まだ言葉にすることは出来ないがざわつきとして、皮膚感覚を通して感じ取った。
「それを文句っていうのよ。せっかく作ってあげたのに、何でそんなに偉そうなのよ」
「ん? アリスだって失敗したのにえらそうだぜ?」
「うっ、えらそうになんてしてないわ。ちょっとだけ失敗したからって、あれこれ言わないでっていってるだけなの。だって、初めてなんだからしょうがないでしょ」
「アリスも認める失敗作。霊夢も食べてみるか?」
「ええ、食べるわ……」
「もうっ、魔理沙っ」
3.胚
「あっ、霊夢が来たみたいよ」
「ああ、そうだな」
「ふぅ、丁度いいし、お茶でも入れてくれよ、アリス」
二人はソファーにならんで腰掛け、やや上ずり気味の声で、ささやくように話し合っている。
「そうね、結構おしゃべりして喉が渇いたしね」
「霊夢も手土産持ってきてるみたいだし、なんか食べるかな」
「魔理沙って、いつも食べることばっかり」
「はは、私は食いしん坊だぜ。何しろアリスの作ったものを喜んでたべるんだからな」
霊夢が目の前に立っているのに、二人の話は途切れないで続いている。
「来たわよ」
「あ? ああ……、霊夢……」
「いらっしゃい、霊夢……」
「しかし、アリスのお菓子作りもなかなか上手くならないな」
「上手くなってるわよ。クッキーだけじゃなくて、ケーキのスポンジ生地だって焼けるようになったんだから」
ごろりっ。
霊夢の胸の中で、何かが転がる感触があった。
「でもな~、アリスのクッキーは相変わらず固いしなぁ」
「あ、あれはちょっとよそ見してた間に、時間が思ったよりも経ってて――――、ねぇ、いいじゃない、どうせ魔理沙はなんでも食べるんでしょっ」
「なんでも食べるぜ。例えばアリスのクッキーとかな」
「もうっ、魔理沙っ」
大きさは拳程度の石ころほどの重さ。均整の取れた完全な球形をしており、表面は磨かれて黒く、鉄のようだった。
それが、魔理沙とアリスが笑うたびに、ごろごろと転がる。
「見てよ、今日は鶏肉の丸焼きよ。すごいでしょ」
が、霊夢は鉄球の表面が与える振動が骨に響くのを抑えて、いつものように妖怪から奪ってきた獲物を、大げさなぐらいに自慢してみせる。
「前に夜雀の屋台で鰻貰ってきたの見せたことあるわよね? 最近ね、他の妖怪達も対抗して店を出してるのね」
困ったような表情を目の前の二人は見せているが、霊夢は話した。
「妖怪兎達がね。お祭りとかあると兎鍋ばっかり出されるのは不公平だって言うんで、鳥肉料理を広めようとしてるのよね」
魔理沙は目線を上に向け、天井を眺めている。
アリスは、髪を指に巻きつけては解きを繰り返していた。
胸の鉄球は、幻覚にすぎない。
なのに身振り手振りを交えて話すたびに、胸骨の辺りに木で出来た床があって、上を重い球体が転がり廻る。
吐き気を催す。
胸に異物があるものだから、肺が圧迫されて、喉が詰まって息が出来ない。
「あそこが妖怪屋台の中では一番にぎわってるわね。なにしろいっぱい兎たちが走り回って、注文とってるんだもんね。目的が儲けることと、鶏肉料理を広めることの二つにしぼって徹底してるだけあって、他を圧倒してるわ」
それでも霊夢は笑ってみせる。
「あっ、でも、もちろん私はただでもらってきたわよ。当然でしょ」
いつもよりも、胸を大きく張って自慢し続ける。
「私が顔見せただけで、すぐに料理を持ってきたわ。どうやらあの業界では、博麗の巫女は敵に廻すなってのが常識のようね」
完全に聞く気もない、二人の前で話すのはつらかった。
どうして、急にこんなにも変わってしまったのか霊夢にはわからなかった。
三人で誰が一番強いかを話しているのが、みんな楽しかったはずなのに。
霊夢が妖怪退治の話をするだけで、二人共困ったヤツだ、といいながらも、喜んでくれていたはずなのに。
何故、こうも変ってしまったのだろう?
石のような胸の塊は、場の白けた空気に反応して重みを増していく。
肩も、ぶらさがる腕も、内臓すら重い。
地をくまなく覆う、重みと言う力が、霊夢だけに圧し掛かってきたようだった。
膝は重みに耐えかね、霊夢に地に伏すように要求してきている。
「ふふふっ、私も有名になったものだわ」
3.孵化
夜の暗い道。
都合よくそいつはいた。
「こんな人気のない道で何をしてるのかしら?」
霊夢が後ろ姿に声をかけると、”それ”はびくっと肩をすくませた後、向き直った。
大きく見開いた目が、驚きをしめしている。
「村から山へと向かう道よね。こんな時間に何をして来たのかしら? 買い物? まさかねぇ。店なんて開いてないわよね。こんな夜中に」
「私は……」
「うん? こそこそ何してたの? ああ、別に言わなくていいわ。聞かなくてもわかるもの。人が寝静まる間に何かするヤツのことなんて、聞きたくないしね。大体見当はつくし。人の目を気にして、隠れて歩くのにロクなヤツがいたためしがない」
「私は」
「いいから。わかってるって。厄とやらを集めてたんでしょ? うんうん、里の皆が不幸より守られてるのも、あなた様のおかげです。ごくろうさまでございます。――――――――で、人の不幸の味って美味い?」
霊夢が顎を突き出して、腰を屈め気味に顔を覗き込んでやると、おびえたように後ずさる。
「美味いわよねぇ? 人の不幸は。だからやめられないんでしょ? 厄を集めるのが。 人の家を覗き見て、これから起こる争いの匂いを嗅いで、涎たらしてるんでしょ?」
「何て、下卑たもの言いですか」
「うるさい。ぎちりと歪む人間関係を見て、小さないさかいの種が育っていくのを、胸をはずませて見てるんでしょ? それこそ殺し合いになって、血まみれの体が転がった後で出てきて、厄を拾ってむさぼるのよねぇ?」
「厄というものは、そういうものではなくて――――」
「うるさいって言ってんでしょっ。楽しいわよね、うれしいわよね、人が不幸になるのって……。ねぇ、そうでしょ? 誰だってそうでしょ? そうだわよね? それって普通のことよね? あんたなら認めるでしょ? わかるわよね? あんただけは理解できるでしょ?」
「認めません」
俯き気味で、体を引くように霊夢から少しでも体を離そうとしていた雛は、しつこく絡みつくように問い詰める霊夢に、初めて目線を上げて正面から見詰めてきた。
「何?」
「そのような考え方だと、貴女自身が不幸になります。…………何か、何か困ったことでもあったのですか? 私に出来ることなら……」
「うるさいわね」
「でも……、何か……、とても……、くるしそう……」
雛は霊夢を哀れんでいた。
いらだち、雛に当たる霊夢を哀れんでいた。
幻想郷中の汚れを一身に浴びる身のはずなのに、瞳は清々しいほど碧に澄み、やましさの欠片も無く、何事にも揺るがないだろう背筋を伸ばし、霊夢の目に真摯な情を流し込んでくる。
「くっ――――、うっ」
霊夢は胸を押さえる。
ぱきんっ、と硬質な音が霊夢にしか聞こえない程度に、胸の奥で微かに鳴った。
鉄球だと思っていたものは、卵だった。
雛の暖かい愛情にも似たものを浴びて、冷たい硬い殻に罅が入り、鉄の形を取ることでようやく抑えていたはずのものが破れて、中に積もっていたものがドロリと零れ落ちてきた。
腐臭を放つ、ねばねばとしたタールのような液体。
臭気が胸に廻ってさらに霊夢をむかつかせ、吐き気を催させる。
それは”妬み”という感情だった。
「妖怪が、妖怪が、そんな目で私を見るんじゃない。やましさのない目で見るな、きたない妖怪のくせに、妖怪のくせに、私を哀れむな。私を理解しようとするな、同情するな、馬鹿するな、私を避けるな、私だけをのけ者にするな、そんな目でみるな、醒めた目でみるな、同情の目でみるな、みるな、みるな、みるな」
胸の中にある泥の水位は増す一方だった。
喉元で声に合わせて震え、霊夢のおぞましい感情の沼の水面は波打つ。
揺れる汚泥が、毒を伴った言葉となって、口からねばついて吐き出された。
神?
そんなものは知るものか。
こそこそと暗がりの中だけを歩き、厄とやらを集めて廻る妖怪。
どうせ不幸、苦痛、うじゅるうじゅるうじゅると蠢く感情の滓で、穢れきっているのだ。
世に生きる者達の、義理やら、道徳やら、子やら、親やらに絡まれて、搾れられて出た膿を、啜って肥えた妖怪にすぎないものが、神などであるはずがない。
神とは無垢で無辜であらなければならない。
清流より引かれた水。
朝日。
杜により俗世より切り離された、そよ風なびく、緑の香りのする神域。
静寂の中に響く、玉砂利を踏む音色。
目の前の”それ”には、神の威厳も美しさも感じられない。
厄を集めて廻る。
そんな存在など無いほうがいい。
こいつがいるから、却って不幸が生まれるのだ。
汚いということはそういうことなのだ。
清浄であるということは儚い。
汚穢は伝染する。
苦痛は伝染する。
不幸は伝染する。
穢いものをみるだけで、近づくだけで無垢ではいられなくなる。
だから掃き清めなければならない。
そのほうが、それ自身のためでもある。
清めなければならない。
清めなければならない。
清めなければならない。
清めなければならない。
清めなければならない。
清めなければならない。
「お前なんか、お前なんか、神じゃない、認めるものか、私が、清めてやる、穢れた妖怪を私が、清め、て、やる」
霊夢は手を振りかぶり、雛の顔面へと打ちつけた。
「あぐっ」
雛の体が、ふわりと重さを感じさせない静止画のように一瞬持ち上がって、元の位置から二、三歩離れた場所に着地した。
手には痺れたような快楽。
体を地に縫いとめていた重みが、手先から抜けていき、胸の締め付けが緩んで、久しぶりに霊夢は楽に呼吸をした。
「何よ、お前なんか、お前なんか、はぁはぁ、お前なんかがいるから、皆不幸になるんだ、お前なんか」
晴れやかに爽快さすら声に浮かべて、歌うように霊夢は目の前の顔を打ち付ける。
叩くとはとても言えないほどに、手首の根本の固い骨を使って、何度も頬目掛けて、手を投げつける。
霊夢の殴りつける勢いのまま、雛の体は翻弄され、倒れることも出来ずに、右に左にと揺れている。
一度目の打擲で雛の左頬は大きく腫れあがり、繰り返される霊夢の責めに唇は切れ、鼻からは一筋血が流れ出していた。
「はぁ、とても醜い、お前に似合ってる、はぁはぁ、食いしばった歯も、」
口角に浮かんだ白い泡、閉じた目から幾筋にも渡って流れ落ちた涙が頬全体を濡らし、肌のすぐ下の静脈の色を思い起こさせる肌の色が朱に染まった様子は、霊夢を酩酊させ正気を奪っていく。
「はぁはぁはぁ、痛みに震える唇も、濁った頬が殴られて赤く腫れあがって涙で濡れるのも、惨めなお前の立場にぴったり」
恐怖のせいか、痛みでなのか、腕で腹を抱えこむようにし、霊夢に髪を吊り上げられて、雛は震えて自分の足で立つことすら出来ないような有様になっていた。
鼻からは血だけでなく透明な液体までが流れ出し、雛はしゃくりあげながら口に入り込みそうになっている鼻水を啜り上げている。
「ふはっ、あははっ、どう? 痛い? くるしい? あはぁっ、あはっ? つらいでしょう? くるしいでしょう? これがお前が皆にしてること。手を出さず、暴力を伴わないけど、お前が壁に隠れて味わってる甘みはこういうことなのよ」
霊夢は興奮していた。
霊夢が痛みを与え、雛が身悶えするたびに、胸の奥の重みだったものが震えて甘く疼く。
不快だったはずの石ころは熱せられ蠢き、身じろぎするたびにぞくぞくする痺れが生まれて、霊夢の脊髄を走り抜け、脳髄を蕩かせる。
「はぁはぁ、あぅ、はぁはぁ、あっ、ああぁ」
雛は一打ちされるごとに喘ぐように悶え、逃れようと身を捩る。
体を痛みで小刻みに震えさせながら、涙に濡れた瞳にははっきりと怯えが含んでいる。
視線を合わせただけで、大げさなまでに体を硬直させて、顔を反らす雛の姿の惨めさは、興奮で正気を失い出している霊夢には媚態に見えた。
「ごくりっ」
霊夢は次々と口内へ湧き出してくる唾を飲み干し、掴んでいた雛の髪を手放す。
雛は重みに引かれるまま地面へ横倒しになった。
赤と黒の色調の服に、投げ出された雛の細い手と、スカートの乱れた裾から覗く太腿の白さが対比となり、霊夢の目を惹きつける。
仰向けになったまま、声も立てずに震えながら涙を流す雛の哀れさに誘われるまま、霊夢は足を振り上げた。
「はぁはぁ、と、とどめを刺してあげるわ。なに殺しはしないわ。ただしばらく出歩けなくなるように、この足を痛めつけてあげる」
ぐびり、と生唾を嚥下しながら霊夢は、雛の足を踏みつける。
「だ、だめよ、やめなさい……、ああっ、こ、これ以上やるとあなたが不幸になる」
「な、何言ってるのよ。もう、もう、不幸よっ。お前がいるからっ」
「だめっ、だめっ、ああっ、もうっ、抑え切れないっ」
霊夢は靴の裏に付いた土を擦り付けるように踵を動かすと、肌の上には茶色の筋が引かれて、雛の陶器のような肌がみるみるうちに汚れに塗れていった。
「だめ、やめ、やめなさい、おねがいだからやめなさい、こ、これ以上不幸は見たくない、ああ、誰か、誰か、止めて、止めてあげて」
雛は来るはずの無い助けを求め、踏みつけられる足を霊夢の下から引き抜こうと無駄な抵抗をしている。
「おとなしくしてれば、軽く痛めつけるだけで許してあげようと思ってたけど……」
「まだ、そんなこと……、ううぅ、私にこれ以上かかわると不幸が移ってしまうから、おねがいだから止めて。人を不幸にしようとすれば、一番不幸になるのはあなたです」
哀れな、痛めつけられるだけの人形が、生意気にも霊夢を諭してくる。
「うるさいっ、うるさい、だまれだまれ、この人形がぁ――――」
もっともらしい道徳を持ち出し、断罪されるべき立場のものが、霊夢を宥め透かしてごまかそうとしている。
うるさい。
うるさい。
うるさい。
うるさい。
唇を限界まで横に伸びきらせ、歯をむき出して、口が裂けたような笑いを顔に貼り付けて霊夢は喚き、踵でふかふかとした雛の太腿の肉の弾力を感じながら、足を踏みにじる行為をやめない。
わかってたまるものか。
何があっても冷静な自分を演じ、他人から隔絶された孤独を優位と思ってふるまい、見捨てられてしまった人間の思いなんて。
深く付き合おうともしないせいで、決定的な何かを見落として、本当に一人になってしまった苦しみなんて。
手を取り合う二人への羨望に、反吐を吐きながら殺意さえ持ってしまった、どうしようも無い醜さなんて。
霊夢は自分が最低の人間であり、今していることも下劣なことを理解している。
だから霊夢は今の自分にぴったりな行為を選択した。
「あんたなんて――――――――、死ねばいいのよ――――――――」
言葉に出したとたん、胸の奥の卵は二つに裂け、何かが中から這い出してくるのが分かった。
4.幼生
「すぐに動けるようになるわよ」
布団に上向きに寝転んだまま何があったのかを話そうともしない霊夢を、レミリアがなぐさめるように声をかけてくる。
「わかってるって。どうせこんなの一時のものよ」
答えはするものの霊夢は自分の言葉を信じてはいない。
「何があったのよ、ねぇ。霊夢が嫌な目にあってるんだったら、そいつのこと殺してあげるから、ねぇ咲夜?」
「ええ、ご命令さえあればすぐにでも」
「ちがうの~。咲夜がやるんじゃなくって、私がするのよ。咲夜は黙って私が獲物を捕らえる勇姿を見てればいいのよ」
「はいはい」
「霊夢、咲夜の前じゃ殺りたい相手の名前言っちゃだめよ。私のいない間に抜け駆けされちゃうわ」
殺したい相手。
霊夢にとって誰なのだろうか?
魔理沙か、アリス。それとも動けなくなった原因の”あいつ”と言うことになるのだろうか?
自分は魔理沙が好きなわけでもなく、アリスが好きなわけでもなく、友達同士三人ではしゃぐのが楽しかっただけだった。
三人でいながら、霊夢だけが知らない何かを二人が共有しており、孤独感を味あわせられるのがつらかっただけ。
本質的な部分では他人に興味のない自分は、例え機会が与えられようとも体を重ね合わせる最後の一線を越える気など毛頭なく、魔理沙とアリスの漂わせる甘い空気を、永遠に知ることはないだろうという確信。
目の前にいるレミリアと咲夜にこの場で抱いてくれとでも頼めば、二人は躊躇無く霊夢の肉体を存分に味わうはずだ。
しかし、それでも霊夢が我慢して性格に合わぬ振る舞いをしたとしても、自己を変えなければ結局のところ、壁を築いたままの霊夢だけが言い様のない孤独を余計に味合わされる破目になる。
「咲夜ってば、私が何かしようと思ったら、いっつも先回りして準備しちゃうんだもの。つまらないわ」
「それは大変失礼いたしましたわ。それでは今度は、図書館で本を読んで下調べするところからご一緒しましょう」
「え、本、読むの?」
「それはもちろん。料理にしてもまずは下ごしらえから始めるものですわ。あっ、そうだ。お嬢様は人間の血をご自分で得ることが出来ませんし、器具を使って絞ることを覚えましょう」
「え――――?」
顔をしかめるレミリアの態度を笑って見せながら、霊夢は”あいつ”のことを思い出していた。
昨夜、霊夢は本気で鍵山雛を、明確な意思を持って殺そうとした。
妖怪を退治することは日常のことだったが、それでも命を奪うことまではしたことがなかったし、する必要も無かった。
軽く痛めつけて諭しさえすれば、平和になった霊夢が生きる今の世の幻想郷では、妖怪達は大人しく引っ込み、それ以上に迷惑をかけることはない。
むしろ霊夢に負けることも含めてが、騒ぎを起こす妖怪達の娯楽だった。
巫女に破れることで、自分達の生存の基盤である幻想郷を食いつぶすこともなく、異変を収束することが出来る。
決まりきった昔話のような安心感がそこにはある。
霊夢は主人公の役割を演じ、拡散し意味を失いそうになる物語に方向性を与え、結末を与えてやる。
全てが約束のうちに進み、定められた手続きを踏んで、終わりへと向かう。
霊夢の自由意志はそこにはない。
そんな霊夢が自分の意思で人間の形をしているものを殺そうとした。
「はははっ」
「もうっ、咲夜のせいでわらわれちゃったじゃないっ」
「仕方がありませんわ。お嬢様が本を読むと聞いて露骨に嫌そうな顔をなさるからですわ」
「そんなに嫌そうな顔をしてた訳ないわ。ちょっと、下調べってのが面倒だと思っただけよ。――――――――やっぱり面倒な準備は咲夜に任せて、私は楽しいことだけすることにする」
「お嬢様、今晩お部屋に伺う時には絵本を持って参りますわ。寝るときに読んで差し上げますから、本と聞いただけで嫌そうな顔にならないよう勉強しましょうね」
「もうっ、咲夜ったら」
「ははははっ」
自嘲の笑いが止まらない。
初めて自分の手で選択した結果が、飛ぶ事も、歩く事も出来なくなり、病床に縫い付けられるようになるなんて。
倒れて霊夢を咎める清浄ささえ漂う目に視線を合わせたまま、雛の背中を硬い靴の爪先で力を込めて蹴り上げた、
一瞬にして静かだった瞳は苦痛で波打ち、雛はのけぞって蹴られた部分に手を当てようと、顔をしかめている。
呻き声を噛締めた歯の隙間から漏らしながら、頭で体重を支え地面から体を持ち上げて、か細い首元を反らしたまま剥き出しにしてのたうっていた。
赤と黒の服の中、唯一白かった襟元を血で染めながら身悶える雛。
くねくねと別の生物のようにうねる首を、気道を押し潰そうと霊夢は全力を込めて足を踏み下ろした。
だが、体重を掛けて全力で踏み下ろした足が、透明なはずの大気が形と色を持ち霊夢のふくらはぎに絡み付き、喉元の僅か手前で宙吊りにしていた。
倒れた雛の周囲を霧のようなものが漂いながら流れている。
深く青い濃厚な霧。
渦を描き、捻れるごと糸へと紡がれ、蛇を思わせる形へと姿を変えていく。
漆黒で塗りつぶされた暗い夜道のはずなのに、生き物に似た姿をとった霧の肌はにちゃにちゃと濡れた感触を霊夢に擦り付け、青から藍へ、藍から紫、そしてまた青へと色を移しながら輝いている。
おぞましいことに。霊夢の足に幾重にも巻きつきながら太腿へと移動してきた蛇が、頭を擦り付けると砕けて霧に戻り、飛び散った微小な欠片が皮膚へと降りかかって、体内へと浸透していく。
霊夢のきめ細かな肌で蛇が体をすりおろしながら、自分自身を霊夢の体の中へと這い入らせてくる。
皮一枚を越えるときは霧と化しているために何も感じないのだが、皮膚の内側に入り込んだ後に再び形を結ぶと、明らかに異物を体内に突きこまれた痛みが分かった。
三角形をした頭が筋肉の隙間を縫いながら、とぐろを巻いて巣に居座るように霊夢の太腿を住処としようとしているのが分かった。
体内で蛇が蠢くたびに霊夢の体を引き裂くような痛みが走る。
赤ん坊の泣き声に似た、発情した猫の金切り声で、霊夢は痛みに泣き叫ぶ。
だが、それ以上に耐えられなかったのは、霊夢の体の中に何か別の生物が這い入ってくる汚穢感からだった。
そこで霊夢の記憶は途絶えている。
霊夢は自分がどうなったのかを覚えていない。
おそらく”あいつ”が運んでくれたのだろう。
次の日の朝には布団の上にいて、右足が麻痺して歩くことが出来なくなっていただけだった。
「ねぇ、霊夢。こんなカビくさいところで寝てるなんてつまらないでしょ。ウチに来なさいよ。私が看病してあげる。ねっ咲夜っ」
「うん……」
「霊夢安心して。お嬢様じゃなくて、私がお世話してあげるから大丈夫よ。間違ってもお嬢様と違って、看病すればするほど体が悪化することはないわ」
「どういう意味よ、咲夜~」
「あら? 言葉どおりの意味ですわ。何か問題でも?」
「おおありよ。私だってちゃんと霊夢の面倒見れるわ。毎日散歩にだって連れていくし、ご飯だって食べさせてあげるから」
「ってお嬢様、犬を飼うじゃないんですから、その発言のほうが問題では?」
「似たようなものじゃない。ご飯あげて、一緒に住んで、かわいいかわいいって撫でたり抱っこしたり、一緒に寝るんだから。ねっ、霊夢、私の愛玩物になって楽しく暮らしましょうよ。そしたらきっと足だって治るわ」
「乗り気だったとしても、そんな言い方じゃ霊夢だって嫌がりますわ。霊夢?」
霊夢の中に溜った汚泥は落ち着き、重みのあるものだけが沈殿し、透明で全く波立たない水だけになったようだった。
ただ静けさも、目の前でじゃれあうような会話を繰り返す主従を見て、霊夢がもう二度と自分は無邪気に誰かと戯れることなど無いだろうと痛みにも似た感慨を抱くと、澄んだ沼の底に溜ったねばりが、一瞬生命を与えられ身じろぎする。
水面を掻き分けて覗かせた頭は三角形をしており、霊夢に”蛇”を思い出させた。
昨晩足に巻きつき体に入りこんだものが、霊夢の胸の中にあった言葉に出来ない暗い感情と結びつき、形と命を得たのだった。
体が不自由なことなど不幸のうちには入らない。
一度失うと再び手に入れることの出来ない時間を喪失してしまったことが、霊夢の上を少女時代が通り過ぎてしまったことこそが、不幸なのだった。
先が見えず、自分は永遠に過去にだけ理想を持ち続けたまま生きていくのではないかという想念が、霊夢をいらだたせ、胸に住み着いた生物を蠢かせるのだった。
「あんたらに飼われるだけならいいんだけどね。どうせおやつの役目もついてくるんでしょ?」
「霊夢がそういうなら、食べてあげてもいいわよ」
「それが目的の癖に」
「ちょっと齧るだけだって。後は一緒にごろごろしてればいいわよ。食事係は咲夜がいるし、霊夢はおやつ役だけでいいから。飲んで、食べて、騒いで、寝るだけ。霊夢にとって究極の楽園じゃない」
「このちっこいのが言っていることはともかく、霊夢が来ても問題はないわよ。ウチには役立たずの妖精ばっかりが山ほどいるんだから、霊夢だったら正直歓迎したいくらいよ」
「ちっこいのって何よ~」
「あら? 霊夢のことに意識を廻しすぎて、ついつい本音が出てしまいましたわ」
「なによ~。いいもん。霊夢の病気が治ったら、霊夢がメイド長。咲夜はペットの役目っ」
「いいですわよ。霊夢のペットなら楽しいかもしれませんわね」
「ちーがーうー。咲夜は私のペットになるの」
咲夜は冗談の中にも霊夢のことを気遣う色を見せてはいるが、レミリアにとっては霊夢が動けず床に伏したままということは娯楽に過ぎないだろう。
病床を見舞うという行為をすることをやってみたいからした。それだけのこと。
人間が一旦重い病を得ると、回復するまでには退屈で長い時間がかかることも知らないのだろう。
幻想郷の妖怪達は、長い寿命に比して精神は幼い形を留めている。
幼い少女のままの無邪気な心。
霊夢が昨日までは持っていた、とても貴重な、何物にも代え難い輝けるもの。
「いいわ。病気を治すのは、一人で寝転がってたほうがいいしね。レミリアも咲夜もありがとう。私はここで一人でいるわ」
霊夢は何でも無いと、大人のように作り笑いをしてみせる。
「そう……、霊夢がそういうんじゃね……」
「お嬢様、あまり騒がしくすると、霊夢の負担になりますわ。今日のところはお暇しましょう」
「そうね……、うん……、じゃあ、じゃあね、霊夢」
「うん、またね」、
霊夢の感情の篭らぬ形だけの笑みにレリミアの意気は下がり、しょぼくれた顔で肩を落とす。
レミリアとしては霊夢が紅魔館に来ることを、本当に楽しみにしていたのかもしれない。
霊夢の作り笑いに、レミリアは面と向かって拒絶されるよりも深い溝があることを悟って、ショックを受けたのだろう。
咲夜が小振りな肩に手を廻して立ち上がらせると、言葉も無く大人しくされるがまま従った。
「じゃあね、霊夢、バイバイ」
「霊夢、本当に……」
本当につらかったら、何時でも頼ってきていいのよ、と最後まで続けず目だけで咲夜は霊夢に告げる。
霊夢は最後の親切にも、ただ視線をそらすことしかできない。
「そう……、元気で……」
それきり主従は二度と振り向こうとしなかった。
そして霊夢は一人になった。
5.成長
里の人間にとって山は異界だった。
田畑に村がある里は人間の住処。山は異形のものの住まう土地として区別し、里の者が山へ入り込むことを禁じ、山の妖怪が里に下りてくることを非常に怖れていた。
ここは幻想郷と呼ばれ、外と隔てられた土地と理解はしているが、里の人間にとって山は”外”以上に異質な場所として区別していた。
里の人間を捉まえて、何処からが山かと尋ねてみれば十人が十人とも一様に、博麗神社からが山だと答えるだろう。
山の麓にある神社は人間が住む、妖怪の世界に最も近い建物だった。
人間の側から見れば博麗神社を境として、人間の世界と、それ以外とに分けられている。
博麗神社が博麗大結界の礎であることは、幻想郷の人間にとってはどうでもいいことで、むしろ博麗神社は山と里とを隔てる関門としての役目の方が重要だった。
祭神が何物かもわからない神社という異物を許しているのも、それ以上に存在自体が相容れないもの達から身を守る結界としての機能を持っているからだった。
口には出さないものの、人々の心情としては、博麗神社は”山”に属しているものだった。
巫女である霊夢も、”山”側の存在であり、害悪を食い止める機能を持つ、何か別の畏怖すべき人間以外のもの、――――――――例えるならば神に近いものとして扱われていた。
霊夢が床に伏し、怪異を治めることも出来なくなることが広まると、妖怪達は騒ぎを起こすことを止め、自然と幻想郷からは事件は無くなった。
妖怪達が大人しくしているせいで、里人は以前よりも博麗神社と意識することもなく生活を続け、山もまた平穏だった。
妖怪退治を生業にしていた霊夢は、一部の親しい連中もレミリア達と同様に遠ざけると、体がきかないこと以上に退治する相手がいなくなったせいで、食に事欠き、困窮するようになった。
霊夢の足は二月経ったが依然動かないままだった。
あの夜に鍵山雛の体の周りの気が、蛇のような形を取り、足にもぐりこんだ翌朝から、霊夢の足はうっ血して痺れたような状態になっていた。
慣れない足で正座を長時間取ると、ふくらはぎに電気が走るのに似ていた。
太腿から、ふくらはぎの皮膚の上をざわざわと痺れが這いずり、爪先が血の脈動に合わせて伸びたまま痙攣を繰り返す。
寝返りの打つ時に纏った着物がすねを撫でるだけで、過敏になった肌は波打ち、霊夢は何とも言葉にしがたい苦痛に息を荒げ、歯を食いしばる。
体の表面は空気が触れているだけで、呻くほどの痛覚を得ているにも拘らず、筋肉に力を込めても足は動こうともせず、太腿の内部はまるで霊夢の体ではないようだった。
敷布に爪を立て、首を反り返らせ、ざわつく皮膚に眉を寄せ、体を宙に浮かせようと試みても、異物と化し、石のように硬直した右足は重しとなって、寸毫たりとも体は地から飛び立つことはなかった。
何物からも縛られることがなかった霊夢は、生まれて初めて重さと言うものを知り、重力に地に縫い付けられる羽目となった。
それでも腹は減り、一食ごとに蓄えは失われていく。
ついには副食物となるものがなくなり、米、味噌、塩だけとなる。
妖怪退治も出来ず、誰も神社と訪れることもない今、霊夢自身の手で作るしかなかった。
種を物置にあった来歴も知れない壷と引き換えに近場の百姓より手に入れ、裏庭を耕して野菜を育て始めることにした。
感覚の無い右足には、痛み似た痺れが動くごとに霊夢を苛むものの、杖で体を支えれば少なくとも歩くことは出来た。
霊夢は納屋から鍬を見つけると、片手でも扱えるように柄を三分の一ほどに切り落とし、杖なしでは立っていることができないため、四つに這った格好で先端の金属の刃を地に埋め込んで、土を引っくり返す。
ある程度掘り返して畝を作り、畑の形にするだけで数日が過ぎてしまう。
次に霊夢は不自由な足で山に入り、土を集めて歩く。
両手は杖で塞がっているため、首に掛けた桶に濃い黒色をした腐葉土をかき集めて入れ、家の庭に運ぶことを繰り返す。
耕した土の上に、自然が作り上げた、降り積もった木の葉で出来た堆肥を掻き混ぜ、作物を植えるのに必要な土作りを行っていった。
首に掛けた桶に入る程度の腐葉土では、狭い裏庭に畝を一本作るだけで、十度は往復する必要があった。
霊夢の足では日に三度、山と家を往復するだけで背一杯で、畑で土を掻き混ぜる作業は翌朝に廻すしかない日も多かった。
食事は朝と夕だけで、副食物は一切なく白米に塩を振っただけのもの。
三日に一度、具の入っていない汁を飲む。
霊夢が考えたこともない粗食だった。
それでも霊夢は耐えていた。
無心に体を動かし、僅かではあるが日に日にその成果が目に見えて、裏庭の畝の数と言う形で霊夢に変化を知らせてくれる。
農家の男から交換で手に入れた種は順調の育ち、土の中から芽を出している。
四つに這っての作業と、土を運ぶ時には首に重みがかかるせいで背中全体が張っている。
首が凝り固まっているせいか、日々ごとに頭の芯の痛みが増していく。
腕にも、足にも、しこりのようなものが出来ている。
生まれてから一度も過酷な労働に身を浸したことのない霊夢のまだ少女の体は、慣れない作業に軋みをあげて、あらゆる部分が傷んでいる。
こわばった手の筋のせいで、指が動かずに、箸ですら重く感じる日も多い。
汗まみれになった首筋を手ぬぐいで拭くと、疲労した体は一日中動いていたにも拘らず、水でも浴びたように冷たく、霊夢はその感覚にぎょっとなる。
疲れと痛みに体は思うように働かず、空腹に鳴る腹に呻きながらも、着実に畑は日を追うごとに大きくなり、作物は育っていく。
秋の初めに播いた種は、冬に近づき、空気が冷たく感じる頃には立派に成育していた。
あらゆることが苦痛で、霊夢は何度も今生きている命を投げ出すことも考えた。
もう二月以上も誰とも会わず、言葉すら発していないことに気付いて、夢の中から飛び起き、夜中に何度も一人泣いた。
なんのために生きているのかも分からず、ただ苦痛に耐えるだけの生活はつらいだけだった。
博麗霊夢の命は幻想郷を維持する結界のためにある。
霊夢もそれが当然だと思って生きてきた。
あらゆることが定められたように、霊夢の意思に拘らず解決していく。
ただ流れに乗るだけの、川を流されていく小枝にしか自分が過ぎないと、退屈な生活に悩んだ日もあった。
霊夢はあの穏やかな少女時代が取り戻せるなら、どんな悪事だってしてやるつもりだった。
ただ問題は、少女だった自分の悩みを子供の甘えと笑い飛ばせるようになってしまった今の霊夢には、過去に戻ったとしても世界そのものが薄っぺらにしか見えず、同じように楽しめないことだった。
自分自身の世界に対する認識の変化こそが、苦痛の源だった。
過去の無邪気なままの自分だったら、あの夜を越える前だったら、何の気兼ねもせず紅魔館に腰を落ち着け安楽に生活していただろう。
だが、実際のところ霊夢は差し伸べられた手を作り笑いで跳ね除けた。
魔理沙とアリスの親密さに悩み、狂った日すら十年も昔に思える。
眠れない一人の夜、霊夢は自死するという思考の魅力に負けそうになると、起き上がって玄関に足を運んだ。
家の玄関には梁があった。
大黒柱のそばにあるせいで、丸太を切り出したそのままの木目に沿って形を整えられた、とても太い梁だった。
梁となってから年月を経た木は、つややかに磨き上げられたように光っていた。
縄をかけるのに丁度よい高さと、体重がぶら下がったとしても折れ曲がることすらなさそうな頑丈さ。考えれば考えるほどぴったりだった。
誘惑に負けそうなり、踏み台と縄を用意して梁の下に立つと、霊夢が歯噛みしながら生きている間は、大人しくしていた胸の中の蛇が蠢き出す。
日々に埋もれ、生活苦に磨り減り、労働の苦しみに沈みそうになりながらも、霊夢が生きるために必死にもがいている間は、蛇はとぐろを巻いたまま眠りに就き、ぴくりとも動かない。
ただ、霊夢が苦しみから逃れようと、足を梁に一歩でも向けるだけで起き上がり、尻尾をのたうたせて、霊夢の体内のあらゆる部分を打ち付ける。
全身の血が逆流し、頭頂部の皮膚を突き破りそうなほど血管が膨張し、霊夢の息を荒げさせ、胸の奥で痛いぐらいに心臓が鼓動を打つ。
強引に蛇に掻きたてられた苛立ちは激しく、あらゆるものへの怒りが沸き起こってきて視界さえ歪む。
全てが憎い。
かつての友人達も、のうのうと生きている自分以外の人間も。
憎くて堪らない。
自分が死のうとしてるのに、他の奴らが生きているなんて許されない。
皆死んでしまえばいい。
憎くて堪らない。
他の奴らが生きているのに自分だけが死ぬなんて許されない。
暴れる蛇に、霊夢は他者に対するどうしようも無いほどの憎しみに心を塗りつぶされる。
霊夢は絶対に一人で死んでやるもんかと、繰り返し口に出し、太い梁の下、手に縄を持ったまま幾度も朝を迎えた。
6.変態
二年が過ぎた。
廃墟のようになった神社に霊夢は住んでいる。
地を這い一日中働いたところで、畑ではせいぜい大根や、菜っ葉や、芋程度しか作れず、霊夢一人の僅かな腹さえ十分に満たすことは出来なかった。
飢えをしのぐために霊夢は月に一度、里に下りていく。
分け与えてもらった藁を使って注連縄を作り、里の家々を巡って歩く。
物々交換で、生きていくのに最低限に必要な米、味噌、塩等を分けてもらう。
食事はいつも貧しく、白米を腹いっぱい食うことすら無くなっていた。
ほとんどが雑穀の飯と、芋のつるの味噌汁、大根の葉の漬物。
白米を食べるときは、干した大根をさいの目に切り、さらには葉も加えて米が半分以下のものだった。
新しく服を仕立てることも叶わず、百姓仕事の泥に塗れたまま、茶色く染まったものを着続けるしかない。
身に着けるものですら汚れたままのもので着がえることもしないのだから、まして神社を掃除などする余裕などなく、境内は草が生い茂り、拝殿も風雨に晒されて土埃がこびりつき、屋根からは草が伸びて、人が到底住んでいるとは思えないような有様だった。
そんな霊夢を見る人の目は、哀れみと嫌悪と、畏怖の混じったものだった。
係わり合いにはなりたくもないが、かといって放置すれば死んだ後の祟りが恐い。
どうせ遠くない将来に貧しさに耐えかね死ぬだろうが、もし怨みでも買っていれば、どれほど恐ろしい祟りが降りかかるのか考えただけでも身の毛がよだつ。
山から下りてくる妖怪どもをたった一人で押し留める人間の霊力が、怨みとして世に溢れ出れば、どんなにおぞましいものが地上を徘徊するのか知れたものでは無かった。
足を引き摺りながら家を巡る霊夢を見た人々は一様に、口には出さないものの、ただ静かに死んでくれればと願っていた。
霊夢の立場は”ものもらい”という、考えられるくらい最低の位に落ちてしまい、どのような目に合わされても不思議でなかったが、祟りを恐れる人々の心が安全と生活を保障してくれていた。
本来なら保護を与えてくれるものもおらず、年若い少女が体に障害を負い、貧困から最下層に落ちてしまえば、血気盛んな心ない男に面白半分に体を嬲られても仕方が無かったはずだが、そんな連中ですら霊夢の姿を見れば道を譲り、目すらあわせようとしない。
ましてや普通の人々は一月に一度、注連縄を受け取り代わりに少量の食料を明け与えさえすれば大人しく帰ってくれるのだから、霊夢が訪ねてくると愛想笑いに猫なで声で出迎えた。
だが反対に少人数本気で哀れむ人もいないで無かったが、そういう人々は中途半端に哀れみ、手助けをすれば、却って怨みを買うことを良く知っていたので、やはり手を差し伸べてくれものはいなかった。
博麗神社の巫女としては畏れられ、里の”ものもらい”としては恐れられる。
最上の立場でも、最低の立場に落ちてしまっても、避けられると意味では同様の扱いだった。
その日も霊夢は里へ下りて、藁を綯って作った注連縄の代わりに、味噌やら、米やらの、生活していくのに必要な食べものを恵んでもらって廻った。
いまだに癒えない萎えた足のために杖に縋って歩くよりほかはなく、霊夢の両手は塞がれ、荷物は全て後ろに引き摺った戸板の上に乗せられていた。
車輪もついていない外した雨戸の板切れに紐をつけて、肩で襷がけにして大八車代わりに引き引き摺って歩く。
工作をする技術もない霊夢が、手を使わないで荷物を運ぶために考え付いた、精一杯の工夫だった。
山肌は茶色く染まり、木枯らしが吹く季節に、霊夢は二の腕を寒風に晒しながら道を行く。
指先はあかぎれで血がにじみ、ぼろきれが巻きつけてあった。
粗末な木綿の手ぬぐいを首に巻き、わずかばかりの防寒着とする。
寒さが刻一刻と増していく、日がすっかり落ちてしまった枯れ木に囲まれた暗い道を、霊夢は立ち止まってはかじかんだ手に息を吹きかけ暖を取りながら、帰路を進んでいく。
傷が治りきらないうちに、素手で藁を縒り縄にしていく作業を続けるせいで、霊夢のすべらかだった手の平は、すっかりごわごわしたなめしたばかりの皮のようになってしまった。
ひびわれた皮膚から血をにじませながらも、決して上手いとは言えない注連縄を作るのは、ただものを恵んでもらうよりは、形だけでも交換という形をとるほうが、普通に生きる人たちにとって抵抗無く、霊夢に食べものを与えられるようにとの配慮だった。
わずかではあるが食べものを注連縄と引き換えに分けてもらうと、霊夢は前の月の古くなった注連縄を受け取り、神社に持って帰り火にくべて燃やす。
一月の間に本来降りかかるはずだった厄を引き受けた注連縄を回収して、火によって浄化する。
”ものもらい”になったはずの霊夢だったが、巫女でいたときよりもより神に近い仕事をしていた。
忌み嫌われ、不幸を集めたような姿のまま生き、祟りを恐れる人々から畏怖される。
ただ、その代わりに一月に一度、家を訪れて不幸を引き受けてくれる神。
村人達は意識していなかったが、霊夢の存在は神に近いものになっていた。
擦り切れて生地が赤から朱へと変わり、下に着た白い色さえ透けて見えるぐらいになった上着で、さえぎるものが何も無い、周囲一面が刈入れの終わった田に囲まれた野原を歩いていると、寒さから眩暈すらしてくる。
寒いという感覚が極限に達すると、皮膚が火に炙られでもしているようにちりちりと痛む。
かじかむ指先を口元に持っていったまま歩くことも出来ないほど、小刻みに全身を震えさせながら、乾いた土の上に引き摺った右足の跡を残し、それでも一歩一歩家へと向かって帰路を急いでいく。
博麗神社にある鳥居は東を向いて山へと正面を向けられており、田畑が一面に広がる里からは、のぼり気味になった小道を回りこみ、山が圧し掛かるように周囲に聳え立つ間を進まなければならない。
広い空間から急激に狭くなった場所へと、風が一斉に吹き込んでくると、勢いはさらに激しさを増し、霊夢の体に打ち付けてくる。
ごおごおと鳴る風の唸り声以外は物音が消えた世界を、腰の長さほどになった髪を嬲らせながら、境内へと続く石段を、頭を下にして丸まり昇っていく。
足先は痛み、体は寒気で全く言うことが聞かない状態で、それでも此処を昇りきれば家に帰れると、歯を食いしばる。
そして長い時間をかけて石段を昇りきると、小高い山の中腹にある境内へと辿り着く。
朱塗りの鳥居をくぐり、玉砂利の中へと足を進めると、そこは風の吹かない無音の、周囲より隔絶された聖域だった。
何一つ希望を持つことの無くなった霊夢にとっての、唯一の安息の場所。
神社を囲み、嵐のように暴れる冬の風を逃れ、静かで暖かな我が家に霊夢はほっと一息を着く。
「かわいそう」
誰もいなくなった神社に涼やかな声が響く。
衝撃に全身を痺れさせながら、恐る恐るという様子で、我が家にたどり着いた安心感にぐったりとした体に力を込め、背筋を心持伸ばして後ろへ向き直る。
まず目に入るのは赤と黒のコントラスト。赤いスカートは和の面持ちを感じさせる霊夢の服とは異なり、目に染みる鮮やかな色合い。黒は黒と言うよりは、血を思わせる暗い色をしていた。
赤と黒。
ここしばらく大人しかった胸の獣が目を覚ますのが感じられる。
同時に凍てついたような霊夢の心にも血が通いだすのが分かった。
「かわいそう」
聞き覚えのある、透明感のある鈴の音のような声で霊夢を哀れんでいる。
村の人間の怯えと蔑みの混じった濁る目とはまるで違う、清浄さすら漂う瞳の色。
髪色と同じの、碧の瞳が霊夢を見ている。
曇ったような視界の中、ぼんやりとした頭には熱が入り、心臓があらゆる感覚が鈍くなった霊夢にも分かるぐらいに強く鼓動を打つ。
「髪はほつれたまま、艶がない。服は破れたまま、つくろった跡すらない。体を汚れ放題。みじめな格好ですね」
単純に霊夢の姿を言葉にしているだけ。
霊夢は自分がみじめな姿なのは理解している。
二年ぶりに現れた鍵山雛に言葉にされると、鏡で体を大写しでもされたように霊夢を羞恥が襲う。
「しかたないじゃないの、食べるだけで精一杯だもの」
「指に包帯を巻いてますね。落ちちゃったのですか、指?」
「えっ、どういう意味…………?」
「まだ凍傷で指が落ちたわけじゃないんですね」
「…………」
「あなたのような立場になった人は、大体冬になると指がなくなるんですよ。大抵は皆、橋の下やら、お寺の軒下で寝起きしてますから、冬の冷たい空気に指が凍って、血が通わなくなってぽろりと」
濡れた瞳に深い情を浮かべたまま、少しだけ照れたように頬を染めて恐ろしいことを目の前の少女は口にする。
「指が落ちたら、次は足の指です。ぽろり、ぽろりと、朽ちて落ちちゃうのです。だから、人に食べものを恵んでもらう時に見苦しいし、恥ずかしいからそうやって布で包んで隠すのです」
肉体が欠損した人間と同じにされたことで霊夢の羞恥は増す。
「でも……、来年はどうですか? きっと」
今年はまだそこまでは行っていないが、来年はどうなるかわからない。
その日を生きることに必死だった霊夢には、この先がどうなるかなど考える余裕などなかった。
「不幸には先がありません。これ以上はないと思ったらまだまだ先があるのです。一旦落ちれば最後。激しい波に攫われたように抵抗することも出来ず、勢いに振り回されることしかできない。一つの不幸はさらなる不幸を呼び込みます。あなたが言ったように」
霊夢は何も考えたくはなかった。
何も考えないことで、ようやく生きてきたのだから。
「汚れていても綺麗な顔。でも、それもあと少し……。手、足の先は何処だと思います。ふふふっ」
「あ…う……」
「つらいですよ。体はますます利かなくなり、自分でものをつくることも出来なくなる。顔を空気に触れさすことも出来ず、人目を気にしながら、暑い季節でさえ布で覆っていなければならなくなる」
雛の言葉は恐ろしかった。
霊夢が目を閉じていた自分の姿と、やがて訪れるだろう未来を予言している。
夢見るような調子の雛から目を離すことも出来ないまま、霊夢は震えた。
寒さに凍える時よりも数段激しく、歯を打ち鳴らしながら霊夢は全身を震わせる。
「私、どうなるの?」
「不幸への道筋は人それぞれですが、到達してしまえば後は同じ」
最後は皆死ぬ。
こうなった以上霊夢のたどり着く先は決まっている。
現に里の人間も、目で語っていたではないか。
お前は後、どのくらいで死ぬのか、と。
「たすけてよ、お願いだから助けて。私――――――――」
最後がどうなるのかは霊夢も知っている。
霊夢が抵抗すれば、それだけ遠くはなるが結果は同じ。
我慢してつらさに耐えれば耐えるだけ、死は遠く、生きられる時間は延びるが、引き換えに苦痛は増していく。
霊夢は何のためにかわからないが、自分だけがあわれなまま死ぬのが我慢ならなくて、ただそれだけで生を引き伸ばしていたが、雛に自分が至る道筋を知らされ、ついに出せなかったことを口にした。
「殺してよ、私のこと殺してくれない?」
言葉にしたとたん胸の内側で狂ったように蛇が暴れ出した。
霊夢が苦痛に耐えかねて、自分の人生に結末をつけようとすると邪魔をしてきた蛇が、またここに来て、霊夢を生に止めよう留めようと暴れている。
「ねぇ、助けてくれないなら、せ、せめて殺してよ。私死ねないのよ。どうしても自分じゃ死ねないのよ。哀れむなら殺してよ、怖くはないけど、私の中の蛇が死のうとすると暴れるの、死のうとすると苦しくて死ねないの」
胸の痛みに耐えかね霊夢は崩れて、膝をつく。
重く動かない足のせいで杖無しでは立つこともできない霊夢は、雛の足元にまで這って行って裾に縋りつく。
「あんた、どうせ汚れてるんだから、いいでしょ? ねぇ、私のために穢れて? ねぇ?」
霊夢を可哀想だと思う心が表に出た瞳と、不幸を楽しむ微笑とが交じり合う、複雑な表情の雛は美しかった。
「一人じゃ死にたくない、死にたくない。だから殺して、自分じゃ死ねない私を殺して。殺して、看取って、埋めてほしい、一人はいや、一人はいや」
「一人が嫌? うふふっ、今までも一人だったじゃないですか? 博麗霊夢が一人きりじゃなかった時ってありましたっけ? 友達がいても一人。好意を持ってくれる人がいても一人。周囲に人が集まっても一人だけ醒めていたじゃないですか?」
膝に霊夢を纏わり付かせたまま、心ない置物のような白い頬が朱に染まる。
「おかしなことです。ふふっ、本当の友達すら持てなかった霊夢さんが、持とうとしなかった霊夢さんが、死ぬときだけ一人を嫌がるなんて、おかしいっ、ふふふっ」
小首をかしげ、抑えられない興奮を押し止めようと小指を前歯で噛締めながら雛は、目を輝かせている。
「だってそうじゃないですか。博麗の巫女として生を受けた時点で、他のものとはまるで違う扱いになるのは当然じゃないですか。霊夢さんもその特権を使って楽しんできたじゃないですか」
あの日、立場が逆で鍵山雛を嬲った霊夢はこんな顔をしていたのだろうか?
こんな風に悪いことをしながら、美しくいられるのは素敵だなと霊夢は見惚れた。
雛から浴びせられる言葉に心を引き裂かれ、言葉の痛みに涙を流しながら、そんなことを考え、霊夢は強く雛の足を抱きしめた。
「何も気にする必要なんてありませんよ。あなたのお友達だってみんないずれ一人になります。種族が、寿命が、生き方が違うんですから。どうせ別れることになります。そして最後の時は、誰だって苦しいし、そのことは看取るものには理解できない。結局は誰が看取ってあげても死ぬのは一人きりです」
「そんな……、じゃあ、このつらさは消えないの?」
「消えません。いくら災いの芽を摘み取っても、心は持ち主でどうにかするしかないのです」
霊夢に残酷な真実を突きつけ嬲る雛は、恋を夢見る乙女のよう。
「たとえ死んだとしても、今の苦しみを持ったまま、地獄行きです。生きているつらさは、生きている間になんとかしないと、死んだからと言って消えるものではないです。死んだら楽になるなんて、そんな幻想は早く捨てたほうがいいですよ」
「じゃあ、じゃあ、私はどうしたらいいの?」
「知りません。それはあなたの問題です。私が知る訳はありません。――――――――――――――だから一人で勝手に死んでください」
哀れみを感じながらも、縋りつく霊夢を切り裂いてしまう雛は素敵だった。
霊夢は絶望に喘ぎながら、無残に泣きながら、雛の残酷な美しさに心奪われていた。
”残酷っていいな。残酷っていいなぁ。
殺してもらうより一緒に死ねたら、すっと素敵だろうなぁ。”
突然、霊夢の体が歪む。
顔面の中央が何物かに掴まれでもしたように陥没し、頭頂部に向かって引き伸ばされている。
向こう側の景色が透けて見えるほど霊夢の顔は薄くされ、熱い溶けたての飴を細工していくように、細く、長く、引き伸ばされ糸にされていく。
霊夢は抽象画の景色に溶け込んだ登場人物のように全身が歪みながら波打ち、髪の毛から順に捩られ一本の糸になっていく。
別の形に変えられてしまった部分は消失し、何も無い空間だけが残る。
頭から目までが解かれ、まるで頭を切り落とされて、顔が口だけになった霊夢が唖然と呻く。
その間も霊夢をばらばらにしていく力は止まることなく、解体作業を続け、ついには首
もとまでが無くなり霊夢の声も消えてしまう。
しゅるしゅると、あみぐるみを解いていくように、霊夢の体が胴体の中ほどまで糸になってしまう。
糸は、髪だったところは黒いまま、皮膚から出来たところは肌色、服の布地も肉体と一緒に変えられてしまったところは赤と白が混じりあった色をしていた。
不思議なことに肩まで巻き取られた霊夢の腕は落ちることなく、二の腕から下が宙に浮いたままで、繋がってもいない胴体の同じ高さの部分と一緒に糸となる。
厚みのある体は人間の指ほどに細くされ、乱暴に肉から引き剥がされているにもかかわらず、血の一滴も零れず、体の中が晒されることもなかった。
霊夢の肉体を構成していた形が足先にまで完全に消えて、この世から無くなってしまうと、糸はようやく動きを見せる。
自らの体を折り曲げ、隣り合う糸同士が縺れ合って、太い一本の糸になる。
さらに太くなったものを同様の動きを繰り返して縄になる。
縄になったものは交互に自らを折り合い、太さをましていく。
何本もの黒糸が身悶えしながら、互いを編み上げて縄からさらに形あるものに変化を遂げていく。
もし霊夢が見ることが出来たなら、それは見慣れた動きだっただろう。
藁の束から抜き出したものを手の中で転がして、捩り合わせて縄の形にしていく。
縄になったものを、交互に重ねて編んで、注連縄を作る。
蛇が交合するように互いの体を絡ませて食い合う動きが止まるころには、糸でも、縄でもない、一つのものになっていた。
注連縄。
霊夢が毎夜、食を得るためにひたすら作り続けたもの。
ただ普通の注連縄と違い、色は黒かった。
霊夢の体から生まれたものにしては、体は大きく、百年ほど生育した杉の木ほどもあった。
先端には毒蛇を思わせる、三角形の頭が付いていた。
不器用な霊夢が作ったものと同じに胴体は歪で、中心がものを飲み込みでもしたように異常なまでに膨らみ、肌は均質ではなくぼこぼこと上手く捩れなかった縄が塊になりうねっていた。
黒はただ黒ではなく、赤やら白やら、その他諸々の色が皮膚の下から透けて見え、泥の表面に浮く油のような濁った虹色に似ていた。
多量の色彩を混ぜ合わせたせいで、色自体の純粋さを保っていることが出来ず、お互いを食い合って黒になってしまった。そんな色だった。
蛇に似た何か。
霊夢の胸の中のしこりと、あの夜足に住み着いた、不幸の源泉ともなる悪い空気が混じりあって形を持ち、怪異となって現れたのだった。
孕んだように重そうな弛む下腹をうねらせながら、それは宙に浮き上がったまま、眼下に鍵山雛を見下ろし吠える。
振動で神社の屋根瓦が落ちて砕けるほどの轟き。
「はいはい、がぁーって呻いてかわいいですねぇ。怪異とは言え、生まれたての赤ん坊と言うものは、どうしてこうも可愛いのでしょうか」
しかし目の前に立つ雛は微笑すら浮かべ、驚く様子も見せない。
「ようやく形になってくれましたか……。すごく待つの長かったです。あなたは知らないでしょうけど、あの夜、私が留めておくことが出来なかった集めた厄は、全て霊夢さんの体に入ってしまったのです。幻想郷の不幸を集めたような力が体の内部にまで入り込んでしまったせいで、全ての人々の不幸を、一人で霊夢さんは背負うことになってしまったのです」
霊夢は蛇の体内で動くことも無く雛の語りとただ黙って聞いている。
蛇も霊夢に合わせて、じっと赤く輝く瞳を眼下にすえ、大人しくしている。
「普通の人間ならばとうに死んで、行き場のなくなった不幸は幻想郷全土に飛び散り、あらゆる悲惨を引き起こしたでしょう。持って生まれた常人以上の幸運さのおかげで、死に至ることなく、ぎりぎりのところで霊夢さんは苦しむことになったのです」
霊夢の体の輪郭は消え去り、生ぬるい湯に浸かっているような、浮遊感だけがあった。
向こうを濁った水面に写して見るように、歪んだ視界で眼下の雛を霊夢は眺めている。
肉体的な苦しみから解放され、ゆらりゆらりと体を揺すられる甘さに漂い、現実感の消え去った妙な感覚の中に霊夢はいる。
「いえ、これだけの肉体を得られるだけの力が集まっていたのだから、押し止めておくことが出来なかったら、幻想郷の存在すら危険にさらされていたでしょう。自らの肉体を結界とし、制御すら叶わぬ厄を押し止め封じていた。さすがは幻想郷最強の巫女だけはあります」
薄く微笑んでいた雛の表情が引き締まり、顎がきゅっと引き締まった。
「周囲から完全に隔絶された神社で受肉して顕現したのは、幻想郷にとって最大の幸運。あなたにとっては不幸。今日、この場であなたは死ぬのです。殺してあげます」
霊夢が見たこともないほど、同情の欠片もない静物の目で、こちらを見ている。
殺意を持ってこちらを見ている。
蛇の腹の中で、冷たい瞳に射すくめられ、霊夢は歓喜に震えた。
殺意を浴びて、ぐしゃりと蛇もまた笑う。
三角の頭に赤い割れ目が出来る。
雛の殺気と、これから起こる殺し合いへの期待に堪らず、厄の塊である蛇が笑い顔を作ったのだった。
不器用に藁を編みこんで作ったような頭に、三日月型の口を思える赤味がすっと開いて、ちろちろと舌が覗いている。
蛇が身震い一つすると、黒い斑の表皮が粟立っていった。
深い緑の沼の底に溜まったガスが溢れ出てくるように、体の奥から泡が浮かび上がって皮膚の上で膨らんでいく。
ぷちゅり、ぷちゅりっ、粘つく液体を地面に垂らしながら、気泡がはじけた後には子供がこねて作った泥団子のようなものが排出された。
体を震わすごとに、一つ、一つと数を増やし、体の周囲に浮かべさせる。
おおよそ十ほど溜まったところで、もし人であれば耳まではあろうかと言うほど顔の切れ目を広げて、蛇は笑った。
目の前の小さな人形を己の体で作り上げた凶器で、一撃の元に叩き潰せる歓喜に笑い、全てを雛に向けて投げつける。
「ふふっ」
十もの巨大な泥の塊が雛に一斉に向かっていく。
泥とは言え、本体の蛇が家一軒ほど丸呑みに出来るほどの体を持ち、それが産みあげた凶器もまた比例して大きく、人間の体を押し潰すぐらいなら一つで十分なほどだった。
それらが一直線に雛へと殺到し、同時に目標を捕らえた。
びしゃびしゃと地にぶつかり拉げた軟体の土は、勢いを殺しきれず自らの形を維持することも出来ずに潰れて、周囲に肉体を撒き散らした。
一斉に飛び掛ったものだから、地面に辿りつくことすら叶わず、互いに体をめり込ませて食い合い、肉片だけを目標だった辺りにぶつけるような有様だった。
細かな白石が敷かれた地面の上に、茶色い獣が貼ったような足跡が幾つも残される。
「ふふふっ、馬鹿な子」
圧し掛かってくる泥塊に押しつぶされたように見えた、赤と黒の対比の印象的な服を着た無機質さすら漂う美しい少女は、ほんの半歩横に動いたところで動じる色も無い。
「この程度なら私たちにとってはいつもしてる遊び以下だわ。もっと真剣に殺しにかかってきて。転げ回るくらいの痛みを与えて」
誘うように、歌うようにつぶやき、雛はくるくると踊り出す。
蛇は誘われるまま冷たい血をたぎらせ、興奮に身を任せて、自らの体を削って弾丸を生み出し、雛に向かって浴びせかける。
逃げ場がないほど多量の泥雨が降り注ぐ中、雛は目を閉じて片足立ちのまま身を翻して歩いていく。
五月の雨に戯れる幼児のように、あどけなさを感じさせる表情のまま、触れれば皮膚が破け、腹から臓物が飛び出る、凶悪な攻撃の嵐の中を雛は舞い続ける。
蛇が雛に目掛けて撃ち込む先を見越して踊りながら避けていくため、雛に一歩遅れて泥が足跡を残していく。雛という筆先が白い玉砂利の上に黒い墨で絵を描いていく。
「ふふふっ、ふふふっ、おにさんこちら、手のなるほうへ、ふふふっ」
激情をただぶつけようとするだけの直線的で単調な攻撃に飽き足らず、雛は赤子をあやすように手を叩いて囃したてる。
日常の中、刹那の悦楽のためだけに、直撃すれば死ぬことだってありうる能力をぶつけ合い、空を七色の弾幕で塗りつぶし戦う幻想少女のひとりである雛を、殺意だけでは触れることも叶わない。
霊夢は蛇の腹の内で漂い、夢を見るような乏しい現実感の中で、雛の様子をただ黙って見守ることしかできない。
もし自分ならもっと上手くできるのにと歯噛みしても、手を出すことは出来ない。
私なら雛を痛めつけ、殺してあげられるのにと、もどかしさの中、雛を見ていることしか出来ない。
「そんなのじゃだめ。もっと芸術的に、狡猾に、ほらほら、ふふっ」
何時しか蛇の耳まで裂けた口は閉じ、歯噛みするような唸り声を上げるだけになり、笑みは消えていた。
「馬鹿な子、馬鹿な子、馬鹿な子」
周囲一面に振りまくような攻撃も、挟みこんで押し潰すようにしても、弾丸の速度を上げても、緩急をつけても、量をさらに増やしても、雛は軽々とうっすらと蔑みの笑みに口を開いたまま軽々と避けていく。
鍵山雛がため込み、霊夢の中で育った、幻想郷の厄の集積したものが具現化した怪異だったとしても、所詮は生まれたばかりの赤ん坊そのもので、力や意思はあるがそれを世に表す方法をしらない。
雛に対する殺意を溢れるほどに体内に抱えているとは言え、どうやれば戦いを遊びとしている少女を殺すことができるのか、その方法を知らない。
「あわれな存在。本当なら同情に値するのですが……、私が本来味わうべきだった蜜を啜ったのが許せません。霊夢さんの味はどうでしたか? ものもらいとなって苦痛に身を捩る霊夢さんの不幸はどうでしたか?」
蛇は身を縮め、自分が雛の頭上を占位しているにもかかわらず、顎を引いて上目遣いに雛を睨め付ける。
正面からでは叶わない相手の僅かな隙を伺う、卑屈な様子をしていた。
「あああっ、どんなに甘美だったでしょうか、それは。きっと、とても濃厚で舌に絡まったまま何時までの後味が残り、喉にへばりついて胸が焼けるほどのものだったでしょう。無垢な少女が穢れを知り、落ちていく味わいはどのようなものだったのでしょうか?」
蛇は雛が詩を読み上げるように、蛇と腹の中に沈む霊夢に語り書けるうちに、尻尾から自らの身を解いていく。
霊夢の身体を糸に変えて自身の身体に作り上げていく過程を逆まわしにして、太い縄を解体して、数珠繋ぎになった何本もの弾丸で出来た糸へと紡いでいく。
「私だけが味わえるもの。私だけが知る美しさ。世の不幸は全て私だけの糧。だからこそ、人に蔑まれても生きていけた。私だけの痛み。似た痛みを持つのは霊夢さんだけだと思ってたのに、あなたが割り込んできた。私、あの夜、本当は霊夢さんに痛めつけられてすごくうれしかった。悲しくて、とってもうれしかった。不幸にするなら憎まれても私がしてあげたかったのに…………あなたが、あなたが」
目の前の作り物の端正な顔をもつ少女を殺して生き残るには、肉体を犠牲にしてもしかたがないと獣の直感で悟り、蛇は身体そのものを弾幕とすることにしたのだった。
注連縄のように腹だけが肥太ったような形状を捨て、霊夢を捕らえたままの腹の部分を核に、糸が周囲に伸びた格好へと姿を変える。
そんな形になっても霊夢だけは離そうとせず、核として再び鉄球と化した中に取り込んだまま残している。
「許せません。世のあらゆることは許せるつもりでいましたが、あなただけは許せません。どうしようもないくだらない感情ですが許せません。塵も残さず消してあげます。精々あがきなさい」
隙間だらけの紡錘形。
展開した弾幕はそういう格好をしていた。
元の蛇の身体があった場所が一方の端。
雛を包み込むような位置において、直線上の先の空間をもう一方の端の結び目とする。
展開した状態で一本、一本の細くなった糸それぞれが、蛇のように身をくねらせる。
細い体をしならせながら、隣の蛇に身を寄せて、二匹で絡まりあう。
紡錘形全体が回転しながら、各部を構成する小部分もまた回転し、近場のもの同士が結びついて、太く成長していく。
蛇の意図は雛を腹の中に捕らえて、自らを再構成して、厄を抱え込んだ雛も霊夢と共に核として腹に取り込んでより強大になることだった。
成功すればさらに肥太ることが出来、失敗すれば肉体そのものを弾幕と化したことで、力を失ってしまう。
雛を渦の中心点に、周囲一面が編みの目のように細かい糸で覆われ、逃れる隙間すらない。
一本ずつが一つの生物であり、同時に全体がまた一つの生物である。
黒く滑る肌を持った蛇が、雛目掛けて収束していく。
注連縄を一本の藁から作り上げていく動き。
蛇が唯一知る、動き。
霊夢が夜毎に繰り返した動き。
戦い方も知らない蛇が、己の少ない生きた経験から編み出した弾幕。
小さな体を飲み干そうと黒い糸が編みこまれ、包み込んで身動きが付かなくなるほど狭まってくるとようやく、雛は動きをみせた。
殺し合いなどではなく、じゃれあうような弾幕ごっこをする時と変わらず、身を舞わせ始める。
くるくる、くるくる、くるくると、雛にしか聞こえぬ音楽に聞き惚れるでもするように目を閉じ、廻っていく。
ただ、蛇との対戦の中で先ほど見せたものとは異なり、周囲に濃厚な空気を纏っていた。
二年もの時間をかけて幻想郷を駆け巡り、災厄の目を摘み取り、蓄えたものだった。
青の絵の具を白い紙に擦り付け、紺やら、紫やらを何度も重ねて斑になった乱雑な色合が、そっくりそのまま雛の周りの空気に塗りたくられて輝いていた。
深い藍、薄い水色、様々な明度と彩度を持つ青が煙り、雛から立ち昇りながら渦を巻いている。
放射状に広がろうとする雛の放つ青と、外側から像を結ぼうと収束してくる黒とが互いを食い合い始める。
厄が可視化するほど集められた空気に、蛇の体が触れたとたんに、汚泥のような物体は枯れて地に落ちる。
雛の厄は、重みを持つ肉体に削られて雲散霧消し、姿を消される。
雛の動きが激しさを増すに連れて、周囲の空気の渦も勢いを得え、それ自身が嵐となって、包み込んでくる蠢み絡み合う蛇の群れを吹き飛ばすほどになる。
水平回転の雛に対し、網目状で構成された紡錘形は縦方向に回転している。
両者とも源は幻想郷に漂う災厄の芽より生まれたものだったが、延々とひたすらに回転の激しさを増し続けて削りあううち、均衡していた力が少しずつ傾いていった。
「うっ、くっ」
雛の放った攻撃の隙間をすり抜け、黒いうねりが服を切り裂いた。
表情こそ変えないものの、雛の顔はべったりと汗で濡れている。
雛の吹かす風にあおられて不規則だった、自らの体を糸巻く蛇の回転が段々と規則的なものに変わっていく。
一つの回転から、次の回転までにあった時間のずれはなくなり、楕円形が真円に近づく。
ばらばらだった解れた糸のようだった体は着実に収束を重ね、太い三本の縄へと縒られて少しずつ形を成していく。
雛の姿は外側からは黒いうねりに既に飲み込まれて見えなくなっていた。
雛の持つものと蛇の体を作っているものは、そもそもは同じものだったが、雛は集めた厄をそのままに纏い、一方蛇は霊夢の体内でさらに凝縮し、肉を持って具現化した。
重さを持たない不定形の霧のようなものと、重力に縛られるが故に得た質量。
どちらにも、利点があり、短所が存在するが、ただ勢いに任せでぶつけ合う場合、優劣は明らかだった。
何度も地に打ち付けられて身を砕かれていた、蛇の肉片の飛び散る数が段々と減っていく。
服の切り裂かれる数が増えていって、雛の青白い肌がさらされる。
少女に黒い触手が絡み付いて、身を拘束していく。
足首に纏わり付いて動きを止め、太腿を這い登って胴を締め付けて、手を封じる。
肌に自らの体を手として探るように動かし擦りつけ、蛇は雛を縛っていく。
出来あがった縄目の上に、さらに上から巻きついて太くし、何度も何度も雛の体の周囲を巡る。
獲物を飲み干すために、全てが筋肉で出来た胴体で絞め殺す蛇の習性どおりに、雛に巻きついてしぼりあげる。
圧迫に耐えかね脂汗を垂らす顔にも巻きついて、体のあらゆる部分を覆いきってしまう。
何重にも巻きついていくうちに、しだいに団子状の形に近づいていった。
隣には霊夢が閉じ込められた黒い鉄球の形をした核が並び、雛の閉じ込められた玉の表面がならされて黒い真珠のような輝きを持つと、引かれ合う様に身を寄せ、互いを一つに溶け合わせた。
まるでそれが自然のことだとでも言うように、一つの大きな珠へと姿を変えた。
外側では蛇は完全に姿を取り戻し、腹だけが重く地に引かれて垂れる、注連縄に似た輪郭がくっきりと浮かび上がった。
何かを飲み干したような腹の蠕動だけが動くものの全てで、博麗神社の境内は再び静寂に包まれる。
雛がいた名残は、蛇の黒々とした体から蒸気となって天空に上っていく青色の煙だけだった。
こぷんっ
霊夢が自分の形も忘れ、意識だけになって漂う羊水の中へ、雛が取り込まれて流れ込んできた。
ゆたゆたと生暖かく霊夢を包む水にたゆたいながら、雛の身体に手を伸ばそうと意識する。
冷たそうな陶器を思わせるすべらかな白い頬に触れようと、霊夢は肉体を想像し、形を取り戻そうと試みる。
碧のぼんやりと透通る温水が屈折し、歪んだ像が影を持ち、形を得ていく。
霊夢は他者の身体をそばに感じることで、再び肉を持った存在として生まれ変わった。
張りのある肌に包まれた染み一つない健やかな腕を伸ばし、死んだように目を閉じる雛に触れる。
瞼に触れ、頬に手の平を滑らせ、首筋をなぞり下ろす。
手の平を通して、自分以外の人間の存在を、少女の滑らかな皮膚を霊夢は感じ取る。
「雛っ」
小声で、でもとても強く、はっきりと霊夢はその名を呼び、腕を廻し首筋にしがみ付いた。
むしゃぶりつくように、全身を強く描き抱いた。
自分とは正反対で、それでいてどこか似たところのある雛の、骨っぽくそれでいて暖かな肉体に頬を擦りつけ、立ちのぼる体臭を嗅ぐと、何故だか霊夢の胸からつかえが下り、足かせとなっていた重みが消えていく気がした。
6.成体
くちくなった腹に、蛇は眠たげに目を細める。
体内には蛇を生み出した霊夢がおり、さらに強大になるために厄を集める能力を持った雛も取り込んだ。
胃袋が存在するあたりに人間二人分の重みを感じ、飢餓が減じられたことで、破壊衝動しか持たないはずの怪異も、眠気に揺られて大人しく漂うだけだった。
人のいなくなった博麗神社の境内は再び静寂に包まれている。
幻想郷の結界の源である博麗神社。
幻想郷でも特異な位置づけにあるこの場所は、幻想郷でありながら、同時に他の世界に繋がっているためか、博麗神社そのものも結界で守られており、山に吹く嵐からも隔絶されていた。
周囲一面の空が雲に包まれ、夜の闇をさらに暗く染め、べったりとした黒色以外は存在しない中、神社の境内には冬の星座が光を投げかけ照らしていた。
暦の上ではまだ秋ではあるものの、風は冷たく、季節は冬へと移り変わり始めていた。
透通った冬の空気は他の季節よりも薄い。
あまりに薄いせいで、星は瞬きをやめ、作りものめいてすら見える。
博麗神社の上空だけが晴れ渡り、幻想郷とは違う夜の色をしている。
黒というよりひたすらに深い紫。
星の白い光に照らされたせいで、夜の本当の姿が覗いていた。
蛇はまどろんでいた。
生まれて初めての激しい戦いに消耗し、疲れきって眠っていた。
怪異に心があるものかはわからないが、生まれてすぐに存在を消滅されられるかも知れない恐怖を味合わされ、人に不幸を与える存在として生まれながら、異形でありながら命の儚さを知らされて、倦み疲れたような表情をしていた。
夢うつつのうちに漂いながら、薄目を開いて空を眺めていた。
博麗神社の上空だけが嵐から円形に切り取られ、奈落の底にいるようで蛇を安心させる。
二人の蛇を生み出したものたちが腹にいることも、蛇を安心させる要素だった。
瞼の裏には深淵へと続く深い闇、ただ黒一色のみだった。
まどろみの中、目を一旦開けた蛇は変わらぬ空に色に安らぎ、再び目を閉じた時、生ぬるい風が肌を撫でた。
ありえないはずの感触。
冬にしては異様なまでに暖かく、風を結界の外に封じ込めている今、蛇しかいない境内には空気の揺らぎすら存在しないはずだった。
どんよりとしていた蛇の目が赤く光り、眠りから覚醒する。
あわてて空を見上げるが、そこには変わらぬ晴天があった。
黒々としており、幾分かは青味の混じった夜空。星の光によって、闇のカーテンの向こうの昼間を同じ色合いの空が、透けている夜空。
何一つ変わらぬはずだった。
しかし、空気はしだいに温さを増し、高くなってきている。
蛇はとぐろを巻いていた体を解いて、天を睨み続ける。
視線の先にある空は、ぼんやりと薄く光り、背景の黒を上から異なる色が侵食を開始する。
青の絵の具を白い紙に擦り付け、紺やら、紫やらを何度も重ねて斑になった乱雑な色合。
深い藍、薄い水色、様々な明度と彩度を持つ青。
蛇は、はっとなって自らの腹に視線を送るが、体内に飲み込んだ少女は身動き一つしていない。
その間も空の変化は止まることを知らずに動き続けて、黒を完全に青が飲み込んでしまった。
昼の健やかな空の色とはまるで違う、毒々しさすら感じられるほどの自然には存在しないだろう濃い青色。
先ほどの戦いで雛が放った厄が空気を染めていた色。
それが空一面を覆っていた。
べたりと平らな板が天井に貼られたでもしたように、空に奥行きがなくなると、厄は天空の中心の一点に収束し、火を放つ。
昼間の太陽よりも赤々と、恐ろしいほどに眩しかった。
夜の空に現れた恒星は幾つもの星を生み落とした。
燃える星は規則正しく列を作って周囲に散らばり、地に降り注いだ。
人の拳ほどの小さな炎の塊が、ぼとり、ぼとりと、落ちてくる。
それ自身が熱を発して燃えているせいで、地面に触れて球形が崩れた後も、液体と化し、ゆっくりと流動しながら触れるものを炎熱に飲み込む。
白い玉砂利がコマ送りで絵画を見るように焼かれて、墨色に染まった。
鳥居も、杜も、神体を収めた建物も、霊夢の住処も、区別することなく火は容赦なく、敷地に存在する一切に降り注ぐ。
天井から投げかけられた業火の網は、全てを許すことなく捉えて、飲み込んでいく。
雛が放っていた厄は、それ自身が攻撃ではなかったのだった。
”塵も残さずに、滅ぼす”と宣言したとおり、情け容赦の無く滅ぼすための準備に過ぎなかったのだった。
おそらくその場で雛が炎熱地獄を顕現させなかったのは、霊夢の最後のよりどころとなった博麗神社と、蛇を一緒に葬りさること躊躇いがあり、手を緩めてしまうことが恐かったからだろう。
己自身が蛇に飲み込まれた後に自動的に発動するなら、攻撃は術者の機微など気にすることもなく、心無く全てを滅ぼすことが出来た。
蛇が歯噛みし、後悔したところで後の祭り。
蛇の体にも炎の雨は降り注ぎ、肉を焼いていく。
受肉したことで、多少の揺らぎなど気にせずいられる存在の確かさを手に入れることが出来たが、反対に肉を手に入れたことで、この世に存在する弱い、生きとし生けるものと同様の弱点を持ってしまった”厄”。
炎が体の上を這うごと、体の皮が縮れ、通り過ぎて行った痕跡を残す。
黒い皮膚の裏側から、生きているものと変わらない濡れた赤い肉が姿を見せる。
熱に炙られて肉汁を垂らし、湯気を上げる。
泥炭の肌は溶けて、縄目を思わせる皮膚の畝が均されて、つやつやと黒く輝く。
やがて全身を炎が包む頃には、蛇の肉体自体が燃料として火を発するようになっていた。
火で焼かれる痛みに悶え、死への恐怖に身を歪ませ、なんとか降り注ぐ滅びより逃れようと暴れまわるが、博麗神社はこの場所自体が結界となっているため、境内からは一歩も外へと踏み出すことが出来ない。
空には赤やら橙が写って、まるで太陽が沈んだ後に地面の下から残照を投げかける夕刻のように美しかった。
一方地上では、炎によって空気が極限にまで熱せられて可燃温度を越え、吹く風に触れるものを焼けるほどになっていた。
大気の底で、空気は渦を巻いて竜巻となる。
火炎旋風。
透明で希薄な気体が、あまりの熱で、色こそないものの燃えている状態。
無色透明の気体の炎と化した空気は、呼吸しただけで体内を爛れさせ、僅かな隙間にすら吹き込んで火を起こす。
本来燃焼するはずのない岩石すら火を発し、風に吹きさらされて枝を揺らす木々達も立ったまま燃やされていく。
境内に湧き出る清水も炙られて、冬の身を切る冷たさを飛ばされ、沸騰し白い湯気を発していた。
天上の業火に焼かれ、肉自身が燃え、吸い込んだ空気に腹の中を爛れされられた蛇は、断末魔の雄叫びを上げながら、博麗神社の本殿に巻きつく。
もう蛇は黒い色をしてはおらず、赤色の揺れ踊る眩しい色に染まっていた。
火龍となって自ら炎を発しながら、火の粉となって身を散らす。
本殿の柱に火が走り床にまで達すると、屋根の重みに建物が崩れ落ちて、上から押し潰されたような格好となる。
霊夢の住まいも、中にある生活道具も一切合切が炎に巻かれ消えていく。
畑に植えられ、冬を待っていった葉菜も熱に枯れさせられた。
蛇は風に嬲られるごと肉体を削られて、火の粉となって吹き飛ばされて、やがては形を失い、最後には神社の建物と区別が付かない、一塊の燃える薪となった。
火の粉となった後は、蛇も、木も、石も、建物を構成していた材料も、霊夢の愛用していた品々も、一切が区別なく宙に舞って天へと昇っていった。
炎は、嵐を巻き起こし、上昇気流に乗り、天へと帰っていった。
「一緒に来ませんか?」
差し出された手を掴んで、立ち上がろうとしていた霊夢の動きが止まる。
なんでもない、ただ散歩にでも誘うような風に雛は霊夢に問いかける。
「でも、神社焼けちゃったし」
焼け跡に二人の少女がいた。
ふたりとも生まれたままの姿で、崩れ落ちた博麗神社の本殿のあったところに並ぶように倒れていたのだった。
二人を濡らしていた雨は止み、空からは灰色の雲が立ち去り始め、星空が出来た隙間から覗いていた。
博麗神社を焼き尽くした炎の生んだ風は、雲を呼び寄せ、雨を降らせたのだった。
炎熱地獄より数刻の時間が経ったが、焼け跡からは何かが爆ぜる音が今だ出続け、湯気を上げていた。
炭化した木材は雨に現れ、墨のような色の液体を流している。
玉砂利が黒く染まったままで、元の白い色を失っている。
凄まじい雨に地面は泥濘、長雨がようやく止んだ後のようだった。
「丁度いいじゃないですか」
濡れたままの碧の髪を掻き揚げて、水を浴びてさわやかさすら感じられる声色で雛は話している。
「建て直さないと」
「誰かが直しますよ」
「でも、でも……、神社がなくなって、巫女がいなくなったら博麗神社はどうなるの?」
「さぁ?」
「博麗神社に誰もいなくなったら、幻想郷はどうなるの?」
「なくなっちゃうかもしれません」
二人は博麗神社が、蛇が、炎に飲まれていく様子を羊水の中で眺めていた。
蛇の肉によって世界から切り離されたそこからでは、地獄のような風景も夢のようで現実感に乏しかった。
それでも二人は死を覚悟し、互いを守りあうように抱きしめて、身を縮めていた。
どうしてかはわからないが、二人は生き残った。
蛇が最後の力を振り絞って体内の核を守ったのか、それとも雛と霊夢の力が交じり合って結界のような作用となったせいか、それとも運がよかっただけなのか。
喰らい付いていた足枷も外れ、胸の奥にあった黒い感情も全てが流れて消え去り、生まれ変わった心地よさすら感じる霊夢は、蛇が守ってくれたのならいいのに、と思った。
憎い相手ではあるものの、霊夢の過ちによって生まれ、二年の時を同じく過ごした怪異は、少しだけだが子供を持ったような気分を霊夢に与えた。
だから最後は、霊夢と雛を守ってくれたのならいいのに、と思った。
「雛、幻想郷はどうするの? みんなは? 厄を雛が集めなかったら?」
「あきらめてもらいます」
「でも、みんな、私みたいになっちゃう」
「なるかもしれません」
「みんな私みたいに苦しむことになる……」
「苦しんでもらいます」
「そんな……、酷い……」
「ええ、酷いですね」
雛は笑う。
霊夢は笑えない。
雛のようには笑えない。
貧困の最下層の生活を経て、もう一度幻想郷の巫女として振舞うことは出来ない。
無邪気に妖怪を退治することは出来ない。
無垢な心を持って神に仕えることは出来ない。
かと言って、普通の生活が出来るわけでもなく、生きていくための方法も知らない。
巫女の役はやりたくはないが、焼けてなくなった博麗神社を見捨てることは出来ないし、里の人間を見捨てることも出来ないし、幻想郷を放り出すことも出来ない。
したいけど、出来ない。
人間として、どうしてかわからないがそこが最後の一線で、役目を投げ捨ててしまったら、博麗霊夢として生きてはいけないような気がするのだった。
別の何かになってしまう気がするのだった。
「私は妖怪です。自分の欲望を優先する、妖怪です。霊夢は言ったじゃないですか、あんたなんて妖怪だって。だから、他のことはどうでもよくって、霊夢と一緒にいてあげたい。それだけでいいんです」
「間違ってる。あなたは、雛は、神様だもの。人間のために何かをするのが役目だもの。投げ捨てちゃいけない。間違ってる」
「間違ってますか?」
「だって自分が幸せになりたいためだけに、他の人を見捨てるなんて、すごくいけないと思う」
「霊夢が他の人のことを考えて、おとなしく巫女のままでいて何か幸せがありましたか? つらく貧しい生活で誰か助けてくれましたか? 普通の人は畏れて見捨て、力あるものたちは苦しむ霊夢など退屈で相手にもしない」
「それでも……、それでも……、自分のために他の人が不幸になるのを見過ごすのはとても悪いことだと思う」
「悪いことっていけませんか?」
以外な雛の言葉。
霊夢は悪いことは、やってはいけないことだと思ってきた。
それなのに、目の前の少女は悪いことをすることが、いけないことなのかと問い返してきた。
「えっ?」
雛が躊躇して宙をさ迷う手を掴んで、強引に霊夢を立たせる。
驚いて動けない霊夢に、同じ高さになった顔を近づけて目を覗き込んでくる。
「一緒に悪いことしましょうよ。悪いことをするって、とっても素敵で甘いの。霊夢と一緒に甘美な悪いことをしてみたい」
悪いこと。
雛の言う悪いこと。
他の人が不幸になっていくことを見過ごす。
悪いこと。
やってはいけないこと。
そのやってはいけないことを、やろうと雛は誘ってくる。
悪いことなのに、やろうと言っている。
悪いことなのに、雛は楽しそうだった。
霊夢は”悪いこと”は、悪ではないのかも知れないと、ふと思った。
雛と二人、災厄の芽が生育していくのを綺麗だからという理由で見過ごし、人が不幸になるのはとっても美しいからと、雨に濡れる紫陽花を楽しむように愛でる。
泣き叫ぶ霊夢を、微笑みながら切り捨てて見せた雛の残酷さ。
霊夢もあんなに綺麗に、同じ顔をして笑うことができるようになると考えると、胸の奥に黒いものが広がっていく。
蛇がいたときとまるで同じ感じだが、今度は胸だけにとどまらず体中に行き渡り、肌を透過して、毛穴から立ち昇る。
「霊夢、悪いことしましょ。二人で名もない妖怪になるの。そうしたら私は鍵山雛でなくなり、あなたは博麗霊夢でなくなる。二人でひとりの名前のない妖怪。そうなったら私たちは役目にも立場にも縛られることがなくなるわ」
「私が、私じゃなくなる。博麗霊夢じゃなくなる…………………」
雛の言葉についに霊夢の中で何かが壊れた。
「ふたりでうんと悪いことしましょ」
霊夢が守ろうとしていた色々なことは、霊夢が博麗の巫女だから、博麗霊夢だからしなければいけないことだった。
雛に誘われても、博麗霊夢である以上、神社を、幻想郷を見捨てることが出来なかった。
でも、もし、霊夢が名前を捨てて、別の何物かになったら。
人間じゃなくなってしまったら――――。
何も守る必要などないのかも知れない。
「私たちはひとりになるの。二人でひとり。悪いことしましょ」
霊夢を抱き、頬を触れ合わせて、耳元で雛が強い調子でささやいた。
湿った吐息と混じりあった言葉は、粘つきながら耳から流れ込んで、脳髄を蕩かした。
はぁはぁと息を荒げ霊夢は、ささやかれるたび体を硬直させる。
「悪いこと……、雛と一緒に悪いこと、厄を撒くの……」
霊夢は自分が雛のように人の不幸を啜って生きるという思考に囚われ、もう他には何も考えられなくなっていた。
そばにいるだけで心をこんなにも波打たせる少女と一緒に行けるなんて、と興奮を抑えきれずに霊夢は喘いだ。
「二人で災厄を撒いて、たのしみましょ。二人で素敵な本当の厄神になるの」
何もかも捨てて生きることを決めたとたん、ずっと胸を騒がせてきたむかつきが、甘美なものだと気付く。
苛立ち、怒り、悲しみ、憎悪、嫉妬、羨望。全ての負の感情は見えないだけで、元々ずっと存在していて、楽しいとかそういった気持ちのいいものと組み合わさって心を構成していたのだと気付いた。
霊夢は、負の感情の中にも綺麗なものがあることにようやく気がついて、胸の奥に再びたまり始めた暗いものを、雛の言葉でようやく受け入れられるようになった。
「私は博麗神社を去り、幻想郷を見捨てるわ」
「私は人々を見守る役目を投げ、災厄を防ぐ役目を捨てるわ」
雛は霊夢の目を覗き込み、霊夢は雛の目を覗き込む。
互いの瞳に写る自らの瞳はやましさの欠片もなく透き通り、無邪気な微笑みを浮かせていた。
「行きましょう」
雛が霊夢の手を取ると、髪を括っていた飾り紐を解いた。
はらりと碧の輝く湖面を思わせる髪がこぼれて、光を浴びてきらめきながら肩を流れ落ちていく。
「これはもういらない。今までと違うことするんだから――厄を溜め込むことも、もうない」
首元で止められていた紐も解いて、長髪を風に嬲らせるままにする。
霊夢だけでなく、雛もまた縛られていたものから開放され、感情を抑えきれないようだった。
「雛、私たちこれから一緒よね?」
「ええ、もう私たちを縛るものは何もないわ。縛ることができるのはお互いだけ」
言葉を証明するかの様に、解いたリボンを霊夢の右手首に巻きつける。
雛の元々巻かれていた赤黒い文様の入った紐と同じものが、言葉を形として霊夢を縛り付けた。
そろいのリボンを手に巻いた二人は、もう名前のない災厄をばら撒く神だった。
「行こうっ」
「うんっ、行こっ」
初めてできた友達同士のように、雛と霊夢はそろいのリボンを巻いた手同士を繋いで歩き出す。
後にはただ、燃えて崩れた黒い炭の塊だけが、博麗神社に残された。
やがて博麗神社を包んでいた結界も破れて、嵐が隙間より吹き込んでくる。
激しい風は何もかもを飲み干し、吹き飛ばしていく。
風が止み、朝日が地上を照らす頃には全てが消え去り、そこには何一つない荒野となっていた。
~了~
どろどろとした雰囲気のSSでしたが、不思議と読み終えた後はすっきり。はて。
あー上手いこと言えないんですが、霊夢の絶望感やらそんなのが、とてもよく分かりました。
なんだかこのSSには雛の深意が存在するような気がするんですが、自分じゃ一回読ませてもらっただけでは、理解できなかったようです。
もっかい読もう。しかし面白かった。あなたにぐー。
雛が厄神様だと再認識させられたような。
もう一度読み直したくなる魅力のあるお話でした。
自分的にはその後が読みたいです
でもやっぱりこれで完結?
後訂正を
>以外な雛の言葉。
意外
私が見つけたのはそこだけです
まあ、最終的に霊夢は自由になって、雛と二人で一つの存在になれたし
本人たちにしてみれば幸せになったのかなぁ、と感じました。
ところで、顕現した蛇の仕草にキュンとなってしまうんですがw
今の季節にはぴったりな作品でした。
とりあえず、雛の恐ろしいほどの美しさを感じました。
続編超絶希望
悪に墜ちていますけど……。
結局、全ては雛の思惑通りになったのですね。
神社の結界は破れ、博麗の巫女は居なくなり、強力な災厄神まで生まれたのだから、雛の言う通り幻想郷は滅びるしかないのかな。
一つ難を言うと、何故雛はそこまでしたのか? という動機付けが弱いように感じました。
誤字、脱字の報告を。
・馬鹿するな → 馬鹿にするな
・誰も神社と訪れることもない今 → 誰も神社を訪れることもない今
・炭化した木材は雨に現れ → 炭化した木材は雨に洗われ
最後まで話がどう転ぶかわからずハラハラしました
厄の成長していく描写が秀逸でした。
嫉妬、悲しみの負の感情が1番強かったのかな?
雛を殴る所で粘つくような嫌悪感を覚え、霊夢が堕ちた所で何とも言えない寂寥感を覚え、最後で不思議な解放感が。
この後は、紫辺りが新しい巫女を連れて来て、他の流し雛が新たな厄神となり、何事もなく幻想郷は続いていく気がします。ただ、一つの災厄が増えただけ……
気づけば底冷えする嬉しさが生まれている
そんな想像が脳を掴んで離しません
この作品に出てくるそれぞれのキャラが持つ瑕は、原作においても存在する瑕であり、原作ではその瑕を意図的に赦し合うことで、幻想郷の大らかさというプラス面に変えているところ、そこが個人的には東方における一番の魅力だと思っていたからです。
なのにこの話は、敢えてその瑕を、抉って広げて晒している。
グロや東方キャラが不幸になる話だから嫌いなんじゃありません。
それをしようとする作者の意図に嫌悪感を感じました。
そういう話がやりたけりゃ、オリジナルで勝手にやれよ、と。
人様のキャラの暗黒面ほじくって、悦に入ってんじゃねぇって感じで。
文章技術にしても台詞や独白に頼りすぎで、しかもその台詞が安っぽい。
描写もアンバランスで、ちぐはぐな印象しか残らない。
そんなわけで、あくまで個人的にはスルー対象――
な の で す がっ
どうしたことか読み進める手が止まらねぇ。
酷くなる霊夢の状況に吐き気すら感じているのに、読むのを止めることもできやしねぇ。
そして厄の顕現から雛の告白を通じ、ラストの旅立ちに至って、ようやく気付きました。
嗚呼、この作者は、東方のことがめちゃめちゃ好きなんだなぁって。
聖者には聖者の、悪には悪の、捻くれ者には捻くれ者の愛し方がある。
どうしようもなく相容れませんが、この作者は雛と霊夢を好きで好きで堪らないんだなぁって。
読むのを止められなかった理由も今となっては明白です。
確かに台詞はチープで陳腐ですが、その言葉には魂が乗っている。
洗練されてないからこそ、ダイレクトにそれが伝わってくる。
本気の本気の本気がびんびんと、目を通し、脳を通じ、心臓を抉ってくる。
そりゃ無視できないわけだわ。
そういうのが見たいから、俺は創想話にいるんだものw
そんなわけで、俺にはこの話を評価できません。
マイナスか、100点かで悩んだのは初めてですが、間をとって50点っていうのも相応しくないと思い、結局長文コメでそれに代えました。
いや、こんな長い感想書いたの初めてだわ――
これほどまでに心を揺らしてくれた作者様に、偽りない心からの礼を。
感謝と、祝福と、僅かばかりの呪いを込めて。
本当にありがとうございましたw
厄落とし? 自分との向き合いの結果? まさに不可解といった感じです。
禁忌って言葉の意味が何となく理解できたような、出来ないような…
スクロールバーを下に動かす手を止められませんでした。
こんな不思議な気持ちは初めてです。よくも有難う。
などと一言で切って捨てるにはあまりにも惜しい。
導入から胚へと至る構成、胚から成体へ至る展開、終局への収束、そのどれもが『読む』ということを中断させなかった。
淡々と、しかし熱をこめて描かれた陰惨で嗜虐的な文章は、雛の喜びを明かすシーンにてその価値が明確になったように感じました。
序盤で、霊夢に暴行を受けるシーンでは、『ああ、雛ちゃんはいじめられるのが似合うなあ』などと思っていただけに。
ああ、なんだろう。この汚濁のような作品は……。
けれど、読後の感情は、まるで雛の透き通った碧の瞳のように、すっと胸が透くのでした。
想像力の翼をフルスイングしたいM体質の人に激しくお勧めする作品です。(ぉ
(100点つけたけど、今作はマイナス100点でもあると思う)
この黒さが最高すぎるぜ!
なんというか、不思議な気分になりました
しかしながら、悔しいのは、それらが全て作者様の意図によって構成されているということです。これが単にノリやその場の興だけで描かれているのならば評価に値しません。ただ、この作品の場合は、作者様の確固とした意思のもとに、計画的にその構成がなされていると感じました。
となれば、話は別になってきます。お見事、としか言いようがありません。おそらく作者様の意図通りであったと思います。醜く描かれたキャラクターには不快を感じ、墜ちていく霊夢の境遇には絶望感を覚え、そしてその結末にはある種の安堵を感じてしまいました。
キャラの動機付けなどの点で首を傾げる部分がいくつかありましたが、この作品にはそれすらも呑み込む力が存在していたと思います。下で床間氏も書かれていますが、作者様は本当に東方が好きなのだと感じました。
点数は私の率直な気持ちを表したものです。作者様の描く次の幻想を楽しみにしております。
あぁでもなんのイメージももたずに最後まで読んだ方がいい作品だと思います。
素晴らしい作品をご馳走さまです。
がしかし、一作品として見ると、とてもよく出来ていると思う
東方を利用したこのような二次作品が好きか嫌いかは別として、この話は東方を利用したからこそここまでよくなったのだろう。霊夢の立場や性質が上手く利用されていて、とてもよくまとめられていると思う
ラストはほっとした。今までがひどかったため、少なくとも霊夢がこれ以上苦しまない方向に行って欲しいと思っていたから
何はともあれ、とても上手くできていた作品だった
否定したいけど否定できない。
見事に引き込まれる作品でした。
雛ー!黒くても愛してるよー!
でもこれは面白かった。
テ ラ ヤ バ スwwwwwwwwwwwwww
ゴスロリと言いつつフリルについて1kbたりとも語っていない事に絶望した!
あ、面白かったです。
正直理解し切れてませんが、なんとなく「人間」の縮図を見た気がします。あるいはその一面を。
あまりに美しく、本質的な心地よい文章でした。
弾幕にこだわらなければ非の打ち所がなかったと思います。
意味不明な文章がありましたが、作者の意図に関わらずそこから
読者に何かを読み取らせようという試みなのでしょうか、そこも
たいへんよいものでした。
俗な事ですが、最後を偽善でまとめなかったことも高く評価できます。
作者はなんだか私に似通った思考をしている、そんな気がした
読み終わってみたらすっきりと、どうなってるんだ・・・
感情を激しく動かしてくれる作品はどんな方向だとしても大好きです
ありがとうございました
東方のSSとして見た場合、どうにも納得がいかない部分がちらほら
雛をいたぶる際に殴る蹴るしかやらない霊夢しかり、かけらも登場しない八雲やハクタクしかり、等
なんだか結果ありきなご都合主義が過ぎてるような気がします
バットエンドなのに希望に満ちているという不思議な読了感でした。
私はただただ、この作品から溢れ出るエロチシズムと耽美主義を心の底より賛美するしかないのです。
素晴らしい作品をありがとうございました。
東方SSとしては最悪に近いと思う
しかしそれは作者様の意図した通りなのでしょう。
違和感を感じる展開が無かったわけでもないですが、全体的に良かったのでこの点数で
悪いことっていけませんか?にぞくりと来た。こういう思い切りのいい純粋な悪は大好きです
ソドムの炎となりて幻想郷を滅ぼす二人に幸あれ
きっと歯噛みしたり覗いてみたり身もだえしたり、嬉しいのやら悔しいのやら悲しいのやら胸が高鳴ったりもう
ヘヴン状態で大変だったのでしょうね。
僕もSSを読んでいる間はゾクゾク状態でした!
雛がもう何と言うか堪りません。結婚したい。
打ちひしがれた霊夢も最高です。結婚したい。
面白かったです。
博麗という立場の孤立、か弱き少女、紅白と紅黒、人間のためにも行かせるものかと健気に見える厄神様、人間共と妖怪共の性質、
その他諸々を混ぜ合わせてこれが出来上がったことにゾクゾクしています。
場所と需要に対して喧嘩売ってる感は否めません、しかし最高です。堪りません。
これから先、何度読み返すか見当もつきません。
愛しい作品をありがとうございました。
叩かれているのは投稿する場所が悪かったからかもしれない
現実の世界でも不幸な人がいたら忌避する。
自分には関係がないから、責任はないからと見て見ぬふりをする。
あるいは心底同情し、だけど同情している自分が大好きでそれでいて出損を伴う手助けは一切しない。
貸しがあったり自分と利害関係(親とか含む)にある人だけが手を差し伸べてくれる。
今作の場合、唯一霊夢と利害が重なったのが雛だけ、ということなんでしょうね。
しかも霊夢の不幸を啜るという方面の暗い利。
他をあたればSS内ではレミリアのおやつとして、
SS外では慧音や永琳や紫、ただし永夜抄において大妖に術の効かなかった慧音では疑問が残る。
紫は能力使って治せそうなら治す。治せなかったら速やかに代替わり何でしょうね。
無償でしてくれそうなのは永琳ぐらいのものかなあ、
彼女達は霊夢の張る博麗大結界に価値を見出していたから、治せればですが。
読んでいて非常に楽しかったです。
上記したように人の不幸は見るものであって、なるものではないですからね。
ですから災厄をばらまく存在に転化した霊夢達には、一応納得。
ただ難を言えば比喩暗喩が多すぎる、くらいですかね。
でも少なすぎると作品の趣が薄れるから、難しい塩梅なんでしょうね。
「違和感を感じる部分が多い」
「そもそも他の大物が介入してくるはず」
「正直内容は嫌い」
「でもページをめくる手が止まらない(比喩です)」
書こうと思っていたことがみな既にコメントで言及されていたことに驚き。熱いコメント欄だ…
それだけこの作品が考えさせられ、また評価が分かれるものであるということでしょうね。
根本的に物語の内容自体が嫌いなのでフリーレスにしようと思いましたが、その嫌いなはずの物語に完全に飲み込まれてしまった以上私の負けです。厄神様と巫女が辿り着くラストシーンの悪の美しさには魅了されてしまいました。
この先もまた読み返す気がします、嫌いだと言いながら。そしてその時も一気に最後まで読み、再び呆然とするのでしょう。
それはおそらく、あなたが緻密に想像を張り巡らせて描写していたからでしょう。
ただ読むだけでも、辛く、中毒のように夢中にさせられ、最後には放心してしまったのに、
想像力を以ってこれを書き上げたあなたは本当に凄い人です。
えらいダークなお話でしたが、最後まで読んでしまいました。
実に真っ黒け。
しかし、エロイなあ。そしてまた、エロスがダークの味を濃くしている。
今回、心が折れそうになりながらも最後まで読みました。
私にとっては、どこまでも不愉快で大嫌いな話でした。
鬱な話が嫌いなわけではありません。
ただこの作品に登場するキャラの何にも共感できるところがない。
なんでこの結末に至るのか、あらゆる場面で理解できない。
それぞれ言動の累積で必然的にこのような展開になったというより、この結末に至るまでの流れを遡って話が作られているかのようにさえ感じました。
しかし、作品の持つパワーと言う点では、これ以上に強い力を持つものもそうそうないと思います。
他の方のように、嫌悪感を覚えつつも思わず最後まで読んでしまった、という感覚は私にはありませんでしたが、多くの人を問答無用で引き付ける力を持っているであろうことは想像に難くありません。
その点では100点を付けようかとも思いましたが、私自身がその魅力に引き付けられなかったのでやめておきます。
客観的に評価できないのでフリーレスで失礼します。
100点をつけるのは、この作品が少しでも人目に触れてほしいから。
霊夢の気持ちがすんなりと想像できて雛が随所でエロくて、気付いたら読了していた。
最後の方の会話とか全年齢向けかと思うくらいぞくぞくしました。
鬱系にこんなに惹かれるのは初めてです。
これを書いたのはもう何年も前の話で、どういう意図を持って書いたのかは、結構忘れてしまっていて、細部については記憶にない状態です。
それでも覚えている部分について、何点かに纏めてみました。
1.限りある世界
明確に作中にこうだと表れている訳ではないのですが、この作品の幻想郷は全ての資源に限りがある、そういう設定で書いています。
山中の閉ざされた里をイメージし、その中での物資の生産には限界が生じるだろうとの考えから、まず食べものが簡単に手に入らないように設定しました。
そこから発展させ、愛、時間、労力にも限りがあるだろうと、現実の世界をある程度反映しようとしました。
生きるための糧を始めとし、愛、希望、幸福、大切なものは全て有限であり、他者とは分かち合うことができない。
希望はもちろん、絶望や怒り、激情すら留めておくこともできず、時と共に消え去り、それこそ朝の光にすらかき消されてしまう……。
2.揺れ続ける自己
キャラクターを表現する場合、性格や劇中で求めるものを一貫させ、黒なら黒、白なら白と明確にするのがわかりやすく、白が白のまま突き進む、黒が黒を貫く、黒と白の逆転がカタルシスを呼び、面白さに繋がると思います。
ところが逆に、作中の霊夢ははっきりとしたキャラクターが固まらず、ひたすら揺れ続けています。
大人と子供、博麗の巫女である役目を負った自分とただの少女である自分、人の繋がりを求める心と孤高であろうとする意思。
幾つものジレンマに対しどちらを選ぶことも出来ず、宙ぶらりんのまま身動きを取れず、最後の最後まで針は震え続けるだけで、どちらを指すこともない。
思春期というものは、幾つもの悩みを持ちながら、激情だけがあり、振り回されるだけで解決には近付くことはない。
元々思春期にそういうイメージを持っていたので、現実的な人間像に近づけようと意図して書きました。
ちなみに表現としては一つのシーンに一つの対立という形をとらず、作品の背景として対立パターンとして設定し、メインテーマではなく、底流として作品全体に散らばりパターンとして繰り返しつつ顔を出す形で書いてあります。
3.病、飢える巫女
病んだ霊夢は巫女としての役目を果たしているのか?
飢える霊夢は巫女としての役目を果たしているのか?
病み、飢え、狂い、例え四肢を失いつつあろうと、博麗の巫女として役目を果たしていれば、危機は訪れない。
博麗大結界は変わらず、異変は起こらず、厄は封じられている。
危機は何処にも起きてはいない。
肉体を持ったただの少女としての霊夢は、苦痛にあえぎ、絶望の淵におり、人としての身体は危機にあると言ってよいかも知れない。
ただ、幻想郷には危機は起きてはいない。
まだ平和なまま。
霊夢が苦しみの中にいようが、博麗の巫女の役目を捨てない以上は、何ら幻想郷全体には問題もない。
作品の解説を自分で書くのは無粋ではありますし、読み方を固定してしまうので触れずに済ませていましたが、もう古い作品ですので書くのも悪くないかと考え直し、追記として書きました。
この作品を大嫌いと言いつつ、細部にまで読み込んでくれた方がいたのが、原因ですね。
一つ一つの細部については答えることはできませんが、意図としてこういう感じが根っこにあるというのを、大体よくある突っ込みと関連がありそうなもの上に纏めてあります。
あと、よく欝作品と言われてますが、あんまりそういうのを狙って書いたつもりはありません。
全てが有限の世界で、滅びうる肉を持った人間としての霊夢が、どうのように生きるのか? それが見てみたくて、浮かぶイメージのままに書いてみたらこういう方向性になってしまいました。
それが欝と言われるなら、仕方がないことでしょうね。
蛇足ではありまずが、書かせてもらいました。
霊夢の不幸の怖いもの見たさで読み進んだ感じです
なんなのこれ。現在進行形で何かに激しくぶつかられてる気がする。
気分的には1000点でも足りない。
まあそれでも楽しめました
「違和感を感じる部分が多い」
「そもそも他の大物が介入してくるはず」
「正直内容は嫌い」
「でもページをめくる手が止まらない(比喩です)」
まさしくこの通り。
胸の奥に溜まるドロドロとしたタールのような気持ち悪さを味わいながらも、どんどん読み進めていきました。
直接関係ありませんが、登場人物の心の揺れ動きが、羅生門を彷彿とさせました。
気持ちの良い気持ち悪さを感じました
エロ目的で読んだのになんてこったい…
霊夢が苦しんでいる生活がきっちり書かれていて素晴らしかったです