「・・・私をラクトガールと呼ぶの?閉ざされた神秘と?
まぁ、否定はしないけど、代わりに質問させて欲しいわ。
あなた、どんな時も、どんな場面でも、
自分に鍵をかけたことが無い、と言い切れるのかしら。
「ふん、常に自分を解放している存在、ねぇ。
そいつ、さしずめアンラクトチャイルドってところかしらね。
そんな奴がいて、理性を持つ生命存在だったとしたら、
およそ間違いなくこの世界はそいつを中心に回っていることになるわ。
「心というものを一つの宇宙として考えるなら、
数多ある感情はそこに満ちる真空で、
生まれて消える欲望たちはそこにある星々。
これらの有り様を変えるために、心は開いたり閉じたりする。
心が開いているときこの宇宙は時を進めて、
閉じているときには止まっている。
「感情という見えない空間が蠢いて、
形にならないオモイが重なってはくっついて一つの塊になり、
そこに願いという、欲望という星を生み出す。
星の重力を定めるのは、その心を持つ生命の貪欲さ、よ。
一つの欲望を叶えるため、満足するために自分の中へ他を引き寄せる力。
「この引力は別世界の宇宙に影響を及ぼす。
別世界、そう、他人の心の事ね。
別の宇宙からの干渉を受けて、他者の宇宙には波紋が広がる。
この波紋は、真空に流れを作り、それと共に淀みを作り、
凝った場所に対応した星が生まれるわけ。連鎖する精神の波及効果ね。
「人と人との心の交感は、こういった星産みの繰り返しで構成されていると言えるわ。
開かれた心同士は、否応無く反応し惹かれ合う。
そこには、あらゆる種類の感情の鬩ぎ合いが存在する。
「募る恋心が生む波動が、相手の宇宙に対応する恋心の星を作り出し、
結果二人は結ばれる、という恋愛の関係。
嫌いな相手を憎めば、その相手もまた対応する憎悪の星を作り出し、
結果互いを仇敵と認める、という怨嗟の関係。
プラスにつけマイナスにつけ、こうした形でそれぞれの星は音も無く対消滅する。
互いを好き合う、あるいは嫌い合うという一つの法則がそれぞれの宇宙に刻まれて、
それらの元になった星は消えてなくなる。
「精神が正しく交感されていればこんな関係が生まれるわ。
でも、これが正常に行われないままで時が進むと、
オモイの欠片を原料として長く続いていく星も、その存在を終えることになる。
「願いを伝えようとしても、相手の宇宙が持つ斥力に打ち負けて届かなかったり、
それを超えて伝播されても、歪んでしまって正しく伝わらず、
その流れが対応しない形の願い星を生み出してしまったりすると、
これはとんでもない不幸の幕開けということになるわ。
感情のすれ違いなんていう生易しい表現じゃ済まない。
欲望の場違い、存在の食い違い、世界の勘違い。
「一度そうなってしまえば、どちらかに何らかの変革が起こらない限り、
それぞれの世界は狂っていく。堤は針よりも細い点穴から壊れていく。
「原料だった星の構成物、オモイの欠片。
これが枯渇することで星は終わりに近付く。
その壊れ方はいろいろで、どんな風に壊れるかは、星の持っていた重力によって変わる。
「重力が弱ければ、その願い星は白色矮星のように、
『願いを叶えられなかった』という消せないしこりを宇宙に残して爆発する。
願いを諦める事で、重い荷物を背負うことになる。
けど、このくらいなら別の願いが叶えられたときに連鎖して消える、
一時的なお邪魔虫に過ぎないわ。自然に無くなる事すらある。
「それより強い重力を持っていると、何物も残さずに木端微塵に砕け散り、
自らの宇宙に別の大きな波紋を呼ぶ。精神自体にひびが入るほどの爆発。
広がっていく宇宙が零れる穴が空きやすくなってしまう。
「さらに重力が強いと、あまりの貪欲さにオモイの形が捻じ曲がり、
そんな願いなど叶わなければいいという矛盾したオモイが形成され、
その強固な重力とオモイが拮抗する形で長く長く心に残る。
小さくて見えないけれど確実にあるトラウマ。中性子星のよう。
「そしてそれよりもなお重力、貪欲の本能が強い星の場合。
言うまでも無いわね。
諦めることも、壊れることも、捻じ曲がることもできない。
それはつまり、そのまま星が、願いの大元を為す原料を失ってもなお、
その願いを追い求めつづける、狂ったブラックホールになる。
星はもう無いのだから、例えそのまま願いが成就したとしても、
それを受けて心が満たされることは無い。
ブラックホールは願いが叶えられる事のみを凝視し、
既にそれが叶えられているということに気付かないまま、
ただただ、宇宙全てを飲み込まんばかりの勢いで他を吸い寄せ続ける。
「強すぎる欲望が、如何なるものをも巻き込んで内に取り込む。
出ずる事能わぬ、穴が在る事を遥か遠くから認識できるだけ、
一辺が空いた真っ黒な絶望の匣。
最強の歪みは、別世界の宇宙、他人の心をすら食い荒らす。
「物質的な距離を越えて、全てのものがその歪みを中心にして動くようになる。
栓を抜かれた水槽に満ちていた液体のように、
穴へ向って全てがぐるぐるぐるぐると吸い込まれていく。
「それは地獄よ。牢獄や煉獄なんて、優しい監獄とは違う。
だってその先に待っているのは無だけ。
ブラックホールは全てを吸い寄せて喰らい尽くした後に、
彼の水底の蛸の如く自らをすら食い潰し、世は無に帰す。
いえ、無何有すらも無い、今在る生命である私たちには理解できない何かだけが、
そこに延々と端から端まで広がり敷き詰められるその場。
ジエンドオブネバーエンド。終わりが終わり終わる域。
「心が開きっ放しでは、いつか必ずこの終わりがやってくる。
だって思いは必ず伝わるものじゃないから。
伝わらずに壊れてしまった世界は、
次こそは伝えたいからと以前より貪欲になる。
もう二度と壊れたくないからと、これ以上重荷を背負いたくないからと、
叶えたい願いを減らしたくないからと。
「一度、願いが伝わらないことがあれば、
その要因が自分にあれ他人にあれ、それによって自分が持っていた一つの願いが壊れる。
そう、『強く思えば、願いはきっと伝わる』という願いが。
壊れた願いを修復してもう一度、今度こそはきっとと思えば、
その願いは強くなる。でもそれが伝わらなければまた願いは壊れる。
どんどんどんどん、星の重力はその度に強くなっていく。
「そうして行き着くのが願いのブラックホールよ。
解放され、施錠することを封じた公開の心は、結局の所後悔の心にしかならない。
人一人の全ての願いを叶えてくれるほど、この生命存在世界は優しく出来ていないから。
「だから、人は己の心にときたま鍵をかける。
扉を閉ざし流れを止め、
時間が止まっている間に中身を整理するために。
「無垢な心を害毒から守り抜くために門を閉める。
欲望が強まらないように自制の力を育てる。
願いが叶えられずにできたしこりを忘れさせる。
ひびの入った部分を補修する。歪んだ願いを奥底に押しやる。
そして空いてしまった穴に他の物が吸い寄せられないように、
ちょくちょく流れの向きを変えてそれから遠ざける。
「それが当たり前の理性というものよ。
開けっ放しの心なんて、空き巣に入られるまでもなく自壊する。
髪を整えるように、爪を切り揃えるように、
散らかった部屋を、一年を過ごした学び舎を清掃するように、
心もまた綺麗に整理してあげなきゃ。当たり前、自然当然至極普通。
大した事じゃないじゃない。
「そう、誰だって同じようにやっていることよ。
私は、そんな普通の理性よりほんの少し、鍵をかけている時間が長いだけだわ。
全く、七倍程度の長さを密閉していただけで、少女密室とは言掛りも甚だしいわよ。
そんなのは二つ名でもない、ただの蔑称じゃないの。忌み名ですらないわ。
「私の二つ名?大したこと無いわよ。魔女なら当たり前、自然当然至極普通の肩書きしかない。
“中央管制塔”、七五三十五(サーティフィフス)、眠らない夢、
色遊びの電気屋、三重の偉大、アンソォシャブルブック、リーディングネイバー。
あとは、そうね。ここの主人なんかは、『先々週から再来週まで(エンドレスウィーク)』やら、
“運命に書をねだる(よんでいる)者”、ノウレッジ・グルメなんて呼んだりするわ。
「そりゃ、私はまだまだ若いわよ。たかだか百年を生きた程度なんだもの。
物語の裏側で暗躍するには五万年は早い若輩。こんな二つ名がせいぜいだわ。
だからこうして、それを五千年か五百年にまで縮めるために、
心の活動を七分の一に制限してまで知識を包含しようとしているのよ。
始まりの七日間からの全部を知るため、万物を五種類に解体するために、
他人より多めに心を閉ざしている。
「大極は問題外、両儀もまだ大雑把、三剣や四象はニアミスで、八卦や九曜じゃ細かすぎる。十戒も没だわ。
五行か七曜が、多分丁度いいのよ。六道は良さそうに見えて、ちょっとばかり不吉だから却下。
丁度いい数で、この世の普遍の不変が不偏であることを計上する。
私がやりたいのはそれなのよ。
「でまぁ、それをするために、今はただひたすら本を読んでるわけ。
だから、読み解くことのできる本が手元から一冊でも離れてしまうと、
私の作業は立ち行かなくなって、五万年が五十万年かそれ以上になっちゃうのよ。
そんなに長く待ってられないんだから、・・・って、ちょっとあなた、聴いてるの?」
「ん? はわ、聴いへふぜ。んぐむぐ、ん。
本を返せって言うんだろ。大丈夫だぜ。借りてるだけだから、いつかは返すって」
「それがいつになるかわからないから言ってるのよ。はむ。
ほのいふかっへのがひつなのか、わからはいから、んぐ、言って、ぐ、げほげほ」
「おいおい、喘息持ちが物食いながら喋るなよ。
噎せたら発作が出るだろ、実は莫迦じゃないか、お前?」
「ごほ、ゴホ・・・は、ごめ、ちょっと、おみ、ず・・・」
「ほれ飲め水だ。紅茶だが。希少品は入ってないが美味いぜ」
「ん、ごく、ん、ん・・・はー、死ぬかと思ったわ、ごほ」
「やれやれ、五百年どころか、今すぐにでも死にそうな奴だぜ。
ほんとに魔女なのか?百年も生きて来れたなんて、それが七不思議だ。
長話した後に粉っぽいもん食って噎せてるなよ。自業自得にしても業が情けない」
「ふん、そんなの・・・大きなお世話よ。それも私の領分だし」
「懲りない奴。そういや、こないだ道具屋で変わった薬を見たぜ。
こんな感じ、L字型の筒で、中に入ってる気体を吸うと喘息が治まるんだと」
「胡散臭いわね、それ。そんなもの売ってるなんて、一体どんな店なのよ」
「何だ知らないのか。知識人の割に無学だな。
ここからそう遠くないところにある、趣味人が趣味でやってる展覧会みたいな古道具屋だよ。
店主、私は店の名から取って香霖って呼んでるけど、そいつが私の古い知り合いでね」
「・・・勝手にそこのものを借りて行ったりしてるんでしょう」
「ありゃ、どうしてわかったんだ?」
「その香霖氏と、私良い友達になれる気がするわ、何故かしらね」
「まぁ、変わった奴同士なのは認めるぜ」
「反省を求めるのも馬鹿馬鹿しいくらいだわ、あなたの場合」
「振り向かないことさ」
「私は振り向く主義なのよ」
「お前は別に・・・いや、なんでもない。それじゃあそろそろ失礼するぜ」
「・・・そう、じゃあその帽子に隠した本と、あなたの家にあるここの本、
次来るときまでに全部きっちり返しておくことね」
「言ってる事おかしいぜ」
「いいから返せ」
「はいはい、それじゃあまたな。と、最後に二、三」
「何よ、黒白」
「お前の心、とっくの昔に穴が空いてるだろ。
知識を求める、求めた知識の先の知識を求める、
知るための智を識る欲望という名のブラックホール、か。
「一瞬でも開けば五年か七年は知識欲が零れ出してしまうから、
そうしてお前は宇宙の扉を鎖で雁字搦めにして、
その心の整理をするために、流れを調整するために本を読むんだ。
「そりゃお前、少女密室なんて呼ばれるわけだぜ。
歪に歪んだ歪みだ、蔑称されても仕方ないって。
だってお前、何で本を読む?」
「知るためよ」
「何で知ることを望む?」
「それが知であるがゆえ」
「何で知を求める?」「知は私。自分のことを知ろうとするのは、
「至極当然自然普通、当ッたり前のこと」だから」
「そか。じゃあさ、パチュリー・ノウレッジ。七曜の魔女さんよ。
私が本当に問いたいのはさ、これなんだ」
「・・・何よ」
「私としてはこれこそ、至極当然自然普通な疑問だと思うんだが、
「何で、世界の中心で自分以外の全てを回さないんだ?」
「―――」
「開けよ。開きっぱなしになれ。開いたままで、いいじゃん」
「―――でも、それは」
「それこそ、何の変哲も、大したことも無い、普通だぜ。
だって、私は今まで閉じたことが無い」
「―――な」
「颱風の目ってのは、楽しいもんだろ。
周りは雨がざあざあ降り続いて、時には雷も落ちて、すっごい恐い世界だけど、
中心にさえいれば、嵐なんてのは賑やかなだけの自然現象だぜ」
「―――そんな、身勝手―――」
「知らん知らん。勝手で結構。そんなこたぁ、百年生きるのが精一杯の私にゃ関係無い。
世界なんぞは、私の周りで好きに公転させときゃ良いんだよ。
私は私で自転してるんだから、さ」
「―――あなた、本当に。
やっぱり、あなたは、“爆音脱兎(ライクザスタンピード)”、なんだわ」
「それ、褒めてるか?まぁいいや、適当に喜んでおくぜ。
そうだな、きっと、アイツも閉じたことなんて無いだろうさ」
「・・・あの巫女は、開いたことが無いのよ。あれは」
「ん? なんか言ったか、今?」
「いえ、何も」
「そか。ん。じゃ、今度こそ帰るぜ。邪魔したな」
「あ、ああ、そう。じゃあね。早く本返すこと」
「へいへい! じゃあ、またなっ!」
「・・・ドアくらい開けていけ、だったっけ。
「でも、そう、そうね。私は世界を中心から回せる。
だけどそんなこと、私はしたいとは思わない、思えないことだわ。
「私たちが回すまでも無く、既に中心はいくつも在る。
あなたや、あの巫女、それに彼女もその一つ、か。
私たちは、進んでそれになることを望まない。
「私もレミィも同じだわ。
私たちがほんの一瞬空けた扉から暴れだした欲望に引き寄せられて、
あなたたちはここにやってきた。
開けっ放しにしておけば、もっと色んな何かが巻き込まれてくるでしょうね。
「でも私たちはそれを望まない。束の間でもいい、夢が見たいのね。
もう少しだけ。私が、私という絵本の扉を開くまで。
他の何かの到来より、いずれ来る終わりの旋律より。
そう。私は、私たちは、できるだけ長い間、あなたたちが居る間だけでも。
「―――本を読むよりも、あなたたちと過ごす、楽しい楽しい今に居たい―――」
この文体は、彼女に当てたらどうなるのだろうかと。
今までで一番『らしさ』が出ていた独白だったのではないでしょうか。
こういった言い回し、いかにも彼女なら使いそうです。
そしてそれを聞いている黒白へのバトンタッチの仕方も非常に上手い。
延々と綴られてきた難解な独白から、一気に身近な生活臭さを感じさせる落差が可笑しさを引き出してくれます。
地の文が苦手と仰いますが、逆に会話だけで進められるというのも十分に凄いです。私には無理無理、絶対無理。
地の文といえば、次はいよいよお待ちかねのものが出てきてくれるのでしょうか。
わくわくしながら次の作品をお待ちしています。
思いの最後を星の死に方で表現するとは面白いです。
ただ単に活動停止しての星の死滅の場合は何に当てはまるんでしょうか?
誤字かな?
「大極は問題外~十戒も没」
大極ではなく、太極ですね。
すいません真面目な感想は不得手なもので。
心を宇宙に、思いを星になぞらえる、その発想が面白いです。
しかもそれを語るのがパチュリーで、見事にハマっていて。
で、そんな彼女の講釈をあっさりと無下にしてしまう魔理沙。
この2人はこんな感じなんでしょうね。
パチュリーが何を言おうと、魔理沙は柳に風と受け流す。そんな感じ。
今回のタイトルは、トルマリンの色に関して、といった所でしょうね。
電気石→静電気→ほこり→喘息 ……というのは考えすぎか。
ひとつ、野暮なツッコミを。
ブラックホールって、一応は“天体”なので、『星はもう無い』という訳ではないんですよね。
まあ、そもそも比喩として使われているので、細かいこと突っ込むなとか言われたら終わりなんですが(汗)。
……というか、ブラックホールのあたりのくだりは難解なので、まともに読めているか不安。