「蛇足、という言葉があります。
一般に捉えられる意味では、それは不要で、余計で、無くていいはずのもの。
言い換えるなら、描写として明らかに間違っていて、
むしろどちらかといえばあってはならないもののことを指します。
本来の構成要素に付け足されたαが、
大元の形を崩してしまう、概念の贅肉とでも言うのでしょうか。
「でも、私はこの言葉が嫌いじゃない。
蛇に足が付いていたら、そりゃあちょっと奇妙に思うけれど、
それは奇妙だからこそ、素敵なもの、に思える。
そう、思うんです。
「奇妙である、おかしい、を、そのまま間違っている、と捉えるのは、
それ自体が既に間違っているようにも思えます。
まるで、自分には奇妙な、おかしいところが一切無い、と信じているようで。
そんなわけ、ないんです。
この世に在る物で不思議でないものなんて無い。
在ること自体が不思議のカタマリみたいなものです。
「でもそれなら、順逆を間違えているようで、これもまた奇妙ですが、
この世に在る物で不思議なものなんて無い、と言い換えられます。
何故なら不思議という価値があらゆるものにあるのなら、
不思議でないモノは無いというのなら、
不思議であるということを比べる対象が存在しない、ということになる。
「なべて世が1の値を持つのならば、
持たざる0と比較できないのであれば、
世は全て0であるということと何の差も無い、んです。
それは、世を一義という枷に嵌めてしまうということ。
「何を言っているのか、おわかりにならないかもしれません。
蛇足の故事は、気が急いたがゆえの間違い。
それに対して、奇妙な物が素敵な物だなんて、
思い違いも甚だしいと思われるかもしれません。
「私がこの言葉が好きな理由。
それは、私自身の存在を定義するのに、こんなに大事なお話は無い、からです。
「私は、冬を知らず、夏を知らず、秋を知らず、
春に現れ春を告げ、春の終わりに溶け消える、そのためだけの存在。
告春の妖精。小春日和。芽吹く緑風。エブリディ・グリーンディ。
「私は両手両足に加え、両の翼を背に持つ妖精です。
蟲の持つような透明の羽ではなく、鳥類の持つような真っ白で雄々しく羽ばたく翼。
時期になるとどこからともなく訪れる渡り鳥のように、
私は春になると何処とも無く発生して、ただ春を告げるために春を告げます。
「私はなぜ春を告げるのでしょう?
私はなぜ他の妖精と違う翼を持つのでしょう?
私はなぜ私のことを知らないのでしょう?
今ある春のみを知る私。いえ、昨年や、それ以前遥かに遡行した昔日の春の記憶はあるにはあるのです。
ですがそれは、『春を告げた』という一点を除くと酷く曖昧でぼやけたものに感じられ、
本当に私は毎年の春を告げているのか、私は今年初めて生まれたのではないかとまで思います。
私という妖精は一体何者なのでしょうか?
「多くの妖精は自らの成り立ちを知りません。
多くの妖怪は己の生い立ちを知りません。
多くの人間は昔日の自分を知りません。
当然のこと、だと思います。
だって、生きるものは、口の端では昔を懐かしみながらも、
その実全ての過去を憎悪しているのです。
「昔あったことは、それが昔あったこととして位置付けられているからこそ、
『今となっては良い思い出』なんて言葉で片付けられるんです。
そんなまやかし、その、それがあった昔の時に通用するものじゃないんだから。
成長進化し、新化生長することで、
もうそんなことが自分の身に起こらない、今の自分ならそんなことで困らないと、
浅はかな思い込みをそこに持っているから、
『あの時自分は馬鹿だった』なんて戯言を吐けるんです。
「私は嫌いだ、そんなの。
だってそんなのは、自分を愛していない。
自分を蔑視し軽蔑し侮蔑し侮辱し汚辱し恥辱し陵辱するような真似、
自分を愛することができていない証拠です。
「自分を愛せないような存在に、以外を愛する資格も愛さない資格もありません。
愛という概念に触れることも許されないんです。
自分を愛するというのは、愛という概念を取り扱うための基礎免許を取得するための意識です。
こんな基本の、あまりにもベーシックなマナーを、世界に生きる存在の大半が守れていない。
「でも、そんなことを言う私には過去が無い。
朧に残る昔日の像は、ただ私が春を告げていたことを教えるだけで。
フルライフメッセンジャ。無情にも冬季の終わりを知らせるもの。
冬の妖怪や妖精にとっては、私は死を告げる天使のように思われているのかもしれません。
「天使。有翼の人形。天上の意を伝えるもの。
ああ、この白き翼は、そんな別の幻想種のものなのかもしれませんね。
そう、もしかしたら、私は天使と呼ばれる幻想かもしれないと思ったこともあります。
「けど、私はこれを特に残念だと思ったことはありませんが、
私は天使なんていう上位意思存在の御手の化身、介入者の具現などではないのです。
それは、私が人間の想像、それも過ちから生まれた幻想だからです。
「精霊というものは、本来単なる現象として認識されるべき出来事を、
人間が『妖精の手によるものである』といった形で誤認し、
そういった共通認識を集団に広めていくことで発生する概念存在です。
そのうちより存在の誤認が強まり、同時に人間がその存在の具体を思い浮かべることで、
人間に認識されぬままに形而上の生命存在へと階梯を登ったものが妖精です。
「つまり。どこの誰か、いつの何者かはわかりません。
けれど、概念から幻想を形成することで、
形而の上下を左右し、具体化し、生み作り出すことができるのは、
人間という亜幻想の生命存在だけです。
ですから、いつの日かどんな場でかはわかりませんが、
とある人間が、春を告げる妖精というものの概念存在を幻想したのだということは確かです。
「ですが、この人間は、何を勘違いしたのか、その妖精が翼を持ったものと想像してしまいました。
妖精とは、元々が形而の境界を飛び出たものです。
目に見える羽を持たないブラウニィや、自重を支えられるとは思えない羽を生やすフェアリィは、
人が知らないだけで、遥か高く真空の世界まで飛んでいくことのできる妖精です。
越境者には、翼などいらないのです。物理法則の及ぶ存在ではないのです。
なのに、この告春の精は、既に持っている羽とは別の、形だけの翼を生やして想像されてしまった。
「天使は、神秘を秘めるその翼で御体を宙に舞わせます。
その翼は、頭上に輝く光輪と同様に、神の奇跡を行使するものに与えられる名誉の徴です。
天使には、翼が絶対的に必要なのです。その翼と光の輪を失えば、神の威光も失われ、
ただ堕ちいくばかりに堕天するのみ、なのです。
私は、そんな他力本願の手先とは違います。翼なんて、いらないんです。
「私は春を告げる妖精。
飾りの翼を旗のようにはためかせ、春を告げるためだけに存在する生命。
人間よ、あなたたちが産み育て顕した私のことを、知っていますか?
「きっと、誰一人として知らないのでしょう。
私を天使なんかだと思って、手を擦り合わせて拝む輩が居るくらいですから。
私は天使が嫌いです。私は天使を愛さない資格もまた持っているので、徹底的に嫌います。
あんな、追放者を更なる絶望の淵に叩き込んでおきながら、
それに気紛れで手を差し伸べて優越感を覚えるような神威の存在、
私には許容することが出来ません。例え彼らに存在することが許される世界が限られているとしても。
「だから、私は私を、私の持てる最大限の私をもって、ただ私の為に春を告げます。
私という存在が今あること、春という季節が私を存在させていることを、
私が私と以外全てを愛する証明として、賢明に懸命に告げ祝います。
この幻想の郷にある、あらゆる形で存在する生命という生命たちに、
私という生命の存在を許容するこの素晴らしい春という季節の到来を、
そしてこの季節が居座る間のみ居続ける、
私という何者とも知れぬ、だが確実に人間という存在が生んだ、不思議な隣人の存在を、
誰一人欠ける事無く必ずや知覚発見認識理解記憶祝福寵愛してもらうまで。
「私は春を告げ続けます。伝え続けます。教えつづけます。愛しつづけます。
やがて春が終わり、私の知らない、夏という久遠よりも遠い世界がやってくるまで、
春の端の端の端の端の端の端の端の端の端の端の端の端の端の端が終わりに包まれるまで、
この出会いと別れの集う四季のうち最も悲喜交々に落涙する世界を、
私が大好きな春という母を看取るまで、いつまでもいつまでも告げに告げます。
春よ、永遠なれ。春よ、永劫なれ。春よ、永年なれ。春よ、永世なれ。
春よ、無限なれ。春よ、無窮なれ。春よ、無量なれ。春よ、無償なれ。
「ああ、こんなに長く話したのは久しぶり。
昔のことなんてわからないけれど、久しぶりだと思い込めるくらい、
今の私は私を知っている私です。そんな私も、久しぶり。
久しぶりの私も、私は、私であれば大好き。
そんな風に思わせてくれるまで話を聞いてくれたあなたも、私は大好きです。
自己愛を持つ者には、全ての愛を語る資格があるのですから。
「そうだ、なんてこと。すっかり忘れてました。
こんなにずっと長く話を聴いてくれたあなたに、私はまだ、大事なことを伝えていなかった。
とっても素敵で、あなたにも私にも、きっと楽しくて、ほんの少し涙が出ちゃうこと、
教えて差し上げます。どんなことかわかります?
「ね、あなたは、気付いていますか?
「ほら、―――春が、来ましたよ」
主人公から一言のセリフも無い中ボスまで、独自の造詣でもって語られる文体に、作者様の東方世界への熱意が伝わってきます。
今回は何とか、ほんの少し、ちょっとだけ、作者様の言いたかった事が理解できたような気がする錯覚を感じたような心持なので得点を付けてみました。
御自身の仰られる『普通のSS』を楽しみに待っている身としては、心の堰に発破工作仕掛けにいきたい気持ちで一杯なのですが、こればかりは作者様の沙汰次第なのでどうすることも出来ず悶々としております。
やはり締めが最高に素敵だなあ。
終わりが良いと一層全体が締まります。いつもグダグダになる自分とは大違い。
そんな己の未熟さを痛感しつつ今回はこの辺で。
フロウレス(無傷)はいわば純粋なもの。無垢で神秘的な天使を想起させる。
しかし、エメラルドは内包物や傷があるのが一般的。無傷のものは逆に、人工石であると言える。
つまりフロウレス・エメラルド――リリーは、人の手によってつくられたもの。
まさに、『私が人間の想像、それも過ちから生まれた幻想だからです』というリリー本人の弁に符合する。
……こんな感じですか? タイトルの意味。
フルハートは分からないので無かったことにしましたが^^;
>『あの時自分は馬鹿だった』なんて戯言を吐けるんです。
今まで何度こんなこと言ってきたかなぁ。耳が痛い。多分これからも言い続けてしまうんでしょうが。
後半あたり
>春を告げるためだけに存在する生命。
ってところで、「『だけ』ってじゃあ何お前つらつら語ってるん?」とか脳内突っ込みしてしまった私はせっかちですかそうですよまったく……。リリーはちゃんと最後で春を告げてるっての自分。
自身のことを、過ちから生まれた幻想としておきながら、そんな自分を愛し、ただただ春を告げてゆくリリーの姿がとにかく素敵です。手を合わせて拝んだりなんかしたら怒られてしまうみたいですが。
そういうリリーの真っ直ぐな姿を、フルハート(誠心誠意)と言ってるのでしょうか。
いろいろ書きましたが、作者さんがこの作品で何を言わんとしているか、まだまだ理解が及んでないと自己判断していますので、今回もフリーレスで。というか、理解してないから長々とそのもどかしさを感想にぶつけている訳ですが(コラ)。