思ってみればそれは退屈な日々だった。
自分の命を脅かすものは何も無く。ただただ同じことの繰り返し。だからといってこれといって不満があったわけでもない。
与えられた平和――それが僕らの享受してきた平和であり世界だった。誰もが退屈を感じながら誰もそれを口にしない。そんな平和。
その日いつもと同じ、何も変わらない日常の1コマ、気の合う友人達と帰る下校途中のことだった。
これもまたいつもと同じ、今日の授業のこと、昨日見たテレビのこと、今度出る新しいCDのこと、本当に他愛もない会話をしながらいつもの道を帰っている途中だった。
ふと、それは突然だったのか、それとも僕が気づかなかっただけでゆっくりと変わっていたのか、気づくと僕は見知らぬ場所にいたのだ。
そこで出会ったのは今まで生きてきた世界の常識を逸脱した存在――化け物、妖怪と呼ばれるモノ。
そして……
「……紅い…月…」
ゆっくりと意識が覚醒する。
「お目覚めかしら?」
「…っ!?」
僕は『ベッド』の上で跳ね起きた。――ベッド?
気づくと僕は見知らぬ部屋、見知らぬベッドの上にいた。
「驚かせてしまったかしら?」
「……君は?」
これも今気づいたことだが、扉の前には一人の少女――この格好は…『メイド』というのだろうか、そんな格好をした少女が立っていた。
…正直、メイド服を見てちょっと驚いたのと同時に、少し感動したのは秘密だ。
「私はココ、紅魔館のメイド達を束ねるメイド長の『十六夜 咲夜』よ。そして、貴方とは少し違う『人間』よ」
少し違う『人間』? ああ、この世界の人間は僕とは違うということだろうか。呑気にもそんなことを考えてしまう。
「あ、僕の名前は…」
「貴方の名前はどうでもいいわ。それより目が醒めたのなら、すぐに来なさい。お嬢様がお呼びよ」
僕の言葉はあっさりと切り捨てられてしまう。だが、僕はその少女、十六夜咲夜と名乗った少女を見て舞い上がっしまったのかもしれない。つい余計なことまで聞こうとしてしまう。
「あ、あの、君も人間って言ったけど、僕とドコが違うって…」
瞬間、時が止まった――いや、凍った――ような感覚に捕らわれた。
「…いい? 貴方みたいな『ただの人間』はココでは食料に過ぎないの…。生きていたいならそれ以上口を開かないとこね…」
気づくと僕の前には何本ものナイフが“空中で静止”していた。
「……っ」
背筋に冷たいモノが走る。妖怪に追われた時にも味わった感覚。死への恐怖だった…
「わかったらすぐに来なさい。…黙ってね」
頷くだけで応え、扉を出ていく少女の後を急いで追う。
実は、この時すでに先の恐怖心は、またあの紅い月の少女に会えるという喜びに掻き消えていたのだが…
もつれる足を必死に動かして、僕は少女の背中を追った。
「お嬢様、件の人間を連れてまいりました」
月の光が差し込む広い一室、その奥にその少女はいた。あの時と同じ、月の光をその身に受けながら、静かに…けれど確かに…。
「ああ、ご苦労様」
少女はゆっくりとその瞳をこちらに向ける…紅く紅く…どこまでも紅い瞳だった。
参った……僕はやはりこの少女の持つ美しさに魅入られている。
「気分はどうかしら? ただの人間さん」
「え? あ…その…」
その少女の意識が僕に向けられていると思うだけで僕の思考はショートしてしまう。
この感覚は何なのだろうか?
少女は、その傍らに控えるメイドよりも遥かに絶対な死を背負っているというのに…
「…貴方、変わっているわね」
少女がその美しい紅い瞳を細めた。その変化はどのような感情によるものなのか、僕にはわからなかった。
「変わって…いる? 僕が?」
美しさに魅入られ停止していた思考を動かし、ようやく言葉を紡ぐ。
「ええ、変わっているわ…。ただの人間は私を前にしたらその顔を恐怖に歪めるものよ?」
少女はそんな疑問を僕に投げかける。
恐怖? ああ、きっとそれは死への恐怖なのだろう。実際、僕だって少女から感じる死の気配に恐怖を感じている。だが、それ以上に少女の存在に酔ってしまっているのだ。
「僕だって…君が怖いさ…。でも…」
――一瞬だった。時を凍らせたメイドですら反応できないほどの刹那――
目の前は紅い世界に包まれていた。
そして、次に気づいた時には僕はその体を壁に打ち付けられていた。
「がっっ は…っ!!」
全身が悲鳴を上げる。呼吸が一瞬止まる。骨が折れただろうか?
本能は必死に自身の危険を訴えている。
――目の前のモノは危険だ、と――
「どう? これでもまだ私にその瞳を向けられるかしら?」
少女を先程までとは比べものにならないくらいの『絶対の死』を背負っていた。
だけど、それでも僕は……
「げほっげほ…ああ…向けられる…だって、君はそんなにも…」
再度目の前に展開される紅い世界。
またその体を壁に打ち付けられる。全身から嫌な音が聞こえた。
「ごっ…が…ぁ…はぁ…」
無様に床に転がる。痛みに耐えられずもがくことしかできない。
「やっぱり人間は脆いわね…。こんなにも簡単に壊れてしまう…」
少女は僕を見下ろす。でも、僕はその瞳に見てしまっているのだ。少女の…
「じゃあ…どうして…君は…そんな、悲しい瞳をしてるのかな…?」
「!?」
少女が初めてその表情を大きく変えた。その瞳は驚きに大きく開かれている。そこから見える紅い瞳はやはり綺麗だと、こんな状況にありながらも思ってしまう。
僕は少女を初めて見た時、その存在に、美しさに魅入られた。だが、今こうして少女を前にしてわかったが、僕が少女に夢中になっているのは、決してその存在でも美しさでもなかったのだ。
そう、少女のその瞳に映る感情が、僕の心を捕らえて離さなかったのだ。
「君は…恐れられなきゃ…いけないの…かな…?」
朦朧としてきた意識で、霞み行く視界の先に少女を捉えながら…僕は少女に問い掛けた。
「―――っ!!」
その言葉にずっと沈黙していた従者が動く――よりも早く、僕の前には三度目の紅い世界が広がっていた。
だけど…その紅い世界においてもなお、僕は少女の瞳しか見ることができなかった。
――その紅い瞳に映す悲しみは、どこから来るのかな?
――誰がその悲しみを取り除いてあげられるのかな?
僕の意識はそこで終わってしまった…
広い部屋は静寂に包まれていた。
少女はゆっくりと動き出すと、倒れている『ただの人間』の傍らに立った。そして…
「お嬢様!?」
従者は自分の目を疑った。自身の主が、普段自分から血を人から搾取することのない主が、床に流れる紅い血を指ですくい取ると、その唇に運んだではないか。
「…ねぇ、咲夜……この人間は、本当に『ただの人間』だったのかしら…?」
「…………」
主に対して常に完璧で瀟洒であったその従者でも、その問いに答えることはできなかった。
主が求める解がわからなかったのだ…
「咲夜、この人間、人の里に届けてきてちょうだい」
「!? ……かしこまりました」
従者は主の言葉に一瞬驚きを隠せなかったが、すぐに主の言葉に頷いた。
倒れる人間を抱え上げると、すぐにその姿は主の前から消えた。
部屋には少女と月の光だけが残っていた。
「人間も…面白いわね…」
少女の紅い唇は、小さな微笑を浮かべていた…
後に少女は、二人の『人間』と出会い徐々に感情を変えていくが、それは残念ながら僕の知らない話である…
自分の命を脅かすものは何も無く。ただただ同じことの繰り返し。だからといってこれといって不満があったわけでもない。
与えられた平和――それが僕らの享受してきた平和であり世界だった。誰もが退屈を感じながら誰もそれを口にしない。そんな平和。
その日いつもと同じ、何も変わらない日常の1コマ、気の合う友人達と帰る下校途中のことだった。
これもまたいつもと同じ、今日の授業のこと、昨日見たテレビのこと、今度出る新しいCDのこと、本当に他愛もない会話をしながらいつもの道を帰っている途中だった。
ふと、それは突然だったのか、それとも僕が気づかなかっただけでゆっくりと変わっていたのか、気づくと僕は見知らぬ場所にいたのだ。
そこで出会ったのは今まで生きてきた世界の常識を逸脱した存在――化け物、妖怪と呼ばれるモノ。
そして……
「……紅い…月…」
ゆっくりと意識が覚醒する。
「お目覚めかしら?」
「…っ!?」
僕は『ベッド』の上で跳ね起きた。――ベッド?
気づくと僕は見知らぬ部屋、見知らぬベッドの上にいた。
「驚かせてしまったかしら?」
「……君は?」
これも今気づいたことだが、扉の前には一人の少女――この格好は…『メイド』というのだろうか、そんな格好をした少女が立っていた。
…正直、メイド服を見てちょっと驚いたのと同時に、少し感動したのは秘密だ。
「私はココ、紅魔館のメイド達を束ねるメイド長の『十六夜 咲夜』よ。そして、貴方とは少し違う『人間』よ」
少し違う『人間』? ああ、この世界の人間は僕とは違うということだろうか。呑気にもそんなことを考えてしまう。
「あ、僕の名前は…」
「貴方の名前はどうでもいいわ。それより目が醒めたのなら、すぐに来なさい。お嬢様がお呼びよ」
僕の言葉はあっさりと切り捨てられてしまう。だが、僕はその少女、十六夜咲夜と名乗った少女を見て舞い上がっしまったのかもしれない。つい余計なことまで聞こうとしてしまう。
「あ、あの、君も人間って言ったけど、僕とドコが違うって…」
瞬間、時が止まった――いや、凍った――ような感覚に捕らわれた。
「…いい? 貴方みたいな『ただの人間』はココでは食料に過ぎないの…。生きていたいならそれ以上口を開かないとこね…」
気づくと僕の前には何本ものナイフが“空中で静止”していた。
「……っ」
背筋に冷たいモノが走る。妖怪に追われた時にも味わった感覚。死への恐怖だった…
「わかったらすぐに来なさい。…黙ってね」
頷くだけで応え、扉を出ていく少女の後を急いで追う。
実は、この時すでに先の恐怖心は、またあの紅い月の少女に会えるという喜びに掻き消えていたのだが…
もつれる足を必死に動かして、僕は少女の背中を追った。
「お嬢様、件の人間を連れてまいりました」
月の光が差し込む広い一室、その奥にその少女はいた。あの時と同じ、月の光をその身に受けながら、静かに…けれど確かに…。
「ああ、ご苦労様」
少女はゆっくりとその瞳をこちらに向ける…紅く紅く…どこまでも紅い瞳だった。
参った……僕はやはりこの少女の持つ美しさに魅入られている。
「気分はどうかしら? ただの人間さん」
「え? あ…その…」
その少女の意識が僕に向けられていると思うだけで僕の思考はショートしてしまう。
この感覚は何なのだろうか?
少女は、その傍らに控えるメイドよりも遥かに絶対な死を背負っているというのに…
「…貴方、変わっているわね」
少女がその美しい紅い瞳を細めた。その変化はどのような感情によるものなのか、僕にはわからなかった。
「変わって…いる? 僕が?」
美しさに魅入られ停止していた思考を動かし、ようやく言葉を紡ぐ。
「ええ、変わっているわ…。ただの人間は私を前にしたらその顔を恐怖に歪めるものよ?」
少女はそんな疑問を僕に投げかける。
恐怖? ああ、きっとそれは死への恐怖なのだろう。実際、僕だって少女から感じる死の気配に恐怖を感じている。だが、それ以上に少女の存在に酔ってしまっているのだ。
「僕だって…君が怖いさ…。でも…」
――一瞬だった。時を凍らせたメイドですら反応できないほどの刹那――
目の前は紅い世界に包まれていた。
そして、次に気づいた時には僕はその体を壁に打ち付けられていた。
「がっっ は…っ!!」
全身が悲鳴を上げる。呼吸が一瞬止まる。骨が折れただろうか?
本能は必死に自身の危険を訴えている。
――目の前のモノは危険だ、と――
「どう? これでもまだ私にその瞳を向けられるかしら?」
少女を先程までとは比べものにならないくらいの『絶対の死』を背負っていた。
だけど、それでも僕は……
「げほっげほ…ああ…向けられる…だって、君はそんなにも…」
再度目の前に展開される紅い世界。
またその体を壁に打ち付けられる。全身から嫌な音が聞こえた。
「ごっ…が…ぁ…はぁ…」
無様に床に転がる。痛みに耐えられずもがくことしかできない。
「やっぱり人間は脆いわね…。こんなにも簡単に壊れてしまう…」
少女は僕を見下ろす。でも、僕はその瞳に見てしまっているのだ。少女の…
「じゃあ…どうして…君は…そんな、悲しい瞳をしてるのかな…?」
「!?」
少女が初めてその表情を大きく変えた。その瞳は驚きに大きく開かれている。そこから見える紅い瞳はやはり綺麗だと、こんな状況にありながらも思ってしまう。
僕は少女を初めて見た時、その存在に、美しさに魅入られた。だが、今こうして少女を前にしてわかったが、僕が少女に夢中になっているのは、決してその存在でも美しさでもなかったのだ。
そう、少女のその瞳に映る感情が、僕の心を捕らえて離さなかったのだ。
「君は…恐れられなきゃ…いけないの…かな…?」
朦朧としてきた意識で、霞み行く視界の先に少女を捉えながら…僕は少女に問い掛けた。
「―――っ!!」
その言葉にずっと沈黙していた従者が動く――よりも早く、僕の前には三度目の紅い世界が広がっていた。
だけど…その紅い世界においてもなお、僕は少女の瞳しか見ることができなかった。
――その紅い瞳に映す悲しみは、どこから来るのかな?
――誰がその悲しみを取り除いてあげられるのかな?
僕の意識はそこで終わってしまった…
広い部屋は静寂に包まれていた。
少女はゆっくりと動き出すと、倒れている『ただの人間』の傍らに立った。そして…
「お嬢様!?」
従者は自分の目を疑った。自身の主が、普段自分から血を人から搾取することのない主が、床に流れる紅い血を指ですくい取ると、その唇に運んだではないか。
「…ねぇ、咲夜……この人間は、本当に『ただの人間』だったのかしら…?」
「…………」
主に対して常に完璧で瀟洒であったその従者でも、その問いに答えることはできなかった。
主が求める解がわからなかったのだ…
「咲夜、この人間、人の里に届けてきてちょうだい」
「!? ……かしこまりました」
従者は主の言葉に一瞬驚きを隠せなかったが、すぐに主の言葉に頷いた。
倒れる人間を抱え上げると、すぐにその姿は主の前から消えた。
部屋には少女と月の光だけが残っていた。
「人間も…面白いわね…」
少女の紅い唇は、小さな微笑を浮かべていた…
後に少女は、二人の『人間』と出会い徐々に感情を変えていくが、それは残念ながら僕の知らない話である…