門番の仕事は中々に大変だ。
こんな湖の中心にある建物になんて客は滅多に訪れないと思うのだが、最近はなんだか無制限にとりとめもなく訪れる。
許可された人間は紅白だけなので他を撃退しようとするのだが、これが難しい。
力の次元、レベルが違う相手ばっかりなのだ。
一介の門番には荷が重すぎる。
「昔は楽だったなあ」
思わず溜息が出た。
門番として最近のスコアは、悩まざるを得ないものだった。
紅魔館の実質的な顔役、最強メイドだって彼らを止められないのだから、叱られることはない。
けれど、いままで防御率アベレージ90%以上だったのが、急下降するのは自分でも悲しい。
これは給料とか報酬の問題ではない、誇りの問題だった。
「向いてないのかなあ」
いじいじと、いじけてみる。
小枝を持って地面をつつく。
「考えてみれば、館のお嬢様とはそりが合わないのよね。私は氣を使うから、どっちかっていうと陽側の人間なのに、お嬢様は夜の明主そのまんまだし。いまでこそよく外によく出てるけど、昔はあれ、引きこもりだったんじゃないのかな? 顔だって見たこと少なかったし、なんだか暗かったし……」
絵をちょっと書いてみる。
デフォルメした絵の上から、牙と角を付け足した。
我ながら、なかなか上手だと思った。
「咲夜様は咲夜様で私を変な呼び名でしか呼んでくれないし。中国ってなに? 中国って。いつの間にか皆で私をそう呼んでるし。きっと、あんなこと言うから胸が小さいんだ。今度からあだ名をナイムネにしてやる――――心の中だけで」
隣にも絵をガリガリ書く。
胸だけを凹ませてみた。
――ちょっと気分が良かった。
「転職、しよっかなあ」
洩れる言葉に他意はなかった。
いや、不満はあるのだが、その大半は自分に対する負い目からくるものだ。
門番の仕事をまっとうに果たしていた時には、こんな文句は出てこなかったのだから。
思わず出てしまった、なんとはなしの考えであり、単なる戯言だったのだが――
「許可するわ」
「へ!?」
びっくりした。
振りかえると、紅魔館の顔役と支配者が揃っていた。
日傘を差した幼きデーモンロード。
レミリア・スカーレット。
その後ろに控えた時を操るメイド長。
十六夜 咲夜。
一軍どころか十軍を一度に相手にしても一蹴できる実力の持ち主。それが二人も揃っていた。
二人とも何故か笑顔だった。
「う、あ!」
慌てて足元の絵を消す。
けれど、それはちょっと遅かった。
「お給料は今日までの分を出すわ、少しだけど退職金も出してあげる。咲夜?」
「はい。今日までのねぎらいを込めました」
従者は後ろから袋を取り出し、放り投げる。
「え、はい」
とんとん拍子に進む話について行けず、反射的に受け取る。
中身を覗いてみると、そこには『ぐっばい、中国』と下手くそな文字で書かれた紙だけがあった。
「あの、これ……」
「文句は、無いわよね?」
メイド長は腕を組み、微笑みながら睨んでた。
半眼ではなく、殺意を込めた視線だった。
その視線の先が胸あたりに注がれていた気がするのは、果たして本当に気のせいなのだろうか?
「えと、えと……」
右往左往する。
どっかでこんなダンスを見たなあ、などと自分で思った。
助けはどこにもありはしない。
「……あ、あの、ひょっとして、怒ってます?」
恐る恐る聞いてみた。
「…………」
笑顔のまま、咲夜はナイフを取り出した。
「…………」
笑顔のまま、レミリアは紅い光を身に纏った。
戦闘開始直前。
絶体絶命のピンチだった。
「「ひょっとして……?」」
従者と主の声が重なった。
「そんな言葉は要らないわよ? というよりも言葉自体が必要なくなるわよ?」
「『運命』も『時間』も貴女の敵。避けられるかしら? 生き残れるかしら?」
――ギン、と空気が凍った。
世界が震え、あり方を変える。
「「死ね」」
地面が爆ぜた。
土砂が壁となって押し寄せる。
輝くナイフが幾千と飛翔し、紅い光弾が幾万と弾け飛ぶ。
絢爛豪華な弾幕が、視界いっぱいに広がっていた。
――記憶してるのは、そこまでだった。
+++
「うう、酷い」
杖に体重を乗せながら、どうにかこうにか歩いていた。
何故、どうやってここにいるのかは分からなかった。
余りにも凄まじい弾幕が、記憶を一時的に消去してしまったらしい。
命だけは助かった。
だが、生きてるって素晴らしい、とはとても思えなかった。
全身が隅無く痛い。痛くない箇所がない。
常人よりもかなり頑丈な自信はあるが、その耐久限界一歩手前だった。
自機が一つだけでボムを使い切った状態だ。
怖くて逃げる事しか考えられない。
「これからどうしよう……」
中国は、
「こほんっ!」
いや、紅 美鈴(ホン・メイリン)は、箱入り娘ならぬ門入り娘だった。
日々毎日、24時間年中無休、盆も正月も土日も平日も無く門番をしてたのだ。
世の情勢に疎くなるのは当然だった。
精々が紅魔館周辺を飛び回っていた程度だ。
「うう、これからどうしよう」
呟く言葉もかすれていた。
えっちらおっちら身体を前に進ませるだけで精一杯だ。
横手に湖を見ながら、当ても無く歩いてた。
世間の冷たさが身に滲みる。
湖から吹く風がやたらと寒いのは、本当に気のせいなのか。
「お嬢様のばか。咲夜様のナイムネ……」
こんな時でも様付けしてしまうあたり、本格的に門番根性が抜けてない。
言った直後に周囲を見渡してしまうのも、ナイフやら光弾が飛んでくるのを恐れているからだった。
「あ――」
だから、チルノが蛙を凍らせてる現場に立ち会ったのは、まったくの偶然だった。
「む~」
チルノは湖の近くにしゃがみ込み、凍ったまま蘇生しない蛙を不機嫌そうに睨んでた。
蛙を凍らせてから生き返らせる、この遊びを教えたのは彼女だった。
どこかの本によると、それは『こーるどすりーぷ』と呼ばれるものらしい。
冬眠を強制的にさせる技術だ。
氷の中に閉じ込めているのに、それが『生きている』。
氷精であるチルノがこの遊び――チルノ本人に言わせれば実験――に夢中なるのも無理の無いことだった。
ちなみに、最終目的が紅魔館の門番を強制的に『こーるどすりーぷ』させることなのは、極秘で秘密だ。
「チルノ……」
「ん? あ、中国!」
冷たく尖っていた顔に、笑顔が広がった。
ものも言わずに突っ込んで抱きつく。
「わっと」
疲れきった身体には辛いものがあるが、それでも何とか踏ん張った。
頭を撫でながらも、一応、いつもの注意をする。
「あのねチルノ、私は中国じゃなくて紅 美鈴っていう立派な……」
「どうしたの中国、こんな時間に? いつもだったら門番ばっかりで遊んでくれないのに珍しいじゃない」
「あの、私は……」
「それとも中国、遊びに来たてくれた? ちょっと待っててね、今日こそは蛙を上手く凍らせて中国もずっと一緒にいれるようにするから!」
「えあ? え?」
「門番なんか気にしなくていいようにするんだから、明日も明後日も、ずっとずっと傍にいられるんだよ!」
「あ……」
その一言。
『門番なんか気にしなくていい』――その言葉に、彼女は自分でも意外なくらい落ち込んだ。
中国と呼ばれてることも吹き飛んだ。
(私、もう門番じゃないんだ)
首になったのだ。
当たり前といえば当たり前の事実なのだが、なんだか、今初めて気づいた心地だった。
ずーん、と両肩に漬物石を置かれた。
あらためて心の中に寒風が吹き荒ぶ。
「あれ、ねえ、中国?」
唐突に暗くなった彼女に、チルノは焦った。
何か言ってはいけないことを言ったのだろうか?
「ご、ごめん。冷凍は嫌だった? 本番はちゃんと不凍液も中国に流し込むから大丈夫だと思うんだけど。HPたんぱく質の方が好みなの?」
ちなみに、不凍液を血液中に入れれば普通に死ぬ。
HPたんぱく質は熊やリスが持ってる冬眠するための物質だ。
なぜチルノがそんなことを知っているのかは永遠の謎である。
「ううん、違う。あのね……」
チルノの話を良く聞かないまま、彼女は事情を話し出した。
彼女がチルノの言葉を正確に把握しなかったのは、二人の友情にとって幸いだ。
単純化した、彼女にとっての事実を説明する。
「地面に落書きしてたら、後ろからお嬢様と咲夜様が攻撃してきて、首を宣言されたのよ。その後、何を言っても聞いてくれなくて、そのまま、放り出されて……」
目じりを袖で拭う。
もちろん、涙は流れてない。
彼女にしてみれば、自分の悔しさを表現したにすぎなかった。
特に何かを考えての行動ではなく、その場のノリというやつだ。
「そう――」
チルノをけしかけるとか、そういった事を考えてはいなかった。
眦を吊り上げ、怖い顔をしながらチルノが考え込んでいるのも、だから、彼女の意図したものではない。
「私、どうしたらいいんだろ……」
「んー、わたしとしてはずっとここにいて欲しいけど」
彼女は首を左右に振った。
「出来れば、何かの仕事をしていたいの。チルノには悪いんだけど」
「そうなんだよね、もう」
溜息が吐き出された。
「んー、それならさ。博麗神社に行けばいいんじゃない?」
「え、なんで?」
「うん。あそこは色々な人が来るから、きっと、職探しもしやすいと思うの」
「へえ」
思わず感心してしまった。
世間を知らないということは、やはり、何かと不利に働くのだろう。
博麗霊夢のもとに色々な人間が集まっていることは知っていた。紅魔館のお嬢様自身が足繁く通っているのだ。
けれど、職探しまでできるとは思ってもみなかった。
「うん、チルノ、ありがとう! 早速、行ってみるわね!」
「いってらっしゃ~い」
その場で手を振る。
楽しそうに宙を飛ぶ中国に、先ほどまでの悲しみは微塵も無かった。
そのことに満足しつつ、チルノは湖の中心を睨んだ。
「さて、と――」
+++
かなり軽くなった足取りで、彼女は博麗神社に向かった。
どこにも行き場がなかったのが、仮とはいえ当てが出来たのだ。
心も身体も軽くなる。
「すみませーん!」
鳥居をくぐり、大声で呼びかけた。
年期の入った、別の言い方をすればボロボロな神社は、黙ったまま何の返事もよこさなかった。
「あれ……?」
人の気配は、まるで無かった。
「留守、なのかな」
見渡してみても風が吹いているだけだった。
これは困った。
太陽は赤味を帯び、夕暮れが近づこうとしているのだ。
住み込みOKの好条件が、そう簡単に見つかるとも思ってはいないが、せめて今日の泊まる場所くらいは決めておきたい。その為にも早く職を捜さなければならないのに、肝心の主がいないのでは仕方がない。
「どうしよ」
神社の建物内に入って待つのは却下だった。
ここにいても分かるほど、とんでもない力の持ち主がいる。
恐らくは博麗神社のご神体か何かなのだろうが、それとマンツーマンで対面するのは勘弁して欲しかった。
「うー、うー」と悩みながらウロウロしてみる。
葉っぱの一つも落ちていない玉石の上を歩いた。
閑散とした庭をなんとなく歩いてみる。
独特の趣きを持つ所だな、などと思った。
神域に指定された場所は、特有の気配を纏うものだ。
神住まう、汚濁とは隔絶した世界であると印象付ける。
「ん……?」
絵馬を張る板。
そこに奇妙なものが張られていた。
買うものも祈るものも少ないからだろう、板はかなり閑散とし、空いた場所が広い。
その広さを利用して、こう書かれた紙が張られていたのだ。
『従業員募集!
明るく楽しい職場で、貴女も一緒に働きませんか?
高収入・住み込み可。経験者優遇。
初心者でも優しく丁寧な指導によって、あっという間に一人前です』
「へえ、いいなあ、これ」
思わず呟いた。
神社に張るべきものではないという気もしたが、興味を持った。
これこそ彼女が待ち望んだ職場だったのだ。
何をするのか、具体的なことがまったく書かれていない点が少しばかり不審だが、いままでに比べたらどんなものだって大丈夫だろう。
最悪を経験すれは、どんな場所だって天国に見える。
「えーと、連絡先は……」
『興味のある方は紅魔館・十六夜咲夜まで、どうぞお気軽に!』
「…………」
意識が凍った。
もう一度、最初から読み直してみる。
壮大な冗談なのかと疑った。
「明るく楽しい? 高収入? 優しく丁寧?」
牢獄のように暗く、沈鬱だったあの元職場のことだろうか?
職務中にくしゃみをしたのメイドが、妹様の『遊び相手』を命じられていた。
皿を割ると、膝の皿も割られるともっぱらの噂だった。
あと、丁寧な指導とは、ナイフ片手に成されるものだったのだろうか?
住み込み可とは、あの逃亡防止施設のことだろうか?
「…………」
ちょっと裏返してみる。
そこにはごく小さな文字で、こう書かれていた。
『注・たまに貧血になったり、出血したり、実験対象になるけど大丈夫♪』
「大丈夫じゃないーーー!!!」
思わず叫んだ。
すぐさまビリビリに破いておく。
こんな情報は、張ってあるだけで有害だった。
「う~」
その後、捜し続けてみるが、碌なものがなかった。
最悪かと思っていたが、実はそこそこ楽な環境だったのかもと、思い直したくらいだ。
たとえば――
『騒霊三姉妹のマネージャー――注意事項・演奏を聞くと死ぬかも』
『八雲家、橙の遊び相手――雇用条件・橙の式神になること。失敗したらゴメン』
『冥界は白玉楼のメイド――雇用条件・痛くない、すぐ終る。これで貴女も白玉楼の仲間入り! 大丈夫、私に斬れないものはほとんど無い!』
「……幻想郷って、命の危険がないと、働けないんだっけ?」
思わずそう言ってしまうくらい、とんでもなかった。
最初のは、命の危険。
次のは、おもちゃと化すor死。
最後のに至っては、死亡が雇用条件だった。
彼女は自分がワガママな人間だとは思ってないが、それでもここに張られているものは全て願い下げだった。
生きるために働くのだ。
働くために死ぬのは本末転倒だった。
「…………」
端から端まで確認してみるが、どれも大同小異。
甘言を弄した悪魔の契約書が、所狭しと張られているだけだ。
見直すたびに、希望がしぼんでいくのが理解できた。
太陽はもう沈んでいた。
暗闇の中、虫たちが楽曲を奏でる。
光源がない夜は予想以上に暗い。
星明りも月明かりも役には立たない。手元を見ることにさえ不自由する。
彼女は、自分が幽霊になった心地だった。
『ひゅ~どろどろ』という擬音がよく似合う。
火の玉の二つ三つでも浮かべれば完璧だろう。
博麗神社に、新たな幽霊が住み着くことになる。
頭を板につき、黙ったまま固まっていた。
神も仏もあるものか、世は無常、情けは人のためならず現代版――などとブツブツ呟く。
後ろから玉石を弾き、足音が聞こえた。
誰かが近づいてきてるのだ。
しかし、そんなことには注意は向かず、意識は暗いまま、絶望の淵を綱渡りしていた。
和紙に包まれた光――提灯が後方で揺れていた。
「♪~♪♪~~♪」
音が聞こえた。
曲を口ずさんでいるのだ。
なぜか銭形平次のテーマだった。
「あれ?」
不思議そうな声が聞こえた。
「えーと、あんた誰?」
彼女は、後ろへ振り向いた。
首だけ向けたので、かなり怖い有様だ。
「うわ!」
「…………」
幽霊、妖怪なんでもござれの彼女――博麗霊夢にとってもやはり怖かった。
想像してみて欲しい。
夜、家に帰り、ふと庭を見ると、黙って突っ立ってる人がいた。しかも、知り合い。
普通は引く。もしくは警察に電話する。
霊夢も引いた。引きながらも、反射的に懐の御札を掴むあたりは、やはりプロだった。
「あんた、ひょっとして中国!?」
訝しみながら聞く。
霊夢の知っている彼女は、暗さとは無縁な女である筈だった。
あまりの違いに、思わず名を尋ねたのだ。
「…………」
彼女は、ゆっくりと首を振った。
自分の尊厳を賭けて。何よりも優先して。
「私、そんな名前じゃ、ないよう……」
紅魔館も幻想郷も、(端で見ている分には)とても面白そうな所に見えました。
続きも期待してます。
でも、なぜだろう。弄繰り回されている中国が凄く好き。
最後が良いですね。基本だけど、こういうの大好きです。
なんというか、尊厳までいきますか、と。…中国ならいくか(笑)。
っていうか最近中国が一段と惨めになったのは気のせいですか?
レミリア嬢に負の方向へ運命弄られてるんじゃ・・・暇つぶし程度に(ぁ
中国ネタ大好きなので、今後が気になるところです。
>恐らくは博麗神社のご神体か何かなのだろうが、それとマンツーマンで対面するのは勘弁して欲しかった。
今更過ぎますが、これ魅魔様だったんでしょうかw