「……鳴かぬなら」
「鳴かぬなら?」
「……食べてしまおう、不如帰」
「幽々子様、それは危ないです」
「妖夢、好き嫌いは駄目よ」
「みょん」
「それに、どうでも良いわそんな物、よりは安全でしょう?」
「まぁ、確かに」
目が覚めた。
……なんだか、みょんな夢だった。
「……っあ―」
体を起こす。
まだ朝早いと言うのに、もう日が高く昇っている。
ここ白玉楼にも、夏が来たようだ。
狂ったように咲いていた桜も、今では葉を咲かせ、春とは違った趣深さを見せていた。
……それにしても。
「季節(とき)の経つのは、本当に速いな…」
宴会の片付けに勤しんでいたあの日が、昨日の事の様に思い起こされる。
思い起こされると言うことは、それだけその記憶が鮮明だと言う事らしい。
鮮明と言う事は、それだけ新しい事、つまり最近の事となる。
と言う事は。
「やはり、時の経つのは、本当に速いな…」
やはり、ここに落ち着くわけだ。
妖夢は、考えていた。
何故、刻は時に非情なのだろう。
忘れたくない事を思い出に変化させ、やがて風化させてしまう。
いつまでも続けば良いと思うことに、不意に終焉を告げてしまう。
何故だろう。
顔を洗っても、着替えても、その疑問が頭から離れない。
そこで、幽々子に思い切って訊いてみた。
「―何で桜はこんなに潔く散るのでしょうか?」
妖夢の焼き魚に伸びようとしていた幽々子の箸が、ぴたりと止まる。
ただそれだけの問いで、幽々子は全てを理解した。
―時の流れは速い。
人はその流れを悲しいと思い、美しいと思うのに。
桜はその流れに逆らわない。
その速さは、言うなれば非情。
その非情に逆らわない桜が、不思議なのだろう。
「そうね、時に則する物が『むじょう』だからじゃない?」
「……と言いますと?」
対する妖夢は、それでは理解できないらしい。
「桜は散るだけなの。そこにはそれ以外の何も無い。
でも私たちにとっては、散ると言う事は、即ち失われると言う事。
始まりがある以上は終わりもあるのだから、
何者も、それから逃れる事は出来ない。
それを宿命と感じ、人は『無常』の悲しさと読み、また『無上』の美しさと詠んだ」
「―つまりあれだ。
『散ればこそいとど桜はめでたけれ
憂き世になにか久しかるべき』
って事だろ?」
「ええ。美しい物を生み出すための『無情』さ……と言ったところかしら?
……この魚はあげないわよ」
「もう朝飯は済ませた。今何時だと思ってるんだ?」
「「…辰二ツ」」
「おっ、正解だぜ」
「と言うか、何で貴女がここにいるんだ」
妖夢が声を向けた先には縁側。
「おはよう。涼みに来たんだ。ここはいつも涼しくて良いな」
そして魔理沙が、そこに座っている。
あの冬の一件以来、彼女はここにちょくちょく来るようになっていた。
「『生』の暑さが無いだけよ。顕界だって本当はこのぐらい涼しいのよ」
「ああ、そうだろうさ。でも顕界にゃ『心』の熱さがあるからな、冬は暖かいぜ」
年中“寒い”のはご免だ、と笑う魔理沙。
「ま、そう言う話は冬が来てからするとして。ちょっと頼みがあるんだ」
「……何?」
「この涼しさを、少しばかり顕界に分けてくれないかい?」
「私に顕界へ出ろ…と?」
「ああ。今夜百物語をやるんだ。
もちろん、ただ来てくれ、ってんじゃあないぜ。
滅多にお目にかかれない代物を持って来た。
……飯食い終わったら見せてやる」
「なんだ、今見せてくれるものかと…」
「『ながら』は禁止!学校で教わらなかったか?」
「は~い」
(学校なんて、あったっけ?)
妖夢は思ったが、口に出さなかったのは言うまでも無い。
「これね……」
「ああ。お前なら吹けると思ったんだが…雅楽やってたっけ?」
朝食を済ませ、食器を妖夢に片付けさせている間に、幽々子は魔理沙が持って来た
“滅多にお目にかかれない代物”
を見せてもらっていた。
「一応一通りは、ね」
横笛である。
しかも、ただの横笛ではない。
手に取った幽々子の眼の色が変わったことでも、それは明らかだった。
「って、これ、葉双(はふたつ)じゃない。本当に!?」
「香霖の所に置いてあった物を、タダ同然で買ったんだ。別に構わない。
……葉双?」
「天下に並び無きと言われる程の名器よ」
「へぇ、そんな物を私はタダ同然で買ったわけだ。
…さすが私」
「名器なだけじゃなくて、曰く付きでもあるんだけど」
「ほぉ?」
「その昔、管弦の仙と言われた男が、
鬼と交換して手に入れた笛と伝えられているわ」
「鬼の笛ってことか…」
「顕界の物とは思えないほど美しい音を奏でると言う話よ」
「吹いて見せてくれないか?」
「先約が入ってるんだけど、それが終わってからでいいかしら?」
「先約?」
「……妖夢(あの子)、剣術もやれってうるさいのよ」
「ふーん……」
ニヤリと笑う魔理沙。
スカートに手を突っ込み、中から竹刀袋を取り出した。
長さは1m弱。大脇差程度である。
「何それ?」
「あの化け物桜から作った木刀だ」
「いつの間に?」
「宴会のどさくさに紛れて。
あ、まだ出すなよ。その竹刀袋、妖気を抑える為の物だから」
「何の為に作ったのよ、こんな物」
「……ツッコミ用」
「きつ過ぎよ」
幽々子は微笑んだ。
「幽々子様、今日は約束の日ですよ」
「ええ、そうね」
「やけに素直ですね…」
「私はいつも素直よ」
「自分の気持ちに、でしょう?」
魔理沙は屋根に上っているので、
そのやり取りの声のみが届いている。
彼女はそれをニヤニヤ笑いながら聞いていた。
幽々子の手には、あの竹刀袋が握られているのだ。
「さて…」
「な、何ですかその、禍々しさがにじみ出ている木刀は」
「借り物よ、彼女からの」
「そんな物、何に使うんですか」
「ツッコミ用だそうよ」
「そんな物でぶっ叩かれたらいくら私でも死にますってば」
「……行くわよ」
「あの、教えるのは私なのですが」
「右が甘いわよ、妖夢!」
「げふっ!」
「左も甘いわよ、妖夢!」
「がはっ!」
「正面は大甘よ、妖夢!」
「ぐはっ!」
「取った!」
「いやいや、妖夢」
「こ……蒟蒻!?」
「暖簾に腕押し、豆腐に鎹、蒟蒻に楼観剣」
「それは…楼観剣じゃなくて斬鉄剣で…」
「まだまだ鍛錬が足りないわね」
そんな感じで四半時。
竹刀袋を片手に、涼しい顔で幽々子が出てくる。
それから少し経ち、
顔やら腕やらを人魂にぺたぺた湿布されながら妖夢が出てきた。
どうやら、散々にやられたようだ。
「……幽々子様が強いのは良いんだけど、なんか納得いかない」
「蒟蒻、斬れないのか」
「うん」
屋根に腰掛けているのを妖夢に咎められ、縁側に降りて来た魔理沙。
妖夢の“斬れぬ物”を一つ見つけてしたり顔だ。
「まぁ、蒟蒻を切るのは包丁の役目だしな」
「ふぅ~、たまにはこう言う稽古も良い物ね」
「稽古になってませんって」
「妖夢いじりの稽古よ」
「…みょん…」
「さて、葉双の音色でも聞きながら夏を感じましょうか…」
そう言うと幽々子は、葉双を口に当てた。
「世になき程の笛なり」……
この世の物では無いとまで言われるその音色が、白玉楼を通り抜けていく。
魔理沙と妖夢は言うに及ばず、
咲き乱れる葉の緑も、輪廻を待つ魂も、
その音色に感応し、静かに耳を傾けている。
しかもその音色は、顕界にまで届いていた。
「……?」
その音色に、藍は家事の手を止め振り向いた。
「どうしたの藍?」
「笛です」
「笛?」
「誰かが笛を吹いているんです。ほら、紫様も聞こえるでしょう?」
「あら、本当ね」
「涼しくて、澄んだ音色ですね」
「彼女、葉双なんて持っていたんだ…」
「何ですか、葉双って」
「天下に並ぶ物無きと言われる笛でね……」
「……あ」
その音色に、フランドールは本を読む手を止めた。
「妹様?」
「…聞こえない?」
「何が……あら、笛の音」
「誰が吹いているんだろう…」
「暑さを忘れる音色ね…」
レミリアが入って来た。
「あ、レミィじゃない。どうしたの?」
「お茶が入ったわよ。皆で飲みましょう」
「珍しいわね、貴女がそうやって呼びに来るなんて」
「今ね、咲夜、怖い話を必死になって考えてるの」
「ああ、百物語がどうとか、魔理沙が言ってたわね」
「今夜なのよ。ちょっと留守にするけど、留守番頼んで良いかしら?」
「ええ、良いわよ」
そう言うと、二人はまた笛の音に耳を傾けた。
その音色に、年中暇人な巫女は空を見上げた。
「誰かしら、笛を吹いてるのは」
「…葉双だな。平安時代の名器の音色をこんなとこで拝めようとは…」
「こんなとことは失礼ね。…誰あんた」
「誰とはご挨拶だな。覚えてないか?」
「覚えてるわよ。北白河ちゆり。パイプ椅子が必殺武器、だったかしら?」
「で、そんなパイプ椅子女が何の用だ、と?」
「ちょっと立ち寄ったんだ、って?」
「あー……お楽しみの所悪いが、ちょっと静かにしてくれないかな?」
「魅魔…」
「こんな良い笛の音、そうそう聞けたものじゃないだろう?」
「そうね」
「そうだな」
「…なんで私だけ台詞一つなの…?」
曲が終わるまでの短い時間ではあったが、幻想郷全体の時が止まった。
全てが、笛の音を聞いていた。
「いやぁ、良い物聞かせて貰ったぜ。ご馳走様」
「お粗末様。でも、この季節の風鈴には敵わないわ」
「最近知ったんだよ。こう言う時にも『ご馳走様』って使えるのな」
「へぇ…」
魔理沙の言葉に、妖夢は素直に感心していた。
「…さて、私は一旦戻る事にするぜ。
今夜……そうだな、亥の刻あたりに博麗神社に来てくれれば分かるから」
そう言って、立ち上がる。
「ええ、分かったわ」
「じゃ、頼むぜ」
右手を挙げて、魔理沙は去って行った。
「……あら」
「どうしたんですか?」
「彼女、木刀を忘れて行ったわ」
言いながら、小さくニヤリと笑う。
「……さ、道場に戻るわよ」
「え、またやるんですか?」
「ええ、妖夢いじりの稽古をね」
「それは勘弁してくださいよ~…」
この少し後、今度は妖夢の叫び声が聞こえたとか、聞こえなかったとか。
「夏の夜、防暑、百物語」の前にはこんな密談があったのですね。いかにも自身が楽しむためなら努力を惜しまない魔理沙らしい裏話、前挿話でした。
あと妖夢が良いです。初っ端の寝起きからやられてしまいました。ああもうみょんは可愛いなあこんちくしょう。自分にはみょんの何たるかがまだ掴めておらず上手く使いこなせません。
このくらい可愛気のある妖夢が書きたい……書けない……。・゚・(つД`)・゚・。
同時刻の場所・視点を変えた描写の重ね方が秀逸でした。
所変われば聞く者も違う、されど響く音そして感じる心は皆同じ。
幻想郷に響く古の音色、堪能させて頂きました。
ってことで、ご馳走様でした。
……言葉遊びは難しい(ぉぃ)。
ゆゆ様が横笛。その出で立ちを想像すると妙にハマってますね。さすがはお嬢様、と言うべきか。
私もその音色を、耳を澄まして聴きたいものです。え? なら白玉楼に逝けって? みょんがいるならそれもいいなぁ(マテ)。