『邂逅』
時は夜。
魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)し、人のものではなくなる時間。
魔法の森の近くにたたずむ『香霖堂』の店主、森近霖之助は、朝から不機嫌だった。
目が覚めた途端に足がつったり、気分を入れ替えようと高いお茶を出して淹れたはいいものの、いざ飲む時になって湯呑みが真っ二つに割れて、折角のお茶と服が台無しになったり、等々・・・・・・散々な目にあったことを挙げ始めれば、きりがなかった。
勿論、純粋なお客が来れば、霖之助も商売人の端くれ、不機嫌さを感じさせずに対応しただろう。
だが、この日来たのは、客でもない霊夢と魔理沙の二人だけだった。
客ではない二人は霖之助の不機嫌な対応などまったく気にせず、勝手に上がって勝手にお茶を飲み、店の中で多少の騒動を起こした。すなわち――商品を勝手に使って、挙句に暴走させたのだ。被害は店の扉(半壊)と壁や棚に細かい傷、暴走させた商品や巻き添えをくらった置物等、数点。
怒る霖之助をよそに、二人は払う気もないであろう『ツケ』で帰っていった。
霖之助は今日、己の身に降りかかった出来事を思い返し、厄日だ、と真剣に思った。今まで霊夢達が持ってきた騒動が生易しく思える程に。
「・・・・・・今日は早めに店じまいするか・・・・・・」
椅子に座ったままの状態で、店内の惨状を見渡しながら、霖之助はポツリと呟く。
店じまいをしたところで、やることなど修復くらいしかない。だが、それをしなければ、自分以外には誰も――霊夢と魔理沙は絶対にしない。これは確信を持って言えることだ――修理などしない。そういうものだ。
結局、二人が巻き起こす騒動の煽りをくらい、損をするのは霖之助だけなのだ。損得勘定で言えば、圧倒的な程に『損』の方が多いだろう。
「今日はゆっくりと読書をしたかったんだがな」
愚痴ったところでどうしようもない。が、愚痴らなければやってられない。
霖之助は大きなため息を漏らし、やれやれ、と呟きながら椅子から立ち上がりかけて、
「・・・・・・ん?」
ふと、窓の外の月に目がいった。
――紅い、紅い満月が、空に浮かんでいた。
それを見て、霖之助は何故か、懐かしそうにゆっくりと目を細めた。
「紅い月、か・・・・・・確か、前に妙な霧が出た時も、空にはこんな月が浮かんでたけど・・・・・・」
こんなに似たものをまた見ることになるとはね、と霖之助は呟いた。勿論それは独り言だったのだが、
「似たもの?」
唐突に、入り口のほうから聞こえてきた少女の声に、霖之助は慌てふためき、はずみで立ち上がりかけてた椅子から、派手な音をたてて転んだ。ついでに、微かに鈍い音がしたのも付け加えておく。
「いっ・・・・・・」
「大丈夫?」
「え、ええ、大丈夫です」
客――かどうかは現時点では不明だが――の手前、霖之助はそう言ったものの、実は弁慶の泣き所を机の角で思いっきり打ち付けていた。鈍い音の正体はこれである。
しかしそれよりも、この店内の惨状を見られたら困る。その一心で、霖之助は体勢を立て直した。
涙目になりそうなのを必死にこらえて、
「申し訳ありませんが、今日はもう店じま・・・・・・」
「・・・・・・随分とアバンギャルドな店内ね」
霖之助が言い切る前に、少女は既に店内に入っていた。
見られた。霖之助は舌打ちして、早く修復に取り掛からなかった自分を呪った。
・・・・・・まあ、本来なら半壊の扉を見た時点で気づかれそうなのだが、そのことは霖之助の頭にはなかった。
とりあえず、平静を装って――遅いような気もするが――霖之助は、店内に入ってきている少女に言った。
「申し訳ありませんが、今日はもう店じまいをしようと思っていましたので、また日を改めて、来店していただけませんか?」
対する少女は、微笑みを浮かべた。
「ああ、いいのよ。とりあえず話が聞ければ、それでいいのだし」
その言葉に、霖之助は首を傾げる。少なくとも、初対面の少女に話すようなことなど何も無い。品物の仕入先等に関しても、大部分の物が、明確な解答が出来ないし、目の前の少女は、商売人にはまったく見えない。
と、そこでようやく、霖之助は少女の姿を見て、わずかに眉をひそめた。どこかで見覚えがあったような気がしたからだ。
数秒、考えてみたものの、答えが出なかったので、既視感、と結論付けて、それ以上考えないようにした。
それよりも、と霖之助は思う。
「申し訳ありませんが、お話、とは?」
首を傾げている霖之助に、少女は微笑んだまま、
「貴方の昔が聞きたいの」
「・・・・・・は?」
少女の言葉に、霖之助は思わず素っ頓狂な声を上げた。そして首を振る。
考えるまでもなかった。初対面の少女相手に話せるような過去など持ち合わせていないからだ。
「いくらお客様とはいえ、お教えするわけにはいきませんよ」
勿論答える気はなかったのだが、次の言葉が、霖之助の表情を一変させた。
「駄目かしら?スペードのジャックさん」
その言葉を聞いた瞬間、霖之助は得体の知れない『何か』が背筋を這うのを感じて、ほぼ無意識のうちに左手を腰にもっていきかけ――そこに何もないことに気付き、大きく舌打ちした。
霖之助が行動を起こしてから、時間にして、一秒にも満たない間。
少女のほうは、手近にあった壊れかけの椅子に座って、その様子を楽しそうに眺め――片や霖之助のほうは、左手を腰に添えたような姿勢のまま、普段からは考えられない程の鋭い視線を、少女に対して向けていた。
――にらみ合いは、わずか三秒。
緊張感で顔をこわばらせたまま、霖之助は少女に聞いた。
「一体どこでその呼び名を・・・・・・いや、その前に、名前を伺ってもいいですか?」
「レミリア、レミリア・スカーレットよ」
スカーレット、という言葉に、霖之助の顔から、ようやく緊張感が抜けた。
そのまま、疲れたように椅子に座り込み、大きなため息を漏らして、
「貴女がスカーレット、ですか。まさか、直接会うことになるとは思いませんでしたよ。・・・・・・何故、また?貴女は全部知っていた筈でしょう?」
「私が見えていたのは、大まかな流れだけ。全体を把握しているわけじゃないの」
「ですが、僕にメリットがない」
「勿論、交換条件よ。但し、交換する物は秘密」
それは交換条件とは言わないのでは、と霖之助は思ったが――窓の外に浮かぶ紅い月を見て、再び、懐かしむように目を細めた後、決心したように頷いた。
「・・・・・・分かりました。交換してもらえる物に、期待させてもらいましょうか」
言い出す言葉を慎重に選びながら、霖之助はポツリと、小さく呟いた。
「やっぱり、今日は、厄日だ・・・・・・」
時は夜。
魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)し、人のものではなくなる時間。
魔法の森の近くにたたずむ『香霖堂』の店主、森近霖之助は、朝から不機嫌だった。
目が覚めた途端に足がつったり、気分を入れ替えようと高いお茶を出して淹れたはいいものの、いざ飲む時になって湯呑みが真っ二つに割れて、折角のお茶と服が台無しになったり、等々・・・・・・散々な目にあったことを挙げ始めれば、きりがなかった。
勿論、純粋なお客が来れば、霖之助も商売人の端くれ、不機嫌さを感じさせずに対応しただろう。
だが、この日来たのは、客でもない霊夢と魔理沙の二人だけだった。
客ではない二人は霖之助の不機嫌な対応などまったく気にせず、勝手に上がって勝手にお茶を飲み、店の中で多少の騒動を起こした。すなわち――商品を勝手に使って、挙句に暴走させたのだ。被害は店の扉(半壊)と壁や棚に細かい傷、暴走させた商品や巻き添えをくらった置物等、数点。
怒る霖之助をよそに、二人は払う気もないであろう『ツケ』で帰っていった。
霖之助は今日、己の身に降りかかった出来事を思い返し、厄日だ、と真剣に思った。今まで霊夢達が持ってきた騒動が生易しく思える程に。
「・・・・・・今日は早めに店じまいするか・・・・・・」
椅子に座ったままの状態で、店内の惨状を見渡しながら、霖之助はポツリと呟く。
店じまいをしたところで、やることなど修復くらいしかない。だが、それをしなければ、自分以外には誰も――霊夢と魔理沙は絶対にしない。これは確信を持って言えることだ――修理などしない。そういうものだ。
結局、二人が巻き起こす騒動の煽りをくらい、損をするのは霖之助だけなのだ。損得勘定で言えば、圧倒的な程に『損』の方が多いだろう。
「今日はゆっくりと読書をしたかったんだがな」
愚痴ったところでどうしようもない。が、愚痴らなければやってられない。
霖之助は大きなため息を漏らし、やれやれ、と呟きながら椅子から立ち上がりかけて、
「・・・・・・ん?」
ふと、窓の外の月に目がいった。
――紅い、紅い満月が、空に浮かんでいた。
それを見て、霖之助は何故か、懐かしそうにゆっくりと目を細めた。
「紅い月、か・・・・・・確か、前に妙な霧が出た時も、空にはこんな月が浮かんでたけど・・・・・・」
こんなに似たものをまた見ることになるとはね、と霖之助は呟いた。勿論それは独り言だったのだが、
「似たもの?」
唐突に、入り口のほうから聞こえてきた少女の声に、霖之助は慌てふためき、はずみで立ち上がりかけてた椅子から、派手な音をたてて転んだ。ついでに、微かに鈍い音がしたのも付け加えておく。
「いっ・・・・・・」
「大丈夫?」
「え、ええ、大丈夫です」
客――かどうかは現時点では不明だが――の手前、霖之助はそう言ったものの、実は弁慶の泣き所を机の角で思いっきり打ち付けていた。鈍い音の正体はこれである。
しかしそれよりも、この店内の惨状を見られたら困る。その一心で、霖之助は体勢を立て直した。
涙目になりそうなのを必死にこらえて、
「申し訳ありませんが、今日はもう店じま・・・・・・」
「・・・・・・随分とアバンギャルドな店内ね」
霖之助が言い切る前に、少女は既に店内に入っていた。
見られた。霖之助は舌打ちして、早く修復に取り掛からなかった自分を呪った。
・・・・・・まあ、本来なら半壊の扉を見た時点で気づかれそうなのだが、そのことは霖之助の頭にはなかった。
とりあえず、平静を装って――遅いような気もするが――霖之助は、店内に入ってきている少女に言った。
「申し訳ありませんが、今日はもう店じまいをしようと思っていましたので、また日を改めて、来店していただけませんか?」
対する少女は、微笑みを浮かべた。
「ああ、いいのよ。とりあえず話が聞ければ、それでいいのだし」
その言葉に、霖之助は首を傾げる。少なくとも、初対面の少女に話すようなことなど何も無い。品物の仕入先等に関しても、大部分の物が、明確な解答が出来ないし、目の前の少女は、商売人にはまったく見えない。
と、そこでようやく、霖之助は少女の姿を見て、わずかに眉をひそめた。どこかで見覚えがあったような気がしたからだ。
数秒、考えてみたものの、答えが出なかったので、既視感、と結論付けて、それ以上考えないようにした。
それよりも、と霖之助は思う。
「申し訳ありませんが、お話、とは?」
首を傾げている霖之助に、少女は微笑んだまま、
「貴方の昔が聞きたいの」
「・・・・・・は?」
少女の言葉に、霖之助は思わず素っ頓狂な声を上げた。そして首を振る。
考えるまでもなかった。初対面の少女相手に話せるような過去など持ち合わせていないからだ。
「いくらお客様とはいえ、お教えするわけにはいきませんよ」
勿論答える気はなかったのだが、次の言葉が、霖之助の表情を一変させた。
「駄目かしら?スペードのジャックさん」
その言葉を聞いた瞬間、霖之助は得体の知れない『何か』が背筋を這うのを感じて、ほぼ無意識のうちに左手を腰にもっていきかけ――そこに何もないことに気付き、大きく舌打ちした。
霖之助が行動を起こしてから、時間にして、一秒にも満たない間。
少女のほうは、手近にあった壊れかけの椅子に座って、その様子を楽しそうに眺め――片や霖之助のほうは、左手を腰に添えたような姿勢のまま、普段からは考えられない程の鋭い視線を、少女に対して向けていた。
――にらみ合いは、わずか三秒。
緊張感で顔をこわばらせたまま、霖之助は少女に聞いた。
「一体どこでその呼び名を・・・・・・いや、その前に、名前を伺ってもいいですか?」
「レミリア、レミリア・スカーレットよ」
スカーレット、という言葉に、霖之助の顔から、ようやく緊張感が抜けた。
そのまま、疲れたように椅子に座り込み、大きなため息を漏らして、
「貴女がスカーレット、ですか。まさか、直接会うことになるとは思いませんでしたよ。・・・・・・何故、また?貴女は全部知っていた筈でしょう?」
「私が見えていたのは、大まかな流れだけ。全体を把握しているわけじゃないの」
「ですが、僕にメリットがない」
「勿論、交換条件よ。但し、交換する物は秘密」
それは交換条件とは言わないのでは、と霖之助は思ったが――窓の外に浮かぶ紅い月を見て、再び、懐かしむように目を細めた後、決心したように頷いた。
「・・・・・・分かりました。交換してもらえる物に、期待させてもらいましょうか」
言い出す言葉を慎重に選びながら、霖之助はポツリと、小さく呟いた。
「やっぱり、今日は、厄日だ・・・・・・」