“あの紅い空が消えたのはいったい誰のせいか。
大事は零の時間より始まる。”
STAGE 1-R ~ 凍てついた空の舞い
寒い。
夢うつつの状態で私は、ふとんを強く手元に引き寄せる。
……寒い。
ふとんの中にすっぽりと潜り込む。多少ほこりっぽいのは気にしない。
…………寒い。
なんでこんなに寒いのよと、ふとんから顔を出してしぶしぶ目を開く。今はようやく梅雨も明けて夏本番一歩前といった頃合い、なのにこの感じは、まるで冬真っ盛りのような。
部屋の中の光景を目にして、私の時間は止まった。まばたきも、思考回路も、息することまで忘れた。
すべてが凍っていた。天井が、畳が、障子が、たった今まで寝ていたふとんまでもが、見事な氷漬けになっていた。凍っていないのは私だけだった。いや、時間が止まったという意味では私もか。
状況を完全に理解するのに一秒。
理由を推理するのに一秒。
部屋を飛び出すまでに一秒!
飛び出すと同時にふとんの側に置いておいたお払い棒をひっつかむ。それも氷漬けになっていたので気合い一発、一瞬で水蒸気まで気化させる。
後ろからは陰陽玉が勝手についてきた。
外に一歩踏み出すと同時にターン。廊下までもが全面至る所が氷漬けになっていた。スケートの要領で廊下を疾走する。
玄関にたどり着くと、靴にかかとを押し込むと同時に床にはった氷を思いっきり叩き割った。
どこの妖怪か知らないけれど、このいたずらは高くつくこと思い知らせてくれるわ!
私は怒りのおもむくままに外へと飛び出した。
――あっと思った瞬間、派手にすっころぶ。両手をついて、かろうじて顔面から地面に激突するのだけは避ける。しかし手の表面や膝を多少すりむいてしまう。
「いったぁーい……え?」
あれれ?
妙な違和感、欠落感。
服や膝についた汚れをはたきながら立ち上がると、私はもう一度、念を込めてみた。
「……うそ」
飛ばなかった。
いつものように空を飛ぼうとしても、体がぴくりとも浮かばなかった。
なんで? なんで?
……うーん、改めて思い返してみると私ってどうやって空飛んでたかしら。息するよりも当たり前のことだったから、やり方なんて考えたことなかったわ。
って、そんなことはどうでもいいのよ。どうするのよ、これじゃ犯人探しにいけないじゃない! 走るの面倒よ!
ふと、玄関の脇に立てかけておいたものが目に入る。いつも掃除に使っている箒だった。
そういえばこれ、だいぶ前に魔理沙からもらったやつよね。コレクションがだぶったからって、なんかやたら悪い意味で芸術的な形状と色彩をした呪いのアイテムの解呪代にと置いていった。
私は普段あいつがしているように、それにまたがってみた。
……あ、浮いた。これ空飛ぶ箒だったんだ。
よし、これで移動手段は確保と。
私は空気を切って一気に大空へと舞い上がった。
標的はすぐに見つかった。
そいつは何の警戒もせずに、ひとりでぼけーっと空を漂っていた。
私は音を立てないように、高度を低く保ってそいつの後方に回り込む。
よし、気づいていないわね。
箒の高度を上げて、そいつと同じ高さに並ぶ。まだ気づいていない。
私は陰陽玉を軽く放り投げると――思いっきりけっ飛ばした。
紅白の球は綺麗な弧を描いて、見事後頭部に命中する。
「ぎゃっ!?」
そいつは身体を大きく傾けると、浮力を失って一気に落下した。
地面に激突する寸前でかろうじて体勢を立て直す。ちっ、しぶといやつ。
「いったぁー……! どこのどいつよ人が考え事してるときにっ!」
〈騒々元氷精〉チルノ
「あら? あんたでも考え事する脳みそはあるんだ」
「あんたにいわれたくないわよ、この極楽紅白!」
「そんなことはどうでもいいわ、さっさと白状なさい!」
「何を?」
「いたずらの犯人」
「あんたの辞書に疑わしきは罰せずって言葉はないの!?」
「ない」
「……みもふたもない返答ね」
「問答する手間も惜しいほどムカついててね、さっさとケリつけるわよ!」
もう一度、私は陰陽玉を回し蹴りで蹴り飛ばす。
チルノの顔面にクリーンヒット。真っ赤な血しぶきが鼻から上がる。
「……正面からの攻撃くらいよけなさいよ」
「ぶっ飛ばす!」
ともあれそれが戦闘開始の合図となった。
互いに一度間合いを取る。それから霊力を結集させて弾幕形成、というのがいつもの運びなのだが。
「……うーん」
なんか調子が変だ。力が出ないというわけではない。ただいつもと感じが違う。おかげで、どう形に現せばよいのか今一勝手がつかみにくい。
見れば、チルノの様子も変だった。両手を合わせたり構えたりいろいろ試行錯誤しているようだが、一向に弾の来る気配がない。
「さっきの威勢はどこいったのかしら?」
「うっさいわね、外野はだまって見てなさい!」
外野じゃないんだけど。
まあともかく、力が出ないわけじゃないんだから、とりあえずこれをぶつけてみるか。
私は力を込めてお払い棒を持った右腕を振りかぶると、流れのおもむくままにそれを叩きつけてみた。
――大気が輝く。力が光ったのかと思ったが、そうじゃない。太陽光を照り返し拡散させる微粒子の群れ、氷の結晶体。
私の手から冷気が塊となって飛んでいく。
自分のことに気を取られていたチルノは反応が遅れる。驚きのまなこでその輝きを見つめたまま、直撃を受ける。
彼女の手が、髪が、服が、一瞬にして凍る。かと思ったが次の瞬間には氷は砕け散っていた。さすがに氷精、冷気には耐性があるか。
チルノは、あっけにとられた表情で私のことを見つめていた。
「な、なによあんた! いったいなんなのよ!」
「なによっていわれても……見たまんまとしか」
驚きたいのはこっちの方だった。朝からの連続コンボでもう慣れちゃったけど。
「むかつく~、だったらこっちは……こうよ!」
チルノは両手を掲げると、さっきの私のように、力のおもむくままにそれを叩きつけてきた。
耳の中がうねる。身体全体が震える。私はとっさに身をひるがえす。
寸前で私の背後を通り抜けた力、それは音の塊だった。標的を失ったそれはまっすぐ地面へと落ち、爆弾よりも派手な騒音をまき散らす。音に反して爆風はちっとも見えなかった。
私はチルノの方を見る。
チルノも私の方を見る。
いったい何が起きているのか、未だに理解不能だった。チルノは言わずもがなだろう。
――だが、これで戦いの準備はできた。
「そういうことなら!」
私は左手で箒の柄をにぎり直すと、一気に加速した。一息で間合いを詰めると、右手に持ったお払い棒の先に霊力を結集させる。いつもの針の要領で。
「氷符『アイスニードル』!」
鋭い氷柱が列をなして飛んでいく。
至近距離から放たれたそれを、チルノは必死の形相でよける。それでも完全にはかわしきれず、髪の毛や服をかすって削り取る。あとの表面には霜が降りる。
「あら、意外とやるじゃない」
先ほどまでのあまりに反射神経に欠ける動きからは想像のつかない身のこなしだった。氷の尖端が危機意識を増したのだろうか。
私が攻撃の手を止めると、チルノは荒く息をつきながら、私のことを鬼のような形相で見つめてきた。どう見ても酸欠だ。
「反撃はないのかしら? これじゃ勝負にもならないわね」
私は余裕の表情を浮かべてチルノを見下ろした。このままじゃ面白くない。勝つのは当然だが歯ごたえがないのはつまらない。
しかしチルノは私の問いには答えず、ひたすら深呼吸を続けるのみだった。
やがて表情はいつもの生意気そうな悪ガキのものに戻り、目は――より冷たく、鋭さを増して輝いていた。
いつの間に手にしていたのか、純白の楽器を構えて口に含む。それは霊気が形をなした存在、術者の求めに応じてどこにでも現れる普通の楽器。だが持つべき者が持てば魔性の道具となる。
吐息は調べとなり、調べは不協和音となり、大気の震えは狂気にして凶器に。
「騒符『オカリナファンタズム』!」
気づけば、音という名の刃は既に私を包囲していた。物体を切り裂く振動が中心の一点めがけて集い出す。
背筋を得体の知れないものが駆け抜けた。
(え……?)
生まれてこの方経験のない感触に、一瞬戸惑う。けれども感情とは裏腹に、二つの目は冷静に眼前の脅威を見抜いていた。
破壊力とスピードは申し分ない、だが緻密さと精細さに欠けていた。
「……やるわね。でも」
無意識に紡いだ言葉。相手に語りかけるというよりも、自分に言い聞かせるような感じだった。目の前の存在が取るに足らないものであることを証明するために。
ぐっとこぶしに力を込める。自分から音楽の凶器に突入すると、まだ十分残っていた隙間を蛇行する。上下左右から迫る音波を右に左によけながら、一切速度を緩めずに安全圏まで脱した。
箒が股に食い込んで少し痛い。あいつもこんなの戦闘中に乗り回してよくやってるわ、ほんとに。
走り抜けながら、氷の針を一本放つ。狙い通りにチルノのオカリナを貫き、もとの霊気の塊へと還元した。それと同時にすべての音の振動が止む。
「これで――!」
「まだまだぁっ! 寒鼓『チンドン行進曲』!」
腹にずしんと来る振動が四方を揺るがす。
今度のチルノは楽器を手にしていなかった。今度の楽器は、これは――空間そのもの!?
大気が重く鳴り響く。チルノの背後から一歩一歩ゆっくりと、一発二発三発四発面倒なので以下省略。
目に見えないながらも確実に在る巨大な存在が、群れをなして迫り来るのがわかった。
――また。まただ。また何かが、背筋を走り抜けた。
破壊の具現である攻撃を見つめると、私を揺るがす振動を体に受けると、心の奥底から何かが顔を出す。それが何かを私は知らなかった。
頬を汗が伝う。握りしめたこぶしがじっとりと濡れる。暑くもないのに、むしろ私自身が冷気を発しているというのに、どうして汗が出てくるの?
このとき、私はようやく今の感情を一言で言い表す言葉に思い当たった。
恐怖。そう。私は、眼前の脅威に恐怖している。
今までこんなことはなかった。生まれて初めての経験だった。だから――私は、非常に癪にさわった。
たかが雪んこ相手に私が怖がっているですって!? それは絶対認めるわけにはいかない感情だった。
「――これなら回り込んでよけるのがセオリーだけど」
だから、そんな方法許せるはずがなかった。こうなったら真っ正面からぶっつぶしてくれるわ!
あらかじめ冷気を右手に集中させておいてから、私はチルノに向かって突撃する。
衝撃波が来る。逆らわずに自ら吹き飛ばされる。同時に身体を上下に回転させて勢いを別方向への推進力に変え、再び突撃。スカートはちゃんと手で押さえつつ。
繰り返す。繰り返す。一つの衝撃波を次への弾みとし、破壊の権化である音の浮島を渡り歩いて、一歩一歩確実に近づいていく。
冷や汗は、悪寒は、止めどもなく私の体を蝕む。けれどもそれ以上に怒りが私を突き動かした。
チルノの表情をうかがう。強気の姿勢を崩そうとはしないながらも、確実に焦っていた。顔が引きつっていた。そりゃそうね、真正面から攻撃をものともせずに距離を詰められちゃあ。
――あんたのその表情が見たかった。これでようやく気が済んだわ。
間合いは十分、私は右手に込めていた力を解き放った。
「凍符『パーフェクトフリーズ』!」
大気というチルノの楽器を凍りつかせる。音は氷となって私の支配下となり、そのまま氷の牢獄に作りかえてクソ生意気な妖精を閉じこめた。
「これにて仕置き完了、と」
氷から頭だけ出したチルノを見下ろす。牢獄はせっかくなので雪だるま型に削り落としておいた。
「だーかーらー、私じゃないっての!」
「……あ、やっぱり?」
途中からなんとなくそんな予感はしていた。
チルノは氷の能力が使えなくなり、私が氷の能力を使えるようになっている。となれば、寝ている間に何が起きたか、もっとも簡単な解答は一つしかなかった。
が、とりあえず無視しておいた。
「やっぱりってなによやっぱりって!?」
「細かいことは気にしない。それに、もっと大事の原因はまだわかってないわ」
私たちに起きたこと、能力の変異。あるいは入れ替わり? あの恐怖もそれと関係あるのだろうか? とにかく、なんでこんなことになったのか、手がかりはまったくわかっていない。
「念のために訊いておくけど、あんたのしわざ?」
「しつこい!」
「やれやれ、ふりだしに戻っちゃったわね」
はじめから進んでなかった気もするが、そんなことはどうでもよかった。
手がかりを求めて、私は慣れない箒にまたがりながら空をさまよう。
一通り巡回してみたが、特におかしな妖気や霊気は感じられなかった。変わったものといえば、いつもの私でない私の気配。
どうしよう。このままあてもなく動き回るよりは、聞き込みにでも回った方がいいかもしれない。手始めに魔理沙の家にでもいってみようかしら。レミリアや紫なら今何が起きているか知っていそうな気もする。……妖怪が素直に問いに答えてくれるとも思えないけど。
そんなときだった。妙な気配が漂ってきたのは。
私はそれをよく知っていたが、同時にどうしようもない違和感にとらわれた。なぜなら、それは決して外に感じるはずのない気配だったから。
箒の速度を上げる。やがて空の彼方に、気配を持った張本人の姿が見えてきた。
「ちょっと待ちなさい、そこの白いの!」
私は叫んだが、動きを止めない。
聞こえていないのかしら? もう一度腹の底からより大声で叫んでみたが、同じく彼女は何の反応も示さなかった。
「……アイスニードル!」
やむを得ず、問答無用で氷の針をぶん投げる。
ざく。
「……」
「……あ」
脳天から真っ赤な血を噴き出しながら、あっさり白いのは墜落した。どうしてこう今日は反射神経の鈍い奴らばっかりなのかしら。
仕方がなしに、私は空を駆け寄ると彼女の手を空中で捕まえた。慣性で私まで箒から落ちそうになるのを、無茶な体勢で強引にこらえる。……やっぱり箒って不便だわ。
白いのはしばらく目を回していたが、地面に下ろす前に気がついた。
「ううー、いきなり頭がざっくり痛いですー……」
「大丈夫?」
白々しく私はたずねる。
「はい、なんとかだいじょうぶですー。ありがとうございます」
私の手から離れると、白いのはぺこりと頭を下げた。頭から氷の針を生やしたままで。
……いろんな意味で鈍いわ、この子。
「まあそれはそれとして。時にあなた」
「はい? なんでしょうか」
「とっくに春は終わってるっていうのに、なんでまだいるの?」
〈極楽白百合〉リリーホワイト
「夏休みなんですよー、いま」
「あ、そう。私は年中無休で開店休業中だけど。時にあなた」
「はい?」
「私の能力、返しなさい」
「……それは、困りますー」
「なんでよ」
「あなたが本当の持ち主か判断つきかねます」
「私の灰色の脳細胞がそういってるから、返せ」
「だったら、私の春を告げる能力を返してくれるなら」
「そんなもんは知らん」
「……」
「……」
「……そのやる気まんまんな目はなんですかー(汗)」
「あら、こういうときの礼儀作法っていったら一つだけじゃない?」
弾幕ごっこ、開始。
「先手必勝! アイスニードル!」
私は間合いを取ると、一息で無数の氷の針を放った。だいぶこの能力にも慣れてきたわ。油断すると髪や服まで一瞬で凍るのが難点だけど。
「わ! わ! わ! わー!!」
リリーホワイトは、甲高い悲鳴を上げながら針と針の合間を器用に抜ける。無駄に動き回っているようで着実に全弾かわしてきた。
「いきなりひどいですー!」
「文句があるならやり返してきなさい」
誘うと、覚悟を決めたかまっすぐ私のことを見つめてきた。へらへらしているようで、底の見えない深い瞳。何者にも縛られない自由の意志。
「だったら……いきます! 白心『ホワイトアミュレット』!」
白い妖精の周囲を取り囲むように、いくつかの白い霊気が球の形を取って規則的に回り始めた。
不意に、目も何もない白い塊に見つめられた気がした。嫌な予感がして、箒をしっかりつかむと一気に方向転換する。
案の定、そこから無数の光弾が放たれた。一度まっすぐ飛び出してから、向きを変えて迷いもなく私の方へと急接近してくる。
むぅ、追尾弾か。厄介というか面倒ね。
引きつけるだけ引きつけてから、急加速とVターンで攪乱する。箒がまたしても痛い。多くはあさっての方角へと飛んでいき、それでも追いすがってくるものは冷気で氷漬けにした。
「ややこしいもの撃ってくるんじゃないわよ!」
追尾弾は私の専売特許よ!
私は右手と陰陽玉からアイスニードルを同時に放つ。予想通り白いのは着実にかわしてくる。
「甘い! パーフェクトフリーズ!」
一瞬にして冷気の質を変える。氷の針の座標値を凍らせる。
リリーホワイトの四方を取り囲む氷の針の牢獄が形成される。
新たな力を加えて解凍。方向を変えて再始動。
真っ白な妖精を滅多刺しにすべく氷の針が一斉に動き出す。
「わーーーー!!!!!」
リリーホワイトはこっちの耳が痛くなるくらいのものすごい悲鳴をあげて――避けた。
「……へ?」
うそ。私だって今みたいなの避けるのは一苦労よ? 慣れないうちは決めスペルよ?
なのに、あの妖精は、まったく無駄のない動きで――少しでも無駄が出ればジ・エンド――直撃を受けることなく全部かわした。ただしかなりかすったので金色の髪は荒れて白い服は破れ目だらけ、肝心なところはきちんと残っていたがかなりあられもない格好になってるような気がする。
私は彼女を見つめる。空を引き裂くような悲鳴とは裏腹に、その瞳は完全に落ち着き払っていた。体が反射神経についていっていた。あらゆる脅威を受けつけず、空にたゆたう雲のようにのらりくらりとかわしてきた。
「……気に入らないわね」
どうしようもない不快感が私を襲った。これではまるで同族嫌悪。
こちらが再度の攻撃に移る前に、今度は彼女の方から仕掛けてきた。
「ううー、お返しです、天恵『サンシャインフラワー』!」
うららかな、だけど力強い陽光が彼女を中心として周辺一体を満たした。近くに残っていた氷弾があっという間に溶けて蒸発する。
光の中心に花が咲く。それは数多の白い弾が彩る花びら。花は大きく花開き、というか極大の大輪となって、私を飲み込もうとしてくる。
「この程度!」
光が視界をさえぎるが、弾の密度は脅威ではない。私はしばし様子見のため、牽制の氷弾を撃ちながら回避に徹する。
――線が見えた。弾と光の間を走る波。リリーホワイトへと通じる道。
攻勢に出るべく、私は花の弾幕の中を一気に駆け抜けた。
そのとき、私はリリーホワイトの口元がほころんだのを見逃さなかった。
反射的に箒を急浮上させる。重力の負荷が全身にかかる。股がまたしても痛いが今度こそ気にしている場合ではなかった。
「もらいました! 回遊『シードオブダンデリオン』!」
光の花に種が実る。種は妖気のかたまりであり、実体化したその姿は弾幕ではなく――毛玉だった。
毛玉は集って一つの大きな球をかたどり、一際大きな突風が吹くと同時に爆裂した。
風に乗り、音に乗り、光に乗り、灰色の凶器が空を泳ぐ。毛玉という凶器からさらに極彩色の弾という凶器が放射状に生み出され、あっという間に空を灰色と赤と青の狂宴が覆い尽くす。
これ以上余計なものを増やされてはたまらない。氷の針で毛玉を次々に串刺しにする。
ところがどっこい、毛玉が散ると同時に次々に紅白の弾幕が散らばった。
撃ち返し弾つき!? ……あーもうやってられないわ!
お払い棒を振りかざす。棒を筆にして宙に陣を描き、陣は霊力を得て具現化し、一気に巨大化して空を占める舞台となる。私とリリーホワイトのいる戦場一帯を包み込む。
「結符『ダイヤモンドフィールド』!」
極寒の凍気を重ね掛けした氷の結界。無数の毛玉を内部の弾幕ごと冷凍して、砕く。
ふう、二重結界の応用だけど案外うまくいったわ。
確実に捉えたはずのリリーホワイトの方を見やる。これで終わってくれれば御の字だけど。
「……ま、そううまくはいかないわよね」
今までの動きを見ればわかることだった。
輝く凍気の中心で、空を味方につけた白のスペルが解き放たれる。スペルの発動で相殺してきたわね――!
「……これで最後です! 解放『異界遊泳 -ダンシングバラージ-』!」
すべての束縛より解き放たれ、弾幕が踊り出す。
それは白の光を受けて輝く七色の絵の具。無色の空を染める彼女自身たる領域。動くものすべてを狩る何よりも命に満ちあふれた狂器。
私は目を閉じる。時間はないけど、大きく一息つく。
迫る。迫る。直線を、曲線を、螺旋を、あらゆる幾何を描き、弾幕という名の芸術が私を犯しに来る。
――見えた。
恐怖は払いのけた。プレッシャーも流した。
目には映らぬ世界の法則。複雑怪奇な模様を支配する基礎的な理論。それらを編み合わせた攻撃という解に対する最適解。
これまで直感で得ていたものを、改めて精神集中を経ることで取り戻す。
やれやれ、力がなくなっているって厄介ね。こんな手間は二度と味わいたくないわ。
目を閉じたまま、動く。さいわい箒は、私の手足のように動いてくれた。さすがは魔理沙のコレクションといったところかしら。
力の結晶が、私をかすめて飛んでいく。いや、かすめてなんて生やさしいものではない。軌道という線は数を集めて面となり、立体となっている。巨大な岩の塊がスクラム組んで私と何度もすれ違うようなもの。
痛みが体の表面を絶え間なく刻む。巫女服も無惨なことになっていることだろう。霖之助さんに修繕頼みに行くのも面倒だっていうのに。
箒を急加速させる。弾幕は嵐よりひどい烈風となり、私を襲う。――が、直撃はしない。させない。
隙間のない間隙を縫って、誰にも見えない道を疾走して、霊力を最大限に高めて、術者へと特攻する。
目を見開く。心眼では見えない、妖精の表情が見える。
あぜんとしていた。口をぽかんと開けて、バカみたいに私のことを見つめている。おかげで弾幕の勢いが少しだけ緩んだ。
たった一瞬、けれどもそれは絶好の好機。
全力を極寒へと変換して解き放つ。私の左右に、上下に、全方位に、空よりも透き通った氷の針が展開する。
すべてを決する武器を引き連れ、最大速度で突貫した。弾幕を私ごと射出する勢いで。
回避はさせない。どんなにとらえどころのない空だって、射抜くことは可能なのよ。
――なぜなら、それは。
「私が私に負けることなんてあるはずありますかってのっ!!」
上下に回転しながら最後の七色の壁を突き抜ける。
私と彼女の間をさえぎるものは、もはやなし。
右手にお払い棒を、左手に剣指を構えて、左右に合図を送る。腰だけで箒の上でバランスを取る。氷の針たちが一斉に身構える。
気合い一閃、両の手を突きつけて。
「こっちこそ最後よ――零針『アブソリュートゼロ』!」
すべてを沈黙させる零気の針が、零距離で白い妖精に炸裂した。
額の汗をぬぐう。あたりは霜と冷凍品だらけでここだけ真冬到来状態だっていうのに、今更ながらに汗が伝った。
とりあえず、私は無事。案の定服はぼろぼろになってしまっていたけど、こればっかりは仕方がないわね。
隠す部分がちゃんと隠れているか確認してから、私は対戦相手の方を見やる。
絶対零度の針に囲まれたままの春の妖精。尖端すべてが零距離で止まっている――いや、ちょっとだけ肌に食い込んでいるけど。まあ許容範囲の寸止めよね。血がにじんでるけど。
「ところで……どうやって能力って取り返したらいいのかしら」
「知りませんよー(泣)」
あのあと押したり引いたり剥いたり色々試してみたけど、結局問題解決の方法は見つからなかった。
リリーホワイトはさんざん押し問答を繰り広げた末に解放してあげた。泣きながら腰にすがりつかれたときはさすがに気まずかったわ。
「ま、なんとかなるでしょ」
気分が普段と違ってしまっているのは大変な問題ではあるが、とはいえ現状ではどうすればよいのかもわからない。まさか彼女を神社に監禁するわけにもいかないし、それにたぶん意味がない気がする。
「……ふわぁ」
気がつけばあくびが出ていた。そういえば中途半端な起き方したから、二度寝がまだだったわ。朝ご飯もとってないけど、それはあとでいいか。
博麗神社に帰ってくると、寝床に直行。
そして今朝の惨状の片づけを全然してなかったことを今更ながらに思い出す。
「……客間で寝るわ」
氷だから、放っておけば溶けるでしょ。夏場だし。
予備の服に着替え、無事な毛布を一枚押入から引っ張り出すと、丸まって畳の上に寝転がる。
睡魔はすぐに襲ってきた。うつらうつらとしてきて、気がつけば意識は闇の中。
――目が覚めたら、問題全部解決してますように。
だけど、他力本願な祈りとは裏腹に、事態は更に深刻になるのであった。まったく、腹立たしいったらありゃしない。
Next STAGE 1-M and STAGE 2-R
大事は零の時間より始まる。”
STAGE 1-R ~ 凍てついた空の舞い
寒い。
夢うつつの状態で私は、ふとんを強く手元に引き寄せる。
……寒い。
ふとんの中にすっぽりと潜り込む。多少ほこりっぽいのは気にしない。
…………寒い。
なんでこんなに寒いのよと、ふとんから顔を出してしぶしぶ目を開く。今はようやく梅雨も明けて夏本番一歩前といった頃合い、なのにこの感じは、まるで冬真っ盛りのような。
部屋の中の光景を目にして、私の時間は止まった。まばたきも、思考回路も、息することまで忘れた。
すべてが凍っていた。天井が、畳が、障子が、たった今まで寝ていたふとんまでもが、見事な氷漬けになっていた。凍っていないのは私だけだった。いや、時間が止まったという意味では私もか。
状況を完全に理解するのに一秒。
理由を推理するのに一秒。
部屋を飛び出すまでに一秒!
飛び出すと同時にふとんの側に置いておいたお払い棒をひっつかむ。それも氷漬けになっていたので気合い一発、一瞬で水蒸気まで気化させる。
後ろからは陰陽玉が勝手についてきた。
外に一歩踏み出すと同時にターン。廊下までもが全面至る所が氷漬けになっていた。スケートの要領で廊下を疾走する。
玄関にたどり着くと、靴にかかとを押し込むと同時に床にはった氷を思いっきり叩き割った。
どこの妖怪か知らないけれど、このいたずらは高くつくこと思い知らせてくれるわ!
私は怒りのおもむくままに外へと飛び出した。
――あっと思った瞬間、派手にすっころぶ。両手をついて、かろうじて顔面から地面に激突するのだけは避ける。しかし手の表面や膝を多少すりむいてしまう。
「いったぁーい……え?」
あれれ?
妙な違和感、欠落感。
服や膝についた汚れをはたきながら立ち上がると、私はもう一度、念を込めてみた。
「……うそ」
飛ばなかった。
いつものように空を飛ぼうとしても、体がぴくりとも浮かばなかった。
なんで? なんで?
……うーん、改めて思い返してみると私ってどうやって空飛んでたかしら。息するよりも当たり前のことだったから、やり方なんて考えたことなかったわ。
って、そんなことはどうでもいいのよ。どうするのよ、これじゃ犯人探しにいけないじゃない! 走るの面倒よ!
ふと、玄関の脇に立てかけておいたものが目に入る。いつも掃除に使っている箒だった。
そういえばこれ、だいぶ前に魔理沙からもらったやつよね。コレクションがだぶったからって、なんかやたら悪い意味で芸術的な形状と色彩をした呪いのアイテムの解呪代にと置いていった。
私は普段あいつがしているように、それにまたがってみた。
……あ、浮いた。これ空飛ぶ箒だったんだ。
よし、これで移動手段は確保と。
私は空気を切って一気に大空へと舞い上がった。
標的はすぐに見つかった。
そいつは何の警戒もせずに、ひとりでぼけーっと空を漂っていた。
私は音を立てないように、高度を低く保ってそいつの後方に回り込む。
よし、気づいていないわね。
箒の高度を上げて、そいつと同じ高さに並ぶ。まだ気づいていない。
私は陰陽玉を軽く放り投げると――思いっきりけっ飛ばした。
紅白の球は綺麗な弧を描いて、見事後頭部に命中する。
「ぎゃっ!?」
そいつは身体を大きく傾けると、浮力を失って一気に落下した。
地面に激突する寸前でかろうじて体勢を立て直す。ちっ、しぶといやつ。
「いったぁー……! どこのどいつよ人が考え事してるときにっ!」
〈騒々元氷精〉チルノ
「あら? あんたでも考え事する脳みそはあるんだ」
「あんたにいわれたくないわよ、この極楽紅白!」
「そんなことはどうでもいいわ、さっさと白状なさい!」
「何を?」
「いたずらの犯人」
「あんたの辞書に疑わしきは罰せずって言葉はないの!?」
「ない」
「……みもふたもない返答ね」
「問答する手間も惜しいほどムカついててね、さっさとケリつけるわよ!」
もう一度、私は陰陽玉を回し蹴りで蹴り飛ばす。
チルノの顔面にクリーンヒット。真っ赤な血しぶきが鼻から上がる。
「……正面からの攻撃くらいよけなさいよ」
「ぶっ飛ばす!」
ともあれそれが戦闘開始の合図となった。
互いに一度間合いを取る。それから霊力を結集させて弾幕形成、というのがいつもの運びなのだが。
「……うーん」
なんか調子が変だ。力が出ないというわけではない。ただいつもと感じが違う。おかげで、どう形に現せばよいのか今一勝手がつかみにくい。
見れば、チルノの様子も変だった。両手を合わせたり構えたりいろいろ試行錯誤しているようだが、一向に弾の来る気配がない。
「さっきの威勢はどこいったのかしら?」
「うっさいわね、外野はだまって見てなさい!」
外野じゃないんだけど。
まあともかく、力が出ないわけじゃないんだから、とりあえずこれをぶつけてみるか。
私は力を込めてお払い棒を持った右腕を振りかぶると、流れのおもむくままにそれを叩きつけてみた。
――大気が輝く。力が光ったのかと思ったが、そうじゃない。太陽光を照り返し拡散させる微粒子の群れ、氷の結晶体。
私の手から冷気が塊となって飛んでいく。
自分のことに気を取られていたチルノは反応が遅れる。驚きのまなこでその輝きを見つめたまま、直撃を受ける。
彼女の手が、髪が、服が、一瞬にして凍る。かと思ったが次の瞬間には氷は砕け散っていた。さすがに氷精、冷気には耐性があるか。
チルノは、あっけにとられた表情で私のことを見つめていた。
「な、なによあんた! いったいなんなのよ!」
「なによっていわれても……見たまんまとしか」
驚きたいのはこっちの方だった。朝からの連続コンボでもう慣れちゃったけど。
「むかつく~、だったらこっちは……こうよ!」
チルノは両手を掲げると、さっきの私のように、力のおもむくままにそれを叩きつけてきた。
耳の中がうねる。身体全体が震える。私はとっさに身をひるがえす。
寸前で私の背後を通り抜けた力、それは音の塊だった。標的を失ったそれはまっすぐ地面へと落ち、爆弾よりも派手な騒音をまき散らす。音に反して爆風はちっとも見えなかった。
私はチルノの方を見る。
チルノも私の方を見る。
いったい何が起きているのか、未だに理解不能だった。チルノは言わずもがなだろう。
――だが、これで戦いの準備はできた。
「そういうことなら!」
私は左手で箒の柄をにぎり直すと、一気に加速した。一息で間合いを詰めると、右手に持ったお払い棒の先に霊力を結集させる。いつもの針の要領で。
「氷符『アイスニードル』!」
鋭い氷柱が列をなして飛んでいく。
至近距離から放たれたそれを、チルノは必死の形相でよける。それでも完全にはかわしきれず、髪の毛や服をかすって削り取る。あとの表面には霜が降りる。
「あら、意外とやるじゃない」
先ほどまでのあまりに反射神経に欠ける動きからは想像のつかない身のこなしだった。氷の尖端が危機意識を増したのだろうか。
私が攻撃の手を止めると、チルノは荒く息をつきながら、私のことを鬼のような形相で見つめてきた。どう見ても酸欠だ。
「反撃はないのかしら? これじゃ勝負にもならないわね」
私は余裕の表情を浮かべてチルノを見下ろした。このままじゃ面白くない。勝つのは当然だが歯ごたえがないのはつまらない。
しかしチルノは私の問いには答えず、ひたすら深呼吸を続けるのみだった。
やがて表情はいつもの生意気そうな悪ガキのものに戻り、目は――より冷たく、鋭さを増して輝いていた。
いつの間に手にしていたのか、純白の楽器を構えて口に含む。それは霊気が形をなした存在、術者の求めに応じてどこにでも現れる普通の楽器。だが持つべき者が持てば魔性の道具となる。
吐息は調べとなり、調べは不協和音となり、大気の震えは狂気にして凶器に。
「騒符『オカリナファンタズム』!」
気づけば、音という名の刃は既に私を包囲していた。物体を切り裂く振動が中心の一点めがけて集い出す。
背筋を得体の知れないものが駆け抜けた。
(え……?)
生まれてこの方経験のない感触に、一瞬戸惑う。けれども感情とは裏腹に、二つの目は冷静に眼前の脅威を見抜いていた。
破壊力とスピードは申し分ない、だが緻密さと精細さに欠けていた。
「……やるわね。でも」
無意識に紡いだ言葉。相手に語りかけるというよりも、自分に言い聞かせるような感じだった。目の前の存在が取るに足らないものであることを証明するために。
ぐっとこぶしに力を込める。自分から音楽の凶器に突入すると、まだ十分残っていた隙間を蛇行する。上下左右から迫る音波を右に左によけながら、一切速度を緩めずに安全圏まで脱した。
箒が股に食い込んで少し痛い。あいつもこんなの戦闘中に乗り回してよくやってるわ、ほんとに。
走り抜けながら、氷の針を一本放つ。狙い通りにチルノのオカリナを貫き、もとの霊気の塊へと還元した。それと同時にすべての音の振動が止む。
「これで――!」
「まだまだぁっ! 寒鼓『チンドン行進曲』!」
腹にずしんと来る振動が四方を揺るがす。
今度のチルノは楽器を手にしていなかった。今度の楽器は、これは――空間そのもの!?
大気が重く鳴り響く。チルノの背後から一歩一歩ゆっくりと、一発二発三発四発面倒なので以下省略。
目に見えないながらも確実に在る巨大な存在が、群れをなして迫り来るのがわかった。
――また。まただ。また何かが、背筋を走り抜けた。
破壊の具現である攻撃を見つめると、私を揺るがす振動を体に受けると、心の奥底から何かが顔を出す。それが何かを私は知らなかった。
頬を汗が伝う。握りしめたこぶしがじっとりと濡れる。暑くもないのに、むしろ私自身が冷気を発しているというのに、どうして汗が出てくるの?
このとき、私はようやく今の感情を一言で言い表す言葉に思い当たった。
恐怖。そう。私は、眼前の脅威に恐怖している。
今までこんなことはなかった。生まれて初めての経験だった。だから――私は、非常に癪にさわった。
たかが雪んこ相手に私が怖がっているですって!? それは絶対認めるわけにはいかない感情だった。
「――これなら回り込んでよけるのがセオリーだけど」
だから、そんな方法許せるはずがなかった。こうなったら真っ正面からぶっつぶしてくれるわ!
あらかじめ冷気を右手に集中させておいてから、私はチルノに向かって突撃する。
衝撃波が来る。逆らわずに自ら吹き飛ばされる。同時に身体を上下に回転させて勢いを別方向への推進力に変え、再び突撃。スカートはちゃんと手で押さえつつ。
繰り返す。繰り返す。一つの衝撃波を次への弾みとし、破壊の権化である音の浮島を渡り歩いて、一歩一歩確実に近づいていく。
冷や汗は、悪寒は、止めどもなく私の体を蝕む。けれどもそれ以上に怒りが私を突き動かした。
チルノの表情をうかがう。強気の姿勢を崩そうとはしないながらも、確実に焦っていた。顔が引きつっていた。そりゃそうね、真正面から攻撃をものともせずに距離を詰められちゃあ。
――あんたのその表情が見たかった。これでようやく気が済んだわ。
間合いは十分、私は右手に込めていた力を解き放った。
「凍符『パーフェクトフリーズ』!」
大気というチルノの楽器を凍りつかせる。音は氷となって私の支配下となり、そのまま氷の牢獄に作りかえてクソ生意気な妖精を閉じこめた。
「これにて仕置き完了、と」
氷から頭だけ出したチルノを見下ろす。牢獄はせっかくなので雪だるま型に削り落としておいた。
「だーかーらー、私じゃないっての!」
「……あ、やっぱり?」
途中からなんとなくそんな予感はしていた。
チルノは氷の能力が使えなくなり、私が氷の能力を使えるようになっている。となれば、寝ている間に何が起きたか、もっとも簡単な解答は一つしかなかった。
が、とりあえず無視しておいた。
「やっぱりってなによやっぱりって!?」
「細かいことは気にしない。それに、もっと大事の原因はまだわかってないわ」
私たちに起きたこと、能力の変異。あるいは入れ替わり? あの恐怖もそれと関係あるのだろうか? とにかく、なんでこんなことになったのか、手がかりはまったくわかっていない。
「念のために訊いておくけど、あんたのしわざ?」
「しつこい!」
「やれやれ、ふりだしに戻っちゃったわね」
はじめから進んでなかった気もするが、そんなことはどうでもよかった。
手がかりを求めて、私は慣れない箒にまたがりながら空をさまよう。
一通り巡回してみたが、特におかしな妖気や霊気は感じられなかった。変わったものといえば、いつもの私でない私の気配。
どうしよう。このままあてもなく動き回るよりは、聞き込みにでも回った方がいいかもしれない。手始めに魔理沙の家にでもいってみようかしら。レミリアや紫なら今何が起きているか知っていそうな気もする。……妖怪が素直に問いに答えてくれるとも思えないけど。
そんなときだった。妙な気配が漂ってきたのは。
私はそれをよく知っていたが、同時にどうしようもない違和感にとらわれた。なぜなら、それは決して外に感じるはずのない気配だったから。
箒の速度を上げる。やがて空の彼方に、気配を持った張本人の姿が見えてきた。
「ちょっと待ちなさい、そこの白いの!」
私は叫んだが、動きを止めない。
聞こえていないのかしら? もう一度腹の底からより大声で叫んでみたが、同じく彼女は何の反応も示さなかった。
「……アイスニードル!」
やむを得ず、問答無用で氷の針をぶん投げる。
ざく。
「……」
「……あ」
脳天から真っ赤な血を噴き出しながら、あっさり白いのは墜落した。どうしてこう今日は反射神経の鈍い奴らばっかりなのかしら。
仕方がなしに、私は空を駆け寄ると彼女の手を空中で捕まえた。慣性で私まで箒から落ちそうになるのを、無茶な体勢で強引にこらえる。……やっぱり箒って不便だわ。
白いのはしばらく目を回していたが、地面に下ろす前に気がついた。
「ううー、いきなり頭がざっくり痛いですー……」
「大丈夫?」
白々しく私はたずねる。
「はい、なんとかだいじょうぶですー。ありがとうございます」
私の手から離れると、白いのはぺこりと頭を下げた。頭から氷の針を生やしたままで。
……いろんな意味で鈍いわ、この子。
「まあそれはそれとして。時にあなた」
「はい? なんでしょうか」
「とっくに春は終わってるっていうのに、なんでまだいるの?」
〈極楽白百合〉リリーホワイト
「夏休みなんですよー、いま」
「あ、そう。私は年中無休で開店休業中だけど。時にあなた」
「はい?」
「私の能力、返しなさい」
「……それは、困りますー」
「なんでよ」
「あなたが本当の持ち主か判断つきかねます」
「私の灰色の脳細胞がそういってるから、返せ」
「だったら、私の春を告げる能力を返してくれるなら」
「そんなもんは知らん」
「……」
「……」
「……そのやる気まんまんな目はなんですかー(汗)」
「あら、こういうときの礼儀作法っていったら一つだけじゃない?」
弾幕ごっこ、開始。
「先手必勝! アイスニードル!」
私は間合いを取ると、一息で無数の氷の針を放った。だいぶこの能力にも慣れてきたわ。油断すると髪や服まで一瞬で凍るのが難点だけど。
「わ! わ! わ! わー!!」
リリーホワイトは、甲高い悲鳴を上げながら針と針の合間を器用に抜ける。無駄に動き回っているようで着実に全弾かわしてきた。
「いきなりひどいですー!」
「文句があるならやり返してきなさい」
誘うと、覚悟を決めたかまっすぐ私のことを見つめてきた。へらへらしているようで、底の見えない深い瞳。何者にも縛られない自由の意志。
「だったら……いきます! 白心『ホワイトアミュレット』!」
白い妖精の周囲を取り囲むように、いくつかの白い霊気が球の形を取って規則的に回り始めた。
不意に、目も何もない白い塊に見つめられた気がした。嫌な予感がして、箒をしっかりつかむと一気に方向転換する。
案の定、そこから無数の光弾が放たれた。一度まっすぐ飛び出してから、向きを変えて迷いもなく私の方へと急接近してくる。
むぅ、追尾弾か。厄介というか面倒ね。
引きつけるだけ引きつけてから、急加速とVターンで攪乱する。箒がまたしても痛い。多くはあさっての方角へと飛んでいき、それでも追いすがってくるものは冷気で氷漬けにした。
「ややこしいもの撃ってくるんじゃないわよ!」
追尾弾は私の専売特許よ!
私は右手と陰陽玉からアイスニードルを同時に放つ。予想通り白いのは着実にかわしてくる。
「甘い! パーフェクトフリーズ!」
一瞬にして冷気の質を変える。氷の針の座標値を凍らせる。
リリーホワイトの四方を取り囲む氷の針の牢獄が形成される。
新たな力を加えて解凍。方向を変えて再始動。
真っ白な妖精を滅多刺しにすべく氷の針が一斉に動き出す。
「わーーーー!!!!!」
リリーホワイトはこっちの耳が痛くなるくらいのものすごい悲鳴をあげて――避けた。
「……へ?」
うそ。私だって今みたいなの避けるのは一苦労よ? 慣れないうちは決めスペルよ?
なのに、あの妖精は、まったく無駄のない動きで――少しでも無駄が出ればジ・エンド――直撃を受けることなく全部かわした。ただしかなりかすったので金色の髪は荒れて白い服は破れ目だらけ、肝心なところはきちんと残っていたがかなりあられもない格好になってるような気がする。
私は彼女を見つめる。空を引き裂くような悲鳴とは裏腹に、その瞳は完全に落ち着き払っていた。体が反射神経についていっていた。あらゆる脅威を受けつけず、空にたゆたう雲のようにのらりくらりとかわしてきた。
「……気に入らないわね」
どうしようもない不快感が私を襲った。これではまるで同族嫌悪。
こちらが再度の攻撃に移る前に、今度は彼女の方から仕掛けてきた。
「ううー、お返しです、天恵『サンシャインフラワー』!」
うららかな、だけど力強い陽光が彼女を中心として周辺一体を満たした。近くに残っていた氷弾があっという間に溶けて蒸発する。
光の中心に花が咲く。それは数多の白い弾が彩る花びら。花は大きく花開き、というか極大の大輪となって、私を飲み込もうとしてくる。
「この程度!」
光が視界をさえぎるが、弾の密度は脅威ではない。私はしばし様子見のため、牽制の氷弾を撃ちながら回避に徹する。
――線が見えた。弾と光の間を走る波。リリーホワイトへと通じる道。
攻勢に出るべく、私は花の弾幕の中を一気に駆け抜けた。
そのとき、私はリリーホワイトの口元がほころんだのを見逃さなかった。
反射的に箒を急浮上させる。重力の負荷が全身にかかる。股がまたしても痛いが今度こそ気にしている場合ではなかった。
「もらいました! 回遊『シードオブダンデリオン』!」
光の花に種が実る。種は妖気のかたまりであり、実体化したその姿は弾幕ではなく――毛玉だった。
毛玉は集って一つの大きな球をかたどり、一際大きな突風が吹くと同時に爆裂した。
風に乗り、音に乗り、光に乗り、灰色の凶器が空を泳ぐ。毛玉という凶器からさらに極彩色の弾という凶器が放射状に生み出され、あっという間に空を灰色と赤と青の狂宴が覆い尽くす。
これ以上余計なものを増やされてはたまらない。氷の針で毛玉を次々に串刺しにする。
ところがどっこい、毛玉が散ると同時に次々に紅白の弾幕が散らばった。
撃ち返し弾つき!? ……あーもうやってられないわ!
お払い棒を振りかざす。棒を筆にして宙に陣を描き、陣は霊力を得て具現化し、一気に巨大化して空を占める舞台となる。私とリリーホワイトのいる戦場一帯を包み込む。
「結符『ダイヤモンドフィールド』!」
極寒の凍気を重ね掛けした氷の結界。無数の毛玉を内部の弾幕ごと冷凍して、砕く。
ふう、二重結界の応用だけど案外うまくいったわ。
確実に捉えたはずのリリーホワイトの方を見やる。これで終わってくれれば御の字だけど。
「……ま、そううまくはいかないわよね」
今までの動きを見ればわかることだった。
輝く凍気の中心で、空を味方につけた白のスペルが解き放たれる。スペルの発動で相殺してきたわね――!
「……これで最後です! 解放『異界遊泳 -ダンシングバラージ-』!」
すべての束縛より解き放たれ、弾幕が踊り出す。
それは白の光を受けて輝く七色の絵の具。無色の空を染める彼女自身たる領域。動くものすべてを狩る何よりも命に満ちあふれた狂器。
私は目を閉じる。時間はないけど、大きく一息つく。
迫る。迫る。直線を、曲線を、螺旋を、あらゆる幾何を描き、弾幕という名の芸術が私を犯しに来る。
――見えた。
恐怖は払いのけた。プレッシャーも流した。
目には映らぬ世界の法則。複雑怪奇な模様を支配する基礎的な理論。それらを編み合わせた攻撃という解に対する最適解。
これまで直感で得ていたものを、改めて精神集中を経ることで取り戻す。
やれやれ、力がなくなっているって厄介ね。こんな手間は二度と味わいたくないわ。
目を閉じたまま、動く。さいわい箒は、私の手足のように動いてくれた。さすがは魔理沙のコレクションといったところかしら。
力の結晶が、私をかすめて飛んでいく。いや、かすめてなんて生やさしいものではない。軌道という線は数を集めて面となり、立体となっている。巨大な岩の塊がスクラム組んで私と何度もすれ違うようなもの。
痛みが体の表面を絶え間なく刻む。巫女服も無惨なことになっていることだろう。霖之助さんに修繕頼みに行くのも面倒だっていうのに。
箒を急加速させる。弾幕は嵐よりひどい烈風となり、私を襲う。――が、直撃はしない。させない。
隙間のない間隙を縫って、誰にも見えない道を疾走して、霊力を最大限に高めて、術者へと特攻する。
目を見開く。心眼では見えない、妖精の表情が見える。
あぜんとしていた。口をぽかんと開けて、バカみたいに私のことを見つめている。おかげで弾幕の勢いが少しだけ緩んだ。
たった一瞬、けれどもそれは絶好の好機。
全力を極寒へと変換して解き放つ。私の左右に、上下に、全方位に、空よりも透き通った氷の針が展開する。
すべてを決する武器を引き連れ、最大速度で突貫した。弾幕を私ごと射出する勢いで。
回避はさせない。どんなにとらえどころのない空だって、射抜くことは可能なのよ。
――なぜなら、それは。
「私が私に負けることなんてあるはずありますかってのっ!!」
上下に回転しながら最後の七色の壁を突き抜ける。
私と彼女の間をさえぎるものは、もはやなし。
右手にお払い棒を、左手に剣指を構えて、左右に合図を送る。腰だけで箒の上でバランスを取る。氷の針たちが一斉に身構える。
気合い一閃、両の手を突きつけて。
「こっちこそ最後よ――零針『アブソリュートゼロ』!」
すべてを沈黙させる零気の針が、零距離で白い妖精に炸裂した。
額の汗をぬぐう。あたりは霜と冷凍品だらけでここだけ真冬到来状態だっていうのに、今更ながらに汗が伝った。
とりあえず、私は無事。案の定服はぼろぼろになってしまっていたけど、こればっかりは仕方がないわね。
隠す部分がちゃんと隠れているか確認してから、私は対戦相手の方を見やる。
絶対零度の針に囲まれたままの春の妖精。尖端すべてが零距離で止まっている――いや、ちょっとだけ肌に食い込んでいるけど。まあ許容範囲の寸止めよね。血がにじんでるけど。
「ところで……どうやって能力って取り返したらいいのかしら」
「知りませんよー(泣)」
あのあと押したり引いたり剥いたり色々試してみたけど、結局問題解決の方法は見つからなかった。
リリーホワイトはさんざん押し問答を繰り広げた末に解放してあげた。泣きながら腰にすがりつかれたときはさすがに気まずかったわ。
「ま、なんとかなるでしょ」
気分が普段と違ってしまっているのは大変な問題ではあるが、とはいえ現状ではどうすればよいのかもわからない。まさか彼女を神社に監禁するわけにもいかないし、それにたぶん意味がない気がする。
「……ふわぁ」
気がつけばあくびが出ていた。そういえば中途半端な起き方したから、二度寝がまだだったわ。朝ご飯もとってないけど、それはあとでいいか。
博麗神社に帰ってくると、寝床に直行。
そして今朝の惨状の片づけを全然してなかったことを今更ながらに思い出す。
「……客間で寝るわ」
氷だから、放っておけば溶けるでしょ。夏場だし。
予備の服に着替え、無事な毛布を一枚押入から引っ張り出すと、丸まって畳の上に寝転がる。
睡魔はすぐに襲ってきた。うつらうつらとしてきて、気がつけば意識は闇の中。
――目が覚めたら、問題全部解決してますように。
だけど、他力本願な祈りとは裏腹に、事態は更に深刻になるのであった。まったく、腹立たしいったらありゃしない。
Next STAGE 1-M and STAGE 2-R
事態はかなり深刻なはずなのに、『目が覚めたら、問題全部解決してますように。』で寝てしまうのん気さが、いかにも霊夢らしいです。
意味がどうにも分からなかったプロローグ(おかげで感想書けなかった)との関連が見えてきませんが、まだゲームスタートということなので、ゲームの続きでそれが明らかになることを楽しみに、待つことにします。