ミーン ミーン ミーン ミーン………
喧しく鳴く蝉の声が、耳に響く。
大気は揺らぎ、大地は灼熱。影に入っても、その湿気はどこまでも襲いかかって来る。
「…………………」
「…………………」
二人は、落ちる汗も拭わずに睨み合う。次の一手に勝負をかけて、その腕が振り下ろされる―――
―――ぱちん。
「はい、王手。詰み、ね」
「待った」
「待ったなし」
一瞬の問答の内に、霊夢は王将をつまみ上げた。
「あーっ……この…待てって言ったのに」
「だから、待ったなしって言ったでしょ? そもそも『待ったなしでやろう』って最初に言い出したのは、魔理沙なんだからね?」
「………」
霊夢の言葉に、魔理沙は口を閉じる。その間に、霊夢は駒を片付けてゆく。
「そもそも魔理沙は飛車角行を使いすぎよ。一つの駒に頼ってばかりじゃ、盤上全体に目が届かなくなるわよ?」
「あー…私は歩兵とか桂馬とかは使うの苦手なんだよ……動きが遅くて」
「………何と言うか、もうちょっと考えた方がいいわよ」
「分かったよっ……と」
『お手上げ』のジェスチャーを取った魔理沙は、そのままの勢いで博麗神社の縁側に寝転んだ。
「暑ちぃ……」
思い出したかの様に、魔理沙は傍にあった団扇で顔を仰いだ。霊夢は涼しげな風だったが、流れ落ちる汗を見れば、やはりこの暑さに辟易している様だった。
「な~霊夢ぅ~…何か涼しくなる様なモンは無いのか~?」
「そうね。まず、その暑苦しい洋服を脱ぐ事をお勧めするわ」
霊夢は、いつも魔理沙が着ている『魔女の制服だぜ』と語っていた洋服を指差した。
「なっ…おい霊夢、私に嫁入り前の乙女の柔肌を晒せって言うのか? とんだケダモノだぜ」
「何馬鹿な事言ってんのよ。あんたの裸なんて、見たって増えも減りもしないわ」
そう言って霊夢は立ち上がると、魔理沙に近付ていった。
「それに、見てるこっちも暑くなるのよ。その服は」
「…何する気だ?」
「あんたが今考えてる事」
その後、境内に『きゃー、やめろー』という白々しい声が聞こえたという。
* * *
「ううっ……もうお嫁に行けない……」
下着だけの格好になり、よよよ、と泣き崩れる(フリの)魔理沙。その後ろで魔理沙の服を抱える霊夢も、上半身の巫女服を脱いで、胸にサラシを巻いている。
「これで少しは涼しくなった?」
「んー……、まあ」
魔理沙は縁側に座り直し、空を見上げた。
真っ青に突き抜ける空と、遥か彼方に入道雲。そして、南天の太陽が幻想郷を包んでいた。
「あ~~~………」
口を開けると、真夏の熱が口の中も焦がす。
「……んぐ」
口を閉じたその時。魔理沙は空に浮かぶ『異変』に気付いた。
「…なあ、霊夢」
「何?」
「空の穴がこっちに来るぜ」
「…?」
その言葉に霊夢は首を傾げながら、魔理沙の視線の先を追う。
…すると、確かにこの青い空に一点、黒い何かが漂っていた。しかもそれは、神社に近付いてくる。
「―――あ」
目を凝らしてよく見ると、それは宵闇の妖怪が作り出す闇だった。しかも、その闇の中には、もう一人、見知った顔があった。
「霊夢~」
その一人は、霊夢の名を呼びながらルーミアと共に神社の庭に降り立った。
「…レミリア」
いつ見ても、奇妙な光景だ。宵闇と闇の眷属が二人揃って、漠たる天の光の中にいるとはどういう冗談か。
しかしこんな事も、この狂った様な暑さの中では逆に似合っている気がしないでもない。
「こんな日に来るなんて、平気なの?」
「うん、この子が送ってきてくれたから」
レミリアはそう言って、闇の中で陽気に笑うルーミアを見た。
「ご苦労様。後で紅魔館に来れば、お礼くらいはしてあげるから」
「うん、ありがと~」
レミリアが日陰に入ったのを確認したルーミアは、両手を広げ、再び空へと舞い上がっていった。
「それで、わざわざこんな暑い日にどうしたの?」
吸血鬼にとって天敵である日光、しかも今日は吸血鬼でなくともまいってしまう様な陽射しの中、神社を訪れるレミリアに、霊夢は呆れながらも訊いた。
「そんなの、遊びに来たに決まってるじゃない」
「…胸を張って答えるものじゃないと思うけど」
「まあ、いいじゃないか。命を賭して霊夢に会いに来たんだ、大切にしてやれよ?」
「賭してない」
にやりと笑いながら二人を見る魔理沙に、霊夢がつっこむ。
「それにしても、今日は暑いわ」
手で顔を扇ぎながら、レミリアが呟く。日光に弱い彼女にとっては尚の事かもしれない。
「そうなのよ。どうにかして欲しいわ」
「暑いぜ暑いぜ、暑くて死ぬぜ」
お手上げとばかりに霊夢が答える。隣では、魔理沙が縁側に寝転んで、だらけきっていた。
「…霧でも出す?」
「「それは止めて」」
霊夢と魔理沙は、同時につっこんだ。
* * *
「こうすれば、少しは涼しくなるかもね」
霊夢の持つ柄杓から、ぱしゃん、と水が撒かれる。それは地面に染みを作り出し、徐々に小さくなってゆく。
「霊夢ぅ~、そんなにちまちまやってないでさぁ、こう、一気にばしゃっとやってくれよ、こう、ばしゃっと」
そんな霊夢の様子を縁側でぼーっとしながら見ていた魔理沙が、そんな事を言った。
「……こう?」
にや、と笑い、水がなみなみ入っている桶を、魔理沙に向ける霊夢。その意味を瞬時に理解した魔理沙は、家の中に逃げ込もうとして―――後ろからぶちまけられた水を、全身に被っていた。
「………やったな?」
「涼しくなった? とりあえず、頭しゃっきりさせなさい」
「ああ…」
振り返った魔理沙の顔は、笑顔。その表情に底知れぬ気配を感じた霊夢は踵を返し―――
「遅いぜ」
魔理沙の魔法が発生させた水に濡れていた。
「…お陰で涼しくなったわ」
「感謝してくれ」
縁側と庭に、相対する二人。動いたら、やられる―――
「二人共、大丈夫? びしょ濡れだけど」
「「………………」」
レミリアの冷静な声に、二人の動きが止まる。
ミーン ミーン ミーン ミーン………
静寂が訪れた神社に、蝉の声が鳴り響いていた…
* * *
「この浴衣でいい?」
「ああ、何でもいいぜ」
濡れてしまった衣服を干し、その間霊夢と魔理沙は浴衣を着る事にした。箪笥から引っぱり出してきた浴衣は、木の匂いがした。
「レミリアはどうする?」
「私も着たいな。今日はとっても暑いから」
「分かったわ」
霊夢は浴衣を掴んでレミリアに投げる。それを受け取り、レミリアは服を脱ぎ始めた。翼の部分は、仕方が無 いので破った。
「ちょっと勿体無かったかしら」
「いいわよ、それくらい。いっぱいあるから、欲しければあげるわよ」
「本当? じゃあ貰っちゃお」
レミリアが、嬉しそうに微笑んだ。霊夢がそれにつられて微笑んだ時。
チリーーーン………
今まで無風だった神社に風が吹き込み、風鈴を揺らした。
「あ…涼しい」
その風は、今までの湿った風とは違い、僅かに冷気を帯びていた。
「……こりゃあ、一雨来るな…」
魔理沙の目には、大きな入道雲が映っている。それは、風を伴ってどんどんと神社に近付いていた。
* * *
ザアアァアァアアアァァアーーーーーーーーー………………
夕方に降りだした雨は、夜になっても止む気配を見せなかった。それまでの晴天が嘘の様に、幻想郷は雨に打たれている。
三人は、地面を叩く大粒の雨を部屋の中から見つめていた。
「………帰れなくなっちゃった」
ぽつりと、レミリアが呟く。幻想郷において最高位レベルの妖怪である彼女も、流れる水には抗う術が無い。
「………帰れなくなっちゃったぜ」
魔理沙が溜め息をつく。普通の人間である彼女には、傘無しにこの天気は辛い。
「どうしようか」
「どうしようかねぇ」
口ではそう言っている二人の視線は、霊夢に注がれている。
「…そんなに遠回しに言わなくても、ちゃんと泊めてあげるわよ」
「わーい」
「さすが霊夢」
喜ぶ二人を見やり、霊夢は立ち上がる。そのまま台所へと向かう時、ふと言った。
「食べ物、三人分残ってるかしら」
「ん? ご飯なら二人分で大丈夫だけど?」
霊夢の懸念に、レミリアがあっけらかんと答える。
「…レミリア、それって」
「うん、私の目の前に二つも美味しそうな………」
「あんたは小食だから二人分もいらないでしょ!」
「頑張って吸うからね?」
「魔理沙のを吸いなさい」
「酷いぜ霊夢」
「うん、分かった」
「こら」
霊夢は振り返る事なく台所へと向かった。
そして、出来立ての料理を霊夢が持ってくる頃には、息を切らせながら畳に大の字になって寝転んでいる魔理沙とレミリアの姿があった。
「…だから……ぜー…しつこいっての…レミリア…」
「魔理沙のけち……はー……フランにはあげてるのに…」
「…二人共、ご飯出来たわよ」
室内に雨の匂いが入り込む。ざぁざぁという雨の音をBGMに、黙々と食べる霊夢と、激しい追いかけっこの後でなかなか食事が喉を通らない二人の夕食は、静かに続いていった。
「………うぇ」
「魔理沙、この煮物いらないの?」
「あー…いやー………うぷ」
「お腹いっぱい……」
* * *
「………………あ………つ………」
その夜、霊夢は寝苦しさで目が覚めた。蒸し暑くて、何だか息苦しい。
…そういえば、体も動かない―――
「ちょっと、あんた達……」
とりあえず、幽霊の仕業ではなかった。
寝転がっている魔理沙とレミリアが、それぞれ霊夢の上半身と下半身をしっかりと掴んでぐぅぐぅ寝ていたからだ。
「………すかー……いやぁ………霊夢…そんな事言われてもなぁ…へへ……私達は………え…? ……しょうがないなぁ……今夜だけだぜ……?」
「…んふ~……霊夢ったらもぉ………そんなに甘えなくても分かってるんだからぁ………ふふ………まだ始まったばかりなんだから……ね……?」
しかも、夢現の狭間でとても素敵な事になっている様だ。
「とりあえず―――暑いから、離、れ、な、さ、いっ!」
ぐいっ、と霊夢の手が二人の頭を掴んで揺らす。
「んがっ………あ…あぁ……?」
「んう……? あぅ、あぅ」
急に現世に引き戻された二人は、寝ぼけ眼で頭を揺らしながらのっそりと起き上がった。
「何だよ霊夢…? まだ足りないってのか…?」
「あれ…霊夢……いつの間にベッドじゃなくて布団になってるの…?」
…どうも、未だに少しばかり夢の中にいるらしい。そんな二人の頭を、霊夢は引きつった笑みを浮かべながら小突いた。
「酷いぜ、霊夢」
「うう…ぶった…」
魔理沙とレミリアは、霊夢によって正座の刑に処されていた。
「全くもう……次はこんな事するんじゃないわよ」
それに加えて、霊夢のお説教。ただし、決して箴言という訳ではない様だったが。
「はあ……ま、これ以上はもう何も言わないけど………そう言えば、雨、止んだみたいね」
雨の音が止んでいる事に気付いた霊夢が障子を開けると、そこには夏の満天の夜空が広がっていた。
「へえ…これはなかなか」
縁側に出て、夜空を見上げる霊夢。その瞳には、無数の星の輝きが映っている。
大地には、雨上がりに濡れた草の薫り。気温も、昼に比べればだいぶ下がっていた。
「わあ、ほんとだ」
「おお、今日は一段とすごいな」
魔理沙とレミリアも、いつの間にか霊夢の隣で星を見上げていた。
「それに―――綺麗な、満月―――」
星達の宴の中心には、太陽に代わり光る真円の月。その輝きは紅ではなく、あくまでも金色。
そして、その姿に惹かれる様に―――レミリアが空へと舞い上がった。
「あ、レミリア…」
「ふふふ……」
とても楽しそうに空中で舞うその姿は、とても幻想的であった。
霊夢と魔理沙がその舞いに見入っていると、すぅ…とレミリアの手が伸ばされた。
「ねえ、霊夢。一緒に…踊りましょう?」
「え…私?」
「うん。ほら、早く…」
「…しょうがないわね」
レミリアの誘いに乗った霊夢は、空中に浮かび上がると、レミリアの手をとった。
「うふふ…」
楽しそうに笑うレミリアは、霊夢の手を握りながら宙を舞う。それにつられる霊夢の動きも、舞っている様に見えた。
「………………」
そんな二人を、魔理沙は縁側に腰を下ろして、黙って見上げていた。風が吹き、風鈴をちりんと鳴らす。
「さしずめ、織姫と彦星ってやつか…?」
言って、すぐさまそれを頭を振って打ち消した。この二人は、一年に一度しか会えないという仲ではない。
「……そう言えば、明日は七夕だったな」
魔理沙は思い出した様に呟き、もう一度夜空を見上げる。そして一言、
「明日は私の番だぜー?」
と、二人に届くくらいの声で叫んだ。
無数に煌めく星々が作り出す天の川。
しかしそんな川の流れも、夜を美しく舞う二人の少女の間を分かつ事は出来ないらしい―――
そうか、もうすぐ七夕ですか…ってもう七夕だし。
周りにあまりこういうのを祝う習慣がないので、これで過ごすことにします。お疲れ様です~
なにやら久しぶりに良いほのぼのがみれました
お疲れ様です GJ!
今回もいいお話をありがとうございました。
あと締め方もきれいだと思いました
何気にルーミアとレミリアもいい組合せですよね。
久しぶりな気がしますが、さすがですね。
楽しく読ませていただきました。
締め方も素敵です。
ありがとうございますー。
いまや私は貴方のファンのひとりです。