「はッ、はッ……」
少女は、走り続けていた。
どのくらい走ったのか。何処を走っているのか。何故走っているのか。
それすらも解らなくなり、ただ行為だけがそこに在った。
呼吸は続かず、意識は朦朧とし、それでもまだ足は動き続け、走る事を止めなかった。
……くすくすくす。
……おかしいね。おかしいね。
後ろから声がする。
振り返るつもりなど無かった。誰がそこに居るのか解っていたから。
振り返りたかった。そうすればこの足が止まる事を解っていたから。
……くすくすくす。
……何が怖いのかしら? 誰が怖いのかしら?
幼子の声がする。
自分より、もっとずっと幼い、少女の声。
彼女は歌を歌っている。
何処かで聞いたことのある、歌だ。
――■■■ ■■ took an knife,
(■■■ ■■はナイフを手に、)
Hit her father forty thrust.
(父親を40回突き刺した。)
When she saw what she had done,
(自分のした事に気がついて、)
She hit her mother forty-oneeeee
(母親を41回滅多刺しいぃぃぃ)
何処かで聞いた、だが微妙に違う歌を口ずさみ、彼女はまたくすくすと笑う。
「何が怖いのかしら? 誰が怖いのかしら? 親をも殺したくせに。手当たり次第に殺したくせに。殺人鬼のくせに。殺人鬼のくせに」
くすくすと笑いながら、彼女は少女を追いかける。
体中にナイフを突き刺したまま、彼女は少女を追いかける。
全身を血で真っ赤に染め上げ、それでも彼女は少女を追う。
人間ならば致命傷の傷を負いながら、それでも彼女は笑う。
――なんで―――!
「死なないのか、って?」
不意に真横で聞こえた声に驚き、少女の足が止まる。
振り向くとそこには、全身からナイフを生やした少女が一人、紅い月を背に、立っていた。
「簡単な事よ。“時間”なんてモノは終わりあるモノにしか意味を成さない。時の流れの外に居るモノには、なぁぁぁんの意味も成さないのよ? タネの無い奇術師さん」
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁッ!」
絶叫し、“力”を発動させる。
瞬間。少女の目に映る世界が停滞する。
時間が、ゴムの様に間延びしてゆく。
間延びし、停滞した時の中で、手にしたありったけのナイフを眼前に浮いている彼女に投げつける。
どず、と鈍い音を立てて、全てのナイフが彼女の小さな体を穿ち抜く。
それを確認した瞬間、少女は能力を開放。
再び動き出した時は、ナイフの運動エネルギーを開放させ、彼女の体はその勢いのまま、大きく仰け反った。
激しく噴出す鮮血が、夜陰に満ち、少女の白い髪も彼女の体も、真っ赤に染め上げてゆく。
……やった……?
「てぇじぃなはおしまいぃぃぃ?」
気管を血が塞いだ所為で、ごぼごぼと音を立て聞き取りにくい声で言いながら、彼女は体を起こし、少女に微笑みかける。
その、ある種妖艶とも言える光景に、少女は再びナイフを投げつけた。
彼女はそれをかわそうともしない。ただ、受けた。
ずぐ、と鈍い音を立てて、鋼のナイフは彼女の額を穿つ。
「良い腕ね。余程練習したのかしら?」
柄の直ぐ近くまで刃が食い込みながら、それでも彼女は妖艶に微笑んでいた。
「無理無駄無謀無意味無価値。貴女に私は殺せない。殺せない。
女王は誰でも殺せるわ。女王はただただ殺すだけ。要らない奴の首撥ねる。
女王は誰でも殺せない。切り裂く者(ジャック)も女王を殺せない。
なぜならジャックはクィーンの僕。なぜならジャックはクィーンの従者。
従者に主は殺せない。主は従者を殺せるけれど」
軽やかに歌うように、彼女は血を流しながら少女の方に歩み寄る。少女の足は既に言う事を聞かなくなっていた。足が震えているのは、走り続けた疲れだけではないのだろう。いや、むしろ疲れ以外のもので震えている方が多かった。
「つまらない話ね」
彼女は、小さくため息をつくと、そう言った。
「ヒトはいつだってそう。自分達と合致しないモノを排除し、切り捨て、居ないモノとし、存在しないモノとし、忘れ去る。“私達”は何処にだって居るっていうのに。“私達”は直ぐ傍に居ると言うのに。そんなに気に食わないかしら? 私達が」
解らないでもないけど、と、彼女は言って、また笑みを浮かべる。
「だってそうよね? 人間なんて吹けば散る程度の存在ですものね? そんな小さな存在が、私達のような存在を恐れるのは、当然の理と言えるわね。これは、圧倒的にして絶対的な有為差なのよ」
だって、と彼女。
「人間なんて、私の“餌”に過ぎないんだから」
くすり、と彼女は笑みを浮かべ、ゆっくりと少女の方に歩み寄る。その姿は、体中をナイフに貫かれ、全身を朱に染めているというのに、凶悪なまでに荘厳だった。
自身の血に濡れた掌で、少女の頬に触れる。生きた者とは思えないほどの、冷たい手、だった。
「貴女が進む道は、二つ。今此処で私の晩御飯になるか、私に忠誠を誓い生き延びるか。前者を選べばこの世界とはおさらば。こんにちは煉獄。後者を選べばさようなら現世、こんにちは幻世」
どっちがいい? と彼女は少女の顔を撫ぜながら問う。
今ここで彼女に殺されるか、それとも頭を垂れて生き残るか。
「…………」
ふと思う。
私は生きていたいのだろうか?
両親を殺して、自分を認めてくれなかった世界を殺して。
それでも自分は生きていたいのだろうか。
死にたいのとは違う。そうでもなければ両親を殺したりはしない。誰も殺したりはしない。
……あ。
「私はただ、私を認めてほしかっただけなのに―――」
何故、皆は自分を受け入れてくれなかったのだろう。
何故、皆は自分を居なかったものにしたかったのだろう。
それが悲しかった。
それが辛かった。
「私だって、皆と同じニンゲンなのに……」
ただそれを、受け入れてほしかった。
たとえ自分が、ヒトと違う能力を持っていたとしても。
「違うわね」
そんな事を呟く少女に、彼女は、小さく、短く答えた。
「違う……?」
「ヒトは何時だってそういうもの。自分達の範疇の外に居るモノを受け入れる事は決してしない。たとえそれが自分達と同じモノであったとしても。
でもね、受け入れられなかった、という事は、もうすでに貴女はヒトと違うモノになってしまっているという事。ヒトを受け入れるのはヒト。ではヒトでないモノを受け入れるのはナニか。それは、“私達”」
彼女は少し考えるようなそぶりをして、少女のほうに手を伸ばす。
「手を取りなさい、切り裂く者(ジャック)。貴女の行く道はきっと“こっち”よ」
「・……………」
ゆっくりと少女は手を伸ばす。
差し出された手に、少女の手が届くまで、そんなに時間はかからなかった。
少女の手が、自分の手に触れた瞬間、彼女は妖艶に微笑む。
「ようこそ、人の身で、鬼となった者よ。
現世から捨て去られ、忘れられた者が集う、幻想の郷へ―――」
ぞっとするくらい妖艶で、蟲惑的な笑みを浮かべ、夜の女王はそう言った。
切り裂く者(ジャック)に夜の女王(クィーン)は、そう言った。
「貴女、名前は?」
少女の手を取り、彼女は問う。
「……名前なんて」
誰がこんな自分に名を与えてくれるというのだろう?
「そう……。なら私が貴女に名を与えるわ」
彼女はそう言うと、少し天頂を見上げる。
そこにあったのは、少しかけた十六夜月夜。
「……そうね。こんな名前はどうかしら? ――貴女の道が咲いた、十六夜月夜」
「十六夜咲夜。それが貴女の名前」
少女は、走り続けていた。
どのくらい走ったのか。何処を走っているのか。何故走っているのか。
それすらも解らなくなり、ただ行為だけがそこに在った。
呼吸は続かず、意識は朦朧とし、それでもまだ足は動き続け、走る事を止めなかった。
……くすくすくす。
……おかしいね。おかしいね。
後ろから声がする。
振り返るつもりなど無かった。誰がそこに居るのか解っていたから。
振り返りたかった。そうすればこの足が止まる事を解っていたから。
……くすくすくす。
……何が怖いのかしら? 誰が怖いのかしら?
幼子の声がする。
自分より、もっとずっと幼い、少女の声。
彼女は歌を歌っている。
何処かで聞いたことのある、歌だ。
――■■■ ■■ took an knife,
(■■■ ■■はナイフを手に、)
Hit her father forty thrust.
(父親を40回突き刺した。)
When she saw what she had done,
(自分のした事に気がついて、)
She hit her mother forty-oneeeee
(母親を41回滅多刺しいぃぃぃ)
何処かで聞いた、だが微妙に違う歌を口ずさみ、彼女はまたくすくすと笑う。
「何が怖いのかしら? 誰が怖いのかしら? 親をも殺したくせに。手当たり次第に殺したくせに。殺人鬼のくせに。殺人鬼のくせに」
くすくすと笑いながら、彼女は少女を追いかける。
体中にナイフを突き刺したまま、彼女は少女を追いかける。
全身を血で真っ赤に染め上げ、それでも彼女は少女を追う。
人間ならば致命傷の傷を負いながら、それでも彼女は笑う。
――なんで―――!
「死なないのか、って?」
不意に真横で聞こえた声に驚き、少女の足が止まる。
振り向くとそこには、全身からナイフを生やした少女が一人、紅い月を背に、立っていた。
「簡単な事よ。“時間”なんてモノは終わりあるモノにしか意味を成さない。時の流れの外に居るモノには、なぁぁぁんの意味も成さないのよ? タネの無い奇術師さん」
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁッ!」
絶叫し、“力”を発動させる。
瞬間。少女の目に映る世界が停滞する。
時間が、ゴムの様に間延びしてゆく。
間延びし、停滞した時の中で、手にしたありったけのナイフを眼前に浮いている彼女に投げつける。
どず、と鈍い音を立てて、全てのナイフが彼女の小さな体を穿ち抜く。
それを確認した瞬間、少女は能力を開放。
再び動き出した時は、ナイフの運動エネルギーを開放させ、彼女の体はその勢いのまま、大きく仰け反った。
激しく噴出す鮮血が、夜陰に満ち、少女の白い髪も彼女の体も、真っ赤に染め上げてゆく。
……やった……?
「てぇじぃなはおしまいぃぃぃ?」
気管を血が塞いだ所為で、ごぼごぼと音を立て聞き取りにくい声で言いながら、彼女は体を起こし、少女に微笑みかける。
その、ある種妖艶とも言える光景に、少女は再びナイフを投げつけた。
彼女はそれをかわそうともしない。ただ、受けた。
ずぐ、と鈍い音を立てて、鋼のナイフは彼女の額を穿つ。
「良い腕ね。余程練習したのかしら?」
柄の直ぐ近くまで刃が食い込みながら、それでも彼女は妖艶に微笑んでいた。
「無理無駄無謀無意味無価値。貴女に私は殺せない。殺せない。
女王は誰でも殺せるわ。女王はただただ殺すだけ。要らない奴の首撥ねる。
女王は誰でも殺せない。切り裂く者(ジャック)も女王を殺せない。
なぜならジャックはクィーンの僕。なぜならジャックはクィーンの従者。
従者に主は殺せない。主は従者を殺せるけれど」
軽やかに歌うように、彼女は血を流しながら少女の方に歩み寄る。少女の足は既に言う事を聞かなくなっていた。足が震えているのは、走り続けた疲れだけではないのだろう。いや、むしろ疲れ以外のもので震えている方が多かった。
「つまらない話ね」
彼女は、小さくため息をつくと、そう言った。
「ヒトはいつだってそう。自分達と合致しないモノを排除し、切り捨て、居ないモノとし、存在しないモノとし、忘れ去る。“私達”は何処にだって居るっていうのに。“私達”は直ぐ傍に居ると言うのに。そんなに気に食わないかしら? 私達が」
解らないでもないけど、と、彼女は言って、また笑みを浮かべる。
「だってそうよね? 人間なんて吹けば散る程度の存在ですものね? そんな小さな存在が、私達のような存在を恐れるのは、当然の理と言えるわね。これは、圧倒的にして絶対的な有為差なのよ」
だって、と彼女。
「人間なんて、私の“餌”に過ぎないんだから」
くすり、と彼女は笑みを浮かべ、ゆっくりと少女の方に歩み寄る。その姿は、体中をナイフに貫かれ、全身を朱に染めているというのに、凶悪なまでに荘厳だった。
自身の血に濡れた掌で、少女の頬に触れる。生きた者とは思えないほどの、冷たい手、だった。
「貴女が進む道は、二つ。今此処で私の晩御飯になるか、私に忠誠を誓い生き延びるか。前者を選べばこの世界とはおさらば。こんにちは煉獄。後者を選べばさようなら現世、こんにちは幻世」
どっちがいい? と彼女は少女の顔を撫ぜながら問う。
今ここで彼女に殺されるか、それとも頭を垂れて生き残るか。
「…………」
ふと思う。
私は生きていたいのだろうか?
両親を殺して、自分を認めてくれなかった世界を殺して。
それでも自分は生きていたいのだろうか。
死にたいのとは違う。そうでもなければ両親を殺したりはしない。誰も殺したりはしない。
……あ。
「私はただ、私を認めてほしかっただけなのに―――」
何故、皆は自分を受け入れてくれなかったのだろう。
何故、皆は自分を居なかったものにしたかったのだろう。
それが悲しかった。
それが辛かった。
「私だって、皆と同じニンゲンなのに……」
ただそれを、受け入れてほしかった。
たとえ自分が、ヒトと違う能力を持っていたとしても。
「違うわね」
そんな事を呟く少女に、彼女は、小さく、短く答えた。
「違う……?」
「ヒトは何時だってそういうもの。自分達の範疇の外に居るモノを受け入れる事は決してしない。たとえそれが自分達と同じモノであったとしても。
でもね、受け入れられなかった、という事は、もうすでに貴女はヒトと違うモノになってしまっているという事。ヒトを受け入れるのはヒト。ではヒトでないモノを受け入れるのはナニか。それは、“私達”」
彼女は少し考えるようなそぶりをして、少女のほうに手を伸ばす。
「手を取りなさい、切り裂く者(ジャック)。貴女の行く道はきっと“こっち”よ」
「・……………」
ゆっくりと少女は手を伸ばす。
差し出された手に、少女の手が届くまで、そんなに時間はかからなかった。
少女の手が、自分の手に触れた瞬間、彼女は妖艶に微笑む。
「ようこそ、人の身で、鬼となった者よ。
現世から捨て去られ、忘れられた者が集う、幻想の郷へ―――」
ぞっとするくらい妖艶で、蟲惑的な笑みを浮かべ、夜の女王はそう言った。
切り裂く者(ジャック)に夜の女王(クィーン)は、そう言った。
「貴女、名前は?」
少女の手を取り、彼女は問う。
「……名前なんて」
誰がこんな自分に名を与えてくれるというのだろう?
「そう……。なら私が貴女に名を与えるわ」
彼女はそう言うと、少し天頂を見上げる。
そこにあったのは、少しかけた十六夜月夜。
「……そうね。こんな名前はどうかしら? ――貴女の道が咲いた、十六夜月夜」
「十六夜咲夜。それが貴女の名前」
一点、気になったのが、名付けられてない筈の場面で「少女」が「咲夜」になっていたところでしょうか。
最後のシーンは書き終わった後に思いつきで入れたからこうなるわけで……。
思いつきで書くとロクな事にならないよ、という良い例ですねはい。orz