ここは妖怪の住むお山。
山を真っ赤に染めていたもみじの葉っぱもすっかり綺麗に散り落ちました。
赤や黄色の衣装を脱いだ森には雪が降り、一面真っ白な景色が広がっています。
そんな秋の終わったお山には、秋の神様姉妹が住んでいました。
どちらの神様も秋が終わると、それが残念で落ち込んでしまいます。
お社の中で大人しく、次の秋が来るのを待つのです。
だけど、おやおや? 今年は少し様子がおかしいようです。
「穣子、なんで外はあんなに白いのかしら」
「それは昨日雪が降ったからよ」
「穣子、なんで外はあんなに寒いのかしら」
「それは季節が冬だからよ」
「穣子、なんで冬はやってくるのかしら」
「それは秋が終わってしまったからよ。姉さん」
すると突然、それまでこたつに突っ伏したまま、火鉢にあたる妹神様と話をしていた姉神様が勢いをつけて立ち上がったではありませんか。
あまりにも勢いよく立ち上がったものだから、その上に乗っていた蜜柑が転がり落ちてしまっています。
だけど姉神様はそんなことなど気にせずに、大きな声でこう言いました。
「このままではいけないわ」
「いけないって何がどういけないの?」
対する妹神様は落ち着いた様子で尋ねます。
火鉢で餅を焼きながら、それが膨らみしぼむのをただひたすらに見つめながら。
「穣子、あなたはそれでも秋の神様なの?」
「これでも秋の神様よ。だからいったいどうしたの。いつもの姉さんらしくない」
「そりゃあ私らしくなくもなるわ。これは一体どういう了見なのかしら」
姉神様は窓の外を指差して、ますます怒った口調で言いました。
しぶしぶ妹神様が外を見ても、一面真っ白な白銀の世界が広がっているだけで、他には何もありません。
ふと視界の端で、白兎が一羽跳ねたくらいです。
「何もないじゃない。さっきから姉さんが何を言いたいのかさっぱりわからないわ」
「いいこと、穣子。私達は秋の神様なの。冬にはなんの力も持てないの」
「まったくもってその通りね」
「だったらこうしてただ秋を待つだけなんて、私には出来ないわ。こんな白いだけでなんにもならない季節より、紅葉の綺麗な秋の方が余程優れているのに、どうして秋は終わって冬が来てしまうの」
「うん、気持ちはとてもわかるけどね。でも姉さん、私達は秋の神様だからこそ、それがどうしようもないことだって分かってるんじゃないの?」
あくまでも淡々と、妹神様は姉神様に言葉を返します。
でもそれは落ち着いているからではありません。
同じ勢いで話すのがとてつもなく気怠いのです。
いつもは自分と同じで、冬は沈んでやる気のない姉神様が、今年は何故かこんな調子。
(あぁ、そういえばダントウがどうって、どこぞの誰かが言っていたような……)
いつもの冬より暖かいから、いつもの冬より元気なのかしら、と妹神様は考えました。
それが本当にそうなのかは知りません。
とりあえず妹神様に分かっているのは、これ以上姉神様の相手をするのは疲れるということだけです。
「穣子、お姉ちゃんは悲しいわ。あなたがそんなに諦めの良い子だったなんて」
「姉さんのは諦め以前に無謀だと思うのよ」
「もう良いわ。あなたが行かないならそれで良い。私は一人でもこの冬を終わらせてくるから」
そう言って姉神様は社を出て行きました。
しかし妹神様は、それをまったく止めようとはしません。
ようやく静かになった部屋の中、妹神様は姉神様が独占していたこたつに入って、一眠りすることにしました。
☆
さて、冬を終わらせると意気込んで出て来たは良いものの、実のところ沈んでいた気持ちが爆発しただけの姉神様には、行くあてなどありません。
ただここで手ぶらで帰ってしまっては、妹神様に合わせる顔もありません。
仕方がないので姉神様は、しばらくの間その辺りをぶらつくことにしました。
ですが、行けども行けども真っ白な雪に覆われて、同じような景色しか見えません。
足跡をいくつも残しながら、姉神様は冬の山を歩いていきます。
空はどこまでも青く澄み渡り、吹き抜ける北風は透明で冷たくて、今日はとっても良い天気。
それなのに姉神様の機嫌はどんどん悪くなっていきます。
「なんでこんなに白いのよ。赤も黄色も橙も、綺麗な色が一つもないじゃない」
紅葉を司る神様だから、彩りのない山はとても寂しく見えて仕方がありません。
それどころか、色を覆い隠してしまう白い雪は嫌いで嫌いでしょうがないのです。
そんなどこまでも続く白に、いい加減うんざりしてきた頃、姉神様の耳に何やら楽しげな声が聞こえてきました。
不機嫌な姉神様には、それが騒音以上に耳障りなものにしか思えません。
いったい何処の誰がこちらの気も知らずに騒いでいるのかと、姉神様はその声のする方へと足を向けました。
木立を掻き分け着いたのは、森の中の広場です。
今まで見てきた景色も真っ白でしたが、ここは何もない分もっと白く輝いています。
さんさんと降り注ぐ陽射しは、遮る物のない雪に反射して広場全体が光っているようにも見えるくらいです。
そんな広場の中心に、姉神様は一人で何やら作っている妖精の姿を見つけました。
妖精の女の子は薄手のワンピースに裸足と、見ている方が寒くなりそうな格好をしています。
とても寒いのにそんな格好でも遊んでいられるのは、彼女が氷の妖精だからです。
妖精は遊びに熱中しているらしく、こちらの気配にはちっとも気付いていないようです。
何をしているのかと観察してみると、妖精は自分の身体の膝丈くらいの雪玉を、一心不乱に転がしています。
その側には、自分の背丈ほどの雪玉が作られていました。
(いったい何をしてるのかしら)
姉神様は気になって、もっと近づいてみますが、妖精はそれでも気付きません。
知らんぷいをされることに腹を立てた姉神様は、黙ったまま右の手を妖精に向けてかざしました。
そして何を思ったのか、何の躊躇いもなく、神力を込めた弾を撃ちはなったではありませんか!
雪玉作りに夢中になっている妖精は、それに気がつくことはできません。
そして次の瞬間、派手な爆発音と共に、彼女が丹誠込めて作り上げた雪の大玉が白塵とともに砕け散ったのです。
「えっ? ふぇっ!?」
頭から雪を被った妖精は、一体何が起こったのかさっぱり分からず、目を瞬かせて周囲をキョロキョロ。
その驚きに染まった両目が姉神様の姿を見つけました。
何があったのかは分かっていませんが、妖精は目の前に立っている神様が何かをしたことだけは分かります。
「ちょっと! あんたいきなり何すんのよ」
「何って、“八つ当たり”よ」
まったく悪びれる様子もなく、姉神様は正直に答えました。
あまりにも堂々と言うものだから、妖精は思わず納得しそうにさえなります。
しかし、すぐに相手が悪いことに気がついて怒りをぶちまけました。
「八つ当たりって、あたしは何も悪いことしてないじゃんっ」
「そうね。でも強いて言うと、私の前で楽しそうにしているあなたが悪いのよ」
「あたしが悪いの?」
「そう、私から見るとね」
「って、あんた! それって勝手にあたしが悪いって決めつけてるだけじゃんっ」
怒っているかと思えばいきなり考え始めたり、そうかと思ったらまたすぐに怒ったりと、忙しない妖精は、姉神様とは正反対です。
そんなうるさい妖精に、姉神様は尋ねます。
「そんなことより、あなたは何をしていたの」
「そんなことってあんたねぇっ」
「そんなことはそんなこと。それより質問に答えて頂戴」
「雪だるまを作ってるに決まってるでしょっ」
雪だるま。
その言葉を聞いた姉神様は、首をきょとんと傾げました。
秋のことならなんでも知ってる姉神様ですが、嫌いな冬のことは実は全然知らないのです。
雪が降って、白くて寒い。
ただそれだけのつまらない季節。
姉神様にとって、冬はそれだけのものでしかありません。
だから雪だるまと言われても、いまいちピンと来ないのです。
「雪玉を転がすのが、雪だるまなの?」
「そうよ。二つの雪玉を作って、それを合体させて、雪だるまを作って遊ぶのよ」
「それのどこが面白いのかさっぱりわからないわね」
それなら実際やってみようと、妖精は言いました。
もう身体の部分は作ったから、一緒に頭を作ろうと。
だけど一つ妖精には見落としていることがありました。
「あぁーっ!?」
とても大きな声で叫んだのは妖精でした。
さっきまでそこにあったはずの、身体の部分が木っ端微塵に砕け散ってしまっているのです。
「なんで……せっかく、かんっぺきで最強の身体ができていたのに……」
「さっきの私の八つ当たりで壊れたのね」
「うがーっ! やっぱりあんたは許さないっ」
「そんなのまた作れば良いだけでしょ」
「そんな簡単なもんじゃないのよっ! あれだけ綺麗に大きいのを作るのに、あたしがどんだけ苦労したか、わかってるのっ?」
「わからない。そんな程度のことで苦労するなんて、やっぱり妖精ね」
その言葉に妖精も流石にカチンと来ました。(氷だけに)
だったらあんたがやってみなさいよ、と姉神様を挑発します。
妖精に言われて、神様が引き下がっては神得もなにもありません。
姉神様はさっそく雪だるまを作り始めました。
それから半刻後。
「な、なんで……こんなはずじゃあ」
肩で息を切る姉神様の周りには、失敗作の歪んだ雪玉がいくつも転がっていました。
何度やってもうまく作れず、その度に妖精に笑われてしまっています。
その妖精はというと、ただ見ているだけではつまらないと、自分もまた作りだしいつの間にかさっきと同じくらい立派な身体を作っていました。
「ふふんっ。どうやらあたしの方がうまいみたいねっ」
「うぐぐ……」
姉神様もさすがに言い返すことが出来ず、悔しそうな声を出しました。
その様子を見て、ますます調子に乗った妖精はこう言いました。
「勝負に負けたんだから、あんた、あたしの子分になってよね」
「いつそんな勝負になったのよ」
「あたしが今決めた」
「そんな話に私が頷くと思っているの?」
「あれ、いいの? あたしが勝ったって、みんなに言いふらすわよ」
そんなことをされてしまっては、次の年に得られる信仰が減ってしまいます。
妹神様からも文句を言われ、妖怪の山で紅葉を楽しむこともできなくなるでしょう。
そんな未来を想像して、姉神様はがっくりと膝をつきました。
ここで不条理な勝負の負けを認めるのも嫌ですが、言いふらされるのはもっと嫌なこと。
姉神様はしぶしぶといった様子で、妖精の子分になることにしたのです。
☆
「へー。あんた秋の神様なんだ」
「そうよ」
二人で空を飛びながら、秋神様と妖精は話をしていました。
ひとまずはお互いの自己紹介をすると、妖精はどうして秋の神様の姉神様がこんな所にいるのかと聞いてきたのです。
すると姉神様は、とても不機嫌そうな表情を浮かべてこう答えました。
「つまらないつまらないって思ってたら、その気持ちが爆発しちゃったのよ。これだら冬は好きになれないわ」
「なんで? 冬はとても楽しいのに」
「冬なんて雪しかない、寒いだけの季節じゃない。みんな迷惑するし、春や夏、秋の方が良いに決まっているわ」
「あたしは冬が一番好きだけどなぁ」
それはあなたが氷の妖精だからでしょう、と姉神様は怒った口調で言いました。
自分の力が一番強くなる季節を好むのは当たり前のことです。
氷の妖精なら、寒くて氷が張る冬は好きで当たり前なのです。
だからそんな妖精に、冬が好きと言われても、姉神様は何とも思いません。
「よし、わかった。それじゃあ、あたしが可愛い子分のために一皮脱いであげるわ」
「一皮脱いだら大変よ。一肌脱ぐの間違いじゃないの?」
「そうなの? どっちも一緒じゃん」
全然違います。
姉神様は丁寧にその違いを教えたあと、一体何をするつもりなのか聞きました。
自信満々に胸を張る妖精の姿は、とても不安に思えてならなかったのです。
「冬が嫌いなあんたに、冬がとっても素敵なものだって教えてあげるわ」
「いや、そういうのは別に……」
「遠慮しなくたっていいって! あたしが最強の冬を味あわせてあげるからっ」
その言葉には不安を大きくする効果しかありません。
ここにきて、姉神様はようやく自分が実はとても危険な相手と関わりを持ってしまったのではないかということに気がついたのでした。
だけどもうすでに関わってしまった後なので、どうすることもできません。
姉神様は妖精に連れられるがままに、空を飛び続けました。
そんな二人がやって来たのは、一面分厚い氷に覆われた、広い広い湖でした。
妖精が話すには、ここが彼女の縄張りなんだとか。
だからここの遊び方は一番自分が知っているのだと、またその平たい旨をえっへんと反らしてみせました。
「またこんな寒いところに連れてきて、一体私に何をさせるつもりなの」
「良いから良いから。とりあえずこっちに来て」
妖精が手招きをする方に、恐る恐る近づく姉神様。
そうして凍り付いた湖の淵までやって来ると、その硝子のように透き通った湖面に視線を落としました。
水鏡とはよく言ったもので、平らに凍った水面には姉神様の顔がくっきりと映っています。
改めて自分の不機嫌な表情を見て、姉神様はどれだけ自分が冬が嫌いなのかを知りました。
と、その時です。
その不機嫌一色だった表情が崩れ、驚きと恐怖に彩られたではありませんか。
ですが姉神様が、自分のそんな表情を見たのはほんの一瞬のことでした。
だって、次の瞬間にはそのつるつると滑る氷の上を走らされていたのですから。
「どう、これがスケートっていう遊びよっ」
「なっなっなっ!」
「ななな?」
「何でいきなり後ろから突き飛ばしたの!」
思わず大声を出してしまう姉神様。
そりゃあいきなり後ろから突き飛ばされたら、誰だって驚くし怒ります。
そんな姉神様の大声を聞いて、妖精は突然笑い出しました。
「あはははっ、どう、楽しいでしょ」
「神様の話を聞いてるのっ? というか、これはどうやって止まればいいのよっ」
「簡単だよ。普通に止まればいいだけだから」
それができないから止められないのだと、姉神様は言おうとしました。
だけどその前に妖精が先に止まってしまい、姉神様は一人つるつるつると滑り続けてしまいます。
空を飛べば止まれなくても助かるのですが、動揺してしまっている姉神様は、そんなことに頭が回らないようです。
結局滑りに滑って、ようやく岸までたどり着いたときには、姉神様の体力は底を尽きてしまっていました。
雪の上にも関わらず、姉神様は大の字になって寝ころびます。
もう一歩たりとも動きたくない。
そう考えて息を整えていると、そこへニコニコしながら妖精が戻ってきました。
その笑顔がどうしようもなく、姉神様を怒らせます。
「よくもやってくれたわね。子分にするとか言っておいて、さっきの仕返しでもするつもりなんでしょう?」
「何のこと? それよりどうだった、スケートっ。楽しかったでしょっ」
「全然っ」
「あれ? あんなに大声で騒いで楽しそうだったのに」
あれは止まれなくて、ちょっと泣きそうだっただけなのだと、そう言いかけて姉神様は口を噤みました。
どうにもペースを崩されっぱなしな姉神様は、いい加減この妖精の相手をすることにうんざりしてきました。
(まさか手を出した妖精が、こんな厄介物だったなんて……)
姉神様はどうすればこの妖精と穏便に別れられるかを考え始めます。
忍び足でその場を去っても、勝手にいなくなったことを知った妖精は怒り出すに違いありません。
そんなことをしたら、神様が妖精に負けたという噂が幻想郷に広がりかねないのです。
じゃあどうにか話し合って、帰らせてもらうことはできないものでしょうか。
それも人の話を聞かないこの妖精には無駄なこと。
却って話がややこしくなれば、逃げ出すことはもっと難しくなってしまうでしょう。
それじゃあ一体どうすれば、ここから無事に離れることが出来るのでしょうか。
その時姉神様は、良いアイデアを思いつきました。
この方法なら居なくなったことがバレても、変な噂を広められる心配もありません。
(妖精だし、ちょっとくらい痛い目に遭わせても大丈夫よね)
姉神様の良いアイデアとは、妖精を気絶させてその内に逃げるという、とても簡単なものでした。
ですがもともと忘れっぽい妖精ですから、記憶を飛ばすのも簡単なはず。
そうすれば妖精が起きた後に、自分が居なくてもこの妖精が怒り出すことはないと、姉神様は考えたのです。
「スケートは面白くなかった? うーん、じゃあ次はねぇ……」
まだ冬を好きにならない姉神様を楽しませようと、妖精は次の遊びを考え始めました。
これはまたとないチャンスです。
姉神様はとても自然な動作で妖精の後ろに回って、妖精の頭部に手を振りかざしました。
斜め四十五度の角度から、躊躇せずに一発で。
(それじゃあ少しの間眠っていてね)
「よぉし決めたっ」
「だからなんであなたという妖精は」
振り上げた右手をどうすることもできず、振り返った妖精を憎々しげに見つめる姉神様。
当の妖精本人は、まさか自分が今にも気絶させられようとしていたなんて知る由もありません。
次の遊びを思いついたことで、もう頭の中はそれでいっぱいだからです。
輝く眼差しに見つめられては、姉神様もその振り上げた腕をそのまま降ろすことしかできません。
「ん? どうしたの?」
「……なんでもないわ」
「まぁそんなことより、次に行くわよっ。冬の楽しみ方はスケートだけじゃないんだから」
それよりも帰してくれと、その願いが聞き入れてもらえたらどれだけ嬉しいか。
その言葉を言うこともできず、姉神様は妖精に手を引かれるがまま、また冬の森を歩き出すのでした。
☆
「じゃーんっ」
「……って言われても」
姉神様が次に連れてこられたのは、何もない、というか普通の森の中でした。
別に珍しい物があるわけでもなく、姉神様にはどうしてここに連れてこられたのかわかりません。
でも妖精の顔はさっきよりも自信満々で、それがまたさらに不安を煽ります。
「ここはあたしの秘密の場所なのよ」
そう言って妖精は片目を閉じました。
どうやらウインクがしたいようですが、慣れてないのかちっとも可愛く見えません。
でもそんなぎこちないウインクよりも、この場所がどうして秘密なのか方が、姉神様には気になります。
すると妖精は、その辺を何か探すように歩き始めます。
目を皿のようにまん丸くして、何やら木の一本一本を丹念に調べては、違う違うと首を振るのです。
姉神様が、いったい何をしているのかと尋ねても、気のない返事しか返しません。
「一度に一つのことしかできないのね。やっぱり妖精は妖精か」
酷い言い方をしていても、妖精にその声が届くことはありません。
それがわかっているから姉神様も、ためらいなくそう言うことが言えるのです。
「見つけたわっ」
「はいはい、それで? いったい何をみつけた、の?」
「どうっ、なかなかの大物よっ」
そう言って妖精が差し出した手の平には、ぬめりとした粘液に身を包んだ大きなカエルが握られていました。
冬眠中の所を堀りだされて、眠たげに欠伸をしています。
その寝惚け眼が、姉神様の琥珀色の瞳とぶつかりました。
その瞬間、姉神様の悲鳴が森の中に響き渡りました。
「そんなに驚くものなの?」
「いきなりカエルを目の前に突き出されたら、誰だってビックリするに決まっているでしょうっ」
「あたしなら喜ぶけど」
「それはあなたが変なだけ。そもそもなんでカエルなの? 秘密の場所に連れてきて、私に冬が楽しいって教えてくれるんじゃなかったのかしら」
「だからほら、こうやってカエルを見せてあげてるんじゃないの」
姉神様には、どうにも妖精の言うことが理解できません。
すると妖精は勿体ぶった口調で、この場所がどうして秘密なのかを姉神様に教えました。
「良い? カエルって冬は見つからないの。それは土の中で眠っているからなのよ」
「知っているわ」
「この場所はそうやって土の中で眠っているカエルがいっぱいいるの。ここは冬でもカエルで遊べる、とっておきの場所なのよ」
そう言われたところで、姉神様にはカエルで遊ぶ趣味はありません。
だから妖精が得意げに話しても、ちっともその凄さも良さも理解できないのです。
ますます妖精のことが分からなくなり、姉神様は溜息を吐きました。
吐き出された吐息は白く凍って、空へと立ち上っていきます。
その息が向かう先に、ふと視線を送った姉神様の表情が、途端凍り付きました。
そこに居たのは大きな両目、もとい目の付いた帽子を被った女の子でした。
ですがその子はただの女の子ではありません。
お山のてっぺんに住む、とても強い二人神様の内の一人。
秋を司る姉神様では到底太刀打ちできないほどの力を持った、土着神様なのです。
「最近カエルを苛めているやつが居るって聞いてきたんだけど、どうやらあんた達のことのようね」
土着神様はカエルの神様でもあります。
だから仲間が無理矢理叩き起こされるのを、黙って見過ごすことはできません。
その両目は怒りに満ちて、心なしかカエルを象った帽子の目まで起こっているようです。
「何よあんた。あんたもカエルで遊びたいの?」
一触即発な空気を読まず、さらに事態を悪化させる言葉を発したのは妖精でした。
その手には寒さで凍えるカエルの姿。
これでは言い訳も何もあったものではありません。
「私の前でカエルを虐待するなんて、妖精のクセに良い度胸をしているわね」
「何よ、その“クセに”っての。よく分からないけどむかつくわ」
「やめなさいよ。あなたが勝てるわけ無いじゃない」
姉神様は無用な戦いは避けようと、妖精を説得しますが、妖精は聞く耳を持ちません。
話を聞かない性格は、どうやらここにきても健在なようです。
「あら、私に立ち向かってくるつもり? 良いけど、カエル達のこともあるから手加減はしないからね。あと、そっちのあんたも一緒に懲らしめるから」
「え、なんでっ」
「なんでって、あんた達二人でやっていたんでしょ」
「違うわよ。私はこんな気持ちの悪い生き物と遊ぶなんて――」
「天誅ーっ!」
口は災いの元。
悪気はなかったとはいえ、言ってはいけないことを口走ってしまった姉神様は、妖精と仲良くコテンパンに伸されてしまいました。
☆
怒った神様にお仕置きされた姉神様と妖精が、目覚めたときにはとっぷりと日が暮れてしまっておりました。
天鵞絨の空には満点の星空と、数日後に満月を控えた月が昇っています。
今日はこの妖精に付き合わされて、とてもさんざんな目に遭ってしまった姉神様。
「もう付き合っていられないわ。帰る」
「ちょっと待ちなさいよ。まだあんたは冬が嫌いなままじゃない」
「こんな目に遭わされてばかりで、どうして冬を好きになれるって言うの」
これ以上話すことはないと、姉神様は帰ろうとします。
しかし服の裾を引っ張られて、帰ることは適いません。
いい加減にしなさいと、姉神様は強く言い放とうと振り返りました。
ですがその言葉は言えませんでした。
自分を見つめ返してくる瞳が、雨に打たれて震える子犬のように輝いて、姉神様は何も言葉を発することができないのです。
「あぁもう。わかったわ。あと一回だけ付き合うから」
すると、憂いを帯びたアイスブルーの瞳は途端に喜びに満ちた輝きを取り戻します。
そして満面の笑みを浮かべて妖精は、掴んでいた服の裾を離し、代わりに姉神様の手を掴みました。
それを姉神様が振り払うことはありません。
ここまで来たら、もう後はどこまでも付き合おう。
どうせこの妖精には何を言っても無駄なんだし。
そう考えて妖精の後を付いていく姉神様。
ですが、その手を振り払わなかったのには、まだ姉神様も気付いていない理由があったのです。
☆
道無き道を踏み越えて、雪化粧された森の中を進んでいく二人。
空から降る月明かりを頼りに、姉神様は先を行く妖精を見失わないように追いかけます。
妖精は最後に、もっともっととっておきの場所があるから、そこに案内すると言いました。
その場所を目指して、もう随分と歩いていますが一向にたどり着く気配は見えません。
それでも姉神様は、不思議と疲れを感じることなく歩き続けます。
真夜中の森はとても静かで、二人の足音以外は何も聞こえません。
あれだけ騒がしかった妖精も、先を急ぐのに必死なのか、今は一言も喋りません。
二人は黙々と歩き続けて、どんどん森の奥深くへと入っていきました。
それからしばらく経った時でした。
前を歩いていた妖精が、突然その足をピタリと止めたのです。
「どうしたの?」
姉神様が尋ねると、妖精はクルリと振り返り、またあの眩しい笑顔を浮かべます。
月光を受けたその笑みは、今までで一番綺麗なものに見えました。
そんな笑顔を浮かべたまま、妖精はまた姉神様に向かって手を差し伸べます。
「着いたわっ。ほらほら早く」
その手を取ることに、姉神様は何も躊躇いません。
妖精に手を引かれて小高い段差を乗り越えると、そこには今まで見たこともない光景が、姉神様を待っていました。
妖精と出会った場所のような開けた空き地。
森の奥にあるそこに、近づくものは誰もいなくて、輝く雪の結晶は白い絨毯のように広がっています。
そこに月光が降り注ぎ、昼間の雪原とはまた違った美しさがありました。
誰も立ち入らない、まるで聖域のような場所は、まさしくとっておきの場所でした。
「キャッホーッ!」
途端、心地よい静けさをけたたましく打ち破る奇声が響き渡ります。
その声に心臓を跳ね上げた姉神様がその声のする方を見ると、妖精がその雪原目掛けて一直線に走っていくではありませんか。
足跡一つ無かった雪原には、瞬く間に妖精の裸足の足跡が、花が一斉に咲いていくように増えていきます。
走っている内にどんどん気分が良くなってきたのか、妖精は大声で笑いながら走り回ります。
自分だけの世界に入ってしまい、妖精にはもう姉神様の姿は見えていません。
「アハハハハハハッ、は、はっ!? へぶっ!」
「あ、こけた」
スピードがついたまま派手に転んだ妖精は、頭から雪の中に突っこんで、ぴくりとも動きません。
さすがに姉神様も心配になって、倒れたままの妖精の所に駆けつけました。
「ねぇ、ちょっと、大丈夫なの?」
「ぷはーっ! 死ぬかと思った。ま、あたしは最強だから死なないけどっ」
勢いよく起き上がった妖精は、まったく怪我なんかしてない様子で笑いながら言いました。
心配して損したと、姉神様は呆れ顔ですが、その顔はどこか笑っているようにも見えます。
「ほら、あんたもやってみてよ。綺麗な雪原に足跡着け放題なんだから」
「いや、もうあなたが足跡つけまくっちゃったじゃない」
「あれ、そうだっけ? アハハ、ごめんごめん」
どこまでも脳天気で元気な妖精に、姉神様はふとある疑問が浮かびました。
走り疲れて雪の上に寝ころぶ妖精に、姉神様はその疑問を投げかけます。
「ねぇ、あなたには嫌いな季節ってないの?」
「ないよっ」
即答する妖精に、姉神様は思わずずっこけてしまいます。
そういう答えが返ってくるともよ予想していたのですが、これだけきっぱり言い切られるとは思っていなかったのです。
だけど、今度はどうしてそこまで言い切れるのか、という疑問が浮かびます。
「あなたは氷の妖精でしょ? 夏とかは嫌いじゃないの?」
「うーん……暑いのは嫌いだけど、夏はそんなに嫌いじゃないよ」
「どうして?」
すると妖精はこんな答えを返してきたのです。
「だって、どんな季節がやってきても、一緒に遊べる友達がいるんだもん」
友達がいるからどんな季節も楽しいのだと、妖精はただそれだけで良いのだと言いました。
その答えに、姉神様は自分にとって友達と呼べる知り合いがいないことに気がつきました。
祀られるという目的で人と遊ぶことはありますが、それは昔から続けてきた風習でしかありません。
秋には秋らしい紅葉を滞りなく広げるために、人々と遊ぶことで信仰を得て、姉神様は山を染めるのです。
遊びとは、姉神様にとってそういうものでしかないのです。
そんな風に笑って言える妖精が、姉神様にはとても羨ましく見えました。
そして、どうして妖精が差し伸べた手を自然に取ることができたのか、その理由にも気がつきます。
それは差し伸べてくれた手が、とても輝いて見えたから。
差し伸べてくれたことが、遊びに誘ってくれたことが、とても嬉しく思えたから。
姉神様は妖精の前だというのに、いつの間にかその朱いほっぺたに一筋の涙をこぼしていました。
慌てて気付いて拭いますが、もう妖精には見られてしまっています。
「どうしたのよ! あたし、何か悪いことしたっ!?」
「ち、違うの。これは、なんでもないわ」
「なんでもないことないでしょっ」
このままだと誤解されたまま、妖精はまた暴走してしまいます。
ここは本当のことを話さないといけないと、姉神様は本心からの言葉を口にしました。
「あなたは友達がいるから、どんな季節も楽しいって言ったわね?」
「え? うん、言ったよ」
「だけど、私が初めてあなたを見たとき、あなたは一人で遊んでいたわ。それでも楽しかったの?」
「だってみんな用事があるって言ってたんだもの。だけど、途中であんたが来てくれたじゃない。だからそこからは楽しいわよ」
その言葉にまた虚を突かれた姉神様は、思わず呆けてしまいます。
だって最初の出会いはあんなだし、楽しがろうともしない自分に、そんな言葉を掛けてくれるなんて考えもしなかったのです。
それは自分を友達と言ってくれているのと同じ事だから。
すぐには信じられない姉神様は、さらに質問を続けます。
「でも私はあなたの子分ってことになってるんじゃ」
「子分だけど、友達なの。あたしがそう決めたから、それで良いの」
「……チルノ」
「あ、やっとあたしの名前を呼んでくれたわね」
妖精はまた満ち足りた笑顔を浮かべます。
今度はその笑顔に釣られて、姉神様も笑いを溢しました。
月夜の雪原に、二つの笑い声が響き渡ります。
ただ笑っているだけなのに、姉神様は心が温かくなっていくのを感じました。
ひとしきり笑いあった後、姉神様は何故か顔を曇らせて、妖精に言いました。
「ねぇ、チルノ」
「なぁに?」
「また私と“遊んで”くれるかしら」
自信なさげに尋ねる姉神様に、妖精は目を瞬かせます。
ですがすぐに言われたことに気がついて、可笑しそうに笑いました。
「なに当たり前のことを聞いてるのよ。もっと真剣なことを言うのかなって思ったのに」
「……ありがとう」
「良いって良いって。だって、あたし達は友達でしょ。友達同士が遊ぶのは当たり前なんだから」
「そうね。当たり前……なのよね」
そんな当たり前のことを知ることもなく、ふて腐れて過ごしてきた冬。
だけどこれからの冬は、これまでとは違うものになると、姉神様はそう思いました。
そして今度は妹神様も連れてこようと、そう決めたのです。
「それじゃあ今度は雪合戦ね」
「雪がっせん? それも何かの遊びなの?」
「雪合戦も知らないの? 仕方ないなぁ、あたしが最強の雪合戦を教えてあげるわ。まずは雪玉と一緒に、ばれずに氷を投げるコツからね」
夜通し続いた二人の会話。
それを見ていたお月様が沈むまで、二人はずっと喋り続けて、そして「またね」と別れました。
「またね」
それは友達同士で交わす、短いけれどとても大切な約束の言葉。
姉神様は、その言葉を何度も何度も心の中で呟いていました。
☆
「うぅー……、やっぱり冬なんて大嫌いぃ」
「まったく。あんな寒い中ずっと外にいたんだって? 神様が風邪引くなんて、笑い話にもならないわよ」
ばっちり風邪を引いてしまった姉神様。
妖精と遊ぶ日は、もう少し先のようですね。
《おしまい》
それにしてもチルノが無邪気で可愛らしいですね。
何だか童話のような雰囲気の作品でした。