※この作品には、作者のある程度の主観が入っております。
また、過去分に関しては、
http://www.geocities.jp/ocean_sakaki/library/index2.htm#hanmyon ←こちらのACT1~ACT7をご参照ください。
ではでは、お楽しみを。
翌日。
妖夢は、幽々子からまたも幻想郷へのおつかいを頼まれた。
あと、『ついでに紅魔館の方にも寄ってらっしゃい』と、少々の暇も与えてもらった。
気を遣ってくれたのかもしれない。単なる天然という確率もあるが、どちらにしてもありがたいことだ。
妖夢の半霊が妙夢の姿を取って四日。それといった大きな事件もなく、十六夜咲夜からの連絡はないが……やはり、彼女の練っている対策の進展というのも気になるし、何よりこの状態の相談をするのにもそろそろいい時期だ。
先夜に抱いた迷いに付いても、何か前に進めるきっかけを掴めるかもしれない。
だから、妖夢はこのおつかいに、妙夢のことも連れて行こうと思ったのだが……しかし。
「妙夢、どうしたの?」
「…………」
「ほら、行くよ」
「…………」
妙夢は何故か、おつかいの同行を渋っていた。
いつものように無表情ながらも、部屋の畳に座り込んでジッと動かないのは、明らかな拒否姿勢である。
別に体調が悪いというわけでもなく、面倒くさがっているわけでもない。それはわかる。
何より、朝方までは普通通りだったというのに、この子がこういう風に重い雰囲気になっているのは……そう。幽々子におつかいを頼まれた時からだ。その時からの妙夢は、無言ながらもどうも反抗的であり、何を言っても『ぶんぶん』と首を振るだけである。
自分自身であるといっても、四日も経つと自分とは思考が微妙に違っても来るから、今の妙夢の心理は妖夢とて推し量れない。
何故? と思うのだが、その場に留まっているわけにもいかない。
「しょうがない、じゃあ、一人で行ってくるね。妙夢は幽々子さまのことをお願い」
溜息ながらも、妖夢はそのように言い置いて、部屋を出て行こうとしたところで。
がっしと、手首をつかまれた。
見ると、妙夢がいつの間にかこちらに寄ってきており、手首を両手でつかんでジーッと上目遣いで見つめてきている。
「妙夢?」
「…………」
「ちょっと、放して。おつかいにいけないから」
「…………」
いくら言っても、聞いてくれない。こちらのことを見上げてくるのみである。
この聞き分けのなさには、さすがに妖夢も苛立ちを感じずにいられなかった。
「妙夢っ」
「……!」
少し語調を強めて言うと、妙夢はビクッと肩を震わせる。だが、妖夢の手を放す様子はない。
こうなったら力づくでも引き剥がしてやろうか、と思った先。
「?」
気付いた。妙夢の目に、うっすらと涙が浮かんでいるのに。
表情には相変わらず感情の動きというものが見られないのだが、そのわずかな涙は、確実に何らかの感情を表している。ならば、一体何を思っているのか……と、いつものように妙夢の表情からそれを感じ取ろうとするが、今に限っては、それを悟ることが出来ない。
妙夢が意図的に隠しているのだろうか、それとも、これは……。
「はい、そこまで」
と、いつの間にやってきたのか、幽々子が二人の間にやんわりと割って入っていた。
そっと二人の手を取って、妙夢が掴んでいた妖夢の手をゆっくりと解いていく。
「妖夢、気にせず行ってらっしゃい」
「…………」
幽々子がそのように朗らかに言うと、妙夢はムッとしたように彼女の顔を見るのだが。
先読みしていたのか、幽々子がにっこりと朗らかに微笑み返すと、毒気が抜けたかのようにそっぽを向いてしまった。反抗する気概がなくなったようだ。……その辺はさすがと言うべきか。
「ええと、行ってきて良いんですか?」
「行かないと、頼まれたおつかいができないじゃない。そんなこともわからないの? だめねぇ、妖夢ったら」
「いや、そんなボロクソに言われると微妙に凹むのですが、そういうことではなくて」
「大丈夫よ。この子の面倒は、私が見ておいてあげるから」
「どちらかというと幽々子さまは面倒見られる側と思うんですけど……というか、幽々子さまは妙夢の言いたいこととかわかるんですか? 基本、この子は無口ではなく本当に言葉とか話せないんですけど」
「簡単よ。いつもやっているように、妖夢の考えていることを当てればいいんでしょ?」
いつもやっているように、と言われても、当てられたことがないような気がする。でも、そんなツッコミを入れても飄々と受け流されそうな気がするので、
「……では幽々子さま。今、私が何を考えているかわかります?」
そう言って、妖夢は幽々子に真っ直ぐに視線を送ってみた。
対して、応えるように幽々子は『ん~』とたっぷり三秒、こちらの目を見返してから――普段の朗らかな微笑とは明らかに離れたニヤニヤとした笑みを浮かべ、
「ヘイ彼女、俺っちとロマンティック大統領も真っ赤に火照るようなラブに付いてトークしねぇかい? いいチチしてんなぁ、おい」
「……ぜんっぜん違いますからね。というか、どこで憶えたんですか、そんな、西部方言の亜流みたいなイントネーションまで」
妖夢がげんなりして言うと、幽々子は元の呑気な表情に戻り、どこからか古めかしくもやけに分厚い書物をこちらに示してきた。
題名には、『シゲちゃんの古今東西女人の口説きテクニック・第二版』と書かれている。
「昨日紫が遊びに来たときに、『友人からのもらい物よ』って言って持ってきたのがいろいろ興味深かったから、頼んで複製してもらったの。なかなか趣深い言語の数々が載ってて面白いわよ? あとで妖夢も読んでみる?」
「丁重にお断りしておきます……」
また、あの人は要らないものを……。
境界を自由に行き来するあの御方にとって、変なものを持っていない方がおかしいので、その辺は諦めるしかないのか、やはり。
……なんだか話が脱線気味だったが、ともかく。
さっさと頼まれたおつかいに行ってくることにしよう。
「妙夢」
今一度、妖夢は幽々子に手を取られている妙夢に呼びかけてみるが、妙夢は未だに重い雰囲気のままであった。
一度、何かを伝えようとしてこちらを見ようとしたが、ややあってそれをキャンセル。溜息を付くかのように視線を外して、俯いてしまう。
どうやら、今ここでは何を話しても無駄であるらしい。
となるとやはり、ここは幽々子さまにお任せするしかないか……。
「あの、ホントにこの子を任せて大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。心配せずに行ってらっしゃい」
「いや、ものすごい心配なんですけど……わかりました」
後ろ髪を引かれる思いながらも、やることはやらないといけないわけで。
なるべく早く済ませてこようと思いつつ、妖夢は白玉楼を出て、冥界の空へと飛び立った。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
本当は、元に戻った方が良いというのはわかっている。
妖夢は人で、私は霊。
分けられてこそ、半人半霊として私達は成り立つ。
しかし、あの時。
私は、彼女に行かないでほしいと思った。
元に戻ることの手がかりを聞きに行くよりも、このままで居ることを、私は願った。
何故か?
――それはもう、わかりきっていることだ。
「元に戻ることで、妖夢とお別れするのは、つらい?」
白玉楼の縁側にて、私の隣に座る幽々子さまがそのように問うて来た。
先程みたいなお戯れのときとは打って変わって、穏やかながらも、私の想うことを当ててくる。
私は、どう応えるかを迷った。
幽々子さまから視線を外して、俯いたまま。
しかし……妖夢の主であり、そして私の主でもあるこの御方は、いつまでもどこまでも穏やかな笑みを浮かべて、私のことを待っている。
「…………」
こくこく
だから、私は頷いた。
別れはつらく寂しい。
昨日、幽々子さまはそう言っていたし、紫さまもそう感じていた。そしておそらく、誰もが思うことだ。
私の終わりも、近いうちにやってくる。
それは必ず避けて通れない道。
それを、私はつらいと感じてしまう。
本当に、いつの間にこんな気持ちを持ったのかわからないけど。
「そうねぇ。でも、元に戻ったとしても、あなたはあの子の傍に居るのでしょう?」
そう。
厳密に言えば、元に戻ることが『別れ』とは言えない。
半霊に戻ったとしても、私は妖夢の傍を漂い続けるし、私が妖夢自身であるという事実がある限り、私達はずっと共にあり続けるのだろう。
おそらくは、幽々子さまよりもずっと長く、私は妖夢とあり続けるのかもしれない。
だけど。
私が想うのは、そんな理屈じゃない。
「……妙夢?」
ただただ、手放したくないのだ。
十六夜咲夜が、私の時間を止めた瞬間から始まった日々。
妖夢の意思から離れた日常。
自分の意思で妖夢と接する日常。
妖夢のことを手伝う日常。
妖夢と剣の鍛錬をする日常。
妖夢と共に、幽々子さまのお世話をする日常。
妖夢と、幽々子さまと、私とで……笑い合える日常。
それら全てを、手放したくないと思った。
「妙夢」
俯く私に、もう一度、幽々子さまは優しく呼びかける。
「私も、妖夢と過ごす日常はとても大事だし、妙夢と過ごしてきた日々もとても楽しかったわ。いろいろ新鮮だったし、何かと便利だったし」
最後のは言わなかったような気がしないでもない。
そんな私に気付いていないのか、幽々子さまは言の葉を紡ぐ。
「それを手放したくない、というあなたの気持ちは決して間違ってはいない」
「…………」
「でもね。別に、あなたが元の姿に戻ることが、手放すということにはならないと思うの」
「……?」
手放すことにはならない。
一体、どういうことだろうか。
「だって、あなたはいつでも取り戻せるもの」
取り戻せる……?
「妖忌がここから居なくなったとき。風吹との旅を終えたとき。他にも悲しいことがあったとき。感受性の強いあの子は、それを体感する度に心から泣いたわ」
「…………」
よく憶えている。
妖夢の泣き顔なんて関係なく、私自身にとっても、とても悲しく感じたことだ。
長きに渡って支え育ててくれたお師匠様。短い刻ながらも楽しく笑い合えていた友人。他、いろんな者との別れを体感したとき。
彼らに、もう会えることはない。あの日々を、あの時間を、もう取り戻せない。
「でも、あなたは違う」
「…………」
「あなたは、どんな時でもあの子の傍に居てくれるのでしょう? あの子がどうしようもなくなってしまったとき、あの子自身が必要とすれば、いつでもあなたは助けになってくれるのでしょう?」
もちろん。
こくこくと、力強く頷く。
「それでいいじゃない」
対して、幽々子さまはにっこりと微笑んだ。
私の実体は幽霊だというのに、なんだろう、とても胸の奥が熱くなってしまう、綺麗な微笑だ。
「半霊の姿でも、今のあなたの姿でも、妙夢は妙夢よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
私のことを優しく抱き寄せて、頭をポンポンと撫でながら、幽々子さまは囁くかのように言ってくる。
幽霊だから、体温は冷たい。でも、心はやはり温かい。
「これからも、いろんな形で妖夢には甘えて良いし、妖夢のことを手伝っても良いし、妖夢との修行だってやりようによってはできると思うし」
「…………」
「私だって、あなたにはいつでもお世話されるつもりだし……あなたが笑う瞬間だって、表情なんてなくてもいくつでも感じ取ってあげるわ。それに――」
「……?」
それに?
「今までだって、私はあなたの笑う瞬間を感じ取ってきたつもりよ? なんとなくだけどね」
「――――」
ああ、そうか。
いつだって取り戻せるし。
――いつだって、そこにあったのだ。
普段からも、この御方は私のことを感じてくれていたのだ。
それをわかっていなかったのか、私は。
なんてことだ。
人の姿になってみて、初めて理解するなんて。
だから。私のように霊ではなく、人である妖夢も、それを解っているから。
今、元に戻ることに、迷いがないのだろうか。
「それにしても、あなたがそのように感じているからには、妖夢も少なからず手放したくないとか思ってるかもしれないわねぇ」
「…………」
「それに妖夢の場合、基本的にストレートだから、そこまで考えが行ってないんじゃないかしら? 昨夜の仕掛けのときも、わかってなかったみたいだし。人の姿のときだけでなく、普段からも妙夢が怖がってるんじゃないかってこと」
あの、幽々子さまの変装のことか。
まさかそこまで考えていたとは……否、考えていたと言うより、やはり感じてくれていたと言うことなのだろうか。
直感でそうしよう、と思っていたと言うことか。
本当に、ものすごい人だ。
「だから、心の底で元に戻ることを寂しがっているかもしれない妖夢に、あなたが今からそれを伝えに行って来て頂戴。どんな形でもいいから。これ、あなたに初めて頼むおつかいね?」
そして、心底、我が主としてこれからも傍に仕えたくなる人だった。
妖夢にとっても、私にとっても。
「どうしたの?」
いつしか、幽々子さまの腕から離れ、私は幽々子さまの目をじっと見つめる。真っ直ぐに、力強く。
文字通り言葉にも表情にも表せないけど、今、胸に抱いているこの気持ちも。
この人には、届いてくれるのだろうか。
「――――」
「ええ、私もよ」
また、にっこりと、変わらぬ微笑と共に。
その言葉を聴かせてくれただけで、私にはもう充分だった。
-続く-
また、過去分に関しては、
http://www.geocities.jp/ocean_sakaki/library/index2.htm#hanmyon ←こちらのACT1~ACT7をご参照ください。
ではでは、お楽しみを。
翌日。
妖夢は、幽々子からまたも幻想郷へのおつかいを頼まれた。
あと、『ついでに紅魔館の方にも寄ってらっしゃい』と、少々の暇も与えてもらった。
気を遣ってくれたのかもしれない。単なる天然という確率もあるが、どちらにしてもありがたいことだ。
妖夢の半霊が妙夢の姿を取って四日。それといった大きな事件もなく、十六夜咲夜からの連絡はないが……やはり、彼女の練っている対策の進展というのも気になるし、何よりこの状態の相談をするのにもそろそろいい時期だ。
先夜に抱いた迷いに付いても、何か前に進めるきっかけを掴めるかもしれない。
だから、妖夢はこのおつかいに、妙夢のことも連れて行こうと思ったのだが……しかし。
「妙夢、どうしたの?」
「…………」
「ほら、行くよ」
「…………」
妙夢は何故か、おつかいの同行を渋っていた。
いつものように無表情ながらも、部屋の畳に座り込んでジッと動かないのは、明らかな拒否姿勢である。
別に体調が悪いというわけでもなく、面倒くさがっているわけでもない。それはわかる。
何より、朝方までは普通通りだったというのに、この子がこういう風に重い雰囲気になっているのは……そう。幽々子におつかいを頼まれた時からだ。その時からの妙夢は、無言ながらもどうも反抗的であり、何を言っても『ぶんぶん』と首を振るだけである。
自分自身であるといっても、四日も経つと自分とは思考が微妙に違っても来るから、今の妙夢の心理は妖夢とて推し量れない。
何故? と思うのだが、その場に留まっているわけにもいかない。
「しょうがない、じゃあ、一人で行ってくるね。妙夢は幽々子さまのことをお願い」
溜息ながらも、妖夢はそのように言い置いて、部屋を出て行こうとしたところで。
がっしと、手首をつかまれた。
見ると、妙夢がいつの間にかこちらに寄ってきており、手首を両手でつかんでジーッと上目遣いで見つめてきている。
「妙夢?」
「…………」
「ちょっと、放して。おつかいにいけないから」
「…………」
いくら言っても、聞いてくれない。こちらのことを見上げてくるのみである。
この聞き分けのなさには、さすがに妖夢も苛立ちを感じずにいられなかった。
「妙夢っ」
「……!」
少し語調を強めて言うと、妙夢はビクッと肩を震わせる。だが、妖夢の手を放す様子はない。
こうなったら力づくでも引き剥がしてやろうか、と思った先。
「?」
気付いた。妙夢の目に、うっすらと涙が浮かんでいるのに。
表情には相変わらず感情の動きというものが見られないのだが、そのわずかな涙は、確実に何らかの感情を表している。ならば、一体何を思っているのか……と、いつものように妙夢の表情からそれを感じ取ろうとするが、今に限っては、それを悟ることが出来ない。
妙夢が意図的に隠しているのだろうか、それとも、これは……。
「はい、そこまで」
と、いつの間にやってきたのか、幽々子が二人の間にやんわりと割って入っていた。
そっと二人の手を取って、妙夢が掴んでいた妖夢の手をゆっくりと解いていく。
「妖夢、気にせず行ってらっしゃい」
「…………」
幽々子がそのように朗らかに言うと、妙夢はムッとしたように彼女の顔を見るのだが。
先読みしていたのか、幽々子がにっこりと朗らかに微笑み返すと、毒気が抜けたかのようにそっぽを向いてしまった。反抗する気概がなくなったようだ。……その辺はさすがと言うべきか。
「ええと、行ってきて良いんですか?」
「行かないと、頼まれたおつかいができないじゃない。そんなこともわからないの? だめねぇ、妖夢ったら」
「いや、そんなボロクソに言われると微妙に凹むのですが、そういうことではなくて」
「大丈夫よ。この子の面倒は、私が見ておいてあげるから」
「どちらかというと幽々子さまは面倒見られる側と思うんですけど……というか、幽々子さまは妙夢の言いたいこととかわかるんですか? 基本、この子は無口ではなく本当に言葉とか話せないんですけど」
「簡単よ。いつもやっているように、妖夢の考えていることを当てればいいんでしょ?」
いつもやっているように、と言われても、当てられたことがないような気がする。でも、そんなツッコミを入れても飄々と受け流されそうな気がするので、
「……では幽々子さま。今、私が何を考えているかわかります?」
そう言って、妖夢は幽々子に真っ直ぐに視線を送ってみた。
対して、応えるように幽々子は『ん~』とたっぷり三秒、こちらの目を見返してから――普段の朗らかな微笑とは明らかに離れたニヤニヤとした笑みを浮かべ、
「ヘイ彼女、俺っちとロマンティック大統領も真っ赤に火照るようなラブに付いてトークしねぇかい? いいチチしてんなぁ、おい」
「……ぜんっぜん違いますからね。というか、どこで憶えたんですか、そんな、西部方言の亜流みたいなイントネーションまで」
妖夢がげんなりして言うと、幽々子は元の呑気な表情に戻り、どこからか古めかしくもやけに分厚い書物をこちらに示してきた。
題名には、『シゲちゃんの古今東西女人の口説きテクニック・第二版』と書かれている。
「昨日紫が遊びに来たときに、『友人からのもらい物よ』って言って持ってきたのがいろいろ興味深かったから、頼んで複製してもらったの。なかなか趣深い言語の数々が載ってて面白いわよ? あとで妖夢も読んでみる?」
「丁重にお断りしておきます……」
また、あの人は要らないものを……。
境界を自由に行き来するあの御方にとって、変なものを持っていない方がおかしいので、その辺は諦めるしかないのか、やはり。
……なんだか話が脱線気味だったが、ともかく。
さっさと頼まれたおつかいに行ってくることにしよう。
「妙夢」
今一度、妖夢は幽々子に手を取られている妙夢に呼びかけてみるが、妙夢は未だに重い雰囲気のままであった。
一度、何かを伝えようとしてこちらを見ようとしたが、ややあってそれをキャンセル。溜息を付くかのように視線を外して、俯いてしまう。
どうやら、今ここでは何を話しても無駄であるらしい。
となるとやはり、ここは幽々子さまにお任せするしかないか……。
「あの、ホントにこの子を任せて大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。心配せずに行ってらっしゃい」
「いや、ものすごい心配なんですけど……わかりました」
後ろ髪を引かれる思いながらも、やることはやらないといけないわけで。
なるべく早く済ませてこようと思いつつ、妖夢は白玉楼を出て、冥界の空へと飛び立った。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
本当は、元に戻った方が良いというのはわかっている。
妖夢は人で、私は霊。
分けられてこそ、半人半霊として私達は成り立つ。
しかし、あの時。
私は、彼女に行かないでほしいと思った。
元に戻ることの手がかりを聞きに行くよりも、このままで居ることを、私は願った。
何故か?
――それはもう、わかりきっていることだ。
「元に戻ることで、妖夢とお別れするのは、つらい?」
白玉楼の縁側にて、私の隣に座る幽々子さまがそのように問うて来た。
先程みたいなお戯れのときとは打って変わって、穏やかながらも、私の想うことを当ててくる。
私は、どう応えるかを迷った。
幽々子さまから視線を外して、俯いたまま。
しかし……妖夢の主であり、そして私の主でもあるこの御方は、いつまでもどこまでも穏やかな笑みを浮かべて、私のことを待っている。
「…………」
こくこく
だから、私は頷いた。
別れはつらく寂しい。
昨日、幽々子さまはそう言っていたし、紫さまもそう感じていた。そしておそらく、誰もが思うことだ。
私の終わりも、近いうちにやってくる。
それは必ず避けて通れない道。
それを、私はつらいと感じてしまう。
本当に、いつの間にこんな気持ちを持ったのかわからないけど。
「そうねぇ。でも、元に戻ったとしても、あなたはあの子の傍に居るのでしょう?」
そう。
厳密に言えば、元に戻ることが『別れ』とは言えない。
半霊に戻ったとしても、私は妖夢の傍を漂い続けるし、私が妖夢自身であるという事実がある限り、私達はずっと共にあり続けるのだろう。
おそらくは、幽々子さまよりもずっと長く、私は妖夢とあり続けるのかもしれない。
だけど。
私が想うのは、そんな理屈じゃない。
「……妙夢?」
ただただ、手放したくないのだ。
十六夜咲夜が、私の時間を止めた瞬間から始まった日々。
妖夢の意思から離れた日常。
自分の意思で妖夢と接する日常。
妖夢のことを手伝う日常。
妖夢と剣の鍛錬をする日常。
妖夢と共に、幽々子さまのお世話をする日常。
妖夢と、幽々子さまと、私とで……笑い合える日常。
それら全てを、手放したくないと思った。
「妙夢」
俯く私に、もう一度、幽々子さまは優しく呼びかける。
「私も、妖夢と過ごす日常はとても大事だし、妙夢と過ごしてきた日々もとても楽しかったわ。いろいろ新鮮だったし、何かと便利だったし」
最後のは言わなかったような気がしないでもない。
そんな私に気付いていないのか、幽々子さまは言の葉を紡ぐ。
「それを手放したくない、というあなたの気持ちは決して間違ってはいない」
「…………」
「でもね。別に、あなたが元の姿に戻ることが、手放すということにはならないと思うの」
「……?」
手放すことにはならない。
一体、どういうことだろうか。
「だって、あなたはいつでも取り戻せるもの」
取り戻せる……?
「妖忌がここから居なくなったとき。風吹との旅を終えたとき。他にも悲しいことがあったとき。感受性の強いあの子は、それを体感する度に心から泣いたわ」
「…………」
よく憶えている。
妖夢の泣き顔なんて関係なく、私自身にとっても、とても悲しく感じたことだ。
長きに渡って支え育ててくれたお師匠様。短い刻ながらも楽しく笑い合えていた友人。他、いろんな者との別れを体感したとき。
彼らに、もう会えることはない。あの日々を、あの時間を、もう取り戻せない。
「でも、あなたは違う」
「…………」
「あなたは、どんな時でもあの子の傍に居てくれるのでしょう? あの子がどうしようもなくなってしまったとき、あの子自身が必要とすれば、いつでもあなたは助けになってくれるのでしょう?」
もちろん。
こくこくと、力強く頷く。
「それでいいじゃない」
対して、幽々子さまはにっこりと微笑んだ。
私の実体は幽霊だというのに、なんだろう、とても胸の奥が熱くなってしまう、綺麗な微笑だ。
「半霊の姿でも、今のあなたの姿でも、妙夢は妙夢よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
私のことを優しく抱き寄せて、頭をポンポンと撫でながら、幽々子さまは囁くかのように言ってくる。
幽霊だから、体温は冷たい。でも、心はやはり温かい。
「これからも、いろんな形で妖夢には甘えて良いし、妖夢のことを手伝っても良いし、妖夢との修行だってやりようによってはできると思うし」
「…………」
「私だって、あなたにはいつでもお世話されるつもりだし……あなたが笑う瞬間だって、表情なんてなくてもいくつでも感じ取ってあげるわ。それに――」
「……?」
それに?
「今までだって、私はあなたの笑う瞬間を感じ取ってきたつもりよ? なんとなくだけどね」
「――――」
ああ、そうか。
いつだって取り戻せるし。
――いつだって、そこにあったのだ。
普段からも、この御方は私のことを感じてくれていたのだ。
それをわかっていなかったのか、私は。
なんてことだ。
人の姿になってみて、初めて理解するなんて。
だから。私のように霊ではなく、人である妖夢も、それを解っているから。
今、元に戻ることに、迷いがないのだろうか。
「それにしても、あなたがそのように感じているからには、妖夢も少なからず手放したくないとか思ってるかもしれないわねぇ」
「…………」
「それに妖夢の場合、基本的にストレートだから、そこまで考えが行ってないんじゃないかしら? 昨夜の仕掛けのときも、わかってなかったみたいだし。人の姿のときだけでなく、普段からも妙夢が怖がってるんじゃないかってこと」
あの、幽々子さまの変装のことか。
まさかそこまで考えていたとは……否、考えていたと言うより、やはり感じてくれていたと言うことなのだろうか。
直感でそうしよう、と思っていたと言うことか。
本当に、ものすごい人だ。
「だから、心の底で元に戻ることを寂しがっているかもしれない妖夢に、あなたが今からそれを伝えに行って来て頂戴。どんな形でもいいから。これ、あなたに初めて頼むおつかいね?」
そして、心底、我が主としてこれからも傍に仕えたくなる人だった。
妖夢にとっても、私にとっても。
「どうしたの?」
いつしか、幽々子さまの腕から離れ、私は幽々子さまの目をじっと見つめる。真っ直ぐに、力強く。
文字通り言葉にも表情にも表せないけど、今、胸に抱いているこの気持ちも。
この人には、届いてくれるのだろうか。
「――――」
「ええ、私もよ」
また、にっこりと、変わらぬ微笑と共に。
その言葉を聴かせてくれただけで、私にはもう充分だった。
-続く-