『秋はただ 過ぎ去りゆきて 冬となる その寒きゆえ 私は篭る』
―秋はただ
―過ぎ去ってしまうだけで
―冬になってしまう
―その冬はとても寒いので
―私は今家に引き篭っている
「…穣子、いい歌の心算かもしれないけど全然問題外よ~…。」
テーブルの向かい側に同じように突っ伏している姉が、私の歌に文句をつけてくる。
むぅ、自分だって引き篭ってるくせに失礼な。心境は同じだろうに。
「お姉ちゃん…、でもこうでもしないと寒くて死んじゃいそうだわ…。ああ寒いよぅ…。」
寒い。とにかく寒い。特に足元が。私もお姉ちゃんも一応神だから、その程度で死ぬ事はないんだろうけど…。
ああ、でもこの寒さで死ねないのは逆に辛いかもしれない…。
「それは穣子が裸足だからでしょう…。キャラがそうだからって冬まで裸足でいるのは止めなよ…。」
「…だめよお姉ちゃん、これは私の最後の生命線なの…。…裸足キャラは54位からのし上がるための命綱なのよぉ…。」
「何の事を言ってるのか分からないけど、風邪ひいても知らないからね…。」
ああ寒い、心も身体も何もかもが寒い。
私の家はお姉ちゃんと共同で作った、こじんまりした一軒家である。木製だ。
だから寒い。とにかく寒い。だって暖を取る物が囲炉裏くらいしかないから。テーブルに囲炉裏とはまた意味不明だと自分でも思うけれど。
一応竈もあるのだが、冬の寒い日に使ってみたら家が燃えかけた。悲しい事に私にもお姉ちゃんにも防火に対する知識はない。
何時か本格的に家を作れたらなぁ、と思うけれど、何故か今のところ行動に移せたためしはない。
…毎年「冬が明けたら改築しよう」とは思ってるんだけどなぁ…。
竈の下の木を刳り貫いて、そこに土を敷き詰めて、後は石を組み上げて燃え広がらないようにして…。
ああでも煙突の改装も必要か…。木製じゃ煙と煤で劣化して、悪い時は崩れてしまうかもしれない。
竈の下だけでも駄目か…。その周囲も土製にしておかないと、万一火が漏れたら燃えうつってしまう…。
ああ、面倒だなぁ、囲炉裏は最初から作ってあったから、欠点に気付いた後も作り直すのは楽だったけど…。
考えるだけで面倒なので、私は思考をシャットアウトする。
いいか、春になってから考えればいい。寒い間は何も考えたくない。暖かくなってから考えればいい。
…で、春の暖かさに浮かれてその事を忘れてしまうのが何時ものパターンなのだが。
まあ、大丈夫だ、今年こそは忘れない。あれ?これってなんていうフラグ?
「はぁ、寒いなぁ…。」
もうそれしか言葉が出てこない。寒いとこの冬だけで何回言ったことか…。
「もう少しよ…。もう春告精があちこちで見られてるみたいだから、もう少しで春よ…。」
お姉ちゃんの言葉に、私は少しだけ気分が明るくなった。
私達は妖怪の山の麓に住んでいるので、即ち春告精の終着点の一歩手前に住んでいる事になる。
いっそ引っ越そうかと思う事もあるのだが、長年親しんだ家を離れるのも忍びない。それに新しい家を建てるのも面倒だ。
だから、私は春告精が来るのを待つしかない。それが各地で見られているならば、後数日で春になるだろう。
「そうね、もう少しで春なのね…。」
窓の外を見てみる。空は晴れ渡っているが、地面は一面銀世界だ。
まだまだ春には到底なりそうにもない風景だが、春告精が通った後はほぼ一瞬で春になる。
もう少しでこのうっとおしい冬ともお別れだ…。
「春よ来い~。早く来い~。冬なんてもうまっぴらよぉ~…。」
私は何の気もなしにそう呟いた。
そう、心の底からそう思っていたからだ。
冬なんて来なければいい。ずっと秋ならいい。何で冬が来るんだろう、と…。
そう思ったのは、今年が最後だった…。
私はその後知る事になる。
私が秋を恋い慕うように。
冬を恋い慕う者も。
冬しか地上に出れない者がいる事を…。
これは、私が冬を待つようになった、一人の妖怪との出会い…。
* * * * * *
「…はぁ、何で私はこんな事を…。」
首にマフラーを巻いて、ふわふわと宙に浮きながら私はため息を吐く。因みに裸足。
銀世界と化した妖怪の山。私は今その中腹くらいにいる。
何故かって、それは私がうっかり言ってしまった言葉にある。
「もうすぐ春だから、そろそろ春のものが食べたいなぁ…。」
テーブルに突っ伏しながら、私はそうぼやいた。
豊穣の神であるため、私は結構食には五月蝿かったりする。
そういう意味で私がこういう事は珍しくはない。そう、私は何も普段とは変わらなかったのだ。
変わっていたのはお姉ちゃんの方だった。
「…じゃあじゃんけんで負けたほうが筍を取ってこない?」
お姉ちゃんがこの話に乗ってきた事はかなり珍しい。
お姉ちゃんは紅葉の神。どちらかと言うと団子より花のタイプだ。
なので、食べ物の事に関して積極的に意見を言って来るのはかなり稀である。
しかし、ここでも悲しい事が一つ。春告精の到来を聞いた私は、少し心が浮かれていた。
「…いい考えね、泣かせてあげるわ、お姉ちゃん。」
…で、泣いたのは私の方である。
じゃんけんで負けた後、必死に頼んで、筍ではなくふきのとうで納得してもらった。
筍は妖怪の山ではあまり生えていない。ちょっと離れた竹林まで行かなくてはならない。
この寒い中、迷いの竹林まで行くのは嫌だ。迷ったらそれこそ死ねる。
なのでまあ、地元なので万一にも迷う危険性がない、妖怪の山で取れる物を選んだわけだ。
だけど悔しいなぁ…。私を見送るさい、徐に見せびらかしていた『じゃんけん必勝マニュアル』と言う本が頭から離れない。
…あんな本、何時の間に何処で拾ってきたんだろうか…。最初から勝つ気であの話に乗ってきたのか。やられた。
とにかく、負けた以上はふきのとうを採って帰らなくてはいけない。例え勝てない勝負だったとしても。
「…はぁ、ふきのとうってどんな所に生えてるんだっけ…。」
確か水がある場所の近くに生えると言うのは聞いたことがあるのだが、明確な目印は雪の下なので存在しない。
秋の植物ならともかく、冬の植物に関してはあまり詳しくないのが悔やまれる。
こんな事なら、冬の事をもう少し詳しく知っておけばよかった…。
とにかく、私は山を流れる川を見つけては、その周囲の雪を手当たり次第どかして、ふきのとう探索に精を出した。
「つべだびぃ~…。…じもやげになるぅ~…。」
2時間後、私は涙目になって、て言うかモロに泣きながら宙を漂っていた。
手も足も真っ赤になっている。霜焼け皸罅割れのオンパレードまであと少しだ。それでも裸足だけはァ!!
しかもそこまで苦労しておきながら、見つかったふきのとうは僅か3個。これでは夕食のおかずにもなりはしない。
冬だから妖怪が活動的でなかったのはせめてもの救いか。こんな状態で襲われたらもう泣くしかない。既に泣いてるけど。
「うわああぁぁぁぁん!!だから冬なんて大ッ嫌いなのよぉ~~~~!!!!」
叫んだ。それはもう素敵なくらいに。何が素敵かって?その問には答えられない。
冬なんて百害あって一利なし。寒いわ雪だわ霜焼けになるわ雪害で人が死ぬ事もあるわ…。
秋なら食べ物は美味しいし涼しいし私も活動できるし、本当に何時までも秋ならば…。
「冬が嫌いなんていう悪い子は、だぁれ?」
…何の前触れもなく急に増す寒さに、私は一瞬だが恐怖すら感じる。
…確かに誰かの気配を探るのを怠ってはいたけれど、まさかそういう時に限って…!!
妖怪の山で出くわす存在なんか、妖怪以外に何があろう。ああ、厄神とか新しい神社の神は山に住んでたっけ。
そんな事はどうでもいい。私は瞬時に声の方へと振り返った。
…そこには、薄い笑いを浮かべる、ピンクと紫の中間くらいの不思議な髪の色をした、青と白の服の女性が立っていた。
「冬が嫌いなんていう悪い子は、あなたかしら?」
…薄い笑いの下に、明確な敵意を感じる。
冬の妖怪の山で活動している事、それと言葉から察するに、こいつは雪の妖怪とかその類の物だろう。
つまり、天気が悪くなった訳でもないのに急に気温が下がったのは、この妖怪の能力か…?
「…そんな事を聞いてくるあなたこそ、いったい誰なのかしら?」
私は質問を返す。質問に質問で返すのは礼儀知らずと言うが、今はそうも言ってられない。
つまるところ、私は今窮地にいるのだ。
私の力が本格的に発揮されるのは秋。冬では神とは言え、殆ど無力に等しい。
元々戦闘能力だってそこまで高くはない。そして相手は冬場と言うホームグラウンド。
今この妖怪に襲われでもしたら、万に一つも勝てる可能性はない。
…とにかく、今は相手のことを知り、穏便に事態を済ませなくては…。
「強気な子ね、私はレティ・ホワイトロック。もうお察しかと思うけれど、冬の妖怪よ。」
彼女…、…レティは微笑を浮かべたまま自己紹介する。
この微笑は、ここが彼女の地元だという余裕から来る物だろうか…。
…となると、事を穏便に済ませないと本当に拙い。それだけレティは、この場にいること事態に自信を持っているわけなのだから。
「私は秋穣子。山の麓に住んでる…豊穣の神よ。」
私は自分から神だと名乗る事はあまりしない。神だと名乗っても、自分も相手も良い気分にはならないだろうから。
しかし、今は別だ。私が神だと知る事で、少しでも敵意を消してくれる事を願う。
…私の願いが通じたのか、彼女は少し驚いた表情を浮かべ、またすぐ微笑を浮かべる。
だが、その微笑の下には、明確に感じられるような敵意は消えうせていた。
「あら、神様でしたか、それは失礼を申しました。」
口に手を当てて、笑いながらそういう。
傍から見れば上品な笑い方ではあるのだが、声に謝罪の意思は全く含まれていない。
信じていないのか、それとも単にそれでも自分の方が力が上だと思っているのか…。
まあ、多分後者だろう。私が人間だったらこんな所にいるはずはないし、妖怪だったら恐らくレティも分かるだろう。
それよりは私が「豊穣の神」である事から、この場では力を発揮できない事を悟った、と考える方がまだ合理的だ。
「形式的な謝罪ならいらないわ。それと敬語も止めて。あなたの方が長生きかもしれないんだし。」
相手の敵意がなくなったことを感じ、私は少しだけ強気にものを言ってみる。
今は少しでも友好的な関係にしておきたいし、実際にどちらが年上なのかも分からない。
「…そうね、そうさせてもらうわ、穣子。」
…彼女が比較的話しやすい性格で助かった。
これで襲われる心配は殆どなくなったといってもいい…。
「…で、あなたは冬が嫌いなのかしら?」
…と思ったのだが、どうやらまだ安心は出来ないようだ。
彼女の笑みにまた敵意が篭る。どうやら私のさっきの叫びが気に触っているらしい。
とは言っても、ああもはっきりと叫んでしまえば、「あれは間違いです」と言い逃れる事も出来ない。
私は無言の肯定をするしかなかった。
「…そう、あなたは冬が嫌いなのね。…どうして、冬が嫌いなのかしら?」
ちょっとだけ驚いた。まさか矢次に質問をくらうとは…。
「どうしてって…、寒いし、風邪ひきそうになるし、手は霜焼けになるし…。」
無意識のうちに私は自分の心情を語る。
彼女が気を悪くするかもしれない、そう思った時には、私の「嫌いな冬」が全部口から漏れてしまっていた。
「…そう、じゃあ、あなたは何の季節が一番好き?」
段々と頭が回らなくなってくる。何で彼女はこんな質問をしてくるのか?
どうも私のあの叫びが気に触っているようには見えるのだが、腹を立てているようには見えない。
敵意は感じるのに、襲って来る気配は感じない。全く持って不思議な人だ。
「…私は秋が一番好き。食べ物は美味しいし、私も充分に力を発揮できる。私が一番“私”でいられる季節だから。」
それも殆ど無意識の発言だった。
でも実際、秋になって里の人が私を収穫祭に招待してくれるのは、この上なく嬉しい事だ。
お姉ちゃんと秋は食べ物、秋は紅葉だと言い争いをするのも、何だかんだで結構楽しい。
秋は私が“秋穣子”でいられる、一番の季節だ。
「…分かったわ。それは私と一緒ね。」
…その時見たレティの、とても悲しみに満ちた表情は、私の胸に一本の釘のように突き刺さった…。
「…でも、私は春も夏も秋も、嫌いじゃないわ。…だって…。」
―― だって私は、春も夏も秋も見た事ないから…。 ――
私はレティの後に続いて、俯きながら妖怪の山の中を進んでいた。
他の季節を見た事がない、その言葉に放心した私は、彼女の「付いて来て」と言う言葉に釣られて山を進んでいた。
…真意が分からない。他の季節を見た事がない。それは何かの比喩なのか…。
…それとも、本当に…。
「着いたわ、こっちに来て。」
と、私の思考は彼女の言葉に遮られる。
顔を上げれば、彼女は山肌から突き出た岩の上に立っている。
そこだけが森になっている山から突き出ていて、岩と言うよりは、何となく舞台と言いたくなるような場所だった。
私は言われるがままに彼女の横に立ち、そして…。
…私は、言葉を失った…。
森の中を進んでいた時には、樹が邪魔をして見えなかった。
しかし、その舞台からははっきりと見る事が出来た。
太陽の強い光に照らされて、その光を雪が反射して、まるで幻想郷中にダイアモンドが敷き詰められているような…。
どんな言葉でも例える事が出来ないほど、それは壮大で、美しかった。
「…綺麗…。」
私の口から、その言葉が漏れる。
レティもまた、そこから幻想郷を見渡しながら、同じようにその光景に見とれている。
「…この光景は、冬でないと絶対に見る事は出来ないわ。冬は確かに嫌われやすい季節だけど、他の季節にはないものを見せてくれる。」
…確かに、この光景は秋では絶対に見られないだろう。
雪が降り積もって、溶けて、また凍って、そして光を反射するようになって…。
尚且つ、春に近付いて、すっきり晴れた日でないと、こうも美しい光景には出会えないだろう…。
「さっきも言ったけど、私は冬以外は活動しない妖怪。あなたと同じように、私は他の季節では力を発揮できないの。
力を発揮できない妖怪ほど、狙われやすい者はない。…だから、私は冬以外は隠れてなくてはいけないのよ…。」
―― 来年も、それ以降も生きて、ずっとこの景色を見たいから…。 ――
…涙が零れそうになった。
私は冬を嫌っている。だけど彼女は、冬しか知らない。
私は力を発揮できなくても、殆ど襲われる事はない。神だから。
彼女は力を発揮できないと、命を落とす危険すらある。妖怪だから。
…とても、恥ずかしくなった。悲しくなった。悔しくなった。惨めに思えた…。
彼女みたいな妖怪もいるのに、私はただ冬を嫌っていた。寒いからとか、それだけの理由で。
それだけの理由で、私は彼女の生きる事が出来る世界を否定していた。
彼女は春も夏も秋も嫌っていない。だって、冬以外の季節を知らないから…。
彼女にとって、冬は世界の全てだと言うのに。彼女の事を知らなかったとは言え、とても申し訳ない…。
「…ごめんなさい…。」
自然と、私の口からその言葉が漏れる。さっきから、私は自分の意思とは無関係に言葉を発している。
それほどまでに、私の心は沈んでいた。
…そんな私の頭の上に、冬の妖怪とは思えない、帽子越しでも暖かな手が置かれた…。
「謝る事なんてないわ。誰だって嫌いなものはある。それがあなたは冬って言う事なだけ。
この景色はただ、私が勝手にあなたに見せただけよ。謝ってもらうために見せたわけじゃない。
…でも、少しは分かってくれた?冬の季節の素晴らしいところが。」
私は頷く。これで分からない方がどうにかしている。
私は自分が見ていた冬しか知らなかった。それ故に、ただ冬を嫌っていた。
しかし、この素晴らしい景色は、私の見ていた物全てを覆すほどに、素晴らしいものだった。
…そして、このレティ・ホワイトロックと言う妖怪もまた、私なんかよりもよっぽど神様らしい、素晴らしいものだった…。
…そうしてどれだけこの光景を眺めていた事だろうか…。
私の視界に、一つの黒い影が映る。
それは春告精だった。彼女がこっちへ向かってくるにつれて、次第に幻想郷は冬から春になっていく。
…そして私は、最後にもっと素晴らしいものを目にする事になった…。
春告精が通った後の大地、一瞬で春の陽気に包まれ溶けていく雪が、今まで以上に太陽の光を反射して…。
…ダイアモンドの輝きなんてものではない。幻想郷が太陽の光に包まれていく。
…光の大地、とでもいうべき光景が、私の目の前に広がった…。
「…私は、最後にこれが見たかったの。リリーホワイトは春を告げる妖精。私にとっては終わりを告げる妖精。
だけどリリーホワイトも、この一瞬の輝きを見せてくれる。私には、これが来年の冬までの希望の光なのよ…。」
私は黙って彼女の言葉を聞く。
希望の光…。…この幻想郷の輝きは、まさにその言葉が相応しい。
彼女でなくても、この光は全ての者に希望を与えてくれる、そんな気がする。
…少なくとも、私の胸には来年の冬への、少しの希望が芽生えていた。
来年からは、冬を嫌わなくて済むのではないか、そんな希望が…。
「…さて、私はもう行くわ。リリーホワイトが此処に到着する前に、隠れないといけないから…。…さようなら。」
私の頭に置かれていた暖かな手が、ふっと消え去ってしまう。
レティは哀しそうな笑みを浮かべて、いまだ光り輝く幻想郷に背を向ける…。
言葉が出ない。
私には、何か言い残した事がある。
お礼とかそんなではなく、もっと大切な事を言わなくてはならない。
彼女に言わなくてはならない事がある。
私に、幻想郷に背を向けて森の中へ歩いていく彼女に、私は…。
「…待って!!!!」
私の声が、山彦となって響き渡る。
レティは遠くで足を止め、振り返らずに佇んだ。
…そうだ、待って、私は自分の言葉で気がつく。
私はまだ、彼女にお返しをしていない。
冬の素晴らしさを教えてくれた代わりに。
彼女の知らぬ、秋の素晴らしさを。
でも、この場で伝えても、それは言葉でしかない。
…だから、待って…。
「待ってるから!!来年の冬が始まったら、私は此処で待ってるから!!
あなたは冬の事を教えてくれた!!だから私は、秋の事を教えるから!!
だから!!必ず此処に来て!!ずっと…ずっと待ってるから!!約束だから!!」
私の目から涙が零れる。
レティはただ黙って私の言葉を聞いていた。
私が一方的に言っただけで、彼女はそれを望まないかもしれない。
だけど、私は彼女に教えたかった。秋のことを。私が知っている、秋の素晴らしさを。
暫く黙って佇んでいたレティが、首だけを私に向ける。
…その時の笑顔もまた、私の希望の一つとなった。
彼女が別れを告げるように手を振る。
その時、彼女の口元が動いていた。
…離れていたから聞こえなかった。
けれど、読唇術なんか知らないのに、何故か私には分かった。
彼女は、確かにこう言っていた…。
―― ありがとう…。 ――
レティが見えなくなった後も、私は暫くそこに佇んでいた。ただ泣いていた。
…でも、この涙は哀しくない。暖かい。
嬉しかった。最後の彼女の言葉が。私の約束を聞き入れてくれた。
結局、私は今まで自分の世界しか見ていなかった。
自分の好きな秋しか見ようとせず、他のものを見ようとしていなかった。
だけど、レティはそれを教えてくれた。私の視野が、いかに狭かったのかを。
冬を見る事が出来るはずだったのに、見ようとしなかった私の弱さを。
だから、私は来年の冬の始まり、またここに戻ってこようと思う。
絶対に、彼女に教えてあげよう。秋のことを。
私の大好きな秋を、彼女にも好きになってほしいから…。
「穣子~!!穣子~!!」
…不意に、私を呼ぶ声が聞こえた。
お姉ちゃんの声だ。私の背後から聞こえる。恐らく山肌を飛びながら、私を探しているのだろう。
そう言えば、結構な時間が経ってしまった。忘れかけていたが、私はふきのとうを探しに来てたんだっけ…。
…今思うと、あの時のじゃんけんに負けたのが、私がレティに逢えた事の切欠だった。
ひょっとしたら、お姉ちゃんが今この場に立っていたかもしれない。
…お姉ちゃんは、彼女にあったらどんな気持ちを抱いていただろうか…。
…いや、考えるまでもない。だって、私たちは姉妹なのだから…。
「あ、いたいた。もう心配したわよ。3時間も帰ってこない…って、あれ?どうしたの?」
私は振り返らずに首を振る。
なんでもない、心配はいらない。語らずとも、お姉ちゃんは分かってくれる。
…だから、私の言う事は一つだ。
「お姉ちゃん、後ろを見てみなよ…。」
お姉ちゃんのことだ。きっと山肌を見ているだけで、後ろの光景を見ていない。
…振り返らなかったから見えなかったけれど、お姉ちゃんが僅かに声を上げるのだけは聞こえた。
やっぱり、私たちは姉妹。考える事はそっくりだ。
お姉ちゃんもきっと、これで分かってくれたと思う。
私たちが冬を嫌っていたのは、ただ外に出ないから、いわゆる食わず嫌いのようなものだったのだと。
「…お姉ちゃん、来年からは…冬も外に出ようね?」
…私は空を見上げ、レティの事を思う。
来年、きっと彼女は此処に来てくれる。
例え来なかったとしても、私は幻想今日中を飛び回ってでも、探し出してみせる。
私と、お姉ちゃんとで、彼女に秋の事を教えてあげるために。
そして、彼女の知る冬を、彼女と共に過ごす事で、もっと教わりたいから…。
…私は、冬が恋しくなった…。
『秋と冬 交わらざらん 時ならば 私は待とう 狭間の時で』
―秋と冬
―決して交わる事のない
―時間であるならば
―私はずっと彼女を待っていよう
―その狭間の時間、秋の終わりと冬の始まりで…。
―秋はただ
―過ぎ去ってしまうだけで
―冬になってしまう
―その冬はとても寒いので
―私は今家に引き篭っている
「…穣子、いい歌の心算かもしれないけど全然問題外よ~…。」
テーブルの向かい側に同じように突っ伏している姉が、私の歌に文句をつけてくる。
むぅ、自分だって引き篭ってるくせに失礼な。心境は同じだろうに。
「お姉ちゃん…、でもこうでもしないと寒くて死んじゃいそうだわ…。ああ寒いよぅ…。」
寒い。とにかく寒い。特に足元が。私もお姉ちゃんも一応神だから、その程度で死ぬ事はないんだろうけど…。
ああ、でもこの寒さで死ねないのは逆に辛いかもしれない…。
「それは穣子が裸足だからでしょう…。キャラがそうだからって冬まで裸足でいるのは止めなよ…。」
「…だめよお姉ちゃん、これは私の最後の生命線なの…。…裸足キャラは54位からのし上がるための命綱なのよぉ…。」
「何の事を言ってるのか分からないけど、風邪ひいても知らないからね…。」
ああ寒い、心も身体も何もかもが寒い。
私の家はお姉ちゃんと共同で作った、こじんまりした一軒家である。木製だ。
だから寒い。とにかく寒い。だって暖を取る物が囲炉裏くらいしかないから。テーブルに囲炉裏とはまた意味不明だと自分でも思うけれど。
一応竈もあるのだが、冬の寒い日に使ってみたら家が燃えかけた。悲しい事に私にもお姉ちゃんにも防火に対する知識はない。
何時か本格的に家を作れたらなぁ、と思うけれど、何故か今のところ行動に移せたためしはない。
…毎年「冬が明けたら改築しよう」とは思ってるんだけどなぁ…。
竈の下の木を刳り貫いて、そこに土を敷き詰めて、後は石を組み上げて燃え広がらないようにして…。
ああでも煙突の改装も必要か…。木製じゃ煙と煤で劣化して、悪い時は崩れてしまうかもしれない。
竈の下だけでも駄目か…。その周囲も土製にしておかないと、万一火が漏れたら燃えうつってしまう…。
ああ、面倒だなぁ、囲炉裏は最初から作ってあったから、欠点に気付いた後も作り直すのは楽だったけど…。
考えるだけで面倒なので、私は思考をシャットアウトする。
いいか、春になってから考えればいい。寒い間は何も考えたくない。暖かくなってから考えればいい。
…で、春の暖かさに浮かれてその事を忘れてしまうのが何時ものパターンなのだが。
まあ、大丈夫だ、今年こそは忘れない。あれ?これってなんていうフラグ?
「はぁ、寒いなぁ…。」
もうそれしか言葉が出てこない。寒いとこの冬だけで何回言ったことか…。
「もう少しよ…。もう春告精があちこちで見られてるみたいだから、もう少しで春よ…。」
お姉ちゃんの言葉に、私は少しだけ気分が明るくなった。
私達は妖怪の山の麓に住んでいるので、即ち春告精の終着点の一歩手前に住んでいる事になる。
いっそ引っ越そうかと思う事もあるのだが、長年親しんだ家を離れるのも忍びない。それに新しい家を建てるのも面倒だ。
だから、私は春告精が来るのを待つしかない。それが各地で見られているならば、後数日で春になるだろう。
「そうね、もう少しで春なのね…。」
窓の外を見てみる。空は晴れ渡っているが、地面は一面銀世界だ。
まだまだ春には到底なりそうにもない風景だが、春告精が通った後はほぼ一瞬で春になる。
もう少しでこのうっとおしい冬ともお別れだ…。
「春よ来い~。早く来い~。冬なんてもうまっぴらよぉ~…。」
私は何の気もなしにそう呟いた。
そう、心の底からそう思っていたからだ。
冬なんて来なければいい。ずっと秋ならいい。何で冬が来るんだろう、と…。
そう思ったのは、今年が最後だった…。
私はその後知る事になる。
私が秋を恋い慕うように。
冬を恋い慕う者も。
冬しか地上に出れない者がいる事を…。
これは、私が冬を待つようになった、一人の妖怪との出会い…。
* * * * * *
「…はぁ、何で私はこんな事を…。」
首にマフラーを巻いて、ふわふわと宙に浮きながら私はため息を吐く。因みに裸足。
銀世界と化した妖怪の山。私は今その中腹くらいにいる。
何故かって、それは私がうっかり言ってしまった言葉にある。
「もうすぐ春だから、そろそろ春のものが食べたいなぁ…。」
テーブルに突っ伏しながら、私はそうぼやいた。
豊穣の神であるため、私は結構食には五月蝿かったりする。
そういう意味で私がこういう事は珍しくはない。そう、私は何も普段とは変わらなかったのだ。
変わっていたのはお姉ちゃんの方だった。
「…じゃあじゃんけんで負けたほうが筍を取ってこない?」
お姉ちゃんがこの話に乗ってきた事はかなり珍しい。
お姉ちゃんは紅葉の神。どちらかと言うと団子より花のタイプだ。
なので、食べ物の事に関して積極的に意見を言って来るのはかなり稀である。
しかし、ここでも悲しい事が一つ。春告精の到来を聞いた私は、少し心が浮かれていた。
「…いい考えね、泣かせてあげるわ、お姉ちゃん。」
…で、泣いたのは私の方である。
じゃんけんで負けた後、必死に頼んで、筍ではなくふきのとうで納得してもらった。
筍は妖怪の山ではあまり生えていない。ちょっと離れた竹林まで行かなくてはならない。
この寒い中、迷いの竹林まで行くのは嫌だ。迷ったらそれこそ死ねる。
なのでまあ、地元なので万一にも迷う危険性がない、妖怪の山で取れる物を選んだわけだ。
だけど悔しいなぁ…。私を見送るさい、徐に見せびらかしていた『じゃんけん必勝マニュアル』と言う本が頭から離れない。
…あんな本、何時の間に何処で拾ってきたんだろうか…。最初から勝つ気であの話に乗ってきたのか。やられた。
とにかく、負けた以上はふきのとうを採って帰らなくてはいけない。例え勝てない勝負だったとしても。
「…はぁ、ふきのとうってどんな所に生えてるんだっけ…。」
確か水がある場所の近くに生えると言うのは聞いたことがあるのだが、明確な目印は雪の下なので存在しない。
秋の植物ならともかく、冬の植物に関してはあまり詳しくないのが悔やまれる。
こんな事なら、冬の事をもう少し詳しく知っておけばよかった…。
とにかく、私は山を流れる川を見つけては、その周囲の雪を手当たり次第どかして、ふきのとう探索に精を出した。
「つべだびぃ~…。…じもやげになるぅ~…。」
2時間後、私は涙目になって、て言うかモロに泣きながら宙を漂っていた。
手も足も真っ赤になっている。霜焼け皸罅割れのオンパレードまであと少しだ。それでも裸足だけはァ!!
しかもそこまで苦労しておきながら、見つかったふきのとうは僅か3個。これでは夕食のおかずにもなりはしない。
冬だから妖怪が活動的でなかったのはせめてもの救いか。こんな状態で襲われたらもう泣くしかない。既に泣いてるけど。
「うわああぁぁぁぁん!!だから冬なんて大ッ嫌いなのよぉ~~~~!!!!」
叫んだ。それはもう素敵なくらいに。何が素敵かって?その問には答えられない。
冬なんて百害あって一利なし。寒いわ雪だわ霜焼けになるわ雪害で人が死ぬ事もあるわ…。
秋なら食べ物は美味しいし涼しいし私も活動できるし、本当に何時までも秋ならば…。
「冬が嫌いなんていう悪い子は、だぁれ?」
…何の前触れもなく急に増す寒さに、私は一瞬だが恐怖すら感じる。
…確かに誰かの気配を探るのを怠ってはいたけれど、まさかそういう時に限って…!!
妖怪の山で出くわす存在なんか、妖怪以外に何があろう。ああ、厄神とか新しい神社の神は山に住んでたっけ。
そんな事はどうでもいい。私は瞬時に声の方へと振り返った。
…そこには、薄い笑いを浮かべる、ピンクと紫の中間くらいの不思議な髪の色をした、青と白の服の女性が立っていた。
「冬が嫌いなんていう悪い子は、あなたかしら?」
…薄い笑いの下に、明確な敵意を感じる。
冬の妖怪の山で活動している事、それと言葉から察するに、こいつは雪の妖怪とかその類の物だろう。
つまり、天気が悪くなった訳でもないのに急に気温が下がったのは、この妖怪の能力か…?
「…そんな事を聞いてくるあなたこそ、いったい誰なのかしら?」
私は質問を返す。質問に質問で返すのは礼儀知らずと言うが、今はそうも言ってられない。
つまるところ、私は今窮地にいるのだ。
私の力が本格的に発揮されるのは秋。冬では神とは言え、殆ど無力に等しい。
元々戦闘能力だってそこまで高くはない。そして相手は冬場と言うホームグラウンド。
今この妖怪に襲われでもしたら、万に一つも勝てる可能性はない。
…とにかく、今は相手のことを知り、穏便に事態を済ませなくては…。
「強気な子ね、私はレティ・ホワイトロック。もうお察しかと思うけれど、冬の妖怪よ。」
彼女…、…レティは微笑を浮かべたまま自己紹介する。
この微笑は、ここが彼女の地元だという余裕から来る物だろうか…。
…となると、事を穏便に済ませないと本当に拙い。それだけレティは、この場にいること事態に自信を持っているわけなのだから。
「私は秋穣子。山の麓に住んでる…豊穣の神よ。」
私は自分から神だと名乗る事はあまりしない。神だと名乗っても、自分も相手も良い気分にはならないだろうから。
しかし、今は別だ。私が神だと知る事で、少しでも敵意を消してくれる事を願う。
…私の願いが通じたのか、彼女は少し驚いた表情を浮かべ、またすぐ微笑を浮かべる。
だが、その微笑の下には、明確に感じられるような敵意は消えうせていた。
「あら、神様でしたか、それは失礼を申しました。」
口に手を当てて、笑いながらそういう。
傍から見れば上品な笑い方ではあるのだが、声に謝罪の意思は全く含まれていない。
信じていないのか、それとも単にそれでも自分の方が力が上だと思っているのか…。
まあ、多分後者だろう。私が人間だったらこんな所にいるはずはないし、妖怪だったら恐らくレティも分かるだろう。
それよりは私が「豊穣の神」である事から、この場では力を発揮できない事を悟った、と考える方がまだ合理的だ。
「形式的な謝罪ならいらないわ。それと敬語も止めて。あなたの方が長生きかもしれないんだし。」
相手の敵意がなくなったことを感じ、私は少しだけ強気にものを言ってみる。
今は少しでも友好的な関係にしておきたいし、実際にどちらが年上なのかも分からない。
「…そうね、そうさせてもらうわ、穣子。」
…彼女が比較的話しやすい性格で助かった。
これで襲われる心配は殆どなくなったといってもいい…。
「…で、あなたは冬が嫌いなのかしら?」
…と思ったのだが、どうやらまだ安心は出来ないようだ。
彼女の笑みにまた敵意が篭る。どうやら私のさっきの叫びが気に触っているらしい。
とは言っても、ああもはっきりと叫んでしまえば、「あれは間違いです」と言い逃れる事も出来ない。
私は無言の肯定をするしかなかった。
「…そう、あなたは冬が嫌いなのね。…どうして、冬が嫌いなのかしら?」
ちょっとだけ驚いた。まさか矢次に質問をくらうとは…。
「どうしてって…、寒いし、風邪ひきそうになるし、手は霜焼けになるし…。」
無意識のうちに私は自分の心情を語る。
彼女が気を悪くするかもしれない、そう思った時には、私の「嫌いな冬」が全部口から漏れてしまっていた。
「…そう、じゃあ、あなたは何の季節が一番好き?」
段々と頭が回らなくなってくる。何で彼女はこんな質問をしてくるのか?
どうも私のあの叫びが気に触っているようには見えるのだが、腹を立てているようには見えない。
敵意は感じるのに、襲って来る気配は感じない。全く持って不思議な人だ。
「…私は秋が一番好き。食べ物は美味しいし、私も充分に力を発揮できる。私が一番“私”でいられる季節だから。」
それも殆ど無意識の発言だった。
でも実際、秋になって里の人が私を収穫祭に招待してくれるのは、この上なく嬉しい事だ。
お姉ちゃんと秋は食べ物、秋は紅葉だと言い争いをするのも、何だかんだで結構楽しい。
秋は私が“秋穣子”でいられる、一番の季節だ。
「…分かったわ。それは私と一緒ね。」
…その時見たレティの、とても悲しみに満ちた表情は、私の胸に一本の釘のように突き刺さった…。
「…でも、私は春も夏も秋も、嫌いじゃないわ。…だって…。」
―― だって私は、春も夏も秋も見た事ないから…。 ――
私はレティの後に続いて、俯きながら妖怪の山の中を進んでいた。
他の季節を見た事がない、その言葉に放心した私は、彼女の「付いて来て」と言う言葉に釣られて山を進んでいた。
…真意が分からない。他の季節を見た事がない。それは何かの比喩なのか…。
…それとも、本当に…。
「着いたわ、こっちに来て。」
と、私の思考は彼女の言葉に遮られる。
顔を上げれば、彼女は山肌から突き出た岩の上に立っている。
そこだけが森になっている山から突き出ていて、岩と言うよりは、何となく舞台と言いたくなるような場所だった。
私は言われるがままに彼女の横に立ち、そして…。
…私は、言葉を失った…。
森の中を進んでいた時には、樹が邪魔をして見えなかった。
しかし、その舞台からははっきりと見る事が出来た。
太陽の強い光に照らされて、その光を雪が反射して、まるで幻想郷中にダイアモンドが敷き詰められているような…。
どんな言葉でも例える事が出来ないほど、それは壮大で、美しかった。
「…綺麗…。」
私の口から、その言葉が漏れる。
レティもまた、そこから幻想郷を見渡しながら、同じようにその光景に見とれている。
「…この光景は、冬でないと絶対に見る事は出来ないわ。冬は確かに嫌われやすい季節だけど、他の季節にはないものを見せてくれる。」
…確かに、この光景は秋では絶対に見られないだろう。
雪が降り積もって、溶けて、また凍って、そして光を反射するようになって…。
尚且つ、春に近付いて、すっきり晴れた日でないと、こうも美しい光景には出会えないだろう…。
「さっきも言ったけど、私は冬以外は活動しない妖怪。あなたと同じように、私は他の季節では力を発揮できないの。
力を発揮できない妖怪ほど、狙われやすい者はない。…だから、私は冬以外は隠れてなくてはいけないのよ…。」
―― 来年も、それ以降も生きて、ずっとこの景色を見たいから…。 ――
…涙が零れそうになった。
私は冬を嫌っている。だけど彼女は、冬しか知らない。
私は力を発揮できなくても、殆ど襲われる事はない。神だから。
彼女は力を発揮できないと、命を落とす危険すらある。妖怪だから。
…とても、恥ずかしくなった。悲しくなった。悔しくなった。惨めに思えた…。
彼女みたいな妖怪もいるのに、私はただ冬を嫌っていた。寒いからとか、それだけの理由で。
それだけの理由で、私は彼女の生きる事が出来る世界を否定していた。
彼女は春も夏も秋も嫌っていない。だって、冬以外の季節を知らないから…。
彼女にとって、冬は世界の全てだと言うのに。彼女の事を知らなかったとは言え、とても申し訳ない…。
「…ごめんなさい…。」
自然と、私の口からその言葉が漏れる。さっきから、私は自分の意思とは無関係に言葉を発している。
それほどまでに、私の心は沈んでいた。
…そんな私の頭の上に、冬の妖怪とは思えない、帽子越しでも暖かな手が置かれた…。
「謝る事なんてないわ。誰だって嫌いなものはある。それがあなたは冬って言う事なだけ。
この景色はただ、私が勝手にあなたに見せただけよ。謝ってもらうために見せたわけじゃない。
…でも、少しは分かってくれた?冬の季節の素晴らしいところが。」
私は頷く。これで分からない方がどうにかしている。
私は自分が見ていた冬しか知らなかった。それ故に、ただ冬を嫌っていた。
しかし、この素晴らしい景色は、私の見ていた物全てを覆すほどに、素晴らしいものだった。
…そして、このレティ・ホワイトロックと言う妖怪もまた、私なんかよりもよっぽど神様らしい、素晴らしいものだった…。
…そうしてどれだけこの光景を眺めていた事だろうか…。
私の視界に、一つの黒い影が映る。
それは春告精だった。彼女がこっちへ向かってくるにつれて、次第に幻想郷は冬から春になっていく。
…そして私は、最後にもっと素晴らしいものを目にする事になった…。
春告精が通った後の大地、一瞬で春の陽気に包まれ溶けていく雪が、今まで以上に太陽の光を反射して…。
…ダイアモンドの輝きなんてものではない。幻想郷が太陽の光に包まれていく。
…光の大地、とでもいうべき光景が、私の目の前に広がった…。
「…私は、最後にこれが見たかったの。リリーホワイトは春を告げる妖精。私にとっては終わりを告げる妖精。
だけどリリーホワイトも、この一瞬の輝きを見せてくれる。私には、これが来年の冬までの希望の光なのよ…。」
私は黙って彼女の言葉を聞く。
希望の光…。…この幻想郷の輝きは、まさにその言葉が相応しい。
彼女でなくても、この光は全ての者に希望を与えてくれる、そんな気がする。
…少なくとも、私の胸には来年の冬への、少しの希望が芽生えていた。
来年からは、冬を嫌わなくて済むのではないか、そんな希望が…。
「…さて、私はもう行くわ。リリーホワイトが此処に到着する前に、隠れないといけないから…。…さようなら。」
私の頭に置かれていた暖かな手が、ふっと消え去ってしまう。
レティは哀しそうな笑みを浮かべて、いまだ光り輝く幻想郷に背を向ける…。
言葉が出ない。
私には、何か言い残した事がある。
お礼とかそんなではなく、もっと大切な事を言わなくてはならない。
彼女に言わなくてはならない事がある。
私に、幻想郷に背を向けて森の中へ歩いていく彼女に、私は…。
「…待って!!!!」
私の声が、山彦となって響き渡る。
レティは遠くで足を止め、振り返らずに佇んだ。
…そうだ、待って、私は自分の言葉で気がつく。
私はまだ、彼女にお返しをしていない。
冬の素晴らしさを教えてくれた代わりに。
彼女の知らぬ、秋の素晴らしさを。
でも、この場で伝えても、それは言葉でしかない。
…だから、待って…。
「待ってるから!!来年の冬が始まったら、私は此処で待ってるから!!
あなたは冬の事を教えてくれた!!だから私は、秋の事を教えるから!!
だから!!必ず此処に来て!!ずっと…ずっと待ってるから!!約束だから!!」
私の目から涙が零れる。
レティはただ黙って私の言葉を聞いていた。
私が一方的に言っただけで、彼女はそれを望まないかもしれない。
だけど、私は彼女に教えたかった。秋のことを。私が知っている、秋の素晴らしさを。
暫く黙って佇んでいたレティが、首だけを私に向ける。
…その時の笑顔もまた、私の希望の一つとなった。
彼女が別れを告げるように手を振る。
その時、彼女の口元が動いていた。
…離れていたから聞こえなかった。
けれど、読唇術なんか知らないのに、何故か私には分かった。
彼女は、確かにこう言っていた…。
―― ありがとう…。 ――
レティが見えなくなった後も、私は暫くそこに佇んでいた。ただ泣いていた。
…でも、この涙は哀しくない。暖かい。
嬉しかった。最後の彼女の言葉が。私の約束を聞き入れてくれた。
結局、私は今まで自分の世界しか見ていなかった。
自分の好きな秋しか見ようとせず、他のものを見ようとしていなかった。
だけど、レティはそれを教えてくれた。私の視野が、いかに狭かったのかを。
冬を見る事が出来るはずだったのに、見ようとしなかった私の弱さを。
だから、私は来年の冬の始まり、またここに戻ってこようと思う。
絶対に、彼女に教えてあげよう。秋のことを。
私の大好きな秋を、彼女にも好きになってほしいから…。
「穣子~!!穣子~!!」
…不意に、私を呼ぶ声が聞こえた。
お姉ちゃんの声だ。私の背後から聞こえる。恐らく山肌を飛びながら、私を探しているのだろう。
そう言えば、結構な時間が経ってしまった。忘れかけていたが、私はふきのとうを探しに来てたんだっけ…。
…今思うと、あの時のじゃんけんに負けたのが、私がレティに逢えた事の切欠だった。
ひょっとしたら、お姉ちゃんが今この場に立っていたかもしれない。
…お姉ちゃんは、彼女にあったらどんな気持ちを抱いていただろうか…。
…いや、考えるまでもない。だって、私たちは姉妹なのだから…。
「あ、いたいた。もう心配したわよ。3時間も帰ってこない…って、あれ?どうしたの?」
私は振り返らずに首を振る。
なんでもない、心配はいらない。語らずとも、お姉ちゃんは分かってくれる。
…だから、私の言う事は一つだ。
「お姉ちゃん、後ろを見てみなよ…。」
お姉ちゃんのことだ。きっと山肌を見ているだけで、後ろの光景を見ていない。
…振り返らなかったから見えなかったけれど、お姉ちゃんが僅かに声を上げるのだけは聞こえた。
やっぱり、私たちは姉妹。考える事はそっくりだ。
お姉ちゃんもきっと、これで分かってくれたと思う。
私たちが冬を嫌っていたのは、ただ外に出ないから、いわゆる食わず嫌いのようなものだったのだと。
「…お姉ちゃん、来年からは…冬も外に出ようね?」
…私は空を見上げ、レティの事を思う。
来年、きっと彼女は此処に来てくれる。
例え来なかったとしても、私は幻想今日中を飛び回ってでも、探し出してみせる。
私と、お姉ちゃんとで、彼女に秋の事を教えてあげるために。
そして、彼女の知る冬を、彼女と共に過ごす事で、もっと教わりたいから…。
…私は、冬が恋しくなった…。
『秋と冬 交わらざらん 時ならば 私は待とう 狭間の時で』
―秋と冬
―決して交わる事のない
―時間であるならば
―私はずっと彼女を待っていよう
―その狭間の時間、秋の終わりと冬の始まりで…。
それにしても、レティは逞しいというか悟っているというか・・・
>三文字さん
>秋姉妹とレティの組み合わせは新鮮でしたね。
珍しい組み合わせかもしれませんけど、併せてみれば意外と違和感がなかった気がします。(個人的主観ですが)
>レティは逞しいというか悟っているというか・・・
何となくレティはお姉さん的なイメージがするので、色々悟るべきところは悟っている…と思います。
>22:20:00の名無しさん
>すっきりと堪能できました。
すっきりさっぱりが今回のイメージでしたので、それが最高の褒め言葉です。ありがとうございました。
>名乗ることが出来ない程度の能力さん
>じ~んと来たネ++
ならばありがとうございます。
…う~ん、やっぱり今回の話って楽しむものではありませんね…。
それにしても今年のレティは暴れすぎかなと思う北海道民でしたw
次も期待してます、ありがとうございました。
いい作品をありがとうございます
>bobuさん
>この話が投票前に上がっていたら穣子の順位はもっと良かったんじゃなかろうかと思うくらい良いお話でした。
恐らく人気投票の結果がなければ穣子の話を書こうとは思わなかったでしょうが。
>今年のレティは暴れすぎかなと思う北海道民でした
レティの時は短いので、もう少しだけいさせてあげてください。
>14:10:45の名無しさん
>なんか心に来る作品ですね…
少しでも貴殿の心に響いたのであれば幸いです。
物語が膨らみそうな組み合わせだなあ。