深く、深く、どこまでも暗い夜の中、ひらひらと白の欠片が舞い落ちていく。
白く、細かく、ふわふわと降り立っていくそれは粉雪だった。
その白は部屋からこもれ出る光に照らされ、しずしずと輝きを見せていた。
空には薄っすらと雲の幕が張られていた。
星や月といった役者の出番は当分無さそうだ。
その様子を窓から眺めていた慧音は、ぶるりと寒そうに震えると、戸を閉め、いそいそと部屋の中に戻っていった。
人里から少し離れた所に慧音の小屋は立っている。
その小屋の屋根はうっすらと白く染まっていた。
小屋の周りの木々にも、雪が降り立って行き、枝を白く染め上げている。
慧音は部屋に戻ると炬燵に入り、読みかけていた書を手に取る。
炬燵の上には籠に盛られた蜜柑の山、急須、そして少しだけぬるくなったお茶。
ゆったりと、そして静かな時間が居間に流れ始める。
時折のぱらりと書をめくる音、炬燵の中の火皿がぱちぱちと音を立てる以外、音は生まれてこない。
時々、慧音が湯呑を手に取りずずっとお茶を啜る。
そして、そのぬるさと渋さに、毎度のこと顔を顰めていた
何度目かの顰めっ面を作った後、ふと、何かに気付いたように慧音は顔を上げ、そして立ちあがった。
台所に行き新しい湯呑をもう一つ用意する。そうして湯を沸かし新しく茶を淹れ始めた。
それらの準備が整い、改めて炬燵のある居間に戻ってくると、玄関がガラガラと開けられる音。
「慧音ー、寒いから邪魔するよー!」
どたどたと廊下を渡り、居間に顔を見せたのは蓬莱の人の形 藤原 妹紅。
寒さのせいか、頬と鼻の頭は真っ赤に染まっていた。
いつものモンペとシャツの上にコートを羽織っている。妹紅が自分で作ったものだ。
そして、首には薄い紅色のマフラーを巻いていた。
「寒いからって、なんだそれは」
「いいじゃんいいじゃん、それより炬燵入れて!」
そう言いながら、妹紅はもぞもぞと炬燵に入り込むと、ほっと一息吐いた。
炬燵の温かさに、へなりと頬が緩んでいる。
「まったく……」
そう呟きながらも、肘をついて妹紅を眺める慧音。
心なしかその表情が明るくなっている。
外ではまだ、粉雪がひらひらと舞いながら窓から漏れ出た光に輝いていた。
* * * * *
「ほら、お茶だ」
「ん、ありがと」
差し出された湯呑を受け取った妹紅がずずずっと茶を啜る。
慧音も同じように湯呑に口を付ける。しかし、相変わらずぬるいお茶に、その顔がまた軽く歪んだ。
妹紅と言えばお茶を一口啜っては、はぁと幸せそうな吐息を漏らしていた。
「やっぱり炬燵はいいねぇ」
しみじみと呟きながら籠に盛られた蜜柑に手を伸ばす。
妹紅がびりびりと橙色の皮を剥いていくと、甘酸っぱい柑橘類の匂いが部屋を満たしていく。
慧音もその匂いにつられたのか、籠に手を伸ばし皮を剥き始めた。
匂いの密度が一層濃くなる。
全て剥き終えた所で房の一つを口に入れる慧音。
房の薄皮を破ると口の中に果汁が溢れだした。そして鼻を通るように柑橘類の匂いが抜けていく。
良い蜜柑だ。そう、慧音は思った。
しばらく、その余韻に浸っていると、ふと自分を見つめる視線に気付く。
その方向に目を向けると、妹紅が意外そうな顔をしてこちらを見詰めていた。
「どうした?」
「いや、蜜柑の食べ方が変だなって思って……」
妹紅の前には蜜柑の皮が置かれており、そこに白い筋と薄皮が綺麗に剥かれて置いてある。
そして妹紅の右手には鮮やかな色をした裸の蜜柑があった。
「筋や薄皮を取るのは勿体ないぞ」
「だってこの方が美味しいじゃん。筋とか取らないと口の中に残っちゃうし」
「その筋には色々と栄養があるんだ。それに里の者が丹精込めて作ったものを残すのは良くない」
そう慧音は言うと、橙の房を一つ口に入れる。
妹紅も手に持った蜜柑を口に運んでから、う~、と唸った。
「慧音も食べてみれば分かるって。皮とかを取った方が味がはっきりする!」
「一々、皮をとる手間が煩わしいだろ。大体、薄皮で味は左右されん」
ああでもない、こうでもないと騒ぎながら蜜柑の食べ方で議論をする慧音と妹紅。
薄皮や筋があったところで味に変わりはないと言う慧音に対し、薄皮や筋を取った方が美味しく食べられると反論する妹紅。
平行線とも言えるような言い合いをしながらも、二人の顔はどこか笑っている。
なんとも微笑ましい光景を繰り広げながら、二人はパクパクと蜜柑を食べていった。
籠に盛られた蜜柑がだんだんと減って、山が丘となり台地となり平地となり……遂には籠だけがそこに転がっているだけになった。
蜜柑を取ろうとした妹紅がそれに気付き、何とも残念そうな顔を浮かべる。
「……蜜柑無くなったね」
「妹紅がばくばく食べるからだ」
「慧音だって同じくらい食べてたじゃん!」
びしっと慧音の前に積まれている皮の山を妹紅が指差す。
それを見て慧音はふふんと鼻を鳴らした。
「歴史によると、私が食べた蜜柑の数は7個、そして妹紅が食べた蜜柑の数は9個だ。お前の方が2つも多い!」
「……そんな下らん事のために能力を使うか」
「やるからには手を抜かないのが主義だ」
「能力の無駄遣い過ぎるって」
「それは良いとして、蜜柑がないと口寂しいな」
「確かに。有るとついつい食べちゃうし、それで無いとどうも落ち着かない……ひょっとして蜜柑て麻薬的なもの?」
「蜜柑に中毒性でもあるのか?」
「いやいや、炬燵と蜜柑にはちょっとした呪いが掛けてあって、蜜柑を食べないと不安定になるっていう……」
「どんな呪いだそれ」
「一つ手をだしゃ外には出られぬ。二つ手をだしゃコタツムリ。三つ手をだしゃ中毒患者。
……今宵の蜜柑は、私のトラウマになるよ」
「トラウマになるのか。というか何だそれ」
「脊髄反射の賜物」
「ようするに何も考えてないと言う事か……」
軽く溜息を吐きながら慧音は籠を持って立ち上がった。
「あ、蜜柑持ってきてくれるの?」
「無いと落ち着かないんだろ?私ももっと食べたいしな」
そういって慧音は蜜柑を取りに台所へ向かって行った。
* * * * *
「ほら、蜜柑持って来たぞ」
「ん、ご苦労様」
蜜柑の籠が机に置かれるなり、妹紅はすぐさま手を伸ばした。
待ってましたと言わんばかりに嬉しそうな顔を浮かべる。
それを見ながら、やれやれといった感じで炬燵に入る慧音。
蜜柑を取りに行っている間にすっかり体が冷えたのか、寒そうに手をすり合わせていた。
「うひゃあ、冷やっこい!」
きゃっきゃと蜜柑を弄びながら妹紅が声を上げた。
そして蜜柑を頬に当てて何とも気持ちよさそうな顔をしている。
それを見ていた慧音がふと、意地の悪い顔を浮かべた。
まるで、悪戯を思いついた子供のような笑みだ。
「ほほう、そんなに冷たいのが良いのか・・・・・・それなら、こうしてやる!」
「ひゃ!慧音の足冷たっ!ちょ!冷たいから止めっ!」
炬燵の中で二人の足がもつれ合っている。
ずっと炬燵に入っていた妹紅にとって慧音の足は酷く冷たく感じられたようだ。
「ほらほら、冷たいのが良いのだろう?」
「足が冷たいのは嫌だって!!」
「それにしても妹紅は温かいな。ああ、幸せ」
「足をぺたぺたとくっ付けるなぁ!!」
「蜜柑を持って来やったのだから文句言うな」
「客人を持て成すのは家主の義務だぞ」
「半ば居候として居座っているのは客人と言わん」
きっぱりと言われて少したじろぐ妹紅。
普段から慧音の所に入り浸っているので言い返せないのだ。
どたばたと炬燵の中で暴れる二人。
二人の足が縺れて絡み合ったり、解けたりと忙しなく動き回っていた。
「さて、大分温まったな」
「うぅ、酷いや酷いや……」
慧音の方は顔を綻ばせ、妹紅の方は炬燵に突っ伏してぐったりとしていた。
そのまま籠から蜜柑を取り、食べ始める慧音。
妹紅がさっきまで頬に当てていた蜜柑は籠の横に転がっていた。
「ほら、蜜柑食べないのか?」
「……勿論食べさせていただきますよ。慧音が折角持ってきてくれたんだしね」
妹紅はそう言いながら蜜柑を手に取り、びりびりと皮を剥いていく。
そうして、出てきた鮮やかな橙から筋を綺麗に取っていき、指先で丁寧に丁寧に薄皮を剥いでいった。
と、途中まで皮を剥いでいった所でふと手を止める。
そこから、にやりと悪童の笑みを浮かべた。まさに仕返しを思いついた悪ガキといった顔だ。
そうして薄皮も、筋も無くなった綺麗な房を摘まんで、慧音の前に蜜柑を差し出す妹紅。
慧音が眉尻を寄せて不思議そうな顔をすると、妹紅が極上といった感じで満面の笑みを浮かべた。
「はい、慧音。あ~ん」
「……何のつもりだ?」
「ん?蜜柑持ってきてくれたお礼。それと薄皮剥いた蜜柑がどれくらい美味しいか分かってほしいから」
「絶対にやらないぞ」
「いいからいいから。はい、あ~ん」
「やらないって!」
「恥ずかしがらなくてもいいじゃん、女同士なんだしさ」
「女同士だからだ!そういうのは、その・・・・・・恋人同士でやるものだ!」
「初心だねぇ。けど、それって物凄い固い考えだよ?まあ、慧音らしいっちゃあらしいけど」
「ほっといてくれ!というか、手を退かせ。絶対にやらないからな」
「いいじゃん、ただあ~んてするだけだよ?」
「それが恥ずかしいんだ!」
若干、赤くなりながら声を上げる慧音へ、妹紅はさも楽しそうに蜜柑を勧めていた。
ただのカップルの様にしか見えない光景を繰り広げる二人。
慧音はそのことが分かっているので、頑として食べようとせず、妹紅もそのことが分かっているので勧めているようだ。
どうやら慧音は、あ~んを恋人だけがやるものだと思っているらしい。何という事でしょう
しばらくの間、笑顔で蜜柑を進める妹紅と、それを赤くなりながら拒む慧音の姿が見られた。
何度かそんな光景を繰り広げた後、妹紅が残念そうな表情を浮かべる。
「こんなに私が勧めてるのに……一口ぐらい食べなよぉ」
「だから、恥ずかしいと言っているだろう!」
「ふ~ん、そこまで嫌がるんだ……それじゃあいいよ、無理矢理食べさせてやる!!」
さも面白そうに妹紅が言うと、いきなり慧音に飛び掛り、そのまま押し倒した。
咄嗟の事に反応できず、組み敷かれる慧音。足は炬燵に入ったままなので大きくは動けず、腕の方も妹紅に押えられていた。
馬乗りの状態で二人は視線を交わらせる。
「人に蜜柑を食わせるために押し倒すか?!」
「ほらほら、いい加減観念した方が身の為だよ?」
妹紅は器用に腕で組み敷きながら、蜜柑を慧音の口元に持っていく。
しかし、慧音は口を思いっきり閉じて、開こうとしない。
意地でも口を開けるものかという頑固な顔をして、真一音字に口を閉じている。。
「押し倒すまでしたんだからさ、食べてくれてもよくない?」
妹紅が訊くと慧音はブンブンと首を振った。
「そんなに嫌?」
こくこくと頷く。
「どうしても?」
こくこく
「一回くらいいいじゃん」
ぶんぶん
「どうしても?」
こくこく
ここまで訪ねて、妹紅は慧音から降りた。
「そんなに嫌なら仕様がないか」
残念そうに妹紅が呟き、ゆっくりと立ち上がる。
慧音が身体を起こしながらその表情を見ると、寂しさと悲しさで塗られた顔があった。
先程と全く違う表情と雰囲気に、どこか妙な感じを受ける。
「妹紅?」
「ここまで頼んでも嫌ってことはさ。慧音が私を鬱陶しく思ってるからだよね」
「な、いきなり何を!?」
「確かに厄介な事しかしないしね、私……竹林の火事とか、勝手に家に泊まり込んだりとか。
所詮、私と慧音では全く違うんだものね……そもそも、普通だったら会う事もない仲だった」
「妹紅?」
「私は蓬莱の人の形……不老不死の化け物……本当だったら千年前以上に死んでいた存在。それがこんな所に居て里の守り神とじゃれ合っているのは可笑しな道理だしね」
「何を……?」
「慧音は私の事、迷惑だと思ってたんだよね」
「そんな訳ないだろう!」
「だって私の剥いた蜜柑食べてくれなかった」
「そ、それとこれとは別だろう!?」
「同じだよ!私が嫌いだから食べなかった、私が折角剥いてあげた蜜柑をさ!」
「だから、それは恥ずかしいから・・・・・・そもそも手渡してくれれば普通に食べたぞ!!」
「慧音と私の仲なら、普通にあのまま食べてくれると思ったのにさ。それを本気で嫌がるってことは私を嫌ってたんだよね」
眼尻に涙を浮かべながら、静かに妹紅が言う。その声はどこまでも悲痛で、どこまでも孤独で、どこまでも寂しかった。
「妹紅……」
「ごめんね。押し倒したりして、勝手に家に押し入ったりして……これからはもう慧音とは関わらない様にするよ」
「妹紅!!」
慧音は立ち上がり、目の前の少女を抱き締めた。
強く、強く、どこにも逃さない様に、離さない様に大切に。
「慧音……」
「私がお前を邪魔だと思うはずがないじゃないか!!お前は私の守りたい人間の一人だ!!」
「死ぬことの無い人間なんて化け物だよ。私は慧音の守るべき人間じゃない」
「いや、お前は人間だ!私の大好きな人間だ!そして、私の掛け替えの無い親友だ!大切な大切な妹紅なんだ!!だから……自分の事を邪魔だなんて思わないでくれ」
絞り出すような声が部屋に響いた。
しばらくの静寂、そして微かにに聞こえてくる声。慧音の声だ。慧音の嗚咽の声だ。
ぼろぼろと涙を零しながら、ギュッと自分の腕の中に居る少女を抱きしめる。
「……そんなに、私を大切に思ってる?」
抱きしめられながら妹紅が静かに尋ねる。
その言葉に、慧音が何度も頷いた。
「……じゃあさ、私の我儘一つだけ聞いてくれる?」
もう一度訪ねる妹紅の言葉に、慧音は再び頷く。
「本当に、聞いてくれる?」
「ああ、聞いてやる……聞いてやるとも!!お前の我儘くらい幾らでも聞いてやる!!」
「それじゃあさ……
蜜柑食べて」
「……は?」
慧音が妹紅の顔を見ると、さっきまでの悲壮な表情は無く、してやったりという顔と輝くばかりの笑顔があった。かかったな!アホめが!!
訳が分からないといった表情をしている慧音に妹紅が蜜柑を差し出す。
「はい、慧音。あ~ん」
「……あ」
言われるがままに口を開く慧音。どうも、状況が上手く呑み込めていないようだ。
惚けたような顔をしながら薄皮の剥かれた蜜柑を食べる。
「どう?美味しい?」
そう尋ねる声に、慧音は軽く頷いた。
未だに状況が呑み込めていない顔をしている。
「やっぱり、薄皮とか剥いた方が美味しいよね?」
妹紅が期待を込めて尋ねるが、慧音はことりと首を傾げただけだった。
「なんでさ!!慧音の味音痴!!」
「妹紅……」
「何?」
「さっきまでお前、泣いてなかったか?」
「泣いてないよ?眼尻に涙は溜めてたけど」
「だってさっきまで、私は邪魔者だって・・・・・・」
「んなこと思う訳ないじゃん。そんな弱い神経だったら蓬莱人とっく止めてるって。少しくらい図々しくないと数千年も生きていけないもんだよ」
けらけらと軽い笑いを上げる妹紅。
何か不思議な生物を見たような顔をした慧音。しかし、だんだんとその顔つきが変わってきた。少しづつ状況を理解し始めたようだ。
「つまり、さっきのは演技……か?」
「迫真の演技だったでしょ?昔、とある劇団に世話になったりしてね。そこでちょくちょく教えてもらってたんだ。案外、腕が鈍って無くて良かったよ。これならまだまだ舞台に上がれそうだ」
「つまり、さっきまで言ってたことは全部、嘘か」
「ん~、最初に出会ったころは、あんなこと考えてたけど、しばらくしたらどうでも良くなった。だってもう慧音と私の仲だもの。何があっても壊れることは無いって言える」
気持ちの良い笑顔を浮かべながら妹紅は力強く言う。
その顔と言葉には確信とも言うべき自信が満ちていた。
一方、慧音と言えば、微妙に俯いており表情を読み取ることが出来ない。
しかし、何やらぶつぶつと呟いていることに、妹紅は気付いた。
「あれ?えっと……慧音?」
「人が本気で悲しんでいたと言うのに……お前のために本気で涙したと言うのに・・・・・
」
「慧音?いや、あのさ?まさかここまで慧音が泣くとは思わなかったんだ。ほんと想定外と言うか、予想外デス」
「お前の事を本気で心配したと言うのに……絶対に守ってやろうと思ったのに……」
「慧音?」
「……今宵の私はお前のトラウマになるぞぉぉ!!」
「うわ、ちょ、ま!ひぎぃ!!」
少女血みどろキャットファイト中うふふ
人里から少し離れた所に立っている少し小さな小屋。
小屋の屋根にはうっすらと白化粧がなされ、小屋の周りの木々にも、雪が降り立って行き、枝々を白く染め上げている。
その小屋の中で二人の少女が炬燵に入っていた。
いや、入っていると言うよりは炬燵で倒れていた。
さっきまでキャットファイトを繰り広げていた妹紅と慧音だ。
二人とも肩で息をしており、額にうっすらと汗を掻いている。
妹紅はモンペのサスペンダーが肩から外れかけ、シャツのボタンがいくつか外れており、胸元がはだけている。慧音は服の裾が乱れ、その白い肌を少し覗かせていた。
「まったく……妹紅が暴れるから汗を掻いてきたぞ」
「慧音が掴み掛ってくるからじゃん」
「お前が変な芝居をするからだ」
「それは慧音が蜜柑を食べないから……ってここまで来るとお互い様だね、もう」
笑いながら、妹紅は立ち上がる。そうして窓際に向かうと戸に手を掛けて、炬燵の方に首を向けた。
「慧音、窓開けていい?」
「開けてくれ。流石に熱い」
「あいよ」
ぎぎ、と軋みを上げながら戸を開ける妹紅。
戸が全て開かれると、冷たい冬の空気が部屋の中に滑り込んでくる。
冬の妖怪がそこらで踊っているのか、冷たさを含む風が辺りを舞っていた。
「へえ、積もってるね」
縁に身体を預けながら、妹紅は周りの景色を見回す。
一面の白化粧が辺りを染めていた。
真っ白に真っ白に、全てのものが白無垢を纏い、その姿を見せようとしない。
土の色も、草の色も、夜の色も、全てが淡い白の世界。
その淡い世界で、ちろりちろりと小さな雪が、闇の中を舞っている。
雪の精が気紛れで降らしているのか、ゆらゆらと不規則に雪達が舞っていく。
粉雪、粉雪、ゆらりゆらり。
妹紅が来た時よりも、少しだけ雪は弱くなったようだ。
ふと空を見上げるた妹紅は、はあっと白い息を吐いた。
何かを見つけた子供の様に、宝物を見つけた子供の様に。
「慧音、ちょっと来てよ」
空を見上げたまま、妹紅が声を掛けた。
慧音は炬燵から出て、ゆっくりと窓際に向かう。
「どうしたんだ?」
そこに居る友人が、ぼうっと空を眺めているのを見て、慧音も空に目を向けた。
「ほう、これは……」
「綺麗だよね」
二人とも上を見上げたまま、そう呟いた。
粉雪、粉雪、ゆらりゆらり。
ふらふらと落ちてくる雪の向こう―――夜の澄んだ空に、幾万もの星々、皓々と光りたつ月が浮かんでいた。
月からの狂おしい程に柔らかな輝きが、空に舞い散る白雪をしらりしらりと輝かせる。
しらり、ゆらりと光り落ちる雪が、星の瞬きの様にちろちろと光を漏らしていた。
夜の中で星と雪が微かに光り、散っていく。
闇の中に、星の光が、雪の光が暗く、儚く、淡く……
小さな光の雪達が、闇の中を舞い散っていた。
月光を浴び、ひたすらに狂い踊る雪と、それを守るように光る星。
月が、それを見下ろしていた。
「雪月花って言うのかな、この場合」
妹紅が小さく呟く。
「花は無いがな。言うならば月下の雪か?」
「捻りが無いよ慧音。だったら月下氷塵」
「それを言うなら月下氷人だろうが。しかもそれだと意味が違う」
「どちらにしろ、星が入ってないんだよね……じゃあ、雪月星」
「無理矢理だな」
「だめ?雪月星?」
「どうでもいい」
「いいと思うんだけどなぁ、雪月星……」
残念そうに妹紅が呟き、慧音が軽く微笑みを浮かべた。
しばらく、二人で幻想の夜を見上げる。
幻想の集う場所に生まれる冬の夜の幻想。
雪降る音と星の瞬く音が音も無く響く。
「そういえばさ、皮の無い蜜柑の味どうだった?」
「覚えてないな」
そのまま肩を並べて、冬の空を見上げる妹紅と慧音。
ひらひらと、そしてしずしずと輝き散る粉雪が、いつまでも舞い続けている。
その様子を、二人はずっと眺めていた。
月と、星と、白雪が、世界を包むように淡く輝いていた。
白く、細かく、ふわふわと降り立っていくそれは粉雪だった。
その白は部屋からこもれ出る光に照らされ、しずしずと輝きを見せていた。
空には薄っすらと雲の幕が張られていた。
星や月といった役者の出番は当分無さそうだ。
その様子を窓から眺めていた慧音は、ぶるりと寒そうに震えると、戸を閉め、いそいそと部屋の中に戻っていった。
人里から少し離れた所に慧音の小屋は立っている。
その小屋の屋根はうっすらと白く染まっていた。
小屋の周りの木々にも、雪が降り立って行き、枝を白く染め上げている。
慧音は部屋に戻ると炬燵に入り、読みかけていた書を手に取る。
炬燵の上には籠に盛られた蜜柑の山、急須、そして少しだけぬるくなったお茶。
ゆったりと、そして静かな時間が居間に流れ始める。
時折のぱらりと書をめくる音、炬燵の中の火皿がぱちぱちと音を立てる以外、音は生まれてこない。
時々、慧音が湯呑を手に取りずずっとお茶を啜る。
そして、そのぬるさと渋さに、毎度のこと顔を顰めていた
何度目かの顰めっ面を作った後、ふと、何かに気付いたように慧音は顔を上げ、そして立ちあがった。
台所に行き新しい湯呑をもう一つ用意する。そうして湯を沸かし新しく茶を淹れ始めた。
それらの準備が整い、改めて炬燵のある居間に戻ってくると、玄関がガラガラと開けられる音。
「慧音ー、寒いから邪魔するよー!」
どたどたと廊下を渡り、居間に顔を見せたのは蓬莱の人の形 藤原 妹紅。
寒さのせいか、頬と鼻の頭は真っ赤に染まっていた。
いつものモンペとシャツの上にコートを羽織っている。妹紅が自分で作ったものだ。
そして、首には薄い紅色のマフラーを巻いていた。
「寒いからって、なんだそれは」
「いいじゃんいいじゃん、それより炬燵入れて!」
そう言いながら、妹紅はもぞもぞと炬燵に入り込むと、ほっと一息吐いた。
炬燵の温かさに、へなりと頬が緩んでいる。
「まったく……」
そう呟きながらも、肘をついて妹紅を眺める慧音。
心なしかその表情が明るくなっている。
外ではまだ、粉雪がひらひらと舞いながら窓から漏れ出た光に輝いていた。
* * * * *
「ほら、お茶だ」
「ん、ありがと」
差し出された湯呑を受け取った妹紅がずずずっと茶を啜る。
慧音も同じように湯呑に口を付ける。しかし、相変わらずぬるいお茶に、その顔がまた軽く歪んだ。
妹紅と言えばお茶を一口啜っては、はぁと幸せそうな吐息を漏らしていた。
「やっぱり炬燵はいいねぇ」
しみじみと呟きながら籠に盛られた蜜柑に手を伸ばす。
妹紅がびりびりと橙色の皮を剥いていくと、甘酸っぱい柑橘類の匂いが部屋を満たしていく。
慧音もその匂いにつられたのか、籠に手を伸ばし皮を剥き始めた。
匂いの密度が一層濃くなる。
全て剥き終えた所で房の一つを口に入れる慧音。
房の薄皮を破ると口の中に果汁が溢れだした。そして鼻を通るように柑橘類の匂いが抜けていく。
良い蜜柑だ。そう、慧音は思った。
しばらく、その余韻に浸っていると、ふと自分を見つめる視線に気付く。
その方向に目を向けると、妹紅が意外そうな顔をしてこちらを見詰めていた。
「どうした?」
「いや、蜜柑の食べ方が変だなって思って……」
妹紅の前には蜜柑の皮が置かれており、そこに白い筋と薄皮が綺麗に剥かれて置いてある。
そして妹紅の右手には鮮やかな色をした裸の蜜柑があった。
「筋や薄皮を取るのは勿体ないぞ」
「だってこの方が美味しいじゃん。筋とか取らないと口の中に残っちゃうし」
「その筋には色々と栄養があるんだ。それに里の者が丹精込めて作ったものを残すのは良くない」
そう慧音は言うと、橙の房を一つ口に入れる。
妹紅も手に持った蜜柑を口に運んでから、う~、と唸った。
「慧音も食べてみれば分かるって。皮とかを取った方が味がはっきりする!」
「一々、皮をとる手間が煩わしいだろ。大体、薄皮で味は左右されん」
ああでもない、こうでもないと騒ぎながら蜜柑の食べ方で議論をする慧音と妹紅。
薄皮や筋があったところで味に変わりはないと言う慧音に対し、薄皮や筋を取った方が美味しく食べられると反論する妹紅。
平行線とも言えるような言い合いをしながらも、二人の顔はどこか笑っている。
なんとも微笑ましい光景を繰り広げながら、二人はパクパクと蜜柑を食べていった。
籠に盛られた蜜柑がだんだんと減って、山が丘となり台地となり平地となり……遂には籠だけがそこに転がっているだけになった。
蜜柑を取ろうとした妹紅がそれに気付き、何とも残念そうな顔を浮かべる。
「……蜜柑無くなったね」
「妹紅がばくばく食べるからだ」
「慧音だって同じくらい食べてたじゃん!」
びしっと慧音の前に積まれている皮の山を妹紅が指差す。
それを見て慧音はふふんと鼻を鳴らした。
「歴史によると、私が食べた蜜柑の数は7個、そして妹紅が食べた蜜柑の数は9個だ。お前の方が2つも多い!」
「……そんな下らん事のために能力を使うか」
「やるからには手を抜かないのが主義だ」
「能力の無駄遣い過ぎるって」
「それは良いとして、蜜柑がないと口寂しいな」
「確かに。有るとついつい食べちゃうし、それで無いとどうも落ち着かない……ひょっとして蜜柑て麻薬的なもの?」
「蜜柑に中毒性でもあるのか?」
「いやいや、炬燵と蜜柑にはちょっとした呪いが掛けてあって、蜜柑を食べないと不安定になるっていう……」
「どんな呪いだそれ」
「一つ手をだしゃ外には出られぬ。二つ手をだしゃコタツムリ。三つ手をだしゃ中毒患者。
……今宵の蜜柑は、私のトラウマになるよ」
「トラウマになるのか。というか何だそれ」
「脊髄反射の賜物」
「ようするに何も考えてないと言う事か……」
軽く溜息を吐きながら慧音は籠を持って立ち上がった。
「あ、蜜柑持ってきてくれるの?」
「無いと落ち着かないんだろ?私ももっと食べたいしな」
そういって慧音は蜜柑を取りに台所へ向かって行った。
* * * * *
「ほら、蜜柑持って来たぞ」
「ん、ご苦労様」
蜜柑の籠が机に置かれるなり、妹紅はすぐさま手を伸ばした。
待ってましたと言わんばかりに嬉しそうな顔を浮かべる。
それを見ながら、やれやれといった感じで炬燵に入る慧音。
蜜柑を取りに行っている間にすっかり体が冷えたのか、寒そうに手をすり合わせていた。
「うひゃあ、冷やっこい!」
きゃっきゃと蜜柑を弄びながら妹紅が声を上げた。
そして蜜柑を頬に当てて何とも気持ちよさそうな顔をしている。
それを見ていた慧音がふと、意地の悪い顔を浮かべた。
まるで、悪戯を思いついた子供のような笑みだ。
「ほほう、そんなに冷たいのが良いのか・・・・・・それなら、こうしてやる!」
「ひゃ!慧音の足冷たっ!ちょ!冷たいから止めっ!」
炬燵の中で二人の足がもつれ合っている。
ずっと炬燵に入っていた妹紅にとって慧音の足は酷く冷たく感じられたようだ。
「ほらほら、冷たいのが良いのだろう?」
「足が冷たいのは嫌だって!!」
「それにしても妹紅は温かいな。ああ、幸せ」
「足をぺたぺたとくっ付けるなぁ!!」
「蜜柑を持って来やったのだから文句言うな」
「客人を持て成すのは家主の義務だぞ」
「半ば居候として居座っているのは客人と言わん」
きっぱりと言われて少したじろぐ妹紅。
普段から慧音の所に入り浸っているので言い返せないのだ。
どたばたと炬燵の中で暴れる二人。
二人の足が縺れて絡み合ったり、解けたりと忙しなく動き回っていた。
「さて、大分温まったな」
「うぅ、酷いや酷いや……」
慧音の方は顔を綻ばせ、妹紅の方は炬燵に突っ伏してぐったりとしていた。
そのまま籠から蜜柑を取り、食べ始める慧音。
妹紅がさっきまで頬に当てていた蜜柑は籠の横に転がっていた。
「ほら、蜜柑食べないのか?」
「……勿論食べさせていただきますよ。慧音が折角持ってきてくれたんだしね」
妹紅はそう言いながら蜜柑を手に取り、びりびりと皮を剥いていく。
そうして、出てきた鮮やかな橙から筋を綺麗に取っていき、指先で丁寧に丁寧に薄皮を剥いでいった。
と、途中まで皮を剥いでいった所でふと手を止める。
そこから、にやりと悪童の笑みを浮かべた。まさに仕返しを思いついた悪ガキといった顔だ。
そうして薄皮も、筋も無くなった綺麗な房を摘まんで、慧音の前に蜜柑を差し出す妹紅。
慧音が眉尻を寄せて不思議そうな顔をすると、妹紅が極上といった感じで満面の笑みを浮かべた。
「はい、慧音。あ~ん」
「……何のつもりだ?」
「ん?蜜柑持ってきてくれたお礼。それと薄皮剥いた蜜柑がどれくらい美味しいか分かってほしいから」
「絶対にやらないぞ」
「いいからいいから。はい、あ~ん」
「やらないって!」
「恥ずかしがらなくてもいいじゃん、女同士なんだしさ」
「女同士だからだ!そういうのは、その・・・・・・恋人同士でやるものだ!」
「初心だねぇ。けど、それって物凄い固い考えだよ?まあ、慧音らしいっちゃあらしいけど」
「ほっといてくれ!というか、手を退かせ。絶対にやらないからな」
「いいじゃん、ただあ~んてするだけだよ?」
「それが恥ずかしいんだ!」
若干、赤くなりながら声を上げる慧音へ、妹紅はさも楽しそうに蜜柑を勧めていた。
ただのカップルの様にしか見えない光景を繰り広げる二人。
慧音はそのことが分かっているので、頑として食べようとせず、妹紅もそのことが分かっているので勧めているようだ。
どうやら慧音は、あ~んを恋人だけがやるものだと思っているらしい。何という事でしょう
しばらくの間、笑顔で蜜柑を進める妹紅と、それを赤くなりながら拒む慧音の姿が見られた。
何度かそんな光景を繰り広げた後、妹紅が残念そうな表情を浮かべる。
「こんなに私が勧めてるのに……一口ぐらい食べなよぉ」
「だから、恥ずかしいと言っているだろう!」
「ふ~ん、そこまで嫌がるんだ……それじゃあいいよ、無理矢理食べさせてやる!!」
さも面白そうに妹紅が言うと、いきなり慧音に飛び掛り、そのまま押し倒した。
咄嗟の事に反応できず、組み敷かれる慧音。足は炬燵に入ったままなので大きくは動けず、腕の方も妹紅に押えられていた。
馬乗りの状態で二人は視線を交わらせる。
「人に蜜柑を食わせるために押し倒すか?!」
「ほらほら、いい加減観念した方が身の為だよ?」
妹紅は器用に腕で組み敷きながら、蜜柑を慧音の口元に持っていく。
しかし、慧音は口を思いっきり閉じて、開こうとしない。
意地でも口を開けるものかという頑固な顔をして、真一音字に口を閉じている。。
「押し倒すまでしたんだからさ、食べてくれてもよくない?」
妹紅が訊くと慧音はブンブンと首を振った。
「そんなに嫌?」
こくこくと頷く。
「どうしても?」
こくこく
「一回くらいいいじゃん」
ぶんぶん
「どうしても?」
こくこく
ここまで訪ねて、妹紅は慧音から降りた。
「そんなに嫌なら仕様がないか」
残念そうに妹紅が呟き、ゆっくりと立ち上がる。
慧音が身体を起こしながらその表情を見ると、寂しさと悲しさで塗られた顔があった。
先程と全く違う表情と雰囲気に、どこか妙な感じを受ける。
「妹紅?」
「ここまで頼んでも嫌ってことはさ。慧音が私を鬱陶しく思ってるからだよね」
「な、いきなり何を!?」
「確かに厄介な事しかしないしね、私……竹林の火事とか、勝手に家に泊まり込んだりとか。
所詮、私と慧音では全く違うんだものね……そもそも、普通だったら会う事もない仲だった」
「妹紅?」
「私は蓬莱の人の形……不老不死の化け物……本当だったら千年前以上に死んでいた存在。それがこんな所に居て里の守り神とじゃれ合っているのは可笑しな道理だしね」
「何を……?」
「慧音は私の事、迷惑だと思ってたんだよね」
「そんな訳ないだろう!」
「だって私の剥いた蜜柑食べてくれなかった」
「そ、それとこれとは別だろう!?」
「同じだよ!私が嫌いだから食べなかった、私が折角剥いてあげた蜜柑をさ!」
「だから、それは恥ずかしいから・・・・・・そもそも手渡してくれれば普通に食べたぞ!!」
「慧音と私の仲なら、普通にあのまま食べてくれると思ったのにさ。それを本気で嫌がるってことは私を嫌ってたんだよね」
眼尻に涙を浮かべながら、静かに妹紅が言う。その声はどこまでも悲痛で、どこまでも孤独で、どこまでも寂しかった。
「妹紅……」
「ごめんね。押し倒したりして、勝手に家に押し入ったりして……これからはもう慧音とは関わらない様にするよ」
「妹紅!!」
慧音は立ち上がり、目の前の少女を抱き締めた。
強く、強く、どこにも逃さない様に、離さない様に大切に。
「慧音……」
「私がお前を邪魔だと思うはずがないじゃないか!!お前は私の守りたい人間の一人だ!!」
「死ぬことの無い人間なんて化け物だよ。私は慧音の守るべき人間じゃない」
「いや、お前は人間だ!私の大好きな人間だ!そして、私の掛け替えの無い親友だ!大切な大切な妹紅なんだ!!だから……自分の事を邪魔だなんて思わないでくれ」
絞り出すような声が部屋に響いた。
しばらくの静寂、そして微かにに聞こえてくる声。慧音の声だ。慧音の嗚咽の声だ。
ぼろぼろと涙を零しながら、ギュッと自分の腕の中に居る少女を抱きしめる。
「……そんなに、私を大切に思ってる?」
抱きしめられながら妹紅が静かに尋ねる。
その言葉に、慧音が何度も頷いた。
「……じゃあさ、私の我儘一つだけ聞いてくれる?」
もう一度訪ねる妹紅の言葉に、慧音は再び頷く。
「本当に、聞いてくれる?」
「ああ、聞いてやる……聞いてやるとも!!お前の我儘くらい幾らでも聞いてやる!!」
「それじゃあさ……
蜜柑食べて」
「……は?」
慧音が妹紅の顔を見ると、さっきまでの悲壮な表情は無く、してやったりという顔と輝くばかりの笑顔があった。かかったな!アホめが!!
訳が分からないといった表情をしている慧音に妹紅が蜜柑を差し出す。
「はい、慧音。あ~ん」
「……あ」
言われるがままに口を開く慧音。どうも、状況が上手く呑み込めていないようだ。
惚けたような顔をしながら薄皮の剥かれた蜜柑を食べる。
「どう?美味しい?」
そう尋ねる声に、慧音は軽く頷いた。
未だに状況が呑み込めていない顔をしている。
「やっぱり、薄皮とか剥いた方が美味しいよね?」
妹紅が期待を込めて尋ねるが、慧音はことりと首を傾げただけだった。
「なんでさ!!慧音の味音痴!!」
「妹紅……」
「何?」
「さっきまでお前、泣いてなかったか?」
「泣いてないよ?眼尻に涙は溜めてたけど」
「だってさっきまで、私は邪魔者だって・・・・・・」
「んなこと思う訳ないじゃん。そんな弱い神経だったら蓬莱人とっく止めてるって。少しくらい図々しくないと数千年も生きていけないもんだよ」
けらけらと軽い笑いを上げる妹紅。
何か不思議な生物を見たような顔をした慧音。しかし、だんだんとその顔つきが変わってきた。少しづつ状況を理解し始めたようだ。
「つまり、さっきのは演技……か?」
「迫真の演技だったでしょ?昔、とある劇団に世話になったりしてね。そこでちょくちょく教えてもらってたんだ。案外、腕が鈍って無くて良かったよ。これならまだまだ舞台に上がれそうだ」
「つまり、さっきまで言ってたことは全部、嘘か」
「ん~、最初に出会ったころは、あんなこと考えてたけど、しばらくしたらどうでも良くなった。だってもう慧音と私の仲だもの。何があっても壊れることは無いって言える」
気持ちの良い笑顔を浮かべながら妹紅は力強く言う。
その顔と言葉には確信とも言うべき自信が満ちていた。
一方、慧音と言えば、微妙に俯いており表情を読み取ることが出来ない。
しかし、何やらぶつぶつと呟いていることに、妹紅は気付いた。
「あれ?えっと……慧音?」
「人が本気で悲しんでいたと言うのに……お前のために本気で涙したと言うのに・・・・・
」
「慧音?いや、あのさ?まさかここまで慧音が泣くとは思わなかったんだ。ほんと想定外と言うか、予想外デス」
「お前の事を本気で心配したと言うのに……絶対に守ってやろうと思ったのに……」
「慧音?」
「……今宵の私はお前のトラウマになるぞぉぉ!!」
「うわ、ちょ、ま!ひぎぃ!!」
少女血みどろキャットファイト中うふふ
人里から少し離れた所に立っている少し小さな小屋。
小屋の屋根にはうっすらと白化粧がなされ、小屋の周りの木々にも、雪が降り立って行き、枝々を白く染め上げている。
その小屋の中で二人の少女が炬燵に入っていた。
いや、入っていると言うよりは炬燵で倒れていた。
さっきまでキャットファイトを繰り広げていた妹紅と慧音だ。
二人とも肩で息をしており、額にうっすらと汗を掻いている。
妹紅はモンペのサスペンダーが肩から外れかけ、シャツのボタンがいくつか外れており、胸元がはだけている。慧音は服の裾が乱れ、その白い肌を少し覗かせていた。
「まったく……妹紅が暴れるから汗を掻いてきたぞ」
「慧音が掴み掛ってくるからじゃん」
「お前が変な芝居をするからだ」
「それは慧音が蜜柑を食べないから……ってここまで来るとお互い様だね、もう」
笑いながら、妹紅は立ち上がる。そうして窓際に向かうと戸に手を掛けて、炬燵の方に首を向けた。
「慧音、窓開けていい?」
「開けてくれ。流石に熱い」
「あいよ」
ぎぎ、と軋みを上げながら戸を開ける妹紅。
戸が全て開かれると、冷たい冬の空気が部屋の中に滑り込んでくる。
冬の妖怪がそこらで踊っているのか、冷たさを含む風が辺りを舞っていた。
「へえ、積もってるね」
縁に身体を預けながら、妹紅は周りの景色を見回す。
一面の白化粧が辺りを染めていた。
真っ白に真っ白に、全てのものが白無垢を纏い、その姿を見せようとしない。
土の色も、草の色も、夜の色も、全てが淡い白の世界。
その淡い世界で、ちろりちろりと小さな雪が、闇の中を舞っている。
雪の精が気紛れで降らしているのか、ゆらゆらと不規則に雪達が舞っていく。
粉雪、粉雪、ゆらりゆらり。
妹紅が来た時よりも、少しだけ雪は弱くなったようだ。
ふと空を見上げるた妹紅は、はあっと白い息を吐いた。
何かを見つけた子供の様に、宝物を見つけた子供の様に。
「慧音、ちょっと来てよ」
空を見上げたまま、妹紅が声を掛けた。
慧音は炬燵から出て、ゆっくりと窓際に向かう。
「どうしたんだ?」
そこに居る友人が、ぼうっと空を眺めているのを見て、慧音も空に目を向けた。
「ほう、これは……」
「綺麗だよね」
二人とも上を見上げたまま、そう呟いた。
粉雪、粉雪、ゆらりゆらり。
ふらふらと落ちてくる雪の向こう―――夜の澄んだ空に、幾万もの星々、皓々と光りたつ月が浮かんでいた。
月からの狂おしい程に柔らかな輝きが、空に舞い散る白雪をしらりしらりと輝かせる。
しらり、ゆらりと光り落ちる雪が、星の瞬きの様にちろちろと光を漏らしていた。
夜の中で星と雪が微かに光り、散っていく。
闇の中に、星の光が、雪の光が暗く、儚く、淡く……
小さな光の雪達が、闇の中を舞い散っていた。
月光を浴び、ひたすらに狂い踊る雪と、それを守るように光る星。
月が、それを見下ろしていた。
「雪月花って言うのかな、この場合」
妹紅が小さく呟く。
「花は無いがな。言うならば月下の雪か?」
「捻りが無いよ慧音。だったら月下氷塵」
「それを言うなら月下氷人だろうが。しかもそれだと意味が違う」
「どちらにしろ、星が入ってないんだよね……じゃあ、雪月星」
「無理矢理だな」
「だめ?雪月星?」
「どうでもいい」
「いいと思うんだけどなぁ、雪月星……」
残念そうに妹紅が呟き、慧音が軽く微笑みを浮かべた。
しばらく、二人で幻想の夜を見上げる。
幻想の集う場所に生まれる冬の夜の幻想。
雪降る音と星の瞬く音が音も無く響く。
「そういえばさ、皮の無い蜜柑の味どうだった?」
「覚えてないな」
そのまま肩を並べて、冬の空を見上げる妹紅と慧音。
ひらひらと、そしてしずしずと輝き散る粉雪が、いつまでも舞い続けている。
その様子を、二人はずっと眺めていた。
月と、星と、白雪が、世界を包むように淡く輝いていた。
互いに遠慮しない二人の関係がいいですね。
SAM様>>今回の妹紅と慧音の関係は気の置けない友人と言う感じです。
一部、自分と友達だったら、この時どんな受け答えをするかな?と想像して書きました。満足していただけたなら幸いです。
♯15様>>さあ、そのまま楽にして~。あなたは段々眠くな(ry
名前が無い・・・様>>炬燵に入って蜜柑を食べながら読んでみるのも乙なものかもしれません。