今夜は十六夜
少し欠けた月が夜空に浮かぶ。
十六夜咲夜は自室にて残務処理を行っていた。
机には書類の山と冷めた珈琲に満ちたカップ。
静寂に包まれた自室に振り子時計が時を刻む音が響く。
咲夜は時計に目をやった。
既に10時を回っている。
事務仕事に一旦きりをつけ、しばし休憩をとる事にした。
冷めた珈琲を飲み干し、新しい珈琲を淹れなおす。
メイド妖精たちは既にみな就寝し、館は静寂で満たされていた。
お嬢様も今夜はどこかに出かけたらしく今の紅魔館に起きている者は咲夜のみであった。
不意に外の月が目に入った。
窓に近づき窓を開放する、長い間締め切っていた部屋のために。
窓辺で夜空を眺める咲夜の脳裏にある物語がよみがえってくる。
時は紅霧異変より以前の吸血鬼異変よりさらに前、紅魔館がまだ幻想郷入りする前の話。
欧州のとある国、とある街から物語は始まる。
当時、その街にこんな噂があった。
「霧が出る夜に殺人鬼が出る」
事実、老若男女無差別に街の住人が霧の出る夜には斬殺死体へと姿を変えていた。
地元警察は既に容疑者をある程度絞っていた。
そのうちの一人に偶に広場に現れる女奇術師がいた。
ある昼のこと、その日も広場にて女は奇術師が大道芸を繰り広げていた。
見るもの全てを魅了するその奇術。
到底両手では数え切れないナイフが縦横無尽に舞う。
操るはスレンダーな東洋風の顔つきだが銀髪の女。
一種広場の名物になっていた彼女だったが広場にいる間は常に警察に見張られていた。
彼女が現れた時期と『夜霧の幻影殺人鬼』が現れだしたのは同じ時期。
ナイフ使いと斬殺死体という関連性。
そして彼女の正体が一切不明であるということ。
あるとき刑事が彼女に名前を聞いたことがあった。
刑事の問いに女は
「私もしらないわ」と答えた。
なら尾行をすればいいと考えるのが常識的であるが、
彼女にぴったりとついていっても一瞬目を離した隙にいつも女は消えていた。
そう、幻影のように。
彼女が頭を下げた。
どうやら今日は引き上げるつもりらしい。
広場に待機していた刑事も慌てて追った。
女が路地裏へと歩いていく。
刑事も路地裏へと侵入するが、もうそこには誰もいなかった。
逃げ場などない狭い路地のはずなのに……
「ふぅ」
刑事はため息をつき懐からタバコを取り出すとオイルライターで火をつける。
煙を灰いっぱいに吸い、吐き出す。
湿度の高い暗い路地裏の空気へと紫煙が拡散する。
「今夜は霧が出そうだな」
そういい頭を掻いた。
その日の夜、通りには『夜霧の幻影殺人鬼』の噂を恐れているのか人通りはなく、ただ霧のみが通りを漂う。
しかし、いつの世も命知らずはいる。
命知らずな刑事はその夜こそ犯行を防ごうと何時も犯行が起こる広場周辺にて待機していた。
今日は霧が出ている。
『夜霧の幻影殺人鬼』はきっと現れる。
その確信が刑事を勤務時間外の張り込みをさせている。
だが、事件が連続で起こっている今、霧の出る夜に外出する愚か者はいなかった。
正確に言えば愚か者は居なくなったのだ、犯人の手にかかって。
今日は事件が起こらない。
腕時計で時間を見ながら刑事は思った。
今日の捜査は中断しよう。
(確かスコッチがまだ一本のこっていたはずだ)
晩酌の計画を立て、車に乗り込もう鍵を取り出す。
ザッ……
そのとき後ろに足音がした。
刑事は慌てて後ろを振り向く。
心臓は一瞬にしてその脈動する速度を速める。
(まずい、まずい、まずい)
刑事の頭の中で警告が繰り返される。
(逃げろ、逃げろ。逃げろ)
だが足はまるで縫い付けられたかのように動かない。
霧でまるで見えないが、黒い布切れに身を包んだ女がそこにいた。
フードに隠れて顔は見えない。
不意に女の口元が開いた。
「こんばんは刑事さん」
そう冷たい声で言い放った。
聞いたことのある声だった。
(逃げろ、逃げろ、逃げろ)
警告音は速くなるが、足は動かない
次の瞬間女の右手にナイフが現れる。
まるで奇術だった。
瞬きもできない。
口が乾く。
ごくり
刑事ののどがなった。
永遠にも感じられた長い時間二人は対峙していた。
突然彼女の右手からナイフが消えた。
刑事は不審に思いつつも彼女の右手に注目していた。
女が自分の右手首の辺りを自分の指でさした。
その動作が『あなたの袖のあたりをみてみなさい』という意味だということに少し時間がかかったが、
その意味に気づいた刑事は自分の右腕を目の高さにあげてみる。
袖口が切れていた。
鋭利な刃物で切りつけたように
「うわぁぁぁぁっぁぁぁーーー!!」
緊張の糸が切れた。
突然足が動き出し、走り出した。
「……ふふ」
後ろから女の笑い声が聞こえた気がした。
霧を掻き分けるかのように走る、走る。
数メートル先も見えない霧の夜を、
まるで猛獣から逃げる兎のように必死に。
霧の中から突然女が現れそうで
突然先ほどの袖口みたいに切り裂かれそうで。
「はぁ、はぁ、はぁ」
気づけば大分離れた路地裏に居た。
真っ直ぐ走っていた。
女の足ではついてこれまい。
そう思い、路地裏の壁にもたれ掛かり息を整える。
(タバコの吸い過ぎか)
息は長く戻りそうにない。
自分が逃げてきたほうとは逆の路地入り口から声がした。
「……クス、またあったわね」
半月のように歪む口元だけがフードからのぞく。
再び刑事の脈白は最高潮に達する。
そこには走っておいて来たはずの黒い布切れに身を包んだ女の姿。
息切れもしてない。
タン、タン。
一歩一歩こちらへ歩み始める。
「あ、あああぁあ、来るなぁ、来るなっ!!」
刑事の頭は既にパニックしている。
急に彼女は歩みを止めると、フードに手をかけ捲り上げた。
美しい銀髪が現れる。
東洋風な冷たい表情。
紅に染まる瞳。
あの奇術師だった。
広場に現れナイフ使い。
(迂闊だった、今日は誰かと来るべきだった)
そう思うが今はどうしようもない。
せめて応援を呼べればとも思いジャケットのポケットを弄る。
ある筈の携帯電話がなかった。
「刑事さんが探しているのはこれ?」
突然、女が口を開く。
まるでジュニアスクールの生徒に算数の質問をする先生のような口調で。
彼女の右手に握られていたのはポケットに入っていたはずの刑事の携帯電話。
「あ、あ」
刑事の顔が一瞬で青ざめる。
(なぜ、なぜ、なぜ)
当為痛かったが口はうまく動いてくれなかった。
ガッ
女は携帯電話を地面に落とし、踏みつける。
「……クス」
再び微笑む。
ふと、刑事は自分の懐には拳銃が入っていたことを思い出した。
タン、タン。
霧に包まれた路地裏を一歩、また一歩と再び女が歩み始める。
懐に手をやる。
拳銃は抜かれていなかった。
「と、止まれ」
刑事は拳銃を女に向けて構える。
これでこちらが優位だ。
刑事はそう思った。
女は両手を挙げた。
「よし、そのまま……」
一瞬の間に女は消えていた。
まるで霧に消えてしまったかのように。
刑事の目が見開く。
拳銃は構えたまま後退する。
(とりあえず、電話を探して応援を呼ぼう)
そう思いながら少しずつ後ろに下がっていく。
ピタ……
冷たいものが喉に当たる。
前に居たはず……すれ違う隙間もない。
喉に当てられているものはナイフに違いない。
力が抜ける。
「オヤスミ」
そう聞こえた。
(一人じゃなくてもだめさ、相手は『夜霧の幻影殺人鬼』なのだから)
それが刑事の最後の思考だった。
霧の夜に血飛沫が待った。
濃霧はそれすらも包み込んでいく。
辺りは再び静寂に満ちる。
今日も街の住人が死体へと変わった。
ぺろ……
女は充足された表情で刑事の遺骸を見下ろしながら銀色のナイフについた血液を舐める。
銀色に輝いていた髪は血飛沫を浴び紅白の斑模様になっていた。
霧が晴れ始める。
そろそろ帰らねば……そう女が思ったとき
―パチパチ、パチパチ
場違いな無邪気な拍手が聞こえてくる。
女はハッとした。
(見られた!?……でも)
拍手がしたほうを見上げる
上空からのその音は聞こえてきたのだ。
(獲物を狩ったあとでつかれているんだ)
そう解釈して、立ち去ろうとsる。
「まちなさい」
確かに聞こえた。
先ほどの拍手よりも場違いに思えるほどの幼い女児のような声
今度は確かに聞いた……
女は再び空を見上げる。
一瞬霧が晴れる。
女は自分の目に入ったものが信じられなくて絶句する。
羽が生えた女の子が空を飛んでいた。
確かに見かけは小さな女の子。
でも不意に覗いた瞳からは不思議な迫力を感じた。
「あなたが『夜霧の幻想殺人鬼』?」
少女は相変わらず上空より語りかけている。
「……」
女は声がする方向へ返事の変わりにナイフを飛ばした。
グサッ!!
(手ごたえはあった。仕留めたはず)
女は確信する。
「Amen」
そう呟くと、そこから立ち去ろうと踵と返す。
しかし
「無礼ね、人間の癖に」
「……!!」
声の下方向へ向き直る。
脈拍が上がる
息が荒くなる。
随分霧が薄くなってきた。
少女の姿がぼんやりと確認できる。
「あっ……」
女は絶句する。
確かに女が投げたナイフは正確に少女の喉を貫いているのだ。
「でも……やるわね、人間の癖に」
でも喋りながらこちらへと近づいてくる。
グ……
少女は自ら首に刺さっているナイフを引き抜いた。
しかし、血飛沫は上がらなかった。
あまつさえもう彼女の首には切創は跡形もなく消えていた。
「私はレミリア・スカーレット」
そういうとこちらへニッコリと微笑みかけた。
その表情はあまりに無邪気に見えた。
長く伸びた犬歯が口覗く。
女はある逸話を思い出す。
町外れの館には吸血鬼がすむ。
今、女と相対するレミリアと名乗った少女は吸血鬼なのか?
急に恐怖に駆られる。
「……」
無言のまま、ナイフを弾幕のように展開する。
グサグサグサグサ……
数十本ものナイフが全て少女に命中したはずだった。
ドサ…
剣山のようになって仰向けに倒れるレミリア。
「やった……」
そういうと女はへたり込む。
彼女も人外の力を持つが本物の人外を相手にするのは初めてだったからだ。
ふと目の前を黒いものが横切る。
「きゃっ」
あわてて後ろに飛びのく。
蝙蝠だった。
一匹ではなかった。
女が投げつけたナイフよりも多いほどの蝙蝠たちが辺りを飛び回っていた。
「く、この!!」
残っていたナイフで蝙蝠を切り裂こうとするが
闇夜に飛ぶ蝙蝠を細くすることはとてもできない。
郊外とはいえこんな街中にこんなに蝙蝠がいるはずがない。
そう思って蝙蝠の動きを目で追っていると、蝙蝠たちは目の前で集まり人の形をなす。
レミリアだった。
女がレミリアが倒れていた辺りの地面を見ると、そこには投げつけて刺さったはずのナイフのみが転がっていた。
「あ……あぁぁ」
恐怖……
人外のものと初めて対峙する恐怖。
ナイフを首筋に食らっても、体中を切り刻まれても死なない。
「あら、そんなに怖がってくれて光栄だわ」
そういうと、一歩、また一歩と女との距離を詰めていく。
「こ、こないで、それ以上近寄ったら」
「……クスクス」
そう口元を歪ませて微笑む。
長い犬歯が覗く。
「あ……ば、化け物ぉ!!」
青白い肌、赤を湛えた瞳、長い犬歯
認めたくなかった。
そんな本でしか読んだことが無いような化け物……
「あら、化け物なんて言い方は気に入らない。私は高貴なる」
そう、血を啜り、夜を支配する……
「吸血鬼」
なんて、恐ろしい笑顔。
女は今、自分の何と対峙しているのかようやく理解できてきた。
夜霧の幻影殺人鬼?
そんなものは人間が作ったまやかし。
でも目の前に立っているのは、本物の吸血鬼。
「あっ、あぁぁぁぁ」
女は一目散に走り出した。
人間に限らず、全ての動物が自分より強い生物と対峙したとき採る行動はいつもいっしょ。
逃げる、逃げる、逃げる。
「待ちなさい」
そう余裕を残した声が後ろから聞こえた。
(待ったら、逃げなきゃ、殺される)
女は慌てて動き出そうとする。
「時を止めても無駄よ」
「……!?」
まさしく今時を止めようとした。
(なぜそれがわかった……?)
ドサァァ
次の瞬間女は首筋に強い衝撃を受け路地裏に押し倒された。
「だって、私がまた見つけるもの」
そういうと再び微笑む。
少し欠けた月を背景に長い牙を除かせてこちらを見ている。
女は死を覚悟する。
(まぁ、いいか。)
女は、この瞬間を待っていたのかもしれないそう思い出した。
(きっとこの化け物が私を殺してくれる)
次の瞬間起こるであろう風景が眼に浮かぶ。
腹を割かれ、この化け物に食われる。
そう思うと不思議と落ち着き始めた。
自分の人生が走馬灯のように蘇った。
気がついたら、郊外の森でボロボロの姿で倒れていた。
何も分からなかった
自分の年齢も名前も何故ここにいるのかも
起き上がり、明かりを探し暗い森をさ迷っていたら
荒くれな男に襲われた。
そのとき、自分の『時を止める能力』に気づいた。
女は全てが静止した世界でその暴漢を殺した。
それからは、時を止める能力で何人も殺した。
水を得るため、パンを得るため、服を得るため
途中から大道芸で稼ぐようになった。
快楽でのみ人を殺すようになった。
ナイフを首筋に走らせる瞬間
生をうしない、肉の塊になっていく瞬間
そのときだけ生きる意味を感じられた。
今まで何人を手にかけたんだろう。
もうそれすらも分からない。
「うぅ、うぅ」
気づけば女は泣いていた。
なんで、涙が出てくるのか分からなかった。
やっと終われるのに。
殺戮にのみ満ちた生を目の前の化け物が終わらしてくれるのに。
救われるのに。
こんなおかしな短い生を目の前の化け物が終わらしてくれるのに。
「ふぅ」
レミリアはため息をつく。
もう涙でかすんでレミリアの姿はぼやけて見えた。
「別に、殺しも食いもしないわよ」
そういって少し笑った。
「えっ……」
自分の見当が外れた女は驚いた表情でレミリアを見た。
「優秀な部下を探していたの」
そう語りかける。
「気に入ったの、あなたも、あなたの能力も」
女は何を言っているかわからなかった。
「まだ聞いていなかったわ、あなた名前は?」
「覚えていないの、分からないの」
そういうと再び涙を零し始める。
「んーと、よしわかった。あなたの名前は……」
そういうと少女のような表情で頭を抱える。
「十六夜の夜に出会ったから」
女はレミリアの館でメイドとして働くことになった。
あるときレミリアは女にこういった。
「私は運命を操れる。あなたの運命は、そうね大分こんがらがっちゃってるけど、きっと私の元にいれば元に戻るわ」
ボーン
はと時計の音が咲夜を回想の世界から引き戻す。
コーヒーを口に含む。
せっかく入れなおしたコーヒーはすでに冷めてしまっていた。
咲夜は思いのほか長くぼぅっとしてしまっていたことになる。
(疲れているのかな)
そう思い、窓の外に眼をやった。
少し歪んだ月が浮かんでいた。
奇妙な月だった。
(何でこんなことを思い出したんだろう)
もしかしたら、あの奇妙な月の性かも知れない。
永夜事変はこれから始まる。
しかし如何せん時代設定が可笑しいような気が・・・。
特に携帯電話とか?w
どんだけ時間経ってるんだ・・・・。すいません。
欲を言えばもうちょっとレミリアと戦ってほしかったかな?
フリーレスなのは無換算ではなく0点だと受け取ってください。
このレミリアは何故、咲夜を部下にしたのだろうか?
レミリアみたいに強い力を持つ者は本来部下なんて必要ない訳で(そもそも人間程度を部下にしたがらないと思われる)それなのに咲夜を部下にするにはそれ相応の理由が要るのでは?(レミリアが偶然咲夜を見つけ興味を持つなど)
残念ながらこの作品には表記されてませんでしたし、感じられませんでした。
次回に期待しますね。