※この作品には、作者のある程度の主観が入っております。
また、過去分に関しては、作品集49に其のいち、作品集50に其のにを参照するか、
http://www.geocities.jp/ocean_sakaki/library/index2.htm#hanmyon ←こちらのACT1~ACT5をご参照ください。
ではでは、お楽しみを。
夜も更けて。
とりわけ何も変化することがなく、今日も冥界の一日が終わろうとしていた。
「ふぁ……じゃあ、私はもう寝るから、後はよろしくね」
幽々子が小さな欠伸を漏らしながら寝室へと戻っていくのを見送り、台所の後片付けなどをすませてから、妖夢も今日一日の雑務を終了させる。
各座敷は既に消灯しており、光源は基本的に月明かりのみであるためか、歩く廊下は静かで薄暗い。冥界という環境からくる低気温も手伝ってか、夏に近い季節でありながらも夜は肌寒くも感じられる。
寝室までの廊下の道中、というのが妖夢はどうも苦手である。今にも何か出てきそうな雰囲気だから。
……といっても、今は、どうにも怖がってられない理由がある。
「ほら、怖くない怖くない」
「…………」
無表情ながらも、顔を青ざめさせてふるふると全身を震わせているのは、妖夢と同じ寝間着に身を包んでいる妙夢だ。やはり元は妖夢の半霊というだけあって、怖がりは妖夢と同様のようであり、こちらの寝間着の裾をぎゅっと掴んで放さない。幽霊なのに幽霊が怖いなんて思い切り変なのであろうが、そんな道理なぞどうでもいい。
最近の夜は、そんな妙夢をあやしながら廊下を歩くのが常となっている。
今にも何かが爆発しそうになっている妙夢のことを見てると、怖がるよりもこの子のことを守ることに気が優先されてしまう妖夢であった。
……私も、こういう風に見られてるのかなぁ。
幽々子さまの気持ちが、なんとなくわかる。
怪談などで自分が涙目になっていると、我が主は『駄目ねぇ』と少々呆れ顔をしているのだが。
いつも、優しくなれるような温かくなれるような、そんな気持ちで自分の傍に居てくれているのだろうか。
「大丈夫だから。ね? あともう少し」
ならば、かつての自分のように怖がっている者がいるからには、今は私が幽々子さまのように励ます側で居ようと、妖夢は思う。
いつまでも怖がっているようでは半人前から脱出できないし、それに、優しく励ますことは何だかとても心が温まる感じがするから。
「…………」
妖夢の励ましで少しは気分が和らいでいるのか、おっかなびっくりといった態で、妙夢はきちんと付いてきてくれる。その実、初日は本当に大変だったのだが、今は存分に自分のことを頼ってくれているようだ。実はとても嬉しかったりする。
そんな嬉しさを押し隠しつつ、微速ながらも着実に、二人して暗がりの廊下を進む。少しずつ、少しずつ。
数分かけて歩を進め、角を曲がって自分達の寝室を視認すると、妙夢はフッと肩の力を抜いた。もう大丈夫、というイメージがありありと伝わってきた。
妖夢もフゥッと二重の意味で安堵の吐息を漏らし、妙夢の手を引いてテクテクと廊下を数歩ほど進んだところで。
「……? どうしたの?」
気付いた。
妙夢が、顔を真っ青にして、ある一点を凝視していることに。
「もしや……」
一瞬、不安になって、妖夢もその方角へと視線を向けるが、そこには元の暗がりがあるだけで異質なものは見られない。
気のせいか、それとも……。
「……とりあえず、何もないみたいだから、早く行こう」
こくこく
かろうじてそのように頷き、妙夢は妖夢の腕にぎゅっとしがみ付く。足取りは覚束ないが、歩けないわけではない。
妖夢は三百六十度周囲を警戒しながら歩を進めて、自分の寝室の襖に手をかける。
心に活を入れる意味で、勢いをつけてバッと開けてみると、簡素な八畳一間、隅には丁寧に折りたたまれた寝具が二つ。部屋を出る前とは、なんら変わったものは無い。
「なんだ、大丈夫じゃない」
「? ?」
何もなかったことに戸惑っているのか、妙夢はきょろきょろと辺りを見回す。しかし、やはりないものはないので、いっそう妙夢は戸惑いながらも……へなへなと脱力した。妖夢の腕にしがみ付いたまま、全体重を預けてくる。
「ほら、脱力しないで。明日も早いから、早く寝よう」
こくこく
気を取り直して妙夢が頷くのを確認してから、二人揃って座敷へ入ると。
ピシャン、と。
狙ったかのように、襖の戸が自然に閉じられた。
『……!?』
二人して振り返って、入り口を凝視する。二人とも、戸に触れた覚えはない。
なのに、勝手に閉まるなどと……。
オ……オオ……
と、戦慄している間にも。
どこからか、謎の声らしきものが聴こえてきた。頭に直接響くようなそうでもないような不愉快さで、しかも音源を特定できない。
オオオ……オオ……オ……オオオオオ…………
そして、その不愉快な謎の声は、どんどん大きくなっていく。
今一度、辺りを見回してみても、部屋には何も変わったものは見られない。それが、いっそうに不気味さを際立たせている。
「な、なに……なんなの……」
「……………………」
オオオオオ……オオオオ……オオオオオオオ……
やばい。正直、ものすごく怖い。
胸がドキドキする。身体が自然とぶるぶる震えだす。変な汗がぶわっと浮き出てくる。
この冷然とした雰囲気、一帯如何なるものか……!
ぎゅっ……
「え……妙夢?」
と、気付くと、妙夢が涙目になりながらも妖夢の腰辺りに抱きついていた。床に膝を付いて、何かに耐えるかのように目をきゅっと閉じている。さっきまで自分が恐怖していた影響か、不安度が更に増しているようにも見える。
……そうだ。
自分がしっかりしないと駄目だ。
さっき思ったではないか。
自分も励ます側でありたいと。
いつまでも怖がっているようでは、半人前から脱出できないと。
怖いことには変わりないけど、せめてこの子の前ではしっかりせねば。
「……隠れていないで出て来い、この不気味な音の源よ! そこに居るのはわかっているぞ!」
妙夢を守るように抱き返しながら、妖夢は虚空に向けて声を張り上げる。
するとどうだろう。
声が、ドップラー効果のようにゆっくりと小さくなっていくように妖夢は感じた。
「…………」
追い返したのだろうか……否。まだ油断は出来ない。
ザラ付いたような、いやな雰囲気はまだ残っている感じがする。あくまで感じだが、警戒するに越したことはない。もうここまで来たら何でもこいだ。
例え何が現れようと、この白玉楼庭師である魂魄妖夢がお相手致す――!
ポタリ
「え……血……?」
お相手致――
ポタポタポタ
「上から? ……――っ!!!!」
おあいt
『よ゛~~~~~~み゛ょ~~~~~~む~~~~~~~』
「ひっ……ぃぃぃぃぃやああああああああああああっ!?」
「――――――――――――――――――――――っ!?」
撤回。
正直、無理です。
「あらあら、ちょっと刺激が強すぎたかしら」
「トラウマになりますよ……」
三十分後。
全ては、西行寺幽々子が妖夢と妙夢を驚かせるための仕掛だったことが判明した。
仕掛と言っても、天井で逆さ吊りになりながら、こちらにニイイィィィッと三日月笑いをしている衣装血塗れ髪ボサボサの女性なんかを見ると、もう怖いのなんのって。しかも、暗がりの中でピンポイントでその姿がライトアップのオマケつきだ。
結果。
妖夢は気絶寸前まで追い詰められ、妙夢はその時はもう既に意識を失っていた。
「それで、どうだった? 私の変装」
「どうと言われましても……」
無論、血塗れの女性の正体は幽々子の変装であったのだが、今は元通りの寝間着となっている。先程の陰惨かつ凄惨な雰囲気など微塵もない。
といっても、幽々子の場合はリアルで亡霊なので、このくらいの芸当は出来て当然なのかもしれない。
ともあれ、なんとか息を吹き返した妖夢は、それはもうぷりぷり怒ったのだが、さっきの絶叫で殆ど体力を使い果たしたためか、怒ろうにもほとんど勢いが付いておらず、しかも、幽々子は相変わらず呑気に百万ドルの笑顔を振りまき続けているものだから、なんだかほとんど気も萎えてしまっていた。
「まったく、いい加減にしてください。なんなんですか一体」
「ん~、妙夢の怖がりっぷりが気になったから、やっぱり妖夢と同じなのかしら、と思って~」
「同じに決まってるじゃないですか……」
ちなみに、妙夢は未だに意識を失ったままである。
放置するわけにも行かないので、布団を敷いて寝かせてある。声が出せないのでウンウン唸っているわけでもないのだが、明らかにうなされていた。可哀想に。
「でも、さっきの妖夢はなかなか頼もしかったわよ」
「? さっきのって?」
「あの時、あなたも本当は怖かったでしょうけど、気丈に、妙夢のこと守ってたじゃない」
「それは……まあそうですけど」
あの、妙夢を不安がらせてはいけないと思ったときのことか。
でも、アレはもうほとんどギリギリの状態だっただけに、もう一度やってみろと言われると、正直自信がない。ただ、ああいう風に怖がっている妙夢を見ていると、本当にこのままじゃ行けないと思って……。
「これを機に、妖夢もちょっとはしっかりしてくれると嬉しいわねぇ」
「はぁ……」
考えているうちに、幽々子がさらりと纏めようとしている。
……もしかして、幽々子さまは私のことを思って、こんなお戯れを?
そう考えたのだが、一方で、少し違うな、とも思う。我が主がそんなにも思慮深いことをするはずが……時にはあるが、こればっかりはわからない。そんなことよりも、他の目的もあったような感じもしないでもない。
それが何であるかは解らないのだが。
「ふぁ……さて、充分に楽しんだことだし、今度こそ寝るわね」
「……もう、仕掛とかないですよね」
「ないわよ。やっぱり即興だったしね。ネタも少ないのよ」
「それならいいのですが……さっきのは、安心させといていきなりだったので、どうにも不安で」
「なかなか疑り深いわねぇ。なんなら一緒に寝てあげてもいいわよ? こう、妙夢も一緒になって川の字で」
「結構です」
どんな形であるにしろ恨み節が残っているので、ほとんど速攻で答えた。
幽々子は『ヱー』と少しつまらなさそうな顔をするが、取り付く島は持たせない。
……とりあえず。
謎掛けという雰囲気が今の幽々子にはないので、あまり深く考えない方がいいのかもしれない。
「じゃあ、おやすみね」
「はい、おやすみなさい」
お互いに夜の挨拶を交わして、幽々子の廊下を歩く足音が遠ざかっていくのをきちんと確認してから、妖夢はさっさと眠ることにした。明日も早いことだし。
いろんな疲労感が身体に圧し掛かって来ているのだが、眠れば直ぐに解消されるだろうと思いつつ、空いたスペースに布団を敷いて。
灯りを消してようやく一息ついて、ごそごそと布団に潜り込もうとしたところで。
「……あ、妙夢」
隣に敷いている布団にて、妙夢が目を覚ましてこちらのことを見ているのに妖夢は気付いた。
先程の気絶から、やっと意識を取り戻したといったところか……といっても、先程に味わった恐怖感が残っているためか、妙夢の顔色は未だに青い。薄闇の中ながらも、なんとなくわかる。
妖夢も妖夢で、実は未だにあの時の恐怖感があるにはあるのだが、眠れないということはないが、今の妙夢はおそらく違う。目を覚ましてしまったが最後、この恐怖状態のまま再び眠りに就くのは至難の業だろう。少し前の自分がそうであっただけに、なんとなくわかる。
「大丈夫だよ。もう、ああいうことはないから」
「…………」
「ごめんね。幽々子さまって、時々洒落にならないようなことしてくるから。でも、あんまり怒らないでね。幽々子さまも悪気があったかどうかについては微妙だけど、妙夢のことを傷つけようと思ってやったことではないと思うし」
「…………」
ふるふる
申し訳なさそうに妖夢が言うのに対し、妙夢は弱々しく首を振って見せた。怒っていない、というのが伝わってくる。
主のお戯れを案外あっさり許せるなんて、心が広いなぁ……とまで考えて、この子は半霊である頃も幽々子さまの破天荒っぷりは何度も見ていると考えると、何となく納得できることだった。
まあ、怒ってないにしろ、恐怖心が残っているのは事実だろう。見ているだけでわかる。
こういう時、どうしてやるべきか……。
「――――」
そこで一つ、思いついたことがある。
ならば、あまり迷う必要はない。
「妙夢、おいで」
「……?」
「ほら」
上布団をめくって、ポンポンと寝具を叩いて誘ってみる。
先程の幽々子が言っていた『一緒に寝てあげても良いわよ』の受け売りというやつだ。あまりにも自分の性に合ってないことなのかもしれないが、このままでいるよりは断然良いと思う。
「…………」
……こくり
現に、妙夢は少々迷ったようだが、あまり間を持たせずしてこちらの布団に潜り込んできた。そしてぴったりと妖夢の身体にくっついて、そこでやっと『ほぅ……』と安堵の吐息を漏らす。
さっきからも、そうしたいと思っていたのだろう。
「ちなみに言っとくけど、今日だけだよ? 明日はちゃんと離れて寝るからね?」
こくこく
わかってる、とでも言わんばかりに頷いて、妙夢はゆっくりと目を閉じる。まだ少し震えが残っている感じがするが、先程よりはずっと落ち着いている。ほどなくして、きちんとした眠りに就けることだろう。
妙夢にはわからないように、妖夢はこっそりと一息。
「…………」
それにしても、と妖夢は思う。
――ついつい『明日は離れて寝る』なんて言ってしまったが、明日なんてあるのだろうか。
明日、妙夢は元に戻ってしまっているかも知れないというのに。
もしくは、十六夜咲夜が対策を練って、こちらへとやってくるかも知れないというのに。
何故、明日なんて言ってしまったのか……と考えて、ああ、そうかとも思う。
馴染んでいるのだ。今の日常に、妙夢の居る生活が。
元に戻らないといけないと考えているが、その半面で、
この日常を手放すの勿体無いとも考えている自分が居る。
それは、ある意味危険な兆候なのかも知れない。偶然で出来上がり、しかもいつ終わるかも知れない日常に身を沈めるなど。
はたしてそんな半端な気持ちで、これから先、前に進めるのだろうか?
正直、確信がない。
物事に依存することは、それを突如失うことで足元が見えなくなってしまうと、お師匠様は言っていた。
ならば、これ以上、この子に情を移らせるのはやめておいた方がいいのではないか。
だがしかし、この子を守ろうと思うことで、さっき幽々子さまに言われたように、普段では考えられない見えない力が発揮できてしまったのも事実。本当に小さい力ながらも、事実だ。
それは言ってみれば貴重なキッカケであり、努力次第では如何様にも昇華できるはずだ。
否定も肯定も出来ない日常、とも言うべきか。
迷いは白楼剣で斬ることができるが、それでは答えが出ないような気がする。
「……でも、出さないといけないよね。どんな形でもいいから」
思わず、呟きが口から出た。
これから前に進むにはそれしかない、決意だ。
……そのためにも、いい加減今日は寝ることにしよう。あまり考えすぎると眠れなくなる。
思い、妖夢はふと、既に眠っているらしい妙夢の寝顔をちらりと覗き見る。
すやすやと寝息を立てている様は、何だか、とても可愛らしく思える。
自分の同じ顔を自分で可愛いというのもどうかと思うかもしれないが……幽々子さまには、日常でいつもそんなことを言われているような気がするし。
一年ほど前、旅を共にした半人半霊の友人にも、よくそのように言われていたことも思い出す。久しぶりに。あの時のあいつは、まさしくそんな気持ちだったのだろう。
なんだかなぁ、と苦笑して、妖夢は目を閉じた。先ほどから圧し掛かっている身体の疲労感と、いろいろ思考して脳が休息を求めたのか、眠気は程なくしてやってくる。
ただ、眠りに就く寸前、妖夢が思ったことが一つある。
妙夢自身は、今をどう思っているのだろうか、と。
-続く-
また、過去分に関しては、作品集49に其のいち、作品集50に其のにを参照するか、
http://www.geocities.jp/ocean_sakaki/library/index2.htm#hanmyon ←こちらのACT1~ACT5をご参照ください。
ではでは、お楽しみを。
夜も更けて。
とりわけ何も変化することがなく、今日も冥界の一日が終わろうとしていた。
「ふぁ……じゃあ、私はもう寝るから、後はよろしくね」
幽々子が小さな欠伸を漏らしながら寝室へと戻っていくのを見送り、台所の後片付けなどをすませてから、妖夢も今日一日の雑務を終了させる。
各座敷は既に消灯しており、光源は基本的に月明かりのみであるためか、歩く廊下は静かで薄暗い。冥界という環境からくる低気温も手伝ってか、夏に近い季節でありながらも夜は肌寒くも感じられる。
寝室までの廊下の道中、というのが妖夢はどうも苦手である。今にも何か出てきそうな雰囲気だから。
……といっても、今は、どうにも怖がってられない理由がある。
「ほら、怖くない怖くない」
「…………」
無表情ながらも、顔を青ざめさせてふるふると全身を震わせているのは、妖夢と同じ寝間着に身を包んでいる妙夢だ。やはり元は妖夢の半霊というだけあって、怖がりは妖夢と同様のようであり、こちらの寝間着の裾をぎゅっと掴んで放さない。幽霊なのに幽霊が怖いなんて思い切り変なのであろうが、そんな道理なぞどうでもいい。
最近の夜は、そんな妙夢をあやしながら廊下を歩くのが常となっている。
今にも何かが爆発しそうになっている妙夢のことを見てると、怖がるよりもこの子のことを守ることに気が優先されてしまう妖夢であった。
……私も、こういう風に見られてるのかなぁ。
幽々子さまの気持ちが、なんとなくわかる。
怪談などで自分が涙目になっていると、我が主は『駄目ねぇ』と少々呆れ顔をしているのだが。
いつも、優しくなれるような温かくなれるような、そんな気持ちで自分の傍に居てくれているのだろうか。
「大丈夫だから。ね? あともう少し」
ならば、かつての自分のように怖がっている者がいるからには、今は私が幽々子さまのように励ます側で居ようと、妖夢は思う。
いつまでも怖がっているようでは半人前から脱出できないし、それに、優しく励ますことは何だかとても心が温まる感じがするから。
「…………」
妖夢の励ましで少しは気分が和らいでいるのか、おっかなびっくりといった態で、妙夢はきちんと付いてきてくれる。その実、初日は本当に大変だったのだが、今は存分に自分のことを頼ってくれているようだ。実はとても嬉しかったりする。
そんな嬉しさを押し隠しつつ、微速ながらも着実に、二人して暗がりの廊下を進む。少しずつ、少しずつ。
数分かけて歩を進め、角を曲がって自分達の寝室を視認すると、妙夢はフッと肩の力を抜いた。もう大丈夫、というイメージがありありと伝わってきた。
妖夢もフゥッと二重の意味で安堵の吐息を漏らし、妙夢の手を引いてテクテクと廊下を数歩ほど進んだところで。
「……? どうしたの?」
気付いた。
妙夢が、顔を真っ青にして、ある一点を凝視していることに。
「もしや……」
一瞬、不安になって、妖夢もその方角へと視線を向けるが、そこには元の暗がりがあるだけで異質なものは見られない。
気のせいか、それとも……。
「……とりあえず、何もないみたいだから、早く行こう」
こくこく
かろうじてそのように頷き、妙夢は妖夢の腕にぎゅっとしがみ付く。足取りは覚束ないが、歩けないわけではない。
妖夢は三百六十度周囲を警戒しながら歩を進めて、自分の寝室の襖に手をかける。
心に活を入れる意味で、勢いをつけてバッと開けてみると、簡素な八畳一間、隅には丁寧に折りたたまれた寝具が二つ。部屋を出る前とは、なんら変わったものは無い。
「なんだ、大丈夫じゃない」
「? ?」
何もなかったことに戸惑っているのか、妙夢はきょろきょろと辺りを見回す。しかし、やはりないものはないので、いっそう妙夢は戸惑いながらも……へなへなと脱力した。妖夢の腕にしがみ付いたまま、全体重を預けてくる。
「ほら、脱力しないで。明日も早いから、早く寝よう」
こくこく
気を取り直して妙夢が頷くのを確認してから、二人揃って座敷へ入ると。
ピシャン、と。
狙ったかのように、襖の戸が自然に閉じられた。
『……!?』
二人して振り返って、入り口を凝視する。二人とも、戸に触れた覚えはない。
なのに、勝手に閉まるなどと……。
オ……オオ……
と、戦慄している間にも。
どこからか、謎の声らしきものが聴こえてきた。頭に直接響くようなそうでもないような不愉快さで、しかも音源を特定できない。
オオオ……オオ……オ……オオオオオ…………
そして、その不愉快な謎の声は、どんどん大きくなっていく。
今一度、辺りを見回してみても、部屋には何も変わったものは見られない。それが、いっそうに不気味さを際立たせている。
「な、なに……なんなの……」
「……………………」
オオオオオ……オオオオ……オオオオオオオ……
やばい。正直、ものすごく怖い。
胸がドキドキする。身体が自然とぶるぶる震えだす。変な汗がぶわっと浮き出てくる。
この冷然とした雰囲気、一帯如何なるものか……!
ぎゅっ……
「え……妙夢?」
と、気付くと、妙夢が涙目になりながらも妖夢の腰辺りに抱きついていた。床に膝を付いて、何かに耐えるかのように目をきゅっと閉じている。さっきまで自分が恐怖していた影響か、不安度が更に増しているようにも見える。
……そうだ。
自分がしっかりしないと駄目だ。
さっき思ったではないか。
自分も励ます側でありたいと。
いつまでも怖がっているようでは、半人前から脱出できないと。
怖いことには変わりないけど、せめてこの子の前ではしっかりせねば。
「……隠れていないで出て来い、この不気味な音の源よ! そこに居るのはわかっているぞ!」
妙夢を守るように抱き返しながら、妖夢は虚空に向けて声を張り上げる。
するとどうだろう。
声が、ドップラー効果のようにゆっくりと小さくなっていくように妖夢は感じた。
「…………」
追い返したのだろうか……否。まだ油断は出来ない。
ザラ付いたような、いやな雰囲気はまだ残っている感じがする。あくまで感じだが、警戒するに越したことはない。もうここまで来たら何でもこいだ。
例え何が現れようと、この白玉楼庭師である魂魄妖夢がお相手致す――!
ポタリ
「え……血……?」
お相手致――
ポタポタポタ
「上から? ……――っ!!!!」
おあいt
『よ゛~~~~~~み゛ょ~~~~~~む~~~~~~~』
「ひっ……ぃぃぃぃぃやああああああああああああっ!?」
「――――――――――――――――――――――っ!?」
撤回。
正直、無理です。
「あらあら、ちょっと刺激が強すぎたかしら」
「トラウマになりますよ……」
三十分後。
全ては、西行寺幽々子が妖夢と妙夢を驚かせるための仕掛だったことが判明した。
仕掛と言っても、天井で逆さ吊りになりながら、こちらにニイイィィィッと三日月笑いをしている衣装血塗れ髪ボサボサの女性なんかを見ると、もう怖いのなんのって。しかも、暗がりの中でピンポイントでその姿がライトアップのオマケつきだ。
結果。
妖夢は気絶寸前まで追い詰められ、妙夢はその時はもう既に意識を失っていた。
「それで、どうだった? 私の変装」
「どうと言われましても……」
無論、血塗れの女性の正体は幽々子の変装であったのだが、今は元通りの寝間着となっている。先程の陰惨かつ凄惨な雰囲気など微塵もない。
といっても、幽々子の場合はリアルで亡霊なので、このくらいの芸当は出来て当然なのかもしれない。
ともあれ、なんとか息を吹き返した妖夢は、それはもうぷりぷり怒ったのだが、さっきの絶叫で殆ど体力を使い果たしたためか、怒ろうにもほとんど勢いが付いておらず、しかも、幽々子は相変わらず呑気に百万ドルの笑顔を振りまき続けているものだから、なんだかほとんど気も萎えてしまっていた。
「まったく、いい加減にしてください。なんなんですか一体」
「ん~、妙夢の怖がりっぷりが気になったから、やっぱり妖夢と同じなのかしら、と思って~」
「同じに決まってるじゃないですか……」
ちなみに、妙夢は未だに意識を失ったままである。
放置するわけにも行かないので、布団を敷いて寝かせてある。声が出せないのでウンウン唸っているわけでもないのだが、明らかにうなされていた。可哀想に。
「でも、さっきの妖夢はなかなか頼もしかったわよ」
「? さっきのって?」
「あの時、あなたも本当は怖かったでしょうけど、気丈に、妙夢のこと守ってたじゃない」
「それは……まあそうですけど」
あの、妙夢を不安がらせてはいけないと思ったときのことか。
でも、アレはもうほとんどギリギリの状態だっただけに、もう一度やってみろと言われると、正直自信がない。ただ、ああいう風に怖がっている妙夢を見ていると、本当にこのままじゃ行けないと思って……。
「これを機に、妖夢もちょっとはしっかりしてくれると嬉しいわねぇ」
「はぁ……」
考えているうちに、幽々子がさらりと纏めようとしている。
……もしかして、幽々子さまは私のことを思って、こんなお戯れを?
そう考えたのだが、一方で、少し違うな、とも思う。我が主がそんなにも思慮深いことをするはずが……時にはあるが、こればっかりはわからない。そんなことよりも、他の目的もあったような感じもしないでもない。
それが何であるかは解らないのだが。
「ふぁ……さて、充分に楽しんだことだし、今度こそ寝るわね」
「……もう、仕掛とかないですよね」
「ないわよ。やっぱり即興だったしね。ネタも少ないのよ」
「それならいいのですが……さっきのは、安心させといていきなりだったので、どうにも不安で」
「なかなか疑り深いわねぇ。なんなら一緒に寝てあげてもいいわよ? こう、妙夢も一緒になって川の字で」
「結構です」
どんな形であるにしろ恨み節が残っているので、ほとんど速攻で答えた。
幽々子は『ヱー』と少しつまらなさそうな顔をするが、取り付く島は持たせない。
……とりあえず。
謎掛けという雰囲気が今の幽々子にはないので、あまり深く考えない方がいいのかもしれない。
「じゃあ、おやすみね」
「はい、おやすみなさい」
お互いに夜の挨拶を交わして、幽々子の廊下を歩く足音が遠ざかっていくのをきちんと確認してから、妖夢はさっさと眠ることにした。明日も早いことだし。
いろんな疲労感が身体に圧し掛かって来ているのだが、眠れば直ぐに解消されるだろうと思いつつ、空いたスペースに布団を敷いて。
灯りを消してようやく一息ついて、ごそごそと布団に潜り込もうとしたところで。
「……あ、妙夢」
隣に敷いている布団にて、妙夢が目を覚ましてこちらのことを見ているのに妖夢は気付いた。
先程の気絶から、やっと意識を取り戻したといったところか……といっても、先程に味わった恐怖感が残っているためか、妙夢の顔色は未だに青い。薄闇の中ながらも、なんとなくわかる。
妖夢も妖夢で、実は未だにあの時の恐怖感があるにはあるのだが、眠れないということはないが、今の妙夢はおそらく違う。目を覚ましてしまったが最後、この恐怖状態のまま再び眠りに就くのは至難の業だろう。少し前の自分がそうであっただけに、なんとなくわかる。
「大丈夫だよ。もう、ああいうことはないから」
「…………」
「ごめんね。幽々子さまって、時々洒落にならないようなことしてくるから。でも、あんまり怒らないでね。幽々子さまも悪気があったかどうかについては微妙だけど、妙夢のことを傷つけようと思ってやったことではないと思うし」
「…………」
ふるふる
申し訳なさそうに妖夢が言うのに対し、妙夢は弱々しく首を振って見せた。怒っていない、というのが伝わってくる。
主のお戯れを案外あっさり許せるなんて、心が広いなぁ……とまで考えて、この子は半霊である頃も幽々子さまの破天荒っぷりは何度も見ていると考えると、何となく納得できることだった。
まあ、怒ってないにしろ、恐怖心が残っているのは事実だろう。見ているだけでわかる。
こういう時、どうしてやるべきか……。
「――――」
そこで一つ、思いついたことがある。
ならば、あまり迷う必要はない。
「妙夢、おいで」
「……?」
「ほら」
上布団をめくって、ポンポンと寝具を叩いて誘ってみる。
先程の幽々子が言っていた『一緒に寝てあげても良いわよ』の受け売りというやつだ。あまりにも自分の性に合ってないことなのかもしれないが、このままでいるよりは断然良いと思う。
「…………」
……こくり
現に、妙夢は少々迷ったようだが、あまり間を持たせずしてこちらの布団に潜り込んできた。そしてぴったりと妖夢の身体にくっついて、そこでやっと『ほぅ……』と安堵の吐息を漏らす。
さっきからも、そうしたいと思っていたのだろう。
「ちなみに言っとくけど、今日だけだよ? 明日はちゃんと離れて寝るからね?」
こくこく
わかってる、とでも言わんばかりに頷いて、妙夢はゆっくりと目を閉じる。まだ少し震えが残っている感じがするが、先程よりはずっと落ち着いている。ほどなくして、きちんとした眠りに就けることだろう。
妙夢にはわからないように、妖夢はこっそりと一息。
「…………」
それにしても、と妖夢は思う。
――ついつい『明日は離れて寝る』なんて言ってしまったが、明日なんてあるのだろうか。
明日、妙夢は元に戻ってしまっているかも知れないというのに。
もしくは、十六夜咲夜が対策を練って、こちらへとやってくるかも知れないというのに。
何故、明日なんて言ってしまったのか……と考えて、ああ、そうかとも思う。
馴染んでいるのだ。今の日常に、妙夢の居る生活が。
元に戻らないといけないと考えているが、その半面で、
この日常を手放すの勿体無いとも考えている自分が居る。
それは、ある意味危険な兆候なのかも知れない。偶然で出来上がり、しかもいつ終わるかも知れない日常に身を沈めるなど。
はたしてそんな半端な気持ちで、これから先、前に進めるのだろうか?
正直、確信がない。
物事に依存することは、それを突如失うことで足元が見えなくなってしまうと、お師匠様は言っていた。
ならば、これ以上、この子に情を移らせるのはやめておいた方がいいのではないか。
だがしかし、この子を守ろうと思うことで、さっき幽々子さまに言われたように、普段では考えられない見えない力が発揮できてしまったのも事実。本当に小さい力ながらも、事実だ。
それは言ってみれば貴重なキッカケであり、努力次第では如何様にも昇華できるはずだ。
否定も肯定も出来ない日常、とも言うべきか。
迷いは白楼剣で斬ることができるが、それでは答えが出ないような気がする。
「……でも、出さないといけないよね。どんな形でもいいから」
思わず、呟きが口から出た。
これから前に進むにはそれしかない、決意だ。
……そのためにも、いい加減今日は寝ることにしよう。あまり考えすぎると眠れなくなる。
思い、妖夢はふと、既に眠っているらしい妙夢の寝顔をちらりと覗き見る。
すやすやと寝息を立てている様は、何だか、とても可愛らしく思える。
自分の同じ顔を自分で可愛いというのもどうかと思うかもしれないが……幽々子さまには、日常でいつもそんなことを言われているような気がするし。
一年ほど前、旅を共にした半人半霊の友人にも、よくそのように言われていたことも思い出す。久しぶりに。あの時のあいつは、まさしくそんな気持ちだったのだろう。
なんだかなぁ、と苦笑して、妖夢は目を閉じた。先ほどから圧し掛かっている身体の疲労感と、いろいろ思考して脳が休息を求めたのか、眠気は程なくしてやってくる。
ただ、眠りに就く寸前、妖夢が思ったことが一つある。
妙夢自身は、今をどう思っているのだろうか、と。
-続く-
精一杯がんばろうとする妖夢がとてもかわいかったです。